始まりの場所





第三話






卒業式当日、侑哉はベッドの中でボーっと天井を眺めていた。
ずっと燻っていた風邪が爆発したように発熱し、卒業式には真樹に代理出席を頼むことになったのだ。





楽しみになんかしていなかったのに・・・・・・





ただ少しだけ、ほんの少しだけ、答辞を述べる亨を見てみたかったのが本音。
亨の最後の制服姿。卒業生代表として、彼はその役を立派に務め上げるのだろう。





きっとかっこよかっただろうな・・・・・・





凛々しくて男らしくて、保護者からのため息が聞こえてきそうだ。
今日が亨に会える最後のチャンスだった。
4月から、亨はこの街から新幹線で数時間の大都会で新しい生活をスタートさせることになっている。
すでに住む場所も決まり、卒業式を待って引越しするらしいと教えてくれたのは真樹だ。





もう会えない・・・・・・





この期に及んで、もう一度会いたいという想いがブワンと膨らんだ。
だって、好きだったんだ、亨のことが。
好きだったんじゃない、今でも好きなのだ、亨のことが。
一緒に過ごした時間があまりに幸せだったから忘れていたのかもしれない。
2年以上も片思いの切ない気持ちを隠して、亨をこっそり眺めてはそれだけで満足だったのに。

楽しかった数ヶ月はリアルな夢だったと思えばいい。
そう、この恋は侑哉の片思いなのだから、在校生としてこっそり亨を見送ればいいのだ。
今朝計ったら熱もすっかり下がっていたから大丈夫。咎めそうな母も今日は親戚の家に行って留守だ。
時計はすでに正午前を指しているから急いで支度をしないと。
慌てて制服に袖を通し、身支度を整え、玄関を開けて・・・・・・侑哉は驚きのあまりその場に立ち尽くした。
後輩に貰ったのだろう花束をぶっきらぼうにダラリと手に持ち、門の前に立っているのは、侑哉が今いちばん会いたい人だった。
驚きのあまり呆然と立ち尽す侑哉を、亨も驚きの表情で見つめている。
「あ・・・・・・」
先に声を発したのは亨だった。
「身体の具合、大丈夫なのか?」
侑哉は頷くのが精一杯だった。
どうして亨がここにいるのか。あの姿はおそらく卒業式を終えてから直行してきたに違いない。





一体どうして・・・・・・





あんなに会いたいと思っていたのに、突然すぎる亨の出現に侑哉の心はついていかない。
何か言わなくてはと思えば思うほど動揺ばかりが先に立って、自分のドン臭さにますます嫌気がさしてくる。
「大学受かったから」
亨の一言でさすがの侑哉も察しがついた。
おそらく最後の別れを言いに来てくれたのだと。
うやむやなままだった別れにカタチをつけにきたのだと。
亨は侑哉の憧れだった。
頭がよくて人望が厚くてその上カッコよくて、誰からも頼りにされている亨。
いつも笑顔で愛想がいいというようなタイプじゃ決してないけれど、
クールな眼差しの奥に潜む優しさが侑哉は大好きだった。

本当はとてつもなく優しい人なのだ、この人は。
だから、ほんの短い時間でも一緒に過ごした侑哉のことを気にかけてくれたのだろう。
「お、おめでとうございます・・・」
一生懸命言葉を搾り出した。
この優しい人を、侑哉は不快にさせてしまったのだ。
たくさんの素敵な時間をくれたのに、侑哉は亨に何を返したというのだろう。
貴重な時間を割いてまで誘ってくれたデートを何度もドタキャンして。
いろんな話をしてくれた亨に侑哉はただ相槌を打つだけで。
せっかく好きだと言ってくれたのに!
そして侑哉は気付く。
自分の気持ちを亨に伝えていないことに。
好きだと一度も告げていないことに。
おそらく先に好きになったのは侑哉のほうだ。
それなのに・・・・・・
「悪かったな、いろいろおれの都合につき合わせて」
「えっ・・・?」
「立花には悪かったけど、いい想い出作れてよかった、ありがとうな」
「なっ・・・」
何だか想像とはまるで違う方向に話が動き出しているようで侑哉は慌てた。





おれの都合・・・?



いい想い出・・・?





グルグル頭を巡らせているため無言になってしまっている侑哉のそれを返事だとでも思ったのか、
亨は少し淋しげな笑顔を浮かべると、「じゃあ」と踵を返した。





今を逃して一体いつ自分の気持ちを亨に伝えるんだ?





侑哉の心の中の何かが弾けとんだ。





考えているヒマなんてない!
今思っていることを亨に伝えればいいだけじゃないか!
気の聞いた言葉も何も思いつかないんだから!





「お、おれの方こそありがとうございました!」
門の外に飛び出して、侑哉は叫んだ。
侑哉の声に反応したのか、遠くなりかけていた背中がピタリと止まったのをいいことに、侑哉は続けた。
そこが家の前の公道だということも気にせずに。
「ほんの少しの間だったけど、田嶋先輩と一緒に過ごせて楽しかった。夢みたいだった。だって・・・・・・」
続きを言葉にするのは恥ずかしく、一瞬つまってしまったけれど、亨は背を向けたままだから、侑哉は大きく息を吸いありがとうの言葉を乗せて、初めてその言葉を口にした。
「おれ、先輩のことがめちゃくちゃ好きだったから」





無視されたらどうしよう・・・・・・
このまま去っていかれたら・・・・・・





恐くてしばらくギュッと目を閉じていたら、頭上から躊躇いがちな声で語りかけられた。
「それは過去形ってこと?それとも・・・・・・」
すぐそばに人の気配を感じ、顔をあげると、戸惑いを隠せない亨がそこにいた。
もしかして、まだ好きでいてくれるのだろうか?
そう思うのは侑哉の勝手な勘違いなんだろうか?
だけど、亨が戻ってきてくれたという事実が、侑哉に勇気をくれた。
「現在進行形でも・・・いいですか?」
バサリと音がしてふと音の方向を見やると、亨が落とした花束を慌てて拾っているのが見えた。
いつも沈着冷静な亨の慌てた様子に、侑哉は驚いてしまった。
「てっきり嫌われていると思っていたから・・・・・・驚いたよ」
それには侑哉の方が驚いた。
「ど、どうして?おれ、変な態度とってましたか?」
そりゃ緊張のあまり口数も少なかったのは認めるし、恥ずかしくて俯いている時間も多かったかもしれないけれども。
困ったような顔をしながら、亨は続ける。
「オトコから付き合ってくれって言われて驚いているうちに強引にオッケーさせた感もあったし。自分のテリトリーを守っていてそこに入れてくれそうにもなかったし。それに・・・・・・毎回デートを断れてたらもうダメだと思うだろ?普通は」
「あ・・・それはっ」
「津賀山に聞いた」
「真樹・・・に?」
「予備校の帰りに、楽しそうに一緒に歩いているのも見かけてさ。おれとのデートはドタキャンするくせに、あいつとだったらいいのかって。直接立花に問いただす勇気もなくて、津賀山に・・・な。そしたら立花に悪気はないこと、全部話してくれた。ただ立花の気持ちだけは教えてくれなかったけどな」
知らなかった。真樹も何も言わなかったし、ふたりの間にそんあ話があっただなんて。
「だから、もし立花の気持ちが嘘じゃないなら・・・ちゃんと聞かせてほしい」
真っ直ぐ見つめる亨の双眸は真摯で、侑哉はその思いに応えたいと心から思った。
「おれ・・・ずっと田嶋先輩のことが好きだった。だから告白されたときは本当に嬉しくて。受験前の貴重な時間を削ってデートに誘ってくれたときも天にも昇る気持ちでウキウキして。それなのに当日になるとどうしてもダメで。そんな自分が恥ずかしくて情けなくて。何より先輩に嫌われたくなくてっ」
「そんなことで嫌ったりなんかしない」
わかってる・・・亨はそんなことで人を判断するような器量の狭い人間じゃないってこと。
だけど恋をすると臆病になってしまう。
好きな人にどう思われているのか、気になってどうしようもなくなるのだ。
欠点は見せたくない、どうにかして隠したい、そんな思いでいっぱいになってしまうのだ。
「たぶん立花の思っている以上に、おれは立花のことが好きなんだと思う」
面と向かって「好き」と言われて鼓動が跳ね上がった。
そしてさっき自分も好きだと告白したことを思い出し、今さらながら羞恥に襲われ、まともに亨を見ることもできない。
「おれたちにはもっと時間が必要だな」





そして思い出す。亨が行ってしまうことを・・・・・・





「あ、あのっ」
亨のアクションを待ってばかりだった侑哉は初めて自分の希望を口にした。
「会いに行っても・・・いいですか?も、もちろん迷惑でなければですけど・・・・・・」
勢い勇んで口にしたものの、あまりに図々しいかという思いにかられ、語尾が少し小さくなる。
黙ってしまった亨に不安になって、勇気を出してその顔色を覗い見れば、居心地の悪そうな、それでいて照れたような亨の表情が目に飛び込んできた。





もしかして・・・困ってる・・・・・・?





ふたりの間に変な空気を感じて、どうしようかと視線をアスファルトに這わせていた侑哉を、ふわりと温かい何かが包み込んだ。
「さっきの返事だけれど・・・」
今にも爆発しそうに音を刻む鼓動をBGMに、侑哉は甘い囁きを耳にした。
「未来進行形だと嬉しいな」
さすがに外であることを配慮したのだろう、あっけなく温もりは離れていったけれども、侑哉の頭の中では亨の甘い言葉がいつまでもいつまでも繰り返されていた。







おしまい




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