にがつじゅうよっか






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「別にさ、アンタがどこの誰からこんなモンもらおうとオレには関係ないんだけどさ」
関係ないなんて言ってる割にはそっぽを向いてこちらを見ようともしない。
「せっかくだし食べちまえば?これって行列ができるって評判の店だろ?このチョコレートだってずいぶん前から予約しないと買えないって―――」
「へ〜よく知ってるな」
「そ、そんなの、雑誌にだって載ってるし!そ、それに、に、二ノ宮が言ってたし!!」





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バレンタインデーの夜のリビングで。
おれと対峙しているのは、同居している恋人の成瀬。大学1年。
昨年までおれと成瀬は教師と生徒という関係だった。
2年越しの片思いが実り、世間に隠れた付き合いが始まった。教師と生徒という関係だけでも批判を受けそうなものなのに、加えておれたちは同性同士だ。
こそこそした付き合いは性に合わないし悪いことをしているとも思っていなかったが、この関係を守るためならばと1年間我慢した。
片思いだった2年を思えば短いものである。
我慢したと言っても、それは気持ちを表に出すことをであって、欲求を我慢したわけではない。
教師失格かもしれないが、おれは後悔していない。
求めあうことがそんなに悪いことだとは思わないからだ。
もちろん成瀬が嫌がればおれは手を出すことはなかっただろう。
昨年成瀬はめでたく卒業し、そのまま同居生活へとなだれ込んだ。成瀬の家庭環境とおれの住居環境も功を奏して、スムーズにことは運んだ。
おれたちの間にはトラブルはほとんど起こらない。お互いがお互いを大事に思っていることは理解し合っているし、たまに勃発するプチ闘争も、愛し合っているからこそ、なのである。今回のように。
成瀬は、恋人にべったりと甘えるタイプではない。それは育ってきた環境によるるものだろうが、歳の割にはしっかりしているし、おそらく一人でも生きていけるタイプだ。
まっすぐな性格をしているくせに、甘えるのが下手で素直じゃない。
今まで関係をもったオンナは、甘えたがりで媚を売るのが得意そうなヤツらばかりだったから、ある意味とても新鮮だ。
もちろん成瀬は女じゃないから、違って当たり前なのだが。
そしておれは成瀬のそんな不器用な性格をとても気に入っているし、愛して止まないのだ。










で、現在の状況なのだが。
もとはといえば、おれがバレンタインのチョコレートをもらってきたことに起因する。
男子校なのだからおれが生徒からチョコレートをもらう確率はゼロに近い・・・はずなのだが。
いや、男子校だからこそなのだろうか。
赴任以来毎年この時期になるとチョコを持ってくる生徒がいた。
しかし、成瀬という想い人ができてから、受け取らないことにしていたし、成瀬もそのことを知っている。
だからおれはもらってきたチョコを隠すことに決めたのだ。
今日は成瀬もバイトだと言っていたから、成瀬が帰ってくる前になんとか処分しようと、隠しもせずに帰宅したのが間違いだった。
リビングのソファの上に放置したままシャワーを浴びていたら、その間に成瀬が帰宅してそれを見つけてしまったのだ。
悪いことは重なるもので、チョコレートの贈り主の名前が書かれたメモが、小さな紙袋から顔を出していたのだ。
贈り主は・・・男子校の明倫館で可愛いと評判の2年生男子だった。
成瀬の在学中からその男子は有名人だったから、おそらく成瀬も相手が誰なのわかったのだろう。










おれはその2年男子からかなりの熱い視線を受けていた。
その態度に気付いたのは成瀬が卒業してからだ。
それまでおれは成瀬のことしか見ていなかったし考えていなかったから、気付くのが遅かっただけなのかもしれない。
彼の数学の授業を受け持っていたから、質問にくれば断れないし、おれが担当する委員会に彼は所属していた。
学食で昼飯を食っていると何気なく隣の席をキープする。
だからと言って必要以上に会話を迫るでもなく、緊張しているのが伝わってきた。
そのうち、ちょっとした有名人である彼の、おれに対するアプローチは全校生徒の周知するところとなった。
誰もが彼に関心を抱いていたし、おれに対する気持ちは誰が見てもバレバレだったから。
彼がただの迷惑も顧みない、無神経な男だったのなら、たとえ生徒だって容赦しない。ずうずうしく高慢なヤツはおれの中では最低の最低ランクに位置するのだから。
しかい彼は違った。
遠慮がちに恥ずかしそうにおれに接してくる。
昨今の高校生にはない素直さは、ある意味好感が持てる。
生徒としては申し分ない。
ただしそこに恋愛感情が含まれることが厄介なのだ。
一度昼食の席をともにするのを断ったことがあった。
きちんと言ってやらないといけないと思ったのだ。
おれの一言に彼は俯いた。トレイを持つ手が震えていた。可哀想だと思ったがそれがおれの優しさなんだと言い聞かせた。
そしたらどうだろう。その状況を固唾を呑んで見守っていたらしい周りの生徒が騒ぎ出したのだ。おれは生徒に取り囲まれ、もちろんそれは針のむしろだった。
『先生酷ぇじゃないか』
『隣り空いてるんだから別にいいじゃん、なぁ』
『変に意識しすぎじゃねえの?』
そこにまた当の本人が『ごめんなさい。先生の邪魔しちゃったみたいですね』なんて言うものだから、さらに周りの非難が酷くなる。
計算じゃないのか、と思うくらいに健気な態度だが、本人には全くそんな意識はないようだった。
仕方なくおれは隣りのイスを引いてやったが、ぺこりと頭を下げると遠く離れたテーブルにトレイを置いた。
それからおれへのアプローチはぴたりとなくなった。
授業には真剣に取り組んでくれたが、個人的に質問には来なくなった。
学食でも近くの席を選ぶことはなくなった。
ほっとしたのと同時に少し淋しく思ってしまったことは成瀬には内緒だ。
聡明な子だったから、おれの意図をきっちり汲んでくれたのだろうと理解した。
ただ、時折、遠くから視線を感じることはあったけれども。










そして今日のバレンタインデー。
数学準備室に彼がやってきたのだ。
そして紙袋をおれに差し出した。
中身は確認せずともわかる。
おれは受け取れないと断ったのだが、彼はこれで最後だからと懇願した。
先生に恋人がいることは知っているから、気持ちを押し付けるつもりはないと、断固として引かなかった。
断らないと今までのことは全部意味がないだとわかっていながらも断れなかったのは、彼の目が潤んでいたからだ。
生半可な気持ちじゃない必死さが伝わってきて、どうしてもその気持ちを無下にできなかった。










初めての本気の恋が実ったのは奇跡だ。
多少強引だったことは認めるけれども、おれは必死だった。
もし成瀬に恋人がいたとしたら、おれはどうしただろうか。
そんなことがふと頭をよぎり、自分と彼とを重ねてしまう。
もしおれが彼からのチョコを受け取らなかったら、彼の心にどんな傷を残すのだろうか。
一生懸命涙を堪える彼を目の前にして、おれはどうしても断り切れなかった。
以前のおれならバッサリと切り捨てていただろう。
おれは成瀬と出会い、成瀬に恋をして、恋愛に対しての価値観を変えられてしまった。
人を好きになる気持ちを止められないことを知ってしまったから。





*****   *****   *****





「よかったじゃん。柿平ってあいつだろ?おれの2コ下のやつ。人気あったもんな」
買ってきたらしい食材を冷蔵庫に詰め終わると、お米を研ぎ始める。
「小さくてカワイイし。知ってる?性格も見たまんま、カワイイんだってさ。二ノ宮情報だから間違いない。あいつよく褒めてたもんな」
米を研ぐ手つきが荒っぽいのか、ガタンガタンとシンクが音を立てている。
おれはソファに座って成瀬の背中をずっと見ていた。
「アンタだってガタイのいいヤツだったら引くだろ、さすがに」
口数の多いときの成瀬は自分の感情を抑えて隠しているときだ。
最初は拗ねたような口調がかわいくて、こちらも揶揄い口調になってしまったが、背中を見ているとじわじわと罪悪感が湧いてきた。










もっと早くに処分しておけばよかった。
圭にでもやれば、嬉々と受け取ってくれただろう。
紙袋から有名店のものだとすぐにわかるのだから。





それとも成瀬に隠そうとしたのがそもそも間違いだったのか。
成瀬はいきさつを知らないのだから、重くとらえずに「これ、学校でもらってきた」と笑って報告すればよかったのだろうか。
そうすれば成瀬だってさらりと流してくれたかもしれない。
いや、そうだろうか。
おれだって成瀬が誰かにチョコレートをもらってきたらば、成瀬が相手に何の感情もいだいていなくても、相手にとってそれが本命チョコならがいい気はしない。
だから処分しようと思ったのだ。










炊飯器をセットすると、やっと成瀬はリビングにやってきた。
そしてソファに置きっ放しだった紙袋を手に取ると、おれの前に置いた。






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