祈 り




神様、どうかぼくに勇気をください・・・

あのひとを幸せにする勇気を・・・・・・




<1>






あのひとに出会ったのは、家の近くの公園だった。
図書館で閉館まで調べ物をしていたその日、ぼくは夜道を急いでいた。
身長もそんなに高くないし、華奢な身体つきに髪もちょっと長めのぼくは、よく女の子に間違えられ、声をかけられたり無理やり車に乗せられそうになることがあった。
だから、なるべく夜遅くならないように気をつけていた。しかし、調べ物に熱中していて、その日は閉館の放送が入るまで全く気づかなかった。
さらに悪いことに、姉にビデオの録画を頼まれていたのを忘れていたのだ。
その約束は、ぼくに普段は通らない公園を横切ることを決定させるに十分だった。
通称みどりの公園は、夜になると不良や暴走族の溜まり場になると評判であるため、日が暮れると誰も立ち入ろうとしない場所だった。
その日は満月で、雲一つなく、月明かりが公園を照らしていた。
ぼくはかばんを胸に抱え、早足で公園内を横切っていく。
すると、ブランコの揺れる音・・・・・・それがぼくの足を止めた。
キーッ、キーッと軋むような音がとても淋しげに聞こえて、なぜかとても気になった。

その音に誘われるように、ぼくは静かに歩を進めた。








みどりの公園と呼ばれるだけあって木々が多いこの公園のブランコは、大きな二本の樹木に守られるように設置されている。
木の陰から様子をうかがってみると、そこにいたのは・・・・・・
ぼくの二つ上の先輩、三上先輩だった。

三上先輩は、学校でも超有名人だ。すらっと背が高くて、手足も長い。真っ黒できれいな髪、形のいい眉、意志の強そうな薄いくちびる、すうっと鼻筋の通った顔立ち。
それなのに、きれいと表現されずかっこいいと称される。
それは、先輩の醸し出す男っぽい雰囲気からなんだろうか?

先輩は軽音部に所属していた。バンドで活動している部員が多い中、先輩は単独で活動しているようだった。
新入生歓迎会のクラブ紹介。先輩はひとりで舞台に立った。
ひと目で目を引くルックスに加え、生み出される音楽に、ぼくたち新入生は飲み込まれた。
細く綺麗な指によって奏でられるギターのメロディは心を揺さぶり、形のいい口から発せられる声は魂を揺さぶった。
ほんの数分のパフォーマンス。
終わった瞬間の割れんばかりの拍手に歓声。
女の子たちの嬌声。
ぼくは、生まれて初めて音楽に感動した。そして、先輩のことを知りたいと思った。
その先輩が、ブランコに揺られながら、何かメロディを口ずさんでいた。
さっきまでは、ブランコの軋む音にかき消されていたのが、今では微かではあるが、聞きとることができる。


どこかノスタルジックで、儚げなメロディ・・・・・・

そして・・・・・・頬に光るのは・・・・・・涙?


ぼくはその涙にどきっとした。だって、三上先輩は、いつだってクールで、堂々としていて、何があっても動じない、そんな人だと思っていたから。
ぼくは、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感でいっぱいになり、足早にその場を後にした。
家に着いて、頼まれていたビデオの予約も済ませて、やっと自室で一息ついたとき、ぼくはポケットに入れていたケータイがないことに気がついた。
図書館を出る時、家に連絡したから、落としたとすればそれより後だ。





まさかあの公園・・・・・・





そうは思ったが、こんな時間に探しに行く勇気もなかった。
ぼくは、変な人に拾われていないことを祈りつつ、朝イチで見に行くことに決め、その日は諦めた。








********************************








次の日、通学前に公園に寄ってみた。昨日の記憶をたどり、ぼくが通った道を忠実に探してみたけれど見つからなかった。
学校で友達に相談すると、自分のケータイに電話してみればいいと教えてくれた。彼は、その方法で落としたケータイを見つけたそうだ。
昼休み、学校の公衆電話から、ぼくは自分のケータイにダイヤルしてみた。
しばらくの呼び出し音の後、プチッと繋がった音。





「―――もしもし・・・・」





そう言った相手の声は、少し低めの、甘い、耳に優しい男性の声だった。

「あのっ、そのケータイぼくのなんです。昨日落としちゃって・・・・・・拾ってくださったんですよね」
その問いかけに、「そうです」とだけ答える男性。
その優しい声に悪い人ではないと直感的に悟ったぼくは、直接会って返してもらうことにした。公園で拾ったから公園で、夕方4時に待ち合わせをすることになった。

午後の授業は、まったく耳に入らなかった。電話の向こうの甘く優しい声が、ぼくの頭の中で響いていた。
帰りがけに友達に呼び止められ、少し時間を取ってしまったぼくは、急いで校門を出た。
息を切らせて公園に駆け込むとジャスト4時。
具体的な場所を指定していなかったため、きょろきょろあたりを見回す。

すると、公園の中心に位置する小さな噴水に腰掛けている、ぼくと同じ制服を着た男の人。





あの人は・・・・・・三上先輩?





立ちすくんでいるぼくを見つけると、いぶかしげに近づいてきた。
「このケータイ、あんたの?」
ストラップに人差し指を引っ掛け、ケータイをくるくる回している。
「は・・・はい、ぼくのです・・・・・・」
ぼくはお礼をいうのも忘れてそういうのが精一杯だった。
昨日あの時落としたんだ。あわてて帰ったから・・・・・・
ブランコに揺られていた先輩を思い出した。
月明かりが照らし出した淋しそうな横顔。光る涙。

あの瞬間、胸がきゅんとなった。先輩と一緒にいたくなった。抱きしめたくなった。
それ以上に、先輩の秘密を見てしまった罪悪感が襲ってきて、そそくさとその場を後にしたんだけれど。
でも、今ぼくの目の前にいる先輩は、昨日とは別人の、ぼくがよく知っている、かっこいい三上先輩だった。
ぼくは戸惑いを隠すのに必死だった。
「そっ、じゃ返す。はいっ!」
ぼくの手首をつかみ、指を開かせ、ケータイを手の中に落とす。
いつもギターを操っている、細く綺麗な長い指が、ぼくの指にふれる。ふれられた瞬間、背中に電流が走り、びくっと身体が震えた。ふわっと浮遊感に包まれる。





―――カシャーン―――





石畳にケータイのぶつかる音。
「っなにやってんだよ!」
先輩の非難じみた声にびくっと身体が震える。
「すっすみません!」
すぐさましゃがんでケータイを拾おうとしたぼくの手と、同じく拾おうとしてくれた先輩の手が重なった。
ぼくはびっくりして手を引っ込めた。たぶんぼくは真っ赤になっていたに違いない。先輩の顔を見るのも恥ずかしい。
先輩は、そんなぼくに気づいたか気づかないのか、ケータイを拾い上げ、ぼくの制服のポケットに突っ込んだ。
「じゃっ。もう落とすなよ、麻野優くん!」
突然、名前を呼ばれておどろいた。
「みっ三上先輩、ぼくの名前なんでっ」
「そういうおまえもなんでおれの名前知ってる?」
にやりと笑う先輩・・・すごくかっこいい!
「そっそれは・・・・・新歓のときに・・・ステージで・・・・」
しどろもどろになるぼく。
「―――あっあれね〜」
先輩は聞いたわりに興味なさそうだ。だけど、ぼくはなぜぼくのことを先輩が知っているのか気になった。ケータイに自分の名前なんて入れてないし・・・・・・
「せ、先輩も教えてください。どうしてぼくのこと・・・・」
「だって、おまえ有名だぜ。今年の1年に、そんじょそこらの女よりかわいいやつがいるって。ていうか、在校生でいちばんかわいいって。まっ、おれはオトコになんて興味ないからわかんないけど。友達の自慢くらいにはなるかな、あの麻野優としゃべったって。じゃ、おれ部活に戻るから」
用事が済んだとばかりに背を向け、公園を出て行く先輩の後姿が消えるまで、ぼくはその場に立ち竦んでいた。









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