大切な日 第1話








「休み、もらえそうか?」
ご飯をよそってテーブルについた葉月に待ってたとばかりに雅彦が問いかける。
「うん、大丈夫そう。クリスマスってやっぱり和菓子よりもケーキだからってクリスマスはお休みするみたい。その分年末年始はお店を開けるらしいんだけど」
葉月のアルバイト先は和菓子店なのだ。
すると雅彦がふと箸を止めた。
「ということは年末年始はバイトなのか?」
「大晦日は午前中だけ。さすがに元旦はお休みなんだけど、2日は朝から予約分の引渡しがあるから」
「そうか」
雅彦がジャガイモのカレー煮をほおばるのを見て胸がほっこり温かくなる。
葉月が作ったものを、雅彦はいつだって残さず食べてくれる。
翌朝ゴミ箱の中の無残な姿を見つけては心を痛めていたあの頃がまるで嘘のようだ。
時々葉月は不安になる。
今のこの状況の方が夢なんじゃないかって。





***   ***   ***





雅彦との再会は思いがけないものだった。
雅彦の家を出た葉月は途方に暮れた。
頼る親兄弟も親戚もなく、雅彦に出会うまで住んでいたアパートも解約していた。
紹介してくれた不動産屋は少し怪しかったけれども、未成年なのに保証人もいらないという、葉月にとっては申し分ない物件だったが仕方がない。
戻る場所なんてなかった。
お金もほとんどを雅彦のもとに置いてきてしまった。
雅彦がそんなお金を必要とするとは思わないけれども、それしか世話になった雅彦に返せるものがなかった。
雅彦と出会い一緒に暮らすようになって、アルバイトの時間が激減したが、葉月はそれでも嬉しかった。
好きな人の世話をする喜びを初めて知った。
雅彦からは十分なほどの生活費を預っていたけれども、それに手をつける気はなかった。
一緒に暮らすことになったとき、雅彦は家賃も生活費も要らないといった。
その分家事を請け負って欲しいと言ってくれた。
今までも自分のことは自分でしてきたし家事は苦にならない。
葉月には趣味もなければ欲しいものもなかった。
連絡を取りたい友人もいないから、ケータイも必要なかった。
葉月は雅彦から預った預金通帳に、アルバイト代を全額入金することにした。
雅彦から預かるひと月の生活費は、二人が生活してゆくには十分すぎる金額だった。
慎ましい生活を送ってきた葉月は、贅沢の仕方を知らなかったし、近所の商店街で安い食材を仕入れておいしい料理を作るのが得意だったので、雅彦の生活費に手をつけることはなく、葉月のバイト代でもおつりがくるほどだった。
毎日楽しかった。
雅彦のために食事を作り、洗濯をする。
一緒に食事をして、一緒のベッドで眠る。
大きなベッドは一緒に暮らすことになったときに、雅彦と選んだものだ。
どうして雅彦が葉月と一緒に暮らそうと思ったのか、最初はわからなかった。
雅彦が自分のことを気に入ったことは、葉月にもなんとなくわかった。
幼少のことから、葉月は他人の自分に対する感情に敏感だった。
いつも顔色をうかがってばかりで、自分の感情は二の次だった。
自分さえ我慢すれば波風が立たないのならそれでいいと思っていたし、諦めてもいた。
人に愛された記憶はないし、自分にそれだけの価値があるとも思えない。
おそらく、雅彦は葉月に興味を持っただけなのだろうと理解した。
それは一緒に暮らし始めてからもずっと感じていたことだ。
雅彦の生活に触れるたびに、自分はただ珍しがられているだけだということに。
雅彦の気持ちと自分の気持ちに温度差があるのは仕方がない。
それでも雅彦が葉月をそばに置いてくれるのなら、葉月はそれで幸せだった。
一時の興味だとしても雅彦は葉月に優しかったから。
冷めているように思えた印象は一緒に暮らしてみると少し変わった。
会社での出来事などいろんな話をたくさんしてくれた。
雅彦は葉月にたくさんの甘い言葉をくれた。
その言葉を聞くたびに、葉月は自分が生まれてきたことに感謝した。
雅彦の真意がどうであれ、ただの興味本位から愛される存在へと格上げされた気分になれた。
しかし、葉月は心のどこかで思っていた。
この幸せがずっと続くわけがないと。
自分が愛される存在になるわけがないと。
だから、雅彦に出て行けと言われたとき、辛かったけれども逆らうつもりはなかった。
いつそうなってもいいようにある程度の準備はできていたし、だからこそ雅彦に必要以上のことも語らなかったのだ。
人がひとりいなくなるのはとても簡単なことなのだと、葉月は身をもって知っていた。
葉月にとってはとても幸せな数ヶ月だったけれども、雅彦にとっては記憶に残すに足らない数ヶ月になるはずだ。
それで満足だった。





***   ***   ***





もう会うことはないだろうと思っていた雅彦に再会したのは、あてもなく目に付いた特急列車にとって辿りついた温泉地だった。
こういう場所は他人の詮索をあまりしないということは聞いていた。
仕事もすぐに見つかり、歳を偽っていても、履歴書一枚ですぐに採用され、近くのアパートに入居するように言われた。
この温泉地はどうやら団体客向けの低価格ツアーで利用されることが多いらしく、週末になるとかなりの来訪者があると知ったのは、働き始めてすぐのことだった。
隣りに住む住人は葉月よりも10歳くらい年上だと見受けられる男性で、ここで働き始めて2ヶ月らしかった。
面倒見のいい男で、いろんなことを教えてくれたから、葉月も早く慣れることができた。
居酒屋の店主も、とにかく真面目に働いていれば何も言うことはなく、それぞれが詮索しない、干渉しない雰囲気はとても楽だった。
おそらくはみんなが何かの事情を抱えているのだろう。
その分、店員の入れ替わりも激しく、数日でいなくなるものがいるにもかかわらず、すぐに次の働き手がやってきた。
忙しい毎日だったが、雅彦のことを忘れたことはなかった。
思い出してもどうしようもないのに、暗い小さな部屋でひとりでいると、雅彦の姿が頭に浮かんでは消える。
葉月のことを一時でも必要としてくれた男のことを、葉月はどうしても忘れることができなかった。
抱き締める腕の強さも、優しい囁きも、全部が雅彦にとってはどうでもいい過去になっていたとしても。
葉月にとってはすべてが特別だったのだから。





***   ***   ***





だから、再会して、雅彦が自分のことを探していたと知ったとき、驚きのあまり声も出なかった。
一緒に暮らしている今も信じられないくらいなのだ。
誤解が生んだ別離だったのだが、葉月はあの時間があってよかったと思っている。
以前よりも雅彦を近く感じるのだ。
愛されているとも実感できる。
雅彦の真摯な謝罪の言葉を、葉月は今なら信じることができるのだ。
「これなんかいいんじゃないか?」
ふわりと頬をなでる感触に葉月は我に返った。
クリスマスイブの今日、葉月は雅彦に連れられて郊外の大型ショッピングモールに来ていた。
流れるBGMも、ショップのディスプレイも、全てがクリスマス仕様で、平日だというのに大勢の人でにぎわっている。
のんびり家を出て、ランチをとって、ブラブラとウィンドウショッピングを楽しんでいるところだった。
葉月はこういう大きなショッピングモールに来たのは初めてだ。
高い天井から降り注ぐ自然光とマッチングするように計算された照明は、ディスプレイされている全てのものを際立たせている。
歩いても歩いても途切れない店に圧倒されながら、葉月はここにきてからずっと物珍しげにキョロキョロせずにいられなかった。
幾分テンションが上がっているのが自分でもわかる。
葉月は雑貨が好きだ。
洋服は着られればいいと思っているし、お洒落を楽しむ余裕も葉月にはなかった。
しかし、雑貨は違った。
葉月でも少し頑張れば手に入るものがたくさんあるし、素っ気無い部屋でもひとつ気に入ったものがあれば、素敵な空間に変わる。
ここには葉月が見たこともない雑貨屋がたくさんあった。
ヨーロッパ風のものからアジアン雑貨。北欧雑貨などなど。
買わなくても、手にとって眺めるだけで楽しい。
雑貨屋を見つけるたびに小走りに店内に入ってゆく葉月に、雅彦は飽きることなく付き合ってくれた。
そんな雅彦が始めて自ら足を止めたのは、葉月には一生縁のないような高級感溢れるメンズショップだった。
雅彦は会社勤めをしているサラリーマンだ。
しかし、ブランドにうとい葉月でも一目で高級品とわかるものを身に着けていた。
以前葉月に渡されていた生活費も、ひと月に預かる生活費も、それなりの金額だ。
仕事はできるだろうから相当のサラリーをもらっているのだろうと思ってはいたが、プラス株で儲けていると知ったのはつい最近のことだ。
不景気の世の中、例に漏れず雅彦の会社もそのあおりを受けているらしいが、その影響が最小限なのは、経営者の尽力にあるのだと雅彦が言っていた。
その不景気に株で利益を出している雅彦はもっとスゴイんじゃないかと葉月は思っている。
そう言ったとき「利益ったってほんのわずかだ」とぶっきらぼうな返事をした雅彦は少し照れているように見えた。
愛しさがこみあげてきたのを覚えている。
葉月の頬をくすぐったのは、エンジ色のチェックのマフラーだった。マスタード色と白色が細かく織り込まれていて、両端にフリンジがついていた。
触れてみると恐ろしく手触りがいい。
手先に当たった値札が目に入り驚いた。
葉月が現在愛用しているものと桁が違う。
高価なものが素晴しいものだと思わないけれども、やはり身に着けるものは厳選された素材を使用されているだけある。
「とても上品な色合いですね。それに暖かそうだし肌触りもいいです」
葉月はマフラーをはずすと丁寧に畳んで、棚に戻そうとした。
「気に入ったか。じゃあこれにしよう」
雅彦は横からそれを奪うと、店員に渡してしまう。
「雅彦さん、おれにはそんな高いもの・・・」
買えません、と言いかけて口を噤んだ。
この店にはあまりに不似合いな台詞だと気付いたからだ。
「今日は何の日かわかってるのか?クリスマスだぞ?おれからのプレゼントだから受け取っておけ」
「で、でも・・・・・・」
困り顔で袖を引っ張る葉月を尻目に、雅彦はさっさと会計を済ませてしまった。
「ほら、葉月」
店員から商品の入った紙袋を受け取るように促されると、葉月も無理に抵抗できなかった。
今日がクリスマスだということは葉月もわかっている。クリスマスにプレゼントはつきものだということも。
生まれて初めてのプレゼントを受け取ると、雅彦を見上げる。
「ありがとう・・・ございます」
葉月の言葉に雅彦は満足げに微笑んだ。













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