Aqua Noise







その28






サクサクと砂を食む音が聞こえた。
(観光客かな?)
誰であっても泣いているところを見られるのは恥ずかしい。
帰ろうと立ち上がり砂を払っていたら、人影に遮られる。
男性のシルエットにふと顔を上げ、目を見張った。
「隆弘・・・さん・・・・・・」
思いがけない登場に、凛の表情は引きつった。
「やっと見つけた」
続く言葉が見つからず、凛は隆弘を見上げたまま、固まってしまった。
光源は月の光とそれに照らされキラキラ輝く海、そして窓辺から漏れる明かりのみだ。
ひとりでゆっくり考え事をしたい時、凛はここにやってくる。
寄せては返す波の音が心地よく耳に響き、ほとんど人の通りもないこの場所を凛はとても気に入っていた。
驚きを隠せない凛に、隆弘が微笑みかける。
「どうしても凛に言っておきたいことがあって」
こんなところまで凛を探しに来るなんていったいどんな用事なんだろう。
凛がここにいることは希経由で知ったのだろうか。
わざわざ凛に会うためだけにココに来るなんて信じられない。
「ど、して・・・ここが・・・?」
「凛はここじゃ結構有名なジャパニーズだろ。街行く人に聞いたら教えてくれたよ」
何のために隆弘は凛を探していたのか、全く見当がつかず、戸惑うばかりだ。
いつもは心地よい波の音がひどく大きく聞こえた。
しばらくの沈黙の後、隆弘が口を開いた。
「ずっと心残りだったんだ。あの日のこと」
それでピンと来た。
隆弘はここにハネムーンに来たのだ。
妻と新しい生活を始めるにあたって、けじめをつけたかった。
心に残るもやもやをすべて洗い流して新しい生活を始めるために。
だから凛を探した。
あくまでもハネムーンのついでに会いに来たのだ。
それならそれでさっさと洗い流してしまえばいい。
すっきりして、あの綺麗な女性と仲良く末永く暮らせばいい。
凛もそれを望んでいるのだから。
だが、いざとなると、割り切ったはずの気持ちがざわめき、傷つくことを避けようと、遮る言葉が飛び出しそうになる。
聞きたくない、逃げたいと訴えるのに、凛は動けないでいた。
黙ったままの凛に隆弘は続ける。
「十年前、希とトラブった凛を探して公園で見つけたあの時、真っ先に言わなきゃいけないことがあったんだ」
隆弘が大きく深呼吸する。
「『ゴメン』って。凛が訳もなくあんなことをするはずがないとわかっていたのに。おれは何よりも凛を優先しなくちゃらならなかったのに。凛のことが一番大切だったのに。希を病院に連れて行って家に送っていって、それから凛を探した。その間に、凛はいろんなことを考えたんだろう。凛はいつも自分の気持ちは二の次だ。他人の心をとても大切にする。自分がどんなに傷ついても構いやしない。そんな子だったのに」
どうしてそんな昔のことを言い出すのか。
凛には隆弘の真意が全く読めなかったけれど、もう過ぎたことだ。
隆弘が気に病むことは何もない。
(隆弘さんを・・・楽にしてあげなくちゃ)
それが凛に出来る、最後のことなのだから。
「そんなことない。隆弘さんは何も間違っていない。けが人を優先するのは人として当然のこと―――」
十年ぶりの会話。
するりと思ったことが口から出て、凛は自分でも驚いた。
(おれ、隆弘さんと、しゃべってる・・・)
再会したときの取り繕ったようなものではなく、思いを、気持ちを言葉に乗せる。
だが、自然と出た言葉は隆弘に遮られた。
「あのとき凛はとても饒舌だった。おれが来るまでに何度も繰り返し練習していたかのようだった。今思えば凛の本心じゃないとわかる。だけどあの時はわからなかった。希の意地の悪い仕打ちと、それに全く気付かずに希を甘やかすおれに怒っているんだと」
(違う・・・違うんだよ隆弘さん)
そんな風に思って欲しくない。
いまさらだけど、隆弘に誤解されたままなんて、耐えられない。
「怒ってなんかなかったよ!」
凛は叫んだ。静かなビーチに響く。
「うん・・・そうだね・・・怒ってなんてない。凛は・・・おれにはそういう負の心を見せてくれなかったから」
隆弘の穏やかな声音が、凛をハッとさせた。
隆弘は気付いていたのだ。
人間が必ず持っている感情の醜い部分を隠すことで、凛が社会に溶け込もうとしていたことに。
気にしない、強く生きると言いながら、生い立ちを恥じ、綺麗な部分だけを見せて生きようとしていたことに。
自分の中の劣等感を誰にも知られたくなくて、隆弘の優しさのせいにして、甘えていたことに。
「でもおれには見せて欲しかった。全部。どんな凛でもおれは好きでいられるし嫌いにならないからね。それがわかって欲しかったから凛の要望を受け入れた。無期限といってもそうはかからないだろうと思っていたから」
隆弘が凛の手をそっと握る。
「もう十年だよ、凛」
思いがけない行動に凛はビクッと震えた。

















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