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第五章 アシュタンガ・サングラハ

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月27日(火)01時59分0秒
返信・引用  編集済
  スシュルタ、チャラカと並んで「三医聖」の一人とされるヴァーグバタは「アシュタンガ・サングラハ(八科集)(目次)」と「アシュタンガ・フリダヤサンヒター(八科精髄集)(目次)」の二冊を書きました。内容はご覧の目次のようにほぼ同じなのですが、前者の方が後に整理されたものとされていますので、ここではこれを取り上げます。

「アシュタンガ・サングラハ」で「kuṣṭha」、「kilāsa」について記述しているのは「V. Nidana Sthana(病理篇)」と「W. Cikitsita Sthana(治療篇)」ですが、ここでは「śvitra」も含めて三つが登場する「V. Nidana Sthana(病理篇)」を取り上げます。

●梵語原典(ページ画像):kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ śvitraṃ kilāsaṃ dāruṇaṃ ca tat
      nirdiṣṭam a-parisrāvi tri-dhātūdbhava-saṃśrayam

●英訳(ページ画像):śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc); it is non-exudative, produced by three dhātus(vāta pitta and kapha combined together)and residing in three dhātus(tvak or rasa, rakta and māmsa).

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

な、な、何と、ここまで来て重大な過失に気付きました。大変な勘違いを・・・いやもう大慌てで心の整理を致しました。賢明な読者諸士の中には、とっくにお気付きの方もいらっしゃったのでは?

つまり、梵語の原典は「フリダヤ」で英訳は「サングラハ」を用いていたのです。[1月17日の投稿]の時に疑問をハッキリ書いています。

ここで少し細かい話をさせてください。その為に梵語をもう一度コピペします。

「sva-dārāpatya-dhāvanam
kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ śvitraṃ kilāsaṃ dāruṇaṃ ca tat
nirdiṣṭam a-parisrāvi tri-dhātūdbhava-saṃśrayam」

一つ一つ解剖するのはまたその内にさせていただいて(歓迎!でしょう?)「dāruṇaṃ」一つを取り上げます。「モニエルの梵英辞典」(左下)をご覧ください。訳者は「Aruṇa」としていますが、フランス語の「de=d’」でもあるまいしこれは引っ掛かります。しかし、この話もここまで止まりにします。「dāruṇaṃ」=「Aruṇa」として話を進めます。

このページをご覧ください。下から9行目のデーヴァナーガリー文字はローマ字で書くと、初めの三語は「kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ」「śvitraṃ」「kilāsaṃ 」であることが分かりました。梵語をコピペしましたが、最初の1行はこの際関係がないと言うことが、今分かりました。1行目の詮索は省略して話を本題に戻します。

ここで気付くべきでした。「本題に戻す」どころか別の線路を走り始めてしまったのです(赤面)。お分り頂いたでしょうか、梵語原典は「フリダヤ(上記(ページ画像))」を用い、京大人文研では「サングラハ(上記(ページ画像))」のゼロックスを採って、意気揚々とここへ掲載したというお粗末を・・・^^。英訳が合致しないのは当たり前でした。なまじ似ているからいけない?いやそんなことで逃げようったってそうは行かない。


で、梵語の「サングラハ」原典はオンラインでは有りません。なので正確を期するためには「フリダヤ」の英訳を大学でゼロックスして来るか、「サングラハ」の梵語原典をこれも大学で探す他有りません。できれば後者を選びたい、何故ならこちらには「Aruṇa」が出ているからです。これは「少菌型」の「紅斑局面」を指している筈だから・・・。よし「サングラハ」の原典の捜査に突入します。あなたここの「デーヴァナーガリー」を読むという方法も有りますよ、この間これは「kuṣṭha」でとか言ってたでしょう?・・・ではでは・・・(^_^)/~


追記:いやその考え方って、少しおかしいんじゃない?
要は、チャントした英訳なり和訳なりが有れば良いのではありませんか?

「スシュルタ・サンヒター」を調べるとき、梵語の原典は使いましたか?
要は、「フリダヤ」の梵語で「三人組」を発見して、そこから逆探知して「サングラハ」の英訳を入手したと言うことでしょう?

それなら「サングラハ」の原典は無くても「フリダヤ」の原典を「参考」として、「サングラハ」の原典は「デーヴァガーナリー」を置いておけば、それで良いことにはなりませんか?(ややこしいなぁ・・・)

分かった、仰有るとおりだと思います。「サングラハ」の英訳だけを用いて、ドンドン論を進めましょう、そして「ハンセン病とサンスクリット語」を完成させるのが正しい道です。ハイ、分かりました・・・目出度し、目出度し・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!(1.27 2:35)
 

Re: 鳴かぬなら どうしましょうか ほととぎす

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月26日(月)18時26分0秒
返信・引用
  > No.4146[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  鳴いても鳴かなくても 放してしまえ ほととぎす Ichiro
 
    (リベル) ウーム・・・面白い・・・^^;

しかし、それを言うなら「鳴かずとも」でしょうか・・・添削終り・・・^^(1.26 23 51)
 

鳴かぬなら どうしましょうか ほととぎす

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月26日(月)18時08分32秒
返信・引用  編集済
  よくこのように言われます。

信長「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」
家康「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」

先程関西の番組「ちちんぷいぷい」で貴方ならどうしますかとゲストの人達に聞いていました。私は即座に答が出て、驚いたことにいくら考えても他の答が出て来ませんでした。篭の中に入れたままの状態で、さあどうしましょうというのが出題の趣旨なのですが、私はその趣旨の範囲内での答が出ないのです。では私の答は何だったとお思いになりますか?

「鳴かぬなら 逃がしてしまえ ほととぎす」

であります。問題の趣旨から外れているのですが、でも私にはこれしか出て来ないのです。そんなことを色々やらないで放してやりなさいという、動物愛護の観点からではないのです。阿辻哲次氏が大学で「文字学」を専攻して後、静岡大人文学部の教壇に立った。ところがいくら努力しても学生との間のスレチガイ感が抜けない。彼は悩んだ、そしてようやく気付くのです。

「私がもともとめざしていたのは、過去の中国の伝統的な学術体系を祖述することではなく、これまでの人間の歩みのなかで、文字というメディアが文化全体とどのように有機的にからみあってきたか、そのありさまを把握することであった。(中略)中国学にどっぷりと浸かっていた環境から離れて仕事をするようになって、私ははじめてそのことに気が付いた。」

何事も鋳型の中で夢中になって考えていては、いくら発展的・画期的なことに思い至ってもそれは飽くまで狭い宇宙の中での発想です。

ほととぎすも、篭から放してやれば広く青い大空で自由に羽ばたき、大きな声で力一杯鳴くかも知れないのです。「特許許可局」だとかもっと壮大に「テッペン駆ケタカ」とか。わたしも「サンスクリット語」や「漢字」の篭から彼等を解放してやらねばなりません。思いっ切り空を駆けさせてやらなければ・・・^^


ほととぎす
 

改訂・四大文明とハンセン病(備忘録)(1.26 13:10改訂)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月26日(月)04時39分40秒
返信・引用  編集済
  > No.4136[元記事へ]

> ●古代バビロニア:「古拙文字=ウルク文字」・B.C.3500〜3000年頃・シュメール人・ウルク遺跡・楔形文字に発展
>
> ●古代エジプト:神聖文字=ヒエログリフB.C.3100年頃・ロゼッタ石発見(1799年)・シャンポリオンの解読(1822年)
>
> ●古代インド:インダス文字B.C.2600〜1900年頃・チャールズ・マッソン(1826年発見)・ハラッパーにある巨大な廃墟
>
> ●古代中国:甲骨文字B.C.1300〜1000年頃・王懿栄(おういえい)が発見(1899年)・殷墟(河南省安陽市の近郊)
>
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「癩」や「白癩」でも良い、「kuṣṭha」でも「kilāsa」でも良い、「言葉」の前に先ず「症状」が有った、「疾患」が有った。それを「漢字」が入ってくるまでの日本人は何と「発声」していたのでしょう?或いは身体に襲いかかる苦難を総称して「*+」と発声していたかも知れない、手足に受ける怪我は別の呼び方をしていたかも知れない。それらは今の私達には絶対に分からないことなのです。



下の地図を見ながらお読みください。今更驚くほうがいけないのだろうとは思いますが、何と「四大文明」はこのように同じような緯度の、狭い範囲内に収まっているのですね。

四大文明とハンセン病について、今までに調べた中で分かっていることを整理してみます。

古代中国:「厲」「史記−刺客列伝・豫譲」に「豫讓又漆身爲厲、呑炭爲唖」とあり「厲:索隱(史記の注釈書)音、癩病也」と注があります。豫讓の生没年は不詳ですが、春秋末期の晋の智伯(?〜B.C.453年)に仕えていたことから、B.C.5世紀中頃と見られます。なお、字通(画像)によれば「萬」はさそりのような虫の形(参考)、雁垂は岩下など秘密のところ。そのような窟室で、この虫を蠱霊(これい)とし呪儀を行うことを原義とするものであろう、とあります。(参考:「癩」の由来について)。

古代インド:「kuṣṭha=कुष」ハンセン病とサンスクリット語に詳しく書きました。「アタルヴァ・ヴェーダ(kilāsaの記述有り)」の頃「癩」が実在していたとするとB.C.1000〜800年頃になります。B.C.600年頃のスシュルタは「kuṣṭha」を「皮膚病」、「ハンセン病」と捕えました。

古代バビロニア・古代エジプトについて:「צרעת=ツァラアト」これを挙げるのは適当ではないと思います。「楔形文字」も「ヒエログラフ」もこれより遥かに年代も早く、地域的にも別々だからです。それを顧みないで話を進めてみます。イスラエル民族はメソポタミア→カナン(パレスチナ)→エジプト(奴隷)→出エジプト→再びカナン→バビロン捕囚→パレスチナへ帰還と流浪しつつB.C.5世紀頃「モーセ五書」を作り「ツァラアト」という言葉を使っています。「ツァラアト」は「ハンセン病」を意味していない、これは釈迦に説法ですね。

実は、それ以外に「楔形文字」や「ヒエログラフ」で「ハンセン病」に関する言葉は勿論見出されていません。今後発見や研究によって見出されるかも知れません。旧約聖書エーベルスパピルスカナン(パレスティナ)の土器などの記述を信じれば「ハンセン病」は当時存在していたのですから(参考:ハンセン病の歴史年表)。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

原始社会(或いは未開社会)の小さな村に共通の言語が存在しているとします。たとえば人間が肉体に被る痛手は大きく分けると、熱病のような「やまい」と事故(災害や動物に噛まれることなど)による「怪我」の2種類になります。その村ではそれらを一括して「+-」と「発声」していたかも知れず、「+-」と「?*」のように別々に「発声」していたかも知れません。その内に「やまい」の中でも「熱病」と「下痢」には別の「発声」が行われるようになり、さらに徐々に細分化されていったのでしょう。

そしてやがて「proto-writting」を経て「文字」が生れるのです。「発声」は文字化されて「記録機能」を持ち「言葉」となります。「クシュタ」という「発声」が「kuṣṭha」という「言葉」になったのです(学問的なことはWikipediaをお読みください)。


日本に漢字が入ってきたのは5世紀初頭とされています(参考:漢字の伝来)。持ってきたのは百済の阿直岐(あちき)と王仁(わに)でした。そして昨日の今頃書いた次の文章へと繋がるのです・・・

「百済の人は恐らく「中国語」の発音でそれを日本人に伝授したでしょう。百済のその人は「白癩」というものを見たことも無い可能性が高いのです。ところが612年の或る日、身体に白斑のある百済人が来た。「其の人を號けて、路子工と曰ふ。」。その6年前、推古天皇は聖徳太子から「妙法蓮華経」を受講していました。「白癩」という病があるという「知識」は既にありました。おい、これがそうなんだぜ、という話になった、と日本書紀には書いてあるのだと、私は思うのです・・・。」


四大文明発祥の地は意外に狭い範囲内に収まっています・・・。
DNA解析に基づくらい菌の拡散図です。オレンジ色と黄色が発生源を示します。
 

これは凄いです!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月26日(月)03時03分28秒
返信・引用  編集済
  四大文明の言葉のことに関連してインドのドラヴィダ語を調べていたら、こんなサイトにぶつかりました。これには驚きました。

取り敢えず、ご参考までに・・・。

例えばインドの言語地図で「ドラヴィダ語」の地方(南インド)を見ると、Wikipediaとピッタリ合致します・・・あ、当たり前ですね・・・^^

しかし日本の地図はチョット訳が分からない所がありますが、今日はこれで・・・。
 

Re: プロヴァンシアル

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月25日(日)18時02分44秒
返信・引用  編集済
  > No.4142[元記事へ]

> リベルさん。shibaさん。いろいろと教えて頂きましてありがとうございました。
> でも、わたくしはドイツ語は全くダメです。ごめんなさい。
> しかしながら、楽しい時間でしたね♪
>
> あの「天声人語」の「西洋の賢人」の出典がやっと明らかになりました。
> 「パスカル」の「プロヴァンシアル」(田舎の友への手紙)の中の「第16の手紙」からでした。その詳しい内容についてはリベルさんがリンクして下さったBBSに、改めて書いておきました。「あずき」はそこでのHNは「千美←中江兆民の娘の名前でチビ」です。
> おひまな折にお立ち寄りくださいませ。


あずきさん、shibaさん有り難うございました、最高の知的遊びの「とき」を楽しませて頂きました。あずきさんのBBSはこちらです。そちらをご覧の上これをお読みください・・・

パスカルの「プロヴァンシアル-第16の手紙」に有るのは・・・

「Si j'ai écrit une si longue lettre, c'est parce que je n'ai pas eu assez de temps pour l'écrire plus courte.

(参考)
Si:if
j'ai:I've
écrire:write
longue:long
C'est:it is、this is
parce que:because
ne〜pas:〜しない
eu:haveの過去分詞
assez de〜 :enough
temps:time
pour:for
plus:more
courte:short

で、それを我流で繋ぎ合わせるとこうなります・・・

"If i have written a long letter, it's because I had'nt enough time to write more shortly."

つまり、「長くなったのは、推考している時間がないので。」ということ、その通りでした・・・(^^;)


ブレーズ・パスカル
 

プロヴァンシアル

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月25日(日)13時35分4秒
返信・引用  編集済
  リベルさん。shibaさん。いろいろと教えて頂きましてありがとうございました。
でも、わたくしはドイツ語は全くダメです。ごめんなさい。
しかしながら、楽しい時間でしたね♪

あの「天声人語」の「西洋の賢人」の出典がやっと明らかになりました。
「パスカル」の「プロヴァンシアル」(田舎の友への手紙)の中の「第16の手紙」からでした。その詳しい内容についてはリベルさんがリンクして下さったBBSに、改めて書いておきました。「あずき」はそこでのHNは「千美←中江兆民の娘の名前でチビ」です。
おひまな折にお立ち寄りくださいませ。
 

Re: ヴェーダ医学はWHOに先行していたのか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月25日(日)13時01分10秒
返信・引用  編集済
  > No.4109[元記事へ]

> śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc);
>
> を日本語に訳すと・・・
>
> 『「尋常性白斑」、「少菌型ハンセン病(このページの図2,図3です)」はまた、病因や病素等の点で「kuṣṭha」に似ていると言われます。』
>
> まあ、こういうことになるでしょう。(ここだけを取り出すのは危険で、前のページを全部読まないといけないのですが、これまた今日はネグリます。)この文章を裏返すと、「śvitra」や「kilāsa」は、或る面で似てはいるけど「kuṣṭha」とは別の病気だよ、と言っていることになります。
>
> 私は「ハンセン病とサンスクリット語」の中で、「スシュルタ・サンヒター」の結論として「kuṣṭha」は「皮膚病全般」と「ハンセン病」を指し、「śvitra」は「尋常性白斑」として截然と分けられ、「kilāsa」はハンセン病の一種なのだけれど、「アタルヴァ・ヴェーダ」に取り上げられたという事情から、スシュルタが唐突に「体系」の中に取り込んだのだという考えを示しました。
>
> 「アシュタンガ・サングラハ」の先程の一文は、この私の主張を裏打ちし補強するものである、と考えるのは無理があるでしょうか?
>
>
> WHOが「少菌型=PB」、「多菌型=MB」の分類を行ったのは、多剤併用療法を容易に行うためだったそうですから、1981年ころになるのでしょう。それに先んずること約1200〜1300年前、インドでは「kilāsa=白斑局面を示す少菌型」、「Aruṇa=紅斑局面を示す少菌型」を一つの「病型」として認識していたことになります。「アタルヴァ・ヴェーダ」にスシュルタ医師が影響されたのではという私の推測に基づいているので「病気」でなく「病型」と書きましたが、「kuṣṭha」「śvitra」とは別のものとして「少菌型のハンセン病」という一つの分野を概念として弁別したということは、事実とすれば、事実とすればですが、お見事という他はありません。
>
> 参考:ハンセン病の病型分類(ここには私の持論は全く介在していません、念のため・・・^^)


今朝告白致しましたが、やはり「アシュタンガ・サングラハ」に触れることにしました。そこで少し調べ直して誤りを発見しました。「アシュタンガ・フリダヤ・サンヒター」の方は英訳が日本には無く大学の図書館にも「無い」と書きましたがそれは間違いでした。検索ワードを「Astanga Hrydaya」に変えてWebcatを検索したら4件有りました。「Astanga Sangraha」は8件有ります。私は前に書きましたが「アシュタンガ・サングラハ」が2世紀後に成立したと言う説(「インド伝統医学入門」、中村元著「インド思想史」)を信じて、こちらを選びました。「アシュタンガ・サングラハ」の目次と。「アシュタンガ・フリダヤ・サンヒター」の目次を見比べてもほぼ同じですし・・・。今夜から取り掛かります、ではでは・・・(^_^)/~
 

余談:漢字道楽

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月25日(日)04時41分50秒
返信・引用  編集済
  またまたこのような話題で、恐れ入ります。この本にチョット面白い話が出ていました。長いので要約します。

原始時代、洞窟に夫婦と子供一人が住んでいました。男が狩りに出て大鹿を2頭仕留めました。2頭は重くて運べないので、1頭は目印に高い3本の木を選んで真ん中の木の根っ子に隠しました。家へ帰ったら女と子供は出かけていました。男は狩りを続けたいので、子供に隠した1頭の大鹿を運ぶように伝えたいと思いました。しかし言葉が無いので文字もありません。仕方がないので、土に指で3本の高い木と大鹿の絵を描きます。まあこういうのが「文字」の始まりだと、そういうような話です。

この家族がどこかの村などのコミュニティーに属していたら、仲間内だけに通じる合図が、「身振り」なり「発声」なりで存在したと思います。しかしこれらは、瞬時に消え去る「伝達」です。それを時間を超えて残すために出来たのが、「絵」です。アルタミラの壁画の絵をご想像ください。これを専門的には「原文字=proto-writing」と言うそうです。

なのでこういう事になります。コミュニケーションというのは、原初の形はゴリラを想像すれば良い、つまり「身振り」と「発声」です。犬の鳴き声でも色々あって、甘えているのか、飢えているのか、警告か判別できます。それが進化したのが人間の「言語」でしょう。そして瞬時に消えては困る情報を「原文字」にし、それが発達して現在の「文字」になったのです。


お前は幼稚園でも開園する積りか?と叱られそうです。「癩」や「白癩」でも良い、「kuṣṭha」でも「kilāsa」でも良い、「言葉」の前に先ず「症状」が有った、「疾患」が有った。それを「漢字」が入ってくるまでの日本人は何と「発声」していたのでしょう?或いは身体に襲いかかる苦難を総称して「*+」と発声していたかも知れない、手足に受ける怪我は別の呼び方をしていたかも知れない。それらは今の私達には絶対に分からないことなのです。

そこに漢字が入ってきた。百済の人は恐らく「中国語」の発音でそれを日本人に伝授したでしょう。百済のその人は「白癩」というものを見たことも無い可能性が高いのです。ところが612年の或る日、身体に白斑のある百済人が来た。「其の人を號けて、路子工と曰ふ。」。その6年前、推古天皇は聖徳太子から「妙法蓮華経」を受講していました。「白癩」という病があるという「知識」は既にありました。おい、これがそうなんだぜ、という話になった、と日本書紀には書いてあるのだと、私は思うのです・・・。

と、大体こんなスタンスで「白癩について」には取り掛かろうと思っています。その前に変心を告白しなければなりません。「アシュタンガ・サングラハ」は英訳しか有りませんが、その段階で自分なりに努力して「ハンセン病とサンスクリット語」に盛り込まなければダメだと思います。明らかな先送りはやはり出来ません。それって「サボタージュ」です、やはり・・・^^
 

Re: 天声人語

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月25日(日)02時41分15秒
返信・引用  編集済
  > No.4138[元記事へ]

shibaさん、凄いデータを有り難うございました。ここを拝読する前に、あずきさんのBBSで「朝日新聞社」の解答を読んでいましたので、併せてとても楽しい刻を持たせて頂きました。なにしろこういう話大好き人間ですから、厚かましくも慣れないドイツ語にも挑戦!意気たるや壮とすべしでしょう!

> こういう話は出典が不明なのが特徴ですが、
> http://www.schwingelig.de/sites/briefliches/zitiertes/zitiertes.htm
> にはつぎのように載っています。
>@ Ich schreibe dir einen langen Brief, weil ich keine Zeit habe, einen kurzen zu schreiben. (Johann Wolfgang von Goethe)(1749〜1832年:リベル注)
>
> さらに、
> http://www.logosdictionary.org/pls/dictionary/new_dictionary.gdic.st?phrase_code=5570200
> ではパスカルの文が載っています。
>A si j'ai écrit une si longue lettre, c'est parce que je n'ai pas eu assez de temps pour l'écrire plus courte. (Blaise Pascal)
>
> おまけに、
>B http://knieseweb.de/dbed4266a4208eb7c3e3820b45bfaa3b_ZN-Newsletter%2016_E-Mail.pdf
> というのもありました。
>
> 上述の通り、すべて原典が不明です。(番号はリベルが付しました)



@最初のサイトには2行目にパスカルも出ています・・・。ドイツ語に辞書と首っ引きで取り組みました。

"Dieser Brief ist ziemlich lang geworden, weil ich leider nicht die Zeit hatte, ihn zu kürzen." (Blaise Pascal)

(参考)
Brief   手紙
ziemlich  かなり
lang  long
geworden  werden=becomeの過去分詞
weil  because
leider  残念ながら
nicht  not
Zeit  時間
ihn zu kürzen  to shorten it

Aこのぺーじの各国語の中で「Blaise Pascal」だけ名前が出ているのは、ここが出典だとしているからではないか、という推理が出て来ます。

このフランス語の日本語の訳は、一番上に出ています。

B最初のところはこういう感じになります。

Ich hatte keine Zeit, einen kurzen Brief zu schreiben, daher schrieb ich einen langen.(Verschiedene Quellen)

(参考)Ich habe kein Zeit.  私には暇がない.
kurzen  短い
einen Brief schreiben  に手紙を書く.
daher  だから
einen langen  long one
Verschiedene Quellen  色々な出典

この下のドイツ語はもうご勘弁を・・・^^;


さあ、これで材料は出揃いました。あなたの判定や如何に・・・???


それにしてもshibaさんに教えて頂いたこのサイト、何という素晴らしいサイトであることか!!!shibaさん有り難うございました・・・m(_ _)m
 

Re: 天声人語

 投稿者:shiba  投稿日:2009年 1月25日(日)01時04分29秒
返信・引用
  > No.4133[元記事へ]

あずきさんへのお返事。

> >天人にも特定出来なかった「賢人」とは、はて誰なのでしょう?諸説有るようです・・・
>
> > パスカル・・・・・・・1623〜1662年
> > マーク・トウェイン・・1835〜1910年
>
> 何度もごめんなさい。ゲーテ説が出てきました。

こういう話は出典が不明なのが特徴ですが、
http://www.schwingelig.de/sites/briefliches/zitiertes/zitiertes.htm
にはつぎのように載っています。
Ich schreibe dir einen langen Brief, weil ich keine Zeit habe, einen kurzen zu schreiben." (Johann Wolfgang von Goethe)

さらに、
http://www.logosdictionary.org/pls/dictionary/new_dictionary.gdic.st?phrase_code=5570200
ではパスカルの文が載っています。
si j'ai écrit une si longue lettre, c'est parce que je n'ai pas eu assez de temps pour l'écrire plus courte (Blaise Pascal)

おまけに、
http://knieseweb.de/dbed4266a4208eb7c3e3820b45bfaa3b_ZN-Newsletter%2016_E-Mail.pdf
というのもありました。

上述の通り、すべて原典が不明です。
 

余談:荒城の月

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月24日(土)17時34分49秒
返信・引用
  この「荒城」はどこのお城なのでしょうか?

私は完全に長野県の小諸城と思い込んでいました。島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」とソックリダブらせて居たというわけです。私はこういうことを良くやっています。大学の寮で福島県出身の先輩が同室で初めて知りましたが、それまでは会津も磐梯山も九州に有ると、思い込んでいたのだから、始末に負えません。論外ですね・・・(汗)

先程から調べていました。作詞した土井晩翠は仙台市の青葉城址で詩の構想を練ったとWikipediaには書いてあります。

この年になって、反省することばかりです。いけませんね、いや、だからこそ人生は飽きないのかも知れませんが・・・^^


青葉城です。
 

四大文明と文字

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月24日(土)04時18分29秒
返信・引用  編集済
  いや暇になったと言うわけでは決してありません。ハンセン病とサンスクリット語は未だこれから沢山手を入れなければならないし、「白癩について」「らいからハンセン病へ」「中世の歴史」とやるべき宿題は山積しているのですが・・・

前に書いた「漢字道楽」を読んでいたら妙なことに気付きました。著者の阿辻哲次氏は漢字の専門家だからやむを得ないかもしれませんが、古代文明における文字の登場のことを書いていて、サンスクリット語の話というかインドの話を忘れて居りなさるのです。


●古代バビロニア:「古拙文字=ウルク文字」・B.C.3500〜3000年頃・シュメール人・ウルク遺跡・楔形文字に発展

●古代エジプト:神聖文字=ヒエログリフ・B.C.3100年頃・ロゼッタ石発見(1799年)・シャンポリオンの解読(1822年)

●古代中国:甲骨文字・B.C.1300〜1000年頃・王懿栄(おういえい)が発見(1899年)・殷墟(河南省安陽市の近郊)

と思っていたら・・・

●古代中国:賈湖契刻文字(かこけいこくもじ)・B.C.6600年頃・裴李崗文化(はいりこうぶんか)

ここのところは未だ良く調べていないのですが・・・、で有ったのです、Wikipediaには・・・

●古代インド:インダス文字・B.C.2600〜1900年頃・チャールズ・マッソン(1826年発見)・ハラッパーにある周囲約5kmに及ぶ巨大な廃墟

やはり何となくデーヴァナーガリー文字に似ているような・・・^^


でもここではやはり除け者にされています・・・^^

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/60/WritingSystemsoftheWorld4.png

 

ご注目!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月23日(金)18時05分27秒
返信・引用  編集済
  ハンセンボランティア「ゆいの会」のブログに「国立ハンセン病資料館運営委託の公募公告」について書いてあります。

是非ご一読を・・・。
 

Re: 天声人語

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月23日(金)14時49分16秒
返信・引用  編集済
  > No.4127[元記事へ]

>天人にも特定出来なかった「賢人」とは、はて誰なのでしょう?諸説有るようです・・・

> パスカル・・・・・・・1623〜1662年
> マーク・トウェイン・・1835〜1910年

何度もごめんなさい。ゲーテ説が出てきました。
ドイツ文学専門の詩友からの情報ですので、信頼できるかもしれません。これはゲーテの本からではなく、このゲーテの一文を引用しているというもので、その本が特定できません。たくさん読書なさる方の盲点みたいなものですね。

ゲーテがあるひとに宛てた手紙に「時間がないので、手紙が長くなるが、失礼します。」という書き出しがあるそうです。 受け売りでした(^^)。

>これで、第一次改訂が終了しました。ではではお疲れ様でした・・・。(1.23 05:05脱稿)

お疲れ様でした。73歳はまだまだあの世からのお呼びは来ませんです。
どうぞ、これからもお続け下さい・・・・・・と申し上げなくても、おやりになることでせう(^^)。
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

ゲーテ説には思わずハタと膝を打ちました、いやエッカーマンの「ゲーテとの対話」等に有りそうな気もして。でもこういうことが、どんな記憶にしろ頭に入っているつまり心に仕舞い込んであるというお人には頭が下がります、というか尻尾を巻きます。参りましたというか、本当に参考になりました。つまり「思い遣り」に過ぎないのでしょうけど私は極めて「思い遣り」に乏しい人間なので・・・、これ本当です(汗)。

>と申し上げなくても、おやりになることでせう(^^)。

そういうことに結局はなっていくのかなあと思ったり、平均年齢を頭に思い浮かべたり、でも平均年齢をどうこう思い始めるとやはりもう先は長いとは言えないのですか?・・・なんて変な終り方・・・^^(1.23 17:47)
 

各章の結論(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月23日(金)01時25分35秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病」とサンスクリット語の各章に「結論」を付ける作業に着手しました。順次本編に移していきます。そちらで本編の続きにお読み頂くと、このような唐突感・孤立感が無く分かりやすいと思います。お暇な方はどうぞ・・・(^^;)


「第一章 妙法蓮華経」結論

日本にある漢訳経典を全て集めた「大正新脩大蔵経」のサイトで「」という文字で検索すると646件ヒットします。その内「妙法蓮華教」には上に書いたように4件有りました(ページ画像・8行目から・中央の一件は注です)。上記の調査で明らかなように、西暦402年頃、鳩摩羅什4種類の梵語を「」と訳しています。植木雅俊氏は精緻を極める翻訳作業によってその内の「譬喩品第三」に有る1件だけが、本来梵語で「ハンセン病」を意味する「kuṣṭhaṁ」の漢訳であることを明らかにされました。

なお鳩摩羅什が「癰疽」と訳した「kilāsaṁ」についても同様の経緯で植木氏は「ハンセン病の白い斑点」と訳されています。「kilāsaṁ」については後に別の章で詳しく解説します。


「第二章 リグ・ヴェーダ」結論

「リグ・ヴェーダ」には「kuṣṭha」は登場しません。「kilāsa」は「ハンセン病」とは関係のない言葉で見られます。これについては「そして終りに」で触れたいと思います。(語源説のこと・・・。)


「第三章 アタルヴァ・ヴェーダ」結論

「アタルヴァ・ヴェーダ」で初めて「kuṣṭha」と「kilāsa」が顔を揃えますが、ここでは「kuṣṭha」は「植物名」としてのみ使われています。「kilāsa」は辻直四郎氏によって「癩の患部」及び「」と訳されています。「kilāsa」については次章で詳しく述べますが、ここでは「palitaṃ=becoming grey」という単語と並列で記されていることに注目しておきたいと思います。

[付]「kilāsa」の項の「《状況証拠その五》―――<「アタルヴァ・ヴェーダ」の記述内容とその影響>」の所に以下を追加しました。新解釈の追加です^^

「なお第三章「アタルヴァ・ヴェーダ」で触れたように、「kilāsa」の記述は"kilāsaṃ palitaṃ"(palitaṃ=becoming grey)と並べられています。この部分を『「癩の患部」が「白味がかって」いる』と読み取るのは、それほど無理なことではないと、筆者は思います。」


「第四章 スシュルタ・サンヒター」結論(これは前から有ったのですが)

@「kuṣṭha」「皮膚病」全般を指す場合と、「癩病」=「ハンセン病」を指す場合と二通りに分けて使われています。

A
「śvitra」「尋常性白斑」を指して使われています。

B
「kilāsa」ハンセン病の「少菌型」すなわち「PB型(I群、TT型)」の症状を指して使われています。


こう並べて、さあ、それから「そして終りに」にこの総まとめ的なものを置くのが適当かどうかを判断しようとしています。(以上03:47の段階で一旦投稿)

総まとめを置きました。それから「そして終りに」(一)材料の乏しさの項に、こう付記しました。心情としてやはり書かざるを得ませんでした。

「そしてやはり触れなければいけないのは「Astanga Samgraha Of Vagbhata」のことです。この本の「III. Nidana Sthana: Chapter 14」の「"Kustha, Svitra and Krimi nidanam" (diagnosis of leprosy, leucoderma and worms)」に「kuṣṭha」、「kilāsa」、「śvitra」が轡を並べて登場します。この三つの病名が取り上げられている貴重な文献なのです(もう一つ「Astanga Hrdayam」が有ります)が、邦訳が未だありません。将来この英訳に(或いは梵語の原典に)取り組んで検証の万全を期すべきだと愚考致しております。」

と・・・。

これで、第一次改訂が終了しました。ではではお疲れ様でした・・・。(1.23 05:05脱稿)
 

北風さん、Ichiroさん・・・Re: 恐れながら

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月23日(金)00時25分38秒
返信・引用
  > No.4130[元記事へ]

> > >官僚の三大手法と言われるのが「クリーク・悪口・サボタージュ」だそうです
> >
> > クリークがわからないのですが、もしや「リーク」では?
>
> その通り。次をご覧ください。
>
> http://jp.youtube.com/watch?v=ujfHH3dvpi4


いやはや、参りました、恐れ入りました、ご免なさい。もう私としたことが何たる軽率!!!

仰有るとおり、それもIchiroさんご提示のYouTubeに有る、渡辺氏の最近の一連の発言から輸入した言葉でして・・・。何をか言わんや・・・でございます・・・(恥)


 

Re: 恐れながら

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月22日(木)21時15分1秒
返信・引用
  > No.4129[元記事へ]

北風さんへのお返事。

> >官僚の三大手法と言われるのが「クリーク・悪口・サボタージュ」だそうです
>
> クリークがわからないのですが、もしや「リーク」では?

その通り。次をご覧ください。

http://jp.youtube.com/watch?v=ujfHH3dvpi4
 

恐れながら

 投稿者:北風  投稿日:2009年 1月22日(木)19時32分40秒
返信・引用
  > No.4128[元記事へ]

>官僚の三大手法と言われるのが「クリーク・悪口・サボタージュ」だそうです

クリークがわからないのですが、もしや「リーク」では?
 

Re: 平成20年度ハンセン病問題対策協議会の確認事項

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月22日(木)17時57分46秒
返信・引用  編集済
  > No.4105[元記事へ]

> 平成20年8月27日に開催された「ハンセン病問題対策協議会」の確認事項が,統一交渉団代表と厚生労働副大臣との間で,平成20年12月26日に締結されました。

これは1月15日にブログ「ゆいの会」から頂いた情報だったのですが、厚労省は今日発表です。この1週間のズレは何なんでしょう。官僚の三大手法と言われるのが「リーク・悪口・サボタージュ」だそうです(これは元官僚、元宮城県知事の浅野史郎氏も認めて居られました)。

宜なるかな・・・^^
 

天声人語

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月22日(木)15時51分11秒
返信・引用
  >天人にも特定出来なかった「賢人」とは、はて誰なのでしょう?諸説有るようです・・・

パスカル・・・・・・・1623〜1662年
リンカーン・・・・・・1809〜1865年
マーク・トウェイン・・1835〜1910年
バーナード・ショー・・1856〜1950年

手元に本がないので、確認できないのですが。パスカルの「パンセ」のなかにあるのでは?と思いますが、いかがでしょうか?
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

いや実は、私も第一感が「パスカル」で、手持ちの三種類(前田・由木訳、津田穣訳、松浪訳)と田辺保著「パスカル伝」の索引から探してみましたが、これは有りませんでした。フェルマーとの往復書簡が有名ですので或いは、とも思います。

さもなくばマーク・トウェインが次の候補なのですが、アチラのサイトではハッキリそうとしているところが有りました("I am sorry this is such a long letter, but I did not have the time to write a short one." -- Mark Twain)。さあ、どうなんでしょうか・・・^^(1.22 17:34)
 

Re: 「ハンセン病」と「サンスクリット語」完工

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月22日(木)13時48分33秒
返信・引用
  > No.4125[元記事へ]

> 「添削」と書きました。むしろ「縮小」の気持ちです。もっと言えば、大鉈を振るう気持ちで立ち向かうべきなのでしょう。

やはり有りました。「そして終りに」に、例えば「kuṣṭha」について、「妙法蓮華経」から「スシュルタ・サンヒター」までを縦に通観すると言うか「縦糸」が要ります。今から、その作業に入ります。

「縮小」ではないですね。でもこれは別問題でしょう。縦糸を通して、それから、大鉈を振るうと致します。そんなことお読みになっている方々にはどうでもよいことでした。「備忘録」兼「編集メモ」的に使わせて頂いています。お見逃しください・・・m(_ _)m
 

「ハンセン病」と「サンスクリット語」完工

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月22日(木)05時01分12秒
返信・引用  編集済
  「完工」は大辞林では「工事が完了すること。竣工。⇔ 起工」と書いてありますが、こんな言葉にしたのには勿論理由があります。昨日書きましたように、これから半年は見直しの期間に当てなければなりません。文章の添削と推敲に限らず或いは根幹に関する大きな修正を必要とするかも知れません。ということで「完工」としました。大して違わないか、まあ気持ちの問題です。

「ハンセン病」と「サンスクリット語」をご覧頂いて(お読み頂いてとは言いません)、こんな長いそれに面白くも何ともない文章は苦痛をもたらすだけだろうと、書いた本人が思っていますが、ご感想やご批判を頂きたいと思います。よろしくお願いします・・・m(_ _)m

「添削」と書きました。むしろ「縮小」の気持ちです。もっと言えば、大鉈を振るう気持ちで立ち向かうべきなのでしょう。いみじくも一昨日の天声人語に、耳の痛い言葉を見付けて切り抜いておきました・・・

「「今日は急いでいるので長い手紙になってすみません」。そう断って書き出した西洋の賢人がいたのを思い出す▼スピーチにも似たところがある。「1時間の話なら今すぐ始められるが、10分の話は準備に1週間かかる」と、これは米国の28代大統領ウィルソンが言った。」

天人にも特定出来なかった「賢人」とは、はて誰なのでしょう?諸説有るようです・・・

パスカル・・・・・・・1623〜1662年
リンカーン・・・・・・1809〜1865年
マーク・トウェイン・・1835〜1910年
バーナード・ショー・・1856〜1950年

どなたか正解をお教えください・・・m(_ _)m

"I did not have time to write a short one"で検索する手も有るようですが・・・


マーク・トウェインです。いや「正解」ではなく・・・
 

余談:漢字三昧

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月22日(木)01時33分59秒
返信・引用  編集済
  たとえばここ紀伊国屋のサイトで「阿辻哲次」で検索するとこれで38件出て来ます。名付け関係の本を除いて殆ど全部買ってしまったと言っても良いほど嵌っています。読み終わったのが「漢字○□」とか「甲骨文字○□」とか新書版がズラリと有って、本棚の別の所に未だ4冊がパドックよろしく出番を待っていると言う状況です。

標題の「漢字三昧」も著書名の一つですが、今読んでいるのは「漢字道楽」という、名前からして面白そうな本で、何と言うのですか「血湧き肉躍る」、「血が騒ぐ」どちらもチョット違うのですが、少年の頃「怪人二十面相」やら海野十三(ご存じない方もおありかも知れないので)を卓袱台の横に置いたまま御飯を掻き込んで叱られた頃の、そんなそうですね「ワクワク感」が近いかも知れません。とにかく2〜3ぺージに一回は、アッと驚くとか、プッと吹き出すとか、ヘーッと感心するとか、まあそういう仕掛けになっていて分かっていながらそれにマンマと嵌められている、しかも喜んで嵌められているというそんな状態なのですが・・・。

とまあここまでは前置きなのです。この「漢字道楽」に阿辻氏の大学文学部時代の話が出ていて、学科専攻に関してこんなことが書いてあったのです。

「そのころの京大文学部では国文・英文・社会学・心理学などが人気講座で、そこには毎年定員一杯の二〇名、あるいはそれをこえる学生が進学する。しかし逆に梵文学(サンスクリット)や倫理学のように、何年かに一人学生が来れば上々というところもあった。」

そうなんです、最後の所が言いたかったことなのです。なるほどなあ、さもありなんだなあと思いました。私のような余程の変人か、さもなくば人間的に優れた先輩に憧れた人とかそういう人しか行かないのでしょうね。だから勢い研究者が減り文献も減りだから研究者が減り、という悪循環に陥るのでしょう。

よーし、しょーがねー、おらが一肌脱ぐとすっかぁ!なんてせめて20年前、いや10年前だったらそう申し上げたかも知れません。しかし、ねえ・・・。そんな時聞こえてくるのですまたあの言葉が・・・

「植木さん、それは違います。人生において遅いとか早いとかいうことはございません。思いついた時、気がついた時が常にスタートですよ」

ウーム・・・^^


ヨイショッとぉ〜・・・何かダンダン強そうに見えて来ませんか・・・私だけかなあ・・・^^
 

Re: 大嶋氏にお答えします Re: 管理人へお礼を申し上げます。

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月21日(水)05時46分47秒
返信・引用
  > No.4116[元記事へ]

リベル様

 素晴らしい研究です。ここでの発表もいいですが、是非、本となさるように、希望します。

 私の方の検索で次がひっかかりました。おそらく病名問題だと思いますが、その雑誌が資料館にあれば読みたいものです。

 >なぜかハンセン病の患者が作った雑誌The Starに掲載された論文が3編がPubmedにある。理由:よくわからん。

1: Why not change the name?
LICHTWARDT HA.Star. 1948 Mar-Apr;7(7):5.

 ●恐らくleprosyをHansen's diseaseに替える話か。

  Ichiro
 
    (リベル) >素晴らしい研究です。ここでの発表もいいですが

お褒め頂いて、有り難うございます・・・なのですが「呼称の変遷」のことを仰有っているのか、良く分かりません。

そうとすれば、これは昨年の1月3日に公表したものなのですが・・・(汗)それから、本にすると言うことは夢にも考えていませんでした。これは「リンク」という機能を最大限に活用した、インターネット・メディアならではのページだと思っています・・・^^(1.21 07:30)
 

余談:オバマ大統領の就任演説

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月21日(水)05時12分33秒
返信・引用  編集済
  日本語は各紙に報じられていますが、英語の文章と映像は?BBCでご覧頂けます。

YouTubeでは、現在ここまでです・・・
 

そして終りに・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月21日(水)04時45分5秒
返信・引用  編集済
  いや、買いましたとも、買いはしましたが「Astanga Samgraha Of Vagbhata」、それはそれで本棚に置いておいてと言うことで、一昨日書いたとおりの日程で進めます。「ハンセン病とサンスクリット語」のあとがき「そして終りに」に着手します。

1)材料の乏しさを嘆く

サンスクリット語は古くはB.C.1500年頃の「リグ・ヴェーダ」の頃から使われ始めました。しかし、この言語が脚光を浴びるのは、1786年にウィリアム・ジョーンズ(Sir William Jones)が言語学的に着目してからであり、また「法華経」の例を見ると一旦散逸した原典は何と1837年になって、イギリスのB・H・ホジソンがネパールで発見するまで研究の対象に出来なかったのです(植木雅俊著「法華経」あとがきから)。

なので、他の外国語に比べて研究はかなり立ち遅れ、文献も比較的に乏しいのです。例えば梵和辞典は荻原雲来編「漢訳対照 梵和大辞典」の一冊だけ、梵英辞典もMonier-Williams「A Sanskrit-English Dictionary」、V.S.Apte「The Practical Sanskrit-English Dictionary」の2冊に過ぎず(「サンスクリット」より)、ヴェーダ文献や仏典の和訳・英訳も未だ限られた数しか無いという現状なのです。そのためにこの作業が難渋した事実も否めません。

しかし私はそのことに不平を言うつもりは全くありません。むしろ膨大な資料や文献の山に立ち向かう煩わしさがなく、数冊の文献から結論を抽出するほか無かったということを、幸運と感謝するべきなのでしょう。

それよりもやはり、資料の不十分さが真相の発掘・追求の深度を淺からしめたことを、心から残念に感じています。


2)素人が感じた二つの疑問

@「kuṣṭha」は「アタルヴァ・ヴェーダ」では薬草名として登場するのみですが「スシュルタ・サンヒター」では薬草名・病名の両方の意味で登場します。素人の推理で申し上げますと、病名の「kuṣṭha」は薬草名を語源としているのではないかということです。(参照:一昨日の投稿

A「kilāsa」は「アタルヴァ・ヴェーダ」では「癩の患部」や「癩」として現われます。実は「リグ・ヴェーダ」(ローマ字の2行目)に出て来る「kilāsyah」=「斑点ある羚羊」がその語源ではないかと推測しています。

3)そして・・・

上のような疑問を一例として書きましたが、お読み頂いたように3000年〜2000年前の語句の意味を探ることは、少し大袈裟に言えば闇の中を手探りで歩くような感じがします。サンスクリット語は先に書いたように未だ十分な研究がなされていない分野だと思います。新たな資料が発見されたり、新しい翻訳が専門家によってなされることで、いろいろこれから判明してくることも多く有るだろうと思います。そのためにも少しでも長生きがしたい・・・(嘘)


最後は勿論冗談ですが、概ねこのようなことで締めたいと思っています。どうやら73歳の内に、一応完結しそうです・・・^^

その後、推敲に入って、半年ほど掛けて本当に完結する積りです。実は「法華経」の所で「鳩摩羅什」の漢訳「妙法蓮華経」をもっと大きくクローズアップしなければならないということ(というより取り上げる文献を現在4冊としていますが、本当はこれを加えて5冊にするべきではないかと?)、それと第一章〜第三章の各章に「結論」を加えるべきだと思っているのです。これも73歳の内に何とか・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!
 

大嶋得雄様へ Re: 「重い皮膚病」訳は、適訳ではありません。

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月21日(水)02時21分0秒
返信・引用  編集済
  > No.4119[元記事へ]

大嶋様、親切なご教示に感謝致します。

私の気持ちと考え方は[1月20日(火)01時24分38秒]に書いたとおりなので、繰り返すことは致しません。また、そこに私の考え方をご理解頂くために、私の「これまでの投稿」(←ここをクリックしてください)を纏めてあります。その中の[2008年 2月23日(土)01時13分57秒]のところ(必ず「→続き」をクリックしてくださるようお願いします。)に「日本聖書協会の言い分」(←クリックしてください。これは2008年2月に作ったメモです)という資料もあります。

以上のように、私としましては精一杯誠実に調べ、さらによく考えた上で昨日ご返事申し上げました。

私は(繰り返して申し上げますが)、この問題について議論する資格が無いと自覚しております。なので議論は致しません。それから「大嶋様のお気持ちに沿えない返事になることをどうかお許しください。これが正直なところです。」と書きました。これ以上何も申し上げることは御座いません。


なお、私の住所・氏名・電話番号は「ハンセン病のリンク集」(←クリックしてください)の「Profile」欄に明記致しております。このBBSには宣伝のための不届きな業者が出没しますのでここにはメールアドレスだけを書かせてください。「libell_hanna@hotmail.com」です。メールをお待ち致しております。


大嶋様に神様の祝福が有ることを、お祈りします。
 

「重い皮膚病」訳は、適訳ではありません。

 投稿者:長島愛生園愛生園内長島曙教会牧  投稿日:2009年 1月20日(火)21時55分48秒
返信・引用
  管理人さんが、「重い皮膚病」は「Zaraath」(ツァラアト)を訳したもので「Zaraath」が「ハンセン病」ではないことを表現するための言葉ですと書かれていますが本当でしょうか。管理人さんのお名前と連絡先をお教え下さい。神様の原語の「Zaraath」が「ハンセン病」ではないことを表現するために「重い皮膚病」にし感じにとれます。「重い皮膚病」がいけないことを、1月20日のメールで書きました。もう一つ言えば、現代の神学界では「ツァラアト」の意味は不明です。新改訳聖書の編集委員の諸先生も調査して不明であり、新旧とも「ツァラアト」に改訂しました。新共同訳聖書委員会の委員長の木田献一先生も、私に、長い文章で、「ツァラアト」の意味は不明であることを下さいました。なのに、「重い皮膚病」と「かび」をゴリ押しで公告したのです。いつか、神様は、「ツァラアト」に改訂してくださることを信じています。私も、改訂に努力をつづけたいと思います。あら後言葉です。

どうか、「重い皮膚病」の訳は原語の意味からも逸脱し、「らい」も連想しますし、多くの重い皮膚病の患者の皆さんやこれかも怒ってくるであろう重い皮膚病の皆さんを苦しめることになります。読んでいただいたと思いますが、もう一度、新共同 レビ 13:45-46を書いておきます。これを読んで、おかしいと思っていただけると思います。13:45 重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。13:46 この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない。


どうか、ご支援をお願いします。大嶋得雄。

http://ww1.tiki.ne,jp/~uruooosima/

 

余談:もう一つのサイトが・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月20日(火)07時30分33秒
返信・引用
  「人名歴史年表」というのが、意外な好評を頂いていて、遂に13日に700,000アクセスを突破しました。本家に13万以上も差を付けて飛ばしています。

やはり嬉しくて、書きました・・・^^

http://jinmei.hp.infoseek.co.jp/s-counter.html

 

弱い男です・・・^^

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月20日(火)04時38分28秒
返信・引用  編集済
  >アシュタンガ・サングラハ」は一旦ここで置く、そして当初の予定通り「後の研究」に委ねる。

と言った、その舌の根も乾かぬ内に、やはりやってしまいました、購入手続き!!!

弁明はといえば、なるべく傍に置いて日常接していれば、分からない英語も「読書百遍意自ずから何とやら」で、二年後にはかなり理解が進んでいるだろうと・・・ダメですね、意志が弱くて・・・(^^;)

もう一つ。植木雅俊氏の「法華経」のあとがきを読んでいたら中村元氏に言われたという言葉を又読むことになりました。

「植木さん、それは違います。人生において遅いとか早いとかいうことはございません。思いついた時、気がついた時が常にスタートですよ」

こんなの読むと、誰でも私と同じ事をなさるでしょう・・・^^


やはり、こうなりますか・・・
 

Re: 大嶋氏にお答えします Re: 管理人へお礼を申し上げます。

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月20日(火)04時29分2秒
返信・引用
  > No.4115[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

  重い皮膚病もたくさんあり、明確でありませんね。皮膚科医にとって、新しい名称が増えることは頭が痛いことです。しかし外国語がいいのか、それもよくわかりません。重い皮膚病も感染性のものもあり、非感染性のものもあります。ハンセン病そのものを私は重い皮膚病とも思いません。当時の人がそう考えていたかも疑わしい。

 死に至る皮膚病もありますが、ハンセン病は普通死には至りません。ということで、すくなくとも重い皮膚病には反対です。

 敬具
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃいませ。

「重い皮膚病」が「新共同訳聖書・旧約」で使われるようになったのは1987年からなので、決して「新しい名称が増える」わけでは無いのですが・・・それに「重い皮膚病」は「Zaraath」を訳したもので「Zaraath」が「ハンセン病」ではないことを表現するための言葉です。

ここのところは誤解を招いてはいけないので、念のために申し添えます。手前味噌ですがその辺は「呼称の変遷」の年表で一度復習して頂ければと思いますが・・・^^(1.20 11:43)
 

大嶋氏にお答えします Re: 管理人へお礼を申し上げます。

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月20日(火)01時24分38秒
返信・引用  編集済
  > No.4114[元記事へ]

>(前略)私が、ただ、確信をしている事は、今まで、聖書の訳されてきた「らい」、続く、「重い皮膚病」や「かび」は「らい」(ハンセン病)でないと言うだけです。「ツァラアト」が「らい」でないのだから、「らい」や「らい」を連想する「重い皮膚病」に訳してはならないと言うことで、当たり前のことだと思っています。もし、この私の文章をお読みくださった読者の皆さんにもどうか、私の主張をご理解していただき、出来れば、わたしの支持者、応援者になっていただきたいのです。聖書のどこに、「らい」(ハンセン病)の記述があるでしょうか?どこにも、ハンセン病の特徴をあらわすところはないと思います。「らい」と訳したから、「ツァラアト」の隔離、けがれの病者がらい病人に適用されて行ってしまったのだと思います。誤訳は本当に恐ろしい歴史的重大な誤りをしたのだと思っています。(長島曙教会牧師・大嶋得雄)


大嶋様、ご投稿を有り難うございました。また、「ハンセン病のリンク集」もご覧頂いて有り難うございます。不十分な点や未完成な部分も多いので、そのように仰有られると、恥ずかしくて困ってしまいます。

今日は大嶋様の持論であり、「新改訳聖書(第3版)」に結実した「ツァラアト」に関してご投稿を頂きました。なお念のためですが、大嶋氏のサイトはこちらです


私自身がこの問題をどう考えているかをお話しする前に、この件に関するこれまでの私の投稿を、ご覧ください。下から古い順に並べてあります。

私の考え方は、この中からお読み取り頂けるかも知れませんが、良い機会ですので今日書きたいと思います。丁度一年近く前にこう書いています。

「いま、いつも大嶋氏のお仕事のことが頭のどこかにあるのです。私の結論が、今醸成されつつある、そんな感じで。「新共同訳」についての、日本聖書協会の言い分は、正しいのだろうか、どちらが本当は正しいのか、自分なりに結論を出したい、そう言う思いが、私を駆り立てている、そういう気がします。」

そしてその後、何も書いていません。結論を先に書きます。私は「ツァラアト」に関しては自分なりに調べ、「ツァラアト」から「leprosy」までに纏めました。「ツァラアト」は「ハンセン病」とは全く異なる「概念」であり、それは聖書の翻訳者や、医学者達の誤解が重なった結果である。そしてその為に「ハンセン病」にまで「祭事性」や「不浄感」が持ち込まれてしまった、そう思っています。

そしてここからが肝心なところなのですが、日本聖書協会が主張している「重い皮膚病」と大嶋氏の主張される「ツァラアト」のどちらを聖書の「然るべき場所」に用いるべきかは、私には分かりません。真剣に悩んでも、結論には至っていません。

これは、面目や体裁を考えて逃げようとしてこう言っているのではないのです。上に「然るべき場所」と書いています。これは私も一応聖書をめくってみて、この言葉の訳し方と使い方の難しさを強く感じていることを表しているのです。言葉を「ツァラアト」にするか「重い皮膚病」にするかの問題だけでなく、大嶋様ご専門の聖書のレビ記13章、列王記下7章、歴代誌下26章(ご免なさい、これは自分が栞を挟んでいるところを適当に選んでいます。レビ記以外は)など全ての箇所で「ツァラアト」なら「ツァラアト」、「重い皮膚病」なら「重い皮膚病」という一つの訳語で、同様に統一しても良いのかどうかというような疑問も私には生じて来ています。

これは、当然の事ながら私が聖書を良く読んでいない素人であるからなのです。この議論は聖書全体を把握しないと、十分には行えない議論だと私は思っています。大嶋様も日本聖書協会の方々も、丸暗記するほど聖書を読み、理解なさっている方々です。そのような方々の議論に割り込む資格など私には無いのが当然だと思います。


私は以上のように考えています。大嶋様のお気持ちに沿えない返事になることをどうかお許しください。これが正直なところです。

皆様はどのようにお考えでしょうか?どうぞご意見を賜わりたく、お待ちしております。
 

管理人へお礼を申し上げます。

 投稿者:大嶋 得雄  投稿日:2009年 1月19日(月)22時12分10秒
返信・引用
  特に、日本聖書協会の販売の新共同訳聖書の中の「重い皮膚病」と「かび」は適訳でないので、また、日本語では、適訳を見つけることは困難なので、原語の「ツァラアト」に改訂することを求めています。ハンセン病療養所の長島曙教会の牧師として、どうしても、正しい
訳にしていただきたいと思っています。「重い皮膚病」はどうしても、「らい」を連想するし、多くの重い皮膚病の人にも、新共同訳のレビ 13:45-46「 重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と呼ばわらねばならない。 この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」は問題であり、ゆるされないことだと思います。
 管理者さんは、このことをお分かりくださり、私のホームページをリンクしてくださって
いるものと拝察しています。管理者さんのホームページを見ると、私など、およびのつかないほどの多く、深い知識をお持ちで、そばに、よれません。私が、ただ、確信をしている事は、今まで、聖書の訳されてきた「らい」、続く、「重い皮膚病」や「かび」は「らい」(ハンセン病)でないと言うだけです。「ツァラアト」が「らい」でないのだから、「らい」や「らい」を連想する「重い皮膚病」に訳してはならないと言うことで、当たり前のことだと思っています。もし、この私の文章をお読みくださった読者の皆さんにもどうか、私の主張をご理解していただき、出来れば、わたしの支持者、応援者になっていただきたいのです。聖書のどこに、「らい」(ハンセン病)の記述があるでしょうか?どこにも、ハンセン病の特徴をあらわすところはないと思います。「らい」と訳したから、「ツァラアト」の隔離、けがれの病者がらい病人に適用されて行ってしまったのだと思います。誤訳は本当に
恐ろしい歴史的重大な誤りをしたのだと思っています。(長島曙教会牧師・大嶋得雄)
 

Re: 余談:世界最高の歌唱力

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月19日(月)13時08分17秒
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  > No.4110[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> Connie Talbotという6歳の可愛い女の子がいて、とても歌が上手いのです。

この少女の歌を聴いた時に、「エディット・ピアフ」が少女期に、大道芸人の父親に無理矢理歌わされたシーンを思い出しました。この歌唱力で、父親よりもお金を頂いたのが、彼女の歌手としてのスタートだったようです。

> ところが、決勝でこの子を打ち破った男性がいました。

このポール氏、さっき偶然テレビで観ました。なんと日本の龍角散(だったと思います。あんまり唐突に画面にあらわれましたので。)のコマーシャルでした(^^)。
 
    (リベル) あずきさん、いらっしゃいませ。

>この歌唱力で、父親よりもお金を頂いたのが、彼女の歌手としてのスタートだったようです。

私もコニーちゃんだけでなくポール氏についても、メディアの存在がこの人達の将来を歪めて行く模様が窺えて不安を禁じ得ませんでした。私も実はそういう業界に身を落としていたのですから。何十年も前TBSのスタジオで、高橋圭三、ザ・ピーナッツ、九重佑三子、ブルーコメッツなどの面々の徹夜作業に付き合っていました。良いのかこんなこと言って???

そうですね、私も今日の昼過ぎPCに向かっていて、テレビの龍角散を視て目を疑いました。自分の「時代遅れ」を痛感しました。いやあずきさんも「さっき」と仰有っているから、最近始まったのかな、なら良いのですが・・・^^

今私は、アマチュアの時の彼等の純な歌声を、繰り返し聞いています・・・^^。それは無垢で、汚れる前で、やはり美しいですから・・・^^(1.19 17:55)
 

Re: 見たなっ・・・! 壁にぶつかった!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月19日(月)04時31分50秒
返信・引用  編集済
  > No.4108[元記事へ]

>「Astanga Samgraha Of Vagbhata」という堂々たるページが出来ました。これなら大変スピーディーでご迷惑を掛けません。
>
> と言うわけで昨日ご紹介した「Notes」のページなどをチラチラ読みかけて、徐々に深刻な気持ちに陥ってきました。p.239からp.240にかけての「śvitra」の病状を読んでいると「尋常性白斑」ではないからです。赤いのが有るとか筋肉を侵すとか伝染性であるとか、話は穏やかではありません。私が「スシュルタ・サンヒター」から読み取った「尋常性白斑」はどこへ行ったのか?と、まあ深刻にならざるを得ません、が実は深刻にはなりません。
>
> 中村元著「インド思想史」p.264によれば、「ヴァーグバタに帰せられる二冊の書は、一方は六世紀ころ、他方は八世紀ころのものである」そうです。義浄がインド留学したのがこの本では「671〜695年」玄奘三蔵の生きていたのは「600〜664年(602年としているものが多いです)」としていますが、いずれにしろ1300〜1400年前の記述ですから、ジックリ確かめなければ何とも言えません、と言うことにしておきます・・・^^



とこう書いたものの、「実は深刻に」なっているのです。やはり図書館でゼロックスを採ってきた「III. Nidana Sthana: Chapter 14」だけは少なくとも全部、完全に理解するまで読むかどうか?これは、おそらくそこで留まらず「 IV. Cikitsita Sthana(治療篇)」の「Chapter 21. Kustha cikitsitam (treatment of leprosy)」と「Chapter 22. Svitra-Krimi cikitsitam (treatment of leucoderma and disease of worms)」も読まなければいけないでしょう。そしておそらくそこで留まらず・・・。54ドル出せば終わると言う話ではないのですから・・・^^

もう一つの問題は「aruṇa」です。「kilāsa」の解釈問題に、「紅色」が加わったのです。これはしかし、「ハンセン病の病型」で「少菌型」には「白斑」以外に「紅斑」の症状もあることが分かって、ほぼ解決したと思えます。しかし、ここでも蔑ろに出来ないことが一つ有ります。「梵英辞典におけるleprosy」のページの1行目に「アタルヴァ・ヴェーダ」が登場します。ここでは続くページもご覧ください。この二つのページからは、多くの示唆が読み取れます。

簡単に言えば、一つは「熱病を癒すための呪文(五・二二)」の三の文章です。

「赤き粉を振りかけしがごとき(発疹の症状)このタクマンを、下方に追いやれ、万能の〔薬草〕よ。」

なぜ、梵英辞典が「aruṇa」の説明のところで、「赤き粉を振りかけしがごとき(発疹の症状)このタクマン」を引用したのか?この理由がハッキリしません。

万能の薬草は脚注に「クシュタ」とあります。私はこの薬草名が「病名・癩」の語源ではないかと推測しています。

また「続くページ」には、脚注1の所に「―病気に対する語句には意義不明のものが少なくない。」と専門家が率直にお認めになっています。

これらの「示唆」をキチンと究明しようとすると、これは「アタルヴァ・ヴェーダ」も読み込まなければならなくなって来るのです。


私は昨日、ゴロゴロして音楽を聴いたり、ウトウトしたりしながら考えました。そして一つのことを決めました。「アシュタンガ・サングラハ」は一旦ここで置く、そして当初の予定通り「後の研究」に委ねる。そして「ハンセン病とサンスクリット語」を一旦終わらせる。

懸案のテーマが三つ有るのです。「白癩について」、「ハンセン病の歴史」の「中世以降」、「癩からハンセン病へ」(これは成田稔氏が2001年の「多磨」に連載されたものを年表に整理する作業です)、この三つをとにかく一年か二年で終わらせる。それが終わった段階で、余力が有れば「アシュタンガ・サングラハ」と「アタルヴァ・ヴェーダ」に手を付ける、こうしようと決めました。

理由は「アタルヴァ・ヴェーダ」は辻直四郎氏の和訳が有りますが、「アシュタンガ・サングラハ」には和訳が有りません。だから高校までの英語力と、ゼロに近い梵語力では到底立ち向かえる相手ではないのです。二年後に聴講生になって梵語を勉強するか、語学留学するかなどを考えるか、蟷螂の斧で立ち向かえるだけ立ち向かってみるかを決めることにしました。要するに私の嫌いな「先送り」で御座います、はい。


こんな具合に・・・です・・・^^
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2009年 1月19日(月)00時25分59秒
返信・引用
  ポールの声、すばらしいですね!
先ほど、リベルさんご紹介のYou Tube↓「誰も寝てはならぬ」を3回聴いたあと、
パバロッティの「誰も寝てはならぬ」も3回聴いてきました。
ダッタンの王子という柄と、男性的でより劇的な表現力という点ではパバロッティ。
(オペラからしばらく離れていて、久し振りに聴きました、ありがとでした!)
プッチーニ「トゥーランドット」のなかでも最も好きなとこ(^^)
 
    (リベル) ドン・キショットさんいらっしゃいませ。お役に立てたみたいで、嬉しいです。実は私事ですが、「アシュタンガ・サングラハ」のせいで、後で書きますが、「厚い壁」(?)にぶつかって一日ボーッとして音楽を聴いたり眠ったりしていたのです。思いがけない副産物でお役に立てましたようですね。

私はもうとにかく、歌詞を離れた単なる「歌声=(人の声によるうた)」が自分の心をダイレクトに打って来たのに驚いてしまいました。この年になるまで、こんなに意識できたことが無かったものですから。

オペラのこと、良くは知りませんが、このポールが刺激されたのがホセ・カレーラスで、同じく三大テノールの一人がパバロッティなのですね。久し振りに「HMV」のサイトへ行ってきましたが、オペラのCDは概してお高いようで、尻尾を巻いて帰ってきました。「マリア・カラス」は生協のワゴンセールでした・・・^^。三大テノールは録画した物が有ったはずなので探してみます・・・(^^)(1.19 02:19)
 

余談:世界最高の歌唱力

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月18日(日)03時25分1秒
返信・引用  編集済
  Connie Talbotという6歳の可愛い女の子がいて、とても歌が上手いのです。このブログに詳しいのでどうぞ。

兎に角お聴き下さい、今日はお休みにしてしばらくネットサーフします・・・


ところが、決勝でこの子を打ち破った男性がいました。
歌詞が分からないのに、歌だけで涙が出たのは、私の人生で初めてです。今日は素晴らしい日でした♪♪♪
丸秘情報を耳打ちしておきます、「ア・ラ・カ・ワ・シ・ズ・カ」。
 

ヴェーダ医学はWHOに先行していたのか?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月17日(土)12時12分52秒
返信・引用  編集済
  śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc);

を日本語に訳すと・・・

『「尋常性白斑」、「少菌型ハンセン病(このページの図2,図3です)」はまた、病因や病素等の点で「kuṣṭha」に似ていると言われます。』

まあ、こういうことになるでしょう。(ここだけを取り出すのは危険で、前のページを全部読まないといけないのですが、これまた今日はネグリます。)この文章を裏返すと、「śvitra」や「kilāsa」は、或る面で似てはいるけど「kuṣṭha」とは別の病気だよ、と言っていることになります。

私は「ハンセン病とサンスクリット語」の中で、「スシュルタ・サンヒター」の結論として「kuṣṭha」は「皮膚病全般」と「ハンセン病」を指し、「śvitra」は「尋常性白斑」として截然と分けられ、「kilāsa」はハンセン病の一種なのだけれど、「アタルヴァ・ヴェーダ」に取り上げられたという事情から、スシュルタが唐突に「体系」の中に取り込んだのだという考えを示しました。

「アシュタンガ・サングラハ」の先程の一文は、この私の主張を裏打ちし補強するものである、と考えるのは無理があるでしょうか?



WHOが「少菌型=PB」、「多菌型=MB」の分類を行ったのは、多剤併用療法を容易に行うためだったそうですから、1981年ころになるのでしょう。それに先んずること約1200〜1300年前、インドでは「kilāsa=白斑局面を示す少菌型」、「Aruṇa=紅斑局面を示す少菌型」を一つの「病型」として認識していたことになります。「アタルヴァ・ヴェーダ」にスシュルタ医師が影響されたのではという私の推測に基づいているので「病気」でなく「病型」と書きましたが、「kuṣṭha」「śvitra」とは別のものとして「少菌型のハンセン病」という一つの分野を概念として弁別したということは、事実とすれば、事実とすればですが、お見事という他はありません。

参考:ハンセン病の病型分類(ここには私の持論は全く介在していません、念のため・・・^^)
 

見たなっ・・・!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月17日(土)01時41分57秒
返信・引用  編集済
  いや、頭に来て「人名歴史年表」のサーヴァーを使いました。PDFが7ページで16MBも有るのですからこれは流石に図々しいのが身上の私でも、いつもご厄介を掛けている北風さんには頼めなかった、未だ良いとこ有るでしょう^^。infoseekの「isweb」は50MB有るから悠々なのです。「Astanga Samgraha Of Vagbhata」という堂々たるページが出来ました。これなら大変スピーディーでご迷惑を掛けません。

と言うわけで昨日ご紹介した「Notes」のページなどをチラチラ読みかけて、徐々に深刻な気持ちに陥ってきました。p.239からp.240にかけての「śvitra」の病状を読んでいると「尋常性白斑」ではないからです。赤いのが有るとか筋肉を侵すとか伝染性であるとか、話は穏やかではありません。私が「スシュルタ・サンヒター」から読み取った「尋常性白斑」はどこへ行ったのか?と、まあ深刻にならざるを得ません、が実は深刻にはなりません。

中村元著「インド思想史」p.264によれば、「ヴァーグバタに帰せられる二冊の書は、一方は六世紀ころ、他方は八世紀ころのものである」そうです。義浄がインド留学したのがこの本では「671〜695年」玄奘三蔵の生きていたのは「600〜664年(602年としているものが多いです)」としていますが、いずれにしろ1300〜1400年前の記述ですから、ジックリ確かめなければ何とも言えません、と言うことにしておきます・・・^^

と言うのも他に大事なことが二点あるからなのです。種類の違う話ですが、朝までこれに費やします、お暇な方はどうぞ・・・(笑)


●簡単な話から片付けます。昨日p.235にこう書いてあるとご紹介しました。

「Notes:Though the term 'kuṣṭha' is generally translated as 'leprosy',it also includes many other diseases of the skin.」

これにとても良く似た言葉に接したことがあるなあ、とお感じになった方も多いと思います。それはチョット探しただけで二つ見付かりました。以下に並べます。

元国際ハンセン病学会会長のLechat氏の論文から・・・

「According to Biblical experts, the condition described in Leviticus under the term of 'Za'raath does not refer specifically to leprosy but is said to encompass a large variety of skin diseases or blemishes of all kinds.」(encompass=含む、blemish=きず)

もう一つは1978年に出来た「新国際版聖書(New International Version:NIV)」です。この聖書の「ルカによる福音書17章」では「ツァラアト」を「leprosy」としておいて脚注でこう書いています。

「ハンセン病に限らず、多種の皮膚病を含む語(The Greek word was used for various diseases affecting the skin―not necessarily leprosy. )」

「kuṣṭha」と「ツァラアト」が外見上は極めて似た扱いを受けているのを、面白いなあと思いました。ただ気を付けなければいけませんが、これは実は似て非なるものなのですね。「kuṣṭha」の方は、純粋に学術的な話です。私の言葉で言えば「皮膚病と癩病の二つの意味でスシュルタが用いた」ということなのですが、「ツァラアト」は聖書の訳者や医学者の「あやまり」によって「誤用」されて行った結果だからです。(参考:「ツァラアト」から「leprosy」まで

「聖書」=「70人訳聖書」および「ウルガタ聖書」
「医学者」=「ガレノス」、「ダマスカスのジョン」、「コンスタンティヌス・アフリカヌス」を指すことはご存知の通りです。(参考:呼称の変遷年表

●もう一つはp.239のこの文章です・・・

śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc); it is non-exudative, produced by three dhātus(vāta pitta and kapha combined together)and residing in three dhātus(tvak or rasa, rakta and māmsa).

(参考:Aruṇa=a kind of leprosy(参考:1行目)、doṣyās=mobid element=病素という奴です、dūṣyās=corruptible=壊れやすい、exudative=湿性の、dhātus=身体構成要素、vāta pitta and kapha=病素三つです、tvak=皮膚、rasa=体液(リンパ液・精液)、rakta=血液、māmsa=筋肉(皮膚、血液、筋肉というのは「スシュルタ・サンヒター」に出て来ました))

ここで少し細かい話をさせてください。その為に梵語をもう一度コピペします。

「sva-dārāpatya-dhāvanam
kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ śvitraṃ kilāsaṃ dāruṇaṃ ca tat
nirdiṣṭam a-parisrāvi tri-dhātūdbhava-saṃśrayam」

一つ一つ解剖するのはまたその内にさせていただいて(歓迎!でしょう?)「dāruṇaṃ」一つを取り上げます。「モニエルの梵英辞典」(左下)をご覧ください。訳者は「Aruṇa」としていますが、フランス語の「de=d’」でもあるまいしこれは引っ掛かります。しかし、この話もここまで止まりにします。「dāruṇaṃ」=「Aruṇa」として話を進めます。

このページをご覧ください。下から9行目のデーヴァナーガリー文字はローマ字で書くと、初めの三語は「kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ」「śvitraṃ」「kilāsaṃ 」であることが分かりました。梵語をコピペしましたが、最初の1行はこの際関係がないと言うことが、今分かりました。1行目の詮索は省略して話を本題に戻します。


śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc);

を日本語に訳すと・・・

『「尋常性白斑」、「少菌型ハンセン病(このページの図2,図3です)」はまた、病因や病素等の点で「kuṣṭha」に似ていると言われます。』

まあ、こういうことになるでしょう。(ここだけを取り出すのは危険で、前のページを全部読まないといけないのですが、これまた今日はネグリます。)この文章を裏返すと、「śvitra」や「kilāsa」は、或る面で似てはいるけど「kuṣṭha」とは別の病気だよ、と言っていることになります。

私は「ハンセン病とサンスクリット語」の中で、「スシュルタ・サンヒター」の結論として「kuṣṭha」は「皮膚病全般」と「ハンセン病」を指し、「śvitra」は「尋常性白斑」として截然と分けられ、「kilāsa」はハンセン病の一種なのだけれど、「アタルヴァ・ヴェーダ」に取り上げられたという事情から、スシュルタが唐突に「体系」の中に取り込んだのだという考えを示しました。

「アシュタンガ・サングラハ」の先程の一文は、この私の主張を裏打ちし補強するものである、と考えるのは無理があるでしょうか?これが大事なことの二つ目でした。牽強付会、我田引水と謗らば謗れ・・・なんてヤケにはなりません・・・正しいような気がしています。

その辺りをキチンと、「気がしてい」るだけではなくするためにはどうすれば良いか?「アシュタンガ・サングラハ」をキチンと読む他はありません。京都地方の民話らしいと先程知ったのですが「見たなっ!」というお話しを子供の頃から良く聞かされました。私は「アシュタンガ・サングラハ」を見てしまったのです。いま化けの皮を脱いで私に襲いかかって来ようとしています!!!助けてえ〜・・・ネコまたの亡骸に手をあわせましょう、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ああ疲れた・・・^^(1.17 06:53脱稿)


これが「Aruṇa」なのではないでしょうか・・・(感染症情報センターHPから)
 

第14回ロードマップ委員会

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月16日(金)17時21分52秒
返信・引用
  「第14回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」が開かれます。

1月30日(金)10:00〜12:00に虎ノ門パストラル 4階 「アイリスガーデン」です。
議題は「患者・被験者の権利擁護のあり方」を検討するワーキンググループの経過報告などです。

詳しくは厚労省HPでどうぞ・・・
 

PDFに挑戦し、敢えなくKO!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月16日(金)05時49分13秒
返信・引用  編集済
  きれいな画像でご覧頂くため、図書館で採ってきたゼロックスをPDF化しました。それは出来たのですが、サーヴァーにアップしようとしたらどうしても入らない、原因が分かりません。四苦八苦している内にこんな時間になってしまいました。サーヴァーの容量は25MBで、要するにPDFファイルはサイズが馬鹿デカく、容量オーヴァーになっていたと判明しました。

折角、大反省大会を開催する予定だったのですが、今日は中止させて頂きます。どうせ自分のお馬鹿ぶりの報告に終始するのですから、そんな大会は実は開きたくないので、先送り・・・です・・・(汗)

作ったPDFはこちらです。お暇な方はどうぞ。画面は綺麗なのですが、開くのに手間が掛かっていけません。PDFは止めて画像にするか、検討しています。


問題の名訳部分の正解はこうでありました。上の5ページ目です(下から7行目から)。

śvitra, kilāsa or Aruṇa is also described as similar to kuṣṭha(in respect to causes, doṣyās, dūṣyās, etc); it is non-exudative, produced by three dhātus(vāta pitta and kapha combined together)and residing in three dhātus(tvak or rasa, rakta and māmsa).

(参考:Aruṇa=a kind of leprosy(参考:1行目)、doṣyās=mobid element=病素という奴です、dūṣyās=corruptible=壊れやすい、exudative=湿性の、dhātus=身体構成要素、vāta pitta and kapha=病素三つです、tvak=皮膚、rasa=体液(リンパ液・精液)、rakta=血液、māmsa=筋肉(皮膚、血液、筋肉というのは「スシュルタ・サンヒター」に出て来ました))

拙訳・・・「私の訳」じゃなく、「つたない訳」の方・・・

「自ら墓穴を掘るような極言は、避けねばならないが
ハンセン病の罹患、尋常性白斑、ハンセン病の白斑、これらはまさに残酷であり
控え目に表現しても三重苦と言うべきであろう。」

合っていたのは「three」=「三」だけ、というお粗末さ加減で御座いました・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ! ・・・ヤケクソ・・・。

付録:最初のページにこう書いてあります、これには物凄く感激しました、そうでもないか・・・^^


Notes:Though the term 'kuṣṭha' is generally translated as 'leprosy',it also includes many other diseases of the skin.


ついでに他の部分も読みかけると、スシュルタの書いたことが補完されて理解が進みます。これも読まないと、何だか話が中途半端で終わってしまうような気持ちが生じてきました。でも、でももう、止めておきます。終りが見えなくなってくる、死ぬ方が先になるかも知れませんから・・・と言いながら、53ドルで買えるなどと調べている自分が居たりして・・・(1.16 06:36脱稿)
 

平成20年度ハンセン病問題対策協議会の確認事項

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月16日(金)02時57分4秒
返信・引用
  平成20年8月27日に開催された「ハンセン病問題対策協議会」の確認事項が,統一交渉団代表と厚生労働副大臣との間で,平成20年12月26日に締結されました。

主な確認事項は以下のとおり。

1 「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」について
2 退所者入院制度について
3 療養所の将来構想に関する作業部会について
4 国家公務員の定員管理について
5 重監房復元,重監房跡地及び各療養所の歴史的建造物・資料の保存について
6 国立ハンセン病資料館の運営について

などです。


上記は「ハンセンボランティア「ゆいの会」」のブログから無断でコピペしました。ここは有力な情報が多いのでお奨めです。

それにしても、とまたボヤキを始めますが、去年の8月27日にこの会議は開かれました(参考:国賠弁護団HPから)。何故この確認事項が4ヶ月後まで出て来ないのでしょう?

ま、ぼやいて何とかなることでも無し・・・ですね・・・^^
 

行ってきました人文研!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月15日(木)03時56分39秒
返信・引用  編集済
  先ず最初にお詫びしなければならないことがあります。間違いを犯していました。1月11日に「フリダヤ・サンヒター」のことを書いています。その時「フリダヤ・サンヒター」は英語で「Astanga Samgraha of Vagbhata」と書きました。今色々2時間ほど調べていて、間違いがハッキリしましたので正しいことを纏めます。

ヴェーダ文献の中の「アーユル・ヴェーダ」の代表的な二書が「スシュルタ・サンヒター」と「チャラカ・サンヒター」であることはご存知の方が多いと思います。この二書を整理して纏めたのがヴァーグバタで、二冊書いたというのが定説になりかけているようです(「インド伝統医学入門」P.32)。その二冊は・・・

1)「八科精髄本集」=「アシュターンガ・フリダヤ・サンヒター」=「Astanga Hrdayam of Vagbhata」

2)「八科集」=「アシュターンガ・サングラハ」=「Astanga Samgraha Of Vagbhata」

なのでした、ご免なさい。そして後者が前者を増補して出来たとされ、「Webcat」で探しても、前者はヒットしません。各大学が持っているのは全て後者です。

その後者「アシュターンガ・サングラハ」を求めて厳寒の京の都へ颯爽と行って参りました。京大人文研図書室。Webcatのサイトで調べて念のため、書名「Astanga Samgraha Of Vagbhata」を印刷して持参しました。然るべき手続きの後、「これを・・・」とその紙を渡したら、うら若き女性の職員が矯めつ眇めつして後、これは「Vol.1」しか有りません、と。かの「三人組」が顔を揃えているのは、「Vol.2」なのです。私は丸太ん棒で思い切りぶん殴られた気分に陥りました。「棒を飲んだよう」に立ち尽くしていたことでしょう、そう見えたに違いないと後で思いました。

「何とかその近所にでも無いでしょうか?」と、もう藁にも縋る思いで食い下がりました。哀れな老い耄れの姿を見かねてか、「少しお待ちください」と書庫の方へ消え去りましたがまあ惨めな思いで待つ時間の長いこと。足音がしたので見ると何と左腕に三冊有る!もう彼女がアンジェリーナ・ジョリーのように輝いて見えたものです(いや別にファンではないのですが偶然にもここ三本続けざまに彼女の映画を観ていたので。特に「すべては愛のために」は儲け役、それよりも飢えや難民の描写にショックを受けました、俺こんなことしてらんないと・・・脱線^^)。

食い入るように探しました。私が11日にも書いた迷訳は果たして正しかったか、どれほど近かったか、「墓穴を掘る」、「三重苦」なんて大した名訳だと自負しているのですから。

「自ら墓穴を掘るような極言は、避けねばならないが
ハンセン病の罹患、尋常性白斑、ハンセン病の白斑、これらはまさに残酷であり
控え目に表現しても三重苦と言うべきであろう。」

いやこれが無かったら、昨日行くことは無かったろう、ひょっとしたら永久に無かっただろうと思います。一刻も早く正しい訳かどうか確かめたくて、 矢も盾もたまらずという心境だったのですから・・・。


いやどうだったんだよ、名訳は正しかったのかよ?それはまた明日・・・にさせてください・・・ごめんなさい・・・m(_ _)m

今から「アシュタンガ・サングラハ」を7枚スキャンしなければ、そしてそれをお見せしなければ、話が面白くなりませんので・・・なんて・・・^^


蛇足:「南海寄歸内法傳」を著わした義浄(672〜682年インドに留学)がその中で「近日有人略為一夾(最近ある人が纏めて一冊の本にした)」と記していますが、その「人」が「ヴァーグバタ」であるというのは定説になっているそうです。ここに読める「八部」と言うのが「八科」の由来だとか・・・。
 

悪乗り Re: 草津の墓碑銘

 投稿者:北風  投稿日:2009年 1月14日(水)12時30分51秒
返信・引用
  > No.4102[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

> 或る方からメールを頂きました。河東三郎氏著の「ある軍属の物語―草津の墓碑銘」についてです。こうしたためてありました。
>
> 「この度草津の「加藤三郎」という98歳になられる方が出版された「草津の墓碑名」という本が絶版になり、欲しいという方が数名いらっしゃって(中略)加藤さんの承諾を得て200冊作りましたけど・・」
>
> と言うことです。まだ在庫が有り一冊1800円だそうです。出版社は「思想の科学社」です。
>

同じ著者に『僕らの村』というのがありますが。某社刊行でまだ在庫があります。
ははははは。
 
    (リベル) あ、有りました。某社刊行で、まだ在庫が有るそうです・・・(^^)(1.14 19:00)  

草津の墓碑銘

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月14日(水)00時35分40秒
返信・引用  編集済
  或る方からメールを頂きました。河東三郎氏著の「ある軍属の物語―草津の墓碑銘」についてです。こうしたためてありました。

「この度草津の「加藤三郎」という98歳になられる方が出版された「草津の墓碑名」という本が絶版になり、欲しいという方が数名いらっしゃって(中略)加藤さんの承諾を得て200冊作りましたけど・・」

と言うことです。まだ在庫が有り一冊1800円だそうです。出版社は「思想の科学社」です。

ここには記しませんがメールの内容に心動かされましたので、この本を読みたい方がいらっしゃればと思い、紹介させて頂きました。
 

S.G.ブラウン著『聖書の中の「らい」』

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月13日(火)04時14分22秒
返信・引用  編集済
  『聖書の中の「らい」』(p.27)にこう記されているのですが・・・


「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料はインドにあり、紀元前六〇〇年頃まで時代は下ります。それより以前の口伝をふまえていることは事実ですが。ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています。皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病とは区別されています


この太文字の部分が、とても大きな意味を持っていることが分かってきました。この「白斑病」は「śvitra=尋常性白斑」であることは前に書きました。要するにこうなのです(気が短くていけませんが)、「皮膚と神経の両方の症状がみとめられ」るのは「ハンセン病=kuṣṭha」のことを言っています。次の「軽度のありふれた病状」と言うのが「PB型=少菌性のハンセン病」です、即ち「kilāsa」。

バレバレですが、私が言いたいのはこのたった一行に、ブラウン氏は意識してかせずにかは分かりませんが、「kuṣṭha」「kilāsa」「śvitra」の三つの病名をサラリとお書きになっている(実は原書で確認する必要があるのですが、これは先ず入手不可能です、というより恐らく不要です)。

今日で三度目か四度目になりますが、「スシュルタ・サンヒター」と「チャラカ・サンヒター」を纏めて書いたとされているヴァーグバタの「フリダヤ・サンヒター(八科精髄集)」もその三つを一行で書いているのです。

kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ śvitraṃ kilāsaṃ dāruṇaṃ ca tat」

今週が無理なら来週、京都の京大人文研図書室へ行って参ります。「京の底冷え」というのは生半可なものではないことを良く承知していますが、あと三週間ほどで七四歳になるので、余り悠長に構えては居られないのです・・・トホホ・・・(^^)

あなたの推理は当たっています。そうなのです、これを「ハンセン病とサンスクリット語」のエピローグに仕立て上げようと目論んでいるのです・・・^^


ブルブルッ‖‖‖♪♪♪
 

世の中広い!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月13日(火)03時43分8秒
返信・引用  編集済
  ブラブラ散歩もしてみるものです。前からヴェーダ文献の英訳の有るサイトとして、検索や引用に頻繁に活用していたのですが、今日フトそのサイトの名が「Sacred Text」であると気付いて、ウィンドウを覗き歩いていたら、とんでもないものに出合いました。ここまでやるか!と言う・・・。

「The polyglot Bible」と言うのです。「polyglot」って何だろうと辞書を引いたら「多言語の」というような意味です。そして辿り着いたのがこのページでした。何かというと引き合いに出される「レビ記13章」の冒頭をご覧戴いています。

KJV」は「King James Version=いわゆる欽定訳(1611年)」です。ここでは「leprosy」

Sep」は「Septuagint=70人訳聖書(B.C.250年頃)」でギリシャ語です。「λέπρας =レプラ」

Tan」は「Tanach=タナッハ(B.C.5世紀頃)」でヘブライ語聖書です。「צָרַ֖עַת=ツァラアト」

Vul」は「Vulgate=ウルガタ聖書(405年頃)」でラテン語です。「lepræ=レプラ」

参考:呼称の変遷の年表

例えば最初の「Lord」に付いている「3068」をクリックすると何が出ると想像されますか?答は「エホバ=ヤハウェ」でした・・・もう面白くて堪りません・・・世の中広いです・・・
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2009年 1月12日(月)10時47分53秒
返信・引用
  「親字が約2万字」
最近読んだ本(松岡正剛『山水思想 「負」の想像力』ちくま学芸文庫、2008)の、内藤廣「解説」にこんなことが書かれていました。
「白川静は古代甲骨文を二万片トレースしたという。文字をなぞる中で、遠い古代中国を支配していた意識の基層を探り当てた。」

古代の疾病観を探るということは、その時代に支配的であった意識の基層を探ることにつながるものですね。リベルさんの探索行に敬意を表し(^^)
 
    (リベル) あ、ドン・キショットさん、いらっしゃいませ。

なんと、白川静氏は「文字をなぞる」という作業をなさいましたか。驚き入ります。私などは未だ未だ皮相をなぞっているだけの若造だなあと自覚させられます。当時生きていた人の意識の深層にまで手を伸ばそうとする基本的態度が、なるほど「解釈」の作業の助けになるのだろうと知り、大いに意を強くしました。

気に掛けてくださっている人があると知るだけで、本当に励みとなります。有り難うございます・・・頑張らねば・・・^^(1.12 12:02)
 

余談:漢字の数

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月12日(月)02時44分49秒
返信・引用  編集済
  漢字って一体何字有るのだろう?と考えたことが有りませんでした。今日本屋で「漢和辞典に訊け!」という本を立ち読みしていたら、「学研新漢和大字典 普及版」が良いと書いてあったので、又虫が頭を擡げましたが、古本がチャント出回っていないので、つまり余り安くなっていないので中止しました。そのとき類書との比較でこれは親字が約2万字と書いてあったので、こんなことをフト思ったのです。

今丁度トイレで年を越した「漢字の字源」のあとがきを繰り返し、必要有って読んでいるのですが、そこに書いてあったのでミニ知識を受け売りします。

「総数は五万とも六万ともいわれるが」と阿辻氏の表現です。オイオイ、と思いました。漢字の何とか委員などもやっている専門家にしてこう言わしめるほどの数なのですね。しかし実際に使われている漢字はそう多くはなくて、たとえば「論語」で1512個(よく数えましたね、私より暇な人も居る^^)だそうです。1946年に1850字が当用漢字として公布され、1981年に1945字が常用漢字として公布されたそうですから日本の漢字力も結構なものですね。しかし流石に2000首以上の詩を残した杜甫になると、使った漢字は約4390字だそうですから凄いです。

漢字の本を読んでいるとよく出て来るのが「説文解字」でこれは西暦200年(後漢)に許慎というえらく謙虚な名前の人が成し遂げた偉業で、9300余りを取り上げていると言いますから改めて恐れ入ります。ただ現在の段階で発見されている甲骨文字は4500前後だそうですから、しかし亀の甲羅にこれだけの種類の漢字を刻み込んだ中国の歴史は、やはり大したものだと、生唾を飲みます。今の中国はダメになっていますが・・・^^

今検索したら去年の10月に甲骨文字の発見にまつわるエピソードを書いています。面白いのでコピペします。私の生れる僅か36年前に甲骨文字は発見されたのです。

「「物語 中国の歴史」に甲骨文字発見(1899年)の経緯が書かれています。甚だ劇的なのでご紹介します。王懿栄(おういえい)という国子監祭酒(文科大臣?)の北京の家に寄寓していた劉鶚(りゅうがく)は、王氏がマラリアの薬として常用していた「竜骨」に文字のようなものがあることに気付きます。二人とも文字のことに詳しかったのが良かった。色々調べて、これは殷の時代のト辞(ぼくじ)ではないだろうか?ということになった。私のような唯の酔っ払いだったら、こうは行かなかったでしょう、そこが凄いし、面白いところだと思うので、ご紹介しました。」

さて、お楽しみ頂けましたでしょうか?何か匂う!!!はい、鋭い嗅覚をお持ちです。「トイレ」とか「必要有って」とか・・・。「漢字の字源」のその次のページ辺りから「甲骨文字」の解釈に触れた「字形解釈のよりどころ」という節が有ります。そこに只今の私にとって誠に切実な話題が有ったのを忘却していました。二度目に読んだのですが、こう書いてあります。

「甲骨文字や金文の字形を解釈する時に使われるよりどころがふたつある」として一つは「一字多義」。まあ「kuṣṭha」に「植物名」「皮膚病」「癩病」とあるというようなことでしょう。もう一つは「古今字(ここんじ)」です。と、これが頭の片隅には残っていたのかも知れません・・・、こんな変な事を考えたのは・・・。

「ある漢字が本義から他の意味に(ママ)派生し、やがて本義以外の意味で使われるのが普通になった時云々」で「然」と「燃」、「莫」と「暮」などの漢字群を「古今字」と言うそうですが、私が取り上げて強調したいのは「他の意味に派生し」という部分です。「kuṣṭha」は「植物名Costus speciosus」だった(「アタルヴァ・ヴェーダ」B.C.1000〜800年)のですが、後に「皮膚病」「癩病」(「スシュルタ・サンヒター」B.C.600年)の意味が派生した、と、私に言わせればそうなるのです。

長らくのお付き合い、有り難うございました。最後ッ屁を一つ。

「アタルヴァ・ヴェーダ」に出て来る「kilāsa=白癩」は「リグ・ヴェーダ」(B.C.1200年〜1000年頃)に出て来る「kilāsyaḥ=斑点有る鹿」の「古今字」である、と・・・^^。これらが検証され、証明されるのは5年後、10年後・・・恐らく永久に証明されないまま、その内に地球は消滅するでしょう・・・(^^;)


さらば、美しい我が地球よ♪♪♪
 

宣伝ですみません

 投稿者:しゅう  投稿日:2009年 1月11日(日)21時35分50秒
返信・引用
  「不在の街」のしゅうです。
BBS「東風吹かば」がアクセスできなくなっていましたが、リニューアルして再出発しております。
アドレスが変わりました。↓
http://www.shuu.org/kochi/light.cgi?
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
 
    (リベル) しゅうさん、いらっしゃいませ。

すみませんなどと・・・、お知らせを有り難うございました。

ここの本家の方の「掲示板・BBS 集」も直ちに(でももう3時間経ちますが)修正しておきました・・・。

リニューアル・オープン、おめでとう御座いました・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ! (1.12 00:27)
 

肚を決めたら・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月11日(日)03時59分35秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病」とサンスクリット語の「そして、終りに」を纏めていてやはりどうしても「フリダヤ・サンヒター」の英訳を読みたくなりました。去年の11月17日に京大の人文研の図書館へ行こうかなという話を書いていますが、よし来週行こうと決心して地図などを準備しました。

そして、気分を落ち着かせたところで、フト「フリダヤ・サンヒター(Astanga Samgraha of Vagbhata )」と「leprosy」で検索することに気付きました。やってみるものです、ありました、ヴェーダ文献専門の本屋さんのサイトで「フリダヤ・サンヒター」の目次紹介をやっていたのです。第何巻かは分からないけど第14章に「kuṣṭha」、「kilāsa」、「śvitra」が首を揃えていることは梵語のサイトで調べてありました。図書館で直ぐその部分を見つけ出すためにです。

やはりこう書いてあったので、大いに感激しました。

「14. Kustha, Svitra and Krimi nidanam (diagnosis of leprosy, leucoderma and worms). 」
(参考:krimi=worm、nidanam=cause of a disease

第三篇病理篇の所でした。ここに例の雁首を揃えたくだりがあるのです。

「sva-dārāpatya-dhāvanam
kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ śvitraṃ kilāsaṃ dāruṇaṃ ca tat
nirdiṣṭam a-parisrāvi tri-dhātūdbhava-saṃśrayam」

多分来週中に行って正しい訳を見つけてきます。私の迷訳を恥ずかしくもなく書いて置いて今後の戒めとします、さあ、どうなることでしょう・・・^^

「自ら墓穴を掘るような極言は、避けねばならないが
ハンセン病の罹患、尋常性白斑、ハンセン病の白斑、これらはまさに残酷であり
控え目に表現しても三重苦と言うべきであろう。」(現在の段階では「ハンセン病の白斑」→「少菌性のハンセン病」なのですが・・・)

やはりダメだという気持ちが募ってきました・・・(;´ρ`)ダメジャ コリャア


鶴が鳴きゃ、亀も鳴く・・・正月なんだから、目出度く参りましょう・・・^^
 

Re: こういう場合は・・・?

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月10日(土)12時49分39秒
返信・引用
  > No.4093[元記事へ]

北風さんへのお返事。

ありがとうございました。
お返事は北風さんのBBSに書いておきました(^^)。
 
    (リベル) お心遣いに本当に感謝致します。

私も私なりのレスをあちらに投稿しておきました。

繰り返しますが、ご配慮に本当に感謝します・・・m(_ _)m(1.10 17:25)
 

Re: こういう場合は・・・?

 投稿者:北風  投稿日:2009年 1月10日(土)10時56分55秒
返信・引用
  > No.4090[元記事へ]

あずきさんへのお返事。

>
> しかも匿名の悪意の攻撃など、無視するしかないですね。

小生は必ずしもこう思いません。
こうした素朴な「攻撃」の多くは生活に苦しむ人たちのやり場のない気持ちが根底にあることが多いと思います。弱いものが弱いものを攻撃する、差別の構図そのものです。
そのことが誰を益するか明らかです。

ハンセン病問題は、長い歴史の中で苦渋を強いられ、それとの闘いの中で現在を勝ち取ってきたのは確かです。しかし、社会には様々な差別や不当な扱いに苦しんでいる人たちがいます。画期的な(もちろん相対的ですが)成果を勝ち取った人達に、他の弱者や被差別者への支援と連帯を求めるのは無理なことでしょうか。
そうした目配りと連帯が、「匿名の攻撃」への雄弁な答えになるのではないでしょうか。
小生は、「かつてともに闘ったのに」という稀少難病の会(あせび会)のSさんの言葉が耳を離れません。

ハンセン病の闘いが社会から孤立してはならないと思います。
 
    (リベル) これのレスは「ハンセン病の闘いの歴史に学びともに考えるBBS 」に書かせて頂きました。(1.10 12:59)  

毎日の生き甲斐が無くなる・・・(涙)

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月10日(土)05時06分22秒
返信・引用
  「ハンセン病」とサンスクリット語も後「そして終りに」を残すのみになりました。今日調子に乗って一気呵成に「スシュルタ・サンヒターでは」を仕上げてしまいました。

さあ、大団円ではドラマ顔負けのドンデンガエシが有るぞと、オオボラを吹いて居たのでこれは大変です。いや、内心ではドンデンガエシに出来なかったら、「ご免なさいでした」と言って、プイッとソッポを向くぐらいのことは平気でやりかねない爺さんだと言うことは、バレバレだから、極めてお気楽なものです・・・^^


鶴九皋に鳴いて・・・
 

Re: 梅林加津著「海人断想」

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月10日(土)03時36分35秒
返信・引用  編集済
  > No.4060[元記事へ]

> さて、感激したのには、実はやはり他の理由もあるのです。この本で最初に取り上げられている歌は・・・
>
>    ふうてんくるだつそびやくらいの染色體わが眼の闇をむげに彩る
>
> このひらかな部分に梅林氏はこう漢字を当てて居られます。「瘋癲痀瘻脱疽白癩」。そしてこう書いて居られます。
>
> 「指が曲がるのは、くる病だったら良かったのにと、傷でいたみ失われてゆく手足があれば、これは脱疽病だったらと思ったでしょう。」
>
> また「白癩」を「少菌型」(下図↓)と仮定すれば、「自然治癒もあったかも知れないし、せめて白癩だったらとの思いがあっても不思議ではないのではないでしょうか。」とも。
>
>
> 私が次に取り組もうとしている「kilāsa」について、私は何を隠そう「少菌型」説を採ろうとしていたのです。因縁と申しますか奇妙な符合に愕然としたのでした・・・。何よりもそう仮定することに一抹の不安を抱いていた私は、百万の援軍を得たような感懐に襲われました。
>
> 世の中を運営している「大いなるもの」の部下には、こういう「奇縁」という名の一群も居るのかも知れません・・・(^^;)


「ハンセン病」とサンスクリット語もいよいよ大団円が近くなってきました。「kilāsa」の正体を暴く時が。今日その部分を書こうとして、何というか科学的裏付けの部分が弱いような気持ちになってしまいました。そこで徹底的にインターネット上で(主として自分の作ったサイトで)再度熟読しました。その結果「こうだからこうだ。」という「何か」は見付けることが出来ませんでした。

しかし、「こうだからこうなのだろう!」とまでは近付けた気がします。それを1頁に纏めましたので、ご覧下さい。図版と茶色の文字だけでも結構ですから、どうぞ・・・。


これが「kilāsa」です。お尻でご免なさい・・・^^(感染症情報センターHPから)
 

Re: こういう場合は・・・?

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 1月10日(土)02時58分26秒
返信・引用  編集済
  > No.4088[元記事へ]

> こういう輩に反論や説得をする公的機関と言えば「ハンセン病市民学会」なのでしょうか。しかし何をどうすれば良いのでしょう・・・私には分かりません・・・(汗;)

今は、派遣社員の解雇、社宅の強制退去などが深刻な問題になっています。それでもその方々にも、去年度の収入に見合った税金の支払いはあることでしょう。この例に限らず税金に苦しんでいる方々の怒りもわかるような気がします。しかし、その怒りは国に向けるべきもので、療養所の方々が永い戦いの結果に得られた今の生活に向けられるものではないはずです。

しかも匿名の悪意の攻撃など、無視するしかないですね。こういう行為しかできない人間は、おそらく療養所の方々だけではなく、無差別に匿名の悪意の攻撃をしているはずです。療養所の方々はお悩みにならないで、堂々とお暮し下さいますように。生意気を申し上げました。ご容赦くださいませ。
 
    (リベル) あ、ご免なさい。知らずに書いていて投稿してしまいました。そのためにお尻の下に敷いてしまったような、変な具合で・・・^^

そうなのでしょうね、相手は匿名なのですし、無視をして堂々とお暮らし頂けば・・・有難うございました・・・m(_ _)m(1.10 07:29)
 

Svitraに関して

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 9日(金)02時22分57秒
返信・引用  編集済
  約3日かかったと思います、ようやく纏まりました。「ハンセン病」とサンスクリット語の第4章の(二)です。


「スシュルタ・サンヒター」に「śvitra」が登場するのは第1篇「総説篇」・第45章「液体の用法」が最初で以下計15回ですが、そのいずれにも「kuṣṭha」や「kilāsa」のような症状の説明は有りません。(参考:「スシュルタ・サンヒター」を読み解く

冒頭に解説した通り「梵和辞典」では「白癩」、「梵英辞典」では「white leprosy」や「vitiligo」とされているのにも拘わらず、和訳「スシュルタ本集」ではご覧のように「白斑病」(1回)や「白皮病」(14回)と訳され、英訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」では「psoriasis=乾癬」(1回)、「leucoderma(注3)」(3回)、「śvitra」(10回)などと訳し分けられているのです。そしていずれも、何故そのように訳し分けられたのか、理由は全く不明なのです。

最初に結論を書きますと、私は「śvitra」を現在の「尋常性白斑」であると推測します。以下に四つの理由を述べます。

@「梵英辞典」ページ画像

「梵英辞典」に「vitiligo」と書いてあり、脚注に「Suśr」と記されているところから明らかです。「Suśr」は「スシュルタ・サンヒター」のことです。

A「スシュルタ・サンヒター」

「スシュルタ・サンヒター」の「第2篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)」では皮膚病全般を扱い、詳述しているのですが、「kilāsa」は記述してあるにもかかわらず「śvitra」は姿が有りません。(参考:「スシュルタ本集」を分解する

B英訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」ページ画像

英訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」では「leucoderma(śvitra)」と記述しています。「leucoderma」は「尋常性白斑」の症状を意味します。

CS.G.ブラウンの記述

S.G.ブラウンは著書『聖書の中の「らい」』(p.21)の中で「白斑病」を次のように説明しています。

「らいの障害はけっして色素がなくなることではありませんが、レビ記一三章ではくり返して皮膚や毛髪の白さを強調しています。ある人はツァーラハトを一種の白斑病(中世ヨーロッパや現代インドにみられる「白らい」)とみるのですが、この見苦しくはあっても、あまりにもありふれた病気が「らい病人は一人残らず幕屋から追い出せ」という命令を作り出すほどの恐れを抱かせたとは考えられません。またある人はやせ衰えた胎児に似ているといいます。「母の胎から肉が半ば滅びうせて出る死人のように」というのは白斑病や良性の一時的な発疹や乾癬(中世ヨーロッパやアラブ諸国の「白らい」)をあらわしているとは思えません。ついでに言えば、今でもこの描写のような色素を失った斑点をみつけると、まるで真のらいにかかったような恐怖と拒否反応を示す人がいます。」

この記述は些か矛盾を含んでいますが、ここに「白らい」と書かれている疾患を「見苦しくはあっても、あまりにもありふれた病気」、「色素を失った斑点」と受け取るなら、現在の「尋常性白斑」を指していると考えられます。
                                                             以上

念のために書き添えますが、ブラウンの引用文の中に「白斑病」が出て来ます。これは同著の27ページにも出て来て、その部分ではこのように記されているのです。前に一度ここにも書きましたが・・・

「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料はインドにあり、紀元前六〇〇年頃まで時代は下ります。それより以前の口伝をふまえていることは事実ですが。ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています。皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病とは区別されています。」

訳者石館氏又は翻訳協力者が、大地原氏の「スシュルタ本集」を参照された可能性は無視できません。ブラウン氏の原著を読まないとハッキリとは言えませんが・・・。


あとは「kilāsa」の残り2項を書いて、最後の「終りに」をさあ、どう纏めるか?実はドラマ顔負けのどんでん返しが仕組まれているかも・・・決して気を持たせようとしているのではなく・・・(^^)
 

こういう場合は・・・?

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 9日(金)00時25分38秒
返信・引用  編集済
  「志村康さんとキャッチボール」を読んで驚きました。無断転載させて頂くと・・・

「このところ自治会がマスコミを介して社会に向かって発言しますと、俺たちの税金で食べているのに感謝こそすべきで、不満を国や社会に向かって言うとは何事かという反論が帰ってくるようになりました、勿論手紙の主は無記名で送りつけられてきます。

せめて住所氏名を明かしてくれれば、話し合いや場合によっては説得も出来ると思いますが、お定まりの匿名ではどうしようもないストレスがたまります。」

こういう輩に反論や説得をする公的機関と言えば「ハンセン病市民学会」なのでしょうか。しかし何をどうすれば良いのでしょう・・・私には分かりません・・・(汗;)
 

今年もよろしくお願いします

 投稿者:清見久夫  投稿日:2009年 1月 7日(水)16時47分38秒
返信・引用
  リベル様、今年もよろしくお願い申しあげます。

年末に、私の掲示板「太陽の村」に、ご挨拶をいただいておりました。
いつものことながら、私からは遅くなっての挨拶となってしまいました。

Ichiro様、皆さまにも、よろしくお願い申しあげます。


今年もよろしくお願いします、
 
    (リベル) あ、清見さん、ようこそいらっしゃいませ。「わたしたち発メッセージ」を時々訪問して啓発されています。

今年もどうぞ宜しくお願い致します・・・m(_ _)m(1.8 00:50)
 

この凄さをご覧下さい!

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 7日(水)02時39分15秒
返信・引用  編集済
  試みに一部をテキストにしました。これは今書いている「ハンセン病」と梵語の「法華経では」の一部分の「タグ」なのです。余りにも重いのでよく調べたら、こういう異常が発生していて、目下除去作業中で、その作業は年を跨いでしまいました。

「見苦しくはあっても、あまりにもありふれた病気」という「尋常性白斑」を説明する一節にこれだけのタグが付いてしまいました。必要なのは赤文字で示したものだけなのです、重いのも道理です。

こんな非生産的な作業!早く終わりたい・・・(^^;)
 

余談:塩分控え目

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 6日(火)05時28分37秒
返信・引用  編集済
  1ヶ月ほど前に、高血圧の話を書きました。あれから食卓上に醤油と食卓塩の姿が見えなくなりました。いえ実際には有るのですが私の視界からは消えました。唯一「刺身」と「にぎり寿司」の場合は視界に登場します。が申し訳に一滴程度付けるだけです。

目玉焼きも生野菜も天麩羅も焼き魚も、兎に角料理人(連れ合いは極端な薄味派なのです)がほどこした味付け以外は一切塩分を加えません。醤油も塩もドレッシングも天つゆも絶対に使わない、それで正月も過ごしました。薄味の美味しさ、自然素材の味の素晴らしさを、お陰様で知ることが出来、思う存分満喫致しております。(勿論、口惜し紛れの痩せ我慢^^)

とにかく徹底した「塩分カット」、それは事実なのです。そしてやはり、血圧は目に見えて下降して参りました。この一ヶ月170を上回ることが無くなってきました。先程測ったのが148/78。深呼吸を10回もすれば恐らく130を切ることでしょう。もう一ヶ月続けます。

そうです、9日に医者へ行きます。ここで過去一ヶ月の血圧の表(二日か三日に一回)を見せて、先ず現在3種類貰っている薬を2種類にして貰う積りです。「高血圧は薬で下げるな!」ですから、製薬会社や無策の厚労省の言いなりになんぞ、なるものかっ!!!(^^)


クロード・モネ「王女の庭園」
 

Re: 無らい県運動 熊本県が検証 

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月 5日(月)21時06分47秒
返信・引用  編集済
  > No.4083[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

 了解しました。努力します。私は色々検証したのですが、肝心の「復権への日月」が2月としか言っていませんので、悩ましい所です。検証が失敗すれば、全患協自体、2月という意識しかもっていなかったという可能性もあります。もっとも主人公は全患協であるので、全患協が主張すれば、私の主張ミスということになり、私はpriorityを主張いたしません。私は単に日日を知りたかったのです。Ichiro

  追加:そこにおられる人に調査依頼してもいいと思いますが、館長さんは成田先生で、昔、自分が調べなかったミスを認めるとは思えず、トホホ
 
    (リベル) 私も単に正確性を追っているだけなのですが、「復権への日月」他何を探しても正確な記述は見当たらないのです。

「全患協運動史」p.48やp.200、「多磨」2001年の成田稔氏の「『癩』から『ハンセン病』へ」などをつぶさに読んでみても、当時の全患協は長谷川保衆議院議員の「癩予防と治療に関する質問主意書」の提出を中心に「らい予防法闘争」の正に正念場を迎えた時期で、他のことに手を染めている時間がなかったのかとも想像されます。

何とか知りたいとは思いますが、実は殆ど諦めに近い心境で・・・トホホ・・・^^(1.6 04:33)
 

Re: 無らい県運動 熊本県が検証 

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月 5日(月)12時42分29秒
返信・引用
  > No.4082[元記事へ]

リベルさんへのお返事。

恵楓園の10坪住宅の写真には、昭和16年とあり、本妙寺事件の後ですね。その前の記載に昭和11年に三井報恩会により一時救護所2棟竣工とあります。(定員50名)
>
> Wikipediaには「管理人」というか「監視者」が居て、「持説」・「自説」を削除して回っています。私は実は「人名歴史年表」に関して最近、勝手に「独断的削除」をされた経験があります。誠に腹が立ちましたが、未だ静観しています。

 私も腹を立てていますが、前に戻すためには根拠を作ってからと思っています。そうでないと、いたずらに喧嘩になりそうです。

 2月1日の雑誌はある先生に貸したのですが、あまり貸した本が多くてどこかにいったらしい。考えてみたら、まだ調べられるので、誰か行った人調べてください。(私が調べた時期は高松宮がついていた時代です)

 Ichiro
 
    (リベル) Wikipediaも無責任な有象無象が書きまくるので、そうです無断削除した何とか委員とか称する無節操な「監視人」も含めますが、こういうネット社会の「ダニ」は断固排斥すべきだと思います。この連中は匿名を隠れ蓑にした卑劣漢だと私は思っています、官僚と良い勝負でしょうね・・・、嘆くべき事です。

>2月1日の雑誌はある先生に貸したのですが、あまり貸した本が多くてどこかにいったらしい。考えてみたら、まだ調べられるので、誰か行った人調べてください。(私が調べた時期は高松宮がついていた時代です)

それは違うと思います。出典の明示はあくまで自己責任でしょう、私はそう思います。さもなくば根拠が明白になるまで取り敢えず、持論を取り消すべきでしょう、潔く。私は一刻も早く証明される時をお待ちしているのですが・・・^^(1.5 17:34)
 

Re: 無らい県運動 熊本県が検証 

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 5日(月)01時33分52秒
返信・引用  編集済
  > No.4081[元記事へ]

>  数字はよくわかりません。私は本妙寺事件から、熊本県の無らい県運動が始まると思っていましたが、「壁をこえて」には10坪住宅の写真があり、その前に始まっていたかもしれません。

十坪住宅については少し纏めたものがありますので参考になさって下さい。歴史上の数字については「よくわかりません」を放置しておいてはならないというのが私の主義で、つい深入りして苦汁を嘗めているのですが。

今思い出して、「Wikipedia」を見てきましたが、Ichiroさんの持説である「1953年(昭和28年)2月1日に、「全国国立癩療養所患者協議会」(全癩患協)を「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会」(全患協)と改称し、「癩」という言葉を消すことに成功した。」がそのままになっています。この「1日」という日付については、「高松宮ハンセン病資料館或いは全患協の職員の発言の記憶」と当時(2006.10.19頃)承って居ましたが、ご自身のお書きになった「すけっちぶっく」以外の文献の記録はやはり見当たらないのでしょうか?私は自分のサイトから「1日」は削っています。(当時のBBSでのやりとり

Wikipediaには「管理人」というか「監視者」が居て、「持説」・「自説」を削除して回っています。私は実は「人名歴史年表」に関して最近、勝手に「独断的削除」をされた経験があります。誠に腹が立ちましたが、未だ静観しています。「Wikipedia中立的な観点」を一読されることを、お勧めします。
 

Re: 無らい県運動 熊本県が検証 

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 1月 4日(日)20時23分2秒
返信・引用
  > No.4080[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

 数字はよくわかりません。私は本妙寺事件から、熊本県の無らい県運動が始まると思っていましたが、「壁をこえて」には10坪住宅の写真があり、その前に始まっていたかもしれません。

 Ichiro
 

無らい県運動 熊本県が検証 

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 4日(日)00時15分25秒
返信・引用
  標題の記事が昨日の西日本新聞に出ています。そこに「無らい県運動」の解説としてこのように書いてあります。

「「らい病」と呼ばれたハンセン病の患者ゼロを目指した運動。愛知県で1929年に始まり、患者の「絶対隔離」を打ち出した改正癩予防法公布の31年以降は全都道府県に拡大した。運動に合わせて療養所が増設され、40年には「1万人隔離」を達成。その後は新規発症患者の減少などで衰退した。(後略)」

これらの数字は実は、山本俊一著「日本らい史(p.127)」、熊本地裁判決(第二章、第二)、「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書(2005年)などでオーソライズされたもので、後に「ハンセン病市民学会・年報・2007(p.44〜)」に掲載された佐藤労氏著「ハンセン病『無癩県運動』の発端について」によって反論されています。この反論は議論の余地がないだろうと私は思っています。

なお「40年には「1万人隔離」を達成。」の根拠も不明です。これについては自作の一覧表の作成過程まで説明する必要があるので、大谷藤郎著「らい予防法廃止の歴史(p.218)」を参照なさって下さい。沖縄との合計数が1950年に初めて1万人を上回っています。これをつつき始めると愛媛県や邑久光明園のホームページに出ているものは厚労省の恐らく「健康局」作成のものであり、大谷氏の引用して居られる「国立療養所史」は「医務局」なので部局によって数字が異なることは常ですからとてもとても堪ったものではありません。私はこの二つに「復権への日月p.278」を加えて、信憑性の高そうな数字を拾う他有りませんでした。

西日本新聞の記事の「40年には「1万人隔離」を達成。」の出所は未だ不明であります・・・頑張ってみます・・・(>_<)
 

「スシュルタ本集」を分解する

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 3日(土)05時42分38秒
返信・引用
  「スシュルタ本集」第二篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)を分解すると言うページを作ったことは既報の通りなのですが、作りながら、そして読み返しながら、奇妙な感懐に打たれました。「感動」と呼びたくなっているのです。文語体で、奇妙な漢字も出て来て、読みにくいことは間違いなしなのです。

しかし、「分解」して反芻している時、昨年追加したように「皮膚病&癩病」の裏付けをここに見いだしたりもしました。またお屠蘇も抜けて新鮮な気分で読み返すと、もう一つ重要なことが見えてきました。前書きに追加しておきましたが・・・


『最後にこの「分解」作業を通じて私の感じた新鮮な驚きについて、触れさせて下さい。文語体で馴染みが無く読みにくいのですが、何十回と読んでいて感じました。2,600年前に書かれた医学書として、実に理路整然一分の隙もなく構成されていると言うことです(繰り返しになりますが、唯一の破綻は「白皮病」の挿入なのです)。そして最後に不治の病の「業病性」を唱えざるを得なかったのは、当時としてはむしろ当然であったかも知れないと、感じさせられました。でも「遺伝説」などの迷妄には至らず「伝染説」で締め括られている所など、お見事との賛辞を呈したくなるのは私だけでしょうか・・・。』

あたかも、と言うよりこれは、もう一度読み返して下さいと、強要しているようなものです。勿論10人の内の9人まではお読みにならないだろうと諦めては居ます。

私は実は「ハンセン病」と梵語のあとがきをほぼ書き終えています。その一部をご披露します。私の感動を幾らかでも理解して頂きたいと願って・・・


『それにしても、ヴェーダ文献や仏典など2000年近く前の記述の検証を行うことに何の意味が有るのだろうという疑念は常に私に付き纏って離れなかったことは確かです。
 しかし、「歴史」は現代も常に検証され、見直され続けています。「真実」は常に追求され続けなければいけないからでしょう。
 私のこの小文が刺激となり手掛かりとなって、更なる研究が、優秀な方々によって続けられれば、これに勝る喜びはありません。』
 

tamaさんの取り組み

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 3日(土)04時42分49秒
返信・引用  編集済
  ここではtamaさんでお馴染みの柴田隆行氏が「ハンセン病における図書館の役割」という論文を纏めて居られます。綿密な調査に基づく誠に精緻を極めた論文で、一読緊張感に襲われました。

今は「上巻」のみですが「下巻」発行が待たれます。取り急ぎご紹介申し上げました。
 

明けましておめでとう御座います

 投稿者:リベル  投稿日:2009年 1月 3日(土)04時40分26秒
返信・引用  編集済
  元旦、二日と朝から殆ど泥酔状態で、レスを書くのに精一杯という為体で午後這うようにして、近所の中山観音に・・・。丁度本堂の屋根を葺き替えるので瓦の寄進を呼びかけていました。孫の大学受験の合格を願って千円を投じ、念のためにデジカメに収めて持ち帰って、鼻高々ご披露したまでは良かった。

指摘されて気付いたら日付を「2001年1月2日」と・・・(>_<)何をやらしても、どこか一カ所、失敗をしでかすようになって参りました。

本年もどうぞ宜しくお願い致します・・・m(_ _)m
 

謹賀新年2

 投稿者:きょうこ  投稿日:2009年 1月 1日(木)11時15分11秒
返信・引用
  リベルさん、
昨年もちょくちょく、ハンセン病リンク集を利用させていただきました。
今年も資料を探しにうかがいますので、よろしくお願いします。
 
    (リベル) きょうこさんご無沙汰しております。きょうこさんのご活躍はいつも拝見して、感服しております。地道な活動は大変貴重で、欠かせないことですね。

今年も相変わりませず、どうぞ宜しくお願い致します・・・m(_ _)m(1.1 16:55)
 

謹賀新年

 投稿者:ルリカケス  投稿日:2009年 1月 1日(木)09時03分21秒
返信・引用
  リベルさん

あけましておめでとうございます。

昨年はお世話になりました。今年も宜しくお願いたします。
 
    (リベル) ルリカケスさん、おめでとう御座います。

今年も相変わりませず、よろしくお願い致します・・・m(_ _)m(1.1 16:46)
 

ご挨拶

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月31日(水)12時49分19秒
返信・引用
  リベルさん。
本当にたくさんのことを教えていただきました。
よき1年でした。ありがとうございます。どうぞよいお年をお迎えください。
 
    (リベル) いえいえ、こちらこそです。

今年は本当にいろいろな面で教えて頂いたり、触発されたり有益な時間を与えて頂きました。残り少ない(又言っている^^)時間を充実させて頂いたことは、言葉で言い尽くせない幸福でした。本当に有難うございました・・・m(_ _)m(12.31 16:48)
 

年末のご挨拶

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月31日(水)12時16分30秒
返信・引用
  今年も大変お世話になりました。心から感謝しております。有難うございました。

皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい・・・m(_ _)m
 

追加:「スシュルタ本集」を分解する

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月31日(水)01時49分13秒
返信・引用  編集済
  昨日、下にこう書きました。


今出来立てのホヤホヤのページをご紹介します。タイトルは「「スシュルタ本集」第二篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)を分解する」という馬鹿馬鹿しく長いものです。これは「スシュルタ本集」の269270271272ページをそのままテキスト化し、小見出しを付けたものです。

何のために、こんな作業を行ったか、それを説明する役を「『まえがき』の引用」にやらせましょう・・・


 このページでは「スシュルタ本集」の『第二篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)』を読み易く整理しています。長い第5章を分解して、小見出しを付けました。何故そういうことをしたかには、読み易く分かり易くするため以外の理由があります。それは「白皮病(kilāsa)」が第5章で占める位置を確かめることにあります。第5章でスシュルタは皮膚病を大皮膚病と小皮膚病に分け、その種類を細かく説明し、次にそれぞれの症状を順に説明しています。ここで大皮膚病にも小皮膚病にも分類されていない「白皮病(kilāsa)」が何故唐突に登場しているのか、著者スシュルタの本意は何であったのか、それを読み取るため、そして皆様にも読み取って頂くためにこのページを作りました。私の下した結論は以下の通りです。
 スシュルタの生きたB.C.600年頃、皮膚病は一般に「kuṣṭha」と呼ばれていました。その中の重度なものを大皮膚病、軽度なものを小皮膚病と彼は分類しました。しかし彼にとって古い文献である「アタルヴァ・ヴェーダ」に「kilāsa」という病名が記載されている。そして然るべき症状も存在している。ならばということで例外的に単独の病気について一項目設けた、設けざるを得なかった・・・。


ここで私は、極めて重要なことを見落としていました。それを次に追加します。

この分析から私達はもう一つ大きなことに気付きます。それは 『(九)「癩病(皮膚病)」のまとめ』 に要約されている、「皮膚病」は徐々に深部に入り込んで遂には不治の「癩病」に至るとする考え方です。スシュルタが「kuṣṭha」をこのように捕えていることは「ハンセン病」と梵語でも解説していますが、ここにその歴然たる叙述が見られます。

これで「スシュルタ本集」を分解するは一応完結です。見当たらなかった漢字「衡」と「粗」も見付けてきました、それぞれ読み方は・・・???

「きんしょう=身体の一局部が腫れて熱をもち痛むこと。炎症。」と「そぞう=質があらく、手ざわりがざらざらしていること。きめのあらいこと。」「粗糙」には参りました。辞書に無し、検索しても読みが出ていない、結局「日本国語大辞典」で発見!ああ、疲れました・・・^^


今日は最後の踏ん張りで、「」と「」を一気呵成に仕上げようと、飯もシッカリ食ったのですが、オツムのほうが今一で・・・来年に延期か、情けない・・・(^^)
 

「スシュルタ本集」を分解する

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月30日(火)05時12分20秒
返信・引用  編集済
  今出来立てのホヤホヤのページをご紹介します。タイトルは「「スシュルタ本集」第二篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)を分解する」という馬鹿馬鹿しく長いものです。これは「スシュルタ本集」の269270271272ページをそのままテキスト化し、小見出しを付けたものです。

何のために、こんな作業を行ったか、それを説明する役を「『まえがき』の引用」にやらせましょう・・・


 このページでは「スシュルタ本集」の『第二篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)』を読み易く整理しています。長い第5章を分解して、小見出しを付けました。何故そういうことをしたかには、読み易く分かり易くするため以外の理由があります。それは「白皮病(kilāsa)」が第5章で占める位置を確かめることにあります。第5章でスシュルタは皮膚病を大皮膚病と小皮膚病に分け、その種類を細かく説明し、次にそれぞれの症状を順に説明しています。ここで大皮膚病にも小皮膚病にも分類されていない「白皮病(kilāsa)」が何故唐突に登場しているのか、著者スシュルタの本意は何であったのか、それを読み取るため、そして皆様にも読み取って頂くためにこのページを作りました。私の下した結論は以下の通りです。
 スシュルタの生きたB.C.600年頃、皮膚病は一般に「kuṣṭha」と呼ばれていました。その中の重度なものを大皮膚病、軽度なものを小皮膚病と彼は分類しました。しかし彼にとって古い文献である「アタルヴァ・ヴェーダ」に「kilāsa」という病名が記載されている。そして然るべき症状も存在している。ならばということで例外的に単独の病気について一項目設けた、設けざるを得なかった・・・。


このページは実は「ハンセン病」と梵語C「アタルヴァ・ヴェーダ」の影響を補強するためのものに過ぎません。ご面倒ですがお読み頂くと、実は予想より遥かに面白いのですが、でも残念ながら読んでは頂けないと思っています。せめて小見出しだけでも・・・いや押し売りは止めておきましょう・・・(^^)


「電話四番」ってかなり田舎かなあ・・・(三川村
 

Re: 白斑癩(備忘録)

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年12月29日(月)21時20分5秒
返信・引用  編集済
  > No.4068[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

  らい性白斑を大きく取り上げる意義がわかりません。もちろん白が問題であろうことは承知いたしています。
 白斑であれば、前に述べたかもしれませんが、その人の色の黒さが問題でしょう。いろいろ皮膚科の教科書を調べると、尋常性白斑は黒人の病気であると書いてある本もあります。白人に白斑は、目立たないのは当然でしょう。らいにおいても、日本人であれば白斑は自然に治癒するせいか目立ちません。(宮古島における経験より)

 白斑があれば、有色人種の皮膚に正常化の動きがあるでしょう。仮に白斑が問題とすれば、色の黒い人における、病型の統計に非常に影響すると思います。南洋のある国にIndeterminateが多い、などです。もっともこの病型も殆どが自然治癒しますが.....

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、いらっしゃいませ。

専門家としてのご意見を、有難うございました・・・m(_ _)m(12.30 00:33)
 

白斑癩(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月29日(月)02時02分25秒
返信・引用  編集済
  今、「kilāsa」のところを書いているのですが、大地原氏は「訳語」として「白斑癩」と「白皮病」の二語を挙げています(1971年)。もう一度この二つを古い辞書(1936年の「大辞典」)などを引っ張り出して調べている内に、かつてドン・キショットさんが編集提供して下さった「南山堂 医学大辞典」に行き着きました。ここには「癩性白斑」として次のような解説があります。これは「kilāsa」や「白癩」(おっと、この二つを併記するのは、手の内をお見せしたことになりますが、マアイイヤ)の正体を暴くのに(いや結論は「暴けない」のですが???)参考になりますので、備忘録的にコピペします。

「[仏:leucodermie lepreuse 、ラ:leukoderma leprosum] 癩患者の皮膚にみられる脱色斑で,初期の唯一の徴候たる場合もあるが,しばしば炎症性発疹の吸収後に生ずる.癩性白斑はその形態,大きさ,色調は種々,境界は多くは不鮮明,尋常性白斑のごとく完全脱色斑でない.白色人種では見いだしがたく,黄色人種ですらときに見過ごされる.しかし該斑に一致して知覚麻痺の証明される場合には容易に癩性と診定される.特に紅斑で囲繞された病型では周辺暈に知覚異常,中心部白斑に知覚麻痺を認めるが,往々知覚異常を伴わない場合もある.該斑における発汗機能がおおむね減弱するために表皮が乾燥して粗糙の感を呈し,健常な皮膚光沢を示さない点が有力な鑑別資料となる.(太字はリベル)」

ここで労を惜しまず「感染症情報センター」のサイトから・・・

ハンセン病の病型:らい菌の数、皮疹の性状や数、知覚障害、神経肥厚、運動障害、病理組織所見などで患者間に多様性がみられますが、これはらい菌に対する生体の免疫能の差で、病型として分類されています。発症初期のI群、その後治癒するか、または進展してらい菌に対し免疫能が高いTT型、全く反応しないLL型、それらの中間のB群(BT型、BB型、BL型に細分する)に進展していきます(Ridley‐Jopling 分類)(図19)。

またTT型などは検査でらい菌を検出しにくいので少菌型(paucibacillary:PB)、LL型などはらい菌を検出できるので多菌型(multibacillary:MB)とも分類されます。(太字はリベル)」

ここに一昨日紹介した「病型分類」の図が入っています。

また、昨日「全生園医療過誤事件」でお馴染みの内藤雅義弁護士からWHOの最近の治療データなどの資料を頂戴し、更に臨床例に肉薄しつつあります。

備忘録ですが、この辺で一度ご機嫌窺い(誰の?)をしておいて、さあどれだけ「kilāsa」、「śvitra」、「白癩」にそれこそ肉薄できるか???
では作業場へ行って参ります・・・(^_^)/~
 

こんにちは。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月28日(日)13時09分35秒
返信・引用  編集済
  > No.4065[元記事へ]

>予定(今日は「kilāsa」を纏めるべく起き出す前に布団の中で構想を立てていたのです、あずきさんを恨まなければ・・・^^)を変更しました。

すみませぬ。わたくしは一つの例として「吉本隆明」を出しただけですよ(^^)。

> これでしょうね、吉本隆明さんの・・・

はい。そうです。梅林加津さんのご著書をきっかけとして、是非短歌に親しんでくださいませ。それから、おそらく「ハンセン病文学全集」のなかで、「短歌の巻」は特に編集者が力を入れたものと思われます。
(いえ、すべてがそうなのですが。)
 
    (リベル) いやいや、「kilāsa」の追求などより遥かに心を豊かにしてくれる、良いお話しを承り、そして読ませて頂きました。関西弁で「どつかれた」という感覚です、本当に感謝しているのです・・・m(_ _)m

この頃短詩が少しずつ分かるようになって来ているのを感じます、昨日書いたように、お陰様です本当に。これまで全く敬遠していた俳句や短歌に一歩一歩近づいて居るのが自覚できて、嬉しいのです。残念なのは残された時間が・・・もう、言いますまい・・・(^^)(12.28 17:12)
 

Re: 藤野豊氏解雇?

 投稿者:tama  投稿日:2008年12月28日(日)09時59分40秒
返信・引用
  > No.4056[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 「GoogleMail」にアラート機能が有って情報集めに役立てているのですが、そこからフト或るサイトにこんな噂が有るのを見付けました。
「2007年5月、リストラのため富山国際大学より2010年度末の解雇を通告される。(2008年9月4日書き込み)」

これはたんなる「噂」ではなく、藤野氏の『ハンセン病 反省なき国家』(2008年、かもがわ出版)の「あとがき」にその旨詳しく明記されています。
経緯説明のあとに、こう続けられています。
 「解雇後は、今のように史料調査のために全国を飛び回ることは難しくなります。したがって、わたくしが研究に専念できる時間はあと少しです。しかし、わたくしの前には、書かねばならない著書や論文が立山連峰のように幾重にも立ちふさがっています。とにかく、研究に専念できる時間がある間に書けるものは書いていかねばなりません。そこで、本書の執筆を一気に進めました。」(205ページ)
 そういうわけではありませんが、本書は良い本だと私は思いました。
 
    (リベル) tamaさん、有難うございました。やはりそうでしたか。藤野さんは今57歳でしょう。こういう方にもっと自由に研究時間と経費を供与するような大学なり機関なりが有るべきだと思います。天下り役人一人減らせば可能なことだと思うと、腹が立って仕方がありません。

「ハンセン病 反省なき国家」はまだ読んでいません。早速読んでみます。有難うございました・・・m(_ _)m(12.28 12:16)
 

続・Re: 梅林加津著「海人断想」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月28日(日)02時43分1秒
返信・引用  編集済
  > No.4064[元記事へ]

> 梅林加津さんの「海人断想」は、同人誌に連載されていた時から、拝読しておりました。その折に、わたくしも「海人」を本気で読み直しするつもりで、「一桁違う全集」の方に手を出しました(^^)。「海人」は短歌の歴史に間違いなく残る方です。
>
> その連載が一冊のご著書になったことを嬉しく思います。
> 吉本隆明も「海人」解釈を著書にされていますが、吉本でも気付かないであろう視点が梅林加津さんにはありました。


下のレスを書いてから、あずきさんところへ伺って、結局遡って「ハンセン病文学全集・8・短歌(その一)」に辿り着きました。そして二つのことに感動して、予定(今日は「kilāsa」を纏めるべく起き出す前に布団の中で構想を立てていたのです、あずきさんを恨まなければ・・・^^)を変更しました。

一つは今更何を言っていると思われるでしょうけど、「ハンセン病文学全集」を思い立ちここまで持ってこられた北風さんの素晴らしさ、凄さです(北風さん、何もレスしないで下さいね、書き難くなりますので^^)。やはり「金字塔」だなあと再認識させられました。

もう一つはここに紹介されている赤沢正美氏の短歌です。これも凄い。グイ!と引き込まれてしまいました。

急に短歌づいたな、この野郎!と思われそうですが、一昨日書いた「ハンセン病の歴史」関係が一段落を見たら、短歌の本をいろいろ読んでみようかなどと、真剣に思っています。いや参った参った、参りました・・・(嬉しい悲鳴^^;)


これでしょうね、吉本隆明さんの・・・
 

Re: 梅林加津著「海人断想」

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月27日(土)23時47分8秒
返信・引用
  > No.4060[元記事へ]

梅林加津さんの「海人断想」は、同人誌に連載されていた時から、拝読しておりました。その折に、わたくしも「海人」を本気で読み直しするつもりで、「一桁違う全集」の方に手を出しました(^^)。「海人」は短歌の歴史に間違いなく残る方です。

その連載が一冊のご著書になったことを嬉しく思います。
吉本隆明も「海人」解釈を著書にされていますが、吉本でも気付かないであろう視点が梅林加津さんにはありました。
 
    (リベル) やはり 疾くにご存知でしたか!

「うーむ」と本当に呻きながら、読んでいます。素朴な語り口が、並並ならぬ洞察力を一層際立たせるのでしょうか?

「一桁違う全集(^^)」の到着を待ち焦がれて居ます・・・^^。

吉本氏の著書の名を・・・まで書いて、検索しました。「吉本隆明 明石海人」で。何と丁度2年前のあずきさんのサイトが一番に出て来ました。恐れ入りました、今からそちらへ戻りまあす・・・(^_^)/~(12:28 02:08)
 

余談:馬鹿言ってんじゃないよ〜

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月27日(土)17時57分37秒
返信・引用  編集済
  今日島田伸介の「行列の出来る法律相談室」という番組の年末特集かな、を視ていました。磯野貴理さんがこんな話をしました。

採点が出るカラオケで「馬鹿言ってんじゃないよ!」という歌を歌ったところ、得点がなんと1点だった。私は頭に来て「馬鹿いってんじゃないよ!」と叫んだ。

で、私はひっくり返って笑ったのですが、そう笑いは巻き起こらなかったのです。で、フト我に返ったのですが成る程磯野さんの作り話は有名なのです。「言ってんじゃないよ」と「1点じゃないよ」を掛けていたのですね。ベテランはもうその手は食わないぞ、と・・・。


私も単純ではあります。でも単純な方が「しあわせ」なのでしょうね・・・(^^)
 

法令データ提供システム

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月27日(土)07時18分38秒
返信・引用
  下で「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」を検索していて見付けました。既に平成13年には有ったようですが、気付きませんでした。50音検索も有って、便利そうですので・・・。  

平成21年度厚生労働省予算案の主要事項

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月27日(土)07時08分24秒
返信・引用
  平成21年度厚生労働省予算案の主要事項


第9 各種施策の推進・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・65
  1 国際社会への貢献
  2 行政の情報化の推進
  3 社会保障カード(仮称)の導入に向けた検討
  4 科学技術の振興
  5 戦傷病者・戦没者遺族、中国残留邦人等の援護等
  6 原爆被爆者の援護
  7 ハンセン病対策の推進
  8 カネミ油症研究の推進
  9 生活衛生関係営業の指導及び振興の推進


7 ハンセン病対策の推進                      422億円(439億円)

ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」等に基づき、ハンセン病療養所の入所者に対する必要な療養の確保、退所者等に対する社会生活支援策の充実、偏見・差別の解消のための普及啓発等の施策を着実に推進する。


以上、お知らせまで・・・。
 

梅林加津著「海人断想」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月27日(土)05時02分40秒
返信・引用  編集済
  先日皓星社さん(ご存知北風さんの会社です)から梅林加津氏の「海人断想」が出ました。梅林氏より年表から引用したいとのご丁寧な申し出を頂き快諾していた事情から、同著をお送り頂きました。

私は元来短詩が苦手で、ネットでお近づきになったあずきさんしゅうさんのお陰で、少しずつ理解力が付いて来た程度の初心者なのですが、どういうわけか明石海人氏の短歌には昔から特に惹かれて居ました。やはりしかし苦手意識があって、逃げ腰では居たのですが・・・。

今回読み始めたら、まさに素人(と、絵がご専門の著者は自称されています)の視点から短歌を理解しようとされていて、私にもとてもとても良く分かるように解説されており、目から鱗が落ちる思いで一首一首に接することが出来ました。感激の余り、とうとう「明石海人全集(改造社)上下巻(2000円)」を古書店に発注してしまった(皓星社さんの類書は一桁違うので手が出ません)ほどなのです。


さて、感激したのには、実はやはり他の理由もあるのです。この本で最初に取り上げられている歌は・・・

   ふうてんくるだつそびやくらいの染色體わが眼の闇をむげに彩る

このひらかな部分に梅林氏はこう漢字を当てて居られます。「瘋癲痀瘻脱疽白癩」。そしてこう書いて居られます。

「指が曲がるのは、くる病だったら良かったのにと、傷でいたみ失われてゆく手足があれば、これは脱疽病だったらと思ったでしょう。」

また「白癩」を「少菌型」(下図↓)と仮定すれば、「自然治癒もあったかも知れないし、せめて白癩だったらとの思いがあっても不思議ではないのではないでしょうか。」とも。


私が次に取り組もうとしている「kilāsa」について、私は何を隠そう「少菌型」説を採ろうとしていたのです。因縁と申しますか奇妙な符合に愕然としたのでした・・・。何よりもそう仮定することに一抹の不安を抱いていた私は、百万の援軍を得たような感懐に襲われました。

世の中を運営している「大いなるもの」の部下には、こういう「奇縁」という名の一群も居るのかも知れません・・・(^^;)


感染症情報センターHPから
 

ソロクトは今どうなっているのでしょう?

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月26日(金)18時03分4秒
返信・引用
  昨日12月25日、厚生労働省の補償法審査会はソロクトの22名に補償金の支給を決定しました。ソロクトは444人中383人が認定されたことになります。未認定は65名となりました(追加申請が4名有ったため「448人中」となります)。

当初懸念されていたよりも、先ず牛歩ながら進んでいることに、安堵の思いを禁じ得ません。「ゆいの会ブログ」「ソロクト弁護団HP」から資料を得ました。
 

『「ハンセン病」と梵語』の前書き

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月26日(金)00時48分32秒
返信・引用  編集済
  『「ハンセン病」と梵語』の前書き部分が出来ました。毎度申し上げますが、下書きです。何度か見直し・推敲をこれからいたします。「kilāsa」と「śvitra」と「結論」が未だですが、これは来年に掛かってしまいます。

これが完結すると、前々からのお約束の「白癩について」を纏め、それが終わると「世界のハンセン病の歴史」に戻ります。なのでなかなか死ねないので御座います・・・^^


 ハンセン病の歴史を遡っていくと、世界最古の記録はサンスクリット語(以後梵語)で書かれたインドの「スシュルタ・サンヒター」であるとか、日本での一番古い記述は「妙法蓮華経」(梵語から鳩摩羅什が漢訳)の中の「癩」であることなどが分かってきます。では当時、梵語ではどのように表記されていたのか、またその梵語は実際に現在の「ハンセン病」を意味していたのでしょうか。そういう疑問を解決しようとするのがこのページです。

 ただ、このぺーじを作るに際して私が常に留意したことが一つ有ります。現在ではその疾患が「ハンセン病」で有るか否かは「らい菌=Mycobacterium leprae」の存在の有無で正確に示されます。しかし「らい菌」は1873年にA.ハンセンによって発見されたものであり、それ以前に「癩」や「癩病」とされていた疾患は、古くからの記録や伝承にもとづいて医師が行った診断にすぎないのです。私達は2,000年以上前の医師達(たとえばスシュルタやヒポクラテス)が、どのような苦心を払って「癩」や「癩病」を見極め、治療に腐心したかを、想像すること無しに論を進めることは避けなければならないと思っています。

 梵語で「ハンセン病」に関する言葉は「kuṣṭha」、「kilāsa」の二つが代表的です(他に関連する言葉として「śvitra」があるので同時に取り上げて行きます)。しかし「妙法蓮華経」の漢訳の際には「kāyaś citro bhaviṣyati」が「得白癩病」と訳されたり、「kaṇḍulāś」が「疥癩」と訳されたりするとか、「スシュルタ・サンヒター」の邦訳・英訳の際には「kuṣṭha」や「kilāsa」などの訳語が複数個現われるなど、多少の混乱が見られます。これらの言葉は他のヴェーダ文献にも見られますが、ここでは比較的入手しやすい「リグ・ヴェーダ」(B.C.1200年〜1000年頃、邦訳:辻直四郎訳「リグ・ヴェーダ讃歌」1967年)、「アタルヴァ・ヴェーダ」(B.C.1000年〜800年頃、邦訳:辻直四郎訳「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」1967年)、「スシュルタ・サンヒター」(B.C.600年頃、邦訳:大地原誠玄訳「スシュルタ本集」1971年)、「妙法蓮華経」(A.D.2世紀頃、邦訳:植木雅俊訳「法華経」2008年)、の四書を取り上げました。そのそれぞれについて、これらの梵語、「kuṣṭha」、「kilāsa」、「śvitra」などがどのように訳されているか、それらは現在の「ハンセン病」の症状を表現しているのか、その具体例を拾いながら検証していきたいと思います。


鹿しか見ていなかった猟師の目に映った夜明けの冬山
 

見るだけ?

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月24日(水)22時27分58秒
返信・引用  編集済
  http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/000001510103/
(腰の折れにくいワイングラス。何度折ってしまったことか。。。)

http://www.le-noble.com/dishes/search/product_info/001123274175/
(パソコンデスクで使いたいマグカップ。)

以上が気にいりました。
・・・「クリスマスプレゼントに下さい。」と、サンタさんに言っても遅いですね。
 
    (リベル) サンタさんは今頃世界の夜空を駆け巡っているのでしょうか?と書いて、世界中が夜の訳がないと気付いて苦笑・・・^^

40年ほど前横浜に住んでいました。長女と長男のクリスマスプレゼントは自転車をお願いしていました。それを私達は二階の寝室の押入に隠しました。子供達はどこを探しても無いのでたまりかねて寝室の私達を起こしました。さあ、サンタさんは空から来るからどこか高いところに置いていったのかも知れないよ、と言うとパニックから醒めて押入に気付きました。その時の喜びようは今も語り草です。

彼等ももう40台後半に入ります。天皇陛下も後期高齢者におなりです。私は学年で1年下です。あと13ヶ月ほどで追いつくのです・・・嗚呼(^^;)(12.25 03:22)
 

藤野豊氏解雇?

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月24日(水)07時34分20秒
返信・引用  編集済
  「GoogleMail」にアラート機能が有って情報集めに役立てているのですが、そこからフト或るサイトにこんな噂が有るのを見付けました。Wikipediaを見るとこう書いてあります。「2007年5月、リストラのため富山国際大学より2010年度末の解雇を通告される。(2008年9月4日書き込み)」

このブログには「理由は、少子化にともなう学部再編により藤野さんが担当されていた「人権」や「日本近代史」の講座がカリキュラムからすべて消され「就職のため」の講座のみに特化されたためのようです。」と記されていますが・・・?
 

余談:私の贅沢

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月24日(水)03時37分58秒
返信・引用  編集済
  我が家は紛れもない年金生活所帯で貯えも有りません。なのに私の晩酌だけは贅沢を許して貰っていて、「奄美」という黒糖焼酎を呑んでいます。しかも用いる器が凄い。バカラの「アルルカン」のタンブラーオールドファッショングラスなのです。タンブラーは近所のダイエーで4000円チョットで買いました。オールドファッショングラスは8000円を越えました。

毎日使っていると有り難みはとっくに失せて、たまに「アッ!やったか・・・」と思っても壊れていない丈夫さだけが取り柄です。ところが昨日連れ合いが「バカラ壊れちゃった!」と。「そんなバカナ!」とは言わなくて、何のことだか理解するのに時間がかかるから、年寄りは良いのです。ボンヤリ考えている内に、本当は腹が立っているのかも知れませんが怒りは消失してしまって、「そうか、儂より先に逝ったか!」と述懐していました。

連れ合いは弁償すると6000円出しましたが(4000なにがしで買ったのを忘れていて・・・)、ダイエーのそのコーナーが最近潰れていて、もう面倒なのでご辞退申し上げました。一度出した手前、ハイそうですかとも行かないのか「ではまあお詫びと言うことで・・・」と2000円頂きました。また古書の出物でも買おうっと・・・(^^)


随分前になりますが、ピーコが「うっかりコップ落としたら下にもコップが有って2個割っちゃったの。併せて9万円よ。そう、バカラなの・・・」と言うようなことをほざいていたので、それが根っ子に有ってバカナ買い物をしたのだ、という反省が実は有って・・・(恥)
 

「梵語の『ハンセン病』」から「『ハンセン病』と梵語」へ。

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月23日(火)02時56分43秒
返信・引用  編集済
  単なる「言葉」の問題を取り上げたのでは、実は、ないのです。こちらのページも基本的に書くスタンスを変えなければいけないと思っています。タイトルは変更しましたが、中味も大幅に見直します。

理由は、やはり山を見ない猟師になっていることに気付いたからです。口先では「現在のハンセン病を指すのかどうか?」だの「ハンセン病の症状」だのと言っていますが、心の底には「梵語」が先行して居ました。

A.ハンセンが「Mycobacterium leprae」を発見し、それがハンセン病の同定に用いられる19世紀末までは、医師がその症状から経験的に判断を下すほか無かったのです。況わんや古代中国・古代インド、記紀時代の日本に於いて「真性のハンセン病」で有るか否かの判定は「曖昧」にならざるを得ず、「多彩さ」を帯びざるを得なかったのは、むしろ当然でしょう。

その実情に思いを馳せること無く、単に「白癩」がどうの「kuṣṭha」がどうのと言葉の詮索に走るのはいけないと気付いたのです。言葉の詮索が無用だとは思いません、が先ず言葉有りきでは本質を見誤るだろうと思います。「何を今頃言ってやがる、気付くのが遅すぎるよ!」という誹りが聞こえて参りますが、「仰有るとおりで。ま、気付かないよりはマシかと・・・」と、頑固に受け流しておきます。

と言うわけで「梵語の『ハンセン病』」を「『ハンセン病』と梵語」に180度ひっくり返しました。文字通り本末転倒だったのです。

今から「『ハンセン病』と梵語」の本体の文章に手を入れ始めます。やっていること全てに、こういう本末転倒を起こしていないかとのチェックを入れながら進めないと、もう、危ない危ない・・・^^
 

愚挙と言わんか、これは非道いです!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月20日(土)17時19分55秒
返信・引用  編集済
  笹川陽平・著「人間として生きてほしいから」という本が出ました。(報道

驚いて声が出ません。これまでの約90年間、国の誤った政策に翻弄された方々は「人間として生きて」いなかったのですか?今の回復者の方々は「人間として生きて」居られないとでも言うのでしょうか?

中味を読んでいないのですが、そして読めば誤解も解けるのかも知れませんが、このタイトルの無神経さには、驚きと怒りを禁じ得ません!!!

笹川氏の「化けの皮」が剥がれたと言えば言い過ぎでしょうか・・・(;`つ´)怒!
 

「アタルヴァ・ヴェーダ」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月20日(土)02時17分26秒
返信・引用  編集済
  「aruṇa」を梵英辞典で引く(「aruNa」と入力してください)と「a kind of leprosy (with red [cf. AV. v , 22 , 3 and vi , 20 , 3] spots and insensibility of the skin) 」と書いてあります。「cf.」というのは「参照せよ」とか「比較せよ」です。12月16日にも書きましたが、何故モニエル氏はわざわざここで「AV.=アタルヴァ・ヴェーダ」を引き合いに出したのか、それが不思議なのです。

[v , 22 , 3]の辻直四郎氏の和訳は先にご紹介したように「赤き粉を振りかけしがごとき(発疹の症状)」です(ページ画像1)。[vi , 20 , 3]は和訳がありませんので、両方の英訳を見ました。

●[v , 22 , 3]の方は・・・

「Endowed with universal power! send Fever down-ward, far away,
The spotty, like red-coloured dust, sprung from a spotty ancestor.」

参考:この部分の梵語は・・・

「(AVŚ_5,22.3a) yaḥ paruṣaḥ pāruṣeyo 'vadhvaṃsa ivāruṇaḥ |
(AVŚ_5,22.3c) takmānaṃ viśvadhāvīryādharāñcaṃ parā suvā ||3||」

●[vi , 20 , 3]は・・・

「Thou who, aglow with heat, makest all bodies green, to thee, red, brown, I bow, the Fever of the wood.」

参考:この部分の梵語は・・・(注:梵語の「red」はどれか、分かりません。共通する「viśva」は「injurious , hurtful 」の意。)

「(AVŚ_6,20.3a) ayaṃ yo abhiśocayiṣṇur viśvā rūpāṇi haritā kṛṇoṣi |
(AVŚ_6,20.3c) tasmai te 'ruṇāya babhrave namaḥ kṛṇomi vanyāya takmane ||3||」

です。いずれにも「leprosy」の語は有りません。しかしモニエル氏はこの二つを取り上げました。何か理由は有るのでしょうが知る由もなく、これを以て「アタルヴァ・ヴェーダ」に「leprosy」に関する記述が[i , 23 , 1,2,4][i , 24 , 2]以外にも有ると断定するのは少し苦しい強弁かと思います。(取り上げて、表に出すか否かは少し暖めてから決めます)

ただ、辻直四郎氏が[v , 22 , 3]の注(1)でこう述べられていることを、またもや肝に銘じておくのみです。

「病気に関する語句には意味不明のものが少なくない。」
 

Re: 第13回ロードマップ委員会(12月11日開催)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月19日(金)12時29分12秒
返信・引用
  > No.4048[元記事へ]

> 昨日の私の嫌味が聞こえたのでしょうか、打てば響くが如く、標題の議事次第と資料が公表されました。
>
> そうでもないか、「一括ダウンロード」の不具合(これは今メールをしておきました―12.18 17:36)が直っていませんから・・・(^^)


早速返事が来ました。直っています

「三菱総合研究所 ハンセン再発防止検討会事務局です。
メール拝受いたしました。

さっそく確認させていただき、HPチェックさせていただきました。
現在、下記で、第3回「疾病のつくる差別・偏見の克服、国民・社会
への普及啓発」ワーキングの一括ダウンロードができるように
なっております。
よろしくお願い致します。」

私の住んでいる社会では、通常先ずお詫びをするのですが・・・^^
 

余談:クロード・モネ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月19日(金)07時46分53秒
返信・引用  編集済
  撮っておいたモネの生涯を紹介する番組「かくて名画は生れた・クロード・モネ」を視ました。引き込まれて見ました。17歳の時に描いた「ルエルの眺め」を下に張り付けておきます。実物はもっと鮮やかな緑のようですが。

モネのことを調べていて、こんなサイトを見付けました。コレクションが豊富で直ちにお気に入りに入れました。著作権の方がうるさそうなので、今日は引用を控えましたが、今後よく調べて乱用したいと思っています(^^)


ルエルの眺め
 

余談:駟も舌に及ばず

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月19日(金)03時10分19秒
返信・引用  編集済
  唐突ですが「四六駢儷体」という言葉を聞いたことがあります。これは調べたところ大辞林には「〔「駢儷」は馬を二頭立てで走らせる意で,対句構成の文を形容したもの〕漢文の文体。四字と六字から成る対句を多用する華麗な文体。」と書いてあります。

「駢」は「馬」と「并(ならびに)」を併せた文字ですが、これが四頭立てになると「駟」という文字になるのだそうです「漢字の字源(p.180)」。映画「ベン・ハー」のクライマックスに出て来た繫駕レースのあのシーンを初めて観たときは本当に胸がドキドキしました。1959年ですから未だ24歳、でも半世紀前なのですね。あ、脱線しました。

四頭立てになるともう凄く速い。その速い「駟」も「舌」には追付けないと言うのが、標題の言葉なのです。大辞林には「〔論語顔淵〕言葉の伝わるのは四頭立ての馬車よりもはやい。言葉は慎むべきである。」と書いてあります。

「綸言汗の如し」に似ていますがこれは「出た汗が再び体内に戻り入ることがないように,君主の言は一度発せられたら取り消し難いこと。」と広辞苑にも大辞林にも「君主の言」と有りますから「言葉は慎むべし」と言う意味では「駟(し)も舌(した)に及ばず 」を使うのが正しいのだと思います。

どちらにせよ、麻生さんには耳の痛い言葉でござんしょう・・・(^^)

しかし、芭蕉の句に「物いへば唇寒し穐の風」と。この詞書きに、「座右の銘、人の短をいふ事なかれ、己が長をとく事なかれ」だそうですから、こういうことを言うのはもう止めにします・・・^^


ベン・ハーの戦車競争(スピーカーマークの右を押すとフルスクリーンになります)
 

第13回ロードマップ委員会(12月11日開催)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月18日(木)12時41分52秒
返信・引用  編集済
  昨日の私の嫌味が聞こえたのでしょうか、打てば響くが如く、標題の議事次第と資料が公表されました。

そうでもないか、「一括ダウンロード」の不具合(これは今メールをしておきました―12.18 17:36)が直っていませんから・・・(^^)
 

床寿さん

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月18日(木)12時25分15秒
返信・引用  編集済
  朝青龍の床山を長年に渡って務めていた床寿さん(65歳)がこんな話をしていました。当然のことながら髪を結いながら相撲界の伝統や風習などを教え込みます。面白いのは横綱は一度も有難うとか成る程という「返事」をしなかったそうなのです。アナウンサーが「エッ!」という反応を示すと、それを抑えるように「いや、横綱はそうじゃなきゃいけない。」と問答無用と言わんばかりに突き放しました。

私は朝青龍を受入れませんがそれはそうとして、この床寿さんの言葉は立派だと思いました。「職人」と呼ばれる人たちに共通した、このようなズッシリと重い根を持った信念には、私は無条件に打たれるのです。

私は何と軽佻浮薄に、人生を送ってきたのだろうと(恥)・・・がんばらねば・・・^^
 

踏飛燕銅奔馬

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月18日(木)10時59分13秒
返信・引用  編集済
  平山郁夫の作品にありました。
友人が同人誌を「飛燕」と名付けましたので、ちょっと気になって調べてみました。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~galileo/hirayama-uma.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E7%87%95
 
    (リベル) おおっ、有難うございました。

そうなのです、漢の武帝が張騫の見聞を聴いて再度彼を西域に派遣し「汗血馬」(太くどっしりしたモウコ馬と違ってアラビア馬の先祖です)を探しに行かせます。これらの西遊が「シルクロード」を整備することになったそうです。(阿辻哲次「漢字の字源」p.190)

下に紹介した漢字のサイトの説明を良く読むと「燕顧首驚視」=「飛燕が振り向いて驚いて視ている」と書いてあります。成る程首を持ち上げて後ろを顧みています・・・^^(12.18 11:56)
 

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