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「あ〜」
しまった、と顔をしかめながらかばんを探る成瀬に、煙草の火をつけかけた手を止めた。
「明日提出の数学のプリント、机の中に忘れてきた」
あ〜もう、と諦めきれないのか、かばんの中身をテーブルにぶちまけている。
おれの担当も数学だが、件のプリントは別の教師が作成したもので、あいにく手元に控えを持っていなかった。
「明日の朝早めに登校してかたづけちまえば?」
おまえの頭ならできるだろうと再びライターを手に取ったが、成瀬は大きく首を振った。
「ダメダメ。半端じゃない量なんだ。さすがのおれでも無理」
そういうと、意を決したようにすくりと立ち上がった。
「おれ、学校にとりに戻ってくるわ」
机に放り出した荷物を再びカバンに詰めなおす成瀬におれは慌てた。
「だけどもう9時だぞ?」
「うん、でも仕方ないじゃん。じゃあ学校からそのまま家に戻るから」
な、なんだと〜〜〜〜〜?
おれは思わず成瀬の腕をつかみ、強い力で引き止めていた。
***** ***** *****
いつもより少しだけ早くバイトを終えた今日、成瀬はこのマンションにやってきた。
母方の祖母が泊まりにきているらしく、遅くなってもいいという。
久しぶりにゆっくりした時間がもてそうで、おれは年甲斐もなく浮かれた。
学校では毎日顔を合わせているし、バイトの帰りに成瀬がここに来るのも当たり前のことのようになってはいるが、許される時間はほんの少しで、嬉しい反面物足りなくもあったのだ。
特に学校での成瀬の態度は酷くクールで、それが成瀬なりのおれへの気遣いだとわかっていても淋しい気持ちになることもしばしばで。
自分でもこの恋愛に、いや成瀬自身にのめりこんでいるのだと自覚せざるを得なかった。
本当ならおいしいものでも食べにつれていってやりたいけれど、今のおれと成瀬の関係ではそれも難しく、仕方なく宅配ピザで晩メシは済ませた。
それでも成瀬は喜んでくれ、年相応の食欲を見せていた。
またそんな成瀬がかわいくて・・・・・・
明日も学校だし、さすがのおれもセックスに持ち込もうとは思ってはいなかったが、少しばかりのスキンシップは期待していたのだ。
それなのに・・・・・・
たかが数学のプリント1枚で!!!
こりゃ数学教師のセリフじゃないな、おれも相当イカレてる。
でももとから真面目な教師じゃなかったし。
なんて自分を納得させて、掴んだ腕を放さないまま立ち上がった。
「おれも一緒に行く」
サイフとケータイを尻ポケットに突っ込み、車のキーを手に取ったおれに、成瀬は驚いた表情を見せた。
「いいよ。おれひとりで行くし」
「でももう遅いし暗いし危ない」
「あ、あんた何恥ずかしいこと言ってんだよ!おれは男だっつうの!それにまだ9時だって!」
おれの手を振りほどいてさっさと出て行こうとする成瀬に、おれは言った。
「確か生徒の出入りは7時までだったような気がするんだが?」
成瀬の動きがピタッと止まった。
「さ、行こうか」
おれは車のキーを成瀬の前にかざして、玄関に促した。
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