largo 第十話
 








「愛してる」
宗治の口から紡がれた言葉。
渚がずっと憧れていた言葉だ。
映画やドラマでは当たり前のように語られる言葉。
親子、恋人、相手を大切思うシーンではごく普通にみんなが口にする。
破綻した親子関係。
唯一の拠り所だった宗治との別れ。
自分は愛されない人間なのだと諦めていた。
好き以上の感情を他人からもたれない、つまらない人間なのだと、あの部屋を出るときに自分に言い聞かせた。
運良く塚本に拾われ、気のいい仲間たちと毎日を過ごしながら、根底では冷めている自分がいた。
だけどそれじゃダメなのだ。
渚自身が変わっていかないと何も変わりやしない。
「きっとおれも言ったことなかった」
渚が口を開く。
「愛してる、宗治」
初めて口にする言葉は、顔から火が吹き出るほど照れくさい。
だが、とても大事な言葉だと渚は思う。
さっき宗治に「愛してる」と言われたとき、心臓が止まるかと思った。
もう死んでしまってもいいとさえ思った。
生まれて初めて与えられた言葉が、一番大切な人からでよかったと心から思う。
上辺だけでもない、魂のこもった言葉だと、今では信じることができた。
だから、渚もありったけの気持ちをこめて、同じ言葉を返した。
お互いに交わしただけで、とても幸せな気持ちになれるこの言葉を、どうして今まで口にしなかったのだろう。
それは渚にもわからないし、宗治もおそらくわかっていないだろう。
だが今はそんなことを考えるよりも、先のことを考えていきたい。
「ナギ」
耳元で名前を呼ばれると、全身が喜びでいっぱいになる。
優しく髪を撫でられ、すべてを宗治に委ねたくなる。
こんなに自分は宗治を欲していたんだと自覚して、なぜだかとても切なくなった。
宗治と出会ってからこの瞬間までの様々な想いが渚の心を撫でてゆく。
痛みも喜びも。
こんなに簡単に全てを許し、受け入れてしまっていいのだろうか。
過去を消すことは決してできない。
渚は自分のことは何よりも理解しているから、これからもおそらく思い悩むことはたくさんあるだろう。
今回、宗治が渚以外の人間を選んだという事実は、渚の心に強く刻み込まれた。
それに宗治が渚ほど一途な性格でないことも残念ながら理解していた。
昔から宗治はたくさんの人に好かれたし、いつも輪の中心にいた。
渚とは違い、宗治の交友関係は広いし、家族だってある。
宗治を自分だけに縛り付けておく自信もない。
それでも渚は宗治を欲している。
宗治も渚を欲してくれている。
それが全てだと考えてしまうのは容易いが、それ以外にどうすることができようか。
頬をくすぐる指先に、渚は自分の手を重ねた。
暗がりの中でも、今では宗治の表情がはっきりと見える。
とても優しい目で渚を見ていた。
吸い寄せられるように、唇を重ねる。
「ナギ、あの部屋に戻ってきてくれるか?」
誘惑に負けそうになるが、渚は首を横に振った。
一年のブランクはそうすぐには埋まらない。
離れている間にそれぞれの暮らしがあったのだから。
「おれは店の近くにマンション借りてるし、その方が都合がいいんだ。宗治は・・・今もあそこに住んでるのか?」
「おまえがいつも戻ってきてもいいようにな」
「ごめん・・・・・・」
宗治が渚の髪をくしゃりと撫でる。
「いいさ。時間はたっぷりあるからな」
どうしてこんなに好きなのだろう。
宗治を見つめながら渚は思う。
他の男を好きになったからと、簡単に渚を捨てた、自分勝手な男。
1年も渚を迎えに来てもくれなかった、弱い男。
だけど、本当は優しくて、渚を一番理解してくれる、唯一無二の男。
すべてを許してしまう自分は、愚かな人間なのだろうか。
だけど・・・愛してしまったのだから仕方がないのだ。
宗治に囚われた渚の心は、宗治の傍以外に行く場所はないのだから。






おわり








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