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「虚数」を体感する

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 7月 3日(土)12時34分46秒
返信・引用  編集済
  誰もが一度は聞いたことがある「虚数」。数学に強い方は「2乗してマイナスになる数」とご記憶かも知れません。しかし実生活でお目にかかることは絶対に無く、どんなものか実感できるものでは無いと私も60年ほど無関係で過ごして参りました、がヒョンナことから昨日チョット身近に感じるようになりました、いや決して「分かった」わけではないのですが、何となく、少し影が見えてきたというような感覚です。

昨日月に一回高血圧の薬を出して頂く医者で順番待ちをしていました。待合室には週刊誌や婦人誌が無く珍しいことに「Newton」が置いてあるのです。私は嫌いな方ではないのですがまあ、手に取ることは有りませんでした。「どんな難問でも解ける不思議な数字」と書いてあったので目を止めました。最初「142857」(前に書いたことがありますが何を掛けても構成する「142857」の数字が順序こそ変われ、ほとんど変化しない数字です)のことかな?と見つめていたのですが、「どんな難問でも云々」はおかしいなと遂に立ち上がってラックから取り出すと見えない部分に隠れていたのが「虚数」の文字だったのです。

「複素数」だの「実数」等という言葉は一切使わず、16世紀中頃のイタリアのカルダーノという人が発見した経緯が述べてありました。うろ覚えですがポイントはメモしてきましたので大きな間違いはないはずです、ここにご紹介します。

彼が解こうとした質問はこうです。

足すと10になり、掛けると40になる二つの数を探せ

数学の問題に「探せ」というのは聞いたことが無いのでまあ「求めよ」とでも言うべきなのでしょうか。足すと10になる二つの数は「1と9」、「2と8」、「3と7」、「6と4」、「5と5」おっとこれは二つの数とは言わないですね。しかしいずれにしても二つを掛けると「9」、「16」、「21」、「24」、「25」ですから40にはならない。では「無い」と答えるのが私達素人で、数学者には「不可能」とか「無い!」とかは禁句なのでしょう、そうやって科学は進歩してきたのでしょうから。でカルダーノさんは考えた・・・

この二つの数を「5+χ」と「5−χ」とします。この二つを掛けると40になるのですから簡単な方程式が成立します。

(5+χ)×(5−χ)=40

そして(5+χ)×(5−χ)は中学で教わったように5^2−χ^2になりますから(「2乗」は「^2」で表しました)・・・

5^2−χ^2=40χ^2=25−40=-15

つまりχの2乗−15ということになり、だから・・・

χ=√−15

という「虚数」が生まれると言うことになりました。これは約100年後にデカルトが「Imaginary number」(をフランス語で言ったのですから「Nombre imaginaire pur」。なあに私が訳せるワケが無くウィキペディアからフランス語のWikipediaへ飛んだだけのことですが)すなわち「想像上の数字」と名付けたのだそうですが、正直な命名だったのですね。

きちんと書いておきますと、なので例の二つの数字は・・・

「5+√−15」と「5−√−15」と言うことになります。はい数学上はこの二つの数は「存在する」のでしょうね。

数日前何かでこんな話を読みました。「マイナス」の理解できない少女に先生が尋ねます。「貴方は今或る人から3万円を借りました。財布には2万円が入っています。合計すると貴方はいくらお金を持っていることに成りますか?」少女は答えて曰く「合計5万円だわね」。そこで先生は5枚の10円玉を取り出して今の状態を説明しました。少女はアッサリと理解して、初めて「マイナス」の概念を把握した、というのです。

私の場合の「虚数」もこの少女と同じようなものですね。おお!長生きはするもんだ・・・^^
 

修正:「ウェセックス文化」って何だ?

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 7月 2日(金)01時35分51秒
返信・引用  編集済
  > No.4775[元記事へ]

今日読み返していて大きな間違いに気付きました。「文化」を「文明」としていました。修正します。

> 今取り組んでいる「文明の鳥瞰図」にイギリスとロシアを入れるべきだという結論に達して、現在イギリスの文明の出発点を調べています。その最中に引っかかったのがこの「ウェセックス文化」なのです。
>
> 間氷期に入ってからどうやらイギリスにはネアンデルタール人の末裔が住んでいたらしいのですが、紀元前6000年頃に大陸から離れて島になり、紀元前4000年紀には農耕牧畜が始まり、紀元前2200年頃からビーカー文化と呼ばれる青銅器文化が始まった。ストーンヘンジでお馴染みの巨石文化もその頃生まれたものであるという、そこまでは良かったのです。川北稔著「イギリス史」も、「世界大百科事典(平凡社)」も「万有百科大事典(小学館)」もそう記述しています。ところが頼りにしている「世界考古学事典(平凡社)」には「ビーカー文明」の項が無く「ストーンヘンジ」は「ウェセックス文化の担い手」によって構築されたと記されているのです。日本のウィキペディアも堂々と扱っています。おやあと思って英語のwikipediaの「Prehistoric Britain」へ飛ぶとご覧の様にただ一言「Wessex culture」としか書いてありません。何か腑に落ちなくて、徹底的に調べました。
>
> 本家イギリスのボーンマス大学のサイトが真正面からこの問題を取り上げているので驚き感激しました。「ウェセックス文化」って本当に有るのかいな?というわけです。下のPDFをクリックすると色々な主張が読めます。ビーカー文化の時代にウェセックス地方で突然「火葬」の証拠が発掘された、だからっていきなり「ウェセックス文化」って名付けるのかい? というお話です。このサイトでは「In recent decades the Wessex Culture has been seen as a limited social stratum within a broader cultural phenomenon rather than a distinct cultural grouping.(数十年前から「ウェセックス文明文化」は明確な文明文化の一つと言うより、広い文化現象の中の限られた社会階層というように扱われている)」とピシャリと締めくくってあります。
>
> 「世界考古学事典」は30年前(1979年)の発行ですからやむを得ないことですね・・・^^ 従って私の「文明の鳥瞰図」には「ビーカー文明文化」は出てきても「ウェセックス文明文化」は現れません♪♪
>
> 蛇足:これは先史時代の話なので9世紀のウェセックス王とは無関係です、念のため。
>
>
> ストーンヘンジです
>
 

Re: 「ウェセックス文化」って何だ?

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 6月29日(火)09時33分49秒
返信・引用  編集済
  > No.4775[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  興味ある記事有難うございました。実は4年前、これともう一つのストーンヘンジをイギリスで見ました。実物があるのに、何かよくわかっていなくて、違和感を覚えました。イギリスは娘がいっていたので、見物にでかけたのですが、帰りにロンドンでサッカーの決勝戦をテレビでみたので、4年前は間違いありません。

  蛇足ですが、文明はよくわかりませんが、文化は小生の定義によると(ペコリ)、人間のつくったもの what man made, であります。猿が作った酒は文化でないというのが、私の主張ですが、だんだん妖しくなりました。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、こんにちは。

「文明」と「文化」に関しては今年の正月にこんなことを書いています。ご参考までに・・・。(6.29 12:23)
 

「ウェセックス文化」って何だ?

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月29日(火)02時34分33秒
返信・引用  編集済
  今取り組んでいる「文明の鳥瞰図」にイギリスとロシアを入れるべきだという結論に達して、現在イギリスの文明の出発点を調べています。その最中に引っかかったのがこの「ウェセックス文化」なのです。

間氷期に入ってからどうやらイギリスにはネアンデルタール人の末裔が住んでいたらしいのですが、紀元前6000年頃に大陸から離れて島になり、紀元前4000年紀には農耕牧畜が始まり、紀元前2200年頃からビーカー文化と呼ばれる青銅器文化が始まった。ストーンヘンジでお馴染みの巨石文化もその頃生まれたものであるという、そこまでは良かったのです。川北稔著「イギリス史」も、「世界大百科事典(平凡社)」も「万有百科大事典(小学館)」もそう記述しています。ところが頼りにしている「世界考古学事典(平凡社)」には「ビーカー文明」の項が無く「ストーンヘンジ」は「ウェセックス文化の担い手」によって構築されたと記されているのです。日本のウィキペディアも堂々と扱っています。おやあと思って英語のwikipediaの「Prehistoric Britain」へ飛ぶとご覧の様にただ一言「Wessex culture」としか書いてありません。何か腑に落ちなくて、徹底的に調べました。

本家イギリスのボーンマス大学のサイトが真正面からこの問題を取り上げているので驚き感激しました。「ウェセックス文化」って本当に有るのかいな?というわけです。下のPDFをクリックすると色々な主張が読めます。ビーカー文化の時代にウェセックス地方で突然「火葬」の証拠が発掘された、だからっていきなり「ウェセックス文化」って名付けるのかい? というお話です。このサイトでは「In recent decades the Wessex Culture has been seen as a limited social stratum within a broader cultural phenomenon rather than a distinct cultural grouping.(数十年前から「ウェセックス文明文化」は明確な文明文化の一つと言うより、広い文化現象の中の限られた社会階層というように扱われている)」とピシャリと締めくくってあります。

「世界考古学事典」は30年前(1979年)の発行ですからやむを得ないことですね・・・^^ 従って私の「文明の鳥瞰図」には「ビーカー文明文化」は出てきても「ウェセックス文明文化」は現れません♪♪

蛇足:これは先史時代の話なので9世紀のウェセックス王とは無関係です、念のため。


ストーンヘンジです
 

スラムドッグ$ミリオネア

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月28日(月)00時51分15秒
返信・引用  編集済
  「スラムドッグ$ミリオネア」という映画を観ました。滅茶滅茶面白くて、これってアカデミー賞ものじゃないの?と調べたら、何と八部門受賞していました。いや私は録画したものも「TUTAYA・DISCAS」から借りたものも全く先入観無しに観るのを旨としているからなのです。連れ合いにも良く伝えてあって私より先に観たものに関して、一切口にしません。なので極端に言えば西部劇かミュージカルかと言う知識すら無しに鑑賞を始める、というわけで・・・。

これはかのダニー・ボイル監督の映画で大恋愛も絡んでいます。ラティカという幼女が泥んこで登場したときからのヒョッとしてという予感が的中したのですがフリーダ・ピントというインド人女優が演じる、主人公ジャマールにとってはまるで聖女的な存在の女性が登場します。当然私にとってもその時彼女は「聖女」になっていました。

そういう私の感情を一挙にぶち壊した瞬間が有りました。悲境にあって彼女がフト見せた一瞬の横顔です。これは自分を痛めつける非道いヤクザに対して見せた憎悪の感情表現なのですが、その「表情」が醜くかったのです。憎悪感を出すべく演技している作られた顔なのですが、だから醜いのが当然と言えば当然なのですが、私は気に入らなかった、「百年の恋も」という奴です。面白い映画だったのですが、その一点が後々まで心に残ってしまいました。

やはり「聖女」はどんな時も醜悪な顔付きをしないのです。そうあって欲しいのですね・・・(^^;) そこで思ったのですがどんなに憎々しげな表情を演じさせても「醜悪」にならない女優はたとえば・・・と。最初に浮かんだのが大竹しのぶさんでした。あとが出て来ない・・・何と原節子さん・・・!!!いや多くの俳優さんご免なさい、これは飽くまで私の乏しい個人的主観の一端にすぎませんから。

ひるがえって、自分はどうなんだろう?そういう瞬間に鏡を見ることが有り得ないだろうから、恐らく誰も自分の「憎々しげな」顔を見たことは無いでしょう。生まれてこの方人を憎むということをしなかった人はどんなに演技を強いられても「醜悪な」顔にはならないのではないかと、そう思います。フリーダ・ピントは不幸な生い立ちだったのかも知れない。それは考えすぎなのか? いや、そういうことは考えてはいけないのか・・・?


フリーダ・ピントさん                     大竹しのぶさん
 

質問:どうしましょう

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 6月23日(水)15時10分22秒
返信・引用  編集済
  Wikipediaを追い越す勢いで、オメデトウございます。

 こちらは,Wikipediaであくせくしています。

 総務省や熊本市発行の文献では、熊本市への空襲は1945年7月1日の午後11時ということになっていますが、熊本市民の多くは1945年6月30日の午後11時ということを主張しています。このまま、真実が埋もれてしまうのはもったいないので、なんとかしたいのですが、どういう作戦がいいと思われますか。
 Ichiro
  ● 有難うございました。
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃいませ。

そう言えばウィキペディアでは7月1日になっていますね。ご存知の「ノート」というところがありますから、そこで議論されるのが妥当と思います。頑張って下さい・・・^^ (6.23 17:37)
 

「人名歴史年表」Yahoo!でも認知される!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月23日(水)12時25分51秒
返信・引用  編集済
  こちらは一週間前のGoogle・・・



今アクセス解析から発見!遂にYahoo!でも認められた・・・♪♪♪  ウィキペディアなど追い越してしまえ・・・(笑)
 

追補 :Re: ルバイヤート

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月22日(火)18時02分14秒
返信・引用  編集済
  > No.4770[元記事へ]

オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」全文は「青空文庫」↓で読めます。 > > http://www.aozora.gr.jp/cards/000288/files/1760_23850.html > > しかし、ここには書かれていませんが、岩波文庫(小川亮作訳)にあるあとがきのなかの「2」の「ルバイヤートについて」というところをお読みになりましたか?ここはきっとリベルさんが興味深いと思います。

おやっと思って本棚を見たら「特設:昔の岩波文庫のコーナー」に有りました。もう背表紙は読めず取り出して確かめました。1980年・第25刷とありますから結婚後2冊目を買ったのだと思います。1953年に向島の艇庫に合宿中、忘れもしない井波という先輩(もうお亡くなりになっています)が居酒屋へ連れ出して「ルバイヤート」の一節を教えてくれました。今全ページを読み返しましたが、どの一節であったか見事に忘れてしまっています。

解説の(二)。成る程興味を引かれる話が出ています。ただいま一杯機嫌なので、一寝入りしてから読ませて頂きます。有り難う御座いました・・・感謝、感謝です・・・_(_^_)_

【追補】21時半に目覚めて約2時間「ルバイヤート」に没入していました。焦げ茶色に変色したセロハンがハラハラと崩れ散るのも知らず。私の興味は実はご指摘の音律論に止まらず、全編に及びました。解説、本文、前書きの順で読んで正に引き込まれてしまいました。オマル・ハイヤームという人物と小川亮作という人物にも強い関心を持ちました。なんと小川亮作という人は41才で亡くなっているのですね、こんなサイトを見付けてホロリと涙しました。これは(83)番です。

オマル・ハイヤームは数学や天文学でも立派な仕事をしたとか、イスラムの文明の啻ならぬ奥深さに改めて感銘を受けました。この文明の中心地がバグダッドであることを思うと誠に心が痛くなります。そこは又人類の文明の発祥の地メソポタミアでもあるから一層です。今や「イスラム原理主義」とかいう言葉が一人歩きしてしまって、重層をなす歴史の重みなどはどこかへ忘れ去られています、そして彼の地は荒廃を極めているのです。

人類は自分の過去をもっとコンモリと大切にしなければ・・・と、口惜しいですね・・・。

篠突く雨の合間に誠に豊かなそして貴重なを過ごさせて下さったあずきさんに深謝・・・_(._.)_  (6.23 00:22)


バグダッドの南約85キロに有る再建されたバビロンの遺跡
 

ルバイヤート

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 6月22日(火)11時33分31秒
返信・引用
  オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」全文は「青空文庫」↓で読めます。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000288/files/1760_23850.html

しかし、ここには書かれていませんが、岩波文庫(小川亮作訳)にあるあとがきのなかの「2」の「ルバイヤートについて」というところをお読みになりましたか?ここはきっとリベルさんが興味深いと思います。
 

成る程なあという画像

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月21日(月)07時01分37秒
返信・引用  編集済
  先ずこれをご覧下さい・・・



これは昨日の朝日新聞朝刊の1面からです。そしてスポーツ面へ行くと・・・



こう並べて見ると一目瞭然ですね。別アングルでほとんど同時間にシャッターが押されています、実はこんなに間隔が開いて居るのですね。

それにしても一流のスポーツ・カメラマンの凄さを感じます、ズーッとボールを追っかけていてシュートの度にシャッターを押すのでしょうか、プロは凄いですね全く!!!
 

「7」に腰刀を持たせる・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月21日(月)00時29分19秒
返信・引用  編集済
  先ずこれをご覧下さい。このブログから拾ってきたものです。



昔このように「7」に点を付ける人を見て奇異に感じたら、これは簿記の方では「1」との混同を避けるために普通に行うことだとか聞いたことがありましたが、実践したことはありません。今回調べていて「腰刀を付ける」という表現に出会い成る程と膝を打ちましたが・・・。

ハンセン病の歴史を勉強しているときも、西洋医学に対するイスラム世界からのアラビア医学の影響が少なくないのに驚かされましたが、今回イスラム世界の文明を勉強していてアラビア語由来の英語が多いことや「ゼロの概念」の発展、「アラビアンナイト」、「ルバイヤート」とアラビア発の文化が結構身近にあることを再発見しましたが、何と言ってもその最たるものは「アラビア数字」でしょう。

で、アラビア関係のサイトへ行っていて、驚くべき発見をしました。まあご覧下さい。右端の「画数の概念」のところです。曲がり角の数がその数を表しているのにフムフムと半信半疑ながら感心していたのですが、問題は「7」です。これは「腰刀」を付けて居るではないですか?これは大発見!「簿記」だの「1」との峻別だのではなく、そもそもアラビアでは・・・などと興奮してしまいました。

でもご安心下さい。どうもこれはこのサイトの作者か誰かの発案らしいのです。「アラビア数字」で調べたらやはり見当たりませんね・・・人騒がせな一幕ではありました・・(^^;)
 

続:恐れ入谷の鬼子母神

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月19日(土)01時42分14秒
返信・引用  編集済
  「実に良く出来た地図」は良いのですが、オヤ???これで、ではハッキリしない「ゲルマニア」がどうハッキリしたのか、それが聞きたいという声が聞こえてきます。国会答弁のような答え方をすれば「ハッキリしないことが、ハッキリした。」とでもいうことになるのでしょうか。

日本の室町時代、それも1467年の応仁の乱以後約一世紀の日本の戦国時代を思い浮かべて頂けば良いかと思います。いやこれは1467年と年代がハッキリしているだけマシなのですが、要するにあの群雄割拠状態の日本列島を「ゲルマニア」に置き換えれば、サアーッと暗雲が一掃されるのではないでしょうか。毎日のように塗り替えられる領土地図の一〇〇年間を一言で括ることなど不可能です。つまりそういう多数の蛮族の激動の六〇〇年間を一口で言えば「ゲルマニア」、詳しく言えばこの地図、と言うことになります。

私の20日後にこの世に現れ立身された阿部謹也氏の「物語 ドイツの歴史」という本は、ここのところはすっ飛ばしていきなりフランク王国から初まります。紫綬褒章を貰うようなお人はマコト、要領がおよろしいようです(^^;)「ゲルマニア」はフランク王国に徐々に浸食されて行き最後はヴェルダン条約、メルセン条約によって三分割され、その内の「東フランク王国」が「神聖ローマ帝国」になって・・・という分かり易い歴史を辿ります。

以上、昨日興奮してしまって、冷静に書けなかったことを追記しておきました。どうかお許しください・・・_(._.)_


神聖ローマ帝国
 

恐れ入谷の鬼子母神

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月18日(金)14時43分34秒
返信・引用  編集済
  有るものだなあ・・・!!!と、しばし感無量の気持ちで呆然としていました。

今、昨日も触れていたヨーロッパ、特に現在のドイツの歴史を「縦に」通観しているのですが、「文明の鳥瞰図」の中の「ゲルマニア」の部分がどうにもハッキリしないのです。いつ頃からいつ頃まで有ったのか?、人種構成は?、などがどこにも纏めて書いてない!「西ヨーロッパ」という本からどうにか北部にゲルマン人、南部にケルト人が居て紀元前381年、279年、トイトブルクの森の戦い(紀元9年)、マルクス・アウレリウス帝(在位161〜180年)の時に2回、ローマ帝国に侵入を試みて戦ったと知るのみでした。あれやこれやと調べている内にゲルマン民族の内の一つ「スエビ(Suebi)族」に興味を持って英語のサイトへ行ったら、凄いものに出くわしました。辞書を片手に見れば見るほどローマ帝国とゲルマニアの関係が見えてきて、まあ興奮状態になりました。

まあ、チョット見るとまるで訳が分からないのですが、丹念に英和辞書(だけで良いです)を引きながら見ていくと、実に良く出来た地図です。あちらの子供達はこんなのを見ながら勉強しているのでしょう、負けるな日本人!!!ですね・・・^^

(参考:黒、茶、緑などのイタリックの太ゴジは、ローマ帝国から見た蛮族です。これで見ると「ケルト人」はスロバキア(COTINI)とアイルランドと北イングランドにしか居ません?)


ゲルマニアの地図です。このオレンジ色の部分が「スエビ族」の領域です。左下がローマ帝国です。独和辞典を引いても出ていないのが多いのでお奨めしません・・・余計なお世話・・・。
 

「銃・病原菌・鉄」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月16日(水)03時10分44秒
返信・引用  編集済
  この本をトイレに置いたと4月の17日に書いています。結局2カ月かけて読み終わりました。何か読み始めてからズット心の中がざわめき立っているような、そんな日々を過ごしました。実は同時並行的に「文明の鳥瞰図」を作成してきました。この年表で苦労するのは、ヨーロッパなりメソアメリカなりで発祥した文明を現在までいわば「縦に」通観しなければ正確な表記や年代が把握できないところです。なのでたとえば「図説ケルト」とか「ラテン・アメリカ史」などを読んで高校の教科書を補完しなければ前に進まないのです。

こちらで「縦に」読んだことが「銃・病原菌・鉄」ではたとえば「植民地化」のように他の大きな視野から取り上げられている、そういう面白さが何度も満喫できたのは収穫でした。何よりも「文明の歴史」に対峙して「人間の人種別能力差は存在するのか?」という大きなテーマをドンと据えて、徹底的に多角的検証を加えるという試みを見事なスピード感で完遂しているのが芯からの心地良さを感じさせてくれるのです。

この本の最後はこう締めくくられています。

『結論を述べると、ヨーロッパ人がアフリカ大陸を植民地化できたのは、白人の人種主義者が考えるように、ヨーロッパ人とアフリカ人に人種的な差があったからではない。それは地理的偶然生態的偶然のたまものにすぎない。』

本編を通じて明確な言葉は一切使われていませんが、ここで私がドギツイ言葉を用いれば「黒人差別」、「人種差別」は故の無い事だと約600頁をフルに用いて論破した一冊なのです。

一つ私が感じた誠に面白いことを付け加えます。一つの発見です。下の地図をご覧下さい。赤道から北へ向かって北緯20度、40度、60度と線が引いてあります。昔教わった「四大文明」(これは間違った捕らえ方であるとして現在では使われていません)は面白いことに全て北緯20度と40度の間に有ります。これは「銃・病原菌・鉄」でも形を変えて扱われている重要なポイントの一つなのですが、行き届いた思慮の持ち主である著者ジャレド・ダイアモンド氏も触れていない重大な事実が実はもう一つ有るのです。

何故20度から40度なのか?これは気候の問題だと言うことは少し考えれば分かることです。この地図をご覧下さい。ユーラシア大陸の北緯30度から40度の間に「地中海気候(亜熱帯多雨気候)」が緑色に伸びているのが分かります。こういう気候条件が農作物の生育を促進し引いては文明の繁栄に繋がったのは、容易に理解できることです。

ここまで書けば私が何を言いたいか、お分かりになったかと思います、地図にもヒントがありますから。そうです「南緯20度から40度」はどうなんだ?と言う点です。こちらにはご覧の様にアフリカ大陸の南端とオーストラリア大陸の南半分と、南アメリカのチリとアルゼンチンのあたりしか陸地がないのです。気候の地図を見ればやはり「地中海気候」は有るのですが。東西の往来も相互に交流し合う文明のつながりもないために、南の地中海気候は功を奏さなかったのでしょう。これは北アメリカ大陸のカリフォルニア地域にも言えることです、念のため。

ただ一つ、この点についての言及がなかったのが、強いて探せば「アラ」でございました。この一冊に巡り会えた幸運と、著者ジャレド・ダイアモンド氏に乾杯!!!♪♪♪


文明発祥の地の地図です
 

有難うございました

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 6月13日(日)07時14分58秒
返信・引用
  有難うございました。もうひとつ気になった記事を見つけました。

  厚生省の中でも意見が割れていた。


   藤楓協会理事長 浜野規く(矢編に巨)雄氏の話です。

 この先生は林先生と一緒に英国のジョップリングの病院にも行っていますが、高島先生との対談の中で

 厚生省では予防課の方は外来治療を認めるべくどんどん動いていますが、療養所課の方は外来治療を拒む体制にあります。それは自宅診療を認めた場合、現在療養所にいる患者さんが、皆家に帰ってしまうのではないか、療養所は空っぽになってしまう。こういう心配をしてらいを少なくしたのに、また増えては困ると療養所課は考えているようです。

 この文献の正体を検討中です。すみません。なんとなく、政府の考えはわかるような気がします。

 Ichiro
 
    (リベル) 「規矩雄」ですね。(6.13 08:06)  

日本らい学会とスルフォン剤

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 6月12日(土)08時35分24秒
返信・引用  編集済
  上川豊の1939年の特別講演はそれまでのハンセン病の治療の総まとめであった。主たる所は大風子油の研究であるが、えっ と 思ったのはFagetに先立つこと数年、既にスルホン剤が研究されていたことである。

 せっかくであるから、全文を書いてみよう。

 K. Sulphon-amid剤
 1935年Domagkの報告したProtonsilは従来眞に化学療法として有効なのは原生動物に因るマラリア、トリパノゾーマ、スピロヘータ病の如き2−3疾病に過ぎなかった所の治療界に連鎖状球菌に対する特効薬として新分野を拓いたものとされ、その後の新製剤により淋疾その他の皮膚疾患にも満足すべき効果ありとされていますので、楽生院においてはらいの各症状にたいしてもTherapolをもって治療小実験を試みました。(一部省略)
 その効果は18例中10例(55.6%)を得ました。しかし症状は概して軽度であったので、らい治療薬に特異な効果を期待することはできないと思われます。

 ●まことに残念。ファジェットに先立つ4年、全世界にテラポールの効果を発信しておれば、彼は神様になっていたのであった。
  ●ハンセン病学者は知っていたようで、TRの研究をしていた中條資俊も、スルフォン剤とどちらがいいかと質問された時に、おもむろに、勿論ですと答え、皆はTRと思っていたらスルフォン剤にかなわない、と追加したので大笑いになったと記載されている。
 
    (リベル) 「http://つづ」は投稿フォームの下の窓の「つづ」を消去すれば無くなりますよ・・・^^(6.12 17:40)  

Re: 美談:幻の完全試合

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 6月12日(土)08時21分56秒
返信・引用
  > No.4761[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  素晴らしい新車が贈られたそうですよ。捨てる神あれば拾う神ある。

 Ichiro

http://つづ

 
    (リベル) Ichiroさんこんばんは、いらっしゃいませ。

そのようですね、シボレー・コルベット(約480万円)を貰ったそうです。これはまあ新聞かテレビのビデオを残しておけば後の世に残るのだから、鷹揚に許しておくのが正解なのでしょうね・・・^^(6.12 17:36)
 

美談:幻の完全試合

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月 8日(火)07時18分37秒
返信・引用
  6月5日の日刊スポーツ

10年前のシドニー・オリンピックの篠原選手の判定問題を思い出しました。審判というのは辛い職業ですね・・・。

 

「言ってはいけない」二題

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月 7日(月)02時55分10秒
返信・引用  編集済
  (一)6月2日の小沢さん

『幹事長というのは、総理総裁、代表を補佐する役割ですから、特に党務を通じてその役目を果たしていかなくてはならないが、まあ任期半ばでこのような事態になったことを大変残念に思っておりますし、また、自分自身として補佐の役目を十分に果たし得なかったと思って反省しております。

よく言うよ!!と思いました。最近こんなに空回りした発言を聞いたことがありません。補佐するどころかサンザ足を引っ張って、引きずり下ろしておいて何をか言わんやです。鳩山さんが一人で苦しんでいるときに160人の議員団をつれて訪中したり、百数十名と訪米したり自宅へ招いたりしてドンチャン騒ぎをしていて「補佐」というような言葉がよく口に出来るものです。鳩山さんの心中を少しは考えて欲しいと、そう思いました。

(二)6月3日の菅さん

『幹事長も国民のある種の不信を招いたことで、少なくともしばらくは静かにしていただいたほうが、本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとってもいいのではないか。

よくぞ言ってくれた!!と私は拍手喝采いたしました。溜飲を下げられた方もさぞかし多かろうと思います。天声人語も「最高実力者へのきっぱりした引導である」と賞賛しています。

案の定これを聞いた小沢さんは頭から湯気を立て顔を真っ赤にして怒り狂いました、でしょうね。9月には菅さんを引きずり下ろして俺が天下を取ってやると宣言しました。

しかし、私は菅さんのあの発言はいけないと思っています。大方の国民の声の代弁かもしれません。胸のすく言葉ではあります、それは認めるのです。が小沢さんの心中を少しは考えて欲しいと、そう思うのです。日本の国家元首が個人攻撃をしてはいけない。小沢氏に対する人間としての「リスペクト」に欠けるのではないか、それにもっと「寛容」であってもよい、「be forgiving」の心を子供達には見せて欲しかった。


実は念頭には、民主党の三兄弟じゃなかった三羽烏とでも言えるこのお三方それぞれが、やはり独自の人間像をお持ちだなあと、当然と言えば当然のことが、鎮座いたしておりました・・・^^


すずらんの花(日々是電脳写真から)
 

Re: 日本の臍、世界の臍

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 6月 6日(日)10時22分18秒
返信・引用
  > No.4758[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  臍の話で思い出しました。私の「菊池野」の最初の投稿は「臍のゴーマについて」です。

 医学的に研究しました。正式名称は臍石Omphalithといいます。

 菊池の分類(笑)によると、ピーナッツ型(ちょうど黒いピーナッツが話題となった時期)、トンガリ型、電話機型、ポリープ型、不整形の五型に分類される。(写真付き)。3歳児童の統計にはみられず、18歳の女性100名のうちに2例みられた。愛媛大学学長の三木先生は「臍のゴーマ」と命名されています。勿論臍のゴマからきていますが、大きいものをいいます。

 見当違いのゴマの話で申し訳ありません。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃいませ。

「臍のゴーマ」ですか・・・^^ 「電話機型」の臍のゴマなんて想像が付きません。そうだ自分のを一度調べてみなければ・・・(笑)(6.6 12:15)
 

日本の臍、世界の臍

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月 5日(土)03時42分48秒
返信・引用  編集済
  「日本の臍」といえば兵庫県西脇市と一般に言われます。兵庫県は「ゴルフ銀座」などとも言われますが、正にこのあたり「銀座」ですね。

高野孟という人の「世界地図の読み方」を10年ほど前に買って折に触れ引っ張り出しています。今知ったのですがこのお人は蓮舫大臣の仲人をしているのですね。この本の中に面白い話が出ていました、もう一つの「日本の臍」です。経産省の役人に聞くとサラリと答えたのが「千代田区一丁目一番地」、ここは皇居内の宮内庁の住所だそうです。そうであって欲しくはなかった、むしろ日本橋一丁目一番地とかの方が面白味があるのですが。成る程郵便番号も「千代田区千代田」が「100-0001」なのだそうです。

では「世界の臍」はどこか?それで候補に挙がったのが西アフリカのギニア湾洋上の一点なのだと高野氏は書いています。さてその根拠は?

ゆっくりお考え下さい・・・。答えはこちらです・・・^^
 

続:「朝」を「ちょう」と読むとき・・・(ちょいと追加しました)

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月 4日(金)04時13分55秒
返信・引用  編集済
  北風さんいらっしゃいませ。

>「朝」は、中国語ではないでしょうか?国語辞典より、漢和辞典を引くべきかと愚考します。

そうだった、と実は大慌てで「字通」と「字統」を引き、中国の漢字サイト「漢典」を調べました。甲骨文字はこれです。



「字通」によると・・・

草冠を上下に分書、その草間に日があらわれ、右になお月影の残る様で、早朝の意。

と有りました。成る程なあと感慨一入、調べたことが有りませんでした。「朝廷」に関する釈義は・・・

殷には朝日の礼があり、そのとき重要な政務を決したので、朝政といい、そのところを朝廷という。朝は朝夕の意のほかに、政務に関する語として用いる。

とありました。「文明の歩み・鳥瞰図」を開いてみるとこういう場合便利です(自画自賛♪♪♪)。中国の「殷」の時代に「朝」という漢字が出来ています。それから1500年〜2000年後に日本に漢字が入ってきました(参考:漢字の伝来)。

世界史で一番古い「朝(ちょう)」の付く王朝(国?・都市国家?)はエジプトの第一・第二王朝の初期王朝時代です。ちなみにここで「エジプト初期王朝時代」でウィキペディアを出し、一昨日書いた方法で各国語を調べてみて下さい。ロシア語やハングルは分からないのですが、漢字は「王朝」、欧米語はラテン語の「dynastia=代、王朝、王党」を語源とする語で統一されています。

ここから2節追加です「文明の歩み・鳥瞰図」で最初に登場するアケメネス朝ペルシャとギリシャ諸ポリスとのペルシャ戦争(前500年〜前449年)を詳細に記述したヘロドトス(B.C.484年頃〜425年頃)は古ギリシャ語で「アケメネス朝」をどう表現していたか知る由もありませんが、少なくとも現代では、英語のWikipediaでは「Achaemenid Empire」、ドイツ語は「Achemenidenreich」、フランス語は「L’Empire achemenide」、イタリア語は「Impero achemenide」であり、スペイン語(Dinastia Aquemenida)、中国語(阿契美尼王朝・阿契美尼帝国)の「王朝」も見られるという現状です。

日本に文字が未だ無い頃に古ギリシャ語で記された言葉がどういうヨーロッパ語の「変遷」を辿ったかは調査が困難ですが調べるのも一興でしょう。その後徳川吉宗(1684〜1751年)が漢訳洋書の輸入制限を緩和してから「洋学」が発達し18世紀半ばに幕府が洋書の翻訳を始めています。思えばアメリカの独立宣言(1776年)の2年前に前野・杉田によって「解体新書」が訳されたのです。おおざっぱに見るとこういう経緯を辿って「朝(ちょう)」が訳出され始めたのでしょう。


そこまでは良いのです。私が一昨日叫んでいるのはそのことではないのです。「セレウコス朝」や「アケメネス朝」の例を引きましたが、そういう類の用いられ方がとても多く、それには特に歴史学界で基準を設けている模様もない、それが私の花粉症の・・・じゃなかったアレルギーの遠因になっているのだと、そういう嘆き節だったのです。

北風さん、「朝」は中国で出来た文字ですが中国語では「morning」の意味では使われなくなっています。中国語では日本語の「朝(あさ)」を「早晨」、「早上」と書くのですね。むしろ「向かう」と言うような意味で使われています。21番目に「王朝」としての用例が有ります。

有り難う御座いました、また少し賢くなりました・・・m(_ _)m
 

Re: 「朝」を「ちょう」と読むとき・・・

 投稿者:北風  投稿日:2010年 6月 3日(木)19時41分6秒
返信・引用
  > No.4754[元記事へ]

>
> そうです、何故日本は「朝」にしたのか? それを問題にしているのです。最初に何語の「セレウコス(国)」が日本語に訳されたのかは分かりませんが、その時の歴史学者が「朝」と訳した。

「朝」は、中国語ではないでしょうか?
国語辞典より、漢和辞典を引くべきかと愚考します。
 

「朝」を「ちょう」と読むとき・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 6月 2日(水)03時10分15秒
返信・引用  編集済
  こう言われて直ぐ出てくるのがたとえば「平安朝」、「南北朝」、中国の「明朝」、「清朝」です。歴史上の時代や王朝の名を指す言葉でしょう。と思うのですが国語辞書を引いてみましょうか・・・

大辞林
@ あさ。あした。
A 天子が政治を行う所。朝廷。
B 天子が統治していること。また,その
C にぎやかな所。市中。

広辞苑
@天子がまつりごとをする所。
A天子の治める国。
B一系の君主の統御する間。また、一人の君主の統治する間。「南北朝
C朝鮮の略

新明解
(一) あさ。
(二) 王朝。「朝廷・明朝・清朝
(三) 天子の治める、わが国。
(四) 外国使臣や諸侯が、朝廷に来て天子を拝する。

大辞泉
1 あさ。
2 天子が政治をとる所。
3 宮中に参内して天子にお目にかかる。
天子の統治する期間。「明朝・歴朝・奈良朝
5 日本の朝廷、また、日本のこと。
6 「朝鮮」「朝鮮民主主義人民共和国」の略。

関連のない「用例」は省略しましたが、どの辞書も「天子」の統治が関連してきます。僅かに「新明解」だけが単なる「王朝」を取り上げているのみです。いずれにも共通して言えるのはどの辞書も「ササン朝」、「プトレマイオス朝」などのカタカナのというかヨーロッパの王朝名を一例も取り上げて居ないことです。つまり考慮に入れていないことが歴然としています。これはやはり片手落ちと言われても仕方がないのではないでしょうか。

実を申せば私は「朝(ちょう)」アレルギーだったのです。せいぜい「ササン朝」くらいは良いとしても、イスラム帝国の次々に現れる「朝名」には辟易して「世界史」もその部分は飛ばして勉強したものです。今デジタル大辞泉の「ササン朝」を引いたら「近い言葉」として次のような例が並びました・・・

パガン朝 、カラハン朝、クシャン朝、カラカン朝、ノルマン朝

私は恥ずかしいことに全部知りませんでした。今調べるとそれぞれ「ビルマ」、「トルコ系イスラム」、「イラン系」、「カラハンに同じ」、「イングランドの王朝」と正に多士済々なのですね。一つこんな例を挙げます。『セレウコス朝=アレクサンドル大王の死後、部下の一人「セレウコス」がシリアに建てた国家』と山川出版社の「世界史B用語集」に解説してあります。日本語のウィキペディアで「セレウコス朝」を出してみて下さい。左の「他の言語」を利用すると各国語の表示が分かるから面白いのです、たとえば中国は「塞琉古帝国」です、英語は「Seleucid Empire」、ドイツ語は「Seleukidenreich・reich=帝国」、フランス語は単に「Seleucides」ですがスペイン語では「Imperio seleucida・imperio=帝国」というようになっています。イタリア語は標題は「Dinastia seleucide・dinastia=王朝」となっていますが右の年表の中では「Impero seleucide・impero=帝国」ですから実は良い例になっているのです。

そうです、何故日本は「朝」にしたのか? それを問題にしているのです。最初に何語の「セレウコス(国)」が日本語に訳されたのかは分かりませんが、その時の歴史学者が「朝」と訳した。それがその後の翻訳に影響を与えて無用の混乱を齎している、いや「セレウコス」だか何だかは不明ですが、兎に角この類の「王朝名」だか「国家名」だかを「朝」と訳した歴史学者は誰だ!!!と「朝アレルギー」の私奴は叫びたいのです♪♪♪


日本に於ける「朝」の実体はしかしこれで分かりました。他の国で「帝国」としているものを、日本では勝手に「朝」呼ばわりしているのに過ぎないということが。その上で頭を冷やして「イスラム帝国」の諸王朝を眺めて見ましょうか、これは確かに煩雑なのです。ここに二つの年表を並べます。まあ見るだけご覧下さい・・・

(一)イスラム帝国成立当時の年表  (二)イスラム帝国繁栄時の年表

こんな複雑な「朝」づくしの年表を受験生は覚えなければならないのでしょうか?やはり飛ばす方が賢明だとお思いになりませんか(笑)。ここでお気付きかも知れませんが年表の右下に「地域別・民族別参考図」というのが付いて居ます、って私が付けたのですが・・・。もうこうなれば「毒食わば…」の心境で・・・

ではないのです、本当は。この表でようやく目から鱗が落ちるようにイスラム帝国の複雑な「朝」のカラクリが解けました。受験生諸君、こういうことなんですよ! と叫んでも、見ている受験生はよもやいらっしゃるまい・・・ (*^ー`) フ〜ッ


イスラム帝国の地域別・民族別王朝(一番下に民族名があります)
 

「銃・病原菌・鉄」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月31日(月)18時12分53秒
返信・引用
  私は松岡正剛という人をよく知りませんでした。この本も終わりに近付いてきて印象の強かったことを纏めて書こうかな?と思ったときに松岡さんの「千夜千冊」を思い出しました。この先人が書いていることと同じ事は書きたくないという、誰もが抱く想いがあったのです。

読んでみました。松岡さんは朝日新聞の紹介(4月4日)が有るまで、お読みになっていませんでした。それは別に良いじゃないですか!!!

読んでみると2001年当時、この本に着目しなかった事に関しての対応がいけません。先ず素直に不明を恥じておけば良かった。読書家を持って自認しているご本人はそれを躊躇われたようです。全文を通じて優等生的な狡猾な弁明が歴然と読み取れます。「名」を重んじるようになった人の陥りやすい陥穽なのでしょう。

ときどき参考にさせて頂いていたサイトだったのですが・・・もう二度と訪問はしないでしょう・・・^^ 自分のミスをキチンと認めて、「私のミスでした」と率直に謝罪する。そういうことを避けようとする風潮が最近頭を擡げて来ているようです。鳩山さん、子供達がそういう大人から何を学ぶか、それを考えて下さい。子供に対する手当は「お金」で済ませたお積もりなのですか・・・?
 

鳩山首相の失政を叱正する・・・なんて・・・^^

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月30日(日)04時16分16秒
返信・引用  編集済
  首相の普天間「決着」――政権の態勢から立て直せ―――朝日新聞

「普天間」政府方針 この首相に託せるのか―――毎日新聞

普天間日米合意 混乱の責任は鳩山首相にある―――読売新聞

取り返しつかぬ鳩山首相の普天間失政 ―――日本経済新聞

普天間日米合意 国益損なう首相は退陣を 逃れられぬ迷走と失政の責任―――産経新聞

私は歩きながらテレビ放送の音声を聴いています。昨日の午後は上のように各紙の社説の標題を続け様に聴かされました。こう聴くとまた、各紙の社説を個別に読むのと違ったド迫力が出てくるものですね。「海兵隊の抑止力」、「尖閣諸島の領有権」、この二つを巡る「不勉強」には私もポカンとしました。ここまで行くと「不勉強」とは言わないですねこうなるともう「無知」の誹りは免れないでしょう。

基本的知識が無いから言動に迫力が無くなるのでしょう。声の調子、喋り方、姿勢、目の力(眼力)、歩き方などからなんとなく気押されると言う、そういうものが無い。オーラとかカリスマ性とかいう言葉で表現される大人物の持つ圧倒してくるようなが無いのですね。ミッチリと勉強を積んできた人、命がけの修羅場を何度も掻い潜って来た人そういう人達が放つ、場を覆うような圧迫感というのがこの人には感じられません。人の倍は勉強努力をしてこそ人の上に立つ人間になれるのでしょう。ついなにか幼稚園児に話をしているようになってしまいました、ご免なさい。いや正にそこいらのレベルで何か欠けているものを感じるのです、あの人には。

「友愛」では国際政治の世界を飛び交う迫撃砲や魚雷をかいくぐっては行けない、などとは言いますまい、が、何か一皮脱皮をしなければ、もう首相は勤まらないのでは御座るまいか・・・。座禅、断食のように厳しく自分に向き合うもの、そういう体験をなさったらどうか。取り敢えず外に出て地べたを大股に歩いて下さい、休まず倒れるまで(be exhausted)歩いてみることをお勧めしたい、今の鳩山さんには。パサパサと重みのない羽音を立てて空を飛んでいる場合ではないでしょうに・・・。


近所のケヤキです。決して整ったとは言えないラフな枝振りに、奥行きと美しさを感じるのですが・・・♪♪♪??? 私は今壁紙にしています・・・♪
 

Re: 再・あまり進歩していない。初心忘るべからず!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月25日(火)01時47分26秒
返信・引用  編集済
  > No.4526[元記事へ]

> つい先程、すんごいものを見付けてしばし呆然と成っていました。これです。今文明の始まる時代の年表に手を染めていて、エーゲ文明・クレタ文明・ミケーネ文明ってどう違うんだ、百科事典の定義を見てやれと「万有百科大事典」を引っ張り出してきました。ハラリと落ちてきた紙切れを見て正に茫然自失状態、ポカアーンと見惚れてから食い入るように見入りました。
>
> これを作った記憶は勿論全く有りません。良く見ると弥生時代をB.C.2世紀からにしていますから随分昔ではないか(今はB.C.3世紀が定説=教科書になっていますが、2001〜2003年の国立歴史民俗博物館の研究によりB.C.10〜9世紀へと歴史が書き換えられようとしています)と思われます。あ、平成が入っていないから、と言うことは21年以上昔に作っていたことになります。未だインターネットを知らない会社員の頃からやはりこういうことに強い興味を持っていたんだなあと、正直言って感慨無量でした。B.C.500年以降は一行を100年として昨日ご紹介した「縮尺」を実践しようとしています。これだとミリ単位の計算が可能ですから、今作成中の年表より精度は高くなります。ホームページビルダーの「Table」作成能力では小数点以下の%は出せませんから。字は下手くそでもイッソ手書きにするか、小さな文字も可能になるしなどと考えたりもしました。
>
> それにしても何か大変に進んだことをやっている積もりで、本人は鼻高々だったのですがとんでもない、全く進歩していなかったのでした・・・嗚呼・・・(^^;)




最近実は「縮尺:人類史年表」というのを作りました。そしてただいまそれに改訂を加えて「文明の歩み・鳥瞰図」を完成させようと寝食を忘れず(^^)頑張っています。その段階でもう一度上の手書きの年表を凝視してみました。

全然話にならない元資料の扱い方をしている部分も有りますが、健闘しています。なにしろ全く歴史の勉強をしていない、そうです少なくとも22年以上前と言うことは53才以前にこれを作ろうとしているのですから、それにしては・・・少なくともその意気たるや壮とすべきでしょう。

実は私の野望をそっとここだけの話です、洩らしておきます・・・この僅か270平方センチの一切れの中に高校の世界史の教科書一冊分の情報を盛り込んでやろうと企んでいるのです。いやその企みは正に暴挙と言うべきであることはいくらか承知しては居ます。たとえばアスタリスク(*)を随所にちりばめて、そのそれぞれが膨大な資料にリンクするというような無謀かつ野暮な愚挙に及ばずば、不可能なことかも知れない、しかも各資料間のバランスが悪いとそれこそグチャグチャな年表に一変してしまうだろうことは、予見しています。

上目遣いに雲や月を眺めながら・・・自分を見失わないように居るだけでも難しくなって来て・・・22年分進歩するのかどうか、如何相成りますることやら・・・^^
 

新・富の再分配と書記

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月22日(土)03時05分18秒
返信・引用  編集済
  「新」もないもんだ、と言われそうですが・・・。

先日テレビで宝くじに当たる確立は雷に直撃される確立とほぼ同じ(これは間違っていると思いますが、それはさておき)と言っているのを聴いて連れ合いと顔を見合わせました。なけなしの小遣いから3000円張り込んでジャンボ宝くじを欠かさず買っていたのですが、「もう止めようよ」と無言の内に合意が成り立ったようです。

当たらないのも道理、払った3000円の何割かが「天下り」に流れて行っていると、昨日の「事業仕分け」のニュースで知りました。

何度も引き合いに出してご免なさい、今この本しか読んでいないもので・・・「銃・病原菌・鉄」にこんな一節が有りました。

「首長社会は、集権的に統治されている社会であり、そうした非平等社会につきもののジレンマに陥っていたことは明らかである。首長社会は、個人で得るには費用がかかりすぎて実現不可能なサービス(例えば当時の潅漑設備)を提供できる。その反面、富を平民から吸い上げ、首長たちによる搾取をいとも簡単に可能にする。(中略)この二つは不可分に結びついており、搾取がおこなわれるか賢政がおこなわれるかは程度問題にすぎない。――つまり、エリート階級が泥棒と見なされるか大衆の味方とみなされるかは、再配分された富の使い道に対する平民の好感度がどれだけかによって決まる。」

宝くじの3000円に関する好感度はさしずめゼロと申し上げなければなりません。この一節を読んでいてフト気付いたのがこの本に於ける官僚の扱い方です。索引で「官僚」を調べたら有りません、「書記」は沢山有りました。なんとプロローグの中に既に「書記」と「官僚」は登場するのです。人類が「狩猟採集生活」から「定住農耕生活」に成長します。そして生活集団が大きくなり技術も向上すると生産力が上がり「余剰生産物」が生まれてくる。この本の表現を借りれば「余剰食糧の蓄積は、書記や発明家を養うゆとりを社会に生み出しただけでなく、政治家を養うゆとりも生み出した。(中略)首長や王や官僚といった人びとが出現したのは、定住生活を送りながら食料生産をおこなう人口の稠密な人間集団が誕生して以降のことである。」

私は「官僚の歴史」というものを考えたことがありませんでした。ゴルバチョフ氏がソビエトの崩壊の原因はと聞かれて「官僚の腐敗」と青山学院大の女子学生に答えたと読んだとき、初めて官僚の存在に注目したくらい認識が低かったのです。せいぜい中国で昔「科挙」制度が有ったけどそれが「官僚制度」の始まりか、くらいにしか考えていませんでした。でもそれは大きな間違いでした。「余剰食料の蓄積」が可能になった先史時代に、その社会は食料の収集・分配のための「書記」を雇う必要に迫られました、そして誕生したのが「官僚」だったのです。「富の再分配」を行うために雇った「公僕」が「官僚」の始まりだったのです。

そして地に落ちた「公僕」は「大衆の味方」ではなく搾取に汲々とする「泥棒」とみなされることとなった・・・なるほどそういうことだったのか・・・合点、合点・・・。


それはさておき、「普天間問題」や「口蹄疫問題」を見つめそして耳を澄ましていて、おぼろげに姿を現してきた一つの「幻影」があります。簡単に言えばそうです「官僚」の影も形も見えなくなっています。民主党の掲げる「脱官僚政治」というのがこれなのでしょうか。いえそうではありますまい、過渡的現象として「現在の政治状況」があるのです。政府は官僚を使いこなしているとはとても言えません。フルに官僚の能力を引き出し公僕的役割を存分に果たさせていたら・・・恐らくこの二つの問題に限っても、違う姿に育っていただろうと、私は確信しています。「脱官僚」というのは「政治の主導権」について言う言葉にすぎません、「官僚の優秀な能力を用いない」のではないのです。現在の「過渡的政治状況」においては「官僚の能力」が用いられていない、活かされていないのです。

それだけではありません。わたしが「幻影」と申し上げた本当の意味は、口にするのも恐ろしいですが、これは「官僚の復讐」ではないかと思うのです。俺たちを袖にするとどうなるか、良おく味わえばよい・・・どうだ苦しかろう辛かろうザマをみろ・・・いえ、ですから「幻影」だと申し上げています・・・決してわざと手を抜いているなどとは申していません・・・^^
 

富の再分配と書記

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月22日(土)00時48分16秒
返信・引用  編集済
  なんともう一週間もここへは来ていません。折角お出でくださったかたには、申し訳ありません・・・m(_ _)m 言い訳をさせて頂きますと約1カ月前から取り組んでいる「文明の歩み・鳥瞰図」が佳境に入ってきて、恒例の散歩まで犠牲にすることが有るほどの熱の入れようなのです。一応は完成したのです、それなりに。たとえば「縮尺・人類史年表」の一番下をご覧下さい。これには「作成中!」の文字は入っていません、これで完成品だからです。ところがいろいろと欲が出て来てしまったのです、あれやこれやともう飾り付けが満載で、画面をなで回すと賑やかすぎて逆にサービス過剰の煩わしさをお感じになるかも知れません。

でも兎に角これで仕上げるべく進めているのですが、各王朝に「年代」を入れ始めてから予期しない交通渋滞が発生しました。いま通りかかっているメソポタミア文明一つをとっても、たとえば「ウル第3王朝」という時代は、高校教科書11冊のうち4冊はこれを取り上げて居ますから、なおざりには出来ません、で年代を調べるとこれが、一筋縄ではいかないのです。岩波書店の「世界史年表」では「前2112年〜前2004年」が山川出版社の「世界史大年表」では「前2113年〜前2006年」といずれも明記してあるのです。結局ウィキペデイアを参考にすることになって、さて日本版は「前2113年〜前2006年」、英語版は「アッシリア学者は最も正確な年代を割り出そうとして複雑な方式を取り入れたりしてみるけれども、依然議論は尽きません。」として取り敢えず2案を書いてくれています。で私は結局出発点に戻って山川出版社の「世界史B用語集」の説を採用するという、バカバカしい迂回路を辿ってしまうのです。

人類の文明の最も古い文明の発祥地「肥沃三日月地帯」の初期の頃は誠に入り組んで居るので遂に下のような図を探して来て添付することにしました。

いやメリットは有ります、大いにあるのです。つまりこの例で申せばメソポタミア文明から現在のイラクに至るまでのこの地の5000年間の歴史を、結果的にですが縦につぶさに読み返さなければなりません。その知識を得た上でトイレに行けば「銃・病原菌・鉄」で定住農耕はとか文字はとか集権国家はとか個々の問題点を言わば横から、歴史を輪切りにした視点から読み直すことになるのです。これは勉強になります。

さて前置きは兎に角、「富の再分配と書記」がこれまた誠に面白いのですが・・・本日はここまでにさせていただいて、また明日にでも・・・ご免なさい・・・m(_ _)m


 

アナログとデジタルの架け橋

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月16日(日)02時01分46秒
返信・引用  編集済
  昨日「アナログとデジタルの架け橋」と書きました。中村雄二郎氏の「術語集」だったと思い出して、調べたら「術語集U」の「リズム」の項(p.193)に有りました。読み返していたら「リズムの共振」とか「引き込みによる共振」とかの興味深い話に再会しました。たとえばこんな例があります。「十七世紀にホイヘンスは、二つの振り子時計を同じ木の台に固定しておくと、やがてそれらの振り子の振動がシンクロナイズして、同じように時を刻むことに気づいた」そうです。

今「引き込み 共振」でググってそれらしい「汎リズム論」をクリックしたら何と昔作ったホームページが出てきました。面白い話です、自分で言っちゃいけませんが・・・で確か「引き込みによる共振」を自然界で証明する例としてインドネシアにホタルの群れが一斉に点滅する記事の出た新聞を取って置いたはずだと探すと、本棚の片隅でホコリを被っていました。2001年4月15日の「日曜版」ですから図書館での縮刷版は無理かも知れませんね。スキャンしておきました。文字通り赤道直下のワイゲオ島で朝日新聞の斎藤鑑三氏が取材しています。この一本のマンゴーの木に数万のホタルが集まって「ホタルの光は上から下へ波のように繰り返し繰り返しうねる。」と表現して居られます。

この記事には「ホタルの点滅は、雌雄の出会いや互いの認識のためだが、なぜ特定の木に集まり、オスが集団で同時点滅するのかはわかっていない」とだけ書いてあって、「共振」とか「引き込み」の話は全く出てこないのですが、ノーバート・ウィーナー氏は「引き込み」の一例として挙げています。


夜空に星が弧を描いています
 

添水

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月15日(土)01時29分28秒
返信・引用  編集済
  大辞林では・・・

懸け樋などで水を引いて竹筒に注ぎ入れ,一杯になると重みで反転して水を吐き,軽くなって元に戻るときに石などを打って音を発するようにした仕掛け。

と書いてあります。今日下の画像を見付けてしみじみ見ていました。中村雄二郎という哲学者がこれを「アナログとデジタルの架け橋だ」と言っていたのを思い出しました。この意味が相変わらずよく理解できなくて、見蕩れていました。スルスルと流れ続ける懸け樋からの水の流れが「アナログ」であり、それを「一つの点」に変化させて点の継続と化するからデジタル化したと・・・そういう意味なのでしょうか・・・それにしても最初にこれを考えついたのはどんな人なのかなあ、どうやって思いついたのかなあと深々と沈み込んで考えてしまったのでした・・・

それにしてもこの大辞林の「語釈」、上手く書けているようでチョット気になります。全然見たことのない人がこれだけを読んで、ししおどしのカラクリを思い浮かべられるでしょうか? 竹筒が支点で支えられている事を書いて置いてその上で、「反転」という言葉を「一旦頭を垂れて」・・・でもおかしいか・・・少なくとも「反転」ではないけれども・・・^^

広辞苑ではこの部分を・・・

竹筒に水を引き入れ、たまる水の重みで反転した竹筒が石などに当たって快い音を立てるようにした装置。

としています。どうやら大辞林はこの「反転」をそのまま頂戴したのではないでしょうか?この「語釈」も独りよがりでとても現物を目に浮かべることは不可能です。そうだ大辞泉はよく写真や図が入って居るぞと見てみたらやはり・・・

流水を竹筒に導き、水がたまるとその重みで筒が傾いて水が流れ出し、軽くなって跳ね返るときに石を打って音を出すようにしたもの。

として写真(右)↓が有りました。これならまず文句なく現物の見当が付きます。最後に新明解は・・・

中央を支点にした太い筒が、流れ落ちる水を受け傾いて水をこぼすと、反転した筒が石などをたたいて高い音を出す仕掛け。

ウームと呻りました。これはかなりの善戦と言えるのではないでしょうか、これなら「反転」がその字義を遺憾なく発揮していますし・・・。広辞苑はこの事を言いたかったのが、成功しなかった。大辞林は更に「反転」だけを頂戴して「反転して水を吐き」と間違ってしまったのです。「水を吐いて反転」しなければいけないのですよね・・・。

ここでどうしても書いておきたいのです、真実を。私は上に書いた順に辞書を引きました。これをしたためながら、です。なので「支点」云々は「新明解」を見る前に書いたのです。ウームと呻ったのはそのゆえだったのです、これは本当の話です。

中型国語辞典の在り方を考えさせられました・・・。


大辞泉から→
 

インカを襲うピサロ

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月11日(火)02時19分51秒
返信・引用  編集済
  今トイレにジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を置いています。上巻が終わるところです。予感通り素晴らしい歴史書です。朝日新聞が取り上げて直ぐアマゾンに発注したのですがやはり注文が殺到したのか異例に待たされました。入手して「これは!」と下巻を買うときには既にここ宝塚の片田舎の書店にも華やかに並べられていました。

昨日ふと気付いたらこの本は上下合わせると一枚の絵になっているのです。ヘエッと思って調べたらジョン・エヴァレット・ミレーの「Pizarro Seizing the Inca of Peru」と書いてありました。あちらのWikipediaを見ると原書では一冊なのですね。なるほど中味を最も良く表わす絵だなあと思いました。探したらこんな写真が見付かりましたので・・・

実際には160人の手勢を率いたピサロは、8万人の兵を擁し輿に乗ったインカの王アタワルパに先ずバルベルデ神父を遣わしキリストの教えに従うよう申し出た。ところがアタワルパは聖書をポイと投げ捨ててしまったので、神父が怒ってピサロに訴えその場で捕虜にしてしまう。かくも簡単にインカ帝国は滅びたのです。ピサロの部下6人が記録していたので「史実」でしょうね。下の絵で神父が十字架を掲げているところなどは正に史実に忠実なようです・・・



 

ガマガエルと聖処女

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月11日(火)01時43分34秒
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  夕方ネットで読んで仰天しました。谷亮子さんが引っ張り出されたとは・・・!

ニュースで小沢幹事長とのツーショットが流れました。正直言って、私は目を背けました、正視できなかったのです。パアッと輝く金色が画面に満ちて小沢幹事長までコンジキに染めたかと目を疑いました。清らかなママさんアスリートが放つオーラでしょうか。

小沢幹事長と言えば昨年末の訪中団を思い出します。胡錦濤国家主席に600人との握手・写真撮影を強いました。そういうエネルギーを全て沖縄に振り向けていたら? と何故誰も責めないのでしょうか? 実に不思議なことです。天下国家のことはどうでもよろしい、自分さえ良ければそれで良い。そういうお人なのかも知れません。日本の政治家に足尾田中を期待するのは、もう無理な話なのでしょうか。「立ち上がるか新党」が破廉恥杉村を擁立するとやら、もう言葉を失います。

そんなことを思いながら記者会見を観ていたら、谷さんのオーラが消え失せてポイズン小沢の毒気が画面をどす黒く覆っていました。腐食しないはずの「金」をも腐らせ、国民栄誉賞をも泥まみれにしてしまいました。

罪を憎んで人を憎まずという言葉を聞いたことがあります。個人に対する嫌悪感は避けるべきだという人も居ます。しかし「程度問題だ」という声も聞こえてきます。私の標榜する「受容と献身」とか「Be forgiving」も、今宵はかなぐり捨てるといたしましょうか・・・(爆)


 

これはいけません・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月 9日(日)04時07分26秒
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  昨日の天声人語にこう書いてありました。(これは一週間後には有料になりますので、転載しておきます。)

(全文:安心を与える大きな政府か、活力を生む小さなそれか。国家像を語るのに避けて通れぬ設問だが、有事に問われるのは大小より強弱、そしてリーダーシップらしい。そう教える出来事が続く▼国の破産を防ぐため、ギリシャのパパンドレウ首相は全人格をかけて国民に我慢を説く役回りだ。自国通貨が暴落して済んだ頃と違い、混乱はユーロを介して世界に飛び火する。火元責任は大きい▼ユーロ危機も追い風としたか、英国の総選挙で、一貫して欧州統合に冷ややかだった保守党が第1党に返り咲いた。ただ、2党間の交代は「前にダメだった党」に託すこと。有権者は過半数を与えなかった。43歳のキャメロン党首に首相への目算はあるか▼はるかに重苦しい決断を迫られそうなのは、韓国の李明博大統領だ。黄海で哨戒艦が沈んだ原因が、魚雷攻撃である疑いが出てきた。韓国の船を狙う国はいくつもない。46人の殉職は、熱い心と冷めた頭の両方を大統領に求めている▼イラクにアフガンと、米国は万年有事。中国との二極時代を意識しながらも、オバマ大統領は核軍縮の長い道のりに踏み出した。そこに、未曽有の海洋汚染とされるメキシコ湾の原油流出である。神は越えられる試練しか与えないはずだが……▼普天間は、米国にすれば数ある懸案の、小さめの一つだろう。自らの言動でそれを大ごとにしてしまったわが首相。どんな有事もリーダーの資質を試すが、「ひとり有事」とは情けない。地球大乱の気配がにわかに漂う中、この人物に国を任せる間の悪さを思う。)

私がいけないと思うのは最後の一節です。最初に読んで途端に「ムムッ?」と思いました。何故だか読み返してみると強いて言えば太文字にした部分かと思うのです。この地球大乱の時期にこの首相は不適任だと論じているのです。他国の首脳に比して、リーダーとしての資質に欠けるのではないかという意味でしょう。趣旨には賛同します。我が国にとって誠に残念なことだと私も思いますし、言われなくてもそう思って居ました。

こういうのはどう説明したら良いのでしょう。「ブッチャケ」という感じで書かないと先へ進めません。要するにこの一節は「書き方」が悪い、というか「表現」が悪い。この文章からは嫌悪感が感じられるのです。個人対個人ならそれも許されるでしょう、しかし新聞は公器です。嫌悪感を感じさせる批判は「誹謗中傷」です、相手を傷付ける悪口です。公器が、しかも社を代表するコラムに於いてそれをやってはならないでしょう、面罵を。「社会の木鐸」を自称する以上そこのところは一層慎重でなければ。

能力やその結果である判断に問題が有るのかもしれません。しかし罪を憎んで人を憎まず、とも言うではありませんか。鳩山さんは自分を利するために、或いは人に迷惑をかけようと思って行動したわけではない、真面目に懸命に努力しておられると思います。その人物を批判し人格を否定するのは「人でなし」のする行為だと言っては言い過ぎでしょうか・・・?

公器は暖かさを持ってはいけないのでしょうか・・・?


日々是電脳写真から
 

大舞台

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月 5日(水)01時32分37秒
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  先日テレビを観ていて、フィギュア・スケートの高橋大輔選手が「おおぶたい」と言ったのを聞き咎めました。連れ合いと顔を合わせて「エッ! そうかなあ?」と。そうなのです二人とも「だいぶたい」と読むと思い込んでいたのです。広辞苑には「だいぶたい」は全く無し。「新明解」はどちらも立項せず。大辞林では「おおぶたい」の項に

@ 大きくて立派な舞台。
A 俳優の堂々とした演技。
B 能力を発揮できる,重要な晴れの場。また,広大な活躍の場。だいぶたい。

とあるだけです。これには参りました。ええっそうだったのか、参ったなあと慨嘆しきり・・・まあ検索してみるかと「おおぶたい だいぶたい」でググって見ました。悩んでいるご同輩が多いので先ず安心しましたが、NHKの放送文化研究所が見解を出しているのを読んで、ホットしました。こうだそうです・・・

「大舞台」の従来の慣用的な読みは[オーブタイ]で、歌舞伎などの古典芸能ではこの読み方が定着しています。しかし、放送で多く使われる「晴れの場」「活躍の場」という意味の「大舞台」は、[ダイブタイ]という人がかなり多くなってきています。このため、放送での読みは・・・古典芸能の場合は、○[オーブタイ]×[ダイブタイ]とし、スポーツなど晴れの場、活躍の場では(1)[ダイブタイ](2)[オーブタイ]としています。

やれやれ・・・にしても検索は助かります・・・♪♪♪

やはり辞書の編集者さんに一言申し上げたい。11年前に日本最大の放送局がこう言っているのだから、もう少し対応のしようが有るのではないか? と・・・


こんな比率で使われているそうです(NHKゆうどきネットワーク(2008年7月28日))。
 

鳩山さんは非を認めて謝罪するべきだった・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月 5日(水)00時27分20秒
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  昨日鳩山さんがようやく沖縄へ行きました。「みやね屋」というワイドショーが沖縄の人々との対話集会の最初から中継しているのを聴きながら歩いていました。

「すべて県外にというのは現実問題として難しい。沖縄の皆さんにご負担をお願いしなければいけない」

鳩山さんはこれを伝えるために時間切れ寸前になって現地へ初めて足を運んだ、これでは誰でも「理不尽だ!」と腹を立てます。問題が拗れるだけこじれるのを待って問題解決に着手した、それでは最初から上手く行くはずがありません。出発点での間違いは「国外、最低でも県外」と口外してしまったことです。これほど根の深い、影響範囲の広い 大きな問題を精査された裏付け資料も現地での根回しも、従って確たる成算もなく軽々に約束してしまったのが、そもそも大きな大きな間違いだったのではないか? 誠に大甘の認識不足だったのです、出発点が。

でも未だ2週間前なら何とかなったかも知れない。鳩山さんは3月31日の党首討論で「腹案」を口にされた。そしてその20日後の4月21日の党首討論では「腹案が米国に理解されるかどうか、水面下でしっかりやりとりしないといけない。それをしないうちに地元に言ってもご迷惑をかけてしまう。まだ腹案をやり取りしている最中なので、申し上げることができない」。

私に言わせればこれが土下座の時期だったのです。いや一国の総理に本気で土下座を奨めはしません、精神的に全てをさらけ出して素っ裸になって「実はこんな状態です。すべて県外というのは現実問題として難しいことが明らかになりました、ご免なさい、沖縄の皆さん、国民の皆さん申し訳ありませんでした、全ては私の坊ちゃん的な認識の甘さのせいです!!!」と首を差し出すべきだったと私は思うのです。

そうすれば今の窮地には陥らなかった、「うらおもて」の無い人が、正直に涙を浮かべて謝るのだからと、矛を収める人も居たかも知れない、それを「まだ腹案をやり取りしている最中なので、申し上げることができない」と高飛車にやってしまった。だからサムライでないと言うのです。ここが言わば正念場だったと思います。麻雀で言えば勝負所で危険パイを握ってしまった、さあ「勝負!!」と叩き切るかグッと堪えて握り潰すかという・・・そこでボンボンはまあなんとかなるさと危険パイを放銃してしまったのです。

実は私はそれでも未だ見放しては居なかった、昨日が最後のチャンスだと生唾を飲んで見守っていました。国民が注視している真っ只中で沖縄の人々の面前で謙虚に謝罪する最後の機会だったでしょう。「私の判断の甘さ、指導力の無さ、洞察力の乏しさがこうして国民の皆さんをも愚弄する様な結果に立ち至りました、どうかお許しください・・・」。このように自らの不明を恥じ心からの謝罪をする・・・この「儀式」が無い限り5月内決着は無いと私は思います。なぜ潔く「非を認める」ことをしないのか? 鳩山さんはそのチャンスを逸しました。これで終わったなあと私は歯を食い縛っています・・・。


カイツブリは今年も黙々と営巣中
 

文明の歩み・鳥瞰図

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 5月 2日(日)12時29分3秒
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  こんにちは。お役にたてて光栄です(^^)。  
    (リベル) なにか投稿を無理強いしてしまったようで、申し訳ありません。黙っているわけにも行かず、ということでお許しください・・・m(_ _)m (5.2 17:18)  

Re: Re: 途中経過

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 5月 2日(日)01時14分36秒
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  > No.4737[元記事へ]

> > この年表のタイトルは中学生を意識して「文明の流れ」としていますが、「文明の概観図」と名付けていて堅苦しいので変更したのです。「文明の流れ図」というのもおかしいし、どなたか良い案がおありでしたら、是非お教えくださいませ・・・宜しくお願い致します・・・m(_ _)m
>
> 「文明の流れ」でいいように思います。「鳥瞰図」やら「歩み」やらと考えてみましたが、どうも適切な言葉が浮かびません。お役にたたなくて・・・。


今日はいつもと違うバス停で空を眺めたり銀杏や地面を眺めながら、つらつら考えていました。そうです「世界の文明・鳥瞰図」で頭がいっぱいで・・・。

しかし「世界の文明」はチョット違うなあ、これだと時間が固定されてしまう。文明の移り変わりを一望のもとに収めるのだから「文明の流れ・鳥瞰図」としなければ・・・いや待てよ流れと言うとなにかスムーズに遅滞なく進んだように感じられる。しかし実は文明の移り変わりには、人間の苦悩があり闘いがあり殺戮があり崩壊があり、そして立ち直りがあり工夫があり建設があり再構築があるという繰り返しの歴史が伴う。だからこれは流れではなく人間の歩みなのだ。「文明の歩み・鳥瞰図」であるべきなのだ、と考えた途端・・・あれっ!これって全部あずきさんご提供の言葉では無いか・・・と唖然としました。

恐れ入りました・・・m(_ _)m ものごとの本質を一瞬に把握して、適切な言葉に変換する能力は流石ですね。ただただ脱帽あるのみってえか、本当に感謝に堪えません、有難う御座いました・・・(^^;)


弘前公園の桜です(日々是電脳写真さんから無断で)
 

うらおもてのある人

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月30日(金)17時20分59秒
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  イギリスのブラウン首相が困っていますね。国民の意見を「拝聴」し洋服を褒めて笑顔で分かれて車のドアを閉めた途端に「頑迷な女どうのこうの・・・」と本音を披露してしまいます。私の頭に浮かんだのは他ならない「小沢さん」でした。この人が例えば地元に帰って支援者ばかりの中で講演するときの柔和な顔つきと不自然なばかりに猫なで声な話し方が思い出されます。楽屋に帰った途端に上機嫌な表情と、声色は消え去っているのでしょう。

多かれ少なかれ大人には「うらおもて」が必要です。つまり「便宜上の嘘」は潤滑油として必需品かと思います。それすら頑固に排除すればやはり「変人」呼ばわりは避けられないでしょう。人の心を傷付けないためにやむを得ずつく嘘は許されて良いと、これは私も思います。されど、されどです・・・

車のドアを閉めた途端に態度が一変して、秘書に向かって募っていた不満を悪態と共に吐き出すような「うらおもてのある」人はそう多くはないと思うのです。大胆に私の勝手な判断を書きますので聞き流してください。たとえば近い鳩山首相は無いでしょう。自民党の谷垣総裁も無い。桝添さんは大いに有る、与謝野さんは分からない。鳩山さんでも邦夫さんは有る。

自分は・・・有る先日取り上げた「きれいな心」の人は勿論、「うらおもて」は無い。

そういう人に私はなりたい。「サウイウモノニワタシハナリタイ」と言ったこの人はしかし「うらおもて」が有った人ではないと思います。


「アメニモマケズ」(推定1931年11月3日)の原稿です。下宿の近くに文学通の居酒屋の女将が居ると聞いて文庫本を持って「サムサノナツ」はミスぷりではないかと、真面目に詰め寄ったことがあります。このときまさに見事なまでに無視されました。汚い言葉で言えば「洟も引っかけられなかった」のを覚えています・・・(>_<)

「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ」なんて本当に噛めばかむほど味わい深い言葉ですね・・・。
 

Re: 途中経過

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 4月30日(金)13時03分2秒
返信・引用
  > No.4736[元記事へ]

> この年表のタイトルは中学生を意識して「文明の流れ」としていますが、「文明の概観図」と名付けていて堅苦しいので変更したのです。「文明の流れ図」というのもおかしいし、どなたか良い案がおありでしたら、是非お教えくださいませ・・・宜しくお願い致します・・・m(_ _)m

「文明の流れ」でいいように思います。「鳥瞰図」やら「歩み」やらと考えてみましたが、どうも適切な言葉が浮かびません。お役にたたなくて・・・。
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

いや、有難う御座いました。「鳥瞰図」が正にピタリ言い表わしています。やはり皆さんにお願いしてみて良かった・・・つくずく良かった、本当にお礼申し上げます。

私の意図は正に文明を5400年前から現代の諸国に至るまで「鳥瞰」したかったのです。何で思い浮かばなかったのかと、口惜しくなってきます、やはり言葉のプロにはかないませんね、本当に有難う御座いました・・・m(_ _)m(4.30 14:33)
 

途中経過

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月29日(木)04時03分46秒
返信・引用  編集済
  文明の誕生から現在までの大きな流れを概観するための「文明の流れ」という年表を作りました。こまごまとした便利ツールを付け加えているところです。例えば「メソポタミア文明」をクリックして頂くと、その当時の地図が出てきます。細かいですが真ん中辺の薄緑の四角の中の「ア」をクリックして頂くとアレクサンドル大王が征服した領土が出てきます。中国の各王朝の地図も付ける予定ですが、1ヶ月はかかると思います。アレクサンドル大王の図面などは少し美しくないので、追々改訂します、お許しを・・・。

面白くて発展性に富むのが右下の逆三角形です。マウスを乗せて頂くと解説が出ます。いまのところ3件だけですが、世界史上のエポックメーキングな出来事を選定して掲載したいと思っています。これは2週間ほどで出来るかも知れませんが、選定の妥当性の基準が無いのが悩みの種です。

この年表のタイトルは中学生を意識して「文明の流れ」としていますが、「文明の概観図」と名付けていて堅苦しいので変更したのです。「文明の流れ図」というのもおかしいし、どなたか良い案がおありでしたら、是非お教えくださいませ・・・宜しくお願い致します・・・m(_ _)m
 

最高の人生の見つけ方

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月27日(火)02時12分34秒
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  これはなあに昨日観た映画のタイトルなのです。2008年の日本アカデミー賞の外国映画賞にノミネートされたそうです。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンがを競います、なんて言わないですね。いや確かにそれも見所の一つなのですが、誠に味わいの深いそして何かと考えさせられる良い映画でした。原題は「The Bucket List」で劇中では「棺桶リスト」と訳されていますが、辞書には有りません。死期を定められた人がやっておきたいことを書き出したリストをそう称するそうですが。この邦題はもう少し何とかして欲しかった、そう思わせるシリアスな内容の映画でした。いや自分の死期が近いからシリアスに受け取れたか、とも思いますが。

二人がピラミッドの頂上で話すシーンがあります。そこでモーガン・フリーマンがこんなことを言います。

天国の入り口に門番が居て、次の二つの質問に正解すれば天国へお通ししますと言います。先ず一問目は「あなたは人生を十分に楽しんだと自信を持って言えますか?」ですが、一代で大富豪となったジャック・ニコルソンは「YES!」と答えます。この時映画の製作者は観客にも考える時間を十分与えるよう工夫しています。って言うか私もゆっくり考えることが出来ました。私も迷った末に「YES!」でした。

二問目は「あなたは他の人に十分な喜びを与えたことがありますか?」財を成してやりたい放題の生活を送ってきたジャック・ニコルソンは答えに窮してか、深刻な打ち明け話を始めてしまうのですが・・・そこで話が逸れていくのではなくむしろドラマの核心に迫っていくのですが・・・私は一旦ディスク再生を止めて考えこんでしまいました。

これなんだなあ、と。数日前の奥村土牛の言葉が被ってくるのです、「生きた絵」を描くことの難しさ、死ぬまで努力を続けるだろうという。他の人に、でなくても良いたとえば我が子に、友に、連れ合いに自分は十分な喜びを与えてきたと言えるのだろうか、胸を張って? 誰かに本当にあなたのお陰でとても楽しい人生を送らせて頂きました、そこまで行かなくても、とても楽しい時間を過ごさせて頂きました、と言われるようなことをしてきただろうか、私は? 「生きた絵」を描いてきただろうか?

先日書いたことをもう一度繰り返したくなりました・・・生きるということは自分だけに出来る何かを、拙くても良い誰にも知られなくても良いソット地上に置いて去っていくことだ、出来なくても良いそう努めたい。というような段階ではこれは「No!」だなと思いました。未だ天国は遠いのです・・・。

ということで、また映画に戻りました。この映画を作った人達は、制作・監督・俳優達は、私を十分楽しませてくれました。彼等は天国入りOK!ですね・・・♪♪


ピラミッドの頂上で話す二人
 

「アルファベット」・・・なんだ、そうだったのか・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月26日(月)17時45分54秒
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  先ほど他に無くて、NHK教育を回したら高校生向きの「世界史」とやらをやっていて、その中に「楔形文字」とか「ロゼッタストーン」の話が出て来たので耳を奪われました。驚いたのは「アルファベット」の由来です、何と最初の出だしをとって「アルファ」+「ベータ」で「アルファベット」だと言われてガクッと来ました。いや初めて知ったのですお恥ずかしい、一方では安物の手品の種明かしをされたような、妙なガッカリ感もありましたけど。

聞き手の女子高校生(でしょうね)が、あ、「いろは」のようなものですねと、返したのに妙に感心したのですが、これは打ち合わせ済みだったのでしょう・・・。

とにかくこの番組内容が今度は聞き捨てならなくなって、今後の放送予定をチェックしました。幸い新学期とて今日が2回目だったので好都合です。ちなみに番組予定表はこちらです・・・よろしかったらご覧ください・・・。

そういえば、前年度の放送分で丁度その時読んでいた本「ラテン・アメリカ史」とカブって興味深く聴いたのがこれでした。アメリカの誕生秘話・・・というと言い過ぎですが・・・。


大航海時代の模様です。これから大虐殺と疫病の流行が始まり先住民が大量死するのですが・・・詳しくは「銃・病原菌・鉄」でどうぞ・・・^^
 

新機軸「世界の文明の流れ」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月26日(月)03時38分59秒
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  昨日までさんざ宣伝していました「縮尺:人類史年表」の「文明の流れ」の部分を取り出して「人名歴史年表」に取り込みました。一つの大きな夢がようやく叶いました。これでその人物が世界の文明の流れの中でどの辺にいるのかが、パット一目で分かるのです。次をお試しください。

先ず「人名歴史年表」を呼び出して、右上のガリレオの写真の下の「世界の文明の流れ」をクリックしてください。エジプトを統一した初代の王メネス王(B.C.3100年)からソクラテス(B.C.400年頃)までが結構長いのですね、それから80年後にアレクサンドル大王(〜324年)、右の方のうす緑色がチンギスハン(1206年〜)、そのころ日本は鎌倉時代でアメリカ大陸ではインカ帝国アステカ帝国の繁栄期・・・なんて見ているだけで楽しいでしょう♪インカ帝国は1533年スペインのピサロに、アステカ帝国は1519年これもスペインの32才のエルナンド・コルテスに征服されています。実はジャガイモ(1537年)もタバコ(1535年)もこの頃初めてヨーロッパに持ち帰られたのです。人間が都市や国を作り始めてから、ジャガイモやタバコが地球を席捲するまでが如何に長かったか、そしてまたアッという間に広がったか・・・などと・・・興味は尽きません。一家に一枚「文明図」はいかがですか・・・^^


「ジャガイモを食べる人々」(1885年・ゴッホ)高校生の時この絵に接して、長い時間見つめ続けたことを、思い出しました。実は血圧が高めの私奴はオーブンで焼いたジャガイモを塩は勿論バターも何も付けずに食することがよくあります。これが本当はとても美味しいのですが、いやそうでもないからか、その折りにこの絵をよく思い出すのです・・・
 

Re:Re:ロビン・フッド

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月26日(月)01時14分32秒
返信・引用  編集済
  あずきさんいらっしゃいませ。下のレスに入り切らなくて・・・(^^;)

実はその通りなのです。私の見かけた映画「ロビンとマリアン」(これは1976年のものでした)も獅子心王リチャードの時代なのです。ウィキペディアなどもそうなっていますし結構悩みました。東京堂の「新版世界人名辞典」でははっきり「1160〜1247年頃」としていますし。

ところが「岩波ケンブリッジ・世界人名辞典」では13世紀として「この伝説は、1381年の農民の反乱を引き起こした人民の不満から生まれた可能性がある」等とも書いているのです。英語のwikipediaも先ず獅子心王リチャードがポピュラーだとして置いてから、実は色々な説が有って云々と流石にビッシリと列挙してあります。

ウームと迷ったあげく最後に背中を押したのは「コンサイス外国人名辞典」で、それにはこう書いてあったのです。「12世紀末の実在の人物と言われるが確証はなく、14世紀の叙事詩「農夫ピアズの幻想」第2版で最初に言及(初出ですね)。伝説によると・・・」。これは私の頑固な編集方針(架空の人物の場合は「誕生年」のみを記載しています。「作者」がその「人物」の「作品」を完成した年、または世に出した年を「誕生年」としています)と最も合致する解説だったので、やっと踏ん切りがついたという訳なのです。

歴史というのはかくも面白いものなのですね、こういうことを調べているときの自分は中世にフワフワ飛んで行ってこの写真のような格好をして陶然としているのです。新党も普天間も馬鹿げて見えてくるのが又嬉しいことですし・・・^^
 

Re: ロビン・フッド

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 4月25日(日)22時18分39秒
返信・引用  編集済
  > No.4729[元記事へ]

一丁上がり!の後でごめんなさい。1991年の映画「ロビン・フッド」を観ました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%89_(1991%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%98%A0%E7%94%BB)

ロビン役は「ケビン・コスナー」です。ここでは彼は貴族となっています。
最後の、マリアとのハッピーエンドのシーンでは「ショーン・コネリー」が「獅子心王リチャード」役で登場していました。

この映画がどれだけ時代を正しくつかんでいるかは、もちろんわかりませんが、「獅子心王リチャード」はどうやら1157〜1199年を生きています。そうなるとロビン・フッドの時代は決めかねますね?森のなかではこんな感じでした。ロビンは弓の名手でした。
 

一丁上がり!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月25日(日)07時05分42秒
返信・引用  編集済
  「縮尺:人類史年表」の最後の部分「5,400年前〜現在の「文明の概観図」」が出来ました。10日もかからなかったのは、私にしては珍しいスピードでした。スタートまでの試行錯誤が長くて、グラフ形式で精密なものを作ろうかと「エクセル」を勉強しかけたりもしていたのです。本当はグラデーションをかけたいところが有ったり、グラフの「線」を消したいなあと思ったりするのですが、取り敢えず一丁上げてからにしようと、そういう魂胆なのです。ということで、一丁上がり!

下の図の様なものを私なりに作りたかったのです。地球上で主な文明が6カ所(中国、インド、メソポタミア、エジプト、中央アメリカ、南米)で誕生した、それぞれがいつ頃生まれてどういう軌跡を描いて現在の地球の地図に至ったかをおおざっぱに概観するツールが欲しい、そういう目的で始めました、十分でないのです、何か・・・。何をどうすればよいか、眺めたり類書を見てみたりしながら、完成に向かって歩き始めるというのが本当のところです、取り敢えず「一丁上がり!」。

そうそう忘れていました、こんな事は決めています。例えば「ヒッタイト」をクリックすればこんな地図が出るようにします。そうしないと込み入っていて分かりにくい地理関係が結構多くて嫌になるので、地図を見て理解を促進するようにしたいと思っています。こう言うのはインターネットならではの「メディア」の利点ですから。


文明の流れ
 

ロビン・フッド

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月24日(土)01時24分55秒
返信・引用  編集済
  数日前、ショーン・コネリーとオードリーヘプバーンの映画「ロビンとマリア」というのを録画していたので少し見かけたのですがあまり面白くなくて止めました。そんなことがあったせいか、今日起きる前に「人名歴史年表」に「ロビン・フッド」を書いていただろうかとフト気になって調べたら、やはり取り上げて居ません。ウィキペディアで調べたらそれも道理、本来フォークロアで、書かれた年代が特定できないのです。チョット気になった一行がありました。「まとまった物語の存在への言及は、14世紀のウィリアム・ラングランドの長編詩「農夫ピアズの夢」において触れられているのが最古である[1]。」として注が「怠け者の司祭が、「主の祈り」はよく覚えていないが、ロビン・フッドの詩は知っていることを告白するくだりがある。V.396 in Schmidt's ed.」となっていました。

飛んでいくと、「William Langland's The vision of Piers Plowman=ウィリアム・ラングランド著"農夫ピアーズの夢"」とあって5篇の396行目に有りました。これが書かれたのは1360〜1387年です(Wikipediaから)

"I kan noght parfitly my Paternoster as the preest it syngeth,     5.395
But I kan rymes of Robyn Hood and Randolf Erl of Chestre,"     5.396

中英語らしいのですが分からなくて「syngeth」で検索したら、驚きました、こんなのが出てきたのです。「「主の祈り」はよく覚えていないが、ロビン・フッドの詩は知っている」ということらしいのですが、どうしてこれが有名なのか、サッパリ分かりません。全文を入れて検索したら、なんと29件ヒットしました。その中の中国語のサイトへ行ってみたらこう訳してありました。

”I do not know my paternoster perfectly as the priest sings it
But I know rhymes of Robin Hood and Randolf Earl of Chester.”

脱線ついでにそのサイトを読んでみると、このフレーズは「ロビン・フッドの話を読むのは時間の無駄遣いだ」と言っているのだそうです。しかし、この解釈は正しいのでしょうか?私は違うと思います、だって額に入れて飾るのですから、何か深いことを意味しているに違い有りません・・・分かりませんが、それが何だか・・・;;

取り敢えず最初にその名が登場した書物をその人物の「存在証明」というように扱っているので「人名歴史年表」は「1360年頃」としておきました・・・いやはやこれを調べるのに1時間半・・・時間の無駄遣いもいいところでした・・・^^

[追記]先ほどの中国語のサイト「百度」って書いてあったのですが、これってGoogleの撤退話の時に出てきた中国の検索エンジンですよね。色々試してみましたが、使い心地が悪いです。「ハンセン病」で検索したら日本と全く模様が違います。たとえばやたらに「PDF」が多いのです、比較的に安全性(?)が高いのでしょうか。これは強力な検閲による規制がかかっていることをヒシヒシと感じます、お試しください。これは時間の無駄遣いではありませんでした。恐ろしいです、本当に背筋に寒気を感じました・・・。(4.24 02:00)


ノッティンガムにあるロビン・フッドの像です。中国を射よ!
 

Re: 拾ってきました・・・

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 4月23日(金)00時48分27秒
返信・引用  編集済
  > No.4724[元記事へ]

> 「私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。むずかしいことではあるが、それが念願であり、生きがいだと思っている。

「芸術に完成はあり得ない。要はどこまで未完成で終わるかである。」←これが続きです。

多分、この土牛の言葉はリベルさんのこころに残るのではないかしら?と思っていましたら、案の定でしたね。あずきの心眼もなかなかのもの(^^)。

ついでに「醍醐」の画像も拾っていったようですね???

これは「門」です。姫路城の「はの門」です。
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

見事に読まれていましたね、お面を一本取られたっ・・・という心境です。これはとても考えさせ、安心させそして元気を呉れる言葉ですね、有難う御座いました。

いや実は「醍醐」の画像は「奥村土牛」で画像を検索して拾ったものだったのですが、全体がもっと黄色っぽくて、桜だと気付きませんでした。あずきさんの「ふくろう日記・別室」で昨夜見付けて、ありゃあと驚いて取り替えたという次第なのです。

いま「はの門」を検索してこんな記事を発見して読み耽っていました、いや近いのに姫路城へ行ったことがないのです。お城ってこんなに工夫が凝らされているとは、全く知らなかったので、夢中で脱線していました。感謝、感謝です・・・(^^;)(4.23 03:25)
 

掃苔趣味

 投稿者:北風  投稿日:2010年 4月22日(木)20時36分20秒
返信・引用
  別に他意はなく思ったことを書かせていただいただけですが。

「掃苔趣味」というのは、いつか、最近、有名人の墓をたずねる「歴女」ならぬ「墓女(?)が増えたという話題がありませんでしたっけ?
そんなのは、今に始まったことじゃなく「掃苔趣味」というのは昔からあった、という意味で使ってそれが残っていただけ。古くは「掃苔」という雑誌もありました。

意見が違えば「引きずり落とし合う」とは思いませんが、ご不快ならば退散します。
 
    (リベル) 意見は同じなのですが・・・^^

私の感覚はご理解頂けたと拝察し、その上でご無礼をお詫び致します・・・m(_ _)m(4.22 23:43)
 

天声人語

 投稿者:掃苔趣味  投稿日:2010年 4月22日(木)11時06分0秒
返信・引用
  天声人語のスケールというか、志というか、ずいぶん低くなった気がいたします。
それに比して、岡本真夜の態度の大人のことか。
 
    (リベル) 仰有るとおりなのですね、つくずく慨嘆します。時折1週間か10日に一度、舌を巻くような見事な一発にお目にかかることも有るのですが・・・。

まあ、私如き素人の発想の域を出ないようでは、どうにもいけませんね・・・^^

最近私の後撫でのようなのが増えてきたので、我慢がならなくてついつい大人気なくデジャヴュなどと喚いてしまいました・・・(^^;)

さて掃苔趣味さんにここで申し上げておきましょう。掃苔を辞書で引くと、「〔墓石の苔を掃き清める意〕墓参り。特に,盂蘭盆の墓参をいう。墓掃除。」と有ります。

ここは墓石なのでしょうか、そういう意識は特に持って居られないのなら、何故投稿内容がいつも「批判的」なのでしょう?つまり私の発言を引きずり下ろされるのでしょうか?ご自分を「一言居士」とか「ご意見番」と自負しておいでなのでしょうか?

仏の顔も何とやらと申します、今回で2度目ですね。何らかのご説明が無い場合は、今後投稿を拒否させて頂きます。人はお互いに引きずり落とし合うのではなく高め合っていくべきなのではないでしょうか?

これはごく常識的な対応だと思っています、悪しからずご高配賜らんことを・・・。(4.22 17:47)
 

デジャヴュ

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月22日(木)02時19分9秒
返信・引用  編集済
  >元記事へ

ホンダ、ソニーと紛らわしい「HONGDA」のオートバイや「SQNY」の乾電池が出回った国である。中国のコピー癖に今さら驚きはしないが、国の威信をかけたイベントまでとはニセモノ天国も半端じゃない▼上海万博のPRソングが岡本真夜(まよ)さんのヒット曲にそっくりな件で、万博実行委が岡本さん側に「あの曲を使わせてほしい」と申し出た。遅すぎる依頼ながら、岡本さんは「とてもすてきなお話で光栄です」と応じたという▼13年前の「そのままの君でいて」が、ほぼそのまま、なぜか中国の国家事業を盛り上げる運びとなった。先方は穏便にさばこうとしたのだろう。「盗作に抗議」「認めて謝罪」という手順をすっ飛ばした、お手軽にして珍妙な落着だ▼この荒業、当方も冗談としては話していた。冗談を地で行く国である。例えは悪いが、万引きの犯人が「倍払うから許して」とひれ伏した図が浮かぶ。そして店側は「とてもすてきなお話」と▼〈もっと自由に/もっと素直に/強がらないで歩いてゆこう〉という岡本さんの詞に導かれたか、体面を重んじる国にしてはビジネス本位の、素早い対応といえる。万博まで10日あまり。さすがに正面から争ったり、曲を作り直したりする余裕はなかったらしい▼盗作騒ぎは、中国のインターネットで「国の恥だ」と火がついた。岡本さんはかの国でも知られており、はやりものに疎い当局が笑いものになった。ネットをあれこれ規制したところで、人の口に戸は立てられない。「OKANOTO」が通るはずもない。(2010年4月21日朝日新聞「天声人語」)
 

拾ってきました・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月22日(木)02時07分5秒
返信・引用  編集済
  あずきさんのホームページで見付けて、思わず唸ってしまい運んできました。奥村土牛85歳の時の言葉です。

私はこれから死ぬまで、初心を忘れず、拙くとも生きた絵が描きたい。むずかしいことではあるが、それが念願であり、生きがいだと思っている。

「拙くとも生きた絵」というのは人間の生き方に当て嵌めることが出来ると思うのです。「生きた絵を描く」という心の持ち方で生きていくことは「むずかしいことではある」が何とか頑張りたい。拙くとも頑張りたい。

いや奥村土牛という老練のプロのおっしゃる「生きた絵」というのを、私如きが全て理解できるとは思いません、それほど図々しくはない、不遜ではないつもりです。だけどなんかわかるんだなあ自分なりにその意味が。いわば自分の中にある伝えたい大事なものを生き生きと生々しく、絵を通して他人様の心に流し込むことが出来ないかなあ、とそう仰有っているのかと思います。

それを技術上の問題ではなくつまり「絵の描き方」ではなく、「人の生き方」として述べられた言葉なのではないかなと、そう思うのです。むずかしいことだけれどそうしたいと・・・。生きるということは自分だけに出来る何かを、拙くても良い誰にも知られなくても良いソット地上に置いて去っていくことだ、出来なくても良いそう努めたいと・・・、そんな風に・・・。


醍醐
 

生物の大量絶滅か?

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月21日(水)03時17分46秒
返信・引用  編集済
  昨日の朝日新聞にこんな記事が出ていました。考古学上確認済みの「大量絶滅」は過去5回有ったとされています。「現代は6回目を迎えているのか?」と黒沢大陸記者(良い名前ですね)はここで警鐘を鳴らしています。

私も「人類史年表」の「地球と生命の歴史」で五回の大量絶滅を取り上げて居ますが、さらにこの記事をそっくり頂戴して「生物の大量絶滅」というページを作ってしまいました。ただこのページへはなかなか訪問できないような仕掛けになっております。マニアックな方だけにお読み頂けるようにと、こっそりひっそり開設しました。お暇な方は試みにホームページからたどり着けるか、お試しください・・・(^^;)

実はこの記事に私が特に注目してしかも仰々しく取り上げたのには理由があるのです。注意深くご覧頂くと、この年表↓は通常の「地質年代表」とは上下が逆になっているのです。地層の古い方が断層の「」になっているので昔から「地質年代表」は古い年代が「」になっているのです。お手持ちのどんな「地質年代表」をご覧になってもそうなっているはずです。私が上に紹介した「地球と生命の歴史」を作るとき、私は「俺が初めてだろう」と自負しながら天地を逆さにし、常識を覆した地質年代の表記方法を実行して、内心鼻高々だったのです。その鼻っ柱を大陸氏に見事に打ち砕かれましたと言うか、と言うよりも正に意気投合してその結果このように仰々しくなったという次第です・・・^^


大量絶滅の歴史(朝日新聞紙面から)
 

払えばいいんでしょ、払えば・・・という奴!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月20日(火)18時03分44秒
返信・引用  編集済
  「上海万博のPRソング」がなんか岡本真夜さんの「そのままの君でいて」の盗作ではないかと数日前に聴いて「あ、これは!」と思っていたら、岡本さんの事務所に「使用申請」が来たという。正に孔子さんも顔を赤くされるのではないか、最近何かと中国民族は「」をついて自らを貶めて居ます。私達日本人がこんな事をやるとやはり自分が恥ずかしくなるものです。中国人を私は尊敬していましたが、やはり殺し合って王朝の変遷を辿ってきた民族は「」を使用せざるを得なかったのではないか、などと思ってしまいます。

「自らを恥じる」と言うような気持ちは中国には無くなったのでしょう、「チベット」や「餃子騒動」や「偽ブランド」や、次々に頭の中に湧いてくるのが、むしろ不快ではないですか?一党支配体制がこういう事態を齎すのでしょうか。

もしばれなければあのまま使っていたのでしょう。私達なら「ご免なさい」とか「手続き中で・・・」とか、これもいけませんが、何か一言言うでしょう。それをばれたから仕方がないと、「使用申請」ですと???

これはまあヒトを馬鹿にしているにも程があるとか言う奴です。「いけねえ、ばれちゃったか!!!」とか少なくとも「ご免なさい」と一言言うべきです。万引きを見付かって「いや払うつもりだったのについ忘れて居て・・・」という万引き常習犯と全く同じ手口です、私に中国語が書ければ、中国語で書きたい。を知りなさいと、申し上げたい。


そとづらはきれいな上海万博
>
 

これは驚いた!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月19日(月)03時45分10秒
返信・引用  編集済
  何気なく・・・ホントに何気なく検索したらなんとなんと、トップに居ました。WHOの数字とか、療養所のデータなどは折に触れて更新してはいるのですが・・・。Yahoo!では8位でした・・・





ついでにこちらも健闘中です・・・(4月3日のものですが・・・)
 

自分の子供を殺す!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月17日(土)18時13分36秒
返信・引用  編集済
  何か毎日のようにこんなニュースが報じられます。私が古い人間(75才)なのでしょうか、これは異常事態だと思うのですがジャーナリズムにそういう報道姿勢は見られなくてそれが不思議でなりません。大体私達普通の人間(と言っても良いでしょう)は植物の枝を折る、を殺す、蜂の巣を破壊する、ミミズを踏み殺す、ナメクジに塩をかけるくらいは出来ても、少し大きな動物になると殺せなくなります。先日話題になった鹿もそうですが、水鳥になるともう抵抗感が強くなります。犬、猫は勿論ネズミを自分が手を下して殺すことをあなたはお出来になりますか?

昔中学生である少年Aが同級生の首を切るという事件が有りました。彼はその前に猫の首も切った経験が有ると聞きました。精神的に異常があるのかも知れません、兎に角普通の人には出来ないことです。人を殺す事だけでも異常でしょう、1972年のアンデスでの航空事故で人肉食が大きな話題になりました。

それが最近では我が子を殺すとか、自分の親を殺すという事件が日常茶飯事になって来ました、これは異常を越えて・・・言葉が有りません。内縁の夫が云々はそれでも未だ分かります、しかし実の子を殺すというのは・・・。

シーア・コルボーンの「奪われし未来」(第13章)にこんなことが書いてあります。

 出生前にPCBにさらされていた個体には学習障害と多動症が・・・

 人間の知能(IQ)にも知らず知らずのうちに悪影響を及ぼしている・・・

 オンタリオ湖の汚染魚を食べていた女性から生まれた子どもたちにはラット同様、ストレスへの過剰反応が見られた・・・

 汚染被害にあった島で、子育てがなおざりにされていることが確認された・・・

 とは言え現時点では、ホルモン作用攪乱物質が人間の社会や行動に厄介な問題を引き起こしているのかどうか、もしそうだとすればそれはどの程度深刻なのかについてはまったくわかっていない。(中略)しかし、動物実験からは、発育期にこうむった有害化学物質の影響が、その後も学習能力や行動に影を落とすという事実が明らかになりつつある。ホルモン作用が攪乱されると、縄張り意識のようなある種の行動傾向が増すか、親なら当然果たすべき監督と保護といったごくふつうの社会行動がとれなくなる可能性が出てくるのだ。

 こうした動かぬ証拠がある以上、化学物質による汚染が、現代社会に蔓延しつつあるゆがんだ行動をもたらす要因であると考えねばならない。

何と今、どのメディアもこの警告に一顧だに与えようとしません。最近ようやく「高松塚」や「キトラ」の壁画群の損傷が「文部省」や「文科省」の責任だという声が喧しくなってきましたが、正に解き既に遅しです。ドイツのエーベルスは購入した「エーベルス・パピルス」を直ちにドイツに持ち帰りライプチッヒ大の図書館に保存を依頼しました。そういう神経が日本人に欠落していた、そういうことではないのです、単に官庁の縦割り行政の弊害の落とし子に過ぎません。

私が昔のホームページでシーア・コルボーンのこれらの言葉を紹介してから、もう十年近く経ちます。されど、厚生省や厚労省が、いやメデイアさえこれらの言葉を取り上げたことはいまだ有りません。コルボーンさんは日本で講演もしているのです。子殺しの趨勢(あな、恐ろし!)をもっと別の視点から見るときが来ていると私は騒いでいますが・・・これも所詮痩せ犬の遠吠えと、消え去っていくのでしょうか。


奪われし未来
 

最大の敗者?

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月17日(土)02時46分40秒
返信・引用  編集済
  14日のワシントンポスト紙でアル・カメンだか鉄仮面だかが核安全保障サミットに関するコラムを書いています。中程の「By far=最上級を強調する副詞句」から鳩山首相をこき下ろします。辞書を引きながら読んでいると頭に来て辞書をパソコンに投げ付ける可能性が有るので、こちらをお読みください。

平野官房長官や藤崎一郎駐米大使が「少なくとも一国の首相に対して・・・失礼だ」とコメントを発しています。これはお二人ともおよしになった方が良かった、こういう新興国のたかがコラムニストが、何を書こうが蛙の面に何とやら・・知らぬ顔の半兵衛を決め込むべきなのです。真珠湾攻撃は歴史的愚行なのでその点はチョット気が引けるのですが、アメリカ大統領が何様か!と言いたくなります。小泉純一郎さんのように平気でプレスリーの物まねを演じてみせるほどコケにしてはいけませんが、まあ真面目くさって膝詰め談判を迫るよりは遙かにマシと言うものでしょう。頭からブルっているから鉄仮面に馬鹿にされるのです、嘗めてかかれば良いのです。たかが寄せ集め民族の新興国家の親玉に過ぎないではないですか!

こんな年表を完成させようとしています。下の図を参考にしながら自分なりのものを仕上げる積もりですが、その図でも分かるようにB.C.3400年以前から繋がる歴史(厳密には先史)を持っているのは、中国とメソポタミアと日本だけなのです。左上隅のアメリカは1776年、日本の江戸時代に出来た国です。そもそも黒船を教わったとき「へえっ、凄い国だ!」と思った我々の誤認識を解いておかなかった世界史の先生がいけない、その上原爆や宇宙開発やマクドナルドや何やかやで先進大国と思い込まされてしまったのです。

今トイレに「銃・病原菌・鉄」を置いています、プロローグだけ読み終えたところです。10年前の発売時に書店で手にしましたがその頃買っても、今ほど理解が出来なかったと思います。中国とメソアメリカの歴史、古代エジプト、ヴェーダ文献にはまり込んだことがこの本の理解にとても役立っているからです。子供の頃海野十三や江戸川乱歩に取り憑かれて以後実に65年ぶりに、ズッポリと引きずり込まれる経験をしています。

今「人類歴史年表」の「文明の誕生へ」が行き詰まっていました。「縮尺:人類史年表」も丁度その部分(下から二番目)が手つかずになっています。「銃・病原菌・鉄」を読み終わればスラスラ出来上がる、そんな予感がしています。丁度穴を埋める本を朝日新聞が紹介してくれました。こういうのも「セレンディピティー」と思っていいのかなあ・・・(^^;)


世界の文明の大きな流れ
 

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 4月16日(金)11時21分29秒
返信・引用
  こんにちは。これ↓がおもしろいですよ♪

http://www.youtube.com/user/rautiocination#p/a/u/0/Q9NP-AeKX40
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

これは・・・思わず吹き出しました・・・(^^;)

先ほど連れ合いとも話していたのですが、「ペットを何か飼う?」と訊いたら首を横に振りました。私もペットを飼うのは「来世」になると思います。ここにもこんな事を書いていますが・・・。

可愛くってしかたがないのですが、私達より先に逝くのが堪りません、この問題が無くなれば・・・こんなに人の心を和ませるものは無いのですが・・・。

いや、花も雲も良いですね、そしてAngelも・・・。(4.16 17:23)
 

Re: 「きれいな心」と「美しい心」

 投稿者:エリカ  投稿日:2010年 4月13日(火)10時01分14秒
返信・引用
  > No.4716[元記事へ]

リベルさんへのお返事。
>赤ちゃんの心のようなのを私は「きれいな心」と思っています。だんだん大きくなるにつれ子供は躓いたり、転んだり、突き飛ばされたり、騙されたり、傷付けられたりしながら赤ちゃんの心から離れた心を形成していきます。嘘をついたり憎んだり恨んだり人の心を踏みにじったりすることの出来る「汚れた心」を鍛え上げていきます。

赤ちゃん、幼児は純粋だなと思います。聖書にも幼子のような心になりなさいとあります。
テレビで、小学生が将来の夢を目を輝かせて語っていました。
看護師になりたい。野球の選手になりたい。警察官・・・など。
小学生の目は純粋で、輝いています。

昨今凶悪犯罪が多発しています。また政界の汚職事件、児童虐待、など暗いニュースが後を絶ちません。強盗や殺人など罪を犯して獄中にいる人もたくさんいます。
その人達も幼い頃、小学生の頃があり、目を輝かせて将来の夢を語った時期があったのではないでしょうか。「将来、わたしは強盗になりたい。人殺しになりたい」と思う子は一人もいません。
小学生は将来の夢を目を輝かせて語ります。強盗などで、刑に伏している人は一部かもしれませんが、その輝きを失わせるものは何でしょうか?社会でしょうか?行政でしょうか?環境でしょうか?それとも本人自身に問題があるのでしょうか?

>私はといえば、ご存知の通り「汚れた心」の持ち主です。高校生で武者小路実篤の本に夢中になったとき、自分は「悪徳の固まり」だと気付いて、布団を被って泣き続けたことがありました。

自分は悪徳の固まりだと思って悩む人はあまりいないのではないでしょうか。
わたしもそうでした。わたしの体験からすると、心の美しさは他者に求めていたように思います。人は、自分に対して優しく、親切であってほしい。そして人とうまくやっていくためにいい子ちゃんぶる。しかしクリスチャンになってからは心の美しさを願うようになりました。

>自分は「悪徳の固まり」だと気付いて、布団を被って泣き続けたことがありました。

上記の思いは「わたしには善が住んでいない」というパウロの叫びのように感じました。
あの偉大なキリストの使徒であるパウロでさえ、このように告白しています。、わたしもそのような思いを抱きました。自分は悪徳の固まりだと思ったことがあります。そして心の秘密までみることのできる審判者である神を思いました。しかし神は裁く権威とともに赦す権威を持っておられる。自分を造り替え、清め、赦すことのできる神の存在を覚え、怖れは消失しました。

>自分は「悪徳の固まり」だと気付いて、布団を被って泣き続けたことがありました。

その思いは天の御座にまで、届いていると思いました。
そしてくだけた魂ほど、神様は喜ばれると、聖書に記されています。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の中にたしか、こんなセリフがあったと思います。
「地獄とは愛することのできない苦悩である」
愛せないという地獄から脱出の道が備えられていることを知ったのでした。
年上の方に、なんかえらそうなことを書いてしまいました。陳謝。
 
    (リベル) エリカさん、いらっしゃいませ。

そう言えばエリカさんはクリスチャンでしたね。

暖かい励ましのお言葉を頂き、本当に有難う御座いました・・・m(_ _)m(4.13 12:10)
 

「きれいな心」と「美しい心」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月11日(日)13時37分20秒
返信・引用  編集済
  近頃歩きながらしきりに「きれいな心」という言葉を思い浮かべます。あの不良っぽい若者は実は「きれいな心」の人かも知れないなどと。私の中では「きれいな心」と「美しい心」ははっきり異なります。「美しい心」というのは「美しい心根」を想うせいか、やや「美談」的な心の動きを指すのです、「きれいな心」はそうです「汚れのない心」を指しています私の中では。

赤ちゃんの心のようなのを私は「きれいな心」と思っています。だんだん大きくなるにつれ子供は躓いたり、転んだり、突き飛ばされたり、騙されたり、傷付けられたりしながら赤ちゃんの心から離れた心を形成していきます。嘘をついたり憎んだり恨んだり人の心を踏みにじったりすることの出来る「汚れた心」を鍛え上げていきます。

ただ、突き飛ばされても、騙されても、傷付けられても「きれいな心」を保ち続けている大人も居ます。私はといえば、ご存知の通り「汚れた心」の持ち主です。高校生で武者小路実篤の本に夢中になったとき、自分は「悪徳の固まり」だと気付いて、布団を被って泣き続けたことがありました。そして武者小路さんに長い長い手紙を書きました。どうすればよいのでしょうと、投函はしませんでしたが。しかし私はダメな例であってどんなに踏みにじられても「きれいな心」を見事に守り抜いている人も沢山いるのですね。


驚かないでください、私はそのことを70を過ぎる最近まで、ハッキリ意識することが無かったのです。最初に書いたとおり、近頃妙にしきりにそのことを思うのです。知識としては「性善説」とか「性悪説」等という単語と一緒に持ち合わせていたのですが、これは親の教育が悪かったのかなと思います。「心のきれいな子になりなさい」とか「心のきれいな子と仲良くしなさい」とかそういう表現を両親の口から聞いたことが無い、なので幼稚園・小学・中学・高校・大学・社会(=会社)のどの段階でも「きれいな心」を気にかけることが無かったのです、「頭がよい子」とか「良く出来る子」とか「身体の丈夫な子」とか「喧嘩の強い子」は気にかけても。これはとてもとても不幸なことだったと信じます。

不幸だったのは自分一人ではないから罪が重いのです。連れ合いや子供達の心がきれいかどうか、そういう観点・視点を持たないことは重大な欠陥だと思います。友人や同僚や先輩を見る目にもその視点がなかった、これは社会人として大きな損失だったろうと思います。家族や友人、同僚に大きな不幸をもたらしたと思います。彼等に対しては消極的に不幸をもたらしたのです。結果としてそれは全て自分に跳ね返ってきたのですが。

人生も終わりに近くなって「きれいな心」の存在を意識し始めたということは、しかし不幸中の幸いだったと今思っています。私は「きれいな心」の持ち主を「天使」と呼びます。野原で遊んでいて急に花の美しさに気付いた幼児のように、見回せばあちらにもこちらにも、おやこんな所にも「天使」がと、楽しい発見は尽きることがありません。

結局私は幸せ者なのでしょう・・・(^^;)


ウィリアム・ブグローの「Song of the Angels」(1881年)
 

Re: 危機感

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 4月11日(日)13時29分0秒
返信・引用
  > No.4714[元記事へ]

>「君らが持っていない危機感をだね、われわれ年寄りは持っているんだよ!」と、年寄り石原慎太郎さんは大声を上げて居られました。

「老人は同じことを繰り返し、若者たちは言うことが何もない。退屈なのはお互いさまだ。」・・・ジャック・バンヴィル

「この世のどんな些細なことでも予断を許さない。人生はそんな小さなことも、予測できない多くの部分から組み合わされている。」・・・リルケ

この2つの言葉は、ある老作家、老詩人のお話を聞いた時に思い出した言葉でした。老人は若者よりもたくさんの知識や経験が当然ありますが、それを伝言するのが大事なことです。優位に立つための言葉ではありませんね。
 
    (リベル) おやっ!という感じでした、いらっしゃいませあずきさん。

8分前というニアミスでした・・・^^

ジャック・バンヴィルという人は初めて知りましたが、これは吹き出してしまいました、全くその通りだと・・・。

このリルケの言葉を何度も読み返しました。どんな小さな出来事も実は予測不可能な些細な事の微妙な組み合わせから成り立っている・・・私はセレンディピティーを思い浮かべました、少し突飛かも知れませんが・・・(^^;)(4.11 14:40)
 

危機感

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月10日(土)17時24分25秒
返信・引用  編集済
  「君らが持っていない危機感をだね、われわれ年寄りは持っているんだよ!」と、年寄り石原慎太郎さんは大声を上げて居られました。まあお年寄りばかりの政党を弁護し、逆に正当化しようとなさったのでしょう。

分からないでもない、若い、経験の少ない若者には察し得ない「危機感」を年の劫は察し得るのかも知れません。そうだとしましょう、そうでしょうとも。しかしそれは「目くらまし」なのです、「詭弁」なのです。国民はそういう表現に弱い、それを知り尽くした「年寄り」ならではの説得です。が私達はそれに乗せられてはなりません。

そうです逆に、年寄りには若い生活者の「危機感」は理解できていないのです。時代は変わって来ています、生活の根幹もだから生活感も、数十年前とは大きく変わっているという現実に疎いのが、そうですあなたのような「お年寄り」なのです。そこのところにわざと目を塞いで、物知り顔に国民を欺いて来たのがこれまでの政治なのではないですか。

石原さんはそのことを分かっていて発言しているからいけません、これは罪が深いです。それはありきたりのそこいらの政治家の発言より、罪が深い!

分かっていながら「悪」をなすことは最もいけないことだと私は思います。私達はそれほど馬鹿ではありませんよ、石原さん!!!
 

Re: 新党「たちあがれ日本」

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 4月 8日(木)14時58分58秒
返信・引用  編集済
  > No.4712[元記事へ]

> 一方、料亭の座椅子から立ち上がるとき「どっこいしょ」と片腕をついて立ち上がるお方ばかりが集まった政党に、流石文学賞の受賞者石原さんの感性は、実は自分を偽れなかったのでしょう。走り出す前に、兎に角立ち上がらなければならないなあと・・・。

いやはや。さすがリベルさんですね。うまい揶揄・・・・・・いや隠喩かしらん♪
(すみません。大笑いしました。)

では、せめて春の気配だけでも。
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

>うまい揶揄・・・・・・いや隠喩かしらん♪

あらまあ、そう受け取って頂けましたか。これは光栄です・・・なにか自分の日常を顧みて、ついこぼれ出た心奥だったのかも・・・(^^;)(4.8 16:58)
 

新党「たちあがれ日本」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月 7日(水)17時19分7秒
返信・引用  編集済
  石原慎太郎さんの命名だそうですがこれは頂けません、「太陽の季節」の芥川賞作家も少し空気が読めなくおなりになったのでは。

日本は決してへたり込んでは居ないと、私は思います、政権与党の支持率は下がり続けていますが、日本は立ち上がらなければならない状況と自認するのですか。どう見ても「たちあがれ日本党」は頂けません。私は「みんなの党」や渡辺喜美さんの支持者ではありませんが、この党にはさあ、今から走り出すぞという勢いが感じられることは否めません。

一方、料亭の座椅子から立ち上がるとき「どっこいしょ」と片腕をついて立ち上がるお方ばかりが集まった政党に、流石文学賞の受賞者石原さんの感性は、実は自分を偽れなかったのでしょう。走り出す前に、兎に角立ち上がらなければならないなあと・・・。

馬齢を重ねると、まあつい馬脚を顕わすことになるのでしょうか、深く自分を戒めるところでもありますが・・・^^
 

Re: 続:一切經音義

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月 6日(火)02時24分25秒
返信・引用  編集済
  > No.4705[元記事へ]

> 今朝の投稿を読み返していて、支離滅裂であることに気付きました。少し筋を通しておきます。「癘風」と「白癩」という二つの表現が有る、それは何故かというお話だと言えば良いかと思います。
>
> 648年頃玄応達が「一切經音義」の必要性を感じたのはご覧の様な難読文字の平易な解説が他になされていなかったからでしょう。その中に「白癩」も含まれていたのでしょう、容易には理解しがたい文字として。そこで玄応達は「白癩」と言うのは、既に当時良く使用されていた、そして「黄帝内経」にも記されている「癘風」のことですよ、と解説を行った、そう言うことではないかと私は思います。
>
> 鳩摩羅什、三蔵玄奘など梵語からの漢訳を行った当時の僧達は「癘風」という医学用語を知らなかったか、或いは鳩摩羅什は「kușțha」=「癘風」という事に気付かなかったのではないでしょうか。
>
> まず前漢時代(B.C.202〜B.C.8年)に「黄帝内経」の編纂が開始され、その中ではハンセン病のことを「癘風」と表現した。402年頃鳩摩羅什を初めとする僧侶達は梵語の「kușțha」や「kilāsa」がハンセン病を意味することに気付かず「」や「癰疽」と漢訳した。一方「citro bhaviṣyati」は「白癩」と漢訳されたのです。その文字は「難読文字」なので玄応達が648年頃一切經音義」を著して平易な説明を行った・・・こういう筋書きではないでしょうか(参考:「ハンセン病とサンスクリット語」)。


私は「白癩について」という作文をしています。その中に「一切經音義」を書き込んできました。「書き込んで」というか正確には「取り込んで」来ました。「一切經音義」というのは私にとっては二つの大きな意味を持つ書物だからです。一つは「黄帝内経」の「癘風」と経典に発する「白癩」という二つの「表現」の仲を取り持つ重要な物証であること。もう一つは私の持論である・・・

「白癩は「kilāsa」であり、「ハンセン病」の「白斑局面を示す少菌型」=「PB型(I群、TT型)」の症状を指して使われる。」

「日本国語大辞典」の「皮膚が白くなるハンセン病をいった語」

を裏打ちしてくれるからです。「白癩」は「ビャクライ」と読むときは「ハンセン病の一種である」という主張をです。

しかし、実は一つ重要な条件が満たされていないことを白状しなければなりません。それは鳩摩羅什を初めとする僧侶達が「白癩」と訳した元の梵語が特定できないことです。現在分かっているのは「妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八」の「kāyaś citro bhaviṣyati」を鳩摩羅什が「白癩」と訳した事例だけなのです。他の多くの「白癩」の元の梵語は果たして全部「kāyaś citro bhaviṣyati」だったでしょうか。恐らくそうでは無かろうと思います、が今のところ全く「妙法蓮華経」以外の梵語の経典が見付かっていません。これが心残りです、又セレンディピティーが機能してくれればなあ・・・^^
 

Re: 「Xensu」の謎が解けました=「論理の破綻」と「自己韜晦」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月 2日(金)22時43分56秒
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  > No.4693[元記事へ]

> 「エーベルス・パピルス」のヒエログラフをどう訳すかによって後世の勉学者(私も含めて)は、右往左往させられましたが、「Khonsu」と「Chons」、「Xensu」が同じ「コンス神」を指すことは明らかになりました(徒労に終わったと言えばそれまでです)。しかし「エーベルス・パピルス」の【856a】にある「wekedu」と【874】と【877】にある「ChonsKhonsu」の違いは何でしょう?
>
> これは実は究明されていません。「歴史的記述」と「医学的記述」の相違なのか?いやそうではないはずです。さあもう一度腕まくり、といかなけばならないのか・・・(;;)
>
>
> 「wekedu」のヒエログリフ
>
> 「Chons=Khonsu」のヒエログリフ


これを書いてから何と20日近く経とうとしています。いや春休みを考えたわけではなくその間に「考証:医学パピルスの中の「leprosy」」なんて生意気なタイトルの作文をしています。そして其の「はしがき」の場違いさに気付いてその部分を別表に纏め直しています。しかしその作文は放置していました。そして実はスランプに陥って悶々たる日々を送っていたのです。

今日ふとトイレでその作文を読み返していて、何もかも分かりました。十分ご承知の方もいらっしゃるかと思うと、耳の付け根まで赤くなってきますが、これは非道い作文でした。それが何故か分からなくて脳味噌がストライキを起こしていたのかも知れません。「はしがき」が出来損ないなのは分かっていたのですが、基本的な部分の「論理の破綻」を無視して「自己韜晦」の隠れ蓑にくるまって逃げようとしていたからいけなかったのです。

ChonsKhonsu」と「uchedu」の違いに気付きながらブラウン(1974年)、カリッシュ(1973年)、スキンズネス(1973年)の名前に身を隠して、それ以上の追求をサボっていました。「古代エジプトのハンセン病」とスタンスを変えて纏め直し、余勢を駆って「古代中国のハンセン病」、「古代インドのハンセン病」を整理して「ハンセン病の歴史:古代篇」それに続いて「ギリシャ・ローマ時代篇」、「中世篇」、「新大陸篇」、「現代篇」とでも整理すれば、読みやすく歴史が纏められるがこれは2年計画ぐらいにしておかないと息が切れるかも、などと方向転換を考えても居ました。細部を徹底究明するのをほどほどにして中学生向き「ハンセン病の歴史」へ方向転換です。それも必要なことでしょうけど、敵に後ろを見せることに変わりはありません。

「エーベルス・パピルス」の「断章」というか「断片」というか「節」というか、「paragraph」というのを未だ誰も日本語に訳してくれていません、それほどマイナーというか未開拓の分野ではあります。その「paragraph 856a」に「ucheduwekhedu」が有り、「paragraph 874」、「paragraph 877」に「ChonsKhonsu」が有るのです。


ここでは私が最も信頼しているジョン・F・ナンの「Ancient Egyptian Medicine」(1997年)の扱い方をご紹介します。「第3章:解剖学、生理学、病理学の概念」の「病理学の概念」の節に「意味の不明ないくつかの病理学用語」という項を設けて「The aaa disease」などと並べて「wekhedu」を解説(長いので最後に付記します)しています。しかしここでは「leprosy」との関連性には一切触れていません。続く「第4章:病気の態様」の「細菌性・ヴィールス性伝染病」の節に結核や天然痘と並べて「Leprosy」を取り上げ、ここで「paragraph 874」、「paragraph 877」の「Khonsu」について詳説し「医学パピルスの中でのleprosyの存在(evidence)は曖昧(tenuous)だ」と結論を下しています。

そうです、ナンは「wekhedu」は「ハンセン病」とは無関係な概念の病変だとし、「Khonsu」は「leprosy」の一種とする学者(エベル、ルフェーブル)も居るが如何なものか?としているのです(参照)。すなわち「「エーベルス・パピルス」は「leprosy」を扱っているとは言えない」と主張しているのです。これはかのS.G.ブラウンの指摘(「Some Aspects of the History of Leprosy」・1974年)と符合しています・・・

「しばしば引用されるエーベルス・パピルス(B.C.1550〜1350頃)の「Chonsのはれ物」や「uchedu」は真のハンセン病のどんな症状とも、いささかの類似点も見当たりません、そしてゼヌスの神の腫瘍という表現に至っては全く理解に苦しむものです。」(ゼヌスの神=Chonsであることは、前に解説したとおりです)

これで垂れ込めた霧は晴れたと言えるのではないでしょうか?・・・どうかご同意くださいませ・・・m(_ _)m

さきほど約束したジョン・F・ナンの「wekhedu」の解説です。

邦訳原文です。


マウリツィオ・ポリーニのショパン、プレリュードに酔いながらサーフしていて見付けた一枚です(写真はいいね!から)
 

草を結ぶ

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 4月 1日(木)14時21分23秒
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  私は三省堂の「Web Dictionary」という有料サイトの会員になっています。「大辞林」、研究社の「新英和大辞典」、平凡社の「世界大百科事典」ほか多くの辞書・事典が即座に引けるので、重宝しています。このサイトのトップ画面に「今日の言葉」というコラムが付いて居るのですが今日は「俑を作る」とあって首をひねってしまいました。兵馬俑の「俑」だろうと見当は付けたのですが意味が分からない。解説を転記すると・・・

悪い前例を始めること

[出典] 〈孟子・梁恵王(りょうけいおう)上〉

「俑」は木で作り、葬式の時、墓に埋める人形。顔かたちが、よく人間に似ており、これが殉死の風習の起こるもととなったというので、孔子がその創始者を憎んだという故事。

[原文] 「仲尼曰く、始めて俑を作る者は、其れ後(のち)無からんか、と。其の人に象りて之を用うるが為なり〔孔子は、初めて俑を作り出した者こそは、天罰によって子孫が絶えるだろう、と言ったが、それはあまりに、人間に似たものを作ってこれを葬ったからである〕」

でした。これは全く知りませんでした。あ、面白いなと過去の例を遡ってみるとこんなのが有りました。

草を結ぶ

いろいろ想像を駆け巡らせるのですが、分からない。そう言えば昔の自分の環境には束ねて結べる質と量の「草」が有りましたが・・・諦めて答えを見ると・・・

死後に恩に報いること

[出典] 〈左伝・宣公十五年〉

春秋時代、晋の魏顆(ぎか)は魏武子(ぎぶし)の子であった。武子に妾があったが、子はなかった。武子が病んだ時、武子は魏顆に、自分が死んだら妾を他に嫁にやれと言った。後に武子が危篤になった時、武子はこの妾を殺して自分の葬に殉ぜしめよと言った。武子が死んだ時、魏顆は父の正気の時の遺言に従うと言って、妾を他に嫁せしめた。その後、晋は秦と戦った。輔氏(ほし)という所で一人の老人が草を結んで、秦の勇将の杜回(とかい)を禦(ふせ)いでいた。杜回は、老人の結んだ草につまずいて倒れ、魏顆は杜回を討ち取って秦軍を破った。後にその老人が顆の夢に現われ、自分はあの妾の父である、君が先君の正気の時の命に従って娘を助けてくれたので、その恩に報いたのである、と語った。

そう言うことだったのか、これは分からないはずだ、ともう少し調べると・・・

@ 健康・長寿・旅の安全などを祈るため,また吉凶を占うため,草の葉や茎を結ぶ。古代人の習俗。 「妹が門行き過ぎかねて草結ぶ風吹き解くなまたかへり見む /万3056」
A 野山を行く時,草を結んで道しるべとする。 「草結びつぞ行かむとする,其れを見て注(しるし)として来たるべし /今昔19」
B 旅で野宿をする。旅寝をする。 「君が舟泊(は)て草結びけむ /万1169」
C 〔晋と秦の戦いの時,娘の命の恩人,晋の魏顆のために亡父の霊が草を結んで,秦の杜回をつまずかせ,恩返ししたという 「左氏伝宣公十五年」 の故事から〕 恩に報いる。 「只是犬川・犬田に代りて窃(ひそ)かに草結びし也 /読・八犬伝8」

と4種類の使い方が有るのですね。子供の頃草を結んだ記憶を探ってみました。何故か明るい記憶が出てきません。何となく一人で陰気に草を結んでいる映像は怒りや口惜しさを現しているような先入観が先立つからでしょうか。

ただ共通しているのは、上の四つの意味のいずれもやはり深い心の動きを秘めている(3番目はそうでもないかな?)点だと思います。「行動」として取り上げればさりげない動作なのですがやはり「尋常でない」何かを思わせる動作かも知れません。親から教わった記憶もないし、当然子供に教えたこともありません。

しかし強く思うのは、この行為はしたくない、避けたいということです。四つの内のどんな意味であっても場合であっても、この動作はしたくないのは何故なのでしょうか・・・?

俑を作る」のも「草を結ぶ」のもどちらかといえば暗い行為だからかなとも思います。残りの生が短くなると必然 暗いものは避けたくなるのかも知れません・・・♪

されど、されど・・・「妹が門行き過ぎかねて」・・・うーむこれは一度やってみたいなあ・・・あ、もう遅いか・・・^^
 

ガリウンギかギャリウンギか?

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月28日(日)03時26分20秒
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  エジプト生まれ(1908〜1987年)でエジプト医学の大御所で5カ国語で論文を書くMDでMRCPだというPaul Ghaliounguiという人物が居ます。1987年に「エーベルス・パピルス」の決定的な英訳を成し遂げたのですが、印刷・製本まで行ってどういう訳か販売に至らなかったという因縁付きの訳本でジョン・F・ナンは1997年に「Ancient Egyptian Medicine」を書くときはGhaliounguiの未亡人がBenson Harerに渡したコピーを参考にしながら執筆したと言います。Ghaliounguiの死後17年経ってようやく2004年に出版されたそうですが、やはりなかなか見当たりません。

このGhaliounguiさんですがこの日本語読みが分からないので往生しました。エジプト語なのでしょうけど「ギャリウンギ」か「ガリウンギ」なのだろうと思うのですが検索しても全くヒットしません。今日何かの拍子に変なことを思いつきました、人名辞典です。「人名歴史年表」なんてものを作っている手前、人名辞典は結構揃えています。その巻末にアルファベット表記の索引が有るのを思い出したのです。胸を高鳴らせながら引いてみました。有りました、エジプトのスルタンでal-Ghawriという人を「アル・ガウリー」と書いてありました。他に「Gh-」で始まるアラブ人やトルコ人が数人ありましたが全部「」と読んでいました。ホームページはサイト内検索で修正しました。

それにしても「ガリウンギ」でググっても一件も無し。「ギャリウンギ」で検索したら・・・一度試みてください。私奴が如何にマイナーな作業をやっているか痛いほど思い知らされました・・・でもGhaliounguiはwikipediaにはデカデカと出てるんだけどなあ、でも英語版だけですから、やはりマイナーなのか・・・うーむ、コツコツ一人で歩こうっと・・・(>_<)


スッテンコロリン、転ばないでね・・・^^
 

デニソワ人登場!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月26日(金)02時07分21秒
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  昨日の朝日新聞夕刊に出ました。この洞窟は実際には1970年代から発掘され12万年前の人骨は知られていたのですが、2007年に近所のオクラドニコフ洞窟からネアンデルタール人の人骨も出土していたため、見過ごされて来たのです。ところがそれをドイツのマックスプランク研究所のスヴァンテ・パーヴォ他がミトコンドリアDNAを抽出し塩基配列を解読したところ、何とネアンデルタール人でもない、我々現生人類(クロマニヨン人はここに含まれます)でもない、新しい人類だと言うことが分かったから大変です。

例えばこの表の右上をご覧ください。「ホモ・サピエンス」と「ホモ・ネアンデルターレンシス」が枝分かれしたのがほぼ47万年前というのがここでも分かりますが、この他にもう一種類「ホモ・デニソワンス」なんてのが追加されることになります。

まさに日進月歩です、考古学の世界も。さて私奴は「エーベルス・パピルス」関係の修正を続けることに致します・・・そうそう、2〜3年前に書いていたいい加減な解説(いや勿論当時は精一杯調べ尽くして書いたつもりだったのですが)を修正した結果を書きます。いけないですねかなりルーズな調べ方をしていたことが、一目瞭然、白日の下に曝されます・・・(>_<)


昨日までは・・・

【参考4】では・・・

 エーベルス・パピルスは ドイツのエジプト学者・作家である、ゲオルク・モリッツ・エーベルス(Georg Moritz Ebers 1837〜1898)が
   (a)古都テーベ(現ルクソール付近)の墓地に埋葬されていたミイラの膝の間に差し込まれていたのを1862年(1873年とも)に発見したとも、
   (b)地元のエジプト人から大枚をはたいて購入したとも、
   (c)エドウィン・スミスから購入したともいわれています。(所在:ドイツ、ライプチヒ)

 書かれたのは、エジプト第18王朝(ツタンカーメンも在位した時代)のB.C.1550年頃とされています。これは象形文字で書かれており、内科的記載が主(エドウィン・スミス・パピルスは外科学的記載が主)ですが、薬物療法の処方に関する記載も有ります。

 長さ20.7メートル、幅30.5センチ、文章の行数は2,289行に及ぶ大部のもので、処方の種類も875種に達しています。


新しいのは・・・

D「エーベルス・パピルス」について。(参考:一覧表
 (a)「エーベルス・パピルス」は ドイツのエジプト学者・作家である、ゲオルク・モリッツ・エーベルス(Georg Moritz Ebers 1837〜1898)の名を取って命名されたものです。
 (b)1862年に古都テーベ(Thebes―(現ルクソール付近))の共同墓地のアサシーフ(Assassif)地区にあるミイラの足の間から発見されたとされています。
   その年エドウィン・スミス(Edwin Smith)がMustafa Aghaから購入しました。しかしスミスは広告を出し1869年には手放しています(参照:ジョン・F・ナン)。
 (c)その後1872年にエーベルスが「a wealthy Egyptian」から購入しました。直ちにドイツへ持ち帰りライプチッヒ大学の図書館に保存しました。
 (d)1875年エーベルは2巻の複写本を出版しました。用いられた文字はヒエラティックのままです。このときエーベルスの名を取って命名されました。
 (e)内容は内科的記載が主(エドウィン・スミス・パピルスは外科学的記載が主)ですが、薬物療法の処方に関する記載が多数有ります(Ebbellの英訳)。
 (f)110ページ有り1ページ20〜22行の構成で記載項目は877項に及びます。
 (g)幅約30センチ、長さ約20.23メートル
 (h)黒と赤の2色刷です
 (i)実物写真

進歩、進歩・・・(*^ー^) フ〜ッ
 

今日は修正の日

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月24日(水)03時52分44秒
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  一つは昨日の「一切經音義」の発見に纏わる修正です。気が付いていなかったというと正確ではない、何だか腑に落ちないところがあるのだけれどそれが何だか分からない、と放置していた大きな空白が満たされたのです。「癘風」と「白癩」の隔たりというか間柄というか関係というか、それが「一切經音義」の存在によって一挙に解決されました。こんなことが有るのだなあと「セレンディピティー」と言う言葉をを思い出しました。ルシャット氏が黄帝をB.C.2600年としていなかったら、「黄帝内経」を調べ直さなかったし、「大正新脩大藏經テキストデータベース」で「癘風」を検索する気にもならなかったろうし。大きな掘り出し物で「ハンセン病のリンク集」のあちらこちらに手を入れてきました。

もう一つなおざりにしていたのは「ヤジュール・ヴェーダ」です。これは「エーベルス・パピルス」を調べていて拾った大変な落とし物でした。「スシュルタ・サンヒター」の定説は間違いで本当は「アタルヴァ・ヴェーダ」の方が200年から400年古いと言うことは最近ようやくあち こちで言われ始めました。しかし「ヤジュール・ヴェーダ」に言及しているものには未だお目にかかりません。小さな太鼓が世界の隅々にまで届いて蒙を啓くことを祈りながら、コツコツと修正を加えて置きました。

残ったのは「エーベルス・パピルス」です。これも追々修正に入ります。ただ論文形式に纏めるのは止そうかなと、もう億劫になってきて、纏めるとしても「エジプトのハンセン病」という中学生でも面白く読めると言う、昔の考え方に戻ろうかなどと・・・一赦幼弱二赦老耄三赦愚惷・・・グスン・・・これは蠢動の「蠢」と同じ音だとやらそういえば春ですね・・・^^


夙川の桜、未だです・・・もうすこし・・・
 

続:一切經音義

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月23日(火)15時02分45秒
返信・引用  編集済
  今朝の投稿を読み返していて、支離滅裂であることに気付きました。少し筋を通しておきます。「癘風」と「白癩」という二つの表現が有る、それは何故かというお話だと言えば良いかと思います。

648年頃玄応達が「一切經音義」の必要性を感じたのはご覧の様な難読文字の平易な解説が他になされていなかったからでしょう。その中に「白癩」も含まれていたのでしょう、容易には理解しがたい文字として。そこで玄応達は「白癩」と言うのは、既に当時良く使用されていた、そして「黄帝内経」にも記されている「癘風」のことですよ、と解説を行った、そう言うことではないかと私は思います。

鳩摩羅什、三蔵玄奘など梵語からの漢訳を行った当時の僧達は「癘風」という医学用語を知らなかったか、或いは鳩摩羅什は「kușțha」=「癘風」という事に気付かなかったのではないでしょうか。

まず前漢時代(B.C.202〜B.C.8年)に「黄帝内経」の編纂が開始され、その中ではハンセン病のことを「癘風」と表現した。402年頃鳩摩羅什を初めとする僧侶達は梵語の「kușțha」や「kilāsa」がハンセン病を意味することに気付かず「」や「癰疽」と漢訳した。一方「citro bhaviṣyati」は「白癩」と漢訳されたのです。その文字は「難読文字」なので玄応達が648年頃一切經音義」を著して平易な説明を行った・・・こういう筋書きではないでしょうか(参考:「ハンセン病とサンスクリット語」)。


「ハンセン病のリンク集」の「世界での呼称の変遷」の648年の所に追加しておきました・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!

こんな難読文字も有りました・・・

T2128_.54.0738a04:  赦宥=書夜反「説文」赦置也「周禮」三赦、一赦幼弱二赦老耄三赦愚惷、下禹救反宥寛也宥亦赦也「周禮」三宥一宥不

「」と読点は私が勝手に加えました。そして太字も・・・、 何卒赦し、宥めてやってくださいまし・・・^^
 

一切經音義(上海古籍出版社刊)

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月23日(火)00時03分46秒
返信・引用  編集済
  東方書店のサイトによればこれはこんな本だそうです。

「音義学は、梵本や胡本の仏教大蔵経が漢語に翻訳された際に現れた数多くの新語や異義語を解釈する学問である。唐代の高僧玄応・恵琳・希麟により編纂された《一切経音義》3部・135巻は、漢訳仏経及び古代の文献・字書・韵書から集めた語彙に析字・辨音・釈義を加えた中古時期における集大成的な仏経音義著作である。本書は、高麗蔵を底本とし、内外の多くの善本及び敦煌写経を参照し、標点を付けた《一切経音義》の合刊校本の最善本である。筆画逐詞索引を付しており、使いやすい。注:玄応(げんのう・648年頃)コンサイス外国人名辞典・三省堂」

何だ唐突に、と思わせてしまうのは私奴の手口であることはもうバレバレでしょうけど。実はお馴染み「大正新脩大藏經テキストデータベース」に「癘風」を入れて検索したら、唯一ヒットしたのがこの書物だったのです。

T2128_.54.0733c23:  白癩  盧大反文字集略云癘風病也字統惡病也説文從萬作癘從疒從萬省聲也經從頼亦通 (「癩」は実際は「負」の部分に「頁」が入った文字です=

という一節です。正直何のことか全く分かりません。「音義学というのは梵語が漢語に訳されるとき現れた数多くの新語や異義語を解釈する学問である」と書いてありますから、梵語から「白癩」と漢訳されたものはこういうものですよ、と説明しているのでしょう。ここまでは間違いないでしょう。「文字集略」というのは阮孝緒(ゲンコウショ)が撰した辞書のようなものらしいのですがこれは自信がありません。

いや「白癩」談義を蒸し返そうとしているのではないのです。「盧大反」が何のことだか分かりませんが、このサイトを見ると「文字集略」、「字統」、「設文」などが下の方に列挙してあります。「白癩」は「癘風病」だと言っています。「白癩談義」にチョット戻りますと、これは私に言わせれば間違いだと言うことになります、がそれはここでは置いておきます。

要するに経典を全部集めたものに検索をかけても黄帝内経で使われている「癘風」の文字は皆無だと言うことを言いたかったのです。チョット脱線して黄帝内経を復習しておきます。

「黄帝」は伝説上の人物ですが、「夏商周断代工程」では夏王朝をB.C.2070年からとしていますから、五帝の最初の黄帝B.C.2500年頃と仮定しておきます。黄帝はその頃「素問(岐伯ほか幾人かの学者に日常の疑問を問う)」を行ったとされています。これが、後世に編集されて「黄帝内経」が出来たのです。諸説がありますが、前漢(B.C.202〜B.C.8年)に編纂が開始され「鍼経(しんきょう)」と「素問(そもん)」の合計18巻が完成したが、散逸し、唐の時代に王冰(おうひょう―762年)が編纂した素問と霊枢(れいすう)が、現在に伝えられているとされています。

その黄帝内経には「癘風」と記されているのです(ページ画像)。鳩摩羅什が「法華経」を訳し始めたのは402年頃とされていますから、王冰の編纂は未だとしても「癘風」の言葉は存在していたはずです。しかし以後三蔵玄奘などに漢訳された経典の中に「癩」、「癘」は多数ヒットしても「癘風」が全く無いというのがとても奇妙なことだと思うのです。


今日はちょいと脱線しました。いや本当のことを告白しますと、ルシャット氏が「黄帝」の年代をB.C.2600年頃としているので、その確認と訂正が目的だったのです。「エーベルス・パピルス」は調査を終了しました、危うく図書館からヒエログリフの辞書を数冊借りるところだったのですが、年度末の整理休館が半月間も有って、お陰で深入りし過ぎることなく恙なく終了ということに・・・丁度世間様も卒業式の時期ですし・・・( ゚Д゚)y─┛~~(3.23 03:15脱稿)
 

Re: 驚いた「天声人語」

 投稿者:掃苔趣味  投稿日:2010年 3月22日(月)17時20分29秒
返信・引用
  > No.4702[元記事へ]

>
> 軽々しく「墓マイラー」と一流紙のコラムで表現するのは無神経も甚だしい。

では、一流紙ではないということでは?
 
    (リベル) まあ、そういうことになりましょうか・・・^^。(3.22 23:21)  

驚いた「天声人語」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月21日(日)23時46分52秒
返信・引用  編集済
  今朝の「天声人語」には驚きました。歴史上の人物の墓めぐりが、いま静かな人気でその愛好者を「墓マイラー」と称する、云々という記事です。よく読むと趣旨は全うなのですが、何であろうと「墓マイラー」と言う軽い言葉を一面に、しかも批判もなく書くのは全くもって、以ての外です。

私はその言葉を拝借すれば「墓マイラナー」です。リルケにこんな詩があります。

   記念の石は建てないがいい ただ年毎に
   薔薇の花を彼のために咲かせるがいい

私は父母のために記念の石は建てました、しかし今日はお彼岸ですが墓参りは致しません。本当は億劫だから120キロ離れた墓所を敬遠しているのかも知れない。そうかも知れませんがそうではないのです。毎朝父母を祀った神棚とそこに添えたお墓の写真とに手を合わせ口の中で「・・・」と呟いています。

私は父のことを頻繁に思い出します、なにかにつけてです。「そうだったのですか」とか「ありがとうございました」とか、今更ながらなのですが実に繁く思い出します。薔薇の花を咲かせているのです、心に、しょっちゅう。お墓へ参るのは一年に一回か二回です、本当に少ないのです。だけどたとえば自分の子供達に願うのは墓まで来て水をかけ手をあわせてくれることより、むしろ心の中で思い出してくれることです。形だけの墓参はいい、ときどきは思い出してくれよな、と思います。思い出すための墓参は逆に不要です。

父母を何年経っても思い出すのは人間だけの行為です。大切な行為です。それを有名人のお墓めぐりだからと、軽々しく「墓マイラー」と一流紙のコラムで表現するのは無神経も甚だしい。自称「墓マイラナー」が言うのだから、間違い有りません。人の尊厳を軽視する風潮もここまで及んではなりません。
 

一歩手前まで来ました

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月20日(土)03時50分7秒
返信・引用  編集済
  この一覧表をご覧ください。面白くも何ともないかも知れませんが、ここには人類の3500年間の一筋の歩みが記されている、というとチョットオーバーですね・・・。

こういうことです、3500年前に古代のエジプト人が、のちに「エーベルス・パピルス」と名付けられるパピルス紙にヒエラティックで「wḫdw」、「ḫnsw」(これらは発音記号ですが)などと書き記しました。ハンセン病に似た何かの難病の治療法です。それから約3400年後の1862年にそのパピルスが発見されさあ大変だ、凄い記録が掘り出されたと研究が始まった(1875年、「エーベルス・パピルス」出版)わけです。

それから135年間の人類の戦いの歴史がこの表に凝縮されていると行ってもまあ、それほどオーバーではないでしょ、ダメですか?

「エーベルス・パピルス」の中で「leprosy」がどのように扱われたのかを、多くの資料から探ってみたのです。結論は最近ほのめかしていたとおり、満足できるものではありませんでした、完全に同定できる証拠は遂に発見できませんでした。逆に否定的な研究結果を幾つか知らされました。

結局ハンセン病発祥の地(2005年の「サイエンス誌」の調査)であるエジプトにはしっかりした記録・文献は存在していないことが判明しました。インドには「kușțha」があり、中国には「癘風」がありその症状も詳細に記されています、しかし残念ながらエジプトには有りませんでした。

「世界大百科事典」(平凡社)の「癩」の項の[疾病史]には「すでに前 2400 年ころのエジプトのパピルス文書に癩は記録されており」と書いてあります。ついでに言うと「論語」には医学的記述は全くないので、これは「黄帝内経」を挙げなければいけません。学者が百科事典にいい加減な事を書くのは、私に言わせれば犯罪行為です、何百万人(いや億に達するかも知れません、未だ改訂されていませんから。2008年に大改訂が行われたのですがオンライン―有料―で「ハンセン病」で検索しても→「癩」で、内容は全く変わっていません)の子供達がそれを信じて生きて行くのですから。

私も自分のサイトの間違いを早く直さなければ・・・犯罪者の仲間入りは御免ですから・・・イ・ソ・ゲ・ッ・・・^^
 

ヨアヒムの引用(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月18日(木)11時52分40秒
返信・引用  編集済
  3月15日に書いたようにヨアヒム(Heinrich Joachim)は1890年「エーベルス・パピルス」をドイツ語に訳しました。「856a」をこう訳しています。(ページ画像

   Anfang des Buches vom Vertreiben der uxedu in allen Gliedern einer Person, sowie es in einer Sricht
   unter den Fussen des Gottes Anubis in der Stadt Letopolis
   gefunden wurde; es wurde zu Sr. Majestat dem Konig von ober-und unteragypten Usapais, dem Gestorbenen, gebracht.

そして脚注でブルクシュ1863年に著した「Recueil de Monuments Egyptiens, Pls. 85-107.」(ページ画像第4巻のものです)を引いて「エーベルス・パピルスと同一内容の部分」として次の文章を上げているのです。

   Beginn des Buches vom Vertreiben der Krankheiten, gefunden in einer alten Schrift in einer Kiste mit Schreibsachen
   unter des Gottes Anubis Fussen in Letopolis
   unter Sr. Majestat des agyptischen Konigs Usaphais Regierung.

    Vertreiben=追放する Krankheiten=病気 Kiste mit Schreibsachen=writing-case

3月15日の書き込みを修正しておきましたが、少し疑問が生じてきました。1863年にブルクシュが著したのは「ヒエログリフ版」です。それをヨアヒムはKrankheitenと独訳しているのです。また1875年に出た「A History of Egypt under the Pharaohs」は、ブルクシュの書いたドイツ語をシーモア(Henry Danby Seymour)が英訳したものです。そこには「leprosy」と訳されていますからブルクシュの原文も「aussatz」か何かになっていたのでしょうけど、その原文が手に入りません。もう少し調べなければ・・・。
 

翻訳者が分かりました

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月18日(木)06時05分39秒
返信・引用  編集済
  「Medizinische Papyri der Alten Aegypter」というサイトからの引用をこれまで何度か紹介してきました。「エーベルス・パピルス」のヒエログリフとドイツ語訳の膨大なサイトです。先日ヨアヒムのドイツ語訳は発見しましたが読み合わせてみるとそれとも違う、そこで管理者へメールをしてみました。諦めかけたところへ昨日メールが来ました。

何とご本人の翻訳なのだそうです。ベルリン在住の心臓内科の医学博士で10年ほど前からヒエログリフのドイツ語訳に取り組んでいるとのこと、今は「ベルリン・パピルス」のドイツ語訳に取り掛かったそうです。web上でフルネームを書いておられないのでM.S.氏にしておきますが、名前を出しても良いのかもう一度問い合わせ中です。

ブルクシュエーベルスヨアヒムも「Grundriss」の中でドイツ語訳を出したフォン・ダイネスグラポウウェステンドルフもドイツ人です。ライプチッヒベルリンの博物館にお宝を抱えているからかこの方面の研究は今も盛んなのだなと感心しました。一個人医師がこんな研究成果を齎していることに敬意を表するのですが、一方やはり日本人の「立ち遅れ」のようなものを感じて苛ついてなりません。今度生まれてきたらもっと若い時から広い視野を持って世界に立ち向かってやりましょう・・・寝言、寝言・・・気にしないでくださいね・・・^^

気になると言えば、小泉ジュニアがこんなことを言っていました「自分自身を歴史上の有名人に準えるというのはどうなんでしょう?」って。議員一年生にピシャリとやられるような言動は慎まないと・・・ねえ・・・。


日々是電脳写真から。与謝野・桝添・竜馬ってわけには行かなかったって(爆)
 

Re: 斯←ichiroさんへ。

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 3月17日(水)22時49分29秒
返信・引用
  > No.4697[元記事へ]

あずきさんへのお返事。

> リベルさん。お邪魔いたします。
>
> 「斯」は「し」です。「しがく=斯学」で変換可能かとおもいます。
> 「斯学」とは「この学問」という意味です。

 有難うございました。Ichiro
 

斯←ichiroさんへ。

 投稿者:あずき  投稿日:2010年 3月17日(水)22時42分31秒
返信・引用
  リベルさん。お邪魔いたします。

「斯」は「し」です。「しがく=斯学」で変換可能かとおもいます。
「斯学」とは「この学問」という意味です。
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

有難う御座いました。私は18時頃就寝、23時〜2時頃起床(幅が大き過ぎる(^^;))という生活なので今頃の返事になってしまいました。ご免なさい・・・m(_ _)m (3.18 02:45)
 

文部科学省から送ってきました

 投稿者:Ichiro  投稿日:2010年 3月17日(水)20時00分42秒
返信・引用  編集済
  突然ですが、文部科学省大臣官房人事課栄典班から質問にたいする返事がきましたので、発表させてくださいませ。
 Ichiro

>大変遅くなりまして申し訳ありませんが、光田健輔氏の文化勲章受章時の功績内容につき別紙のとおりお送りいたしますので、ご査証願います。

 なお、文化勲章の担当官庁が内閣府であったことと、昭和26年の受賞ということで、当時の資料確認に時間を要してしまい、非常に遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

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 厚生技官(国立療養所長島愛生園長) 光 田 健 輔
 明治9年1月12日生

 癩患者の救済に挺身、癩予防法制定の原動力となり、全生病院医長、同病院長として浮浪病者の収容及び療養生活体の形成に苦心を重ね、内務省保健衛生調査医院として癩の根本的予防対策を建言、これによって国立療養所長島愛生園の設立をみるに至ったが、開設と同時に園長となり、その拡張完成に盡した。又、癩に関する社会各層の啓蒙、癩予防協会の説rつに盡瘁、癩事業担当者を育成した。学術方面では癩の皮膚反応、病型分類等、幾多の研究成果をあげ、其斤(これが一字です)学の発達に寄与した。

 これが一字ですは どうしてだしたらいいでしょう。
 Ichiro

 ●3月18日午前6時38分書きます。その通りでした。私は当時の新聞発表を読みましたが、たいしたことは書いてありませんでした。三園長発言は確かにその通りですが、文化勲章を貰った後ですね。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

「斯学」はあずきさんの仰有るとおり「しがく」の変換で出ました。

それにしても「文部科学省大臣官房人事課栄典班」ですか・・・^^。約60年前の受賞理由が読めて、興味津々でした、どこかの博物館へ行ったような錯覚さえ覚えて。

「説rつ」は「設立」でしょうね。私はしかしこれを読むと腹が立ってきます。「ハンセン病のリンク集」で「三園長証言」を掲載しています。ご一読ください・・・。私個人は光田氏の受賞に賛成しかねる気持ちを持っています、悪しからずご了解くださいませ。(3.18 02:41)
 

Rach 3 って何だろう???

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月17日(水)03時57分54秒
返信・引用  編集済
  「Rach 3 - マルタ・アルゲリッチ」と書いてあったのですが、「Rach 3」を検索したらラフマニノフのピアノ協奏曲第三番のことでした。あの名うての難曲です、超絶技巧を要するという。聴いたことは有ったのですが演奏の画像は始めて見ました。難曲とか技巧とかいう言葉を絶する・・・やはり芸術だなあと思いました。大体どう考えても管弦楽というのは凄い「作業」だと思うのですが、先日デンゼル・ワシントンの「インサイド・マン」(これで3回目)を見て、ようやく話の細部まで分かって大したもんだ、総合芸術だと感心したものですが、こういう作品を作り出す人間の能力は素晴らしいとつくづく思います。力山を抜き気は天を覆うとやら言いますが、確かに人間は天をも覆うことをやらかすなあと・・・今第3楽章が終わって割れんばかりのスタンディング・オベーションです。酔いしれて無茶苦茶な文章をお目にかけました・・・(_ _,)/~~  ダメダコリャア…


指揮はリッカルド・シャイーです。wikiによれば「大きなスケール、かつしっかりとした構成感を再現しつつも、細部まで精巧に作られた彼の音楽は、多くの聴衆から支持されている」と・・・
 

これだから困る!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月16日(火)17時10分58秒
返信・引用
  先ほど夕方のニュースを聴いていて、こんなセリフが耳に逆らいました。鳩山首相曰く・・・

   「意志決定の場というものを国民の皆様にお見せする」

違うんです、そんなもの(意志決定の場)は人に見せるものでは無い、少なくとも一国の首長が!

そうではなくて、我々国民が欲しているのは「意志決定」そのものなのです、それをなさい!
 

「Xensu」の謎が解けました

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月16日(火)15時09分25秒
返信・引用  編集済
  Wikipedeiaの「Khonsu」の所に同じくChonsu, Khensu, Khons, Chons or Khonshuと書いてあります。この2番目の「Khensu」でピンと来ました。

ヒエログリフに原因が有ったのです。この二つの表をご覧ください。○丸印の中に線が何本も入ったのが直ぐお分かりになると思います。この文字の発音は「ḫ」であって「バッハのハ(X)」だと下の表に書いてあります。3月1日の投稿の中で「ウケドゥ」を「wḫdw」と書いています。この「ḫ」 なのです、元凶は・・・。つまり「ḫ」=「kh」=「X」なのです。そうそうこのサイトでスピーカーのマークをクリックしてみてください。「バッハのハ」は「kha」のような発音であることが分かって面白いです。

何故「wekhedu」と「uxedu」が共存するのか、それもスッキリ分かりました。要するにヒエログリフドイツ語英語に訳す人がどんなアルファベットを選んだか、それに尽きるということが、明らかになりました。分かってしまえば何と言うことはないのですが・・・。

これで「Khonsu」=「khensu」=「Xensu」の等式が成立しました・・・「ゼヌス」=「コンス」・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


ブラウン氏の短い一文(1981年)をもう一度ご紹介しておきます。

「しばしば引用されるエーベルス・パピルス(B.C.1550〜1350頃)の「Chonのはれ物」や「uchedu」は真のハンセン病のどんな症状とも、いささかの類似点も見当たりません、そしてゼヌスの神の腫瘍という表現に至っては全く理解に苦しむものです。」

サラリと書いてありますが実は「Chons」、「Wekhedu」、「Xenus」はヨアヒムのドイツ語訳フォン・ダイネス(von Deines)他の「Grundriss W」を隅々までキッチリ目を通していなければ書けないことなのですね。つくずく大した学者だなと心から賞賛します。ただ「ゼヌス」とは「Chons」のこと也、と気付かなかったのは、さあ玉に瑕、とでも申しましょうか・・・^^

「エーベルス・パピルス」のヒエログラフをどう訳すかによって後世の勉学者(私も含めて)は、右往左往させられましたが、「Khonsu」と「Chons」 「Xensu」が同じ「コンス神」を指すことは明らかになりました(徒労に終わったと言えばそれまでです)。しかし「エーベルス・パピルス」の【856a】にある「wekedu」と【874】と【877】にある「Chons」=「Khonsu」の違いは何でしょう?

これは実は究明されていません。「歴史的記述」と「医学的記述」の相違なのか?いやそうではないはずです。さあもう一度腕まくり、といかなけばならないのか・・・(;;)


wekedu」のヒエログリフ

Chons=Khonsu」のヒエログリフ
 

翻訳は語る・・・Ebers:874・877(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月16日(火)04時08分7秒
返信・引用  編集済
  「エーベルス・パピルス」の「874」と「877」にブラウンの言う「Chons」が有ることは別に書いている所(進行中)なのですが、そこで結論として「Chons」=「Khonsu」という「月」の神であると分かりました。

この度そのあたりを読み返していて、気になっていたのが、ブラウンのこの言葉だったのです。「「Chonsのはれ物」や「uchedu」は真のハンセン病のどんな症状とも、いささかの類似点も見当たりません、そしてゼヌスの神の腫瘍という表現に至っては全く理解に苦しむものです。」。だけど「ゼヌス=Xenus」の神というのはどこを探しても有りませんでした。それを見付けました。とんでもないところに有ったのです。そうですヨアヒムなのです、しかも「Chons」に該当する場所にです。兎に角その箇所を転記します。

ヨアヒム訳【874】

   Lehre vom Tumor des Gottes Xensu.
   Wenn Du einen grossen Tumor des Gottes Xensu in einem beliebigen Glied einer Person triffst,
   er ist widrig und lasst viele Pusteln hervortreten; es entsteht etwas darin
   wie wenn Wind darin ware, er bewirkt Stiche; der Tumor, er ruft mit lauter
   Stimme zu Dir: ist er nicht wie die widerlichste der Pusteln? er macht (die Haut) bunt und macht Figuren, alle Glieder sind wie die, welche belastet sind.
   Sag Du dazu: "es ist ein Tumor des Gottes Xensu.“Thu Du garnichts dagegen 4).

    注4): Hier ist mit schwarzer Dinte "res" eingeschoben.(ヒエログリフ(Eb 874 (108, 17 - 109, 2))では小さく感嘆詞が入っている?)

    Tumor=腫瘍

M.N.氏訳【874】

   Heilkunde einer Chons-Geschwulst:
   Wenn Du beurteilst eine grosse Chons-Geschwulst an irgendeinem Korperglied des Mannes; indem sie uneben ist; sie hat gemacht zahlreiche Geschwülste, es ist etwas zum Entstehen gekommen in ihm, etwas ist in (ihr) wie etwas,
   in dem Luft ist. Sie macht eine Verletzung. Die Geschwulst, die besprochen wurde damit vor Dir, sie ist nicht wie jene Geschwülste, (denn) sie glattet sich sie macht eine nabelartige Narbe. Jedes Korperglied, an dem sie sich befindet, ist belastet.
   Dann musst Du sagen dazu: Es ist eine Chons-Geschwulst. Nicht sollst Du irgendetwas tun dagegen.

    Geschwulst=腫瘍、はれ物


ギャリウンギ(Ghalioungui)訳?【874】

   Instructions for a tumour of Khonsu (aat net Khonsu).
   If you examine a large tumour of Khonsu in any part of a man
   and it is terrible and it has made many swellings. Something has appeared in it
   like that in which there is air....
   Then you shall say concerning it: It is a swelling of Khonsu. You should not do anything against it.

------------------------------------------------------------------------------

ヨアヒム訳【877】

   Lehre von den Pasteln des Schnittes des Gottes Xensu.
   Wenn Du die Pusteln des Schnittes des Gottes Xensu in irgend einem Glied einer Person triffst
   and findest seinen obern Theil richtig und seinen untern Theil in Ordnung,
   seine beiden Augen sind grun und abgemattet, sein Fleisch ist darunter (dabei)
   brennend oder kampfend 13), es ist (wie) eine Quetschung
   und Du findest in seinen beiden Achseln, in seinen beiden Armen, in seinen beiden Huften and in seinen beiden Beinen Eiter (darin),
   dann mach gar nichts dagegen.Aber wenn Du dieselbe findest wie ein oder die andre Wundkruste nach Qnetschung an der Brust, an den Papillen, an jedem beliebigen Glied, und es geht und kommt
   und fliesst unter Deinem Finger und sondert Flussigkeit auf der Oberflache ab, so sag Du dazu: "es ist auf der Hand (es ist offenbar).“

    Pasteln=吹き出物 Schnitt=切り傷 Theil≒Teil=部分

M.N.氏訳【877】(109, 18 - 110, 9)

   Heilkunde für eine anwt-Schwellung der Sat-#nsw-Geschwulst (=Lepra?):
   Wenn Du beurteilst eine anwt-Schwellung der Sat-#nsw-Geschwulst an irgendeinem Korperglied eines Mannes,
   Du findest ihren“Kopf" spitz und ihr Boden ist in Ordnung/glatt.
   Seine Augen sind grün*, indem sie entzündet sind sein Fleisch, es ist heiss deswegen. Hüte Dich davor! Oder ferner: Wenn Du (sie) aber findest in seinen beiden Achselhohlen, an seinen beiden Armen, an seinem Beckenraum, an seinen beiden Oberschenkeln, indem Eiter darin ist; nicht sollst Du machen etwas dagegen. Wenn Du sie ferner findest wie irgendeine Schwellung einer Wunde (oder) einer Quetschung an den Brüsten, an den Brustwarzen (oder) an irgendeinem Korperglied, indem sie ist beim Gehen, Kommen und Einsinken unter Deinen Fingern; sie macht Flüssigkeit nach aussen.
   Dann musst Du sagen dazu: Es ist in (meinen) Handen.
   Dann sollst Du machen dafür Heilmittel zum Beseitigen: Fliegenkot, Mehl vom Weizen, Natron, Mehl von der Tenne, jwryt-Bohnen, schwarze Augenschminke, Fett; mischen mit amAw-Pflanze, ohne Wasser zu ihr zu geben. Geben das Heilmittel bis zur Gesundung.


ギャリウンギ(Ghalioungui)訳?【【877】

   Instructions for an anut-tumour of the slaughter of Khonsu.
   If you examine an anut-tumour of the slaughter of Khonsu in any part of a man
   and you find its head pointed and its base(?) is straight;
   his two eyes are green(wadj) and burning; his flesh is hot under it(...)
   If you find them on his two arms, his pelvis and his thighs, pus[being]in them,
   you should not do anything against it.

    anut=swelling or tumour slaughter=屠殺、虐殺  pus=膿


以上で見る限り、「Xensu」=「Khonsu」です、もっと関係を確かめますが。それにしてもブラウンさんには恐れ入りました。チャンとヨアヒムも読んでサラリと書いておられたのですね・・・脱帽!!!
 

翻訳は語る・・・Ebers:856a(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月15日(月)11時54分12秒
返信・引用  編集済
  以下をお読み頂く前に紹介済みかも知れませんが別記ジョン・F・ナンの考察をお読み頂くと、この列挙の意味がお分かりいただけるかと・・・^^


Heinrich Karl Brugsch著(1863年)・Heinrich Joachim訳(1890年)「Recueil de Monuments Egyptiens」1863年)(以下ドイツ語のウムラウト他はTeacupの仕様により表示できません、ご容赦ください)

   Beginn des Buches vom Vertreiben der Krankheiten, gefunden in einer alten Schrift in einer Kiste mit Schreibsachen
   unter des Gottes Anubis Fussen in Letopolis
   unter Sr. Majestat des agyptischen Konigs Usaphais Regierung.

    Vertreiben=追放する Krankheiten=病気 Kiste mit Schreibsachen=writing-case

Heinrich Karl Brugsch著・Henry Danby Seymour英訳「A History of Egypt under the Pharaohs」1875年)から・・・

   This is the beginning of the collection of receipts for curing leprosy.It was discovered in a very ancient papyrus enclosed in a writing-case,
   under the feet (of a statue) of the god Anoobis, in the town of Sochem,
   at the time of the reign of his majesty the defunct king Sapti.

Heinrich Joachim訳「Papyros Ebers」1890年)から・・・

   Anfang des Buches vom Vertreiben der uxedu in allen Gliedern einer Person, sowie es in einer Sricht
   unter den Fussen des Gottes Anubis in der Stadt Letopolis
   gefunden wurde; es wurde zu Sr. Majestat dem Konig von ober-und unteragypten Usapais, dem Gestorbenen, gebracht.

    Gliedern=組織、部分

Bendix.Ebbell著「THE PAPYRUS EBERS」1937年)から・・・

   The beginning of the book on the traversing of purulency in all limbs of a man according to what was found in a writing
   under Anubis' feet in Letopolis;
   it was brought to his Majesty of Upper and Lower Egypt Usaphais, the justified.

    traverse=妨害する purulency=化膿

M.N.氏著「Medizinische" PAPYRI DER ALTEN」Eb 856a (103, 1 - 103, 2)(1958年)から・・・

   Beginn des Buches über das Durchziehen der Schmerzstoffe in allen Korpergliedern des Mannes, wie es vorgefunden wurde als Schriftstück
   unter den Füssen (einer Statue) des Anubis in Letopolis.
   Es wurde gebracht zur Majestat dem Konig von Ober- und Unteragypten, (Usaphais)|, gerechtfertigt.

    Durchziehen=妨害 Schmerz=苦痛 Stoff=素因、要素 Korper=身体

John Francis Nunn著「Ancient Egyptian Medicine」1997年)から・・・(856a

   The book of driving wekhedu from all the limbs of a man was found in writings
   under the two feet of Anubis in Letopolis
   and was brought to the majesty of the king of Upper and Lower Egypt Den (First Dynasty).

    drive=追い出す


興味本位で言うのではありませんが、ブルクシュが1862年に「ベルリン・パピルス」を訳した時は「Krankheiten=病気」としていたのが13年後の著書「A History of Egypt under the Pharaohs」では突然「leprosy」としています、というかそう見えます。その辺がこの何というか「terminology」の問題の核ではないかと思います。

参考:ヨアヒム訳(色の付いたletopolisの2行上から「ベルリン・パピルス」の引用です)
 

続:「uxedu」=もう一つのウケドゥー

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月15日(月)04時02分36秒
返信・引用  編集済
  昨日こう書きました。「ブライアン(Cyril P. Bryan・1930年)の「THE PAPYRUS EBERS」の目次に「The AAA Disease」とある・・・気になって読み進めるとやはり「uxedu」というのが登場したのです!またまた調べることが発生してしまいました・・・」と。

よく引き合いに出すジョン・F・ナン(John F. Nunn・1996年)は著書「Ancient Egyptian Medicine」の中で「意味の不明な病理用語」として「wekhedu」と「setet」と「aaa」の三つを取り上げて居るのですが、「aaa」の説明の中では全く「wekhedu」に触れていません。66年間の学問の進歩のせいでしょうか、良く分からないところですが。

もう一つこんなページを見付けました。James Finlaysonという人が1893年(エーベルス・パピルスの最初のドイツ語訳―ヨアヒム(Joachim)訳―が出版されてから3年後です)に「The British Medical Journal」に書いた「Ancient Egyptian Medicine」の一部です。ここにJoachimから「aaa」と「uha」と「uxedu」の説明を引用しています。

「エーベルス・パピルス」がどのように翻訳されてきたかは先日ご紹介しましたが、この一覧表の通りです。ということはヨアヒム(Joachim)のドイツ語訳には既に「uxedu」が書いてあったと言うことになります。

実はたった今ヨアヒムのドイツ語訳のGoogleブックを見付けました。「H.Joachim Papirus Ebers」で検索してもヒットしなかったわけです。正しくは「Papyros Ebers」だったのです。やっと捕まえたのは良いのですが、又ドイツ語との戦いを始めなければならない。ヨアヒムのドイツ語で「wekhedu」や「chons」がどう訳されているか?これは楽しみです・・・が、えらいこっちゃなあ・・・(>_<)

今本の中を検索したら「uxedu」も「uha」も出ました出ました、ワンサと出ました、出たは良いけど、周囲は全部ドイツ語・・・当たり前・・・(;;)
 

発見!「uxedu」=もう一つのウケドゥー

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月14日(日)04時43分9秒
返信・引用  編集済
  下に書いたブライアン(Cyril P. Bryan)の「THE PAPYRUS EBERS」の目次に「The AAA Disease」とあるのに気付きました。「ん?aaa?」どこかで目にしたぞと気になって読み進めるとやはり「uxedu」というのが登場したのです!おまけに「uha」と言うのも併記してあります。これは「wehau=unidentified skin disease or rash(発疹)」とされています(John Francis Nunn著「Ancient Egyptian Medicine」付録)。この発音は「ウハウ」なのです。さらに「chlorosis」というのは「白化」、「萎黄病」などと出てきます。「Sometimes the uxedu causes spots to appear on the skin.」となるとさらに穏やかでない!

またまた調べることが発生してしまいました・・・(>_<)
 

「医学パピルスの中のleprosy」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月14日(日)04時00分25秒
返信・引用
  「医学パピルスの中のleprosy」のプロットを練っているところなのですが、最後の締めが先に出来てしまいました。

それを書く前にウォーレン・ドーソン(Warren R. Dawson)著の「Magician and Leech」を紹介しておかなければなりません。このページで言っているとおり、「エーベルス・パピルス」は一冊の「本」と言うより「40種類以上の原典からの抜粋やメモの寄せ集め」なのです。これは例えばブライアン(Cyril P. Bryan)も「THE PAPYRUS EBERS」の中で紙面を割いて(PDFP.24右ページ〜)居るところです。

「3500年前のエジプトに住む人間が実に多くの病変や治療法を集めて一巻のパピルスにまとめ上げたのです。877項目を集め整理したのは一個人だったのか、合議によるものだったのか、或いは分業制を採ったのか知る由もありません。汗を拭いながらの「人間」による知的作業が実在したことだけは確かです。その偉業からとても身近に「人間の叡智」を感じ取るのに、数千年に及ぶ時間の経過が何の妨げにもならない事が不思議でもあり、また有り難く貴重なことにも感じられて、気持ちの高揚を押さえることが出来ません。」
 

「総理大臣より偉い!」

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月14日(日)01時15分25秒
返信・引用  編集済
  昨日の夕刊に赤川次郎さんが書いておられました。

   中途半端に「通」を気取っている人間ほど始末の悪いものはない。

さしずめ俺なんぞはこの該当者だなあ、でもチョット違うのは自分で十分意識していてやってしまうところだろうか・・・などと考えながら読み進めました・・・

「瞼の母」を中村獅童が演じていた、母をヤット探し当てた再会の場面、思いがけず母からはねつけられつつも、稼ぎ貯めた百両の金を涙ながらに投げ出す・・・その最高の見せ場に、客席から・・・

   「総理大臣より偉い!」

と声が飛んだそうな。これは白けるでしょうね。「客席もしらっとしてしまった。舞台でも一瞬、芝居が止まるのが分かった」と赤川さんは書いておられる。

先ずこのセリフは予め準備しておかなければ出てこないセリフです。感動のあまり思わず口走った、と言う類のものでは無い。次に白けさせるのは・・・そうです最近「総理大臣は偉くない」からではないでしょうか・・・、さらにこの言葉をキッカケに観客は一斉に現実に引き戻されてしまうから余計いけません・・・。


木暮実千代と中村錦之助です。泣いてしまいました、「大時代だなあ・・・」と思いながらも・・・
 

マルタ・アルゲリッチ

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月12日(金)01時59分15秒
返信・引用  編集済
  マウリツィオ・ポリーニの「ショパン:12の練習曲」をアマゾンで買うときこれも一緒に如何、と出てきたのが「マルタ・アルゲリッチ」の「ショパン:24の前奏曲集」でした。私はこれもマウリツィオ・ポリーニのを買ったので名前だけ記憶に残っていました。今日PCに取り込んだ「ショパン:24の前奏曲集」を聴きながらウィキペディアの解説を読んでいてこんなサイトを見付けました。そのサイトに名ピアニスト紹介というページがあってそこへ行くとこの人が居ました。

結局YouTubeでピアノ協奏曲一番を4分の1ずつ4回に分けて聴く始末に。「自由奔放な演奏を聴かせてくれる天才女流ピアニスト」という紹介の通りエキサイティングな演奏でたちまち魅了されてしまいました。こんな演奏です、お聴きください・・・



9年前、別府で・・・



ウィキペディアによるとこんなエピソードの持ち主です、なかなかの硬骨漢・・・「1980年の第10回ショパン国際コンクールの審査員であったアルゲリッチは、ユーゴスラヴィアからの参加者イーヴォ・ポゴレリチが本選に選ばれなかったことに猛烈に抗議して、審査員を辞退した。ポゴレリチのことを「彼は天才!」と言い残して帰国した件だけが取り上げられることが多いが、アルゲリッチは「審査席に座った事を恥じる」と述べ、「魂の無い機械がはじき出した点数だけで合否を決めてしまうのではなく、審査員間でも協議するべきだ」と発言した」

今はもうこんなお年ながら・・・、なにか内田光子さんに似ていますね・・・


 

自称「歴史探偵」リベル見参!

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月11日(木)03時08分7秒
返信・引用  編集済
  昨日の朝日新聞夕刊で半藤利一氏に「歴史探偵」の呼び名があることを知りました。そう言や俺のやっていることも探偵稼業みたいなもんだな、と思いました。勿論半藤氏に準えるのは誠に烏滸がましいのですが、背中を丸めて古い事を彼方此方嗅ぎ回って天眼鏡で何かを見つけ出しては鬼の首を取ったと喜んでいる姿は、我乍ら迷探偵其の者で御座います。

さて今年の初仕事は。古くB.C.1000〜800年インドのヴェーダ文献には「kilāsa」、「kușțha」が現われその症状が子細に記述されました。中国では前漢時代(B.C.3世紀)に最初の編纂が着手され、8世紀頃完成したと言われている「黄帝内経:素問の「風論篇」では「癘風」と名付け「癘者、有栄気熱胕、其気不清。故使其鼻柱壊而色敗、皮膚瘍潰。風寒客於脈而不去。名曰癘風」と症状を記述しています。

並び称されるエジプトはどうか?これが今年の初仕事のテーマになってしまいました。発端はルシャット氏の論説「The paleoepidemiology of leprosy」の一節「B.C.1500〜1200年頃のパピルスに、エジプトの第一王朝(〜3500 B.C.)のHuspati王がハンセン病を想わせる病気に罹っていたと記されている。」に疑いを持ったことでした。それが嗅ぎ回っている内にモヤモヤと不気味な広がりを見せ始め、気付いたときには靄の中の船に乗り掛かっていてもう降りられない、仕方がないからと言うことで・・・しかし遂に突き止めました!!!

「kușțha」、「癘風」に相当するものを!。エジプトでは最初に書かれたのはB.C.1537年頃の「エーベルス・パピルス」の中です。書かれている文字は「wekhedu」と「Chons」の二種類ありヒエログリフでそれぞれです。何故二種類有るのかは分かりません。前者は歴史的記述である「断片(paragraph)856a」に、後者は医学的記述である「874」と「877」に書かれています。(参考:医学パピルスの中の「leprosy」

先日書きましたが恐れ入るのはS.G.ブラウン氏です。繰り返しになりますが「ウケドウ(Uchedu<Ukhedu>とチョン(Chon)のはれものは、今日ではらいと鑑定するにはあまりにも漠然としていると判断されています。」としています。(ただし「Chon」は正しくは「Chons」です。)正に正に鋭い洞察で、この二つを「leprosy」と言って良いのか?と疑問を呈しておられるのです。

何故二種類有るのか、それは「ハンセン病」なのか、そこまで調べるか、調べて分かることか・・・歴史探偵目下思案投首中・・・^^

こちらで答えを纏めていましたが、急遽プロットを変更しました、何を血迷ったか冒頭に変なものを持って来てしまって(これは一覧表にしました)、アタフタ・アタフタ・・・。数日中に大変更となります・・・。


弘前城と雪祭り(日々是電脳写真から)
 

S.G.ブラウン氏、再度登場!(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月 8日(月)04時15分24秒
返信・引用  編集済
  S.G.ブラウン氏は1974年に「Some Aspects of the History of Leprosy」という一文を書いています。その中の「Leprosy in Antiquity」の項でこのように言及しています・・・

 Far from being the oldest disease known to man, whose beginnings are lost in the mists of antiquity, true leprosy ― the specific chronic granulomatous disease of peripheral nerves and dermis caused by a specific micro-organism, Mycobacterium leprae ― is of comparatively recent precise clinical differentiation (by Danielssen & Boeck in 1847) and etiological definition (by Hansen in 1873). Although it must have existed long before this, ancient references to vague medical conditions that happen to have been translated as leprosy by some scholar or other will not survive critical examination; Kalisch (1973) has collated the historical references to leprosy in an impressive work and Skinsnes (1973) has summarized ancient references to leprosy. The oft-quoted Chons' swellings and the uchedu of the Ebers' papyrus (c. 1550-1350 BC) bear no resemblance to any lesion of true leprosy, and the references to the tumour of the god Xenus(参考写真の解説) are quite unrecognizable.

 "昔の事についてはもう古代の霧の中に隠れてしまったこの病気が、我々の知る最も古い疾病であると言うことはしばらく措くとしても、真のハンセン病(leprosy)―らい菌という特殊な細菌によって引き起こされ、末梢神経や皮膚を襲う特殊な慢性の肉芽腫性疾患―が正確な臨床的弁別(1847年、ダニエルセンとベックによる)と病因的定義(1873年、ハンセンによる)を得たのはごく最近の事なのです。確かにこの病気はその遙か昔から有ったとしても、曖昧な医学的状態に対して一部の学者などからたまたまleprosyと訳された古来からの表現は、今や厳正な検証を受けなければなりません。カリッシュ(1973年)はleprosyについての歴史的な表現をすばらしい著書で収集検証しましたし、スキンズネス(1973年)もleprosyについての古来からの表現を整理要約しました。しばしば引用されるエーベルス・パピルス(B.C.1550〜1350頃)の「Chonのはれ物」や「uchedu」は真のハンセン病のどんな症状とも、いささかの類似点も見当たりません、そしてゼヌス(?)の神の腫瘍という表現に至っては全く理解に苦しむものです。"

これは正にエーベルス・パピルスが発見されてから、そしてブルクシュが「leprosy」と表現(reference)してから約100年後に出された「結論」と言っても良いのではないでしょうか。ジョン・ナンブラウンに言及しないのが腑に落ちないところです・・・。
 

女王様

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月 7日(日)01時29分9秒
返信・引用  編集済
  ときどき思い出すのですが、デンゼル・ワシントン主演で子供の手術を巡って怒ったデンゼル・ワシントンが病院に立て籠もる映画でした。死を決意した父は息子に言い遺します。

お前のお母さんは私にとって女王様だった。俺に変わって大切にしてくれ!

この言葉が私の人生に結構大きな影響を与えたな、と今思います。検索って凄いですね、「デンゼル・ワシントン 立て籠もり」で映画の名前が分かりました。「ジョンQ 最後の決断」というなんか安っぽい名前でがっかりしましたが、このサイトで「queen」で検索しましたが、こちらは有りませんでした。でも確かにそう言いました!

私は徹底的な亭主関白でしかも思い遣りの乏しい男でした。だからかもしれませんこの言葉が妙に気に懸かって、長く、数週間でしょうか考え込みました。で、結局私も「連れ合いは私の女王様だ」と思うことに決めたのです。いや決して傅くとかいう感覚ではなく、勿論鞭が登場する話ではありません。煮詰めると「リスペクト」と言うことになります。こういう事に英語は使いたくないのですが、「尊敬」ではないやはり別のニュアンスをこの言葉に感じるからなのです。諄いですがこれは「ホリエモン騒動」の時、日本キャニオンの社長さんだったかが口にされた言葉で、ホリエモンについて「あの人は人に対するリスペクトが欠如している」と言う表現をされて、成る程と合点したのです、言い得て妙だと。傍若無人というのとも違う、人としての「decency(大辞林では「ディーセンシー」で立項しています)」と隣り合った感じの「リスペクト」・・・のように把握しているのですが、何しろ表現力不足ですね・・・^^

女王様として「リスペクト」を捧げようと一念発起したわけです、贖罪も兼ねて。これって変な話をしているような、そんな気になってきたので、もう止めます・・・なら消せば良い・・・というものでもないので・・・(^^;)


映画のあらすじが約3分に凝縮されています。
 

マウリツィオ・ポリーニ

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月 7日(日)00時37分0秒
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  昨日の朝日新聞の夕刊に赤川次郎さんがこう書いていました・・・

 「ピアノって凄い楽器なんだ!」と、初めて思ったのは、マウリツィオ・ポリーニの初来日公演での、ショパン「24の前奏曲」をFMで聴いてからである。もっとも、ポリーニの「何が、どう凄いのか」は分からなかった。ただ、一台のピアノが、いわば小さな宇宙のように、あらゆる音楽を内に包み込んでいる、という気がしたのだ。

私は今何か調べ物に熱中するときは専らバッハの「ゴールドベルク変奏曲」をペライアの演奏で聴いています。が赤川さんの言葉はギュッと私のハートを掴んでしまいました。大体マウリツィオ・ポリーニって、名前を聞いたことがあるような程度にしか知りませんでした。調べると凄いらしいのです。ウィキペデイアに・・・

ポリーニの人気・実力を語る際、ショパンの12の練習曲のライナーノーツに「これ以上、何をお望みですか」と吉田秀和によって書かれたことが必ずと言っていいほど紹介される。

なんて書いてあるともうこちらも聴きたくなって・・・結末はお察しの通りアマゾンへ駆け込みました・・・

24の前奏曲」と2枚で3150円也・・・^^


 

脱帽!S.G.ブラウン様

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月 5日(金)07時23分51秒
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  どうも逃げていたのがS.G.Browne著「聖書の中の『らい』」に出てくる・・・

  ウケドウ(Uchedu<Ukhedu>とチョン(Chon)のはれものは・・・

の「chon」でした。どこにも見当たらない。それがドイツ語の「エーベルス・パピルス」を見ていたら、有りました。

実はここはドイツ語やヒエログリフを書くのに適していないので、「ホームページ・ビルダー」を備忘録にしていたのです。少し「Chons」(正確には「s」が付かなければいけません)のことが分かってきて、それにいつものとおり沸々と様々な疑問が湧いてきて、面白いことになってきました。お暇な方はこちらをご覧ください・・・妙な間違いがチラホラありますから見付けてください、チャントした学者が腑に落ちないことをやらかしています。そこへ行くと「Chon」の間違いは兎も角、S.G.Browne氏の学究的正確さには恐れ入りました。「エーベルス・パピルス」に「leprosy」の文字はないので正確に「Uchedu<Ukhedu>とチョンズChons)のはれもの」と記述し、結論として・・・

 「…今日ではらいと鑑定するにはあまりにも漠然としていると判断されています。もっともこの療法の手引きに書かれている断片的な症状の描写は、すべてらいの診断に全くあてはまらないともいえません。」

とされたことは誠に正確な洞察だと、色々多くの学者の説を読めば読むほど感心させられます。恐れ入りました・・・こういう発見が一番嬉しいことです。


これを発見したのです。赤いヒエログリフの右端の4文字が「Chons」です。

Eb 874 (108, 17 - 109, 2)

 Heilkunde einer Chons-Geschwulst: (
 Wenn Du beurteilst {108, 18} eine grosse Chons-Geschwulst an irgendeinem Korperglied des Mannes;
 indem sie uneben ist; sie hat gemacht {108, 19} zahlreiche Geschwulste, es ist etwas zum Entstehen gekommen in ihm,
 etwas ist in (ihr) wie etwas, in dem Luft ist. (Sie macht eine Verletzung. {108, 20} Die Geschwulst, die besprochen wurde damit vor Dir,
 sie ist nicht wie jene Geschwulste, (denn) sie glattet sich{109, 1} sie macht eine nabelartige Narbe.
 Jedes Korperglied, an dem sie sich befindet, ist belastet. {109, 2} )
 Dann musst Du sagen dazu: Es ist eine Chons-Geschwulst. Nicht sollst Du irgendetwas tun dagegen.(ウムラウトの表示が出来ませんのでお許しを・・・)
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2010年 3月 4日(木)10時14分34秒
返信・引用
  >でもエリカさんのご近所でも絶対に売っているはずです。

いかなごはわたしの近所のスーパーにも売っていて買いました。おいしかったです。
でもやっぱり母の友達の送ってくれたいかなごが一番おいしかったなあ。(^^)
 
    (リベル) おお、何と言うことでしょう・・・昨日一日ここを覗かなかったことがばれてしまいました。

今チョット、ヒエログリフの或る画像が張れるかテストしに来て気付いた次第です、ご免なさいそっちの方で取り込んでいて・・・^^

私は田舎者なのでよく知っています、何と言っても原産地の人が作った料理が絶対に「一番」です・・・つくづくそう思います・・・(3.5 03:31)
 

いかなごの釘煮

 投稿者:エリカ  投稿日:2010年 3月 3日(水)12時44分48秒
返信・引用
  いかなごの釘煮

いかなごが出てますが、母の学校時代の友達が舞子に住んでいて、この季節になると毎年いかなごの釘煮を送ってくれたものです。母の学校時代の友達なので、福知山出身ですが、結婚して神戸、舞子に住んでいるのです。その友達は特にいかなごの釘煮を作るのが上手で、いかなごに醤油、砂糖、みりん等と、レモン汁をいっぱい入れて煮るそうです。それがすごく美味しくて、毎年とても楽しみにしていました。5年ほど前までは送ってくれていたのですが、高齢になり作るのがしんどくなったみたいです。
あの味は美味しくて忘れられません。酒のあてにもいいですね。
 
    (リベル) エリカさんいらっしゃいませ・・・。お元気で何よりです。

>酒のあてにもいいですね

今もそれで一杯やっていました。ここ宝塚ではどこのスーパーでも売っています、但し入荷即売り切れ状態で昨日連れ合いが予約性に従ってヤット買ってきたという次第です。三年前には間違いなく一キロ980円だったのが今年は1380円です。所帯じみた話でご免なさい。

でもエリカさんのご近所でも絶対に売っているはずです。美味しいですよ本当に・・・ぜひお試しください・・・♪♪♪(3.3 16:46)
 

豆粒のように・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月 3日(水)00時15分9秒
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  時々ここに書くことがあるのですが、散歩の帰りは、山登りになるのでバスにしています。バス停でバスを待つ間、よく空を眺めます。定期航路でもあるのか・・・飛行機雲を従えた豆粒ほどの機影が東から西の果てへと消えていくのです、「果て」と言っても民家の屋根ですが。

そんな時思うのは「いや、豆粒か?モット小さいぞ、米粒、いや胡麻粒・・・?帰ったら辞書を引こう」と思いながらいつもそれっきりになっています。今、大辞林を引いたら「豆粒ほどの機影」というのは有りましたが「米粒」にはその様な使い方が無く、「胡麻粒」に至っては立項されていません。私は「豆粒」は大きすぎると感じるのでモット小さくしたいのですが辞書には拒まれました。いっそ「大空を行く一粒の機影」とでもした方が小ささとそれに美しさまで表現できるようで良いのではないかなあと思ったりします。

帰り道バスを降りてから少し小高い場所を歩きます。時々伊丹の飛行場から離陸する飛行機が見えます。こちらへ向かって上昇してきてグーンと弧を描いてUターンして南の空へ消えて行きます。しばしば思うのですがあの機体の中には百人とか多いときには御巣鷹山の時のように五百人を越える人間が詰まっているのですね。一人の人間には多くの人の人生が濃密に関わっているのですから、更に多くの人生を乗せて飛んでいる、そう思うと恐ろしいような気持ちになります。

中には大勢の人間を苦しみから救った田中正造のような人物や、私達の心に美しいものを与えてくれるモーツァルトのような偉大な芸術家も居るかも知れません。それが一塊になって向こうの空へ去っていくのです。「豆粒のような機影」と一口で言いますが実は物凄く濃密に中味の充実した豆粒なんだなあと思います。豆粒の中の更に小さな一粒の分子が、実は世界に大きな大きな影響を与えていることも有る、真央ちゃんだって藍ちゃんだって、小さな身体で大きな大きな事をやっている、そんなことを思いながら、おっ今日は「いかなごの釘煮」だったぞと足取りが弾むのでした。


 

では「wekhedu」って何だ?

 投稿者:リベル  投稿日:2010年 3月 2日(火)01時12分45秒
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  では「wekhedu」って一体何だ?

と言うことになります、必然的に・・・。下に書かれているのは1948年の話ですが、その50年後の1997年ジョン・F・ナン(John Francis Nunn)はこのように論じています。ここには昨日紹介した本編の方の論文の執筆者Steuerの名前も登場しますが、長いので結論部分だけを転記します。

 How then should we translate the word wekhedu in terms of modern concepts of medicine? There is no agreement. One school of thought uses words based on‘pain'. Lefebvre (1956) used‘les douleurs de toute sorte', von Deines and Westendorf(1961) in the Grundriss‘Schmerzstoffe' and Ghaliounghui (1987)follows the Grundriss with‘pain matter'. Faulkner (1962) simply gave‘pain' for both wekhedu and wekhedut. This seems too restrictive and would not accord with the complete absence of the word in the Edwin Smith papyrus dealing with trauma. Furthermore, there are at least five other Egyptian words for‘pain'. Ebbell (1937) used‘purulency' which seems appropriate in certain cases, particularly the account of axillary abscess (Ebers 871) mentioned above and cited in Chapter 4. However, this is also too restrictive, particularly in relation to the heart, an organ in which purulency is hardly a major problem. Ghaliounghui (1987), in recognition of the multiple aspects of wekhedu as infection (sepsis(敗血症), septicaemia(敗血症の古称?), pyaemia(膿血症), toxaemia(毒血症)) and perhaps the spread of malignant disease, suggests it might be better to use 'wekhedu-morbid principle'. Perhaps the wisest course is to follow Leca (1988)who avoids a direct translation.

  infection=伝染病、感染症 malignant=悪性の morbid=病的な、病理学的 principle=素因

では「wekhedu」を現代の医学用語ではどのように訳せば良いのでしょう?これには未だ統一された見解は有りません。或る学派は「苦痛」を元にした言葉を採用します。G.ルフェーブル(1956年)は「あらゆる種類の苦痛」を用い、フォン・ダイネスヴェステンドルフ(1961年)は「グルンドリス」の中で「苦痛の素因」とし、Ghaliounghui(1987年エジプト語ですが読み方が分かりません)はそれに従って「苦痛素(pain matter)」とします。フォークナー(1962年)は「wekhedu(男)」も「wekhedut(女)」も単に「苦痛」と名付けます。「エドウィン・スミス・パピルス」の「trauma」の場合は全く訳語がないのですから、それを思うとこれらの命名は厳密過ぎるかも知れません。その上「苦痛」を意味するエジプト語は他に少なくとも5語は有るのです。エベル(=Ebbell・1987年)は「purulency=化膿」を用いますが、それは場合によっては適切かと思われます。特に先に述べ、第4章でも引用した脇の下の腫れ物(Ebers 871)の説明には適切でしょう。しかしこと心臓に関してはこれは余りにも厳密すぎる用い方になります、何故なら心臓はおよそ化膿とは無縁な臓器だからです。Ghaliounghui(1987年)は「wekhedu」の多様性を感染症(敗血症、膿血症、毒血症)か或いは悪疾の拡散だろうと見なして、いっそ「wekhedu-morbid principle=wekheduすなわち病的素因」とでもした方が良いのではないかと提案しています。多分最も正しいのは「訳すのは止そう」というLeca(1988年)の意見に従うことではないでしょうか。


1875年にブルクシュが安易に「leprosy」と訳した「wekhedu」はその後ここで見るだけでも120年間に渡ってどう訳すべきかと議論されてきているのです。

古代エジプトに「ハンセン病」が有った事は恐らく間違いないでしょう。しかし厳密な検証を行ったところ「医学パピルス」に「leprosy」の記述は確認できませんでした。2005年の遺伝学的研究によればエジプトがハンセン病発祥の地とされています。去年の秋更に詳細を究めた研究が今度は「ネイチャー誌」に発表されました。実は今日「Nature誌」からプリントアウトしました、18頁です。パピルス関係の記述はただ今訂正中です。それが終わったら此奴を読み始めることにしました、乗りかかった船・・・港へ着くのはいつの日やら・・・( ゚Д゚)y─┛~~(マドロスパイプの積もり?)(04:06脱稿)
 

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