夏のかけら
 その八








ふと目が覚めると、まぶしい光が飛び込んできた。
そして隣りには、額に汗を浮かべた片岡。
咄嗟に手を伸ばし、その額にふれると・・・とにかく熱かった。
びっくりして飛び起きると、時計を見た。
どうやら眠ってしまって二時間ほど経ってしまったらしく、10時過ぎだった。

繋がれた手には、先ほどのような力はなく、なんなくほどかれたことに、さらに不安は増してゆく。
洗面所でタオルを濡らすと、額の汗を拭いた。
すでに薬局は閉まっているだろうと、フロントに相談すると、洗面器に冷たい氷水を持ってきてくれた。
病院に行きましょうか、お医者様を呼びましょうかというフロント係を丁重に断ると、いつでもお声掛けくださいとあっさり辞した。
客の意思をいちばん尊重してくれるその心遣いが、おれを冷静にさせてくれた。

たぶん病気ではない。
疲れがたまっているだけだから、汗をたくさんかいてたくさん眠ればすっきりするはずだ。

早速用意された氷水でタオルを絞り、額に乗せると、ひんやりした感触で気がついたのか、片岡がゆっくり目を開けた。
「どう?大丈夫?苦しくない?」
汗で額にひっついた前髪をかきあげながら、いつもより光の弱い瞳を覗きこむ。
「身体が熱いけど・・・大丈夫だ・・・・・・」
掠れているけれど、はっきりした口調に、おれは安心した。
「亮・・・」
小さな声で呼ばれて、少し顔を寄せた。
「ん?」
「ごめんな・・・せっかく連れてきてくれたのに・・・こんなことになっちまって・・・」
肌を撫でる熱い息が、片岡の体温の高さをおれに伝える。
「初めておまえが・・・計画してくれたのに・・・ほんと・・・・・・」
苦しそうな息づかいと、思いつめたように閉じられた目が、おれの心を震わせ、切なくさせる。
「ば、ばかっ!何言ってんだよ!いらない気をつかうなよ!」
「けど・・・」
「それなら謝るのはおれの方だろ?疲れてるのにも気付かず連れまわして・・・最低なのはおれじゃん・・・」
「亮・・・」
「でも嬉しいんだ・・・あんたが具合悪くしてんのに不謹慎かもしれないけど・・・おれの前でこういうとこ見せてくれることがさ・・・」
もし家で同じ状況に陥っていたならば、片岡はおれに迷惑をかけまいと、不安がらせまいと、いつものように振る舞い我慢して、さっさと自室に閉じこもっていたに違いない。
おれを近づけまいと、仕事があるから自分の部屋で寝てくれなんつって。
そして、ひとり苦しい夜を過ごし、次の朝には何事もなかったかのように、あっけらかんとおれの前に姿を現すのだ。
もしかすると、そんなことが今までにもあったのかもしれない。
おれが気付いていなかっただけで。

けれど今回は、旅先ということもあり、片岡には逃げ込む場所がなかったのだ。
「おれのこと、もっともっと頼ってくれよ。あんたの面倒くらい見れるんだぜ?なんてったって、弟たち三人を育てたのはおれなんだからさ」
額からタオルを取り上げると冷水に浸してギュッと固く絞り、再び額に乗せてやる。
「だから・・・ゆっくり休んで?いっぱい汗かいたら熱も引くから。きっと朝には気分もよくなるよ」
掌で頬を包み込むと、親指でくちびるにふれてみた。
いつもしっとりしているくちびるは熱のせいか、水分を失ってかさかさだった。

顔を近づけるとくちびるを寄せる。
いつもと違う感触に、潤いを与えるために舌で舐めてみた。
答えるように間から差し出された片岡の舌先に、自分のそれで少しだけふれると、灼熱の太陽のようにどろどろに熱かった。

深くならない程度に絡め合うと、身体を起こした。
「そんなキスされたら、普段なら押し倒してるのに・・・さすがに今日は無理みたいだ・・・」
「バカなこと言ってないで・・・ほらほら、ゆっくり休んで?あんたが眠ったらおれも眠るからさ・・・」
「ん・・・・・・」
やはり苦しいのだろう。
荒く深い呼吸を繰りかえし、そのまま何も言わなくなった。

なかなか寝顔を見れないとぼやいていたけれど、こんな寝顔はそう何回も見たくないと思う。
その反面、おれの前で無防備に眠る片岡が、かわいくて愛しくてたまらない。
今日だけは、おれの方が年上になったみたいな、不思議な庇護欲みたいなものがおれを支配していた。
本当なら、買ってきたバースデーケーキを切り分けて、おめでとうっていいながらケーキを食べて、そのあとはおれまで食べられてしまっていたのだろうが、こんなシチュエーションも悪くない。
これはこれで、片岡にとっては思い出のバースデーになるはずだ。
苦しそうに息を荒げる片岡には悪いが、おれは幸せを噛みしめていた。
愛する人と共有する時間は、それがどんな時間でも幸せな時間なのだ。
恋愛に永遠はないという考えは悲観的かもしれないが、だからこそ一瞬たりとも無駄になんてしたくない。
思い出をつくる・・・それは未来の別離を予感させる行為だとおれは思う。
もしそうなった時に、たくさんの思い出にしがみついて生きていこうとは思わないけれど、それが生きる糧になるならば、思い出作りも悪くない。
今日見た凌霄花のように、自分が輝いた後は新しい蕾に全てを託す。
そんな潔い人生もまた一興だ。

蓮の開花音を聞けないのは残念だけれど、明日、こいつの気分がよくなったら、相模湾の見える海岸か、あるいは涼のとれそうな山添の公園で、あのおいしそうなケーキを食べよう。
これからも・・・一緒にいる時間を大切にしような・・・峻哉。
早く熱が下がりますようにと願いながら、おれは大好きなその寝顔を見つめていた。


〜Fin〜






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