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分家が本家をリード

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月26日(日)00時21分37秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病のリンク集」は現在のアクセス数が584,778ですが「人名歴史年表」は今日800,000を越えました。4年遅れてスタートしたのですが2005年9月28日に訪問者3人だったのが今は夏休みとあって一日に200人〜400人もの子供たち(と思われます)が来てくれます。

中学の先生が「日・中・韓対照年表」を印刷して生徒に配りたいとか、旅行者の添乗員の方が海外のお城などを説明するとき「このお城が出来た頃日本では…」と例を引くのに重宝するとか大人の方の需要も増えてきています。

少し梃子入れをして充実を図らないと申し訳ないので、色々一昨日書いたような資料を集めて体内醸成中です。「ハンセン病」の宿題が未だ三つ残っているのでそれもなおざりに出来ません。

お陰様で猛暑も前向きに乗り越えられそうです・・・(´ヘ`;)ハァ〜ッ


この三つを含んだ和歌が有る・・・?
 

Re: 負けた者は北へ逃げる

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月25日(土)12時36分57秒
返信・引用  編集済
  > No.4460[元記事へ]

>  次は沖縄にいったんですね。
>  なぜか、北帰行を思い出しました。

「北帰行」は好きな歌の一つで、良く歌いました。

You Tubeの解説を転載しますと・・・

「昭和16年、旧制旅順高等学校を退学になった宇田博が同校への訣別の歌として作ったの がこの唄でした。宇田が学校を去った後、事実上の寮歌として生徒らに愛唱されて、戦後 も卒業生らによって歌われたのがきっかけか、昭和30年代には歌声喫茶らで取り上げられるようになり密かな流行歌となっていました。

それを聞いたレコード会社や歌手によって次々とレコード化。最初はボニージャックスによってレコード化されましたが、諸般の 事情で廃盤となり、権利調整して再販するまでの間に、この小林旭盤が発売、大ヒットとなったのでした。作者の宇田がもっとも気に入っていたのが小林歌唱のそれで、自身の葬儀にはぜひともこの歌をかけて贈って欲しいと生前語っており、95年、宇田が亡くなった際には希望通りに遺族・関係者は取り計らったそうです。」


”今は黙して行かん  なにを又語るべし”

なんて良く呟いたものです、本当に辛くて苦しい時など・・・^^


 

Re: 負けた者は北へ逃げる

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月25日(土)05時29分48秒
返信・引用
  > No.4459[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

 次は沖縄にいったんですね。
 なぜか、北帰行を思い出しました。
 Ichiro
 

負けた者は北へ逃げる

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月25日(土)02時49分28秒
返信・引用
  関西のMBSというテレビ局に「西」という姓の若いアナウンサーが居ます。昨日のニュースショーで千葉団地殺人事件を取り上げたとき「何故沖縄へ逃げたんでしょう、負けた者は敗北と言って北へ逃げるのが普通の筈ですが・・・」と言って場を白けさせました。西アナは自分の姓のせいで「東・西・南・北」の文字に拘るのを一つの「ウリ」にしているので、いつものオフザケの積もりだったのが妙にマジに受け取られてしまって・・・。

私と連れ合いも「エエッ、本当だ、なんで敗北って言うんだろう?」と考え込んでしまいましたが、勿論分かりませんでした。国語辞書はさすがに最近親切で、「広辞苑」も「大辞林」も「新明解」も「北は逃げる意味」と書いてくれています。なるほど「背」という字からも分かるように「北」は二人の「人」が背を向け合っている、背き合っている形なので抑も離反・敗走の意味が有ったのですね、一つ賢くなりました・・・^^


「字統」からです・・・
 

感染経路:あれこれ

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月24日(金)21時31分46秒
返信・引用  編集済
  ハンセン病感染経路については、いろいろ書かれていましたので、まとめてみました。

 資料は全部手持ちのものか、同僚のもの。

 日本皮膚科全書 1954 おそらく皮膚、粘膜の傷から。呼吸器、消化器は考えられない。
 らい医学の手引き(教科書) 1970 上とおなじ
 The Star(手持ちで一番古い) 1983-5-6月号 侵入門戸は上気道である。
 藤楓だより(手持ちで一番古い)1983 繰り返し接触しなければ感染しない。皮膚説。
 その後 最近まで皮膚説である。後のふれあい福祉だより参照。
 The Star(内容が変化した 1991-5-6月号 上気道と傷のある皮膚である。2001で廃刊。
  Handbook of Leprosy(4版)1988 上気道説が主で(1898,1973,1974,1976を引用)、皮膚説も記載あり。
 らいについて(邑久光明園 1990) 明確に書かれていないが、接触期間と、接触の回数とかかれているので、皮膚説か。
  ハンセン病を正しく理解するために 看護婦のために 1990
                              皮膚ー皮膚感染である。
  Leprosy (Hastings) 1994   皮膚の傷から。二次的に呼吸器から。
               Reese and Mc Dougall (1977)エアゾル実験を記載するも皮膚説の後に記述。気道説に反対があると記載。
ハンセン病を正しくりかいするために −医療従事者のためにー  1995
               今までは皮膚ー皮膚、現在は上気道感染である。
 ハンセン病といわれたあなたに 1996 濃厚な接触があると、鼻くう粘膜から感染する。
  ハンセン病医学 1997        呼吸器系が最も可能性が高く、皮膚経由も否定しえない。
 ハンセン病診断・治療指針(厚生省) 1997 かっては患者の皮膚経由;最近は鼻くう粘膜からの飛沫感染が有力になりつつある。
 総説現代ハンセン病医学 2007 鼻粘膜から(1990などの文献を引用)
 ふれあい福祉だより 2004  くりかえし接触して感染する。
 ふれあい福祉だより 2005  くりかえし接触して感染する。
 ふれあい福祉だより 2008  主に呼吸器から。
 Ichiroが信じる説:Wikipediaハンセン病をみてください。
 ●医療講座 1993 ハンセン病について 菊池野 467:2-6.上気道説を述べたら、自治会より不評を買い、「菊池野」お出入り禁止をくらう。この事実は壁をこえて、にも影響をあたえた。記録がない。

  ●後で追加:菌の存在との関係は不明ですが、侵入経路としては上気道経由だそうです。これは和泉先生か、同じ考えの先生のどちらかから伺ったことです。
 
    (リベル) Ichiroさんこんばんは。

大きく分けて「皮膚」と「呼吸」と有るようですね。私など素人は「呼吸」と言えば空気伝染だから、それはあり得ないと判断するのですが・・・?

それよりも今も和泉眞蔵氏が研究を続けておられる「感染源」は人でなく「土や水など」の「生活環境」中なのかどうかが重要な点だと、私などは考えています・・・(^^;)(7.25 03:03)
 

The 100 Most Important Events and People of the Past 1000 …

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月24日(金)06時53分12秒
返信・引用  編集済
  "The Life Millennium: The 100 Most Important Events and People of the Past 1000 Years"という長い書名の古本が昨日届きました。雑誌「LIFE」を出しているTime社が1999年に作った本で、過去1000年の重要な出来事と人物各100を選んだものです。「人名歴史年表」に使うネタを集めているのです。類似のものがweb上にも有ります。A&Eネットワークが作った「A&E's Biography of the Millennium」です。

この表をご覧ください、人名をクリックすると解説が読めます。「John of Arc」って知らないので読んでみたら「Jeanne d'Arc」で、なるほどなあと言うのもありますが、なんと全く知らない人が何人も居て、自分の不勉強を思い知らされました。

が一番参ったのはNo.94の「Patient Zero」です。解説を読んでも何故有名人なのかサッパリ分からなかったのです、ガエタン・デュガというカナダ人スチュワードです。いろいろ検索している内にこんなブログを見付けて、やっと目から鱗が落ちました。正確にはそうではないのですが、いわばエイズの第一号患者扱いをしているわけですね。

これが二〇世紀の重要な100人の中に入っている、やはり日本とは感覚が少し違うんだなあと興味深く感じました。それに「ウラジミール・ツヴォルキン」、「ハリエット・タブマン」なんてご存じでしたか?ウィキペディアには有りましたが先ほどのLIFEのリスト(邦訳がここにあります)にも、「広辞苑」にも「大辞林」にも載っていません。アメリカのジャーナリストや学者が360人集まって選んだそうですが、ウーム・・・(^^;)


LIFEはどうでしょう、楽しみです・・・
 

鳩摩羅什の誤訳の真相

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月22日(水)03時40分21秒
返信・引用  編集済
  私は「白癩の話」の中でこう書いています・・・

梵語(kāyaś citro bhaviṣyati*)を正確に和訳、英訳するとそれぞれ「斑点」、「spotted」となるのですが、ここで注目したいのは「此人現世得白癩病」、「此の人は現世に白癩の病を得ん」という鳩摩羅什の漢訳とその書き下し文です。「妙法蓮華経」に残されているこの「此人現世得白癩病」が、これから後の日本で「日本霊異記」を初め多くの文献に強い影響を与え続けたことは恐らく紛れもない事実だと言えるでしょう。 この用い方が、実は現在の「国語辞典」に至るまでの長い歴史を通じて、見過ごされていたきわめて大きな「陥穽」だと私は思います。この点に気付き、一歩突っ込んで追求する努力が怠られたためだと。後に触れますが、ここでなされた看過が、明らかに現代の根深い偏見や差別観を生む重大な根源になっていると愚考します。

*注:kāyaś=身体(梵和大辞典・画像)、 citra=明白なる、輝ける、斑点ある、斑らの(梵和大辞典・画像熟語もあります) bhaviṣyati=あるべき、未来の梵和大辞典・画像



2001年の熊本地裁の判決で根深い偏見に基づく国の「強制隔離政策」の誤謬が断罪されました。にも拘わらず2003年の秋に黒川温泉で宿泊を拒否する事件が発生しその結果として心ない投稿の類が菊池恵楓園に殺到し、人々の心の奥にまで浸透している誤解・偏見が明らかになりました。

私はそれもこれも鳩摩羅什の誤訳に端を発していると断定したのです。そして一日良おーく考えました。で、思いました、クマさんも仕方がなかったんだろなあと。問題は「citra」だったんだろうなと。当時の中国に「ハンセン病」や「尋常性白斑」がどの程度広がっていたのかは知る由もありませんが、「スシュルタ・サンヒター」が書かれてから1000年経っていますから、そして紀元前から西域との交流は有りましたから、存在していたことは確かでしょう。クマさんの頭の中には「尋常性白斑」のイメージが有ったのかもしれません。身体に斑点が出来る=白癩と、ウッカリやっちゃったのではないでしょうか。法華経が日本へ伝わってこんなに広がるとは想像もしていなかったでしょうし。ウーム・・・(^^)
 

Re: 播磨浄土寺文書

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月21日(火)14時19分53秒
返信・引用  編集済
  > No.4453[元記事へ]


> いや岩波書店云々はそんなに無謀な話ではないのです。12番目の「宝物集」で同様の問題が起きて「新日本古典文学大系」の中の「宝物集」(この部分に出ているそうなのです)を何回読んでも「眉ぬけ鼻はしらたうれて白らいといふ病にわかりしに」という言葉が見当たらない。そこで小学館の「日本国語大辞典」の編集部へ電話して調べてもらいました。「宝物集」と一口で言っても一筋縄では行かない、多種の蔵本が有ってどれを底本にするかで多少の異同は出るだろうと心得ては居たのですが、やはり丁寧に調べて頂けました。「続群書類従・32の下」でそれも「古典保存会」のを用いたとのことです。調べるためにゼロックスを取ったから送って差し上げましょうと、まあ驚くほど親切にお教え頂いた、そんなおいしい経験があるからなのです。ゼロックスは明日届きます。待ちきれなくて一昨日図書館で「続群書類従・32の下」を調べました、が有りませんでした、「続群書類従完成会」発行のものだからです。全く別物で御座いましょう!
>
> ゼロックスを楽しみに待つているところです。古い文献に関して、本当にいろいろと勉強させられました・・・ふーっ・・・(^^)


今日小学館からゼロックスが届きました。何か筆書きの原本のゼロックスまで送って頂いていますが、それには「復刻したもの」と説明が付してあるだけで所謂出典は明らかではありませんが参考までにご覧に入れました。それを書物にしたのが「古典保存会」の「続群書類従・32の下」です。

ここでご覧頂いただけでも三種類の「宝物集」が有るわけです。それだけでも興味は尽きませんが、チョットさらに興味を引かれたのは「古典保存会」の「眉ぬけ鼻はしらたうれて白らいといふ病にわかりしに」に続く文言です。

「イハテクツチトイフ病ヒナムトヲハ。ヲヤコイワス。チカツクモノナシ。イマタイキタルヲリニワカルヽコソ。カナシキコトニテハ侍レ。」

「イハテクツチトイフ病ヒナムトヲハ」には参りますがここで投げ出すわけにも行かず、兎に角「どうにかする」という得意技に出ます。

「言わでも鼾ち(くつち)と言う病なむをば。親子言わず。近付く者無し。未だ生きたる折りに分かるるこそ。悲しきことにては侍れ。」

鼾ち(くつち)は岩波古語辞典によれば「癲癇」とありその用例に「ある里に癲狂の病ある男ありけり」と有ります。あっと思い出したのは「大正新脩大蔵経」で「白癩」を検索したときの画面です。「佛説藥師如來本願經」を初め数多くの仏典に「白癩」と並んで現れます。近くは「四分律」に「三者白癩四者乾痟五者顛狂」などとあったのをご記憶かもしれませんが。

さらにそれに続く文章は実は他の「宝物集」には全く書いてないのです。これは意識的に避けたものとは思われません。全患協が「らい予防法改正要請書」で「らい予防法」を「ハンセン氏病予防法」と改めるよう政府に要望してしかし実らなかったのが1963年、厚生省が「らい」を「ハンセン病」に改めたのが1996年です。「宝物集」は「続群書類従完成会」が1977年、「新日本古典文学大系」が1993年の発行です(ちなみに「古典保存会」のは1929年発行です)。まして対象は古文書なのですから意識的に削除するわけはないと思います。


ここまでにしておきますが、それにしても「有るものだなあ」と慨嘆しきりの一刻ではありました・・・。
 

「白癩の話」終了です

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月20日(月)15時18分13秒
返信・引用  編集済
  思えば、ではなく今このBBSを検索してみると「白癩」の文字が初めてここに登場したのは2007年8月10日です。ほぼ二年前になります。ずいぶん長あいお付き合いでしたがどうやらボツボツお別れの日が迫ってきたようです。「白癩の話」先ほど一応終了しました。まだ良く読み返していないのでその問題と、もう一つは「新しい横糸=文献」の発見が残っています。そういう意味では死ぬまでお別れは出来ないのか・・・まあ、一応出来上がりました・・・ホヤホヤです、熱いうちにどうぞ・・・(^^;)


こちらはおいしそうな肉まんです・・・
 

播磨浄土寺文書

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月20日(月)04時17分37秒
返信・引用  編集済
  ここ数日「白癩」の過去の文献内の使用例を集めて一覧表にしていました。「白癩」が持っている五つの語義を縦糸に、「文献内の用例」を横糸にして一枚の布に織り上げると5月7日に御約束していましたので。

こんな布切れが織り上がりました。良く見るとなかなか物語性が有って興味深いものが読み取れてきます。実際には何年もかければ用例が他にも発見できて、更に充実するのでしょうけどまあ気長に用例を集めるつもりです。今「能書き」を書きかけているのですが、ごらんの通り立ち往生しています。

13番目の横糸「播磨浄土寺文書」が余りにも唐突だからです。いや唐突でも良いのです。それならそれで後の日蓮御書や起請文の表現の嚆矢的存在と位置づければ済むのですから。問題は出典たる「播磨浄土寺文書」の存在が掴めないことなのです。「岩波古語辞典」には「建久三(1192年)・九・二七」とキチンと書いてあるのですし。しかしどこの図書館にも見当たらないのです。

今週「岩波書店」へ問い合わせてみます。それで埒が明かなければ播磨浄土寺へ古刹訪問と洒落てみることに・・・なるかもしれません・・・。

いや岩波書店云々はそんなに無謀な話ではないのです。12番目の「宝物集」で同様の問題が起きて「新日本古典文学大系」の中の「宝物集」(この部分に出ているそうなのです)を何回読んでも「眉ぬけ鼻はしらたうれて白らいといふ病にわかりしに」という言葉が見当たらない。そこで小学館の「日本国語大辞典」の編集部へ電話して調べてもらいました。「宝物集」と一口で言っても一筋縄では行かない、多種の蔵本が有ってどれを底本にするかで多少の異同は出るだろうと心得ては居たのですが、やはり丁寧に調べて頂けました。「続群書類従・32の下」でそれも「古典保存会」のを用いたとのことです。調べるためにゼロックスを取ったから送って差し上げましょうと、まあ驚くほど親切にお教え頂いた、そんなおいしい経験があるからなのです。ゼロックスは明日届きます。待ちきれなくて一昨日図書館で「続群書類従・32の下」を調べました、が有りませんでした、「続群書類従完成会」発行のものだからです。全く別物で御座いましょう!

ゼロックスを楽しみに待つているところです。古い文献に関して、本当にいろいろと勉強させられました・・・ふーっ・・・(^^)
 

小島の春 出版秘話

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月19日(日)22時17分13秒
返信・引用  編集済
  小島の春 出版秘話

 >ある日、内田守は光田健輔によばれ、病魔に倒れている小川正子を励ますためにもこの本をぜひ出版してくれ、と頼まれた。しかし軍資金については何の説明もない。内田守は300円の出版費を小川女医が100円負担してくれただけで、残りは本を同僚に買ってもらい、つじつまをあわせた。長崎次郎書店主はクリスチャンで、書店主も一つばくちを打つつもりで、100部増刷して文壇に投入したいとのことだった。

 ●以前に改造社に出版を断られている。

 >彼女も神経が尖っていて、光田園長が宣伝のため、私の文章を利用していると不愉快な言葉を漏らしたことがあるが、皮肉にもその印税が彼女の療養費となったのである。

 コメント:内田先生は小川先生に100円出せと言ったのだろう。当時の100円はたいへん高価である。小川先生の月給はいくらか知らないが、2か月分の俸給くらいか。どなたかご存じの人いません?

 うまれざりせば ハンセン氏病歌人群像 内田守人 春秋社 昭和51年より

 Ichiro
 

修正・続・白癩を求めて

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月19日(日)11時43分17秒
返信・引用  編集済
  古事類苑(1907年)」→「甲斐國志(1814年)」→「甲斐國志〈五十四古蹟〉」→「舊事(くじ)大成經」→「先代旧事本紀大成経(1679年以前)」と旅しました。

結局辿り着いたところは伊勢神宮別宮の伊雑宮(いざわのみや)の神職の企画した悪事であったという話だったので少しずっこけましたが、それにしても世の中には色んな書物が有るものだとしばし呆然とさせられました。でもいずこを見渡しても「頭の強い」人々が頑張っているなあとの感を強くした次第で御座います。

この「甲斐國志」を入れて遂に「横糸」は62本に達しました。明日恐らく総括を終える予定です。それで懸案の「白癩」問題は私の中では終了します。その後も「中世の歴史以降」「スシュルタ・サンヒターのP.V. Sharma訳の取り込み」「癩病からハンセン病の年表」と片付けるべきテーマは尽きませんが「駑馬十駕」で地道に歩を進めると致します・・・(^^;)
 

長歌をみつけました

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月19日(日)10時15分20秒
返信・引用  編集済
  長歌と反歌をみつけました。

 塵の世を遠く離れて 見渡すきわみ 檪(くぬぎ)色づく 野の只中に 集いよる我らがまどい 朝にはメスに刻まれ 夕べには薬を飲みつ うつしみの蝕ばめる身を持てあましつつ 傷つけるけだもののごと かにかくに息するむくろ 名もいらず 恋も思わず 不治という病に泣く子は いたづらに 齢かさねつ 背負ひ余れる悲しき運命 のろいてはぐちも出づらめ ああ生まれざりせば

 反歌

 人の世に生まれてかなし うつしみのなまなかにして 生まれざりせば

 作者は 石川 孝 檜の影  第2集 1929年

  明治39年熊本県人吉町生まれ。大正12年九州療養所入所。大正13年内田守に師事。失明、気管切開、昭和4年アララギ入会。カトリック教徒。昭和5年没。享年25。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんにちは。

石川 孝氏の歌拝読しました。粛然たる気持ちに引き込まれました。今朝「7月4日に生まれて」を見ました。ベトナム戦争の不条理を描いた反戦映画ですが、激しくこみ上げてくるものを禁じ得ませんでした。涙も怒りも・・・。(7.19 12:16)
 

動物愛護団体

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月18日(土)04時13分3秒
返信・引用  編集済
  「虫も殺さぬ・・・」と言いますがこれは通常「虫も殺さぬ顔をしていながら、本当は残酷な・・・」と言う風にネガティブに使われるようです。私はここ10年ほどでしょうか、道にいる毛虫や蜂も跨いで通ります。一再ならず痛い目に遭わされた「アオイラガ」と吸血中の蚊だけが例外です。

私が虫を殺さなくなったのはしかし何故なんだろうと考えてみました。理由が分かりました。社会生活で何度も叩き潰されて、激痛を味わってきたからです。だから人様を傷つけることはするまい言うまい、動物や植物を痛めつけることは止めよう、そう思ったからです。これは意外かもしれませんが本当です。

先日インタビューを受けているオバマ大統領が手に止まった五月蠅い蠅をたたき落とした映像が流れました。何とも思わず見過ごしていたのですが、昨日でしたか動物愛護団体が非難声明を出したとかいう報道が流れました。それを聞いて私は驚きました。そして何故驚いたのかをまた考え始めました。

まあ何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」という奴ではないかというところへ落ち着いたようです。動物愛護は良いことだと思います。趣旨は動物の虐待を止めようとか、困っている動物を助けてやりましょうよと、そういうことなのでしょう?それが止め処なく拡大解釈されて兎に角「動物」は何であれ「愛護」すべし、そうなっては行き過ぎでしょう。

そういう方々は奥深い森へ狩猟に入らなければ生きていけないような場合、どうなさるのですか。ベジタリアンにおなりになるのでしょうか。そうすると今度は「植物愛護団体」の方が非難声明をお出しになる。そこで喧嘩になって結局殺し合いになってしまう。「動物愛護」なんてどっかへ行ってしまうのです、馬鹿馬鹿しい・・・。

環境保護団体であるグリーンピースが、やはり本来の目的を見失って暴力や不法行為に及んでしまう。どうも今の政治家の皆様と言い「本来性」(この言葉が辞書にないのは辞書業界の怠慢だと思っています)を見失っていらっしゃるのではないでしょうか。物事の本質をしっかり捕まえてドッシリ構えていられないのでしょうか。東国原さんを担ぎ出して票集めをしようなんて邪道を歩むから蹴躓くのでしょう・・・(^^)

追記:一日経って読み返してみると、なんでしょうこの文章は?やたらに怒りまくり、八つ当たりしまくり!!どうかしていますね、暑さのせいでしょうか・・・(^^;)神のみぞ知る・・・?(7.19 01:15)


 

Re: 私のフラクタル

 投稿者:北風  投稿日:2009年 7月17日(金)10時20分16秒
返信・引用
  > No.4446[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> おっと、スペイン国境の話は答えを書いていませんが皆様ご賢察の通り、用いる尺度によって、「地理上の距離」は変わるからです・・・^^

厳密好きのリベルさんですからあえていちゃもんをつけてみます。
国境線は「長さ」であって、「距離」ではないような。
 
    (リベル) おお北風さんお懐かしい、どうもご無沙汰いたしております。

ご指摘をありがとう御座いました。辞書を三つ引いてみました。大辞林をコピペすると・・・
@ 二つの物・場所などの空間的な離れ方の大きさ。へだたり。 「自宅から駅までの−」 「−感」
A 抽象的な事物の間に感じられるへだたり。 「理想と現実の−」
B 人と人との間に感じられる心理的なへだたり。 「−を感ずる会話」 「−をおいて付き合う」
C 〘数〙 二点を結ぶ線分の長さ。点集合 A と B の距離は,A の点と B の点の距離の下限とする。

だそうです。国境線を「地理上の距離」というか「地理上の長さ」というか、どちらか妥当かはゆっくり考えたいと思います。有り難う御座いました・・・_(_^_)_(7.17 12:37)
 

私のフラクタル

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月17日(金)02時38分20秒
返信・引用  編集済
  こんな話があります。スペインで地図帳を買うとポルトガルとの国境線の長さが987kmと記してあるのですが、ポルトガルの地図帳では1214kmになっている。どちらかの国土地理院(まあ、みたいなところがあるでしょう)が計測ミスをしたのかというと、もちろんそうではないのです。では一体どういうことなのか?

ちょっと話を岩手県のリアス式海岸へ持って行きましょう。この海岸線の長さは何キロメートルなのでしょう。残念ながら公式な数字は知りませんが、ウィキペディアによると三陸海岸は”総延長600km余り”だそうです。

しかし、現地へ足を運んで、たとえば一メートル尺でコツコツ測るとどうでしょう。かなりの凹凸が有りますから”総延長”が直線距離を意味しているなら、その100倍?あるいは1000倍などということになってきます。さらに30センチ尺で測ると・・・。

海岸に滑らかな大岩があります。それを30センチ尺で1センチ分「切り取る」とします。それをルーペで、いや顕微鏡で観察すると、当然のことながら”滑らか”ではなくゴツゴツと凹凸が見られることでしょう。

(脱線:これをミクロン(1ミリメートルの1000分の1)単位で計測して合計すると言うまでもなく1センチでは収まりません。凹凸の激しさによっては10センチいや1メートルになる場合もあり得ます。さらにズームインして行って、電子顕微鏡いや分子の単位、原子の単位、クォークの単位にまで入っていくと、そうです無限大に近付くことになるでしょう。これをウィキペディアでは「理論的な極限としては測定値が無限大になるということである」と表現しています。)

空から見たリアス式海岸の凹凸が、ズームインして行っても相似的に残っている(自己相似というそうです)、こういう状態はたとえば「木」の場合にも言えます。大木を幼児に描かせると空に向かう一本の棒に数本の枝を書き加えてはい出来上がりです。この図形は大木の枝の末端ヘ行っても同じ形をしています、つまり自己相似です。これが「フラクタル」なのだそうです。

私がこの言葉を知ったのは9年前で、天外伺郎「宇宙のゆらぎ・人生のフラクタル」と言う本を買ったときです。その本の前書きに「フラクタル」は発見されたのは約30年前と書いてあります。これもウィキペディアによると「1975年、マンデルブロは一連の図形を表現するためにフラクタルという概念を考案し」とありますから、未だ新しい概念なのですね。

おっと、スペイン国境の話は答えを書いていませんが皆様ご賢察の通り、用いる尺度によって、「地理上の距離」は変わるからです・・・^^


散歩コースの途中に八幡さんがあり竹藪から竹の皮や竹の葉が塀の外にこぼれています。あまりそっくりなので「アッ、フラクタルだ!」と思ったのですが、よく考えると違いました。だから「私のフラクタル」。写真にしてここに載せよう、大きさの目印が欲しいがタバコは吸わないし30センチ尺は透明だから分かり難いだろうと思って探したら、昔懐かしい竹尺を見付けました。金215円也。
 

動機善なりや、私心なかりしか

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月17日(金)00時50分10秒
返信・引用  編集済
  新聞の1面もテレビのニュースもワイドショーも「反麻生」だ「133票」だと訳の分からないことでジタバタ、ドタバタともう本当に厭になります。「消費税を上げる」とか「年金を税方式にする」とか「自衛隊を縮小する」とか「憲法九条は改正しない」とか政治の話はどこか遠くへ忘れ去って、もう皆さんの心は次回の当落だけに没入し切っています。政治家の私的な利益のためにそんな日々が我々の税金を奪い取って行くのは何ともはや・・・。

私的と言えば東国原知事。「総裁選の候補に云々」は断るための途方もない要求だろうと思っていたらとんでもない、本気も本気大まじめで御座った。これには驚いたというかもう呆気にとられました。勘違いも甚だしい。石原さんのように「芸人」呼ばわりするのはこれまた頂けませんが、しかしお顔が長い東国原さん、馬脚を現したとしか言いようが有りません。

先日ご紹介した稲盛和夫氏の「働き方」に氏が第二電電を創業するときの話があります。

”「第二電電をやりたい」ということが、「自分がもっと金持ちになりたい」とか「自分がもっと有名になりたい」という、私利私欲に発したものなのか、それとも「世のため人のため」という、私心のない善き心に発したものなのか、それを「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉に込めて、何ヶ月も自分自身に問い続けた・・・”

政治家の皆さんにこのときの稲盛さんの爪の垢でも煎じて飲ませて差し上げたい。

「人名歴史年表」の根本的な改訂を考えている私は、「孫のため」に作り始めてその後は「世のため人のため」だけを考えて作っていました。ところが「歴史年表」や「年表」で検索して上位に顔を出すようになってきてからは、いけないことに「人は死して名を残す」という私心をどこかに抱いています。自分にこそこの言葉を投げかけなければいけません・・・(恥)
 

「白癩」を求めて

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月16日(木)00時45分24秒
返信・引用  編集済
  「白癩の話」が大団円を迎えつつありますが、もう少し「横糸」の充実をとラストスパートをかけています。「日本国語大辞典」が第2版から「白癩」の用例に「宝物集(ほうぶつしゅう)」を追加しました。こんな古い言葉にまで目配りを怠っていないのには敬服するのですが、一つ困ったことがあります。私は出来るだけ原典や復刻版などのページ画像を取り込んで楽しく読めるようにしようと健気な努力をしているのですが・・・

宝物集「眉ぬけ鼻はしらたうれて白らいといふ病にわかりしに」

「宝物集」は岩波書店の「新日本古典文学大系」を図書館で見つけてこの言葉を探しました。大抵数十分で見付けてゼロックスを取って帰ってくるのですがこれは見つからず、借りて帰ってトイレで腕が痺れるまで読むのですが、さーっと読み流すのは三度失敗。今度は性根を入れて全部黙読し始めました。時に面白いエピソードが有って立ち止まってしまいます。光明皇后の「施浴伝説」なども有りました。

中でも感じ入って読み返してしまったのが下の画像の部分です(付箋の間です)。

「漢高祖と楚項羽と戦ひしとき、高祖の方に石奢といふ兵有。項羽は石奢が母をとりこめて、「汝が子石奢をよびよせずは、命を断つべし」と云けるに、項羽は天下をたもつべからざる相を見て、わが子石奢が許へ、「かならず高王につかへ奉れ、我は命をすつ」といひて、剣に落かかりて死ぬ。

 されば、心地観経に云、

  よのひとこのためにもろもろのつみをつくり、さんづにだざいしてながくくをうく

  世人為子造諸罪 堕在三途長受苦

とはとく也。誠に、人の子を思ふ心ざし、浅からずぞ侍るめる。」

と書いてあります。まず思ったのはこのような母親って凄いということです。一つはこの鋭い観察眼と洞察力、もう一つはその自分の観察を絶対のものと信じる自信の強さ、もう一つは自分を信じて命を絶つ実行力です。烈婦と言わんか、凄いと思いました。

次に思ったのは何故このエピソードが日本で広がらなかったのか?という疑問です。脚注を読んでも出典は書いて無く、「石奢」は別人が有名でその人は史記の「循吏列伝」に登場しています。「石奢」とその母親の話は日本人だけでなく中国人にとっても激し過ぎるのでしょうか。それとも些か信じがたいのでしょうか。

私は自分を項羽に捕らわれた石奢の母親の立場に置いてみて思います、これは自分にはとても及びもつかない、と。項羽を見て「天下をたもつべからざる相」と見切ることさえ私には出来ないでしょうし・・・嗚呼!
 

言語新作

 投稿者:エミ  投稿日:2009年 7月15日(水)17時52分51秒
返信・引用
  【言語新作】neologism, onomatopoiesis. 造語〔症〕  
    (リベル) おやエミさん、ご無沙汰しています。暑いですねほんとうに・・・

「neologism」は初めて知りました。「onomatopoiesis」は「オノマトペ」なのではないかと調べたらやはりそうでした。「onomatopoeia」で使われるようですね。

またチョクチョク顔をお見せください・・・(^^)(7.16 00:15)
 

Re: 介(すけ)の字張り

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月14日(火)16時20分29秒
返信・引用  編集済
  > No.4441[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

 日本語は造語能力が凄い。まあ、べたべたくっつけるドイツ語も同様か。

 関係ないのであるが、精神病の症状の一つに物凄い造語をするのがあり、Wordneubildungだったと思うが、昭和30年代に覚えたので、正確かどうかわからない。

 Ichiro

  後から記載:ご指摘有難うございました。辞書を引いてからにすべきでした。
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃい。

>Wordneubildungだったと思うが

あれっと思ったのはまず「Word」です。辞書を引いたら矢張り有りません「Wort」の間違いかと思ったのですがやはりそういう単語は有りませんでした。

「neubildung」は「newbuilding」だから「改造」と言うようなことなのでしょうけど、分かりません。学者先生なのですからもっと「シヴィア」であって頂きたいと思います。間違った知識を読んでいる方々に与えるのは学者ならずとも避けたいところです・・・(^^;)

でないと、Nervenzusammenbruch状態に落ち込んでしまうではありませんか・・・(^^)

ちなみに一番長いドイツ語の単語は「Donaudampfschifffahrtselektrizitätenhauptbetriebswerkbauunterbeamtengesellschaft=ドナウ汽船電気事業本工場工事部門下級官吏組合」だそうです、いやはや疲れますね・・・。(7.14 17:17)
 

介(すけ)の字張り

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月14日(火)04時13分30秒
返信・引用
  サロンパスのCMで大笑いしてしまいました。背中に張るのですがこれまで両肩にだけ張っていたのが「八の字張り」、でさらに背骨の両側に張ると「介の字張り」とやら申すそうで・・・。

まあ如何様な呼び方をなさろうとそれは結構なのですが、要はホラ、味の素が昔やりましたでしょう、穴を大きくするという、それで売り上げ倍増という、それと同じ発想では御座いませんか・・・その手は食いませんぞおっ・・・(^^)いや実は私はその手のものはバンテリンにしろお世話になったことが未だ有りませんので、いずれにしろ関係は無いのですが・・・。
 

Re: じんてんあいのうしょう

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 7月13日(月)17時09分15秒
返信・引用
  > No.4439[元記事へ]

> 「塵添壒囊鈔」という書物があります。これは大辞林によれば・・・

広辞苑によれば、仏教を主とした和漢の故事、国字、漢字の意義・起源などを解説した書。7巻または15巻。行誉著。「塵袋」に倣ったもの。1532年僧某が「塵袋」により増補して「塵添壒囊鈔」20巻とした。・・・と記されています。似たような情報ですが、微妙に異なるのは何故か???

> う〜む・・・困った・・・疲れたあ・・・(^^;)

すみませぬ。お役にはたちませんでした(^^)。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

> う〜む・・・困った・・・疲れたあ・・・(^^;)

というのは実は、PCがまたもやクラッシュ!バックアップソフト「Acronis」が機能せずもうそれこそここ数日「テンヤワンヤ」なのです。その思いがこもっているのです実は・・・(^^;)恥ずかしいので黙っていましたが9日からですからそれから悪戦苦闘中なのです。

妙なことですが稲盛和夫氏の「働く力」という、むしろ若いサラリーマン向けの本を買って読み、そのお陰で何とか気力を盛り返して頑張っています。

それにしても暑くなりましたね・・・^^。暑さに負けないご活躍ぶり拝見して、糧にしまた文字通りのオアシスにさせていただいています・・・(^^)(7.13 17:52)
 

じんてんあいのうしょう

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月13日(月)06時36分13秒
返信・引用  編集済
  「塵添壒囊鈔」という書物があります。これは大辞林によれば・・・

室町時代の類書。編者不詳。二〇巻。1532年成立。「壒囊鈔」に「塵袋(ちりぶくろ)」から抜粋した二百余項目を加えたもの。

とあります。「壒囊鈔」は大辞林では・・・

室町中期の類書。行誉の撰。七巻(正保板本は一五巻)。1446年成立。事物の起源や語源・語義,仏教に関する事柄など五三六項目にわたって和漢の古典を引用しながら解説する。

「塵袋」は・・・

鎌倉時代の辞書。著者未詳。一一巻。文永(1264〜1275)・弘安(1278〜1288)頃成立か。約六二〇の事項について問答体で事物の起源や語源などを説いたもの。


「塵添壒囊鈔」を私が初めて目にしたのは「古語大辞典」で「白癩」を調べたときです。用例に「白癩黒癩の句、ならびに永く仏種を断つ」<塵添壒囊抄・三>(「鈔」でなく「抄」です)と書いてあったのです。このコンテキストを読まないと意味が分からないので色々探すのですが、こいつは頑強に姿を現しません。

う〜む・・・困った・・・疲れたあ・・・(^^;)
 

Ichiroさんへ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月12日(日)05時03分30秒
返信・引用  編集済
  お疲れ様でした。でも楽しかったでしょうね、羨ましい限りです。私はUSA、台湾、タイだけでまだヨーロッパには行っていません。行きたいところは多くなる一方なのですが、足腰を鍛えておかないと、歩けなくなってはいけませんから・・・^^

>日本に帰国して、調べたら、電脳辞書に

マタイ伝です。

 >8:1 彼が山から下りて来ると,大群衆が彼に従った。 8:2 見よ,一人のらい病の人が彼のもとに来て,彼を拝んで言った,「主よ,あなたは,もしそうお望みになれば,わたしを清くすることがおできになります」。

この聖書は「電網聖書」のようですが、新約聖書の半分ほど訳して2002年で作業がストップしているから、あまり信用ができませんよ(^^;)

今時「らい病」という言葉を使っているだけで、眉唾物です。私は1955年の「口語訳」と1987年の新共同訳を持っていますが、前者は「らい病」ですが後者は「重い皮膚病」になっています。この辺の歴史は手前味噌ですが「世界での呼称の変遷」をご覧ください。日本の場合は(日)と書いてありますからそこだけでもどうぞ。

日本の聖書の歴史や現状については、ウィキペディアの「日本語訳聖書」「日本聖書教会」のサイトに詳しいです。


しかしIchiroさんの勉強熱心には、本当に頭が下がります・・・ヽ(ー_ー )ノ マイッタ〜
 

聖書における らい:ホテルの聖書

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月12日(日)04時16分50秒
返信・引用  編集済
  ドイツとチェコに小旅行をおこなった。ちょっと気がついたが、ある協会(ギデオン)が寄付して聖書をホテルの部屋に備え付けられている。

 ドイツの方はすべてあったが、チェコ(プラハ)の方はなかった。これは一時社会主義国であったからかどうかは判明しない。そこには古い教会はたくさんあった。

 らいの取扱はどうかと見てみたが、leper や leprosyは そのままであった。版が2000年位であったからであろう。英文、ドイツ語文、仏文いずれもである。  (Matt. 8,1-4)

 日本に帰国して、調べたら、電脳聖書に

マタイ伝です。

 >8:1 彼が山から下りて来ると,大群衆が彼に従った。 8:2 見よ,一人のらい病の人が彼のもとに来て,彼を拝んで言った,「主よ,あなたは,もしそうお望みになれば,わたしを清くすることがおできになります」。

8:3 イエスは手を伸ばして彼に触り,こう言った。「わたしはそう望む。清くなりなさい」。すぐに彼のらい病は清められた。 8:4 イエスは彼に言った,「だれにも告げないようにしなさい。ただ行って,自分の体を祭司に見せ,モーセの命じた供え物をささげなさい。人々への証明のためだ」。
 

Re: 白色と黒色

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 8日(水)16時29分45秒
返信・引用  編集済
  > No.4423[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事。

> 白色が問題になっているので、ちょっと最近の発見を
>
Tadaima doitsuno doresuden(Dresden) wo ryokouchuu. Pasokonno kankeide keijibann ha yomemasuga nyuuryoku dekinasennode Romaji de gokanbenn wo.

Micheal Jackson no vitiligo desuga, mukasi aru zasshi de yondanodesuga

hidoi Vitiligo wa ZENBU HAKUHAN-NI SITESIMAE to-iu kotowo yondakotogaarimasu.

(madara-dato medati-masune)


ICHIRO @ DRESDEN, DEUTCHLAND
 
    (リベル) Ichiroさん、こんにちは。

難しいドイツ語を翻訳しますとこういう事になるでしょうか。

「只今ドイツのドレスデンを旅行中。パソコンの関係で掲示板は読めますが、入力できませんのでローマ字でご勘弁を。

マイケル・ジャクソンのvitiligoですが、昔或る雑誌で読んだのですが、ひどいvitiligoは全部白斑にしてしまえということを読んだことが有ります(まだらだと目立ちますね)。Ichiro@Dresden,Deutchlando

と言うことにでもなるのでしょうか。遠路遙々有難うございました・・・^^(7.8 17:29)
 

Re: もしもし天声人語さん・・・

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 7月 7日(火)16時00分21秒
返信・引用  編集済
  > No.4433[元記事へ]

「花笑み」と言う時に、「百合」をあげるのは万葉集からのようですね。

道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや  (作者未詳)

>ノンアルコールの「ビール」にも似て、あるべきものを欠いた哀感が漂う。例えれば、真ん中に穴が開いたような寂しさである。つい、体臭や脂気に縁のない、すべすべの男性を思い浮かべては「草食系」の皆さんに怒られようか。

百合とビールがどこで繋がるのでしょうか?
百合のイメージに「真ん中に穴が開いたような」と言うのはどうもそぐわないですし、それよりも一体このような比喩があるのでしょうか?
草食系の若者が増えているようですね。一見してステーキや焼き鳥をガンガン食べるイメージがなくて、サラダばっかり食べているのではないか?と思わせる美しい若者をこのように言うのでしょね。
この3つの比喩は失礼ながら、すべてボツですね(^^)。

わたくしは百合の香りよりも、花粉に悩まされます。着ているものに花粉がすぐにつくからです。部屋に飾っても、花粉が落ちてお掃除が大変。すみませぬ。色香のないお話で。。。

卓の百合あまり香つよし疲れたり     杉田久女
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

少し暴論だろうかと気にしていたのですが、お話をお聞きしてホット安心しました。有難うございました。

私などのような田舎者は百合の強い香りが好きなのです、実は。百合の根の美味しさもその香りを前提として成り立っているとさえ思うほど・・・(^^;)(7.7 17:11)
 

もしもし天声人語さん・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月 6日(月)01時45分17秒
返信・引用  編集済
  昨日の朝は新聞を読まなかったので先程読みました。天声人語に百合の花の香りの話が書いてありました。最後の方、どうもしっくり来なくて何度か読み直しました。


一方で微香のユリには、ノンアルコールの「ビール」にも似て、あるべきものを欠いた哀感が漂う。例えれば、真ん中に穴が開いたような寂しさである。つい、体臭や脂気に縁のない、すべすべの男性を思い浮かべては「草食系」の皆さんに怒られようか。


「ノンアルコールの「ビール」にも似て、あるべきものを欠いた哀感が漂う」はその通りだと思うのですが「真ん中に穴が開いたような寂しさ」という表現になるとどうも変なのです。身体の真ん中にポッカリ穴が開いた虚脱感というのは良く聞きますが、「あるべきものを欠いた哀感」とはかけ離れていてしっくり来ません。

「体臭や脂気に縁のない、すべすべの男性」って、私は観察力が鈍いのかそういう男性を殆ど見たことがありませんから香りが弱い百合の花からそんな発想が出て来ないし、それに「草食系」と仰有るけどヴェジタリアンが全て「すべすべ」と決めつけるのも大間違いでしょうし・・・これでは「草食系」でない皆さんにも怒られよう・・・と思います。


この頃やたらに「天声人語」や「素粒子」にケチを付けていますが、これは自分の感性が衰えてきたせいかもしれません。自分の方こそ点検に入った方が良いのかも知れません・・・マッタク・・・。


それにしても白百合は綺麗ですね・・・
 

インタラクティブ広告

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月 4日(土)01時43分34秒
返信・引用  編集済
  故郷の古い知り合いのサイトを訪ねていて、こんなブログを知りました。たまたま出ていた記事に目を丸くしてしまいました。まあお読み下さい、「mentosのインタラクテイブ広告」です。

これはウェブカメラを付けていないと全部は体験できません。私は残念ながら持っていませんし、またこのために買おうなんて夢にも考えていません。ちょっと調べただけです。LogicoolのQVP-61HSSVというのが送料込みで2,673円でした。勿論調べてみただけで、発注はしていません。していませんとも・・・絶対に・・・(^^;)


QVP-61HSSV
 

Re: ものごころ

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 7月 2日(木)14時42分50秒
返信・引用
  > No.4430[元記事へ]

> 赤ちゃんは祖父母や両親から教えられ、自らも経験を重ねて世の中を知っていきます。そしてさあ小学の五年生か六年生頃でしょうか、あれをしてはいけない、こうするのは良いことだと一応自分で判断出来るようになります。このような状態を「ものごころがついた」と言うのでしょう。

子供は幼稚園入園から、親の手を離れて過ごす時間を持つわけです。親がいないと子供は何に困るのか?を基準にして庇護から自立の方向へ育てました。これはまだ「ものごころ」とは言えませんね。

「ものごころ」が明確にわかった場面は今でも覚えています。まず上の娘のことです。姉弟で同時に母親を怒らせることをした時に、2人を子供部屋に閉じ込めて「ごめんなさい、と言えるまで出てきてはいけません。」と烈火のごとく怒りましたが、すぐに涙声で「ごめんなさい。」と言ったのは下の息子でした。上の娘は「泣かなくても大丈夫。お母さんはすぐに許してくれます。」と弟に言い聞かせていました(^^)。

息子は10歳の時に「お母さんはよそのお母さんと違うんだよ。」と言い出しました。「おおお。ついにきたな。」と内心思いつつ「いけないお母さんなの?」とたずねたら「いけないとは思わない。でもなんか違うんだよね。」「どういうお母さんがいいの?直して欲しいところあったら言ってみて。」「それはない。」「じゃぁ。このままのお母さんでいいの?」「うん。」これが息子の「ものごころ」だったような(^^)。。。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

拝読して思わず頬の筋肉が緩んでしまいました。微笑ましくて、微笑ましくて。そしてついに涙してしまいました・・・良い文章に遇って・・・^^(7.2 17:15)

追記:息子さんとのやりとりを歩きながら反芻していました。何か暖かい情愛の香気がゆらゆらと立ちのぼって、真綿のように心を包んでくれるような感覚を覚えて、これが「詩」なのかなあと思いました。改めて、有難うございました・・・m(_ _)m(7.4 01:21)
 

ものごころ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月 2日(木)12時35分37秒
返信・引用  編集済
  昨日バスの中でお母さんに抱っこされて肩越しに私の顔を見詰めている赤ちゃんに会いました。間近に赤ちゃんと見つめ合うのは孫以来なのでちょっとドギマギしました。濁りのない美しい目は無垢な心そのもののようで、エンジェルだなあと思いながら知らぬ間にこちらも笑っていました。この子もその内に「ものごころ」がついて、憎たらしくなってくるのだろうか・・・「ものごころ」がつくって何歳ぐらいなんだろうと考え始めました。

辞書の編者である新村出さんとか、見坊豪紀さんなどは言葉の釈義を常に考えていて、メモにしていったという話を聞きます。その真似をしてみるとどうなるかと。

赤ちゃんは祖父母や両親から教えられ、自らも経験を重ねて世の中を知っていきます。そしてさあ小学の五年生か六年生頃でしょうか、あれをしてはいけない、こうするのは良いことだと一応自分で判断出来るようになります。このような状態を「ものごころがついた」と言うのでしょう。辞書はしかし「ものごころ」で立項しますから「ものごころ」とは何かを作り出さなければなりません。新村さんや見坊さんのご苦労を偲びながらバスが着いたのを良いことに、作業を中止しました。

焼酎を呑みながら、連れ合いに「あんたがものごころが付いたのは幾つくらいの時だった?」と尋ねました。連れ合いは棒を飲んだような顔をしています。「いや自分のことが分らなければ子供達の場合、ものごころが付いたなあと思ったのは大体何歳くらいの頃だった?」

だいたい「ものごころが付く」ってどういうことを言うんだろう?「ふんべつ」とも違うし、「常識」とか「智恵」とかでは言い表せない何かなんだけどなあ・・・と言うと、ようやくまたいつもの病気が出たんだと分って安心して考え始めましたが・・・辞書は見ないで答えを出してみようよと牽制したのに、直ぐ立ち上がってしまいました。彼女は新村親子を取り上げた「プロジェクトX」を見て以来「広辞苑」派なので、何度言ってもこちらを先に見ます。こういう難しい言葉の釈義はまず、広辞苑ではキッチリした解答は得られないというのが私の持論なのですが、それを証明する良い機会だと思って、そのままにしました。

人情・世態などを理解する心。「―がつく」

です。「世態(せたい)」という言葉を初めて聞きました。彼女もそうだったらしく、でも「世態」を引かずに「大辞林」に向かったのは日頃の教育の成果か・・・

(子供が成長するにつれて身につける)世の中の物事や人情について,おぼろげながら理解・判断できる心。 「まだ−がつかないうちに親に死に別れた」

いかがですか、あなたもこちらに軍配を上げられるでしょう。成る程上手く纏めるものだなあと感心しました。ちなみに「新明解」は・・・

人情・世態についての知識。 「―(が)つく〔=子供が、世の中の裏表や、デリケートな人間関係や人の気持などについて分かり始める〕」

「人情・世態」は丸写しでがっかりさせられますが、さすがにしっかりフォローしてありました。むしろ逆に、「ものごころ」だけを立項して「合成語」は立項しないという旧来の陋習を厳しく非難する表現の仕方だとも受け取れて、私などの隠れファン(別に隠れては居ませんが)などは、ついついほくそ笑んでしまうのです・・・\(^O^)/ヤッター
 

ボルトとナット

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 7月 2日(木)04時33分57秒
返信・引用  編集済
  ボルト・ナットと言えばまあ漢字で書けば「雄ねじ・雌ねじ」のことなのですが、これを考え出した発明者の名前は皆さんご存知でしょうか。ウィキペディアによればイギリスのアレキサンダー・ボルトとその弟のナットが・・・などと書くとエッと驚かれる・・・いやここの読者の方はもうこの手の嘘には慣れていらっしゃるから・・・^^

実はヴィトルト・リプチンスキというカナダ国籍の作家がそれを調べ始めたら大変な事になった、結局調べに調べて辿り着いたのがアルキメデスの潅漑揚水用の巨大な水ネジだったということが「ねじとねじ回し」という本になっているそうです。

今読んでいる「誰が本当の発明者か」という本に書いてありました。はいお察しの通り「人名歴史年表」のネタ探しに繙いたのですが、これが意外に面白くて、時に悲憤慷慨し、時には口惜しさに共感してもらい泣きしてしまうと言う一冊です。これまで阿辻哲次、福岡伸一、小山慶太といずれも取り付きにくいテーマを実に読み易く書いてくれる本ばかり読んできた後なので、工業調査会会長などという肩書きの志村幸雄氏のは教科書的で詰まらないだろうからネタだけ拾おうと読みかけたのが、知らぬ間に虜になってしまいました。


発明王と言われるエジソンは「99%のパースピレーション(汗)と1%のインスピレーション」の言葉から察すると、世俗のことにはかまけず黙々と研究を続けていたという印象なのですがところがドッコイなのです。特許の申請のために弁護団を抱えて策を弄し他人の発明を自分のものにする事も有ったとやら(同著p.17)。実際にはマーケティングの天才でまたマスコミの操縦術にも長けていた(同著p.156)そうです。

まさに正反対なのが日本の西澤潤一氏で、氏は「光通信」の実質的発明者なのだそうです。電気信号を光に変換して送出する「発光素子」、その光を伝送する「光ファイバー」、そして受信した光を再び電気信号に変換する「受光素子」の全てを発明し、海外の研究者に日本には「ニシザワ」という研究者が大勢いるのかと言われたそうです。にも拘わらず、学界の愚昧や大企業のエゴがことごとく氏の不利に働いてしまって、結局一つの特許も得られなかった、ノーベル賞は未だ可能性が残っているとか。


西澤氏の話を読んでいて大きく心を動かされることが、実はありました。それが書きたくてこれを書き始めたのですが、つい脱線が長くなって。氏には「強い頭と速い頭」という著書もありますが、自分は「反秀才」であり「自分では本当に頭が悪いと思っている。小さい頃から議論すると負けるし、何故かと考えても直ぐには答えが浮かばない方だった」というのが持論で、ただ自分は「頭が強い」と思っていると仰有る。そしてこう自著「愚直一徹」に書いておられるそうです。

「自分をごまかさない、納得いくまでものを考える。考えた結論をもとに試してみる。…地べたをはいずり周りながら落ち穂を拾い、考えを一つ一つ積み上げて行く手法である。不器用の勝利という言葉がある。不器用だからと逃げずに、それを克服することを考える…」

私はハタと膝を打ってしまいました。これこれ、私はまさにこれなんです。私は頭は悪い、議論は負けるし答えもなかなか浮かばない。ただ一つ一つ小さなものを手で拾い上げて積み上げて「ハンセン病のリンク集」とか「人名歴史年表」を作りました。出来たものの価値を比べると月とスッポンですから話になりませんが、私の言っているのは「頭が強い」という一点です。自分発見と言うか、自分の正体が分ったという気がしました。この類のホームページは管理が実は大変でもあります。タグのページを開いて三日がかりで数百個の小さなバグを除去したこともあります。馬鹿じゃないと出来ねえよなあなどと呟きながらです。

私はバカだが頭が「強い」のだ。これは脳味噌の問題ではなく、根性とか執着心とか我慢強さとかいう、性格や精神面の問題です。これでとても安心もしたし、元気も取り戻しました。未だやれる。


しかし「強い」ものは何でも「弱って来る」からなあ・・・(^^;)
 

やはり神様が降りてくる・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月30日(火)23時16分13秒
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  「ミヤネ屋」という昼の番組で南こうせつさんがこんな事を話しているのが耳に飛び込んできました。作詞者の喜多条忠さんから電話で歌詞が送られてくる。当時はFAXもメールも無かったから、こうせつさんはそれをチラシの裏に書き付けました。

「写し終わった時不思議なことに大体メロディーが出来上がっていました。”神様が降りて来る”って有るんだなあと思いました」と話し、同席していた崔洋一監督がしきりに相槌を打っていました。

私にも私の「神田川」がやはり有ります。珍しく聴いていて涙が滲んできました。50年近く前、新大塚の横丁でのあどけない、純でひたすらだった若夫婦の姿が浮かんできて・・・


 

二角取り

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月29日(月)18時13分46秒
返信・引用  編集済
  遊びの話ばかりで恐縮ですが「二角取り」というゲームがあります。これは本来雀荘でメンバーが揃う迄の時間潰しに麻雀パイを並べてやっていた一人遊びなのです。

私は丹波出身の田舎者で、寮で熟睡していると乱暴な先輩に顔の上で雑巾を絞られて、これはもう否応なしに(余り厭でもなかったのですが)雀荘へ直行した部類でした。

庄(朝寝朝酒朝湯が大好きな小原庄助さんから命名)さんという先輩が居ました、二歳ほど先輩でした。彼の本棚には「日本囲碁大全」が鎮座していて、まあ他の本は無かったと。庄さんはアマで相当の、さあ正味の三段かそれ以上だったと思います。彼から麻雀の手ほどきを受け、遊びは全て教わりました、女遊びを除いて、これは事実で今でも不思議ですが。

庄さんは私が雀荘に着いたときには、既に居てよく「二角取り」をやっていました。私が覗き込むと未だ何一つ動かしていません。暫く見ていてオズオズと何か動かすと黙って居ます。いくつか動かし始めると、我に返ったように同じように動かしました。

実は庄さんは動かさずに、何手も先を読み進めていたのです。バカな私は何だ、これは取れるじゃないかと直ぐ手を出しましたが、それでは面白みが半減というか無いのです。何手も先を読んで大体の展望が見えてきたときに初めて「読み筋」通りに取っていく。これが面白いのです、というか本当の楽しみ方なのですね。

良く分かっていない奴がチョッカイを出し始めた、それでも黙って暫くは付き合った、いや私が現れた時に、庄さんは既に諦めていたのでしょうけど。懐の深い人でした、信州出身の人でした。一旦化学系の会社へ入って直ぐ辞めて弁護士になられました。そして直ぐ亡くなられました。「佳人薄命」なのですか。こういうのは止めて頂きたい。

やはり書きますか。恥ずかしい思い出があります。己の人間性の下劣さを白状しなければなりません。同じ卓を囲んでいて他の二人は他人でした。私は6・9ピンでリーチを掛けました。庄さんが9ピンを掴んで悩みました。私に打てば決定打になる局面です。神経戦に出ました、まあ私は直弟子です「9ピンかあ、まあ通るだろう」などと私の顔色を探りながら呟きます。私は「ヤバイヨ」という目配せをしようとしました。そして恥ずべきことにそれをしませんでした、逆にその読みは違うよと言う顔をしてしまいました。そして「一気通貫」を上がってしまったのです。

まあ、私というのはこういう人間です。男の風上には置けない。でも以後何十年も悔いています。何という雀荘のどの位置に座っていたかも忘れていません。

でも庄さんも覚えているだろうなあ・・・。
 

風鈴?

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月29日(月)15時00分58秒
返信・引用
  どこにあるのですか?見えませんが?  
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

これはそうかも知れません。なにかadobeがどうとか書いてありましたから。ご免なさい、そういう基本的なことが勉強できていないのでイヤハヤ・・・^^(6.29 17:22)
 

アクア・ミュジアムが故障中なので・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月29日(月)07時18分14秒
返信・引用  編集済
  風鈴を下げてみました。リロードすれば、絵柄も変わります・・・。

何よりも面白いのは、息を吹きかけるとチャンとチリンチリンと鳴ることです・・・これが不思議でたまりません・・・一度でダメなときは二度、三度お試し下さい。必ず鳴りますから・・・ワーイ \(^o^)/…
 

白色と黒色

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月28日(日)13時55分41秒
返信・引用  編集済
  白色が問題になっているので、ちょっと最近の発見を

 マイケルジャクソンの手掌(てのひら)に数か所、黒点が見えるのをテレビでみた。
 彼が黒人から白人になった?らしいのであるが、どういう薬品を使ったのか?
 あるサイトではハイドロキノン外用とある。
 もしそうであったら、効果がなかった場所である可能性があろう。

 皮膚科医はへんなとこばかり見ていますね。

 Ichiro

  ●しばらく外国旅行にいきますので、書き込みができません。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんにちは。

マイケル・ジャクソンと森光子さんは「尋常性白斑」であるという話を聞きました。そうかもしれないな、と思っています・・・・。

それにしても暑くなってきましたね・・・お元気でお過ごし下さい・・・(6.28 17:25)
 

人類が「ビッグバン」を知ったいきさつは・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月25日(木)04時17分32秒
返信・引用  編集済
  1855年3月13日、ボストンの大富豪の家にローウェルという男の子が生れました。ハーバード大を出て、火星や日本などに広く興味を持った人ですが、遂に39歳の時に私財を投じて天文台を作り火星の運河を最初に見付けたりしています。この天文台にスライファーという人がいて1917年、凄いことを発見しました。この人は20個ほどの星雲の観測を続けていたのですが、星雲の発するスペクトル(星雲から来る光をプリズムで波長毎に分けたもの)が長い波長の方にシフトしている、偏っていることに気付いたのです。波長が長いと言うことは赤色に向かうことなのでこれは物理学で「赤方偏移」と呼ばれる大発見なのです。

何故大発見か? 一般に光源が遠ざかって行く時、光源から観測者に届く光の波長は引き延ばされて長くなるのですが、つまり星雲からの光が「赤方偏移」を示すと言うことは、星雲が遠ざかっていることを示しているのです。チョットややこしい。私も「新しい高校物理の教科書」などをめくりながら書いていますので。

ところでご存知のハッブル、このひとが宇宙膨張に伴なう赤方偏移の発見者のように言われていますが、実は違うのです。スライファーが赤方偏移を発見してから12年後の1929年、その発見に興味を抱いて取り組んだのがハッブルなのです。そして星雲が遠ざかる速度は、星雲までの距離に比例していることが分ったのです。つまり宇宙は膨張しているのだと。

私が「宇宙が膨張し続けている」と聞いたのは、中学生の時で京都と奈良の間を走っている電車の中で政夫さんという従兄からだったのを、覚えています、ショックだったので。ハッブルが発見して20年後くらいでしょう。

ところでハッブルの発見の7年前、ロシアの数学者のフリードマンという人がアインシュタインの一般相対性理論の方程式を宇宙に適用していて「フリードマン方程式」を導き出したのですが、これによれば宇宙は膨張している事になるわけで「定常宇宙」を前提としていたアインシュタインはそんな馬鹿なことは無い、と一蹴してしまっていたのです。フリードマンは失意の中36歳で死んでいます。

ところがこれがハッブルの発見によって見事に実証されたのだから、アインシュタインも魂消ました。2年後の1931年、ウィルソン天文台を訪問してハッブルの説明を聞きながら「赤方偏移」を自分の目で確かめることになりました。フリードマンも浮かばれたことでしょう。

それから17年が経ちました。「宇宙が膨張している」ならそれはいつからなんだという素朴な疑問が、やはり縁でしょうかロシア生まれでフリードマンの講義を聴いたことのあるガモフの脳味噌に湧いてきたのです。時間を逆行していけば宇宙はどんどん小さくなるはずではないか。宇宙の全ては小さな粒に凝縮されてしまう。その粒は滅茶苦茶に超高密度、超高温度の火の玉だった。それが破裂したのが宇宙の始まりすなわちビッグバンだったという仮説を立てたのです。時に1948年、日本は戦後3年目でした。すなわち私が従兄から宇宙の膨張の話を聞いた丁度その頃です。

さらにそれから17年後のことです。1965年アメリカのベル電話会社の研究員ペンジャスウィルソンが衛星通信用のアンテナに飛び込んでくる雑音電波を除去する作業をしていました。いくらやってもどうしても一定の雑音が残ってしまう。しかもこれはアンテナを宇宙のどの方向に向けても24時間一様の雑音(温度換算すると3K(-270度)の電波)が検出されるのです。少し難しいのでギブアップしましたがこれが「宇宙背景放射」と呼ばれるビッグバンの強力な証拠だったのです。これで実はアインシュタインの「定常宇宙論」も姿を消していくのです。

1948年頃中学生の私が関西の電車の中で「宇宙の膨張」に魂消てから17年後、横浜で二人目の子供を授かった頃、ガモフのビッグバン理論はほぼ確実であることが、明らかになりました。それからもう45年近くが経とうとしています。今も毎日のように何かが発見され、何かが証明され、新しい事実の発見によって何かの理論が滅んでいるんだなあと、しみじみ思う梅雨の中休みでした。


いま「人名歴史年表」の改訂のために小山慶太著「神様はサイコロ遊びをしたか」という本をこれで三度目ですが読んでいます。その中のビッグバンの話がやはり面白くて、その部分を切り取って纏めてみました。本当に面白い本です・・・ワーイ \(^o^)/…


ハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールド読んでも良く分りません・・・ヽ(ー_ー )ノ マイッタ〜
超大型画像(解説:画像には、1万個以上の誕生後4、5億年の銀河が映し出されており、中には宇宙誕生(137億年前とされています)後、僅か8億年の銀河すら映し出された。また、通常の渦巻銀河や楕円銀河に混じって様々な奇妙な形の銀河が映し出されおり、これら、宇宙初期の混沌とした状態の中で、銀河同士が影響しあっていた状態を映しだしていると考えれている。)
 

「日本国語大辞典」の勘違い

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月25日(木)02時38分53秒
返信・引用  編集済
  以下に改訂部分は色を変えて私なりの「日本国語大辞典」を記します。


【白癩】


しらはたけ」と読むとき


@色素の欠乏で、白色の斑紋を生じる皮膚病。尋常性白斑――〔語義1〕

*今昔物語集「而る不、白癩と云て病付きて、祖と契りし乳母も、穢なむとて不令寄ず」(ページ画像(1)(2)

*観智院本名義抄「癩 シラハタケ シラハダ」

*易林本節用集「疥癩 シラハタケ」
            

*字鏡集「癩 シラハタケ」(これは第2版から消えています)



以上は20日に記したものです。この中の「今昔物語集」に関して、又々疑問が入道雲のようにムクムクと空を覆い始めました。第一に、ここで「白癩」を「シラハタケ」と読んでいます。

ほかに「大辞林」が「しらはたけ」、「角川古語大辞典」は「しらはだ」としています(参考:びゃくらいとしらはたけ)。しかし「近代デジタルライブラリー」の(ページ画像(1)(2))を読み進むと・・・

「三日許有リテ死ニケリ」

とありますから「尋常性白斑」だとは思えません。なお第二に・・・

「此他ニ非ズ。厳キ法会ヲ妨ゲ我身賤シクシテ止事无キ僧ヲ嫉妬セルニ依テ現報ヲ新タニ感ゼル也。然レバ人此を知リテ永ク嫉妬ノ心ヲ発スベカラズ。嫉妬ハ此レ天道ノ憎(リッシンベンに悪)ミ給フ事也トナム語リ傳ヘタルトヤ。」

と「白癩」を現報と見て、やんごとなき僧を嫉妬をすると罰が当たると言っていますから、これは「びゃくらい」を現報としている物語ではないでしょうか。「今昔」の中のこの「白癩」は「病名=症状を示すもの」としては扱われていないと、私は思います。

この二つの点で「日本国語大辞典」は勘違いをしていらっしゃると、私は思います。勘違いの積み重ねが「ハンセン病」に「医師では治療できない=祭事性」を植え付けたことは「ツァラアトからleprosyまで」で見てきました。

「ツァラアト」の場合はその言葉自体が多義を含んでいた点で、事情は異なるのですがしかし、後世の翻訳者なり学者なりが集中力の欠如から平気で誤謬を積み重ね、このようにして偏見の根を生み出してきたことは全く同じ過ちであり、実は怒りを伴って指摘されなければならないことだと、私は思っています。

ぎゃあぎゃあと声高に怒りまくっているところは、鳩の付くどなたかに似ていてイヤになりますが、しかし私奴はあんなに人様のことを簡単に「悪に加担した」と切り捨てるとか、「正義正義」と正義の大安売りをするとかは致しません。そう叫ぶ人に「正義の人」は居ないことは、これもあなたがお好きな「歴史が証明」していますでしょ・・・邦夫さん・・・(>_<)


鳩山さんと西川さん
 

こんばんは

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月23日(火)20時05分56秒
返信・引用
  あ。今、タツノオトシゴがいます♪

http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20090404-OYT1T00930.htm

こんなニュースをみつけました。
一応亀の「肢」であって、「ひれ」の役目もあるということかしらん?
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

ローカル・テレビ局のタイトルは一蹴しても大手新聞社の記事には一目置くという、小人物の典型を演じることになりました。あずきさんの説とは異なるのですがしかし、本人はまあ納得しているのですから見逃してやって下さい、つまりこういう事なのでしょう。

「肢」すなわち「前腕」を失った亀に「人工ヒレ」という「肢」に代わるものを装着した、と。

人間の場合でも片足を失った場合、「足」を付けることが出来ないので「義肢」を付ける・・・そういうことなのでしょう・・・ダメかなあ・・・(^^;)(6.23 22:23)
 

亀のヒレ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月23日(火)17時18分15秒
返信・引用  編集済
  先程焼酎を呑みながらテレビ(MBS・4CH)を視ていたら「両足を失ったウミガメ、人工ヒレでもう一度海へ(ママ)」というエピソードを放送していました。子供の時から近所の氏神さんの池で誠に身近に亀と接していた私には「ん???ヒレ???」と、とても奇異な感じを受けてしまいました。「ヒレじゃねえだろお・・・」、「ペンギンは足で立ってヒレで泳ぐだろうけど」、「普通指が有ればヒレじゃないはず」、「アシカやアザラシは指がないから」などと徐々に自信が無くなって行きそうになったとき連れ合いが辞書を引きに立ってくれました。

そうこうしている内に出演者が「前腕(ぜんわん)」と言ったり、救援のための義援金を集めているのが「ウミガメ義肢基金」だったりで辞書(水生の脊椎動物の体壁から突出した扁平な器官。運動器官として水をかいたり,舵の役目をしたりする。魚類では体の正中線上に生ずる背びれ・尾びれ・尻びれと体の両側に対をなす胸びれ・腹びれなど=これも何か漠然としていませんか?)の必要が無くなってしまったのですが・・・。

亀には「ヒレ」は無いですよね。金魚やクマノミには有りますけど・・・(^^;)


やはりこれ(上腕骨)を見付けるまでは自信が有りませんでした・・・(>_<)
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 6月23日(火)12時25分46秒
返信・引用
  よくみると金魚ではありませんね。

>赤い魚は金魚です。

赤いべべきた可愛い金魚♪・・・っていう童謡がありますね。
金魚はきれいだなと思います。和の香がします。
東洋の芸術作品だと記してあります。
 

続々・訂正(二)「法華経」に見る用い方

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月23日(火)07時06分57秒
返信・引用
  三日前に書いたことを読み返していて変なことに気付きました。「日本国語大辞典」です。「今昔物語集」の「白癩」を「しらはたけ」と読んでいます。


【白癩】

「しらはたけ」と読むとき

@色素の欠乏で、白色の斑紋を生じる皮膚病。尋常性白斑。――〔語義1〕

*今昔物語集「而る不、白癩と云て病付きて、祖と契りし乳母も、穢なむとて不令寄ず」(ページ画像(1)(2)

*観智院本名義抄「癩 シラハタケ シラハダ」

*易林本節用集「疥癩 シラハタケ」


此には首を傾げました。実はほかに「大辞林」が「しらはたけ」、「角川古語大辞典」は「しらはだ」としています。

しかし「近代デジタルライブラリー」の(ページ画像(1)(2))を読み進むと「三日許有リテ死ニケリ」とありますから「尋常性白斑」だとは思えません。

なお続いて「此他ニ非ズ(これは他でもない)。厳キ法会ヲ妨ゲ我身賤シクシテ止事无キ僧ヲ嫉妬セルニ依テ現報ヲ新タニ感ゼル也。然レバ人此を知リテ永ク嫉妬ノ心ヲ発スベカラズ。嫉妬ハ此レ天道ノ憎(リッシンベン+悪)ミ給フ事也トナム語リ傳ヘタルトヤ。」と「白癩」を現報と見て、やんごとなき僧を嫉妬をすると罰が当たると言っていますから、これは「びゃくらい」を現報としている物語ではないでしょうか。その意味でこの用例は新しく設けた〔語義3=「恐ろしい病気」や「現世の報い」を表わす〕に入れるべきだと思います。

ということで「白癩の話」のA法華経に見る用い方に修正を入れました。織物の途中がやけに膨らんでしまって困っています。いっそ「はじめに」で纏めてしまおうか、などと・・・(^^;)
 

Re: 金魚をみると

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月23日(火)06時59分24秒
返信・引用
  > No.4414[元記事へ]

エリカさんへのお返事。

> 金魚をみると
>
> 金魚が載っていますが。金魚を見ると郷愁をさそうようななつかしい気持ちになります。話が飛びますが。

 赤い魚は金魚です。と援護しよう。

 蛇足ですが、沖縄では ハイビスカスのことを 赤花ともいいます。

 Ichiro
 

金魚をみると

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 6月21日(日)06時50分33秒
返信・引用
  金魚をみると

金魚が載っていますが。金魚を見ると郷愁をさそうようななつかしい気持ちになります。話が飛びますが。
週刊新潮の谷内六郎の表紙絵があります。その表紙絵を見ると幼いときどこかでみたような風景が描かれていてタイムスリップしたような気持ちにさせられたのを覚えています。
何年か前金魚の産地である大和郡山に行きました。町並みを歩いていると幼い頃どこかでみたようななつかしいような谷内六郎の表紙絵のような郷愁とやすらぎにみちた風景がありました。それは昭和の香りであり、ハーモニカの音色のようでした。谷内六郎の絵はなぜ多くの人を魅了するのか。それは日本人のふるさとがあるからでしょうか。

ふるさとは遠きにありて・・・・。
この遠いは地理的な意味ではなく、年月をさしているのでしょうか。
縁日の金魚すくい。
花火
駄菓子屋さん

この道はいつか来た道
ああそうだよ。♪

この道とは人生であり、

ああそうだよ
金魚すくいをしたっけ
駄菓子屋さんのラムネの味
散髪屋さん

春の鯉のぼり
夏の夕涼み
秋の遠足
冬のたき火

高齢者のお世話をしていて思うのですが、幼少の頃を懐かしく語られます。

昔(むかし)を語(かた)るか そよぐ風
昔(むかし)をうつすか 澄(す)める水
 
    (リベル) エリカさん、おはようございます。

あのお〜、これって「クマノミ」なんですけどお・・・(^^;)(6.21 7:32)
 

続(二)「法華経」に見る用い方

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月20日(土)04時35分43秒
返信・引用  編集済
  こうして私は〔語義〕の縦糸はもう一本追加され

B「恐ろしい病気」または「現世の報い」として用いられる――〔語義3〕

が必要だと考えるに至りました。サブタイトルを「〜五つの白癩について 〜」とした所以でもあります。


さてここで私の主張を一層ご理解頂くためと、もう一つ「横糸」の追加を確認するために少し乱暴な手段に訴えざるを得ません。はしがきに記した「日本国語大辞典」に今発見した〔語義3〕を加えて編集をし直さなければなりません・・・。以下に改訂部分は色を変えて私なりの「日本国語大辞典」を記します。


【白癩】


しらはたけ」と読むとき


@色素の欠乏で、白色の斑紋を生じる皮膚病。尋常性白斑――〔語義1〕

*今昔物語集「而る不、白癩と云て病付きて、祖と契りし乳母も、穢なむとて不令寄ず」(ページ画像(1)(2)

*観智院本名義抄「癩 シラハタケ シラハダ」

*易林本節用集「疥癩 シラハタケ」
            

*字鏡集「癩 シラハタケ」(これは第2版から消えています)



びゃくらい」と読むとき


A皮膚が白くなるハンセン病をいった語――〔語義2〕

*宝物集「眉ぬけ鼻はしらたうれて白らいといふ病にわかりしに」


*身延山御書「現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕べし」(ページ画像)→B

*日葡辞書「Biacuraiビャクライ(白癩)Xirogattai(白がったい)白い色の癩病」(ページ画像

*法苑珠林「若人癩病、若白癩、若赤癩、至誠懺悔行道常誦瘥」(ページ画像→前のページから読んでみると「病名」と推察(恥)出来ます。


B「恐ろしい病気」や「現世の報い」を表わす。――〔語義3〕

*妙法蓮華経「此人現世。得白癩病。」
            

*日本霊異記・下(822)「この人現世に白癩の病を得む」ページ画像
            

*日蓮遺文−身延山御書(1282)「現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕べしページ画像

*石田三成起請文「今生にてハ白癩黒癩之重病を請」ページ画像
         


C(もしこの誓いを破ればAの病になってもよいという気持から)みずから誓っていうことば。副詞的に用いて、「断じて」「必ず」という強い決意を表わす――〔語義4〕

*蠅打「此月が師走で、水が油で海道がおれが身ならば、白癩きくまひと云しにひとし」

*浄瑠璃・平家女護島「こりゃ何処へ連て行めすぞ。びゃくらい返してくれられ」(ページ画像

*歌舞伎・矢の根「商ひ馬に乗らんとは、びゃくらいならぬ、ならないぞ」(ページ画像



DC
から転じて、感動詞的に)不意の出来事に驚く気持を表わす。――〔語義5〕←色が変わらないのでギブアップ!

*評判記・赤烏帽子岩崎金作「座配大かた也、狂言のときん白癩わすれたるの一言にて、是も大かた推量いたされたり」

*浮世草子・武道伝来記「一文字に切付れば、白癩是はと抜合せ」(ページ画像

*浄瑠璃・仮名写安土問答二「箱入のお姫さまを奴めが錐先に突当った此仕合せ、びゃくらい是は有りがたくごはりまする」


以上を「白癩の話」に追加いたしました。ふーっ・・・(07:02脱稿)
 

Re: アクア・ミュージアムにタツノオトシゴが居ました

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月19日(金)16時22分35秒
返信・引用
  > No.4410[元記事へ]

> 今度お見かけになった方がいらっしゃったら、是非ご一報下さい。病院へ行かなくて済みますから・・・(^^;)

ご心配なく。わたくしも見ましたが、今はいませんね。多分出てくる時間帯が設定されているのでは?と思います。

うちのピポちゃんは小さな少女です。他にいるのはピポちゃんのお友達です。
これはかなり手の込んだもので、島やアイテムや背景を変えることもできます。それから「宝石のウンチ」をして、それをためて、エサを買うのです。満腹するとエサを食べません。(←聞かれてもいないのに、おしゃべりなあずきでした(^^)。)
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

バカな私をお目に掛けます。どうも、ではないかと、待ち構えていました。これが証拠写真です。

付けっぱなしでは出ませんでした。13時を数秒過ぎたのでリロードしたら、居ましたですねやはり!!!

本当に安心しました、本当に真剣に心配していたから・・・それに他なりません・・・(>_<)

ピポちゃんがいつまでも元気でお過ごしになることを祈っております・・・(^^)(6.19 17:32)
 

Re: アクア・ミュージアムにタツノオトシゴが居ました

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月19日(金)07時52分12秒
返信・引用  編集済
  > No.4410[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> 先程、そうです6時丁度頃、タツノオトシゴが居ました。夢でも幻でもなく。オプションか何かかなと思って、餌をやったら食べていましたから間違い有りません。でこのサイトへ調べに行って帰って来たら・・・居ない・・・。もう一度サイトへ調べに行ったけど、何も書いてない、と言うことは幻想?妄想?認知症?
>
> 今度お見かけになった方がいらっしゃったら、是非ご一報下さい。病院へ行かなくて済みますから・・・(^^;)それにしても不思議だなあ・・・背筋が少し寒くなってきました・・・(>_<)

 水草の後に隠れていました。連れてこれませんねぇ。

 Ichiro

  平成21年6月20日追加。本日8時3分から11分にいました。
 
    (リベル) 私もそうかなと思って、あちらに回って見てみたのですが、やはり居ないのです。ひょっとして最近のタツノオトシゴは砂にもぐるのかなと掘り返してみたのですがやはり居ません。変ですね・・・^^(6.19 10:22)

ホットしました。或いはと思って12時1分頃でしたかページを開いて見ると居ました。どうも時間の変わり目に現れるようです。6時とか7時とか。私は5分で消えると思って見ていましたが消えません。10分になっても消えません。10分を過ぎてから一度消して戻ると、消えていました。暇だなあ私も・・・(6.19 12:16)
 

アクア・ミュージアムにタツノオトシゴが居ました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月19日(金)06時25分27秒
返信・引用  編集済
  先程、そうです6時丁度頃、タツノオトシゴが居ました。夢でも幻でもなく。オプションか何かかなと思って、餌をやったら食べていましたから間違い有りません。でこのサイトへ調べに行って帰って来たら・・・居ない・・・。もう一度サイトへ調べに行ったけど、何も書いてない、と言うことは幻想?妄想?認知症?

今度お見かけになった方がいらっしゃったら、是非ご一報下さい。病院へ行かなくて済みますから・・・(^^;)それにしても不思議だなあ・・・背筋が少し寒くなってきました・・・(>_<)
 

(二)「法華経」に見る用い方(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月19日(金)04時17分7秒
返信・引用  編集済
  6月17日(水)17時36分2秒 の投稿にもいくつか訂正を加えましたが、その続き (二)「法華経」に見る用い方を・・・。

「四分律」(410〜412年)とほぼ同じ頃鳩摩羅什によって漢訳された(402年頃)「妙法蓮華経」に現れる「白癩」は明らかに前項の「病名」としての用い方ではありません。ここでは「『恐ろしい病気』或いは『現世の報い(現報)』」として用いられているのです(ハンセン病は「恐ろしい病気」でも「現世の報」でもないことは言うまでもありません」)。(一)と同様に転載してみますと・・・

●漢訳=「若復見受持。是経典者。出其過悪。若実若不実。此人現世。得白癩病。」(大正新脩大蔵経

●書き下し=「若し復是の経を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。(植木雅俊著「法華経」

参考までに現代語訳と英訳を・・・

●太字部分現代語訳=「それらのものたちの身体は、実に現在において斑点が生ずるであろう」(同上)

●太字部分英訳=「 and such as openly defame them, shall have a spotted body in this very world.」(THE LOTUS OF THE TRUE LAW.Chapter26/ Translated By H. Kern)

梵語(kāyaś citro bhaviṣyati)を正確に和訳、英訳するとそれぞれ「斑点」、「spotted」となるのですが、ここで注目したいのは「此人現世得白癩病」、「此の人は現世に白癩の病を得ん」という鳩摩羅什の漢訳とその書き下し文です。その後ずっと「妙法蓮華経」に残されている「此人現世得白癩病」が「日本霊異記」を初め多くの文献に強い影響を与え続けたことは恐らく紛れもない事実だと言えるでしょう。


この用い方が、実は現在の「国語辞典」に至るまでの長い歴史を通じて、見過ごされていた大きな「陥穽」だと私は思います。この点に気付き、一歩突っ込んで追求する努力が怠られたためだと。

ではどうすれば良いか。「白癩の話」の冒頭に掲げた四つの〔語義〕に加えてもう一つ

B「恐ろしい病気」または「現世の報い」として用いられる

という「第五の語義」を追加すれば、正確な分類が出来ると私は思います。

「日本国語大辞典」の場合は、A皮膚が白くなる癩病。――〔語義2〕の用例の中の

身延山御書「現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕べし」

は正にこの新しい語義の用例の箇所に移されるべきでしょう。これでこれまで少し違和感のあった「用例」の扱い方がスッキリすると愚考いたします。


こうして私は〔語義〕の縦糸はもう一本追加され

B「恐ろしい病気」または「現世の報い」として用いられる――〔語義3〕

が必要だと考えるに至りました。サブタイトルを「〜五つの白癩について〜」とした所以でもあります。


ここまで書いたところでバスが動き出したので、この続きはまた今日へ持ち越されてしまいました。しかしこの部分が私の「白癩騒動」の終着駅、という感が強いので内心もう全部終わったような脱力感に襲われているのも事実です・・・自分の尻を叩いて頑張らねば・・・^^
 

luludさんへ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月19日(金)03時44分37秒
返信・引用
  貴方は去る6月8日、よしりんさんの「Yoshiko's Guest book」へ悪質な投稿をなさいました。その時の意趣返しなのか、先程(2:39:11)こちらへも同文の投稿をされました。当然のことながら、削除させて頂きました。

あなたは何故か「井深八重」さんのページをご覧になってそれからここへお見えになっています。ハンセン病への興味がお強いのだと拝察しますが、興味は正しい方向へ深めて頂きたいと思います。


あなたのIPアドレスは「zc045127.ppp.dion.ne.jp」であり、「221.119.45.127」というパソコンから発信されていると特定されています。以後このような行為をお続けにならないで下さい。よろしくお願いします。
 

Re: アクア・ミュージアム

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月18日(木)20時24分28秒
返信・引用  編集済
  > No.4406[元記事へ]

>時々餌をやらないと死んでしまうので困ります・・・(^^;)

何度あげても大丈夫でしょうか?1回あげてしまいましたが。。。
夏らしいですね。猫ちゃんの悪戯に気をつけてくださいね。
(あら。今、床下を見ましたら、猫ちゃんはいませんでした。←追記)

わたくしは、もっと手のかかるペットを住まわせています。
さて、どこにいるでしょう???
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

探してきました。「ピポ島」ですね。何か三匹いてややこしそうですね・・・。

あ、猫ちゃんは先日自由を求めてどこかへ言ってしまいました。あずきさんによろしくにゃあと、言っておりました・・・^^

本当だ、いい加減な冗談を言ったつもりでしたが「Feed」って書いてありました。10回ほどやったら食べなくなって、水が濁ってきたので止めました・・・^^(6.19 02:12)
 

アクア・ミュージアム

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月18日(木)12時22分32秒
返信・引用
  また妙なものを見付けてきました。ガラスをコツコツと叩くと魚が寄ってきます。時々餌をやらないと死んでしまうので困ります・・・(^^;)  

シュンペーさんのお姉さん

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月18日(木)02時54分4秒
返信・引用  編集済
  どうも持っていた知識から判断すると、私の中学生の頃だと思います。近所に悪ガキ仲間でシュンペーという名の先輩が居ました。みんなは「しゅんぺーはん」と呼び習わしていましたが。或る日そのしゅんぺーはんちで「ジェスチャー・ゲーム」をやろうということになり、十数名ほどでしょうか仲間が集まりました。NHKで始まったのが1953年ですから、未だ放送は始まっていなかった頃ですね。

しゅんぺーはんちは三人兄弟で兄と姉が居ました。そのお姉さんの話なのです。とても男っぽい厳つい女性で怒り肩で野太い声の人でした。その人の順番になってジェスチャーを始めたのですがこれが分らない、ひたすら女性っぽくくねくねと品を作りながら、両足は外股で歩き回る、そしてしきりにその足を指さして何かを訴えて来るのですが、それが分らない。

お分りになりましたか?・・・答えは「女形」だったのです。でも彼女は普段から堂々たる外股ですから、そこを指さして貰ってもヒントにならないのです。

みんなが大笑いしたのを、時々懐かしく思い出します。終戦直後の悲惨な時期でしたが私達子供はそれなりに人生を楽しむ術を心得ていたのでしょうか。さあしゅんぺーさんやお姉さん、私より2〜3歳上だと思いますが、お元気でいらっしゃるのでしょうか・・・^^;


これは内股です・・・^^
 

再掲載と追加  (一)耆婆(ジーヴァカ)のエピソード(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月17日(水)17時36分2秒
返信・引用  編集済
  仏典は経蔵・律蔵・論蔵の三つに分類され、その中の律蔵は僧侶の日常生活の規律を述べたものとされています。

(私はお経と言えば何か宗教的・哲学的教義が羅列してあって、それを有り難く唱えるものだと思い込んでいましたが、実は必ずしもそうではなく中には次に紹介するような「物語」とも言うべき興味深いエピソードが綴られていることも有るのだと初めて知りました)

ここに先に挙げた影山教俊氏の「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」にヒントを得て「四分律」の中の耆婆のエピソードを転載します。

(1)大正新脩大蔵経から

爾時摩竭國界五種病出。一者癩二者癰三者白癩四者乾痟。五者顛狂。彼國人有此病者。皆詣耆婆童子所語言。唯願見爲治。我等當與如是如是財物。耆婆童子報言。我不能治汝。時病者復語言。唯願救濟。我等當以家一切所有身及妻子供給使令。耆婆報言。我不能療治汝患。時諸病者自相謂言。此人意正。必不與我等治病。我曹當往至彼所欲樂治處。時諸病者。來至僧伽藍中。語諸比丘言。我欲出家學道。時諸比丘輒度出家。時耆婆童子。療治佛及比丘僧。給與吐下藥。或可與羹者作與。不可與者不與作。或與野鳥肉作羹。隨病者所食。蒙此轉得除差。既得除差已。皆還休道。時耆婆童子。在道行見罷道道人。在道而來。見已語言。汝先不出家耶。報言曾出家。問言。汝何故休道。報言。我先有患。詣汝所求治言。當與汝如是如是財物。而汝報我言。我不能治。我復重求汝治。當以家一切所有及身妻子供給使令。而汝猶意正不見爲治。我等自相謂言。此人意正。必不爲我等治病。我曹當更往至彼所樂治處。而必爲我治。我等爲此病故。往僧伽藍中。權求出家治病。本無信心。於佛法衆所出家。時耆婆聞已不悦即往世尊所。頭面禮足在一面坐。白世尊言。昔我先療治衆僧病故捨王事。而諸比丘。度五種病者。癩癰白癩乾痟顛狂。唯願世尊。見愍爲勅諸比丘。自今已去。勿復度此五種病者爲道。爾時世尊。默然可之。時耆婆。知世尊默然可已。從坐起頭面禮足遶三匝而去。爾時世尊。以此因縁集比丘僧。告諸比丘。汝等當知。耆婆童子。先療治衆僧病苦故捨於王事。而諸比丘輒度五種病人。自今已去。不得度五種病人授具戒。若度者當如法治。爾時佛在羅閲城。

(2)要約(影山教俊氏の「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」より)(参考

ある時、摩竭国界に癩・癰・白癩・乾痟・癲狂の五種の病が流行った。病人たちは家の一切の財宝を持って耆婆に治療を求めたが、断られた。思いあまった病人たちは僧伽藍に集まり、「出家学道したいこと」を比丘に訴え、出家することになる。
 そのため仏比丘僧の治療にあたっていた耆婆は、彼らに吐下薬をはじめ、その病状に応じた羮などを与えて治療をした結果、病人は徐々に回復した。すると彼らは出家を捨てて、還俗してしまった。
 耆婆は衆僧の治療に追われ、王族方の治療に手が回らずにいた。世尊は今後、癩・癰・白癩・乾痟・癲狂の五種の病人に出家のために具足戒を授けてはならないといった。

ここでは釈迦の時代に釈迦(世尊)の侍医であった耆婆の体験談が綴られていますが、ここに上げられている「癩」「癰」「白癩」「乾痟」「顛狂」は明らかに当時実在した病気の名称として用いられています。

このエピソードは「四分律」の他にも「五分律」、「南伝大蔵経」「摩訶僧祇律」「十誦律」に語られていると影山氏は先の論文に記されています。「摩訶僧祇律」と「十誦律」には「白癩」の文字は有りませんがこれらに列挙されている「病名」はあくまで純粋に病名として用いられています(ここで記憶に留めておきたいのは「四分律」には「癩」と「白癩」が別種の病気として取り上げられて居ることです)。

これらの仏典で語られた「白癩」は明確に「病名」で有るのに対し次の項で取り上げる「白癩」は全く違う用い方をされているのです。

(二)「法華経」に見る用い方


本質的な問題は「四分律」の梵語またはパーリ語の原典なのです。これが見付からなくて四苦八苦しています。どうやら梵語で「dharmaguptaka vinaya」と言うらしいというところまでは辿り着いたのですが、さてこの原文が未だ見付かりません。最悪の場合、「四分律」についてはこのサイトが詳しいのでそちらに問い合わせる予定です。そこで原典に「kilāsa」なり「śvitra」なり何なりが出て来ると「鬼の首を取った」ようにまた興奮してしまうのでしょうけど・・・^^
 

Re: (一)耆婆(ジーヴァカ)のエピソード(備忘録)

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月17日(水)06時22分34秒
返信・引用  編集済
  > No.4402[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  貴重な文献有難うございました。

 ちょっと蛇足を:

 「癰」はしぶとく皮膚科に生き残っていました。英語では Carbuncle ドイツ語では Karbunkel で 節(これに病だれをつけてください)の親分です。一応菌による疾患とされますが、私は大きな袋(なかに角化物質を含む)が破れておこる角化物質に対する反応と考えています。それは、必然的に感染がおこり(起こらないと自然治癒しない)、皮膚を破り、中の角化物質や膿が出て、自然に治癒します。

 話の内容とは関係ないですが、ちょっと書いてみました。発音は よう です。

 Ichiro

  後から記載する。●「癰疽」は残っていません。どういう意味か判り兼ねます。脱疽はエノケンが罹ったバージャー病ですが.....
 

(一)耆婆(ジーヴァカ)のエピソード(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月17日(水)02時40分8秒
返信・引用  編集済
  仏典は経蔵・律蔵・論蔵の三つに分類され、その中の律蔵は僧侶の日常生活の規律を述べたものとされています。

(私はお経と言えば何か宗教的・哲学的教義が羅列してあって、それを有り難く唱えるものだと思い込んでいましたが、実は必ずしもそうではなく中には次に紹介するような「物語」とも言うべき興味深いエピソードが綴られていることも有るのだと初めて知りました)

ここに先に挙げた影山教俊氏の「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」にヒントを得て「四分律」の中の耆婆のエピソードを転載します。

(1)大正新脩大蔵経から

爾時摩竭國界五種病出。一者癩二者癰三者白癩四者乾痟。五者顛狂。彼國人有此病者。皆詣耆婆童子所語言。唯願見爲治。我等當與如是如是財物。耆婆童子報言。我不能治汝。時病者復語言。唯願救濟。我等當以家一切所有身及妻子供給使令。耆婆報言。我不能療治汝患。時諸病者自相謂言。此人意正。必不與我等治病。我曹當往至彼所欲樂治處。時諸病者。來至僧伽藍中。語諸比丘言。我欲出家學道。時諸比丘輒度出家。時耆婆童子。療治佛及比丘僧。給與吐下藥。或可與羹者作與。不可與者不與作。或與野鳥肉作羹。隨病者所食。蒙此轉得除差。既得除差已。皆還休道。時耆婆童子。在道行見罷道道人。在道而來。見已語言。汝先不出家耶。報言曾出家。問言。汝何故休道。報言。我先有患。詣汝所求治言。當與汝如是如是財物。而汝報我言。我不能治。我復重求汝治。當以家一切所有及身妻子供給使令。而汝猶意正不見爲治。我等自相謂言。此人意正。必不爲我等治病。我曹當更往至彼所樂治處。而必爲我治。我等爲此病故。往僧伽藍中。權求出家治病。本無信心。於佛法衆所出家。時耆婆聞已不悦即往世尊所。頭面禮足在一面坐。白世尊言。昔我先療治衆僧病故捨王事。而諸比丘。度五種病者。癩癰白癩乾痟顛狂。唯願世尊。見愍爲勅諸比丘。自今已去。勿復度此五種病者爲道。爾時世尊。默然可之。時耆婆。知世尊默然可已。從坐起頭面禮足遶三匝而去。爾時世尊。以此因縁集比丘僧。告諸比丘。汝等當知。耆婆童子。先療治衆僧病苦故捨於王事。而諸比丘輒度五種病人。自今已去。不得度五種病人授具戒。若度者當如法治。爾時佛在羅閲城。

(2)要約(影山教俊氏の「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」より)(参考

ある時、摩竭国界に癩・癰・白癩・乾痟・癲狂の五種の病が流行った。病人たちは家の一切の財宝を持って耆婆に治療を求めたが、断られた。思いあまった病人たちは僧伽藍に集まり、「出家学道したいこと」を比丘に訴え、出家することになる。
 そのため仏比丘僧の治療にあたっていた耆婆は、彼らに吐下薬をはじめ、その病状に応じた羮などを与えて治療をした結果、病人は徐々に回復した。すると彼らは出家を捨てて、還俗してしまった。
 耆婆は衆僧の治療に追われ、王族方の治療に手が回らずにいた。世尊は今後、癩・癰・白癩・乾痟・癲狂の五種の病人に出家のために具足戒を授けてはならないといった。

ここでは釈迦の時代に釈迦(世尊)の侍医であった耆婆の体験談が綴られていますが、ここに上げられている「癩」「癰」「白癩」「乾痟」「顛狂」は明らかに病気の名称です。

このエピソードは「四分律」の他にも「摩訶僧祇律」「十誦律」「五分律」、「南伝大蔵経」に語られていると影山氏は先の論文に記されています(ただ「摩訶僧祇律」と「十誦律」には「白癩」の言葉は出て来ませんが)。

これらの仏典で語られた「白癩」は明確に「病名」で有るのに対し次の項で取り上げる「白癩」は全く違う用い方をされているのです。

(二)「法華経」に見る用い方


これについては、又明日・・・。
 

Re: お経と言うけど・・・(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月16日(火)03時29分59秒
返信・引用  編集済
  > No.4393[元記事へ]

今夜は少しお経の勉強をしました。「白癩の話」を書くためのお勉強で御座います。
>
> 中国の仏典の中の「白癩」に二種類有ることを説明したいのです。その一つが耆婆(=ジーヴァカ)のエピソードです。4月10日に書いている話です。仏典には三種類有ってその内の「律蔵」というのが僧侶の日常生活や守るべき規律について、書いています。その律蔵の一つ「四分律(しぶんりつ)」を例に取ってみましょう。面白いのです。
>
> 先ず「大正新脩大蔵経」のサイトから「耆婆 白癩」で検索すると「四分律」のこの部分がヒットします。この部分の要約を前に紹介したことのある「現代宗教研究 第36号」の「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」から取り出して並べたのがこれです。読み合わせてみてください、面白いでしょう。こんな物語を「お経」は唱えているんですね・・・。


三日前にこう書いています。実は「白癩の話」に以下のように取り込んでいこうとしているのです。


仏典も数有れどその中で「白癩」という文字は一体どれくらい出て来るのでしょう。「大正新脩大蔵経」で検索してみると150カ所、経典の数にして46、出て来ます。その全ての文脈を確認するのは放棄して「現代宗教研究 No.36」の「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法(p.82)」及び「仏教とハンセン病(p.158の3行目)」を参考にして、「白癩」という言葉の用い方が大きく二つに分かれていると推測しました。

一つは、「病名」としての用い方、もう一つは「恐ろしい病気」引いては「現世の災厄」としての用い方です(念のためですが「ハンセン病」はそのどちらでもありません)。次にこの二種類の用い方について詳しく説明します。

(一)耆婆のエピソード

(二)「法華経」に見る用い方

以下は後日。
 

すみません:また宣伝です

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月15日(月)18時27分28秒
返信・引用  編集済
  スミマセン。また広告です。Ichiroの研究メモ からです。

 Ichiro

 http://9105.teacup.com/ichiro/bbs/4890

 文献紹介47: 世界のハンセン病現代史 私を閉じ込めないで トニーグールド 菅田絢子(あやこ)監訳 明石書店 2009

 Don't fence me in    Leprosy in Modern Times by Tony Gould

  初めて出た、日本を含めて(?)の世界のハンセン病史である。著者は英語がわかるようで(当たり前ですね)、文献はすべて英文である。日本に関しては残念ながら、十分なレベルには達していないようであるが、ボイド女史のハンナリデルは読んでいる。私が書いたケートマルスデンの話も詳しい。ハワイのダミアン神父にかんすることや、ハンセンのこともある。光田の写真もでていた。今から読むのが楽しみだ。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

「世界のハンセン病現代史」ですね。

面白そうですね、でも残念ながらお値段が良すぎていけませんね・・・^^;。(6.16 02:34)
 

Re: テスト

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月14日(日)14時03分7秒
返信・引用
  > No.4397[元記事へ]

> &#167928;
>
> 出ました・・・^^

リベルさん。ありがとうございます。でも我がパソコンからは「・」に見えます。
なんとあの「こくりこ日記」では正字が出たのでした。あそこに書く前にテキストに書きますが、その段階であきらめてしまいましたが、ためしにコメント欄で直にテストしましたら、書けました。お心遣いに深謝いたします。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

こういうのって、本当に分らないものですね。私も古い漢字と悪戦苦闘していますが、これはまれな例だと思います。将棋の方で森&#167928;二という人が居ますがウィキペディアでも扱いに困っている様子が窺えますね・・・。(6.14 17:38)
 

呆れた話

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月14日(日)06時47分3秒
返信・引用  編集済
  ショルダーバッグが欲しくなって、近所のダイエーで時々物色していました。数日前からワゴンセールで「半額」と大きく出ているので見てみたら「キプリング」という12,000のが6,000円で、なかなか感じがよいのです。ネットで「樂天」「キプリング・オフィシャルページ」などで調べながら数日迷っていました。

目を付けていた「New Rita」というのが売れ行きが良くて一昨日残りが2個になったので、買いました。意気揚々連れ合いに見せると「ゲッ」という顔をしました。「おかしい」と言うのです、女物だと。だいたいゴリラのマスコットが付いたのは子供か女の子しか喜ばないのではないか」と。

それでハタと思い当たりました。これまで調べたサイトを冷静に振り返ると・・・、しかもゴリラのマスコットが男物に付いているか?と。待て待てラベルが付いていたと、ルーペで読んでみると書いてありました「Kipling is the best women's casual bag brand in the world」と決定的な駄目押しが・・・。

大学1年の孫娘に聞いてみたら飛びついてきました。やれやれ目出度く嫁ぎ先は決まったものの、連れ合いの顔色は良くありません。この人の認知症は結構進んでいるようだ、と。いや当の本人も未だそこに気が付くのだから、そうは進んでいないのでは・・・なかろうか・・・と、これも真顔で心配になってきているようです・・・^^
 

テスト

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月14日(日)01時43分43秒
返信・引用  編集済
  &#167928;

出ました・・・^^

半角で「&#167928;」と記入すると上の漢字が出たのです。

これは実はあずきさんちの「こくりこ日記」で困っておられたので・・・^^

義を見てせざるは勇無きなり・・・ちょっとオーバーでありんす・・・おや・・・^^
 

もう一本の横糸

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月14日(日)00時49分48秒
返信・引用  編集済
  「角川古語大辞典」に目を凝らしていたら「白癩乞」という文字に気付きました。「難波鉦(なにわどら、1680年、岩波文庫)」を見付けたのですがこちらでは「白癩乞」、広辞苑や大辞林でもこちらの文字を使っています。「難波鉦」というのは遊女の客あしらいの手練手管集という誠に珍妙な本で西鶴も近松門左衛門も読んだだろうとされているようですが・・・。「鉦(どら)」というのは「どらむすこ」に掛けた言葉のようです。

面白いのは会話です。「あわしゃんした」とか「聞かさしゃんせ」とか「ござんす」とか映画で知っているこのような言葉を、本当に喋っていたのざんしょか・・・トニー谷さんを思い出しました(笑)

私は感覚的に「非人」や「かったい」という言葉に近付きたくないのですが、「白癩乞児」とあっては捨て置けません。なにしろ初出ですから。別々に扱かった文章は散見されますが一体化した例には初めてお目に掛かりました。ほかに用例をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非お教え下さい。目下横糸が47本です。耆婆童子の話は正に「白癩の話」本篇のクライマックスなので、なかなか手が付けられなくて・・・^^
 

Re: 男の美学

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月13日(土)22時26分49秒
返信・引用
  > No.4394[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> 麻生さんが泣きついたんですね。で渋々出した。その後がいけませんや。自分の口から「潔さ」を言っちゃあいけない。さらに非道いのは西郷さんを持ち出したこと。「西郷隆盛翁」ですと。自分を美化してなさる、これは最悪です。「男の美学」という言葉が脳裏にあったのではないかと想像しました。私は「男の美学」という言葉が大嫌いなのです。この言葉は既に「弁明」をそれ自身に内包している言葉です。余りの醜悪さに溝に唾を吐きそうになりました(実は・・・本当に・・・)。

 辞職と聞いた時は陽明学だなと思いました。西郷隆盛は陽明学は学んだとありますが、昭和時代の安岡正篤は、陽明学では西郷隆盛を最高位に置いています。知行合一が根本にあります。陽明学者は王陽明を含み、末路がよくありませんが、王陽明のように7転び八起きすると期待しています。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

「竜場の大悟」ですか。いやいや鳩山さん、そんな心境の持ち主とはとても思えません。王さんのクシャミが聞こえてきそうです・・・。

それにしてもIchiroさんは優しい心根をお持ちですね、私なんぞは逆立ちしても真似が出来ません・・・(^^;)(6.14 00:25)
 

男の美学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月13日(土)04時54分55秒
返信・引用  編集済
  昨日歩いている最中にニュースがイヤフォーンから飛び込んできました。鳩山さんが辞表を出して受理されてのぶら下がり記者会見です。そりゃまあ西川さんに全く非がないとは言いませんが、余りしつこいので少々うんざりしていたのです、鳩山さんに。それがキッパリと辞表を出した、おや潔いとこ有るじゃんと少し見直しかけたら、これが違っていました。

麻生さんが泣きついたんですね。で渋々出した。その後がいけませんや。自分の口から「潔さ」を言っちゃあいけない。さらに非道いのは西郷さんを持ち出したこと。「西郷隆盛翁」ですと。自分を美化してなさる、これは最悪です。「男の美学」という言葉が脳裏にあったのではないかと想像しました。私は「男の美学」という言葉が大嫌いなのです。この言葉は既に「弁明」をそれ自身に内包している言葉です。余りの醜悪さに溝に唾を吐きそうになりました(実は・・・本当に・・・)。

男はリングに倒されたら血まみれの腫れ上がった目蓋を開けようと努力して、もう疲れ果てた腕を少し動かそうと試みて、「じゃあな」と言葉にならない言葉を呟いて、突っ伏したまま担架で運ばれていくべきだと私は思っていますし、そうしてきました。恥をかかされたら顔を真っ赤にしてソソクサと去る。取り返しの付かないミスをしたら、慚愧に耐えない惨めな顔を伏せて、みっともない後ろ姿を見せながら去る。打ちのめされたらサッサと去るのが良い。その口惜しさを忘れないようにする、私の「美学」はそっちです。ロープにつかまってヨロヨロ立ち上がって、微笑んでみせるなんて真似は願い下げです。動物はそんな馬鹿なことはしませんでしょう、負けたら尻尾を巻いて一目散に逃げる、それがまともな生き方ではないでしょうか・・・。

「悪事に荷担した云々」はもう論外、名誉毀損ものです。ゆうべは少し飲みすぎてしまいました・・・(^^)


気分直しに・・・^^
 

お経と言うけど・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月13日(土)04時16分53秒
返信・引用  編集済
  今夜は少しお経の勉強をしました。「白癩の話」を書くためのお勉強で御座います。

中国の仏典の中の「白癩」に二種類有ることを説明したいのです。その一つが耆婆(=ジーヴァカ)のエピソードです。4月10日に書いている話です。仏典には三種類有ってその内の「律蔵」というのが僧侶の日常生活や守るべき規律について、書いています。その律蔵の一つ「四分律(しぶんりつ)」を例に取ってみましょう。面白いのです。

先ず「大正新脩大蔵経」のサイトから「耆婆 白癩」で検索すると「四分律」のこの部分がヒットします。この部分の要約を前に紹介したことのある「現代宗教研究 第36号」の「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」から取り出して並べたのがこれです。読み合わせてみてください、面白いでしょう。こんな物語を「お経」は唱えているんですね・・・。

私は寡聞にしてお経の中味がこういう場合もあるのだとは知らず、とても面白く感じて、是非皆さんにもお見せしたくなってご披露した次第です。長生きはするもんだ、ってーかもっと勉強して見聞を広めておけば良かったと、後悔先に立たず・・・(^^;)
 

図書館で「白癩」を集めました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月12日(金)04時27分57秒
返信・引用  編集済
  かねてご案内の通り「呼称の変遷」の右端に「白癩」の項を立てて、古い文献を集めています。この収集に重宝するのが何を隠そう「国語辞書」なのです。そこで図書館へ何度も通ってそこら中の辞書をゼロックスしまくって持ち帰り「びゃくらい」と「しらはたけ」に書き込んでいます。

新しく増えたのだけ紹介しておきます。「角川古語大辞典(初版・1999年)」、「古語大辞典(第1版・1983年・小学館)」、「新編大言海(第3刷・1983年・冨山房)」、「修訂大日本国語辞典(初版・1952年・冨山房)」の四つです。

実は古い辞書は旧仮名遣いや古い漢字なので人知れぬ苦労は(書いてしまうとそうは言えないですね)有るのですが、楽しい作業でもありました。ただ一つ「修訂大日本国語辞典」にある「病垂+支」だけはどうしても見付かりませんでしたが。

面白いのはこれらの辞書の「ハンセン病」という言葉の扱いです。厚労省が「らい」を「ハンセン病」に改めたのは1996年ですから、流石に国語辞書はキッチリ対応しています。「三省堂新明解古語辞典」などは1995年刊なのにチャント「ハンセン病」にしていますが、どういう訳か「広辞苑」の第6版だけは「癩」の言葉を使っています。古語とは言え括弧内に入れる(「ベネッセ古語辞典」はそうしています)とかするのが正しい方法だと思いますが。


やれやれ、大体「横糸」は出尽くしたかな、現在45本(「他阿上人法語」というのが刊行年が不明ですがこれを入れれば46本)です・・・フーッ・・・^^
 

大楓子油の広告がわかりました

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月11日(木)17時41分38秒
返信・引用  編集済
  もう判っていると思いますが

 大楓子油の広告の写真を出しましたが、菊池恵楓園の社会交流会館に 東京医事新誌1327号に大楓子油の広告がでていました。勝手に雑誌をひっくり返すわけはいきませんでしたので年号は不明です。次回頼んでみます。

 それから「白らい」=小菌型ハンセン病では ありませんので 念のため

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

久し振りですね。お元気そうでなによりです・・・(^^)(6.12 03:14)
 

こんばんは

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月10日(水)21時33分35秒
返信・引用
  >しかし短詩でも推敲を死ぬまで重ねるという、そんな例は・・・無いですかやはり。

見なかったフリをしようと思いましたが、やはり申し上げておきます。
死ぬまで推敲を重ねたことで有名なのは「ゲーテ」です。
わたくしは死ぬまで、推敲どころか、納得ゆくものが書けるか?が大問題です。

またまた「ちくま哲学の森」になりますが、247ページに、カフカの詩人についての言葉がありますが、あの言葉がわたくしには1番身近なものに思えます。トイレでお読みくださいませ(^^)。
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

>見なかったフリをしようと思いましたが・・・

次からはそうなさって下さい。でないと強引に引っ張り出したことを後悔しなければなりませんし・・・見え透いていますね・・・(;^^)

それから私が一昨日書いたとき、「幻の酒」の話が頭に渦巻いていたことはお伝えしておかなければいけませんでした。

カフカの言葉読みました。しみじみそのとおりだなあと思いました。「詩人」を「人間」とか「自分自身」に置き換えてもそのまま胸に響く言葉ですね。良い時間を、有難うございました・・・_(_^_)_(6.11 00:17)
 

Re: 「白癩」についての間違いを発見

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月10日(水)02時50分31秒
返信・引用  編集済
  > No.4303[元記事へ]

「法華経」の中では「此人現世 得白癩病」というように記述されています。

「妙な疑問」というのは、この「白癩」の用い方はいわゆる「現報」ではないかということです。この記述の前に来る文章の書き下ろし文は・・・

「若し復是の経を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、」

であり、植木雅俊氏訳の現代文では・・・

「また、このような経の極致の受持者である男性出家者たちに、非難の言葉を聞かせるところのものたち、それらのものたちの身体は、実に現在において斑点が生ずるであろう。」

となっています。簡単に言えば「僧侶をバカにすると罰が当たるよ」と言っています。つまり現世の報いすなわち「現報」です。私は2月10日にこのように「白癩」を定義しています。

@皮膚が白くなるハンセン病=「少菌型=PB型(I群、TT型)」のハンセン病(「びゃくらい」と読む場合)

A白癜(しろなまず)=leucoderma、 vitiligo(「しらはたけ」と読む場合)

B本来の「病名」から離れて転用された場合=かたい誓い・決心の言葉として用いる語や不意の出来事に驚いて発する語

これは間違っていました。Cとして、単に「恐ろしい病気」とか「業病」とかの代表として「白癩」を用いているケースを立項しなければならないのです(念のためですが「ハンセン病」は「恐ろしい病気」でも「業病」でもないことは言うまでもありません)。上の「妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八」の中の「白癩」はまさにそのケースです。

「現代宗教研究」の151頁の最後の三行にご注目ください。同じ巻にある「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」も読み返しました。耆婆(ジーヴァカ)はB.C.6世紀頃の人で丁度釈迦と同時代に生きて交流がありました。耆婆のその頃の話題を取り上げた経典では、「白癩」や「癩」を単なる皮膚病の一つとして扱い、「業病」としては扱っていなかった、しかし「大智度論」(龍樹(ナーガールジュナ)によって150年〜250年頃書かれたとされています)のころには「業病」としていると上記の三行は言っています。なおこのPDFの154頁の4〜6行目では仏典の中に於ける取り扱い方が「業病観」や「遺伝説」を決定づけたかのように説いてありますが、私はそれは短絡的に過ぎはしないかと懸念します。もう少し慎重に考えて行く積もりです。

仏典の中で「白癩」は当初は単なる「病気」として扱われていたが、その内に「業病視」されるようになったのです。なので、この点では仏典を一括りにしてはいけないのです、(私は危うくそうしかけていたのですが)「全ての仏典は白癩を業病として扱って来ました」、などというように。私は今書きかけている「白癩について」は勿論、前から書いてきた「法華経」などについての文章も、全て見直さなければなりません。ああ大変だ大変だ・・・と思わないで、のんびり直して参ります・・・^^


以上は丁度2ヶ月前に書いたものです。いま丁度「白癩の話」がここに差し掛かりました。一度ここに整理してポイントを纏めようとして・・・待てよ、となって探したら案の定と言うことでした。

「白癩の話」のはしがきに「日本国語大辞典」を抜粋して「四つの語義」を設定しました。しかし「白癩の話」のサブタイトルは「五つの白癩について」としています。はしがきには気を持たせた書き方をしていますが、お見通しの通り、五番目の縦糸=〔語義5〕の正体は上記の「単に「恐ろしい病気」とか「業病」とかの代表として「白癩」を用いているケース」なのです。

これが「日本国語大辞典」他の各辞書のいずれもが見落としている点です(「びゃくらい」と「しらはたけ」)。「日本霊異記」の場合などは明らかに〔語義5〕です。そしてこの類の誤りは全て「法華経・普賢菩薩勧発品第二十八」の例の「此人現世。得白癩病」に端を発しているのです。ちなみに、ここでの「白癩」は梵語では「citro=斑点」であって、病名でもなければ症状を指すものでもないことは、もうご存知の通りです。

かつて「三つの白癩」と何度も何度も叫んでいる人が居ましたが・・・あの人はどこへ行ったのでしょう・・・(^^;)
 

フィボナッチ数の美しさ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月 9日(火)02時58分21秒
返信・引用  編集済
  藤原定家が

来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

などと詠っている頃、イタリア出身のフィボナッチという数学者が「算盤の書」で或る数列を紹介しました。ご存知の方も多いかと思いますがこんな数列です・・・

0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181, 6765, 10946, 17711, 28657, 46368, 75025, 121393, 196418, 317811, 514229, 832040, 1346269, 2178309, 3524578, 5702887, 9227465, 14930352, 24157817, 39088169, 63245986, 102334155, 165580141, 267914296, 433494437, 701408733, 1134903170, 1836311903, 2971215073, 4807526976, 7778742049…

ここまで転載(ウィキペディアから)しなくてもよいのですが、お分りでしょうか、「0+1=1」「1+1=2」「1+2=3」「2+3=5」「3+5=8」「5+8=13」「8+13=21」・・・というように「前の二つの数の和」の数による数列です。

次に数列内の数を前の数で割って行きます・・・

「2/1=2」
「3/2=1.5」
「5/3=1.667」
「8/5=1.6」
「13/8=1.625」
「21/13=1.61538462」
「34/21=1.61904762」
「55/34=1.61764706」
「89/55=1.61818182」
        ・
     ・
     ・
1134903170/701408733=1.618033988
1836311903/1134903170=1.61803399
        ・
     ・
        ・
と増減を繰り返して或る数へ収斂していきます。最終的には・・・

1.61803398874989484820458683436563811772030917980576286213544862270526046281890244970720720418939113 7484754088075386891752126633862223536931793180060766726354433389086595939582905638322661319928290267 ...=黄金比

になるのだそうです。私にはこれが不思議で堪らないのです。黄金比は名刺やトランプのカードなどがそうで、正五角形の一辺と対角線もその比率だという様に覚えています。この正五角形の話はまあ同じ「図形」の話だから何となく納得(勿論何となくです)するのですが、「黄金比」が「この数列が収斂する値」と同じ(表現は数学的には正しくないかも知れません、でもお分り頂けるでしょう)だというのは、一概に納得できないのです、私は。そしてこのまあいわば奇妙な一致を分かり易く説明したものに出会ったことがありません。奇妙ではないのだよ、と説明したものに。

さらにまた、黄金比は自然界ではオオムガイのらせん構造とも一致するそうで、いやはや自然界の美しさとフィボナッチの数列が合致していることの不思議さと言うより美しさ、大いなる自然の摂理には唖然とするほかありません。


数字の世界、まあたとえば「ピタゴラスの定理」とか円周率とかそういうものはとにかく「パーフェクト」です。完全無欠です、真理です。2,000ピースのジグソーパズルの1ピースが欠けてもパーフェクトではありません。ここでとんでもないことをこの爺さんは又言い出すのですが、果たして「芸術」は「パーフェクト」でしょうか?

睡眠薬代わりにバッハの「マタイ受難曲」を聴いていました、CD3枚を半年か一年聴いていたでしょうか、この曲は「難解」(音楽をこのように言うのかな)で、未だに一つのメロディーも覚えていません。今はモーツァルトの「レクイエム」で眠ります。これを滑り出しからジックリ聴いていて思うのですがこの男性のテナーを外したら、無くしたらどうなるのだろう?と。この曲は教会音楽というのか次々にソロや合唱が重層的に同一メロディーを繰り返す方法で進んでいくのです。その中の一つのソロを取っ払うと全体が成立しなくなると言うようなことは無いだろう、とまあ無茶というか無駄というか、そんなことを考えている内に眠ってしまうのですから他愛ないと言えば他愛ない話なのですが。

ドガの踊り子の出番前の風情を描いた小品(私の記憶している作品はネットで一時間ほど探しても見付かりませんでした)を高校生の時矯めつ眇めつして思ったものです。この白いリボンを取っ払うとどうなる?この長椅子を少し短くしたら色のバランスが狂うのか?この指を真っ直ぐにしたら構図が崩れるか?などなど細かく点検して行きました。どれを外してもその一幅の絵画がおかしくなる、成立しなくなる、なるほど名画というのは「パーフェクト」なものなのだ、と。その時は。その踊り子にゾッコンだったからかな。

でも今は違うのです。ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」やレンブラントの「夜警」という極端な例を持ち出すと、なあにどこかの顔一つくらいコッソリ消したってこの絵画の価値は変わらない。などと無礼なことを考えてしまうのです。

ダメだ、今変なことを思い出しました、ここへはあずきさんもそうです、短詩のプロがお見えになる。そのことを意識すると書けなくなりました。しかし短詩でも推敲を死ぬまで重ねるという、そんな例は・・・無いですかやはり。ドギマギ・・・。名前は忘れましたが小説家にはそう言う人が居て出版社泣かせだという話を聞いたことがあります。短詩は「パーフェクト」度が高いと言えますね。やー・・・困った・・・。ここは目を瞑って頂いて、話を進めさせて下さいな・・・m(_ _)m

進めるも何も、もう終わりかけていました。つまり数学や天体の運行などの自然界に比べて芸術は「パーフェクト」と言えるのか?人間はパーフェクトでないのは仕方がない、しかし選ばれたというか選りすぐりの「芸術作品」は「パーフェクト」でなくても良いのだろうか?

良いのだと思っています。自然の風景たとえば日の出の美しさ、夕日の美しさ、緑の木々の美しさ、そういうものに接するとき枝が一本どうだこうだは問題外なのです。自然界の原則や数学はパーフェクトでなければならない。しかし「芸術」は、そして「人間」はパーフェクトを必要とはしていません。ピースが一つ二つ無くなっている方が妙味が増えるってものでしょう・・・^^


しかしです、論点は変わりますが、では人間には「パーフェクト」であることは無いのでしょうか。いえ私は二つあると思うのです、人間にだって。花や風景を見て、或いは何かのエピソードを聞いてこれは美しいと、と胸を衝かれる時、その瞬間のその人の心は「パーフェクト」です。それともう一つ、人を愛するつまり全身で人を信じる時、その人の心の動きは「パーフェクト」だと私は思います。完全無欠、純粋無垢、真実などの言葉が当てはまると思います。

つまらない話をさらに一挙につまらなくするかも知れない言葉を、思い切って付け加えましょうか・・・

真・善・美


ムーラン・ド・ラ・ギャレット
 

ちくま哲学の森

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月 8日(月)16時26分8秒
返信・引用
  たしか、リベルさんはこの別巻「定義集」を入手なさいましたね?
ここで「芸術」を探してみますといろいろと出てきます。

「芸術は自然を模倣する。」・・・アリストテレス「詩について」・・・などなど。

おせっかいでした(^^)。
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

あ、有りました。いま読み耽っていました。言うまでもないことですが芸術について語ることの難しさと面白さを満喫しました。この本の存在をウッカリ忘れていたのです。有難うございました・・・m(_ _)m

「私の」と断りをつけた「私の芸術論」はたとえば100年後には、いくらか普遍性を帯びてきているかも知れない、などと私は思っているのです。このような”自信過剰”が人間の衣を着て歩いています・・・世の中に害を流さないように気を付けなければ・・・(^^;)(6.8 23:58)
 

ゾーンに入った

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月 8日(月)03時28分21秒
返信・引用  編集済
  昨日焼酎を呑みながら女子ゴルフを視ていました。小林浩美さんが解説していました。この人は決して「ケチ」をつけません。ミスや凡プレイがあってもさらりと触れはしますが発展的に話題を終わらせるので、視聴者に好感を持たれているようです。もっともご本人もそれを良くご承知のようで、それが鼻につくこともなきにしもあらずです、私のような意地悪爺さんには・・・^^。

昨日或る好調な選手のプレイを評して”ゾーンに入った時はむしろ何も考えず、思うがママにプレイした方が好結果に結び付く・・・”と言っているのに気が付いて耳を傾けましたが、それ以上は突っ込んで説明するのを避けたように思えました。

「ゾーンに入る」という表現には初めて出会いましたがこれは俗に言う「嵌った」状態のことを言っています。「ランニングハイ」などの「ハイ」な状態です。自分の経験ですがボートを漕いでいるとき特に疲れてくるとこの状態に入ることが有るので、良く分るのです。「夢中」というのはそう言う意味では良くできた言葉です。「恍惚感」でもあります。「嵌った」「ハイ」「夢中」「恍惚感」などとやたらに並べましたが、しかく言い難い状態ではあります。「ハイ」が一番近いと思いますが皆さんもキット何かの折りに経験なさっていると思います。

私はどこかに「私の芸術論」というのを発表しています、恥ずかしいからリンクしませんが。その論の基本は「ハイ」なのです。「我が輩は猫である」の苦沙味先生が「心・技・体が一丸となって事に当たり、まさに神業の域に達したとき、そこに芸術が生まれる。」と言っている、と書いていますが、これは私の作文なのです、大体「苦沙先生」であって「苦沙味先生」なんて居ませんから・・・^^

かなり気障ですがそのまま転載しますと私の「芸術観」は・・・

「芸術とは、宇宙の秩序の再現、すなわち宇宙からのメッセージの変奏であり、それは血の出るような苦心と努力と磨き上げられた技術が結集して、人間を無我の境地にまで到らしめたとき、おのずから生まれ出て鑑賞者の心を打つものである」

苦沙味先生の言葉を翻訳すると、まあこんなことになるのです。もう作り直そうという気力がありませんのでこのままでご勘弁を・・・。まあ結局@宇宙の持つ大いなるメッセージを「芸術」は私達に伝えるのだが、Aそれを伝える芸術家は努力・苦心の果ての「無我の状態」に入った時、初めて十分な伝達が行える=作品が出来る、という二つのことを言いたいのです。

結局ここで言う「無我の境地」が「ハイ」です。イチローが打席で素振りをくれてから右腕を突き出して袖をチョイと摘み上げる、あれは自分を「ハイ」にとまでは行かなくてもそれに近い状態に追い込む為の一連の儀式だと、私はそういう風に思っています。蝦蟇の油売りがあのセリフを滔々とまくし立てる、聞き惚れて陶然となった客に素早く売りつける、或いはジャパネットたかたの高田さんがチョット訛った名調子で・・・あ、こんな譬えはイチロー選手に叱られそうですね・・・(^^;)


ゾーンに入りつつあるイチロー選手
 

「白癩の話」に二本目の横糸が・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月 7日(日)05時46分12秒
返信・引用  編集済
  「白癩の話」にようやく二本目の横糸が通りました。「スシュルタ・サンヒター」の記述です。一昨日書いた部分を更に見直して、結局は「アシュタンガ・サングラハ」に言及せざるを得なくなって、大仕事になってしまいました。

見直していると、雑な知識が増えている分、気になることが多くなって、まあ嬉しい悲鳴ではありますが、悲鳴を上げっ放しでした・・・(^^;)。スピードを上げないと認知症に追いつかれそうでいけません。昨日土曜日は水泳の北島選手の実家のメンチカツを買う日なので、そのつもりで家を出たのにバスを降り忘れてそのまま完全に忘却。帰りのバス停で思い出して、結局近所で別の物を買う羽目になってしまいました。連れ合いが真剣に心配するので、いや勿論認知症ではないかと、ニコニコしながら「いや、とっくに始まってるんだよ、黙ってるだけで・・・」と本当のことを少し白状しておきました。その内自分で意識しないようになれば「ホンモノ」です・・・大変だあ・・・^^


この青空の写真には太陽が写っています。外は梅雨空なのでPCの壁紙をこれにしました。
こちらからダウンロード出来ます・・・。あ、上の写真を「背景に設定」でも良いわけですね、勿論無料でしたから(^^)
 

P.V. Sharma訳「Susruta-Samhita」の矛盾

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月 5日(金)04時46分9秒
返信・引用  編集済
  P.V. Sharma訳の「Susruta-Samhita」を調べていくと「ハンセン病とサンスクリット語」にもかなり手を入れなくてはならなくなってきました。Bhishagratnaが訳してから92年後の翻訳ですから当然と言えば当然なのでしょうけれど、しかし、しかしです、未だ整合性の欠如が残存しているから残念です。少し頭に来て、挑戦的な文章になってしまいました。面倒な話ですからどうぞお暇な方だけ、お読みになって下さい・・・m(_ _)m


『ここで、「スシュルタ・サンヒター」では「kilāsa」をどういう症状としているのか、それを「第二篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)」から、和訳、英訳の両方で読んでみます。

「スシュルタ本集」の解説(長いですが全文を転載します)(ページ画像12

「白皮病(kilasa)も亦皮膚病の一種なり。之には体風素によるもの、胆汁素によるもの及び粘液素によるものの三種あり。皮膚病と白皮病との区別は(前者は)皮膚のみに現れ、後者は非分泌性なる点にあり。体風素によりて生ずる白皮病は円形・暾紅色・粗硬・剥落性なり。胆汁素によりて生ずるものは蓮の花辨に似、焦熱感を伴なふ。粘液素によりて生ずるものも亦白色・滑澤・肥厚にして痒感あり。此等の中に於て輪円状発疹が内側(腋窩・鼠蹊等)に簇生し、毛の色赤くなれるもの、又は火傷より起れるものは不治的なり。」

「THE SUSHRUTA SAMHITA」の解説(これも長いですが全文を転載します)

「Kilasam :−The disease known as Kilasam is but another form of Kushtham. lt may be divided into three types according as it is brought about through the action or the deranged Vayu,Pittam or Kapham. The differencc between Kilasam and Kushtham is that the former confines itself only to the Tvaka(the skin) and is marked by the absence of any secretion*.A case of Kilasam caused by the action of the deranged Vayu is circular, vermilion-coloured and rough to the touch. The affected part when rubbed peals off scales of morbid skin. A case of Kilasam, due to the action of the deranged Pittam, is marked by eruptions,resembling the petals of a lotus flower(in shape and colour), and are attendcd with an extremely burning sensation. ln the type originated through the action of the deranged Kapham, the affected part (skin〉assumes a glossy,white colour, becomes thick and is marked by an itching sensation.The form in which the eruptions or patches extend and become confluent, invading even the soles of the feet,the palms or the hands and the region of the anus, and in which the local hairs assume a red colour should be regarded as incurable. A case of Kilasam, which is the outcome of a burn(cicatrix)should be likewise considered as incurable.」

A case of Kushtham has its primary seat in the blood and skin (of the patient),in which it lies confined during the period or incubation,after which it attacks the skin and secretes the characteristic secretion of the dranged Dosha involved in it.

「SUSRUTA SAMHITA」の解説(あくまで参考として、これも全文を転載します)

「Kilāsa(Vitiligo)is also a form of kuṣṭha itself. lt is of three types ― those caused by vāta, pitta and kapha. Kilāsa is different from kuṣṭha in the sense that the former is located only in skin and is free from discharge. By vāta it is round, reddish, rough and dusty; by pitta it is like lotus leaf and with generalised burning sensation while by kapha it is white, unctuous, thick and itching. Of them,that with contiguous patches,situated in end parts (lips、hands、feet and private parts)and having red hairs and also burnt with fire is incurable.」

以下はP.V. Sharmaの注です。
「Kuṣṭha located in skin, blood and muscle manifests in skin whereas kilāsa is located in skin only. Others say that the one located in skin is kilāsa while the same entering into dhātus is known as 'śvitra' as says Viśvāmitra ―」(dhātusの解説「インド伝統医学入門」から)(Viśvāmitra=ヴィシュヴァーミトラ:インドの神話に登場する聖者)

主な症状を太文字で示しました。なお上の和訳に関して疑問があります。「前者、後者」の部分に食い違いがあるのです。和訳の(前者は)は、内容から推して間違いではないかと思います。「状況証拠その二」で触れている通り「皮膚病は皮膚、血液、筋肉、脂肪…と侵して行く」と言うのがスシュルタの考える「体系」だからです。「後者は皮膚のみに現れ、非分泌性なる点なり。」と訳されるべきではないのでしょうか。下の二つの英訳の赤字部分は正しいのです。和訳では「皮膚病と白皮病との区別は」ですが、英訳では「The differencc between Kilasam and Kushtham」とか「Kilāsa is different from kuṣṭha」と順序が逆になっていますから。

この文章の少し後に重度の皮膚病は「不治である」とし、ハッキリ「癩病」、「leprosy」と呼称しています。しかしここでは、単に「不治的」或いは「incurable」という表現に止まっていることに、注意しなければならないと思います。また、「皮膚病の一種なり」、「another form of Kushtham」「a form of kuṣṭha itself」という表現から、「ハンセン病」ではないと推測するのは行き過ぎでしょうか。

ここで注目しなければならないのはP.V. Sharmaの英訳です。彼ははっきり「Kilāsa(Vitiligo)としています。しかしP.V. SharmaはKilāsa」も「śvitra」も一様に「vitiligo」と訳している(参考)ので「Kilāsa」の検証からは除外しなければなりません。上記の「注」ではこの二つを性質の違う疾患としているのですから、論理的に明らかに矛盾しています。
 

らいと発音する言葉

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月 4日(木)20時53分29秒
返信・引用  編集済
  らいと 発音する言葉がいくつかある。

 青癩とは、どうも癩の患者の家系から発した癩でない身分をあらわしたもので、当然差別を受けている。日向の国の高鍋藩に、この記載があり、近隣の飫肥藩にも、しい来(漢字が難しい)が青癩とされている。高鍋藩の青癩は畑一町を給されていたという。しかし縁談において、差別されたとの記録もある。

 近世における「らい者」の社会的位置と生活の諸側面 寺木伸明
 ハンセン病 岩波書店 2001

  ●なお引用されている文献は 鈴木則子 近世らい病観の形成と展開 ゆみる出版
 1996 を引用されている。

 ●青癩とか しい来(おそらく、らいと読む)などの言葉は興味がある。悪い意味がこめられているようだ。●来者 らいしゃ とは どなたかが書かれた言葉である。これは白癩とは関係はないようであるが、悪い意味が含まれるということであろう。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

「青癩」という言葉を初めて知りました。検索すると色々出て来ます。「検証会議の最終報告書」の中では「ちなみに九州では鹿児島藩と高鍋藩に「青癩」という賤民身分があったが、いずれも「癩」そのものとは無関係な身分であったようである。」と記されていますから何かの俗称なのでしょうか。

仏典では「白癩」「黒癩」「赤癩」「黄癩」など出て来ますが、その内に「白癩の話」の中で触れるつもりです。これらの表現を実際の「病気の症状」と照合するのは困難でもありまた余り意味があることではないと、私は判断していますが如何なものでしょうか・・・(^^;)(6.5 02:42)
 

流石の白川静さん

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月 4日(木)00時49分56秒
返信・引用  編集済
  先程目覚めてからベッドに腰掛けて暗い中で「考える人」よろしく思いを巡らしていました。何故か小学5年の時の担任の先生Y.T先生のことをしきりに考えていました。Y.T先生は「男性」が人間の姿をして歩いている(これは変ですね)様な、竹を割ったような誠に男っぽい先生で、さらに所謂「精神注入棒」を黒板の横に常備していてまあ三日に一度は予習をしてこなかった誰かが、尻を打たれながら「読んで来まああす!!」と叫び声を上げたものでした。

そのY先生が終戦直後数日間京都へ講習を受けに行って帰って来られました。「洗脳講習」だったのです。その変わり様は正に「凄い」ものでした。忠君愛国の魂を漲らせた若者が一変、青菜に塩状態に「劇変」していたのです。

先日まで読んでいた福岡伸一氏は著書の中で「パラダイム・シフト」という言葉を簡単に使います。彼は終戦から十四年後に生れています。そうでなければあんなに簡単にその言葉は用いられないだろうと思わされました。Y先生も人生観が一変したでしょうけれども、多感で幼い小学生はどうなったか。私は昔はこんな風にその状態を表現していました、「たらいの中に子犬を入れて上下左右に揺さぶるようなものだ」。中の子犬は堪った者ではありません、世界がグルグル動き回ってあちらへゴツンこちらへドスンと何が起こっているのかサッパリ分らず「劇痛」に耐えるのみでした。

私が人間不信に陥ったのは終戦のせいなのか、人の愛を素直に受入れられなくなり、人を真っ直ぐに愛することが出来なくなってしまいました、親子の間の愛ですら。いやそれなら私と同世代の人間は全てそうでなければなりません。自分は特に感受性が強かったからということにしておくか。

てなことを真っ暗な中で考え込んで居ました。居間へ出て来て夕刊に目をやると「劇走」という文字が目を射たのもそのせいかもしれません。たらいの中でドラマティックにそして激しく転げ回っていたのですから。が、ん?「劇走」???。久し振りに(いつもはPCの辞書なので)大辞林と広辞苑を開いて見ました。「げき」の付く単語をざっと見てみようと。

「劇走」は有りません。「げきしゅう」「げきしょ」以下「げきしょく」「げきしん」「げきじん」などその類の語は全て「激臭・劇臭」のように二語挙げてあります。待てよ「劇」という漢字は・・・あそうか「劇薬」「劇毒」(これはいずれも一発変換です、ついでながら)とも「劇場」ともスルリと出て来るから「はげしい」と「ドラマ」と二つの意味を持つのかと、簡単に納得しました。

しかし、一方ではいつもの虫が当然頭を擡げてきています。こんなにこじつけるのも難しいほど、かけ離れた二つの意味を持つ漢字も珍しいぞ。何か有るに違いないと。さあ、白川さんの出番です。先ず「字通」を読みましたが字源のことは「字統」が詳しいので「字統」です。しかしチョットすんなり納得できない。ということで「常用字解」。こちらの方が「学問臭」が無くて理解しやすいです。しかし、理解しやすいと言うことは騙され易い場合が往々にして有る。何か変だ。何が変なのか、「劇」を愛用する「漢典」で引きました。康煕字典も設文解字も、私の読解力では「ドラマ」の意味が見当たりません。なのに「English」のところは「theatrical plays, opera, drama」だけになっています。漢文が読めないのが口惜しいのですが「字統」や「常用字解」の説明を鵜呑みにするしか仕方がないのでしょうか。白川マジックに誑かされている気がどうしても抜けないのです。

下に「豦」という漢字の「字統」の解説を載せました。「刂(りっとう)」は「刀」ですから「豦」と「刀」からは「ドラマ」の意味は引き出せません。白川氏が「豦」を「虎頭をかぶって奮迅する形」や「模擬的な儀礼を行うために虎の皮を身につけて、人がその役を演じている姿である」と解説したところに「マジック」のタネが見え隠れするのですが・・・さあ草葉の陰で白川さん、どんな反論を用意なさるやら。念のために「漢典」の「豦」を引いておきます。「English」は「野猪、戦うこと」となっています。この「康煕字典」の漢文は下の「字統」の写真の中に読み下してあるものもあります。

冗談半分に書いていますが、正直今後のさらなる研究から明解な答えが出ることを期待しています。恐らく私も草葉の陰から見守っていることになりますが・・・(爆)


「字統」の「豦」
 

兮(けい)

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月 3日(水)11時16分44秒
返信・引用  編集済
  またまたお邪魔いたします(^^)。

「兮」は主に韻文の句末や句中におき、感情をこめ、口調を整える助字。
漢文訓読では読まないのが普通だそうです。
それは「史記」からの引用のようですね。
(岩波漢語辞典より。)
 
    (リベル) あずきさん、有難うございました。

あ、読まないのですね、高校の時漢文は「5」だったのに、ああ知らなかった・・・(赤面)(6.3 11:22)
 

力抜山

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月 3日(水)03時09分5秒
返信・引用  編集済
  力抜山兮気蓋世

時不利兮騅不逝

騅不逝兮可奈何

虞兮虞兮奈若何

-------------
力は山を抜き 気は世を蓋(おお)ふ

時に利あらずして 騅(すい=愛馬の名)逝かず

騅逝かざるを奈何(いかん)すべき

虞や虞や 若(なんじ)を奈何せん


2210年も前に項羽と劉邦が戦った「垓下の戦い」の敗北に直面して項羽がものした歌を見付けました。中学三年の時北川先生という飄々とした持ち味の国語の先生が「虞や虞や 若を奈何せん」と声涙倶に下る名調子で教えてくれたのを思い出しました。教室の場所まで思い出します。


「力抜山兮気蓋世」(兮は間投詞だそうですが、何と読むのか分りません。ケイかシか?どなたかお教え下さい)と揮毫するのを常としている或る政治家がこれも名前を忘れたのですが或る関取と酒を飲んでいるとき、興至ってこれをプレゼントしようとしたら、「力抜山」とは験が悪いと憤然として席を立って帰ってしまったという話が有ります。

「騅」というのは項羽の愛馬の名前だと言いますが、一般に芦毛や白黒まだらの馬の意味も有るようです。大辞林には両方書いてありました。

政治家と言えば田中角栄さんは人の名前を覚える名人だったそうです。処世術の一つでしょうね。しかし、彼でも思い出せないときがある。そういうときどうしたか?流石に考えてあったそうです。

「ところで君の名前は?」

「はい、鈴木です」

「いや鈴木は覚えてるんだよ、名前の方だよ」

「はい実です」

「おおそうだったな、実君だったな・・・」

とやったそうです。さすがと言わんか、そこまでやらなくても・・・^^;


角さん
 

Re: 夏休みの文房具屋さん

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 6月 2日(火)10時51分34秒
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  > No.4378[元記事へ]

> 10日以上前でしょうか普通に歩いていて、ツッと筋を違えた様な感覚が走って、歩くにつれ激痛に至りました。二日ほど歩けずにいましたが痛みが取れたので歩き始めて、踏切が閉まりかけたので小走りに走ったら又痛みが来て、しかし医者は嫌いなので「冨山の薬箱」の湿布だけで何とか歩けるようになりました。後で連れ合いがぼやくには「冨山」は医者よりずっとエクスペンシブなのだそうで、何と湿布を七千円分使ったそうです。

ご無沙汰いたしました。どうなさったのか?と思っておりました。
老婆心ながら・・・「痛み」の原因は思わぬところに潜んでいるものです。できればMRI検査をなさった方がよいと思います。(←経験者は語る。)

「できそこないの男たち」・・・これ、おもしろそうですね。
アダムのあばら骨からイヴを作った神のお仕事は、そもそも本末転倒なのです(^^)。

> 親が一羽、子供が二羽しか居ないのです・・・

野生動物の不幸というか、これが自然というべきか?

「タチアオイがてっぺんまで咲くと、梅雨が終る。」というお話を聞きましたので、昨日撮影してみました。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

>できればMRI検査をなさった方がよいと思います。(←経験者は語る。)

無理をして歩いていたら、今度は通風も併発して参っています。なあに片足になったって松葉杖突いて歩けば健康には支障ない、と鼻息だけは荒いのですが内心穏やかでないのが正直なところです。二三日様子を見てキチンと検査しようと・・・^^

「タチアオイ」、さりげなく遠景に高層マンションを添えて、天高く聳える様を強調なさるなんて、玄人が裸足で逃げ出していますネ・・・(^^;)(6.2 11:39)
 

夏休みの文房具屋さん

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 6月 1日(月)00時46分6秒
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  そう言えば最近文房具屋さんに行った記憶がありません。会社員の頃はボールペンだやれシャープだとなにかとビジネス街の文房具屋さんには立ち寄っていましたが。子供の頃夏休みに何かの用事で自転車を降りて入っていくと、いつものおばさんも居なくて変に覚えているのが下敷きの束です。これは一見下敷きと思えず青、赤、黒などの厚い板が並んでいるように見え、触ってみて、あっなんだ・・・という奇妙な体験でした。

そう言えば「下敷き」などというのもこれはもう文房具屋さんの比でなく、もう何十年もご無沙汰しています。うーん、五十年以上ですね。当時は今で言う「必須アイテム」だったのですが・・・

いや思わず脱線を重ねてしまいました。何を言いたかったのかと申しますと、このBBSの現状です。何か夏休みの文房具屋さんみたい、とフト感じたものですから。数えてみると丸三日以上顔を出していませんでした。それというのもこの「Teacup」というBBSの「通知機能」というのを知ってからなのです。投稿があればメールで教えてくれるのです。PCをつけて先ずメールチェックをします、で投稿が無く、自分も特に書きたいことがなければここを開くことがありません。で、夏休みの文房具屋さんみたいにガランとして埃をかぶっているのではないかとハタキを掛けに現れた次第です。

昨日もう一ヶ月以上借りている「スシュルタ本集」を図書館へ一度返しました。そうなのです、特例措置として(てえか、結局田舎の図書館だから、堅いことは言わないのです。何年間も誰も借りたことのない本でもあることだし)毎回一ヶ月以上貸し出してくれます。もう大体必要なページはこの自称「クリア・ファイル」に取り込んでいてこれで間に合ってしまうからそう必要もなくて・・・。

「白癩の話」がスシュルタ・サンヒターの「横糸」のところで実は立ち往生していることを白状します。その原因は明確なのです。唯一の執筆時間であるバス停での20分間とその直前の約1時間の歩行(=考えるタイム)がこのところ無いからというのがその原因です。足を痛めてしまったのです。

10日以上前でしょうか普通に歩いていて、ツッと筋を違えた様な感覚が走って、歩くにつれ激痛に至りました。二日ほど歩けずにいましたが痛みが取れたので歩き始めて、踏切が閉まりかけたので小走りに走ったら又痛みが来て、しかし医者は嫌いなので「冨山の薬箱」の湿布だけで何とか歩けるようになりました。後で連れ合いがぼやくには「冨山」は医者よりずっとエクスペンシブなのだそうで、何と湿布を七千円分使ったそうです。

「白癩の話」が手に着かないので福岡伸一氏の「できそこないの男たち」に再挑戦しています。今度は腰を据えて掛かったのでどうにか理解が進んでいます。ただ遺伝子とかDNAとかの基本知識がやはりいい加減なので「新しい高校生物の教科書」を引っ張り出してきて勉強し直したりしていたら、それだけでは足りず「遺伝子で探る人類史」だのついでに隣にあった「人類進化の700万年」と、こちらのほうが面白くなってきてトイレの棚がキシミ音を発しています。ちなみにチンギス・ハーンのY染色体の分布図がモンゴル帝国の支配地域(紫色=元、黄色=キプチャク・ハン国、薄緑=イル・ハン国、濃緑=チャガタイ・ハン国)と一致するという2003年の「米国人類遺伝学会誌」の論文はたまたま「できそこないの男たち」と「人類進化の700万年」の両書に少し面白おかしく紹介されています。どう面白おかしいかはここには書けませんので、前者p.224か、後者p.249を立ち読みなさって下さい・・・^^

久し振りに取り留めのない与太話をしました。例によって良く本を読んでいるという自慢話をしたかっただけなのですが・・・^^。すこし文房具の埃を払うことが出来たでしょうか。


最近のカイツブリの様子です。巣は岸から離れたところに新設されました。
彼等一家に何が起こったのか、知る由もないのですが、下水道には鼠も蛇も居ますから。
親が一羽、子供が二羽しか居ないのです・・・(拡大画像
 

リンクについてのお願い

 投稿者:大熊晃人  投稿日:2009年 5月27日(水)22時57分29秒
返信・引用
  リベル様
いつもお世話になっています。明石海人ページではリンクしていただいておりありがとう御座います。このたび、「おくさまネットと明石海人」のページをリニュウアル致しまして、明石海人のホームページを
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okusama/akasi/top.htmから下のURLに独立させました。海人ページの年譜などリンクを入れ替えていただければ幸いです。年末にはBBSに「ご挨拶」いただきましたのにご返事できませずすみませんでした。仕事も変え少し時間が出来ましたので、少しづつHPを修正しております。今後ともよろしくお願いいたします。

http://web.thn.jp/kaijin/

 
    (リベル) 大熊様、こんにちは。

実は昨夜は大酒を飲んでしまい、今起きたばかりで返事が遅くなってしまいました。申し訳ありません。

いま拝見してきました。見事なページが出来ていて感服しました。早速今から変更作業に入ります。ご覧頂いてご意見やご注文がありましたら、是非ご連絡下さい。直ぐ変更いたしますので・・・。(5.28 12:34)
 

確認しておきます

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月25日(月)02時08分57秒
返信・引用  編集済
  昨年の8月27日に「平成20年度ハンセン病問題対策協議会」が開催されました。そしてそこでいくつかの事項が確認されました。この「確認事項」が何故4ヶ月後の12月26日まで文書化されないのか、この旧弊はいつまでも謎が解けませんが。

この中で、6月22日を「らい予防法による被害者の名誉回復および追悼の日」と定めることになりました。追悼式典も行われます。これが昨年までの「ハンセン病を正しく理解する週間」に変わる日となります。なお「6月22日」というのは、2001年に「ハンセン病療養所入所者に対する補償金の支給等に関する法律(補償法)」が公布、施行された日です。

この名称は長いのですが、でも「上から目線」の「正しく理解せよ」よりは、はるかに正確で心に染みる表現だと思います。厚労省は今年は忘れないで広報するでしょう。3年前は全く忘却していて私の矢の催促でようやく重い腰を上げた(?)という信じられないことが有ったのを、思い出して腹を立てています・・・^^
 

Re: 「手紙」と「東京タワー」と「忘己利他 」

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 5月23日(土)15時40分16秒
返信・引用
  > No.4374[元記事へ]

> 「恩着せがましい」
>
> 一言で言えばその感じ無しに、私は居られないからです。素直な心根がないのでしょうか、心を真っ直ぐに通わせることに不器用なのでしょうか。親子の間に通じ合う愛情にこのように「取引」めいたものを持ち込むことに、どうしても抵抗を感じるのです。

このリベルさんのお気持が心に残ってしまいましたので、わたくしなりに書いてみました。長い文章になりますので、ここ↓に書いておきました。(暴言多謝、付きで。)

http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/nikki/20090523152525.htm
 
    (リベル) 拝読して決して「暴言」ではないと思いました。

「お母さんが今、あなたの祖父母にしてあげていることと、同じことをお母さんにして欲しいとあなたには望んでいません。のたれ死にで結構です。」と。娘は沈黙していました。

そうなのですね。

あずきさんのお話しに元気を得て図に乗って書きますと、この「手紙」がオリコン1位だとか「千の風になって」がハヤリになるとか、安っぽいセンティメンタリズムが日本を覆うとその結果、若い人達の「心」を歪めてしまうのではないかと、それが心配になってきます・・・(>_<)(5.23 18:26)
 

「手紙」と「東京タワー」と「忘己利他 」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月23日(土)00時43分20秒
返信・引用  編集済
  「東京タワー」という映画を観てまた泣きました、涙腺が緩くていけません。

あのような徹底的に相手を思う「愛」に私は無縁なのではないかと、フト思いました。あのように一途に親から愛されたことがない、あのようにひたすらに子供を愛したことがない、或いはそう思い込んでいるだけなのだろうか。そんなことを思い悩んでいるときこの歌のことを知って読んでみました。歌を聴いてみました。

お叱りを受けるかも知れません、バカにされるかも知れませんが、思い切って書きます。私はこの歌をそう好きではありません。こういう心情は理解できます。そして暖かさを感じます。だけど私はもっと老いても子供達にこういうことを言いません。こういう感じを抱きません。

「恩着せがましい」

一言で言えばその感じ無しに、私は居られないからです。素直な心根がないのでしょうか、心を真っ直ぐに通わせることに不器用なのでしょうか。親子の間に通じ合う愛情にこのように「取引」めいたものを持ち込むことに、どうしても抵抗を感じるのです。

オカンとボクの間に通じ合うものは「愛情」という言葉が綺麗事めいた安手の言葉に聞こえてしまうほどの無垢のひたすらな「こころ」、いやむしろベクトルを感じさせる「たましい」でしょう。「忘己利他」なんて何も私のように大仰に騒ぐほどのものではない、オカンが軽々と実践していることなのですね。だけどなかなか出来ないことなんだ、だから泣いてしまうんだ、そう思いました。故久世光彦氏が「泣いてしまった…。これは、ひらかなで書かれた聖書である」と評されたと知って成る程と思いました。


最近読み終わった福岡伸一著「動的平衡」の正に「コア」のくだりをご紹介します。エントロピー増大の法則は人の生命にもキッチリ抜け目なく襲いかかって来る。だから・・・

「生命は自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生物が必ず死ぬというのは、実に利他的なシステムなのである。これによって致命的な秩序の崩壊が起こる前に、秩序は別の個体に移行し、リセットされる。」

勿論ここで言う「利他」は仏教での用法とは全く別です。別なのですが、この数日やたらに「エゴ」と「利他」について、考えさせられたことではありました。


「動的平衡」のページ
 

手紙 〜親愛なる子供たちへ〜

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月22日(金)23時48分46秒
返信・引用  編集済
  この歌詞についてウィキペディアにはこう書いてあります。

「元の歌詞はポルトガル語で書かれており、作者不詳(読み人知らず)。樋口了一の友人、角智織の元に偶然届いたチェーンメールに詩が記載されていて、この詩に感銘を受けた角が詩を翻訳、樋口に見せたところ樋口も感銘を受けたため、曲の制作・発売に至った。」

一度お聴きになってみて下さい・・・。


手紙 〜親愛なる子供たちへ〜  歌:樋口了一  詞:樋口了一・角智織  曲:樋口了一

年老いた私がある日
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを
理解して欲しい

私が服の上に食べ物をこぼしても
靴ひもを結び忘れても
あなたにいろんな事を教えたように
見守って欲しい

あなたと話す時同じ話を
何度も 何度も 繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずに
うなずいて欲しい

あなたにせがまれて 繰り返し読んだ
絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を
平和にしてくれた

悲しい事ではないんだ
消え去ってゆくように 見える私の心へと
励ましのまなざしを向けて欲しい

楽しいひと時に私が思わず
下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがる時には
思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った
懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ
出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら
出来なくなったなら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと
私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの
手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのはつらい事だけど
私を理解して支えて
くれる心だけを持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで
私には勇気がわいてくるのです

あなたの人生の始まりに
私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ
付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って
笑顔で答えたい

私の子供たちへ

愛する子供たちへ


 

失礼します。

 投稿者:おせっかい  投稿日:2009年 5月22日(金)00時30分56秒
返信・引用
  【言い間違い】
間違えて言うこと。言い違い。言いそこない。

【言い損(そこ)なう】
(1)まちがって言う。言い誤る。
(2)言うべきことを言わないでしまう。
 
    (リベル) 名詞も有りました・・・大辞林から・・・。(5.22 01:02)

【言い損(そこ)ない】
言いそこなうこと。言いまちがい。
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 5月21日(木)18時52分6秒
返信・引用
  >「キオブタ」ではなく、「キヨブタ」でした。
いいそこ間違いでしたね。失礼しました。
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 5月21日(木)09時09分55秒
返信・引用  編集済
  >近松門左衛門の「曽根崎心中」でお初・徳兵衛が心中したのがお初天神(露天神社)なのです。
>この近所は飲み屋街で、実に美味い焼き鳥屋があってよく行ったものです。

焼き鳥おいしいですね。大阪は食べ物がおいしい。食い倒れという言葉があるくらいですから。

>懐かしいなあ、もう面倒で行こうとは思わないのが寂しいですね。久し振りに行ってみるかな・

是非行かれたらいいと思います。ついでにお初天神にも参ってこられたら。

>何かの新聞を読んでいたら キヨブタ とあり、はて、奇怪なと思っていたら清水の舞台から飛び降りるの 略語で、あまり略しすぎると思います。

キオブタですか。わたしも知りませんでした。
 
    (リベル) 「キオブタ」ではなく、「キヨブタ」でした。「キオブタ」なんて言うと「キオスク」がブーブー言いそうですよ・・・(^^;)(5.21 11:42)  

Re: 清水寺

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 5月21日(木)04時54分8秒
返信・引用
  > No.4368[元記事へ]

エリカさんへのお返事。

何かの新聞を読んでいたら キヨブタ とあり、はて、奇怪なと思っていたら清水の舞台から飛び降りるの 略語で、あまり略しすぎると思います。

 Ichiro
 

清水寺

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 5月20日(水)19時52分37秒
返信・引用
  清水寺が載ってますが、わたしは神社仏閣見るのが好きで時々行きます。
この間大阪中の島のほうへ行った時、そのへんをぶらぶらと、曽根崎の方を歩いているとお初天神(神社)がありました。大阪に住んでいながら知りませんでした。大阪のビル街の中に神社があるとなんかホッとするような気がします。やはり日本人だからでしょうか。
 
    (リベル) 近松門左衛門の「曽根崎心中」でお初・徳兵衛が心中したのがお初天神(露天神社)なのです。この近所は飲み屋街で、実に美味い焼き鳥屋があってよく行ったものです。懐かしいなあ、もう面倒で行こうとは思わないのが寂しいですね。久し振りに行ってみるかな・・・^^

>ビル街の中に神社があるとなんかホッとするような気がします。

本当にそうですね、まことに同感です・・・。
 

越えてはならぬ一線を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月20日(水)03時21分8秒
返信・引用  編集済
  「白癩の話」の二本目の横糸を通そうとしてフトこの一覧表が未完成だったのに気付きました。P.V.Sharma訳の単語を入れていなかったのです。で作業しようとしたとき又々妙なことに気付きました。左端の「梵語」ってどこから拾ったのか、「スシュルタ・サンヒター」に梵語の原典は無いはずなのに。そうですこれは大地原訳の「スシュルタ本集」から拾っていたのです。

これは信用ならねえぞ。はてしかし・・・P.V.Sharma訳のには「デーヴァナーガリー語」が有る。しかし私には読めない。しかし「kușțha」が「कुष」というのは分っているからと・・・これが「禁断の木の実」だったのです。チョットだけとこんなサイトへ行って「母音」、「子音」、「二重子音」の表を印刷してしまったのです。一線を越えてしまうと後はもう一直線です。昨日の午後一杯格闘して遂に梵語を一部習得してしまいました。

後は文法です。これはしかし、やらないと思います、思いますが・・・清水の舞台から身を乗り出している自分が危なっかしくてもう・・・^^

余談:P.V.Sharma訳のページをご覧に入れましたが、この「Criterion of the・・・(CS.NI.5.4)」の部分がこの本独特の訳注なのです。Caraka(チャラカ)さんはこう言っているとご丁寧に出典まで()内に。CSは「チャラカ・サンヒター」、NIは「Nidānasthāna=病理篇」の略だと思います。この「訳注」は数日後にご紹介する「kilāsa」の話で重要な役割を果たす予定なので、チョイト前振りを致しました。蛇足:「チャラカ・サンヒター」にまで手を拡げる気は毛頭ありません・・・^^)


清水寺
 

Re: 絶滅に瀕しているのは象だけでしょうか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月18日(月)18時24分47秒
返信・引用  編集済
  > No.4364[元記事へ]

> 「ヒトはただそれが聴こえないだけなのだ

ダムの底に水没する村の老人、ハンセン病・原爆症・水俣病などの被害者、中国残留孤児、無実なのに有罪判決を受けた人達、戦火による難民や餓死と向き合っている子供達、もっと他にも数多く有るだろう苦難に虐げられる人達の声を聞く度に胸が苦しくなります。

私達はしかし、それらの声を聞いて涙し怒りに燃えるのはその時だけなのかも知れません。全ての哀しみと怒りを自分の胸に抱え込んでいては、心が破裂してしまうのではないでしょうか。「忘却」という能力が、私達を生きながらえさせてくれているのかも知れません。

私達は多くのことを聴き、そして怒り、それを言葉にします。だけど自分自身の生活が或いは生命がそれによって脅かされることはないのです。それが人間なのでしょうか。

せめて何が有ったか、国家権力によって、国によって何が為されたかを、常に、時々でも、思い浮かべる努力をすることは、人としての義務なのかも知れないと、私は思います。なかなか出来ないこととしても・・・゛(`ヘ´#) 怒…
 

忘己利他

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月18日(月)02時35分43秒
返信・引用  編集済
  数日前の出来事です。下の写真のバス停で私がこの写真の撮影位置に座っていました。白いズボンの人の位置に60代半ばの男性が居てその向こう隣のご婦人と何か言い争っているのが耳に入りました。

このバス停では二系統のバスが発着します。その為に座席が二カ所に分かれているのです、「i」の字を横にした感じで、私が座っているベンチは「i」の字の点の部分で「営業所行」の乗客用、向こうには「i」の字の棒の部分でベンチが四脚あり「中山台循環」用になっています。「営業所行」は乗客が殆ど無いので「点」で十分だし、「中山台循環」に乗る私がこちらに座っているのも実はこの事件の原因に関連する理由があるからなのです。というのは・・・

棒の部分は乗客が多いのでベンチ四脚では足らず、熱い日や雨の日は座れない人が「日覆い」の無い所に日傘や傘を差して列をなしているという、不便なバス停なのです。なので一番乗りの私はいつも「点」のベンチに腰掛けるようにしているのです、どうぞこちらへお詰め下さいという感じで。

向こうのお二人が揉めていたのも耳を澄ませばそれが発端のようでご婦人は「お詰めになれば」と仰有ったのでしょう、しかし一応バス会社はこちらは「営業所行」、こちらは「中山台循環」と案内板を取り付けています。常連客でない男性は「書いて有るじゃないですか」、ご婦人は「でも混んでくるとあちらに立つ方が出て来て気の毒だから」なのですが男性が段々興奮してきて「書いてあるのが見えんのか、あんたは」で自分の言葉に興奮してしまってお終いには「あんたは馬鹿たれだっ!」とまで言い放ってしまったのです。ご婦人は怒り狂って席を立って最後尾の方へ・・・。

私は腹が立って男性を睨み付けました。男性も気付いて「書いて有るじゃないですか」と言う。私は実は取っ組み合いになっても死ぬまで戦うという覚悟は決めていました。が静に「よろしいやないですか。穏やかあにしなはれや」と語尾を下げて言いました。黙っておられるので私は又「白癩」のメモに戻りました。

しばらくして男性が立ち上がってこちらへ来ます。あれっ戦わなければならないのかなと思ったら「あっちに立つ人が出て来たから・・・」と呟いて隣にお座りになりました。私には何か言われるは、冷ややかな視線に責められるはで居たたまれなかったのでしょう。

私は実は「いい気味だ」という気持ちを抱きながら、一方でうんと気の毒になって来ました。その時に標題の「忘己利他」の四文字を思い出していたら懸命に考えて何か慰めに役立つ言葉をかけて差し上げられたかもしれません。しかし、ドジで不器用な私はそれが出来ませんでした。やはり「憧れの境地」で終わってしまうのでしょうね・・・^^


このバス停で・・・
 

絶滅に瀕しているのは象だけでしょうか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月17日(日)17時51分53秒
返信・引用  編集済
  まえにご紹介した福岡伸一著「動的平衡」の最終章にこんな話が出ていました。私はトイレで読んでいて不覚にも涙してしまいました。マンマと福岡さんの演出に乗せられてしまったのですが・・・。

南アフリカの最南端クニスナ地域(GoogleマップでKnysnaと入力。アフリカ大陸最南端です)には100年前には約500頭の象がいたそうです。それが乱獲と乱開発のせいで徐々に減って20世紀の末には三頭、そして最後の一頭になってしまったそうです。そしてその様子を凝視していたアメリカのライアル・ワトソンの元に便りが届きます。それからの話はこれをお読み下さい。(「メイトリアーク」というのは「太母」の現地語で、最後の一頭をそう称していたそうです)

ヒトはただそれが聴こえないだけなのだ



伊藤若冲描く「象鯨図屏風」(2008年に北陸の旧家で発見されました)
 

「白癩の話」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月17日(日)04時52分37秒
返信・引用  編集済
  「白癩の話」の横糸を探し歩きました。現在31本見付かりました。「呼称の変遷」の右端に集めました。この表は分かり易さを旨として、あまりゴチャゴチャした表にしないつもりでしたが、先日「趣味」宣言をしてから一挙に気が楽になって、たちまち「網羅的」に方針変更してしまいました。

未だ「横糸」は沢山あるはずです、お気付きのことが有りましたら、ヒントだけでも結構です、ご一報頂ければ幸いです・・・よろしくお願いいたします・・・_(._.)_
 

大仏殿に青銅製の蝶が有る・・・?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月17日(日)04時32分46秒
返信・引用  編集済
  「んな馬鹿な・・・!」新聞かテレビで知って、検索しました。ところが有るのですね。こんなサイトもありました。でも驚きました。奈良時代の蝶は脚が八本あるのですね、変だなあ蜘蛛じゃあるまいし・・・^^


奈良時代の蝶は・・・で、触角がない・・・
 

白癩の話の追記

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月16日(土)17時36分5秒
返信・引用  編集済
  下に追記をしました。「白癩」を理解する上で欠くことが出来ない部分なので。

大仰に申しますと、全体の構築と細部の部品検証を同時進行していますのでまあ手間取っております、気長にお待ち下さいませ・・・_(._.)_

別に待っちゃいないよ、ハイ十分心しておりまする・・・(^^;)
 

Re: ペットを愛する

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 5月16日(土)02時12分17秒
返信・引用
  > No.4358[元記事へ]

少女期に祖父がスピッツをプレゼントしてくれました。血統書付きの高価な犬でした。名前は祖父が「ボニー」と付けてくれました。「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラの娘の名前でした。でもあの「ボニー」は落馬して幼いままに死んでしまうのですね。祖父は何故その名前を付けたのか?今でもわかりません。

犬の寿命は人間よりも短いのです。犬は自分より先に死ぬのだと理解して以来、犬は2度と飼いませんでした。ペットが死んだら、また新しく買うという心の切り替えを簡単にできる人もいるようですが、わたくしはできませんでした。

1人暮らしの方がペットを飼うのは、想像ですが「帰宅の理由あるいは責任」を自分に課すためではないか?と思うのです。でも1匹ぽっちにされるペットの寂しさだってあるのに、と矛盾を感じています。

かわいいのですが・・・
 
    (リベル) おや、あずきさん、こんばんは。遅くまで起きていらっしゃいますね・・・!

私の少年期も実は同じくスピッツでした。名前は「パピー」と「ポニー」(こちらは「ホ」に半濁点でした)でした。

「1匹ぽっち」ですか。声を出して大笑いしてしまいました、こんな真夜中に・・・(^^;)(5.16 02:40)
 

赤癩見参!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月16日(土)00時52分8秒
返信・引用  編集済
  先日図書館で「大言海」の「白癩」のページをコピーしてきました。その中の用例にコリャード著「懺悔録」(1632年)というのが有ったので取り込みました。ここで珍しいものを目にしました(脚注にも「未見」と書いてあります)。「赤癩」です。去年の11月1日にチラリとご披露したのが最初です。

大正新脩大蔵経で「赤癩」で検索しますと下の3件がヒットしました。「法苑珠林(ほうおんじゅりん)」は紹介済みですが、もっと反応するのではと期待していたのですが。

●七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪經(しちぶつはちぼさつしょせつだいだらにじんしゅきょう) (No. 1332) 0542a21 - 0542b04: 羅尼若人癩病若白癩若赤癩若黄癩病若狂狗嚙若身
●陀羅尼雜集 (だらにぞうしゅう)(No. 1336) 0614b14 - 0614b16: 羅尼若人癩病若白癩若赤癩病若狂嚙齒若身瘡病若
●法苑珠林 (No. 2122) 0743a04 - 0743a06: 若人癩病若白癩若赤癩至誠懺悔行道常誦即瘥若狂

ここで「白癩」以外に「赤癩」さらに「黄癩」まで出て来るのですが、このようにいくつもの種類の「癩」が表現されていることに関しては、別のアプローチで「白癩の話」の中で説明しますから、ここでは省略します。今日ここでは「赤癩」に限って説明を広げます。

私は「赤癩」は「aruṇa」だと「ハンセン病とサンスクリット語」で主張しています。今ご覧頂いた一覧表の中の「aruṇa」を一つ一つクリックして頂くと、私が「赤癩」を「aruṇa」だと主張する理由が良くお分り頂けるかと存じます。もう一つ面倒ついでにこちらをお読み頂くと・・・いやもう止めておきます・・・^^

と言いながら、最後っ屁です。これをもう一度良くお読み下さい。「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」で「白癩」が出て来る箇所です。(1)(2)。これが先日お約束した「横糸」のトップバッターになる予定です。目下ウェイティングサークルでウォーミングアップ中です・・・。この赤い傍線の部分が何を意味するのか、辻直四郎というお人は凄い研究者だと、ホトホト感心させられます。「śvetakușțha」はモニエルの梵英辞典のこのページ右の真ん中辺りに有ります。「wh゜=white leprosy」とあります。ええいっ!言ってしまいましょう、この脚注(1)は「aruṇa=赤癩」を暗示している、と私は言いたいのでした・・・m(_ _)m


追記:「モニエルの梵英辞典」の「aruṇa」の項はこのページ(中央辺り)ですが、その8行目をご覧下さい。「a kind of leprosy (with red  [cf. AV. v , 22 , 3 and vi , 20 , 3] spots and insensibility of the skin)」と書いてあります。これは「アタルヴァ・ヴェーダ・五・二二・三続くページ―このページの注(1)にはキッチリA vi , 20に触れてあります、英文はこれです)」です(vi , 20 , 3 は邦訳が見当たりません)。辻直四郎氏を凄いと言った理由の一つなのですが、お分り頂けたでしょうか・・・。(5.16 15:05)
 

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