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阿直岐と阿知使主

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月13日(金)18時15分21秒
返信・引用  編集済
  今日は雨に振り篭められてノンビリと「libido excellendi」を検索していました。そこで出て来たのがこのサイトです。著者のクリストファー・マーロー(Christopher Marlowe―1564〜1593年―29歳で亡くなっています)を調べているとペラギウス(360頃〜420年頃)なんて聞いたことのない名前が出て来て、どちらも「人名歴史年表」には入れていませんでした。このサイトは高校の教科書を基準にしているからそれで良いのですが、やはり追加しておきました。

そんなことをしている内にペラギウスやアウグスティヌスと同年代に漢字や仏典を輸入した王仁や阿知使主や阿直岐が居ることに気付きました。

恥ずかしいことですが、私は「阿知使主」と「阿直岐」は同人物であるかも知れないという「ウィキペディア」の説を盲信していたことに気付きました。それからが大変でした。日本書紀の「応神天皇十五年、十六年、二十年」、「大辞林」、「広辞苑」、「万有百科大事典」、「世界大百科事典」のいずれにもキチンと分けて書かれていました。

と分ったときにはクリストファー・マーローなんかどこかへ飛んで行ってしまっていて・・・それにしてもアウグスティヌスというお人は凄く影響力の大きかった、いや大きいですか、思想家だったのだなあとつくづく感慨に耽りながら焼酎の待つ食卓に向かったことでした。

その食卓では当然のことながら、およそアウグスティヌスとは関係のないシーンが待ち構えていて・・・。何かまあ筑前煮風の煮物が有るのですが、(ここで我が家の食卓について説明します。1ダースの子作りを標榜していたので横浜・伊勢佐木町で買ったテーブルは畳一畳は大袈裟ですがまあ大きいものなのです。今は二人だけになって夫婦は対角線の両端に座っている状況です)いつもは中央に出て来る筈の鉢が向こうの端の落ちそうな角に置いてあるのです。ややあって気付いた私が詰問すると、何か「味付けに失敗して美味しくないから」と申します。なら出さなければ良いじゃないかと思う一方、その心情に思い至ると可笑しくて大笑いして、食べるとなんとこれが美味しいのです。

本日は「オチ」を設けませんでした、というかどうにも見付からなくて・・・まあ「煮て非なるもの」とでもしておきますか・・・(^^;)


見た目、これに似ていました・・・
 

Re: 悩みに対する答えが出ました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月13日(金)03時30分49秒
返信・引用
  > No.4251[元記事へ]

> 「三つの秩序」との関わりについては、上の文章は明解なヒントをくれはしましたが説明はしてくれていません。私の考え方は明日キチンと説明します。

と書きましたが、もう2〜3日頂戴したく存じます。「ヨハネの手紙 一」も完全に理解しないと、書くのが失礼だという気もしますし、念のために矢内原氏の「告白・講義」にも目を通しておきたいし、そうですね一週間ください・・・m(_ _)m
 

余談:カーネル・サンダース

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月12日(木)05時49分28秒
返信・引用  編集済
  関西では熱狂的な阪神ファンが多く、昨日の「ちちんぷいぷい」という番組でも一昨日の上半身に次いで「下半身」が見付かった話題で盛り上がりました。桂南光、月亭八方と二人の落語家も出ていて、中でも八方さんは折り紙付きなのです。

「上ハンシン」が水から上がって「胴上げ」でこれは今年はもう決まったようなものだと八方さん。すかさず南光さんがフォローしました・・・

しかし「下半身」を掬い上げたのは余計だった。足を掬われては困るのだっ!うまいっ・・・(^-^)//""パチパチ


24年ぶりに陸に上がったカーネル・サンダースさん。
あと12年沈んでいたら3ダース・・・バカッ!
 

悩みに対する答えが出ました

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月12日(木)03時52分48秒
返信・引用  編集済
  悩みに対する答えが出ました、が訳すのが辛いほど疲れましたので、ズルをさせてください。「SpeedyLook」というサイト(「leprosy」の説明を読むと信頼度が分ると思います)で「concupiscence(情欲)」を入れて出て来たのをコピペします。(何カ所か明らかな間違いがあったので訂正しました。「fomitem」だけは不明です)


The concupiscence is a term whose theological origin indicates the Désir Excessif of the significant pleasures. One finds in I Jean 2 , 16 judgment of the concupiscence in three forms: the covetousness of the flesh ( concupiscentia carnis ), the covetousness of the eyes ( concupiscentia oculorum ), and the pride of the life (known superbia vitae quae non est ex Patre sed ex mundo). The current language tends to reduce the word within the meaning of Libido or sexual desire.

In book of the City of God , Saint Augustin seems to refer to this passage by condemning in its turn the desire to dominate ( libido dominandi ). The Christian tradition compares the concupiscence to the "hearth of the sin" ( concupiscentiam vel fomitem ), consequence of the Original sin .

In the Thoughts , Pascal quotes the epistle of Jean but by reformulating it in the terms of Augustin: libido sentiendi, libido sciendi, libido dominandi.

参考:theological=神学的な、the Désir Excessif=強欲、of the significant pleasures=これも実は良く分りません(汗)。七つの大罪の2番目の「l'orgueil (Superbia en latin) 」にご注目↓私のメモ参照、I Jean 2 , 16=ヨハネの手紙 一-2-16、covetousness=強欲、the City of God=「神の国」、Saint Augustin=アウグスティヌス、condemn=非難する、hearth=中心地、the Thoughts=「パンセ」、the epistle of Jean=ヨハネの手紙、reformulate=別の形で定義する(私のメモ

特にポイントは最後の行です。”「パンセ」でパスカルはヨハネの手紙を引用していますが、しかし、アウグスティヌスの言葉を借りてlibido sentiendi, libido sciendi, libido dominandiと別の定義を下しています。”とでも訳すのでしょうか。実は「sentiendi」「sciendi」「dominandi」には全く悩まされましたが、「羅和辞典」の付録で「動詞的中性名詞の属格」であることを突き止めて疑問が氷解しました。それぞれ「sentiō(感ずる)」「sciō(知る)」「dominor(支配する)」の語尾変化でした。アウグスティヌスの著書「神の国」(の方だったか、ウーム「告白」を買ってしまった!)にこの言葉が有るはずです。

「三つの秩序」との関わりについては、上の文章は明解なヒントをくれはしましたが説明はしてくれていません。私の考え方は明日キチンと説明します。どうもお疲れ様でした、はい、もしここまでお付き合い頂いていたとしたら、貴方に申し上げています・・・^^(3.12 06:32脱走)
 

田辺保著「パスカル伝」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月11日(水)02時45分37秒
返信・引用  編集済
  パスカルにまつわる逸話の中で有名なのが「回心」です。

連れ合いの実家へ勤労奉仕=農作業や山仕事の手伝いに通っていた頃、目覚めが早くてよくNHK教育テレビの「こころの時代」というのを聞いていました。今調べたらおよそ9年前になります、「こころの時代 宗教・人生 人間とは何か 〜パスカルとともに〜」放送日2000年5月28日 というのが検索に掛かりました。この時話をされたのが田辺保氏でした。ご自分の「著作集」を背に話しておられて、やたらにそれが目に入るように工夫されていたのを腹立たしく思いながら聞いていたのですが、しかしそれにも拘わらず魂を揺すぶられました。

「回心」の話をこの時初めて聞いたのかどうかは忘れましたが、少なくともそれが契機で「パスカル伝」を買ったのは確かです。この本は面白かったです。それは恐らく、今もつい読み耽っていたのですが、田辺氏の情熱のせいだと思います、語りが熱いのです。

私は勿論例の「libido sentiendi」どうのこうのの詮索のために引っ張り出してきたのですが、パスカルが日頃どんな聖書を読んでいたか、アウグスティヌスとの関わりはなどと調べていたら、索引にアウグスティヌスだけで17カ所あり、索引に洩れているページもあちこちに有ります。アウグスティヌスやジャンセニウスを座右に置いて執筆していたらしいです。


何か「三つの秩序」などどうでも良くなってくるような気持ちになってしまいます。アウグスティヌス自身も試行錯誤を重ねていたらしいし況んやパスカルに於いておや、です。「真」や「愛」は人間界には求むべくもない、という基本を胸に置いて、矢内原忠雄著「アウグスティヌスの「告白」講義」を読むことにしました。もう、パソコン貯金が底を突いてきた・・・今度壊れたらどうしよう・・・しばらくパソコンを離れて「パンセ」片手に思索の生活に入るか?「法華経」片手に仏門に入るか・・・(笑・・・が強張る)


Aurelius Augustinus
 

Re: いろめく

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月10日(火)17時56分23秒
返信・引用
  > No.4248[元記事へ]

> > C 軍勢に敗色があらわれる。
> >
> > 大辞林では・・・
> >
> > C (敗色が見えて)動揺し始める。
> >
>
> これが、どうも合点が行かないのですが。
> こんど、鎌倉の先生に聞いて見ます。


ほんとうだ、現象とその結果の違いがあります。「日本国語大辞典」を引いてみました。そのCにこうあります・・・

C戦いに敗れる様子が見え始める。動揺し始める。*太平記-八・摩耶合戦事「かかるかと見ればさもあらず、色めきたる気色に見えける間」

大辞林を見ると、同じ用例を引いています。で広辞苑の用例を見ました。なんと同じ「太平記-八」からですが「すはや、敵は色めきたるは」でした。ということは結局広辞苑の語釈が舌足らずだったのだと思うのですが如何でしょうか。

広辞苑の「敗色があらわれる」だけは、同じ「現象」を述べた語釈ではあっても「はなやかになる」と違って「現象の叙述」に止まってしまっていて、そこから引き起こされる「人間の感情」を彷彿させないところが「異色」だと感じるのですが・・・?
 

Re: いろめく

 投稿者:北風  投稿日:2009年 3月10日(火)14時20分30秒
返信・引用
  > No.4247[元記事へ]

リベルさんへのお返事。


> C 軍勢に敗色があらわれる。
>
> 大辞林では・・・
>
> C (敗色が見えて)動揺し始める。
>

これが、どうも合点が行かないのですが。
こんど、鎌倉の先生に聞いて見ます。
 

Re: いろめく

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月10日(火)12時50分6秒
返信・引用  編集済
  > No.4246[元記事へ]

> 直感ですが、今頃は柳の枝が緑に、桜の若い枝は赤みを帯びています。ここいらへんが語源ではないか。で、若い娘が「いろめく」のようにも使われる。
> そうすると、あんまり「負」のイメージはない。
>
> 色めきたつは、「色めく+たつ」で「たつ」は、目立ってくると言う言葉自体のとおり、目立ってくるの意味でしょうから、「日本国語大辞典」の語釈@には語源的にも違和感があります。もっとも、おいらの直感が当っていればの話ですが。


あ、そうだなと色めき立って、今度は「いろめく」で辞書を引いてみました。語源順に語釈を並べているという広辞苑では・・・

@ 目に見えて色がはっきりしてくる。時節になって色づく。花やかになる。
A 異性に対して関心があるように見える。また、そのようにふるまう。
B 興奮・緊張した様子があらわれる。感情が露わにでる。
C 軍勢に敗色があらわれる。

大辞林では・・・

@ 緊張した様子が表れる。興奮する。活気づく。
A 好色そうに見える。あだめく。
B 美しい色を見せる。はなやかになる。
C (敗色が見えて)動揺し始める。

と全く仰有る通りの答えが出ました。流石北風さん、直感はズバリ的中ですね・・・^^


赤き実の いよよ色めく 小春かな
 

いろめく

 投稿者:北風  投稿日:2009年 3月10日(火)09時38分22秒
返信・引用  編集済
  直感ですが、今頃は柳の枝が緑に、桜の若い枝は赤みを帯びています。ここいらへんが語源ではないか。で、若い娘が「いろめく」のようにも使われる。
そうすると、あんまり「負」のイメージはない。

色めきたつは、「色めく+たつ」で「たつ」は、目立ってくると言う言葉自体のとおり、目立ってくるの意味でしょうから、「日本国語大辞典」の語釈@には語源的にも違和感があります。もっとも、おいらの直感が当っていればの話ですが。
 

”色めき立つ”

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月10日(火)00時04分56秒
返信・引用  編集済
  「色めき立つ」は辞書にどう説明してあるか?先ず自分でお考え下さい。それも一興でしょう・・・。こういうのってなかなか命中しませんね、でも少しでも掠ると(これで合っていました)嬉しいものですね・・・^^。辞書にはこう書いてあります・・・


大辞林:緊張・興奮の様子が表れる。また,動揺し始める。

新明解:緊張した様子が現われる。活気づく。

日本国語大辞典:@戦いに敗れる気配が現れる。動揺し始める。A緊張した様子がみなぎる。

私にはどうも「新明解」が一番身近に感じられます。「日本国語大辞典」は語源がそこらしいと勉強にはなるのですが、「緊張がみなぎる」ところまで行くのは、チョットオーバーな気がして、これは「大辞林」の「動揺」も同じですが。振り返って考えてみると私も血気盛んな年配の頃はそれくらいに感じていたかも知れません。そう思うと辞書を作る側も大変だなあと、変に感心したりしているのも、おかしいですか・・・。

で、実は私は今日二度「色めき立ち」ました。夕方の4時半頃連れ合いが電話機を耳に当てながら肩を叩くのです。聞いてみると「只今から3月9日16時現在の合格発表並びに補欠許可状況について・・・」とこれまでの女性の声が男性の声になっています。数時間前までは「只今から2月27日現在の・・・」と10年1日の如く、いや本当にオーバーでなく長く感じるものですね。連れ合いが「色めき立つ」のも、それから私が「色めき立つ」のも無理はないでしょう?

結果は文学部は未だでした。ダメかも知れませんがその場合は学習院に「入学金」を毟り取られているので、そちらへ行くことになります。良家の子女ばかり行くのかと思っていたらそうでもないのですね。麻生先輩がいますから「漢字教育」だけは心配です・・・(笑)未だ針の筵状態は続くことになります。何か今は「慶応」は勝ち組で「学習院」は負け組だと、孫の高校ではそうなっているそうですから、私が珍しく毎日散歩の途中の神社に立ち止まって手を合わせるのもお分り頂けるでしょうか。


もう一つ「色めき立っ」たのは他でもありません、松浪訳の注にこの言葉を見付けたときです。「ジャンセニウスの「アウグスティヌス」ではヴルガータのlibido excellendiの代わりに、libido dominandiという訳語が用いられている」。「libido」、「sentiendi」、「siendi」などはラテン語は勿論イタリア語の辞書まで引いていたのですが、日本語になっている「リビドー」以外は見当たらなくて難渋していたのです。ウルガタ聖書ならラテン語ですからラテン語の語尾変化で「”-di”は形容詞を作る接尾語である」という文言を探しに図書館へ行こうと思っていた私にとっては「福音」でした(本当はどうだか確かめますが)。

で、「色めき立っ」た私はラテン語で書かれた「ウルガタ聖書」を検索して沢山見付けました。一覧表の最後に付け加えていますが、でも「libido云々」の文字が全く見当たらないのです。ならば「ヴルガータのlibido excellendiの代わりに、libido dominandiという訳語が」の一節は一体何のことなのか?ウルガタ聖書で「libido excellendi」が使われていて、後世の翻訳者が「the pride of life」ほか様々に翻訳したのだとすれば、パスカルは正しい聖書解釈を引き戻したのだと言えるのですが・・・。

「白癩」や「kilāsa」を放擲したまま、この旅は未だ続きそうです。では行って参ります・・・(^_^)/~
 

聖書は正しくパスカルも正しく・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 9日(月)02時30分20秒
返信・引用  編集済
  先ず何から始めたかと申しますと「聖書ヨハネの手紙 一-2-15〜」をよく読むことでした。それからこのサイトの「世を愛してはいけません」などの牧師さんの解説をアレコレ読みました。「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」牧師さんの解説で「目の欲」とは何のことかなどが良く分かりました。「持ち物の誇り」も文字通りの意味だということも。

さてそうこうしている内に、アット驚くことになります。松浪訳には細かい索引が付いています。そこで「目の欲」を調べたらそれを扱ったもう一つの断章が有ったのです。また三冊並べます・・・

前田・由木訳続き   津田訳(2)=「ヨハネ第一の手紙」2-16(3)=ジャンセニウスの「アウグスティヌス」のうちにある言葉。ただし同書では最後の言葉が「優越欲」となっている。   松浪訳(注に詳しいです)


何と言うことはなかったのです。パスカルは「ヨハネの手紙 一」を承知して引用しています。


しかし、上に示したページでは、すべて「生命の誇り」となっていることにご注目下さい。欽定訳は「the pride of life」と訳しました(1611年)が、最近の聖書は「生活のおごり(新共同訳・1987年)」、「持ち物の誇り(口語訳・1954年)」、「worldly arrogance(ISV・2008年)」、「extravagant lifestyles(GOD'S WORD Translation・1995年)」、「the vain glory of life(ASV・1901年)」などと多様に訳しています(このサイトの下の方に言葉に関する解釈がいろいろ出ていますが、パスカルに言及したコメントは有りません)。パスカルはこの箇所を「アウグスティヌス」からの引用で「支配欲」「優越欲」と物質から離れた精神的なものとして捕らえているのです。そして「目の欲」を「アウグスティヌス」の「知識欲」に対応させています。一覧表に加えましたのでご覧ください。

ここからパスカル独自の聖書解釈について考えたいのです、いや大体それが有るのかどうかも含めて、が今日はここでご勘弁願います。最後に松岡正剛さんのサイトのこんな言葉を引用させて頂いて・・・(3.9 04:09脱走^^)

「パスカルについて書こうとすることが、こんなにも気分を澄ませるとは思わなかった。いや、まだ何も書いてないが、久々に読んでいるうちに、そうか、『パンセ』はこう読めばよかったかと思えるようになり、そのように感じることで気分がやけに澄んできた・・・」


ブレーズ・パスカル
 

パンセより。

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月 8日(日)18時08分35秒
返信・引用  編集済
  どうも。お邪魔いたします。

http://www.haizara.net/~shimirin/blog/akiko/blosxom.cgi/book/20090308151911.htm

リベルさんのご興味の展開と、ぼんやりとわたくしが感じていることに微妙な違いがあるようですので、ここに書いてみました。お返事は無理にお書きにならないで下さい。リベルさんの思考をお邪魔する心配がありますので(^^)。
 
    (リベル) あずきさんこんばんは。只今拝読してきました。

けっして「中途半端」ではないと思いました。パスカルの嘆きはそういうところにあるのでしょう。「三つの秩序」は理想型なのだけれども三つ目の秩序「愛の最も小さい動作」は「無限に高」く、「超自然的」であって手が届かないと、そういっているのだと思います(参考)。

さて、私のあの考え方は現在袋小路に行き当たってしまいました。答えは出たのですが、データ不足と調査不足と語学力不足と脳細胞不足で面白い段階に入っています。言い換えれば以上の四つが整えば私のあらまほしい結論が導き出せるかも知れないのです。データを集めながら2〜3日寝かしてみます。

バートランド・ラッセルの言う「無意識」にしばらく預け入れます・・・^^(3.8 23:37)
 

パスカルの「三つの秩序」と「ヨハネの手紙」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 8日(日)03時05分1秒
返信・引用  編集済
  まあ、思えば私もとんでもないことに挑戦しようとしているわけで、これは余程臍を固めて臨まなければと、褌を締め直しています。臍や褌の問題だけではなく、「パンセ」と「ヨハネの手紙」をもっともっとよく読んで自分のものにしなければ、雷に打たれそうなテーマだと思っています。もう使うことも有るまいと埃をかぶっていた1954年の「口語訳・聖書」を読んでみました。これは一筋の光明を与えてくれました。「肉の欲、目の欲、持ち物の誇り…」としているからです。

パスカル(1623〜1662年)がフランス語の聖書を読んだのかラテン語の聖書を読んだのか、それも不明です、調べが追いついていません。フランス語訳は未だ完全なものでなかったことは「ウィキペディア」から分るのですが。彼は「ヨハネの手紙 一-2-16」をどう読んだのだろう。「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲目の欲持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」

今から朝にかけて「三つの秩序」を表にすることにしました。ここで注意しなければならないことがあります。「津田訳」には「秩序」に「ordre」と原語が付してあります。そもそも「秩序」という訳が話を分かり難くしています。仏和辞典を引いても他に「順序」「種類」なども有るのです。つまり「人間には三つの種類があってそれを順番に並べるとたとえば」というのを「秩序」という「物事が正しい状態を保つために守るべき、一定の順序(きまり)」の意味が強い言葉で置き換えたのが悪い、私はそう思っています。その三種類が「金や権力重視の人」、「探求心の強い人や学者」、「正義を求める賢者」である、と言えば分かり易いのに、と私は思っています。そして前の二つが「世と世の欲」であり、後の一つが「永遠に長らえる」のだと。それでは今から表を作りに行ってきます・・・(^_^)/~

作りました。まあ気休めみたいなものです。ただこうして見ると「三つの秩序」で何が言いたいのかが少し分かり易くなったのではないかということが一つ。もう一つは昨日書きっぱなしにしてしまった、もう1カ所の「三つの秩序」です。これは一見、読むのが面倒なのですが、この表を元にすると分かり易くなってくるのです。以下にご紹介します。

前田・由木訳断章793続き     津田穣訳断章793続き     松浪訳断章308続き

これらの最初の方に出て来る「肉に於いて偉大」、「肉的に偉大」、「肉体的に偉大」が「富者や王」を指すことは明らかです。少し後にこうあります。「偉大な天才達…彼らは目では見えないが、精神で見える。」、「眼によってではなく精神によって見られる。」、「肉眼では見られないが、精神で見られる。」。これが「眼の欲」、うーん、かもしれない。

ここで三番目の「秩序」として「聖徒たち」が出て来ます。これは無限に高い「秩序」に属するものであり「愛」であるとしている、と私は読みました。断章460では「正義」を目的とする「知恵」が三つ目の「秩序」でありそれは「誇」って当然のことだとして、「愛」には触れていません。パスカルにとって真の愛は神の領域に属しているのでしょう。

という辺りまでは来ましたが、さて「ヨハネの手紙」の「the pride of life」が「三つの秩序」の三番目であるという確証には至っておりません。無理にこじつけようとしても、出来ません。疲れたからだと思います。また明日挑戦いたします・・・ (o_ _)oパタッ! (3.8 06:57脱走^^)
 

ひょっとすると冗談ではなくなります

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 7日(土)13時07分37秒
返信・引用
  なにか下に書いたことを読み返していると、だんだん冗談ではなく思えてきました。もし、パスカルの聖書解釈が正しかったら、そしてラテン語、ヘブライ語へ遡っての検証がなされたら、現在の聖書解釈は覆ります。そうすると世界中の聖書は書き換えられなければならなくなるのです。

下の前田訳もキーになる最後の行を付け加えておきました。今から印刷して読みながら歩いてきます。ではでは・・・(^_^)/~
 

またまた大発見!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 7日(土)03時48分0秒
返信・引用  編集済
  またか、大袈裟なんだよなあ、いつも・・・、と言われそうですが、これは意外な盲点かも知れないのです。先程の話題をなんとなくソソクサと切り上げた理由も、これを早く書きたかったからなのです。

今私は「パンセ」を三種類持っています。先程から「三つの秩序」について少し説明するために、その部分をアレコレ調べていたのですが、そのときフト妙なことに気付きました。三冊のそのページを並べます・・・

   松浪訳     前田訳(最後の行は次頁)次頁へ(注1は「コリント前書1-31」です)     津田訳(*印で挟まれた言葉はパスカルが後から加筆した部分です)

妙だなと思ったのは津田訳の最初の行の「肉の欲、目の欲、…の誇り。」です。途中で点線が使われる場合は原稿が読み取れない場合だと認識していましたが、今回調べてみても「凡例」にも「あとがき」にも何の説明も有りません。他の訳は「誇りなど。」とまあその目で見れば、紛らわしい書き方です。

そこで検索しました、「肉の欲、目の欲、の誇 三つの秩序」で。そうするとやたらにヒットするのが「すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。」です、これは新約聖書のヨハネの手紙一、2-16に有るのです。この部分は欽定訳ではこうなっています。

「For all that is in the world, the lust of the flesh, and the lust of the eyes, and the pride of life, is not of the Father, but is of the world.」

このサイトに様々な英訳が並んでいます。最近の訳では「worldly arrogance」などとなっていますが、最初のヘブライ語ではどう書いてあったのか。浅薄に解釈せず、パスカルのように深く読み込むと「the pride of life」は「生きることの誇り」だったのかも・・・。聖書のその部分もこういう言葉で終わっています「しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます。」

これは考えすぎかもしれませんが、聖書を諳んじていたというパスカルのことです。この部分を引用したと言うことは十分に考えられることです。しかも「三つの秩序」の冒頭にです。この三つが「身体」、「精神」、「意志」に呼応していると考えるのは、どちらかと言えば自然ではないでしょうか。

パスカルの研究者の方に申し上げたい。自筆原稿の写本だったか日本にもお持ちの方がいらっしゃいます。そこでお調べ頂きたい、恐らく消えかかっているか、兎に角読み取りにくいこの部分は、聖書のこの言葉が綴られているはずですから。


ブレーズ・パスカル
 

Re: 「パンセ」でネグッタこと(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 7日(土)03時02分58秒
返信・引用  編集済
  > No.4236[元記事へ]

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。 しかしそれは考える葦である。 これを押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。 一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。 しかし宇宙がこれを押しつぶすとしても、そのとき人間は、人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。 なぜなら人間は、自分の死ぬことを、それから宇宙が自分よりずっと勝っていることを、知っているからである。 宇宙は何も知らない。

 だから我々のあらゆる尊厳は考えるということにある。我々が立ち上らなければならないのはそこからであって、我々の満たす事のできない空間や時間からではない。だからよく考える事を努めよう。ここに道徳の原理がある。」(これは津田穣氏訳(新潮文庫)「パンセ」)



私が実は理解出来なかったことが二つあります。一つ目は「崇高(尊い、高貴)」と「尊厳」です。でもこれは、かのホリエモンの「何でも金で買える」話を思い出して、スルリと分りました。「宇宙の強大な力」を「金の力」に置き換えて。どんな暴力も大金も人間の知識や高い精神(こころざし)を押しつぶすことは出来ません。そのことを言っているのだと思います。

「空間や時間」も「宇宙」も「現世」も「物質」も「金」も、人間の知的活動を踏みにじることは出来ないということを、言っているのだと思います。これについては有名なパスカルの「三つの秩序」を読むと理解の助けになるのですが、下に松浪訳の写真を入れておきますので、お読み下さい、別の大きなテーマになってしまいますので。


もう一つ分らなかったのは、「ここに道徳の原理(根源)がある」です。パスカル(1623〜1662年)はカント(1724〜1804年)より101年早く生れているのですが、私はカントさんにヒントを得ました。3月1日に書いた「(1) 私は何を知りうるか。 (2) 私は何をなすべきか・・・」というカント哲学の思考の流れです。「考え」、「知り」そして「何をなすべきか」という道徳が導き出される、如何でしょうか?無理が有りますか?少し不安ですがこれで良いのではないかなあ・・・(汗)


「三つの秩序」の説明です。中公文庫、新潮文庫の場合は断章460になります。他に断章308(同793)もお読み下されば・・・。
 

第15回ロードマップ委員会

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 7日(土)00時52分53秒
返信・引用  編集済
  昨日開かれた「第15回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会(ロードマップ委員会)」が結論を出しました。「ハンセン病問題に関する検証会議の提言」というのは「ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 第十九 再発防止のための提言」のことです。

最終報告書が出たのが2005年3月1日。「第1回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会(ロードマップ委員会)」が開かれたのが1年後の2006年3月29日。それから丸3年かけて出た結論が今回の「医療基本法」(仮称)の制定を求める報告書」です。参考:判決後の闘いの歴史

これは実は「提言 第1」に対する答えだけではないでしょうか?

「第1 患者・被験者の諸権利の法制化 一 提言の趣旨」の最初の文章は・・・

「国の誤ったハンセン病政策は患者・家族らに言語に絶するような重大で広範な人権侵害をもたらした。(中略)公衆衛生等の政策等におけるこのような人権侵害の再発を防止するための核とされるべきは、患者・被験者の諸権利を法制化することである。」

です。今回の「報告書」なるものは、早い話がこれを言い換えただけではないでしょうか・・・?「ハイ、そうですね、そう致しましょう」と。
 

定義集

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月 7日(土)00時36分21秒
返信・引用  編集済
  > No.4235[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> 「ちくま哲学の森・別巻・定義集」本日到着、送料共で1090円也。

うう。わたくしは2370円で第一刷を買いました。お安くなったのですね。

> 分厚いのにも驚きましたが開けてビックリ約600人の古今東西の文人・思想家の言葉がさあ一体何千有るでしょうか、まさに思想の宝庫です。なるほどと思いました、あずきさんにとっては或いは詩想のヒント集として使えるのかも知れないなあと・・・(駄洒落あり^^)。

わたくしが、この本を開く時は、理不尽な思い、悲しい思い、納得いかない思いがある時なのです。この本の言葉は散文詩のようなものですから、詩作の時には読まないようにします。引用してしまうのが恐いのです(^^)。
今日は一日出かけていましたので、また明日お邪魔します。その頃にリベルさんの「道徳」が解決されているのではないでしょうか?
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは。

>うう。わたくしは2370円で第一刷を買いました。お安くなったのですね。

ではなくて、古本屋で800円+送料だったのでした^^

>わたくしが、この本を開く時は、理不尽な思い、悲しい思い、納得いかない思いがある時なのです。

それを聞いた後で、トイレで開いてみました。なるほど仰有るとおり、一種高級な(?)気の紛らわし方だと、実感しましたよ^^

>その頃にリベルさんの「道徳」が解決されているのではないでしょうか?

お疲れの時にご免なさい。はい今から書こうと思っています。どんなことになりますやら・・・(^^;)(3.7 01:10)
 

「パンセ」でネグッタこと(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 6日(金)12時40分49秒
返信・引用  編集済
  > No.4235[元記事へ]

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。 しかしそれは考える葦である。 これを押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。 一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。 しかし宇宙がこれを押しつぶすとしても、そのとき人間は、人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。 なぜなら人間は、自分の死ぬことを、それから宇宙が自分よりずっと勝っていることを、知っているからである。 宇宙は何も知らない。

 だから我々のあらゆる尊厳は考えるということにある。我々が立ち上らなければならないのはそこからであって、我々の満たす事のできない空間や時間からではない。だからよく考える事を努めよう。ここに道徳の原理がある。」(これは津田穣氏訳(新潮文庫)「パンセ」)


「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。

 だからわれわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」(前田・由木訳(中公文庫)「パンセ」)


「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶすときにも、人間は、人間を殺すものよりもいっそう高貴であろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知らない。

 それゆえ、我々のあらゆる尊厳は思考のうちに存する。我々が立ち上らなければならないのはのはそこからであって、我々の満たすことのできない空問や時間からではない。それゆえ、我々はよく考えるようにつとめよう。そこに道徳の根源がある。」(松浪信三郎訳(講談社文庫)「定本パンセ」)

前に書いたのを整理して、それぞれにそれに続く節を追加しました。行を変えた後の文章です。同じものを訳しているのですから、似たような訳文になるのは当たり前ですが、それでも読み比べた方が、理解しやすくなると思って煩雑ですが列挙しました。ネグッタというのは今付け加えた部分が良く理解出来なかったから書かなかったことを言っています。

私が分らないのは「そこに道徳の原理がある」、「そこに道徳の根源がある」と言うことなのです。印刷して歩きながら考えてみることにしました。では行って参ります・・・(^_^)/~
 

Re: 贈り物です。

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 6日(金)04時14分30秒
返信・引用  編集済
  > No.4227[元記事へ]

> わたくしは「ちくま哲学の森・別巻・定義集」からみつけたもので、翻訳者が記されていません。
> 編者は、鶴見俊輔、安野光雅、森毅、井上ひさし、池内紀、となっていますので、「池内紀」ではないか?と思います。


「ちくま哲学の森・別巻・定義集」本日到着、送料共で1090円也。

分厚いのにも驚きましたが開けてビックリ約600人の古今東西の文人・思想家の言葉がさあ一体何千有るでしょうか、まさに思想の宝庫です。なるほどと思いました、あずきさんにとっては或いは詩想のヒント集として使えるのかも知れないなあと・・・(駄洒落あり^^)。

気になっていた翻訳者のこと、パスカルの例で調べました。p.449にこんなのがあります・・・

「人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。 しかしそれは考える葦である。 これを押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。 一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。 しかし宇宙がこれを押しつぶすとしても、そのとき人間は、人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。 なぜなら人間は、自分の死ぬことを、それから宇宙が自分よりずっと勝っていることを、知っているからである。 宇宙は何も知らない。」

これは津田穣氏訳(新潮文庫)「パンセ」からでした。前田・由木訳(中公文庫)「パンセ」は・・・

「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。」

松浪信三郎訳(講談社文庫)「定本パンセ」は・・・

「人間は自然のうちで最も弱いひとくきの葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶすときにも、人間は、人間を殺すものよりもいっそう高貴であろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知らない。」


p.527には・・・

「無神論は精神の力のしるしである。しかしある段階までだけ(である)。」

と有りますが、これは前田・由木訳からで、()内が抜けていました。私はこっちも津田訳の・・・

「無神論は精神の力を示している、が或る程度までのことにすぎない。」

の方を何故使わなかったのか疑問に思いました。「葦」の断章を読み比べても津田訳が一番こなれた日本語で読みやすいのです。ここまで来たらついでにこれの松浪訳も・・・

「無神論は、単に或る程度までのことではあるにせよ、精神的な力のしるしである。」


翻訳のことはどうでも良いのですが、考えさせられることが次から次へと満載で、しかしこれは痔を悪くするほど長く読み耽ることがないので、我がトイレタイムには好適です。本編の紹介を見たら全八巻、いずれも面白そうで、古書店をひやかしたくなってきました・・・^^チョット行ってきます・・・(^_^)/~
 

遂に銅メダル

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 6日(金)02時18分21秒
返信・引用  編集済
  > No.4223[元記事へ]

> 何てったって凄いのはGoogleで「年表」などという「ビッグワード」で検索して「五位」に入っていることです。何と一億七千万ヒットした中の五位は凄いでしょう。まあYahoo!では全く見当たらないし、こういう検索の当てにならないのは本人が一番承知しているのですが、本当は気分の悪いものではありません、どころでなく舞い上がって・・・はいませんが・・・^^(やはり今調べたら、13位でした。本当に当てにならないものです、今度は画像を撮っておきます^^3.1 07:09)

> 「六位」の画像ゲット!右上に「170,000,000」右下に「01 日(曜日)12:34」(大きい画像3月2日五位復帰)


しかしこうなると、検索エンジンなるもののいい加減さが逆に見えてきて、少しがっかりするのも本当の気持ちです。

でも、何でこんなチョット偏ったサイトが1億7千万の並み居る強豪を抑えて上位にいるのか、とても不思議に思うと同時に、何か神秘的な光でも発しているのかなあ、などと小鼻がうごめくのも本当の気持ちです。正直言って「訝りながらお腹の中で笑っている」という気持ちです・・・(^^;)
 

桑の実と検察当局

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 5日(木)05時06分17秒
返信・引用  編集済
  私の育った福知山など丹波・丹後地方は養蚕が盛んで今のグンゼも登記上の本社は隣町の綾部に有ります。子供の頃「グミ」はやはり窃盗以外に入手は難しかったのですが桑の実は桑畑の端っこへ行けば無料かつ無制限でした。欲張ってシャツのポケットへ入れたまま遊んでいて、実が潰れてシャツを大汚ししてオフクロに叱られたりしたものです。

故有ってその桑の実の写真を探していたら妙なものを見付けました。「水飲み場」の写真集です。チャントは数えていませんけど2,000枚は有るでしょう、撮りも撮ったりですね。水飲み場と言えば「余り役に立たないけど、無いと困るときもある」ものの代表選手のように言われていますが、そういえば最近の世の中では「新聞の天気予報」も形骸化してきました。

私は毎日散歩する前に、怪しい場合はインターネットの「リアルタイムレーダー」で雲行きを確かめます。これは10分おきに更新されるので、新聞より確かなのは勿論、テレビより随時性に優るので誠に重宝します。インターネットもテレビ・ラジオも無い場所ではしかし新聞に頼る他はないのです。

最近「夏彦・七平の十八番づくし」の復刻版が出ています。立ち読みしたら面白いので探し出して読んでいます。その中でお二人が新聞についてこんなことを・・・

七平:いいかげん飽きました(笑)。
夏彦:新聞はだんだん読まれなくなってるでしょう。近くだめになる。それを楽しみに待っています。

それから丁度四半世紀経っています。「新聞・TVが消える日」などという本も出ていますが、そうなのでしょうか。私は一晩中活字と向かい合ってクタクタになった朝は、さすがに朝刊を読めません、がこれは体力のせいでしょう。天気予報は兎に角、新聞はそれに気付いた新聞社が「がんばっている」のか私は飽きて来ません。

しかしダメになりそうでならないのは、小沢一郎さんもそうだなあと思います。もう終わりだな、と思っていたらそれこそ不死鳥の如くまた「代表」になってしまっています。今回も恐らく切り抜けると思います。私は好きではないのですが、そういう星の下に生れてきて居りなさるような気がして。

しかし恐いのは、真に恐いのは検察です。鈴木宗男さん、佐藤優さん、そして何より凄かったのは「裏金」の時の三井環さんでした。テレビ朝日へ行く日の朝、有りそうもない微罪で逮捕です。検察は恐い、もうこれ以上は書かない方が良いでしょう。

くわばら桑原・・・^^

はい、どこまで脱線できるか、そして元へ戻れるか、トライしてみました・・・(^^;)


桑の実。赤いのは酸っぱくて食べにくいです・・・
 

海中からインド洋を視る

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 4日(水)00時29分57秒
返信・引用  編集済
  これを書こうとして、はて「七つの海」って何だろうと数えてみたら…なんと多すぎたり少なすぎたり、結局知らないと言うことになりました。検索したら現代では・・・

北大西洋・南大西洋・北太平洋・南太平洋・インド洋・北極海・南極海

だそうです、地中海なんて入らないのですね。


私先程こんな夢を見ました。南太平洋(以後太平洋)からインド洋へ入ろうとしています。それも洋上でなく 高樹沙耶さんよろしく深く潜水してから入ろうとしました。ところが驚いたことに太平洋とインド洋の間には歴とした境界が有るのですね。つまり太平洋としては海底から海面までズーット「太平洋」という厚い水の層を保って来た。ここでそう簡単にインド洋にバトンタッチなど出来るわけねえじゃねえかと言うのが言い分です。一方インド洋だって同じ主張があるわけで、これは折れ合うわけがありません。科学的には両方の水が徐々に混ざり合って入れ替わるのでしょうが、夢ではそんな甘いことは許されません。

巨大な巨大な潜水艦よりモット大きなマグロが海底に横たわっていて、その背中は洋上高く聳えています。そうご想像ください。あの独特の銀色をした一番美味しいおなかの部分が目の前を覆っているのです。これが太平洋とインド洋の境界線というか、太平洋側から視ると「インド洋」であるわけです。そこを突き破ろうとしても抵抗感は無いのに知らぬ間にヤンワリとはじき返されています。肩から当たって柔らかで美味しそうなマグロのおなかに沿って進んで行くのですが当然果てがありません。頭から猛然とダッシュして突っ込んで行ってもうインド洋側だろうと海面に浮上して舟の海図を見てもやはり相変わらず太平洋側なのです。ダメだ今日はもう止しにして帰ろうと諦めて浮上すると、あれっ、意外にもインド洋側に来ている。そういう心理上の”境界面”みたいなもののようでした。


何とも雄大な夢を見たもんだなあと思いながら23時頃起きてきたのですが、机の上にメモがない。孫が慶応を受けて補欠のAだったのですが、例年通りだと昨日3日に結果が分ることになっていました。「果報は寝て待て」だからと連れ合いに言いながら18時頃寝たのですが、昨日は通知がなかったようです。

だからインド洋になかなか行けなかったのか、よし明日はしっかり突き抜けてやるからな□○ちゃん(孫の名)と誓いました。

それにしても何故太平洋からインド洋だったんだろう、と夢判断!やはりサンスクリット語に対するインフェリはかなり深いところまで我が心を侵して居りますですね、これは・・・(>_<)

追記:ちなみにオイオイ太平洋とインド洋が接している所って本当に存在するのか?と調べてみました。名にし負うマラッカ海峡は、これは南シナ海。オーストラリアの北はアラフラ海、南はタスマン海に邪魔をされます。結局南極近くで何とか繋がっている・・・?


インド洋を撮影中の私・・・(嘘)
 

余談:もう芽吹き始めたかな???

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 3日(火)02時29分4秒
返信・引用  編集済
  数日前まではどちらかと言えば木枯らしを連想させていたケヤキの枯れ枝が昨日などは3月になったせいか、突然様変わりして少しピンクがかって来た気がするから面白いです。本当は芽吹き始めたのかたぐり寄せて手元で見たくなる気持ちなどもあって、ここ数日は足を止めて見入っています。

ふと気付いたのですが、枝が一本折れています。折角美しい姿なのに何か勿体ない気がしてアングルや距離を変えて、折れていないように見える写真も撮りました。それをここに掲載して種明かしを別に用意しようかとも思ったのですが止めて、いきなりこれを出しました。良く見ると真ん中当たりに見えるでしょう。

生家で今の私より若かっただろう祖母に木の桶の風呂に浸かりながら教えられました、沢山の板を丸く集めて「箍(たが)」で締めてある。この板の内の一枚でも腐っていたらこの風呂桶はダメな風呂桶だと言われる。人間も悪いところを無くしていかなければいかんよ、ということを。

それから約70年経ちました。かっこつけて言うのでなく、ダメでした。いけません。このケヤキは一本だけですが何本も、私は折れた枝を抱えています。こうなるともうあれなんでしょうね、つなぐことは不可能です、つないで息を吹き返させることはもう出来ないのですね。あと、出来ることと言えば、一本ずつ見つけ出して、払い落とす作業をするほかは無いのです。

物事についての考え方も、生きる方向と定めて行っている努力も、お前さん、間違っているかも知れないのだよ、折れた枝かも知れないのだよ、そうであれば払い落としただけでは済まないのだよ・・・わああっと耳を覆いたくなります。

お寺にでも籠もるか・・・^^;


折れた枝を抱えた欅。今年も変わりなく芽吹くのですね・・・
カーブミラーの真ん中に写っているハンサムボーイが私です・・・^^
 

ふだん着でふだんの心桃の花

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 3日(火)01時47分15秒
返信・引用  編集済
  いつも申し上げますが、私は短詩についても全く何の素養もありません。なのであくまで素人談義(だじゃれの気持ちは無かったのですが)なのですが、これは昨日の「素粒子(朝日新聞夕刊のコラムです)」から拾いました。ふだんからあそこには時々俳句が見られるのですが余り心を引かれることは無いのです。

この句は「桃の花」でないとダメなんだろうな、「梅の花」「菊の花」・・・やはり何か似合わない、ということは桃の花というのは(「ふだん」的と言うか)何か他の花より濃い親近感が有るのだろうか・・・?と心を引かれました。「桃太郎」「水蜜桃」なんて関係が有るのだろうか、いやそんなんじゃない何か「素朴さ」?・・・などと。

面白いのは、こうして一つの俳句が出来ると、それが既成事実化してしまうことです。だから何か自由に分解したり取り出したりして考えることが「不自由」になる、そうお思いになりませんか?

いやそうではなくいわば「既成事実化」することが「創作」であり、それが「普遍化」への第一歩なのだ。そう考えるべきかも知れません。このBBSにときたま短詩の専門家がお見えになることを承知しているので、それをどうしても意識してしまって、しゃべりがギコチナクなってしまいます(^^;)だからこれくらいにします。

もうひとつ。この作者は細見綾子という人です。勿論初めて耳にする名前なのですが、このお名前がまた中学時代の同級生に居たかも、というようなお名前なのが一層親近感を増す要素になっているようです。くだらないことを言ってしまったかな???

これがまあふだん着の素人談義の気侭さなんでしょう・・・(汗)
 

世界不思議発見より:偽名の本質

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 3月 2日(月)22時10分31秒
返信・引用  編集済
  前の土曜日の不思議発見を見た。オーストラリアのカウラという町で戦後、日本人捕虜が平和裏に生活していた。ある兵士が、我々は生きて捕虜になるべきではない、と発議したら半数以上が脱走を決意し、多くの死者がでた。
  >それは砂漠に囲まれたカウラという小さな町にあって、もともとは太平洋戦争のときに日本人捕虜が収容されていた場所でした。そこにオーストラリアの方が、両国の友好に役立てようと造った日本庭園なんです。その背景を探っていくと、日本人捕虜の起こした悲しい事件や、日本人は恐ろしい人種だと当時教えられていたにもかかわらず、捕虜に手をさしのべたオーストラリアの人の底抜けのやさしさとか、日本庭園を造ろうと考えた方たちの思いなど、本当にたくさんの気持ちが詰まっていることが見えてくるんです。だから真の平和の象徴というか、政治的に作られたものではない民間の人たちがつくったお庭、というところに私は本物を感じました。

 悲劇というのは、立派な墓地ができたが、内地に知られたくないというので全員偽名の墓地であることである。社会に受け入れない場合、偽名となる。

●あとで追加:すみません。終戦前だったと思います。
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃいませ。

ご投稿の意図がやや分かり難かったので、「Ichiroの研究メモ」へ行ってみると良く分かりました。捕虜の脱走は戦後ではないのですね。

この事件のことは全く知りませんでした。有難うございました・・・^^(3.3 01:20)
 

Re: 贈り物です。

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月 2日(月)10時53分24秒
返信・引用  編集済
  > No.4225[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> > 酒は口を軽くする。――しかし酒はさらに心を打ち明けさせる。
> > かくて酒は一つの道徳的性質、すなわち心の腹蔵のなさを運搬する物質である。
> >             (カント・人間学)

>
> 実は驚いたのは他でもないこの翻訳なのです。ドイツ語が原語なのでしょうけど、だから知ったとしてもそう参考にはならないでしょうけど、こんな短い文章をここまで日本語らしく噛み砕いた訳者の器量にそれこそ乾杯したくなりました。チョット調べましたが坂田徳男氏なのでしょうか、お教えください。

すみませぬ。実はtamaさんのように、書棚にあるのは「カント」の本ではないのです。
わたくしは「ちくま哲学の森・別巻・定義集」からみつけたもので、翻訳者が記されていません。こういう類の本は数冊あるのですが、どこにも翻訳者の名前が記されているものはありませんでしたね。ごめんなさい。しかし、リベルさんのおっしゃる通り名訳ですね。

編者は、鶴見俊輔、安野光雅、森毅、井上ひさし、池内紀、となっていますので、「池内紀」ではないか?と思います。
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ、強要してしまってご免なさい。

そうでしたか、流石に良い本をお読みになっていますね。鶴見氏は良く知りませんが後は良く知っていて特に好きな人ばかりです。「日本の古書店」で800円、もう発注しました・・・^^


池内氏はNHKFMの「日曜喫茶室」でよくお目に掛かり(?)ます。「ウィキペディア」によれば凄い著作量ですね。カントの「永遠平和のために」も訳していらっしゃってその上詩人で作家でもあるので、多分あずきさんの正解でしょうね。

お陰様で良い本めっけ、でもご面倒をお掛けしました・・・m(_ _)m(3.2 12:26)
 

Re: 贈り物です。

 投稿者:tama  投稿日:2009年 3月 2日(月)01時35分26秒
返信・引用
  > No.4225[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> > 酒は口を軽くする。――しかし酒はさらに心を打ち明けさせる。
> > かくて酒は一つの道徳的性質、すなわち心の腹蔵のなさを運搬する物質である。
> >             (カント・人間学)

>
> 実は驚いたのは他でもないこの翻訳なのです。ドイツ語が原語なのでしょうけど、だから知ったとしてもそう参考にはならないでしょうけど、こんな短い文章をここまで日本語らしく噛み砕いた訳者の器量にそれこそ乾杯したくなりました。チョット調べましたが坂田徳男氏なのでしょうか、お教えください。

坂田訳は、「飲酒は舌を弛める。――だがまた飲酒は心胸をひらき、一つの道徳的性質、――すなはち胸に蟠りのない率直さを傳へる物質的手段でもある」という無粋なものです。
ではだれの訳か? まだ調べていません。
 
    (リベル) tamaさん、いらっしゃいませ。早速有難うございました。

いや、そうでしたか、まるで無粋なものですね。

それにしてもこんな時間です。書棚に所蔵しておられたのをサッと持ち出して来られたとお察しします。流石ですね、脱帽です・・・^^(3.2 03:58)
 

Re: 贈り物です。

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 2日(月)00時41分39秒
返信・引用  編集済
  > No.4224[元記事へ]

> 酒は口を軽くする。――しかし酒はさらに心を打ち明けさせる。
> かくて酒は一つの道徳的性質、すなわち心の腹蔵のなさを運搬する物質である。
>             (カント・人間学)


実は驚いたのは他でもないこの翻訳なのです。ドイツ語が原語なのでしょうけど、だから知ったとしてもそう参考にはならないでしょうけど、こんな短い文章をここまで日本語らしく噛み砕いた訳者の器量にそれこそ乾杯したくなりました。チョット調べましたが坂田徳男氏なのでしょうか、お教えください。

私は某所で「からだがこころを救う」テーマが話題になったとき、フランクルの行動心理学は「結果」であるとしたお方を「愚か」と切って捨ててしまいました。だがそれは正しかったのだろうか?と責め苛まれ始めたのです。そして考えました。まず大きく科学って何だろう。「ウィキペディア」によるとたとえばこう分類されます。


人文科学

哲学
倫理学
宗教学
言語学
文学
美学
芸術学
歴史学
考古学
地理学
人類学
民俗学
心理学

社会科学

統治系
法学
政治学
政策学
行政学
経済系
経済学
経営学
商学
会計学
一般系
社会学

自然科学

数学
理学
物理学
化学
生物学
地学
天文学
計算機科学

つまり人間が人間を知るために、それから世界をより良くするために知りたい、知るべきだと昔から考えられてきたことどもです。

これらを知ることが先ずありきです。次にそれを知った上で自分は何をなすべきかを考えるべきだ、とカントは言います。

そうなんだ、知ったと言うことは「経験」であり「過去」であり「結果」です。そこで終わってはやはりいけないのだと、私は原点に帰って再確認したかったのです。そして昨日あんなことを書きました。(やはりお見通しだったのか・・・(>_<))


> 「人名歴史年表」がGoogle検索で五位に、乾杯♪

有難うございます。我が子が運動会のの100メートル競走で優勝した時以来の嬉しさです。(はて誰か優勝したっけな・・・^^)


> 酒は唇(くち)より来たり
> 恋は眼(まなこ)より入る
> われら老いかつ死ぬる前に
> 知るべき一切の真はこれのみ
> われ杯を唇にあて
> おんみを眺めかつ嘆息す。
>  (イェーツ・酒の唄)


これで因幡晃の「忍冬」の一番を思い出していては、イェーツに叱られますね。そこで、カント曰く”知るべき一切の真” ”私は何をなすべきか”

決まっています、やはり明日も”われ杯を唇にあて、おんみを眺めかつ嘆息す”るべきなのでしょう・・・^^
 

贈り物です。

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 3月 1日(日)13時30分44秒
返信・引用  編集済
  酒は口を軽くする。――しかし酒はさらに心を打ち明けさせる。
かくて酒は一つの道徳的性質、すなわち心の腹蔵のなさを運搬する物質である。
            (カント・人間学)

「人名歴史年表」がGoogle検索で五位に、乾杯♪

《おまけです。》

酒は唇(くち)より来たり
恋は眼(まなこ)より入る
われら老いかつ死ぬる前に
知るべき一切の真はこれのみ
われ杯を唇にあて
おんみを眺めかつ嘆息す。
 (イェーツ・酒の唄)
 

余談:「人名歴史年表」が一億七千万の中の五位

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 1日(日)02時43分13秒
返信・引用  編集済
  こちらを長い間お留守にしていましたが、コンスタントな評価を得ていて本家を16万アクセスも追い越してしまいました。

何てったって凄いのはGoogleで「年表」などという「ビッグワード」で検索して「五位」に入っていることです。何と一億七千万ヒットした中の五位は凄いでしょう。まあYahoo!では全く見当たらないし、こういう検索の当てにならないのは本人が一番承知しているのですが、本当は気分の悪いものではありません、どころでなく舞い上がって・・・はいませんが・・・^^(やはり今調べたら、13位でした。本当に当てにならないものです、今度は画像を撮っておきます^^3.1 07:09)

なかなか作業できないので「ウィキペディア」への直接リンクに方式を変更しました。これまでの方法は手間が掛かって一日に5〜7人しか処理できず、その割には成果が伴わないと観て、429人で終わります。

一つ新機軸を追加しました。表の右端に「中国王朝」を付け足したことです。これまでのはこれです。インターネット・アーカイブから取り込んだので、出ない画像が有りますが。この表を付けるのは結構面倒で少しずつやって結構一週間はかかっているのです。これは仕上がりが上々で一人で悦に入って居ります・・・^^


全部で何名か数える気にもなりませんが、少しずつ「ウィキペディア」へリンクして行って、何とか生きている内に完成させなければ・・・(;´д`)ハァハァ


「六位」の画像ゲット!右上に「170,000,000」右下に「01 日(曜日)12:34」(大きい画像3月2日五位復帰)
 

余談:たまにはカントと向き合ってみる・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 3月 1日(日)01時28分12秒
返信・引用  編集済
  今調べるとなんとカントは1804年に亡くなっています。205年前です。いい加減分かり易い入門書が出ても良いのではないのか、いややはり或る程度哲学を勉強しないと、どうしても一言二言では説明のしようが無いのかも知れないなどとブツクサ言ってみても仕方がありません。

自分のことを白状しますと、「純粋理性批判」、「実践理性批判」、「判断力批判」全部揃えて持っていると思い込んでいたら、なんと「純粋理性批判」の下巻と「判断力批判」の上巻しか持っていません。そして前者は最初の2〜3ページを何度も何度も読み返していや「読書百編意自ずから通ず」の筈なのが、未だ通じない状態です。結局このままこの世にバイバイすると思います。「判断力批判」の方は昔ホームページで芸術について取り上げたとき、問題意識を持って取り組んだので、結構理解出来る部分があったようです。というくらいの程度なのです。

今回検索してみました。この三部作を「真、善、美」に置き換えた解説が有って初めて知ったのでへえっと思いましたが、私がどう思っていたかを、恥ずかしがらずにそして正直に白状しますね。

「純粋理性批判」は人間が何を考えるべきか、どう考えるべきかというような「理性」についての徹底研究。「実践理性批判」はその理性に基づいて人間は如何に行動すべきかという「実践」論。「相対性批判」は行動した結果を自分がどう観るかという勝手に「芸術論」。中島義道氏がカントの専門家なので彼の本「嫌い」シリーズを読んだときどこかに似たことが書いてあった気がするのですが、見付かりませんでした。見付かっていればこんないい加減なことは書かずに済んでいたのですが。

そしてやはり書こうと決心させたのは、三省堂の辞書のサイト(年間3150円払っているのです)の平凡社「世界大百科事典」で「カント」を引いて次のような解説を見付けたからです。ドーンとコピペします・・・

[カント哲学の基本的性格]

 世界市民的な意味における哲学の領域は,次のような問いに総括することができる。 (1) 私は何を知りうるか。 (2) 私は何をなすべきか。 (3) 私は何を希望してよいか。 (4) 人間とは何か。第 1 の問いには形而上学が,第 2 のものには道徳が,第 3 のものには宗教が,第 4 のものには人間学が,それぞれ答える。根底において,これらすべては,人間学に数えられることができるだろう。なぜなら,はじめの三つの問いは,最後の問いに関連をもつからである。 カントは,《論理学》 (1800) の序論でこのようにいう。彼の考える哲学は,本来〈世界市民的〉な見地からするもの,すなわちいいかえれば,従来の教会のための哲学や学校のための哲学,あるいは国家のための哲学といった枠から解放されて,独立の自由な人格をもった人間としての人間のための哲学でなければならなかった。 カントは,そのような哲学を打ちたてるために三つの批判書を中心とした彼の著作で,人間理性の限界を精査し,またその全射程を見定めることに努めたのである。

 〈私は何を知りうるか〉という第 1 の問いに対して, カントは,《純粋理性批判》で,人間理性によるア・プリオリな認識の典型と彼の考える純粋数学 (算術・幾何) と純粋自然科学 (主としてニュートン物理学) の成立可能性の根拠を正確に見定めることによって答える。すなわち,これらの学(数学や物理学:リベル注)は,ア・プリオリな直観形式としての空間・時間とア・プリオリな思考形式としてのカテゴリーすなわち純粋悟性概念の協働によって確実な学的認識たりえているのであり,霊魂の不滅,人格の自由,神などの感性的制約を超えた対象にかかわる形而上学は,これらの学と同等な資格をもつ確実な理論的学としては成立しえないというのが,ここでの答えであった。

 〈私は何をなすべきか〉という第 2 の問いに, カントは,《実践理性批判》で,感性的欲求にとらわれぬ純粋な義務の命令としての道徳法則の存在を指示することによって答える。道徳法則の事実は,理論理性がその可能性を指示する以上のことをなしえなかった〈自由〉な人格の存在を告げ知らせ,感性的制約を超えた自律的人格とその不可視の共同体へと人々の目をひらかせるとされるのである。こうして,道徳法則の事実によってひらかれた超感性的世界への視角は,さらに第 3 の問い〈私は何を希望してよいか〉に対しても答えることを可能にする。すなわち,ひとは,理論的な認識によって決定不可能な霊魂の不死,神の存在といったことどもを,自由な人格による行為が有意味であるために不可欠の〈実践理性の要請〉として立てることが可能になる,とカントは考えるのである。

 カントは,このようにして,ニュートン物理学に代表される近世の数学的自然科学の学としての存立の根拠を明らかならしめ,ヒュームによる形而上学的認識への懐疑からも多くを学びながらそれにしかるべきところを得せしめ,さらに,ルソーによる自由な人格をもつ自律的人間の形づくる共同体の理想をいわば内面的に掘り下げ,西欧形而上学のよき伝統と媒介せしめる。ここに,人間の知のすべての領野を,近世の自由で自律的な人間理性の上にあらためて基礎づけるという作業が,人間としての人間とその環境世界の具体的日常的あり方へのカントの生き生きとした関心に支えられて,ひとまずの完成をみる。 カントの哲学が,その後フィヒテからヘーゲルにいたるいわゆるドイツ観念論からさらには現代哲学のさまざまな立場の展開にかけて,たえず大きな影響を及ぼしつづけて今日にいたり,日本においても,とりわけ明治後期から大正時代における新カント学派の移入このかた,大きな影響を及ぼしているのは,以上のような彼の哲学の性格のゆえと考えられる。 (坂部 恵)(太字はリベルが。幾らかでも読み易くなることを願ったのですが???)


これもやはりシチメンドクサイというか、取っつき難いですがまあカントそのものよりは大分読み易いでしょうから。

要するにこういうことでしょう。人間が真面目に生きようとするとき、世の中をどう理解するのが最善かそれを知った方がよい、次にそれを知っただけではダメで自分は何を為すべきかに気付き行うべきである、そして後からそれで良かったのかなあと振り返ることも忘れるな、ってなことでしょう。

なにもカントが最高だ、唯一無二だと言うことではないでしょうけど、「生きる」と言うことの原点を自分で考える時の一つの指針の置き場所にするくらいは、ここでも良いと思います。まあ煮え切らない表現になってしまいました・・・^^


Immanuel Kant様 なんとまあ利発そうなお顔ですこと・・・
 

社会全体が人権意識を高めてほしい 大谷藤郎さんに聞く

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月28日(土)17時54分23秒
返信・引用
  日本財団HPに「社会全体が人権意識を高めてほしい」と題して・・・。  

第4回ハンセン病資料館等運営企画検討会及び歴史的建造物保存検討作業部会

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月28日(土)17時33分41秒
返信・引用
  標記が3月11日に開催されます。

詳細は厚労省HPでどうぞ。傍聴は申し込みが必要のようです。
 

大嶋得雄様 Re: リベル様へ。1月21日の記事に感謝します。

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月28日(土)00時17分4秒
返信・引用
  > No.4218[元記事へ]

> 忙しくしておりまして、よく読ましていただいてないのですが、大変、専門的で、研究なされているのに、敬意を表します。私は、ただ、現場の療養所のキリスト教会の牧師と、現在の結論から、見たところで、ものを申しています。先生のものをできるだけ読ませて、いただきたいと思っています。専門的なことは、書けませんが、2010年秋を目指して、今まで、聖書のらいに取り組んできたこと、@らいを罪やけがれの譬えに離してきたキリスト教会への抗議してきた数々、その返答や効果に関してA新改訳聖書のらいの改訂、即ち、ツァラァトへ改訂された過程B新共同訳聖書委員会、日本聖書協会との協議内容、交信記録などを纏める。以上を書にして、世に問い、後世に残しておきたいと思い、とりかかっています。先生のホームページは大切な文献として読ませていただきます。ありがとうございました。大嶋得雄。

大嶋様いらっしゃいませ。先日、生意気にも申し上げたことを大きい心で受け止めていただき、本当に感謝しています。

大嶋様の取り組みは今はもう消えてしまった古いBBSで、どなたかのご投稿で知りました。調べてみると2004年以前から存じ上げているということになります。それ以後自分も「ツァラアトからleprosyまで」を纏めてみたりしたので、折に触れて大嶋様のサイトへ訪問させていただきました。その誠実なご努力とそれを支える熱意には頭が下がる思いでおります。

今回その取り組みを書物に纏めて出版なさると承りました。乏しい知識しか持ち合わせない私ですが、この問題に最もお詳しい大嶋様がそれを纏めて世に問われることの意義は、誠に大きいと思います。大変なお仕事です。大嶋様のご奮闘を、心から応援させていただきます。

大嶋様に神様の祝福が有らんことを・・・。


追記:なお、私は「ハンセン病のリンク集」でハンセン病に関する様々の情報を早く正確に皆様にお届けすることだけに精を出している、一介の年金生活者に過ぎません。どうか「先生」などと仰有らないでください、恐縮のあまり身体がすくんでしまいます・・・(^^;)
 

リベル様へ。1月21日の記事に感謝します。

 投稿者:長島愛生園愛生園内長島曙教会牧  投稿日:2009年 2月27日(金)21時40分33秒
返信・引用
  忙しくしておりまして、よく読ましていただいてないのですが、大変、専門的で、研究なされているのに、敬意を表します。私は、ただ、現場の療養所のキリスト教会の牧師と、現在の結論から、見たところで、ものを申しています。先生のものをできるだけ読ませて、いただきたいと思っています。専門的なことは、書けませんが、2010年秋を目指して、今まで、聖書のらいに取り組んできたこと、@らいを罪やけがれの譬えに離してきたキリスト教会への抗議してきた数々、その返答や効果に関してA新改訳聖書のらいの改訂、即ち、ツァラァトへ改訂された過程B新共同訳聖書委員会、日本聖書協会との協議内容、交信記録などを纏める。以上を書にして、世に問い、後世に残しておきたいと思い、とりかかっています。先生のホームページは大切な文献として読ませていただきます。ありがとうございました。大嶋得雄。

http://ww1.tiki.ne,jp/~uruooosima/

 

ハンセン病補償法 台湾・韓国認定状況

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月26日(木)14時49分15秒
返信・引用  編集済
  今日の「聯合ニュース」によれば・・・

「日本の重家俊範駐韓大使が24日、全羅南道高興郡の小鹿島にある国立小鹿島病院を訪れた。重家大使は「日本政府は、ハンセン病補償法に基いた小鹿島のハンセン病患者に対する補償を事実上完了することになった」と述べた。補償に関する審議を進めている小鹿島以外の地域の22人に対しても、早期に補償できるようにするとした。」

とあります。最初117名でスタートしたソロクトも少しずつ請求者が増えて最終的には448名になっていました。弁護団のホームページに認定状況が一覧できる表がありましたので、転載します。ソロクトはこれで2月9日に終了し、定着村などに22名が未認定だと言うことが分ります。


小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団HPから
 

「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」の施行―政府広報

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月25日(水)07時55分11秒
返信・引用  編集済
  2月24日〜3月1日まで、中央5紙・一面突き出し

なお、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」についてはこちらです。

政府広報オンラインから
 

問題発生!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月25日(水)05時28分43秒
返信・引用  編集済
  「スシュルタ・サンヒター」の中で「kuṣṭha」は「薬草」と「癩病」と「皮膚病」の三つの意味で使われていると言うことは、先に書きました。今日は「「スシュルタ・サンヒター」での訳語」の一覧表のその部分に取り掛かっていました。先ず「スシュルタ本集」をご覧ください。この44ページに最初の「植物・クシュタ」が現れるのです。図書館からの借り物ですので鉛筆で線を引いています。良く見るとその2行上にも線が引いてあります。「皮膚病」です。

これは「The S.S.」(Bhishagratna・1907年訳)では「skin diseases」となっています。では今度入手した「S.S.」(Sharma訳・1999年)ではどうなっているかを確かめました。これも同じく「skin diseases」でした。そこまでは良かったのです。

今度の本には「デーヴァナーガリー」が載っています。「植物・クシュタ」は「कुष」が直ぐ見付かりました。ところが「skin diseases」の方にはあの特徴的なヴィジュアルが見当たりません。そこから悪戦苦闘が始まりました。オンラインの「英梵辞典」で「skin」を引いたら270個の梵語が出たから堪まりません。ようやく「tva-」で始まる梵語の「皮膚病」が有ったことを思い出して、先程の辞典の「梵英」機能を使ってやっと見付けました。「त्वग्दोष=tvagdoṣa=skin-disease , leprosy 」。今度の本の最初にドーンと出ていました。上から二行目の最初です。同じ文様でしょう・・・これだから止められない・・・未だ文様で勝負している・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!
 

エリカさんへ Re: 余談:針ほどの小さな根が・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月25日(水)00時27分19秒
返信・引用  編集済
  > No.4212[元記事へ]

> 些細な些細な「点」。わたしはそこに偉大な神の御手が働いているように思うのです。

いろいろと考えさせられました。私は”無宗教”でたとえばキリストというように一人の神を信じては居ません。時々ここに「大いなるもの」というような表現で「人知を越えたもの」、「世界を見ていなさる方」を表現していますが。それも特に釈迦とかキリストとかが嫌いだからではなく、これまで人生でそういう機会が無かったからに過ぎません。私が下の文章を書いているとき実は何度も「神」というイメージが頭をよぎったように思います。

エリカさんの解釈なさる通り、私は些細な「点」=「ラッキー」の積み重ねのお陰で生きてこられたのだと思います。ここにお見えになる方々の言葉や、無言の意志を幾つも幾つも心に取り入れながら、家族や友人・知人の言葉や意思表示から何かを汲み取りながら、それらに支えられ励まされ助けられて、こうして生きていられるのだと思います。何度も何度も「小さな根」に助けられながら。

実は最近よく聴いている「My Way」(クリックしてください。YouTubeとは違う音源で静に聴けます。ここに巧く取り込めないので)が私にしきりにそう呼びかけてくるのです。これを聞きながら、いや未だ歌詞の意味はとても十分には分っていませんがそれとは別に、ブラウニングの「春の朝」を思い出しているのです。えい、面倒だから書きましょう・・・(あ、逆か^^)

「春の朝」 (ロバート・ブラウニング 上田 敏訳 )

時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす、
すべて世は事も無し。

この中の「神、そらに知ろしめす」。これについて我流の解釈を持っています(ひょっとしたら誰かの受け売りに化しているかも知れませんが)。雲雀は蝸牛を食べるのです実は。ブラウニングはそれが言いたいのだと私は思っています。


で、「My Way」は全曲が終わったと思っていると、しばらくしてポツリと「Yes, It was my way」と、私に言わせれば「締めくくりやがる」のです。それが私には「神の思し召しなのさ」と聞こえて、しんみりと、そして実に愉快になるのです。

それまで声高らかに「これが俺のやり方なんだよ」と歌い上げさせておいて・・・「The record shows I took the blows」「振り返ってご覧よ、結局お前さん、全てをacceptしているのさ」と・・・。


「Yes, It was my way」と言っているのはむしろ神様の方なのでしょう・・・^^
 

Re: 余談:針ほどの小さな根が・・・

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 2月24日(火)12時53分25秒
返信・引用  編集済
  > No.4211[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

リベルさんの余談:針ほどの小さな根が・・・拝読いたし、とても重要なテーマをふくんでいると思いましたので、コメントさせていただきます。わたしはどうしてもキリスト者の視点から述べてしまうので、異議ある方、違和感を持たれる方があると懸念されるのですが。

>私は子供の時から意気地無しのくせに、大胆きわまりないことをよくやりました。「意気地無し」だからこそ外面を偽ろうとしてそういう行動に走ったのでしょう。福知山城趾に30メートル以上あるだろう武者返しの石垣があります。また同じ城趾公園には高い崖っぷちに鉄塔が立ち市内全域に正午のサイレンを鳴らしていました。洪水に見舞われることの多い由良川には50メートルを越えるコンクリートの堤防があります。

>バカと何とかは高いところに登りたがるとか言いますが、

わたしは旧約聖書のバベルの塔を連想しました。バベルの塔は、人間の傲慢さの象徴と言われますが誰でもそういう傾向があるのではないでしょうか。

>針ほどの細い根が見えたのでそっと掴まえて身体を引き寄せて、まあ生き延びました。プチッと切れていたら私はその時死んでいたのです。
>しかし、何も山や崖でなくても人間は常にこういうちっぽけな幸運に助けられ、支えられて生きているのだと思います。母親のチョットした心遣いの有無、医者の脈の取り方、運転手の毛ほどの不注意、ランナーのスパイクの0.1ミリの歪み、こういう些細な些細な「点」がその人の生死や幸不幸を左右していると心から思います。

>些細な些細な「点」がその人の生死や幸不幸を左右していると心から思います。

意味深長な発言だと思います。
わたしは創世記のロトの妻を思い出しました。ちょっとした気のゆるみや失敗が取り返しのつかないことになってしまうことがあると思います。

「九死に一生を得る」ということがあります。
故田原米子さんというクリスチャンの女性の話ですが、

彼女は18歳の時、母親の死にショックを受け、小田急線の新宿駅ホームから飛び込み自殺をはかる。応急処置により一命は取りとめたが、両足と左手の三肢を切断、残る右手も小指と中指が切断されていた。入院先の病院で服毒自殺を図るが助けられ、知人を通して訪れた2人のクリスチャンを通して、聖書の世界に触れ、劇的に変えられる。後にそのうちの1人、田原昭肥(あきとし)牧師と結婚、2人の娘を育てる。それらの体験を通して「なんで自分だけが不幸なの」というマイナス指向から「自分にはまだ3本の指がある!」という発想に変えられた喜びと希望、生きる素晴らしさを、日本全国や海外での講演会を通して語り続けた。

田原米子さんは九死に一生を得た人でした。列車にはねられたがすぐ止血され、迅速な処置がとられたため助かったようです。確か治療にあたったのも名医で、命が助かったのはすべてがタイミングがよかったからだそうです。もし数秒でも止血が遅かったら、助からなかったかもしれません。

些細な些細な「点」。わたしはそこに偉大な神の御手が働いているように思うのです。
>バカとなんとかは

バカと天才は紙一重という言葉がありますが、生も死も、善も悪も、紙一重のような気がするのです。ちょっとした些細な「点」で、人は善人にも悪人にもなりえることがあるのではないでしょうか。
 

余談:針ほどの小さな根が・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月24日(火)03時12分8秒
返信・引用  編集済
  私は子供の時から意気地無しのくせに、大胆きわまりないことをよくやりました。「意気地無し」だからこそ外面を偽ろうとしてそういう行動に走ったのでしょう。福知山城趾に30メートル以上あるだろう武者返しの石垣があります。また同じ城趾公園には高い崖っぷちに鉄塔が立ち市内全域に正午のサイレンを鳴らしていました。洪水に見舞われることの多い由良川には50メートルを越えるコンクリートの堤防があります。

バカと何とかは高いところに登りたがるとか言いますが、まさに私はその典型でした。何時どこでだったかは忘れましたが、後で思い出してゾッとした経験があります。やはり崖でした。殆ど垂直で下は数百メートルでしょうか落ちれば即死という状況のとき、チョットした風で身体が崖から離れて行きました。ふと気付いてサッと手を伸ばしましたが掴まえるものがない、針ほどの細い根が見えたのでそっと掴まえて身体を引き寄せて、まあ生き延びました。プチッと切れていたら私はその時死んでいたのです。

しかし、何も山や崖でなくても人間は常にこういうちっぽけな幸運に助けられ、支えられて生きているのだと思います。母親のチョットした心遣いの有無、医者の脈の取り方、運転手の毛ほどの不注意、ランナーのスパイクの0.1ミリの歪み、こういう些細な些細な「点」がその人の生死や幸不幸を左右していると心から思います。自分は本当にラッキーな人間だった、その「点」の積み重ねで70年以上生き続けてこられた、そう思っています。


無理にこじつけるわけではありませんが、国政の舵を取る人間や行政に携わる人々が自分に酔ったり酒に酔ったりして、そのことをスッポリ忘れ去っているのには、底知れぬ恐怖を感じざるを得ません。


クライマーにとってのハーケン!私にはどうやってこれを撮影したかの方に興味が・・・^^
 

大地原さんの取りこぼし

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月23日(月)05時33分35秒
返信・引用
  大地原氏は「スシュルタ本集」を訳すに当たって、索引の為に3000枚のカードを作られたと矢野道雄氏が解題に書いておられます。これには随分助けられたのですが、ですがやはり見落としがありました。

  大地原訳「スシュルタ本集」    Bhishagratna訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」   Sharma訳「Susruta-Samhita」

実は一番新しいSharma訳「Susruta-Samhita」は前にご紹介したように「Dalhanaの注釈」と「Critical Notes」が付いています。それはどのように付いているのかを確かめるために、冒頭から上の三冊を照合して読んでいきました。そしたら何と冒頭の2頁目に「癩病」の文字が有るのです。大地原訳の索引は詳細を極めているので安心して頼っていたので、ショックでした。Sharma訳をご覧ください。赤線を引いておきましたが、確かに「kuṣṭha」なのです。「ハンセン病梵語辞典」 のデーヴァナーガリーをご覧ください。特にモニエルの梵英辞典の方がそっくりです。梵語とヴィジュアルで付き合っているのはやはり恥ずかしい・・・^^

「スシュルタ・サンヒター」での訳語の方に訂正を入れなくては・・・イソイソ(^_^)/~
 


日野原重明氏の「世界ハンセン病の日」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月21日(土)13時30分48秒
返信・引用  編集済
  今日の朝日新聞朝刊(be)から・・・  

Re: 余談:フランク・シナトラのMy Way

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 2月21日(土)07時55分32秒
返信・引用  編集済
  > No.4206[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

私の大好きな歌で、カラオケでよく歌っています。老令になるとこの意味というか、内容がよくわかるようですね。took the blowsは検索するといろいろ書いてありますね。パンチを食らったのでしょうが、ううむ。人間だれしも、順風満帆で事は運びません。

全体を歌うと、自分への賛歌というか、これでよかった、おれはやったのだ、という感じに受け取っていました。

但し、俺流なんですがね。貴方流ではありません。アハハ

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃいませ。そうですか、私は未だ歌ったことがないのです。今度の機会に挑戦してみます。まあフランク・シナトラと一緒に毎晩唸っていて、「うなる」積もりが「うたって」いて、翌朝連れ合いにブツブツ言われます・・・^^

私は最初の人の回答「accept whatever (bad) has happened to you」が良いなあと思っています・・・(2.21 13:28)
 

余談:フランク・シナトラのMy Way

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月21日(土)02時23分27秒
返信・引用  編集済
  只今これに嵌っています。ICレコーダーに取り込んで「アンドレア・シェニエ」ではなくこれを聴き始めました。歌詞を印刷してバスの中でそれを見ながら聴いていたら何回か聴く内に少しずつ意味が分ってきて、我が老残の身に置き換えた途端に、不覚にも涙・・・でした。自分に都合の良いように(あ、悪いようにか)訳するから、なおさらなのですが。

歌詞はこうです・・・

My Way


And now, the end is near;
And so I face the final curtain.
My friend, I'll say it clear,
I'll state my case, of which I'm certain.

I've lived a life that's full.
I've traveled each and ev'ry highway;
But more, much more than this,
I did it my way.

Regrets, I've had a few;
But then again, too few to mention.
I did what I had to do
And saw it through without exemption.

I planned each charted course;
Each careful step along the byway,
But more, much more than this,
I did it my way.

Yes, there were times, I'm sure you knew
When I bit off more than I could chew.
But through it all, when there was doubt,
I ate it up and spit it out.
I faced it all and I stood tall;
And did it my way.

I've loved, I've laughed and cried.
I've had my fill; my share of losing.
And now, as tears subside,
I find it all so amusing.

To think I did all that;
And may I say - not in a shy way,
"No, oh no not me,
I did it my way".

For what is a man, what has he got?
If not himself, then he has naught.
To say the things he truly feels;
And not the words of one who kneels.
The record shows I took the blows -
And did it my way!

Yes, it was my way.


先程から辞書と首っ引きで、分れば分るほど身につまされてきて、これは勇ましい歌だと思い込んでいたのですが、実は自分の一生を痛切に振り返っている歌なのだと分ってきたのです。最後の方に「I took the blows」というのが有りますが、これが分らない。辞書ではダメらしいと思って「take the blows」で検索したら、出ましたですねこれが・・・。どうやら本場でも色々悩んでいるようです。あちらのBBSの一部です。なるほどなるほど・・・でした・・・^^


”今から国歌をやり(演奏)ますが、お立ちにならなくても結構です”・・・♪♪♪
 

余談:コッペパン

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月20日(金)17時30分46秒
返信・引用  編集済
  「コッペパン」と言えば、ああ、あれだろう、と仰有る方が多いだろうと思うのですが、私も随分お世話になりました。学生寮の売店でピーナツ・バターをもっと入れろと言って顰蹙を買っていたのを思い出します。

さてでは「コッペ」って何だろうと辞書を引いたり検索したりしましたが、どうもこれは明解な解答が無いようです。大辞林では・・・

〔コッペは「切った」 の意のフランス語 coupé とも,「山形」の意のドイツ語 Koppe とも〕 紡錘(ぼうすい)形で中高にふくらんだパン。

語源辞典のたぐいでは取り上げられていません。Wikipediaの「そのままか、厚みを半分に切ってつぶあんやマーガリン、ジャムを塗ったりおかずをはさんだりして食べる。」という説明は成る程と思います。中に何かを挟んでいないコッペパンというのを想像できないからです。

皆様の脳裏に浮かぶ「コッペパン」はどんなイメージでしょう、というよりあなたのお子様はこれをご存知でしょうか?私はそれほど年取っていないっ!・・・ごもっとも・・・(^^;)
 

Re: 特別出血大サービス!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月20日(金)12時43分43秒
返信・引用  編集済
  > No.4203[元記事へ]

メールを下さい。最初に頂いた方に送料サービスでお送りします。いつものご厚情に応える良いチャンスですから。


早速複数のメールを頂戴しました。最初に頂いた方に送らせていただきます。どうぞご愛用いただきますように、有難うございました・・・m(_ _)m
 

特別出血大サービス!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月20日(金)02時19分3秒
返信・引用  編集済
  > No.4200[元記事へ]


>  > (1)P.V.Sharma著「Suśruta Saṃhitā」三巻到着しました。開けてビックリ、Vol.Uが二冊有って、Vol.Vが無い!!!相手は初めて取引したインドの書店ですから、さあ大丈夫だろうかと流石に不安になりましたが、その旨メールをしたら2時間後には返事が来ていました。ご免なさいpackerがミスしましたので直ぐVol.Vを送りますとのこと。ホットしました。
>
> ところがそのメールには「Vol.U」の重複分については何も書いてありません。そこで発送しようとして、チョット待てよ三冊で49.99ドル、一冊17ドル平均、送料が15ドル(先方負担)なので先方は送り返して欲しくないのではないか?何より私自身も面倒なので、とにかく如何致したものか?とメールしました。案の定でした。「it will not be economical and shipping may be more than the cost of the book.」。こうして私の手元に再梱包して返送準備を整えた「SUSRUTA SAMHITA Vol.U」が宙ブラリンになってしまいました。
>
>
> あぁあ・・・重いけど県立図書館に寄付するか・・・


謎掛けはチョット通じていないようですね。いや色々考えたのですが。ここで常連の皆様に無料送付を呼びかけるか、ルリカケスさんの「ハンセン病文庫」に寄贈するか?しかし特殊な分野の一般向きではない本なので、最も有効に活用されるのは大学の図書館か、アーユルヴェーダ研究会のようなところか?などなど・・・。で、こう書けばどなたかから希望が出るのではないかと・・・。

でも一向にそういう様子もないので、決めました。メールを下さい。最初に頂いた方に送料サービスでお送りします。いつものご厚情に応える良いチャンスですから。折り返してメールしますから、住所などはそれからで結構です。

この「Vol.U」の目次はこのページの「Vol. U」をご覧下さい。「I. Nidanasthana(Section on diagnosis) 5. On diagnosis of kustha (skin diseases and leprosy). 」が「病理篇の皮膚病とハンセン病」(ページ・サンプル)、「III. Cikitsasthana (Section on treatment) 9. On treatment of kustha (skin diseases). 10. On treatment of mahakustha (leprosy). 」が「治療篇の皮膚病とハンセン病」です。

詳しい読み込みや分析はこれから私が少しずつやりますので、お手元に置いて照合していただくのに便利かも、などと・・・。 どなたからもメールがないときは、恐らく京大人文研の図書館へ寄贈します。この間「アシュタンガ・サングラハ」でお世話をお掛けしたので・・・可愛い女性だったし・・・本当はこわいおばさんだったけど、とても親切だったので・・・(^^)


どちらでもお好きな方を・・・^^
 

Re: やって来ました「SUSRUTA SAMHITA」 Re: なかなか解放してくれないインド伝統医学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月19日(木)04時53分48秒
返信・引用  編集済
  > No.4198[元記事へ]

>(3)このページの3行目で「kilāsa(vitiligo)」と書いてあるのにお気付きになった方もいらっしゃると思います。これには私は慌てました。「kilāsa」は「少菌型のハンセン病」と言うのが私の主張だからです。「vitiligo」は「尋常性白斑」であるはずです。大地原訳で最初に「śvitra」の文字が登場するのはこのページです。このページに対応するページ(上から12行目)を開いてみますと、「śvitra」も「vitiligo」とSharma氏は訳しているのです。
>
> さあ、Sharma氏は「kilāsa」も「śvitra」も「vitiligo」と英訳しています。これは明白な間違いなのです。こうなると何を信用すればよいのか分らなくなりそうですが、この「くたばりぞこない」は簡単にはくたばらないのが唯一の取り柄ですから、まあユックリと全体を読ませていただいてから、包丁を手にすることにいたします・・・(^^;)


さてお立ち会い!と言うことになるのですが・・・もう面白い展開になってきましたので、一応ご報告を。勿論面白くはありませんから、お暇な方だけどうぞ・・・

問題は最初に取り上げたページに有ります。これに対応する大地原氏のページ(下から7行目から)はこれです。これの続きはこのページです。

英語の方の9行目に「incurable.」とあります。これは大地原訳の一番下の行「不治的なり。」です。問題はこの後です。大地原訳の「体風素による皮膚病にありては疼痛・皮膚収縮・麻痺・発汗・・・」と続きますが、英訳の方は次の3行は全く別のことを書いています。

「kuṣṭha located in skin, blood and muscle manifests in skin whereas kilāsa is located in skin only. Others say that the one located in is kilāsa while the same entering into dhātus(ダートゥ=身体構成要素) is known as "śvitra" as says Viśvāmitra(ヴィシュヴァーミトラ=「リグ・ヴェーダ讃歌」では聖仙名・スタース王の司祭官としています)― 」

訳してみると・・・

「皮膚や血液や筋肉に存在する(大地原訳のこれについての表現は”其の皮膚に止まる時は…其の血液に依存する時は…其の筋肉に占居するもの…”となっています)kuṣṭhaは皮膚に出現するが、それに反してkilāsaは皮膚のみに存在(し出現)する。またこう言う人達も居る。皮膚に存在するのがkilāsaなのだが、片や同様にダートゥに入り込むのがヴィシュヴァーミトラの言う”śvitra”として知られている、と。」(ダートゥの詳しい説明―先程のスシュルタの皮膚病の深度を思い出してください。)

どうでしょうこれは?この部分が例の「ダルハナの注釈」だろうと思うのですが、まだ確信が持てては居ません。いずれにしろ最初にkilāsa(vitiligo)としておきながら、kilāsaとśvitraは別のものだと言っています。

このページの11行目のデーヴァナーガリーの二つ目の単語をご覧下さい。「दद्रुश्वित्र」ローマ字化するとdadrūśvitra+語尾変化です。12行目で「śvitra」を「vitiligo」と訳していますでしょう!

参考:दद्रु =dadrū=ring worm、श्वित्र=śvitra=vitiligo(दद्रु このページで「dadrU」と入れて「search」を押すと出て来ます。「a cutaneous eruption , kind of leprosy」の後ろに「Sus3r. iv , 9」とあるのは「スシュルタ・サンヒター」第四篇第九章(上から3行目)です。ここに「śvitra」が出ていますが、大地原訳ではこれが最初です。厳密には三番目ですが、はっきり「śvitra」の文字を使うのはここが最初です(参考)。 )

うーむ、やはり梵語の基礎を勉強しなければダメなのでしょうか・・・(;´д`)ハァハァ
 

「白癩」は継子扱いされつづけ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月19日(木)04時25分24秒
返信・引用
  いや勿論今日も原稿は練り続けているのです。その証拠に「白癩について」の前書きに「癩」のことを付け加えているでしょう。しかし先程も書いたように、「SUSRUTA SAMHITA」がやって来たからには、自分の主張に検証を加えなければなりません。その方法として、まず「スシュルタ・サンヒター」での訳語の一覧表に全てこちらの新しい訳語を加えることにしました。これまでの和訳、英訳 とどう異なっているか、そしてそれは正しいのか? これを作る過程で逐一読み込んでいきます。幸いこちらには梵語の原典(ローマ字化されていないのが辛いですが)が付いていますから、これは誠に心強いのです。

ではまたしばらく「白癩」とはお別れ・・・いや同時進行かな・・・します・・・(^_^)/~
 

Re: やって来ました「SUSRUTA SAMHITA」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月19日(木)03時13分23秒
返信・引用  編集済
  > No.4198[元記事へ]


> (1)P.V.Sharma著「Suśruta Saṃhitā」三巻到着しました。開けてビックリ、Vol.Uが二冊有って、Vol.Vが無い!!!相手は初めて取引したインドの書店ですから、さあ大丈夫だろうかと流石に不安になりましたが、その旨メールをしたら2時間後には返事が来ていました。ご免なさいpackerがミスしましたので直ぐVol.Vを送りますとのこと。ホットしました。


ところがそのメールには「Vol.U」の重複分については何も書いてありません。そこで発送しようとして、チョット待てよ三冊で49.99ドル、一冊17ドル平均、送料が15ドル(先方負担)なので先方は送り返して欲しくないのではないか?何より私自身も面倒なので、とにかく如何致したものか?とメールしました。案の定でした。「it will not be economical and shipping may be more than the cost of the book.」。こうして私の手元に再梱包して返送準備を整えた「SUSRUTA SAMHITA Vol.U」が宙ブラリンになってしまいました。


あぁあ・・・重いけど県立図書館に寄付するか・・・とそこで思い出しました。以前にスタンレー・スタインの「もはや一人ではない」を買った途端に北風さんからお送りいただいてダブってしまった時、市立図書館へ寄付しました。その時の年配のおじさんの迷惑そうな対応です。「厄介な仕事を持ち込みやがって」と言わんばかりでお礼の言葉一つ有りませんでした。当時は私も若くて(今より1〜2歳)、公務員の三箇条「リーク、悪口、サボタージュ」というのを知らなかったので、他人様のお気持ちに思い至らず、失敗しました。

中央官僚なら、こういう時「いやあ、これはこれは」と一応揉み手をしてみせるでしょうに。うん、露骨に厭な顔を表に出してしまった、田舎の公務員の方が素朴でむしろ良し、とするべきなのでしょうね・・・(^^)


宝塚市立中央図書館(Google mapからです)
 

辞任を表明?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月18日(水)02時43分22秒
返信・引用
  昨日どこかの民放であの「うずちゅう」の大臣が「辞任を表明しました」とか言っていたので、ありゃ!と思っていたのですが、16時のNHKニュースも「辞任を表明」させていたので呆れました。

「辞任」は「する」もので、「表明」出来るものでは無いはずです。せいぜい「辞任をほのめかす」まででしょうに・・・。ここを見ると大新聞が軒並みに「辞任表明」と書いています。「辞任することの表明」の略だから、ここまでは良しとしても、「大朝日新聞」の「辞任を表明した」は、これは明らかな間違いだと私は思います。


首相や大臣が先頭に立って日本だけでなく日本語までダメにしようとしている・・・(>_<)
 

やって来ました「SUSRUTA SAMHITA」 Re: なかなか解放してくれないインド伝統医学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月18日(水)02時13分49秒
返信・引用  編集済
  > 俺は一体何をしていたのかと、頭を抱えてしまいました。「kuṣṭha」は勿論「kilāsa」の解釈も進んでいるに違い有りません。
> >
> > いいえ決して凹んだり挫けたりは致しません。一番新しいのを選んで、私の推論が正しかったかどうか検証し始める(おお、又再出発か)ことに致します・・・ウーム、魘されそうな気もする・・・(^^;)
>
> ということで最善の策は何かと調べました。「Illustrated Susruta Samhita」の方は目次を見ると、かなり原典の構成から離れています。「病理篇・第5章癩病(皮膚病)」が「Nidana Sthana 5 Kustha nidanam (diagnosis of leprosy and other skin diseases)」として残っていますが(この部分は「ハンセン病とサンスクリット語」には引用します)、「治療篇」では皮膚病も扱っていないのです。一方「Susruta-Samhita with English Translation of Text and Dalhana's Commentary along with Critical Notes 」の方は原典に忠実でその上に「ダルハナ」の注が加わるのですから、これが現在選び得るベストだと思います。こうも書いてあります・・・
>
> 「The present edition of the Susruta-samhita is singular in the sense that, besides presenting faithful translation of the text, it brings forth, for the first time, the English translation of the Nibandha-sangraha commentary by Dalhana who is regarded as the authority on the subject.」
>
> これでチェックすれば私の解釈が間違っていたかどうかが歴然と白日の下に晒されることになります。図書館は関西では京大文学部しかありません。1回の交通費が約3000円だから2回行けば本が買えます。ということでまたまた清水の舞台から・・・。飛行機便にしたのでこれが15ドル(船便にすると長い場合は12週だから敵いません)。あ、上のサイトは14263円ですから、ここからは買いません。49.99ドルというサイトを見付けたのです、勿論新品で。1999年の初版になりますが、まあ変わりはないでしょう、このような本は・・・(汗)
>
> 10日後には、赤っ恥をここに晒さなければいけないかも知れませんが、まあ首を洗ってお裁きを待つと致します・・・^^



これを書いたのが2月4日ですから約2週間でした。

(1)P.V.Sharma著「Suśruta Saṃhitā」三巻到着しました。開けてビックリ、Vol.Uが二冊有って、Vol.Vが無い!!!相手は初めて取引したインドの書店ですから、さあ大丈夫だろうかと流石に不安になりましたが、その旨メールをしたら2時間後には返事が来ていました。ご免なさいpackerがミスしましたので直ぐVol.Vを送りますとのこと。ホットしました。

(2)一番気になっていた「kilāsa」の「状況証拠3」の大地原氏の誤解です。私の指摘は正しかった(上から4〜5行目)ことが分りました。但し上の私の指摘する英文の誤訳は、これは私のミスです。大地原氏と英文では「前者」と「後者」が逆になっていることを見逃していました。ご免なさい・・・m(_ _)m(ここは直ぐ直すと話が分らなくなりますので、数日後に訂正します、忘れないかな・・・^^)

(3)このページの3行目で「kilāsa(vitiligo)」と書いてあるのにお気付きになった方もいらっしゃると思います。これには私は慌てました。「kilāsa」は「少菌型のハンセン病」と言うのが私の主張だからです。「vitiligo」は「尋常性白斑」であるはずです。大地原訳で最初に「śvitra」の文字が登場するのはこのページです。このページに対応するページ(上から12行目)を開いてみますと、「śvitra」も「vitiligo」とSharma氏は訳しているのです。

さあ、Sharma氏は「kilāsa」も「śvitra」も「vitiligo」と英訳しています。これは明白な間違いなのです。こうなると何を信用すればよいのか分らなくなりそうですが、この「くたばりぞこない」は簡単にはくたばらないのが唯一の取り柄ですから、まあユックリと全体を読ませていただいてから、包丁を手にすることにいたします・・・(^^;)


インドの書店へ証拠写真を準備していたのですが・・・
 

やって来ました「SUSRUTA SAMHITA」 Re: なかなか解放してくれないインド伝統医学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月18日(水)01時47分5秒
返信・引用  編集済
  > No.4170[元記事へ]

> 俺は一体何をしていたのかと、頭を抱えてしまいました。「kuṣṭha」は勿論「kilāsa」の解釈も進んでいるに違い有りません。
> >
> > いいえ決して凹んだり挫けたりは致しません。一番新しいのを選んで、私の推論が正しかったかどうか検証し始める(おお、又再出発か)ことに致します・・・ウーム、魘されそうな気もする・・・(^^;)
>
> ということで最善の策は何かと調べました。「Illustrated Susruta Samhita」の方は目次を見ると、かなり原典の構成から離れています。「病理篇・第5章癩病(皮膚病)」が「Nidana Sthana 5 Kustha nidanam (diagnosis of leprosy and other skin diseases)」として残っていますが(この部分は「ハンセン病とサンスクリット語」には引用します)、「治療篇」では皮膚病も扱っていないのです。一方「Susruta-Samhita with English Translation of Text and Dalhana's Commentary along with Critical Notes 」の方は原典に忠実でその上に「ダルハナ」の注が加わるのですから、これが現在選び得るベストだと思います。こうも書いてあります・・・
>
> 「The present edition of the Susruta-samhita is singular in the sense that, besides presenting faithful translation of the text, it brings forth, for the first time, the English translation of the Nibandha-sangraha commentary by Dalhana who is regarded as the authority on the subject.」
>
> これでチェックすれば私の解釈が間違っていたかどうかが歴然と白日の下に晒されることになります。図書館は関西では京大文学部しかありません。1回の交通費が約3000円だから2回行けば本が買えます。ということでまたまた清水の舞台から・・・。飛行機便にしたのでこれが15ドル(船便にすると長い場合は12週だから敵いません)。あ、上のサイトは14263円ですから、ここからは買いません。49.99ドルというサイトを見付けたのです、勿論新品で。1999年の初版になりますが、まあ変わりはないでしょう、このような本は・・・(汗)
>
> 10日後には、赤っ恥をここに晒さなければいけないかも知れませんが、まあ首を洗ってお裁きを待つと致します・・・^^



これを書いたのが2月4日ですから約2週間でした。

(1)P.V.Sharma著「Suśruta Saṃhitā」三巻到着しました。開けてビックリ、Vol.Uが二冊有って、Vol.Vが無い!!!相手は初めて取引したインドの書店ですから、さあ大丈夫だろうかと流石に不安になりましたが、その旨メールをしたら2時間後には返事が来ていました。ご免なさいpackerがミスしましたので直ぐVol.Vを送りますとのこと。ホットしました。

(2)一番気になっていた「kilāsa」の「状況証拠3」の大地原氏の誤解です。私の指摘は正しかった(上から4〜5行目)ことが分りました。但し上の私の指摘する英文の誤訳は、これは私のミスです。大地原氏と英文では「前者」と「後者」が逆になっていることを見逃していました。ご免なさい・・・m(_ _)m(ここは直ぐ直すと話が分らなくなりますので、数日後に訂正します、忘れないかな・・・^^)

(3)このページの3行目で「kilāsa(vitiligo)」と書いてあるのにお気付きになった方もいらっしゃると思います。これには私は慌てました。「kilāsa」は「少菌型のハンセン病」と言うのが私の主張だからです。「vitiligo」は「尋常性白斑」であるはずです。大地原訳で最初に「śvitra」の文字が登場するのはこのページです。このページに対応するページ(上から12行目)を開いてみますと、「śvitra」も「vitiligo」とSharma氏は訳しているのです。

さあ、Sharma氏は「kilāsa」も「śvitra」も「vitiligo」と英訳しています。これは明白な間違いなのです。こうなると何を信用すればよいのか分らなくなりそうですが、この「くたばりぞこない」は簡単にはくたばらないのが唯一の取り柄ですから、まあユックリと全体を読ませていただいてから、包丁を手にすることにいたします。
 

またまた「白癩について」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月17日(火)02時51分17秒
返信・引用  編集済
  実際ここに書くのは毎日バス停などで書いている原稿のごく一部なのです。歩きながら積んでは崩し積んでは崩しその結果をバス停で纏め、帰ってからトイレに置いておいて何度か手を入れ、結局夜中に読み直して、廃棄処分にして・・・と言うことの繰り返しで・・・と言うような愚痴はほどほどにして・・・。


まえがき(決定版^^)

日本のハンセン病の歴史を調べていると先ず目に付くのが「白癩」という言葉です。最初に登場するのは「日本書紀・巻二十二・推古天皇二十年(612年)」に記された「白癩」だとされています。しかし同じ巻の「推古天皇十四年(606年)」には聖徳太子が法華経を推古天皇に進講したことが記されています。法華経には「白癩」の言葉が記されていたので、実際に「白癩」が日本に上陸したのは法華経などの経典が伝来した6世紀中頃なのでしょう(参考:漢字の伝来)。

では、その時上陸した「白癩」は果たして現在の「ハンセン病」と同じ症状を指していたのか、それとも「少菌型の白斑局面を伴うハンセン病」を指していたのか、それとも「尋常性白斑」を指していたのか、それはとても現在推測出来るたぐいのことではありません。(参考:病形分類

さらに、この言葉の上陸する前から、日本には「そのような症状」が存在していたのでしょうか、有ったとすればその「症状」はどう呼ばれていたのでしょうか、それについても何の記録もなく知ることが出来ません。

それらのことを現存する文献から出来るだけ探り出してみようというのがこのページを作った目的です。言うまでもないことですが1,300年以上前の記録の医学的な正確度は全くケースバイケースで、ここで厳密に当時の実情を把握することは不可能でしょうし、またそうすることにどれほどの意義があるのかは、はなはだ疑問です。この試みは、ただ手を束ねて居るよりは、いくらかでも日本の古い時代のハンセン病の姿を炙り出してみようとするものに過ぎません。推測が過度に陥らないように常に気を付けましたが、推測を排除していては成立しないテーマですので多少の勇み足はお許しを・・・てな調子で進めようと思っています。

組み立てはこのようにするつもりです。

1)日本での「白癩」
百済人が持ち込んできた経緯を。つまりそれ以前の日本には「ハンセン病」は無かったのではないかと。

2)中国での「白癩」と「厲」
経典で知る前から中国には「ハンセン病」が有ったのだろうと。

3)インドでの「白癩」
ヴェーダ文献から読み取れる「ハンセン病」の分類。←この辺に私の狡さというか根性の悪さが出ています。

4)日本の文献の「白癩」
色々な文献に出て来る「白癩」を「推測」に基づいて分類するという大胆きわまりない行為に及ぼうとしています。どなたか止めさせてください・・・Help me !!!!(^^;)

まあ。だいたいこのような感じに・・・
 

余談:囗部(いぶ)に書で「図書館」という話

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月17日(火)01時33分27秒
返信・引用  編集済
  > No.3904[元記事へ]

> > 以前、くにがまえに「館」で「図書館」といいましたが、間違いでした。
> > くにがまえに「書」でした。
>
> 「漢字を楽しむ」ようやくそのくだりに来ました(p.181)。「」ですね。なるほど書籍を囲い込んでいるのですね。くにがまえに館では旅館を囲い込んでいるから、温泉街になってしまいます。熱海、箱根、鬼怒川、別府などなど・・・。
>
>
> 阿辻哲次さんの本、誠に面白くて、「漢字道楽」「漢字の智恵」「漢字の字源」「漢字三昧」と古書を発注してしまいました。締めて2,116円也(内送料1,360円)。書籍代一冊当たり189円也。送料が一冊当たり340円、これに手数料が入っているのでしょう・・・(^^)


今日この「漢字三昧」(p.92)でまた出会いました。発行年月日順に読んでいて、まだ二冊が出番待ちなのですが。「」は「現代中国でもっとも規範的な辞典とされる『現代漢語詞典』に」掲載されているれっきとした漢字なのだそうです。もっともやはり問題になって1996年からは削除されたそうですが、私がいつも引き合いに出す「漢典」ではこのように扱われています。「tūshūguān」が「tuān」で済むのですから随分楽だったと思うのですが。
 

こんばんは。

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 2月15日(日)23時42分42秒
返信・引用  編集済
  やっぱり、リベルさんは「忍冬(すいかずら)」の言葉に立ち止まられましたね(^^)。

「忍ぶは心に刃をのせる」・・・・・・人間の哀しさというものは、知らず知らずのうちに「心」に「刃」を抱いているということに気付く時があるのですね。
 
    (リベル) ややっ!やはりお見通しでしたか・・・^^

「忍冬」は「にんどう」と読んで記憶の隅に有ったのですが、「スイカズラ」は初耳で・・・因幡晃を検索していたら「わかって下さい」と「別涙(わかれ)」の二曲が凄く好きな歌でした、作詞・作曲が誰かも知らずに。こんないい加減なことも有るものなのですね・・・(汗)(2.16 03:25)
 

余談:これには参ったのです

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月15日(日)01時09分29秒
返信・引用  編集済
  あずきさんちのBBSで「忍冬(すいかずら)」という歌を初めて聴いて、一挙にのめり込んでしまいました。その後散歩に出て駅の階段を上りながら「時々心がいたむのは やいばが暴れるせいなのね」などと口ずさんでしまっていました。「字統」や「漢典」(「字源字形」の「金文」)によると本当にこの字は心臓(内臓そのもの)の上に直に片刃のやいばが乗っているのですね。「YouTube」から運んで来ました。前に入っている「分かってください」という歌も好きで良く覚えていたのに、聴くのは本当に久し振りで・・・。

こういう歌を「フォークソング」と言うのでしょうか、良く知らないのですが、最近時々聴きたくなるあちらの「フォークソング」(?)もついでにアップしておきます。歌は良いので「演出過剰」は目をつぶって聴いてください・・・^^

因幡 晃さんの「分かってください」と「忍冬」


「You raise me up」そういえばこれも「ア・ラ・カ・ワ・シ・ズ・カ」。
 

Re: 反麻生のロウエン

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 2月14日(土)12時49分11秒
返信・引用
  > No.4191[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> 「小泉元首相が反麻生のロウエンを上げた・・・」

「のろし=狼煙、あるいは烽火」でしょうか?
「狼」の字が使われているのは、狼の糞を混ぜると、煙が真っすぐにあがるそうです。
ホントかなぁ?
 
    (リベル) あずきさんいらっしゃいませ。

おお、そういえば一太郎2009の使い初めです。

はい仰有るとおりで、狼の糞を用いると煙は真っ直ぐに上がり、どんな横殴りの強風が吹いても、なびくことなくひたすら真っ直ぐに上へ向かうと言い伝えられて・・・ええっ・・・これはチョット臭いなあ・・・^^(2.15 00:16)
 

反麻生のロウエン

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月14日(土)05時24分13秒
返信・引用  編集済
  昨日の13時半頃私は歩きながらどこかの局のワイドショーを聴いていました。ボンヤリと・・・

いきなり脳天を直撃したのは女性アナの次のコメントでした・・・

「小泉元首相が反麻生のロウエンを上げた・・・」

麻生さんに関することを読むときくらいは、先輩に確認してからマイクに向かいなさい・・・(;`つ´)怒!


右端のかなたにロウエンが・・・^^
 

人の褌で相撲を取る

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月14日(土)03時01分31秒
返信・引用  編集済
  「人の褌で相撲を取る」などと申しますが、まああまり高貴の出の方などはお使いにならないとは承知していて、今日は思い切り人の褌をお借りします。

もともと「白癩」は「びゃくらい」と読むのか「しらはた」または「しらはたけ」と読むのか、それを知りたいだけのために日本語の成り立ち、漢字、甲骨文字など手の届くところだけでも今数えると13冊有ります。そして今14冊目かその辺でやっと「巡り逢い」を果たしました。

お馴染み阿辻哲次氏の「漢字三昧」のこのページこのページをご覧ください。

万葉仮名など、おおよそこの周辺を嗅ぎ回ってはいたのですが、いつ頃どのようにして日本人が日本語を漢字で表記し始めたかを明解に記述したのは、ここが初めてだったのです。「これだっ!」と私は感動して何回も読みました。

ところが、ところがです・・・ん?・・・待てよ・・・となったのです。阿辻さんは見落として居りなさる。「日本語を漢字で表記する」ってどこかにありました。去年の5月25日の投稿です。そこにこう書いています・・・

「ここで一つ、注目すべき事実を書き留めておきます。こうして漢字が菟道稚郎子に教え込まれる前の日本では、どんな日本語が使われていたのか? ただ一つだけ、それを明らかにしている記録がある、と大野晋氏が「日本語はいかにして成立したか」(中公文庫/p.116)に書いて居られます。それはいわゆる「魏志倭人伝」(3世紀末)に記されているのです。

「倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑。舊百餘國,漢時有朝見者,今使譯所通三十國。從郡至倭,循海岸水行,歴韓國,乍南乍東,到其北岸狗邪韓國,七千餘里,始度一海,千餘里至對馬國。其大官曰卑狗,副曰卑奴母離。…」(朝鮮工程より)

の「對馬國」は国名、「大官を卑狗(ひこ)と曰う」、「副を卑奴母離(ひなもり)と曰う」は官名です。中国人は、「ひこ」や「ひなもり」を耳から聞いて、その音を漢字で書き留めたわけですから、ここにその当時の日本語の発音は、記録されているのです。記録があるよ、というお話しに過ぎませんが。」

そしてこのことは、大島正二氏の「漢字伝来」のこのページこのページにも書いてあります。


阿辻さんはこの事実を付記して居られませんでした、画竜点睛を欠いた、とは言いませんが、残念・・・。

「漢字伝来」の二つ目のページの「白」の発音の記述にご注目ください。最後の行の記述はご存知の通り間違いです。この辺、良く読むと、実はとてもとてもデリケートな問題を含んでいるのですが、今は措きます。同じ本の184ページにはキチンとこう書いてあるのですが・・・、残念・・・^^


勝手に褌を使われておまけにケチまで付けられては、このご両人、お怒りになるのではありますまいか・・・m(_ _)m
 

松下禎治著「傳染病各論」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月13日(金)02時26分56秒
返信・引用  編集済
  京大ほか幾つかの大学と国会図書館に有るのは分かりました。出版社の南江堂に電話しましたが、当然でしょうがつれない返事。日本の古本屋の「探求書コーナー」に申し込みました。ここは数年前「尾崎一雄全集」の第15巻だけ欠けている(会社員の時書店まかせで購入した罰ですが)のに気付き、ここへ申し込んだら、何と手に入ったのです、全集の中の一巻が。

恐らく無理だろうと思いますが、しかしこの本によって自説が変わるわけでもなく、参考文献と出典が増えるだけのことですから、拘らずに先へ進みます。
 

と言うことで、又「オタク」に戻りますが・・・(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月11日(水)00時57分48秒
返信・引用  編集済
  「備忘録」とお断りしたとおり、やたらリンクが多くて、お忙しい方は「付き合ってらんない」と仰有ると思います。またお暇な折りにごゆっくりどうぞ・・・(汗)


●備忘録・1:「aruṇa」という言葉が「アシュタンガ・サングラハ」(下から7行目)に突然現われたのですが、調べてみると「アタルヴァ・ヴェーダ」のこのページを参照せよと言います。そこには「赤き粉を振りかけしがごとき(発疹の症状)」と書いてあります。この「5-22-3」はサンスクリット語では次のフレーズになっています・・・

(AVŚ_5,22.3a) yaḥ paruṣaḥ pāruṣeyo 'vadhvaṃsa ivāruṇaḥ
(AVŚ_5,22.3c) takmānaṃ viśvadhāvīryādharāñcaṃ parā suvā

この1行目の最後の単語「ivāruṇaḥ」の「iv」は接頭語として複合語を作る、と「モニエルの梵英辞典”iva”の項」(右、16行目〜)に書いてあります。この「āruṇaḥ」が「赤い」を表していて、なので冒頭の様にここを参照せよ(「aruṇa」のFです)としたのでしょう。


●備忘録・2:昨日「「癩」と「白癩」を並記する経典」の一覧表を作りました。この中の三つの経典に「癩」「白癩」「赤癩」が並記されています。この「赤癩」というのは「aruṇa」ではないか?という疑念が湧いてきました。それを調べるのには「七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪經」「陀羅尼雜集」「法苑珠林」それぞれの梵語の原典を当たる以外に方法が有りません。もしそれが見付かって、「白癩」を「kilāsa」と表現していたら、私は喜びの余り卒倒するでしょう・・・^^

では探しに行って参ります・・・(^_^)/~


行って参りましたが「てーがーらたーてずーに」帰って参りました。「漢梵佛經對照表」とか「Digital Dictionary of Buddhism」という便利なツールが有るのですが、三つとも無し。「四分律=Cāturvargīya-vinayaまたはDharma-gupta-vinaya」は「癩」と「白癩」を含んでいて有名なのですが、「梵語版」が有りません。この線で攻めるのは、なので諦めるというか、機会を待ちます。


「白癩について」に取り掛かる前に、この2点が気に掛かっていたのですが、これくらいにして、さあ、今宵取り組むか、否か・・・^^(2.11 01:36時点)
 

反省、結論を急ぎすぎたか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月10日(火)13時10分9秒
返信・引用  編集済
  三谷幸喜さんの短文に刺激されて、ヨーシやってしまえとばかりに今朝書き終わって、「白癩について」を作りました。それからフト気付くとやはり大上段に振りかぶったページを用意していたのです。

考えてみると、「アタルヴァ・ヴェーダ」や「アシュタンガ・サングラハ」に触れていない。「令義解」にも触れていない。ウーム・・・ということで、もう一度ここに書き込んだ「白癩について(その一)」ほかを全部集めて読み返して再構築に挑むか否かを考え直すことに・・・いたしました・・・(汗)
 

「白癩」について(草稿)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月10日(火)02時35分6秒
返信・引用  編集済
  日本で「白癩」という言葉が記録されているのは最も古くは「日本書紀 巻二十二(720年完成)」「推古天皇二十年(612年)」であり、ここにはその症状が「其の面身(おもてむくろ) 、皆斑白(まだら)なり」と記されています。しかし「推古天皇十四年(606年)」には、聖徳太子が推古天皇に「法華経を岡本宮に講じたまふ」と記録され、「法華経」(これは「妙法蓮華経」だとされています)には「白癩」という言葉が含まれていたので、実は最初にこの言葉が日本に上陸したのは606年以前だと言うことが分かります。

「白癩」という漢字が入って来る前に日本にそのような症状が有ったのか、そしてそれは何と呼ばれていたのか?これは全く記録がないので分かりません。

では現在の日本で「白癩」はどのような症状を指すとされているのか、ここで国語辞書・漢字辞書類を一応ザッとご覧ください。これを一瞥して感じるのは「白癩」を「びゃくらい」と読むときは「皮膚が白くなるハンセン病」を指し、「しらはたけ」と読むときは「白癜=尋常性白斑」を指しているということです。(注:各辞書に引用されている「用例」については、それぞれ専門家が編集に携わっているにも拘わらず疑問を抱かざるを得ないもの―広辞苑の「宇治拾遺」など―も見られますので、ここではそれらの全てを検証することはいたしません。ただ昨日調べた「法苑珠林」は貴重な記録の一つとして採用します。)全ての辞書類のこの捕え方が何故これほど言い合わせたように一致しているのかは、誠に不思議だと思います。何故なのかなあと、首を傾げながら実は大いに「我が意を得た」気持ちなのですが(この部分は蛇足です)。

私は先に「ハンセン病とサンスクリット語」というテーマでヴェーダ文献を通じて当時のインドの諸症状を調べました。そしてその頃「ハンセン病=kuṣṭha」以外に「少菌型のハンセン病=kilāsaとaruṇa」と「尋常性白斑=śvitra」をも認識し、近似した症状として弁別していることを知りました。これは現代の症状の分類と矛盾するものではないことも確認しました。


以上のように、「白癩」の日本語としての現代解釈と、医学上の分類を確認した結果、私は次のように「白癩」を定義したいと思います。

@皮膚が白くなるハンセン病「少菌型=PB型(I群、TT型)」のハンセン病(「びゃくらい」と読む場合)
    「法苑珠林(ほうおんじゅりん)」(上から4行目)にこういう一節があります。「若人癩病、若白癩、若赤癩、至誠懺悔行道常誦瘥」。大蔵経による検索では「癩」と「白癩」を並記する仏典は26有ります。これらは梵語の経典で確認出来るまでは推定に止まりますが、「kuṣṭha」「kilāsa」「aruṇa」などである可能性が否定できませんので、参考までに。他にこの意味で用いられている記録・文書は目下見当たりません。

A白癜(しろなまず)leucoderma、 vitiligo(「しらはたけ」と読む場合)
  「妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八」の中の「白癩」、「日本書紀 巻二十二」の中の「白癩」

B本来の「病名」から離れて転用された場合かたい誓い・決心の言葉として用いる語不意の出来事に驚いて発する語(「びゃくらい」と読みます)
    石田三成の起請文(上段左端)。ほかは「日本国語大辞典」及び「大辞林」のA、Bの用例をご覧ください。


以上です。ふーっ・・・(o_ _)oパタッ! (2.10 06:28脱稿)
 

珍しい物を発見!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 9日(月)02時25分22秒
返信・引用  編集済
  一昨日書いたことの中で「法苑珠林(ほうおんじゅりん)−六O「若人癩病、若白癩、若赤癩、至誠懺悔行道常誦瘥」」という引用がありました。それを調べているのですが、これは仏典で「大正新脩大蔵経」の中にも有ります(上から4行目)。「若人癩病、若白癩、若赤癩、至誠懺悔行道常誦瘥」。この「瘥」と言う字が分からなくて探している内に出合ったのがこのサイトです。どこの誰が何のために作ったのか、今のところ全く分かりません。どなたかお心当たりのある方、どうかお教えください・・・m(_ _)m

この「瘥」をクリックすると「to recover from any disease; an epidemic」という二つの意味が出て来て(正反対ですね)「漢典」で調べると成る程発音によって意味が変わる(白癩→びゃくらい/しらはたの様なケースですね)ことが分りましたが、でもそれだけに漢文の方の意味は全く分かりません。どうやら、この文言の前に書いてある呪文(あ、経文ですか)を唱え、良い子にしていると癩も白癩も赤癩も治るよと言っているようなのですが。


さて一昨日の続きに戻ります。というわけで、「法苑珠林(ほうおんじゅりん)」に出て来る「白癩」は私の「尋常性白斑説」に合致しているので正解です。癩病、白癩、赤癩=kuṣṭha、kilāsa、aruṇa ですから。何か急転直下本題に突入しましたが、しかし、ここで先程から我に返っていることを白状します。このような各辞書の「用例」のチェックはもう止めました。これは辞書サイドに編集時点で誤謬があった場合にも丁寧にお付き合いする結果になるからです。一字一句に拘泥することは「スシュルタ・サンヒター」で十分懲りましたから・・・^^。

ということで、正気に戻ったところで、今日は終わります。
 

余談:ある国の政治家の施政方針演説

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 8日(日)04時15分2秒
返信・引用  編集済
  まず、国家の近代化について、自由平等を獲得したのは国民の努力の結晶だと述べ、ただ忘れられているものも有る、と付け加えます・・・


「自然と人間との調和、自由と責任の均衡、深く内面に根ざした生きがい等に必ずしも十分な配慮を加えてきたとは言えません」


これを書いた朝日新聞の記者は「彼の文章から、世界や歴史をめぐる思索の上に、言葉を選び、表現を練り上げる才能を感じた」と言っています。


さあ、この政治家は誰でしょう・・・?


オバマさん・・・ではなくこの人でした・・・^^
 

再・ハンセン病の考古学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 7日(土)12時24分23秒
返信・引用  編集済
  去年の初めから「呼称の変遷」に手を付け始めました。1月3日です。3月8日には「史記に厲を発見」と更新記録に書いています。もう一年以上”ハンセン病の考古学”に没入していることになります。Murthy訳の「Sushurta Samhita」が10日後には到着するでしょうから、そこで又どちらへ転ぶか分かりませんが、早く"archaeology"から足を洗いたいとの思いは変わりません。

ここで三つばかり、この一年間に拾った言葉を並べさせてください。最初は辻直四郎著「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」注の(1)から・・・

「病気に関する語句には意味不明のものが少なくない」

次に「Astanga Samgraha of Vagbhata」(下から10行目)から・・・

「Though the term 'kuṣṭha' is generally translated as 'leprosy',it also includes many other diseases of the skin.」

最後にS.G.ブラウンの『聖書の中の「らい」』(p.27)から・・・

「皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病とは区別されています。」参考


私は「ハンセン病とサンスクリット語」を一応「完工」するまで「白癩について」を先送りしました、道半ばだったのですが。しかしこれは故無しとしないのです。「kuṣṭha」「kilāsa」「śvitra」達の正体が分かるまでは、むしろ手を付けられなかったと言うのが正直なところです。逆に言えばそれらの正体が明らかになってくる過程の中で「白癩」の真の正体が掴めてきたと、そう言っても過言ではないと思っています。

では正体は何か、今からここで短く2時間ほどで纏めます。「白癩について(その一)」とか大上段に振りかぶるのは止めにして。これから大辞林と和英辞典の釈義を並べますが、退屈しないでください。何故ならそこに私のこれまで口が酸っぱくなるほど言ってきた「三つの白癩」が顔を揃えているからです。

「大辞林」から・・・

びゃくらい【白癩】

  @ 皮膚が白くなるハンセン病。
  A 〔 「そむけば白癩になる」 という意から〕 かたい誓い・決心の言葉として用いる語。 「いやぢや,−否ぢや /桐一葉逍遥」
        「−返してくれられと歯の根もあはぬ胴ふるひ /浄・平家女護島」
  B 不意の出来事に驚いて発する語。 「−これはと抜き合わせ戦ふ所に /浮・武道伝来記7」


しらはたけ【白癩】

  「白癜(しろなまず)」に同じ。「−と云て病付きて /今昔20」(この用例は間違いだと思います。後に触れます:リベル)


「グランドコンサイス和英辞典」から・・・

しろなまず【白癜】

   〔医学〕leucoderma ;vitiligo.


「三つの白癩」は上の太字部分である、という結論を導き出す時、精神的及び技術的(こちらはブラウン氏の記述です)バックボーンとなって支えてくれたのが、冒頭に書いた三つの言葉です。その結果得た結論を整理して並べてみますと、「白癩」という言葉は日本では次の三通りの意味で用いられています。


@皮膚が白くなるハンセン病「少菌型=PB型(I群、TT型)」のハンセン病
  明らかにこの症状を記したと思われる記録は日本には見当たりません。「令義解」の「白癩」は「ハンセン病」全体を指していると思います(後で触れます)。
    ●追記:大失敗でした、申し訳ありません。「びゃくらい」と「しらはたけ」を読み返していて、チェック漏れを発見しました。「日本国語大辞典」の「びゃくらい」の項に
  次の用例が有ります。万一と言うことがありますので、今夜チェックします。「*日蓮遺文−身延山御書(左ページ3行目)「現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕べし
  *
法苑珠林−六O「若人癩病、若白癩、若赤癩、至誠懺悔行道常誦瘥」」
  「広辞苑」の「宇治拾遺「近う寄りて見れば―人なり。」」も念のため再調査します・・・m(_ _)m


A白癜(しろなまず)leucoderma、 vitiligo
  「妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八」の中の「白癩」、「日本書紀 巻二十二」の中の「白癩」

B本来の「病名」から離れて転用された場合かたい誓い・決心の言葉として用いる語不意の出来事に驚いて発する語
    石田三成の起請文(上段左端)。ほかは大辞林のA、Bの用例をご覧ください。


〔付記〕
なお、「令義解(833年完成)」にはこのように記されています。「悪疾いわゆる白癩なり。此の病人五臓の虫が食う。或いは眉・睫が落ち、或いは鼻柱が崩壊し、或いは言葉声が嘶なき、或いは関節ずれ落ち、亦能く傍らの人に伝染する。(巻二戸令)」しかしこの記述は「悪疾いわゆるなり」と記されるべきだったと思います。「和名類聚鈔(931〜938年成立)」には 「癘」の解説に「悪疾也」としています。私はこれが唯一の「ハンセン病」を指す記述だと思っています(反論を実は歓迎しています。欲しいのは真実だけですので^^)。

他に「日本霊異記(822年頃成立)」「今昔物語集(1120年頃以降に完成)」に「白癩」の記述が見られますが、これらは@であるかAであるか、或いは「ハンセン病」であるのか特定する材料がありません。これらの古典には「病気」としてではなくむしろ「現報」として取り上げられていますので、「症状」を特定する必要も無いと思います。


長くなりましたが、これが「白癩について」です。繰り返しますが、推論・断定が多いのは承知しています、反論を実は歓迎しています。欲しいのは真実だけですので・・・^^

これを書くことを決意させたのは、昨日の朝日新聞の夕刊「三谷幸喜のありふれた生活」の中の一節です、実は。曰く・・・

「しかしこれだけ必死に頑張っても、一日かけて短いシーン一つしか書けない日もある。そして悲しいのは、これだけ苦労して書いたワンシーンが、わずか二、三分で書き上げたシーンより面白いとは限らないということ。」

三谷幸喜さんのような人と自分とを同じように扱うのは誠に不遜ですが、この一言が「あ、そうなんだ」と短文に纏めることを思いつかせてくれました。そしてサット膝に手をついて立ち上がりパソコンに向かったというわけです。やはり膝に手をつかないと、サットは立ち上がれない・・・(笑)(2.7 05:58脱稿---結局4時間かかりました^^)
 

Re: ハンセン病の考古学

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 2月 7日(土)06時11分25秒
返信・引用  編集済
  > No.4177[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> 〔付記〕
> なお、「令義解(833年完成)」にはこのように記されています。「悪疾いわゆる白癩なり。此の病人五臓の虫が食う。或いは眉・睫が落ち、或いは鼻柱が崩壊し、或いは言葉声が嘶なき、或いは関節ずれ落ち、亦能く傍らの人に伝染する。(巻二戸令)」しかしこの記述は「悪疾いわゆるなり」と記されるべきだったと思います。「和名類聚鈔(931〜938年成立)」には 「癘」の解説に「悪疾也」としています。私はこれが唯一の「ハンセン病」を指す記述だと思っています(反論を^^)

 皮膚科学的は、これが真実の(そして最初の)ハンセン病の記述であることは、私が菊池恵楓園にいた時から思い、講義していました。問題点があるとすれば、光田健輔は、疥らいであるとした点でしょう。皮膚病の中で最も伝染(接触伝染)しやすり疾患が疥癬です。通常のハンセン病の性格からいえば、伝染ということは思いつきません。

 文献:光田健輔 疥癬とらい病の注染 日本公衆保健協会雑誌 10,11, 1934年11月

 この中の令義解注染問題の新解釈、において述べています。この前に色々な所で観察した患者のことを述べています。ですから、彼の言説には説得力があります。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさんいらっしゃいませ。早起きですね。

有益なご意見を拝聴致しました。有り難うございました・・・m(_ _)m(2.7 07:08)
 

ハンセン病の考古学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 7日(土)04時06分33秒
返信・引用  編集済
  去年の初めから「呼称の変遷」に手を付け始めました。1月3日です。3月8日には「史記に厲を発見」と更新記録に書いています。もう一年以上”ハンセン病の考古学”に没入していることになります。Murthy訳の「Sushurta Samhita」が10日後には到着するでしょうから、そこで又どちらへ転ぶか分かりませんが、早く"archaeology"から足を洗いたいとの思いは変わりません。

ここで三つばかり、この一年間に拾った言葉を並べさせてください。最初は辻直四郎著「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」注の(1)から・・・

「病気に関する語句には意味不明のものが少なくない」

次に「Astanga Samgraha of Vagbhata」(下から10行目)から・・・

「Though the term 'kuṣṭha' is generally translated as 'leprosy',it also includes many other diseases of the skin.」

最後にS.G.ブラウンの『聖書の中の「らい」』(p.27)から・・・

「皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病とは区別されています。」参考


私は「ハンセン病とサンスクリット語」を一応「完工」するまで「白癩について」を先送りしました、道半ばだったのですが。しかしこれは故無しとしないのです。「kuṣṭha」「kilāsa」「śvitra」達の正体が分かるまでは、むしろ手を付けられなかったと言うのが正直なところです。逆に言えばそれらの正体が明らかになってくる過程の中で「白癩」の真の正体が掴めてきたと、そう言っても過言ではないと思っています。

では正体は何か、今からここで短く2時間ほどで纏めます。「白癩について(その一)」とか大上段に振りかぶるのは止めにして。これから大辞林と和英辞典の釈義を並べますが、退屈しないでください。何故ならそこに私のこれまで口が酸っぱくなるほど言ってきた「三つの白癩」が顔を揃えているからです。

「大辞林」から・・・

びゃくらい【白癩】

  @ 皮膚が白くなるハンセン病。
  A 〔 「そむけば白癩になる」 という意から〕 かたい誓い・決心の言葉として用いる語。 「いやぢや,−否ぢや /桐一葉逍遥」
        「−返してくれられと歯の根もあはぬ胴ふるひ /浄・平家女護島」
  B 不意の出来事に驚いて発する語。 「−これはと抜き合わせ戦ふ所に /浮・武道伝来記7」


しらはたけ【白癩】

  「白癜(しろなまず)」に同じ。「−と云て病付きて /今昔20」(この用例は間違いだと思います。後に触れます:リベル)


「グランドコンサイス和英辞典」から・・・

しろなまず【白癜】

   〔医学〕leucoderma ;vitiligo.


「三つの白癩」は上の太字部分である、という結論を導き出す時、精神的及び技術的(こちらはブラウン氏の記述です)バックボーンとなって支えてくれたのが、冒頭に書いた三つの言葉です。その結果得た結論を整理して並べてみますと、「白癩」という言葉は日本では次の三通りの意味で用いられています。


@皮膚が白くなるハンセン病「少菌型=PB型(I群、TT型)」のハンセン病
  明らかにこの症状を記したと思われる記録は日本には見当たりません。「令義解」の「白癩」は「ハンセン病」全体を指していると思います(後で触れます)。

A白癜(しろなまず)leucoderma、 vitiligo
  「妙法蓮華経 普賢菩薩勧発品第二十八」の中の「白癩」、「日本書紀 巻二十二」の中の「白癩」

B本来の「病名」から離れて転用された場合かたい誓い・決心の言葉として用いる語不意の出来事に驚いて発する語
    石田三成の起請文(上段左端)。ほかは大辞林のA、Bの用例をご覧ください。


〔付記〕
なお、「令義解(833年完成)」にはこのように記されています。「悪疾いわゆる白癩なり。此の病人五臓の虫が食う。或いは眉・睫が落ち、或いは鼻柱が崩壊し、或いは言葉声が嘶なき、或いは関節ずれ落ち、亦能く傍らの人に伝染する。(巻二戸令)」しかしこの記述は「悪疾いわゆるなり」と記されるべきだったと思います。「和名類聚鈔(931〜938年成立)」には 「癘」の解説に「悪疾也」としています。私はこれが唯一の「ハンセン病」を指す記述だと思っています(反論を実は歓迎しています。欲しいのは真実だけですので^^)。

他に「日本霊異記(822年頃成立)」「今昔物語集(1120年頃以降に完成)」に「白癩」の記述が見られますが、これらは@であるかAであるか、或いは「ハンセン病」であるのか特定する材料がありません。これらの古典には「病気」としてではなくむしろ「現報」として取り上げられていますので、「症状」を特定する必要も無いと思います。


長くなりましたが、これが「白癩について」です。繰り返しますが、推論・断定が多いのは承知しています、反論を実は歓迎しています。欲しいのは真実だけですので・・・^^

これを書くことを決意させたのは、昨日の朝日新聞の夕刊「三谷幸喜のありふれた生活」の中の一節です、実は。曰く・・・

「しかしこれだけ必死に頑張っても、一日かけて短いシーン一つしか書けない日もある。そして悲しいのは、これだけ苦労して書いたワンシーンが、わずか二、三分で書き上げたシーンより面白いとは限らないということ。」

三谷幸喜さんのような人と自分とを同じように扱うのは誠に不遜ですが、この一言が「あ、そうなんだ」と短文に纏めることを思いつかせてくれました。そしてサット膝に手をついて立ち上がりパソコンに向かったというわけです。やはり膝に手をつかないと、サットは立ち上がれない・・・(笑)(2.7 05:58脱稿---結局4時間かかりました^^)
 

「Astanga Samgraha of Vagbhata」一行お三人様ご到着!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 6日(金)02時15分24秒
返信・引用  編集済
  やって来ました、「アシュタンガ」。トイレに持ち込んで辞書を片手に40分。1300グラムも40分ではやはりズッシリと腕に痺れが来て、立ち上がろうとしたら足腰にまで影響が出て、ウムやはり年じゃわい、と少し滅入りましたが。

全三巻の内の二巻目の239ページに問題の一節があります。梵語は「デーヴァナーガリー」しか有りませんので、よしこの野郎とばかりに、これに正面から対決することを決意、約3時間でこんな表にしました。面白くもおかしくもないのです。単に自己満足のためのみ・・・(^^:)

ひそかに呟くもう一つの自分の声、「あまり深入りしない方が・・・」^^


デーヴァナーガリーで「śvitraやkilāsaやaruṇaも、kuṣṭhaに似ていると言われています」と書いてあるのです。(2.6 03:29脱稿)
 

追伸

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2009年 2月 5日(木)18時06分7秒
返信・引用
  「歴史を正しく伝える場として」云々――まさに「正史」がつくられようとしているわけだ。  
    (リベル) おお、ドン・キショットさんいらっしゃいませ。

「官僚の三大手法」を訂正・・・「リーク・悪口・サボタージュ、も一つおまけに嘘を吐け」(^^)(2.6 00:18)
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2009年 2月 5日(木)17時55分53秒
返信・引用
  あははは。
これまでも厚労省の「きめ細かな指導」によって、国の責任が明確にされないようにぼやかしてきたではないか。
このうえさらに“シンニョウ”をかけて「きめ細かな指導」がなされるというのなら、どんな資料館になることやら?

この新聞記事では「ほかの理事も」となっているが、どういう方々であるかは、皆さんご存じですよね。
 

今朝の朝日新聞

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 2月 5日(木)13時35分45秒
返信・引用  編集済
  リベルさんがアップされた新聞記事内容と比べて、こちら(埼玉)の新聞では、内容が少し付加されているようです。ご参考までに。(すみません。北風さんのBBSには画像をアップできませんので、こちらにアップしました。お邪魔でしたら削除してください。)  
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

有り難うございました。本当ですね、内容が増えています。お心遣いを心から感謝致します・・・m(_ _)m

それにしても各紙のオンライン版に出ないのが不思議ですね・・・^^(2.5 17:24)
 

ふれあい福祉協会撤退

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 5日(木)07時15分22秒
返信・引用  編集済
  今朝の朝日新聞です。取り急ぎ・・・!

厚労省は、この混乱について、詫びの一言もなく「きめ細かな指導をしたい」と。一体誰に、何を指導すると仰有るのか!
 

中国で「イワシ」はどう書くか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 5日(木)01時36分2秒
返信・引用  編集済
  中国の文化は黄河の中流域を中心に発達したので、海に囲まれた日本と違って魚を表す漢字が少ないのだそうです。でイワシは「沙丁」と書いて「shādīng」と発音するのだそうです。はいご想像通り英語の「sardine」を輸入して漢字を当てたというわけです。これには驚きました。(これもご想像通り「漢字道楽」の受け売りです^^)

序でにチョット遊びますと「ブッシュ=布什」「オバマ=奥巴马、马=馬の簡体字」です。

一方日本ではと申しますと、これまた大変驚かされます。国字である「鰯」が平城宮址(710〜784年)から発掘された木簡に書かれていたのですから(但し今回の発掘には関係有りません)。私などは「国字」などというものはまあ江戸時代かそれ以降に生れたものだろうと、思い込んでいましたので仰天でした。

で、話しはこれからなのですが奈良時代以前は、では「イワシ」はどう書いていたのだろうと言うことです。これ、実は平城京の前の藤原京(694〜710年)の藤原宮跡からこれまた木簡が出ていて、それに「伊委之(いわし)」と書かれているのだそうです。

1月30日にこう書いています・・・

「日本語の状態は少し分かりましたが、その頃「ハンセン病」は有ったのでしょうか。これは想像ですが2005年の「The Science」の図を思い出してください。この図だけでは断定は出来ませんが、恐らくは百済人が中国発の「ハンセン病」を持ち込んだのではないでしょうか。そうとすれば、あくまでも推定の話が進みますが、病気とそれを表す「癩」や「白癩(これは決して無造作に書いたのではありません)」という漢字(これは「báilài」と発音されていたのでしょうか)とがほぼ同じ頃に、しかし別々に入国してきたのかも知れないのです。

法華経の中に「癩」とか「白癩」という漢字が入って居ました。それを聖徳太子は読み理解して、推古天皇にご進講申し上げ(606年)、後には「法華経義疏(615年)」という注釈書を書いています。それとは別に、日本書紀に書かれた路子工(612年)は「白癩」と疑われています。」


日本語の起源については、また一つの大きな問題なのでここは仮に手元にある大野晋氏の説(「日本語はいかにして成立したか」p.95)を採りますと、縄文時代は「オーストロニア語」の音韻体系の言葉であって、そこへ弥生時代にタミル語が入ってくる、そしてその後に高句麗語が混じる(ここはかなりいい加減かも知れませんので読み飛ばしてください)。とにかくたとえばこのような言語体系の言葉で「イワシ」という魚を呼んでいたのです。

そこへ漢字という文字が入ってきた。「伊委之」を「漢典」で調べると発音はちゃんと「yī-wěi-zhī」=「イ・ウェ・シ」となっているから堪えられません、あ、当たり前ですね。そこで当時の日本人は「イワシ」にこの漢字を当てて文字を作ったわけです。

この場合は、「イワシ」というとその名前が既に以前から、漢字の入ってくる前から有ったのです。「白癩」の場合はそこのところの事情が違うことを注意しなければいけません。「白癩」とか「之良波太」と言われる「病気」が既に有ったのかどうか、そしてそれらがそのような「名前」で呼ばれていたのかどうか、ということです。漢字が入ってくる前の日本にです。


それは答は「分からない」で良いのでしょう? 何の記録も痕跡も無いのですから。やはり私は、聖徳太子は「báilài」と発音していたと、そう思います、重大発言!!!・・・(^^;)


聖徳太子さん
 

Re: なかなか解放してくれないインド伝統医学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 4日(水)04時57分44秒
返信・引用  編集済
  > No.4169[元記事へ]

> 俺は一体何をしていたのかと、頭を抱えてしまいました。「kuṣṭha」は勿論「kilāsa」の解釈も進んでいるに違い有りません。
>
> いいえ決して凹んだり挫けたりは致しません。一番新しいのを選んで、私の推論が正しかったかどうか検証し始める(おお、又再出発か)ことに致します・・・ウーム、魘されそうな気もする・・・(^^;)


ということで最善の策は何かと調べました。「Illustrated Susruta Samhita」の方は目次を見ると、かなり原典の構成から離れています。「病理篇・第5章癩病(皮膚病)」が「Nidana Sthana 5 Kustha nidanam (diagnosis of leprosy and other skin diseases)」として残っていますが(この部分は「ハンセン病とサンスクリット語」には引用します)、「治療篇」では皮膚病も扱っていないのです。一方「Susruta-Samhita with English Translation of Text and Dalhana's Commentary along with Critical Notes 」の方は原典に忠実でその上に「ダルハナ」の注が加わるのですから、これが現在選び得るベストだと思います。こうも書いてあります・・・

「The present edition of the Susruta-samhita is singular in the sense that, besides presenting faithful translation of the text, it brings forth, for the first time, the English translation of the Nibandha-sangraha commentary by Dalhana who is regarded as the authority on the subject.」

これでチェックすれば私の解釈が間違っていたかどうかが歴然と白日の下に晒されることになります。図書館は関西では京大文学部しかありません。1回の交通費が約3000円だから2回行けば本が買えます。ということでまたまた清水の舞台から・・・。飛行機便にしたのでこれが15ドル(船便にすると長い場合は12週だから敵いません)。あ、上のサイトは14263円ですから、ここからは買いません。49.99ドルというサイトを見付けたのです、勿論新品で。1999年の初版になりますが、まあ変わりはないでしょう、このような本は・・・(汗)

10日後には、赤っ恥をここに晒さなければいけないかも知れませんが、まあ首を洗ってお裁きを待つと致します・・・^^


お白州で奉行のお出ましを待ちましょう・・・
 

なかなか解放してくれないインド伝統医学

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 3日(火)04時01分59秒
返信・引用  編集済
  昨日一つの表をご紹介しました。そこで7つの文献を紹介していますが、このそれぞれの成立年代と、訳された年代を記せばもっと面白くなると思って入れ始めたら、最後の「Astanga Samgraha of Vagbhata」のK.R. Srikantha Murthy氏が訳した年代が分からないのです。今は兎に角1999年にしておきましたが1929年生まれですから、70歳の時の出版になります。いや別に構わないのですが略歴などを見付けて読んでいると、どうだろうと思えてきて、そうこうしている内に、この人が「スシュルタ・サンヒター」を訳していることが分かりました。私が今回取り上げたのは1963年のBhishagratna氏の訳ですから、いけません。

「いけません」と思って探すと他にもP.V.Shamaという人が訳して2006年に出版しています。1963年や1971年(大地原氏)の訳だけを一生懸命読んでいたのは一体何だったんだ?というより、彼等は更に進んだ翻訳や解釈をしているはずだと思い始めたら、さあ大変です。これらを読まなければならない、そして「大地原訳」との照合作業をやらなければ、当然ながら片手落ちです。

と思っていたら今度は二番目に挙げた本のタイトルに有る「Dalhana's Commentary」が引っ掛かりました。と思ったらその上「the Nibandha-sangraha」というこれも初耳の本が登場するは、まあ新顔が一挙に登場してきたのです。「Dalhana」というのは「ダラーナ」と読むのだろうか、と「インド伝統医学入門」の索引を探したら「ダルハナ」というのがあって、何と12世紀頃「スシュルタ・サンヒター」に注釈を付けたインド医学の泰斗であることが判明。「ダルハナ」で検索したら「東洋伝承医学」のサイトがあって「『スシュルタ・サンヒター』の主な注釈者としては、ボージャ、ガヤダーサ、ジェージャタそして高名なダルハナ(11〜12世紀)がいます。」と書いてあるではないですか。

俺は一体何をしていたのかと、頭を抱えてしまいました。「kuṣṭha」は勿論「kilāsa」の解釈も進んでいるに違い有りません。

いいえ決して凹んだり挫けたりは致しません。一番新しいのを選んで、私の推論が正しかったかどうか検証し始める(おお、又再出発か)ことに致します・・・ウーム、魘されそうな気もする・・・(^^;)


爽やかムードで・・・

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c8/Taj_Mahal_in_March_2004.jpg

 

「ハンセン病とサンスクリット語」の結論

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 2日(月)04時51分57秒
返信・引用
  「ハンセン病とサンスクリット語」に取り上げた諸文献は「kuṣṭha」「kilāsa」「śvitra」「aruṇa」をそれぞれどう記述していたか? そしてそれらを読んで得た最終結論は何か? それを一つの表に纏めてみました。

あのダラダラと長い文章も、これを締めに持っていくことで、いくらかキリッと引き締まるのではないか、という儚い希望を抱いて・・・^^;
 

ドン・キショット さん、あずき さん、Ichiroさんへ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 2月 1日(日)13時47分15秒
返信・引用  編集済
  昨日は、午後から酒の肴を探しに出かけて、丁度ドン・キショットさんがいらした頃から飲み始めて、21時頃まで(らしいです。自分は覚えていなくて^^)呑んで、その途中で宅配でディスプレーが届いて、結局1時間ほど前まで寝ていました。今開梱しかけて、待て待て昨日投稿が有ったぞと、そうなのです、途中で一度PCを開いたのですが、とてもレスが書ける状態ではなかったので、いま書いています。そんなわけで遅くなりました、申し訳ありませんでした。

文字化けは無いと皆さんに仰有って頂いて、本当に安心しました。有り難うございました。

あずきさん・・・

>え。そんなにお安いものがあったとは。。。今度は大画面の新品を買います。

実はこれなのです。「イートレンド」は何度も利用していて(何を買ったのだろう?)、信頼が出来ます。さらに聞いてやってください涙ぐましい苦労をしているのは「20.1型」であるところです。本当は22型にしようとしたのですが、高いのです。この中途半端なサイズは安いのです。で、ここに妥協点を見いだしたというわけでした・・・(^^;)

では只今から、二日酔いからの脱出のため、そして今夜も美味しいご酒が頂けるように、歩きに行って参ります・・・(^_^)/~
 

文字化けありません

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月31日(土)21時14分7秒
返信・引用
  文字化けありません。 Ichiro  

Re: 余談:決断

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月31日(土)15時24分32秒
返信・引用
  > No.4163[元記事へ]

> 「ハンセン病のリンク集」の「呼称の変遷」をクリックして頂いて、文字化けしていませんか?

17インチ(←対角線の長さ=44センチですから、計算しますと、こうなるのかしらん?汗。。)の画面から見ていますが、文字化けはありません。図表の幅が左右ピッタリですが、その下の【注】の図表の幅は左右のスクロールをしないと読めません。
何故、これに拘るのかと申しますと、この画面をプリントする方がいらっしゃる場合に、印刷したものの、端がプリントできないということが起きるからなのです。イロイロ申し上げてすみませぬ。

>誰だって。調べたら今はもう19〜22インチ、しかもワイドへシェアが傾いています。というわけで「決断」を下して、清水の舞台から飛び降りる気持ちで2万円也・・・^^;

え。そんなにお安いものがあったとは。。。今度は大画面の新品を買います。
 

文字化けなしです

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2009年 1月31日(土)15時02分28秒
返信・引用
  わたくしめのPC画面では、文字化けなし、正常です。  

余談:決断

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月31日(土)01時27分19秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病のリンク集」の「呼称の変遷」をクリックして頂いて、文字化けしていませんか?どうも「ホームページビルダー」での作成上問題があるらしいのですが(エラーメッセージが出るのです)、何をやっても直りません。

それでネットカフェに立ち寄って見るのですが、大丈夫なのです。お気付きの方がいらっしゃいましたら、ご面倒ですがお教えください。変わった文字を使いたいので「UTF-8」とやらにしているのが原因かも知れないのですが・・・。

で、ネットカフェの19インチ画面で色々チェックしていたら、何とトップ画面に異常があることに気付きました。【文字】のところが変な位置へ移動しているのです。私の17インチで正常なのでそれより大きい画面では当然こぢんまりと納まっていると思い込んでいたら、逆なのです。で、調整しては翌日散歩の途中で260円払っては確かめて・・・。が、馬鹿馬鹿しくなりますよね、誰だって。調べたら今はもう19〜22インチ、しかもワイドへシェアが傾いています。というわけで「決断」を下して、清水の舞台から飛び降りる気持ちで2万円也・・・^^;


こいつ(イートレンド)です・・・
 

Re: 余談:燕の鳴き声

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月30日(金)20時31分4秒
返信・引用  編集済
  > No.4161[元記事へ]

>鳩は「クークー」

これはわたくしには絶対にこれ↓です(^^)。

http://www.haizara.net/~shimirin/on/akiko_02/poem_hyo.php?p=28

かつての実家の板塀の向こう側は、広いお屋敷でしたが、そこに繁茂する古木に来る鳩はこのように鳴いていました。それでこの詩を納得した次第です。

> ツバメはやはり「ツングルリ」でなければいけないのです・・・(笑)

ツンバメがグルリと輪を描いた、ですか(^^)?

黒猫ちゃん、可愛いですね。ここに来る楽しみが増えました。
 
    (リベル) あずきさんいらっしゃいませ。

私が昭和47年に関西へ戻ってきたとき芦屋のくみ取り式便所の長屋住まいでした。そのとき生れて初めて聞いたのがこの「デデッポッポー」だったのです。毎日のように聞きました。「あれはホトトギスだろう」などと誠にいい加減な生き方をしていました。

永瀬清子さん81歳には驚きました。堀文子さんをもう一度読んできました。自分も絵を習おうかななどと痛感しました。あずきさんの短詩もそうですが、一作一作に自分の感性や魂の進歩が如実に刻まれて行くということを、とても羨ましく感じて・・・ウーム^^

「ツンバメがグルリと輪を描いた」には大笑いしました・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ! (1.31 00:57)
 

余談:燕の鳴き声

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月30日(金)17時44分40秒
返信・引用  編集済
  雀は「チュンチュン」か「ピーチクパーチク」(?)、犬は「ワンワン」、アブラゼミは「ミーンミーン」、キリギリスは「スイーッチョ」などとと、得てしておおよそ相場は決まっているようです。

鳥類だけでも、鳩は「クークー」、ウグイスは「ホーホケキョ」、トンビは「ピーヒョロロ」、フクロウは「ホーホー」、ニワトリは「コケコッコー」とまあ枚挙に遑が有りません。


ではツバメは何と鳴くのでしょう?

即答なさった方は少ないのではないかと思います。私は「・・・」でした。実際の鳴き声はこんなです。いかがでしたか?


ところが、私は子供の時母から教えられたこんな童歌を思い出したのです。このことを昔作ったHPに書いたこともあったのです。

「鳩ととんびと雉と燕とかりがねと鶯の鳴き声は
クークピーヒャラエンケンクークク
ピーヒャラエンケンケンのツングルリのキンジャクジャのホーホケキョ(以下略)」

「クーククピーヒャラエンケンケン」はまあ今で言うリフレインとして、「クーク・ピーヒャラ・エンケン・ツングルリ・キンジャクジャ・ホーホケキョ」と「鳩・とんび・雉・燕・かりがね・鶯」を照合しますと「ツバメ」は「ツングルリ」と言うことになります。

さらにそうこうしているうちに、思い出してきたのは、連れ合いの実家での経験でした。離れの入り口にに巣を作っていました。ボーッと眺めていたら、そこで親ツバメが確かに「ツングルリ」と鳴いていて、この童歌を思い起していたのです。そのとき彼等は確かに「ツングルリ」と鳴いていたのです。「ヘエーッ、あの歌は本当なんだ・・・!!!」と思ったものです。

先程動画をご覧頂きましたが、その中で何か新解釈を言っていました、それは違うのです。ツバメはやはり「ツングルリ」でなければいけないのです・・・(笑)


ツバメたち
 

余談:GAYJAPANNEWSから

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月30日(金)12時04分31秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病のGoogleニュース」に見慣れない媒体名が有ります。「同性愛嫌悪発言の財団会長に書簡送付」と題して「GAYJAPANNEWS」に日本財団会長笹川陽平氏のブログでの発言が取り上げてあります。

24日に一応お詫びが出ているのですが、「過去にゲイ男性カップルがベッドに横になっているのを見た際に気分を悪くしたこともある」、「1ドル360円時代のアメリカには興味本位か経済的理由であったのかは知らないが(中略)その道に入った日本人留学生もいた」、「性同一性障害という不幸な病気を背負った人のいることは承知しているが、同性愛はどうしても理解できない」などの発言は許せないとして、ブログは炎上とまでは行かなくても108通の「小火」が起きています。

国際的にハンセン病の撲滅と差別の排除を叫んでいる筈のお人が、そんな考え方をしているのは意外でした。やはり「高そうな背広を着ているオジサン」の一人なのでしょうか。

合って誠実に謝罪された方が良いのですが・・・(゚ー゚)(。_。)(゚ー゚)(。_。)(゚ー゚)ウンウン
 

六書(りくしょ)と白癩

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月30日(金)03時49分9秒
返信・引用  編集済
  例えば「字通」の「癩」のページをご覧ください。「形声」と書いてあります(「声符」というのは下の「形声」の説明で「音を表す字」の部分です)。私は実は正直に言って何のことか全く知りませんでした。「象形」とか「会意」など、「造字」「漢字の運用」の為に「六書(りくしょ)」が有るそうですが、しかしなにも「六書」が先に有って漢字が作られたわけでは勿論ないのです。ほぼ漢字が出揃ってから作り上げた「理論」と思えば良いようです。今読んでいる「漢字道楽」という本に詳しい説明が、面白く書いてありましたので、ご紹介します。先ずは・・・

大辞林から

六書(りくしょ):漢字の成立を説明する六種の分類。すなわち象形・指事・会意・形声・転注・仮借(かしや)。

象形(しょうけい):物の形をかたどって字形としたもの。「日」「月」「山」「木」などの類。

指事(しじ):数量や位置などの抽象的概念を字形の上に表すもの。「一」「二」「上」「下」「末」「本」などの類。

会意(かいい):二字以上の漢字を組み合わせ,同時にそれぞれの意味をも合わせて一字の漢字とすること。「日」と「月」を合わせて「明」とし,「車」を三つ合わせて「轟」とするなど。

形声(けいせい):音を表す字と意味を表す字を合わせて一字を作る法。「河」「鳩」「問」「婆」の類。諧声(かいせい)。象声。

転注(てんちゅう):ある漢字の本来の意義を他の近似した意義に転用すること。本来,「音楽」を意味する「楽(がく)」を音楽を聞くと楽しいことから「楽しい」を意味する「らく」に用いる類。(用字法の一つとする説が有力であるが、定説はない。Wikipediaから 。と言うのが定説です)

仮借(かしや):ある語を表す漢字がない場合,その語の意味とは無関係の別の同音の漢字を借りて表す方法。戈(ほこ)の意の「我(が)」を自分の意を表す文字として使ったりする類。

前の四つが字を造る「造字法」後の二つを運用する「用字法」と分けるようです。(Wikipediaから)


例えば「指事」では「木」という字の上の方に印(横棒)を付けて「末=梢」、「木」という字の下の方に印を付けて「本」というように「字」が造られた、と言う話が「漢字道楽」には書いてあります。

面白いのは、「形声」の例で、「桜」と「梅」の漢字を造る場合です。これを「象形」で表すのはとても無理なのは分かります。で、どうするか?仮に古代中国でも「櫻」を「yīng」「梅」を「méi」と呼んでいたと仮定します(この発音は現代の発音です)。そこで「木」という字に「嬰=yīng」、「毎=měi」をくっつければ分かりやすく区別が出来るということで、「形声」によって「櫻」と「梅」が出来たという訳です。(以上「漢字道楽」から)


では「白癩」という漢字が入ってきた時(538年と552年の二説有りますが。参考:漢字の伝来)それは誰がどういう風に日本人に伝えたのでしょう?これも現代中国の発音で行けば「白」は「bái」、「癩」は「lài」です。百済の人は経典を日本人に手ほどきしたとすれば、多分「白癩」を「báilài」と発音したか、まあそれに近かったのではないでしょうか。

この方向に突き進むと正しい判断を失うことになるかも知れません。話を生活密着型に引き戻します。百済人が来る前に、日本語はどのような状態にあったのか。お手数ですが「漢字の伝来」の最初の所をお読みください。3世紀末には「魏志倭人伝」が「ヒコ」や「ヒナモリ」を耳から聞いて、その音を漢字で書き留めたのですから、地名も職名も個人名もキチンと有ったのでしょう。百済との交流が盛んになった5世紀の「稲荷山古墳」から出土した「金錯銘鉄剣」にも「乎獲居=ヲワケ」、「多加利足尼=タカリのスクネ」などと人名や地名を漢字で表記されています。


日本語の状態は少し分かりましたが、その頃「ハンセン病」は有ったのでしょうか。これは想像ですが2005年の「The Science」の図を思い出してください。この図だけでは断定は出来ませんが、恐らくは百済人が中国発の「ハンセン病」を持ち込んだのではないでしょうか。そうとすれば、あくまでも推定の話が進みますが、病気とそれを表す「癩」や「白癩(これは決して無造作に書いたのではありません)」という漢字(これは「báilài」と発音されていたのでしょうか)とがほぼ同じ頃に、しかし別々に入国してきたのかも知れないのです。

法華経の中に「癩」とか「白癩」という漢字が入って居ました。それを聖徳太子は読み理解して、推古天皇にご進講申し上げ(606年)、後には「法華経義疏(615年)」という注釈書を書いています。それとは別に、日本書紀に書かれた路子工(612年)は「白癩」と疑われています。


このような推測と事実を読んでみて、皆様の頭の中に浮かび上がって来た「結晶」は何でしょう・・・この辺を出発点にして「白癩について」を纏めようと思っています。

では二〜三日空白にするかもしれません、「心」か「BBS」かどちらだろう・・・どちらもしないだろうと思います・・・(^^)/~~~


「白」の甲骨文字です。何故「白」が「首長」を意味するのかは分かっていないそうです。(下の本のp.43)
落合淳思著「甲骨文字に歴史をよむ」p.196から
ちょっと興味深い文字があるので、蘊蓄を一席ぶたしてください。「王来」の次の「征」という字が甲骨文字では「囗(い)」+「止」になっています。これは「漢典」(字源字形)をご覧ください。「囗」は「城邑の外郭」「止」は「足」即ち「正」で、甲骨文字では略されている「行人偏」は道を表しているのです(「字統」で「征」と「行」を引くと良く分かります)。「んで服する」わけです。
 

私の夢

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月30日(金)03時29分39秒
返信・引用
  「Year of Death」というタイトルの英語のサイトを作ることです。「Year of Death」というのは「The Year of the Death of Historical Person」(この英作文は非道いかも知れません)つまり「歴史上の人物の没年」という意味の積りなのです。はいその通り「人名歴史年表」のInternational版です。

問題は日本人を十分の一(以下かな)にカットして外人をもっと増やすこと、全部英語で書くこと、「外人」とか「英語で書く」とか書いているような人間に出来るわけが無いこと、この三つが大きいと思います。だから「夢」です。"Boys be ambitious."というのは有りますが"Old man be ambitious"と言うのは、未だ聞いたことが有りません・・・^^
 

重要な日は2月1日:傍証ですが

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月29日(木)21時38分57秒
返信・引用  編集済
  全癩患協から全患協への変化の日時の問題ですが

 主さんが2月としか書かず、2月1日と書かないので、それどころではなかったという説が有力になりそうです。しかし、発見しました。

 近現代日本ハンセン病資料集成 解説・総目次 という本です。

 全患協が何という名前で文書を発行していたか、でも推定はできますが、生憎決定的証拠にはなりません。しかし、つぎの文章を読むと 1月31日と2月1日の間に何か重要な変化があったという決定的証拠になると思います。

 1952 日誌(1952、および3年)(1952年10月23日〜1953年1月31日)(多磨全生園患者自治会)

 解説:日記を何らかの基準でまとめている。10月23日から12月31日なら普通であるが、1月31日でくくっているのは、1月31日から2月1日の間になんらかの重要な変化があったのではないか。この本でチェックしてくださいな。

 Ichiro

  お返事(後で書く):どなたかハンセン病資料館に行く人、調べてくださいな。Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃいませ。

お知らせ頂いて有り難うございます。

しかしこれも仰有るように「傍証」=「状況証拠」に止まりますね。「物証」とは言い難いでしょう。もう一息、Ichiroさん頑張ってください。こちら、お委せしましたから・・・よろしく・・・(^^)(1.30 01:51)
 

(無題)

 投稿者:エリカ  投稿日:2009年 1月29日(木)18時48分3秒
返信・引用
  猫可愛いですね。

ほととぎずの話がでましたが。

信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」
家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」

よく性格をあらわしていますね。

わたしは、「鳴かぬなら 鳴かなくていいよ ほととぎす」かな。笑。
 
    (リベル) エリカさんいらっしゃいませ。

「鳴かぬなら 鳴かなくていいよ ほととぎす」

これも優しさが滲み出ていてよいですね。私も宗旨替えしてこういたします。

「鳴かぬなら 行ってもいいよ ほととぎす」

だって、やはり外へ出たがっているのでしょうから・・・^^(1.30 01:44)
 

凄い猫ですねぇ

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月29日(木)18時02分53秒
返信・引用
  凄い猫ですねぇ すっかり気に入りました。

 Ichiro
 

Maukieちゃん

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月29日(木)02時14分29秒
返信・引用  編集済
  「Sushruta」や「kuṣṭha」は「スシュルタ」とか「クシュタ」と皆さん書いて居られますから正しいのでしょうけど、「kilāsa」や「śvitra」を「吉良淺」とか「朱鼻虎」と読んでいるのは、私の独断ではないか?ベッドの中でフトそう気付いてガバッと起きあがりました。「梵語辞典」をご覧頂いても確かに英語のように「発音記号」を添えていません。

さあ大変、私は非常に無責任なことをやっていた、発音の押し付けです。それに止まらず「アクセント」の問題も重要です。これまで考えもしなかったのですが「Sushruta」は果たしてシュルタか、スシュルタか、スシュタか、スシュルか・・・?当時のインドでは実はスシュルだったのかも知れない、それはもう誰にも分からないのですから。

やはり発音だけでもチャント調べようと思って検索したら、至れり尽くせりの良いサイトが見付かりました。それを読み始めたのですが、どうも右の目の端っこがムズムズしていけない、と見ると「Maukieちゃん」が居ました。「発音」そっちのけで、Maukieちゃんを追っ掛け始めたその結果が、上のお邪魔虫なのです。良く見るとこの子、呼吸をしています。喉を撫でるとゴロゴロ喉を鳴らします。鼻面を撫でるとニャーと鳴きます。招き猫のポーズに挑戦なさいませんか・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


追記:今読み終わりました。「アクセント」は相変わらず分かりません。が発音については訂正が必要な単語は有りませんでした・・・ホッ・・・(汗)(1.29 03:23)

http://www.broenink-art.nl/anneke/maukie1280.html

 

最終・第五章 アシュタンガ・サングラハ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月28日(水)04時31分0秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病」とサンスクリット語「第五章 アシュタンガ・サングラハ」を追加しました。

また「スシュルタ・サンヒター」の「kilāsa」の項にも「状況証拠その八」を追加しました。これから何度も全体を通して読んで、贅肉をバッサバッサ切り削る作業に入ります。他のことをやりながらなので半年はかかると読んでいます。スリムなイケメンが出来上がったらまた改めてご紹介申し上げます・・・^^
 

Re: 三度 第五章 アシュタンガ・サングラハ

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月27日(火)20時47分53秒
返信・引用
  > No.4151[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

 カマキリは怖い。小生は宮古島において、ヘンな鳴き声のクマゼミを発見したが、カマキリがクマゼミを食べていた。クマゼミは食われながら腹部を忙しく動かし鳴いていた。クマゼミの多い宮古島では、カマキリがよく食べているようで、そういう写真も見たことがある。また、終戦直後ではクマゼミはおやつとして食べていたという。

 Ichiro
 
    (リベル) カマキリは私の宿敵なのです。小学5年の夏笠置山の側に疎開していました。桐の木にアブラゼミが鳴いていました、ソット忍び寄ってサット右手で押さえた、その瞬間その手にカマキリの鎌がガッキと食い込みました。木の向こう側で私と同様忍び寄っていたのです、彼も。0コンマ数秒の差で私が先んじたという訳です。

しかし、食べられながら鳴いているクマゼミには恐れ入谷の鬼子母神です。過度に剛胆な奴なのか全く無神経な奴なのか、恐らくは断末魔の叫びだったのでしょうね・・・^^(1.28 00:15)
 

三度 第五章 アシュタンガ・サングラハ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月27日(火)12時42分43秒
返信・引用  編集済
  スシュルタ、チャラカと並んで「三医聖」の一人とされるヴァーグバタは「アシュタンガ・サングラハ(八科集)(目次)」と「アシュタンガ・フリダヤサンヒター(八科精髄集)(目次)」の二冊を書きました。内容はご覧の目次のようにほぼ同じなのですが、前者の方が後に整理されたものとされていますので、ここではこれを取り上げます。

「アシュタンガ・サングラハ」で「kuṣṭha」、「kilāsa」について記述しているのは「V. Nidana Sthana(病理篇)」と「W. Cikitsita Sthana(治療篇)」ですが、ここでは「śvitra」も含めて三つが登場する「V. Nidana Sthana(病理篇)」を取り上げます。

●英訳("Astanga Samgraha of Vagbhata"―K.R. Srikantha Murthy訳 ページ画像

「śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc); it is non-exudative, produced by three dhātus(vāta pitta and kapha combined together)and residing in three dhātus(tvak or rasa, rakta and māmsa).」

●試訳

『「尋常性白斑」、「少菌型ハンセン病(このページの図2、図3です)」はまた、病因や病素等の点で「kuṣṭha」に似ていると言われます。』

注:梵語は現在の所ページ内のデーヴァナーガリーしか入手できません。

ここに突然「aruṇa」という言葉が登場します。この言葉は「梵英辞典(ページ画像)」によると"a kind of leprosy"と記されており、その注に「.AV. v , 22 , 3=「アタルヴァ・ヴェーダ」五・二二の三」が引用されています。ご覧のように、辻直四郎氏の邦訳では「赤き粉を振りかけしがごとき(赤色の発疹)」とされています。

また、「スシュルタ・サンヒター」の「第2篇病理篇・第5章癩病(皮膚病)」には「aruṇa-kuṣṭha」として「紅色癩」の訳が当てられています。

このように扱われている「Aruṇa」が「kilāsa」と一括りにして並記されていることから考えると、当時のインドでは、この二つは「ハンセン病」の中でも「少菌型=PB型」として捕えられていたのではないか、つまり「kilāsa=白斑局面を示す少菌型」、「Aruṇa=紅斑局面を示す少菌型」を「少菌型のハンセン病」という一分野の概念として「kuṣṭha」や「śvitra」と弁別していたのではないかと推察することが可能です。


私はこの事実(おや、突然「事実」に昇格ですか?)を、第四章「スシュルタ・サンヒター」の「kilāsa」の項の「状況証拠その八」に加えるべきだと愚考致します。敢えて「アシュタンガ・サングラハ」を第五章として追加した理由でもあることは言うまでもありません・・・^^


振り上げた斧を降ろしたカマキリ
 

Re: 鳴かぬなら どうしましょうか ほととぎす

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月27日(火)12時09分49秒
返信・引用  編集済
  > No.4146[元記事へ]

こんにちは。

> 信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
> 秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」
> 家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」
> リベルさん「鳴かぬなら 逃がしてしまえ ほととぎす」
>Ichiroさん「鳴いても鳴かなくても放してしまえほととぎす」

ナポレオン「余の辞書に不可能はないぞほととぎす」
子規「辞世の句鳴いて血をはくほととぎす」←北風さんの代弁(^^)。
あずき「託卵は許しませぬぞほととぎす」

>分かった、仰有るとおりだと思います。「サングラハ」の英訳だけを用いて、ドンドン論を進めましょう、そして「ハンセン病とサンスクリット語」を完成させるのが正しい道です。ハイ、分かりました・・・目出度し、目出度し・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!(1.27 2:35)

パチパチパチパチ♪
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

危うく見落とすところでした、自分のことに夢中になっていて。

>パチパチパチパチ♪

これはまさに「百万の味方」を得た感じで、とても嬉しかったです。と言うことはやはり一抹の不安が有ったのに違い有りません。

本当に、有り難うございました。今夜、仕上げに突入出来ます、有り難うございました・・・_(_^_)_(1.27 17:07)
 

再び 第五章 アシュタンガ・サングラハ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月27日(火)03時15分39秒
返信・引用  編集済
  スシュルタ、チャラカと並んで「三医聖」の一人とされるヴァーグバタは「アシュタンガ・サングラハ(八科集)(目次)」と「アシュタンガ・フリダヤサンヒター(八科精髄集)(目次)」の二冊を書きました。内容はご覧の目次のようにほぼ同じなのですが、前者の方が後に整理されたものとされていますので、ここではこれを取り上げます。

「アシュタンガ・サングラハ」で「kuṣṭha」、「kilāsa」について記述しているのは「V. Nidana Sthana(病理篇)」と「W. Cikitsita Sthana(治療篇)」ですが、ここでは「śvitra」も含めて三つが登場する「V. Nidana Sthana(病理篇)」を取り上げます。

●英訳("Astanga Samgraha of Vagbhata"―K.R. Srikantha Murthy訳 ページ画像

「śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc); it is non-exudative, produced by three dhātus(vāta pitta and kapha combined together)and residing in three dhātus(tvak or rasa, rakta and māmsa).」

注:梵語は現在の所ページ内のデーヴァナーガリーしか入手できません。

ここに突然「aruṇa」という言葉が登場します。


以下は明日にします。「aruṇa」が重要な単語として登場したので「辞書の中のkuṣṭha・kilāsa・śvitra」に追加しなければなりません。ではでは・・・前向きに退場・・・(汗)

追記:一部未完成ながら「辞書の中のkuṣṭha・kilāsa・śvitra・aruṇa」が出来上がりました。フーッ・・・^^(1.27 04:45)
 

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