大切な日 第3話








ショッピングモールに隣接するホテルの庭園ライトアップを堪能して、帰宅するとすでに10時を回っていた。
冷えた身体を温めるために順番に風呂を使い、リビングのソファでほっこりする。
葉月はこの時間がいちばん好きだ。
部屋の片隅には小さなクリスマスツリーがチカチカと光を放っている。
雅彦が物置から見つけたもので、随分と古いものだったが、イルミネーションランプとオーナメントを新調したら、立派なツリーになった。
雅彦が風呂に入っている間に、葉月が用意したシャンパンとつまみが小さなテーブルをいっぱいにしていた。
混む時間を避けた少し早い夕食だったために、雅彦もちょうど小腹が空いた頃だろうと、葉月は張り切って料理したからだ。
バケットにチーズとトマトを乗せたものと、ホタテにタルタルソースをかけたものをオーブンで焼いた。
焼いている間にアボガドとマグロをドレッシングであわせ、生ハムを添える。
スモークサーモンと数種類のチーズは、店員にセレクトしてもらった。
そしてカットフルーツ。
「葉月も飲むだろ?」
普段は未成年だからと葉月に一切アルコールを勧めない雅彦だけれども、今日さすがに特別らしい。
冷えたシャンパンは雅彦が用意したものだ。
「おいしい・・・・・・」
初めて口にしたシャンパンは想像以上に飲みやすかった。
グラスを掲げてみると、サーモンピンクの液体が照明の光を受けて綺麗に輝いている。
嬉しくなって葉月はもうひとくち口をつけた。
「飲みやすいだろ?」
「はい」
葉月が頷くと、雅彦はイチゴが盛られた皿を葉月の方へ滑らせた。
「一緒に食ってみろ」
言われたとおりにしてみると、爽やかな風味が口に広がり、また違った味わいがある。
「うまいだろ?シャンパンとイチゴって合うんだよ」
そう言って葉月は有名な映画のワンシーンについて語り始めた。
こんなクリスマスは生まれて初めてだ。
それ以前にクリスマスという日を特別なのだと意識しなくなって随分と立つ。
いつからか葉月にとっては普段と変わらない、日常のひとコマに過ぎなかった。
12月になり、街が華やかに彩られ、どこからともなくジングルベルが流れるようになると、葉月もクリスマスが近いことを意識せざるを得ない。
憧れはあった。
しかし、それらが自分に関係のあることかと問われれば、全く別物だった。
「・・・・・・葉月?」
雅彦に名前を呼ばれて、自分が考え事をしていたことに気付く。
「あ、ごめんなさい」
「慣れないアルコールに酔ったのか?」
気遣われ、葉月は少し恥ずかしくなった。
「大丈夫です。えっと・・・」
葉月は立ち上がるとキッチンの棚に隠しておいた紙袋を雅彦に差し出した。
「クリスマスプレゼントです」
「おれに?」
雅彦は紙袋と葉月に交互に視線を走らせた。
「プレゼントってほどたいしたものじゃないんですけど」
過剰に期待されては困るから少し慌てて言い直す。
誰かのためにプレゼントを用意するのは初めてだ。
少しでも雅彦が気に入ってくれるものを一生懸命考えたけれども、雅彦は何でも持っているし、それ以上のものを葉月がプレゼントできるとも思えなかった。
昼間にもらったマフラーだってそうだ。
雅彦と葉月ではかなりモノに対する価値観が違う。
雅彦に見合うだけのものを購入するのは、葉月の収入では無理なことだった。
身に着けるものは諦め、バイト帰りに寄った普段の葉月なら足踏みしてしまうような敷居の高い高級雑貨店に勇気を出して3日間通い詰め、店員のアドバイスをもらって決めた。
プレゼントはブックカバーとブックマーカー。
ブックカバーは本物の木をシート状に加工した珍しいもので、柔らかく皮のような手触りが気に入った。
ブックマーカーはシルバーのシンプルなデザインのものを選んだ。
雅彦はかなりの読書家だ。
部屋には大きな作り付けの書棚があり、いろんな本がぎっしりつまっている。
食事が終わり、ふたりでリビングにいるときも、雅彦は本を読んでいることが多かった。
一緒にテレビやDVDを見ることもあるけれど、葉月も本が好きだから、雅彦が本の世界に没頭してしまうことに抵抗はなかった。
物置になっている納戸には、雅彦が小さな頃に読んだのだろう本がたくさんあり、葉月はそれらを自由に読むことができた。
残念ながら葉月の生い立ちは自由に本を読む環境ではなかった。
かろうじて学校の図書館で借りて読むくらいのものだった。
おそらく学校で一番たくさん本を借りて読んだのが葉月だったに違いない。
それは学校に行かなくなり、アルバイトで生計を営み始めても変わりなかった。
雅彦の蔵書には葉月の知らない本がたくさんあった。
特に外国の翻訳モノは学校の図書館でお目にかかることがほとんどなく、それが小中学生向けだったとしても楽しめた。
雅彦は時々読み終わった最新刊を葉月にも貸してくれた。
葉月はそれらを大切に大切に読んだ。
雅彦と趣味が同じなのか、雅彦が葉月の好みそうなものを貸してくれるのはわからないけれども。
「ありがとう」
雅彦は自室から読みかけの本を持ってくると早速カバーをかけてくれた。
挟んでいた紙のしおりをシルバーのブックマーカーと取り替える。
「手触りもいいし、これならカバンの中に入れておいても本が傷まなくて助かるな」
喜んでくれたようで葉月はホッとした。
「じゃ、おれからはこれを」
手帳くらいの大きさの包みを差し出されて葉月は驚いた。
「おれからのクリスマスプレゼントだ」
「も、もう、お昼にいただきました!なのに、こんな・・・いただけません!」
雅彦からはとても上等なマフラーをもらった。
全くそんなつもりはなかったけれども、もしかすると雅彦には葉月がねだったように思えたのかもしれないと申し訳ない気持ちで受け取った。
もちろんそればかりでなく、嬉しい気持ちもきちんと生じていたから、一生大切にしようと心に誓った。
帰宅してすぐにハンガーにかけて、雅彦と出掛ける予定の初詣に身に着けようと思っている。
それなのにさらにプレゼントを受け取ることなんてできない。
おそらく雅彦はこれを葉月に用意しておいてくれたのだ。
それなのにあんな高価な買い物を雅彦にさせてしまった。
葉月はますます顔色を変えた。
雅彦と共に過ごす時間は葉月にとってはとても嬉しいプレゼントなのだ。
だから毎日雅彦からはプレゼントをもらっているに等しい。
その分葉月は毎日一生懸命雅彦のために時間を費やす。
快適な空間を維持するために毎日掃除をして、おいしいものを食べて欲しいから料理にも工夫を凝らしている。
お互いあまり口数の多いほうではないから感情を言葉にすることは多くはないけれども、以前よりは心は通い合っていると思っている。
でもやはり雅彦に負担をかけるのは、葉月の真意ではないし、心苦しい。
気遣われることに慣れていない葉月は、些細なことでも恐縮してしまう。
「じゃあマフラーは日ごろの感謝の気持ちにしておこう。そしてこれが正真正銘のクリスマスプレゼント。それならいいだろ?」
「で、でも・・・・・・」
「葉月」
抗う葉月を雅彦がじっと見ている。
「葉月はおれに遠慮しすぎだ。おれたちはただの同居人なのか?違うだろう?葉月のそういう謙虚なところも遠慮深いところもおれはとても好きだけれど、おれには過剰にそういう感情を持たないで欲しいんだ。おれは葉月の嫌がることは絶対にしないと心に誓った。だからおれが葉月にしていることが全部おれの意思なんだ。葉月が心から嫌なことがあればちゃんと言って欲しいし、言われたところでおれは腹を立てたりしない」
雅彦はシャンパンに口をつけると、フゥッと息を吐いた。
「おれは怖いんだ」
しばし目を閉じて何かを考えると、雅彦は再び葉月を見据える。
「おれは取り返しのつかない過ちをおかした。葉月を酷く傷つけた。正直言うと葉月がここに帰ってきてくれたとき、嬉しさと同時に怖さもあったんだ。もしかしてまた葉月を傷つけるんじゃないか。言葉を発するたびにビクビクしていた」
まさか雅彦がそんな感情を抱いていたなんて思っても見なくて、葉月は目を瞬かせた。
「でもそれじゃ以前と同じだと気づいたんだ。おれは葉月に何も確かめないまま思い込みで葉月の気持ちを決めつけ、苛立ち、酷いふるまいをした。あの時葉月に素直に聞けばよかったのに、くだらないプライドのせいであんなことになった。もうおれは葉月の気持ちを疑わない。葉月がおれをちゃんと好きでいてくれると信じている」
「雅彦さん・・・」
「だから葉月もおれを信じて。おれは葉月を嫌いになったりしないから。葉月は言いたいことをおれに言ってくれ。遠慮せずになんでも」
雅彦の誠実な言葉が葉月の胸を打つ。
「おれ・・・・・・」
「うん」
「おれは雅彦さんと一緒にいられるだけでとても幸せなんです。雅彦さんが雅彦さんの時間をおれにくれることがとても嬉しくて、おれの整えた空間でおれのゴハンを食べてくれて、それだけでとても暖かい気持ちになれるんです。だからもうこれ以上何かをいただくことは申し訳なくて。雅彦さんがおれにくれる幸せと同じだけのものを雅彦さんに返せないから」
雅彦の表情が少し歪む。
「葉月。同じだけのものを同じだけ返そうなんて考えなくていいんだ」
「でも―――」
雅彦の指が葉月の髪にふれる。
「おれたちは恋人同士なんだ。幸せはあげるものなんじゃない。一緒に作っていくもんなんだよ」
おれもそれに気づいたのは最近のことなんだけど、と雅彦はクスリと笑った。
「マフラーのプレゼント、嫌だったか?」
葉月はブルブルと首を横に振る。
「嬉しかったです。肌触りがよくて、色合いもとても素敵で、あんなマフラー見たことも触ったこともなかった」
「じゃあこれは・・・?」
「雅彦さんからいただくもので嬉しくないものなんてないです」
「ならいいんだよ。遠慮せずもらっておいて。ほら、開けてみろよ」
ここまで言われて拒否できるわけがない。
それに、嬉しかった。
雅彦が葉月のことをちゃんと恋人だと認識してくれていたことも、葉月のことをちゃんと好きでいてくれたことも。
そしてなにより、葉月との未来を考えてくれてたことが。
『幸せは一緒に作っていくものなんだ』
雅彦の言葉が葉月の中でリフレインする。
雅彦の葉月への優しさはは贖罪ではなく、愛の証なのだ。
葉月は雅彦の気持ちを少しでも疑ってしまったことを恥じた。
『ごめんなさい雅彦さん』
心の中で誠心誠意雅彦に謝罪する。
声に出さなかったのは、雅彦がそれを聞いても喜ばない気がしたからだ。
だから葉月は違う言葉に言い換えた。
「ありがとう、雅彦さん」
葉月がリボンを解いてゆくのを、雅彦は満足そうに眺めていた。
「これ・・・・・・」
ステンドグラスでできたフォトフレーム。
それは、以前ふたりの写真を飾っていたものととてもよく似ていた。
雅彦の怒りを買い、粉々にわれたガラスのフォトフレームは、葉月が少し奮発して購入したものだった。
破片を拾い集める葉月を雅彦は見下ろしていたのを覚えている。
雅彦はとても痛々しい表情を浮かべていた。
壊れてしまったのは葉月の買ってきたものであり、雅彦がそんなに悲しむことではないのに、雅彦はまるで自分の大切な何かを壊してしまったような悲しそうな顔をしていた。
雅彦にそんな顔をさせたのが自分だと考えただけで、葉月は申し訳ない気持ちになったのだ。
今となっては当時の雅彦の行動の全てが誤解が原因だったとわかるけれども、そのときは全く理解できなかった。
ただ葉月の存在を疎ましくおもっているんだろうとしか考えられなかった。
「雅彦さん・・・」
「同じものは見つからなくてな。似たようなものしかなかったんだ」
それでもこれはあの時のものよりもはるかに高級だ。
裏には『MADE IN ITALY』というシールが貼られていた。
「今は余裕があるからいろんなものをプレゼントできるけど、そのうち何もできなくなるかもしれないぞ」
雅彦は喜ぶ葉月をみて、照れ隠しなのか冗談めかしで笑っている。
雅彦はどんな気持ちでこれを買い求めたのだろう。
それを考えただけで胸がいっぱいになる。
「ありがとう・・・ございます」
ステンドグラスの部分を指でなぞると、じわじわと涙がこみ上げてきそうになる。
それをぐっと抑えて、葉月は笑顔を浮かべた。
「大切にします」
「おれもこれ、大切にする」
雅彦はブックカバーをかけた本を掲げて見せた。
「じゃあ、記念に写真を撮ろう。葉月、ちゃんとそれに入れて飾っておけよ」
頬を寄せあった笑顔の写真は、葉月にとって一番のクリスマスプレゼントになった。















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