伝わった・・・?





 

前編







「う〜〜〜暑っちぃ・・・」
アスファルトに映る影は短く、真上から降り注ぐ厳しい日差しが大志を容赦なく攻撃する。
一週間に渡る期末考査が午前中で終了し、大志はひとり帰り道を歩いていた。
手のひらで顔を仰いでみたところで、流れる汗を止めることは不可能だ。
「やっぱバスに乗るべきだったかなぁ」
冷房が効いているものの生徒で溢れかえっているバスは、逆に不快感を募らせるだろうからと、駅まで歩くことにしたのは間違いだったか。
脇を路線バスが通過してゆく。
見送るバスはさほど混み合っている風でもなく、大志をますます後悔させた。
「はぁ・・・・・・」
それでも帰宅するには駅まで歩くしかない。
とぼとぼと駅に向かって歩を進めていると、尻ポケットのケータイが着信音を告げた。
誰からのメールか確認するまでもなく、だらしのない笑みが浮かんでしまう。
『お疲れ』
たった一言の愛想のないメールだけれど、大志にとっては十分すぎる。
「一週間ぶりだもんなぁ・・・・・・」
数百キロ離れた場所にいる大志の大好きな人は、とても厳しい人だ。
ぽろっとこぼした大志のテスト日程を知るや否や、テスト終了までメール禁止令が出されてしまった。
本当なら一日一回は声を聞きたいのだが、何かと忙しい大学生である賢吾を憚って、実際に電話で声を聞くのは週に数回とし、その分メールのやりとりは毎日必ずかかさないのに。
『おれと同じ大学に通いたくないのか』
そう言われると返す言葉がない。
大志の目指す大学はかなりレベルが高い。
あの優秀な賢吾が受験勉強に精を出し、合格をもぎ取った大学なのだ。
実際のところそんなに一生懸命にならなくても、模試の結果を見れば合格は当たり前のことかもしれないが。
しかし、大志には容易なことではない。
自覚もしている。
だから、賢吾の言葉を素直に受け入れ、一週間みっちり期末考査のために時間を費やしたのだ。






***   ***   ***






今年度から、目標とする大学の指定校推薦枠ができた。
模試の合格判定も微妙な大志にとっては、まさしく渡りに船のことだった。
学校長の推薦になるから、その枠に入れば合格は約束されたようなものだ。
試験科目も簡単な小論文と面接だけとなる。
何が起こるかわからない一般試験はできれば避けたい。
学校の成績は悪くない。むしろ上位に食い込んでいる。
苦手な英語は特に入念に予習復習を繰り返したから、今回のテストも手ごたえ抜群だ。
学内の説明会によると、3年前期の成績までが内申点として取り上げられるということだったから、大志も最後の頑張りを発揮した。
おそらく高校生活最高の成績を上げることができるだろうと、かなりの自身を持っている。
なにしろ学校にいる時間以外をすべて勉強に費やしたのだから。
今日、最後の科目の終了を告げるチャイムの後、電池が切れたかのような虚脱感に見舞われ、友人からの街に繰り出そうという誘いを断ったほどだ。
やることはやった。
大志と似たり寄ったりの成績のライバルは存在するが、ウワサによると、希望した者の中で一番成績がよい生徒に決定するわけではないようだ。
頼られることが多いから、クラス委員なども経験もあるし、学年では結構目立つ存在だし、興味惹かれるものがなかったためクラブ活動には参加していないが、その分生徒会主催のボランティア活動などには積極的に参加していた。
ライバルとおそらく遜色はないだろう。
あとは学内選考の面接でいかに自分をアピールするかだと大志は考えていた。
「会いたいなぁ・・・・・・」
ケータイを空にかざして、たった三文字の言葉を眺めながら、ぼそりと呟く。
つい1ヶ月ほど前会ったばかりなのに、もう随分と経ってる気がするのは、賢悟に飢えているからだろうか。
「会って、ギュッてしたいなぁ・・・・・・」
会いたくて会いたくて、無理やり押しかけて、見事なほどに恥ずかしい誤解をして、賢悟を困らせた。
だけどその誤解が功を奏して、想像以上に幸せな時間を過ごすことができた。
外見のクールさとは裏腹に賢悟は温かった。余裕がなくて、残念なことに細かいことははっきり覚えていないのだが。
ずっと見てるだけで満足だった。想いが伝わって、一緒にいる時間が増えても、それだけで満足だった。
それなのに、一度つながってしまったら、際限なく求めてしまうのはどうしてなんだろう。
「早く賢悟さんに会いたい」
真っ青な初夏の空に囁くと、賢悟への返事を打ち始めた。






***   ***   ***






楽しい夏休みも、受験生にとっては地獄の日々に過ぎない。
夏期講習会に自宅学習。時間があるだけに、受験勉強に費やす時間が必然的に増えてしまう。
賢悟の周りは、地元周辺の大学に進学を志望しているものがほとんどで、比較的のんびりムードだったのだが、さすがに夏休み前になると、話題もそういったものになる。
「大志、夏季講習どうすんだ?おれは明日にでも申し込みに行くんだけど」
「おれはいい」
「え、おまえ、賢悟先輩と同じところ狙ってるんだろ?夏期講なしで大丈夫なのか?」
賢悟と付き合っていることは内緒だが、大志が賢悟を追いかけていたことは学校中知れ渡っているから、当たり前のようにそう思われている。
あいまいに誤魔化すと、それ以上は追求してこなかった。
誰も自分のことでいっぱいなのだ。他人の心配なんてしていられないのだろう。
夏休みは賢悟が帰ってくる。
そして大志のために時間を費やしてくれるというのだ。
一斉授業だとダレてしまい集中力が途絶えがちの大志には、予備校の講習会は向かないからと、賢悟が個人的に勉強を見てくれることになったのだ。
いつこちらに帰ってくるのかはわからない。
賢悟にだって友達との付き合いやアルバイトの都合があるだろう。
『いつ帰ってくる?』
何度も問いかけそうになって思いとどまった。賢悟に鬱陶しいと思われたくないから。
そんなこと聞かなくても、賢悟はちゃんと約束を守ってくれるはずだから、自分はここで待っていればいいのだと言い聞かせて。
明日からの夏休み。
大志の心には期待と不安が渦巻いていた。






***   ***   ***






校舎と校舎の間にある2階建ての古びた空間が進路室だ。
何十年か前は宿直室だったというそこは、1階が来客応対室と進路指導室、2階は自由に使える自習室と資料室になっている。
3年生になってから、大志はこの建物に入り浸っている。いろんな情報を得ることができるし、推薦枠に入るために少しでもアピールしておこうという魂胆もなきにしもあらずだ。
夏休みに入って一週間、大志は閑散とした校舎を通り抜け、進路室へとやってきた。
休み中でも、午前と午後の数時間、自習室を使えるようになっているのだ。
推薦に頼っているといっても決定は9月だし、もしダメだった場合は、普通に受験することになる。
だから、この夏休みも大志は気を引き締めて毎日を送っていた。
さすがに自宅での勉強にも飽き、気分を変えようかとここにやってきたのだ。
「とりあえず、赤本でもコピっとくか・・・」
資料室への階段に足をかけた瞬間、大志は耳を疑った。
「エッ・・・・・・」
くるりときびすを返し、進路指導室のドアをガラリと乱暴に開けて、目に飛び込んできた人物に大志は動けなくなる。
「なんだ?慌ててどうしたんだ?」
「あ、あの、あ・・・」
(なんで賢悟さんがここにいんの〜〜〜〜???)
部屋の中には他に誰もいない。
ひとりパニくって立ち竦む大志にも教師はあくまでもマイペースだ。
「悪いがクラブのほうに顔出さないといけないんだ。ここ、閉めるけどいいか?」
「あ、はい。上の資料室で赤本コピろうと思っただけだから」
「そうか。あ、そうだ、こいつ、覚えてるだろ?卒業した生徒会長。確かおまえの志望大学だじゃなかったっけ?」
「あ、そうですけど・・・・・・」
教師の隣に座っている男をチラリと見ると、バッチリ目が合った。
(賢悟さん・・・・・・)
どうしてここにいるのだろう。昨日のメールでも、こっちに帰ってくるなんて一言も言ってなかったのに。
「じゃあちょうどいいじゃないか。岬、こいつ、お前の大学を志望してるんだよ。一応指定校推薦をいちばんに考えてはいるんだが、希望者が多くて学内選考の競争率も高い。選考外になったときのために、少しばかり受験に関してレクチャーしてやってくれないか?」
「別に構わないですよ」
「それじゃ、おれは行くから。今日はもう誰も来ないから、帰るときには施錠して、職員室に戻しておいてくれ」
卒業しても賢悟への教師の信頼は絶大らしい。
室内には重要書類もあるだろうに、教師は簡単に賢悟に鍵を預けると、荷物をまとめて出て行ってしまった。
一瞬にして静まりかえる室内。
「ほら、ここに座れよ」
窓側の小さな面談スペースに腰掛ける賢悟の向かいに大志もそろりと腰を下ろした。
「賢悟さん」
会いたかった。すごくすごく会いたかった。
それなのに、あまりに突然すぎて心の準備もできていない。
本人を目の前にすると何をどうしていいのかわからなくて、大志はうろたえるばかりだ。
どうしてここにいるか聞きたい。
いやその前にじっくり顔をみたい。手を伸ばして触れたい。
感情ばかりが先走って名前を呼ぶことしかできない大志とは反対に、賢悟はいたって涼しい表情だ。
ブルーのラインが薄く入った白いシャツには赤ラインがステッチされていて、よく見ればボタンもおしゃれだ。
細身のジーンズととてもよく合っていた。
シャツから伸びる腕は、夏だというのに白くて眩しい。
(少し痩せたかな)
そういえば昨年の夏にも体重が落ちたとか言っていた記憶がある。
「なに?」
そんなことをうつうつと考えていたら、頬杖をついた賢悟に至近距離で覗き込まれていて、大志はびっくりして反り返った。
「なに?会いたくなかったのか?」
「と、と、とんでもない!!!会いたかった、会いたかったです!!!」
びっくりして早口で答える大志に、賢悟は揶揄うような笑みを浮かべた。
すくっと立ち上がると、部屋の隅に備え付けられたキッチンに向かい、冷蔵庫からペットボトルを取り出し、グラスに注いでいる。
「いいんですか?勝手にそんな・・・・・・」
「かまわないだろ?在学中にもよく飲ませてもらったし」
大志の前にグラスを置くと、賢悟は腕を組んで窓の外を眺めている。
何だか声をかけにくくて、大志も同じように外を眺めた。
イングリッシュガーデンになっているそこは緑の芝生の絨毯と小路のコントラストがとても美しい。
創立時からあるという大きな樹木は爽やかな緑の葉をまとい、幹を力いっぱい広げて涼しげな木陰を作り出している。
専門家によって管理されているそこは、無造作に見えて計算されつくしている、学校自慢のエリアでもあった。
奥へとかなり広いスペースには、オブジェやベンチが配置されていて、またそれらが植物たちと見事に調和している。
その場所が結構涼しいということを、大志は賢悟から教わった。
賢悟はこの四季を通して花が絶えないイングリッシュガーデンをとても気に入っているらしく、特にアイビーが絡んで古風な雰囲気をかもし出しているガゼボがお気に入りの場所だった。
幾度かその場所で同じ時間を過ごしたことがある。
そんなことを考えていると、空気が動く気配に気がついた。
「行くぞ」
さっさと立ち上がりグラスを片し始める賢悟に、大志は小さくため息をついた。













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