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白癩について(その三)仏典編

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月24日(金)02時33分39秒
返信・引用
  仏典の中の「白癩」を抽出すると「大正新脩大蔵経」の検索結果はこんなにあります。141ケース有ります。幾つか選んで研究する方法も有ろうかと思いますが、それはしません。恐らく不毛に終わるだろうと予想されるからです。

「法華経の中のハンセン病」では「妙法蓮華経」を取り上げて徹底追及しています。恐らくそれと大同小異の結果が出るだろうと予測するのは、そう狡いことではありますまい(本音が洩れる)。

従って、仏典編はこれで終わります・・・(^_^)/~
 

大慈仙

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月24日(金)01時47分2秒
返信・引用  編集済
  「大辞林」「広辞苑」は一発で出るのに「大辞泉」を打ち込んだら、こんなのが出ました。で「大慈仙」を「大辞林」で引いたら、有りません。で「大慈仙」で検索したら「もしかして: 大辞泉」と出ました。何だかバカにされたみたいで、噴き出してしまいました。

しゅうさんが「大辞泉」の優秀さを教えてくださったので、前から時折うーん、買うべきかなあと気にしていたので、買ってしまいました。定価7,560円が「日本の古本屋」で買って、郵便局の振り込み代込みで2,680円ですから約三分の一。まるで新品同様の帯付きです。もっとも1998年以降10年経っていますから、ボツボツ第2版が出来するのかも知れませんが・・・。

「びゃくらい」と「しらはたけ」の方に、「大辞泉」を追加しました。片手落ちの感がお陰様で払拭されて、まあ目出度し目出度しではございました。これで日本の主要な辞書は出揃ったと思います。ボーッと眺めていると何かが浮き彫りになってくるのでは、と只今眺めているところです・・・^^


「大辞林」と打ってから「いずみ」で「大辞泉」。ああ、面倒臭い・・・^^
 

Re: 白癩について(その二―国語辞書編)

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年10月23日(木)23時08分44秒
返信・引用
  > No.3938[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

 この雑誌のimpact factorについては小生のBBSに少し書きました。

 Ichiro
 
    (リベル) 「小生のBBS」というのはこちらです。

ただし、「impact factor」の話は難しいので、行くだけ無駄ですよ・・・なあんて(^^;)(10.24 01:16)
 

Re: 白癩について(その二―国語辞書編)

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年10月23日(木)12時00分4秒
返信・引用
  > No.3937[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

 ちょっとポイントが違うのですが、この雑誌はちょっと変わっていて、文献は要らないから今まで言われていないことでも発表していいですよ、という雑誌です。ということで、ここに出たからといって凄く信用していいというわけではありません。したがってインパクトファクターもたいした数値ではありません。ま、マニアックな人も出す雑誌です。自分で言ってはなんですが私も数編だしています。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん、有難うございます。

本当です。「Kikuchi Ichiro」で検索すると、「Hansen's disease in Japan: a brief history」などという論文を始め、10近くヒットしました。

ただ、読むのには購読料が要るので、登録だけしておきました・・・(^^)(10.23 12:31)
 

白癩について(その二―国語辞書編)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月23日(木)01時33分21秒
返信・引用  編集済
  「vitiligo」で検索していたら、こんな一文を見付けました。「International Journal of Dermatology」からです。

「Vitiligo has been mentioned in the tomes(分厚い本?) of every major religion, with its first description dating back more than 3000 years, to the earliest Vedic(ヴェーダ類の) and Egyptian texts. Despite this ancient recognition, confusion with disorders such as leprosy has been a problem throughout the ages. This has lead to the stigmatization of vitiligo sufferers. This is a social problem that is still widespread in some, but not all, parts of the world. 」

「Vedic text=スシュルタ・サンヒター」に明記してあるにも拘わらず、「leprosy」との類似→混同→混乱(confusion)が有ることを逆サイドから指摘しています。

「びゃくらい」と「しらはたけ」で調べたように、「白癩」を「しらはたけ」と読んだ時は「白癜(しろなまず)」、「びゃくらい」と読んだ時は「皮膚が白くなるハンセン病」とどの辞書も書いています。「vitiligo」「white spotted leprosy」なのではないでしょうか。明日触れると思いますが坂本太郎他校注「日本書紀」の脚注(左ページ左端)は正に誤解を育むような書き方ですが、これは1993年発行ですから、上の辞書類が、これに影響された訳ではありません。(参考:和名抄


思えば6月9日です。ドン・キショットさん(私が削除行為を行ってから、お見えにならなくなりましたが…?)がこういう投稿をくださいました。それを契機にスタートした私の約半年近くに及ぶ「白癩」との旅は迷走に迷走を重ねながら、ようやく着地点を見付けたようです。正直に書くのですが、英訳「The Sushruta Samhita」の「leucoderma」(右ページ、上から15行目)が半年の歳月を一陣の秋風と共に見事に吹き飛ばしてくれました。多くの「confusion」がこれで氷解するだろうと信じて、残る検証を続けます。

「氷解」という言葉を使ってしまいましたが、勿論現在の「ハンセン病」との完全な同定は不可能な件が多いだろうと承知しています。「その一」に書いたように、そこは「曖昧さを飲み込んだままで」一つずつ、「決済」の判を押していくほか有りません・・・(^^;)


ま、いいとするか・・・。ポンッ♪♪♪
 

白癩について(その一)まえがき

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月22日(水)02時21分22秒
返信・引用  編集済
  さてお立ち会い!でもありませんが、いよいよ「白癩」の解明に取り掛かります。それというのも、どうやら機が熟したというか、諸々の資料・材料がほぼ出揃ってきて、そしてそれらの中味が大凡把握できてきたからです。勿論これまで何度も書いたように決定的な断定には達しかねる事項もあります。しかし、それは、或る程度は推測で検証を進めざるを得ないし、又それが許される範囲にまで「確かさ(当然のことですが、あくまで私の中での)」が固まってきたからなのです。諸々の材料を取り込んで、脳の中で混ぜ合わされて自然醸造されるのを待っていた、それがどうやら最終段階を迎えたと言い換えても良いかも知れません。

私は、こんな方法で、「白癩」って一体何なのかという解明を進めるつもりです。「白癩」をめぐって色々なことを、多くの角度から調べてきました。「びゃくらい」と「しらはたけ」「癘・疥癩・白癜」法華経の中のハンセン病「法華経」「日本書紀」「令義解」などに加えて、決定打となったのが「スシュルタ・サンヒター」の邦訳英訳の比較検討です。

まだ終わったわけではありませんが、目処は立ってきました。最後に触れる予定ですが、大地原氏の邦訳「スシュルタ本集」に出て来る「kilāsa」「śvitra」の訳語「白斑癩」「白斑病」「白皮病」の三つが、セレンディピティーを稼働したようです。「誤訳」→「矛盾」→「多彩」などと悪口を言っていましたが、ここに見られる事実追求の困難さ、古資料を調べるときにどうしても拭えない「曖昧さ」に対する包容力の必要性、というようなものに気付かされたのです。つまり先日ご披露した水原秋桜子の俳句のように、一旦コスモスから離れることの必要性に気付いたのです。話が手前味噌になってきましたので、先のお約束の話に戻ります。

ここから先は、というか「先も」辛気くさい話になりますので、暇を持て余して居られる方だけ、お付き合いください。「スシュルタ本集」の索引から三頁を抜き出しました。

  (1)「白斑癩(白皮病)」  (2)「kilāsa」  (3)「śvitra」

最後の「śvitra」の和訳の中の「白癜風」は本文中には有りません。又「後天白斑病」の「後天」も有りません。「kilāsa」の最初の二語は「白斑」、ほかは「白皮病」と訳されています。「śvitra」の内「4.9.10」のみ「白斑」と訳されています。

言いたいのは、邦訳、英訳ともcontextから、訳語を変える必然性が見当たらないことです。私も医学的に無知ですからその範囲内で、とご理解頂かないといけませんが、たとえばこのページ(下から2行目)とこのページ(下から7行目)で「kilāsa」を「白斑癩」と「白皮病」に訳し分ける必要は無いだろうということです。(念のために注:「白斑癩」「白皮病」「白斑病」はいずれも存在しない病名です。)

この翻訳の「多彩」ぶりについては、前にも触れましたのでもう、書きません・・・^^


脱線をしましたが本筋の話に戻ると、そういうわけで思い切って、曖昧さを飲み込んだままで、取り組む気持ちになったのです。結論を今書きます。昔から『「白斑」を生じる「ハンセン病」』=white spotted leprosy「尋常性白斑(白癜=しろなまず)=vitiligo 」の二つの疾患が有った。それが全ての混乱の元凶です。詳しいことは、これからキチント分かり易く何回かに分けて説明したいと思います。年内にはなんとか・・・(^^)

数ヶ月前に書いたことを読み返して「いっけねえ!!」とばかりに書き直すことが、たまに有ります。たまにです。そんなことが無いように祈りながら、擱筆・・・^^(10.22 3:46)


秋晴れ♪♪ 空気まで感じられるような、キリッとした写真ですね・・・。
 

「業病観」について

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月21日(火)04時54分52秒
返信・引用
  こちらに「業病観」についてを纏めてみました。ご意見、ご批判を期待しています・・・m(_ _)m  

単なる愚痴です。 Re: 夏休み 

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月20日(月)23時52分0秒
返信・引用  編集済
  > No.3742[元記事へ]

単なる愚痴を書いています。ご免なさい。写真だけ見て、通り過ぎてください・・・_(._.)_

>> 明日から、子供達や孫達が帰って来たりします。ここだとばかり飲み過ぎる日も出てくるはずです(^^)。しばらくは「The Sushruta Samhita」も届かないし、盆休みというのを、定年後13年ぶりに設けてみようかとしています。そう心に決めると、妙なことにペンディングにしている作業が、ドット頭をもたげてくるから敵いません。
>
> 1)ヨーロッパ中世以降の歴史
> 2)「らい」から「ハンセン病」(「多磨」に成田稔氏が連載されたものの年表化→tamaさんにお送り頂いたのに遅くなっています、ご免なさい)
> 3)「白癩」の読みの総括
> 4)各国別の「業病観」(聖書の「ツァラアト」、中国の「厲」、日本の「頓醫鈔」など以外に「スシュルタ・サンヒター」・3行目にも有る)
> 5)「ハンセン病のリンク集」の各項のイントロ部分(薄緑バック)の完全変更(より解説的に。たとえば「療養所」の場合は、悲田院、施薬院から説き起こして、「北山十八間戸」、キリシタン時代、明治の宣教師による病院、公立療養所までの歴史を盛り込む。ヨーロッパのラザレットはどうしよう?)
>
> のように、入道雲よろしく湧き起こってきます。などと書いておいて、義務化して自分を縛ろうとの魂胆であることは、はいお見通しの通りで御座います。これだけ「楽しみ(?)」を並べておけば、まあおいそれとはくたばらないだろうとの、打算(と言いますか、こういうのを)も、無いと言えば嘘になりますが・・・(^^;)


これを書いたのが、8月11日ですから、もう2ヶ月と10日経ちました。昨日何となく歩きながら纏めてしまったのが「業病観」でした。これは見直しを加えて「歴史余聞」に加えます。

実は、飛び入りなのに手間を取ってくれるのが大地原誠玄訳「スシュルタ本集」です。図書館の厚意で一ヶ月以上の長期貸し出しを決行してくれたのですが、残りが13日間になってしまいました。これは宝塚図書館に無くて明石にある県立図書館から借り出してくれるので、貸し借りに余分の手間が掛かります。

全三巻から、「kuṣṭha」「kilāsa」に関係のある場所を全部スキャナーで取り込んでおこうとするのですが、英訳の「Sushruta Samhitā」の対応する個所を探して、それもスキャンするので、意外に捗らないのです。

前にも愚痴ったように、英訳の方は相当大胆な仕事ぶりで訳語が右往左往して固定しないので敵いません。また、分からない英語も頻出します。昨日の夜中は「The type of Kushtha affecting the prinsiple of Medas (fat) is generally supposed to be sin-begotten.」という一節にトッ掴まって、「Medas」と「sin-begotten」が辞書になく、特に後者は「業病観」に関係もありそうでそれだけで数時間を費やして、挙げ句の果てに放り出してしまいました。


まあ、関係個所をスキャンしてそれから、何をしようとしているのか、まあ「年寄りの暇つぶし」と言う奴で、何となく有益な仕事をしているような錯覚に陥って、満足して消光しているのでは無かろうかとブツクサ呟いております・・・(^^;)



「日々是電脳写真」から拝借してきました。
 

「業病観」の側面から

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月20日(月)04時52分21秒
返信・引用  編集済
  先ず「業病」を辞書で引いてみました。

大辞林:悪いおこないの報いとしてかかるとされた,なおりにくく,つらい病気。

新明解国語辞典:〔前世の悪事の結果であると考えられていた〕難病。

デイリーコンサイス国語辞典:昔,悪業が原因と考えられていた難病. *差別を生んだ名付け.


「ハンセン病と業病観」で整理すると、こういうように言っても良いのでしょうか。

「ハンセン病」は医学的に言えば、らい菌によって伝染する感染症である。「業病」というのは「前世の悪業」が原因となって(その罰として―これは私の表現で、どこかに書いてあったのではないのですが・・・不安)生じる病気であり、薬や医師の治療によって直るものではない。

と言えると思います。


私の調べた限り奇妙なことに、古代文明におけるハンセン病は、その発生当初、まるで言い合わせたように「業病観」を背負わされた歴史を持っています。

エジプト、バビロニア(メソポタミア)の「ツァラアト」
ヘブライ語で「ツァラアト」という言葉を持つイスラエル民族は(ややこしいので注:イスラエル人はバビロン捕囚以後「ユダヤ人」とも呼ばれます。「ヘブライ人」は外国人による呼び名です)、「出エジプト(B.C.13世紀)、「バビロン捕囚(B.C.586〜538年)」といずれもそれらの土地に居住していました。旧約聖書にツァラアトが登場したのはB.C.5世紀です。

「ツァラアト」という言葉は現在のハンセン病を指す言葉ではありませんが、それは幾たびかの誤訳や誤解を経て「祭事性」を帯び、医者の治療ではなく「きよめ」によらねばならないという業病と見なされました。それが中世の「死のミサ」や「模擬埋葬」の習慣に至るのです。

インドの「kuṣṭha」
医聖と呼ばれるスシュルタが書いた「スシュルタ・サンヒター」(B.C.6世紀頃)は紛れもない医学書なのですが、「第2篇病理篇・第5章」(下から9行目)と「第4篇治療篇・第9章癩病(皮膚病)」(3行目)に「或いは悪しき行為により或いは前世に造れる業によりて皮膚病起こる。」、「The Sushruta Samhita 」では「It is attributed even to the dynamics of sinful acts done by a man in this or in some prior existence.」と記されています。これも紛れもない「業病観」です。

中国の「厲」
中国では最初「厲」と言う文字で「史記−刺客列伝・豫譲(B.C.5世紀の人)」に出て来ます。「癩」の由来についてをご覧ください。この文字に使われている「萬」の甲骨文字はこれです。(「字源字形」のタブをクリックしてください)。字通には「萬はさそりのような虫の形、雁垂は岩下など秘密のところ。そのような窟室で、この虫を蠱霊(これい)とし呪儀を行うことを原義とするものであろう。」と解説してあります。これを信じるとすれば、「癩」は「厲」という文字のの発生の時から既に祭事性を帯びていたことになります。

ただ、これを以て「業病観」とは言えませんし、その後の記録にも(現在のところ)それらしきものは見当たりません。ただ、文字がその起源に於いて「呪詛性」なり「祭事性」を帯びていたことが、その後の「癩」の使用にからんで、誤解を招きやすくしたと疑うことは、そう不自然なことではないと思います。

●日本では?
日本では「今昔物語集」(1030年頃の僧の話)や「日本霊異記」(822年頃成立)に「法華書写の人を譏る故に白癩の病を得たり」などと「業病観」を伺わせる記述が見られます。しかし驚くべきは1304年に梶原性全が著わした「頓醫鈔」で、これは立派な医学書でありながら、「夫癩病ノ由來、五癩八風、或ハ一百三十種品アリ、或ハ又、前世ノ罪業ニヨリテ、佛ノ冥罸アリ、或ハ食物ニヨリ、或ハ四大(身体)不調ニ依ル、所詮善根ヲ修シ、懺悔ヲナシテ、善ヲ修スベシ。」と完全に業病視し、懺悔や善根によらなければ、治らないとしています。

1900年前のインドの医聖と全く同じ事を言っているのが、誠に、誠に・・・言葉に詰まります。梶原さんの頃は、「スシュルタ・サンヒター」の存在すら知られてなかったのですから。


「ハンセン病」はこのように、洋の東西を問わず、業病観に憑き纏われるさだめを背負った、悲運の疾病なのです。


実は、エジプトの「ヒエログリフ」やメソポタミアに於けるシュメール人の「楔形文字」で「ハンセン病」の記述が有るかも知れないと思っています。どちらも解読され始めたのは19世紀に入ってからなのですから、これからまだまだ何が発見されるか、解読されるか、それは分かりません。なにしろ甲骨文字だって、5日前に私はこう書いています「甲骨文字発見(1899年ですから私の生れる僅か36年前です)」。

10年後くらいに、「四大文明とハンセン病」なんて論文が、書かれない、という保証は無いのですから・・・(^^;)


ヒエログリフ
 

あの下村さんが、近所の出身だったのです

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月19日(日)11時18分43秒
返信・引用  編集済
  ノーベル化学賞の下村脩氏(80歳)が福知山出身だと聞いたときは驚きました。誰が言い出したのかサッパリそれが分からない。京都府知事もコメントを発表するのですが、さあ、福知山市役所は蜂の巣を突いたような大騒ぎ。戸籍もない、小学校の卒業・在籍記録もない、証明する物が一つもないで大変なことになりました。

結局16日でしたか、福知山市長がアメリカへ電話を掛けるほか無いということになり、電話をしたそうです。「岡ノ町」と言えば生家から500メートルほどのご近所でした。軍人のご子息で、5歳まで住んでいたというだけで、私が生れた頃はもう引っ越して居られたという計算になります。

昭電疑獄の芦田均元総理が福知山出身ですが、ノーベル賞受賞者が、まあ名ばかりとは言え、紛れもない福知山出身者だとは。

でもやはり、何の感慨も湧きません。福知山連隊というのが有りましたので、お父上の勤務の関係で通り過ぎられただけですから。Wikipediaの履歴を見ると、「福知山出身」と10月8日にIPアドレス「122.30.224.156」の人が最初に書き込んでいます。


でも、何となく嬉しいか、な・・・それとなく・・・^^
 

余談:見破られているんだ・・・!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月18日(土)12時37分13秒
返信・引用  編集済
  中島義道著「私の嫌いな10の人びと」にこう書いてあります。

「なかなか説明することが困難なのですが、オーストリア航空のパイロットは、ただただ正確な飛行を職務としているから、私は感動する。だが、サン・テグジュペリは、そこにさまざまなドラマを(無理にでも)読み込もうとするから、私は感動しない。彼はそうではないと言うでしょうが、飛行することが書くことの手段となっているから、しかも彼は飛行することを通じて「純粋なもの」を追い求めているふりをしているから、私はそこに何か不純なものをかぎつけてしまうのです。」p.124(原文では「ふりをしている」が括弧内に入れてあります。)

まさしくピッタリと、名指しで自分のことを言われている様に感じました。私は、思わず叫びました。

「この野郎。お見通しでいやがらあ!!!」

だから私はこの人が好きです、いや本当に、です。いえ中島さんが、です。


サン・テグジュペリ
 

おはようございます。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月18日(土)08時33分9秒
返信・引用
  >コスモスを離れし蝶に谿深し  水原秋桜子

遅ればせながら、お写真のプレゼントです(^^)。
 
    (リベル) おおっ!さすがですね。有難うございました・・・m(_ _)m

「今現実に取り組んでいる「物」から離れて、一歩後ろへ下がって眺め直すと、恐ろしい程の真理や深淵が見えて来て、思わず中空に立ち竦んでしまう。」

と書きましたのは実感で、大地原訳「スシュルタ本集」のスキャンなどの作業から一歩離れた時フト思うのです。この訳業に注がれた熱意とエネルギーの大きさを。それは時空を越えて私を圧倒し去ります。

そんな時、蝶は、やっと谿の深さに気付くのでした・・・^^(10.18 12:09)
 

中院愛撫緑波晩に嘗め土塀

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月18日(土)00時43分3秒
返信・引用  編集済
  いいえ、文字化けではないのです。これだけで、ハハアンと合点なさる方は、恐らく中学生のお子さんをお持ちの方だろうと推測します。「鳴くよ鶯平安京」のたぐいなのです。

「中印アイブ、ロパバンニ、ナメドベ」と数年間は覚えていました。「中国、印度、アメリカ、インドネシア、ブラジル、ロシア、パキスタン、バングラディシュ、日本、ナイジェリア、メキシコ、ドイツ、ベトナム」。世界の国別人口ベスト13でした。(「緑波」は「古川 ロッパ」です、古い、ですね。)

今日「世界人口白書2007年度版」を見てみると、ベスト5は動かないのですが、私の覚えていたのは、既に2005年には、もう変わっていました。アジア諸国とナイジェリアが増えてきています。

「中印アイブ、パバロナニ、メベフ」これは覚え難くて困ります。どうぞお好きなように料理なさってください・・・^^


さてこれから、本題に入ります。また面妖なものを並べますが「梨倶吠陀」「阿达瓦吠陀=阿闥婆吠陀」「阿輸吠陀」。そうです「リグ・ヴェーダ」、「アタルヴァ・ヴェーダ」、「アーユル・ヴェーダ」です。「大正新脩大蔵経」で「吠陀」を検索すると、「四吠陀」が多く出て来ますが、心当たりのあるのは1行目の「阿闥婆吠陀」一つだけです。(参考

いきなり中心地に飛び込んでしまいました。言いたいのは、古代中国と古代インドのつながりなのです。「呼称の変遷」の右端の欄をご覧ください。B.C.1000年〜600年に「アタルヴァ・ヴェーダ」と、「アーユル・ヴェーダ」の中の「スシュルタ・サンヒター」に「kilāsa」と「kuṣṭha」が登場します。B.C.5世紀には中国に「厲」が登場するのです。

お馴染みの鳩摩羅什や玄奘三蔵が経典を漢訳するのはしかし、A.D.5世紀・7世紀なのです。

癩菌のDNA解析からその起源と伝播の状況を推測したのがこの図です。


さあ、材料だけ並べてしまいました。こちらも、どうぞお好きなように料理なさってください・・・^^

手前味噌なヒントを差し上げます。麦は、B.C.1600年頃の殷に、西から伝わったとやら・・・(^^)


鳩摩羅什は、Wikipediaによると、『臨終の直前に「我が所伝(訳した経典)が無謬ならば(間違いが無ければ)焚身ののちに舌焦爛せず」と言ったが、まさに外国の方法に随い火葬したところ、薪滅し姿形なくして、ただ舌だけが焼け残ったといわれる(『高僧伝』巻2)。』だそうです。凄い話ですね。
 

Re: 余談:谿深し

 投稿者:しゅう  投稿日:2008年10月17日(金)10時30分52秒
返信・引用  編集済
  > No.3926[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

リベルさん、俳句の話題うれしく読みました。

>  コスモスを離れし蝶に谿深し  水原秋桜子

秋桜子は金子兜太さんの父君、伊昔紅さんが師事された俳人です。ですから私にも秋桜子さんは親しみを感じる俳人です。

>
> それを承知でまるで素人の私が、俳句を取り上げてあれこれ言うことの無謀さは承知しながら・・・
> まで書いて、やはり取り止めました、感じていたことを書くのは。そして少しぼかして表現して、後は自由に解釈して頂くという、逃げ方をすることに致しました。

そんなことを仰らないで、リベルさんの感想をお聞きしたいです。

>
> ぼかして言うと、(1)多くの色彩(2)遠近感(3)深い精神性の三つです。
>
> 特に精神性についてはこう思います。今現実に取り組んでいる「物」から離れて、一歩後ろへ下がって眺め直すと、恐ろしい程の真理や深淵が見えて来て、思わず中空に立ち竦んでしまう。そういう気持ちが読み取れて、凄いなあ俳句ってと、それこそ立ちすくんでしまうということが、どうしても言いたかったので、大胆な挑戦に踏み切りました・・・^^;

俳句を作るときは一つの創意で作りますけれど、俳句は、短いだけに、読む人に色々な想像を膨らませる、そんなところを持っています。それを俳句の「増幅装置」って、私たちは呼んでいます。

この句色彩的にもきれいですし、つい蝶に若い女性を重ねて読んでしまいますがどうでしょうか? 女の子の精神性が現れているような感じがします。
望郷とか、やさしさとか、聡明さとか、宿命とか…、そんなことが鮮やかに映像になっているように思うのですが。
山峡の澄み切った一景と受け取るだけでも鮮やかですが、つい深読みを誘われます。

リベルさんを感動させたもの、私も分かります。
 
    (リベル) しゅうさん、有難うございました。何か一人前扱いして頂いた気がして、耳が火照り、肩をすくめてしまいました。

>望郷とか、やさしさとか、聡明さとか、宿命とか…、そんなことが鮮やかに映像になっているように思うのですが。

そういうものなのではないかと思います。短詩の持つ普遍性と言えばよいのでしょうか、「閑さや岩にしみいる蝉の声」一つをとっても、それを鑑賞する人達の心象風景はまさに百人百様だと思いますし、それが、芸術の「普遍性」なのかなあと思ったりします。

ご免なさい、生意気な口をきいてしまいました。でも良い句ですよね、本当に・・・(^^;)
 

天声人語に・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月17日(金)07時40分32秒
返信・引用  編集済
  今日の天声人語に国立ハンセン病資料館の企画展「ちぎられた心を抱いて」に関する記事が有ります。


「ハンセン病ほど、でたらめな偏見にさらされてきた病気はない。仏罰、血筋の汚れ、うつりやすい、不治……。恥ずべき差別史は、社会や個々人の「成熟度」を問うてもいる。国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の企画展「ちぎられた心を抱いて」を見て、胸に手をあてた
▼この病ゆえに、各地の療養所に強制収容された子どもたちの記録である(11月末まで)。家族から引き離された心細さ、恐ろしげな白い予防着の職員。震える心が、作文などに滲(にじ)んでいる
▼昭和初期、患者の強制隔離が国策となる。各県は「根絶」を競い、少年少女も「すぐに親元に帰れるから」と連れてこられた。所内の学校に通ううち、塀の中で一生を終える定めと知る。いわれなき隔離は戦後も続いた
▼絶望の中の至福は面会だった。少女の短文がある。〈お母さんは、私を見ると「千砂」と言ったまま、お泣きになった。私も声を出してわっと泣いた。思って居た事を、言おうとするけれど泣きじゃくって、声が出なかった〉
▼離れていても愛されている、と確かめる術(すべ)が郵便だった。千代子さんの、これは詩だろうか。〈てすりにもたれている友/目かくししようと思って/そっと後(うしろ)にまわったら/手紙をもって泣いていた〉
▼かるた、ひな人形、運動会の写真。閉ざされた四季が並んでいる。宝物は、肉親と暮らした遠い記憶だったのだろう。康子さんの詩の冒頭を記す。〈思い出は/私の胸の小さな銀の箱にある/そんなものがあるってことも/中に何が入っているかも/誰も知らないの〉」
 

余談:谿深し

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月17日(金)03時46分41秒
返信・引用  編集済
   コスモスを離れし蝶に谿深し  水原秋桜子

私が存じ上げているだけでも、短詩の専門家がお二人ここにお見えになります。それを承知でまるで素人の私が、俳句を取り上げてあれこれ言うことの無謀さは承知しながら・・・


まで書いて、やはり取り止めました、感じていたことを書くのは。そして少しぼかして表現して、後は自由に解釈して頂くという、逃げ方をすることに致しました。

ぼかして言うと、(1)多くの色彩(2)遠近感(3)深い精神性の三つです。

特に精神性についてはこう思います。今現実に取り組んでいる「物」から離れて、一歩後ろへ下がって眺め直すと、恐ろしい程の真理や深淵が見えて来て、思わず中空に立ち竦んでしまう。そういう気持ちが読み取れて、凄いなあ俳句ってと、それこそ立ちすくんでしまうということが、どうしても言いたかったので、大胆な挑戦に踏み切りました・・・^^;


これに蝶が欲しかったのですが、見付からなくて・・・
 

余談:干支

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月16日(木)03時34分12秒
返信・引用  編集済
  恐らく今日は大恥を晒すことになります。干支とか還暦とか十干を初めて知ったことを白状しなければならないからです。落合淳思著「甲骨文字の読み方」に殷王朝の系譜が出ています↓。「史記」の「殷本紀」に記された系譜と、甲骨文字から読み取った系譜の違いを比較検討して、殷代史の研究にはもっと甲骨文字の資料価値を認めるべきだということを主張しているのですが。

その甲骨文字から読み取った系譜の方を見ると、面白いことに王の名前に甲、乙、丙、丁が順に出て来るのです。そこで、甲乙丙丁の続きは何だったっけ、白・発・中じゃなくて、と検索したら「戊己庚辛壬癸」と見たことがあるのが出たのですが、さて読み方を知らないのです。「ぼきこうしんじんき」と知りました(恥の1)。で、そうなのです、それらも順序はこの通りではないのですが、王の名前に使われています。

「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」を十干と言うのだということを、これも初めて知りました(恥の2)。そこまで行くと、自ずからというか何となくというか、「十干十二支」と出て来て、Wikipediaの「干支」で「甲子」が「きのえね」であり、10と12の最小公倍数が60であるから十干と十二支の組み合わせが60通りになり、それで60歳が「還暦」になるのだと、初めて知りました(恥の3)。

もう少し下まで読んで行くと「殷商帝室の系譜」もチャンと出ていて、ガックリしました。王の名には十干を付けることになっていたのです(ここで又一つ発見。「甲骨文字の殷の系譜」↓の方、「大甲」の次に「大康」と有りますが、これは「大庚」でなければ・・・)。又一つ、というか幾つか賢くなりました。というか、如何に何も知らなかったかと、些かならず自己嫌悪に陥らざるを得ませんでした・・・(>_<)


嗚呼、濫読の秋=反省の秋
 

「プロジェクトK通信」誕生!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月16日(木)01時16分2秒
返信・引用  編集済
  「志村康さんとキャッチボール」で知りました。既に9月8日にスタートしていたのですが、気付かなくて・・・。こちらです

楽しい会話が弾んでいます。一度ご訪問なさってはいかがでしょう・・・。こちらにも紹介させて頂きました。
 

こんにちは。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月15日(水)10時55分12秒
返信・引用  編集済
  >そんな褒め言葉(ヒョッとして皮肉か???)

いえいえ。皮肉ではありませぬ。マジメです。

>蝶と蜂です・・・^^

やっぱりおバカを言っておこうかな?「打打発止」でしょうか?(^^)。
 
    (リベル) フムフム・・・。チョウチョウハッチ・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ! (10.15 11:03)  

余談:麦の原産地

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月15日(水)02時31分57秒
返信・引用  編集済
  「物語 中国の歴史」に甲骨文字発見(1899年ですから私の生れる僅か36年前です)の経緯が書かれています。甚だ劇的なのでご紹介します。王懿栄(おういえい)という国子監祭酒(文科大臣?)の北京の家に寄寓していた劉鶚(りゅうがく)は、王氏がマラリアの薬として常用していた「竜骨」に文字のようなものがあることに気付きます。二人とも文字のことに詳しかったのが良かった。色々調べて、これは殷の時代のト辞(ぼくじ)ではないだろうか?ということになった。私のような唯の酔っ払いだったら、こうは行かなかったでしょう、そこが凄いし、面白いところだと思うので、ご紹介しました。

王懿栄は間もなく死ぬのですが、劉鶚はこの竜骨が河南省安陽県小屯付近の農地から出ることを調べて、蒐集・研究を始め、そこに徐々に多くの学者が参加して10万点に達する甲骨資料が発掘され、現在の甲骨文字研究に至ったのだそうです。

最初から興奮して脱線が大きくなってしまいました。殷王朝はB.C.1600年頃に始まります。そして、甲骨文字には「麦」という字が書かれています。「漢典」の「字源字形」のタブをクリックしてください、甲骨文字が見られます。

「漢字の字源」p.42に「ムギは地中海東部沿岸地方を原産地とし、中国には西の方から伝わって来たから、「遠いところから来た穀物」という意味で、ムギを表す名詞と「来る」という動詞が中国語では同じ発音のことばとなったという可能性は大いに考えられよう。」と書いてあったから、飛び上がってしまいました(ムギの原産地についてはWikipediaでは中央アジアとかイラン周辺と書いてありますが、大差有りません)。

私は「癩の由来について」の(4)仮説のところで、「歴史上、B.C.2世紀の張騫の西域派遣以前の記録は見当たりません。しかし、その800年前、中国に西周の文化があり、パレスチナにソロモンのヘブライ王国が栄えた頃、両者の間に交流が皆無であったという、記録は無いのではないでしょうか?とすれば・・・。」と書いています。麦はB.C.1600年頃、西から中国に伝わったのです。

交流が有ったと言えば、正確ではないのでしょう。ここで「Atlas of the Human Journey」というのを見てみます。ここの「200,000B.C.」のところ、「60,000」「50,000」とクリックすると人類の歩みが見られます。左下の「Map Tools」の矢印をクリックして出て来る「Y-Chromosome」は「Y染色体=男性」、「Mitochondria DNA」はいわゆる「ミトコンドリア・イヴ=女性」のルートを示しています(Wikipediaにはこう書いてあります「ミトコンドリアDNAは母系をたどることしかできないため、人類の系統や移住の足跡をたどるためには、学問的には不十分である。そのため人類の足跡をたどるためには、父系の系統のみをたどることができるY染色体の分析と併せ検証するか、或いは人類の核DNAそのものを分析する必要がある。」)。(参考

茶色の線だけを辿ると分かり易いのですが、確かに人類は50,000年〜30,000年前頃中央アジア方面から中国へ進んでいます。しかし、この人類の歩みは一体何を示しているのか?言い換えれば文明を伴った歩みなのか?50,000年前の文明ってどんなものだったのか?

このサイトは宇宙のビッグバンから現在までの歴史をアニメで見せてくれます。赤い矢印を右へドラッグしてください。54,000年前頃、織物が現われています。8,000年前頃から人口が増え始めます。B.C.3,500年頃メソポタミアの楔形文字が現われます。B.C.3000年頃エジプトのヒエログリフが・・・

山川出版社の「世界史大年表」によると、B.C.10,000年頃、パレスティナの「ナトゥフ文化:野生のムギ類の利用。B.C.8.000年頃、ヨーロッパ、オリエントでムギ類の栽培、ヤギ、ヒツジ、ブタの飼育が始まる。と有ります。

「中国まるごと百科事典・中国歴史」によれば、夏王朝までは、粟作のみ記述があり、殷の「卜辞解読から見る商王朝」に、突然「主要な作物は黍、、稲など」と登場するのです。

このムギは、一体いつ頃どこを通って、誰が中国へ運び込んだのでしょう?それとも「…という可能性は大いに考えられよう。」という阿辻氏の言葉は、昨日ご紹介した「あとがき」どおり「その著者個人の解釈にすぎず、絶対に正しいと証明されたものではない」のでしょうか?

やれやれ、これは大変な事になりそうです。


山川出版社「詳説 世界史 B」から
 

余談:憂鬱な話?

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月15日(水)01時41分21秒
返信・引用  編集済
  「リンカーンわアメリカンコーヒーを三杯飲んだ」

「わ」じゃなくて「は」でしょう?と詰問されそうですが、これで良いのです。24時間後などと言わずに、種明かしをします。

「林缶ワ米コヒ彡」と書き直すと、何かイメージが湧いてきませんか?「木缶木」では如何ですか?

そうです。「米」と「コ」は90度右へ回転させてください。「鬱」の出来上がりです。連れ合いが、前にご紹介した「漢字を楽しむ」の「あとがき」で発見して「これで生れて初めて書けるようになった」と大はしゃぎだったので、私も釣られて覚えてしまいました。これから先果たしてこの字を自分の手書きで書く時が有るのだろうか、いや、無いだろうなぁ、と思いながら・・・^^;


下にご紹介したのは「漢字の正しい書き順」というサイトです。「飛」はまだ覚えていらっしゃいますか?お試し下さい・・・(^^)

http://kakijun.main.jp/page/utsu200.html

 

Re: 解釈の多様性

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月14日(火)22時48分34秒
返信・引用  編集済
  > No.3918[元記事へ]

>「漢字の字源」という本の一番最後「おわりに」の最後に「解釈の多様性」という小見出しで、こんな事が書いてあります。
>
> 「だがここで確実にいえることは、既刊の漢字字源解説書や漢和辞典に載せられている解釈は、究極的にはいずれもその著者個人の解釈にすぎず、絶対に正しいと証明されたものではない、といううことである。」

これはリベルさんのように、膨大な文献にあたられながら、ここまでの道のりを歩いてこられた方にのみ通用する言葉ではないかと思います。

上記の考え方を乱用されたら、日本語は壊れます。誰かが「イエス。」と言ってくれたから、という程度の了解で、間違った言葉を使い続けるという危険もはらんでいるように思えますが。。。
生意気を申し上げてすみませぬ。
 
    (リベル) >膨大な文献にあたられながら、ここまでの道のりを歩いてこられた方・・・

とてもとても、そんな褒め言葉(ヒョッとして皮肉か???)には到底値しないことは、本人が一番良く承知しているのですが。

文章の一部に「損傷」が有れば、全体の美しさが壊れてしまいます。このアゲハチョウの模様の一部が黒く塗り潰されているようなものでしょう。気を付けたい事ですね。と言いつつ、前に書いた投稿を読み直して、いくつか訂正を致しました・・・(恥)(10.15 01:16)
 

厚労省の解説

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月14日(火)07時39分27秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病に関する情報ページ」はお馴染みのページだと思いますが、その中の「ハンセン病の正しい理解のために」の2番目「パンフレット「向き合おう。語り合おう。」の「1〜7ページ(PDF:124KB)」をクリックしてその2頁目をご覧ください。お疲れ様です。

「歴史から見たハンセン病」のQ7に「紀元前600年ごろの古代インドの書物には、大風子(たいふうし)という木の実からとれる「大風子油」を薬にしていたという記述があります。」

と書いてあります。「紀元前600年ごろの古代インドの書物」というのは「スシュルタ・サンヒター」の他には有りません。私の手元には、その和訳と英訳の両方があるのですが、どこを探しても「大風子油」が有りません。「ダイフウシ」「チャウムグラ」「イイギリ科」、英語の「chaulmoogra」、学名の「Hydnocarpus Anthelmintica」「Taraktogenos kurzii」、索引に無し。和訳の「第1篇総説篇・第38章薬物の分類」には薬の名前と何に効くかという病名が124〜145ページ(一例)にわたって列挙してあるので、虱潰しに調べましたが、無い!「癩性皮膚病」「癩病」に効く薬が6族に分けて書いてあるのですが、どこにも無い!

これまで、色々調べている時に、気に掛けながら居たのですが、今日はそれだけを調べてみました、徹底的に、でも無い!

厚労省さんには敵いません。「ファヂニー」(1943年)というのを間違いです、と何回言っても直しません。ですのでこれも、言いません、どうせ無駄ですから。


蝶と蜂です・・・^^
 

解釈の多様性

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月14日(火)05時30分39秒
返信・引用  編集済
  「漢字の字源」という本の一番最後「おわりに」の最後に「解釈の多様性」という小見出しで、こんな事が書いてあります。

「だがここで確実にいえることは、既刊の漢字字源解説書や漢和辞典に載せられている解釈は、究極的にはいずれもその著者個人の解釈にすぎず、絶対に正しいと証明されたものではない、といううことである。」

に続いて、下のページの通りのことが、書いてありました。「私は我が意を得たり!」という感じに満たされました。「ツァラアト」然り、「白癩」然り、「kuṣṭha」もまた然りなのです。私の場合は「学問的良心」とは言えませんが、でも事実に忠実であろうとする態度は、正に同様です。君それって「気休め」に過ぎないよ!と言われれば、そうですねと答える、かな・・・?


こんなことが書いてあります。
 

続:三つの「悪疾」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月14日(火)03時53分3秒
返信・引用  編集済
  ●歴史で最初に「ハンセン病(?)」として文書に登場するのは(私の現在の調べの段階では)、B.C.91年頃成立の「史記卷六十七・ 仲尼弟子列傳第七(真ん中辺りです)」でここにはこうあります。

「冉耕字伯牛。孔子以為有行 。伯牛有惡疾、孔子往問之、自牖執其手、曰:「命也夫!斯人也而有斯疾、命也夫!」」

この解説は小川環樹他訳「史記列伝」岩波文庫(1)(2)にあります。

これは実は、孔子(B.C.551〜479)の「論語・卷三・雍也第六」を編集再録したもので、「論語」の方はこうなっています。

「伯牛有、子問之、自牖執其手、曰:「亡之、命矣夫!斯人也而有斯疾也!斯人也而有斯疾也!」」

この解説は金谷治訳注「論語」岩波文庫(1)(2)にあります。



「論語」の「疾」を「仲尼弟子列傳」では何故「悪疾」にしたのか、不思議に思って「漢典」で「康煕字典」と「説文解字」を調べてみましたが、根拠らしきものは見当たりませんでした。司馬遷の独断でしょうか?

ついでに、「厲」を入れてみました。意味は「砥石」ですが「康煕字典」を見ると「【史記·范雎(はんしょ)傳】漆身爲厲。【註】厲,音頼。言以漆塗身,而生瘡爲病癩。」と書いてあります。これは私が「呼称の変遷」の注64で書いているように「史記・豫譲傳」(頁内検索で「漆space身」で検索してください。参考”版本と注釈”)が正しいのです。「范雎傳」はそれを引用しているということは、読めば歴然としています(貝塚茂樹他訳「史記列伝」中公クラシックス、p.198↓)。かの「康煕字典」でさえ、このような間違いを犯しています。もう驚かなくなりましたが・・・(^^)


(「二七九ページ参照」は「二八〇ページ参照」の間違いです。これは貝塚氏の方の間違いですが・・・^^)
「かの予譲のごとく」と書いてあります。
 

余談:車中にて

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月14日(火)02時25分45秒
返信・引用  編集済
  私はもう10年ほど遠距離列車に乗っていません。トークショーで聴いた話ですが・・・

歌手の大月みやこさんが4人向かい合っている座席に座っていました。前にお嬢さんが二人。横に男性がコックリコックリ、居眠りをしていたそうです。ダンダン激しくなって深くガクッとなった途端、驚いたことにカツラがストンと抜け落ちたのです。男性はハッと目を覚まして、真っ赤になって慌てて拾い、何とジッパーを開けて大急ぎでカツラを押し込んだのです。何か恥ずかしいものが飛び出したので、頭の中がこんがらかってしまったのでしょうか・・・爆笑の渦でした。

ついでに小堺一機さんが車中談を披露。新幹線に車内販売がありました(今はどうなのでしょう?)。車内アナウンスで「お客様にお願い致します。最近JRの職員を騙って、車内販売を行っている業者が居ます。くれぐれもご注意くださいますよう・・・」、その時ガラリと通路のドアが開いて「えー、只今ご紹介にあずかりました・・・」とまあヌケヌケとというのか、自棄のやんぱちでしょうね、恐らく。

私は、歩きながら、もう笑いこけてしまいました・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


こちらは本物です。でしょう・・・。あ、写真を撮っている人が!それをまた撮ってる人が・・・。
 

Damien Dutton賞

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年10月14日(火)01時15分1秒
返信・引用  編集済
  ダミアン ダットン賞が日本財団へ

 というニュース有難うございました。

 日本では4番目です。1回目は光田健輔、2回目は義江先生 3回目は湯浅洋先生、と今回のようです。年は 1961,1976,2002年です。どういう功績なのか、調べていますが、まだ調査不十分です。(この項Ichiro)

 ダミアンは有名ですが、ダットンは余り有名でありませんね。彼はダミアンがモロカイ島にいた時代の友人で、ダミアンがハンセン病を発病し、彼をよく思わない人から攻撃を受けていた時、彼を助けた神父です。当時はハンセン病と梅毒との区別がよくわからず、それで、ダミアンは女垂らしという攻撃を受けたのですが、ダットンはダミアンから女性に接していないという告白を受けています。Josef Duttonは Holy Man 1973 に写真がでていますが、小柄な?顎鬚が濃いい聖者みたいな方のようです。

 この賞の性格上、いろいろな人物、団体が受けていますね。小生の掲示板に少し書きましたので宣伝させてください。

http://9105.teacup.com/ichiro/bbs
 
    (リベル) あ、Ichiroさん有難うございます。Brother Joseph Duttonとして、このページのダミアンの写真の横に少し記事があります。

日本財団のHPにも出ていますが、マザー・テレサやケネディーも受賞しているそうです。「日本財団」の受賞の妥当性は置いておいて、取り敢えず「おめでとう」を申し上げます・・・^^(10.14 01:59)
 

三つの「悪疾」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月13日(月)04時01分30秒
返信・引用  編集済
  前から言っています「三つの白癩」の構想は消えてはおりません。目下漢字を、亀甲文字まで含めて勉強中なのでその後に、ということになります。期待せずにお待ちください。で、今日は唐突ですが、時々頭をよぎる「悪疾(アシキヤマイ)」を纏めることにします。

●歴史で最初に「ハンセン病(?)」として文書に登場するのは(私の現在の調べの段階では)、B.C.91年頃成立の「史記卷六十七・ 仲尼弟子列傳第七(真ん中辺りです)」でここにはこうあります。

「冉耕字伯牛。孔子以為有行 。伯牛有惡疾、孔子往問之、自牖執其手、曰:「命也夫!斯人也而有斯疾、命也夫!」」

この解説は小川環樹他訳「史記列伝」岩波文庫(1)(2)にあります。

これは実は、孔子(B.C.551〜479)の「論語・卷三・雍也第六」を編集再録したもので、「論語」の方はこうなっています。

「伯牛有、子問之、自牖執其手、曰:「亡之、命矣夫!斯人也而有斯疾也!斯人也而有斯疾也!」」

この解説は金谷治訳注「論語」岩波文庫(1)(2)にあります。


「論語」の「疾」を「仲尼弟子列傳」では何故「悪疾」にしたのか、不思議に思ってこちらで「康煕字典」と「説文解字」を調べてみましたが、根拠らしきものは見当たりませんでした。司馬遷の独断でしょうか?

●次に登場するのは養老律令の「戸令・第七、第二十八」(718年成立)です。

「戶令第七 目盲條:凡一目盲。兩耳聾。手無二指足無三指手足無大拇指禿瘡無髪。久濡。下重。大隰隲。如此之類。皆為殘疾癡。隴。侏儒。腰背折。一支癈。如此之類。皆為癈疾惡疾。癲狂。二支癈。兩目盲。如此之類。皆為篤疾。」

「戶令廿八 七出條:凡棄妻。須有七出之狀一無子。二淫隶。三不事舅姑四口舌。五盜竊。六妬忌。七惡疾。皆夫手書棄之。與尊屬近親同署。若不解書。畫指為記。妻雖有棄狀有三不霖去。一經持舅姑之喪二娶時賤後貴。三有所受無所歸。即犯義絕。淫隶。惡疾不拘此令」

難しくて、全部は読めませんが、養老令の注釈書「令義解」(833年成立)にはこのような解説があります。

「悪疾。謂。白癩也。此病。有虫食人五藏。或眉睫墮落也。或鼻柱崩壊。或語聲嘶變。或支節解落也。亦能注染於傍人。故不可與人同床也。癩或作癘也。」(『国史体系』「令の義解」巻2 吉川弘文館(1969年)

どなたか読み下して下さい。良く話題にする太田氏の「仏教とハンセン病」ではこう読み下してあります。

「悪疾いわゆる白癩(しらはた)なり。此の病人五臓の虫が食う。或いは眉・睫が落ち、或いは鼻柱が崩壊し、或いは言葉声が嘶なき、或いは関節ずれ落ち、亦能く傍らの人に伝染する」

ここでは異議があるのですが、別の機会にしておいて通り過ぎます。

●年代的に一番新しいのが源順(911年〜983年)編「和名類聚抄」です。この画像をご覧ください。こう書いてあります。

「癘(アシキヤマイ)「説文(「説文解字」のことです)ニ云癘(音例・阿之岐夜萬比)悪疾也」」


以上の三つなのです。どなたか他にご存知でしたらお教えください。この三つが現代の「ハンセン病」を指しているか否かの議論は、今はしません。こういう表現で「ハンセン病」かもしれないものが当時記録されていたと言うことを、「呼称の変遷」の年表に加えるために、整理してみました。


アオスジアゲハ(片目を閉じてご覧ください。立体感が出ます・・・♪)
 

再:第4篇治療篇・第9章癩病(皮膚病)・第23節

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月12日(日)04時16分2秒
返信・引用  編集済
  実は、ここに挙げたページは邦訳・英訳とも何か混乱の寄せ集め、いや「誤訳の象徴」などとは言っていません、のようなものなので、代表選手として登場して貰いました。

解説は明日にさせて下さい。今日は、興味のある方だけ開いてご覧ください。図書館から借りた「スシュルタ本集」には鉛筆で下線を引きました。「The Sushruta Samhitā」は赤線が引いてあります。この部分は「スシュルタ本集」の「病名」の索引の「kilāsa」のところに「4.9.23」と書いてある部分です。こちらの索引は「植物名」の索引です。「kuṣṭha」が有ります。こちらに日本語の「病名」の索引も掲げておきます。「白斑癩(白皮病)」の項です。ここいらも面白さに関係してくるので・・・。参考(ここには「芬陀利華状癩」と「輪癬」が出ています。参考の参考

  「スシュルタ本集」(1)(2)       「The Sushruta Samhitā」(1)(2)(3)

明日、一応説明致します。本当はよくよく見比べながら読んで行くと、完全にアッパーカットを喰らって、ひっくり返るほど面白いのです。が、今日は面白さを通り越して、少なからず不愉快感が身体の中で渦巻いていますので、説明は止しておきます・・・^^


約束通り解説を始めます。お暇な方と、熱心に関心を寄せて下さる方は、どうぞごゆっくり、耳をお傾けください。

先ず  「スシュルタ本集」(1)と 「The Sushruta Samhitā」(1)「病名」の索引の三つを開いて下さい。

「スシュルタ本集」(1)はこう始まります。「前記七種の膏薬は全て皮膚病を治する効あり。」それに対応する「The Sushruta Samhitā」(1)は「The preceding seven medicinal plasters are possessed of the virtue of destoroying or curing Kushtha in general.」であって、「Kushtha in general」は「皮膚病」とされているのです。ここで「病名の索引」の「Kushtha(-roga)」を見ると、訳語は「癩性皮膚病癩病」となっています。つまり「kushtha」には三つの訳語が存在することが分かりました。前にもこのことは書きましたが、書籍ではこうなっていると言うことをご紹介しました。

次に出て来るのは「白斑病(śvitra)」です。「śvitra」に関しては、「病名の索引」の「śvitra」を見てみましょう。「śvitra」の和訳は「白皮病白癜風後天白斑病」と有りますが、当該ページにはいずれも「白皮病」しか有りません。実は「白皮病」というのは、前にご紹介したことがあるのですが、「kilāsa」の訳語として、華々しく登場しているのです。このページの下から5行目をご覧ください。

次に出て来る「クシュタ」は植物名で、これは上の「植物名」の索引をご覧ください。

後は、大して騒ぐほどの問題は無かったと思います。しかし、もうこれで十分でしょう。こういう作業はもういい加減止しにしておきます。精神衛生に良くありませんし、第一無益ですから。

「スシュルタ本集」の訳語の「多彩さ」は十分ご理解頂けたことと信じます・・・(o_ _)oパタッ!


まあ、あちらこちらと、手掛かり足がかりを探しながら、この岩のてっぺんへ向かって少しずつ、よじ登ると致します。命綱が途切れるまで・・・(^^)
 

第1篇総説篇・第25章外科手術の選定

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月11日(土)03時46分53秒
返信・引用  編集済
  昨日の「第4篇治療篇・第9章癩病(皮膚病)・第23節」の解説はチョット延期させて頂いて、今日はもう少し簡単なページをご披露します。こちらが分かり易いので、先にご披露するべきだったと後悔しているのです。

     「スシュルタ本集」     「The Sushruta Samhitā」(1)(2)

「スシュルタ本集」のページには「癩」という字が3個有ります。下線が引いてありますが、「白斑癩」、「輪円斑状癩」、「癩性皮膚病」です。それぞれに対応する英訳を「The Sushruta Samhitā」のページで探すと(赤線)、それぞれ「kilāsa」、「mandala」、「kuṣṭha」となります。

「mandala」は初めて出て来たのですが、これは梵英辞典で発見しました。このページ右下の下から27行目です(ib.=in the same book)。「cutaneous eruption」は「発疹」です。

このページ(下から7行目)では「白皮病」と訳されているものが、こちらでは「白斑癩」(前にも書きましたが、この言葉は辞書に有りません)と訳されています。

「癩病」を現わす「kuṣṭha」がここでは「癩性皮膚病」(昨日のページをご覧になった方はそちらでは単に「皮膚病」と訳されていたのをご記憶かと思います。)と訳されています。こういう場合、訳者としては「病名」や「病気」に対する綿密な検証は無理なのかも知れません。私のように「ハンセン病」との関係に置いてのみ捉えるというのと、自ずから異なってくるのはやむを得ないのかも知れません。


「誤訳」と言っていけなければ「混乱」。それも言い過ぎなら「不統一」、「矛盾」。それでダメなら「多彩」と言えば宜しいのでしょうか・・・(皮肉)。何故なら、こうして見てくると、訳し分ける必然性がどうしても見当たらなくなってくるからなのです・・・(;´▽`)アセアセ


気分転換に・・・
天の河川音さやけし彦星の秋漕ぐ船の波のさわきか  万葉集より、作者不詳
 

すっきり! Re: Re: 皆様にお願いがあります

 投稿者:しゅう  投稿日:2008年10月10日(金)09時35分10秒
返信・引用
  > No.3909[元記事へ]

リベルさんへのお返事です


>
> その後、前に触れた「レイアウト枠」を使わないで、何とか現状になりました。しゅうさん、15インチでは如何でしょうか?


はい、すっかり改善されて、見易く、検索もし易くなりました。

お疲れさまでした。
 
    (リベル) しゅうさん、どうもごめんなさい。早速のご返事を有難う御座いました。

さあ、午後「ネットカフェ」へ行って、19インチはどうか、見てきます。さあどうなっていることか♪♪♪(10.10 11:20)

追記:「ネットカフェ」へ行ってきました。19インチワイドでもOKでした。やれやれでした、元凶はやはり「レイアウト枠」という例の奴のようです・・・(^^;)(10.10 17:30)
 

第4篇治療篇・第9章癩病(皮膚病)・第23節

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月10日(金)06時17分58秒
返信・引用  編集済
  実は、ここに挙げたページは邦訳・英訳とも何か混乱の寄せ集め、いや「誤訳の象徴」などとは言っていません、のようなものなので、代表選手として登場して貰いました。

解説は明日にさせて下さい。今日は、興味のある方だけ開いてご覧ください。図書館から借りた「スシュルタ本集」には鉛筆で下線を引きました。「The Sushruta Samhitā」は赤線が引いてあります。この部分は「スシュルタ本集」の「病名」の索引の「kilāsa」のところに「4.9.23」と書いてある部分です。こちらの索引は「植物名」の索引です。「kuṣṭha」が有ります。こちらに日本語の「病名」の索引も掲げておきます。「白斑癩(白皮病)」の項です。ここいらも面白さに関係してくるので・・・。参考(ここには「芬陀利華状癩」と「輪癬」が出ています。参考の参考

  「スシュルタ本集」(1)(2)       「The Sushruta Samhitā」(1)(2)(3)

明日、一応説明致します。本当はよくよく見比べながら読んで行くと、完全にアッパーカットを喰らって、ひっくり返るほど面白いのです。が、今日は面白さを通り越して、少なからず不愉快感が身体の中で渦巻いていますので、説明は止しておきます・・・^^
 

Re:Re: 皆様にお願いがあります

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月10日(金)02時47分23秒
返信・引用  編集済
  > No.3908[元記事へ]

しゅうさんへのお返事です

>リベルさん、私のPCは15インチですが、「ハンセン病リンク集」の「集」が下に下りています。サイト内検索のところに被っています。
> そして、左から楓が散っていますがそれが検索の枠に食い込んで小さくなっています。
> うまく修正出来ますか?
> よろしくお願いします。

その後、前に触れた「レイアウト枠」を使わないで、何とか現状になりました(あずきさんご推奨のデザインは、私の手には負えません、ご免なさい)。使わなければ、色々なサイズに適応してくれるのかどうか、それも実は知らないのです。明日もう一度ネットカフェへ行って、そこは19インチワイドなのですが、上手く行っているか見てきます。しゅうさん、15インチでは如何でしょうか?


ネットカフェと言えば、随分前PCが故障した時入会したのですが、昨日行ったら「タバコはお吸いになりますか?」と訊かれました。先日の事件が影響しているのでしょうね。
 

Re: 皆様にお願いがあります

 投稿者:しゅう  投稿日:2008年10月 9日(木)20時28分29秒
返信・引用
  > No.3907[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

リベルさん、私のPCは15インチですが、「ハンセン病リンク集」の「集」が下に下りています。サイト内検索のところに被っています。
そして、左から楓が散っていますがそれが検索の枠に食い込んで小さくなっています。
うまく修正出来ますか?
よろしくお願いします。
 
    (リベル) しゅうさん、こんばんは。

先程アニメのサイズを小さくして、一番上のベルトの幅を狭くしてみました。それからお話しから察すると、サイト内検索が左に有るのでしょうか?たとえば「東京新聞」のサイトなどをお手本にしているのですが、そうすると、全く印象が違うのでしょうね。

詳しくメールでも頂けると有り難いのですが、基本的な勉強がなく、その場凌ぎでやっていますので、ご迷惑を掛けている場合が多いのではないかと、心配になってきました・・・^^;(10.9 23:30)
 

皆様にお願いがあります

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 9日(木)17時59分51秒
返信・引用  編集済
  昨日書きましたように、「ハンセン病のリンク集」のトップページのデザインを変えています。で、私のディスプレーは17インチ、19インチではどうなるのか、チェックしたいと思って、散歩道途中の「ネットカフェ」に入りました。

嬉しかったのは、自宅と違って「ハンセン病のリンク集」を出すためには、検索から行かなければなりません。その検索ワードを入れていったら「ハンセン病の」まで打ったところで、「候補」として「ハンセン病のリンク集」が出て来たことです。これは年甲斐もなく嬉しかったので、書きました。

見るとやはり19インチではいけませんでした。タイトルの「集」が入り切らなくて下に下りています。「文字の大小」も左下へ下りてきています。「ホームページビルダー」の「レイアウト枠」というのを使うとこういう事が起こりがちだと知ってはいたのですが、やはりでした。早速応急処置を施したのですが、これで良いかどうか分かりません。

19インチのモニターをお持ちの方が、これをご覧になっていたら、上手く収まっているかどうか、お教え頂ければ、嬉しいのです。さもなくば明日、再び260円を費やして「ネットカフェ」に入らなければなりません。どうか宜しくお願いします。「ハンセン病のリンク集」のトップページ、です・・・m(_ _)m


やはり、ディスプレーを買い換えた方が、よろしいのでしょうか・・・(^^;)
 

認知症進行中

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 9日(木)12時25分46秒
返信・引用  編集済
  最近細かい文字を読む機会が多いせいか、よく目が疲れます。昼食後目薬を差すのが日課のようにになっております。もう一つこれは数年前から、後頭部にチョットしたオデキが出来ておりまして、ときたま痒くなるので、薬を塗ります。頭のオデキには塗り薬ではなく、液体のくすりが有ることは、ご存知の方もいらっしゃるかも知れません。

ここまで書くと、大体結末をお見通しかも知れません。先程先ず左目に目薬を差したところ、いつもよりチクリと痛い。本来はそこで気付くものでしょう。次に右目に差し終わって、やおら、いつもの清涼感にとぼしいのを感じ、手元を見てアアッ!と叫びました。


いよいよ、重症化して来ました・・・ (;´ρ`)ダメジャ コリャア


その後談:連れ合いにこの話をしたら、「あらまあ、頭の中のオデキに目から薬を差したのね!洒落てるじゃない?」と言ったような気がしたので問いつめると、そんなこと思ってもみなかったわ、と申します。だって、確かに聞こえたぞ、と言うと、聞こえたのなら仕方ないわね、ですと。

蝶のように舞い、蜂のように刺す」なあんて、格好いいこと言ってる場合じゃ有りません・・・(>_<)(10.9 15:29)


だって・・・これじゃあ間違えるのも無理ないですよね?
そんなこと無い!・・・ですか・・・。
 

Re: 北風さんへ Re: 訂正

 投稿者:北風  投稿日:2008年10月 9日(木)10時17分15秒
返信・引用
  > No.3904[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 阿辻哲次さんの本、

この人、京大教授らしいので本名でしょうが、和辻哲郎と阿部次郎を足して割ったような、まさに多義図形的な漢字研究者にふさわしいですね。
 
    (リベル) おやあ、お見通しだったかな?実はぁ、最初買ったときは、誤解して買っていました・・・なんて・・・どうだか・・・(^^;)(10.9 12:06)  

北風さんへ Re: 訂正

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 9日(木)03時58分26秒
返信・引用  編集済
  > No.3895[元記事へ]

> 以前、くにがまえに「館」で「図書館」といいましたが、間違いでした。
> くにがまえに「書」でした。

「漢字を楽しむ」ようやくそのくだりに来ました(p.181)。「」ですね。なるほど書籍を囲い込んでいるのですね。くにがまえに館では旅館を囲い込んでいるから、温泉街になってしまいます。熱海、箱根、鬼怒川、別府などなど・・・。


阿辻哲次さんの本、誠に面白くて、「漢字道楽」「漢字の智恵」「漢字の字源」「漢字三昧」と古書を発注してしまいました。締めて2,116円也(内送料1,360円)。書籍代一冊当たり189円也。送料が一冊当たり340円、これに手数料が入っているのでしょう・・・(^^)

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%88%A2%92%D2%93%4E%8E%9F&SORT=U

 

Re: 楽しくないご報告:白斑癩

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 9日(木)02時27分59秒
返信・引用  編集済
  > No.3896[元記事へ]

> > 先ず第3巻索引の「病名索引1(サンスクリット)」の「kilāsa」を見て下さい。和訳は「白斑癩」と「白皮病」の二つに分かれています。
> >
> > 私が最初に疑問として取り上げたのは7月21日です。「白皮病」・「白皮症」については8月4日に詳しく触れています。梵語の「ハンセン病」では、このように説明していましたが、修正を入れなければなりません。
> >
> > ところが、今回新しく「スシュルタ本集・第三巻・索引」を見てみると、「白皮病」だけでなく「白斑癩」という和訳が付けられています。これも辞書に無く、インターネットの検索でも出て来ない言葉なのです。



一昨日書店へ行って念のため医学事典に当たってきました、がやはりノーヒット。研究社「医学英和辞典」に「白斑=white spot disease=適状限局性強皮病」というのが有っただけでした。トイレに「The Sushruta Samhitā」を持ち込んでコンテキストを探っていて、「なにやってんだろう、俺!」とバカバカしくなって、出て来て、リビングでコーヒーを啜りながら中島義道著「私の嫌いな10の言葉」の宮崎哲弥氏の解説(これは滅法面白いです。堂々たる一つの読み物になっています。是非本屋で立ち読みして下さい、お奨めです)を読んでいると・・・

「何をやったって死ねば終り、なんて本当のことをいったら世間は成り立たなくなる。(中略)こうして私は世間に順応するたずきを習得した。世の全てを仮のことと思い定めたら、いくぶんか楽に生きられるようになった」

と先日私が吐きだした言葉・・・

「かくて私に明るい展望が開けました。「詳しいことは分かりません。新しい資料が発見されれば何か進展が見られるかも知れませんが。以上」で締め括れば宜しい」

に通底するセリフが出て来て、あ、そうだったな、と妙に安心させられました。


「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というか、もう無心に自分のやりたいことを、やりたいようにやることだと思っています。何か成果を出さなければならない、結論はどうする、そんなことは一切カット!蝶のように自在に空中を飛び回っていれば良い、と。

アレを読みコレを調べ、やりたいようにフワフワ飛び回っている内に・・・

「さあそのとき聖徳太子の口から出た言葉は「びゃくらい」であったか「しらはた」であったか「pailai」であったか「paili」であったか、これは誰も知りません。」

という一つの結論に達したのです。はい私はそう思っています、実は。「誰も知」らないけれど、恐らくその辺が正解だろうと。

意識しなかったけれど、これまで知らぬ内にそういうスタイルで「ツァラアト」から「leprosy」までハンセン病の最古の記録をしたためて来ました。卵を産み落としてきた、そのように自覚しています。どう孵るか見極めるまでは生きられないと思いますが。


それで良いと思うことにしています。そうです、蝶のように舞い、蜂のように刺す!(Float like a butterfly, sting like a bee.)


モハメッド・アリ
 

閖上

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 8日(水)12時44分14秒
返信・引用
  あ。IMEパッドでも変換しますね。

>故大野晋氏は「日本語は古代タミル語を基礎とする」という説……

う。わたくしは「はじめにことばありき」であったこと、何故か意識から抜けていましたね。
 
    (リベル) う。私も漢字輸入前に「古代タミル語を基礎と」したかどうかは兎も角、それ以前に「話し言葉」が有ったことは納得して、それを前提として「白癩」の読み方を考えているところです。ヒョッとしたらあれを結論としそうなのです。「pailai」か「paili」を・・・^^(10.8 17:56)  

Re: さあてお立ち会い!!!

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 8日(水)12時33分13秒
返信・引用  編集済
  > No.3899[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

変更案(1)が気に入りました。
それにしてもスマートなお茄子ですね(^^)。
クダラナイ茄子話ですので、ここに書くことはやめますが、わたくしのBBSに書いておきます。
お暇の折にどうぞ。


【追伸】
茄子と紅葉の画像をお借りします。すみませぬ。
 
    (リベル) 早速有難うございました。もう少し待ってみて他に無ければ変更案(1)に致します。

あの茄子は、お持ち帰りになった茄子の画像を、横に引っ張っただけなのです実は・・・^^(10.8 17:48)
 

余談:ゆりあげ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 8日(水)03時49分27秒
返信・引用  編集済
  「ゆりあげ」を辞書で引くと「揺り上げる」だけしか出て来ません。ちょっとここは黙って私の言うとおり、お付き合いください。「Google」の検索窓にひらかなで「ゆりあ」でダメなら「ゆりあげ」と打ち込んでいくと「候補」に妙な文字が出て来ます。

そうです「閖上」です。ATOKも変換します。ここでついでに出て来た「閖上公民館」を見てみると、地名の由来が説明してあります。この仙台藩主は伊達綱村だそうです。同じ話が今読んでいる阿辻哲次著「漢字を楽しむ」にも書いてあります。

この前あずきさんが書いて居られたように、故大野晋氏は「日本語は古代タミル語を基礎とする」という説を唱えて居られますが、先ず漢字が入って来るまでは、文字が無く話し言葉だけ(たとえば「ゆりあげ」)だったのです。「閖上」の場合は、まあ伊達さんの酔狂で漢字が出来たのですが、「びゃくらい」の場合はどうだったのでしょう。

10月3日に書いたように、鳩摩羅什が「法華経」を訳したときの中国(訳すときは長安に住んでいましたから)には「ハンセン病」が有ったのです。そして「癩」と呼ばれていたのです。なので「kuṣṭha」を「苦朱田」などと音読みする必要が無かったのです。

では日本に法華経が来たとき(6世紀)はどうだったのでしょう?

まずハンセン病が大陸から渡って来たことは間違いないでしょう。朝鮮半島から渡来人が来始めたのは4世紀末か5世紀初めですから、早ければその頃「ハンセン病」は日本に上陸したかも知れませんが、日本書紀には612年に百済から「白癩有る者」が来たと記されています。この6年前(606年)に聖徳太子が推古天皇に「法華経」を進講しています。さあそのとき聖徳太子の口から出た言葉は「びゃくらい」であったか「しらはた」であったか「pailai」であったか「paili」であったか、これは誰も知りません。

「ハンセン病」と「漢字」がほぼ同時に入ってきたので有れば、百済人は中国語の発音をしたでしょう。5世紀初めから7世紀の初めまでに、「ハンセン病」に日本語の名前が付いていたでしょうか?「しらはた」と?うーむ・・・。そこなのです。鳩摩羅什が、梵語「kuṣṭha」に出会った時は、中国には歴とした病名「癩」が存在しました。日本人が漢字「白癩」に出会った時、日本に明確な病名が、果たしてあったでしょうか・・・?やはり音読みをするほか無かったのではないでしょうか・・・?


同じ事を繰り返し書いているのですが、しかあし、少しずつ明かりが差してきたような、そんな気がしています。どうかなあ・・・^^


言い香りが漂ってきますね・・・♪
 

さあてお立ち会い!!!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 8日(水)02時16分35秒
返信・引用  編集済
  今日は少し興を変えて、こんなことにトライしました。なにせ、基本勉強無しの、行き当たりバッタリ・テクニックですからなかなか満足のいく作業は出来ません。約2時間掛かって、「味付け」をやってみました。下に三つ並べますので、語批評ください。「話にならん」とお思いの方も、是非一言「酷評」を賜わらんことを・・・m(_ _)m

  現在のもの    変更案(1)    変更案(2)

なおアニメは、冬は「雪だるま」、春は「菜の花」、夏は「ひまわり」というように、変化させるのです。「ホームページビルダー」付属のものに限られるのでしょうね・・・(^^;)


紅葉です。
 

Re: 余談:緒形拳さん

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 7日(火)14時42分46秒
返信・引用
  > No.3897[元記事へ]

わたくしもこの突然の訃報をテレビでみまして、驚きました。
71歳とは早過ぎますね。大好きな俳優さんでした。
「拳」をわたくしたちは「けん」と読んでいましたが「こぶし」だったのですね。
手が大きいことがコンプレックスだったとか。緒形さんらしいですね。

これから「追悼の映画番組」が放映されることでしょうが、
こんなにたくさんのものが残される現代は嬉しいような、哀しいような。。。
 
    (リベル) そうです。

嬉しいと言うより、哀しいのでしょうね、この現代の騒々しさは・・・(>_<)(10.7 17:35)
 

余談:緒形拳さん

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 7日(火)12時34分24秒
返信・引用  編集済
  しのぶ番組で、徹子の部屋の一部を聴かせてくれました。緒形さんは兄を亡くされたそうです。その時の話。

「父はもうオイオイ泣きっ放しだったのですが、母は信じられないほど冷静に日々を送っていました。数日後二人で電車に乗ったのですが、ふと立って知らない人のところへ行って直ぐ帰ってきたので、どうしたのって訊いたら、しんじ かと思ったら違ってた、って言ったんですよね。」

これには不覚にも、涙しました・・・^^


緒形拳さん
 

Re: 楽しくないご報告

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 7日(火)04時51分18秒
返信・引用  編集済
  > No.3826[元記事へ]

> 先ず第3巻索引の「病名索引1(サンスクリット)」の「kilāsa」を見て下さい。和訳は「白斑癩」と「白皮病」の二つに分かれています。
>
> 私が最初に疑問として取り上げたのは7月21日です。「白皮病」・「白皮症」については8月4日に詳しく触れています。梵語の「ハンセン病」では、このように説明していましたが、修正を入れなければなりません。
>
> ところが、今回新しく「スシュルタ本集・第三巻・索引」を見てみると、「白皮病」だけでなく「白斑癩」という和訳が付けられています。これも辞書に無く、インターネットの検索でも出て来ない言葉なのです。
>
> では本文のどういう場所にどのように使い分けられているか、それを見てみましょう。「1.25.7」は第1篇・第25章・第7節の意味です。この下から10行目に「白斑癩」があります。この部分の英訳の画像はこれ(上から5行目)です。前にご紹介した、病理篇での「白皮病」の説明はこれなのです(下から7行目)。一つの「kilāsa」に二つの病名が有ることも、いけません。


と書いてから、早くも20日経とうとしています。図書館で11月3日まで借りた「スシュルタ本集」から、関連したところをスキャンしておかなければいけません。索引から拾い出して、英訳の「The Sushruta Samhita」の当該部分を探して、スキャンして「Clear File」に取り込むという、殆ど肉体労働が、今一段落というところ・・・ふーっ・・・。

気になっていた「白斑癩」というのを、GoogleとYahoo!で検索したら、何と、ここと、中国のサイトだけ出ました。「感染症情報センター」の「臨床症状」のところに「皮疹は紅斑、白斑、丘疹、結節、環状の紅斑など多彩で、特異疹はありません。」と書いてあります。恐らくこの白斑皮疹の症状を指すのかと思うのですが、さあ・・・。二、三日前に、開き直ってから、こういう作業が一向に面倒でなくなったのは、やはり展望が開けたからなのでしょうか・・・少し愉快ではあります・・・(^^)


トップページからリンクしている写真はブログ「日々是電脳写真」からお借りしたものです。
同じところで見付けた美しい風景をどうぞ・・・^^
 

訂正

 投稿者:北風  投稿日:2008年10月 6日(月)17時54分38秒
返信・引用
  以前、くにがまえに「館」で「図書館」といいましたが、間違いでした。
くにがまえに「書」でした。
 
    (リベル) ありゃ、そうでしたか。折角「ツ ゝ 書」=「通天閣」の省略ですね、とヒットを飛ばした積りだったのですが・・・残念・・・(^^)(10.6 18:03)  

飯間浩明君

 投稿者:北風  投稿日:2008年10月 6日(月)09時16分16秒
返信・引用
  弊社でアルバイトしていたこともありました。
多才な人で、「国語学者」なのに、パンフレットの表紙のイラストを書いてくれたことも。

>その頃、博報堂の大阪に同名のディレクターがいたようですが、その人くさい。

おいらは、久保道夫さんに興味ありますが。
 
    (リベル) >弊社でアルバイトしていたこともありました。

おやまあ、本当に縁は異なものと申しますか・・・。

>おいらは、久保道夫さんに興味ありますが。

私も同じく”広告代理店”に勤務しておりましたが、博報堂さんではありません、電通でした。昭和51年といえば、芦屋の借り上げ社宅から、ここ宝塚へ越してきた思い出深い年です。何しろ引っ越しの当日に「ぎっくり腰」を起こしてしまって、動かしたのは口だけという騒ぎだったので・・・^^(10.6 11:41)
 

新機軸???

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 6日(月)02時35分51秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病のリンク集」のトップページ、つらつら思うに如何にも味気ない、人間味がない、暖ったか味のカケラもない。ということで何か味を付けようとしています。一番上のスペースに色気のあるものを入れたかったのですが、ここはややこしいタグに支配されていて、とても私には手に負えません。そこで最も安易な方法を、取り敢えずですが、編み出しました。写真の処理は、不細工ですが、その辺が「取り敢えず」なので。つきましては、何かご意見を賜れれば、そんなに嬉しいことは無いのですが・・・どうかよろしくお願いします・・・<(_ _)>

   こうしようかなと思っているページ

追記:うーむ、何かやはり、”取って付けた感”が強いですか・・・(苦悶の表情)。あ、そうそう、お暇ならトップページの「リベルのClear File」をクリックしてみて下さい。前より分かり易くしましたので・・・。

更に追記:うっかり前のトップページを消してしまいました。何をやってんだか・・・♪♪(10.6 06:19)


使った写真はこんなに丸いのですが・・・^^
 

久保道夫

 投稿者:北風  投稿日:2008年10月 5日(日)20時16分10秒
返信・引用  編集済
  > No.3891[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> なんと現代版「いろは歌」なのです。一つ目は、明治時代に一般から公募した入選作 坂本百次郎という人の作だそうです。二つ目は昭和51年に読売新聞が募集、入選作は久保道夫という人のものだそうです。

その頃、博報堂の大阪に同名のディレクターがいたようですが、その人くさい。

ちなみに、百チャンは、↓。

http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k010404.htm
 
    (リベル) >ちなみに、百チャンは、↓

で、行って拝読しました。トップ頁へ行って驚きました。この印象的なお宅へは今日で三度目でした。飯間浩明と言う方は辞書の編集に携わって居られるのですね。笹原宏之「訓読みのはなし」も読んで感想を書いて居られました。縁は異なものとは、まあよく言ったものですね・・・(^^)(10.5 23:15)
 

余談:これは凄い!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 5日(日)15時03分7秒
返信・引用  編集済
  鳥啼く声す 夢醒ませ
見よ明け渡る 東(ひんがし)の
空色映えて 沖津辺に
帆舟群ゐぬ 靄の内

もう一つ・・・

雪の故郷 お嫁入り
田舎畦道 馬連れて
藁屋根を抜け 田圃越え
葉末に白く 陽も添へむ


連れ合いが読んでいる(私から変な影響を受けたのか)金田一春彦「心にしまっておきたい日本語」。こういうの好きなんでしょ?と見せてくれたのです。

なんと現代版「いろは歌」なのです。一つ目は、明治時代に一般から公募した入選作 坂本百次郎という人の作だそうです。二つ目は昭和51年に読売新聞が募集、入選作は久保道夫という人のものだそうです。

こういうの好きで、大抵知っていた積りが、完全にノックアウトを喰らいました。こんなサイトもあります。恐れ入谷の鬼子母神です・・・(o_ _)oパタッ!


現存する最古のいろは歌。「金光明最勝王経音義」(1079年)から。
カタカナの源として見ていくと、興味が増します・・・。
大体、漢字の中に見当たります・・・(^^)
 

すみませぬ。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 5日(日)11時36分24秒
返信・引用  編集済
  >「寂しさの歌」。また明日にでも読ませて頂きます。

あ。跨いでいって下さい。ごめんなさい。
 
    (リベル) いやあずきさんのサイトは何度も訪問しているのに、ご両親の手記は初めて拝読しました。文章力とか表現力とかを越えて、「事実」のみがこれほど強く人を打つのか(言い換えればそれほど強烈な事実だったのだ!)とオイオイ泣いてしまいました。それに続く「非戦」を読むの詩の一語一語が、これまでと違う光を帯びて、私の心にグイグイと迫ってきました。

またお伺いして、ゆっくり読ませて頂きます。こんな宝庫を、眠ったままにはさせて置けません・・・^^(10.5 12:09)
 

続・展望の日

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 5日(日)05時05分8秒
返信・引用  編集済
  そして肝要なのはそこで用いられている「癩」や「kuṣṭha」や「白癩」が「ツァラアト」に似た存在であることなのです。たとえば「法華経では」で示したように「癩」は4種類に訳し分けられています。「スシュルタ本集の中の『kuṣṭha』」また然り!時には「癩性皮膚病」であり、時には「癩病」であり、また単に「皮膚病」とも訳されています。日本書紀などに登場する「白癩」もまた然り!なのです。「ツァラアト」も多種の意味を包含して私達を悩ました如く、「癩」も「kuṣṭha」も「白癩」も当時の人々を翻弄し、今又、私を翻弄している…

試みに「日本国語大辞典」の「しらはた」のページ(中央部分)を見てみます。

ご覧のように「しらはた」はなく「しらはだ【白肌・白膚】」のAと「しらはたけ【白癩】」の二つが、同じ語釈とされています。そして用例は「日本書紀」 「十巻本和名抄=和名類聚抄」「医心房」「大唐西域記」「今昔物語集」(右頁、終りから3行目)「観智院本名義抄」と6書、記されています。

しかし、諄く言うのが憚られますが、この用例を選んだ「日本国語大辞典」の編集委員の方は、どういう基準でこの6書を4書・2書に振り分けられたのでしょう?これだけ見ていても、頭の中がこんがらかって来ます。その上「日本国語大辞典」の「びゃくらい」(左下)や「諸橋大漢和」の「はくらい」(左下)を・・・もう放り出しておしまいになった方が多いような気がして来ました。


私奴は、まあもう暫くは荒波に「翻弄」されてやろうと、殊勝にもそう思っています・・・(^^)
 

余談:日本女子オープン二題

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 5日(日)03時41分29秒
返信・引用  編集済
  焼酎を呑みながら、樋口久子さんの解説で女子ゴルフを視ていました。首位が三日目で1アンダーという難コースについての樋口評。

「あまり難し過ぎても…なんて言うのかな、モチベーションが上がって来なくなりますよね。」

流石に樋口さんはピッタリ来る用い方をなさいました。「ベー」にアクセントを置いて。しかも少し躊躇いを滲ませながら・・・。恐れ入りました・・・_(_^_)_


それに比してお粗末ぶりを見せたのは、NHKのアナウンサー氏。

溌剌なプレーが・・・」

おいおい形容動詞だろうが・・・(^^)


ゴルフ発祥の地、セントアンドリュース
 

Re: 展望の日

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 4日(土)22時04分52秒
返信・引用  編集済
  > No.3885[元記事へ]

> それらの言葉が現在のハンセン病を意味しているか否か?そんなことは分かるわけが無いのです。それらの言葉を使っていた人々が、十分な理解をし得ていなかったのですから。「ツァラアト」の正体を知らずに、その言葉を用いていたのと同様に。

こういうことを考える時に、いつもわたくしの心をよぎる詩があります。
それは、金子光晴の詩「子供の徴兵検査の日に」の書き出しです。

《癩の宣告よりも / もつと絶望的なよび出し ・・・・・・》

この詩人はこのような大作も書いた詩人です。(長いです。ごめんなさい。)

http://www.haizara.net/~shimirin/on/akiko_03/poem_hyo.php?p=14

> カメラを逆さまに持って撮影しているおじさんを見ました♪♪♪

その方はリベルさんでは???

またまた、毎度お邪魔いたしました。失礼いたします。
 
    (リベル) 「寂しさの歌」。また明日にでも読ませて頂きます。と申しますのも、今日はふとした行き掛りから或る女性の終戦体験を読みかけ、引き付けられて顔を涙でドロドロにしながら読み終えました。様々な思いが脳裏を駆けめぐって少し茫然としていますので・・・。

>その方はリベルさんでは???

いやあ、私は、あは、・・・そんなドジじゃありません♪♪♪(10.5 02:57)
 

展望の日

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 4日(土)01時44分12秒
返信・引用  編集済
  10月1日は「展望の日」で、各地のタワーや展望台の方達が東京タワーで集会を開いたとのニュースが有りました。さてなぜ10月1日が「展望の日」なのでしょう?お分りにならない方は、24時間後にこちらで正解を・・・。要らない!ですね・・・。

閑話休題、数日遅れで、私にも「展望の日」がやって来ました。なにかグズグズと最近愚痴っぽいことを頻繁に呟いています。やれ「オタク的」だ、「その内にお目にかける」だ、「ようやく見えてきた」だ、とブスブス胸の中で燻っていたものがバス停で秋空を眺めている時、一挙に明らかになって、展望が開けたのです。

「ツァラアト」から「leprosy」までを纏めることが出来たのは、今年の2月23日、と「更新情報」に書いています。これは聖書の中の「呼称の変遷」を辿ったもので、犀川氏の「聖書のらい」、ブラウン氏の「聖書の中の『らい』」という二つの労作がなかったら、とても纏めるに至らなかったものです。

今私が取り組んでいる相手は、小は「法華経の中の『癩』」「スシュルタ本集の中の『kuṣṭha』」「ヴェーダの中の『白癩』」であり、大きく言えば「kuṣṭha」から「ハンセン病」までなのです。

そして肝要なのはそこで用いられている「癩」や「kuṣṭha」や「白癩」が「ツァラアト」に似た存在であることなのです。たとえば「法華経では」で示したように「癩」は4種類に訳し分けられています。「スシュルタ本集の中の『kuṣṭha』」また然り!時には「癩性皮膚病」であり、時には「癩病」であり、また単に「皮膚病」とも訳されています。日本書紀などに登場する「白癩」もまた然り!なのです。「ツァラアト」も多種の意味を包含して私達を悩ました如く、「癩」も「kuṣṭha」も「白癩」も当時の人々を翻弄し、今又、私を翻弄している、そう考えると、あらゆる暗雲・迷妄が吹き飛ばされて爽やかな青空が見えてきます。

それらの言葉が現在のハンセン病を意味しているか否か?そんなことは分かるわけが無いのです。それらの言葉を使っていた人々が、十分な理解をし得ていなかったのですから。「ツァラアト」の正体を知らずに、その言葉を用いていたのと同様に。


かくて私に明るい展望が開けました。「詳しいことは分かりません。新しい資料が発見されれば何か進展が見られるかも知れませんが。以上」で締め括れば宜しい・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


昔ここへ行ったとき、股覗きの姿勢でカメラを構えたがふらつくので、一計を案じて股のぞき台から降りて、
カメラを逆さまに持って撮影しているおじさんを見ました♪♪♪

http://akamatsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2007/10/29/img_3221.jpg

 

Re: 毎度ご乗車有難うございます

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 3日(金)22時33分10秒
返信・引用
  > No.3883[元記事へ]

>「毎度乗車有難」。つまり「乗車する度毎に難が有る」と判読したという・・・いや本当の話だそうです。

これは有り得る事態(字体かな?)ですね。大分以前ですが、北京とハルビンに行きました。漢字の国ですから、お店の看板や、ビルにある社名など、なんとなくわかるのですね。大分覚えていたのですが、ほとんど忘れましたね。すぐに思い出せるのは「公厠」「公司」「注油」などです。

毎度お邪魔いたしました(^^)。
 
    (リベル) 毎度ご来駕有難うございます・・・(^^)

そのお話で思い出しました。会社の先輩が台湾旅行から帰ってきての自慢話。ホテルで食事していて水が欲しくなったが、中国語を知らない。「パッと閃いて、ナプキンに「水」と書いたらサッと通じたよ」。「なぜwaterって言わなかったんですか?」で大笑い・・・♪。いえ私の事ではありません、ムキになる・・・(^^)(10.3 23:44)
 

毎度ご乗車有難うございます

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 3日(金)17時54分49秒
返信・引用  編集済
  いや、テレビでちらっと耳に入った話なので、その前の話は分からないのですが・・・

日本に初めて来て見た中国人が驚いて「止めろ、降りる」と言ったのは本当らしいのです。


平仮名が読めないので「毎度ご乗車有難うございます」は「毎度乗車有難」。つまり「乗車する度毎に難が有る」と判読したという・・・いや本当の話だそうです。有り得ますね・・・(^^)


この個人タクシーさんは無関係です。ナンバーが良いでしょう、いの一番・・・^^
 

おはようございます。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 3日(金)09時38分28秒
返信・引用  編集済
  《印刷ウィザード》

これはわたくしが、プリントして紙で読むためにやった作業にすぎません。リベルさんが、おやりになる作業ではないように思いますが、作業手順をお話いたします。

1・リベルさんがスキャンして下さった本の画像を拡大画面にしてからプリントしようとしても、A4サイズの用紙にはうまく納まりません。まずは「マイ・ピクチャー」に取り込みます。

2・それを「画像処理」で、2ページを1ページづつに切って、2枚の画像を作ります。これも「マイ・ピクチャー」に保存します。

3・その1枚づつの画像をクリックして選んでから、「マイ・ピクチャー」の左側にある「画像のタスク」から「画像を印刷する」をクリックしますと「印刷ウィザード」の画面がでますので、「次へ」に従ってゆきますと、ちゃんとA4サイズの用紙に入るように印刷してくれます。この「印刷ウィザード」の特徴は画像のサイズに関わらず、すべてA4サイズの用紙に収まるように印刷してくれることです。何故1ページづつにしたか?2ページでは文字が小さくて読みにくかったのです。

番外・BBS上の画像をそのままプリントしてみましたら、A4用紙に小さいけれど、収まりますし、文字も読めます。しかしその画像を拡大した状態でプリントしますと、A4からははみ出てしまいます。

わたくしが画像処理した、1ページ分の画像はこのようなものです。これを「印刷ウィザード」でプリントすれば、A4用紙に収まります。ご参考までに。長々とごめんなさい。
 
    (リベル) あずきさん、有難うございました。良く分かりました。お手数をお掛けしてしまって、ごめんなさい・・・(>_<)(10.3 12:32)  

「法華経」と「ハンセン病」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 3日(金)04時13分25秒
返信・引用  編集済
  「梵語とハンセン病」の一部分なのですが、『感想:「法華経」と「ハンセン病」』とでも言うべきものを纏めました。叩き台自身は随分前に出来ていたので、今更「叩き台」の言葉は使えませんが、しかし実は腹の中では、そう考えたいというのが正直なところです。読み易さを考えていないので気が引けますが、ご意見を頂ければ有り難く存じます。よろしくお願い致します・・・m(_ _)m  

続「妙法蓮華経」のなかの「癩」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 3日(金)01時07分48秒
返信・引用  編集済
  昨日私はこう書きました。

「今読んでいる阿辻哲次著「漢字を楽しむp.164」の中にこんな一節があります。

「漢訳仏典で音訳されているのは、決して人名や地名だけではない。もともと中国に存在しない動植物や病名が仏典に出てくればそのまま音訳せざるをえなかったし、それまでの中国語にはなかった概念や語彙も、古代インドの言語に由来する外来語として漢字を表音文字的に使って音訳した。」

こちらで調べたとおり「妙法蓮華経」の中には「癩」と言う字が4回出て来ます。「疥癩癰疽」「黧黮疥癩」「身體疥癩」「得白癩病」そのそれぞれに対応する梵語は「kuṣṭha」「kaṇḍulā」「kuṇṭhakāś」「kāyaś citro bhaviṣyati」となっています。

阿辻さんの解説に有るとおり、中国語に無かった概念や語彙で有れば、漢字を表音文字的に使ったはずです、「苦朱多」とか「乾図羅」(これは私の作ったいい加減なものです)とか。

と言うことは逆に言えば、当時の中国にはそれに対応する概念なり語彙なりが有った、それが「癩」なり「白癩」であった、と言えます。(ご免なさい、上の阿辻さんからの引用文中、「病名が」は私の加えたものです。話を分かり易くするために^^)

ここで、繰り返し強調させて頂くと、「妙法蓮華経」の中での鳩摩羅什の漢訳は必ずしも正確ではありません。現在、私の承知する限りでは、現在の「ハンセン病」を指している「癩」は4個中、1個だけです。厳密には4個所中、1個所(「kuṣṭha」「kilāsa」のところ)だけです。」


今日は当時の鳩摩羅什の頭の中へ入って行こうと思います。鳩摩羅什は下の地図の中央辺りにある亀茲国(きじこく、クチャとも)で生れました。父はインド人で母は亀茲国の国王の妹です。地図でお分りのように亀茲国は所謂西域にあり、むしろインドに近いところにあります。仏教を勉強した後50歳のころ長安に移りその後梵語の経典の漢訳を始めました。ところで、その頃の中国に「ハンセン病」は有ったのでしょうか。

これまで、植木氏訳「法華経」を勉強した結果では、有ったとしても良いと思います。思いましょうよ。そうしないと、前へ進めません、どこかで何かを信じないと、勿論安易に信じることは避けなければいけませんが。

しかし、鳩摩羅什は医学の勉強はしていません。特に複雑な病状のある「ハンセン病」について正確な詳しい知識を求めるのは、無理な話でしょう。彼は手抜きをしたわけでは無い、と思うのです。彼なりに苦心して、能う限りの努力をして、当時の現実に忠実な翻訳に勤めたことだろうと信じます。

昨日見た訳出のばらつきは、実は前後関係を梵語で読み解いて初めて「誤訳」だとか「誤解」だとか、指摘することが出来ることなのではないでしょうか。ですので、私はこれ以上「追求」という感じでの調査は致しません。梵語とハンセン病を或る程度まで深く勉強すれば、そういう資格が生じてくるかも知れませんが。

このことは大地原訳「スシュルタ本集」に関しても、さらに言えば「スシュルタ・サンヒター」(梵語の原典)に関しても、私の立場は全く同様です。「追求」ではなく、先達の偉業を「分析」するという感覚で、もうしばらく、取り組んでみることに致します。


この地図は位置関係を知るための参考に・・・。時代は紀元前のものですから・・・。
ちなみに「正法華経」の漢訳者竺法護はその西の「大月氏国」の出身です。
 

Re: パピプペポは南国より

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年10月 3日(金)00時02分12秒
返信・引用  編集済
  > No.3873[元記事へ]

Ichiroの追加です。表題は?ですね。大野晋さんの文献ありがとうございました。

>Wikipedia「日本語」はやはり、秀逸な記事と選定されただけあるのであるが。
 (我がハンセン病より早く選定されている)

>>「は行」の子音は、奈良時代以前には [p] であったとみられる。すなわち、「はな(花)」は [pana](パナ)のように発音された可能性がある。[p] は遅くとも平安時代初期には無声両唇摩擦音 [ɸ] に変化していた。すなわち、「はな」は [ɸana](ファナ)となっていた。中世末期に、ローマ字で当時の日本語を記述したキリシタン資料が多く残されているが、そこでは「は行」の文字が「fa, fi, fu, fe, fo」で転写されており、当時の「は行」は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」に近い発音であったことが分かる。中世末期から江戸時代にかけて、「は行」の子音は「ふ」を除いて [ɸ] から [h] へと代わった(厳密には「ひ」は [çi])。現代でも引き続きこのように発音されている。

>>このように、「は行」子音はおおむね [p] → [ɸ] → [h] と唇音が衰退する方向で推移した。唇音の衰退する例は、ハ行転呼の現象(「は行」→「わ行」すなわち [ɸ] → [w] の変化)にもみられる。また、関西で「う」を唇を丸めて発音する(円唇母音)のに対し、関東では唇を丸めずに発音するが、これも唇音の衰退の例ととらえることができる。
 
    (リベル) Wikipediaの「日本語」は初めて読みました。ご紹介有難うございました。

キリシタンの資料の一つを、私も「レポロソ」の説明のところで紹介しています。とても読みにくいのですが、上の日本語を参考に読んでみて下さい。この中の下から10行目に「tocu fucaqu」とあるのは「toku hukaku」=「徳深く」なのです。室末時代は未だ「fukaku」と発音していたと言うことが推察できます。(10.3 00:47)
 

ありがとうございました。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 2日(木)14時15分12秒
返信・引用
  リベルさん。お手数をおかけいたしました。
画像を全部「マイ・ピクチャー」に取り込みましてから、画像処理で1ページづつに切って、それから「印刷ウィザード」で印刷しますと、A4用紙でとても見やすくなりました。パソコン画面ではやはり長文を読むには限界がありますね。

大野晋の本の待遇……わたくしは手近な書棚ですが、リベルさんはトイレの棚ですか?
さて、薀蓄を傾けるには、どちらが優遇でしょうか?☆!?(^^)
 
    (リベル) >さて、薀蓄を傾けるには、どちらが優遇でしょうか?☆!?(^^)

蓄ウンを始末しながら、薀蓄を蓄えていると言うわけですか、私奴は。プラス・マイナス ゼロで御座います。?☆!?(^^)

何故「バベルの塔」なのか?一語一語の言葉に拘りすぎるな、という意味が込められているのだろうかと、悩んだりしましたが。あずきさんのサイトを読んで納得。ホッとしました^^。

>それから「印刷ウィザード」で印刷しますと、A4用紙でとても見やすくなりました。

これは具体的にはどんなものになるのか、ここでは現わしにくい形ですか?もし有用なら、私もそれを真似て、一層読みやすい形で、提供したいと思いますので、そう出来るようでしたら、お教えください。宜しくお願いします・・・m(_ _)m(10.2 23:26)
 

「妙法蓮華経」のなかの「癩」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 2日(木)03時06分48秒
返信・引用  編集済
  今読んでいる阿辻哲次著「漢字を楽しむp.164」の中にこんな一節があります。

「漢訳仏典で音訳されているのは、決して人名や地名だけではない。もともと中国に存在しない動植物や病名が仏典に出てくればそのまま音訳せざるをえなかったし、それまでの中国語にはなかった概念や語彙も、古代インドの言語に由来する外来語として漢字を表音文字的に使って音訳した。」

こちらで調べたとおり「妙法蓮華経」の中には「癩」と言う字が4回出て来ます。「疥癩癰疽」「黧黮疥癩」「身體疥癩」「得白癩病」そのそれぞれに対応する梵語は「kuṣṭha」「kaṇḍulā」「kuṇṭhakāś」「kāyaś citro bhaviṣyati」となっています。

阿辻さんの解説に有るとおり、中国語に無かった概念や語彙で有れば、漢字を表音文字的に使ったはずです、「苦朱多」とか「乾図羅」(これは私の作ったいい加減なものです)とか。

と言うことは逆に言えば、当時の中国にはそれに対応する概念なり語彙なりが有った、それが「癩」なり「白癩」であった、と言えます。(ご免なさい、上の阿辻さんからの引用文中、「病名が」は私の加えたものです。話を分かり易くするために^^)

ここで、繰り返し強調させて頂くと、「妙法蓮華経」の中での鳩摩羅什の漢訳は必ずしも正確ではありません。現在、私の承知する限りでは、現在の「ハンセン病」を指している「癩」は4個中、1個だけです。厳密には4個所中、1個所(「kuṣṭha」「kilāsa」のところ)だけです。

「スシュルタ・サンヒター」(梵語の原典)の中でも同様の混乱があるのではないでしょうか。仏典の漢訳ということと、医書の執筆という意味では相違はあります。しかし「ハンセン病」を正確に指し示して言葉が用いられているかどうか、という点では、同様と言っても良いでしょう。まして、前者は長期に渡って、別の学者が手を加えているとされているのですから。

大地原氏和訳「スシュルタ本集」と、Bhishagratna氏英訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」ともうしばらく、取っ組み合いを続けてみます。無為に終わるかも知れません。先程から、なにか自分の中では結論を予感しているかのようなことを、グチャグチャ書いていますね・・・(^^)


「漢字を楽しむ」から。「摩耶」は「māyā」「シッダールタ」は「siddhārtha」なあんて・・・^^
 

「今昔物語集」の中の白癩

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 2日(木)01時53分25秒
返信・引用  編集済
  この年表の中に何故「今昔物語集」が入っていなかったのか昨日調べていて、妙なことに気が付いて、ある発見をしました。そして反省をし、訂正を入れておきました。以下にその経緯を白状します。

私は「年表 日本のハンセン病史」の初めのところで、「今昔物語集(1120年)に730年頃「白癩」に罹った僧の話があるがここでは「業病」と見ており仏教のらい観に変動のあったことが分る」と書いていました。何で調べてそう書いたのかが分からなくなって調べ直すことにしました。

最澄が一乗止観院を今の根本中堂の場所に立てたのが789年ですから、では比叡山東塔の僧侶心懐というのはおよそ800年頃としておけば・・・などと、一度はそうしていたのです。

そして「近代デジタルライブラリー」でこのページを発見したのです。ここで詳しいことが分りました。実は源道成の弟や後一条の院と同じ頃の人間だったと読み取れます。この二人はいずれも1036年に没しています。そこから推してまあ1030年頃で間違いは無かろうという結論を割り出しました(間違っていたら教えて下さい・・・小さな声)。

創城に大胆たれ、守城に細心たれ、と秀吉が言ったそうですが、ここは大胆に「1030年」で書き込みます。

この表にあらゆる出来事を放り込んでいくつもりです、多少見辛くなっても。そして年表の中から、「白癩」から「癩病」、「レプラ」、「ハンセン病」への移り変わりを、浮き彫りにさせようと言うのが、最終的な狙いです。一度で、又短期間で成功する事は望めないと思ってはいますが。気長にお付き合いくださいませ・・・_(_^_)_
 

Re: お願いします。

 投稿者:リベル  投稿日:2008年10月 2日(木)00時53分49秒
返信・引用  編集済
  > No.3874[元記事へ]

あずきさんへのお返事です

> 大野晋の説では、日本の弥生時代に「水田耕作」「金属使用」「機械」という複合文明が一挙に北九州から始まったのは、日本人が輸入して真似たものだと言う説。その、言葉を含めての文明の輸入先が、南インドのタミル地方。たしかに「アゼ=畦」「ウネ=畝」などの共通した言葉があるのですね。賛否両論あれど、これが大野晋説でした。

大野晋さんのタミル語へのエネルギッシュな取り組みは「日本語はいかにして成立したか」にもどっさり書かれているのですが、私は飛ばし読みをしています。今見直すと、ここからも何か拾えそうなので、またトイレに持って行っておきます。

> リベルさんへ、今読んでる本から、一つだけプレゼント。
> インド人は「RIVER」を「リベル」と読むそうです。


あ、有難うございます・・・_(._.)_

> リベルさん。お手数をおかけいたしますが、是非お願い致します。

今までスキャナーを棚の下段に入れていたのですが、兵庫県立図書館から「スシュルタ本集」三巻を一ヶ月間借り出せましたので、分厚い本からもスキャンし易いように上段に持ってきました。こうするとしゃがまなくても良く、蓋も開けっ放しに出来て押さえつけやすい、何でもっと早くこうしなかったのだろうと、準備万端整っていましたので、「日本語史要説」もスイスイ取れました。面倒な方は、前からご紹介している37頁(上代の子音-3)だけでもお読みください。このページはまた、実は「白癩」にも関係があるのです。

注:念のために付け加えますと「f」と「φ」の違いは、前者は上の前歯と下唇の摩擦音ですが、後者は歯を使わず、上下の唇だけの摩擦音です。


ついでに大野晋さんが「日本語は…」で触れて居られる部分も取っておきましたのでご覧ください。


それでは、私は「今昔物語集」さんと、その後、スシュルタさんとチョット打ち合わせがありますので、これで・・・(^_^)/~
 

お願いします。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年10月 1日(水)14時06分52秒
返信・引用  編集済
  >渡辺実著「日本語史要説P.36」では「p」音について数頁に渡って詳細に論じられて居ます。もしご希望と有ればスキャンしてお目に掛けますが・・・(^^)

Ichiroさん。お先にごめんなさい。

リベルさん。お手数をおかけいたしますが、是非お願い致します。
大野晋の説では、日本の弥生時代に「水田耕作」「金属使用」「機械」という複合文明が一挙に北九州から始まったのは、日本人が輸入して真似たものだと言う説。その、言葉を含めての文明の輸入先が、南インドのタミル地方。たしかに「アゼ=畦」「ウネ=畝」などの共通した言葉があるのですね。賛否両論あれど、これが大野晋説でした。

この追っかけも実は中断しそうです。現実には「母が子を殺す時代」のなかで、わがお嫁さんも疲労困憊して、「SOS」を発信してきました。なによりも命の方が重い。7キロの赤ん坊も重い(^^)。腕が筋肉痛です。(←すみませぬ。私事で。)

リベルさんへ、今読んでる本から、一つだけプレゼント。
インド人は「RIVER」を「リベル」と読むそうです。
 

パピプペポは南国より

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年10月 1日(水)12時32分31秒
返信・引用  編集済
  先ほど P音がF音にかわりH音になったとか、書いたような気がしたが

 中古日本語(Wikipedia)には パピプペポの発音がない!
 http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E9%80%A3%E7%B5%A1%E5%85%88

 色々調べたら、南の方の国の言葉にパピプペポがある。

 ということで、パピプペポは どこからか (琉球経由?)入ったのではないか

 勉強不足があるので、皆さん教えてください。

 Ichiro

  (お返事)すみません。上から失礼します。よろしくお願いします。
 
    (リベル) おやおや、追記の追記を書き終えて出て来たら、早速厳しい目が現われています。

Wikipediaの「中古日本語」に目を通しましたが、さあ、どうなのでしょう。「φ」音については大野晋「日本語はいかにして成立したか」にも明記して居られます。また渡辺実著「日本語史要説P.36」では「p」音について数頁に渡って詳細に論じられて居ます。もしご希望と有ればスキャンしてお目に掛けますが・・・(^^)

他にもご意見やご感想がお有りの方、どしどしお寄せください・・・m(_ _)m今から歩きに出ます。行って参りまあす・・・(^_^)/~(10.1 12:58)
 

諸橋大漢和から

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月30日(火)23時06分44秒
返信・引用  編集済
  「厲」「癘」「癩」「癜」「白癩」など関係するものを図書館でゼロックスしていたのですが、今日は雨に降り篭められて、それらを「Clear File」にアップしました。眺めていると何かが徐々に分かってくる様な気がして。勿論【歴史余聞】の関係個所にはリンクを張りました。

話は脱線していきますが、5月24日にこんな事を書いています。

「漢字の「春」は、どうやって日本語の「春」になったかという話なのです。上に長々と書いたように、いきなり「春」という「模様」に日本人は出会うわけです。一方その時(五世紀頃としておきます)、日本にはもちろん四季があり、springには桜が咲いてその季節を「ハル」(これまた厳密には当時は「ファル」「パル」に近い音らしいですが)と呼んでいました。漢字の「春」は中国人の発音で「シュン」「チュエン」です。

日本人は、先ず「春」という「模様」を「spring=四季の一つ」と了解します。つまり発音以外は中国人同様に認識しました。その上で、発音だけを「チュエン」から「ハル」に勝手に変えたと言うわけです。これで日本語の

字形:「春」
発音:「はる」
意味:「srring=桜の季節」

が出来上がった、という次第なのです。参照:渡辺実著「日本語史要説P.36、P.25」」

わざわざ、二重に引用したのは、実は上の二つ「発音の変化」と「漢字から日本語への移行」が「白癩」の読みに関して、非常に重要な示唆を含んでいると思うからです。

余談を差し挟みますが、しきりにご紹介した「訓読みのはなし」を読み終わりました。結局「白癩」に関する新事実は得られませんでしたが、興味のある話が二つ有りました。一つは聖徳太子が「法華経義疏」を書いた頃、663年に「白村江の戦い」が有ったことです。これは歴史教育では「はくすきのえ」または「はくそんこう」と教えられましたが、その当時何と発音されていたかは、不明です。「ファクスキノエ」かも知れず「パクスキノエ」かも知れないのです。こういう事態は今の私の作業には付き物なので、放置します、と言うより、取り込んで体内発酵させます。

もう一つの話は「文選読み」です。たとえば「千字文」の出だし「天地玄黄」を「テンチのあめつちはゲンコウとくろきなり」と音読みと訓読みをダブらせて、理解し易くさせる読み方なのだそうです。「ひにち(日日)」はその名残だそうです。


とすれば「白癩」の文選読みは「パクライのしらはたけ」とでもなるのでしょうか(参考)。「白」は中国から入ってきたときは「呉音」ですからどうなのでしょう?このページのスピーカーの絵をクリックして下さい。大漢和の方は「pai・po」と書いてあります。まあ時代は変わっていますが、似たような「音」で百済人が日本人に教えたはずです(参考)。


追記:続いて読み始めた阿辻哲次著「漢字を楽しむ」に「呉音」「漢音」について解説があったので、記しておきます。百済が当時交流していたのは建康(今の南京)に都を置いていた「六朝」で、そこで用いられていた発音が呉音でした。「これが「呉音」として、だいたい五〜六世紀頃から日本語に取り入れられた。」と書いてあります。阿直岐と王仁が菟道稚郎子に「呉音」を教えていたことになりますね(参考)。

その後唐が都とした長安に七〜八世紀頃に遣唐使が行きました。ここで使われていたのが「漢音」で、その結果仏教関係の言葉が多く「呉音」で、儒学ほかが「漢音」と使い分けられたのですが、それが混乱を招いたため792年、桓武天皇が詔勅を出して、漢音に統一を図りました。しかし、既に定着していた「呉音」は無くなることなく、棲み分けをして現在に至っているのだそうです。まだ「pai」と「po」のどちらが呉音か?そこまでは勉強できていません・・・。「白癩」は「pairai」だったのかも・・・^^(10.1 07:19)

追記の追記:「呉音」「漢音」のほかに「唐音」=「宋音」というのがあります。これは十世紀頃から十九世紀頃にかけて入ってきた字音で、江蘇、浙江、福建などへ留学した禅宗の僧が持ち帰ったのが最初とされ、禅宗で良く用いられるそうです。


一度申し上げなければと思っていたのですが、このBBSを私奴は原稿の下書き発表の場所にしております。ですので、余り参考にもならないことを縷々書き連ねることがあります。一度ここに衆目に晒して、言い換えればROMも含む皆様の厳しい眼差しのチェックを受けて、それから原稿に纏めようとしているからなのです。勢い単なるメモ的なことまで記入してしまいます。時にはお目を汚すだけで、面白くもない言説・文章も現われざるを得ませんので、その点はご海容のほどを、宜しくお願い申し上げます・・・m(_ _)m


まだまだ長あい道程が控えておりまする・・・
 

未制圧国の怪

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月30日(火)13時26分4秒
返信・引用  編集済
  ハンセン病の未制圧国とは? でWikipediaの解説をそのままコピペします。

WHOによるハンセン病制圧の定義は、1991年5月に開催された第44回世界保健総会で決定され、人口100万人以上の国で、登録患者数が人口1万人あたり1人を下回る(有病率が1.0を下回る)こととされた。この定義を遵守すると日本では1970年前後に制圧を達成している。2005年初頭はインド・ブラジル・コンゴ民主共和国・アンゴラ・モザンビーク・ネパール・タンザニア・中央アフリカの9カ国が未制圧国であったが、2006年初頭にインド・アンゴラ・中央アフリカが、2007年初頭にマダガスカルとタンザニアが、2007年末にコンゴ民主共和国とモザンビークが制圧を達成した。よって現在の未制圧国はブラジルとネパールの2カ国である。

日本財団の2008年5月28日のニュースでは「残り2カ国となりました」とあります。ところが8月に発行されたWHOの疫学週報では「東ティモール」を含む三カ国になっています。これにはどこを探しても何の説明もないのです。どこかの国の官僚でもないでしょうに。

この謎解きは意外に簡単です。Wikipediaの「東ティモール」で調べると2004年の人口が1,019,252人となっています。と言うことはその前年辺りで人口が100万人を上回ったのでしょう。でWHOさんはそれに気付いて慌ててこの表をお作りになり、後は口を拭ってまあ宜しく、ということなのでしょう・・・。まあお役人てえのは、どこへ行っても・・・もう止しましょう・・・(^^;)
 

余談:「訓読みのはなし」三題

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月30日(火)03時17分41秒
返信・引用  編集済
  (一)これを書いた人は笹原宏之という43歳の早稲田出身の文学博士です。私より丁度30歳若い(そんなことはどうでもよろしい)。略歴を読んでいると、経済産業省の「JIS漢字」、法務省法制審議会の「人名用漢字」、文部科学省・文化庁文化審議会国語分科会の「常用漢字」などの制定・改正に携わる、とあります。そういえば漢字一つ取っても、三つの省庁が分担しているという、奇妙奇天烈な縦割り行政では有ります。まあ、委員のお一人がこうして三つの会議に共通して出席して居られることで、なんとなく一元化が保たれているのでしょうか、一度何か問題になったことがありましたが・・・。

(二)以前、「私を褒めてあげたい」というマラソンの有森さんの発言を曾野綾子さんが取り上げて、コテンパンに言って居られたので、それを批判したことがあります。ただ「あげたい」は「やりたい」であるべきだ、と仰有っている部分は賛成だが、とその時申し上げました。

このことについて笹原さんも取り上げて曰く「「猫に餌をやる」は正しいとされる表現であったが、近年、謙譲語だった「上げる」が丁寧語に変わってきていて、「やる」に取って代わりつつあることが文化審議会答申『敬語の指針』(2007)でも認められている」と。この本では氏は一貫してそういう面での一貫性を保って居られます。「国語は生き物だから」という姿勢です。大野晋氏が「ら抜き言葉」について同様の立場を表明されたとき、私は国語学者たるものが何ということを、と憤ったものですが、やはりこれはもう、古臭い考え方とされるのだろうかと、少し元気を失ってしまいました。

「それは言えるね」という可能動詞の使い方に抵抗がないのなら、「見れる」も構わないのではないかという論法に、私は屈しつつあるのでしょうか。

(三)「泣く」と「哭く」について、私はこのように思います。「哭く」は「慟哭」が有るから「悲しくてなく」のです。「泣く」は悲しくないときにも使えるところが違うのです。交通渋滞に「泣く」、突然の豪雨に「泣く」、「奴の速球には泣かされたよ」なんて時もあります。

動物の鳴き声は「鳴く」と「啼く」があります。どう違うのでしょう。私は「啼く」のは鳥だけで、理由は漢詩から来ていると思うのです。

実は二つとも、腋を締めず、思いつきをその侭書くという冒険を敢えてしてみました。未だ辞書では確かめていません。辞書を引かずに反論するなり、引いてから証拠(?)を突き付けるなり、どうぞ存分になさって下さい・・・(^^)
 

インドよお前もか!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月30日(火)02時17分50秒
返信・引用
  昨日の産経新聞です。「インド最高裁はこのほど、ハンセン病患者が自治体選挙に立候補したり、自治体に就職したりすることを禁じたインド東部オリッサ州自治体法は合法とする下級審の判決を支持する決定をした」そうです。この夏中国が国際的非難を受けて、入国差別を撤回したばかりというのに、お粗末な話です。

蛇足:記事中「インドのハンセン病患者数は世界の6割強にのぼる。」とありますが、これは産経新聞の間違いです。8月のWHOの週報(table1及びtable6)によれば、約41%となるはずです。
 

近代文学館で Re: 火山地帯の思い出

 投稿者:しゅう  投稿日:2008年 9月29日(月)20時50分45秒
返信・引用  編集済
  > No.3867[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事です

> 私は星塚敬愛園を訪れたことがある。その時、島比呂志さんを訪れた。島さんの部屋で、いろいろ話を伺った。その時発行されていた、「火山地帯」記念の100号を戴いた。今回、それは150号に達したということである。当時既に視力が衰えていて、恵楓園の熊丸園長の治療を受けられていた。それゆえ、大きな字を書かれていた。その真摯な努力に圧倒された感じがした。
>
>  >鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」に入所していた作家の島比呂志さん(1918‐2003)が主宰して1958年9月に創刊された文芸同人誌「火山地帯」(火山地帯社発行)が、創刊50周年を迎えた。ハンセン病差別を告発する文学的な「砦(とりで)」となった同誌。細る同人誌文化の中で発行された記念号の155号は、島さんに対する歴代同人や文芸関係者の思い出のほか、同誌やハンセン病の歴史を振り返る1冊になった。
>
>  島さんの大きな業績は、裁判を開始されたことである。当然なことをされたのであるが、現在からみても大きな仕事であろう。改めてご冥福を祈りたい。
>
>  Ichiro

「火山地帯」は各県にある近代文学館に寄贈されているのではないでしょうか?たぶん。
わたしは、神奈川近代文学館で、以前「火山地帯」から風見治さんのことを調べさせて頂きました。

戦後続々と各療養所でいろいろな同人誌が生まれますけれど、だいたい数年で消えています。
ここまで一同人誌が続いたのは他に例がありません。凄いことですね。

いま神奈川近代文学館の検索をしてみましたら、
  155 (155号)2008年9月号(2008年)     創刊50周年記念号
すでに蔵書に入っています。
近々、火山地帯の155号、歴代の同人の思い出が載っているようですので、是非読んできたいと思います。
Ichiroさん、ありがとうございました。

「火山地帯」の検索結果↓
http://www.kanabun.or.jp/csp/kkbw/cal950.csp?Phase=240&Pg=1&Ln=1&Jid=14079&Uid=9553&Wno=218&Zno=813&Bn=ZW91001316&PicMode=
 
    (リベル) しゅうさん、有難うございました。

一覧表を見ました。昭和41年から昭和52年の復刊にかけて困難の跡が偲ばれます。決して安易な道のりではなかったのでしょう。

島さんに思いを馳せることが、何よりの供養と思います。こんなのを保存しています。ご参考までに。(9.30 02:35)
 

火山地帯の思い出

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 9月29日(月)19時49分5秒
返信・引用
  私は星塚敬愛園を訪れたことがある。その時、島比呂志さんを訪れた。島さんの部屋で、いろいろ話を伺った。その時発行されていた、「火山地帯」記念の100号を戴いた。今回、それは150号に達したということである。当時既に視力が衰えていて、恵楓園の熊丸園長の治療を受けられていた。それゆえ、大きな字を書かれていた。その真摯な努力に圧倒された感じがした。

 >鹿児島県鹿屋市の国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」に入所していた作家の島比呂志さん(1918‐2003)が主宰して1958年9月に創刊された文芸同人誌「火山地帯」(火山地帯社発行)が、創刊50周年を迎えた。ハンセン病差別を告発する文学的な「砦(とりで)」となった同誌。細る同人誌文化の中で発行された記念号の155号は、島さんに対する歴代同人や文芸関係者の思い出のほか、同誌やハンセン病の歴史を振り返る1冊になった。

 島さんの大きな業績は、裁判を開始されたことである。当然なことをされたのであるが、現在からみても大きな仕事であろう。改めてご冥福を祈りたい。

 Ichiro
 
    (リベル) Ichiroさん有難うございます。

ここに1998年に島さんの書かれた「やっと燃えた怒りの火―ハンセン病訴訟・告訴宣言―」という一文があります。参考までにご一読ください。(9.30 02:26)
 

「スシュルタ本集」では・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月28日(日)05時18分10秒
返信・引用  編集済
  いやはや、参りました。兎に角いま取り組んでいる「スシュルタ本集では」の出だしの部分だけでも読んでやって下さい。今日目覚めるときには、「そうなんだ、これはスシュルタ氏本人或いは後世、加筆した学者による「kuṣṭha」、「kilāsa」それぞれの言葉の混用が原因なのです、で締めくくるほか無いなあ。」と呟いたのですが、やはり調べれば調べるほど混用が非道いのです。以下に一例をまた昨日のように、お目に掛けます。第4篇 治療篇 第10章 重性癩病(皮膚病)のページです。

大地原誠玄訳「スシュルタ本集」(上から11行目、下から5行目「皮膚病」)  Bhishagratna訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」(赤線)

参考:「スシュルタ本集」索引(下から9行目。上から10行目に「kilāsa」が有りますが、これは別に触れます。)


ご覧頂けるように、「kuṣṭha」はいずれも見事に「皮膚病」と訳されているのです。つまり「スシュルタ本集」では「kuṣṭha」は「癩病」「癩性皮膚病」「皮膚病」の三種類に訳し分けられているのです。

これは実はいい加減に「誤訳」とか「手抜き」とかで片付けてはいけない問題なのです。大地原氏は、スシュルタの意を汲んで訳し分けられたのかも知れない。(薬草としての「kuṣṭha」はキッチリ薬草として訳して居られます。)「意を汲む」と一言で言いますが、大地原氏は医学者ではありません。ですから、現在の「ハンセン病」の症状の理解が出来ていないと、意を汲んで完全に訳し分けることは不可能であることの方がむしろ当然でしょう。梵語学者が医学書「スシュルタ本集」を訳すこと自体が大変な作業と理解すべきなのでしょう。

なのでこれは、私が、ハンセン病の症状を勉強し、梵語を習得して自分で翻訳する他はない、という恐ろしい結論に至らざるを得ないのであります、嗚呼・・・。

そうして年月を経て、悪戦苦闘ようやく訳し終えたからと言って、一体それが、どれほど、そしてどなたのお役に立つのでしょう?それよりもなによりも、今私がやっている「オタク的」作業こそ、一体どれほど、そしてどなたのお役に立つているのでしょう… (;´ρ`)ダメジャ コリャア


判じ物です。(特大画像
 

Re: 余談:突き抜ける

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 9月27日(土)17時42分35秒
返信・引用
  > No.3862[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

 面白いお話ありがとうございます。米人はお世辞がお上手です。私の英語はよくほめられます。My English is completely made in Japan. といつも言っています。ははは
 
    (リベル) いやいや、なかなかの英語力だと思います。東京の赤坂に、TBSへ左折する直前に「Dannie's」という店がありました。そこで「The Economist」の記者と名乗る人と話始めたのですが、一つの経済専門用語でつっかえて、会話にならなかった苦い経験があります。「completely made in Japan.」でもダメだったでしょうね・・・(^^;)(9.27 18:19)  

こんにちは。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月27日(土)11時57分21秒
返信・引用
  >あ、そうか、このポーズ、私が連れ合いに「オヤスミ」を言う時のでした。それで目に留まったんです(内緒^^)

あ、聞いちゃった。雪がまたたく間に溶けそう(^^)。
 
    (リベル) ややや!!!まさかあそこまで戻る方は有るまいと・・・甘かったなあ・・・(^^;)(9.27 12:11)  

「見落とし」から「大胆な推論」へ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月27日(土)03時37分6秒
返信・引用  編集済
  「アーユルヴェーダ《ススルタ大医典》」という本を見落としていました。これは既にご紹介した、Bhishagratna訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」を千葉大学医学部の伊東弥恵治、鈴木正夫両教授が和訳されたものです。

チョット遊んでみますから、お暇な方はお付き合いください。こういう事になっているのです。「SUSHURUTA SAMHITA」の目次の中の「第2篇病理篇の第5章」に注目してみます。

大地原誠玄訳「スシュルタ本集」  Bhishagratna訳「THE SUSHRUTA SAMHITA」  伊東・鈴木訳「ススルタ大医典」

順に書くと・・・

「第5章 癩病(皮膚病)」 「CHAPTER ⅴ Cutaneous Affections in general(皮膚疾患全般) 」 「第5章 皮膚疾患の病理学

となるわけです。私が『梵語の「ハンセン病」』の「スシュルタ本集では」の@に取り上げているのは、正にこれなのです。実は今、書き上げてきたのですが、瓢箪から駒と言うと不遜ですが、医聖スシュルタさんが、皮膚病全般について「kuṣṭha」と、間違った言葉を使用したと、推論して参りました。先程の「遊び」から確信するに至ったので「瓢箪云々」と巫山戯ましたが、そう推論せざるを得ません。大地原氏もこれには難渋されたのではないかと、お察しするところです。
 

余談:突き抜ける

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月27日(土)00時39分52秒
返信・引用  編集済
  「突き抜ける」という言葉は、通常の意味の他に「世俗の因習や掟を振り払ってスッと抜けて立つ」ような意味があると思って辞書を引いたけど有りません。でも有って、使われているような気がするのですが。

小泉さんが辞められました。この人はですから”突き抜けた”ところが有ったと思うのです。「自民党をぶっ壊す」「感動した!」「人生いろいろ」なんて言ったり、アメリカの大統領とキャッチボール、ブッシュ夫妻の前で「Glory Glory Hallelujah♪」と歌いながら踊ったり、色々おやりでした。そういう瞬間彼は、一国の総理という立場や、大先輩や、派閥や、場の雰囲気や、そういう束縛から自分を解き放って、大自然と同化する、そしてこれはチョット奇異な考え方かも知れませんが、宇宙のリズムと一体化しているのではないかと、私は思ったものです。つまり”突き抜けている”と。

国連で演説に立った麻生さんにも、それが見られました。滑り出しの英語は兎も角、通訳のシステムが故障した時には「フッ」と突き抜けました。完全なブロークンで、" It's not made in Japan.It is not the japanese machinery. No ?"。「えっ、でげしょう?」と言う意味をボディーランゲッジも使って、流暢に(?)伝えました(動画)。世界中が見ている国際会議場の中で、あの瞬間、彼は大自然と同化した、と私は感じました。

小泉さんの前、次、そのまた次の首相たちには、真似の出来ない芸当でしょう・・・(^^)
 

Re: 失礼しました。

 投稿者:北風  投稿日:2008年 9月26日(金)18時39分10秒
返信・引用
  > No.3860[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

>
> 囡は有りましたが、囗の中に「男」も「館」も見付かりませんでした。残念!!!

実はこれは、「図書館」と読むのですが、図書館業界の人しか通用しない「嘘字」です。
しかし、戦前から使われていたみたいで、確か雑誌のタイトルでも見たことがあるような気がします。
 
    (リベル) これは、有りそう、面白いですね。「ツ ヽ 書」(これを俗に通天閣と言います)を省略したわけですか・・・(^^)(9.27 00:07)  

Re: 失礼しました。

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月26日(金)17時22分43秒
返信・引用  編集済
  > No.3859[元記事へ]

北風さんへのお返事です

> 囗のなかに「館」と書くのですが、IMEパッドの手書きではでたのですが、化けてしまいました。
> 削除するとつじつまが合わなくなるので、残し解きますが、一連を削除されても構いません。


実は私が、何かと(経典の中の文字とか梵字とか)お世話になるサイトがこれです

囡は有りましたが、囗の中に「男」も「館」も見付かりませんでした。残念!!!

他にこんなツールが無いか探して居ます。お心当たりが有る方、どうぞお教えください・・・m(_ _)m

囡を「漢典」で調べてみました。英訳で「one's daughter; to filch; to secrete」と並んでいました。このサイトなかなか使えるのですよ・・・(^^)


これを書きながら、謡っていた鼻歌は「白い恋人たち」だったので・・・
あ、そうか、このポーズ、私が連れ合いに「オヤスミ」を言う時のでした。それで目に留まったんです(内緒^^)
 

失礼しました。

 投稿者:北風  投稿日:2008年 9月26日(金)16時04分48秒
返信・引用
  囗のなかに「館」と書くのですが、IMEパッドの手書きではでたのですが、化けてしまいました。
削除するとつじつまが合わなくなるので、残し解きますが、一連を削除されても構いません。
 

???

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月26日(金)14時22分52秒
返信・引用
  下の二つの投稿は、文字化けでよめませぬ。  

、ウ、マ&#12539;

 投稿者:セハ  投稿日:2008年 9月26日(金)13時27分58秒
返信・引用
  、「、Iス遉ホネヒ、ヒ、マウ」ラR、ノ、ケ、ャ。」

 

これは・

 投稿者:  投稿日:2008年 9月26日(金)13時26分46秒
返信・引用
  C

あるI順の繁には械どすが。
 

Re: 余談:しあわせ

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月26日(金)12時45分24秒
返信・引用  編集済
  > No.3853[元記事へ]

ちょっと「国がまえ」の文字をさがしてみましたが、文字化けしないかな?

国 囡 圉 囝 囚 困 圄 囦

ううむ。国がまえのなかの「男」はないようですね。

> まだでっかぼちぼちでんなひがんばな♪♪♪

名句です♪
 
    (リベル) >名句です♪

迷句です♪♪♪。詠み人に右田子・左田男と入れると、もっと分かり易くなったのかなあと・・・(^^)(9.26 17:36)
 

先ず「法華経」を徹底検証 その5

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月26日(金)07時05分14秒
返信・引用  編集済
  > No.3806[元記事へ]

これは俗に言う「age」です。かなり整理は出来てきました。こちらに集大成する予定です。気長にお付き合い頂きたく・・・m(_ _)m

 ●漢文=「若狗野干 其影〓痩 黧黮疥 人所觸嬈 又復爲人 之所惡賤(〓=乞+頁)」(大正新脩大蔵経・妙法蓮華經 (No. 0262) in 09 巻・0015c02〜4)

 ●書き下し=「若し狗(いぬ)、野干(やかん)とならば、其の形〓痩(こっしゅ)・黧黮(りたん)・疥(けらい)にして、人に觸嬈(そくにょう)せられ、又復(またまた)、人に悪(にく)み賤しまれん。」(「法華経」上巻p.230

 ●現代語訳=「その場合、それら(の犬やジャッカルたち)は、外見については、色が黒く、斑点があり、腫れ物があって、かゆがっている。体毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の悟りを大いに嫌悪し続けている。」(「法華経」上巻p.231↑)

 ●サンスクリット語=「varṇena te kālaka tatra bhonti kalmāṣakā vrāṇika kaṇḍulāś ca

nirlomakā durbala bhonti bhūyo vidveṣamāṇā mama agrabodhim 」(「法華経」上巻p.230)(参考: サンスクリット語の「ハンセン病」)

 ●英訳=「Under such circumstances they shall grow blackish of colour, spotted, covered with sores, itchy; moreover, they shall be hairless and feeble, (all) those who have an aversion to my supreme enlightenment.」(THE LOTUS OF THE TRUE LAW.Chapter3(No.133です)/ Translated By H. Kern)

ここで単純に言えることは、「漢文」・「書き下し」の文章と、「現代語訳」・「英訳」を読み比べると、語順・文章構成などが大きく違うと言うことです。一応神経質に対応してみて、解決できなければ、得意の大雑把戦術で、えい、やあっと片付けるしか有りません。「乞+頁」は普通の漢和辞典には無いので、一応図書館へ行って「諸橋大漢和」で調べてきます。それにしても例えば「te」という梵語は梵英辞典には見当たらないのです。やはり文法を勉強しないとダメなのか・・・(^o^)


varṇena=varṇa=外面
te=tvamの[為][属][単]、tvam=thou
kālaka=black,of a dark colour
tatra=in that case
bhonti=?
kalmāṣakā=黒き斑点を有する、混色の
vrāṇika=
kaṇḍulāś=itching
ca=及び、〜すら、尚

nirlomakā=nir-、nis-=anti-、non-か? lomakā=体毛
durbala=弱い、虚弱な
bhonti=?
bhūyo=より多い、より大きな
vidveṣamāṇā=憎悪、敵意、嫌悪
mama=我
agra=前部、始め、点、先端
bodhim=開悟(これを得ることによってBuddhaとなる)

〓=乞+頁=コツ はげあたま
痩=痩せた
黧=黒い
黮=黒い
疥=
癩=
觸=触れる、触る
嬈=乱す
 

余談:しあわせ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月26日(金)02時12分24秒
返信・引用  編集済
  まずこのブログのタイトルをご覧ください。いやこういうサイトが好きなのではなく「圉」でググったらこれがトップに出て来ただけのことなのです。今読んでいる「訓読みのはなし」に「携帯メールやウェブ上に」頻出し始めたとあったので、チョイト調べてみました。「幸」をくにがまえで囲んで、しあわせ感を強調しているのだそうですが、気になったのはその後の言葉だったのです。

「しかし、この字の実際の字音はギョで、その意味は牢屋である。幸せを四角の中に閉じこめたら牢屋になるとは皮肉な話だが、「幸」自体が罪人を原義とするものであることを考えると・・・」

で、エエッ!と例の好奇心が頭を擡げてしまいました。「字統」によると、いきなり「象形:手枷の形。〔説文解字〕吉にして凶を免るるなり」とあります。つまり死刑になるところを手枷だけで済んでラッキーだったという、僥倖の意味が本来なのだそうです。「幸」を含む文字「執」は罪人を捕える、「報」は報復刑を加えるという意味だそうです。「漢典」で「康熙字典」のタブをクリックして【説文】のところ「本作〓=夭+逆の旁。吉而免凶也。」の「夭+逆の旁」は夭折を免れるの意味です。「吉而免凶也」は先程「字通」に出ましたね。

また「字源字形」のタブをクリックして最初の「金文」が手枷の形です。

ということで、幸男さんや幸子さんが読んでいらしたら、或いは近くにいらしたら、ご免なさい。辞書ではそうなっているという話ですから。


まだでっかぼちぼちでんなひがんばな♪♪♪
大きい画像
 

検索での訪問者

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月26日(金)00時59分25秒
返信・引用  編集済
  最近、アクセス解析を見ていて顕著なことは、検索による来訪者が急増していることです。中でも目立つのが「白皮病」「しろなまず」「先天性白皮症」「毛髪状白斑」「はたけ」「脱色素性母斑」「尋常性白斑」「しらなまず」「白癜」「白なまず病」などの病名で、ここ一ヶ月に2〜8回検索されています。前にも書きましたが「白皮病」というのは国語辞書には有りません。中国の魚類の病気らしいのですが。いずれにしろ、こういう病気でお悩みの人が後を絶たないのだと痛感します。

「Yahoo Japan!」と「Google」は別扱いなので、チョット煩わしいのですが、上位120位までををそのまま並べてみます。「%」の次が実数です。お暇な方はどうぞ・・・


1 [Google] ハンセン病  2.3% 15
2 [Yahoo!JAPAN] ハンセン病  1.9% 13
3 [Yahoo!JAPAN] 画像  1.5% 10
4 [Yahoo!JAPAN] 白皮病  1.2% 8
5 [Google] 写真  1% 7
6 [Yahoo!JAPAN] しろなまず  1% 7
7 [Google] 植木雅俊  1% 7
8 [Google] らい病  0.9% 6
9 [Yahoo!JAPAN] 先天性白皮症  0.9% 6
10 [MSN] ハンセン病の落書き板  0.7% 5
11 [Yahoo!JAPAN] ハンセン病の落書き板  0.7% 5
12 [Yahoo!JAPAN] 皮膚病  0.7% 5
13 [Google] 日本書紀  0.7% 5
14 [Google] 全文  0.7% 5
15 [Google] 対義語  0.6% 4
16 [Google] ベンハー  0.6% 4
17 [Google] 季語  0.6% 4
18 [Google] 毛髪状白斑  0.6% 4
19 [Google] レプラ  0.6% 4
20 [Yahoo!JAPAN] はたけ  0.6% 4
21 [Google] リベル  0.4% 3
22 [Yahoo!JAPAN] ライ病  0.4% 3
23 [Google] ライ病  0.4% 3
24 [Google] 癰疽  0.4% 3
25 [Yahoo!JAPAN] 鹿児島  0.4% 3
26 [Google] wiki  0.4% 3
27 [Google] 症例  0.4% 3
28 [Google] 映画  0.4% 3
29 [Yahoo!JAPAN] 写真  0.4% 3
30 [Yahoo!JAPAN] wiki  0.4% 3

31 [Google] 0000  0.3% 2
32 [Google] 余談  0.3% 2
33 [Yahoo!JAPAN] 感想  0.3% 2
34 [Yahoo!JAPAN] 意味  0.3% 2
35 [Google] 疥  0.3% 2
36 [Google] 東風吹かば  0.3% 2
37 [Google] 鳩摩羅什  0.3% 2
38 [Google] 象皮病  0.3% 2
39 [Yahoo!JAPAN] スシュルタ  0.3% 2
40 [Google] ナンバープレート  0.3% 2
41 [Yahoo!JAPAN] 数独  0.3% 2
42 [Yahoo!JAPAN] 中学生の落書き  0.3% 2
43 [Yahoo!JAPAN] 大地原豊  0.3% 2
44 [Yahoo!JAPAN] 脱色素性母斑  0.3% 2
45 [Google] 意味  0.3% 2
46 [Google] 宮川量  0.3% 2
47 [Yahoo!JAPAN] ハンセン病画像  0.3% 2
48 [Yahoo!JAPAN] ハンセン病の落書き  0.3% 2
49 [Google] 白人  0.3% 2
50 [MSN] 尋常性白斑とはたけの違い  0.3% 2
51 [Yahoo!JAPAN] BBS  0.3% 2
52 [Yahoo!JAPAN] 奥田正叡  0.3% 2
53 [Google] しろなまず  0.3% 2
54 [Google] 氷雨  0.3% 2
55 [Google] しらなまず  0.3% 2
56 [Google] しゅう  0.3% 2
57 [Yahoo!JAPAN] 白癜  0.3% 2
58 [Google] 箱根  0.3% 2
59 [Yahoo!JAPAN] 植木雅俊  0.3% 2
60 [Yahoo!JAPAN] 白なまず病  0.3% 2
61 [Yahoo!JAPAN] 尿が白い  0.3% 2
62 [Google] 服部ケサ  0.3% 2
63 [Yahoo!JAPAN] 白なまず  0.3% 2
64 [Yahoo!JAPAN] 落書き  0.3% 2
65 [Google] ハンセン病問題対策協議会  0.3% 2
66 [Yahoo!JAPAN] 落書き板  0.3% 2
67 [Google] 2008年8月27日  0.3% 2
68 [Yahoo!JAPAN] 尋常性白斑  0.3% 2
69 [Google] ゾロ目  0.3% 2
70 [Yahoo!JAPAN] 平成20年度ハンセン病問題対策協議会  0.3% 2

71 [Google] 梵和大辞典  0.1% 1
72 [Yahoo!JAPAN] イランのハンセン病  0.1% 1
73 [Yahoo!JAPAN] 元亨釈書  0.1% 1
74 [Yahoo!JAPAN] 小島の春  0.1% 1
75 [Yahoo!JAPAN] 熊本日日新聞  0.1% 1
76 [Yahoo!JAPAN] 小川正子  0.1% 1
77 [Google] 白皮病  0.1% 1
78 [Yahoo!JAPAN] 最後の宮古島楽園計画  0.1% 1
79 [Yahoo!JAPAN] 論述  0.1% 1
80 [Google] 天子  0.1% 1
81 [Google] 苦しみ  0.1% 1
82 [Google] 反語  0.1% 1
83 [Google] 佐藤忠男  0.1% 1
84 [Google] あつい壁  0.1% 1
85 [Yahoo!JAPAN] 薬  0.1% 1
86 [Google] 一側  0.1% 1
87 [Google] 脱色素性母斑  0.1% 1
88 [Google] アルビノ  0.1% 1
89 [Yahoo!JAPAN] 購入  0.1% 1
90 [Yahoo!JAPAN] 収集癖のある認知症患者  0.1% 1
91 [Google] ツァラアト  0.1% 1
92 [Google] ハンセン病問題の落書き板  0.1% 1
93 [Google] 真柳先生  0.1% 1
94 [Yahoo!JAPAN] 白いひだ  0.1% 1
95 [Yahoo!JAPAN] 経歴  0.1% 1
96 [Yahoo!JAPAN] 舌  0.1% 1
97 [Yahoo!JAPAN] 白い斑点  0.1% 1
98 [Yahoo!JAPAN] 小笠原登  0.1% 1
99 [Google] 即実的  0.1% 1
100 [Google] 観戦記  0.1% 1
101 [MSN] 遺伝障害  0.1% 1
102 [Google] ドリーム・カム  0.1% 1
103 [MSN] 白子  0.1% 1
104 [Google] 竜王戦  0.1% 1
105 [Google] 読売  0.1% 1
106 [Google] ふれあい福祉協会  0.1% 1
107 [Google] 重い皮膚病  0.1% 1
108 [Google] 癩病  0.1% 1
109 [Yahoo!JAPAN] 黒人  0.1% 1
110 [Google] 症状  0.1% 1
111 [Google] 鮎京眞知子  0.1% 1
112 [Yahoo!JAPAN] デジベル  0.1% 1
113 [Yahoo!JAPAN] キヨメ  0.1% 1
114 [Yahoo!JAPAN] ケガレ  0.1% 1
115 [Yahoo!JAPAN] ハンセン病問題の解決の促進に関する法律  0.1% 1
116 [Yahoo!JAPAN] 英訳  0.1% 1
117 [Google] "中臣祓"  0.1% 1
118 [Google] 財団法人  0.1% 1
119 [Google] 中臣祓  0.1% 1
120 [Yahoo!JAPAN] スーパーコピーショップbbs  0.1% 1




計484件/月 でした。
 

いやはや初めての出来事です

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月25日(木)17時40分54秒
返信・引用  編集済
  「イベント情報」にこのようにご案内したものです。

※ハンセン病問題に関するシンポジウム(人権フォーラム2008)
  #瀬戸内市公演:9月20日(土)13:30〜/保健福祉センターゆめトピア長船(岡山県瀬戸内市長船土師277−4)
  #岡山市公演:9月21日(日)14:00〜/岡山市西大寺市民会館(岡山県岡山市向洲1−1)
  #対象:一般(特に岡山県在住の方)
  #その他:手話通訳あり
  #厚労省HP(厚労省の説明:ハンセン病に対する偏見・差別を解消し、ハンセン病患者・元患者の名誉回復を図るため、都道府県等関係者と共催し、国民に対してハンセン病に対する正しい知識の普及啓発に努めることを趣旨とする「ハンセン病問題に関するシンポジウム」を全国各地で取り組んでおります。また、今回はNPO法人HIV人権ネットワーク沖縄と連携し、ハンセン病問題と同様にHIVに関する問題についても普及啓発活動を推進します。)
  #パンフレット
  #岡山県HP

これまで、こういうフォローは一度として有りませんでした・・・

厚生労働省:フォトレポート

良いことですが、さていつまで続くのでしょうか・・・?
 

菊池医療刑務支所

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 9月24日(水)22時10分9秒
返信・引用  編集済
  ちょっと宣伝させてください。

草津の重監房は、ハンセン病歴史上の重要な事件の場所としてスポットを浴びている。新憲法ができ、そういう施設が否定された後に出来た医療刑務所は恵楓園の近くに設置され(昭和28年)また、更新築された。古いほうの刑務所では藤本氏が収監され、また、そこで裁判も行われている(要検証)。このたび、恵楓園東官舎跡地と一緒に財務省から売りにだされたが、志村さんが歴史上重要な施設として販売中止を訴えた。ということで、新しい方の建物と古いほうの刑務所の写真を5枚撮影して小生のBBSに添付しましたので、ぜひ、ご覧ください。
 http://9105.teacup.com/ichiro/bbs

 追加:数年前、日本皮膚科学会総会があった時、熊本のデパートで、ハンセン病歴史展をおこなった。その時小生がいたら、昭和28年、熊本刑務所の職員(所長?)という方がこられた。氏の説明によると、医療刑務所建築に刑務所入所中の方々を使ったという。
 
    (リベル) ここに書かれている「医療刑務所」は正式名称を「熊本刑務所菊池医療刑務支所」と言います。1951年に逮捕された藤本松夫氏は、この前身と言っていいのでしょう「菊池拘置所」に拘留されました。そのご1953年(昭和28年)こちらへ移され、裁判もこちらで行われています(第5回公判、死刑判決など)。(参考:藤本事件関連年表

Ichiroさん有難うございました。そうか、こんなところか、と興味深く写真拝見してきました。(9.25 01:54)
 

Re: 常用漢字の見直し

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月24日(水)12時47分16秒
返信・引用
  > No.3843[元記事へ]

ちょうど今読んでいるものが「日本・日本語・日本人」という、大野晋、森本哲郎、鈴木孝夫の二〇〇〇年における三回の対談を単行本にしたものです。ここに書いてあることをメモしておきます。

奈良時代に漢字が日本に入ってきてから、漢字文化は最高の教養とされてきたわけです。しかし、戦後ローマ字と片仮名文字が隆盛をきわめました。漢字撲滅が次々に行われたわけです。
大野氏は国語審議会委員をお辞めになった(この時期はまだ調べていません。)。鈴木氏も腹に据えかねてお辞めになりました。鈴木氏が辞任の時に、文部省の庶務課長が「勲章対象から外されることをご存知ですか?」と訊ねたそうです。

ここで芥川龍之介の言葉が引用されています。
「勲章なんかぶら下げて喜ぶのは子供と軍人だけだ。」

あずきの独り言。
「小学校時代のローマ字教育は、なんの意味があったのでしょう?」
 
    (リベル) ふむふむ、ですね、面白そうです。今日散歩の途中で阿辻哲次著「漢字を楽しむ」を買ってしまったので、その本は機会を見てにします、なんて口だけだろうと、心得ていますが。

>鈴木氏が辞任の時に、文部省の庶務課長が「勲章対象から外されることをご存知ですか?」と訊ねたそうです。

「いやあ、それは知りませんでした。じゃあ辞めるの止します。」と仰有ればなお、人物が大きくなったかも・・・(^^)(9.24 17:28)
 

余談:映画「わが街」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月24日(水)07時25分3秒
返信・引用  編集済
  1991年にローレンス・カスダンがアカデミー・脚本賞にノミネートされた秀作です。エンストした車をレッカー車で運んだ運転手(ダニー・グローヴァー)が、主役の弁護士(ケヴィン・クライン)にグランド・キャニオンの崖に腰掛けたときの話をします。

「When you sit on the edge of that thing(Grand Cyanyonのこと), you realize what a joke we people really are... what big heads we have thinking that what we do is gonna matter all that much... thinking that our time here means deadly to those rocks. Just a split second we have been here, the whole lot of us. That's a piece of time so small to even get a name. Those rocks are laughing at me right now, me and my worries... Yeah, its real humorous, that Grand Canyon. You know what I felt like? I felt like a gnat that lands on the ass of a cow chewing his cud on the side of the road that you drive by doing 70 mph.」

字幕は・・・

「おれは思った”人間は何と愚かなものか”とね
”自分たち人間は偉い”と思い上がってる
あの岩山から見りゃ―
人間の歴史なんてまたたく間の事だ
まして人間一人の一生なんか

山は笑ってた
おれのつまらない悩みをね
山にとってはバカげた事だ

つまりおれは―
車が100キロで飛ばしている道路の脇で―
草をはんでいる牛のケツにとまったブヨ
・・・」

なんかスカッとさせてくれるセリフでした。探したらやはりアチラの映画のサイト(Simonのセリフです)に出ていました。


Grand Cyanyon
 

宣伝

 投稿者:北風  投稿日:2008年 9月23日(火)18時32分10秒
返信・引用
  2006年、2007年と続いた夏季セミナーですが、今夏はとうとう出来ませんでした。

しかし、2008年度として開催できる見込みとなりました。
3月21日、22日京都の京大会館を会場に行う見込みとなりました。
テーマは、島田等さんの「知識人のらい参加」をめぐってですが、基調講演は鶴見俊輔さんです。現在、鶴見さんは来年の予定は一切入れていないということで、特別に入れてもらいました。
細部はまだ決まっていませんが、この時期、鶴見さんにお話をしていただく意義は大きいと思っています。
 
    (リベル) 良いセミナーになりそうですね。梅から桜へ移る頃の京都は、これもまた良いでしょうね。(9.24 06:57)  

Re: 常用漢字の見直し

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 9月23日(火)15時54分38秒
返信・引用  編集済
  > No.3843[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

 小生は蒙古斑大好き人間ですから、この点調べたことがあります。
 確かに蒙はそういう意味がありますが、Wikipediaでは、古い表現(国民政府、台湾系)では土地の表現として蒙古は残っていますが、中国系では題はありますが、誰も記載していません。「モンゴル」は漢字でないので、蒙古が残っているのか調べる必要はあるようです。
 というので「啓発」ばやりの世の中ではあります。「啓蒙」と「啓発」は、感覚的にちょっと違うと思うんですが.....
 
    (リベル) >「啓蒙」と「啓発」は、感覚的にちょっと違うと思うんですが.....

そうだと思います。「啓蒙」は「マイナス」を「ゼロ」又は「プラス」へ。「啓発」は「ゼロ」又は「プラス」を更に「プラス」へ、という、そういう違いがあると思います。

なので「啓蒙」の存在理由は十分有ると思うのですが・・・。(9.23 17:25)
 

Re: 常用漢字の見直し

 投稿者:北風  投稿日:2008年 9月23日(火)13時26分28秒
返信・引用
  > No.3843[元記事へ]

リベルさんへのお返事です
>
> 「啓蒙」は「蒙を啓く」。

数年前、天下の朝日新聞に「先生のお言葉を聞いて門が開かれた思いです」というようなことを誰かが言ったという記事が出ていた。
そんなことを言うはずはないから、これを聞きかじった若い(多分)記者が、自分の知っている語彙を当てはめて書いたのでしょう。
それはまあ仕様がないとして、「馬鹿ヤロー」と一喝するデスクもいなくて、「校閲」も素通りして紙面に出てしまったんですね。

多分紙面づくりのシステムが変わったんだろう、このごろは、そういうことが珍しくない。
 
    (リベル) これ、初めて聞きました。面白い、無条件に面白いですね。

私何故かこのスレ見落としていました。”蒙碌”と認知症が交互に発症し始めて、蒙、手に負えません・・・(^^)(9.24 01:16)
 

常用漢字の見直し

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月23日(火)13時06分20秒
返信・引用
  今日の読売新聞によれば・・・

「「蒙」については、「蒙古」や「蒙(こうむ)る」などに使われ方が偏っていることから除外された。」

そうかなあ・・・?と思いました。ちなみに「啓蒙」を三省堂の「Web Dictionary」で引いてみました・・・


けい もう [ 啓蒙 ]

けいもうしそう [ 啓蒙思想 ]

けいもうせんせいくんしゅ [ 啓蒙専制君主 ]

けいもうてき [ 啓蒙的 ]

けいもうのべんしょうほう [ 啓蒙の弁証法 ]

けいもううんどう [ 啓蒙運動 ]

けいもうしそうか [ 啓蒙思想家 ]

けいもうしゅぎ [ 啓蒙主義 ]

けいもうしゅぎじだい [ 啓蒙主義時代 ]

けいもうぜったいくんしゅ [ 啓蒙絶対君主 ]


などと、出て来ますが、今後これらは「啓もう思想」などと書くのですか?なんだかなあ・・・。

「啓蒙」は「蒙を啓く」。「蒙」は「くらい」だから、モンゴルがこの使い方に反対しているという話は聞きましたが、まさかそのせいで、国語が歪められるなどと言うことは有りますまい。
 

Re: それよりなにより Re: それよりなにより

 投稿者:北風  投稿日:2008年 9月23日(火)08時31分6秒
返信・引用
  > No.3840[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 北風さんへのお返事です
>
> > なぜ、基本法を推進した「国賠弁護団」自身の声明(総括)がないのか不思議です。
> > 穿って言えば、評価を見定めるまで、後で言質を取られるような発言はしないということですか。
> > 署名をしてくれた100万人に向かって発言する義務があると思うが。
>
> いや、そうなのですが、それは何度も申し上げているとおり、基本法を推進したのは、「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会」なのでありまして、その中の一つに「全国弁連」が入っているに過ぎません。

形式的にはそうです(そのこと自体の問題性はここではいわないとして)が、実質的には運動をリードしたのは、「弁護団」です。←これはキッパリと言い切ります。
 
    (リベル) それは、その通りなのではないかと、私も思います。出発点から、実際の活動、フォローに至るまで。そう言えば、「ご苦労様」を申し上げるのを忘れていましたが、まあそれはご勘弁頂きましょう。

しかし、あのミスプリだけは、どうにもお粗末でしたね・・・私もあそこ(まさかクレジットが)までは、チェックできませんでした・・・(^^)(9.23 12:06)
 

再:白癩のこと

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月23日(火)01時44分22秒
返信・引用  編集済
  > No.3807[元記事へ]

> いま、放り出しているとお思いかも知れませんが、常に頭の片隅には有って、図書館で諸橋大漢和を見付けたら、せっせとゼロックスを取ったりしています。私の中では、ある種の結論が醸成されたり、また消えたり、まあ色々なのですが、今日はこんなのをご披露します。漢和辞典ですから「白」で引いたのですが「びゃくらい」はなく「はくらい」が有りました。ここに出ている。「證治準縄」は中国明代(1598年)に王肯堂によって編纂された私撰の医学全書だそうです。

念のために、上の前のぺージを出しておきます。ご覧のように「白」という字の読みは先ず「はく」と「びゃく」が挙げてあります。いま読んでいる「訓読みの話」(p.126)でこんな一節に出会ってハッとしました。

「和語の語頭に濁音が来ることは古くは原則として起こりえなかったことで、「ばら」も奈良時代には「うばら」であった。」

では「びゃくらい」はどうだったのだろう?「原則として起こりえなかった」のなら、どう読んでいたのか?


「はくらい」と諸橋大漢和には書いてありますが、(前に同じ事を書いていたらごめんなさい)奈良時代に「ha」という音が存在したかは、甚だ疑問であるとされています。渡辺実著「日本語史要説」(p.37)から引用すると・・・

「現代のハ行音は[h]に代表される音だが、室町時代に遡ればそれが[Φ](両唇摩擦音=現代語の「フ」の子音と同じ―同著p.36)であったとすると、その[Φ]はいつまで遡れるか、が次の問題となる。(中略)だが仮に奈良時代は既に[Φ]であったかも知れないとしても、日本語のハ行音が[p]であった時代が存した、ということは動くまい」(画像:2頁とも、面白いので是非どうぞ。なおこれと同じ事が大野晋著「日本語はいかにして成立したか」(p.154)に。)

であれば「はくらい」は最初は「ふぁくらい」であったかも知れないし、いや「ぱくらい」ではなかったとは、誰にも言い切れないのです。


「原則として起こりえなかった」けど例外もあったかも知れない。「日本語のハ行音が[p]であった時代」には、では「ぱくらい」と読んでいたのかも知れない。

はいそうです。現在の私には未だ結論が見えていません。いや、遠くに見えていると言っても良いかも知れません。捕まえるまでに、こっちがクタバルかも知れません。まあ、這ってでも追いかけられる限り、追いかけ続けてみましょう・・・(^^)


「Ascending and Descending」ならぬ「Descending and Descending and Descending ・・・to the death.」です。私奴は・・・
 

それよりなにより Re: それよりなにより

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月23日(火)01時05分4秒
返信・引用  編集済
  > No.3839[元記事へ]

北風さんへのお返事です

> なぜ、基本法を推進した「国賠弁護団」自身の声明(総括)がないのか不思議です。
> 穿って言えば、評価を見定めるまで、後で言質を取られるような発言はしないということですか。
> 署名をしてくれた100万人に向かって発言する義務があると思うが。

いや、そうなのですが、それは何度も申し上げているとおり、基本法を推進したのは、「ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会」なのでありまして、その中の一つに「全国弁連」が入っているに過ぎません。で、「すすめる会」を代表して「全療協」が声明を出した、それはそれで良いのではないか、と私は思っています。下に掲げた「参加団体」が全て個々に声明を出す必要は無いと。


これを書きながら「基本法」のサイトを見ていて、仰天してひっくり返りました。

「ハンセン病問題基本法・要綱について」の項のクレジットです。こう書いてあるではないですか、と北風さんに見せようと思ったらどうでしょう・・・

   ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会
      (参加団体)
        全国ハンセン病療養所入所者協議会
        ハンセン病意見購買訴訟前項k原告団協議会
        ハンセン病意見国賠訴訟全国弁護団連絡会
        ハンセン病市民学会
        全日本国立医療労働組合
        ハンセン病首都圏市民の会

ですと・・・今まで気付かなかった自分を恥じると同時に、開いた口が・・・(^○^)


このページの一番下が正しいのです・・・念のため・・・(^^)


今年の中秋の名月は9月14日でした・・・
 

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