calmato 第一話
 








「じゃあ」
愛用のバッグを手に持って渚は振り返った。
自室にはもう家具しか残されていない。
宗治は気まずそうに渚から視線を外したまま、チェストの上に置かれたクリスタルの置物を見ていた。
昨年の宗治の誕生日に、一緒に旅行したときに購入したものだ。
おそらくは渚が出て行った後に処分されるのだろう。
だが渚もそれを持って行こうとは思わなかった。
宗治の手で処分されるならそれでかまわない。
いつまでもここにいても仕方がない。
最後に渚はオーディオボードを確認した。
そして微かに笑みを浮かべた。
もちろん渚の方を見ていない宗治は気づくはずもない。
渚はくるりときびすを返すと玄関へと向かった。
いつもとなんら変わりのない、無表情のまま。








***   ***   ***








世界で一番嫌いなモノ。
それは自分自身。
中性的な顔が嫌い。どんなに綺麗だと褒められても。
渚という名前が嫌い。どんなに似合っていると褒められても。
そして、楽しいことなんてひとつもない、毎日が大嫌い。
渚はずっとそう思っていた。
いつの日か迎える最期の日まで、この気持ちは変わらないだろうと、思っていた。








『好きだ』
ストレートな愛の告白を受けたのは、雪の日だった。
精悍な顔立ちで正義感も強く男らしい彼は、男女問わず人気のある男だった。
高校生活の大半を共に過ごした男は、渚より少し高い場所から、唐突に、でも真摯にその言葉を紡いだ。
驚いて見上げた男の髪には、白い雪がくっついていて、渚は返事をする前に思わず手を伸ばした。
雪を払おうとした渚の手を取ると、ぐっと引き寄せらて抱きしめられる。
厚手のコート越しにも伝わる男の心音。
初めて自分の存在を受け入れてくれた男の存在を、これほど強く感じたことはなかった。
告白されたのは初めてじゃない。
しかし誰とも付き合ったことはないし、嬉しいというよりも疎ましいという感情のほうが大きかった。
この大嫌いな自分という人間のどこが気に入ったというのか、疑問ですらあった。
人付き合いは苦手だ。
社交的ではない渚には親しい友人もいなかった。
宗治に会うまでは。








宗治は渚のテリトリーに驚くほど自然に介入してきた。
鬱陶しいとか負の感情が芽生える前に、渚の心を奪っていった。
自分とは全く正反対の宗治に憧れ、そしてその感情が恋だと気づいたとき、渚は愕然とするしかなかった。
隠し通そうと心に誓った。
そうすることしか、宗治のそばにいる方法が思いつかなかったから。
幸いなことに、渚は感情を表に出すのが苦手だ。
いや、苦手、とは違う。
もともと感情を表現することができない人間なのだ。
無表情で無愛想。
外見から暗いという印象は持たれないものの、何を考えているのかはその表情や態度からは全くわからなかった。
人並みにファッションにも興味はあるし、趣味もある。
好きなものに出会うと嬉しいし、つまらないことで落ち込んだり腹を立てたりもする。
喜怒哀楽は渚の中にきちんと存在する。
しかし、それらをうかがい知ることは他人には困難なことだった。
だから、宗治が、渚の表情から感情を探り当てたことには驚いた。
初めて理解者に出会った衝撃は並大抵のことではなく、それは宗治に惹かれる大きな要因になった。














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