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                          戻る    2004年 平成16年 災害の年

平成16年10月 豊岡市に台風23号が近畿地方に上陸。秋雨前線の長雨が続いたところへ台風により雨量が増え円山川が決壊し惨事となりました。私は消防団員で台風が接近する前日より詰所待機でした。避難勧告が発令し消防車で地区内に「避難」を呼びかけました。凄い風でした。夜中22時頃消防車の無線で円山川が決壊したと聞きすぐに知らせました。しかしこの様な状態の時にはすぐに聞き入れてもらえない物だと知りました。少し経ってから小学校等の避難所に知らせに行きました。避難所の各区長さんもまばらで冠水してくる所が予想できないため平成2年に冠水した所より大まかな所に避難を伝えました。これにより何台かの自家用車が避難できました。また、冠水してくる民家に寝たきり老人が2名いるのに気付き担架で避難所に運びました。倉庫に米を避難させると高齢者の方が家に戻ろうとしているのを見て長靴に水が入る水位になっているので駐在さんと一緒に諦めるよう説得したりもしました。

夜が明けて周りの状態が分かるようになりました。家に帰る道がありません。お昼頃に、妊婦の方が病院に行けなくてコンビニにいる事が分かり病院に行くには車体の高い車が必要でしたが、あいにく消防車は昨日、水に浸かり動かない状態でした。なので小学校に避難している車体の高い車を探している時に自衛隊が来ました。すぐに自衛隊にお願いし妊婦さんを病院にお願いしました。心強かったし運が良かったです。自衛隊のボートはあるのにオールがなくスコップで漕いでいました。区民がどんどんとボートでやってきます。私は高齢者を避難所まで誘導をしていました。

   
2日経って山裾を歩いて家に帰りました。停電なので家内がガスを使って土鍋でご飯を炊いていました。子供達は見慣れない光景に興奮しています。中と右の写真は裏山がずれています。この下にある2軒の家の引っ越しをボランティアの方としました。私の軽トラが大活躍です。市の職員が来て警戒をされていました。村の役員だったので会館の畳を剥ぐって縁の下の水を出したり、床下浸水の方に生石灰を配ったり、消毒する業者が来たりで、作業場の片付けは家内がしていました。

2週間経ってようやく田んぼや畑に行けるようになりました。土手が決壊していたり木が倒れたりして悲惨です。

次回につづく


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