*

心のままに




    

後編







小さなスペースにベッドやら机やら本棚やら詰め込まれたおれに部屋には、ゆったりすわる場所さえない。
「せまいからさ、ベッドの上にでもすわってよ」
片岡にすわるよう促して、おれは勉強机のいすに腰を下ろした。
おれのにおいがしみついた空間が、片岡がいるだけで全く別の空間に思える。
この部屋には家族以外だれも入れたことがない。
狭いのもあるけれど、何者にも侵されたくない、おれだけの場所だから。



ここに、片岡がいる。
それが気恥ずかしくて、息が詰まりそうだった。





***       ***       ***





「急に来るなよ!びっくりするじゃんか!」
沈黙が嫌で飛び出したのは、想いとは正反対の投げやりな言葉。
「びっくりさせるために来たんだから」
腹を立てるでもなくしれっとそんなことを言ってのける片岡に、おれはますます意固地になってしまう。。
「せっかく弟たちがパーティーしてくれてたのに、邪魔すんなよな!」
物足りないとか思っていたくせに、片岡に祝って欲しいと思っていたくせに、おれはいつだってそうだ。
残るのは後味の悪さと後悔だけなのに。





「―――おこったりしないのかよ・・・?」
「なにを?」
「だっておれ・・・」



『素直じゃないし、かわいくないし』



心の中で呟いてそのまま黙り込んだおれに、あぁっと思い出したように呟いて、片岡はふっと笑う。
「んなことでいちいちムカついてたら、おまえと付き合っていけないって!」
余裕の笑み。おまえのことは全部理解してるぞっていう余裕の笑み。





***       ***       ***





「亮兄ちゃん、入っていい?」
康介は声をかけると、おれの返事を待たずに部屋に入ってきた。
おれに、ケーキとコーヒーを載せたお盆を手渡すと、片岡のほうに身体を向けた。
「先生、こんばんは。ぼく、二番目の康介です。4月から明倫館に入学するんです」
「お兄さんから聞いてるよ?よろしくな」
握手のかわりに、康介の髪をくしゃりとなでた。
胸がズキリと痛い。



さわんなよっ!



「じゃあ、先生、ごゆっくり」
康介は、にこっと笑顔を残して出て行った。
「かわいいねぇ〜素直そうだし」
声高くはしゃぐ片岡に、ますますムカムカする。
「変なこと考えるんじゃねえぞ!あいつは純情なんだから!それに・・・さわるなよっ!」





「―――なに?妬いてんの?」





意地悪っぽく、ニヤリと笑う片岡に、おれは止まらなくなる。
「な、なんでおれが妬くんだよっ。弟に手ぇ出すなって言ってるだけだろ?おれ、あんたのことなんか―――」
思わず言ってしまいそうになった。
けど、それだけはいいたくない。
全く心と裏腹なことであっても、口に出したくはないから、途中で口をつぐんだ。

「―――おれのことなんか・・・なんだよ?」
おれは黙り込む。いつも自分に都合が悪くなったら黙りこむおれ。
さわりと音がすると片岡が立ち上がり、おれの傍まで寄ってきて、背中をぐいっと抱き寄せた。



「おれは男が好きなわけじゃないぞ?成瀬だから好きなんだ」



おれはこの胸の中が好きだ。
すごく安心できる場所。
できることなら、ずっと手放したくない、おれだけの場所にしたい。

好きになればなるほど、高まる独占欲。
康介にさわるななんて言ったけど、本当は違う。
おれ以外の誰にもふれてほしくないんだ。
それが、弟であっても・・・




おれも、好きだ・・・



言いたいけれど、やっぱり意地っ張りなおれは、
変わりに片岡の腰にぎゅっとしがみついた。






***       ***       *** 





「―――成瀬、手ぇ出して?」
おれから身体を離し、畳にすわり込んだ片岡がおれを見上げた。
手を出そうとしないおれの右手をぐいっと掴んで手のひらを開く。
そして、ポケットから何やら取り出して、それをおれの手に乗せた。



「―――カギ?」



ひんやりした感触のそれは、銀色のカギだった。
古めいたデザインの、シンプルなメタリックブルーの小さな鈴がチリンと音をたてる。
「そっ、誕生日プレゼント。おまえ、物欲なさそうだし、高いもん嫌がるだろ?」
「だって、おれだってあんたの誕生日に何もやってないし・・・」
「すごいプレゼントくれただろ?おれにとってはいちばんのプレゼントだったんだ」
そう、おれはこいつの誕生日に、キスをくれてやって、そして・・・初めて夜を過ごしたのだ。
「だから、おれもカネのかからないものにした。それに・・・こんな機会でないと受け取ってくれないだろ?」
おれは、手のひらにあるカギを見つめた。
「おれのマンションのカギだから。おまえの好きなときに来ていいから」
今までにも、片岡は何度もこれを渡そうとしたけれど、受け取らなかった。
おれが、こいつのマンションに行く時は、いつだってこいつがいる時だったし、おれが持ってる必要もなかったから。




「けど―――」



口を開きかけた時、片岡はおれの手にそのカギを握らせるように、おれの手を包み込んだ。
「学校じゃ会えないだろ?おれが学校行ってる間でも勝手に部屋使っていいから。それに・・・」
下からおれを覗きこむ瞳が優しかった。
「帰ってきたとき、おまえがいたら、すっげーうれしいじゃん」
おれは、優しい言葉のひとつも素直に口にできない、とんでもなく生意気なガキだけど、それでもおれの存在がこいつを喜ばせることができるなら、おれが部屋で帰りを待っている、ただそれだけのことでこいつが幸せな気分になるのなら、それもいいかなって思った。



「じゃあ、もらっといてやるよ!」



やっぱり口をついたのはそんな言葉。
けど、もうこいつはおれのそんな態度の意味さえ、理解しているから、怒ったりしない。
「たまには、メシつくって待っててくれよな」
そう言って、笑った。





***       ***       ***





それから、ケーキを食べて、幾度かの甘いキスをして・・・
さすがに弟たちのいるこの家でセックスはできなかったけれど、片岡はおれの誕生日を祝福してくれた。

「おまえが生まれてきたことに感謝しなくちゃな」
少し深いくちづけの後、片岡が耳元で優しく囁いた。
おれは、今日ほど生まれてきてよかったと思ったことはない。
小さい頃に父親を亡くし、友達のように自由はなかったし、何でおれだけ家のことをしなくちゃいけないんだと、兄弟の中でいちばん早く生まれただけでこんなにしんどい思いしなくちゃならないんだと、そう思ったこともあった。

けど、今は感謝している。
そのおかげで明倫館へ進学し、片岡と出会い、こうしてともに過ごすことが出来る。

こんなにも愛されている。
そして、おれも・・・愛している。






「ハッピーバースデー、亮」





電波に乗った、ケータイ越しではない、ナマの声に、心がざわざわと騒ぐ。
「なんか、英語だと気障っぽくねえ?」
気恥ずかしさを紛らわすために、冗談ぽく応えると、「じゃあ・・・」と片岡は息を吸い込んだ。





「18歳の誕生日、おめでとう。亮」





眼鏡のレンズという覆いがない、少し茶色がかった瞳に見つめられ、少し素直になりたくなった。





「ありがと、峻哉」





めったに言わないお礼の言葉と、片岡の名前。
ほんの一瞬驚いたようだったけれど、すぐにいつもの片岡に戻った。
「―――なんだ?やけに素直じゃんか・・・もう何もプレゼント出ないぜ?」
茶化されて、かあっと照れが襲ってきた。
「んだよっ!もうぜってー言わねえ!」
ベッドに並んで腰かけていた片岡の隣りから身体を離そうとしたのに、すぐにつかまえられ、抱きしめられる。
「うそだって!おれは素直じゃないおまえも好きだけど、たまに本音を漏らしてくれるおまえも好きなんだ」
「放せってば!」
なんて言いながらも、すっぽりこいつの腕の中におさまっているおれ。
ほんと、居心地いいんだ、ここは。






「放さない・・・これからもずっと・・・放さない・・・・・・」
甘い甘い囁きに、おれはうっとり目を閉じた。
ただ、片岡のぬくもりを感じていたくて・・・・・・





***       ***       *** 





しばらくして、片岡は帰っていった。
かっこいいを連発する弟たちに、自慢したい気持ちを、ぐっと堪えた。
いくら何でも、言えねえだろ?
あいつはおれのコイビトなんだ、なんて!

こいつら、どう思ってるんだろう?
担任でもないヤツが、こんな夜に、しかもおれの誕生日にわざわざ家までやってくるだなんて・・・
いつかはバレるかもしれない。
けど、それもいいかな・・・なんて思った。

こいつらは、理解してくれるかもしれない。
なぜなら、おれの自慢の弟たちだから。

それに、片岡なら、こいつらは認めてくれるかもしれない。
なぜなら、おれの自慢のコイビトだから。

ジーンズのポケットに、片岡からもらったカギを感じて、おれは思った。
明日、早速マンションに行ってやろう。
そして・・・お礼にメシでも作っておいてやろう。

おそらく、笑顔でおかえりなんて言えないけれど、それでも片岡はおれを抱きしめてくれるに違いない。
ポケットの中で幸せの音が微かに響いた。



 

〜Fin〜












back next novels top top