投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索画像・ファイルお絵描き<IMG><OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>医療 | 画像 ] [ 検索 ]

全1207件の内、新着の記事から100件ずつ表示します。 2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  |  《前のページ |  次のページ》 

ペットを愛する

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月15日(金)18時38分5秒
返信・引用  編集済
  私は「ゴン」という名の雑種犬を飼っていました。それからこれを「ペット」と言うのかどうか熱帯魚をかなり大々的に飼っていました、大は70センチのアロワナから小は0.3ミリのネオンテトラの稚魚まで。

しかしゴンが寿命で死に、アロワナを極く僅かな不注意で死なせてから、私はペットを正確に言えば飼えなくなってしまいました。また再び彼等の死に接するのが怖いからでしょうか。

犬の場合を考えてみると、ペットに対する人間の感情には二種類有ると、私は思っています。一つは子犬の時の可愛さに対する「おお、可愛い」という「情動」的な思いであり、もう一つは成犬になってからの変わらぬ「忠誠心」に対する「敬意」に似た思いです。アッケラカンと「忠誠心」と表現すると抵抗を感じるお方もあると思います、「愛」なのだと。

しかし、あえて言います、「愛」ってそんなものでしょうか。ここだけの話ですが、大切な話だと思うので書きます。配偶者を持たずペットを「愛」してそれで・・・それで良い・・・としておられる人もいらっしゃる。それは違うと思うのです。たとえば星を見て花を見て美しいと共感し、「死」に接して悲しいと共感する、指を触れあいながら自分の若かりし頃の出来事を語り合う、そういうパートナーだからこそ相手を「愛」することが出来るのではないでしょうか。

人間は「錯覚する動物」だと誰かが言いました。「錯覚できるほど脳の発達した動物」と言うべきなのでしょう。

でも、ペットとのキスと愛する人とのキスをあなたは同様に感じられ(尊敬ではなく可能)ますか?

いえ、こんなことを書いたのはペットというのは人間のエゴの産物ではないかとフト実感したからなのです。そうです彼等は犠牲者なのではないか、原始時代の食べるための「家畜」を原初とするのではないかと・・・。


かわいいのですが・・・
 

Re: 諸橋大漢和の「白癩」 (備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月14日(木)12時45分21秒
返信・引用  編集済
  > No.4336[元記事へ]

> 「諸橋大漢和」(左下です)では「白癩」を「はくらい」と読んでいます。「「びゃくらい」と「しらはたけ」」に転載しておきましたが、用例に「證治準縄」という書物を持ってきています。これは中国の明の時代の王肯堂(1549〜1613)という人が書いた医学書ですがこう書いてあります。
>
> 「夫白癩病者、其語聲嘶嗄、目視不明、四肢煩疼、身體大熱、心中懊、手緩縦、背膂拘急、内如針刺、或生疹而起、往往正白在皮肉裏、鼻有息肉、目生白珠當於瞳子、視無所見、名白癩也。」
>
> 何かどこかで読んだような、と思ったら案の定でした。「諸病源候論(610年)」の「白癩」のところをご覧下さい。
>
> 「凡癩病、語聲嘶破、目視不明、四肢頑痺、支節火燃、心裏懊熱、手脚倶緩、背膂至急、肉如遭劈、身躰手足隠軫起、往往正白在肉裏、鼻有息肉、目生白珠當瞳子、視無所見、此名白癩。」
>
> 如何ですか、今ならさしずめ「剽窃」、「盗作」騒動ものでしょう。なんと1000年後の剽窃、お見事と言わんか・・・^^

上の話はこれで終わりなのです。今日はこれに関連して「諸橋大漢和」に難癖を付けようというまたもや不埒な話です。先ず「びゃくらいとしらはた」の「大漢和辞典」の項をご覧下さい。

先ず第一に「鳥白癩」は変だと異を唱えました、「烏」ではないかと。しかし根拠がない、で「古典総合データベース」を虱潰しに調べたわけです。そこで分ったのは一口に「證治準縄(しょうちじゅんじょう)」と言うけれども実は六種類の書をひっくるめてそうも言うのであって、「證治準縄」「傷寒證治準縄」「幼科證治準縄」「女科證治準縄」「瘍科證治準縄」「雑病證治類方」を含んで構成されているということでした(参考)。そして「大漢和」に引用されているのはその中の「瘍科證治準縄」の一節だったのです、他の書には出ていません。これは「大漢和」さん、やはり「瘍科證治準縄」と書くべきだというのがイチャモンその一。

その二は、さきほどの「鳥」→「烏」です。これです(URLの0089を0092にすると「白癩」が出ます。)。「大漢和」の「白癩」。そうです私の推測通りやはり「諸病源候論」からの写し間違いでした。

あまり粗探しに現を抜かしているのも感心できませんが、「アラ」が有ってはいけないものに、有るのがいけない、そうお思いになりませんか・・・(^^;)

実は「日本国語大辞典」の「宝物集(ほうぶつしゅう)」の「白癩」を探して「新日本古典文学大系」を借りてきて三回読んだが有りません。「癩病」と「癩」は有ったのですが目的の「白癩」が無い。他の本で探してみますが、腹立ち紛れに書き殴ってしまいました。いけませんね、年寄りの短気は・・・ヽ(ー_ー )ノ マイッタ〜


カラスにしては憎々しさがありません・・・^^
 

Nature 171 pp. 737-738, 1953

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月14日(木)02時11分33秒
返信・引用  編集済
  この一見奇妙なローマ字と数字の組み合わせを検索窓に放り込めば、へえっ!と謎が氷解します。やはり一万件近くヒットするのは流石だなあと思いました。

私はたとえば「白癩の話」を書きながら行き詰まると、阿辻哲次氏か福岡伸一氏の本を読みます。しち面倒臭い込み入った内容を、誠に分かり易くしかも簡潔に説明する達人だからです、このお二人は。このどちらかがどこかで仰有っていたのは「教科書」的な何がどうしたという決まり切った言い回しを一切用いないという「コツ」です。これは出典が明らかでないので私の創作かも知れません。この頃こういうことが多くて・・・(>_<)

「動的平衡」という福岡氏の本を読んでいて「おや」と思ったのは、DNAの二重らせん構造を提唱した二人の内のフランシス・クリックが実はクリストフ・コッホと一緒に意識の研究をしていたという事実です。私は10年ほど前になりますがその論文の一つを読んでいたのです。日経サイエンス社が出した「心のミステリー」(目次が見られます)というムックで。この論文に対する批判を次のページからD.J.チャルマースという人が書いていて、この人の主張は面白いのです。続いてクリックとコッホがそれに対する反論を書いているから又面白いのですが、恐らく10年後の今もそれ以後この問題についての進歩は無いようです。「チャルマース 難しい問題」で検索すると大体のことが分るのですが・・・と書いていて今もう一度チェックして驚きました。私の昔のHPに出くわしました・・・^^。とてもキザで目を背けたくなります。

書きたかったのはチャルマースが意識に関する問題を大きく「易しい問題」と「難しい問題」に分けて、その「難しい問題」としている「現象」のことなのです。「紫色」「オーボエの音」「痛み」「幸福感」などを私たちは「意識」します。この意識するプロセスも未だ解明できていないけれども、でもこれは「易しい問題」である。本当に「難しい」のは次のようなことだとチャルマースは言うのです。

「深い紫色」の「深い」、「たとえようなく美しいオーボエの音」の「たとえようのない」、「激しい痛み」の「激しい」、「きらめくような幸福感」の「きらめくような」というのもまた「意識」の一部分には違いない。しかし「紫色」「オーボエの音」「痛み」「幸福感」を認識する脳内プロセスはいずれ解明される可能性が有るが、「深い」「たとえようのない」「激しい」「きらめくような」という個人独特の「判断」は、果たして自然科学の進歩で解明できる問題だろうか?(注:「現象」、「判断」というのは私の言葉であって、専門家は使っておられません。)

これがチャルマースさんの仰有るポイントなのです。お分り頂けたでしょうか?ダメかも知れないなあ、私奴の能力では・・・(´ヘ`;)ハァ〜ッ

しかしこういう科学論文というのは、科学者の真理を追究しようという真摯で懸命な姿勢が熱を発して溢れ出てきて、読んでいて粛然とさせられるときがあります。自分は暢気でいけないぞと・・・。


この色はどういう脳内プロセスで私達に美しい紫色だと意識させるのでしょう。
 

「ロードマップ委員会」が「医療基本法」制定を提言

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月13日(水)07時17分25秒
返信・引用  編集済
  多田羅座長は「患者への長年の差別の歴史を未来にいかすため、基本法の早期の制定を目指して欲しい」と求めた。これに対し、舛添厚労相は法制化について「患者と医療提供者側が手を結ぶということが非常に大切。法制化は国会での仕事。国会議員に啓発していきたい」と話した。

朝日新聞ほかにあります。
 

ヴェーダ文献と仏典の接点(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月13日(水)04時34分51秒
返信・引用  編集済
  これは昨年の4月の投稿です。思い出して持ち出しましたが、要は「義浄」の話をもう一度書くのが面倒だったというだけのことです。

これもヴェーダ文献と仏典の一つの接点だから、ご紹介しました。義浄がインドを旅行したのは、よく調べると671〜695年の方が正しいようですが(中村元著「インド思想史」P.279)。

下に年表を転載していますから、それをご覧頂いても明らかなのですが、一応自分の理解しているところを書きます。これはJ.ゴンダ著「インド思想史」からの抜粋に近いのですが。ヴェーダ時代が終わる頃バラモン(最上級の司祭者)が社会的規範を纏め上げて「法典=dharmasútra」を作りました(実は「妙法蓮華経=Saddharma-Puṇḍarika Sútra」などの原点はここなのですね)。この法典は厳しい苦行も定めたものであり、それに従って学び苦行を積んで釈迦牟尼が誕生したというわけなのです。こう言っても良いのではないでしょうか、ヴェーダ文献を集約した「法典」が仏教を生んだのだと。どこにもそうとハッキリ書いてないからややこしいだけだと、私は思うのですが。

なお、玄奘三蔵などが仏典を漢訳し始めるのはずっと後で、玄奘が402年頃とされています。

「白癩」を纏めていて、チョット気になったので復習しました・・・^^


「インド思想史」から。年表続き
追記:釈迦の侍医だったと言われる医師耆婆(ジーヴァカ)はビンビサーラ王の子であるとする説が有力(参考)です。耆婆が釈迦と同時代であったことが、「白癩」の解釈に大きく関係してくるので、ここで取り上げました。(5.14 00:01)
 

面白い

 投稿者:北風  投稿日:2009年 5月11日(月)11時22分32秒
返信・引用  編集済
  面白いものを教えていただきました。

国会図書館 8
読売新聞  8
朝日新聞  7

岩波書店  6
小学館   6
講談社   6
皓星社   6
みすず書房 5

某DB        6

清水昶のBBS 3
闘に学ぶBBS 3
ほうげん日誌5

清水昶のBBSは毎日5〜6000アクセスなのに「3」、ハンセン病関係のBBSにはリベルさんが暮れの挨拶を書いた霧なのに3というのもあり。
第一、何とか日誌が5というのが腑に落ちない。

弊社が、出版社の中ではトップのひとつなのは、素直に喜びたい。
 
    (リベル) 北風さん、こんにちは。

皓星社さんが「6」だということは承知していました、流石だなあと・・・。

しかし、「何とか日誌」がこれほどの人気だとは露知らず、私の秘めたる楽しみだと思っていたので、これは驚きでした、隠れたファンが多いのでしょうね・・・^^(5.11 17:44)
 

PadeRankが「4」に・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月 9日(土)17時53分58秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病のリンク集」はGoogleの「PageRank」が「4」なのですがここは「3」止まりでした、「3」でも驚いていたのですが。それが今日見ると初めて「4」になっています。これには正直驚きました。

皆様のおかげです、つまらないことなのですが、やはり嬉しくて・・・有難うございました・・・m(_ _)m

ちなみに「PageRank」は「Googleツールバー」からインストール出来ます。たとえば新聞社などは「PageRank」は7〜8あります。
 

やはり24年間は長い・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月 9日(土)02時49分44秒
返信・引用  編集済
  今日図書館へ行って来ました。行って良かった、ほんとうに・・・(>_<)

日本の辞書界をなめたようなことを先日洩らしていたのですが、やはり簡単に人をなめてはいけませんでした。「日本国語大辞典」の第1版を(高校の国語教師をしていた義弟から騙し取って)持っているのですが、これが出たのが1976年。第2版が2000年ですがまあ「白癩」などには見直しは入っていないだろうと高を括っていたのです、しかしお見逸れいたしました。「日本のOEDを目指す」というのは戯言では無かったのです。ここに第1版の転載があります。下に第2版の写真を載せました。

一目で気が付くのが(1179頃)などという西暦表示の追加です。これはこれまで一々調べ出していた(表の右端の列です)だけに誠に有り難いのです(この表は一昨日書いた「白癩の話〜五つの白癩について〜」の横糸の貯蔵庫です)。

「びゃくらい」についてはご覧頂けるように「宝物集(ほうぶつしゅう)」が加わっています。そして用例を年代順に・・・「OED」を意識していますね、確かに。でもあれでしょう、大きく違うところは「OED」は何とか称するボランティアのネットワークを使って広く「用例」を集めているところでしょう。ニッコク(と言うようです)もそうなれば本物ですけど・・・^^


第2版の「びゃくらい」の項です。
 

Re.あやめ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月 8日(金)17時48分34秒
返信・引用  編集済
  あずきさん、通り過がりさん、有難うございました。

これでどうやら一生、これが「あやめ」だと覚えられたようです・・・有難うございました・・・_(_^_)_


ウィキペディアによると・・・なるほど「外花被片にいわゆる「文目」模様がある」が決め手かな・・・^^
確かにこれには「文目」が有りませんす、また一つ賢くなりました・・・(^^;)
 

あやめ

 投稿者:通りすがり  投稿日:2009年 5月 8日(金)17時00分54秒
返信・引用
  「あやめ」は、もともと外花被の付け根にいわゆる「文目」があるからで、この写真は撮影者の証言がなくても「アヤメ」です。  

あやめ

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 5月 8日(金)13時26分18秒
返信・引用
  追伸。度々お邪魔いたします。わたくしが「あやめ」と限定できましたのは、咲いていた場所が「湿地」でなかったことでした。撮影した者として証言しておきます(^^)。  

カイツブリ

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 5月 8日(金)10時43分22秒
返信・引用  編集済
  おはようございます。
花は「あやめ」です。この仲間の区別は、ここがわかりやすいようです。

http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/miwake.htm

カイツブリの画像処理はこれが限界のようですが、いかがでしょうか?
それにしましても、川に対する人間の無作法を思わせる画像でもありますね。
この環境のなかで無事に育ってくれることを祈るばかりです。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

私が最初に調べたのもそのサイトだったのですが、どうも納得がいかなくて・・・やはりそうでしたか、あやめ・・・。

おおっ、画像処理でここまで出来るのですね。恐れ入りました・・・私にはとても・・・(-_-;)

ここはいたずらっ子が見付ければ、ただちに石礫の嵐が見舞うであろう危険な場所でもあるのです、しかも数メートル先は賑やかな交差点なのですが、都会の水鳥は逞しさを備えていないとやっていけないでしょうね、思えば堂々たるものではあります・・・^^(5.8 11:45)
 

Re: カイツブリが孵りました

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 5月 8日(金)00時39分58秒
返信・引用
  > No.4345[元記事へ]

> これじゃ見えないですね、泳ぎ始めたら又報告しますから、ご辛抱ご辛抱・・・^^

画像を取り込んで、部分だけを切り取って、拡大したり、画像処理したりしましたが、残念ながら見られませんでした。辛抱してお待ちします。お土産です。どーぞ。
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

私がエッと思ったのはつい先程はご投稿がなかったからなのです、時計を見たら00:40でしたから2秒のニアミス(?)でした!

>部分だけを切り取って、拡大したり、画像処理したりしましたが・・・

流石に凄い、私にはそういう器用なことが上手くできないので羨ましい限りです。ここにサイズの大きいいままの画像を置いておきます、がやはりダメかなあ・・・(^^;)

美しい花を有難うございました、そうなのです花の名前が分りません、カキツバタなのでしょうか・・・?(5.8 00:52)
 

カイツブリが孵りました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月 7日(木)02時24分12秒
返信・引用
  昨日4個のうちの3個が孵りました。写真の鉄棒越しに親鳥が一羽見えるのですが、鉄棒のこちらにまだ孵らない卵が1個有ります。よく見ると雛が動いているのですが、肉眼ではゴミの一部としか見えなくて・・・それに変な浮遊物が多くていけません。


これじゃ見えないですね、泳ぎ始めたら又報告しますから、ご辛抱ご辛抱・・・^^
 

白癩の話〜五つの白癩について〜

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月 7日(木)01時25分39秒
返信・引用  編集済
  そうなんです、何度も言いますが決して忘れているわけではないのです。これで「はじめに」と題したものを何回、そして何種類書いたことか、これで良いだろう、これが最終決定版だろうと、そして何回破り捨てたことか、その内のこれはと思うものだけをここに書いているのです。でも今回のは本当に決定版になる予感がしています。まあ読んでやって下さいますか?タイトルと副題は標記の通り、その「はじめに」だけを只今から・・・

 ハンセン病の歴史に触れるとき、私たちは様々な場面で「白癩」という言葉を目にします。そしてその内に「白癩」とか「white leprosy」という言葉が、必ずしも一つのことを指し示しているのではなく、多様な意味で用いられているのではないかと気付き始めます。言い換えると「白癩」というものの正体が曖昧になって、捕らえ難くなってしまうのです。

 では一体国語辞典や漢和辞典ではどのように説明しているのか目に付く限り調べてみました(参考:びゃくらいとしらはたけ)。しかしこれをお読み頂くと重複も多く時間が無駄になりますので、比較的に良く纏まっている「日本国語大辞典(初版・1976年―明後日図書館へ行って念のため第2版を確認してきます)」を選び、この辞典の釈義を要約してここにご紹介することにしました。

【白癩】

「しらはたけ」と読むとき
     @色素の欠乏で、白色の斑紋を生じる皮膚病。尋常性白斑。――〔語義1〕
       *今昔物語集「而る不、白癩と云て病付きて、祖と契りし乳母も、穢なむとて不令寄ず」(ページ画像

「びゃくらい」と読むとき
     A皮膚が白くなる癩病。――〔語義2〕
       *身延山御書「現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕べし」(ページ画像
       *法苑珠林「若人癩病、若白癩、若赤癩、至誠懺悔行道常誦瘥」(ページ画像
     B(もしこの誓いを破ればAの病になってもよいという気持から)みずから誓っていうことば。副詞的に用いて、「断じて」「必ず」という強い決意を表わす。――〔語義3〕
       *蠅打「此月が師走で、水が油で海道がおれが身ならば、白癩きくまひと云しにひとし」
       *浄瑠璃・平家女護島「こりゃ何処へ連て行めすぞ。びゃくらい返してくれられ」(ページ画像
       *歌舞伎・矢の根「商ひ馬に乗らんとは、びゃくらいならぬ、ならないぞ」(ページ画像
     CBから転じて、感動詞的に)不意の出来事に驚く気持を表わす。――〔語義4〕
           *浮世草子・武道伝来記「一文字に切付れば、白癩是はと抜合せ」(ページ画像

(ページ画像)のところ、何行目かはわざと書きませんでした。お楽しみ下さい^^。「蠅打」は国会図書館か北大図書館にしか有りません。

 他の辞書と読み合わせてみても、きわめて明解に様々の「白癩」が定義されています。しかし、今回私奴がここで試みようとしているのは、この四つの〔語義〕を縦糸にし、ヴェーダ文献、仏典及び日本書紀を初めとする日本の古い文献群を横糸にして杼を飛ばし、一枚の布切れを紡いでみようということなのです。

 どんな模様の織物が紡ぎ出されるのか、縦糸の数は「四」本なのか「五」本なのか、楽しみにご覧下さい。以上。


ここでこのページをお読み下さっている方々への特別サービスを提供します、勿論本編には書かないことです。織り上がった布切れには「業病」の文字が浮き出している筈なのです。はい、私は日本の辞書業界が「良心」のあり様を勘違いして腰が引けたために、五本目の縦糸をネグッタのだと、そう認識しているのです。

ではさて何日後に続きを引っ提げて現れる事が出来るか、あせらずにお待ち下さい・・・(^^;)


杼を使っています・・・
 

Re: 朝日新聞「ひと」欄から

 投稿者:しゅう  投稿日:2009年 5月 4日(月)12時58分39秒
返信・引用
  > No.4341[元記事へ]

tamaさんへのお返事。

tamaさん、昨日はお疲れさまでした。
「全生園、お話しの森」はたいへん盛況でしたね。新聞で大きく取り上げられたからでしょうか、200名を越える市民が全生園に足を運んでくれました。


> リベルさんのご研究その他もろもろ、いつもただ拝読し利用させていただくばかりで、お返しはなにもできませんが、いつも抱き続けている感謝の気持ちだけは、この機会に改めてお伝えします。

リベルさん、tamaさんと同じ気持ちです。
いろいろ参考に利用させていただき、いつも感謝しております。
これからトピックスなど私から皆さまにお知らせしたい時は、この掲示板に紹介させていただいてよろしいでしょうか?

> 東京地方の版では、奇しくも同じくハンセン病関係の人が「ひと」欄で紹介されました。
> ネット公開されておらず、スキャナーもないため、記事を紹介できませんが(文字入力すれば可能ですが、それほどの価値があるとも思えず)、
> 「国立ハンセン病資料館の初代学芸課長 黒尾和久さん(47)」です。
> 専攻は縄文中期の考古学だそうですが、ネット検索でこの人の名前を入力すると、へーえ、と思うようないろいろな仕事をされてきた方のようです。
>
> 肩書きから推測するに、「学芸課」というもの資料館に新たにできたみたいです。

私は昨日偶然にお会いしてきました。
資料館の図書室に行きますとひげ面の作業服を着た方がカウンターに座って本を読んでおられます。
ゴールデンウィークで人手が足りなくてだれか用務員の方が座っておられるんだろうなと思いました。
開架になっていない本を見たかったので、検索をして、「これを出して下さい」と言いますと、「どこにあるかまだ慣れていないのでよく分からない」とか仰っています。その内、図書室担当の学芸員を呼びにゆかれ、目的の本を出していただきました。
そんな訳で私は、黒尾和久さんにお目にかかりました。
どこか稲尾和久さんに似た方でした。
 
    (リベル) しゅうさん、こんばんは。

いつも辛気くさい話にお付き合いいただき、感謝しなければならないのは私のほうです。

>これからトピックスなど私から皆さまにお知らせしたい時は、この掲示板に紹介させていただいてよろしいでしょうか?

勿論自由にお使い下さい、歓迎いたします。

>どこか稲尾和久さんに似た方でした。

おや、お名前も一字違いなのですね・・・(^^)

「知識としての「人権」の理解以上に自然な気づきに支えられた共感こそ、差別を乗り越える力になると信じる。」、その通りだなあと思いました。(5.4 22:45)
 

Re: 朝日新聞「ひと」欄から

 投稿者:tama  投稿日:2009年 5月 3日(日)22時01分12秒
返信・引用
  > No.4339[元記事へ]

リベルさんのご研究その他もろもろ、いつもただ拝読し利用させていただくばかりで、お返しはなにもできませんが、いつも抱き続けている感謝の気持ちだけは、この機会に改めてお伝えします。

ところで、ついでながら、
朝日新聞「ひと」欄で

> 宮良正吉(みやらせいきち)さんです。

が紹介されたのは、今日の朝刊でしょうか。
東京地方の版では、奇しくも同じくハンセン病関係の人が「ひと」欄で紹介されました。
ネット公開されておらず、スキャナーもないため、記事を紹介できませんが(文字入力すれば可能ですが、それほどの価値があるとも思えず)、
「国立ハンセン病資料館の初代学芸課長 黒尾和久さん(47)」です。
専攻は縄文中期の考古学だそうですが、ネット検索でこの人の名前を入力すると、へーえ、と思うようないろいろな仕事をされてきた方のようです。

肩書きから推測するに、「学芸課」というもの資料館に新たにできたみたいです。
 
    (リベル) tamaさん、こんばんは。

tamaさんにはこれはと言うポイントを掴んだ貴重な資料や情報を随分沢山頂戴しました、本当に感謝に堪えません。また何か有りましたら、是非お教え下さい、よろしくお願いします・・・m(_ _)m

朝日新聞「ひと」欄はそうなのです大阪版では5月3日朝刊でした。地域によって「ひと」が変わるのはそういえば当然なのかも知れませんが・・・っていうかどうしても全国に知らせたいという「ひと」が居ない日は、載せないようにすれば良いのでしょうね・・・(^^;)(5.4 03:56)
 

おつかれさまでした。

 投稿者:きょうこ  投稿日:2009年 5月 3日(日)11時09分26秒
返信・引用
  ニュース速報や、イベント情報は、日々
更新をしなければいけないので、疲れると思います。

わたしも、イベント情報は、更新できなくて
1〜2年で閉じました。

リベルさんは、長く続けてこられたと思います。ほんとおつかれさまでした。

無理のない範囲で、これからも続けてください。お願いします。
 
    (リベル) きょうこさん、こんばんは。お久し振りです。

昨日は野暮用で出かけていて、返事が遅くなってしまい申し訳ありません。

きょうこさんの実践活動を踏まえた情報発信「もりのどうぶつたち」こそ本当は大変で、とても貴重なご努力の積み重ねだと、頭が下がります。

襲ってくるボケを少し激しい目の運動で、と言ってもきつい坂に長時間歯を食いしばって挑戦する程度ですが、追い払ってやろうと思い定めていますが、はてどうなることでしょうか・・・(^^;)(5.4 03:02 あっ、5432だ・・・^^)
 

朝日新聞「ひと」欄から

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月 3日(日)07時36分1秒
返信・引用
  宮良正吉(みやらせいきち)さんです。  

長い間お世話になりました・・・m(_ _)m

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 5月 3日(日)01時23分21秒
返信・引用  編集済
  来る5月11日で「ハンセン病のリンク集」も開設から8年になります。申し訳ありませんが私奴、最近注意力が著しく欠如したり、頑張りがきかなくなって参りました。所謂老衰の始まりで御座います。そこで責任を伴う作業は一切行わないことを決意しました。

ピント外れのことを申し上げてしまったり、同じ話を繰り返したり、これは自分でもすでに気付いてはいるのですが、皆様もお気付きのことと存じます。大きなミスでご迷惑をお掛けする前に、スタコラサッサと店仕舞で御座います・・・(^^;)

「ニュース速報」「イベント情報」は5月11日で更新を終了させて頂きます。他に実は歴史関係で幾つもペンディングになっているものが有ります。これは自分の問題として、時間をかけて仕上げていきます。「中世の歴史以降」「白癩」(右端に「白癩」を。)、「スシュルタ・サンヒターのP.V. Sharma訳の取り込み」「癩病からハンセン病の年表」とやり残したこと、やりたいことは山ほど有ります。「老人の趣味」と位置づけて生きている内に仕上げたいと思ってはいますがさてどうなることやら・・・^^

言うまでもないことですが、ここは閉鎖いたしません。毎日ブツクサと寝言を呟きに出て来ます。矢折れ刀尽きてくたばったときは、連れ合いが私の「原稿」を写してくれると思います、あ、原稿を書いて渡しておかなければ・・・イソイソ(^_^)/~

老人の繰り言でも冷やかしてみようかとお思いになる奇特なお方は、どうぞ遠慮なさらずにお越し下さい。お待ちいたしております・・・(^^)


皆様本当に有難うございました。多くの皆様のご意見やご教示に支えられて、どうにか今日まで続けられたことを心から有り難く感謝いたします。有難うございました・・・m(_ _)m



感謝に堪えません・・・
 

恥ずかしい・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月30日(木)23時41分22秒
返信・引用
  「劈」という漢字を知らなかったのです。下の投稿で馬脚を顕していましたが、修正しました。大辞林では・・・

へきかい【 劈開 】

@ さき開くこと。切り開くこと。
A ひびが入って割れること。
B 方解石や雲母など,結晶がある特定の方向に沿って割れたり,はがれたりして,平滑な面を現すこと。またそういう性質。

だそうです。


昨日和泉眞蔵氏の「インドネシア便り」の紹介の中で「蜀犬日に吠ゆ」というのを書きました。これも初めて聞いたことわざなので、調べていたらこれと対にして良く使われる言葉に「呉牛月に喘ぐ」というのが有るそうです。大辞林によれば・・・「水牛が暑さを嫌うあまり月を見ても太陽と間違えて喘ぐ意から,取り越し苦労をすることのたとえ。」だそうです。

私たち夫婦の恥を申し上げますと、リビングの一番よく目に付くところに一尺四方(古いかな)の白板が張り付けてあります。大事な伝達事項は必ずここに書いておくことにしています(それでも書くのを忘れることが多くなってきて、困っているのですが)。いまその片隅に「蜀犬日に吠ゆ」と「呉牛月に喘ぐ」が書いてあります。いま頻りに口ずさむ「駑馬十駕」などというのも、ここに書いて覚えました・・・(^^;)

大辞林に依れば・・・

才能の劣った者も、努力を続けるならば、賢人に追いつくことができるというたとえ。「十駕」は、十日間馬に乗って走らせること。のろまな馬も十日の日程をかければ、一日に千里を走る名馬に追いつくことができる、という意。
 

諸橋大漢和の「白癩」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月30日(木)04時18分28秒
返信・引用  編集済
  「諸橋大漢和」(左下です)では「白癩」を「はくらい」と読んでいます。「「びゃくらい」と「しらはたけ」」に転載しておきましたが、用例に「證治準縄」という書物を持ってきています。これは中国の明の時代の王肯堂(1549〜1613)という人が書いた医学書ですがこう書いてあります。

「夫白癩病者、其語聲嘶嗄、目視不明、四肢煩疼、身體大熱、心中懊、手緩縦、背膂拘急、内如針刺、或生疹而起、往往正白在皮肉裏、鼻有息肉、目生白珠當於瞳子、視無所見、名白癩也。」

何かどこかで読んだような、と思ったら案の定でした。「諸病源候論(610年)」の「白癩」のところをご覧下さい。

「凡癩病、語聲嘶破、目視不明、四肢頑痺、支節火燃、心裏懊熱、手脚倶緩、背膂至急、肉如遭劈、身躰手足隠軫起、往往正白在肉裏、鼻有息肉、目生白珠當瞳子、視無所見、此名白癩。」

如何ですか、今ならさしずめ「剽窃」、「盗作」騒動ものでしょう。なんと1000年後の剽窃、お見事と言わんか・・・^^
 

日本の患者数・入所者数の新資料

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月30日(木)03時29分9秒
返信・引用  編集済
  国立情報学研究所というところが、「想−IMAGINE Book Search」という検索サイトを作っているのを見付けました。まだ使いこなすところまで行っていませんが、使いようによっては凄い能力を発揮します。

私は目下の関心事である「白癩」を入れて検索しました。左のデータベースにチェックを入れると相当な数のものが出て来ます、使いようによってはと言ったのは「白」と「癩」に関するもの全てを弾き出してくるからです。上の五つにチェックを入れてお試し下さい。「貴重書画像データベース」に「源氏絵」がどういう訳か出て来ます。これはこれで楽しくて脱線してしまうのですが、「おっ」と思ったのは「癩療養所収容癩患者統計 明治43至大正3年 内務省衛生局編」という文字です。ここには明治43年から大正3年までの入所者数が出ています。「大サイズ画面」にしてさらにクリックすると読み取れます。

私の作った一覧表はここまでですから、追加しようかなと思っています。しばらくは他に資料がないか確かめないと厚労省(厚生省、内務省)の資料は局によって数字が違ったりしますから、簡単には信頼が出来ません。困った国ではあります。
 

私の怠慢でした・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月28日(火)04時29分30秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病市民学会」の「発信塔」に和泉眞蔵氏が去年の夏今年の正月に「インドネシア便り」を書いておられるのを、先程まで気付きませんでした。正直長い間途絶えていたので、チェック疲れが原因です、もう無くなったのかと・・・。

相変わらず有益な発言で勉強になりました。見落としておられた方はどうぞ・・・。

いつもの悪い癖で校正。「著名」→「顕著」(ヒント:去年の後半に。)・・・^^

付録:大辞林より

蜀犬日に吠ゆ

〔柳宗元の 「答二韋中立一論二師道一書」 による。蜀の地方は山が高く,雲霧濃く,日のさす時間が少ないので,犬は太陽が見えると怪しんで吠えるということから〕
無知のため,あたりまえのことでも怪しいと思うこと。識見の狭い人が,賢人の言行に疑いをもつたとえ。(今の私のことを指す・・・^^)
 

菊池武茂起請文

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月27日(月)01時35分34秒
返信・引用  編集済
  「白癩が登場する日本の古典」と題していながら、脱線してしまいました。「古典」というより「古文書」ですが、延元三(1338)年に書かれた「菊池武茂起請文」というのは、検索すると多数ヒットしますが、その代表的な一節として頻繁に登場するのが次のくだりです。

「武茂弓箭(きゅうせん=武士)の家に生まれて、朝家に仕ふる身たる間、天道に應じて正直の理を以て、家の名をあげ、朝恩に浴して身を立せんことは、三寶の御ゆるされをかうぶるべく候。その外私の名聞己欲のために義を忘れ恥をかへりみず、當世にへつらへる武士の心をながく離るべく候」

これは昭和12年に文部省が作った「国体の本義」の中にも引用されています。ウィキペディアによると「国体の本義とは、1938年、「日本とはどのような国か」を明らかにしようとするために、当時の文部省が学者たちを結集して編纂した書物である。神勅や万世一系が冒頭で強調されている。国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。」(ここでは1938年としてありますが、間違いでしょう。先のサイトの一番下に奥付があります)

脱線ついでに、戦前の日本人を国家はこのような方法で誘導していったのでしょうか。日本的文化の或る時期においての一形態を示唆していて興味深いです。

さて「菊池武茂起請文」の最後の締めには次のように「白癩」が登場します。これは室町時代、吉田兼好が「徒然草」を書いたのと恐らく数年しか違わないから面白いですね。

「若し是の起請文の旨を壊し候はば(中略)今生には白癩黒癩の病を受け、當來(来世)には、七世まで仏法に値奉るべからず候(後略)」

今この写真版を探しましたが見当たりません。近日中にこの辺の「起請文」を数点スキャンしてご披露します。石田三成と増田(ました)長盛連署の起請文(1595年)も有ります。このサイトの7月12日の所をお読みください。豊臣秀頼への忠心を誓ったものですね。今大人気の直江兼続も石田三成と親交が有ったことはご存知の通りです。やはり「びゃくらいこくらい」とか口にしていたのでしょうか・・・^^

「びゃくらい」と「しらはたけ」の「日本国語大辞典」の「びゃくらい【白癩】」の@の用例をご覧下さい。「日蓮遺文−身延山御書(1282年)「現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕べし」と書いてあります。「現世」や「今生」には「白癩」を、「後生」や「来世」には「無間地獄」を蒙むるというのです。

長くなって申し訳ありませんが、これからが本論なのです。「日本国語大辞典」の例で参りますと、@皮膚が白くなる癩病。白癩病。しらはだ。の用例に「身延山御書」を用いるのは適切ではないと思うのです。ここではあくまで医学的な「病名」に留めておくべきだと思います(「法苑珠林」についてはペンディングにさせて下さい。漢文が十分に読めないので)。そして、Aに「業病の代名詞(或いは代表)として用いられる」という意味の「釈義」を述べ、その用例として「身延山御書」などを持ってくるべきだと思います。以下Bに「(もしこの誓いを破ればAの病になってもよいという気持から)みずから誓っていうことば。」などとするべきだと私は思います(念のためですがハンセン病は業病ではありません)。

以上が、「白癩」君と徹底的に飲み且つ語り合った結果到達した結論でした・・・^^。長々とお付き合いをさせてしまいました、ごめんなさい。


石田三成増田長盛連署起請文(相田二郎著「日本の古文書」岩波書店から)
 

白癩が登場する日本の古典

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月26日(日)18時06分7秒
返信・引用  編集済
  先にも書いたのですが、今朝はあずきさんのサイトへ行ってエリオットの詩を目にしてしばらく静に考えました。こう書いてあったのです、「老人は探検家になるべきだ。現世の場所は問題ではない。われわれは静かに静かに動き始めなければならない。」。

私は「ハンセン病のリンク集」を続けることの是非を最近考え続けていました。来月の熊本地裁判決8周年を機に、更新を中止しようかなど。で、この言葉に接して腕を組んで思案しました、結構長い間。そして思ったのです。

自分の生き甲斐だと思ってしがみつくのはそもそも間違いだ。

煩瑣な作業も有るだろうけれども、大切なことは元患者さんの現在の心を理解することと、それを自分のものとして世の中を見ることだ、差別の現状を自分の感覚で捕らえることではないか。差別を罰する立法が必要だ、実際には厳存する差別や偏見を坐視していてよいのか。そんなことを思いました。

勿論、厚労省は「クソクラエ」と言う気持ちは相変わらず強いのですが、本当に大切なのは元患者さんの心を自分のものにすることだ、そう思いました。

「現世の場所は問題ではない。われわれは静かに静かに動き始めなければならない。」、そうだろうと思います。少しでよい、右顧左眄せず「動こう」と思いました、力づけられました。

そしてまた動き始めました。「呼称の変遷」に地味ですが変更を加え始めました。

そして3時間ほど没頭して、ここへ収穫を報告しようともどって来たらあずきさんの投稿があったのです。「閉鎖はいつでもできます。でも継続は力なり、です。」というお叱りを受けました。

死んだ人たちの伝達は
生きている人たちの言語を越えて
をもって表明されるのだ。

というタイムリーな言葉も頂戴しました。私は怒りの火を灯し続けます。老いた身にも出来ることは未だ未だあります。


「海を飛ぶ夢」は「TUTAYA」に申し込みました。見終わってからあずきさんちの解説を読ませて頂くことを楽しみにしています。


おいおい「白癩が登場する日本の古典」ってえのは一体どうなったんだ?

ごもっともです、明日の朝一層充実した、興味深いお話しが出来ると思います、お許し下さい・・・m(_ _)m(4.26 18:01)


ランプの灯
 

Re: 潜水服は蝶の夢を見る

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 4月26日(日)02時35分24秒
返信・引用
  > No.4330[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> 「潜水服は蝶の夢を見る」というフランス映画をご覧になった方もいらっしゃると思います。私は「TUTAYA」とレンタルDVDを契約していて、最近この映画を借りて見ました。「All Cinema」というサイトの紹介文をそのまま拝借すれば「42歳という働き盛りに突然の病(脳梗塞です)に倒れ、身体の自由を奪われてしまったELLEの元編集長ジャン=ドミニク・ボビーが、全身の中で唯一動く左目の瞬きだけで綴った奇跡の自伝ベストセラーを映画化した感動ドラマ。」なのです。

「海を飛ぶ夢」という映画も思い出しました。

http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/movie/20061202030536.htm

>自分の怒りの炎は正常に燃えて続けているのか?今自分に問いかけています。消えかけているのなら、或いは炎が正常でないのなら、サッサとサイトを閉鎖しなければいけません・・・。

閉鎖はいつでもできます。でも継続は力なり、です。

死んだ人たちの伝達は生きている
人たちの言語を越えて火をもって
表明されるのだ。
       ――T・S・エリオット(西脇順三郎訳)
 
    (リベル) やはり変です。あ、あずきさんこんにちは。

いや実は午前4時頃だったでしょうか、一仕事終えて戻って来てレスを書きました。ところがそのレスに追加を入れようとしても、元原稿が無くなっているのです。何度見ても先程書いたレスは入っているのにその元原稿が出て来ないのです。まあ大した追加でもないのでそのままにしていました。

ところがどうでしょう!今見たらそのレスが見事に消え去っています。このBBS「Teacup」がどこかに吸収合併されてから、何か奇っ怪なことが時々発生します。さあ、このレスは出るだろうか、一度テストして夕方健在なら、追加投稿することにします。

内容に関するレスは、そのときにさせてください、ご免なさい・・・m(_ _)m

そうだこれはコピーしておきます・・・^^(4.26 12:58)
 

潜水服は蝶の夢を見る

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月26日(日)00時47分23秒
返信・引用  編集済
  「潜水服は蝶の夢を見る」というフランス映画をご覧になった方もいらっしゃると思います。私は「TUTAYA」とレンタルDVDを契約していて、最近この映画を借りて見ました。「All Cinema」というサイトの紹介文をそのまま拝借すれば「42歳という働き盛りに突然の病(脳梗塞です)に倒れ、身体の自由を奪われてしまったELLEの元編集長ジャン=ドミニク・ボビーが、全身の中で唯一動く左目の瞬きだけで綴った奇跡の自伝ベストセラーを映画化した感動ドラマ。」なのです。

先日ご紹介した多田富雄氏の「寡黙なる巨人」と全く重ね合わせてしまいました。身体はまるで鉛の潜水服を着せられたように身動きが出来ない、でも心は蝶のように自由に世界を飛び回るというところから付けられたタイトルのようです。

日本でハンセン病に苦しめられた方々のことを思いました。舌の先で点字を読まれた方など、肉体的にはもっと非道い境遇に耐えてこられた巨人を私たちは幾人も知っています。

しかし日本のハンセン病の場合は決定的な違いがあるのです。潜水服は単に五体の動きを封じただけではなかったのです。1907年から国は数え切れない元患者の方々を療養所に封じ込め、その上偏見・差別という壁で人間の尊厳まで封じ込めようとしました。これが国家の犯した大罪であり、更に大きな罪は8年前に下された断罪さえ真摯に認めようとしない厚労省の基本姿勢です。

あと2週間ほどで熊本地裁判決から8年が経ちます。私が「ハンセン病のリンク集」を立ち上げたのは2001年5月11日の約半年後でした。これがその当時のサイトです。自分の怒りの炎は正常に燃えて続けているのか?今自分に問いかけています。消えかけているのなら、或いは炎が正常でないのなら、サッサとサイトを閉鎖しなければいけません・・・。


モンキチョウ
 

Encyclopaedia Britannica

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月24日(金)07時36分39秒
返信・引用  編集済
  これは前にご紹介したと思いますが・・・?

再編集しました。「History」の所は「The Science」の話も取り上げていて、新らしい執筆陣による信頼性が高い論文になっていると思います。

ご参考に供します。日本の百科事典はもう古くていけません、いつまでも中味を見直さないので・・・^^
 

疑わしきは罰せず

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月21日(火)18時33分58秒
返信・引用  編集済
  「疑わしきは罰せず」と言うのはラテン語から来ているそうですから古くから言われていることなのでしょう。これはしかし、絶対的なテーゼだと誰が定めたのでしょう。少し調べただけでは分りません、が私はこれは正しいと思っています。現代の法理念(私は人道的な方向を目指していると思っています)から言っても、冤罪を防ぐためにも、必要とされるべきことだろうと。

和歌山毒物カレー事件の上告審で最高裁は「合理的な疑いを差し挟む余地は無い」と表現し、死刑を宣告しました。

「疑い」に合理的も否も有りません。これは裁判官の詭弁だと私は思っています、「疑わしきは罰せず」を意識した、そのような国民を誤魔化すような表現は今は通用しません。

そうです、私は林被告が「無罪」である可能性を否定できないのです。

林一家に恨みを持つ誰かが外部から侵入して砒素を混入し、林一家に罪を被せようとしたのかも知れません。園部地区は絶海の孤島ではないし、今で言う防犯カメラが出入りする人間の全てを記録していたわけではありません。

こういう言い方は多少「ザレゴト」めいて聞こえるかもしれませんが、私は極めて静かに事態を観察している積もりです。同時にハッキリ言いますが「裁判官」は「神」でもなんでもない、だから5人揃って間違いを犯すことも有り得ると、そう思っているのです。

被害者とそのご遺族の方々のお気持ちや世論の動向やそういうことを離れて、誰か私のように偏頗なことを言う人間が居ても、それはそれで良いのではありませんか?何が本当に正しいのか、それが分かり難くなってきた今の世の中ですから・・・^^

言うまでもないことですが裁判官の方たちは数千という状況証拠や事実を知りそれを検討した上でのご判断だったのでしょう、その大変さは私などには容易に推測できることではありません。まして10に満たない状況証拠で「kilāsa」を「少菌型の白斑を伴うハンセン病」と断定して憚らない私奴のことですから・・・。
 

Re: 山梨の一家心中事件

 投稿者:tama  投稿日:2009年 4月21日(火)14時09分35秒
返信・引用
  > No.4326[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事。

> 山梨の一家心中
>
> 昭和22年12月旧警察法(昭和22年法律第196号)により、国が行う療養所以外のハンセン病行政は県に移行した。

> 全患協運動史
> 直ちに現地に人を派遣して調べているなど、全患協運動史も、信用すべき点もあります。

当時のことを知っている方に話をうかがったことがあります。
「とんでもないことが起きたというので、全患協、事務局を作ろうかどうかと言っているところで、まあでき始めてはいたのだけれど、こんなことがあるのはたいへんなことだということで、すぐに全生園の人とか、いろいろとわかる、肩書きを持っている人と一緒に行ってもらおうということで、県庁に抗議しに行った。二度とそういうことがないようにと。」
「病気も重くなくて、プロミンが一番効くタイプだったそうです。病気でない人もみんな死んでしまった。子どもが一人助かっている。娘さんで、もう80いくつになるのではないか。」
 
    (リベル) tamaさん、こんにちは。

「これは!」と息を飲みました。一人生き残られた娘さんの日常生活は心の中も含めてどのようなものだったのでしょう。

国家が国民の人生を奪う一例に過ぎない、と言ってしまうといけないのでしょう。戦争は同様に強引に無数の国民の人生を当然のように踏みにじって来ました。そして今各地のハンセン病療養所は創立100周年になります。国はその予後を真剣に見守っては居ません。こういうものなのでしょうか、国家というのは・・・?(4.21 18:00)
 

山梨の一家心中事件

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月20日(月)20時35分10秒
返信・引用  編集済
  山梨の一家心中

 加藤 尚子 山の中の小さな園にて もう一つのハンセン病史 医療文化社 2005

 その時の事情がかなり詳しく載っています。

 >昭和26年,に山梨県の韮崎で一家心中があったころが一番悲惨でした。あのお家は父親がハンセン病で、子供が6人あって、その子供の一人息子さんに斑紋がでて、うちの園で父の弟子の早田先生が診断したのです。(当時の朝日新聞の記述は間違いであるとここには書かれている)早く治療しなさいと、あの当時だからドイツ語でこうだからと書いて厳封して保健所に出すようにて、本人に持たせました。その診断書をもっていったら保健所が公表してしまって、そしてそのお方の周囲を縄張りして消毒したっていうのです。それで心中になってしまって。
 (ここに父親の遺書があるが、読みたい人は本を読んでください)
 その保健所の所長も存じ上げてる方だったので、なんでそんなことをなさるんだろうと思った記憶があります。いえ、あの当時だから誰も責任を問われなかったじゃないかしら。処分されたってこと聞きませんもの。
 その当時、東京にいっていて、一人生き残った娘さんが事件の後深敬園に診察にこられて、らいではなくて安心しました。
 この事件の後、父がね、県下であちこち講演を頼まれて、講演にあるきましたよ。

 ●上記の本は身延深敬園(じんきょうえん)第2代園長綱脇美智さんが、国際医療大学の近くに越されてきて、同大学講師の著者が聞き取って書かれた素晴らしい本です。

 ●●やはり、警察(国、内務省)が警察(自治体)になった時期がいつだったかな。これを調べよう。これは重要な問題であって、ええとWikipedia日本のハンセン病問題にも書きました。ちょっと待ってください。>昭和22年12月旧警察法(昭和22年法律第196号)により、国が行う療養所以外のハンセン病行政は県に移行した。

 ●医師の名前などと消毒はしていない点などは、全患協運動史 昭和52年 と大幅に違っています。(運動史の方が自殺の前には消毒していない)それと、直ちに現地に人を派遣して調べているなど、全患協運動史も、信用すべき点もあります。
 

御無沙汰しております。

 投稿者:旅人  投稿日:2009年 4月20日(月)09時28分47秒
返信・引用
   リベルさん、こんにちは。

 「日本的な文化」というテーマに惹かれ、つい書き込ませていただきました。日本文化論は、私もかなり好きな方です。
 つい最近、吉川英治の「親鸞」を読みましたが、非常に面白く思いました。そして、その親鸞には、日本文化の本質を示すようなものがあるように思います。
 親鸞の自力難行の下での修業で、彼の人格は崩壊寸前まで行っていたのではないかと思います。そしてそれは妄想とは正反対の精神活動によってであったろうと思います。
 そして救いを法然の他力易行に見出したようですが、そこには一つの発見があったように思います。それはともかく、突き詰めて考えて行く厳しさ、そこに日本文化の特徴を見出すのは間違いでしょうか。
 漫画やバラエティーなどの日本のサブカルチャーにも日本文化の特色はあるでしょうが、達人たちに時代を超えて受け継がれていく文化というものがあるように思われます。

 妄想というのは、道を究めようとして人格崩壊に陥ることを防ぐための精神的防御機構の一つではないかという気がします。

 突破者とかカブキと言われる人にも、日本のノーベル物理学賞受賞者と共通するものがあると言ったら、顰蹙を買いそうですね。
 
    (リベル) 旅人さん、こんにちは。ご無沙汰いたしております。

いくつかの達見をご披露いただき、有難うございました。またときどきお話しをお聞かせください・・・(^^;)(4.20 13:00)
 

とにかく古代というのは・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月20日(月)03時50分3秒
返信・引用  編集済
  とにかく古代というのは鎌倉や室町と違って可視的な過去ではない。非常に証拠の少ない世界であって、私自身自分の頭がつい古代のほうに及んでいくことを、昔から警戒してきたんです。証拠が少ないから多分に想像が必要になる。その想像には実証の歯止めが少ないから、うかうかすると妄想になるかもしれない。妄想ばかりやっていると人格が崩壊するかも・・・

「白癩」にしろ「スシュルタ・サンヒター」にしろ多分に想像が必要になって、勢い妄想ばかりやっていて人格の崩壊を招きそうになり、一週間ほど前の土曜日に義弟が来訪したのを利用して、午後一時から夜中の十一時まで、10時間焼酎を呷りました。このところ日本人のノーベル賞が多いのは日本的な文化が土壌に有るからだと言います。私はしばらくアレコレ考えましたが「そんな馬鹿なことは無い!」と一蹴しました。

大体日本的な文化って何なのか。そういうものが有るのか、そもそも文化的なもの(最初は漢字や仏典でしょう)は先ず大陸からの輸入ものではないか。その後の鎖国は「日本的な文化」を育んだと言えるのか、開国後の外来文化の取り込みがなかったら今の日本の文化程度はどうなっていたのか、そういう輸入雑貨を取り入れて自家薬籠中のものに練り上げた上質の「日本的な文化」が有るとして、有るとしてもです、それがノーベル賞(最近多いのは物理学です)にどう寄与していることか、カミオカンデやクォークの仕事にどんなプラスを齎していることやら。そんなことを思って一蹴したら、腹を立てて掴み掛かってきて、とんだ修羅場が展開・・・するわけがありませんよね^^。とにかく10時間飲んだのは何十年ぶりかでしょう。お陰で人格崩壊は何とか免れた気がします。

冒頭の一節は、「歴史の夜咄」という本で司馬遼太郎さんが言った言葉です、これには本当に救われる思いがしました。司馬さんでもそんな感じに襲われるのだからチッポケな自分が少しおかしくなるのも無理はないんだなあ・・・と・・・^^

それにしても、「日本的な文化」って一体何でしょう。これは外国に数年以上住んであちらの文化ゾーンに浸りながら考えないと、本当に自信を持って把握するのは難しいと思います、思いますがそれで逃げるわけにはいきませんね。ノーベル賞クラスの仕事の土壌になるような「日本的」なものって何だろう、義弟は何を言いたかったのだろう。

当事者である小柴昌俊ご本人の奮闘記「本気」になって自分をぶつけてみようは読んだけれどそんなことを考えさせられなかったし、ならば、それは武士道だと指摘する藤原正彦氏の「国家の品格」を読み返してみれば、何か気付くかも知れません。

いやはや、窮すれば人の褌で相撲を取りたがるという悪い習性はおいそれとは払拭できません・・・^^
 

Re: 春眠暁を覚えずとやら・・・

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 4月19日(日)15時16分53秒
返信・引用  編集済
  > No.4319[元記事へ]

> 只今、春眠中です・・・そんなの有ったかなあ・・・^^
>私は少し心を病んで・・・半冬眠・・・そんなの有ったかなあ・・・

どちらかにお決めになって下さい。処方箋がお出しできませぬ(^^)。

> 鸊鷉(こんな字を探して来て喜んでいます^^)は今年も去年の巣の近くに4個の卵を・・・

「かいつぶり」ですね。はい。処方箋は不要のようです。
経過報告をお願い致します、いえ、リベルさんではなくて「かいつぶりさん」のです(^^)。

カメラが桜散る日から入院中です。春の花は次々に咲くのに(涙。。。)
これは去年の写真です。
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

>経過報告をお願い致します、いえ、リベルさんではなくて「かいつぶりさん」のです(^^)。

はいもちろん。昨年突然舞い込んできたカイツブリが今年も又産卵しました。都会の騒音の中で健気に生命を繋いでいく小鳥たちの逞しさに、私は学ばなければいけません。

名手のカメラが、一刻も早くお手元に戻って来ますように・・・(^^)(4.19 17:51)
 

春眠暁を覚えずとやら・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月19日(日)01時40分34秒
返信・引用  編集済
  只今、春眠中です・・・そんなの有ったかなあ・・・^^

春眠不覺暁
處處聞啼鳥
夜来風雨聲
花落知多少
       孟浩然

もうボタン桜も散り始めました。
鸊鷉(こんな字を探して来て喜んでいます^^)は今年も去年の巣の近くに4個の卵を・・・私は少し心を病んで・・・半冬眠・・・そんなの有ったかなあ・・・

http://image.blog.livedoor.jp/shoart/imgs/f/b/fbb730f1.jpg

 

Re: ニジェールのハンセン病ポスター投稿

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月18日(土)15時22分26秒
返信・引用  編集済
  > No.4317[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

 厚くお礼を申し上げます。アヴァンギャルドというので、前だろうとは思っていました。向こうからエイズを気をつけろという予防の歌も送ってきましたが、フランス語でした。

 宗主国はフランスですね。

 大学時代にラテン語をとったのですが、向こうの言葉は難しくない。主語に動詞をつければよい、などと物騒なことを言っていました。あはは。

 フランス語はわからない Ichiro

 ●4月19日記入:追加 小生の掲示板に同じポスターですが、ミャンマー語のが投稿されました。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんにちは。

>大学時代にラテン語をとったのですが

私は定年後モーツアルトの「レクイエム」の絶筆(?)「涙の日」を原語で唱いたいと思って羅和辞典を買って、頑張りましたがものになりませんでした。ダメですね。

まあ、この年になれば出来ないことは出来ないことと、スッパリ切り替えることが必要なのでしょうね。今更高い木に登って天下を見渡そうなどとは、思う方がいけないのでしょう・・・。

天下国家を論ずるより、今は人の心をジックリ見詰めたいと思っています・・・^^(4.18: 17:25)
 

Re: ニジェールのハンセン病ポスター投稿

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月18日(土)13時05分42秒
返信・引用  編集済
  > No.4316[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事。

> ニジェールから、ハンセン病関係のポスターの投稿がありましたので、ご覧ください。

土曜日の昼下がり、楽しい時を過ごさせていただきました、有難うございました。

先ずお得意の無手勝流で、挑戦します。下のマークは他ならぬ「WHO」のマークであることは一目瞭然、であれば「organisation」は英語と同じで、「monde」は地球ですから「sante」は英語の「sanitary」で辻褄が合います、「World Health Organization」。

「C'est」は「C'est Si Bon」だから「It's」。「possible」は英語と同じ。「avec」は「アベック」の語源で「with」。まではよいのですが「PCT」は「MDT=多剤併用療法」のフランス語だろう、でウィキペディアの「ハンセン病」へ行って、左側の「Fransais」をクリックするとフランス語のサイト、そこで「PCT」をページ内検索すると「polychimiotherapie」、1981年ですから間違いない。(参考:poly=多い」、「chimiotherapie=化学療法」)

「AVANT」と「APRES」は「アヴァンゲール」と「アプレゲール」から想像して「使用前」、「使用後」。「traitement」=「treatment」でしょう。「dans votre」は「in our」でしょう、「centre」=「center」と来れば、「GRATUIT」は「無料」ではなかろうか?

そこで仏和辞典の登場です。「無料」は合っていました。一番上は「GUERIR」でどうだ。はい「治す」でした。「ハンセン病を治しませんか?」というポスターでした・・・。

フランス語もそう難しくはありませんね・・・^^


ポスター
 

ニジェールのハンセン病ポスター投稿

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月18日(土)10時29分49秒
返信・引用
  ニジェールから、ハンセン病関係のポスターの投稿がありましたので、ご覧ください。

 http://9105.teacup.com/ichiro/bbs?BD=9&CH=5
 

ハーメルンのネズミ捕り男とハンセン病

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月16日(木)19時49分39秒
返信・引用
  ハーメルンの鼠捕り男 -感染症の立場から- 滝上 正

 日本医事新報 4185,39-41,2004-7-10

  鼠城はビンゲンとコブレンツ(数年前にいったら、ベルリンの壁があった)の中間にある、ライン川の川中島に建った小さな城である。1284年ハーメルンの町に鼠捕り男と自称する色彩模様の服を着た不思議な男が現れた。当時荒らしまわっていた鼠を退治してみせると申し込み市民(参事会)は報酬を約束した。男は手持ちの笛を吹き、町中の鼠が川にとびこみ溺死した。しかし参事会はお金が惜しくなり、払わなかった。
 彼は笛を吹き、ついてきた子供130人はいなくなった。

 滝上先生は色々考察しておられる。先生の考えによると、当時収容されて(消された)ハンセン病の患者を意味しているのではないかという。

 ●私は本当かどうかわからない。ドイツは魔女裁判をやった国だから、やりかねないか。ユダヤ人もやったし。
 
    (リベル) Ichiroさん、おはようございます。

「ハーメルンの笛吹き男」って聞いたことはありましたが、ウィキペディアを読んでみました。

この浦上説は少しどうかと思います。私は賛成いたしません・・・(^^;)(4.17 08:11)
 

余談:他のサイトが金メダル

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月16日(木)18時31分11秒
返信・引用  編集済
  これで不思議なのが本人が余り感動していないことなのです。Yahoo!でも一位なら「エッ!」と思うでしょうが、Yahoo!ではベスト100にも入っていません。「歴史年表」ではでもベスト10入りしている、これも不思議というか、冷静に考えて「web検索」そのものの信頼性を問いたくなってきます。

ちなみに「ハンセン病」で検索するとGoogleでは万年三位、Yahoo!では20位前後です。Yahoo!の場合は選定に人間の判定が加わっているそうですから、私は公正ではないと思っています。私のサイトはトップページが「サイトマップ」化していますから、減点の対象になるのだそうです、まあ、どうでもよいのですが、本当に。

不思議は有るにしても「人名歴史年表」が強豪「ウィキペディア」を退けたことが、なにより快いのです。記念に画像を撮影しておきました。

勝手に祝杯を挙げています。まあ、何だかんだ言ってもとにかく1億6千6百の内の、トップに立ちました。正直言って、嬉しいのが当たり前で・・・^^
 

村田茂助先生について

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月15日(水)05時50分2秒
返信・引用  編集済
  村田茂助先生に関するLetter to the Editorを書きましたので読んでください。

 簡単です。ここで一番新しい号にでています。出ましたら右をクリックして下さい。

 http://www.leprosy-review.org.uk/

 題は Mosuke Murata, the Designator of Erythema Nodosum Leprosum

  Lepr Rev 2009,80,92-95.

  焦点の甘い写真付ですぞ。(ペコリペコリ)論文の最初の所のコピー付き。

 感想:昔と違って今は全部電子投稿であるので、タイヘンだ。

  ●後で投稿:アッ 簡単なことです。ネツコブのことをラテン語でErythema nodosum leprosum らい性結節性紅斑と命名した先生です。古い話です。もう一人の村田先生も有名ですが、さすがのJoplingも 後者の村田先生が亡くなりどなたかが雑誌に書かれた際に、前者と間違われました。全生園は最初は医師は3名でスタートしたことがわかりました。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんにちは。

要するにこれですね。

しかし、内容は専門的すぎてサッパリ分りません、ごめんなさい・・・^^;

「another leprologist 村田正太」のことは私もこちらに取り上げていますが・・・。(4.15 12:28)
 

余談:羽生マジックの凄さ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月15日(水)04時19分38秒
返信・引用  編集済
  いやはや今まで3時間余り、YouTubeで興奮の渦に巻き込まれてもう徹底的に疲れました。もう1年半前のNHK杯テレビ将棋トーナメントでの羽生善治二冠(王座・王将)と中川大輔七段の一局です。将棋史上に残る大逆転劇です。

将棋に興味のない方は、最初の方は視る必要はありません。二つ目の方の3分少しのところで、羽生氏が勝ちに気付く場面があります。それを見逃さないでください。そのまた3分後、そうです6分30秒丁度の辺りで解説の加藤一二三氏が突然「アレッ!」と素っ頓狂な大声を出して騒ぎ始めます。

この一局を繰り返し見ていて強く思ったのは神の存在だと言うと笑われそうですが、言い換えますと羽生氏の将棋は芸術の域に達していると、これも笑われそうですが。芸術家が良い作品を生み出すときは実は神が乗り移ってそうさせるのだと言うのが私の持論なので・・・お許し下さい。先程神の姿を少し見ました・・・加藤さんも言わなかったのですが「▲9八角打」の瞬間に・・・羽生氏は、まるで自分の意志ではないかのように、投げ出すように駒を置いたのです・・・。




 

「ハンセン病人権啓発大使」委嘱状交付式について

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月14日(火)07時17分47秒
返信・引用  編集済
  外務省のHPの「報道・広報」のプレス・リリース「ハンセン病人権啓発大使」委嘱状交付式というのが出ています。日本財団の笹川陽平会長が中曽根外相から頂戴しておられます。自身の名誉などに目もくれない、ひたすらな努力に対してのご褒美でしょう(^^;)

ハンセン病差別解消にむけての国際社会における日本政府の取り組みが、まさに瞠目に値する素晴らしい成果を収めているということは、衆目の一致するところでしょうから・・・^^。


今日は朝から皮肉三昧・・・やなじじいですな・・・プッ・・・。
 

Re: おめでとう菊池恵楓園

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月13日(月)12時49分50秒
返信・引用  編集済
  > No.4309[元記事へ]

素晴らしい。半月で15も増加しました。

 小生のnewsletterは1月末発行のようでした。

  再度チェックしましたが、多磨全生園と長島愛生園、それと菊池恵楓園が認定ずみです。
 

おめでとう菊池恵楓園

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月12日(日)21時19分36秒
返信・引用  編集済
  日本医療機能評価機構が発行しているNewsletterを入手しました。

 >昨年の12月と今年の1月に認定した病院に国立療養所菊池恵楓園(熊本県)が入っていました。おめでとう。

 すでにいくつかのハンセン病療養所は認定されていることは、以前にIchiroの掲示板で示しました。多磨全生園と長島愛生園だったかと思いますが、ちょっと自信がない。

  少々疑問に思うことがある。一般病院として認定されているが、仕事というか性格というか、一般病院とはえらく離れている印象があるが、一般病院であろうか。なお、他に精神病院、療養病院の分類もある。

 勿論認定を希望していない病院もあるが、全国8832病院の中、認定は2540(28.8%)である。

 母集団が不明であるが、独立行政法人国立病院機構は32.7%、国立大学法人は91.4%、その他の国立3.8%(菊池恵楓園はこれに属する)、都道府県立 56.7%、市町村立、37.0%、日赤78.3%、厚生連 47.5%、その他の公的病院 28.6%、全社連 76.9%、健康保険立 42.9%、共済組合立 66.7%、その他の社保立 100%、公益法人 40.1%、医療法人 23.5%、会社 56.5%、その他の法人 28.4%、個人 5.7%

  ●追加:私のところの阿蘇温泉病院ももちろん認定であります。すでに2回を終わり、3回目受審中である。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

お知らせ有難うございました。

>全国8832病院の中、認定は2540(28.8%)である。

日本医療機能評価機構のページによると2月16日現在の認定数は2555になっていますが・・・?(4.12 23:51)
 

Re: 桜が・・・

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 4月12日(日)14時49分33秒
返信・引用  編集済
  > No.4306[元記事へ]

> > 散らないうちにお戻りくださいますように。

> 只今帰って参りました。というより厳密には完全再生を諦めたのです。

ご苦労さまでした。わたくしならとうに頭がパンクしていたでしょうね。
パソコンに強い友人に、以前はわからないことがあると、相談していたものでしたが、
「まずは寝てしまえ。朝になってから考えろ。大方は解決している。」という
無責任な名言(?)もありました(^^)。

では、元気が出ますように。とびきりの美女を。
「忘れえぬ女(ひと) イワン・クラムスコイ 1883年」
 
    (リベル) あずきさん、こんにちは。

イワン・クラムスコイという画家も「忘れえぬ女」も初めて知りました。なんと「北方のモナリザ」とも称されるそうですね。とびきりの美女を本当に有難うございました・・・^^(4.12 18:07)
 

Re: 厚労省の「ハンセン病の向こう側」

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月11日(土)06時43分10秒
返信・引用
  > No.4304[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  優生保護法は母体保護法になったことを書かなくちゃ。(某有名教授の講演でも間違えていた)

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、おはようございます。

PDFの5頁目の「優生保護法」(1948年)のことですね。これは1996年に改正されて「母体保護法」になり「癩疾患」の条文と「優生手術」の項が無くなりました。(参考

このPDFではそのことに触れていませんね・・・(4.11 07:27)
 

Re: 桜が・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月11日(土)02時42分2秒
返信・引用  編集済
  > No.4297[元記事へ]

> 散らないうちにお戻りくださいますように。

只今帰って参りました。というより厳密には完全再生を諦めたのです。

実はこうだったのです。私は「Acronis」というバックアップソフトを使っているのですが、復元する場合は一旦ハードディスクを購入時の状態にしてから行うべきなのです。それは既に一度実施して完璧に成功していたのです。それで増長していたのでしょうか、先日は全くウッカリ現状のままのHDDに復元の操作をやってしまったのです、購入時の状態に戻さないでです。それでHDDは吃驚してしまって、Dドライブを破壊消去してしまいました。消えてしまったのです。そこでやっと自分のやった粗忽に気付いたというお粗末さ加減です。

富士通のサポート嬢に電話して、Dドライブを再生して貰いましたが、「はい、内容は一切消去されます」という非情な一言付きでした。実は1〜3万円で内容を復元する方法はあるようなのですが、「えい、壊れたから買ったと思えばそれまでよ、新学期だしなあ」と変な理屈をつけて、自分を納得させました、という次第なのです。

ウームやはり納得するまでに数日かかったのですね。梵語と仏典関係の相当なデータをDドライブに蓄積していましたので・・・。「外付けHDDにバックアップしてあったデータを初期化したDドライブに戻せば良い」と気付いたのは、遅かりし由良之助のタイミングで、諦めてかなりの復興工事を進めてからだったので、触らぬ神に祟り無し(こんなに腰が引ける程ショックが大きかったのでしょう)と結論を下したというダラシナイ次第です・・・(恥)


こんな古木なのです、近付くと。相当なものでしょう・・・^^
 

何故厚労省はこうなんだろう???

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月11日(土)01時25分45秒
返信・引用  編集済
  「免疫の意味論」は会社にいた頃読みました。「免疫」って何なのかを初めて教えてくれた異色の科学読み物でした。その多田富雄氏が重度の障害を負われたことは、聞いていた程度で詳しいことは何も知らなかったのですが、今日本屋で「寡黙なる巨人」というのを立ち読みして、全てを知りました。

おお、そうだったんだ、と他人事ではありませんでした。お隣さんは元大会社の役員ですが、脳梗塞で倒れられ一旦は寝たきりを宣告されたのを意志力とリハビリで殆ど普通の身体に戻されましたが、意志だけで直せる場合は希有だそうです。

多田さんは熊本地裁判決の9日前に倒れられました。リハビリで何とか歩けるところまでやって来た2006年「診療報酬改定」と名付けた医療制限が始まります。小泉改革の落とし子です。都立病院では約七割の患者さんが治療を打ち切られるという非常事態に追い込まれたそうです。知りませんでした。それから多田さんの厚労省との闘いが始まりました。

厚労省を私は何も目の敵にする理由は無いのです、が、なのにやることが非道すぎる、関西弁では「エゲツナイ」と言いますが正にそれです。熊本地裁の判決後のあの醜い巻き返しの再現を、悪夢のように見せつけられます。「あとがき」の最後の4頁(1)(2)をお読みください。「国家犯罪」はいつまで続くのでしょう・・・嗚呼・・・(-_-;)
 

厚労省の「ハンセン病の向こう側」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月11日(土)00時56分16秒
返信・引用
  生徒用指導用が出来ています。

こちらは平成21年度ハンセン病対策別予算の概要です。
 

「白癩」についての間違いを発見

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月10日(金)04時04分45秒
返信・引用  編集済
  昨日突然「白癩」について妙な疑問が浮かんできたのです。日本に初めて上陸したのは「法華経」によってであると思っています。これは正しいと思います。つまり仏教公伝の538年か552年です。「法華経」の中では「此人現世 得白癩病」というように記述されています。

「妙な疑問」というのは、この「白癩」の用い方はいわゆる「現報」ではないかということです。この記述の前に来る文章の書き下ろし文は・・・

「若し復是の経を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、」

であり、植木雅俊氏訳の現代文では・・・

「また、このような経の極致の受持者である男性出家者たちに、非難の言葉を聞かせるところのものたち、それらのものたちの身体は、実に現在において斑点が生ずるであろう。」

となっています。簡単に言えば「僧侶をバカにすると罰が当たるよ」と言っています。つまり現世の報いすなわち「現報」です。私は2月10日にこのように「白癩」を定義しています。

@皮膚が白くなるハンセン病=「少菌型=PB型(I群、TT型)」のハンセン病(「びゃくらい」と読む場合)

A白癜(しろなまず)=leucoderma、 vitiligo(「しらはたけ」と読む場合)

B本来の「病名」から離れて転用された場合=かたい誓い・決心の言葉として用いる語や不意の出来事に驚いて発する語

これは間違っていました。Cとして、単に「恐ろしい病気」とか「業病」とかの代表として「白癩」を用いているケースを立項しなければならないのです(念のためですが「ハンセン病」は「恐ろしい病気」でも「業病」でもないことは言うまでもありません)。上の「妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八」の中の「白癩」はまさにそのケースです。

「現代宗教研究」の151頁の最後の三行にご注目ください。同じ巻にある「律蔵経典群に見られる耆婆の治療法」も読み返しました。耆婆(ジーヴァカ)はB.C.6世紀頃の人で丁度釈迦と同時代に生きて交流がありました。耆婆のその頃の話題を取り上げた経典では、「白癩」や「癩」を単なる皮膚病の一つとして扱い、「業病」としては扱っていなかった、しかし「大智度論」(龍樹(ナーガールジュナ)によって150年〜250年頃書かれたとされています)のころには「業病」としていると上記の三行は言っています。なおこのPDFの154頁の4〜6行目では仏典の中に於ける取り扱い方が「業病観」や「遺伝説」を決定づけたかのように説いてありますが、私はそれは短絡的に過ぎはしないかと懸念します。もう少し慎重に考えて行く積もりです。

仏典の中で「白癩」は当初は単なる「病気」として扱われていたが、その内に「業病視」されるようになったのです。なので、この点では仏典を一括りにしてはいけないのです、(私は危うくそうしかけていたのですが)「全ての仏典は白癩を業病として扱って来ました」、などというように。私は今書きかけている「白癩について」は勿論、前から書いてきた「法華経」などについての文章も、全て見直さなければなりません。ああ大変だ大変だ・・・と思わないで、のんびり直して参ります・・・^^

明らかに中途半端な言説や間違いを放りっぱなしで死ぬわけにはいきませんから・・・(>_<)


冬見るとまさに朽ち果てんばかりの古木なのですが、春になると見事に咲かせています・・・^^
 

私の一部が壊死しています

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月 8日(水)05時52分50秒
返信・引用  編集済
  いま「ショーシャンクの空に」と言う映画を見終えました。これで3回目だと思いますが今日の感想は以前とは違うと思うのでこれを書いています。刑務所の塀の中と外とどちらに本当の自由があるのか。フィガロの結婚が所内に流れるシーンは相変わらず感動的でしたが、それを聞いているときの彼等囚人達と今の自分と、果たしてどちらが開放感を、「自由」を感じているのだろう。

会社に拘束されず毎日が日曜日である私は、「自由」なのか。何かに縛られているのではないか。時間や空間を束縛されないことが「自由」なんだとするのは勘違いなのではないか。心が空を飛び海を渡っている、心が音楽に奪われている、何かが知りたくてウズウズしている、何かをしたくて楽しみでしょうがない、本当の自由はたとえ身体が拘禁衣で縛り上げられていても、隔離房に閉じ込められていても奪われるものではない。「アンネの日記」のアンネも、アウシュビッツのフランクルもそうだったのでしょう。

今の私はと言えば、パソコンのデータの消失に一喜一憂したり、「白癩について」が纏まらなくてイライラしたり(これはないか)、連れ合いの不幸を恐れたり、いやこれって何なのでしょう。つまりはとても「行雲流水」の如くではない。そうなのです、何かに「こだわり」が有る、それって本当の自由ではないですよね。ああしない方が良い、こうしたほうが良い、だなんて・・・。心の一部が壊死しているのでしょう。

なら湖に浮かぶ白鳥は自由なのか?大空を舞う鷹は自由なのか?彼等も自由ではないと私は思うのです。泳がなければいけない、飛んでいなければいけない、餌を探して食べなければならない、休まなければいけない。では自由であることは生きないことになりますか。変な哲学を語り始めてしまって、弱ったことになりました。

しかし、しかしです、私はそんな風に自由に生きていた人間を知っています。別に名前を書いても良いでしょう、粟谷という親友でした。奴はやむを得ず飯を食っていました、面倒臭そうに。そうだ彼は本当に自由に生きていました。60歳になる前に胃潰瘍で死んでしまいましたが、決して自由に生きたせいで若死にしたわけではありませんでした。思うに仙人などは本当に自由なのでしょうか・・・。いや粟谷は普通のサラリーマンでしたが・・・。いや本当は奴は仙人だったのかもしれない・・・^^

まとまりなく書いてしまいました。纏めようとするのも・・・「自由」ではないから・・・^^

んなことを考えさせる映画でした。映画って良いですね・・・^^


モーガン・フリーマン
 

パソコンの一部が壊死しました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月 7日(火)23時57分58秒
返信・引用  編集済
  ようやく、皆さんに返事が書けるようになりました。現在もサンスクリット語と仏典に関する大量のファイルが行方不明で、目下対策を検討中なのですが。今回のクラッシュが過去最高の打撃でした。

理由は二つ有ります。正直呆けてきているので、どういうドジを踏むか分からない。だから最強のバックアップ体制を整えてきました。外付けのHDDを備え、最強のバックアップツールと言われる(?)「Akronis」でバックアップをし、大事なデータは全部Dドライブに保存して二重のバックアップをしていました。打撃の一つはこの体制が完全に機能しなかったことです。そしてそれが自分の不注意が原因だったということです。細かいことは未だ書けません、ショックが大きすぎて・・・^^

もう一つは、打たれ弱くなっている、これが二つ目の理由です。だからショックが倍増するのだと思いました。同じ強さのパンチでもこちらの腹筋が弱ってくればダメージが大きくなる、その原理です。

今白川静氏の「漢字」と松岡正剛氏の「白川静」を読んでいますが、なんと白川さんは「常用字解」を93歳でお出しになっています。私のほぼ20年後です。なに、こうしてはおられないぞぉっ・・・^^


故白川静さん
下の講演は92歳の時(2003年2月7日)のものです。「1」を「2」に変えれば後半が聴けます・・・合わせて1時間ですが・・・^^

http://f-i.pref.fukui.jp/ram/030207hurusato-kouen1.ram

 

スピナロンガ島の文献

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月 7日(火)13時04分41秒
返信・引用  編集済
  後藤正道先生のご紹介の本です。封印の島(上・下)ヴィクトリア・ヒスロップ著  中村妙子訳みすず書房 2008
 実は読んでいないのであるが、スピナロンガ島の恐らく唯一の文献の抄録を書きます。

 Spinalonga- Paradise or Purgatory ? by Beryl Darby  The Star 46,1,1986, September/October  6-9, 16.

 クレタ島のスピナロンガ島は要塞があった離れ島である。1903年領主がらいをそこに遺棄する島と指定したので、島に住んでいたトルコ系の人々はすぐ離れてしまった。続々と患者が送られてきた。食料と水は届けられたが、とんでもない状態となった。耐え切れないと、拒否したこともある。医師はきたことがない。(定住の意味のようだ)薬としては大風子油を使った。
 しかし新しい患者は続々送られてきた。その中には弁護士、教師、色々なものを作るcraftsman,高校で勉強した若者もいた。若いリーダーとしてJoseph Pavlakisがいた。彼は神学を学んだ神父であった。
 彼は人々を幾つかのグループに分け、家を修繕するグループを作った。水は屋根から雨水を集めるシステムである。水路(水道)も作った。●水が大事なことであるが、Ichiroは少々判らないことがありました。
 医師も後では訪れたようだ。壊死をおこした四肢のどれかを切り落とした。若者は結婚するし、教会で結婚式を挙げた。オーソドックス教会もできた。あとでは小さいダンスホールが出来、また、劇場もできた。当然、らいに対する誤解偏見はなかった。
 先の大戦では、クレタ島は占領されたが、スピナロンガ島には兵士はこなかった。1948年政府により2階建ての建物が建てられた。24の個室と4つの食堂があった。
 その後、患者が全員ギリシアに帰還したのであるが、30名が1957年に帰還した。6名は現在(1986年)でも生きているが、その一人はJoseph Pavlakisであった。最後に著者は尊敬と賞賛に値する彼に会えたことを光栄に思う、と結んでいる。

 ●最後の所を一部訂正しました。

 ●●後で記入:彼の写真でも出ていればイメージが湧きますが。この島は西洋のモロカイ島とも言われるのだそうで、名前だけは知られているようです。上に書かれた小説はおそらく、この文献は読んでいるだろうと思います。

 ●●突拍子ないことかもしれないが、24の個室というのは気になりますね。私の尊敬するJoplingの古城を改造したJordan病院も24の個室があった。(男性16、女性8)
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

お恥ずかしいことですが、私は「スピナロンガ島」のことは初めて聞きました。Joseph Pavlakisとう人のことも。Ichiroさんの勉強熱心には、ただただ頭が下がります・・・(^^)(4.7 23:30)
 

夢には

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 4月 7日(火)11時24分51秒
返信・引用  編集済
  リベルさんの夢の話で思ったのですが、リベルさんの趣旨からちょっとずれてしまいますが。
わたしは夢をよく見ます。教会のカウンセラーが、「神は夢を通しても語られます」といいました。つまり夢を通して教示されることがあるという意味だと理解しています。
聖書に神が人に夢を通して語られた話がいくつかあります。イエスの裁判でローマ総督のピラトに彼の妻が「正しい人(イエス)に関わらないでください。あのひとの苦しい夢をみました」というメッセージを送りました。それは夢を通して神が語られたものだと解釈しています。
夢には重大な警告や、貴重な神からの伝言が含まれていることもあり、真実な自分の姿が見せつけられることもあると思うのですが。人は夢を見ますが、語らなければ、人は誰もその人がどんな夢を見たのかわかりません。が、超自然的な方は、その夢を企画し製作し、神秘的な不思議な方法を用いて、人に語られることがあるのではないでしょうか。また聖書的な話になってしまいましたが、夢だからといっておろそかにできないこともあると思いました。
掲示板は不特定多数の方が閲覧されますが、非現実的な話で、精神異常者の妄想かとお思いの方もおられるかもしれませんが。神だの聖書引用など、わたしの話に違和感を持たれる方があるかもしれませんが、ご容赦ください。
 
    (リベル) エリカさんこんばんは。

>掲示板は不特定多数の方が閲覧されますが、非現実的な話で、精神異常者の妄想かとお思いの方もおられるかもしれませんが。神だの聖書引用など、わたしの話に違和感を持たれる方が・・・

私は最初、皮肉を仰有っているのかと思いました。「神だの聖書引用など」(それに私の場合は「kuṣṭha」だの「kilāsa」だのと)などというのは私の専売特許ではないかと思っていたほどですから。

出来るだけ短く言おうとすると「夢は神の啓示である時がある」。私は心からそう思っています。聖書も仏典も神も極めて身近に感じられるようになれれば良いのになあと、実は日頃思っています。なかなか出来ないのですが・・・(^^;)(4.7 23:11)
 

余談:泣いて馬謖を斬る

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月 6日(月)23時29分10秒
返信・引用  編集済
  私は滅多に会社員時代の夢を見ません。それだけダラケた社員生活を送っていたのかも知れないと思い始めました。先程珍しく会社員の時の夢を見ました。オフィスの一隅、有る事件で有名なAがやってきて、私の上司Bに一言二言、Bは深く頷いて、Bが去った後私を呼びました。そして今Aが某事件のことで「無駄話」をして行ったよと言いました。

某事件というのは、不可抗力でCが巻き込まれた問題で、その上司であるAがCの会社員人生を運命づけかねない判断を下して責任を取らせ、相当数の非難を受けていた事件です。AはしょっちゅうBのところへ「無駄話」に立ち寄るので、私は何故その日Bがわざわざ私を呼んでAの「無駄話」を告げたのか、不思議に思いながら自席へ戻りました。隣にさっきから来ていた尊敬する男が私の目を見ながら、珍しく悲しい目をして「そうなんだよ大槻」と言わんばかりに少し頷きました。

この時の情景が長い間妙な出来事として記憶の底に沈殿していたのですが、一挙に謎が解けました。お気付きのようにAは泣いて馬謖を斬ったのです。優れた企業戦士は企業の利益のため統制のためには、たとえ個人の人生を傷付けようとも、躊躇わず人を斬るのです。そして涙は絶対に見せてはいけない、切り捨てた人のために涙を流すのは、河原とか山の中とか誰にも見られない場所でです。また弁解をしてはいけない、人を愛していることを外に出してはいけないのです。企業の利益や統制のためにです。

思えば私は優れた企業戦士ではなかった。つくずく先程そう思いました。泣いていることも愛していることも隠すのが苦手では、戦士にはなれないのであることに今頃気付きました。そして馬謖だったことも・・・(^^)


馬謖を斬った諸葛亮
 

桜が・・・

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 4月 6日(月)17時17分43秒
返信・引用
  散らないうちにお戻りくださいましように。  
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

今からチョット変な夢の話を書いて、それから朝まで取っ組み合いを始めます、上手く行けば良いのですが・・・(^^;)(4.6 22:55)
 

ピンチ!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月 6日(月)12時12分39秒
返信・引用
  昨日遅くなったWindowsXPをサクサク速くするノウハウを教えるという「YOMIURIなんとか」の最終号を買ってきました。これを最後に廃刊するので、特別企画とやら。そこに書いてあったフリーソフトをDLして、大胆に大掃除を行いました。そこまでは良かったのです。「白癩について」を仕上げにかかって、熱が入ってきたとき「メモ帳」が出ないのに気付きました。やはり無謀で大胆な掃除が祟ったのです。何か重要なものを削除してしまっている・・・(>_<)

実は私は「Acronis」というバックアップソフトを導入していて、この凄い威力は経験済みなのです、完全に何もかも元へ戻してくれたのを覚えていました。しかし、それは「リカバリ」を行ったときのことだったのです。それを忘れて、「初期化」しないでいきなり「Acronis」を稼働したから堪りません。何だか滅茶苦茶状態になって、「OutlookExpress」の送信メールは全部消えるやら、相当数のソフトが無くなるやら、いや何より驚いたのは「C:」ディスクとか「D:」ディスクとかありますでしょう、その「D:」ディスクがマルマルどこかへ姿を消してしまったのです。

今日の午後から深夜にかけて「セットアップ」の作業に入ります。これに失敗すると、PCはしばらく使えない可能性があります。それで今こうして遺言を書いている次第なのです。壊してしまう可能性も有りますので。その時は新しいのが入るまで暫くおやすみしなければなりませんし。まあ、最悪の場合はネットカフェという手段は有りますが・・・。


なんとかスムースに回復することを祈るのみです・・・ではしばらく、失礼します・・・(^^)/~~~


頂き物です・・・^^
 

明治時代の沖縄県のハンセン病患者数

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 4月 5日(日)18時24分11秒
返信・引用  編集済
  最初のハンセン病調査の詳しい統計はどこにあるのかな。リベルさんに聞いてみよう。

 明治40年現在沖縄県らい病患者の統計がみつかった。

 那覇 患者戸数 50 患者数 43 (ちょっと意味不明であるがママ)
 久米島     14      9
 首里      65     44
 与那原     31     22
 糸満      40     25
 嘉手納    112     80
 名護      95     62
 渡久地     54     42
 宮古     108     75
 八重山     69     46
  合計     638    448

 資料:沖縄事始め・世相史事典 山城善三 佐久田繁 月刊沖縄社
 1983年

  ●後から記述:有難うございました。調べた人は巡査でしょうか。患者戸数と 患者数があり、前者の方が数が大ですね。一戸に一人以上患者がいましたら、逆でしょうが、今後の検討課題です。これがあるので、他県の詳しいのがどこかにあるかもしれません。
 
    (リベル) Ichiroさん、こんばんは。

一応調べたことがあります。この表がその結果です。

実はこれは私のオリジナルで、表に断ってあるとおり「厚生労働省統計、「復権への日月」378頁、「国立療養所史 らい篇」より信憑性の高い数字を選択」してあるのですが、この時は厚労省のHPのかなり奥の方まで探しに行きました。そして呆れたのですが年度によっては、複数の部局がそれぞれ患者数を公表します、が数字が違うのです。私達から見れば厚労省が複数の統計数字を出して来るのです。そんなこんなで苦労させられました・・・^^

何か新しい発見があったら、是非お教え下さい・・・m(_ _)m(4.5 23:53)
 

花見

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 4月 5日(日)09時52分43秒
返信・引用
  リベルさんもすでにご存知だと思いますが、朝日新聞にタイトル「差別乗り越え桜咲く」
関西在住の回復者の方と支援者との花見の様子が載っていましたね。
わたしは花見には行っていないのですが、スーパーへ行く道は桜並木になっているので、花見しながら通っています。
 
    (リベル) エリカさん、こんにちは。

私も朝日新聞ですので読みました。穏やかな風景が出ていましたね。私も毎日の散歩が「お花見」のようなものなので、特にどこへも行きませんでした。さて私は、来年も無事に花見が出来るのかなあ・・・^^(4.5 12:17)
 

右往左往?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月 3日(金)04時41分14秒
返信・引用  編集済
  いや、決して右往左往しているのではないことを、最初にお断りしておかなければ、お読み頂けないかも知れません。私は毎日歩きながら、或いはバス停で、バスの中で、ひたすら「白癩」の事だけを考えています。今日本と中国については何とか纏めたのですが「インド」にさしかかって又「壁」にぶつかったのです。その「壁」について書くと、少し面白いかも知れないと思って、書きます。

インドでの「白癩」って何だろう?という基本的な疑問がまず、有りませんか?私なりに「サンスクリット語とハンセン病」の中で出した結論は、「白癩」=「kilāsa」=「少菌型ハンセン病(白斑局面を示す)」でした。そこで思い出したのが2月18日のこの書き込みです。下の方の(3)だけお読み下さい。

この問題が放置してあったのです。これを解く鍵は既にその時書いていますが、P.V.Sharma氏が「kilāsa」も「śvitra」も「vitiligo」と訳していることが明確な間違いです。でもまあ、無理もないかという材料が出て来ました。こんなサイトがあります。そこにはこんなことが書いてあります。

「As the skin gradually loses its color, patch by patch, other people may treat someone with vitiligo like a leper, thinking they have a contagious skin disease. In fact, vitiligo is called "white leprosy" in India. Women with it are often discriminated against in marriage. If they develop vitiligo after marriage, it can be grounds for divorce.」

インドでは「尋常性白斑」を「白癩」と呼んで離婚の原因にもなるそうなのです。そんな風土で育ったSharma氏なのだから、間違うのも無理はない、などと言っては学問的厳正さを欠く、とお叱りを受けるかも知れません。でも「スシュルタ・サンヒター」で虐め倒された私の口からなら、多少大目に見て頂けるかも知れない、などと甘いことをでも真面目に考えています。

このページをご覧ください。サンスクリット語で「white leprosy」を表わす単語が如何に多いか、驚くほどです。それも恐らく上のような風土の然らしめるところなのではないでしょうか。なんとなく、しかし大いに、ホットさせてくれる一行でした・・・。
 

(無題)

 投稿者:北風  投稿日:2009年 4月 2日(木)14時45分41秒
返信・引用
  >ノウハウを少し伝授して差し上げられたら・・・あ、ライバルになるのか・・・ではいけませんね・・・

データベースの価値は中身ですから、いくらでもお教えしますが、聞いてこないので。

http://www.tenro.net/lib_hansen/bbs_friend/light.cgi

 
    (リベル) おおっ!そうですね。「雑誌記事索引集成データベース」にお掛けになった情熱も、その中味の価値も良く存じ上げていますから、論外で御座いました・・・^^(4.2 17:15)  

書籍も雑誌も  Re: 書籍の検索

 投稿者:北風  投稿日:2009年 4月 2日(木)11時25分30秒
返信・引用
  > No.4290[元記事へ]

北風さんへのお返事。

> 北風さんへのお返事。
>
> > >「文献」のページに入れます。
>
> > となっていますが、現在は「書籍」のみ検索可能です。
>
> 同じ検索ワードを入れても、検索できたり、「お探しの書誌はありません」と出たりものすごい不安定です。
> テスト中ではないでしょうか。でも、ローカルなDBをネットで公開しただけだと思うんだけれど。

雑誌の所蔵も出た!?

要するに、雑誌も書籍も所蔵状況は出るのだが、その時々の状況で「雑誌説」と「書籍説」が出たんですね。
すると「雑誌」というのは「雑誌記事索引」を意図しているということですね。出来上がったら快挙。

http://www.tenro.net/lib_hansen/bbs_friend/light.cgi

 
    (リベル) 北風さん、今日は。

北風さんちには「雑誌記事索引集成データベース」という凄いのがありますね。ノウハウを少し伝授して差し上げられたら・・・あ、ライバルになるのか・・・ではいけませんね・・・^^

でも「愛生」と入れたら「図書」も「雑誌」も出て来るのです。要するに未完成なのでは・・・?(4.2 12:22)
 

Re: 書籍の検索

 投稿者:北風  投稿日:2009年 4月 2日(木)11時18分58秒
返信・引用
  > No.4289[元記事へ]

北風さんへのお返事。

> >「文献」のページに入れます。

> となっていますが、現在は「書籍」のみ検索可能です。

同じ検索ワードを入れても、検索できたり、「お探しの書誌はありません」と出たりものすごい不安定です。
テスト中ではないでしょうか。でも、ローカルなDBをネットで公開しただけだと思うんだけれど。

http://www.tenro.net/lib_hansen/bbs_friend/light.cgi

 

書籍の検索

 投稿者:北風  投稿日:2009年 4月 2日(木)10時34分11秒
返信・引用
  >「文献」のページに入れます。

ということで、拝見しました。

>現在は雑誌のみ検索可能なようです。

となっていますが、現在は「書籍」のみ検索可能です。
「雑誌」というは、雑誌検索へのリンクだと思います(現在は「工事中」のようです)
しかし、ちょっと変なのは「谺雄二」で検索すると、「タイトル欄」に「朝日ジャーナル 第23巻第40号通巻1181号 」が出てきます。
これは、記憶ですがなんかの賞をとった詩にたいし谺さんが異議を唱えた投書だったと思います。これは、本来、雑誌記事に入るべきものでしょう。
ただ「雑誌」が出来ても、記事索引はまだでしょう。雑誌の所蔵のみの検索になると思います。tamaさんはじめ、いろんな人が総目次を作っているのですから、ご協力を願って「記事」の検索できるDBを構築したらいいのに。

http://www.tenro.net/lib_hansen/bbs_friend/light.cgi

 

Re: ハンセン病資料館図書室蔵書検索

 投稿者:しゅう  投稿日:2009年 4月 2日(木)06時46分27秒
返信・引用  編集済
  > No.4286[元記事へ]

tamaさんへのお返事。

> いつからか知りません、いまごろ気がつきましたが、ハンセン病資料館図書室の蔵書検索がインターネットでできるようになっていました。ようやく図書室が少し身近になります。
>
> ところで、4月1日から運営母体が変わるに伴って、一時期休館するといううわさをどこかで耳にしたので気になって確認しようと、ハンセン病資料館のホームページを見ても、そのようなことは書いていない反面、来館案内つまりカレンダーのページなどいくつかのページが閉鎖されていて、実際にどうなのかは行ってみなければわからないという状態です。


ニュースですね。
tamaさんお知らせありがとうございます。
検索へ私も行って見ました。
「雑誌」となっていますから、いまは雑誌のみ検索できるようですね。
随時、広げて行くのではないでしょうか。
tamaさんが仰るように、少しずつ身近になりますね。

2ヶ月ほど休館の噂を私も耳にしましたので、先週、知り合いの学芸員に問い合わせましたら、長期の休館は無いという返事でした。
一般に問い合わせができないのはイケませんね。
 

余談:牡蠣御飯

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月 2日(木)03時06分32秒
返信・引用  編集済
  到来物の牡蠣を牡蠣フライで堪能して、今日は牡蠣御飯。ミツバが載っているのが「いいなあ」と言ったら「はりしょうがでもいいのよ」と言う。「針生姜」のことだとピンと来なくて・・・

「なにそれ」
「針のように・・・」
「あ、千六本みたいなものか。ハリセンボンて何だっけ」焼酎が回っています^^
「のーますっじゃないの」
「ハリネズミっているなあ、あれってどこに住んでるんだろ?」
「知らない。ヤマアラシなら山に住んでいるんでしょ」


牡蠣がヤマアラシまで行き着いたところで、「ハリネズミ」と「ヤマアラシ」の居住区が確かめたくなってしまいました。大辞林を引きました・・・

ハリネズミ・針鼠

食虫目の哺乳類。頭胴長約25センチメートル。体形はネズミに似るが,吻(ふん)が突出し尾が短く,全身に短い針が密生する。地上で生活し,敵に出合うと体を栗のいがのように丸めて身を守る。夜行性。ユーラシア大陸各地の平地や山林に分布する。日本にはいない。

ヤマアラシ・山荒・豪猪

齧歯目のヤマアラシ科とアメリカヤマアラシ科の哺乳類の総称。頭胴長40〜90センチメートル。体と尾の上面にはとげ状に変化した硬い長毛があり,これで敵から身を守り,ときには攻撃に用いる。ヤマアラシ科の多くは尾が短く,木に登らない。アジア・ヨーロッパ・アフリカに分布。また,アメリカヤマアラシ科のものは尾が長く,普通,木の上で生活する。南北アメリカに分布。(オーストラリアにも居なければ・・・^^)


どちらも日本には居ないのでした・・・^^「アジア」と書いてあるのですが、ウィキペディアで調べても・・・。
ハリネズミ(ヨツユビハリネズミ)はこちら。
 

ハンセン病資料館図書室蔵書検索

 投稿者:tama  投稿日:2009年 4月 2日(木)01時23分58秒
返信・引用  編集済
  いつからか知りません、いまごろ気がつきましたが、ハンセン病資料館図書室の蔵書検索がインターネットでできるようになっていました。ようやく図書室が少し身近になります。

ところで、4月1日から運営母体が変わるに伴って、一時期休館するといううわさをどこかで耳にしたので気になって確認しようと、ハンセン病資料館のホームページを見ても、そのようなことは書いていない反面、来館案内つまりカレンダーのページなどいくつかのページが閉鎖されていて、実際にどうなのかは行ってみなければわからないという状態です。

http://www.hansen-dis.or.jp/opac/book/

 
    (リベル) tamaさんこんばんは。お知らせ有難うございました。

行ってみました。「ハンセン病概説」と「施設利用案内」がパスワードを要求してきます。何か作業中なのでしょう。他はリンクできない場合、下のサイトマップから行けます。何か変更作業中なのでしょうね。

図書館の蔵書検索はよくお気付きになりましたね。私も全く知りませんでした。「文献」のページに入れます。ほんとうに有難うございました・・・m(_ _)m

と書いてから、実際に使ってみました。たとえば「らい予防法廃止の歴史」「大谷藤郎」で検索しても「復権の日月」で検索しても反応がありません。未だ機能していないのでしょうか。「雑誌」と書いてあるので「多磨」「山桜」で検索したら出ました・・・色々やってみます・・・^^(4.2 01:45)
 

Re: 余談:これにはしばし見蕩れました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 4月 1日(水)04時26分51秒
返信・引用  編集済
  > No.4269[元記事へ]

> 上の年表は検索(「世界史対照年表」)からの拾い物なのですが、そこでハタと気付きました。「吉川弘文館」です。古いのは1953年の「世界歴史地図帳」で赤茶けてなお健在です。これの表2・表2対向、表3・表3対向に懐かしいのがあります。新しいのは2001年の「世界史年表・地図」の冒頭の見開きでどちらにも上の年表の先輩らしいのが有ります。新しい方には「複写を希望される場合は日本複写権センターにご連絡ください」と電話番号が書いてあります。ダメかも知れないけれど電話してみます、「人名歴史年表」の一部に使わせてくれと。はい頑張って作ってしまいました。これは本当に内緒です(だから太字にしていません―今日電話を入れまして、文書でお願いすることになりました。なのでこの画像は数時間後には消します、ご了解ください。3.25 12:34)・・・珍しくマジで・・・将来の子供達のために・・・最近のマウスは横にスクロールする機能が増えてきたことですし・・・^^。

手紙を書こうと文面を思案している内に、これはダメだと気付きました。「著作権」の問題は正にここにあるのですね。あの対照年表が見たくて「世界史年表・地図」を1300円出して買う人も(私のように)居るのです。それがネットで見られれば、買わないから吉川弘文館はその分、本が売れなくなる。だから止めてくれと仰有る。パスワード付きにすれば、とか提案しようかと思いましたが、やはりどうしてもネットに洩れる。洩れれば先日画像を出したように(あれは何という本なのでしょう、いずれにしろ吉川さんのアイディアをそっくり頂いたのだから本来糾弾されて然るべきなのか、それともそんなことは言ってられないのか)ドンドン拡がってしまいます。

結局どうしても吉川さんの利益を損なうことに必ずなる、ならば出来ない相談だと、スッパリ諦めました。諦めて、しかし外国はどうなっているのだろうと「map world histoy」で検索しました。有るのですね、凄いのが・・・唖然!!!・・・です。

「Hyper History On Line」というのには降参しました。日本はやはり立ち後れています。左の「peole」をクリックして、右の「1500〜2007」をクリックして下さい。さらに「Science」、「Art」、「Politic」などをクリックすると・・・これが本当は私が夢見ていた「人名歴史年表」なのです。やりますね敵は・・・参りました・・・ (;´ρ`)ダメジャ コリャア(こちらにこのサイトの作者と成り立ちが・・・)

「Map」のところも勉強になりました。「Seven Periods of World History」として挙げてあるのが「Early Civilizations」「Greek Colonization」「Rome + Han China」「Barbarian Invasions」「Expansion of Islam」「Mongol Empires」「A.D. 1500 - 1800 」の七つです。世界史をこういう分け方で区分する方法は初めて知りました。世界史地図を考える上ではえらく納得しやすい分類ですよね。ダメだ、島国だ・・・と落ち込みました。この野郎転んでも何か掴んで起き上がってやろうと・・・意気軒昂・・・しかし時間が欲しいです、はい・・・^^

日本でもこの作者はでも、なかなか気を吐いていらっしゃいます。この地図の上の矢印のところをクリックして進んで下さい。上の七つの分類が肯けるから面白いです・・・^^
 

デザイン一新!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月31日(火)05時26分42秒
返信・引用
  昨日ネットカフェへ寄って19インチの「ワイド」でない普通サイズで「ハンセン病のリンク集」を見てみたら、驚いたことに「デザイン」とも言えない、グチャグチャな状態で、これには慌てました。以前から新聞社のサイトの様に左右を切るとか、左に寄せるとかしたいのですが、CSSとかでやるようなので本を読んだりサイトを探したりしても、分らないのです。

今日取り敢えず真ん中の方へ集めることだけ集めました。本当のやり方をご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ここを見よとか、お教えください。「毎日新聞」とか「産経新聞」のようにしたいのですが・・・どうにも・・・^^
 

Re: 中国残留孤児

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月31日(火)01時29分8秒
返信・引用  編集済
  > No.4282[元記事へ]

娘がわたくしの引揚げ時の年齢だった頃、「中国残留孤児」の親捜しがテレビで毎日放映されるようになりました。父は娘を膝に抱いてそのテレビを観ながら泣いていました。これはわたくしが見た父の生涯の「たった1回の涙」でした。

お察しするに、万感胸に迫っての涙だったのでしょう。手記を拝読した範囲だけでも、何か一つ、薄紙一枚ほどの運命の狂いが有れば「現在」が無かったろう、そういう危険な状況の中に有られたことが良く分ります。

> もう1つ。中国の養父母だった方々は、その対策によって子供を失いました。中国は「子供が老親の世話をする」のがあたりまえの国なのですから。。。

そのことも忘れてはいけないことですね。国が悪い、戦争が悪い、関東軍が悪い、終戦間近であることを知りながら攻め始め終戦後もなお攻め続けたたソ連が悪い・・・何を言っても空虚です。人々の苦しみは身体に心に、刻み込まれて消えることはないのですから。

明日から「ハンセン病問題基本法」が施行されます。


当時を振り返るシリーズが、生々しいです・・・。
 

中国残留孤児

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月30日(月)12時23分31秒
返信・引用  編集済
  毎度あらわれて気が引けますが、ちょっとだけ。。。
娘がわたくしの引揚げ時の年齢だった頃、「中国残留孤児」の親捜しがテレビで毎日放映されるようになりました。父は娘を膝に抱いてそのテレビを観ながら泣いていました。これはわたくしが見た父の生涯の「たった1回の涙」でした。

もう1つ。中国の養父母だった方々は、その対策によって子供を失いました。中国は「子供が老親の世話をする」のがあたりまえの国なのですから。。。

リベルさんのお嬢様、これからも粘り強くお仕事をお続けくださいますように。
 

哈爾濱

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月29日(日)14時12分3秒
返信・引用  編集済
  >「言葉」も永い旅をしますが、そういえばあずきさんは三寒四温の本場、哈爾濱でお生まれになったのでは?両方の「三寒四温」を体験なさった貴重な存在ですね・・・^^

生まれたというだけで、全く記憶がないのです。
もしも「中国残留孤児」となった場合、最年少だったわけで、自分が日本人だとさえわからなかったかもしれませんね。あのサイトをご覧になってくださっていたとは。。。(いい気になって追記しますと、母の手記もあります。)←これでわたくしの年齢がばれました。リベルさんをうらみます(嘘♪)。

「ヨミダス歴史館」は、プロバイダーまで限定していますね。わたくしは「ぷらら」ですから、もうこれでハードルを越えることが難しくなりますね。
 
    (リベル) 実は私の次女がハンセン病だけでなく「中国残留孤児」の裁判にも加わっていて報道以外に話とか本とかでいろいろ知っていました。なので、あずきさんの父上や母上の手記を拝読して驚きました。あずきさんもまかり間違えば「中国残留孤児」と正に紙一重の境遇にいらしたのですね。

私はご両親の手記を拝読して、泣きました、というか慟哭しました。そこに記された何の飾りも誇張もない「事実」だけが、強烈に心を打ってきたのです。初めての経験でした、そういうのは。

皆さんにもご一読をお勧めする次第です。ハンセン病の入所者の方々と同じように、有無を言わせず上から襲いかかってきた「人間の悲劇」を見る思いでした・・・(つい興奮してしまいました)(3.29 17:36)
 

どうも気になって・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月29日(日)08時08分16秒
返信・引用  編集済
  「ヨミダス歴史館」ですが、まず「YOMIURI ONLINE」のページの下の方の「ヨミダス文書館」をクリックすると「この画面」が出ます。その中の「ログインページはこちら」をクリックすると「ヨミダス歴史館」(URLは「https://database.yomiuri.co.jp/rekishikan/」)と題する「このぺーじ」が出るのです。そしてその画面の「明治・大正・昭和」をクリックすると「こちら」が出るという寸法です。つまりこの間に「ID」も「パスワード」も一切不要なのです。

ということは、やはり私のIPアドレスが登録されていて、言い換えれば認知されているのではないでしょうか?「基礎無い」君はこのように思うのです。ご迷惑をお掛けしました、キット。ごめんなさい・・・m(_ _)m
 

Re: 余談:三寒四温

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月28日(土)15時45分38秒
返信・引用
  > No.4277[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> どうやらこのへんが正しいような・・・。

わたくしも「三寒四温」は春の初めの行きつ戻りつの気候のことだと思うのですが、どの歳時記でも、冬の季語になっているのが腑に落ちない気持でした。これでナゾが解けました。それにしても中国の東北部は零下何十度という酷寒の土地ですよね。「言葉」も永い旅をするものですね。

春雨や抜けでたまゝの夜着の穴     丈草
 
    (リベル) なんと今日はえらく寝坊をしてしまって、3時半に息があるかどうか連れ合いが確かめに来て、それで目が覚めた次第です。寝る子は育つとやら申しますが、何ともはや・・・(>_<)

「言葉」も永い旅をしますが、そういえばあずきさんは三寒四温の本場、哈爾濱でお生まれになったのでは?

両方の「三寒四温」を体験なさった貴重な存在ですね・・・^^

鶏の片脚づつやふゆごもり・・・なんて・・・。これは逆ですか・・・?(3.29 05:13)
 

戦前のキング

 投稿者:小箱  投稿日:2009年 3月28日(土)00時57分9秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。
過日、古書店で昭和17年のキングが売っていたので購入しました。
なぜ買ったのかというと、「差別者のボクに捧げる・三宅一志」に戦前のキングには必ずハンセン病の薬の宣伝が載っていたという記載がずっと気になっていたからです。
で、やはり載ってました。しかし思っていたのとは少し違ってました。
白なまづとハンセン病は違う、白なまづはこの薬で治るという宣伝でした。
白なまづ=ハンセン病あるいは、白なまづ→ハンセン病も含む皮膚病と思っていたのですが、そうでは無いという考えもあったようですね。
どう思われます?
 
    (リベル) 小箱さん、いらっしゃいませ。

よくまあ珍しいものを見付けられましたですね。食い入るように見させて頂きました。

「しろなまず」というのは「白癜」のことで「ハンセン病」とは違う皮膚病です。今は「尋常性白斑」という病名です。「癘・疥癩・白癜」というページの「和名類聚鈔」と『「びゃくらい」と「しらはたけ」』をお読み頂くと、はっきり分ると思います。

それにしても、小箱さんの研究熱心には驚かされます、なにしろ私が7歳のときの「キング」ですから・・・(^^;)(3.28 02:07)
 

余談:三寒四温

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月28日(土)00時25分45秒
返信・引用  編集済
  漫才ブームが下火になった頃、北野武氏が相方の話になって「俺は舞台の上の俺と、それを観客席から見ている俺の二人が居るんだが、奴は違うんだよ」とビートキヨシを貶す意味ではなく、また自慢する意味でもなく言っていたのを何故か強烈に覚えているのです。それ以後折に触れて思い出すのですが、やはり自分が北野武氏と正反対の人間だ、自分を客観視することが最も苦手な人種に属していると自認しているのです。

今日目覚めるときに、初めてしかしそういう感覚を実感しました。熱くて毛布を一枚剥いだのですが、未だ熱くて左手を首筋にあて、右手を指先だけ布団から出して居ました。その時フト、皺だらけの痩せ腕を見せて横たわっている自分を、健気にも生きようとして体温調節をしている死にかけた蟋蟀を見るように、哀れみの気持ちで見下ろしました。初めて自分を外から感じました。一瞬の感覚でしたが。ですからこれは自分を客観視する能力が身についたわけではないのですが・・・


うつらうつらと、こういう風に体温調節をするのは、三寒四温の時期に多いのだろうなと思って、ハッキリ目が覚めました。オイオイ、三寒四温って一体いつ頃のことを言うのか、ハッキリ知っているのか・・・?と。


さて調べたのですが、なんとどの辞書も「いつごろか」ハッキリ書くのを避けているとしか思えない表現なのです。

広辞苑:三日ほど寒い日が続いた後に四日ほどあたたかい日が続き、これを交互に繰り返す現象。中国北部・朝鮮などで冬期に見られる。[季・冬]

大辞林:寒い日が三日ぐらい続くと,そのあと四日間ぐらいは暖かい日が続くということ。冬季,シベリア高気圧が一週間ぐらいの周期で寒気を吹き出すために生ずる現象。[季]冬

日本国語大辞典:冬期、寒い日が三日つづくとその後四日ほど温暖な日がつづき、これが繰り返される気候現象。天候変化に七日ぐらいの周期のあることによる。中国北部や朝鮮半島北部などでかなり規則的にあらわれる。[季・冬]

という調子なのです。

歳時記は虚子編「改訂新歳時記」三省堂、1947年(p.44)には辞書同様の説明の後「極寒の四温日和には街に小買物に出たり、日向ぼっこをする人などあって・・・」。水原秋桜子編「俳句歳時記」講談社文庫、1995年では「厳冬」の項(p.760)に入っています。

さあ、あなたは何月頃だと判定なさいますか?少なくとも今は「極寒」でもなく「厳冬」でもないので、私の寝惚け頭の判定は間違っているのでしょうか・・・^^


どうやらこのへんが正しいような・・・。はい最近は日本語も変化していくのだと、「ラ抜き言葉」にもいくらかは理解を示すようになって来て・・・。


モクレンが花盛りです・・・
 

IPアドレス

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月27日(金)21時34分56秒
返信・引用  編集済
  ・・・・・・までを読売新聞サイドで調べているとしたら、リベルさんしかログインできないということですか?
それとも無料期間内だけではなく、ログイン回数で制限があるということでしたら、わたくしはりベルさんのログインチャンスを奪ったことになりますね。ごめんなさい。

>天上天下唯我独尊のお姐さん。

北風さん。こういことは「あっち」で言いなさいね(^^)。
 
    (リベル) >ログイン回数で制限があるということでしたら、わたくしはりベルさんのログインチャンスを奪ったことになりますね

いや、ですからそうなると「基礎無い」君は困るのですが、「IPアドレスまで調べる」と言うのでなく、「IPアドレスを登録した」と言うことではないかと想像するのです。だから「お客様のユーザIDで同時にログイン可能な上限に達しています。」というのは良く有る「婉曲な断り方」だと、私は勝手に解釈していました。キットそうなのですよ。

如何ですか?なんとか蛇に怖じず・・・でなくって・・・「無知」の強みと申しますか・・・(^^)(3.27 22:32 今夜は珍しく早起きで^^)

追記:いや、今気付きました。私は間違っていました。つまり読売は一つのIDに対して、一つのIPアドレスしか許可していないと言うことではないでしょうか?そんな気がしてきました。私こそご免なさい・・・^^(3.28 02:50)
 

あずきさん、北風さんへ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月27日(金)17時17分15秒
返信・引用  編集済
  ご免なさい。私は何度も言うのですが基礎勉強が出来てないのでダメなのです。多分読売サイドでは私の「IPアドレス」を受入れて、なんというのか「処理」しているのかなと思うのです。ガードが高いのでしょうか、実はこのパスワードなどを得るのに際して、読売東京から電話が有り、メールで2回連絡があったほどなので。ケチですね新聞社も、早い話が・・・^^。ちなみにいつでも自由に読めるようにするには、月額3万円と、兎に角図書館や企業向けのものだそうです。「せいぜいご近所の図書館を説得してください」という本音も聞いた次第です^^

こちらの「無料トライアル」のページからお申し込み頂くと1週間は可能なのですが、でも面倒ですよね・・・^^


追記:しつっこいのが身上の私奴は懲りずに追求してみました、確か有ったはずと。使ったのは「Internet Archive」です。たとえばここからでも相当な記事が読めます。大正時代の下の方の「ハンセン病」に関する記事、これは当時の記事の画像が出ません。そう言うこともあるだろうと踏んで、実は私は取り込んでおいたのです。「社会の公器」だの「社会の木鐸」だのと言ってもやはり先立つものには、屈する他無いのでしょうね・・・(慨嘆)

追記2:腹が立つので「WeBox」とか「魚拓」とか試みましたが、ブロックされました。コピペしたのがこれですが、やはり見出し止まりでした・・・(>_<)(3.27 18:14)
 

Re: (無題)

 投稿者:北風  投稿日:2009年 3月27日(金)16時11分15秒
返信・引用
  > No.4273[元記事へ]

あずきさんへのお返事。

> ユーザID : ootuki$masa
> パスワード : 8awgh3
> ↑でログインできません???
>
> 「お客様のユーザIDで同時にログイン可能な上限に達しています。」でした。

この掲示板をそれだけ大勢の人が見て、それだけ大勢の人がトライしているということざんしょ。

天上天下唯我独尊のお姐さん。
 

(無題)

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月27日(金)15時52分14秒
返信・引用
  ユーザID : ootuki$masa
パスワード : 8awgh3
↑でログインできません???

「お客様のユーザIDで同時にログイン可能な上限に達しています。」でした。
 

一週間だけの無料検索

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月27日(金)02時30分57秒
返信・引用  編集済
  「ヨミダス歴史館」というのが読売オンラインに有ります。ここへ期間限定無料登録しました。このページでまず「ログイン」をクリック。もし要求されたら
ユーザID : ootuki$masa
パスワード : 8awgh3
です。画面が出たら「明治・大正・昭和」→「検索語」=「ハンセン病」→検索対象区分選択=「区分毎」→「明治」を選択→「検索」→253件出ますから「最終ページ」をクリックしてください。1875.01.16の記事が最初の筈です。


素朴な美談が三つ続いて、32年後に「癩予防ニ関スル件」が出る前は、偏見も差別も無かったことがしのばれます。やはり国家権力を笠に着た何か(これを考えるだけで疲れてきます、行政と警察の幹部の誤信とか)が人々の心の方向を徐々に徐々にねじ曲げて行ったのですね。

No.250は恐ろしい記事ですが、興味を引くのは「後藤昌文」の登場です。後藤昌文氏についてはご存知の通り「市民学会年報2005」の山口順子氏の論文に詳しいですが、1972年に東京柏木成子町に病院を開いていた後藤氏が、徐々に世に出て行く様子が、読者の投書や新聞社の返事などを通じてマザマザと読み取れて誠に興が尽きません。


1878年1月27日朝刊の記事です。って簡単に言うけど、そうですもう百三十年も昔になるのですね・・・^^
この頃の新聞は読者に命令するのですね「救っておやんなさい」なんて・・・
浅草諏訪町河岸というのは今の駒込1丁目〜2丁目の辺りだそうですが、他にこの事実を記したものが見当たりません???
 

Re: 余談:政治家・田中正造

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月25日(水)22時00分20秒
返信・引用
  > No.4270[元記事へ]

> 昔の政治家はこんなでした・・・。洪水調査中の田中正造(明治43年)

この「足尾鉱毒事件」は、栃木県足利市で高校生まで過ごしたわたくしにも他人事ではありませんでした。渡良瀬川で遊び、隣家は足尾から引っ越してきた遠縁の一家でした。子供心に覚えているお話なので、誰が語ってくれたものかは記憶にないのですが。

足尾の空はいつも黄色い色をしていたそうです。ほぼ同世代のその家の子供たちは、足利に移り住んでから、喘息が治り、眼の病気も治ったそうです。

足尾銅山の閉山は1973年ですね。長い期間を要した公害問題ですね。
 
    (リベル) おお、もうこんな時間になっていました。そうなんですね足利市は渡良瀬川の畔なのですね。

田中正造は「「身も財産も犠牲にして公共のために尽くす」と、父に誓って政治家の道へ。」とあります。結局天皇陛下へ直訴までしたと。どうも今の日本の政治家には首をひねらざるを得ません。「亡くなったとき、かたわらには「大日本憲法」と「マタイ伝」が残されていた。」そんな政治家はもう居ないのかも知れません・・・嗚呼・・・(慨嘆)(3.26 03:12)
 

余談:政治家・田中正造

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月25日(水)17時56分46秒
返信・引用  編集済
  「小沢代表は24日夜の記者会見で政権交代にかける思いを何度も力説した。だが、代表が次期衆院選の陣頭指揮をとることのプラス・マイナスを本当に党内で議論したのか。そこがはっきりしないこと自体が民主党の弱点だと、有権者に受け止められないだろうか。」

読売新聞の社説は言います。これが各社の中で最も穏やかな表現です。

私のようなごく普通の人生を送ってきた人間は単純です。「人の上に立つ人は、やましいことが有ってはならない。」大体国会議員は選ばれて「この人なら」ということだったはずです。まして、その中の一つの党の代表とあらば・・・言を俟たないでしょう。野党第一党が存在の強さを失っては「日本の行く末が案じられる」と仰有る。

これは本末転倒というやつでしょう!自分の身の回りが清潔でなかったら、潔く出処進退を見極める、それでこそ「選良」でしょう。私など古い人間には、もう理屈ではないのです。親戚に悪いことをした奴が居たら黙って役職から身を引く、これが道だと思い込んでいました。こういう人が「党首」で居るということだけで、子供の教育に良くないなどと思います。

昔から言うではないですか「李下に冠を正さず 瓜田に靴を納れず」。モタモタするだけ小沢さんの値打ちが下がると、そして政治家の値打ちが下がるのですよ、小沢さん!


昔の政治家はこんなでした・・・。洪水調査中の田中正造(明治43年)
 

余談:これにはしばし見蕩れました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月25日(水)02時33分49秒
返信・引用  編集済
  たまたまこんなのを見付けました。「UGOKY」と名付けられている内の一つですが、しばしポカンと口を開けたまま見蕩れていました。日本だけ見ていても、誠に芸が細かいでしょう^^

日中韓三国のこの2,000年の王朝の変遷が一目瞭然!この発想は凄いと思います。是非願わくばこれを「世界地図」にまで広げてもらいたいものです。お山の大将であるアメリカが未だ233歳の新興国であることも歴然としますから。

上の年表は検索(「世界史対照年表」)からの拾い物なのですが、そこでハタと気付きました。「吉川弘文館」です。古いのは1953年の「世界歴史地図帳」で赤茶けてなお健在です。これの表2・表2対向、表3・表3対向に懐かしいのがあります。新しいのは2001年の「世界史年表・地図」の冒頭の見開きでどちらにも上の年表の先輩らしいのが有ります。新しい方には「複写を希望される場合は日本複写権センターにご連絡ください」と電話番号が書いてあります。ダメかも知れないけれど電話してみます、「人名歴史年表」の一部に使わせてくれと。はい頑張って作ってしまいました。これは本当に内緒です(だから太字にしていません―今日電話を入れまして、文書でお願いすることになりました。なのでこの画像は数時間後には消します、ご了解ください。3.25 12:34)・・・珍しくマジで・・・将来の子供達のために・・・最近のマウスは横にスクロールする機能が増えてきたことですし・・・^^。


これはチョット見難いでしょう・・・
 

「パンセ」に誤訳がありました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月22日(日)23時12分37秒
返信・引用  編集済
  > No.4256[元記事へ]

3月14日に下に書いたことを投稿して、(「告白」を調べていないので後者は想像ですが)と書いて終結宣言をしました。その舌の根の乾かぬ内に、図書館へ行って服部英次郎著・アウグスティヌス「告白」(有斐閣新書)と「神の国」(岩波文庫)5巻を借り、そうこうしている内に矢内原忠雄著「アウグスティヌス告白・講義」が到着し、読んで物足りなくなって「告白」(岩波文庫)上下巻を買って、今朝到着してそれを読んで(勿論つまみ食い的にです)、パアアッとそれこそ晴れ晴れと理解出来ました。自分が間違っていました。というかいい加減でした。と言うわけでどう間違っていたかを下に書きますが、余り面白い話ではないことをここに先に書いておきました。どうぞ跨いで行ってください・・・^^


三つの秩序というのは・・・
>
> 1)富者や王のように富や権力を手に入れた人たちのことでこれを「肉的な人々」と言う。
>
> 2)探求者や学者は人間の知的な面を掘り下げて研究する人たちでこれを「精神的な人々」という。
>
> 3)賢者や聖徒やキリストなどで、正義(愛の最も小さい動作)を行おうとする「無限に高い秩序」に属する。
>
> 1)2)は分かり易いのですが3)のことがスッと理解しにくかったのです。そこで色々思いを巡らせました。2)の人々は物事の真実を追究し、カントを持ち出せば先ず「知り」そして「なにを為すべきか」まで知ります。宮沢賢治は「雨ニモマケズ」の心境に到達しました。最澄は「忘己利他」が慈悲の極みだと言いました。この二人を例に取ると、知の極みにまでは確実に到達しているのでしょう、なにを為すべきかまで分っている。そこでストップしたのか、つまり3)の「愛」を自ら行う境地に到達したのでしょうか、出来なかったのでしょうか。世界に理不尽な殺戮や飢餓が蔓延っています。私はその人々の役に立つために今の生活を投げ出して家も売って晩酌も止めて、「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずに…野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋に…」住む事が出来るのか!何とかしなければ、してあげたいそう思うのは簡単だけどそこまで踏み切れないではないか。そう出来て初めて3)の「愛の小さな動作」が出来たことになるのではないでしょうか。
>
> 私は「三つの秩序」をこのように考えました。これが実は精一杯です。
>
> 次はこの「三つの秩序」というパスカルの思想と、「ヨハネの手紙 一」の「肉の欲、目の欲、生活の誇り」とアウグスティヌスの「感ぜんとする欲・知らんとする欲・支配せんとする欲(松浪訳)」との関係です。これを軽々しく書くと誤解されそうですが、軽々しく書くとまあ「仮託」した、のでしょう。ヒントは一昨日引用した「In the Thoughts , Pascal quotes the epistle of Jean but by reformulating it in the terms of Augustin: libido sentiendi, libido sciendi, libido dominandi.」です。1600年前のヨハネの言葉と1300年ほど先輩のアウグスティヌスの用語を「あ、似たのがあるぞ」と拝借したのだと思います、軽々しく書くと。
>
> ただ大きな違いは言うまでもありません。ヨハネとアウグスティヌスはそれぞれ三つをいわば現世欲としている(「告白」を調べていないので後者は想像ですが)のに対して、パスカルは三つに分けた内の初めの二つだけを「現世欲」としているのです。繰り返しますがパスカルはヨハネの手紙を「引用」し、アウグスティヌスの言葉を借りてそれを「再定義=reformulate」したに過ぎません。これが私の結論です。どうぞ存分にご批判下さい、勉強してお答えしますので。



問題の箇所は「告白」の第10巻に有ります。その冒頭の服部英次郎氏の解説が言い得て妙なのでその部分を抜粋します。以後関係有る章、節だけを拾っていきます。

「前巻までは、もっぱら過去の生活を語ったが、この巻はその現在の告白、すなわちヒッポの司教としての自己観察、自己批判である。(中略)ついで、誘惑を肉の欲目の欲この世の高慢の三つに分って自己の行為、思想、欲情を吟味する。最後に、キリストこそ、神と人との唯一の仲保者であり、その扶助によってのみ、すべての魂の病がいやされることを知る。」

そして以下の5章で「肉の欲」を細かく説きます。
第30章 肉欲の誘惑に対する態度(これらの見出しはすべて服部氏によります)
第31章 食欲の誘惑に対する態度
第32章 嗅覚の誘惑に対する態度
第33章 聴覚の誘惑に対する態度
第34章 視覚の誘惑に対する態度

次に・・・
第35章 好奇心の誘惑の態度(下の写真参照)
「目の欲」を説明し・・・

第36章 傲慢な生活の誘惑に対する態度
    (人々に恐れられ愛されようと欲すること)
第37章 人間の称賛を求めて悩む
    (称賛されたいという気持ち)
第38章 虚栄と自惚れは最大の危険である
    (虚栄を誇ること)
第39章 自己満足は神の御目に不快である
「この世のおごり」をこの4種類として、説明しています。

そして・・・
第41章 三種の欲望
で「こうして私は三種の欲望のうちに現れているわたしの罪深い病を考察し、あなたがわたしを救うためにあなたの右手を求めた。」とし、

第43章 キリストのみが真実の仲保者である

と第10巻を終わるのです。


これで曖昧な部分は無くなりました。「ヨハネの手紙 一」第2章16節「肉の欲、目の欲、生活のおごり(新共同訳)」が先ず最初にありました。アウグスティヌス「告白」の中でそれを自分なりに解釈しました、それが上に記したものです。そして聖書もアウグスティヌスもこの三つをこの世の病とか愛してはいけないものとしています。これを「三種の欲望」と仮に呼びますが、パスカルの「三つの秩序」は全く別の「三つ」なのです。

パスカルの「三つの秩序」の中には「この世のおごり」は入っていません。表向きは入っていないと言った方が正確です。パスカルの言う「肉の人々」「肉の欲」に、「精神の人々」「目の欲」にそれぞれ対応します。その二つの世界(秩序)で富者や王者になったり、偉大な思想家になっていく過程で人間が抱く「愛されたい」「褒められたい」というような欲望が「ヨハネの手紙 一」や「アウグスティヌスの告白」で言う「この世のおごり」なのですから。

前に私は「仮託」という言葉を使いました、そして何となく後悔していたのですが、やはりそれは間違いだったのです。パスカルは自論の「三つの秩序」の「前座」に「三種の欲望」を据えたのに過ぎないのです。

パスカルの三つ目の秩序は現世を離れた「無限に高い秩序に属する」、「愛の最も小さな動作」なのですから。


邦訳の「パンセ」の「前田・由木訳」、「津田訳」の断章458、「松浪訳」の断章545で原文の「orgueil de la vie」(参照:私のメモ)はいずれも「生命の誇り」と訳されていますが、私が前に恐れていた通りこれは誤訳です。服部訳「告白」の「この世のおごり」が最も正確で、矢内原訳「告白・講義(岩波・全集・22巻)」の「支配の欲(p.472)や「所有の欲」、「新共同訳」の「生活のおごり」などは少し危ないのもありますが、まずまず「告白」の36章から39章の解釈を頭に入れていると言えるでしょう。しかし「生命の誇り」は「欽定訳」の「the pride of life」そのままで、残念ながらアウグスティヌスの解釈にまで検証が及んで居ませんでした。これらの方々の偉大な訳業に水を差すのは本意ではありませんが、これは修正されるべきだと思います。このサイトの「parallele commentaries」なども参考にされるべきでしょう・・・。


「告白」第10巻の第35章 好奇心の誘惑の態度のページです。
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 3月22日(日)15時36分41秒
返信・引用
  >それにしてもそれらの高い境地に憧れはするものの、なかなか小さな事さえ実践できず、私などは煩悩の渦から抜けられないままあの世へ行くことになります。

上記についてのコメントですが、キリスト教的な話になってしまったのと、ちょっと長すぎるので、わたしの掲示板に記しました。
 
    (リベル) エリカさんいらっしゃいませ。

エリカさんの掲示板へ行ってきました。

「病者の祈り」というのはどこかに書いたことがあるので、Googleで「病者の祈り リベル」で検索したら、有りました

しかしそうですね、私などは、松本馨さんの偉大さにはとても到達できることはない、悲しいかなそう信じざるを得ません・・・(^^;)(3.22 17:55)
 

日本での白癩

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月20日(金)04時11分55秒
返信・引用  編集済
  「日本での白癩」がいちいちリンク先へ行って文章を読まなければならない構成になっていたので、読んでみたら煩わしく、思い切って大幅に改変を加えました。他の部分も含めて感想を戴ければ幸いに存じます。  

宮沢賢治の詩がありましたが。

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 3月19日(木)15時38分34秒
返信・引用  編集済
  雨ニモマケズの詩を読んで

雨ニモマケズ、宮沢賢治の詩がありましたが、わたしは宮沢賢治というと雨ニモナケズくらいしかしらないので、コメントするのはおそれおおいような気がするのですが。
この詩はヒューマニズムではなく、宗教色が現れているような気がします。
このコウイウモノニワタシハナリタイは煩悩から解放されたいということかなと思いまし
た。

>慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテイル

「仏教の根本思想とは、こうである。私たちの人生は苦に満ちていて、そして私たちは苦から逃れたいと思っている。苦は欲望が満たされない時に生じるのだから、世俗の人々は、苦を完全に滅却するために、欲望を完全に満たそうとする。しかし欲望には限度がないから、欲望を完全に満たすことは不可能である。課長になれば部長に、部長になれば取締役になりたいと思うのが人間である。だが、欲望が無限に広がるからこそ、苦の原因も無限に増大する。したがって、苦から完全に自由になる(解脱する)には、苦の原因である欲望(煩悩)を滅却しなければならない。」

>野原ノ松ノ林ノ ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
>西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
>デクノボウトヨバレ
>ホメラレモセズ・・・。

人から認められたい。よく思われたいという動機で立派な人を演じる人は本当の幸福を覚えることはできないのではないだろうか。なぜなら、いつも人の評価を気にしているから疲れる。
愛のある人。何の見返りも期待せず、困っている人をみたらぽっとけない。こういう人こそ幸せなひとだと宮沢賢治は思っているのではないでしょうか。
 
    (リベル) エリカさんいらっしゃいませ。

>慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテイル

これは先人が解説しておられるかも知れませんが、私は勝手に仏教で言う「三毒」のことを言っているのだろうと解釈しています。「貪欲・瞋恚・愚痴」を「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の三毒と言うようです。必要以上に欲張りにならず、怒らず、憎み・嫉みなどの感情を抱かないようにすると、生きる上での苦しみや悩みが少なくなるそうです。またさらに仏教の根本思想は「忘己利他」なのだと聞いています。

「雨ニモマケズ」で宮沢賢治はこういう仏教の言葉を念頭に置いて居たのだと思います。ノートの最後のページに「南妙法蓮華経」などとギッシリ書いているのもそれを物語っていると、私は勝手に解釈しています。

それにしてもそれらの高い境地に憧れはするものの、なかなか小さな事さえ実践できず、私などは煩悩の渦から抜けられないままあの世へ行くことになります。では行って参ります・・・あ、未だチョット早いですか・・・^^(3.20 00:45)
 

再・「白癩について」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月19日(木)04時15分5秒
返信・引用  編集済
  この「まえがき」は何度か見直しています。では続く「日本での白癩」は実はバス停で何枚も書き直していたのですが、こんな風に纏めるつもりです。

 日本に最初に登場する「白癩」は、6世紀中頃に百済からの渡来人によって持ち込まれ、「法華経」「日本書紀」に記録されてのち、徐々に広く拡がって言ったと思われます。

その後「令義解(833年)」「日本霊異記(822年頃)」「今昔物語集(1120年頃以降に完成)」などに「白癩」という言葉が登場するのですが、症状についての説明は無く、「宇治拾遺物語(1212〜21年頃)(白癩人とも)」「源平盛衰記(1333年以降)」「頓醫鈔(1304年)」などに書かれている「癩人」、「癩病」との区別は決して明確ではありません。言うまでもなく現在の「ハンセン病」か否かは全く判別することが出来ません。

 唯一「令義解」では「悪疾いわゆる白癩也」として症状の記述が有りますが、これは「癩」の症状を記しており「白癩(この症状については後で詳しく触れます)」の症状ではないと考えています。なのでここでは「白癩」は「癩」と表記されるべきだったのだと思います。恐らくこれは「和名類聚鈔」を誤って引用した為に生じた誤解だろうと私は推察しています。

 このように日本の古い記録では「白癩」はしばしば登場し、しかも統一を欠いた多彩な用いられ方をして、現在に至っています(参考:呼称の変遷)。ここで現在の「国語辞典」や「漢和辞典」は一体どのような扱い方をしているのか纏めて見てみましょう。「びゃくらい」と「しらはたけ」に代表的なものを集めてみました。

  一読して驚くのは全ての辞書に共通する奇妙な一致です。「白癩」を「びゃくらい」と読むときは「皮膚が白くなるハンセン病」(その他に「誓いの語」や「不意の出来事に驚いて発する語」の意が有りますがここでは措きます)、「しらはた」と読むときは「尋常性白斑」に截然と分けられているのです。ここに至るまでの「辞典」の語釈の変遷を逐一追求することは省きますが、これは探ってみれば一つの歴史的な「申し送り」の産物ではないかと推察します。言うまでもなく「辞典」の編纂には必ず斯界の専門家が参画しているのですから。

 ここでもう一つ別に注目すべき点が有ります。それは「白癩」を「びゃくらい」と読む時は「白癩」を一様に「皮膚が白くなるハンセン病」であるとしていることです。先に書いたようにこれは果たしてどんな経緯で、どんな専門家が現存の「辞典」にこのような「統一語釈」をもたらしたのかは、知る由もありません。

 しかし私はこの事実をとりわけ「奇妙な符合」であると感じるのです。何故なら、もうお気付きのように、私が「ハンセン病とサンスクリット語」で導き出した結論と偶然にも合致するからなのです。

 私が 「ハンセン病とサンスクリット語」の中で「kuṣṭha」や「kilāsa」の諸症状を解析する際に、この「辞典の統一語釈」が無意識に作用したかも知れないと言われれば、それを否定することは不可能なことでしょう。しかしそのことは、この偶然の純粋性を損なうほどのものだとは、私は思わないということを、敢えてここに記させてください。

 それは兎に角、「日本での白癩」はこれで終わります。続いて「中国」と「インド」での「白癩」に取り掛かりますが、また数日か一週間はかかるだろうと覚悟しています。「中世ヨーロッパの歴史」と「らいからハンセン病へ」と二つのテーマもやり残しているので、花見酒を飲み過ぎてくたばってしまうというわけにもなかなか参りません・・・^^


追記:私が「白癩」について詳しく調べたいと思うようになったのは、他でもありません、ドン・キショットさんのこの投稿(2008年6月23日)がキッカケだったのです。自分で納得の出来る答えを得るのに時間が掛かったのは「スシュルタ・サンヒター」での確認が必要と思い始めたからでした。そちらへ回り道して、しかし大きな収穫を(私としては)得ることができ、そして「白癩」についても、このように結論づけるほどの大胆さ、言い換えれば自信を持ちました。全てドン・キショットさんのお陰だと、本当に感謝していることを、付け加えないわけには参りません。そう感じて書きました。ドン・キショットさん、そういう次第なのですからもしお読みになっていても、レスをお書き頂くのは私の本意ではなく気が咎めますので、どうかそのままそのまま・・・黙ってお帰りください・・・^^


これの[30%]をここ何年も呑んでいます。これは安くて美味いです・・・^^
 

再・「白癩について」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月19日(木)04時00分46秒
返信・引用  編集済
  この「まえがき」は何度か見直しています。では続く「日本での白癩」は実はバス停で何枚も書き直していたのですが、こんな風に纏めるつもりです。

日本に最初に登場する「白癩」は、6世紀中頃に百済からの渡来人によって持ち込まれ、「法華経」「日本書紀」に記録されてのち、徐々に広く拡がって言ったと思われます。

その後「令義解(833年)」「日本霊異記(822年頃)」「今昔物語集(1120年頃以降に完成)」などに「白癩」という言葉が登場するのですが、症状についての説明は無く、「宇治拾遺物語(1212〜21年頃)(白癩人とも)」「源平盛衰記(1333年以降)」「頓醫鈔(1304年)」などに書かれている「癩人」、「癩病」との区別は決して明確ではありません。言うまでもなく現在の「ハンセン病」か否かは全くはんべつすることが出来ません。

 唯一「令義解」では「悪疾いわゆる白癩也」として症状の記述が有りますが、これは「癩」の症状を記しており「白癩(この症状については後で詳しく触れます)」の症状ではないと考えています。なのでここでは「白癩」は「癩」と表記されるべきだったのだと思います。恐らくこれは「和名類聚鈔」を誤って引用した為に生じた誤解だろうと私は推察しています。

 このように日本の古い記録では「白癩」はしばしば登場し、しかも統一を欠いた多彩な用いられ方をして、現在に至っています(参考:呼称の変遷)。ここで現在の「国語辞典」や「漢和辞典」は一体どのような扱い方をしているのか纏めて見てみましょう。「びゃくらい」と「しらはたけ」に代表的なものを集めてみました。

一読して驚くのは全ての辞書に共通する奇妙な一致です。「白癩」を「びゃくらい」と読むときは「皮膚が白くなるハンセン病」(その他に「誓いの語」や「不意の出来事に驚いて発する語」の意が有りますがここでは措きます)、「しらはた」と読むときは「尋常性白斑」に截然と分けられているのです。ここに至るまでの「辞典」の語釈の変遷を逐一追求することは省きますが、これは探ってみれば一つの歴史的な「申し送り」の産物ではないかと推察します。言うまでもなく「辞典」の編纂には必ず斯界の専門家が参画しているのですから。

 ここでもう一つ別に注目すべき点が有ります。それは「白癩」を「びゃくらい」と読む時は「白癩」を一様に「皮膚が白くなるハンセン病」であるとしていることです。先に書いたようにこれは果たしてどんな経緯で、どんな専門家が現存の「辞典」にこのような「統一語釈」をもたらしたのかは、知る由もありません。

 しかし私はこの事実をとりわけ「奇妙な符合」であると言わざるを得ないのです。何故なら、もうお気付きのように、私が「ハンセン病とサンスクリット語」で導き出した結論と偶然にも合致するからなのです。

 私が 「ハンセン病とサンスクリット語」の中で「kuṣṭha」や「kilāsa」の諸症状を解析する際に、この「辞典の統一語釈」が無意識に作用したかも知れないと言われれば、それを否定することは不可能なことでしょう。しかしそのことは、この偶然の純粋性を損なうほどのものだとは、私は思わないということを、敢えてここに記させてください。

 それは兎に角、「日本での白癩」はこれで終わります。続いて「中国」と「インド」での「白癩」に取り掛かりますが、また数日か一週間はかかるだろうと覚悟しています。「中世ヨーロッパの歴史」と「らいからハンセン病へ」と二つのテーマもやり残しているので、花見酒を飲み過ぎてくたばってしまうというわけにもなかなか参りません・・・^^
 

サクラサク

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月18日(水)20時48分2秒
返信・引用  編集済
  お孫さんの合格おめでとうございます♪

>目から水分が出た分、口から焼酎で補ったものですから・・・

さてさて、どちらが多かったのか、奥様に秤にかけていただきませう(^^)。

>やはり「オタク」は治りませんね・・・^^

トマス・ホーヴィングさんと勝負しますか♪
 
    (リベル) あずきさんこんばんは。

有難うございます。滑り込みセーフ!全くひやひやさせられました^^

>トマス・ホーヴィングさんと勝負しますか♪

「にせもの美術史」のメトロポリタン美術館長さんですね。いやあ、あの方には敵いません、写楽はこの人は追っかけ甲斐が有るでしょうけど、それは今度生れてきたときにします・・・(^^;)(3.19 02:03)
 

補欠

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月18日(水)12時13分55秒
返信・引用  編集済
  無責任に気休めを申し上げるつもりはありませんが、補欠入学決定までに一ヶ月待ったという実際の例を聞いております。それから即日入学金&授業料納付だったそうです。あきらめるのはいつでもできますし、麻生さんの後輩になるのはまだお考えにならない方がよいのではないか?と思います。

>ボツボツ桜ですね。さあ、あと何回「花見酒」が呑めることか・・・^^

何回でも呑めますよ。
宇野千代さんのご高齢になってからの名言は「わたし、死なないような気がするの。」でした♪
   ↓の花とは無関係です。念の為。
 
    (リベル) あずきさんこんにちは。

いや実は昨日焼酎を呑んでいるときに、長女から電話がありまして、入学許可が下りたと。当の本人がつまり孫が電話に出たのですがもう声を聞くやいなや滂沱たる涙で、なにも喋れず連れ合いに子機を渡したという状態で。でも、どうやらこれが最高の歓びの伝え方だったようで、百万言を費やされるより「嬉しかった」と言っていたそうですが。目から水分が出た分、口から焼酎で補ったものですからスッカリ出来上がってしまってここに報告を書いたのですが画像を探している内に原稿がどこかへ飛んでしまって、もう諦めたというようなお粗末でした・・・(^^;)

「わたし、死なないような気がするの。」はなんとも心強い発想というのか、逞しさを感じさせられます。いつもながらお心遣い、有難うございます。

あずきさんちの写楽の話題からサーフしている内にどんどん深みに嵌り込んで、とうとうこんなものを作ってしまいました。やはり「オタク」は治りませんね・・・^^(3.18 13:40)
 

装いを一新!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月17日(火)02時08分37秒
返信・引用  編集済
  もうすぐ4月1日、春が来ます。入学シーズンでもあり入社シーズンでもあります(我が家の孫は補欠のまま未だ通知が来ず待ちくたびれてもう麻生さんの後輩になるつもりで居ますが・・・^^)。てなことで気分一新、装いも一新、「ハンセン病のリンク集」のBBSですからわざわざ「ハンセン病」と断る必要も無し、より簡潔な名前に変更しました。なあに、本当のことを言えば、私奴、「ハンセン病の」と付けて居るのがチョット気恥ずかしいような昨今の投稿状況ですので、潔く一歩後退しただけでございます・・・^^

これに懲りず、皆様どうぞ相変わりませず、よろしくお願いいたします・・・m(_ _)m


ボツボツ桜ですね。さあ、あと何回「花見酒」が呑めることか・・・^^
 

Re: ゲーテの言葉

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月15日(日)03時35分31秒
返信・引用  編集済
  > No.4258[元記事へ]

> 「青春のときに願ったことは、老いて成就する。」
>
> ゲーテについては、ちょっとだけ書いたことがありますが、彼は生涯、若き日に書いたものをしつこく(^^)推敲していたのです。。。そう思うと何か晴れ晴れと理解が進んできました。(あら♪)


あずきさんに、ズバリ私の心を読まれてしまいました。昨日締め括りのような書き方をして、さあ「白癩」に戻ろうかと思いながら、やっていることと言えばなんとアウグスティヌスの「告白」のラテン語版3,8,162節目)を探し出して、その中の例の「三つ」を発掘して悦に入っている有様なのです。例の三つは原典ではこのように記されていました。注目すべきはこれまで取り上げてきたものとは順序が逆になっていることです。

haec sunt capita iniquitatis quae pullulant principandi et spectandi et sentiendi libidine

参考:haec sunt capita iniquitatis quae pullulant=(なるべくラテン語に近い英語を用いますと)These are capital inequities which pull out、 principor=支配する、 spectō=見る、 sentiō=感ずる、libido=欲望


※以下は、お暇な方だけお読み下さい。誠に興味深いのですが、かなりオタク的ですので。実はこの「ラテン語版」には誠に懇切丁寧な注釈が付いていまして、こうあります。

principandi et spectandi et sentiendi libidine: Cf. 1. Jn. 2.16 (see on 1.10.16). For the senses as the domain of concupiscentia carnis, see 10.30.41ff. (太文字はリベルです)

参考: 1. Jn. 2.16=お馴染み「ヨハネの手紙 一」2-16、concupiscentia carnis=ウルガタ聖書に出ている表現で「肉の欲」(私のメモ参照)

10.30.41(これは本文です)を見ると・・・

concupiscentia carnis et concupiscentia oculorum et ambitione saeculi.

(参考:ambitione saeculi=superbia vitaeと同様の意味です )       以上


と言うことで、アウグスティヌスの「告白」(ラテン語の原文)でのチェックは終了しました。パスカルはこれを(注釈部分は勿論有りませんが)読んでいたのです。今から350年ほど前にそれより更に1300年ほど前に書かれた、これを・・・。人間はここらあたりに関する「思惟」は余り進歩していないのかなあとつくずく思います。

いやそうではなく、アウグスティヌスが余りにも偉大であったため、思索を尽くしてしまったのでしょうか、そしてパスカルがそれを「reformulate」して彼流に展開したのでしょう。そしてリベルが数日を費やしてしつこく(^^)追求し、何とかその辺りを理解した(したのかな?)・・・進歩していないのは人間ではなく、私一人だったということを晴れ晴れと理解したのでした・・・(^^;)


晴れ晴れ・・・
 

ゲーテの言葉

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月14日(土)18時40分39秒
返信・引用  編集済
  >皆さんの呆れ顔が浮かんできます。

まぁ。そのようなことはおっしゃらないでくださいね(^^)。
このゲーテの言葉をリベルさんへの贈り物にいたします。

「青春のときに願ったことは、老いて成就する。」

ゲーテについては、ちょっとだけ書いたことがありますが、彼は生涯、若き日に書いたものをしつこく(^^)推敲していたのです。。。そう思うと何か晴れ晴れと理解が進んできました。(あら♪)
 

第4回ハンセン病資料館等運営企画検討会

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月14日(土)17時56分27秒
返信・引用  編集済
  第4回ハンセン病資料館等運営企画検討会資料(平成21年3月11日開催)が発表になりました。

内容は既報の通りです。
 

余談:「三つの秩序」のこと

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月14日(土)02時58分59秒
返信・引用  編集済
  皆さんの呆れ顔が浮かんできます。何を簡単なことを捏ねくり回してややこしくして一覧表などを作って悩んだ顔をしているのだ?という。そう思うと何か晴れ晴れと理解が進んできました。

三つの秩序というのは・・・

1)富者や王のように富や権力を手に入れた人たちのことでこれを「肉的な人々」と言う。

2)探求者や学者は人間の知的な面を掘り下げて研究する人たちでこれを「精神的な人々」という。

3)賢者や聖徒やキリストなどで、正義(愛の最も小さい動作)を行おうとする「無限に高い秩序」に属する。

1)2)は分かり易いのですが3)のことがスッと理解しにくかったのです。そこで色々思いを巡らせました。2)の人々は物事の真実を追究し、カントを持ち出せば先ず「知り」そして「なにを為すべきか」まで知ります。宮沢賢治は「雨ニモマケズ」の心境に到達しました。最澄は「忘己利他」が慈悲の極みだと言いました。この二人を例に取ると、知の極みにまでは確実に到達しているのでしょう、なにを為すべきかまで分っている。そこでストップしたのか、つまり3)の「愛」を自ら行う境地に到達したのでしょうか、出来なかったのでしょうか。世界に理不尽な殺戮や飢餓が蔓延っています。私はその人々の役に立つために今の生活を投げ出して家も売って晩酌も止めて、「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずに…野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋に…」住む事が出来るのか!何とかしなければ、してあげたいそう思うのは簡単だけどそこまで踏み切れないではないか。そう出来て初めて3)の「愛の小さな動作」が出来たことになるのではないでしょうか。

私は「三つの秩序」をこのように考えました。これが実は精一杯です。

次はこの「三つの秩序」というパスカルの思想と、「ヨハネの手紙 一」の「肉の欲、目の欲、生活の誇り」とアウグスティヌスの「感ぜんとする欲・知らんとする欲・支配せんとする欲(松浪訳)」との関係です。これを軽々しく書くと誤解されそうですが、軽々しく書くとまあ「仮託」した、のでしょう。ヒントは一昨日引用した「In the Thoughts , Pascal quotes the epistle of Jean but by reformulating it in the terms of Augustin: libido sentiendi, libido sciendi, libido dominandi.」です。1600年前のヨハネの言葉と1300年ほど先輩のアウグスティヌスの用語を「あ、似たのがあるぞ」と拝借したのだと思います、軽々しく書くと。

ただ大きな違いは言うまでもありません。ヨハネとアウグスティヌスはそれぞれ三つをいわば現世欲としている(「告白」を調べていないので後者は想像ですが)のに対して、パスカルは三つに分けた内の初めの二つだけを「現世欲」としているのです。繰り返しますがパスカルはヨハネの手紙を「引用」し、アウグスティヌスの言葉を借りてそれを「再定義=reformulate」したに過ぎません。これが私の結論です。どうぞ存分にご批判下さい、勉強してお答えしますので。

世界の苦しんでいる人のために、今の生活(10円でも安い駄菓子を求めてスーパーを探し歩く生活ですが)を捨ててこそ、立派な人間なのでしょうか?連れ合いを説得して家を売ってその金を寄付し、清貧に甘んじるというか、納得し満足することが「正義」なのでしょうか。ならばそうしなければならない・・・ですよね。


雨ニモマケズ
 

お借り

 投稿者:北風  投稿日:2009年 3月13日(金)19時36分32秒
返信・引用
  [1961] ハンセン病市民学会図書資料部会第3回セミナー 投稿者:北風 投稿日:2009/03/10(Tue) 11:34


ハンセン病市民学会図書資料部会第3回セミナー
      後援・NPO法人むすびの家・FIWC関西委員会・論楽社
ハンセン病参加の諸相

3月21日(土曜)
司会 木村聖哉(鶴見さんとの共著『「むすびの家」物語 』著者)
13:00 開場
13:30 主催者あいさつ 藤巻
14:00 基調講演 鶴見俊輔
15:00 生かされる日々―神谷美恵子のこと、らいを病む人々とのこと(仮)
         上田政子(元・愛生園精神科婦長)
休憩
16:15 大江満雄と私 木村哲也(大江満雄『癩者の憲章』編者)
16:45 講師と木村さんを交え質疑応答
18:30 終了
場所を移して懇親会

3月22日(日曜)
司会 虫賀宗博
9:15 開場
9:30 詩の朗読 佐渡裟智子
10:00 岡部伊都子さんとハンセン病(仮) 虫賀宗博(論楽社)
10:30 アジアを結ぶワークキャンプ(仮) 柳川義雄(FIWC現役キャンパー)
11:00 質疑応答
11:30 閉会挨拶 湯浅進(NPI法人むすびの家理事長)
 
    (リベル) 北風さん、こんばんは。

「イベント情報」の方も更新しておきました。

いよいよあと一週間ですね。花便りはこんな風になっています。22日の午後はお花見も良いかもしれませんね・・・^^(3.14 00:33)
 

以上は、新着順501番目から600番目までの記事です。 2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  |  《前のページ |  次のページ》 
/13