L.N.S.B [ Story - 8]
 雑踏の中、千秋と並んで歩き出しながら、陸はちょっぴり憮然とした気持になってる。
「あのね、私も一応オンナなんだから、会っていきなり『疲れた顔』はないんじゃないの? 失礼ってものよ」
 そう、怒られてしまった。さらに、だからガキは嫌なのよとダメ押しされ、思わずむっとするが、じっと耐える。たしかにちょっと、デリカシーなかったかも知れないと思うから。
 でも、ほんとに心配だっただけなんだけどな。雑踏の中に立つ彼女は、明らかにいつもの彼女じゃなかった。迷子の子供のように不安そうな、それでいて何かをあきらめてしまっているかのような、疲れ切った表情。無理に作ったような笑顔がなんだか痛々しくて、つい、あんなことを言ってしまった。
 だけどそれも単なる気のせいだったのかも知れない。彼の隣をすたすたと歩く千秋は、すっかり、いつもの千秋に戻っていたのだから。
「で、何にするか、だいたい見当はついてるの?」
 そう聞かれて、自分たちがなぜここへ来たかを思い出した陸は、あわてて首を横に振る。
「ぜんぜん、いろいろ考えたけど、どれももひとつピンと来なくて」
「好みってものもあるしね。そのぐらいの女の子がもらってうれしい物って言えば、指輪…はちょっと重過ぎるし。帽子、イヤリング、ブレスレット……そうだ!」
 かなり親身に考えてくれているらしい、にっこり笑って彼女は言った。
「香水はどう? きれいなボトルも多いし、女の子なら確実に喜ぶと思う。ミニチュアならそんなに高くないしね。それに、好きな女の子からいつも同じ香りがするって、すごくいいものよ」
「わ…わかった」
 少しばかりたじっとなりながら、陸は答えた。その「大人」な発想には、ほえーと感心するしかない。でも、それって確かにいいかも知れない。なんだか、彼女のっていうより、自分のためのプレゼントって感じだな。
「よし、決まり。それで行こう」
 そう言って千秋は、近くのデパートへと歩き出した。陸はなんだかうれしくなってしまって、内心にやつきながら、その後を追う。
 それにしても、千秋も何だか妙にはしゃいでないか? さっきとぜんぜん違う、このてきぱきした身のこなしは何だろう。喜怒哀楽の激しいやつだ。
 そんなことをぼんやり考えてるうちに、千秋はすでに数ある売り場のひとつで、店員のお姉さんと何やら話を始めていた。陸はあわてて小走りにその場へ急ぐ。



 帰りは近くのパスタ屋で食事をした。
 もちろん、陸のおごりだ。「高校生におごってもらうなんて」と千秋はぎりぎりまで抵抗していたが、ここは強引に押し切った。だって本当に、彼女には感謝、感謝だったのだ。それに、彼女の的確なアドバイスのおかげで、思ってたよりずっとリーズナブルな買い物にもなっていたし。
 それにしても、楽しかったなあ。陸はしみじみ思う。
 好きな女の子のことを考えながら、ぴったりの香りを探し出すことが、あんなに楽しいものだなんて知らなかった。千秋に聞かれるまま、麻優里のことをあれこれ話しながら、いろいろな店を結局4、5軒は回っただろうか。
 香りには実に様々な個性があること、その中から誰かにぴったりの香りを見つけ出すことは、容易ではないけれど、とても心弾む作業なのだということを陸は初めて知ったのだった。
 リュックの中にある、ピンクのリボンに包まれた小さな香水壜のことを思い、陸はなんだかうれしくなる。繊細な花びらの形をした、薄緑色の壜。ほんのちょっぴり柑橘系の苦味が効いた、甘い花の香り。きっと彼女は喜ぶだろう。
 千秋がいなければ、思いつきもしなかった。こんなこと。本当に感謝……だ。
「ほんとにありがとな。千秋」
 いつになく素直な気持になってそう言うと、向かいの席でコーヒーを飲んでいた千秋が目を上げる。
「なによ、そう素直にお礼言われちゃうと、かえってブキミだわ」
 いつもの調子で言い返す彼女に、ちょっと興ざめしながらも「あれ?」と思う。なんだか顔、赤くないか?」
 それなりに照れているのか、彼女はそれ以上、何も言わなかった。再び伏せられた目が、何だか不意に色っぽく見えてしまう。
 一瞬、ほんのちょっとだけ心臓が跳ねたような気がして、陸はあわてた。考えてみれば、彼女の顔を真っ直ぐ正面から見たことなんて、ほとんど初めてなのだった。

 一方、千秋はやっぱり陸以上にどきどきしてしまっていたわけで。
 いっしょに食事をして、食べているところを見るのは初めてだったのだけれど、あまりにも予想通りの食べ方で、笑ってしまった。2.5人前はありそうな特盛りのカルボナーラを、気持いいぐらいのスピードで、わしわしとたいらげる。そりゃあ、これだけ食べてりゃ育つわよね。フォークを握る大きな手を見て、思わず納得する。
「カルボナーラ、好きなの?」
 フォークにスパゲティを巻きつける仕草を止めず、彼はうなずいて答える。
「卵が大好物だから。オムライスとか、親子丼とか、外に出て食べるのは絶対、卵系」
 なるほどね…。あまりにも陸らしい答に、思わず吹き出しそうになりながら、千秋は聞いた。
「お子ちゃまだってよく言われない?」
「言われ慣れてる。もう気にもならない」
 あっさりとそう言って、彼はフォークを置き、「ごちそうさま」と笑った。
 その笑顔を、彼女は初めてまん前から間近で見たわけなのだけれど。
 「え?」と、胸を突かれたような気持になる。
 ただ単に無邪気なだけじゃない、そんな笑顔だった。よく日に焼けた肌、ワイルドにも見える顔の輪郭と、決して太くはないけれど意志の強そうな眉。実のところ陸は、黙っていれば高校生とわからないほど男っぽい顔立ちをしている。それを裏切っているのは、いつも笑ってるみたいに見える、端のきゅっと上がった口元。そのおかげで、無邪気に見える。だけど見ていて一番不思議な感じがするのは、瞳だった。
 いたずらっ子のようにいつもきらきら輝いてる、二重瞼の、切れ長の目。だけど笑うととても良い感じに細められ、無限の優しさが宿る。何もかも包み込んでしまえるような、その瞳だけを見ていると、彼は誰よりも大人に見える。
 意外にも彼の本質は「大人」なのかもしれない。それは、さっき一緒に香水を選んでいるときにもふと、思ったことだった。
 女の子にぴったりの香りを選んであげるということは、その子のことを本気で理解しようとするってこと。それを、あれほど一生懸命に、そして楽しげにやってのけたこの男の子は、タダモノじゃない。サンプルの小壜を手に、「これだ!」とうれしそうに笑った彼は、とてもいい顔をしてた。もうさんざん彼女のことを聞かされた後だったこともあって、その香りの中に、会ったこともない女の子の姿が、鮮やかに像を結んだ。
 そんなに思ってもらえる「彼女」が羨ましくって、ちょっと妬けてしまう。ほんと不思議な男の子だわ。
 そんなことを何とはなしに考えてきたとき、ふと、真っ直ぐに見つめられ、
「ありがとな」
 なんて、真顔で言われてしまったものだから、千秋は軽く度を失った。

 本当は、感謝したかったのはこちらの方。
 陸といっしょにあれこれ香水を選んでいる間、何もかもを忘れていられた。今朝の落ち込みが嘘みたいに。なんだか初めてデートをする高校生のように、怖いものなしの気分になれた。
 だから、どうにもならない現実が影を落とす、あの孤独な部屋にも、笑顔のままで帰ってゆける。これでしばらくは持ちそうな気がしてる。陸がパワーをくれたから。
 なんて、実際に口にすることは、とてもできなかったのだけれど。



 数日後、店を訪れた千秋を待ち構えていたかのようにオーダーを取りに来た陸は、小さくガッツポーズを作って見せた。
「今日、誕生日だったんだ。学校で渡したら、あいつさあ、すっげえ喜んでた」
 喜んでるのはどっちよ、と言いたくなるぐらいの、全開の笑顔。予想以上の大成功だったらしい。
「よかった。一応お役に立てたわけね」
 控えめに答えながらも、千秋は内心かなりほっとしてる。歳も違えば好みも違うであろう「彼女」が、本当にプレゼントを気に入ってくれるのか、ずっと気になっていたことだったから。
「『一応』なんてもんじゃねえよ。めちゃくちゃお役立ち。あいつ、香水なんてもらったの初めてだってさ。俺が初めてのオトコだぜ。なんか、すげくない?ほんと、千秋のおかげだよ」
 あーあ、舞い上がってるわ。仕事中だってこと、忘れてない? 半ば呆れながら彼を見ていた千秋の表情は、だけど、陸の次の言葉で、固まってしまう。
「千秋のことも話しといたぜ。バイト先によく来る女の人に、選ぶの手伝ってもらったって」
「な…なんで話すのよ。そんなこと」
「だって、どう考えても不自然だろ? 俺が自力でああいうの選ぶのって」
「彼女、なんて?」
「お礼、言っといてくれってさ」
 その言葉に、思った以上にほっとしている自分に気づく。実のところ、自分なんかが選んでいいのかって、ずっと気になってた。結婚もしているいい歳をした自分が、陸みたいな男の子に不可抗力にときめいてしまっている、そんな後ろめたさもあったかもしれない。
 彼女が気にしてないってことは、それでいいんだわ。少なくとも、「人の道に外れた」ことはしてない、ってことだ。
 そんな風に考え、変に生真面目になってた自分が、なんだか可笑しくなった。
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