da capo 第一話
 








まさかこんなことを言う日がくるなんて考えもしなかった。
愛情はずっと続くと思ってたし、自分は軽薄な男ではないと思っていた。
まわりの人間が浮気心を出すたびに、軽蔑していた。
宗治は目の前のソファで本を読んでいる男に目をやる。
静かに書面に目を落とし、宗治の気配などまるで感じていない様子だ。
決して宗治ことをないがしろにしているわけではないのだが、そういう渚に不満を感じているのは事実だった。
引き伸ばしていても仕方がない。
これでも1ヶ月近く悩みに悩んだのだ。
宗治は意を決して、握りこぶしに力をこめた。
「ナギ」







***   ***   ***







名前を呼べば思い出が甦る。
女性名のような名前を渚は嫌っていた。
中性的な容貌にはぴったりだと思うのだが。
渚と恋人になって5年。出会ってからははすでに8年という月日が経過している。
劇的な出会いをしたわけではなかった。
高校に入学して最初に友人となったのが渚だった。
座席が前後だったのがきっかけで、以後何かとつるむようになった。
中性的な顔立ちと線の細い身体は、男子の中でも異質で、入学早々から目立つ存在だったが、本人は周りの目を気にしていなかった。
特別視されることには慣れている、と知ったのは後日のことだ。
物静かで口数も多くない。
そういう印象だったし、確かに周りの人間に対しての態度はそうだった。
あの容貌でなかったらその他大勢に埋もれてしまう、そんな雰囲気だった。
しかし、宗治に対しては違った。
もちろん最初は、無口でおとなしい男だったが、しだいに普通の男子高校生とそう変わらないことがわかった。
ジャンクフードが好きで、流行の音楽やファッションに詳しい。
ただ、あまり感情を表に出さない男だった。
それも一緒にいる時間が長くなれば、問題はなくなった。
少しの表情の揺れで、宗治は渚の感情を読むことができるようになったからだ。
人より少し大きな瞳は雄弁に感情を語る。
宗治は表情から感情を読み取るのが楽しかった。
理解できると嬉しくなる。
すると渚と一緒にいるのが楽しくなり、渚も宗治には少しずつ心を開いてくれるようになった。
好きだと告白したのは宗治のほうだ。
卒業を間近に控えた雪の日だった。
3年間を同じクラスで過ごし、高校生活の大半をともに過ごした二人も、卒業後の進路は違えることとなった。
渚は地元の国立大学に、宗治は地元に本社があるフードチェーン店への就職が決まったのだ。
2年次からいわゆる特進コースに進み、宗治も最初は渚と同じ大学を志望していたが、テレビで特集を見て、その会社の社長に魅せられてしまったのだ。
家族も教師も大学を卒業してからもでいいんじゃないかと宗治の就職に反対したが、宗治は譲らなかった。
渚は何も言わなかったが、その瞳は明らかに残念さが浮かんでいた。
これというきっかけがあったわけではない。
何人かの女の子とも付き合ったし、その分だけ経験も積んだ。
だが、渚とともにする時間以上のものを得ることはできなかった。
渚との時間は穏やかで、かつ刺激的だった。
ふとしたときに垣間見られる淋しげな表情に気付いたとき、力になりたいと強く思った。
どうやら渚には人に知られたくない事情があるらしかった。
渚が言わないから宗治も聞かない。
その分そばにいたいと思った。
行き過ぎた友情なのか、それとも恋情なのか、数ヶ月悩んだ。
決定的になったのは、顔に痣を作った渚を見たときだ。
瞬間、怒りでいっぱいになり、そしてそれは突然愛おしさに変わった。
渚は理由は言わない。
抱きしめたその身体は、想像以上に華奢で、まるで知らない人物のようだった。
心を決めて、雪の舞い散るいつもの帰り道、「好きだ」と告白したとき、渚の反応は相変わらずだった。
しかし、嫌がっていないことは雄弁な瞳が物語っていた。
就職を期に自立することになっていた宗治は同居を持ちかけ、渚もすぐに同意した。
家族の反対もなかったことを考えると、渚の事情はやはりそのあたりにあるだろうことが予想された。
大学生の渚と、飲食店で働く宗治では生活のサイクルが合わず、最初は戸惑うことも多かったけれども、慣れてくれば問題もなくなった。
初めて肌を合わせたのは同居してから数ヶ月後のことだ。
それまでにもそういう雰囲気になったことはなきにしもあらずだったが、宗治のほうが思い切れなかったのだ。
渚への気持ちはすでに宗治の中では確実なものになっていたけれども、身体を重ねることにためらいがあった。
実のところ、好きだとはいえ男性に欲情するものなのか、自信がなかったのだ。
一緒に暮らしていても、渚に対して欲望を持ったことがなかったから。
かわいい、守ってやりたいと思えど、どうしてか肌を重ねたいという感情とは結びつかなかったのだ。
同性愛には、いや同性愛にかかわらず恋愛にはいろいろな形がある。
渚も何も言わなかったし、このままプラトニックな関係でもいいんじゃないかとさえ思っていた。












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