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第三回「疾病のつくる差別・偏見の克服、国民・社会への普及啓発」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月17日(水)04時10分46秒
返信・引用  編集済
  いわゆる「ロードマップ委員会」の分科会です。10月2日に開かれた会議の「議事録」が手間取るのは、まだ分かるのですが、ここにあるのは「議事次第」と「資料」で、これは会議の開催日には公表可能なものです。なぜ2ヶ月半も遅れるのか、解せません。おまけに「一括ダウンロード」が不具合だと来ています。民間委託も何のプラスももたらしていません・・・(;´ρ`)ダメジャ コリャア

「※ ワーキング・グループは、原則公開とし、議事録・資料等は検討会と同様できるだけ速やかに公開する。」とここには書いてあるのですが・・・!
 

続:モニエルの英梵辞典オンライン版

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月17日(水)03時25分5秒
返信・引用  編集済
  昨日95個の梵語が出て来たのですが、中には「leprosy curer」などというのも含まれているのでそれらを除くと66個、その内「スシュルタ・サンヒター」に出ているものを選ぶと21個になりました。

それらを文字通り虱潰しに調べたところ、不審者は見当たらず、「kuṣṭha」、「kilāsa」、「śvitra」、「tvagdoṣa」以外は全て「第2篇「病理篇」 第5章「癩病(皮膚病)」の一覧表」に出ているものでした。(「tvagdoṣa」は12月14日に説明しています。)

調べた結果を一覧表にしてあります。面白いと思われる方はいらっしゃらないかも知れませんが、宜しければどうぞ。これで秘かに抱いていた疑念は払拭されたわけです。「kuṣṭha」、「kilāsa」、「śvitra」の三つの言葉だけを追求しているのは、間違いではなかったということを確信できました・・・(o_ _)oパタッ!

はいお疲れ様でした・・・^^


「銅奔馬」です。踏みつけているのは「飛燕」だそうです。1969年甘粛省の雷台で出土。
少し元気が出るように威勢の良い画像を探しました・・・^^

http://www.epochtimes.com/b5/3/4/21/c12394.htm

 

モニエルの英梵辞典オンライン版

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月16日(火)03時34分50秒
返信・引用  編集済
  梵語の「ハンセン病」の「kuṣṭha」の項の最後に梵和・梵英辞典について書きました。その折、英梵辞典に触れたのですが、妥当でないと判断して中止しました。

ここに「モニエルの英梵辞典オンライン版」が有ります。「English Word」に「leprosy」と入れ、「Maximum」を「all」、「output」を「RomanUnicode」に設定して検索すると、95個の梵語が出て来るので驚きます。「kuṣṭha」だけではない。ページ内検索で「Sus3r」を入れて探すと、42個該当する単語が出て来るのです。

これは、「スシュルタ・サンヒター」の中に、「kuṣṭha」以外に「leprosy」を表す梵語が41個有ると言うことになります。さあ大変なことになったと思ったのですが、最初の単語「aruṇa」を見て安心しました。「a little poisonous animal」だったのです。索引で調べたら、鼠の一種と書いてありました。

ご覧の通り「aruṇa」には多くの意味があってその中の一つに「a kind of leprosy」が有ったから検索に引っ掛かったのですが、ここでまたまた驚くべき発見が有ったのです。その続きに「(with red [cf. AV. v , 22 , 3 and vi , 20 , 3] spots and insensibility of the skin) 」と書いてあるので、目が吊り上がりました。「AV.」というのは「アタルヴァ・ヴェーダ」の略なのです。「ハンセン病の最古の記録」の中で「kilāsa」が有ることを指摘して、一般に言われているB.C.600年「スシュルタ・サンヒター」説に異を唱えて居るのですが、新たに証拠が増えた訳なのです。「v , 22 , 3」は辻直四郎訳「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」に収載されていました。ページ画像(1)(2)をご覧下さい。「赤き粉を振りかけしがごとき(発疹の症状)」とここでは訳されています。モニエル氏は「赤い斑点と皮膚の感覚麻痺を伴うleprosyの一種」と訳しておいでですが、さあどなたが正しいのか・・・?

もう一つ、「スシュルタ・サンヒター」の第2篇「病理篇」・第5章「癩病(皮膚病)」の上から5行目に出ている「紅色癩(aruṇa-kuṣṭha)」がこの英梵辞典では無視されているのが妙ではあります。合成語だからかも知れませんが・・・。(12.16 04:32脱稿)
 

Encyclopia Britannica

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月15日(月)04時02分47秒
返信・引用  編集済
  故有って「chaulmoogra」を検索していました。故と言うのはお察しかも知れませんが、S.G.ブラウン氏が「ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています。」などと書いて居られるからなのですが、そうですやはり気になって。副産物としてこのサイトを見付けました(約10秒でスクリーンがかかります。面倒な方はこちらでどうぞ。)。初めてお目にかかりました。これは最近接した中では最もしっかり研究された内容だと思います。

アレクサンドロス大王の軍やポンペイウスのパレスティナ征服軍の話を「tradition」と見なしているのは、このサイトが初めてです。「Science」誌の2005年5月号の研究を取り込んでいるからです。

また「スシュルタ・サンヒター」についてもこのように書いています。

「There are many difficulties in interpreting ancient medical writings, and the descriptive terms used by ancient authors for clinical conditions are often misleading」

ここまで読んで、私は「我が意を得たり」と深く深く頷いていたのですが、続いて・・・

「 but an illness that fits the description of leprosy almost certainly appears in the Sushruta-samhita, a medical work from India that dates to about 600 bc. 」

と「スシュルタ・サンヒター」については、ノー文句でやり過ごしているので、この点ではガックリしました。「アタルヴァ・ヴェーダ」を見落としていることと、もう一つ、ここにもやはり「interpreting」の問題と「the descriptive termsのmisleading」が有ることをを見逃しているからです。

しかし、ようやく「Science」誌の研究が脚光を浴び始めたのは、良いことです。百科事典が取り上げているのはこれが最初ではないかと思います。頑張れ!!!


私はスシュルタ先生が書いた「kilāsa」=「白皮病」の新解釈に取り組みます。「kuṣṭha」はこれで終わります。
 

新入りをもてなします

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月14日(日)03時28分18秒
返信・引用  編集済
  この索引の「t」の最後の二つが新たに登場しました。「tvagdoṣa」と「tvagāmaya」です。「tvagāmaya」は検索しても全くヒットしません。これは「tvác=skin」と「āmaya=sickness,disease」の合成語だからです。「tvagdoṣa」は四の五の言わせず検索でそのまま「モニエルの梵英辞典」へ連れて行ってくれます。何と「skin-disease,leprosy」なのです。

当時「kuṣṭha」は「癩病」と「皮膚病」の二つの意味で使われていた、と推測した私はどうも正しいようです。「tvagdoṣa」は堂々と二つの釈義を掲げているではないですか。2600年前のインドでは、良くあることだったのではないでしょうか、このように二つの釈義を持たせるのは。やはり「梵和大辞典」と「モニエルの梵英辞典」は間違っている・・・(^^)

新入りの歓迎会を装って、実は自分の新説の「裏打ち」を企んだわけでございます・・・(^^;)だって・・・、ねえ。
 

画竜点睛を欠く?

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月14日(日)01時35分46秒
返信・引用  編集済
  昨日の作文で「スシュルタ・サンヒター」ではの結論を一応書いたのですが、チョット待てよと、首を傾げました。何か忘れているんじゃないか?と。案の定でした。一つ目玉を入れ忘れていました。梵和・梵英辞典のチェックだけではいけなかったのです。で、「Monier Williams Sanskrit-English Dictionary Advanced Search」の英→梵の方の機能を使ってみました。ハテ英語で「皮膚病」は何と言うのだろう。「skin disease」や「cutaneous affections」は知っていても「dermatitis」なんて言うのは知りませんでした。

「prefix(接頭語)」、「all」、「Roman Unicode」に設定して「skin」で検索したら46件ヒットします。その中の「skin-disease」をピックアップしていきました。「tvagdoṣa」の出典のところに「Sus3r. i , 45」とあるのが目に飛び込んできました。「スシュルタ・サンヒター・第一篇・第45章」の意味です。大発見です!索引を調べました。有ったのです。しかも「1.45.9」とその上に「tvagāmaya:1.38.54」。これはいずれも12月10日に重箱の隅をつついた問題の個所なのです。ただ一つ、梵語が不明だと騒いでいた物件です。

「ここまで我慢してお読み頂いたのであれば、お付き合い頂けるかも知れないと思って、もう一歩踏み込んで、重箱の隅をつつきますから、ご容赦下さい。「索引―皮膚病」をご覧下さい。「1.38.54」とあるのは「スシュルタ本集のp.142」に出ている「皮膚病」です。索引には「スシュルタ本集」中もう一つ「1.45.9」とありますが(これはページ画像を表示しませんが)本文には「癩性皮膚病」と書いてあり、「索引」作成時に生じたミスです。

なのでここに出て来る「皮膚病」ただ一つのみが梵語が不明であり、梵語の原典を読まない限り謎は解けません。前にも書きましたが、梵語の原典にまで迫る気力はもう持ち合わせていません・・・^^」

とぼやいていましたが、これで謎は氷解しました。「ミス」でも「不明」でもなかったのです。しかし、そんなことは何のプラスにもなりません。当時のインドに「皮膚病」を意味する言葉が他にも有ったことが分かっただけで、しかもそれらは稀にしか使われないと分かっただけなのですから。

しかし、調べた価値はありました。目玉が入った感じがします。しかし、「仏作ってなんとやら」でこれから未だ未だ魂を入れる作業が残っています。こちとらも精魂込めて取り組まなければ、でも、年内は無理かなあ・・・(^^;)では本編の修正に行って参ります・・・(^_^)/~
 

こんばんは。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月13日(土)23時45分24秒
返信・引用
  《脱稿》&《脱糞^^)》←この違いはなんでしょうか?(^^)?
では、おやすみなさいませ。
 
    (リベル) やややっ!見付かってしまいましたか・・・(恥^^)  

Re: 久須太と吉良淺と朱鼻虎(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月13日(土)03時01分55秒
返信・引用  編集済
  > No.4014[元記事へ]

「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料はインドにあり、紀元前六〇〇年頃まで時代は下ります。それより以前の口伝をふまえていることは事実ですが。ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています。皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病とは区別されています」

上に出て来る「白斑病」については同著p.21に以下の記述があります。これも「スシュルタ・サンヒター」の翻訳の混乱の解決に重要なヒントを与えてくれますので、備忘録的に書き記しておきます。

「らいの障害はけっして色素がなくなることではありませんが、レビ記一三章ではくり返して皮膚や毛髪の白さを強調しています。ある人はツァーラハトを一種の白斑病(中世ヨーロッパや現代インドにみられる「白らい」)とみるのですが、この見苦しくはあっても、あまりにもありふれた病気が「らい病人は一人残らず幕屋から追い出せ」という命令を作り出すほどの恐れを抱かせたとは考えられません。またある人はやせ衰えた胎児に似ているといいます。「母の胎から肉が半ば滅びうせて出る死人のように」というのは白斑病や良性の一時的な発疹や乾癬(中世ヨーロッパやアラブ諸国の「白らい」)をあらわしているとは思えません。ついでに言えば、今でもこの描写のような色素を失った斑点をみつけると、まるで真のらいにかかったような恐怖と拒否反応を示す人がいます。」

ここに書かれている「白斑病」=「白らい」は、明らかに現在の「尋常性白斑=śvitra」を意味しています。



この備忘録をもう一度引っ張り出してきたのには、勿論訳があります。昨日纏めかけていた「スシュルタ・サンヒター」ではの最後に「医聖スシュルタは当時存在した「kuṣṭha」という言葉を「皮膚病」としても、また「ハンセン病」としても用いたのだと推察できます。」と書きました。

その結論を補完するために、かなり細かい検証をしました。ここに一部を再録します。



@目次:第2篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)ページ画像

第2篇 病理篇では、第5章以外に「皮膚病」を扱った章が有りません。「癩病(皮膚病)」が「皮膚病」全体を指していることになります。

「THE SUSHRUTA SAMHITA」の英訳によれば、これは「Section of Pathology, CHPTER ⅴ Cutaneous Affection in general」(「病理篇・第5章 皮膚疾患全般―私の試訳」)と訳されています。また、「ススルタ大医典・もくじ」によれば「第2部 病理編 第5章 皮膚疾患の病理学」と訳されています。「スシュルタ本集」と「THE SUSHRUTA SAMHITA」は梵語から直接それぞれ和訳、英訳されています。(「ススルタ大医典」は前述の通り英訳本「THE SUSHRUTA SAMHITA」を和訳したものです。)

原典の「梵語」は、では何であったか?上の索引には単に「2.5」とありますから「kuṣṭha」です。

そこから先ず推測できることは、医聖スシュルタが「kuṣṭha」を「癩病」と「皮膚病」と二つの意味に使い分けたのではないかということです。他にそれぞれの症状を現わす適当な言葉が無かったのか、後世の学者が誤って手を加えたのか、それは分かりませんが、もう少し検証を進めてみましょう。

上に「2.5」と表示された本文「第2篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)」を見てみましょう。270ページ(ページ画像)。(参考一覧表

これによれば、皮膚病が「大皮膚病」7種と「小皮膚病」11種に分類され、それぞれの症状が説明されています。次の271ページ(ページ画像)では「小皮膚病」と「白皮病」(後に詳述します)を詳しく述べ、最後に272ページ(ページ画像)で全体のまとめを書いています。ここでは「皮膚病」と「癩病」をかなり明白に分けて説明されていますが、梵語ではどうなっているのでしょう。「THE SUSHRUTA SAMHITA」で確かめてみましょう。(ページ画像1ページ画像2)。いずれも「kuṣṭha」であることが分かります。つまりスシュルタは全てを「kuṣṭha」と書いたのですが、大地原氏は「皮膚病」、「癩病」と訳し分け、Bhishagratna氏は「Kushtham」、「Kushtham(leprosy)」と訳し分けたということが分かります。

この章の「スシュルタ・サンヒター」の記述については、医学の知識を持たない私にはその信憑性を評価する能力が無いことを意識しなければなりません。しかし斯界の権威であるS.G.ブラウン氏の著書『聖書の中の「らい」』(p.27)の次の説明を読むと記述の正確性が確保されると思います。

「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料はインドにあり、紀元前六〇〇年頃まで時代は下ります。それより以前の口伝をふまえていることは事実ですが。ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています。皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病とは区別されています。」』(12.13 05:15脱糞^^)
 

深刻かつ重要な指摘! Re: 解釈の多様性

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月12日(金)02時29分45秒
返信・引用  編集済
  > No.3918[元記事へ]

下の●印2個の項は飛ばしてお読み下さい。

> 「漢字の字源」という本の一番最後「おわりに」の最後に「解釈の多様性」という小見出しで、こんな事が書いてあります。
>
> 「だがここで確実にいえることは、既刊の漢字字源解説書や漢和辞典に載せられている解釈は、究極的にはいずれもその著者個人の解釈にすぎず、絶対に正しいと証明されたものではない、ということである。」
>
> に続いて、下のページの通りのことが、書いてありました。私は「我が意を得たり!」という感じに満たされました。「ツァラアト」然り、「白癩」然り、「kuṣṭha」もまた然りなのです。私の場合は「学問的良心」とは言えませんが、でも事実に忠実であろうとする態度は、正に同様です。君それって「気休め」に過ぎないよ!と言われれば、そうですねと答える、かな・・・?


●また数日前にも「辞書のそもそも論」というようなことを書きました。

『しかし、この問題を考えるに際しては実はクリアしておかなければならないことが有ります。決して「大きく出る」訳ではなくそれは辞書というものの、「そもそも論」だと思うのです。結論を先に書きます。

初めに「辞書」有りきでなく、初めに「言葉」有りきなのです。いや実は、初めに「事象」有りき、であることを忘れてはいけないと思うのです。「ジショ」ではなく「ジショウ」だ、などと語呂合わせを楽しみながら先へ行きますと、そもそも「kuṣṭha」や「kilāsa」や「śvitra」を「漢訳対照梵和大辞典」や「モニエルの梵英辞典」はこのように訳していますが、それはどこまで正確なのか?ということです。正確に当時の「事象=症状」を捉えているかということなのです。』

●要するに「スシュルタ本集」の中の「kuṣṭha」の訳語が複数個有って、収拾がつかなくなったので、こんな風に”精神論”や”技術論”に立ち帰って、まあ、早く言えばウロチョロしていました。そして昨日「「スシュルタ・サンヒター」では」まで書いて(草稿ですが)、一応終止符を打ちました。

そこで私はこう結びました。『医聖スシュルタは当時存在した「kuṣṭha」という言葉を「皮膚病」としても、また「ハンセン病」としても用いたのだと推察できます。』と。

●ならば・・・という話です。「漢訳対照梵和大辞典」(1940年)はどうなる?「モニエルの梵英辞典」(1899年?―1920年にRevised edition の記録有り)はどうなるのか?「kuṣṭha」の釈義は「癩病」、「leprosy」であって「皮膚病」、「cutaneous affections」はどこにも書いてありません。では・・・必然的な論理的帰結として・・・そうです、この二つの辞書は、間違っているのです、正確には「見落とし」ているのです。

この項は12月12日12:07の追記です。ここで忘れてはいけないことは、邦訳をなされた大地原誠玄氏のご苦労です。原典では「kuṣṭha」としか書いてない、辞書にも「癩病」と「leprosy」しかなかったのを、これは変だと気付いて苦心の訳業に至ったのだろうと想像します。「癩性皮膚病」に苦心の跡が偲ばれます。

Bhishagratna氏も「cutaneous affections」とか「skin diseases」とかやはり「leprosy」を離れた訳語を使って居られます。時間的にはBhishagratna氏の方が先行していますから、実はこの点では大地原氏も彼に学ばれたのかも知れませんが、真相は不明です。誤解・曖昧・多彩さを嘆く前に両氏の努力に讃歎の声を上げるべきだったのではないか、と、今頃気付いて反省しております・・・^^


●最後に冒頭に引用した阿辻氏がその文章の直前に書いていることを、記します。

「同じ漢字にいく通りもの解釈があるのは不思議なことで、そして多種類の解釈のうちのどれを信用すればいいのか、その判断は非常に難しいから、読者が混乱するのも無理はないのである。一般の読者から見れば、それはまことに迷惑な話であることだろう。」

仰有るとおりです。混乱しました、そして「まことに迷惑な話」でございました・・・(o_ _)oパタッ!


念のために申し添えておきますが、梵語とのお付き合いは、これで終わったわけではありません。「大皮膚病」・「小皮膚病」をもう一度読んで確認することと、「kilāsa」と「śvitra」を書き終わって初めて、晴れて自由の身になれるのでしょう。やはり年を越すのかな、年賀状も書かなければならないし・・・(^^)(12.12 04:21脱稿)



「漢字の字源」あとがき
 

「kustha」について

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月11日(木)05時46分35秒
返信・引用
  「梵語の「ハンセン病」」の中の「スシュルタ・サンヒター」ではの部分を「kuṣṭha」のところまで、何とか纏めました。草稿です。これから脳味噌の調子の良いときに、何度か見直しをしなければなりません。さらに「大皮膚病・小皮膚病」の部分を良く読んで、齟齬がないかを検証しなければ完成しません。それが終わったら、「kilāsa」との関係、最後に「śvitra」を交えて総合的に見直して、「スシュルタ・サンヒター」の多彩さの問題の決着を見ることになりますが、やはり年を越えそうな予感がして参りました・・・(o_ _)oパタッ!  

からだのことはからだに聴く

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年12月11日(木)00時08分44秒
返信・引用
  >私の拙い経験から、私は何と呆れたことに、”基本的に”お医者さんを信用しないことにしています。大叔父が医者であったにも拘わらず。

ごぶさたしております。
私は、血圧はとても(病棟などで一般に使用してる成人用のデジタル血圧計ではエラーになって測れないぐらい)低いのです。
それで、入院などしますと、まず看護師さんがバイタルを測りに来て、「測れな〜い」というので、何度もトライしたあげくに“小児用の水銀柱の血圧計”(いまやほとんど製造されていないので貴重品だとか!)を持ってきて測ります。
そして、よくぶっ倒れないでいられるもんだとばかりに言われます、「ふらふらしたり、めまいがしたりしませんか?」
「正常値の範囲」とされる基準値からいえば相当大きく外れているわけですが、私としましては慣れっこになっているので、日常生活動作にさほど支障をきたしているわけでもなし、ほとんど意識の外。
お医者さんだって、「血圧を上げて基準値に近づけましょう」なんぞとは言いませんです。
なんといいましょうか、まあ、からだのことはからだに聴くって感じでやってます。
お医者さんの仰ることも、医学本も、もちろん拝聴すべきは拝聴させていただきますが、それよりも自分のからだが発信しているものを聴く、かな〜。
 
    (リベル) いや、まあお久し振りです、ドン・キショットさん・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!。お元気で何よりでした、ほんとうに・・・。

>自分のからだが発信しているものを聴く…

私もどちらかと言えばその主義で、いやもっと”無謀”に近く原始的なので、連れ合いによく叱られます。

私の医者不信は実は父の死に関わるのです。胸が苦しいと言うので救急車で宝塚の「第一病院」へ運び込みました。救急車の中で頑固で強い父が「未だか」と言いました。父の弱音を聞いたのは生涯でこの一回だけです。やっと着いた。誰もいない。病院のドアを開けると若い当直医がデスクワーク(らしきこと)をやっていて、「何か?」と言わんばかりに目を上げました(1979年10月17日22時頃)。サイレンを鳴らした救急車がドアの外に着いているのです。「慣れているから慌てないよ」という顔をしていました。

案の定翌々日父は・・死にました。殺されました、と書きかけたのです。以来私は医者不信に陥ったという訳です。わああい、深刻な話になってしまいました。

現在信用してお付き合いを続けているのは須汁田先生だけでございます、今から又チョットご機嫌窺いに行って参ります・・・(^^)(12.11 00:58)
 

Re: 私は高血圧ではない!

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月10日(水)13時22分22秒
返信・引用
  > No.4031[元記事へ]

> 今日医者へ行ってきました。ここ一ヶ月間のかなり高い数値の一覧表を見せた途端、薬の増加を口にしようとなさったのを察知して、「実はお願いがあるので、いやご相談が・・・」と先手を打ちました。そして昨日の浜六郎氏の本を読んだ話をし、薬を止めようと思うのですが如何でしょうか、と言いながら先生の表情が変化して行くのを見て、こりゃあダメだなと思いました。

わたくしはむしろ低血圧(90前後ー60前後)ですが、別の病気での体験をお話します。かかりつけのドクターと医学本とのどちらを信頼するか?ということです。
検査の結果が出て、ドクターは入院手術の必要はない。時間はかかるが地道なリハビリと日常生活上の注意事項を守り、鎮痛剤(劇薬)は一ヵ月分を出しますが、三ヵ月で飲みなさい、という支持でした。
ところが、その診断の翌日に朝日新聞の一面広告に「入院手術の必要はない。レーザー治療で即治る」という本が紹介されましたが、わたくしはその本を買いませんでした。ドクターとの信頼関係でやっていこうと思いました。それで今はほぼ回復しました。

ご参考までに(^^)。
 
    (リベル) あずきさん、有難うございました。参考にさせて頂きます・・・m(_ _)m

私の拙い経験から、私は何と呆れたことに、”基本的に”お医者さんを信用しないことにしています。大叔父が医者であったにも拘わらず。

ヒョッとして致命的な竹篦返しが有って、棺桶の中で後悔するかも知れませんが、それはそれで「あ、そうだったか」と全く素直に受入れる積りなのだから、この頑固爺い、全く始末に負えませんね・・・(^^)(12.10 17:51)
 

「kustha」のまとめ(その一:はじめに)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月10日(水)01時38分21秒
返信・引用  編集済
  最初にお断りしておきますが、ここに今から書くことはかなり「オタク的」であり「備忘録的」であって、読んでも面白くなく何のプラスも齎さないということです。梵語の「ハンセン病」の中に組み入れられた時、初めて明解にその役割を勤めることになる筈ですので、その点はお許し下さい。


「kuṣṭha」の訳語の”多彩さ”については、もう耳にタコがお出来になるほど書いてきました。最後に駄目押しの一発を放って、終りにします。「梵語のハンセン病」に@、Aと二つの具体例を挙げていますが、これに追加しなければならないページがもう一つ有ります。「スシュルタ・サンヒター」を読み解くにも勿論取り上げています(p.142が三つ並んでいます)が、「スシュルタ本集のp.142」「The Sushruta Samhitaのp.353」をご覧下さい。「kuṣṭha」に関する訳語の主役級全員(「癩病」、「癩性皮膚病」、「皮膚病」)が顔を揃えているのです。

先ず「スシュルタ本集」の方に「癩性皮膚病」、「癩病」、「皮膚病」と有ります。「The Sushruta Samhita」の方はそれに対応する英訳として「diseases of the skin(Kushtham)」、「leprosy(Kushtha)」、「cutaneous affections」(本では順序が逆になっていますがこれは方々に散見されることなので無視して下さい)が見られます。

私は、先に『「kuṣṭha」は「皮膚病」と「ハンセン病」の両方の意味を持たされており、場合に応じて使い分けられている』という結論を出しています。なので「癩性皮膚病」が「diseases of the skin(Kushtham)」、「癩病」が「leprosy(Kushtha)」とそれぞれ訳されていることは、語彙の不統一(KushthamとKushtha)を除けば納得の範囲内なのです。

ところが困るのはここに出て来る「cutaneous affections」なのです。「スシュルタ・サンヒター」を読み解くをご覧頂いても分かるように、「cutaneous affections」は「kuṣṭha」の訳語として、他に頻出しているのです。

ここまで我慢してお読み頂いたのであれば、お付き合い頂けるかも知れないと思って、もう一歩踏み込んで、重箱の隅をつつきますから、ご容赦下さい。「索引―皮膚病」をご覧下さい。「1.38.54」とあるのは「スシュルタ本集のp.142」に出ている「皮膚病」です。索引には「スシュルタ本集」中もう一つ「1.45.9」とありますが(これはページ画像を表示しませんが)本文には「癩性皮膚病」と書いてあり、「索引」作成時に生じたミスです。

なのでここに出て来る「皮膚病」ただ一つのみが梵語が不明であり、梵語の原典を読まない限り謎は解けません。前にも書きましたが、梵語の原典にまで迫る気力はもう持ち合わせていません・・・^^

念のためですが、「索引―kuṣṭha」に挙げてある「1.38.54」は「癩病」を指しています。(「スシュルタ本集のp.142」の下から12行目です。「○の中に54」は54節のことです)


「謎解き」と言いますか「解読」に当たってただ一つ、解明不可能なものがあることを最初にお断りしておきました。勿論その裏には、これ一つを除けば、「こじつけ」・「牽強付会」を多用してはいますが、「解読」は単純な作業であり、又”明解”であることを強調したい肚がございますが・・・(^^)(12.10 03:52脱稿)
 

Re: 私は高血圧ではない!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月10日(水)01時01分55秒
返信・引用
  > No.4029[元記事へ]

> 今日、病院へ行く日なのです。行ってお医者さんにこの話をし、必要なら本を見せて(いや必要ないはずです、お医者さんは皆さんこんなことは百もご承知のはずですから)、降圧剤を飲まずに一ヶ月様子を見させてくださいと、お願い(いや宣言)してきます。

今日医者へ行ってきました。ここ一ヶ月間のかなり高い数値の一覧表を見せた途端、薬の増加を口にしようとなさったのを察知して、「実はお願いがあるので、いやご相談が・・・」と先手を打ちました。そして昨日の浜六郎氏の本を読んだ話をし、薬を止めようと思うのですが如何でしょうか、と言いながら先生の表情が変化して行くのを見て、こりゃあダメだなと思いました。

「急に薬を止めるのは危険です。飲みながら塩分や肥満やアルコール対策を講じて下さい。その効果が現れ始め、血圧が下降傾向を辿ったら、一つずつ薬を減らして行きましょう。」という誠に常識的な提案というより説得でした。私は勿論、「ハイ分かりました。そういうことでお願いします」と心にもないことを言って、誠実そうにその場を辞しました。

勿論、夕食後の降圧剤は飲みませんでした。先程血圧を測ったら、上が180台から一挙に160台に下がっていました。いや、薬を飲まなかったからではなく、偶々なのは分かっています。また長い間続けていたのを、急にバッサリ止めると急死する可能性があるから云々と浜六郎氏の本にも書いてあります。ですので、徐々に止めます。薬無しで血圧を下げてやる!!!

急死したら・・・それはまあその時に書きます・・・あ、書けないか・・・(^^)
 

「kilasaとsvitra」は延期しました

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 9日(火)03時50分39秒
返信・引用  編集済
  これを詳しく書こうとするとどうしても「kuṣṭha」と「kilāsa」の比較が必要となりますので、この標題は延期させて下さい。かくも辞書の釈義は混乱しており、comprehensiveな対応を心掛けるべし、という心準備を書き留めたとご理解頂いて、ご容赦下さいませ・・・m(_ _)m

順序としてはまず「kuṣṭha」から入るのが妥当でもあります。数日ご猶予下さい・・・^^

ご猶予もなにも、別に待っちゃいないよ。どうぞマイペースでごゆっくり。ハイ分かりました、有難うございます・・・(^^;)
 

私は高血圧ではない!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 9日(火)02時45分44秒
返信・引用  編集済
  調べるのが面倒なので大体ですが、若い時から確か一昨年までズット上が120台・下が80台で来ました。それが140を上回り始め人間ドックで高血圧を宣告されたのです。放っておいたのですが今年の初め頃から夜中に心悸亢進が見られるようになって、遂に医者へ行きました。降圧剤を処方され自宅で週に一二度は血圧を測れと言われて血圧計を買わされました。

最近上が170台・下が80台が続いています。一週間ほど前本屋で、浜六郎著「高血圧は薬で下げるな!」という書名が目に飛び込んできました。インターネットで調べると毀誉褒貶双方のある人ですが、少なくとも真面目に薬害の問題に取り組んでいると知って本を買いました。それには、誠に興味深い事実が記されていたのです。

1993年の高血圧の基準は「上が160/下が95」だったそうです。それが2000年に基準の大幅な見直しが行われ、「140/90」に一挙に引き下げられました。結論へ直行しますとその結果日本の高血圧患者が3200万人増えたのです。患者が作られた訳です。得をするのはどなたか?そうです製薬会社です。増加した降圧剤の薬価は3.5倍に達するそうです。

しかし2000年の新基準は一体誰が作ったのか?WHOと国際高血圧学会です。それではしょうがない、何か十分な根拠が発見されたのだろう、そう思ったらそうではなかったのです。実はWHO・国際高血圧学会の新基準は1999年2月4日にロンドンで発表されたのですが、この数時間前にWHOは緊急の記者発表を行い、「今回発表される新基準はWHOとは無関係である。製薬企業がスポンサーとなって新指針を配っている」と批判しました。

ところが、翌2月5日WHOは急遽新基準の妥当性を認めると方針変更をしてしまいます。実はアストラ(現アストラ・ゼネカ)社とバイエル社という二大製薬企業が圧力を掛けたと判明しました。WHOさえ信用が出来ないのですね、これには驚きました。

こうして製薬会社は莫大な市場を創出し、自らの懐を潤しているのです。降圧剤は、徒に死期を早めることが証明されています。新しく創出された患者こそいい面の皮です。たまったもんじゃありません。エイズや近くはC型肝炎の薬害を思うとゾッとします。


今日、病院へ行く日なのです。行ってお医者さんにこの話をし、必要なら本を見せて(いや必要ないはずです、お医者さんは皆さんこんなことは百もご承知のはずですから)、降圧剤を飲まずに一ヶ月様子を見させてくださいと、お願い(いや宣言)してきます。

実は私には一つ自信の種が有るのです。7年前になりますが血糖値400を越える糖尿病を、医者と喧嘩して薬を拒絶し、食事と運動だけで正常値に戻し平癒した経験があるからです。今回も薬を止めて、肥満(身長171cm・体重76kg)を解消して塩分をぐんと減らして、血圧を下げてやるぞっ!!!

55年間飲み続けた酒も止めざるを得なくなったら、止めてやるぞっ!!!(^^;)


手稲の秋
 

「kilasa」と「svitra」について

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 8日(月)01時31分36秒
返信・引用  編集済
  いま大雑把に私が捉えているのは「kilāsa」は「ハンセン病」の一症状であり、「śvitra」は「尋常性白斑=vitiligo」である、ということです。

しかし、この問題を考えるに際しては実はクリアしておかなければならないことが有ります。決して「大きく出る」訳ではなくそれは辞書というものの、「そもそも論」だと思うのです。結論を先に書きます。

初めに「辞書」有りきでなく、初めに「言葉」有りきなのです。いや実は、初めに「事象」有りき、であることを忘れてはいけないと思うのです。「ジショ」ではなく「ジショウ」だ、などと語呂合わせを楽しみながら先へ行きますと、そもそも「kuṣṭha」や「kilāsa」や「śvitra」を「漢訳対照梵和大辞典」や「モニエルの梵英辞典」はこのように訳していますが、それはどこまで正確なのか?ということです。正確に当時の「事象=症状」を捉えているかということなのです。

「漢訳対照梵和大辞典」をものした荻原雲来氏は1869〜1937年の人です。「梵和大辞典」の「出典一覧表1」「同2」を見ても分かるように
出典は仏典に限られています。ただし、略語表には[吠]という字があり、これは「veda、vedic=ヴェーダ」を意味しています(上のページの「śvitra」の項の[形]白い:の次に使われています)から、程度は分かりませんが十分考慮の対照には入っています。この表現は適当ではないかも知れませんが「漢訳対照」と銘打ってあるところから推しても、そう的外れではないと思います。

「A Sanskrit-English Dictionary」の著者Sir Monier Monier-Williams は1819〜1899年の人でボンベイに生れてイギリスで教育を受けた英国人です。英仏がインドでの覇権を争ったカーナティック戦争は1744〜1761年であり、イギリスの東洋学者ウイリアム・ジョーンズがサンスクリット語の研究を発表して比較言語学の口火を切ったのが1786年です。モニエルが梵英辞典を編纂した時期は、サンスクリット語の研究が一気に加速された時期であり、まさに時宜を得たものだったと言えるのでしょう。


荻原氏もモニエル氏もどのようにしてその膨大な作業を成し得たか、それは知る由もなく、NHKの「プロジェクトX」で見た新村父子の血と汗の滲むような言葉との格闘やその後知り得た辞書編纂者のご苦労などから推測する他はありません。

ただ、私の言いたいのは、どちらも2000年以上前に存在した言語を対象とする作業であったのだ、だから現在我々が知る「国語辞典」や「百科事典」と同日に談ずることは、これからの検証作業の結果に齟齬を生じるのではないか、ということです。

「kuṣṭha」や「kilāsa」や「śvitra」に付けられた釈義を、私達はこのような前提の下に受け止めるべきだとするのは、強引でしょうか?間違っているでしょうか?

今日は、ここまでにしようと思ったのですが、投げ出したっきりの印象なので明日に繋げる内容に触れておきます。

kilāsa」は梵和辞典に「癩病(の一種)」、梵英辞典に「a species of leprosy(resembling so-called white leprosy…)」と書いてあります。

śvitra」は梵和辞典に「白癩」、梵英辞典に「white leprosy, vitiligo」と書いてあります。

荻原氏やモニエル氏は勿論ハンセン病の専門知識を持っていなかったでしょう。どの程度専門家の意見や知識を聞いて取り入れることが出来たのかを、私達は知ることが出来ません。100年後の私達は、やはり厳正さは保ちながら、”comprehensive=総合的な、包容力のある、理解の広い”(使いたくありませんが、これほど的確な表現が無く)に、これらの釈義に向き合わなければならないと、そういう態度を前提にしなければいけないと、思っているのです・・・(o_ _)oパタッ!(12.8 04:12)
 

Re: 「ハンセン病」は皮膚病か?

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 8日(月)01時16分9秒
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  > No.4026[元記事へ]

> ●二重の規範というか分類があると考えています。一つは患者様のための実用のためです。

(リベル) Ichiroさん、大変有難うございました。(中略)一次症状は皮膚から始まるのですし、スシュルタさんがあのように分類するのは、素人の私には当たり前とも思われるのですが、ダブルスタンダードが生じるのもやむを得ないということなのですね。お陰様で確信を持って又一歩前へ進めます。有難うございました・・・m(_ _)m(12.7 12:22)



「ダブルスタンダード」という表現に自身で違和感を感じていたのですが、こういう表現が正しいのかと思います。「ハンセン病=皮膚病」と言うことは出来ない。しかし、「ハンセン病」には「単なる皮膚病」と間違えられてしまう時期、間違えられてしまう症状が有ることは間違い無い、と。

2600年前、インドでスシュルタ先生は、まさにこの点で混乱を起こしたのでは無かろうかと思うのです。だから「kuṣṭha」という言葉に、それこそ二重の意味を持たせてしまった。「ハンセン病」と「皮膚病」と。「癩性皮膚病」という訳語を創出せざるを得なかった大地原先生も、許されて然るべきなのでしょう。繰り返しになりますが「癩性」という言葉は不適切です。「○○性」と言う場合は「○○由来の」とか「○○に関係する」とか「○○風の」というようなときでしょう。「ハンセン病性の」とか「ハンセン病的な」という表現は有り得ないのですから、「不適切」だと思います。先日書いた、”正にterminologyの問題と化している”というのは、この辺の事情も含んでいるとご理解下さい。

以上、思い付いたので書きましたが、これから上に書くことと無縁ではありません。このような前提を踏まえて次の更なる前提について、上に書きます。
 

Re: 「ハンセン病」は皮膚病か?

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年12月 7日(日)10時38分20秒
返信・引用
  > No.4023[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 大辞林によれば「感染症」は次のように定義されています。
> 「病原微生物が経口・経皮その他種々の経路により生体に侵入して増殖し,または毒素を出して起こす病気。〔感染が広がらない疾患を含むので,伝染病より広義〕」

●そのとおりと思います。

>Wikipedia「皮膚科学」を読むと、皮膚病の分類の中に「感染症」が有り、感染症の中に「ハンセン病」が書いてあるのです。
> ”老いの一徹”と言われても仕方が無い・・・^^)を良く読むと、「二次症状」としては周知のように、神経、骨その他にも疾患が及ぶので、そういう意味で皮膚病の一部に分類するのは如何なものか、と思うのです。

●理論はそのとおりですが、もともとハンセン病科というのはないので、主に症状がでる皮膚科が扱うのは歴史的でもあります。皮膚科が取り扱うことに対しては全世界的です。
●結核は皮膚結核もありますがそれは稀で、おもにもっと深い肺とか腎臓を侵すわけです。臨床の中では内科が取り扱う理由でもあります。

> いや、実は今取り掛かっている「スシュルタ・サンヒター」の訳語解説に絡んで、この辺りは明確な知識を持っていないといけないと思って、備忘録的に書きました。

> つまり正確には「ハンセン病」を皮膚病の一部とするのは間違いである。しかし「皮膚病」の立場(と言うのも変な言い方かも知れませんが)からは、Wikipedia「皮膚科学」のような分類をするのも一つの方法である、というように私は思うのですが・・・???

●二重の規範というか分類があると考えています。一つは患者様のための実用のためです。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、大変有難うございました。小笠原登氏も京大の「皮膚科特別研究室」で研究と診療を続けられたのですから、もともとは皮膚科で扱われたのだろうと思っていました。そうなのか。「歴史的」でもありまた「世界的」でもあるのですね。

一次症状は皮膚から始まるのですし、スシュルタさんがあのように分類するのは、素人の私には当たり前とも思われるのですが、ダブルスタンダードが生じるのもやむを得ないということなのですね。お陰様で確信を持って又一歩前へ進めます。有難うございました・・・m(_ _)m(12.7 12:22)
 

「アンドレア・シェニエ」と言えば・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 7日(日)03時42分59秒
返信・引用  編集済
  もう一度、どうぞ・・・。トムハンクスとデンゼル・ワシントンです・・・

どうでも良いので、家へ帰りたがっているデンゼル・ワシントンが、だんだん引き込まれていく様子にご注目!!!



この機会に、私が今ハマッテいる動画をどうぞ・・・

島崎和歌子ちゃんの入れ込みかたや、思わず立ち上がった鶴瓶など見所満載です・・・

 

「スシュルタ・サンヒター」の訳語を読み解く!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 7日(日)02時44分53秒
返信・引用  編集済
  大上段に振りかぶればそういうことになります。大地原訳「スシュルタ本集」とBhishaģratna訳「SushrutaSamhita」の中で「kuṣṭha」、「kilāsa」、「śvitra」がどのように和訳・英訳されているかは「スシュルタ・サンヒターを読み解く」に一覧表にしました。それを見ながらお読み頂くと、まだ取っつき易いかとは思いますが、面倒な、多分にオタク的な話なので、備忘録と思って、通り過ぎて下さい(本心)。

1)索引に「kuṣṭha」の訳語として「癩病」と「癩性皮膚病」の二つが有るが、「癩性皮膚病」という病気は無い。

2)「kuṣṭha」は「皮膚病」と「ハンセン病」の二つの意味で用いられている。

スシュルタは約2600年前のインドで、いろいろな症状の皮膚病を見ました。悪質で、奇形を生じ治らない皮膚病もありました。神経や骨までも侵すに至る症状もありました。そこで彼は、軽い皮膚病と、重い皮膚病の二つに分類することにしました。「軽い」のを「小皮膚病(kṣudrakuṣṭha)」と名付け、「重い」方を「大皮膚病(mahākuṣṭha)」と名付けました。(ページ画像)そして「大皮膚病」7種、「小皮膚病」11種に分けて、それぞれの症状を3頁にわたって書いています。(上記の頁の他にこのページこのページが有ります)この3ページを詳しく読むと、何度も読むと、スシュルタさんの頭の中が、少しずつ見えてきます。

ただ、読み難いこと甚だしいので困ります。一つだけ申し上げておきます。「体風素」「胆汁素」「粘液素」云々は全く無視して下さい。ここに書いてありますが、アーユル・ヴェーダ特有の思想に発した分類ですので。

「大皮膚病」が「ハンセン病」なのだろう、なのだろう(繰り返し)と思います。未だ読み切れないのです。Ichiroさんや、ハンセン病の専門医の方にいずれお知恵拝借に及ぶと思います。推測ばかりしていては時間の無駄ですから。しかしそれも自分の能力を絞りきってからでないと(乾いた雑巾を絞るようなもんだ、まあそう仰有らないで)、してはいけないことでしょうから。


2ページ目の下の方に「白皮病(kilāsa)」と有ります。これがまた問題の言葉なのですが、これについてはまた明日にでも、書きます。

また3ページ目の下の方には、前に一度ご紹介した「業病観」が読めます。「婆羅門・婦人・善人を殺し・・・癩病を生ずと或る人は言う。」の文章がありますが、この部分の英訳はこうなっています。「Wize men hold that・・・」と。こういう風に読み比べると結構面白いのですが、如何ですか?

いや、無理に興味を抱かそうなんて企んではいません。初めに書いたとおり、どうぞ通り過ぎて下さいませ・・・(^^)畦道を相も変わらず「アンドレア・シェニエ」を聴きながら、こうやって一日に一つか二つ考えを紡ぎ出して行きます。それを書き溜めておいて結論を醸し出して大団円へとこけつ転びつ転げ込もうという、そういう寸法です・・・^^


日々是電脳写真のサイトから。「イチョウのリズム」という題名も気に入って・・・
 

「ハンセン病」は皮膚病か?

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 7日(日)01時20分46秒
返信・引用  編集済
  大辞林によれば「感染症」は次のように定義されています。

「病原微生物が経口・経皮その他種々の経路により生体に侵入して増殖し,または毒素を出して起こす病気。〔感染が広がらない疾患を含むので,伝染病より広義〕」

またWikipedia「皮膚科学」を読むと、皮膚病の分類の中に「感染症」が有り、感染症の中に「ハンセン病」が書いてあるのです。

しかし、「ハンセン病の症状」(素直にWikipediaを引用しないで自分のサイトを引用し、その中にWikipediaへのリンクを張る、なんてやはり”老いの一徹”と言われても仕方が無い・・・^^)を良く読むと、「二次症状」としては周知のように、神経、骨その他にも疾患が及ぶので、そういう意味で皮膚病の一部に分類するのは如何なものか、と思うのです。


いや、実は今取り掛かっている「スシュルタ・サンヒター」の訳語解説に絡んで、この辺りは明確な知識を持っていないといけないと思って、備忘録的に書きました。

これは皮膚病の専門家でいらっしゃるIchiroさんのBBS「Ichiroの研究メモ」にも勿論投稿して、ご意見を伺います。Ichiroさん、宜しくお願いします・・・m(_ _)m
 

過去ログを作成中です・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 6日(土)03時39分30秒
返信・引用
  上の【過去ログ(2005.1.1〜)】をクリックしていただくと、右の表の一番下に「新過去ログ」と言うのがあります。この掲示板は保存のキャパシティーが2,000個なので、それ以前のものは消えます。で過去ログを作っていたのですが、手間を省くために文章のみの保存でした。それでは勿体ないので、2007年1月29日(作業を始めたとき、たまたまここが最後に残っていたからで、別に理由はありません)から保存しています。それ以前は簡略型でご容赦下さい・・・_(_^_)_  

Re: ハンセン病の最古の記録

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 6日(土)02時43分50秒
返信・引用  編集済
  > No.3996[元記事へ]

> 一昨日書いたのですが、あちらのWikipediaの「leprosy」の「History」の冒頭にこう書いてあります・・・
>
> 「The Oxford Illustrated Companion to Medicine holds that the mention of leprosy, as well as ritualistic cures for it, were already described in the Hindu religious book Atharva-veda.」(ritualistic=儀式的な)
>
> 一昨日は「睡虎地秦簡」をご紹介するのに忙しくて、こちらをペンディングにしたのですが、実はこれは私にとって大事件なのです。私は「ハンセン病の最古の記録」で、一般に言われているB.C.600年頃の「スシュルタ・サンヒター」とする説は間違いで、更に古くB.C.1000〜800年頃の「アタルヴァ・ヴェーダ」に記録が有ると主張しています。
>
> ここに強力な援軍が現われたというわけです。「The Oxford Illustrated Companion to Medicine」は図書館には無く、大学の付属図書館に有ります。関西では神戸大他4校です。アメリカのアマゾンでshipping込みで中古で6ドルです。日本のアマゾンは中古で5,136円、神戸まで往復するよりもアメリカのアマゾンの方が安い!よしこれを買おう・・・♪♪♪
>
> 追記:結局3.26ドルの本に決め、勘定を進めていたらshipping&handlingが12.49ドルで、締めて15.75ドルになりました。
> ま、いいか・・・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!(11.21 07:13)


昨日到着しました。意外に分厚くて大辞林を縦に切ったような重い本です。891頁。イラストや写真が満載の医学の友(Companion to Medicine)です。15.75ドル*約92.2円=1,452円はお買い得です。円高ラッキー!

期待した記事は「インドの医学」の項に有りました。

「The last of the four classic treatises」と言うのは「ヴェーダ文献」を参考にしてください「アタルヴァ・ヴェーダ」は「リグ・ヴェーダ」、「サーマ・ヴェーダ}、「ヤジュル・ヴェーダ」に次いで4番目です。上の「アタルヴァ・ヴェーダ」をクリックして下さい。【適用】のところの「K」は「カウシカ・スートラ」で、ここに治療法が詳しく書いてあるのですが、これは入手できません。「スシュルタ・サンヒター」にも牛糞や鬱金が出て来ますから、不思議ではありません。(参考)「diarrher」は「下痢」で「ダイアリーア」と読むそうです。初めて知りました。なるほどダイアリーアですか・・・^^

このようにアタルヴァ・ヴェーダ」でも「癩」の治療法が書かれているのです。一般に言われている「スシュルタ・サンヒター」以前に「ハンセン病」の記録は有ったのです・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!(参考
 

鹿

 投稿者:あずき  投稿日:2008年12月 4日(木)12時43分27秒
返信・引用
  >猟師が逐いかけた山の鹿が名残惜しそうにこちらを見ています。五匹居るの、お気付きでしたか・・・
久須汰、吉良淺、朱鼻虎それに算数栗兎と尾夜狗羅猪と♪♪♪

はい。しかと確認しました。二匹(頭?)は大きな樹の根方にいますね。

  鹿の眼のわれより遠きものを見る    高木石子
 
    (リベル) おおっ!間違えました!!!

鹿は一匹、二匹より一頭、二頭が正しい(まで書いて、一応「新明解」で確かめました)のですね。「より」ではなくて「ではなく」なのですね。もう間違えないぞ・・・!!!

有難うございました。しかと脳裏に刻みました・・・(^^;)
 

梵語の「ハンセン病」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 4日(木)05時05分52秒
返信・引用  編集済
  梵語の「ハンセン病」が終りに近付いて来ました。実はここからが正念場だと思っています。脳味噌の調子が悪いときは手をつけない、なるべく他の関係書を読んで広い視野を確保しておく、つまり十分頭の中での醸造期間を保ち、その間いろいろな刺激も加え続けるという作業が欲しいのです。何もそう大仰に言うほどのことでは有りませんね、嗤って下さい。

結論をポロリと喋っておきます。「kuṣṭha」は現在のハンセン病です。しかしスシュルタは「皮膚病」としてもこの語を用いています。「kilāsa」はハンセン病の内の白斑を生じるものです。「śvitra」は「尋常性白斑=vitiligo」です。「kilāsa」も「śvitra」も梵英辞典には「white leprosy」の語が登場しますが、「śvitra」は「leprosy」では有りません。

そして重要なことは、この結論が日本の古典(文学だけでなく「令義解」を含む)に出て来る「白癩」の現代解釈に一定の方向付けを齎すかもしれない、かもしれないと繰り返しておきますが、ということです。それは「スシュルタ・サンヒター」で中断していた「白癩について(その四)日本の古典編」に戻って行くことを意味するのです。来年になるかも知れませんが、そこでも一つの結論を得たいと望んでいます。

まあ、何となく宿題が片づいていきそうです・・・(^^)


猟師が逐いかけた山の鹿が名残惜しそうにこちらを見ています。五頭居るの、お気付きでしたか・・・
久須汰、吉良淺、朱鼻虎それに算数栗兎と尾夜狗羅猪と♪♪♪
 

「スシュルタ・サンヒター」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 3日(水)04時55分29秒
返信・引用  編集済
  私には先ず植木雅俊訳「法華経」が有った。その中に「kuṣṭha」と「kilāsa」が有ったわけです。それを携えて「スシュルタ・サンヒター」と向かい合った。

約2600年前、インドのスシュルタというお医者さんが、諸々の病気を細大漏らさず収拾してそれを症状によって分類し、体系化し、治療法などを整理しようという大仕事に着手しました(参考)。私には「ハンセン病」「kuṣṭha」「kilāsa」しか頭に無いのです。それを考えれば謎はもっと早く解決したのでしょう。

彼は既にある皮膚病の中に、今我々が「ハンセン病」と言っている不治の難病が有る、そしてそれは単に皮膚に止まらず神経にも病変を及ぼす病気であると知りました。又皮膚に白斑を生じる場合もあると。更に今我々が「尋常性白斑」と呼んでいる皮膚症状も知りました。およそ病気全般に渡って症状を収集・分類する作業なのですから諸症状の分類は、困難を極めたのかも知れません。むしろterminology の問題と化したのではないでしょうか。

先ず皮膚病を「kuṣṭha」とした。その中の重症かつ不治のものを「maha-kuṣṭha=大皮膚病=癩病」とした。皮膚病と「śvitra」は峻別した、それは分かるのですが、何故「kilāsa」を別扱いにして取り出したのか?私が推察するに、当時既に有った「アタルヴァ・ヴェーダ」の記述に影響を受けたのではないでしょうか。いやそうに違い有りますまい・・・^^

11月17日に書いたヴァーグバタの「アシュタンガー・フリダヤ・サンヒター(八科精髄本集)」の一節をしたためて、今後の更なる研究を待ちたい、なんて生意気を書いて「梵語の「ハンセン病」」の結語とする、そして梵語から足を洗うことに致します・・・(^^)


まさに飛び立たんとする蝶でございます・・・^^
 

デーヴァナーガリー文字

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 2日(火)00時54分22秒
返信・引用  編集済
  「呼称の変遷」でヘブライ語やギリシャ語は原語表示しているのに、梵語だけは所謂「ローマナイズド」(厳密には「ASCII文字のみでデーヴァナーガリー文字を転写する方法」と言うべきらしいです)というローマ字に横棒(マクロン)を付けたり(たとえばā)、下に点を付けたり(たとえばṃ)で「kuṣṭha」とか「kilāsa」とか表示していました。

それを反省してというか、実情は「デーヴァナーガリー」でどう書くのか分からなかったからなのですが、今日訂正しました。「kuṣṭha」は「कुष」、「kilāsa」は「किलास」です。「デーヴァナーガリー」は随分前から出合っていたのに、なかなか覚えられなかったのですが「出鼻をガリッと挫かれた」というようにして、やっと言えるようになりました。

先程テストしたらチャンと出たのですが、どうでしょうか・・・。

はい、出ましたですね。でもしかし彼等とのお付き合いは、年内一杯で終わらせたいと、何度も繰り返しますが、そう思っています・・・(^^;)

あ、そうそう「śvitra」もどう書くのか、探さなければ・・・では行って参ります・・・(^_^)/~

只今あぁ・・・。有りました。「श्वित्र」でした。この辞書に「Svitra」と入れて「input」を「SLP1」にして「Search」で出るはずです。英語部分がここと同じはずです。チョット遊んでみました・・・(^^)


遊んでいては、年内に片づかなくなります。「梵語のハンセン病」の全面改定作業に取り掛かると致します。←キッパリ。←これどこかで見たなあ・・・^^
 

Re: 久須太と吉良淺と朱鼻虎(備忘録)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 1日(月)07時55分27秒
返信・引用  編集済
  > No.3989[元記事へ]

> 話は変わりますが、昨日もめくっていた「聖書の中の『らい』」のp.27にこんなことが書いてあります。
>
> 「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料はインドにあり、紀元前六〇〇年頃まで時代は下ります。それより以前の口伝をふまえていることは事実ですが。ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています。皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病(これは植物の病気名です。ブラウン氏はśvitraの意味で使って居られるので、訳者―石館氏か助力者―が大地原氏の訳をそのまま使ったのだと思います。:リベル)とは区別されています」



上に出て来る「白斑病」については同著p.21に以下の記述があります。これも「スシュルタ・サンヒター」の翻訳の混乱の解決に重要なヒントを与えてくれますので、備忘録的に書き記しておきます。

「らいの障害はけっして色素がなくなることではありませんが、レビ記一三章ではくり返して皮膚や毛髪の白さを強調しています。ある人はツァーラハトを一種の白斑病(中世ヨーロッパや現代インドにみられる「白らい」)とみるのですが、この見苦しくはあっても、あまりにもありふれた病気が「らい病人は一人残らず幕屋から追い出せ」という命令を作り出すほどの恐れを抱かせたとは考えられません。またある人はやせ衰えた胎児に似ているといいます。「母の胎から肉が半ば滅びうせて出る死人のように」というのは白斑病や良性の一時的な発疹や乾癬(中世ヨーロッパやアラブ諸国の「白らい」)をあらわしているとは思えません。ついでに言えば、今でもこの描写のような色素を失った斑点をみつけると、まるで真のらいにかかったような恐怖と拒否反応を示す人がいます。」

ここに書かれている「白斑病」=「白らい」は、明らかに現在の「尋常性白斑=śvitra」を意味しています。
 

余談:沈黙

 投稿者:リベル  投稿日:2008年12月 1日(月)01時48分46秒
返信・引用  編集済
  またまた、森茉莉さんのエッセーからですが、「仏蘭西では黙りこくっている人のことを、鯉のように黙っていると言う。魚は皆黙っているが鯉は、沼や池の底に黙々とした感じで沈んでいるからだろうか。」と。

この人のおフランスかぶれには辟易するのですが、まあ自分も英語をひけらかしていて感じが悪いと自覚することがあるので、偉そうなことは言えないのです。

それは兎も角、その英語では、何のように黙るのでしょう?日本語では「貝殻のように」だけなのでしょうか?「牛のように」というのも有ったでしょうか?こういうことを調べられる「形容語辞典」のようなものが欲しいですね。「○○のように美しい」「○○のように爽やかだ」という形容詞や形容動詞を飾る「副詞辞典」とでもいうような・・・。

それにしても「鯉のように黙って」というのは良くできた表現だと一旦は感心しました。でも、でもです、私がイメージするのはお寺や大邸宅の池に泳いでいる錦鯉なのです。彼等は確かに黙って、辛抱強く飽きずに泳いでいます。それでいて自己の存在を誇示しています。

そう私は感じてしまうのですが、このフランスの形容は、一体鯉のどういう状態を観察していて生れてきたのでしょう。錦鯉を観て出来たのだとすれば興ざめですし、かと言って清流を泳いでいる鯉がそう観られるとは思えないし、また川を泳いでいる鯉が「沈黙」を感じさせるというのも、妙ですし。森さんの解釈も当たっているようでもあるし。これはしばらく悩まなければなりません。

英語は今辞書を引きました。二つの辞書が共に「silent as a grave」と全く味気ない表現でした。中国では、ドイツでは、インディアンは・・・と知りたいですね。長くなりました、この辺で。なんてったって「沈黙は鯉」と言いますから・・・あ・・・^^


池の鯉
 

第13回ハンセン病問題に関する検証会議の提言

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月30日(日)17時59分53秒
返信・引用
  要するに「第13回 ロードマップ委員会」です。

12月11日(木)10:00〜12:00/東海大学校友会館「望星の間」(東京都千代田区霞ヶ関3−2−5霞ヶ関ビル33階)

#議題:・ワーキンググループにおける検討状況報告
    ・その他

厚労省HPをご覧下さい・・・。
 

余談:行けぬかもしれぬ森

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月30日(日)00時30分0秒
返信・引用  編集済
  昨日の「素粒子」に村越化石氏の俳句が紹介されていました。


  もう行けぬかもしれぬ森雪が降る  村越化石


「雪が降る」という言葉が、「断固たる自然現象として私を拒む。運命(さだめ)なのだなあ」という慨嘆として、胸に突き刺さってきます。自分にもそんな森が、有ると思えてここに書きました。


雪の森
 

Re: 余談:母賛歌

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月29日(土)20時41分52秒
返信・引用  編集済
  > No.4008[元記事へ]

> 母賛歌   Metis作詞作曲

この歌手、つい最近偶然テレビでみました。
今の若い歌手が、珍しい歌を歌っているなぁ、と思いつつ、一曲聴き終わり、テレビを消しました。
お名前も歌の題名も分からずにいました。ありがとうございます。

我が子がもしもこんなことを言ったらこそばゆいですが、まぁ間違っても言ってくれません(^^)。
 
    (リベル) あずきさんは間違いなく讃えられるお母さんだろうなあと思います。私は、父親失格男なのでありますが・・・^^

今日、何かのテレビ番組で松任谷由実さんの声には「1/fゆらぎ」とやら言うものがあって、それが人の心を癒す効果を持っているというような少し眉唾な話をしていました。そういえばこの歌手の声の質が、少し似ているのかなあとも思いましたが・・・だいたい松任谷さんの歌ってそんなに聴いたこともないので、どんなものだかどだい怪しい話ではあります???(11.30 00:18)
 

余談:母賛歌

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月29日(土)03時14分54秒
返信・引用  編集済
  毎日新聞の記事によると、25日放送の番組だったようですが、ラジオをつけっぱなしで眠っていた私は、この歌で目を覚ましてしまいました。歌詞は完璧ではないのですが、そして歌い方もブッキラボーなのですが、それが逆にヒシヒシと胸を打つ効果を増しています。聴きながら書いていて、また涙がポロポロなのです・・・^^


母賛歌   Metis作詞作曲

あれは昭和59年 私が生まれた故郷は
三月の春を運ぼうとしていたときだった
父はいませんが 何故だか笑って暮らせていた

これはありふれたものじゃない 母賛歌だ
涙 私に見せずに朝も昼も夜も働き眠りに落ちる横顔を
見逃すことなく見ていた

太陽よりずっと大きく あたたかい あなたの愛は
こんな弱い弱い私に「世界一強い子」だと誇ってくれました

母よ 母よ 感謝してます
寛大なる私の母よ
響け賛歌 大地の如く
励ましてくれてありがとう

故郷から夢追って 街から街へ渡り続け
二人三脚で生きてきました
私にはただ一人あなたを喜ばせる使命がいつもあるのです

例え耐え忍ぶ日にも 共に夢を追ってくれる日々も
その言葉なき笑顔の向こうに 明日への一踏を
私にくれました

母よ 母よ 感謝してます
自分自身にシラケた夜も
響け賛歌 私の心
すくい上げてくれてありがとう

太陽よりずっと大きく あたたかい あなたの愛は
こんな弱い弱い私に「世界一強い子」だと誇ってくれました

母よ 母よ 感謝してます
家族よ心しっかり結んで
響け賛歌 大地の如く
今あなたのために捧げます

励ましてくれてありがとう

すくい上げてくれてありがとう

私を生んでくれてありがとう…


 

猟師山を見る(^^;)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月29日(土)01時49分16秒
返信・引用  編集済
  今日私は、歩きながら3メートルほど飛び上がってしまうところでした。とんでもないことに気が付いたからです。昨日「第一次完成品」に辿り着いた「スシュルタ・サンヒター」の翻訳は何のために作ったのか、という誠に馬鹿げた自問を発していて、「山を見た」のです。この一覧表から、もっと正確に言えば、この一覧表の製作作業を通じて「久須汰」と「吉良淺」と「朱鼻虎」の意味するところを探り出すのが目的だと、そう思い込んでいたのですが、大間違いで御座いました。とっくにそれにお気付きになって、「おやまあ」と呆れていらっしゃった方が多かったのではないでしょうか?

実は「梵語の「ハンセン病」」だったのです。その中の4)「スシュルタ本集」ではを書いていて、収拾が付かなくなってあの一覧表の作成に入っていたのです。その鹿ばかり逐っている内に、案の定を見失っていました。

4)スシュルタ・サンヒターではと見出を変更して、そこへあの一覧表を嵌め込みます。勿論長くて親切な説明を付して。そしてサンスクリット語や「巣守留田 惨悲多」さんとはお別れ致します・・・年内一杯かかると思います・・・♪♪♪


森の鹿達
 

死にゆく者の叡智

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月27日(木)14時51分59秒
返信・引用  編集済
  > No.4002[元記事へ]

> 「鴎外は私が倫敦にいた時、私が出発した頃から弱っていた体が、再び起きられぬようになった。鴎外は母に”茉莉は今、欧羅巴にいる。一生の中で一番楽しい刻だ。俺の体が弱ったことを報せるな。危篤になっても報せるな。死んだという電報も打つな”と、言った。」

リベルさん。まずは「癌」ではなくて、安心致しました。
鴎外のこの言葉には、深い愛がこめられていますね。できればわたくしの場合もこうありたいとは想いますが、さてどうなりますやら。。。
わたくしは父と独り身の姉共に、癌で亡くしました。
最期まで一人で看取りましたが、その時には「告知」をできませんでした。
意気地なしですが、父と姉の「叡智」に頼ったのだと思います。

このことは長くなりそうですので、いずれ自分のサイトで書くかもしれません。
そのきっかけを頂いたことに感謝いたします。

昨日の上野公園の銀杏です。
 
    (リベル) 数日前、渡哲也主演の「告知せず」というテレビ映画を観ました。医者である夫が妻の末期癌を知るのですが、根っから明るいのが身上の愛妻にどうしても告知できない、医師としては告知義務がある、その葛藤と愛情を描く物語でした。最後に妻は実は真相に気付いていて騙された振りをしていたと、ほのめかして映画は終わりました。

深い愛は、「叡智」とそれから「自己犠牲」を伴うことが求められるのでしょうか。1986年のオスカー女優マーリー・マトリンの「愛は静けさの中に」を(二度目ですが)観ました。これも本当の愛とは?と問いかける、良い映画でした。かくの如く私奴は映画ばかり観ているわけで・・・はないのです。「静けさの中に」は結局4日に渡ってしまうという、そんな状態なのです。スシュルタさんと取っ組み合いをして、やれやれ、と映画を観かけると奥方のお目覚めの時間になっている、という塩梅で・・・^^

あずきさんの”執筆”を首を長くしてお待ちしています♪♪♪(11.28 01:34)
 

「スシュルタ・サンヒター」の翻訳

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月27日(木)07時07分10秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病」・「ハンセン病の」・「白癩=尋常性白斑」を表すサンスクリット語(梵語)は「kuṣṭha」と「kilāsa」と「śvitra」の三つの単語です。これらは「仏典」や「Sushruta Samhitā」をしたためる時にインドで用いられました。しかしたとえば鳩摩羅什が経典を漢訳するとき、或いは大地原誠玄氏が「スシュルタ本集」へ和訳するとき、あるいはBhishaģratnaが「The Sushruta Samhita」へ英訳するとき、必ずしも正確な翻訳がなされてないことに気付きました。複数の梵語が一つの言葉に訳されたり、逆に一つの梵語が複数の言葉に訳し分けられているのです。単に翻訳技術上の工夫ではなく、又、症状の実情に即した訳し分けでも有りません。そこで、これらの単語の和訳と英訳を一覧表にして比較対照しやすくしました。いくらかでも、20世紀に訳された言葉の真相、つまり訳者がどんな疾患を脳裏に描きながら訳業に立ち向かったかを推測するために、そしてそこから、2600年前にスシュルタがどんな症状を、何という言葉で表したかを特定するために・・・。(「スシュルタ・サンヒター」の翻訳について前書きから)  

中間報告的に

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月27日(木)01時59分3秒
返信・引用  編集済
  「スシュルタ・サンヒター」の翻訳のページを完成させるべく奮闘中ですが、チョット気付いたことで大切なことを二つ、書かせてください。

1)「大風子油」について、「厚労省のHP」(p.2)もブラウン氏の「聖書の中の『らい』」p.27も「スシュルタ・サンヒター」に書いてあると言っています。私が和訳・英訳両方の索引を調べても見当たらないことは既に書きました。今手がけている「第4篇治療篇」の「第9章癩病(皮膚病)」と「第10章重性癩病(皮膚病)」は、私が追い求めている結論に対して多くの示唆に富んでいるので、「p.420〜p.434」全てと、英訳「The Sushruta Samhita」の対応する「p.346〜p.361」を全てスキャンしました。

当然のことながら、治療のためにこういう薬を使いなさいと言うことが詳細に記してあります。薬の名も網羅してあります。ここにも見当たらないのです。何か他の植物名や表現で、登場しているのかも知れません。お気付きの方はお教えください。宜しくお願いします。


2)和訳の426頁は多くのヒントを提供してくれる頁です。対応する英訳の頁はこれです。

鉛筆やマーカーで下線を付しています。「又之を外用すれば皮膚を侵せる病を治めるのみならず、不治の皮膚病すらをも阻止す。」とか一番下の行の「是を白皮病患者に飲ましめ、而も皮膚病患者に対する養生法を守らしむべし。」などに見られる「病名」の使い分けも誠に興味深く、味読するべきだと思っています。

以上、チョット思いつきましたので・・・。


追記:第一次完成品(こういう言い方を「形容矛盾」とか「オキシモロン」とか言いました。)数日頂戴して、ヒョッとしたら年内一杯かけて、説明と結論を書きます。それで梵語とはお別れする予定です・・・^^
 

余談:食道癌の告知

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月26日(水)23時53分1秒
返信・引用  編集済
  森茉莉さんのエッセーにこんなことが書いてありました・・・

「(前略)吉田茂がアメリカへ、何かの話し合いをしに行った時、私は彼が飛行機に乗り込もうとしている彼の横顔に、暗い、真剣な顔を見た。それは、国民の運命を背負っている人の、顔であった。その顔はたとえていうと、子供の、癌であるか、そうでないかの試験を、医者がすることになっていて、その試験の結果を訊きに病院へ行く日の、父親の顔であった。(中略)国民の幸、不倖なぞはどうでもよくて、唯、首相という、収入のいい、名誉のある地位に、出来るだけ長く、しがみついていたい、という気持ちが見え見えの首相もある。(後略)」

これは1985年まで連載された「週刊新潮」のエッセーの一つ(1983年年末でした。ということは中曽根さんですね。)です。23年以上前に書かれています。なんか、お耳の痛い方もいらっしゃると・・・。あ、そうそう、これもまあ言いたいことの一つですが、標題の話。そうなのです。

今日その試験の結果を訊きに病院へ行って来ました。子供のでなく自分の試験です。先月末人間ドックで胃を内視鏡で診て貰ったら、食道に腫瘍が有るから精密検査をしてくれと言うことで、地元の医者にもう一度内視鏡で診て貰い、細胞を採取して検査機関に廻して貰っていました。

今日その結果が分かるというので、聞いてきましたが何でもない、「Alなんとか」というまあ単なる「白斑」ですね。と思いがけないところで朱鼻虎を思い出させられました。連れ合いに告げると、まあ想像を遥かに越えた反応で、こちらが腰を抜かしてしまいました。子供達に早速報告したらしく、お祝いの電話やらメールやらが舞い込んで、オイオイ何を勘違いしてるんだよ、と言いたくなりました。

私は人間ドックでも地元の病院でもその「腫瘍」なるものの映像を見、医者の反応を、瞬き一つ、息遣い一つも見逃すまいと、精魂込めて凝視していましたから、その時点で自己診断は終了していたのです。「癌」ではない、と。

連れ合いは本当に喜んでいて、今日は何でも好きなものを買ってきて、存分に召し上がれと宣うので、好物のメンチカツと鯵フライ、それに心配掛けたお詫びにシュークリームを買って締めて500円。

「あんたも大した人物だよ。実際には医者から電話があって、”奥さんもう手の施しようのない末期癌です。せいぜい美味しい物を食べさせてあげてください”って言われたんだろ、顔に書いてあるもの・・・」

と言ったら、心の底から笑っていましたから、まあ、大丈夫でしょう・・・(^^)

http://jp.youtube.com/watch?v=wc-84-qSr6Y&NR=1

 

余談:森鴎外とスーパーの老婦人

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月26日(水)04時09分50秒
返信・引用  編集済
  森茉莉さんのエッセーを読んでいますが、こんな話が。

「鴎外は私が倫敦にいた時、私が出発した頃から弱っていた体が、再び起きられぬようになった。鴎外は母に”茉莉は今、欧羅巴にいる。一生の中で一番楽しい刻だ。俺の体が弱ったことを報せるな。危篤になっても報せるな。死んだという電報も打つな”と、言った。」

この種の思い遣りには時々出合います。が私にはここまでは出来ない。心が及ばないのです。

先日スーパーで水泳の北島選手の家のコロッケを買って2個入りのパックを持ってレジに並んでいました。前のご婦人が、何か仰有っている。私はヘッドフォンで音楽やニュースを聴いているのです。「はあっ?」と聞くとその方の篭はギッシリ一杯なので、コロッケ1パックなら「お先にどうぞ」と仰有っているのです。面食らったものだから、「あの、いえ、順番ですから。あ、私急ぎませんから・・・」と辞退してしまいました。直ぐ後悔しました、いえお気持ちに応えられなかったことを、です。

それにしても、そこまでの気配りは自分には出来ない。どうぞお先にという。まあ、そういう事態に遭遇した経験が皆無だった精もあるかも知れませんが、出来ません。成る程なあ、さりげなくそう出来る人って、凄いなあとしばし考え込みました。

少しずつでも成長しようとしているのですが、結局あれでしょうね、このまんまオサラバすることになるのかなあ・・・^^


戦地に於ける森鴎外君
 

と言うことで・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月26日(水)02時11分9秒
返信・引用
  引き続き一覧表の作業に入ったのですが、忽ち出鼻を挫かれてしまいました。一覧表の「第4篇「治療篇」・第9章「癩病(皮膚病)」 ・第1節(p.420)」のところに「Twag-dosha=不明」と書いています。梵和辞典、梵英辞典とも「twag」という言葉がないのです。よく調べると、大体梵語には「w」が無いのです。そこでこういう場合は検索します、と、有りました。よくよく見ると、なんとそれは、Bhishagratna著「The Sushruta Samhita」のテキストそのものではありませんか。こんなところに有ったとは!!!と怪我の功名に感激しそうになったのですが、どうもしかし第2巻しか見当たらないのです。

ご注意!!このサイトは滅茶苦茶に重いです。自分のHPビルダーにコピペしてアプロードしましたが、やはり同様に重いので、止めました。

もう少し辛抱強く第1巻を探してみます・・・^^
 

「スシュルタ・サンヒター」の翻訳について

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月25日(火)23時50分46秒
返信・引用  編集済
  「kuṣṭhaなどの和訳と英訳」はタイトルを変更して”「スシュルタ・サンヒター」の翻訳について”にしたかったのですが、莫迦莫迦しく長いので、”について”を省略しました。

そんなことはどうでも良い。少し読んでと言うか見てというか、もう少し面白い、グイと引き込まれるようなページにならないものかと、工夫するのですが一向に面白くなりません。大体このテーマ自体が、著しくマイナーで、しかもオタク的なので無理からぬことなのではあるのですが。珍訳、迷訳を太文字か赤文字にするなど考えましたが、それもまた不謹慎の誹りを免れ得ず、この場でゴタクを並べるだけに留めました。

御用とお急ぎの無い方は、せいぜいお楽しみください(自暴自棄気味^^)。私が酒の飲み過ぎに託けて書き込みの空白を設けているのも、実は尋常ならざる深い悪巧みを秘めて居るのです。この一覧表は、何とかして出来るだけ多くの方に、それもジックリとご覧頂きたい。何も書いてないから、しょうがねえからこの面白くもない一覧表"でも眺めてみるか・・・というお気持ちが少しでも浮かべばそれはもう、私奴の術中に陥ったと、そう思し召せ。

真面目な話、私奴が明日か明後日にでも一挙に公開に漕ぎ着けようとしているこの標題についての結論は、この一覧表への取り組みが大きく拍車を掛けたのですから、その説明の労を極力薄めるためにも、実は、ご覧になっておいて頂きたい。これだけしつっこく書くと、これはソッポの首を更にねじ曲げることになりますね。この辺にしておきます・・・(^_^)/~
 

大事な発見

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月23日(日)05時41分57秒
返信・引用  編集済
  昨日「大事な発見をしたので・・・」と言っておりましたが、纏めるのには時間がかかります。「スシュルタ・サンヒター」の和訳・英訳の問題点を明らかにして、その上で、「kuṣṭha」、「kilāsa 」、「śvitra」が何であるかという、結構大胆な推測的結論を書こうとすると、小論文になって来て、今日は止めました。その材料になる「kuṣṭhaなどの和訳と英訳」が未完結だったのでそれを補うべくスキャンしたりしている内に、時間が無くなり疲れてしまいました。明日は酒を飲むつもりなので、いや勿論毎日飲んでいるのですが、明日は大量に飲む積りなので、また数日後にお会いします。では御機嫌よう・・・(^_^)/~


これは拾ってきたもので、未だ近所はこんなには紅葉していません・・・^^
 

kusthaなどの和訳と英訳

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月22日(土)05時19分14秒
返信・引用  編集済
  大地原誠玄著「スシュルタ本集」とBhishagratna著「The Sushruta Samhita」を付き合わせて、「kuṣṭha」、「kilāsa」、「śvitra」が、双方でどう訳されているかを見るべく、一覧表にしてみました。「kuṣṭha」は第一篇は全て拾いましたが、それ以下は表にはしていません(実際には馬鹿馬鹿しくなって^^)。「kilāsa」、「śvitra」は全部拾い出したはずです。少なくとも双方の索引にある者は全て拾いました。

ご覧頂く前に20日にご紹介した大地原氏のご子息の「亡父とスシュルタ」の一部をご紹介します。

「・・・「分かった、分かった」の歓喜にいたるのは前記の場合と同様であったが、この場合の歓喜の表白には、「スシュルタ」英訳者Bhishagratnaの誤解ないし曖昧を難ずる語気が常に伴ったと記憶する。」

これを頭に入れた上で「kuṣṭhaなどの和訳と英訳」をジックリご覧ください。全てにページ画像を付けられれば良いかも知れませんが、全部はスキャン出来ていませんし、第一煩雑だとも思います。「Kushtha」一つを採っても「h」が有ったり無かったり「m」が付いていたりいなかったり、繰り返しになりますが、繰り言の一つも出ようというものでしょう。この多彩というか、曖昧というか、乱雑というか、滅茶苦茶ぶりには、流石の麻生さんも尻尾を巻いて逃げ出しておしまいになるでしょう・・・(^^)


ああ、疲れた。大事な発見をしたのですが、もう明日にします。ではでは・・・(^_^)/~
 

第3回ハンセン病資料館等運営企画検討会の開催について

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月22日(土)04時27分32秒
返信・引用
  標記が12月5日に開かれるそうです。  

ハンセン病の最古の記録

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月21日(金)05時40分14秒
返信・引用  編集済
  一昨日書いたのですが、あちらのWikipediaの「leprosy」の「History」の冒頭にこう書いてあります・・・

The Oxford Illustrated Companion to Medicine holds that the mention of leprosy, as well as ritualistic cures for it, were already described in the Hindu religious book Atharva-veda.」(ritualistic=儀式的な)

一昨日は「睡虎地秦簡」をご紹介するのに忙しくて、こちらをペンディングにしたのですが、実はこれは私にとって大事件なのです。私は「ハンセン病の最古の記録」で、一般に言われているB.C.600年頃の「スシュルタ・サンヒター」とする説は間違いで、更に古くB.C.1000〜800年頃の「アタルヴァ・ヴェーダ」に記録が有ると主張しています。

ここに強力な援軍が現われたというわけです。「The Oxford Illustrated Companion to Medicine」は図書館には無く、大学の付属図書館に有ります。関西では神戸大他4校です。アメリカのアマゾンでshipping込みで中古で6ドルです。日本のアマゾンは中古で5,136円、神戸まで往復するよりもアメリカのアマゾンの方が安い!よしこれを買おう・・・♪♪♪

追記:結局3,26ドルの本に決め、勘定を進めていたらshipping&handlingが12,49ドルで、締めて15,75ドルになりました。
ま、いいか・・・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!(11.21 07:13)


「The Oxford Illustrated Companion to Medicine」
これって、瓶から錠剤を出している絵なのですね・・・^^
 

梵文「法華経」批判!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月20日(木)03時53分39秒
返信・引用  編集済
  今日、ふと目に入ったページに、この批判がありました。簡単に言えば、梵語の「原典」と言うのはおかしいのだぞ、と言うことなのです。「からぐら」という筆者の名はどこかで聞いたことがある、或いは前にこのサイトへ行ったことが有るのかも知れません。創価学会の人のようです。しかし、日蓮や法華経の研究はとても深くて、ついて行けません。

植木雅俊「法華経」(はしがきから)は「法華経の梵文テキストが抱えている問題点」を厳しく批判しているとしては居ますが、「テキスト、翻訳両面にわたる批判的検証はいまだ済んでいない。」と手厳しく論難して居られます。まあ、ご本人に梵語の知識が無いそうですから、オイオイと言いたくはなるのですが。まあ「学問は非情なものである。出版した瞬間から既成の説として批判の眼にさらされる。」というのは正鵠を射ているので、ヨシヨシと、まあ生意気な態度を取っておきます。

それにしても、繰り返しますが、どの道へ足を踏み入れ掛けても当然ながら先人が居て、ズット、ズット先へ行って居られます。ああ、40年、いや30年で良い、若返ることが出来たら頑張るのだがなあ、と思うのですが・・・なあに若返ったら若返ったで、再び同じようにぐうたらな生活を繰り返すに決まってます・・・とまあそこいらは一応自覚致しては居るわけなのでございます・・・^^


昨日紹介した「睡虎地秦簡」の「封診式」(書家のブログから)
紀元前3世紀の物です。発掘者はさぞかし感動したことでしょうね。
 

Re: 睡虎地秦簡

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年11月19日(水)04時21分27秒
返信・引用
  > No.3993[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 「すいこちしんかん」と読みます。中国の湖北省・雲夢県・睡虎地にて発掘された竹簡群のことで、秦の官吏を務めていた喜(B.C.262〜217年頃)という人物の個人的な所有物らしいのですWikipediaより)。この中に「封診式」という巻があってその中に当時の実際の社会的状況などが記されており、「癘」の症状の記述が有るそうです。チンプンカンプンですがこれです・・・
>
> 「癘
> 爰書:某里典甲詢里人士伍丙,告曰:「疑癘,來詣。」.訊丙,辭曰:「以三歲時病疕,眉突,不可知其何病,毋它坐。」令醫丁診之,丁言日:「丙毋眉,艮本絕,鼻腔壞。刺其鼻不嚏。肘膝□□□到□兩足下踦,潰一所。其手毋 。令號,其音氣敗。癘也。」」
>
> あちらのWikipediaでは・・・
>
> 「・・・not only described the destruction of the "pillar of the nose", but also the "swelling of the eyebrows, loss of hair, absorption of nasal cartilage, affliction of knees and elbows, difficult and hoarse respiration, as well as anaesthesia."」
>
>
> 「white leprosy」の写真を探しに行っていてあちらのWikipedia「leprosy」で見付けました。睡虎地秦簡が発掘されたのは1975年だそうですから、30年以上日本では取り上げられていなかったことになります。いけませんね。早速「呼称の変遷」に追加しておきました。

  貴重な文献と思います。この漢文が書かれたのは秦でしょうか。癘は明らかに今のらいで、鼻腔壞。刺其鼻不嚏 も興味深いですし、肘膝以下のことは、いざりのことでしょう。鼻が壊れる病気はいくつかありますが、全身病の場合は 梅毒と らいしかありません。当時は梅毒はまだなかった頃でしょう。梅毒では感覚がなくなることはありません。らいでは初期に発音がおかしくなり、自然治癒で、また治ります。英訳した人はらい病を頭に描いたと思われます。伝染性に関しては書かれていないのですね。

 Ichiro
 
    (リベル) 上のWikipediaはこれです。

あちらのWikipedia「leprosy」はこれです。

「呼称の変遷」はこれです。

いずれも何故かリンクが張れなかったので、こちらでご覧ください。(11.11 06:46)
 

睡虎地秦簡

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月19日(水)02時51分10秒
返信・引用  編集済
  「すいこちしんかん」と読みます。中国の湖北省・雲夢県・睡虎地にて発掘された竹簡群のことで、秦の官吏を務めていた喜(B.C.262〜217年頃)という人物の個人的な所有物らしいのです(Wikipediaより)。この中に「封診式」という巻があってその中に当時の実際の社会的状況などが記されており、「癘」の症状の記述が有るそうです。チンプンカンプンですがこれです・・・

「癘
爰書:某里典甲詢里人士伍丙,告曰:「疑癘,來詣。」.訊丙,辭曰:「以三歲時病疕,眉突,不可知其何病,毋它坐。」令醫丁診之,丁言日:「丙毋眉,艮本絕,鼻腔壞。刺其鼻不嚏。肘膝□□□到□兩足下踦,潰一所。其手毋 。令號,其音氣敗。癘也。」」

あちらのWikipediaでは・・・

「・・・not only described the destruction of the "pillar of the nose", but also the "swelling of the eyebrows, loss of hair, absorption of nasal cartilage, affliction of knees and elbows, difficult and hoarse respiration, as well as anaesthesia."」


「white leprosy」の写真を探しに行っていてあちらのWikipedia「leprosy」で見付けました。睡虎地秦簡が発掘されたのは1975年だそうですから、30年以上日本では取り上げられていなかったことになります。いけませんね。早速「呼称の変遷」に追加しておきました。
 

Re: 久須太と吉良淺と朱鼻虎

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月18日(火)05時40分33秒
返信・引用  編集済
  > No.3989[元記事へ]

> 話は変わりますが、昨日もめくっていた「聖書の中の『らい』」のp.27にこんなことが書いてあります。
>
> 「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料はインドにあり、紀元前六〇〇年頃まで時代は下ります。それより以前の口伝をふまえていることは事実ですが。ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています。皮膚と神経の療法の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病とは区別されています。」



昨日歩きながらこの部分を反芻していました。「軽度のありふれた(癩の)病状でさえ白斑病とは区別されています。」

ここの「白斑病」とは同著のp.21によれば、「中世ヨーロッパや現代インドに見られる「白らい」」であり、「ついでに言えば、今でもこの描写のような色素を失った斑点をみつけると、まるで真のらいにかかったような恐怖と拒否反応を示す人がいます。」というそういう病気なのです。すなわち「尋常性白斑=vitiligo」のことを言っているのです。

ここでブラウン氏が「スシュルタ・サンヒター」のどの部分を読んでそう考えたのかを探してみました。和訳「スシュルタ本集」英訳「The Sushruta Samhitā」の下線の部分をお読みください。

「leucoderma(śvitra)」を「白皮病」「cuteneous affections(Kushtha)」を「癩性皮膚病」と訳しています。和訳の方で見ると、癩性皮膚病だけでなく腫瘍や浮腫、悪性創瘍などとも峻別していることが分かります。ブラウン氏はこの部分で「白らい=尋常性白斑=śvitra」との「区別」を判断したのかと思われます。

ブラウン氏は2,600年前のスシュルタの記述を良く読んだ上で、現代のハンセン病の認識と照合して発言なさっています。これが何よりも重要なことだと私は思っているのです。実は私は何度か「ハンセン病学会」の現場の臨床医の方に「スシュルタ本集」の記述の信憑性を確認しようという衝動に駆られました。しかし、その必要は有りますまい。

私が迷妄の闇の中にあったのは、スシュルタやヴァーグバタの叙述が、現在のハンセン病医学の常識から懸け離れたものではないかという当然の不安でした。そういう私にとって、23年間アフリカで医療の実際に携わって来られたブラウン氏の保証は、正に全ての不安を一掃してくれる「お墨付き」となりました。


心は、秋晴れ♪♪♪
 

Re: 余談:迷走と困惑

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月18日(火)03時27分27秒
返信・引用  編集済
  > No.3990[元記事へ]

あずきさんへのお返事です

> > 「村山談話を”踏襲(ふしゅう)”するべきで・・・」で、あれっと思っていましたが、どうも読み間違いが”頻繁(はんざつ)”に有るようで、”詳細(ようさい)”には承知していませんが、これほどの首相の失態は”未曾有(みぞゆう)”のことでは有りますまいか。漫画ばかり読んでるからだとどこかのコメンテーター氏が暴言を吐いていましたが・・・^^
>
> 追加します。『物見遊山=ものみゆさん』⇒『ものみゆうざん』???

いやはや、もう何をか言わんやですね。過去の7字に「物見遊山」を加えて検索してみたら、いや上には上がと申しますか・・・

有無(ゆうむ)
詳細(ようさい)
踏襲(ふしゅう)
前場(まえば)
措置(しょち)
頻繁(はんざつ)
未曾有(みぞゆう)
物見遊山(ものみゆうざん)
思惑(しわく)
実体経済(じつぶつけいざい)
低迷(ていまい)
順風満帆(じゅんぷうまんぽ)
破綻(はじょう)
焦眉(しゅうび)
遵守(そんしゅ)
詰めて(つめめて)


ここまで来るともう「伝説」を形成するのではないでしょうか・・・^^

なんと「首相の晩御飯」、ついつい10月14日まで遡ってこの野郎と思いながら見てしまいました。例の北島康介選手の実家のメンチカツを近所のスーパーで週に一度、土曜日だけ売っています。それが楽しみで、また本当に美味しいのです。その生活で結構、結構。漢字は彼ほどは間違わないぞ・・・^^


じゅんぷうまんぽの海王丸。「かいおうがん」ではありませんぞ・・・(^^)
 

Re: 余談:迷走と困惑

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月17日(月)22時42分7秒
返信・引用  編集済
  > No.3983[元記事へ]

> 「村山談話を”踏襲(ふしゅう)”するべきで・・・」で、あれっと思っていましたが、どうも読み間違いが”頻繁(はんざつ)”に有るようで、”詳細(ようさい)”には承知していませんが、これほどの首相の失態は”未曾有(みぞゆう)”のことでは有りますまいか。漫画ばかり読んでるからだとどこかのコメンテーター氏が暴言を吐いていましたが・・・^^

追加します。『物見遊山=ものみゆさん』⇒『ものみゆうざん』???

http://www5.nikkansports.com/general/gohan/top-gohan.html

これ↑は「首相の晩ゴハン」だそうで。。。「定額給付金」では行けませんね。

お口なおしに、どーぞ。
 

久須太と吉良淺と朱鼻虎

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月17日(月)01時58分16秒
返信・引用  編集済
  寝ても覚めても頭の中に渦巻いているのが、彼等三人組です。しかし、今日は嬉しいことがありました。嫁に行っていた娘が出戻ってきたのです、実際には逆で図書館に戻っていた「スシュルタ本集」三巻が又我が家へ来てくれたのです。が確かに心境としては娘が帰って来た(いやそれは困るのですが)様な実感なのです。なにしろ、本棚はここ二週間その部分は、空けたままで待っていたのですから。

話は変わりますが、昨日もめくっていた「聖書の中の『らい』」のp.27にこんなことが書いてあります。

「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料はインドにあり、紀元前六〇〇年頃まで時代は下ります。それより以前の口伝をふまえていることは事実ですが。ススルース・サミータ(Susruth samhita)はらいに関する伝統的な知識を集約し、大風子油を療法としてあげています(これは私が調べた限り、どのページにも見当たりません。学名(Hydnocarpus Anthelmintica)でも。英訳の方でchaulmoograを探しても。:リベル)。皮膚と神経の両方の症状がみとめられ、(軽度のありふれた病状でさえ)白斑病(これは植物の病気名です。ブラウン氏はśvitraの意味で使って居られるので、訳者―石館氏か助力者―が大地原氏の訳をそのまま使ったのだと思います。:リベル)とは区別されています」

一応間違いは指摘しておきましたが、それはこの際関係がありません。重要なのは「最も古く、疑いもなくらいと断定できる資料」という指摘の部分です。これが私に大きく覆い被さって来、同時に一つの迷妄を解き放ってくれました。中国の「黄帝内経」、エジプトの「エーベルス・パピルス」にも記述はあります。そちらの方も手を広げなければいけないのではという恐ろしい迷いが有りました。

大切なのは、古い医学書として、記述が信頼できるのは「スシュルタ・サンヒター」しかないのだということです(翻訳の問題は置いておいて)。そしてその医学書に「kuṣṭha」と「kilāsa」と「śvitra」が三つの別の病気として記述してあるという事実です。

「ヴェーダ文献とハンセン病」にも書いていますが、「スシュルタ・サンヒター」の著者スシュルタと「チャラカ・サンヒター」の著者チャラカと並んで「三医聖」の一人とされるヴァーグバタが「両著の内容を良く理解して両著を折衷させようと意図した(「インド伝統医学入門」p.33)」とされる「アシュタンガー・フリダヤ・サンヒター(八科精髄本集)」という本が有ることを、11月10日にも書きました。これは「Astanga hrdaya of Vagbhata」という英訳が一冊有るようですが、12,475円です。今度出るとかやはり止めようとか言っている定額給付金を注ぎ込みますか?

これは先日ご紹介したとおり梵語版はweb上に有ります。ページ内検索していて標記三人組が顔を並べていることも、ご案内しました。この一節です。

「sva-dārāpatya-dhāvanam
kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ śvitraṃ kilāsaṃ dāruṇaṃ ca tat
nirdiṣṭam a-parisrāvi tri-dhātūdbhava-saṃśrayam」

参考:saṃbhavaṃ=being together、 dāruṇaṃ=cruel、dreadful、 ca=and、both、also、 tat=then、in that case

これを「梵和大辞典」とweb上の「モニエルの梵英辞典」を駆使(よく言うよ!)して訳してみました。昨夜から先程まで約10時間かかったでしょうか。最初に出した結論は「文法を習わないと翻訳不能!」です。次に出した結論は、「ま、いいかっ!」です。サンスクリット語をご存知の方はきっと、プッ!と吹き出されるのでしょうけど・・・^^

「自ら墓穴を掘るような極言は、避けねばならないが
ハンセン病の罹患、尋常性白斑、ハンセン病の白斑、これらはまさに残酷であり
控え目に表現しても三重苦と言うべきであろう。」

こういう墓穴を掘るようなことは、やはり止めるべきだったのでしょうか、京都市吉田本町の京大人文研究所に「英訳」が有ることが分かりました。これ、行ってしまうと、これからの生活が「change!!」になってしまうので、流行に乗るのは嫌いだから・・・ブツブツ・・・^^

とにかく、この三人組の存在が確定的となりました。一つ大きな結論を得たと思います。これから「スシュルタ本集」に取り付いて、そういう立場から再検証にかかると致します。
 

メソポタミアの業病観

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月16日(日)00時25分21秒
返信・引用  編集済
  今日ブラウン氏の「聖書の中の『らい』」をめくっていて、新しい発見をしました。「業病観について」を纏めたのですが、大きな見落としをしていました。それが標題です。

シュメール人(メソポタミア南部―B.C.3000〜2700年頃)、アッカド人(バビロニア北部―B.C.24世紀頃)が用いていた、シュメール語やアッカド語では、重症の皮膚病をあらわす語は「罪悪」という意味にも用いられていた例がある、と「聖書の中の『らい』」p.26(原典はOppenheim―1964年、Quoted in Skinsnes,Leprosy Review,35)に記されています。ハンセン病でなくても重症の皮膚病などが、四大文明発祥の地の一つであるこの地方で「業病視」されていたことは記憶に留めておくべきでしょう。

慌てて追記しておきました。
 

訃報

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月15日(土)12時14分7秒
返信・引用  編集済
  「不在の街」やBBS「東風吹かば」でお馴染みのしゅうさんこと村井澄枝様のお父上(義父)が、去る10日にお亡くなりになったそうです。ここ数日「東風吹かば」に繋がらないので、問い合わせたところ、こんな大変なことでした。

お父上のご逝去に心から哀悼の意を表します。


暫くしたら再開する予定だと仰有っていました。取り急ぎお伝えします。
 

Re: 余談:迷走と困惑

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月15日(土)04時03分50秒
返信・引用  編集済
  > No.3983[元記事へ]

> 「村山談話を”踏襲(ふしゅう)”するべきで・・・」で、あれっと思っていましたが、どうも読み間違いが”頻繁(はんざつ)”に有るようで、”詳細(ようさい)”には承知していませんが、これほどの首相の失態は”未曾有(みぞゆう)”のことでは有りますまいか。漫画ばかり読んでるからだとどこかのコメンテーター氏が暴言を吐いていましたが・・・^^

こんなのもありました・・・

>こんな歯医者さんが有りました。

>奥歯は診ないそうです、まえばしか・・・(爆)

>ちなみに「日本の苗字7000傑」によれば、「前場」が5752番目、「前波」が10486番目だそうです。


この場合は「前場」は「まえば」で良いのですが、経済の問題を語るときは”前場(ぜんば)”でしょう。こうなるともう”有無(ゆうむ)”を言わせず退陣願うという”措置(しょち)”を取らざるを得ないのではないでしょうか。麻生さんの場合は「KY」を「漢字が読めない」と当てるそうです。口の悪い人が居るものですね・・・(^^)


昔、ご覧に入れた・・・
 

余談:勝ってくるぞと勇ましく♪

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月14日(金)02時42分4秒
返信・引用  編集済
  またまた森茉莉さんの「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」で恐縮ですが、こんな一文がありました。

「父が日露戦争で出征していた頃、母が私の手をひいて、夕暮れの町を歩いていると、そこやかしこの四つ辻に十人位の人が、出征する兵士を取り囲んで両手を上げ、低い、沈んだ声で”万歳、万歳”と言っていたが、その深い哀しみと感動とをひそめていた声は、母の胸を掻き挘ったそうだ。」

私が小学5年生で終戦でしたから、それより小さいとき私も「出征」風景を見ました。向こう三軒の右の家のご主人でした。「深い哀しみと感動とをひそめていた声」だったかどうかハッキリとは覚えていませんが、その二重性を秘めた奇妙な儀式は異常な経験として、記憶に残っています。勿論以後の知識による色付けも否めませんが。

その方は戦死されました。遺された家族は老いた母と、未亡人と二人の女の子で、細々と駄菓子屋を営んで居られました。数年して或る夕方、秘かに玄関を入っていくお金持ち風の男性を見かけました。その頃上の女の子は小学の高学年だったでしょうか。昂然と頭を擡げて、店先の自転車を力一杯空漕ぎしている姿を、しきりに見かけました。

これも、戦地で塹壕の中、隣で銃を打っていたはずの弟が死んでいたのと同様の、戦争の齎した悲劇です。

田母神前航空幕僚長は、論外です。唾棄すべきだと思います。


出征兵士を送る(きたのHPより)
 

Re: 余談:映画「ママの遺したラブソング」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月14日(金)01時48分36秒
返信・引用  編集済
  > No.3982[元記事へ]

> というのです。毎日を白癩や久須汰や守備虎などと枝葉のexplorationに現を抜かしている私奴は、出発点目指して冒険を続ける勇気を、後押しして貰いました・・・(^^)

ワザワザ書くのかなあ・・・?と自ら訝りながら書くのですが・・・

「出発点」というのは全く単純なことで、「白癩」から「ハンセン病」に至る「呼称の変遷」のことなのです。その作業は「呼称の変遷」で終わっている、と逃げることも出来るでしょう。

しかし、ただ一つ、それではどうしても私の気持ちが納得しない。100%の正確さを欠く、という気持ちが拭えなくて。

「日本書紀 巻二十二」に記されている「白癩」は現在の「ハンセン病」ではなく、「尋常性白斑=vitiligo」であったのかも知れません。それは現在までの調査では解明が出来ていません』

という「注釈」を付けたいものだ、という気持ちなのです。この”グレイゾーン”とでも言うべきものを、幾らかでも白なり黒なりへ近づけたい、それがまあ現在の私奴が今日は「白癩」明日は「守備虎」と花から花へと舞い狂っている主たる原因なのでしょう。


ワザワザ書くのかなあ・・・?と自ら訝りながら書いてしまいました。恐らく「投稿」のボタンを押す・・・かな・・・でしょう・・・^^


京都・寂光寺の紅葉(高画質壁紙写真集から)
 

余談:迷走と困惑

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月14日(金)00時15分34秒
返信・引用  編集済
  こう題した一文をどこかでお読みになった方も有るかと思いますが、江田五月氏のメルマガからです。

「衆議院の「解散風」は凪いだが、残任期が10ヶ月を切ったのに、先行きは超不透明となり、政策は迷走だ。最優先という追加経済対策は、詰めが甘かった。目玉の「定額給付金」は、所得制限や給付の方法を、相談もなく丸投げされた市町村は困惑。道路財源の一般財源化による1兆円の地方移管もあやふやのまま。一般財源化自体も、さらに地方出先機関の廃止も、誠に覚束ない。国民は困惑している。」

こういう日記を江田氏は毎日書いて居られ、こちらから申し込めますがそれはさておき直近の政治状況を簡明に一刀両断という感じで、小気味よい思いで読み返しました。

「村山談話を”踏襲(ふしゅう)”するべきで・・・」で、あれっと思っていましたが、どうも読み間違いが”頻繁(はんざつ)”に有るようで、”詳細(ようさい)”には承知していませんが、これほどの首相の失態は”未曾有(みぞゆう)”のことでは有りますまいか。漫画ばかり読んでるからだとどこかのコメンテーター氏が暴言を吐いていましたが・・・^^


麻生首相
 

余談:映画「ママの遺したラブソング」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月13日(木)07時01分51秒
返信・引用  編集済
  スカーレット・ヨハンソンがゴールデン・グローブ賞にノミネートされた作品で、ジョン・トラボルタも好演でした。就中クライマックス・シーンでのトラボルタが引用した、T.S.エリオットの詩(「四つの四重奏曲」)の一節にグイと引き付けられました。

"We shall not cease from exploration
And the end of all our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time."

字幕は・・・

「人は冒険をやめてはならぬ
長い冒険の果てに
出発点へ辿り着くのだから
そして―初めて居場所を知るのだ。」

というのです。毎日を白癩や久須汰や守備虎などと枝葉のexplorationに現を抜かしている私奴は、出発点目指して冒険を続ける勇気を、後押しして貰いました・・・(^^)


スカーレット・ヨハンソンとトラボルタと・・・
 

Re: 余談:発見!廃墟!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月12日(水)02時37分22秒
返信・引用  編集済
  > No.3978[元記事へ]

> 「芸術とは、宇宙の秩序の再現、すなわち宇宙からのメッセージの変奏であり、
> それは血の出るような苦心と努力と磨き上げられた技術が結集して、
> 人間を無我の境地にまで到らしめたとき、おのずから生まれ出て
> 鑑賞者の心を打つものである。」



少し唐突なので、その下地になった考え方を、念のためコピペさせていただきます。実は、これは同時にMちゃんの話の下地にもなっているのですが。二つ有ります、一つは・・・

「…山と向き合い夢中になってその姿を写している時、不思議な思いに捕らわれることがある。今自分は曼陀羅を描いているのではないか?人間の想像力では及びもつかない自然の造形の素晴らしさに接しながら、その遙か向こうに、この自然を造り出したものの存在を感じてしまう。それが自分にとってのなのかもしれない。」小泉淳作(日本画家−建長寺・天井画雲竜図など)談(NHK「こころの時代」)

もう一つは・・・

「<天体の音楽>ということが、昔から言われてきた。ケプラーやゲーテが惑星などの天体が奏でる音楽について言った表現である。これまで私たちは、それを単なる比喩あるいは文学的表現だと思ってきた。ところが近年になって宇宙のさまざまな天体から、固有のリズムを持った波動が地上に送られてくることがわかった。
 …そうだとすると…人間の芸術としての音楽は、普通の人間以上に敏感に宇宙からのメッセージを受け取っているすぐれた作曲家たちが、その変奏を私たちに提供してくれるものにほかならない。」(中村雄二郎「精神のフーガ」p.10より)


建長寺法堂天井 雲龍図(1814年に再建された建長寺の法堂には、これまで天井画がなかったが、建長寺創建750年記念事業として、2002年、法堂天井に約80畳の小泉淳作筆の雲龍図が掲げられた。臨済宗黄檗禅サイトから)
 

Re: 続・白癩について(その三)仏典編

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月12日(水)01時56分23秒
返信・引用  編集済
  > No.3958[元記事へ]

> 「四分律」は梵語で「Dharmaguptaka vinaya」、英語で「Discipline in Four Parts」だとまでは分かりましたが、原典は未だ見付かりません。「大正新脩大蔵経」ではこうなっています
>
>
> 「仏典全体」と広言しておきながら、結局は昨日の発見の裏付けの強化に止まっていますが、まあ、先をお急ぎにならないでください。「先」には何も無いかもしれませんが・・・^^


「四分律」の梵語がもう一つ見付かりました。「Cāturvargīya-vinaya」です。ここが作業場と化していて申し訳ないのですが、メモする場所が無くて、それとご報告旁々書かせて頂きました。これで検索したのですが、未だ梵語、英語とも見付かりません。あの五語「癩・癰疽・白癩・乾痟・瘨狂」を梵語で見たいのですが・・・。


白癩について(その四)日本の古典編になかなか取り掛からない理由をここで弁明しているとお思いかも知れません。それは・・・実はその通りなのです・・・(^^;)
 

有るものですね・・・!!!Re: 白癩について(その四)日本の古典編は延期

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月12日(水)01時32分48秒
返信・引用
  > No.3968[元記事へ]

> 何故かと言いますと、「The Sushruta Samhitā」に出て来た「śvitra」とそのついでに発見した「śveta-kuṣṭha」=「white leprosy」が仏典に出ていないか、どう出ているかを調べなければならなくなったからです。私の考え方ではこれらは「白癜」=「vitiligo」でなければならないのですが、先日調べた通り「大正新脩大蔵経」の検索で「癜」は3個しか無かったのです。
>
> ですのでその三つと、梵語の仏典内での「śvitra」と「śveta-kuṣṭha」の二語を探して調べる必要が出て来てしまいました。今からその作業に取り掛かります。ああ、楽しいかな人生・・・♪♪♪
>
>
> 追記:今「University of the West」のサイトで検索しました。どちらも有りません。「kuṣṭhaṁ」、「kilāsaṁ」は「妙法蓮華経=Saddharmapuṇḍarīkasūtram」の中に各1個ずつ有りますが、「śveta=白い」と言うのが2個有るだけでした。
>
> と言うことは、veda文献にあって、仏典には無いと言える、かな?「University of the West」が全仏典を抱えているかどうかを調べなければいけません(現在63個の仏典=Sutra Section です)が、少なくとも主要な仏典には見当たりませんでした。(11.7 04:30)


今例の「śvitra」がオンラインの梵漢辞典に有るかどうかを調べていました。妙なことに有りません。それは又他を調べるとして、何かの拍子に「漢梵佛經對照表」という言葉が目に留まり、そう言えば先日「University of the West」に全仏典が有るのか、調べたいと思っていたのを思い出しました。このサイトで、引き合わせれば分かるはずです。そうこうしている内に、もう一つ「Digital Dictionary of Buddhism: Sanskrit Text Titles Index」というのも見付かりました。

さあ、嬉しいやら、悲しいやら、まあのんびり取り組むと致します・・・^^
 

余談:発見!廃墟!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月11日(火)03時00分13秒
返信・引用  編集済
  2003年4月29日の私のホームページを「Internet Archive」で見付けました。画像に凝っていたのですが、それは完全には再現できません。

「芸術論」などクリックしてみて下さい。私の(えらそうに)「芸術観」などというのは、今も変わっていません。実は下の投稿の根っ子には私の芸術についての持論が有るのです。昔そこに書いた言葉をコピペします。

「芸術とは、宇宙の秩序の再現、すなわち宇宙からのメッセージの変奏であり、
それは血の出るような苦心と努力と磨き上げられた技術が結集して、
人間を無我の境地にまで到らしめたとき、おのずから生まれ出て
鑑賞者の心を打つものである。」

エジソンの言葉もこれと通底すると思っています。

「天才とは1%のインスピレーション(霊感)と99%のパースピレーション(発汗)である。」

ご免なさい。お目汚しでした・・・(^^;)
 

余談:神の存在

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月11日(火)01時43分13秒
返信・引用  編集済
  私の小さな体験を書き綴ります。私の連れ合いの妹は6年前に60歳で亡くなりました。彼女(Mちゃん)は底抜けに明るく、人のために何かをしないでは居られない性格で、中学校の教師を辞めてからは障害児の施設で奉仕活動を続けていました。当然友人も多く、太陽のような存在に思えて私は好きでした。

突然、卵巣癌の宣告の報が届いて驚きました。みるみるうちに輝きが失せていくのが、とても辛かったです。訪問すると必ず庭の畑に出て来てしゃがんで弱々しい笑顔を見せていました。立っていられなかったのです。

癌は非常に強い苦痛の発作が有ると聞いています。私は或る夜、神様に心から祈りました。どうか少しの間でも良い、Mちゃんの苦痛を私の身体に植え替えて下さいと、真剣に祈りました。そして数日後、連れ合いが未だ寝室に来ていない時に、私は突然金縛りに遭い、そして身体の底から大きな大きな身震いが襲ってきました。痛みはないのですが、息が詰まりそうな、思わず呻きそうな苦痛が絶え間なく襲いかかって、10分か20分でしょうか、続きました。連れ合いに聞こえないよう奥歯を噛み締めて耐えました。生れて初めての経験でした。

その後Mちゃんが入院して見舞いに行き、留守宅に泊まっている時、同じ発作が襲ってきました。連れ合いが隣のベッドにいて気付いてしまい、これは驚いて水や何かの薬を持ってきて、背中をさすってくれましたが、やはり数十分は続いたようです。

Mちゃんは亡くなりました。死の当日身内が病室に集まっているとき、私が枕元より壁際にいて視界から外れていたら「義兄さんは?」と探して、上目遣いで私を捕えました。その眼差しは忘れられません。数時間後にあちらに行きました。

以後、あのような発作は全く有りません。私はその発作を霊的とか、神秘的という風には全く感じたことがありません。神様を通じて私の「心」が届いたのだと思っているのです。神様と言うより、宇宙や自然を包んでいる「大きな力」が実際に働いたのだと、そう思っています。「奇跡」は神がなさるものではなく、人間が起こすものだとまで。


いま読んでいる森茉莉さんの「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」という、森さんの気恥ずかしさが丸見えのタイトルの随筆集から・・・

「私は今度テレビで、(中村歌右衛門の)墨染桜の精を見て、ほんとうに、桜の精が抜け出して来たという、美を感じた。(中略)歌右衛門がどうやって、樹から抜け出た桜の精だという感じを私に抱かせたか、私は知らない。それは芸というものの微妙で不思議な、歌右衛門がどこからか、奪(と)って来た、誰にもわからない、《或もの》である。」

私はこれを読んで、上の話を書こうと思い立ちました。
 

Re: みずたで

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月10日(月)22時54分47秒
返信・引用
  > No.3975[元記事へ]

> 「蓼科」なのでしょうか?さがしても「みずたで」がみつかりません(泣。。)

友人からよい情報を頂きました。あっちに書きました。
 
    (リベル) あずきさん、こんばんは♪♪

私も「あっち」に漢字情報を提供してきました。「蓼」なのですね・・・^^(11.11 01:09)
 

Re: みずたで

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月10日(月)13時55分15秒
返信・引用  編集済
  > No.3974[元記事へ]

おせっかいさんへのお返事です

「薔薇」の「「薔」は「みずたで」だったのですね。ありがとうございます。
おせっかいさんって、あのおじさんでしょ?(^^)。

「蓼科」なのでしょうか?さがしても「みずたで」がみつかりません(泣。。)
 

みずたで Re: 余談:薔薇と微笑

 投稿者:おせっかい  投稿日:2008年11月10日(月)11時17分33秒
返信・引用
  > No.3972[元記事へ]

あずきさんへのお返事です


> 「薔薇」の「「薔」は独立した言葉としてはありませんね。

http://en.wiktionary.org/wiki/%E8%96%94
 
    (リベル) はい、そうなのですが、そこまで行ったらもう一息・・・^^

こちらまで行って頂きたかった、だって左のフレームの中の「日本語」をクリックすれば・・・惜しい・・・(^^;)

たとえばWikipediaの「ハンセン病」、左の「English」を押せば「leprosy」が、「中文」を押せば「麻瘋病」が出る、チョットした隠し技でした・・・(11.10 13:20)
 

Re: 久須汰と吉良淺

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月10日(月)04時37分17秒
返信・引用  編集済
  > No.3971[元記事へ]

> そうすると、「大混乱を極めている」いや「多彩極まりない」和訳・英訳から、何かが浮かび上がってくるという予感がし始めたのです。しばらくそちらに取り組みます。ではでは・・・(^_^)/~

ということで、ここまでは出来ました。後は現在兵庫県立図書館へ出戻り中の「スシュルタ本集」が今週あたり帰ってくるでしょうから、それからチェックしたりスキャンしたりして、仕上げます。

しかしどう思われますか、これを見ただけでもその翻訳の多彩さには感心されるのではないでしょうか。本当にくどいですが、原書の言葉は「kuṣṭha」一つなのです。和訳、英訳とも今ご覧頂くだけでも、「多彩」でしょう・・・♪

なかんづく、このページの無神経さには、やはり腹が立って来ます。

     スシュルタ本集             The Sushruta Samhitā

「スシュルタ本集」の方に「白皮病」が堂々と二つ有ります。先の方は「śvitra」の、後の方は「kilāsa」の訳語なのです。「The Sushruta Samhitā」の右上の方のピンクの丸い印にご注目ください。「守備虎」と書いてあります。タイガースの守りは肝心な所で崩れましたが、でもこれほど甘くはないでしょう・・・^^;


今年は見られませんでした・・・(>_<)
だからと言うわけではないのですが、破れかぶれに憂さ晴らし↓URL

http://jp.youtube.com/watch?v=jFUSOasQ89c

 

Re: 余談:薔薇と微笑

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月 9日(日)15時27分47秒
返信・引用  編集済
  > No.3970[元記事へ]

>          

リベルさんは本当に罪なお方ですね(^^)。
またまた「薔薇」が気になって調べてしまいました。
「薔薇」の「「薔」は独立した言葉としてはありませんね。
でも「薇」は、独立して「ぜんまい」とも読むのですね。

ゼンマイ目のシダ植物。原野や山地に生える。葉は長さ約70センチメートルの羽状複葉。若葉は葉柄とともに渦巻状に巻き、綿毛におおわれ、春、開く前に採って食用とする。胞子葉は短く、羽片は線形。

・・・ということで、「渦巻状」に「微妙」にややこしいのは仕方ないのです♪
 
    (リベル) 今晩は、あずきさん。なるほど「ぜんまい」はこの漢字なのですね。

駄目押しで、文科省の「常用漢字表」から「微」を取り出し、民間サイトからその「教科書体」を取り出しました。ご参考までにどうぞ・・・^^(11.10 00:44)
 

久須汰と吉良淺

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 9日(日)03時41分55秒
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  飛車角と吉良常なら聞いたことが有るんだが・・・いやこれは他有ろう「kuṣṭha」と「kilāsa」で御座います。もういいよ、聞き飽きたよと言われそうなので、チト趣向を変えただけなのですが、「白癩について」をチョット置いておいて浮気をしようと言うのです。これは三日ほど暖めていたのですが、やはり大事なことだと思うので、取り掛かってみます。「スシュルタ本集」が早く来ないと完成は出来ないのですが。

構想はこういうことなのです。「スシュルタ本集」の索引から逆算すれば原典「Sushruta Samhitā」に「kuṣṭha」が出て来るのは39個所です。しかしここで「2.5」と書いてあるのは第2篇「病理篇」 第5章「癩病(皮膚病)」(一例)の意味なので、ここには多数の「kuṣṭha」があって数え切れません。ここはしかしこの表に纏めてあるので、解決するだろうと思います。こうして原典に出て来る「kuṣṭha」すべてを、大地原氏訳「スシュルタ本集」の訳語、英訳「Sushruta Samhitā」の訳語と一覧表にするのです。「kilāsa」も「śvitra」もそれを作ります。こんな予定です。

そうすると、「大混乱を極めている」いや「多彩極まりない」和訳・英訳から、何かが浮かび上がってくるという予感がし始めたのです。しばらくそちらに取り組みます。ではでは・・・(^_^)/~
 

余談:薔薇と微笑

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 9日(日)01時27分24秒
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  今日夕食の時クイズ番組を見ていたら、薔薇の「薇」という字は草冠に「微笑」の「微」ではない。薔薇の「薇」は「微笑」の「微」に一本加えなければならない、と言うのです。さあ大変、食卓の上は国語辞書、漢和辞書、ルーペなどで一杯になってしまいました。誤解の元はどうもこういうことらしいのです。ATOKの変換のままですが・・・

         

これを見ると成る程そうだと言いたくなります。自称「字源の字書」である「字統」のご厄介になっても、解明されません。阿辻哲次著「漢字を楽しむp.74〜149(面倒な方はp.134、135)」を読んで痛感したのですが、戦後日本の文部省(当時)が漢字をいじり倒していました。

ならば、ご本家は如何なることになっているか?良く利用する「漢典」で調べてみました。これが絶対的なものだとはどなたからも聞いていませんが、使った感じでは、信頼度が高いので。

                       

いずれも「字源字形」タブでご覧ください。「小篆」「楷体」「中国大陸宋体」「台湾細明体」「香港明体」「韓国明朝体」「旧字体」の全てが「微」の上に草冠という点では統一されていて、ただ一つ「日本明朝体」だけが歴然と違う文字になっています。

日本の国語辞典ではどうなっているかを、お手間を取らせないために記しておきます。「広辞苑(第6版)」と「大辞泉(初版)」は「旧字体」に従っています。また手持ちの漢和辞典「字通」、「大辞源」とも「旧字体」を採用しています。「日本国語大辞典(第1版)」、「大辞林(第3版)」、「新明解国語辞典(第6版)」、「三省堂国語辞典(第5版)」は「日本明朝体」に従っています。

ちなみに「常用漢字表」の「微」は手持ちのものの中で、「字通」と「大辞源」に付いて居る付録では「旧字体」=「日本明朝体」ですが、「大辞泉」のものは「日本明朝体」の横棒の下が出っ張りのない「ル」になっている↓のです。呆れてものも言えません・・・(;`つ´)怒!

他の「教科書体」はこれしか見付かりません。ご参考までに。

神奈川県立梓川高校の生徒さんが2007年に作った映画があります。「トメ」か「ハネ」かの素朴な疑問に発した作品ですが、20分近いので、全部は見ていません。参考までにご覧になってください。阿辻哲次氏のその本に紹介してありました。

彼は当然のことながら、この日本の漢字の乱脈ぶりにかなり苛ついていますが、なにかご自身が文科省のなんとか委員をやっているので、牙は剥きません。私も牙を剥くのは止めましたが、開いた口は塞ぎません・・・(^^)



「大辞源」の「常用漢字表」から・・・
 

Re: これも長い時間を要しました

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月 7日(金)16時41分13秒
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  > No.3967[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

>  オバマ氏がアメリカの大統領になりました。初の黒人大統領です。私は単純に喜んでいます。

「ハル・ベリー」の言葉「待って。私は74年分の時間が欲しいんです」と、「マーチン・ルーサー・キング牧師」の言葉「 私には夢がある。いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが皮膚の色によってではなく、人となりそのものによって人間的評価がされる国に生きるときがくるであろう 」とは忘れられない言葉となるでしょう。

こちらでも、いろいろな話題が。リベルさんもいらっしゃいますが(^^)。

http://www.haizara.net/~shimirin/cgi-bin/takiko/joyful.cgi
 
    (リベル) あずきさん、今晩は。遂に黒人大統領が生れました。だからといって、黒人差別が一挙に解消されるなどということは決してあり得ないことでしょう。

思えばしかし、日本のハンセン病の受難の年月はさらに長かったのですね。この根強い偏見と差別の根絶も、これは日本人のこれからの課題です。

心血を注がねばならない!と自らに言い聞かせています・・・(^^)(11.8 00:40)
 

白癩について(その四)日本の古典編は延期

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 7日(金)03時58分22秒
返信・引用  編集済
  何故かと言いますと、「The Sushruta Samhitā」に出て来た「śvitra」とそのついでに発見した「śveta-kuṣṭha」=「white leprosy」が仏典に出ていないか、どう出ているかを調べなければならなくなったからです。私の考え方ではこれらは「白癜」=「vitiligo」でなければならないのですが、先日調べた通り「大正新脩大蔵経」の検索で「癜」は3個しか無かったのです。

ですのでその三つと、梵語の仏典内での「śvitra」と「śveta-kuṣṭha」の二語を探して調べる必要が出て来てしまいました。今からその作業に取り掛かります。ああ、楽しいかな人生・・・♪♪♪


追記:今「University of the West」のサイトで検索しました。どちらも有りません。「kuṣṭhaṁ」、「kilāsaṁ」は「妙法蓮華経=Saddharmapuṇḍarīkasūtram」の中に各1個ずつ有りますが、「śveta=白い」と言うのが2個有るだけでした。

と言うことは、veda文献にあって、仏典には無いと言える、かな?「University of the West」が全仏典を抱えているかどうかを調べなければいけません(現在63個の仏典=Sutra Section です)が、少なくとも主要な仏典には見当たりませんでした。(11.7 04:30)
 

これも長い時間を要しました

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 6日(木)08時27分46秒
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   オバマ氏がアメリカの大統領になりました。初の黒人大統領です。私は単純に喜んでいます。5年前に感動して取っておいた記事を紹介させて下さい。

2002年3月27日・毎日新聞「余録」から

 「賞の中の賞」として映画界で最も注目されるのが米国のアカデミー賞である。ことしはアカデミー史上はじめて黒人俳優が主演女優賞と主演男優賞を獲得して、さらに注目された。「チョコレート」で主演女優賞に選ばれたハル・ベリーは「 信じられない 」 と10回あまり繰り返して「 有色人種の多くの女性たちにドアが開かれました 」と涙ながらにあいさつした。スピーチは5分間に及び、司会者に終了を促されると「待って。私は74年分の時間が欲しいんです」。アカデミーは1928年に創設され、ことしで74回。黒人が主演女優賞をとるまでに74年かかったと言いたかったのだろう。主演男優賞は「トレーニング・デイ」のデンゼル・ワシントン。シドニー・ポワチエ以来、38年ぶり2人目の受賞である。

 米国の黒人指導者マーチン・ルーサー・キング牧師が生まれたのはアカデミー賞創設の翌年だった。63年、ワシントンでキング牧師は訴えた。「 私には夢がある。いつの日か、私の四人の小さな子どもたちが皮膚の色によってではなく、人となりそのものによって人間的評価がされる国に生きるときがくるであろう 」。

 「 私には夢がある。いつの日か、この国は立ちあがり、『われわれは、自明の真理として、すべての人は平等につくられ……』というこの国の信条の真意に生きぬくときがくるであろう 」。名高い「ワシントン大行進」での演説のほんの一節だ。

 「 この言葉を聞くと、涙が出そうになる 」 と画家の安野光雅さんが書いている(「天は人の上に人をつくらず」童話屋)。人種差別撤廃、平等、反戦の夢。その夢の実現を目指したキング牧師は68年、凶弾に倒れた。キング牧師が残した夢はアカデミー賞の選考では実現した。


ハル・ベリー
 

大きく立ち塞がる壁

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 6日(木)04時08分3秒
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  昨日植木「法華経」の「kilāsa」は「尋常性白斑」と訳すべきではないかと、仮説を唱えました。梵語の「kilāsa」をこう訳すと「スシュルタ本集」の方も脈絡が貫通するのではないか?「白斑癩」とか「白皮病」などという、辞書にない言葉が一掃できるのではないか?そう思ったのです。

唯一この場合、「白皮病(kilāsa」の記述(下から7行目)との食い違いが気になるのです。「非分泌性」は良いのですが「焦熱感」や「痒感」は「尋常性白斑」には有りませんから。

しかし、昨日書いたように、もっと大きな壁は「śvitra」だったのです。「morbid whiteness of the skin , white leprosy , vitiligo」と書いて、出典が「スシュルタ・サンヒター」になっています。このページ(右p.351)から登場します。おまけにご丁寧に「leucoderma」(「尋常性白斑=vitiligo」の症状)とまで書いてあります。ですからやはり「kilāsa」を「尋常性白斑=vitiligo」と訳してはいけないのです。ウームまたもやゼロからの出発です。

さらに気に掛かるのは先程の辞書の解釈「morbid whiteness of the skin , white leprosy , vitiligo」の中の「white leprosy」です。いや、私の「二つの白癩」説の片方だから、これはこれで良いのです。が変なものを見付けてしまったのです。

「ヴェーダ文献とハンセン病」の最後に触れているヴァーグバタの「アシュターンガ・フリダヤ・サンヒター」の梵語版がこれです。ここでページ内検索で「śvitra」を入れてみて下さい。三回目辺りから「kuṣṭha」や「kilāsa」が隣近所に頻出します。逆に「kuṣṭha」や「kilāsa」を入れて検索してみて下さい。かなりの数でヒットします。この「サンヒター」にも「ハンセン病」がかなり述べられていることが分かりますが、残念ながら英訳が未だ見付かりません。

「sva-dārāpatya-dhāvanam
kuṣṭhaika-saṃbhavaṃ śvitraṃ kilāsaṃ dāruṇaṃ ca tat
nirdiṣṭam a-parisrāvi tri-dhātūdbhava-saṃśrayam」

などは訳したくなりますが、それを始めるとどこかの大学の聴講生になりたくなるといけないので、止めておきます。

以上、「大胆な仮説」とその「取り消し」と「アシュターンガ・フリダヤ・サンヒター」という発展性を含んだ「オマケ」、でした。明日からまた「白癩について(その四)日本の古典編」に戻るつもりです。
 

余談:莫迦と馬鹿

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 6日(木)01時45分48秒
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  今、森茉莉さんの「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」という本を読み始めています。森さんは1903年生れで、この本が書かれたのは1979年〜1985年ですから、76歳から82歳まで、意気軒昂たる著述を続けて居られたことになります。それだけの興味から買いました。正直に言うと、面白くて他の著作もまた5冊発注してしまいました。勿論古本で、1円のも2冊有りますが(送料340円、締めて341円の本)。

この本を読んでいて気になったのが標題の「莫迦」なのです。何の気無しに読んでいたのですが、途中で中野翠さんの解説を読み直していて「あっ」と気付きました。私はこの文字を何の抵抗もなく読んでいましたが、しかし思えば人生で一度も書いたことがありません。専ら「馬鹿」なのです。

「ふーむ」と思いました。「車夫馬丁」という言葉が使われていました(p.40)が、私は所謂「車夫馬丁のたぐい」だと自認しています。根性が根っから卑しく、さもしい人間だという意味です。これは勿論自慢しているわけではなく、さりとて卑下しているわけでもありません。人間には私のように「卑しさ、さもしさ」が先天的及び後天的に備わっている者も居ると思っています。言い換えればそういう資質を持って生れ、育ちの中でその資質が助長されたと言うことです。

そういう人間の得な面は、そういう人達の気持ちが―当然ながら―良く分かることです。それ以外に得なことも良いこともありません。

「莫迦」の方は上等な人間が使うのだけれど、私は「車夫馬丁のたぐい」だから「馬鹿」を使うのだろうかとフト思ったので、こんな莫迦な話を書いてしまいました。中野翠さんの解説(p.374)には「莫迦野郎」が引用してあったので、変な使い方だなあと気付いたのです。普通「ばかやろう」というのは「馬鹿野郎」と書く方が正しいとお思いになりませんか?

莫迦莫迦しいお話しでご免なさい。ウーンやはりおかしいですね・・・ああ、馬鹿馬鹿しい・・・(^^)


お口直しに・・・。解説(このページの一番下から、「肖像画展」をご覧ください。一見の価値有りです。)にこう書かれています。「「森鴎外父子肖像」平福百穂画 たばこをくゆらす鴎外と、父にまといつく少女茉莉。鴎外邸でおこなわれたカルタ会のひとこま。明治40年ころのものという。茉莉をとくべつに可愛いがっていた鴎外の家庭での横顔がうかがえる。」
 

大胆な仮説と大きく立ち塞がる壁

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 5日(水)05時09分46秒
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  何か重く黒い大きな渦が頭の中でグルグル回転していて、何だろうこれは?と思っている内に、ポッカリ浮き上がってきた「大胆な仮説」があります。植木雅俊氏の「kilāsa」=「ハンセン氏病の白い斑点」は誤訳ではないか?

その部分を漢文から現代訳まで並べてみます。

●漢文=「水腫乾痟 疥癩癰疽 如是等病 以爲衣服 身常臭處」

●書き下し=「水腫・乾痟・疥・癩・癰疽、是の如き等の病、以て衣服と為ん。身常に臭きに処して」

●現代語訳=「その人にとっては諸々の病が衣服である。幾コーティ・ナユタもの傷、〔すなわち〕かさぶた、疥癬、さらに発疹、ハンセン氏病や、ハンセン氏病の白い斑点が〔あり〕、さらに腐敗した臭いがある。」

注:大辞林から
癰疽=癰と疽。ともに悪性のできもの。悪瘡。毒瘡。
疥癬=疥癬虫の寄生によっておこる伝染性皮膚病。かゆみが激しい。指の間・わきの下・陰部など皮膚の柔らかい部分を冒す。皮癬(ひぜん)。湿瘡(しつそう)。


水腫・乾痟・疥・癩・癰疽と五つの症状 (病気)が並んでいます。五つの病気で思い出すのは1日に書いた「四分律」の中の「癩・癰疽・白癩・乾痟・顛狂」です。これは明らかに異なる病気が並んでいます。

これと比べてみると植木訳のは「かさぶた、疥癬、発疹、ハンセン氏病、ハンセン氏病の白い斑点」です。四つの病気+同じ病気の症状 (白い斑点)というのは、医学者ならずともやはり不自然ではないでしょうか。これが「誤訳」説の根拠なのです。

では「kilāsa」は辞書ではどうなっているか?こちらをご覧ください

@(mfn) leprous

A(f) a kind of spotted deer(discribed as a vehcle of the Maruts)  リグ・ヴェーダv,53,T(2行目)(参考

B(n) a white leprous spot   アタルヴァ・ヴェーダ i , 23 , 1参考

C(n) (in med.) a species of leprosy (resembling the so-called white leprosy in which the skin becomes spotted without producing ulcers)    スシュルタ・サンヒター(未だ記載個所が発見できません)


「leprous 」はチョット置いておいて、Aは白斑のある鹿か羚羊です。Cは潰瘍を伴わないで斑点が出来ている所謂白癩に似た、ある種のleprosyだと言っています。

これらを総合すると、ポッカリ浮かんでくるのは「vitiligo」=「白癜」=「尋常性白斑」なのです。法華経の「ハンセン氏病の白い斑点」の所にこれを入れた方がピッタリ来るのだがなあと、思うのも無理無いでしょう・・・(^^;)これが「大胆な仮説」で御座います。いっそ「白癜(しらはたけ)」と訳された方が、真相に近いのではないかと言う・・・。


「大きく立ち塞がる壁」とは何か?これはまた明日にします。長くなりますから。ヒントは簡単で、前に書いた「śvitra」です。お楽しみに・・・(^_^)/~


もう一度・・・。片目を閉じて見ると、奥深あい秋の空が・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!
 

Re: 追記:「業病観」について

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 3日(月)04時21分54秒
返信・引用  編集済
  > No.3942[元記事へ]

他に「業病観」についてというのを纏めていますが、それに関して、今日見付けた、というより見落としを発見したことをご報告します。

昨日書きましたが、「スシュルタ本集」を今日図書館へ返さなければならないので、付箋を剥がしたりしていて、気付きました。「業病観」についての中で「The Sushruta Samhita」のページを1ページだけ紹介していて、「第2篇病理篇・第5章」の方は紹介していませんでした。

今日気付いて読んだら、大地原氏の和訳より遙に直截でドギツイ英訳になっていました。下にもう一度大地原氏の和訳と新たに今日気付いた英訳を並べておきます。

     和訳                 英訳

(Bráhmana=vedaに通じた人・婆羅門、impiety=不信心、divine retribution=神の罰、proper regimen=適度な摂生、expiatory penance=贖罪の苦行)

医学書でありながら、「神が下し賜う罰」と言うのには驚きます。「Wise man hold」(を大地原氏は「或る人は曰う」と訳していますが)では、逃げたことにはならないと思いますが。

スシュルタはB.C.6世紀の人ですが、その後A.D.3〜4世紀頃まで後継者が加筆していたとも言われています(「インド伝統医学入門」p.29)。インドのマウリア王朝のアショーカ王(在位B.C.268〜232年)の時エジプト・ギリシャとも相当密接な外交交渉があったとされ(中村元著「インド思想史」p.69)、いずれにしてもヘレニズム文化はB.C.2世紀にはインドに入って来ていますから、聖書の「ツァラアト」の思想が何らかの形で伝わって来ていたのかも知れません。

これについては、また他の機会に取り上げるかも知れませんが、少なくとも、医学書にかくも歴然と(梶原性全もそうですが)業病観を示すのは、極めて異常なことだと私には思われてなりません。
 

Re: ああ、恥ずかしい

 投稿者:あずき  投稿日:2008年11月 3日(月)02時07分44秒
返信・引用  編集済
  > No.3961[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> おっと、あずきさん。レスのお心配りはなさらないでくださいよ、くれぐれも・・・

いやいや、リベルさんが最初に書かれたレスを、わたくしはそのように読んでいませんでした。リベルさんのご性格はわかっていたつもりですので。わたくしがお返事書かなかったのがいけなかったようですが、「繊細で、鋭利で、美しく……」とまでおっしゃられますと、恥ずかしくて出てこられなかっただけです(^^)。

「…かし」は否定の意味はなく、意味を強める助詞ですから、間違いではないと思いますが。
 
    (リベル) いやはや、そうお聞きしてどれほど安堵したことでしょう。

しかし、「あれかし」は「そうありなさい」という「命令形」に「かし」という意味を強める助詞が付いたのですから「もっと繊細で・・・になりなさい」と申し上げたことにならないでしょうか?

そう考えついて、まあ、驚き恥じ入ったこと、ご想像以上です。

でもまあ、杞憂だったことが分かって、安心して、本当にドット疲れが出ました・・・(喜)ヽ(´ー`)ノ ワーィ!  (11.3 2:30)
 

ああ、恥ずかしい・・・Re: 追記を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 3日(月)00時16分1秒
返信・引用  編集済
  > No.3957[元記事へ]

あずきさんへのお返事です

> 書こうと思って、またおたずねしましたが、すでにリベルさんのレスが(^^)。。。
>
> 思ったことを追記しておきます。
> 「言葉」とは、どのようなものでも、光と影の部分を合わせ持つもの。
> 何かを言いきることは困難なことですので、「嫌い」は避けてほしいと思うのでした。
> すみませぬ。

(リベル) あ、そういうことなのですね。あずきさんが”「嫌い」という言葉そのもの”を「避けてほしい」、「受け付けられない」と仰有るのは。

どうせ見るのなら良い絵を、美しい花を、聴くのなら良い音楽を、読むのなら良い文学を。と。そのことは「ふくろう日記」を拝読していても、良く分かります。

その様にしてご自身の魂を少しでも高めて、そこから優れた詩を紡ぎ出そうとなさっている。そこへあのどす黒い粗野な言葉が土足で踏み込んで来るのは、絶対に排除しなければなりません。

繊細で、鋭利で、美しくあれかし、あずきさん!!「英俚」はいけませんが・・・(^^;)(10.31 00:15)


私は、日本語を間違って使っていました。「繊細で、鋭利で、美しくあれかし」というのは「繊細で、鋭利で、美しくないから、そうあって欲しいものだ」という意味になります。そう言う意味で書いたのではないと今更申し上げても、取り返しの付くものではありません。先程原文の方には「ますます」を付けてきましたが、ここで誤りを訂正して、あずきさんと他の皆様に、お詫び申し上げます。

「何という失礼なことを言う奴だ!」と目を疑い、お怒りになった方もいらっしゃったかと思います。私の言葉に対する鈍感さを露呈してしまいました。この程度の奴です、恥ずかしいことです・・・(反省)

おっと、あずきさん。レスのお心配りはなさらないでくださいよ、くれぐれも・・・(^^;)


谿のコスモス
 

再・ 白癩について(その一)まえがき

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 2日(日)01時57分10秒
返信・引用  編集済
  > No.3936[元記事へ]

↑ここに一度「前書き」を書いたのですが、本編を書き進めている内に少し様相が変わったので、再度仕切直します。このようにするつもりです・・・


1)ハンセン病の古い記録を調べていると先ず目に付くのが「白癩」という言葉です。

2)最初に登場するのは「日本書紀・巻二十二」(720年完成)の「是歳(612年)。自百済国有化来者。其面・身皆斑白。若有白癩者乎。」の一節です。「令義解」(833年完成)には「悪疾、謂白癩也、此病、有虫食人五藏、或眉睫墮落云々」と詳細な症状まで記載されています。仏典では「大正新脩大蔵経」内を検索すると141個の「白癩」が有ります。又最近刊行された植木雅俊著「法華経」では詳細を究めた解説を行っていますがその中ではサンスクリット語の「kuṣṭha」を「ハンセン氏病」、「kilāsa」を「ハンセン氏病の白い斑点」と訳しています

3)海外に目をやると、「アタルヴァ・ヴェーダ」(B.C.1000〜800年頃)に既に「kilāsa」が登場し、辻直四郎氏の訳によれば「白癩を癒すための呪文」の中の「癩の患部」と訳されています(画像(1)(2))。なお、ヴェーダ文献の中の有名な医学書「スシュルタ・サンヒター」(B.C.600年頃)の中では「kilāsa」を「白斑癩」、「白皮病」と訳しており「白癩」という言葉は「和訳」の中には見当たりません。

4)一体「白癩」というのはどういう疾患のことを指すのでしょうか?国語辞書の類を色々調べてみましたが、ここから分かった大きなことは「白癩」と言う文字は「びゃくらい」、「しらはたけ」と読みが異なれば釈義も異なるということです。ただこの事実だけから医学的な推測を行うのは危険なことでしょう。

5)勿論1,300年前、2,800年前の記述の、医学的な確実性も、全くケースバイケースで、現在、厳密に推測することは不可能でしょうし、またそうすることに如何ほどの意義があるのかは、甚だ疑問です。

6)ここで行おうとしていることは、極めて限られた手掛かりを、最大限に、しかし真摯に活用することによって、一歩でも真相に近寄ろうという、少なからず無謀な試みであることを、少なくとも編者は承知していることだけは、お伝えしておきます。


と、まあ、こんな前書きで然るべき予防線を張って置いて、中味はまるで伸び伸びと、存分に大胆な推理を展開してやろうと・・・そんな不届きなことは考えていません。「クソ」が付くほどの私の真面目さは皆様ご存知の通りなので、ご安心ください・・・^^

実は一ヶ月という異例の貸し出しを許可頂いていた「スシュルタ本集」を11月3日に一旦返却しなければなりません。今数えただけでも11枚の付箋が残っています。今から寝食抜きで「読取革命」によるスキャン→「ウェブアートデザイナー」による編集→「Clear File」への取り込み作業に入ります。そちらが一段落付いたら再び「白癩について(その四)日本の古典編」に取り組みます。こちらには準備万端整えて、待ち構えておいでですから・・・(^^;)


日々是電脳写真から「中秋の彩り」です。
 

続・続・白癩について(その三)仏典編

 投稿者:リベル  投稿日:2008年11月 1日(土)03時44分38秒
返信・引用  編集済
  昨日までに分かってきたことを、一体どう纏めるのが真っ当なのかと思案投げ首。「コスモスを離れ」ること、「鹿」から一旦目を外すことだと「そもそも論」に戻ると、「白癩」と表記されるものに、「白癩=white spotted leprosy」「白癜(しらはたけ)=vitiligo」の二つの病気があるのではないか? というただ一点が問題の中心なのです。

しからば昨日たどたどしくやっていたことも、そう的外れではない、と勇気百倍、次のことに挑みました。「大正新脩大蔵経」に「白癩 癩」を入れて検索します。全部で141件ヒットしました。その内「白癩」と「癩」が一緒に含まれているものが57件。その中で「白癩」と「癩」が明らかに昨日調べたような現れ方をしているのが46件です(「白癩・赤癩・黒癩」のような現れ方のものは除きました)。

つまり「白癩」と「癩」が一つの文章の中に現われるのが全仏典中で57件有り、その内の80.7%が明らかに別の病気として扱われているのです。昨日「四分律」の中に出て来た「癩・癰疽・白癩・乾痟・顛狂」という扱われ方が大半です。時間がお有りの方は、上の「大正新脩大蔵経」の各頁をご覧になってください。


そこから推測して、「」は「leprosy=ハンセン病」、「癰疽」は「white spot of leprosy=ハンセン病の白い斑点」、「白癩」は「vitiligo=白癜(しらはたけ)」なのだと、私は判断します。(副係長補佐代行の決裁だとしても・・・^^)


これで「全仏典」中の「白癩」と「癩」の扱われ方が全て洗い出されたと断じて良いでしょうか?もう一つ、そもそものヒントを与えて下さった、「律藏経典群に見られる耆婆の治療法」によるチェックを忘れてはいけません。「2、耆婆が治療した病気と病人について」の「総括」(ご免なさい、探しにくいですね。スクロールして中央から少し上へ行くと「3、頭の病気」があります。その上の文章です)の冒頭にこう書いてあります。

「文献的には、『根本説一切有部毘奈耶薬事』には記述が見られない。また記述ある『摩訶僧祇律』では十二種類、『十誦律』と『四分律』と『南伝大蔵経』では五種類、『五分律』では七種類と、病気の種類と数に異同はあるものの云々」

私が上に述べてきたのはこの中の「五種類」だけです。「十二種類」というのは「癬疥・黄爛・癩病・癰痤・痔病・不禁・瘧病・謦嗽消盡・癲狂・熱病・風腫・腹腫」、「七種類」というのは「悪瘡・癰・白癩・半身枯・鬼著・赤斑・脂出」であることが更に上の方にそれぞれ書いてあります。しかしこの「十二種類」、「七種類」からは今問題にしている「白癩」と「癩」の区別は読み取れません。これでチェックは終わりました。私達(と言っていけなければ、私)は「五種類」についての検証で十分であると考えても良いのではないでしょうか。

なお「大正新脩大蔵経」に「黄爛 癩病」と入れて検索すると「摩訶僧祇律」が4件、「惡瘡 癰 白癩」では「彌沙塞部和醯五分律」が1件、チャント出て来ますから、嬉しいです。

念のために「律蔵」と「仏典」の関係はWikipedia「経典」の最初のところをお読みください。


これで「仏典編」は一応終わりたいと思います。半年もすると、又「仏典」に対する見方が変化していてどう書き直すか、直さないか分かりません。丁度「スシュルタ・サンヒター」に於けるのと同様に。それは又その時のことで・・・(^^)長らくのお付き合い、有難うございました。次は「日本の古典編」に取り掛かると致します・・・(^_^)/~(11.1 04:42脱稿でした。)
 

Re: 続・白癩について(その三)仏典編

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月31日(金)01時35分45秒
返信・引用  編集済
  > No.3954[元記事へ]

仏典の中の「白癩」を抽出すると「大正新脩大蔵経」の検索結果はこんなにあります。141ケース有ります。幾つか選んで研究する方法も有ろうかと思いますが、それはしません。恐らく不毛に終わるだろうと予想されるからです。

「法華経の中のハンセン病」では「妙法蓮華経」を取り上げて徹底追及しています。恐らくそれと大同小異の結果が出るだろうと予測するのは、そう狡いことではありますまい(本音が洩れる)。



10月24日「仏典編」をこのような言葉で終わろうとしていました。やはり狡かったのです。「大正新脩大蔵経」は本家中国も一目置かざるを得ない、日本の偉業の一つです。ここに先ず殆どの仏典が集まっていると言っても良いのでしょう。「妙法蓮華経」の徹底追及が他の多くの仏典中の「白癩」の用法を示唆するだろうという考え方は、そう的はずれだとは思いませんが、やはりそれだけで逃げ出すのは「狡い」と気付きました。そこで「大正新脩大蔵経」にお出ましを願って、「仏典全体」という目で一度捕え直してみることにします。

しかし、どう手を付ける?と茫然としてしまいます。「癩」に関する言葉を全部放り込んで検索してみました。こんな結果が出ました。

癩:656
癘:272
厲:893
白癩:141
疥癩:120
癜:3

こういう結果が出ました。「厲」は「勵」という意味に用いられるケースが多いのでこういう数になっているようです。それはそうとしても、この作業は一体ここから何を得ることが出来るのでしょう。

「癩」で検索してこのページを見て下さい。昨日見た「資行鈔」が下から7行目、8行目に出ています。「癩・癰疽・白癩・乾痟・顛狂」中程の「大日經疏演奧鈔」にも「癩癰疽白癩乾痟顛狂五種」と有ります。

どうなのでしょう、睨めっこをしていても、このこと以外に特に何も抽出できません。気になることも見付かりません。唐突ですが「法華経」の「譬喩品第三」を開いてみます。これの左右のページから「癰疽」「乾痟」を拾い出すと、「乾痟」「疥癬(かいせん)」と訳され「癰疽」はお馴染みの「ハンセン病の白い斑点」と訳されています。やはり、「白癩」と「癩」だけでなく、「白癩」と「癰疽」も違う病気なのです。つまり「白癩」=「白癜」説がこれで一つ裏付けられるのではないでしょうか(「顛狂」は別途調べます。梵語の「四分律」が見付かれば良いのですが)。

「四分律」は梵語で「Dharmaguptaka vinaya」、英語で「Discipline in Four Parts」だとまでは分かりましたが、原典は未だ見付かりません。「大正新脩大蔵経」ではこうなっています


「仏典全体」と広言しておきながら、結局は昨日の発見の裏付けの強化に止まっていますが、まあ、先をお急ぎにならないでください。「先」には何も無いかもしれませんが・・・^^


野菊の集中砲火!!!
 

追記を・・・

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月30日(木)18時51分0秒
返信・引用
  書こうと思って、またおたずねしましたが、すでにリベルさんのレスが(^^)。。。

思ったことを追記しておきます。
「言葉」とは、どのようなものでも、光と影の部分を合わせ持つもの。
何かを言いきることは困難なことですので、「嫌い」は避けてほしいと思うのでした。
すみませぬ。
 
    (リベル) あ、そういうことなのですね。あずきさんが”「嫌い」という言葉そのもの”を「避けてほしい」、「受け付けられない」と仰有るのは。

どうせ見るのなら良い絵を、美しい花を、聴くのなら良い音楽を、読むのなら良い文学を。と。そのことは「ふくろう日記」を拝読していても、良く分かります。

その様にしてご自身の魂を少しでも高めて、そこから優れた詩を紡ぎ出そうとなさっている。そこへあのどす黒い粗野な言葉が土足で踏み込んで来るのは、絶対に排除しなければなりません。

ますます繊細で、鋭利で、美しくあれかし、あずきさん!!「英俚」はいけませんが・・・(^^;)(10.31 00:15)
 

Re: 続・余談:「私の嫌いな10の人びと」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月30日(木)18時12分5秒
返信・引用  編集済
  > No.3955[元記事へ]

レスのところに書いたら、文字数オーバーでした、のでこちらに・・・。

この人の発言に関しては、一度まとめて書こうとしていました。内容はハッキリしていて二つ有るのです。もう少し他の著作も読んでから書くつもりでしたが、そう変わることも有るまいと思って書きます。

1)余程の方(って何なのでしょう?)以外にはこの本をお薦めしないことに決めました。

2)その理由になるのですが、中島さんの「神様」=「整合性の基準」は「鍛え抜かれた感受性」です。と言うことは、彼の主張は彼の”現在(62歳)の感受性”に発しているものなのです。10年後、彼は発言を変えているかも知れません、そう思うようになりました。

彼が「inspire」するものを受入れるに吝かではありません。しかし、思うに(これが一番肝心なことなのですが)、私自身の感受性は? というと、これまた”現在の感受性”なのですね♪♪♪。

言い換えれば、私には”現在の自分の感受性”を絶対のものとする自信が有りません。仰有るとおり、中島氏も、勿論私も「過程」の中に居るのです。「大人の目」なんて、とんでもない、のです。これが”現在の私の感受性”が感受するところなのでありまする・・・(^^;)

でも思うに、”「嫌い」という言葉が受け付けられない”というのは、羨ましいことだと心から思います。人に対して「嫌悪感」を持つのは仏教で言う「愚痴」として避けるべき事だと知っているからです。私奴は、なかなかそれが出来なくて・・・煩悩の真っ只中に居ます・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


これもカントウヨメナです。
 

Re: 続・余談:「私の嫌いな10の人びと」

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月30日(木)16時59分49秒
返信・引用  編集済
  > No.3953[元記事へ]

> 「私の嫌いな10の人びと」

ごめんなさい。この中島氏は、ちょっと考えてしまう方なのです。
結局、まだこの方の本は手にしていません。
わたくしは「嫌い」という言葉そのものが受け付けられないのです。(←矛盾。。)

哲学にせよ、文学にせよ、必ずあるのが「主流」と「反主流」です。
このせめぎ合いのなかから、何かが生まれるように思うのです。
中島氏は、その過程にいらっしゃるのではないでしょうか?
リベルさんのように大人の目で見守ることが、わたくしには難しい方ですね。

すみませぬ。
 

続・白癩について(その三)仏典編

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月30日(木)02時14分50秒
返信・引用  編集済
  仏典の中の「白癩」を抽出すると「大正新脩大蔵経」の検索結果はこんなにあります。141ケース有ります。幾つか選んで研究する方法も有ろうかと思いますが、それはしません。恐らく不毛に終わるだろうと予想されるからです。

「梵語のハンセン病―法華経について」では「妙法蓮華経」を取り上げて徹底追及しています。恐らくそれと大同小異の結果が出るだろうと予測するのは、そう狡いことではありますまい(本音が洩れる)。

従って、仏典編はこれで終わります・・・(^_^)/~


続いて白癩について(その四)日本の古典編に取り掛かろうとして、踏鞴を踏んでいます。そういえば、白癩について(その二)国語辞書編の終り方も、いけません。まずこれに変更を入れます。

私の約半年近くに及ぶ「白癩」との旅は迷走に迷走を重ねながら、ようやく着地点を見付けたようです。正直に書くのですが、英訳「The Sushruta Samhita」の「leucoderma」(右ページ、上から15行目)が半年の歳月を一陣の秋風と共に見事に吹き飛ばしてくれました。多くの「confusion」がこれで氷解するだろうと信じて、残る検証を続けます。

「氷解」という言葉を使ってしまいましたが、勿論現在の「ハンセン病」との完全な同定は不可能な件が多いだろうと承知しています。「その一」に書いたように、そこは「曖昧さを飲み込んだままで」一つずつ、「決済」の判を押していくほか有りません・・・(^^;)


これはこのように訂正します。

「国語辞書編」で行った分類から「白癩」には2種類あると推察出来ます。

1)「白癩」=「びゃくらい」=「白い癩」=「white spotted leprosy」

2)「白癩」=「しらはたけ」=「白癜」=「vitiligo」

こう推察できます。しかしこれはあくまで大雑把な推論であって、医学的事実を踏まえた実証ではないのです。推論を実証に近づける事は出来ても、実証に至ることは先ず不可能でしょう。実証に出来るだけ近付けるために、これからいわばヒントとして、実際に「白癩」が記述されている文献に当たって、検証をして行こうと思います。

ここから、(その三)仏典編に入る、というわけですが、しかし仏典編もまた、終り方がいけません。

ここまで書いて「梵語のハンセン病―法華経について」を読み返していて、ふと「大正新脩大蔵経」で「白癩」をもう一度検索して、睨めっこをしていて、発見しました。

たとえば、分かり易い例(2行目)は「資行鈔 (No. 2248) 0431b27 - 0431b28: 五病等云云癩・癰疽・白癩・乾痟・顛狂五也」です。よく見ると他にも頻出します。「五病」というのを覚えていらっしゃる方が有るかも知れません。耆婆(ジーバカ)の話です。ひょっとして未だ紹介していなかったら、ご免なさい。その話の要約をコピペします。

「『四分律』巻第三四 (要約)
 ある時、摩竭国界に癩・癰・白癩・乾痟・癲狂の五種の病が流行った。病人たちは家の一切の財宝を持って耆婆に治療を求めたが、断られた。思いあまった病人たちは僧伽藍に集まり、「出家学道したいこと」を比丘に訴え、出家することになる。
 そのため仏比丘僧の治療にあたっていた耆婆は、彼らに吐下薬をはじめ、その病状に応じた羮などを与えて治療をした結果、病人は徐々に回復した。すると彼らは出家を捨てて、還俗してしまった。
 耆婆は衆僧の治療に追われ、王族方の治療に手が回らずにいた。世尊(釈迦のことです)は今後、癩・癰・白癩・乾痟・癲狂の五種の病人に出家のために具足戒を授けてはならないといった。」

何が言いたいか、お分り頂けたと思います。五種類の病気を挙げてありますが、「癩」と「白癩」が別の病気として取り上げられていることです。これは厄介なことになりました。整理が付かなくて申し訳ありませんが、今日はここで打ち切らせてください。前にもこの文章を読んでいて、この事実を見落としていました。一度良く考え直します。支離滅裂になりました、ご免なさい。ではでは・・・(^_^)/~


「野菊の墓」の野菊はカントウヨメナではないかと言われているとか・・・^^
 

続・余談:「私の嫌いな10の人びと」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月30日(木)02時08分59秒
返信・引用  編集済
  > No.3943[元記事へ]

> 私はこの中の「幸福」と「思いやり」は嫌いではありません。「思いやり」はこういう風に並べられると、嫌いですが。それならば「誠実」とか「健気」が何故入っていないのですかと尋ねたくなります。「努力」「愛情」は流石に入らないでしょうけど・・・。この「100の言葉」の選定には「血の滲むような」「勤勉」さが不足しているのではないでしょうか、中島さん・・・^^

このように書きっ放したのが気になっていました。キーワードは「偽善性」なのですがそれを書かないと、話が独り善がりで分かり難いと思いながら、そのままで・・・。「幸福」や「思いやり」という言葉を中島さんが嫌うのは、それらの言葉に「偽善性」がつきまとうからなのでしょう。つきまとうというと正しくないのでしょうか、「偽善性」が嗅ぎ取れるような場合が有る、と言うことではないでしょうか。「希望」「和」「優しさ」「道徳」「感謝」など、いずれもそれでリスト入りしていると考えると、合点が行きます。ならば、ならばです、「誠実」「誠意」「健気」などは「腹芸」「タテマエ」「なあなあ」などを弾き出してリストに加えるべきだ、そう思うのです。

それで、「血の滲むような」「勤勉」さが不足しているのではないでしょうか?と申し上げたのです。説明不足で放り出して居て、気になって仕方がないので・・・余計だったかも知れないのですが・・・(^^;)


「私の嫌いな10の人びと」
 

余談:老朽船のドック入り

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月30日(木)01時42分8秒
返信・引用  編集済
  昨日は「人間ドック」へ入ってきました。毎年秋に一度入ります。大腸ポリープが見付かって危うく命拾いをした年もありました。昨年は腰痛を抱えていて、胃のレントゲンを撮るのに、大変な苦労をしました。いや技師の方に苦労をお掛けしたというのが正しいのでしょう。今年は腰痛は治ったのですが、胃カメラというオプションが可能だと聞いて、3,000円は良い本が一冊買えるので迷ったのですが、あの台の上でマグロよろしくゴロゴロ転がされるのは余り好きではないので、エイヤッとばかりに。

もう20代から「胃糜爛」が元で胃カメラを飲まされていますからそれはもう慣れているのですが、昨日は食道癌の元が見付かって、ドッキリ。少しピンク色が強く、凹んでいるので「精密検査をしてください」とのご託宣でした。

新記録を達成したのは肺活量で、これは予想していました。未だ書いていなかったと思うのですが、背筋を伸ばして歩くことで腰痛は治したのですが、何かに刺激されて独自の呼吸法を取り入れて歩いているのです。

二歩に一回息を吸うのを20歩〜30歩、兎に角胸一杯になるまで吸い込んで、息を止めて10ッ歩。それからユックリ吐きだして、屈み込むくらいに胸を空っぽにします(気持ち)。これだけで結構苦しくて数歩は息を整えるために必要です。呼吸が楽になったら又吸います。これを繰り返すのです。1時間半歩くとしてその間に最低でも十回、多ければ三十回程度だろうと思います。

若い頃池見酉次郎さんの「心療内科」という本で「自律訓練法」というのを知って、一時入れ込んだことがあります、そこで知ったのかも知れません。西野皓三さんの「気」の道場へ通ったこともあったので、その辺はゴッチャになっているかも知れないのですが。

なんせ雑念を一掃してくれて、ですので集中力を増すのに役立ちます。チョット空気の比較的綺麗なところで、お試し下さい。ご損はないと思います。食欲が増進してエンゲル係数が高くなるかな・・・(^^;)


沈みかけた老朽船のドック入り風景・・・^^
 

NDL登録利用者

 投稿者:北風  投稿日:2008年10月29日(水)10時26分11秒
返信・引用  編集済
  ご存知かもしれませんが、NDLの登録利用者になるとインターネットからコピーの申込が出来ます。
http://opac.ndl.go.jp/index.html
左上(表題下)の「登録利用者ID」とあるところをクリックすれば手続きの説明があります。
 
    (リベル) 北風さん、有難うございました。今スキャナーで健康保険証のコピーを取ったところです。

このページには未だ未だ他に色々な可能性が潜んでいるようです。

感謝、感謝です。流石にこの道はなんとやら・・・ですね・・・(10.29 18:01)
 

富士川游著「日本医学史」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月29日(水)03時20分13秒
返信・引用  編集済
  この著者の名前は良く耳にしますし、「日本医学史」という本もあちらこちらで引用されています。これも古本で4,500円ほどしますし、図書館行きを覚悟していたのですが、「近代デジタルライブラリー」に入っていました。

養老令の戸令第七と廿八の「悪疾」を「令義解」がどのように解説しているか、更に「伝染説」が「遺伝説」に傾いて行く次第が記されています。

更に、「頓醫鈔」の引用部分や「業病観」、「遺伝説」についての富士川氏の記述も読めます。

「養老令」がこのような形で読めないかと思って探すのですが、見付かりません。それにしても居ながらにしてこういう古いものが読めるようになるとは、良い世の中になったものです。図書館へ行ってゼロックスを取ってくる手間が省けるのは、本当に有り難いことです・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


日々是電脳写真からお借りしました。美味しい御飯になりそうです♪♪
 

Re: 平成21年度ハンセン病対策別予算の概要

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年10月28日(火)17時39分37秒
返信・引用  編集済
  > No.3948[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

 これは療養所の予算は入っていませんね。私が勤務した時は300億以上ありました。

 >平成16年度全国ハンセン病療養所予算
      総額407億6800万円
  というのもありますが......

  Ichiro
 
    (リベル) 本当ですね。「平成16年度予算(案)の概要」に有りますね。恐らく金庫が別になったのでしょう、良くは分かりませんが。少なくとも「健康局」の管理から離れたのでしょうね。(10.29 01:55)  

平成21年度ハンセン病対策別予算の概要

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月28日(火)02時34分15秒
返信・引用
  「平成21年度ハンセン病対策別予算の概要」が厚労省のHPに公表されています。20年度とほぼ同額、0.2%の増額ですね。  

せっかちのおせっかい

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月27日(月)16時08分59秒
返信・引用
  あずきの画面はこんな感じです。  
    (リベル) おっ!これは何故なのか、全く気が付きませんでした。自分のPC(17インチ)では収まっているというか、表の左端から○が始まっているのです。

今から直します。これは不格好な事でした。ご指摘有難うございました・・・。ほかにお気付きのことが有りましたら、是非是非お教えください。宜しくお願いします・・・_(._.)_(10.28 01:33)
 

Re: 暗中模索中・・・???

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月27日(月)14時16分24秒
返信・引用  編集済
  > No.3945[元記事へ]

>     試作品(1)          試作品(2)
>
>(2)は読みにくいのでハンセン病だけ白くしてみたのですが、ウーン・・・

これは(1)の方ですね??
文字の色は白に変えなくても見えると思いますが。。

> 紅葉でないものを使えば、問題はガラリと解消されるかも・・・
> たとえば野菊とか・・・ウーム♪♪♪

悩みを楽しんでいらっしゃるようですね(^^)。紅葉のままでよいのでは?

それから気になっていることですが。。。
「(附) 年表で読むハンセン病」の枠組みの下の文章のことです。

○ このサイトではサイトの性格上、「癩」、「らい病」などの表現が出てきますが、いずれも現在は使われていない言葉です。「ハンセン病」が正しい言葉ですので、ご注意くださるようお願いします。

○ このサイトの性格上多くのサイトやページを無断で収載させていただいています。深くお詫びを申し上げます。ご看過をお願いし、同時にこの場を借りてお礼を申し上げさせて頂ければ、有り難いと存じます。 管理人  リベル

上記の○の部分(文頭)が、上の枠組みよりも、右寄りに書かれていますね。
そのために、文章の最後が左寄りにでばってしまっています。
○の位置を、枠組みと揃えて、左寄りになさったらいかがでしょうか?

わたくしのパソコンからの見え方だけならいいのですが。
こちらはウインドウズXPのデスクトップ、ノートではありません。
イロイロごめんなさい。わかりにくいでしょうか?

もしも、おわかりいただけないようでしたら、画像にしてみますが。。。
 
    (リベル) 有難うございます。文字は白にしないとやはり少おし読み辛いので、このままで行って見ます。色を変えないとこうなります。少し見辛いでしょう。でも背景次第ですねやはり。ボチボチやってみます・・・(^^)

うーん、やはり色は変えないのが本当のようですね。色々トライしてみます。有難うございました。(この行 01:51)

ズバリ、お見通しのとおりでした。悩みを楽しんでいます。

あ、画像を早速有難うございました・・・そちらへ行きます・・・(^^)(10.28 01:29)
 

暗中模索中・・・???

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月27日(月)03時16分47秒
返信・引用
  実は、トップページのデザインをまた触っているのです。画像にグラデーションをかけるとか、画像に文字を乗せるとか前から色々実験はコッソリやっていたのですが、一昨日、雨に降り篭められて、スタイルシートの本など覗いている内に、一つ出来上がりました。試作品ですが、ご意見を頂ければ、嬉しいのです。

    試作品(1)          試作品(2)

何か帯に短し襷に長しみたいなむず痒さが有って、スッキリしません。(2)は読みにくいのでハンセン病だけ白くしてみたのですが、ウーン・・・ムズムズ・・・と言う感じで・・・どなたかお助けを・・・_(._.)_


紅葉でないものを使えば、問題はガラリと解消されるかも・・・
たとえば野菊とか・・・ウーム♪♪♪
 

「日本らい史」のミステーク

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月26日(日)05時06分25秒
返信・引用  編集済
  勿体を付けるのではなく、「白癩」の話に入る前に、ハッキリ決着を見ておかなければいけないことがあります。

下に画像を置きました。左ページ中程からの「なお法華経観発品第二十八には・・・」の文章は、間違いです。これは「ハンセン病の症状の記述」ではないのです。以下に問題の個所の前後関係が分かるように、少し拡げて引用しました。少し面倒ですが、良くお読みください。私は漢文の素養に乏しいので、それには参るのですが、現代文と英訳を読む限り、別の主語がハッキリ立っていることが分かります。

また、感染症情報センターのサイトや、自分の作ったページを見ても「歯の欠損・隙間」の症状は見当たりません。

●漢文=「如是罪報當世世無眼。若有供養讃歎之者。當於今世得現果報。若復見受持是經者。出其過惡。若實若不實。此人現世得白癩病。若有輕笑之者。當世世牙齒踈缺。醜脣平鼻。手脚繚戻。眼目角睞。身體臭穢。惡瘡膿血。水腹短氣。」(大正新脩大蔵経から)

●書き下し=「是くの如き罪報は当に世世に眼無かるべし。若し之を供養し讃歎すること有らん者は、当に今世に於いて現の果報を得べし。若し復是の経を受持せん者を見て、其の過悪を出さん。若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有らん者は、当に世世に、牙歯疎欠、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角睞に、身体臭穢にして、悪瘡膿血、水腹短気あるべし。」(「法華経」下巻p.568p.571から)

●現代文=「それらの衆生たちは、〔来世に〕生まれつきの盲目となるであろう。また、このような経の極致の受持者である男性出家者たちに、非難〔の言葉〕を聞かせるところのものたち、それらのものたちの身体は、実に現在において斑点が生ずるであろう
 このような経の極致を書写する人に嘲笑をなし、軽蔑するであろうところのものたち、それらのものたちは、隙間のある歯を持ち、歯がまばらとなり、醜い唇を持ち、扁平になった鼻を持ち、手足が逆につき、目が逆につき、悪臭を放つ身体を持ち、腫れ物や、水泡(小腫の間違いか―リベル)、疥癬、発疹、かゆみが全身に拡がるであろう。」(同上)

●英訳=「Such persons as lead into error monks who know this Satranta, shall be born blind; and such as openly defame them, shall have a spotted body in this very world. Those who scoff and hoot at the monks who copy this Sûtrânta(経典), shall have the teeth broken and separated far from each other; disgusting lips, a flat nose, contorted(ねじ曲げられた) hands and feet, squinting(斜視の) eyes; a putrid(腐敗した匂いのする) body, a body covered with stinking boils(はれもの), eruptions(発疹), scab(かさぶた)s, and itch.(THE LOTUS OF THE TRUE LAW.Chapter26から。17インチのモニターで下から7行目)

これはやはり「日本らい史」の間違いだろうと、私は判断しました。


「日本らい史」p.6、p.7(大きな画像
 

余談:「私の嫌いな10の人びと」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月25日(土)02時27分49秒
返信・引用  編集済
  ようやく読み終えました。いやとても読み易い本なのです、がトイレへ入る度にこの本を手にするわけではないので、長くかかるだけなのです。読みながらこの人の「バックボーン」というか「神」というか、それは何なのだろうと、思うことが良くありました。しかし「あとがき」に答は書いてあったのです、最初に読んだのに忘れていたのです。中島義道氏ご本人も「脈絡」を強く意識して「内的整合性」に腐心したと告白して居られます。

その整合性とは?「嫌いなのは自分の感受性に忠実でない人」ということです。中島氏の言葉で書けば「当人がその思想をどれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜き鍛え抜いているかが決め手となる。つまり、その労力に手を抜いている人は嫌いなのです。」

また「あることが真の言葉であるか否かは、その言葉の表面的な正しさによってでなく、その言葉を発するに至るその人が、いかに血の滲むような「経験」をしてきたかによって決まる。私の言葉で言いかえると(これまでの言葉はヘーゲルの言葉です:リベル注)、その人がいかに勤勉に「からだで考える」ことを実践しつづけてきたかで決まる。(太字は私です)」

実は、これは私の言い続けている「涙の跡や汗の匂いの無い言葉は信用しない」と同じ事なのです。最初にここを読んでいるはずなのに、頭に入っていなかったのは残念なのか、むしろ良かったのか?いま強烈に感覚を打たれていますから、やはりこちらの方が良かったのでしょう。

最後に中島氏が「私の嫌いな100の言葉」を挙げて居られます。↓下の画像(右ページ)参照。左の麻木さんの解説も面白いので・・・。

私はこの中の「幸福」と「思いやり」は嫌いではありません。「思いやり」はこういう風に並べられると、嫌いですが。それならば「誠実」とか「健気」が何故入っていないのですかと尋ねたくなります。「努力」「愛情」は流石に入らないでしょうけど・・・。この「100の言葉」の選定には「血の滲むような」「勤勉」さが不足しているのではないでしょうか、中島さん・・・^^


追記:私はこの本と一緒に「私の嫌いな10の言葉」「たまたま地上にぼくは生れた」を買いました。後者の前書きを読んでいて、ちょっとギクリとしました。こんな事が書いてあったからです。中島氏は37歳で就職してからこの本を書くまでの18年間栄達を求めていた、そのことを「きれいに放物線を描いて落ちて」行ったと自嘲して、そしてこう言うのです。

「この「没落(Untergang)」は、同時に徹底的に根源に至り超人へと上昇する過程なのであろうか。ニーチェよ…。だが、そう信じるほど私はアホではない。」

いいや、中島氏は「超人へと上昇」しようとして居られる。10年後をご注目ください。私はもうこの世にいませんけど。余人は欺けようとも、この私奴は・・・(^^)。

昨日観た「キンキーブーツ」という映画の中で、会社再興を諦めかける若き社長に、熟練工が言います。「人が何を成し得たかかは―ほかの人の心に、何を残したかで測るべきよ。Maybe you shuld not judge in bricks(煉瓦造りの工場なので), Charlie. Maybe you shuld judge what you leave behind by what you inspire in other people.」。中島氏は私達の心に何かをinspireしています、確かに。

ついでに、今日は白癩云々はお休みにします、お許しください・・・m(_ _)m(10.25 04:29)


「私の嫌いな10の人びと」
 

追記:「業病観」について

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月24日(金)02時39分14秒
返信・引用  編集済
  四日前にこう書いています。「日本では「今昔物語集」(1030年頃の僧の話)や「日本霊異記」(822年頃成立)に「法華書写の人を譏る故に白癩の病を得たり」などと「業病観」を伺わせる記述が見られます。」

これは逃げているわけではないのです。後で(つまりここで)詳しく触れるので「寸止め」にしました。この二書は「日本らい史」の「仏教のらい観」(p.6)にも取り上げられています。私はそこに述べられていることに100%は賛成できませんので、勝手に持論を書かせて頂きます。興味がある方は、そちらも参照なさってください。

「「業病観」を伺わせる記述」という奥歯に物の挟まったような表現を説明致します。「今昔物語集」では、「ヤムゴトナキ僧ヲ嫉妬セルニヨリテ」「白癩ト云フ病付」いたと言っています。また「日本霊異記」では「法華書写の人を譏る故に白癩の病を得たり」と。これは仏教で言う「因果応報」(大辞林:〘仏〙 前世における行為の結果として現在における幸不幸があり,現世における行為の結果として来世における幸不幸が生じること。)の思想、言い換えれば「仏罰」の事象を言っているのだと、私は思います。ですので「今昔物語集」、「日本霊異記」に書かれている話は「因果応報思想」を言っているのであって、「業病観」を言っているのではない、とくどいですが繰り返しておきます。

「業病観」と言うのは「業病観」についてで書いたように、ハンセン病を業病(=悪いおこないの報いとしてかかるとされた,なおりにくく,つらい病気。)とする観方のことです。「スシュルタ・サンヒター」で言う「或いは悪しき行為により或いは前世に造れる業によりて皮膚病起こる。」、「頓醫鈔」で言う「癩病ノ由來(中略)前世ノ罪業ニヨリテ」と言うのが「業病観」だと思います。


以上、気に掛かっていたので、追加しました。

本当は「白癩について(その四)」を書きかけたのですが、その為には上のことを明確にしておかないと書きにくくなるので、まずそちらを片付けさせて頂きました。「白癩について(その四)日本の古典編」は明日書きます。

気を持たせたようでいけないのでチャンと書いておきますが、「その一」は「まえがき」、「その二」は「国語辞書編」、「その三」は「仏典編」、「その四」は「日本の古典編」、「その五」は「ヴェーダ編」、「その六」は「結論編」、その後は無し、という予定です。「ヴェーダ編」は二つに分かれるかも知れません、未だキチントした構想まで達していないというのが、正直なところです・・・。

前に「三つの白癩」を書くと言っていました。それが拡大したのがこのシリーズ(こう言うと何か格好いいですね)なのです、実は・・・^^


ツユムシ。ラフなシチュエーションがかえってリアルで・・・^^
 

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