christmas serenade






<side TAKAHIRO>
その1








「くそっ、一体なんだっていうんだ!」
受話器を叩きつけて、隆弘はひとりごちた。
乱暴に椅子に座りなおすと、再びノートパソコンの画面に視線を戻し忙しなくキーボードを叩くが、連続してピーというエラー音ばかりが鳴り響き、どうにも先に進まない。
「あー、もうっ」
キーボードから指を離し、そのまま上着のポケットから煙草を取り出すと、火をつけた。
室内は禁煙だけどかまうものか。どうせ隆弘ひとりしか残っていない。
白い壁にかかった時計の針はすでに7時を過ぎていた。
とにかく気持ちを落ち着けようと、紫煙を思いっきり吸って吐き出した。
本当なら今ごろは、とびっきりの笑顔を前に、フルーティーなワインで乾杯しているはずだった。
この日のために、最近評判の、それでいてカジュアル志向でアットホームな、イタリアはナポリ地方の家庭料理を食べさせるリストランテをリザーブしたのだ。
たまたま大学時代の同級生がオーナーシェフだったことも手伝ったのだが。





そう、今日はクリスマスイブ。
キリスト教徒でもないくせに、世間一般の恋人同士と呼ばれる輩は、今日という日をロマンティックに過ごしたがる。
隆弘も、特定の彼女がいるときはそれなりのデートを計画し、相手を喜ばせたものだが、隆弘自身はその特別にカネのかかったデートを楽しんだことはなく、ある意味冷めた感情を持て余していた。
しかし、今年は意気込みが違う。
純粋に相手を喜ばせたい、楽しませたいと思う。そうすればおのずと隆弘自身も満たされた気持ちになれるはず。
クリスマスイブが世間で認知された日であっても、祝日であるわけでもなく、普通に出勤しなければならない。
有給を取ろうものなら、上司に何を言われるかわからないし、同僚の冷たい視線を浴びることになる。
それならいかにしてその日は残業をせずに定時で退社するか、それにかかってくる。
おそらくみんながみんな同じ気持ちなのだろう。
一週間ほど前から、社内の雰囲気は殺気立ち・・・いや活気に満ち溢れていた。
隆弘の勤める会社はOA機器や事務用品を取り扱う販売会社で、隆弘はそこの営業一課に籍を置いている。
主な取引先は結構大きめの商社や官公庁で、入社3年、やっと取引先から信用を得るまでに至っていた。
年末のこの時期は、予算が余っているなら使いきってしまおうという会社が多いらしく、毎年注文数も増える、いわゆるかきいれどきだ。
少数精鋭と言ってしまえばそれまでだが、取引先の数や規模の割りに社員数は少なく、外回り、在庫の確認、メーカーへの発注、納品、それに付随する書類作成などすべてをこなさなければならない。
だから、残業も多いのだが・・・・・・
この一週間、ほぼ毎日残業で、最終電車に飛び乗ることもザラだった。それは隆弘に限られたことではなく、課内全員が、来るべきイブのためにせっせと仕事をこなしていた。
そして迎えた今日、定時の合図とともにみんながそろそろとデスクを整頓し始めた。暗黙の了解で、この日だけは上司もなにもいわない。
むしろ定時退社を奨励するような態度を示すのは、おそらく彼らも早く帰りたいのだろうし、すでに毎年の恒例行事のようになっているから、こちらも気兼ねはしない。
我先にと退社する同僚に混じって隆弘もカバンを手に取ったそのときだった。
一本の電話が鳴り響いた。定時を過ぎると交換を介さず、直接かかってくるのだ。
嫌な予感がした。無視すればよかったと今さらながら悔やまれる。
しかしその場にいた社員の中で、いちばん下っ端の隆弘にみんなの視線が注がれ、やむなく受話器を取り上げた。
真偽の程はわからないが、隆弘の後輩に当たる社員が身体の不調を訴え早退していたためだ。
そして、そのおかげで定時から1時間が経過した今も、ひとりパソコンに向かっているのだ。
用件は単なる伝票の入力ミス。作成しなおして明日の朝イチで持ってきて欲しいということだった。
それなら明日の朝訂正分をプリントアウトすればいいだろうと、担当者にメモを残しさっさと帰ろうとして、明日は朝の数時間、メンテナンスで端末が使用できないことを思い出した。
相談しようとも、隆弘が電話を受けている間に全員退社してしまったらしい。
下手に残っていては面倒を背負い込むことになるだろうと逃げたに違いなかった。
仕方なく、伝票の訂正くらいすぐに終わるだろうと楽観的に考え、担当者に元の資料の在りかを聞こうと連絡をとってみたが、どうしてもつかまらない。
留守電に連絡をくれるようにと言い残し、しばらく待ってみるが何の音沙汰もなく、それなら資料を探した方が早いと家捜しを始めたのだが・・・
なんと他人の書類分類方法はわかりにくいのだろう。
どこを探しても一向に見つからない。たった数ヶ所、入力を訂正するだけの作業なのに、その数値がわからないため、処理できないのだ。
夢中で探すこと一時間、やっと担当者から連絡が入り、用件を説明するとすぐに書類の場所はわかった。
そこで電話を切ればよかったのに、その先輩社員はこう言ったのだ。
『おまえも早く帰れよな。イブに残業なんて一緒に過ごす相手もいないのか?おれはこれから彼女と食事なんだ』
誰のせいで居残っているっつんだよ!!!
と言いたいところをグッと堪えて『楽しんでくださいね』と穏便に電話を切った。
社会人三年目。本音と建前の区別くらいはできる。でないと営業なんて勤まらない。
もちろん、回線が切れたことを確認して、受話器を叩きつけたのだが・・・・・・
とにかくさっさと終わらせてしまわないと!
最後にもう一息煙を吐き出すと、先輩社員の椅子の背もたれの裏側に煙草を押し付け火を消すと、空き缶に吸殻を落としいれ、気合いをいれてパソコンに向かった。
結局入力ミスは数十個所に及び、見直し時間も入れて30分も費やしてしまった。
課内の戸締りをし、エレベーターも待っていられず階段を駆け下りると、警備員に声をかけタクシーを拾うために大通りへと急いだ。





珍しく暖かいイブになりそうだと天気予報では明るく言っていたのに、冷えた空気は容赦なく体温を奪ってゆく。
運良く空車を発見し、その冷たさから逃れるように車内へと身体を滑り込ませた。
おそらく30分弱で目的地に到着するだろう。
それでも悠に2時間の遅刻なのだ。
『ショッピングモールの広場に大きなツリーがあるでしょ?あの下で待ち合わせでもいいですか?』
頬を微かに赤く染めて嬉しそうに提案する凛に、笑顔で賛成したのは隆弘自身だ。
もちろん遅刻するなんて予想もしていなかったし、それはそれでロマンティックじゃないかと、いい歳をしてニヤけてしまったのも事実だ。
どうして強引にでも待ち合わせをどこかの店内にしなかったのだろうと、隆弘は悔やんだ。






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