calmato 第三話
 








「あ、もう1ヶ月になるのか」
狭いベッドの上で、渚はテレビから聞こえる天気予報で、今日の日付を知った。
マンションを出てからちょうど1ヶ月。
渚はワンルームのウィークリーマンションでその日を迎えた。
再就職は思った以上に困難で、アルバイトでも探さないとそろそろヤバイかとも思っている。
会社の倒産は突然だった。
戦後最大の不況の中でも渚の会社は堅実な経営をしていると疑わなかった。
わずかながら退職金がでたことだけでもラッキーだと知ったのは、ハローワークに通い始めてからだ。
学歴は悪くないしまだまだ若いから、再就職はさほど難しくないと少し安易に考えすぎていたようだ。
求人自体が少ないのだからいたしかたない。
最初のころは、焦らず、先を見据えて就職先を探していたのだが、そうも言ってはいられなくなった。
失業手当にも期限はあるし、蓄えもほとんどない。
それに渚には頼る誰かもいなかった。
自分の力で生きていかなければならない。
そのためには贅沢も言っていられない。
渚は食パンを一枚かじると、出かける支度を始めた。








とりあえず仕事をしないと始まらないと、雑誌で見つけたホールスタッフの求人に応募したところ、即採用が決まった。
夕方から深夜のシフトがメインとなるので、その分時給もいい。
昼間に就職活動ができるのもありがかたかった。
これで当座の生活は凌げると思うと少し安堵して、久しぶりにカフェに寄ろうと辺りを見回した。
仕事を終えたサラリーマンの行き交う姿に、以前の自分の重ねれば、浮上しかけた気持ちもしぼんでしまいそうになる。
しかし今を受け入れるしかないのだ。
大学時代によく通ったチェーン店のカフェを見つけ、道路を渡ろうと左右を確認した時、思いがけず目に飛び込んできたのは、かつての恋人だった。
そしてその隣には、元恋人の肩ほどまでしかない小さな男が、頬を染めて自分の隣の男を見上げていた。
とっさに渚は路地に身を隠した。
通り過ぎるふたりは渚に全く気付いてはいないようだ。
お互いがお互いしか目に入っていないのだろう。
可愛らしい顔立ちの男は、大事そうにブランドショップの袋を手に持っていた。
今日は宗治の誕生日だから。
ふたりはビルの中へと消えていった。
おそらくこれから食事でもしてふたりで誕生日を祝うのだろう。
渚はとぼとぼと駅へと向かった。
もうカフェでお茶する気分はすっかり失せていた。








ベッドにごろんと寝転がる。
1Kの小さな部屋には必要最小限の家具が備え付けてあるだけだ。
渚は小さなテーブルの上の箱を見やった。
閉店間際のケーキ屋を見つけて、残り物のケーキを買ってきてしまった。
買ってきたはいいものの、開ける気もなければ食べる気もしない。
バカみたいな対抗意識が渚に行動を起こさせたのだ。
宗治だって渚に祝ってほしくなどないはずだとわかっているのに。
薄汚れた天井を見ながら、渚はあのマンションに残してきた唯一のものに思いを馳せた。
就職したら、ボーナスを貯めて宗治にプレゼントしようと決めていた。
実際のところ、早くに社会に出た宗治の方が渚より年収は多い。
しかし、宗治はかなりの額を実家に仕送りして、きちんと貯金もしていたから自由に使える金はほんの少しだったのを知っていた。
加えて面倒見の良さから、よく慰労会と称してアルバイトたちを飲みに連れて行っていた。
逆に、渚には仕送りをする先もなければ、付き合いもほとんどない。
給料のほとんどを自由にすることができた。
車1台分ほどする時計に、宗治は心底憧れているようだった。
渚もその洗練されたデザインはカッコいいと思うけれども、たかが時計に熱くはなれなかった。
でも、宗治の手首にその時計が嵌っているのを想像すると、胸が躍った。
似合う、と直感で感じたのだ。
その姿を見てみたいと思っていた。
もうすぐ宗治の誕生日だと思っていた矢先、態度がよそよそしくなり、別れを予感した。
だからプレゼントするには今年しかないと思い、貯金に加えて退職金もつぎ込んだ。
自分の自己満足でしかないとわかっていたが、そうせざるを得なかった。
いつ決定的な言葉を切り出されるかわからなかったから、オーディオボードの中に置いておいた。
見つからなければそれでいい。
処分されてもかまわない。
そう思って置いてきたのだが、渚は後悔していた。
宗治はすでに恋人と生活をスタートさせているのに、なんと自分は未練がましいことをしてしまったのか。
あれは宗治へのプレゼントなんかじゃない。
渚のエゴの塊だ。
しかし渚にはどうする術もない。
自分の勝手な行動を後悔し、渚は買ってきたケーキをゴミ箱に放り込んだ。
















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