V




10月、コジローさんが東京へ行くことになった。
なんとかいうサックス吹き(私は名前を聞いてもわからなかったけど、有名な人らしい)のバックバンドのオーディションに受かったらしい。

めでたい話だけれど、こちらのバンドは当然やめることになるので、今日はLEAVESを借り切って送別パーティー。
メンバーだけでなく、サークルの面々も集まって、このいつものどんちゃん騒ぎも宴たけなわ。かなり酔っ払ったコジローさんは、みんなの真中に引っ張り出されて、裸おどりなぞ披露していた。

その横でビールを撒き散らして盛り上げているのは、同じようにふにゃふにゃになった信さん。
就職が決まって、コジローさんとは正反対の道を歩くことになった信さんは、やっぱり複雑な気持ちなのだろうと思う。あんなに酔っ払うことなんて、めったにないもの。
ついさっきまで、酒を酌み交わしつつ、しんみりと話していたふたりだったのに。

わたしは、といえば、少しぼーっとしてすみっこのソファに座り、夢でも見てるような気持ちでこの光景を見てる。
本当に夢なのかもしれない、この日々は・・・・・・。
4年前の今ごろ、この2人がここへたどりつくことを、誰が予想しただろうか。
これから1年先、私や信さんやコジローさんのいる場所を、誰が知ることができるだろう。
いつまでも私たちは傲慢な学生のままでいて、途方もない夢ばかり見ながら、ふらふらしてそうな気がしてた。できることなら、そうであってほしかったんだけれど。

でも、どうしようもないことって、いっぱいあるんだ。
時の流れは、私たちの願いや思惑にはどうしようもなく無頓着だし、夢を夢のままに手に入れることは不可能だ。
そういったことに、思いをめぐらすのはやめようと思う。時の流れるままに、自分のの前から去るものは、笑い飛ばして見送ろう。人生、なるようにしかならないんだもの。

ふたりを見てるとそういう気持ちになってくる。
一度、それを商売としてやって行こうと決心したかぎり、コジローさんにとって音楽は純粋な楽しみじゃなくなる。学生のころのように、気軽に好きなことばかりやってられない。
それを避けてサラリーマンになった信さんには、それこそ本物の現実が待っているのだ。
結局人生というのは、選ぶことであり、何かを失わずにはいられないようにできているらしい。それならいっそ、ばか騒ぎでもして何もかもさらっと流してしまうのが、前向きの生き方ってもんじゃないの。

今度はバンドの新しいドラマーの龍一っちゃんが、引っ張り出されてビールを浴びている。
先輩たちにいじめられるのにもすっかり慣れた彼は、いっしょになってピーナツの雨など降らせている。だけど、まだ1年生の彼にはわからないだろう。どうしてみんな、こんなバカ騒ぎを一生懸命やっているのか。
私が18のころ、将来のことなんて何も考えられなかったように。
ただ無邪気に騒いでいる彼が、うらやましかったりする。



「おとなしいじゃない、美夜ちゃん」
春菜さんがロックグラス片手に、私の隣に腰を降ろした。今日はこの人までハイになってる。かなり飲んで るらしい。
彼女は、テーブルのスコッチのボトルに、手を伸ばした。
「春菜さん、飲みすぎじゃない?」
「だいじょーぶよ。タバコある?」
私はヴァージニア・スリムを差し出す。店のマッチで火をつけ、春菜さんは、ため息といっしょに、ふーっと煙を吐き出した。

「私、結婚することになったから」
「・・・・・・!?」
まっすぐ前を向いたままの春名さんの横顔を、私はまじまじと見た。
どうみても冗談を言ってる顔じゃない。
「結婚・・・・・・って、春菜さん、どの彼とすんの?」
ジャズボーカリストをやってるだけあって、春菜さんはもてる。美人だし、彼女の歌う姿を見たら、私だって惚れてしまいそうになるぐらいだもの。
ころころと彼氏は変わってるみたいだけど、結婚の話が出るほど深いお付き合いをしてる人がいるなんて、知らなかった。
「どの彼って・・・・ねえ・・・」
春菜さんは苦笑した。
「彼、ってほどのもんじゃないの。半年ほど前から会社でしつこくプロポーズしてくる男がいて。ま、根負けって言うかね」
春菜さんらしいその言い草に、思わず笑ってしまった。でも、たぶん、その人のことほんとに好きなんだと思う。
だって、そう言ったときの春菜さん、とても優しい顔をしてたから
「どうして、決心したの?」
グラスを持つ長い指をまじまじと見ながら、私はたずねる。この人が主婦になってしまうなんて、信じられない。
「夢ばっかり追いかけてる男には、うんざりしちゃったから、かな」
その一言にはグサッときた。春菜さんは笑う。
「結局最後に安全パイ選んじゃったってわけよ。ズルイでしょう?」
私は首を横に振った。

いつもそうだった。ビリー・ホリディやジャニス・ジョプリンを気取って、ってわけでもないんだろうけど、この人もあまり幸せな恋愛をしたことがない。
自分を本当に好きになってくれる、「いい人」たちには目もくれず、一筋縄ではいかない、どうしようもない男ばかりを好きになって、いろいろと苦労してたみたいだった。
彼女いわく、「歌うたいはこうでなくっちゃ」
そして、カラカラと笑って、また同じような男に突進していく。そんな春菜さんは本当にカッコよくもあったのだけれど。
「いい人なのね、その人」
「もちろん。彼といっしょなら歌だって続けられるし。私にしたら、このまま会社づとめを続けてるよりもずっといい、申し分のない話だったわけよ」
「じゃあ、LEAVESのステージにはずっと出られるんだ」
「子供産んだって、出るわよ」
春菜さんの笑顔はなんというか、すっきりして小気味良かった。
「私は歌ってさえいれば、幸せなの。それは、コジローも信さんも同じなんでしょうけど、あいつらは考えすぎなのよ。夢か、現実か、どちらかを選ばなきゃならないって思ってるんだもの。私はどちらも選ぶ、その両方が半分ずつになっちゃってもね」
最後の言葉に、彼女の本音を見たような気がした。
ほんとにいいの? 春菜さん。
そう聞きたかったけれど、なにも言えなかった。
「私も、考えたんだけどね。長い間」
少しの沈黙のあと、そうつぶやいた彼女の顔が、少しさびしそうに見えたから。
私は彼女を勇気づけようと、笑ってグラスを傾ける。
「きっと、それでよかったんだよ。おめでとう」
「ありがと」

そのとき、誰が持ってきたのかクラッカーがバチバチと音をたてた。
もう、そろそろお開きになるらしかった。






パーティーが終わると、私たちはいつも、バッタになる。
「いつもいつも、すみません。マスター」

今までにないノリで終わった、このパーティーの残骸に、私も春菜さんもさすがに顔面蒼白になって、マスターに頭を下げた。
どこもかしこも、ビールでビショビショ。床には紙テープとピーナツの殻だらけ。
よくぞここまで、ぐちゃぐちゃにしたもんだ。
誰のだか知らないけど、靴下やパンツ(!)まで落ちていて、私たちは目が点になった。
なのに、ここへきてマスターは、仏のような顔をくずさない。

「いいさ、せっかくのコジローくんの栄転祝いだったんだから。かたづけはやっとくから、君たちも早く2次会に行きなさい」
涙が出るようなそのお言葉。
もう40過ぎと見られるLEAVESのマスターは、うちのOBで、昔はウッドベースをやってたらしい。この人が脱サラしてこの店を始めて以来、代々、うちのサークルからジャズのバンドを出演させてもらっていた。その縁で、打ち上げやコンパといえば、必ずこの店になる。
「自分もずい分無茶してきたから」というお言葉に甘え、いつも宴は過度の無礼講となった。
お開きになって連中が二次会に流れて行ったあと、ペコペコあやまって掃除の手伝いをするのが、その時点で少しでも理性の残っている者の役目となっていた。

「それにしても、今日のふたりはすごかったねえ」
何気なくつまみあげた布切れを、ひえっ!と放り投げながら私は言う。
このパンツはどうやらコジローさんのものであるらしかった。なぜならこの派手なガラを、私は今までなんども目にしているから。まったく、情けなさに涙がでる。
「ふたりとも、なんか、決まっちゃったからね。ちょっと荒れてんだよ。ほんとはいつまでも子供でいたいヒトたちだから、もう人生終わりだと思ってんじゃない?」
春菜さんの言葉に、私は大きくうなずいてしまう。いつもでも子供でいたい。それは私だって同じ。

「わかってないなあ、キミたちは」
突然、マスターの苦笑混じりの声が店の中に響いた。私たちはおどろいて、彼を見る。
「自分の力で切り開いていかなくて、なにが人生だよ。楽しいのは、きっとこれからだよ。僕は、少なくとも学校出てからの方が、ずっと生き応えがあって楽しかった。苦労も多かったけどね」
楽しいのは、これから・・・・。
長い人生経験の裏づけがあってこその、その言葉は、ずしんと胸に響いた。

生き応え、かあ・・・・・・。
長いこと、ぬるま湯の心地よさの中で縮こまっていた自分に気づく。
冷たい風に向かって、しっかりと歩いてゆく心地よさというものがあることを、忘れていた。
私と春菜さんは、顔を見合わせた。彼女も同じようなことを考えていたらしく、にっこり笑って口を開く。
「さすがはマスター。40年生きてきたヒトは、言うことが違うわ」
彼は、くしゃっと顔をしかめてみせた。

「すんません、マスター。散らかして・・・・うわっ!!」
そんな言葉とともに、とつぜん入ってきたのは信さん。
少しは酔いも醒め、店のことが気になって戻ってきたらしい。目の前にある店内の光景に、絶句している。
「なに、今さらびびってんのよ」
春名さんの言葉もきつい。
「俺たち、ここまでやった?」
「あんたたち以外の、誰がやるのよ」
「すみません。俺も働きます」
信さんは、神妙にホーキを取った。

とは言っても狭い店である。3人のウェイターさんたちに、マスターと私たちが加われば、あっという間に片付いてしまう。
ぴかぴかになった店内を満足げに見渡し、私の目はふと、ピアノに止まった。
「美夜子、2次会行くぞ。もうとっくに始まってんだぜ」
「マスター、ちょっとだけピアノ弾いていい?」
「かまわないよ」
私は嬉々としてピアノの前に座った。信さんが呆れ顔になる。
「おまえって奴はなあ・・・・」
「ごめん、先行ってて」
「お前、2次会の場所知ってんのか? しゃあねえから付き合ってやるよ。春菜さんどうする?」
「おじゃまはしないわ。先行ってる」

春菜さんは消え、ウェイターさんたちも帰って、しばらくはピアノに耳を傾けていたマスターもゴミ出しに行ってしまった。
信さんは、性懲りもなく買ってきたビールを片手にピアノにもたれてる。
「春菜さん、結婚すんだって。信さん、知ってた?」
「俺もさっき聞いた。びっくりしてる」
「あの、春菜さんがねえ」
「ま、あの人のことだから、それなりの考えがあったんだろ。ちょっと残念な気がするけどな」
「しかたないよ。信さんだって就職するじゃない」
「男に食わしてもらって、好きなことやって、いい身分だよな・・・・と、そうでもない?」
私の視線に気づいて、信さんはあわてて訂正した。
「炊事、洗濯、掃除の繰り返し、ガキが生まれたら育児に追われ、姑さんには気をつかい・・・ってか? 主婦もラクじゃなーよな」
「春菜さん、あの性格だしね。きっと大変だと思う」
「まあ、でも、あの人なりに頑張るんじゃねーの?」
「案外すごく馴染んでたりして」
「俺もサラリーマン生活に馴染んだらどうする?」
「ないない、信さんにかぎってそれは絶対にない」
冗談混じりにそう返すと、ビールの缶で頭をこづかれた。信さんは、少し笑って言う。
「やるだけのことはやるさ。そう決めたんだから。しばらくは世間の荒波にもまれて、金もためて・・・」
「それから?」
「そっから先は、また考える」

私はしばらく黙って弾きつづける。
信さんはそれ以上なにも言わず、じっと聴き入ってた。
私は小さな声で口ずさむ。恋は恋、夢は夢。きっとそれは変わらない。
時が流れても・・・・・・。

ドアのベルがカランと鳴る。くわえタバコのマスターが、にやにや笑いながら、立っていた。
「じゃまして悪いんだけど、店を閉めるよ」



土曜日の夜とあって、通りはずい分、ごった返していた。
信さんは歩くのが早くて、浮遊する酔っぱらいの群れを上手によけて、すたすた歩いてゆく。
私は必死で追いかけるのだけれど、すぐにその背中を見失いそうになる。
あせって小走りになり、前を歩いていたおじさんに派手にぶつかって怒鳴られたとき、信さんはたまりかねて私の手をつかんだ。
そこから先は、信さんに手を引かれて歩いてゆく格好となった。

その手のぬくもりに、泣きたいような安心感を感じる。
いつまでもこうやって、いっしょに歩いてゆけたら、と思う。
でも、前を歩く信さんは、決して振り返ってくれないことを、私は知っていた。
信さんは、自分の道を歩くのに精いっぱい、みんなそうだ。同じ道をいっしょに歩いているような気がするのは、つかの間のことだ。そう思うと、悲しくなる。

私はやっぱり、信さんが好きなんだ。
こうやって、どこまでも手を引いて行ってもらいたい。信さんの行くところ、どこまでもついてゆきたいと思う。
この人の行く道なら、信じられるような気がしたから。
信さんなら、私の行きたいところに連れて行ってくれるような気がしたから。
だけどそれは錯覚にすぎないんだった。

信さんだって、迷いながら、手探りで歩いてる。
自分の選択が正しかったのか、いつも疑って、悩んでる。
みんな、同じ。私だって同じ。霧のかかったこの世界の中で、自分で道を切り開いてゆくなんて、本当に心細いことだと思う。
それをしなくて何が人生だ・・・・とマスターは言ったけれど。

包まれた手を、ぎゅっと握ってみる。
「なーんだよ」と、信さんが振り返る。
立ち止まった私の目の中で、
イルミネーションがじんわりぼやけ、溶けていくような気がした。








 end





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