明日があるなら 最終話









「葉月が好きだ」
思考より先に言葉が溢れてくる。
もうどうでもよかった。
葉月の答えなんてもうどうでもよかった。
ただ雅彦が葉月を愛している、それだけが確かな事実だった。
腕の中で嗚咽を漏らしていた葉月の身体がビクリと震えた。
「雅彦・・・さん・・・?」
震える声で名前を呼ばれ、さらに愛しさが募る。
「いらないわけがない。おれには葉月が必要なんだ。葉月がいないと生きていけないくらい・・・葉月のことが好きだ」
身体の奥底から湧き出てくる恋情が雅彦の心を溶かし、感情のままに言葉が滑り落ちてゆく。
「葉月がおれの言うことを何でも聞くのは、もしかしたらおれに世話になってるからじゃないかと思ったんだ。おれは葉月を愛しているけれど、もしかしたら葉月はそうじゃないのかもしれない。そう思うと不安になって、不安な心を隠すために葉月にあんな酷いことを・・・・・・許してくれ・・・・・・許してくれ・・・・・・」
やっと口をついた謝罪の言葉。
それはあまりにすんなりと雅彦の口から飛び出した。
葉月の言葉を無視し続け、葉月の心のこもった料理をゴミ箱へと投げ捨て、葉月の身体を痛めつけた毎日。
自分の意思でやっているはずなのに、必ず後味の悪さに襲われ、酷く苦い感情に心を覆われた。
それを払拭するために酷い仕打ちを繰り返すという堂々巡り。
あのときの雅彦の心の痛みは葉月の心の痛みだったのだろう。
葉月は許してくれないかもしれない。
雅彦の心がずっと葉月にあったとしても、葉月の心はすっかり離れているかもしれない。
そう考えるのが普通だし、そうならざるを得ない仕打ちを、雅彦は葉月に与えたのだ。
もし反対の立場だったなら、恨みこそすれ許しはしないだろう。
それでも雅彦は言わずにはいられなかった。
狂おしい恋情を。
心からの謝罪を。








葉月は答えない。
やはりダメなのか・・・・・・?
葉月にとって雅彦はすでに過去の人間となっているのだろうか・・・?
祈るような気持ちで、葉月をギュッと抱き締めたまま、雅彦は葉月の答えを待った。
しかし返事はない。
抱きしめる腕を拒むことなく雅彦に抱かれているけれども、葉月は黙り込んだままだった。
せっかく葉月をもう一度抱くことができたのに、もう遅いのか。
激しい絶望感に襲われる。
葉月もこんな気持ちだったのだろうか。
今になってそんなことを思っても、葉月に対しての酷い行為を帳消しにすることはできないのだ。
ギリギリと胸は痛み、息がつまったように苦しくなる。
「ごめん・・・葉月・・・ごめん・・・・・・」
雅彦は繰り返すしかなかった。
「おれのことが必要って本当・・・?おれのことが、好きって・・・本当・・・・・・?」
やっと口を開いた葉月は顔を伏せたまま、震える声でそう問いかけてきた。
思わぬ問いかけに驚いたが、雅彦はありったけの気持ちを込めて答えた。
「あぁ、本当だ。葉月を愛している。おそらく、出会った瞬間からずっと・・・」
「おれも・・・」
「おれも・・・?」
まさか、と雅彦は息を呑んだ。
「おれも雅彦さんが好き。何をされてもいいくらい、雅彦さんが好き・・・ずっと好き・・・・・・」
そう言って見上げた瞳は新しい滴で濡れていた。
「葉月・・・・・・」
言葉にならなくて、雅彦は確認するように葉月の名前を言葉にする。
胸いっぱいに広がる何とも言えない気持ち。
嬉しいとかそんな単純な単語ではカバーできない感情に、思考能力すら奪われてしまう。
抱きしめる腕を緩め、信じられない気持ちのまま、確認するように葉月の顔を覗き込む。
「触れてもいいか・・・・・・?」
葉月がコクリと頷いたのを確認し、その頬を両手で包み込めば、小さな顔はすっぽりと雅彦の両掌に納まってしまう。
強張っているのは、雅彦の酷い仕打ちを身体が覚えているからだろうか。
形を確かめるように、優しく頬を撫でてみると、微かではあるが、やはり葉月は震えていた。
今ほど後悔したことはない。
葉月の寄せる信頼を裏切り、葉月の愛情を否定し、真っ直ぐで純情な葉月を心身ともに傷つけた。
「ごめん・・・葉月、ごめん・・・・・・」
人前で泣いたことなんてない。
親が死んだときも、祖父母が相次いで死んだときも、一粒の涙も出なかった。
自分がかなり冷めた性格であることは自覚していたけれども、身内の死にも動じない自分に驚いたのを覚えている。
『あなたの体内に涙というのもは存在しないのかも』
そういったのは誰だったろうか。
雅彦は頬を伝う滴の感触を初めて知った。
俯いたまま目をギュッと瞑って懸命に涙を堪えようとする雅彦をいたわるように、葉月は自分の頬に触れている雅彦の手をギュッと握り返した。
「どうして雅彦さんが謝るの?勝手なことをしたのはおれなのに」
雅彦を責めるどころか自分が悪いのだと、ここにきてまで言い張る葉月に、ますます愛しさが募る。
「いや、悪いのはおれだ。おれが悪い」
「ううん、違う。おれが―――」
おれが、いやおれが、とお互いの言葉の応酬に、いつの間にか涙も乾き、自然と笑みがこぼれた。










雅彦は思う。
葉月は何も言わなかったが、雅彦が葉月に与えた苦痛は許されるものではない。
後悔しても後悔しきれないし、一生かけて償っていかなくてはならないことだ。
おそらく一生忘れないし、忘れてはいけないことであり、だからこそ葉月を幸せにしなければならないのだ。
雅彦に『人を愛する』という気持ちを教えてくれた葉月を。
「葉月・・・愛してる」
雅彦はそっと葉月にくちづけた。
それは、葉月を絶対に幸せにするという、誓いのキスだった。









おしまい






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