christmas serenade







第十三話






ベッドサイドの明かりを灯すと、隆弘は疲れきって眠ってしまった凛の安らかな寝顔を眺めた。
猫のように丸くなって、毛布をキュッと掴んですうすう寝息をたてている。
あまりに愛しい生き物に、隆弘はそっと指先を伸ばすと、汗で少し湿った髪にそっと触れた。
夜道で凛の涙を見たとき、隆弘は驚きのあまり、一瞬どうしていいのかわからなかった。
どうしてか、出会った時から、何があっても凛は泣かないんじゃないだろうかと漠然と思っていたのだ。
たとえば悲しい別れの瞬間でも、凛は笑ってさようならと言うんじゃないかと思っていた。
だから、予想外の涙に・・・隆弘は自分が簡単に凛を傷つけることができる存在なんだと悟った。
それは、凛の隆弘への想いがかなり深いことを示しているのだから、隆弘にとっては喜ぶべきことなのだが、隆弘はもう凛を泣かせたくないし、悲しませたくない。







そして、隆弘は新たに発見したことがある。
隆弘の想像以上に、凛は心にたくさんの傷を持っていて、それらはまだまだ癒されていないということだ。
母親に捨てられたこと、施設で育ったこと、それらを凛は正直に話してくれた。幾分辛そうであったが、夢に向かって進んで行くその姿を見て、すっかりそれらを受け入れて消化しつつあると思っていた。
しかし、それは隆弘の勘違いだったのだ。
泣かないのは弱さを見せたくないからで、遠慮深いのは鬱陶しがられたくないからだ。
身よりもなく、頼る人もなく、たったひとりで生きていかなければないないと考えている凛の、自己防衛の表れなのだ。
凛は素直で優しい性格の持ち主だ。
容姿だって人並み以上だし、もっと自分に自信を持ってもいいはずだ。

普段の凛は堂々としていて世間になんて負けないという気力に溢れているが、肝心な部分では最後の最後、自分を蔑み一歩引いてしまう。
今日凛が言った言葉は全て、そこから来ているのだと隆弘は分析していた。
凛の生い立ちがそうさせるのだと思うと、隆弘は胸がしめつけられ、苦しいほどの悲しみに襲われた。
おそらくそれは・・・凛の中から一生消えないだろう。
隆弘がどんなに深く凛を愛しても、凛が隆弘の愛を全面的に信用してくれる日は来ないかもしれない。
それは、本来いちばん愛されるはずの両親に捨てられた、凛の性だ。
だから今日、隆弘は凛を抱いた。
ぬくもりを分かち合うことで、身体を繋げることで、凛が隆弘の愛を感じてくれるのなら、セックスなんていくらだってしてやる。情熱的で、魂を注ぎ込むような快感を凛に注ぎこんでやる。
もちろん今日、凛は拒まなかったし、むしろ喜んで隆弘を受け入れた。
そういえば・・・と隆弘は記憶を辿る。
気持ちが通じ合ったクリスマスイブの日、凛は隆弘を誘ったのだ。
『泊まっていきますか』と。

隆弘が驚きの表情を見せると、嫌わないでと縋り付いていた。
おそらくあの時から凛は身体ごと愛されることを望んでいたのだ。あの言葉は凛の本心だったのだ。
かっこつけて、急がないなんて理由をつけて、凛をひとり置いて帰ってしまった自分に、今では呆れるしかない。
パン屋になるという夢を叶えてひとりで逞しく生きていくんだと口ぐせのように言っていた凛は、本当は人一倍愛に飢えた人間だったのだ。
ぬくもりが欲しい、愛されているという実感が欲しい、愛情に飢えているからこそそういう想いが強いに違いない。
もしあの時抱き合っていたら・・・隆弘宛のチョコレートを見ても凛は笑って流してくれただろうか。
お返しが大変だね、そう言って自分のチョコレートをすんなり差し出しただろうか。
ぼくにもお返し頼むよ、なんて言いながら・・・・・・







そんなことを思い浮かべて、隆弘はすぐに否定した。
いや、きっと何回抱き合っても、凛は隆弘を独占しようとしないだろう。
愛されたいのに愛されるのが怖い、いつだって逃げ道を作っているのだと、さっき認めたばかりじゃないか。
どうやらぐるぐると同じ思考が回っているようだと、隆弘はベッドを抜け出すと、キッチンへと向かった。
冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、そのまま口をつけてゴクゴクと喉を潤す。
フーッとため息をついたときだった。
「た、隆弘さんっ!」
切羽詰ったような声の持ち主に何かあったのかと、慌てて寝室に戻る。
「凛っ、どうした?」
ベッドサイドに駈け寄ると、泣き出しそうな顔の凛が腕を伸ばしてギュッとしがみついてきた。
「凛・・・?」
抱き返すと、髪を、背中を優しく撫でてやる。
「た、隆弘さん、いないから・・・どっか行っちゃったのかって・・・・・・」
隆弘は改めて、凛の中に潜む自分の存在の大きさを自覚した。
「ごめんごめん。喉渇いたから水飲んでただけだ。おれはどこにも行かない」
しばらく抱いていてやると、凛が身体を離した。
「ごめんね。ここ隆弘さんの家なのに、いなくなるわけないよね」
子供みたいで恥ずかしいという凛を、ベッドに寝かしつけると、小さなキスを落とす。
「おれの家でもどこでも、おれは凛と一緒にいるよ。凛が好きだから・・・」
そのまま隣りに潜りこむと、凛が身体を寄せてきた。隆弘は腕を伸ばし、細い身体を抱きこむ。
素肌に触れたいのに触れられない、パジャマを着込んだことを後悔した。
「暑くない?」
遠慮がちに凛が尋ねる。
「冬なんだからちょうどいいよ」
「それじゃあ・・・夏になったら一緒に眠れないね」
「夏になったらクーラーガンガンにかけて抱き合って眠ればちょうどいいさ」
ずっと一緒にいてくれるつもりなんだと考えただけで、隆弘の心はガラにもなくときめく。
「ずっとこうしててやるから・・・ゆっくりおやすみ、凛」
もぞもぞと身体を動かし、気持ちの良い位置を探し当てた凛は「うん」と小さく返事した後、呟くように言った。
「おれも、隆弘さんのことすごく好き。隆弘さんが、おれのこと、ずっと好きでいてくれたらいいな・・・・・・」
凛の切実な願いを、隆弘は全身で受け止めた。
これからも、凛は些細なことで傷つき悩むだろう。隆弘の想像以上に、凛は脆く繊細だ。
そして、どんなに隆弘が気にしないと言っても自分の生い立ちを蔑み、どんなに興味がないと言っても隆弘の周りのオンナに遠慮するのだろう。
隆弘も凛も、二人の世界で生きているわけではない。ふたりっきりの世界で生きていけたら、たがいのことだけを考えながら毎日暮らしていけたらどんなに幸せだろう。
しかし、そんなことは叶うはずがないのだ。
今、隆弘は会社の組織の一員として、凛はパン屋の店員として、しっかり社会に組み込まれているのだから。
だから、おそらくこれからも困難にぶち当たるだろう。
隆弘が凛をどんなに愛していても、凛は隆弘に捨てられるんじゃないかと、不安を抱き続けるかもしれない。
それなら・・・と隆弘は思う。
愛してるなんて陳腐な台詞だと思っていたが、凛が望むのなら何度だって囁いてやる。
不安を完全に消せなくても、薄くすることは出来るかもしれない。
セックスなんて性欲の捌け口だと思っていたが、凛が望むなら何度だって抱いてやる。
肌の温かさや快感をもたらす愛撫が、愛の証になるのなら。
まさか自分が愛に溺れるなんてな・・・・・・
甘くくすぐったい気分に酔いしれ、凛の身体を抱きしめながら、隆弘は目を閉じた。
心地よい充実感と幸せの余韻に、隆弘は久しぶりに安らかな眠りについた。



 

〜おしまい〜


















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