夏のかけら
 その壱








8月8日。日本人の好む数字がふたつも並ぶ縁起の良い日。
おれのパートナーである片岡がこの世に生を受けた日である。
この日の朝は、毎年おれに安堵と幸せを与えてくれる。
今年も隣りで一緒に祝うことができると・・・・・・
付き合い始めて初めての片岡の誕生日は、初めて家族にウソをついて、初めて旅行にいって、初めて抱き合った日だった。



それから数回。
まるでひとつの区切りのように、片岡の誕生日を待ちわび、そして何事もなくその日を迎えることができるとホッとする。
そして、今年も・・・



毎年、その日が近づくとおれは片岡に何が欲しいかと尋ねるのだか、ヤツが自分の希望をおれに言うことはない。
いつだって「なんでもいい」とか「成瀬が考えてくれ」と誤魔化される。
おれはどうせなら欲しがっているものをプレゼントしたいだけだと食い下がると「じゃあおまえはおれがプレゼントしたものが気に入らないのか」なんて切り返され、おれはグウと黙り込んでしまうのだ。

今年も例に漏れず、そういうやりとりがなされ、おれは考え込むハメになる・・・はずだったが、さすがのおれも毎年そんなことを繰り返すほどバカではなく、数ヶ月前からバッチリ考えていたのだ。
今まで数回旅行をしたけれど、すべて片岡が計画し片岡が手配した。
そしてもちろん費用も片岡持ちだった。
高級旅館や高級ホテル、老舗料亭など、おれなんか一生できないような体験をさせてくれた。

そういう時、育ちの違いを見せ付けられるようで、少し悲しくなるけれど、それでもおれは素直に片岡の好意を受け入れる。
そのほうが片岡も喜ぶし、おれ自身も楽しめるから。

だから、おれは一度片岡を旅行に連れて行きたかった。
何から何まですべておれが計画し、片岡を喜ばせたかった。



毎年悩むプレゼントが早々と決まり、おれは俄然張り切った。
まずは、足が必要だと教習所に通い始めた。
もちろん片岡には内緒である。
車は二ノ宮にでも借りればいい。

行き先は鎌倉に決めた。
遠からず近からず、おれの拙い運転でも何とかたどり着けそうだった。
観光するもよし、ゆっくりするもよし。
片岡の別荘がある軽井沢に似た、古いものと新しいものがバランスよく混在する、シックな街である。

本当は黙っておきたかったのだが、旅行となるとそうはいかない。
片岡の都合が悪ければ全てがおじゃんになってしまうのだ。




















「もうすぐさ〜あんたの誕生日じゃん」
その日まで数週間という夕食後におれは切り出した。
「そうだっけな〜」
「そうだよ!自分の誕生日も覚えてないなんて、大正生まれのじじいと一緒だぜ?」
こいつは自分のことに関心がないのか、毎年おれが言い出すまですっかり忘れている。
おまけに広げた新聞から顔を上げずに適当に返事をするから、おれはバサリと新聞をひったくって折りたたみ、ソファに投げ捨てた。

「人の話を聞くときは顔上げろよ!」
「悪い悪い。で、なに?」
顔を上げろと言ったのはおれだけど、いざ正面から真っ直ぐ見つめられると急に照れが襲ってきて、おれは視線を外した。
いつまでたってもこいつの視線に慣れることができない。
見つめられると視線を外すのは決まっておれの方だ。

「あのさ・・・」
突然歯切れが悪くなったおれを、いぶかしむ様な表情を浮かべた片岡が心配そうに見つめていた。
そして気がついた。
おれからこいつを誘うなんて初めてなんじゃ・・・ないか?
なぜだかいつも、おれが興味を持ったことを片岡は知ってか知らずか、おれが言い出す前にアクションを起こす。
買い物がしたいなあと思っていたら、休みの日に連れ出してくれるし、映画が見たいと思っていたら、前売り券を買ってくる。
食事にだって、そろそろ作るのにも飽きたなあと思っていたら、外食に連れ出してくれる。
まるでおれの心に探知機を仕掛けているかのように、おれの心を見事に読み取ってしまうのだ。

だから、おれが誘いをかける必要が一度もなかったという、奇蹟のような生活をしてきた。
「なんだ・・・?」
さすがに今回はおれの言いたいことに検討もつかないらしく、探るような視線をおれに投げかけてきた。
「あんたの誕生日、おれにくれる?」






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