伝わった・・・?





 

後編







在学中の賢悟は、教師からも生徒からも一目置かれる存在だった。
頭脳明晰で品行方正。整った顔立ちにスラリと均整のとれたルックス。
人当たりもよく、いつもクラスメイトに囲まれていた。
憧れが恋に変わる瞬間は自分でもびっくりするくらいに突然だった。
そばにいたくて、言葉を交わしたくて、毎日毎日賢悟を追いかけた。
おかげで大志は学内の有名人となってしまったほどだ。
頼りがいのある生徒会長の顔とは裏腹に、興味なさそうな表情に辛辣な言葉。
どちらが真の賢悟なのかわからなくなったこともある。
大志に対してだけあまりにそっけない態度に、本当に嫌われているのかと泣きそうになったこともあった。
だけどそっけなくされればされるほど、他の人に余裕の笑みを見せれば見せるほど、賢悟に魅入られた。
どうしてだかわからないけれど、そんな賢悟を見ていると胸が締め付けられる思いに駆られたのだ。
だから何度もくじけそうになりながらも、持ち前の根性でアタックを続け、奇跡的に賢悟に受け入れてもらえた。
いわゆる恋人同士になってからも、賢悟のクールさは全く変わらない。
大志の前ではあまり感情を表に出さない賢悟が何を考えているのか、大志は必死で探らなければならなかった。
そして今。
連絡もなく突然帰省し、大志に会うよりも先に学校に顔をだした賢悟。
理由を聞き出せない自分も情けないが、恋人の気持ちが全くわからない自分はもっと情けなかった。








***   ***   ***








「いたっ」
小さな叫び声に我に返った。
「お前、ちゃんと前を見て歩けよ」
考え事をしながらとぼとぼと賢悟の後ろを歩いていた大志は、立ち止まった賢悟に気付かず、背中にぶつかってしまったようだ。
「ご、ごめんなさい!!!」
慌てて頭を下げた大志の頬を、さわやかな風がくすぐった。
「あ、ここ・・・・・・」
いつの間にかイングリッシュガーデンに出ていたようだ。そんなことにも気付かないなんて、相当想いを巡らせていたらしい。
賢悟は無言のまま、小路を奥へと向かう。向かう場所はきっとあそこに違いない。
白い八角形の建物は、その大部分がアイビーで覆われている。
緑の屋根の上では風見鶏が揺れていた。
さっさと中に入る賢悟の隣に大志は腰を下ろした。
フーッと小さな吐息が聞こえて、変に鼓動が高鳴った。
さほど広くないスペースには、真ん中に小さなテーブルと、それをぐるりと囲むようにベンチが備わっている。
小さな空間を共有しているだけでドキドキするなんて、なんて単純なんだろうと思いながらも、もっと賢悟の存在を感じたくなる。
太陽熱をいっぱいのグリーンが吸収してくれるのだろうか、ねっとりした夏特有の暑さは感じない。
静かな空気が流れ、爽やかな風がガゼボを通り抜ける。
チラリと隣の様子をうかがうと、賢悟は頭を後ろに凭せ掛けて目を閉じていた。
襟から覗く白い首筋に、大志はゴクリと喉を鳴らす。
人ひとり分くらいある2人の距離を縮めたくて、大志は尻をじりじりと賢悟のほうにずらした。
気付かれないように、静かに音を立てずに。
腕と腕がふれあいそうな距離になった瞬間だった。
「暑い。くっつくな」
「すっすみません!」
冷静な口調ほど怖いものはなく、大志は反射的に賢悟と距離を取るため飛びのいた。
せっかく詰めた距離は最初よりさらに広がっている。
大志は心の中で何度めかのため息をついた。








***   ***   ***








(好きな人と一緒にいるのに、この空気はなんなんだよ・・・)
賢悟は何もしゃべらない。
大志はしょんぼり目を伏せた。
賢悟が帰ってきてくれたことは嬉しい。
大学生の夏休みが高校生のそれよりも長いことは知っているけれども、その分何かと忙しいことも理解しているから、最悪お盆のころになるんじゃないかと思っていた。
だけどまだ7月の後半。
賢悟はきっと大志を最優先にしてくれたに違いない。
それくらいには愛されているんだと大志は思っている。
だけど、突然の帰省に突然の再会は、大志に小さなショックを与えた。
嬉しい気持ちと驚きの気持ち、いちばんに会いにきてくれなかったことへの不安。
大志の驚きとは反対に落ち着き払った様子の賢悟。
あまり感情を表に出さないことはわかっているけど、その温度差が愛情の温度差と比例しているのではないかと不安に思ってしまう。
(もしかして約束を反故にするなんてプライドが許さないから?)
賢悟が帰ってきた理由を素直に喜べなくて、そんな風に考えてしまう自分が嫌になる。
大志はさらに頭を垂れた。
しばらくうだうだといろんなことを考えていた大志は、隣に座る賢悟をそっと見やる。
賢悟は目を閉じていた。
「賢悟さん」
そっと呼んでみても、返事がない。
大志はそろりと賢悟に身体を寄せてみた。
全く微動だにしない賢悟に、大志は顔を近づけてみる。
腕を組んで、ほんの少しだけ首を傾げた様子の賢悟からは、規則正しい呼吸音が微かに聞こえるだけだ。
(もしかして・・・もしかしてじゃなくて寝ちゃってるのか?)
目元には長い睫が影を落としていて、瞼はピクリとも動かない。
耳をそばだてないと聞こえないくらい小さな寝息は、スースーと心地よさそうな音を奏でていた。
こんなところでの居眠りも、賢悟らしく姿勢は崩さない。
体勢を崩すことなく、遠くから見れば考え事をしているように見えるだろう。
大志は身体が触れ合うくらいまでそばに寄ってみた。
「ン・・・・・・」
コトンと大志の肩に頭を寄せた賢悟は無意識なのだろうか。
「さっきはくっつくなって言ったくせに・・・」
賢悟の髪に頬を寄せてみれば、サラサラの髪が頬をくすぐり、シャツ越しに伝わる体温は胸をざわめかせた。
くっついていても暑さを感じないのが不思議だ。
時折吹く爽やかな風が賢悟の前髪を揺らしてゆく。
それを眺めているだけで、大志は幸せな気分になった。
穏やかな時間。ふたりだけの空間。
こうやって賢悟が自分に身を預けてくれていると、不安なんてどこかに行ってしまう。
思えば大志は賢悟に振り回されてばかりだ。
アタック中はつれない素振りで構ってもらえず、付き合ってもらえるようになってからはますますつれない素振り。
(だけど森下先輩が言ってたっけ・・・)
賢悟の親友でもある森下が言っていた。
『あいつは誰かに寄りかかることをあまり知らないんだ』
小さいころからしっかりした子と言われ続け、賢悟もそうでなければならないと思っているのだと、森下は少し寂しげに話していた。
『おれにさえ弱い部分を見せないんだ。さすがに他人の前で見せるような仮面は取っ払ってくれるけどな』
賢悟が人前で見せる顔は仮面だと森下は言う。
だけど大志は思うのだ。
仮面ではなく鎧なんじゃないかと。
人当たりがよく頼りがいのあるしっかりした生徒会長の顔は仮面を被った仮の姿なのではなく、それもまた賢悟という人間の一面であり、誰もが持っている人間の弱い部分をどういわけだかさらけ出すことができない賢悟は、優等生であることによって自分を守っているのではないかと。
まだまだ大志は賢悟のすべてを理解したわけじゃない。
おそらく大志よりもずっと付き合いの長い森下のほうがより賢悟のことを理解しているだろう。
しかし、こうやって無防備な姿を見せてくれる賢悟を、大志は愛おしく思い、嬉しく思っている。
『あいつがああいう態度を取るのはおれとお前くらいのものだ』
森下の言葉だからきっとそうなのだろう。
もっともっと賢悟のことを知りたい。
いろんな顔を見せてほしい。
大志はいつもそう願っている。
「賢悟さん、おかえりなさい」
大志は囁くと、身を寄せ気持ちよさそうにうたた寝をする賢悟の身体をそっと抱き寄せた。
「それだけか・・・?」
「け、賢悟さん???」
眠っていると思い込んでいた賢悟の言葉に大志は驚いて身体を揺らせた。
「お、起きてたんだ???」
眠っている間に抱き寄せるなんて不埒な行動を咎められるかと身を固くしたけれども、意外にも賢悟は大志の腕の中で身じろぎひとつしない。
普段なら「手をどけろ」だの「暑苦しい」だの言いそうなものなのにおとなしく肩を抱かれているものだから、何だか調子が狂ってしまう。
(このまま抱きしめていてもいいのかな)
「答えは?」
「え、な、なんですか、答えって・・・」
おとなしく身を預けていても、言葉尻は結構辛辣だ。
ワンテンポ対応が遅れる大志を上目遣いにキッ睨むと、賢悟は大志の胸に甘えるように擦り寄ってきた。
(え?え?エーッ???)
言い草としぐさが全くかみ合ってない賢悟の行動にうろたえ、大志はさらに言葉に詰まってしまう。
返事を要求されているのはわかっていても、混乱していて思考がストップしてしまったようだ。
(答えって言われても・・・だいたい何を聞かれたんだっけ???え〜とえ〜と・・・あ、そうだ。それだけか?って・・・その前、おれ、何か言ったっけな・・・)
ほんの今しがたの記憶を辿ってゆく。
(あ、おかえりなさい、って賢悟さんに)
言った。確かに言った。
眠っていると思っていた賢悟が突然話をしたから驚いて・・・・・・
(つうか、賢悟さん、おれの問いかけにも答えてくれてないじゃん)
「賢悟さんこそ、いつから起きてたんですか?」
負けじと問うてみたら、ひとこと、「ずっと」という答えが返ってきた。
(ずっとって・・・それじゃあれは狸寝入り???)
そう言いかけて大志は口を噤んだ。
ああ、そうか。途端に大志の顔がふにゃりと歪んだ。
賢悟はずっと起きていて眠っていないという。
それなのに、賢悟は寝たフリをして大志に身を預けてきた。抱き寄せてもなすがままにされていた。
起きているときは、ひっつくな、暑い、と大志を拒否していたのに。
そうだ、きっとそうだ。
じわじわと愛しさが込み上げてくる。
大志に辛辣なのもいつものこと。
そんな態度に大志が弱気になったり凹んだりすると、賢悟はいつだって愛情を示してくれる。
素直になれない賢悟だから、それはとてもわかりにくいんだけれども。
「驚かせてやろうかと思って、この街に着いて直接おまえの家を訪ねたら、お母さんから学校の進路室に行ったと聞いたんだ。で、車で先回りした」
「そうだったんだ・・・・・・」
賢悟は自宅に寄りもせず、そのまま賢悟の家を訪ねたという。そこで母親から不在を告げられた。
それなら一旦帰宅して、後で連絡をくれればそれでいいはずなのに、賢悟はそうしなかった。
わざわざ学校までやってきた。しかも先回りして。
(も〜この人は!!!)
会いたかった、なんて甘い言葉はきっと言わないだろう。
その分こんなふうに態度や行動で気持ちを示すのが賢悟という人なのだと、付き合うようになってから何度も実感したはずなのに、またまた賢悟にやられてしまった。。
(おれっていつも賢悟さんに振り回されているよな。でもイヤじゃないんだ)
不安になることはしばしばだけれども、それでも賢悟のそばにいられることは大志にとってとても重要なことなのだ。
(それに、そういうところがカワイイし)
「賢悟さん」
名前を読んで、ギュッと胸に抱きしめると、這うように背中に腕が回る。
ぬくもりを確認するかのように、大志の胸に頬を寄せると、賢悟がそろりと顔を上げた。
「で、おかえり、って言葉だけなのか?」
挑発するような視線を、大志は笑顔で受け取ると、ゆっくり顔を近づけたのだった。













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