素敵な雨降り



第一話





「早いけど今日はもう上がっていいよ、お疲れさん」
「あっ、はい」
オヤジさんに声をかけられ、時計を見れば、いつもより30分以上も早い。
今日は片岡と約束をしているから、できればいつも通りの時間に上がりたいところだったが、1時間ほど前から降りだした雨のせいか客足がぱったり止まっていた。
おれがここにいることによって、どんなにヒマでも賃金が発生するのだから、そうワガママは言えない。
約束の時間までどうしようか、考えをめぐらせながら帰り支度を整えていると、ほら、と白いビニール袋が差し出された。
「今日は早じまいするから。これ持って帰ってくれ」
受け取った袋はどっしり重く、中を覗けばフライや和惣菜、サラダまで入っている。
「こんなにたくさん、いいんですか?」
「まさかこんな土砂降りになるとは思わなかったからな。あまりもので悪いけど、弟さんたちと処分してくれ」
じゃあ、と財布をとりだそうとしたおれに、オヤジさんはあまりものだから持って帰れとぴしゃりと言い放ち、厨房へと消えていった。
「亮くん、いいからいいから。早じまいするのはこっちの勝手なんだし。お疲れ様」
おばさんにもそう言われ、おれは頭を下げ挨拶をすると、通用口から外へ出た。





さて、あと30分どうしようか・・・・・・
こんなところにいると、オヤジさんたちに見つかって気を使わせてしまう。
仕方ない、近くのコンビニで立ち読みでもして時間を潰そうと、安物のビニール傘を広げ、降りしきる雨の中へと踏み出した。
傘に当たる雨粒の衝撃が腕に伝わり、おれは肩をすぼめた。
小さな傘を伝う雫と、アスファルトに当たって跳ねる水滴が、制服を湿らせてゆくのを感じ、とにかく屋根のある場所へ移動しようと、裏道から表通りへと急いだ。
コンビにはここから歩いて5分の駅前にある。
天気のいい日ならばまったく厭わない徒歩5分の距離も、この大雨では億劫な距離に思えたが、それ以外に屋根のある場所なんて思いつかなくて、小さな傘だけを頼りに歩を速めようとした時だった。
「成瀬ッ!」
聞き覚えるある声に呼ばれ振り返れば、黒いビートル。
不意をつかれて立ち竦むおれに、窓から顔を覗かせた片岡が叫んでいた。
「何してるっ、早く乗れ!」
雨が降るのも気にせず中から開けられたドアに小走りに駈け寄ると、助手席に身体を滑り込ませた。
屋根のある場所にホッと一息ついたものの、水滴が滴り落ちる傘が車内を濡らすのが気になってしまう。
親父が死んでからというもの、自家用車に乗ることなんて滅多にない。特にこんな雨の日は濡れた傘をどうすればいいのかわからないのだ。
どうせ安物のビニール傘だ。ガードレールにでも引っかけて棄て置いてしまえと、もう一度外に出ようとしたら、横から伸びてきた手にひょいと傘を奪われた。
代わりに手ざわりのよいタオルが渡される。
「風邪引かないように、ちゃんと拭くんだぞ」
片岡は濡れた傘を後部座席に放り投げると、車をゆっくり走らせた。
お坊ちゃま校である明倫館の制服は、それなりにカネもかけられているから、もちろん撥水加工は施されているが、さすがの大雨に布地に染みこんでゆくのを、渡されたタオルで丹念に拭った。








お試し期間の一ヶ月を経て、結局おれはこいつと付き合うことになった。
告白された時には、あまりに唐突で、同じオトコからの告白、しかもそれが見知った教師ということで、ただただ驚くばかりだったが、今考えれば嫌悪感なんてひとつも湧き上がらなかった。
圧されては引かれ、うまく釣り上げられた感は否めないが、やはりおれ自身も片岡に特別な感情を抱いていたのだろうと思う。
そして二週間。
何だかんだとほぼ毎日、こうやって時間を作っては会っている。
学校以外の場所で。

おれのバイトの日は、上がる時間に合わせて片岡が待っていたり、バイトのない日にはおれがマンションを訪れたり。
いい歳したおれに門限なんてあるわけはないが、家では弟たちが待っているから早く帰らざるを得ない。
だから、バイトのある日はほんの数十分、バイトのない日でも片岡の帰宅が遅かったりすれば1時間にも満たないくらいだ。
しかし、今日は違う。
弟たちが揃って市の企画する天体観測会に出かけてしまったのだ。
突然の雨で中止になるかと思われたが、問い合わせてみれば雨天時にはそれなりのイベントがあるとのこと。
おかげで今日は少しばかりゆっくりできそうだった。
「どこか行きたいところあるか?」
突然問いかけられ、おれは慌てた。
「べ、べつに。だいたいこんな時間に行くとこなんてないんじゃねえの?てか、アンタ、それくら考えとけよ」
あ〜またやってしまった・・・・・・
ほんとはこんな風に気を使われることがくすぐったくて嬉しいくせに、そういうことに慣れてないことと生来の気質でどうしても素直になれない。
「じゃ、適当にその辺走るか」
そういうと片岡も黙り込んでしまった。
一段と強くなった感のある雨音が車内に響き、カーステから流れる音楽の邪魔をする。
チラリと片岡を見やれば、じっと前方を見つめてハンドルを握っていた。
湿ったタオルを握りしめ、おれは小さなため息をつく。
約束の時間より30分も早かったのに、すでに待ってくれていた片岡。
用意されたフワフワのタオル。
コンビニまで歩こうと決めた雨の中、予期せぬ片岡の声を聞いた時には嬉しくて、迷子になった子供が母親と再会したときのような心境だった。
今日の約束だって、実はかなり楽しみにしていたのだ。
「店、早く終わったのか?」
片岡が沈黙を破ってくれたのをコレ幸いと、おれも慌てて口を開く。
「あ、この大雨じゃん?客が途絶えちまってさ。アンタ、早く来てくれてて助かったよ」
案外すんなり素直なキモチが零れて自分でもびっくりしてしまった。
「好きなヤツを待つ時間って楽しいからな。家でじっとしてるよりもよっぽど有意義だ。こうやって少しでも長い時間一緒にいられるなんつう特典もあったりするしな」
どうしてこいつはこういうことをしれっと何でもないことのように言えるのだろう。
『好きなヤツ』
そんな言葉が片岡の口から出ただけでおれの心臓は跳ね上がる。
何しろこういう類の言葉に免疫がないのだから仕方がない。
「そ、そ、そんな調子いいこと言ってっけど、どうせヒマなだけだろ?そんなヒマあったら授業の準備でも何でもしとけってんだ」
あ〜もうおれってどうしてこうなんだ???
ホントは飛びつきたいくらいに嬉しかったのに・・・・・・
「そうだな。もうすぐテストだし、そうしとけばよかったな」
なんて言いつつも、片岡は微かに笑みを浮かべている。
こいつはすべてお見通しなのだ。
おれの嫌味がただの照れ隠しだってこと。
それはそれで何だか恥ずかしいのだが。
しばらくして、片岡が車を止めた。






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