投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索画像・ファイルお絵描き<IMG><OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>医療 | 画像 ] [ 検索 ]

全1207件の内、新着の記事から100件ずつ表示します。 4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  |  《前のページ |  次のページ》 

それよりなにより

 投稿者:北風  投稿日:2008年 9月22日(月)20時08分24秒
返信・引用  編集済
  なぜ、基本法を推進した「国賠弁護団」自身の声明(総括)がないのか不思議です。
穿って言えば、評価を見定めるまで、後で言質を取られるような発言はしないということですか。
署名をしてくれた100万人に向かって発言する義務があると思うが。
 

血迷ったか!国賠弁護団HP

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月22日(月)17時50分28秒
返信・引用  編集済
  今日の「国賠弁護団HP」「日弁連会長談話」を追加しました、と書いてあり、当惑しました。6月11日の折りの記載漏れに過ぎないのです。なにを今更、でしょう。

例によって手前味噌を申しますと、「ハンセン病問題基本法」のページにはチャント収載していました。人騒がせと言うか、何を今更と言うか、かなりピンボケでは・・・。本来ならお詫びの言葉が一言有るべきでしょう。親方日の丸的な態度は賛成できません・・・(>_<)


日の丸弁当・・・?
 

Re: 余談:「モチベーション」

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月22日(月)10時02分9秒
返信・引用  編集済
  > No.3833[元記事へ]

「motivation」とは「行動の前提となる動機づけ」という意味ですから「やる気」の前提となるのではないでしょうか?日本人はあらゆる面で外来の言語や文化を、日本式(?)に生まれ変わらせてしまうのがうまいですね。一つ例をあげます。つい昨日、わたくしの短歌解釈に質問された方がいらっしゃいましたので。

月みれば千々にものこそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど  大江千里

これは百人一首のなかにあるものです。この大江千里は漢詩に通暁した方で、名翻訳家だという説があります。この和歌は、白楽天の「燕子楼中霜月ノ色、秋来只一人ノ為ニ長シ」が下敷きであろうという説が定着しています。これだけ読みますとそこまで解釈しなくても充分鑑賞できるのですね。もうみごとな和歌になりきっていますね。しかし「白楽天」を背後に感じますと、この一首は個人の嘆きにとどまらず、世界は拡がります。しかし「motivation」は失敗作ですね(^^)。。

>「太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。」

このソローの言葉を、わずかな異論にも耳を傾けるべきではないか?そこに真理があるかもしれないのだ、と解釈してきましたが、いかがでしょうか?
 
    (リベル) 私はあの五行詩に「白楽天」が有るのが理解できず、図らずも素養の無さを露呈してしまいました。それを知った上で読み返してみて、成る程そういうことかと合点が行きました。

「太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。」を、私はケネディーがキューバ危機の時(1962.10.22)に演説した「平和の戦略」の中の「全ての人がお互いに愛する必要はない。必要なのはお互いの違いに寛容であることだ」という言葉と並べて思い出しますので、ややニュアンスが異なって受け取っていると感じていましたが、「わずかな異論にも耳を傾けるべきではないか?そこに真理があるかもしれないのだ。」という捕え方も有るぞと、酔いの回った頭で考えています。又夜中に目を覚まして別の感想を述べるかも知れませんが、いまはここで・・・(^^)(9.22 18:09)
 

余談:立ち会い不十分

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月22日(月)01時00分35秒
返信・引用  編集済
  若い頃、大相撲のテレビを見ないのはまるで悪い事のように錯覚していた時期がありました。「見合って見合って・・・」と行司が掛け声を掛け「ハッケヨーイ・・残った!」で立ち上がってぶつかったと記憶しているのは私だけでしょうか?その内に、30年前あたりかな、立ち会いがいい加減になって行きました。両手でポンと土俵を叩くだけになって、「おやあ?」と思ったものです。やがて片手だけでトンと土俵に触れるだけのようになって、それが慣れっこになってしまいました。

そんな時代には未だ生れても居なかった朝青龍が、武蔵川理事長が指示した「両手をついた立ち合い」に「物言い」を付けたのは、一面、仕方がないと言えます。彼にとっては青天の霹靂かもしれないからです。しかし、彼は上司や上官に刃向ったら命を失った時代を知らないからいけません。また高砂親方も弟子に対する説得能力を失っているのでしょう、昔なら「一喝」で終わっていたはずですから。

今の若い人は、なのか、外人力士は、なのか、ルールに従うと言うことを知らなさ過ぎます。ドーピング検査でプラスであれば、金メダルでも無条件に剥奪されるのが当然です。何故大使館に行くのですか。あの塩谷安男弁護士の言動は不可解の一語に尽きます。オット、八つ当たり気味・・・!


陸上競技のスタートで、「俺は拳骨がいい」などとは言えないでしょう・・・(^^)

http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/martialarts/080920/mrt0809202001001-p1.htm

 

kusthaとkilasa

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月21日(日)15時21分13秒
返信・引用  編集済
  いろいろ作文していて、こんなものが欲しくなったので今日は雨で歩けないので、閉じこもって即席で作りました。

「kuṣṭha」と「kilāsa」それぞれを「梵和辞典」と「梵英辞典」がどう扱っているか、どう違うかを比較対照し易いように作ったものです。お暇なときにご覧になっていると何か面白い発見が有るかも知れません。

「漢訳対照梵和大辞典」の大きな欠陥は、その名からも想像できるように、対象を仏典に絞っているため出典に「スシュルタ・サンヒター」などの名を見ることが出来ないことです。その辺は「モニエルさん」のお世話になりながら、まあボチボチやるといたします。ボチボチと・・・(^^)


夜道に日は暮れず・・・
 

余談:苦笑いと言えば・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月21日(日)03時41分55秒
返信・引用  編集済
  東京裁判で、大川周明氏が東条英機氏の頭を「この野郎」とばかりにピシャリとやって廷吏に窘められ、東条さんが苦笑いするというこんな映像があります。

1945年9月3日、ミズーリ号で日本が降伏文書に調印した翌日に書かれた東條氏直筆の遺言があります。(Wikipedia)から


「昭和二十年九月三日予め認む

  一、父は茲に大義のため自決す、
  二、既に申聞けあるを以て特に申し残すことなきも、
   1、祖先に祭祀を絶やせざること、墓地の管理を怠る可らず
   2、母に遠隔しつるを以て間接ながら孝養を尽せ
   3、何なりとも働を立派に御奉公を全うすべし
   4、子供等を立派に育て御国の為になる様なものにせよ
  三、万事伊東に在る三浦氏に相談し援助を求むべし 」

それからもう63年と18日経ったのですね。


1945年4月7日炎上沈没する戦艦大和
 

余談:「モチベーション」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月21日(日)03時18分40秒
返信・引用  編集済
  テレビのスポーツ・コメンテーターが最近この言葉をよく使うので、違和感を覚えていました。いや、私はこの言葉に詳しいわけでも何でもないのですが、ただ、「やる気」と言えば分かるところにこの言葉を持ち出さなくてもなあ、と、そういう感じです。今日は朝日新聞までこれを使っているのを見て、調べたくなってしまいました。

●大辞林
@⇒ 動機付け(=生活体(人や動植物)を行動へ駆り立て,目標へ向かわせるような内的過程。行動の原因となる生活体内部の動因と,その目標となる外部の誘因がもととなる。モチベーション。)
A物事を行うための,動機や意欲になるもの。刺激。熱意。 〔消費者の購買動機や,スポーツ選手の意欲などに用いられることが多い〕

●新明解
〔motivation〕その人の心に働きかけ何らかの行動を起こさせるきっかけとなるもの。動機付け。 「優勝という目標が―につながる」

●コンサイス・カタカナ語辞典
 動機を与えること.動機づけ.刺激,刺激,やる気.

朝日新聞曰く「今場所、気持ちの張りを維持するモチベーションを見いだせないと、千秋楽までたどり着くのが難しいかも知れない。」

なるほどここでは「やる気」も「動機付け」も嵌め変えると変になります。ここまで使いこなされて来てしまったのなら、もう文句を言うのは時代遅れというものかも・・・。

しかし、少なくとも「ベー」にアクセントを置いて欲しい。大辞林と新明解には「アクセントの型」というのが有り、各語毎ににそのアクセントを記号で表記しています。新明解では「表3」と「表3対抗」に、大辞林では「凡例」の12頁に一覧表が有ります。これで言うと[0]で発音されているのです。今風なのでしょうか。私はもし使うのなら、チャント[4]で英語通りに発音して貰いたいのです。


ダメですね、もう完全に時代の足並みから脱落していますね。H・D・ソローが「森の生活」で言っています。

「太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。」


いや、それ、チョット違うんじゃない???


苦笑いするソローさん。
 

お邪魔します。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月20日(土)19時06分25秒
返信・引用  編集済
  >(リベル) 「禿天」を検索したからと言って、何も詫びることはないのでは・・・(^^)

あ。いえいえ。「ハゲの天ぷら」ですと、衣がつきにくいだろうなぁーと考えてしまいまして。。。
何度もお邪魔しました。すみませぬ。
 
    (リベル) あ、そういうことだったのですか、何かすっかり誤解してしまって、その気になってレスを書いてしまいました。失敗失敗!(嘘)(9.21 02:04)  

Re: 天麩羅や見たいですが。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月20日(土)15時52分32秒
返信・引用
  > No.3830[元記事へ]

> 天麩羅屋といえば銀座の禿天には、絶対に行きません。

思わず検索してしまいました。(爆笑!)すみませぬ。

http://www.hageten.com/
 
    (リベル) 「禿天」を検索したからと言って、何も詫びることはないのでは・・・(^^)

初代のオツムからの命名だと言われれば、何となく暖簾をくぐる感触からも、敬して遠ざけられるのも、これまた、宜なるかなと。いやいや私も最近復元力が激減してきて、と、でもまあ、同病相憐れむまでは追付けないかも・・・(^^;)(9.20 18:06)
 

天麩羅や見たいですが。

 投稿者:北風  投稿日:2008年 9月20日(土)13時17分28秒
返信・引用  編集済
  上だけにあれば「天金」、上(天)にも小口にも下(地)にもあれば「三方金」です。
作ったことはありません。
虫が食わないし湿気にも強いとのことです。

天麩羅屋といえば銀座の禿天には、絶対に行きません。
 
    (リベル) じつは正直言うと、北風さんが何か教えて下さるのでは、とお待ちしていました。やはり有るのですね、例のは、では「三方金」です。「小口」は懐かしいというか、何か覚えていました・・・(^^)

「禿天」に、何故いらっしゃらないのか、それが全く分かりません・・・(嘘)

私は八丁目の「天国」には良く行きました。値段の割に不味い店です。いま「てんごく」とも読めると初めて気付きました。私には縁の無い場所だろうと・・・(>_<)(9.20 17:51)
 

Re: 余談:コンクリート

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月20日(土)02時05分23秒
返信・引用  編集済
  > No.3828[元記事へ]

あずきさんへのお返事です

> >「訓読みのはなし―漢字文化圏の中の日本語」これは題名に似合わず面白い本です。日本語に好奇心の強い方にはお奨めです。
>
> > 太鼓判です・・・(^^)
>
> でっかい(!)太鼓判ですね。お薦めくださるお気持は、よーくわかりました。
> でも、わたくしは「大野晋」のおっかけ中ですので、あとで読みますね(^^)。


そうでしたね。私はトイレの棚に置いて、上目使いで、待っててね、と話しかけている段階ですが・・・(^^)


「漢訳対照梵和大辞典」は届きましたか?

そうなんです。それがもう大変で。まあ写真がお目を捕らえているかとは思いますが、何というのか専門用語があるのでしょうけど、大昔どこかで見たことがある「金色の本」(?)で革装なのです。図書館で引いていたのは「広辞苑」大、こいつは「大辞林」大と違うのにも驚きましたが、二重の函入りで、300部限定印刷の「八四」番目と奥付に書いてあるので、何かの記念出版かも知れないのですが、書いてありません。定価48,000円(購入価格:25,400円)も宜なるかなという買い物でした。このところ古本類はホームラン続き・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!

これから、楽しくて、辛くて、長あい作業が待っていますが・・・(>_<)


こちらに大きな画像を・・・
 

Re: 余談:コンクリート

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月19日(金)21時54分24秒
返信・引用  編集済
  > No.3825[元記事へ]

>「訓読みのはなし―漢字文化圏の中の日本語」これは題名に似合わず面白い本です。日本語に好奇心の強い方にはお奨めです。

> 太鼓判です・・・(^^)

でっかい(!)太鼓判ですね。お薦めくださるお気持は、よーくわかりました。
でも、わたくしは「大野晋」のおっかけ中ですので、あとで読みますね(^^)。

「漢訳対照梵和大辞典」は届きましたか?
 

Re: 先ず「法華経」を徹底検証 その4

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月19日(金)07時08分24秒
返信・引用
  > No.3806[元記事へ]

>  ●漢文=「若狗野干 其影〓痩 黧黮疥 人所觸嬈 又復爲人 之所惡賤(〓=乞+頁)」(大正新脩大蔵経・妙法蓮華經 (No. 0262) in 09 巻・0015c02〜4)
>
>  ●書き下し=「若し狗(いぬ)、野干(やかん)とならば、其の形〓痩(こっしゅ)・黧黮(りたん)・疥(けらい)にして、人に觸嬈(そくにょう)せられ、又復(またまた)、人に悪(にく)み賤しまれん。」(「法華経」上巻p.230
>
>  ●現代語訳=「その場合、それら(の犬やジャッカルたち)は、外見については、色が黒く、斑点があり、腫れ物があって、かゆがっている。体毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の悟りを大いに嫌悪し続けている。」(「法華経」上巻p.231↑)
>
>  ●サンスクリット語=「varṇena te kālaka tatra bhonti kalmāṣakā vrāṇika kaṇḍulāś ca
>
> nirlomakā durbala bhonti bhūyo vidveṣamāṇā mama agrabodhim 」(「法華経」上巻p.230)(参考: サンスクリット語の「ハンセン病」)
>
>  ●英訳=「Under such circumstances they shall grow blackish of colour, spotted, covered with sores, itchy; moreover, they shall be hairless and feeble, (all) those who have an aversion to my supreme enlightenment.」(THE LOTUS OF THE TRUE LAW.Chapter3(No.133です)/ Translated By H. Kern)
>
> ここで単純に言えることは、「漢文」・「書き下し」の文章と、「現代語訳」・「英訳」を読み比べると、語順・文章構成などが大きく違うと言うことです。一応神経質に対応してみて、解決できなければ、得意の大雑把戦術で、えい、やあっと片付けるしか有りません。「乞+頁」は普通の漢和辞典には無いので、一応図書館へ行って「諸橋大漢和」で調べてきます。それにしても例えば「te」という梵語は梵英辞典には見当たらないのです。やはり文法を勉強しないとダメなのか・・・(^o^)
>
>
> varṇena=varṇa=外面
> te=tvamの[為][属][単]、tvam=thou
> kālaka=black,of a dark colour
> tatra=in that case
> bhonti=
> kalmāṣakā=variegated,spotted
> vrāṇika=
> kaṇḍulāś=itching
> ca=
>
> nirlomakā=
> durbala=
> bhonti=
> bhūyo=and, even, also
> vidveṣamāṇā=
> mama=self
> agra=foremost
> bodhim=perfect knowledge or wisdom
>
> 〓=乞+頁=コツ はげあたま
> 痩=痩せた
> 黧=黒い
> 黮=黒い
> 疥=
> 癩=
> 觸=触れる、触る
> 嬈=乱す
>
> 今日図書館へ行って諸橋大漢和を引きました。流石ですね、じゃないですか、当然なのかなあ、有りました(↑上に画像があります)。「体毛が抜け落ち」・「hairless」はこの字だったのです。当然のことといえば、そうなんでしょうけど、一人で感動していました。
>
> 感動ついでにもう一つ。「漢訳対照梵和大辞典」で上の梵語を引き始めました。「梵英辞典」に「te」は無かったのですが、「tvamの[為][属][単]」と親切に書いてある。「過去分詞」が出ていない辞書で、後ろの不規則動詞表から探すなどという経験が有りますが、その過去分詞まで、チャント書いてあるようなものです。「漢訳対照梵和大辞典」の編者萩原雲来の生年月日はハッキリ分かりませんが、このページによると1874年から1881年までイギリスに留学し、帰国してからそれらの仕事をしたようです。モニエルは1819年〜1899年の人ですからほぼ同じ頃に仕事をしています。やはり日本人の方が仕事が緻密なのではないかなあ、と嬉しくなりました。
>
> 嬉しくなって、「漢訳対照梵和大辞典」を買おうと決めました。古本で一番安いのが25,000円で、新本が25,200円というのは、どういう訳なのか分かりませんが、パソコンがダウンした時に備えてコツコツ貯めていた臍繰りが、ここんところの散在で、遂に底をつきました。そんなことお前の勝手だろう、真面目に仕事しろよ!!!  はい、ごもっともで・・・(^^;)
>
>
> これが又、どこにもなくて、JBOOKというところに申し込みましたが、品切れという報告が来る可能性も有るとやら。そうなれば25,000円の古本を買うしかない。写真もこれより大きいのが見当たりません。何か心細くなってきました・・・(>_<)


引用が長くなりましたが、放り出しているわけではありません。JBOOKはなかなか返事が来ないので、打診してみたらどうも入手困難の様子。業を煮やして、あずきさんも紹介して下さっていた古書(五十嵐書店)を発注。昨日の午後発送ですから、今日当たり来るかも知れません。そしたら、こちらも精力的に、進行致します(予定・・・^^)。
 

楽しくないご報告

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月19日(金)06時35分4秒
返信・引用  編集済
  先ず第3巻索引の「病名索引1(サンスクリット)」の「kilāsa」を見て下さい。和訳は「白斑癩」と「白皮病」の二つに分かれています。

私が最初に疑問として取り上げたのは7月21日です。「白皮病」・「白皮症」については8月4日に詳しく触れています。梵語の「ハンセン病」では、このように説明していましたが、修正を入れなければなりません。

ところが、今回新しく「スシュルタ本集・第三巻・索引」を見てみると、「白皮病」だけでなく「白斑癩」という和訳が付けられています。これも辞書に無く、インターネットの検索でも出て来ない言葉なのです。

では本文のどういう場所にどのように使い分けられているか、それを見てみましょう。「1.25.7」は第1篇・第25章・第7節の意味です。この下から10行目に「白斑癩」があります。この部分の英訳の画像はこれ(上から5行目)です。前にご紹介した、病理篇での「白皮病」の説明はこれなのです(下から7行目)。一つの「kilāsa」に二つの病名が有ることも、いけません。


重箱の隅を突くようなあら探しは、愉快な作業ではありませんが・・・。続きはまた明日・・・(^_^)/~
 

余談:コンクリート

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月19日(金)01時23分27秒
返信・引用  編集済
  今日はクイズから出発します。「コンクリート」。これを漢字で書けと言われてサッと書けるお方は、先ず業界(コンクリート業界)の人以外にはいらっしゃらないと思います。「混凝土」と書けば、あ、そうそうそんな字だったと、いや私も全くそうだったのですが。

今読んでいる「訓読みのはなし―漢字文化圏の中の日本語」p.52に「混ぜて凝りかたまる土」と言うことで、日本人が考え出した漢字だそうです。

いや私何も伊達や酔狂でこんな本を読んでいるわけではないのです。この本の前には「日本の神話・伝説を読む」を読みました。読むと言うより見ました、目を皿のようにして「白癩」を探しているのです。執念ですね、こうなると・・・(^^)

話を「コンクリート」へ戻します。これからが面白いのです。こんな漢字が中国には有るそうです、「砼」。「仝」は「同」ですね、なので中国では「トン」と発音するそうです。石偏に同じ、石と同じようだから「コンクリート」。そう思ったら、これは間違いなのです。なんと「人工石」から中国人が作った漢字なのだそうです。愉快になりませんか・・・?

愉快ついでにもう一つ。観音菩薩の住む浄土は、サンスクリット語で「ポータラカ(Potalaka)」山に有るそうです。これを漢訳して「補陀落」、「普陀落」。これが「ふたら」と発音されて「二荒」。これが音読みされて「にこう」、それに漢字を当てて「日光」。(日光の男体山のことを別名で「二荒山(ふたらやま)」というのは、ここから来ているのです。)江戸時代の漢学者が「日光」を一字に詰めて「」。「ポータラカ」転じて「」となる、の一席!


この本には、こういう珍談・奇談が満載で、もう付箋だらけになっています。昨日の朝日新聞の夕刊に姜尚中氏のことが大きく取り上げられています。最近話題(?。でも新書のベストセラー?)の「悩む力」という本を私も読んで一度ここにも書きましたが、これは面白くありません。付箋が一つも付いていない本なんて、滅多にないことなのですから。あ、悪口は止めて、「訓読みのはなし―漢字文化圏の中の日本語」これは題名に似合わず面白い本です。日本語に好奇心の強い方にはお奨めです。


太鼓判です・・・(^^)
 

Re: 余談:「物語」という言葉

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月18日(木)02時25分46秒
返信・引用  編集済
  > No.3823[元記事へ]

> おそらく近世以後に、「物語」は「小説」という文学形態の一つになったのだろうと思います。それ以前の「源氏物語」「雨月物語」「今昔物語」「平家物語」「伊勢物語」「宇治拾遺物語」などは「物語り」であったのではないかと思いますが。。。
>
> 「植物物語」の「物語」は、派生接尾辞か屈折接尾辞の役割をしているようですね。



実は「派生接尾辞」も「屈折接尾辞」も知らなかったので、検索して、「HAPPY CAMPUS」というサイトでこんな解説を拾ってきました。

「接尾辞とは、接辞の一つで、語の末尾につけて、意味を加えたり品詞を変化させたり(派生接尾辞)、丁寧さや数など文法上の変化をもたらしたりする(屈折接尾辞)ものです。

「深さ」「絶対的」「殿さま」「僕たち」などの言葉の「さ」や「的」や「さま」や「たち」が接尾辞です。

「深さ」は形容詞の深いの「い」を「さ」に変えることによって名詞に変わった言葉です。「絶対的」の「的」はつけることによって、大きく意味が変わることはありませんが、少しニュアンスが変わります。

「殿さま」は「さま」をつけることで、殿を敬った言い方をすることができます。「僕たち」は「たち」をつけることによって人数を増やすことができます。これが接尾辞の役割です。 」

という解説で、成る程なあと勉強しました。そうであれば、「植物物語」の場合は「屈折接尾辞」と考えるべきなのでしょうか。

「物語」を「物語り」と「小説」に分けて考えると言うことに、初めて気付きました。これについては、少し頭の中に残しておいて、反芻してみなければいけません。


流石にプロのアプローチは違うなあ・・・と、ゴルフ番組を見てる時のような感想を抱きつつ・・・(^^;)
 

Re: 余談:「物語」という言葉

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月17日(水)21時06分46秒
返信・引用
  > No.3821[元記事へ]

おそらく近世以後に、「物語」は「小説」という文学形態の一つになったのだろうと思います。それ以前の「源氏物語」「雨月物語」「今昔物語」「平家物語」「伊勢物語」「宇治拾遺物語」などは「物語り」であったのではないかと思いますが。。。

「植物物語」の「物語」は、派生接尾辞か屈折接尾辞の役割をしているようですね。
 

WHO疫学週報トピックス

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月17日(水)12時39分12秒
返信・引用  編集済
  「WHO疫学週報トピックス」の一年に一回のハンセン病特集「世界のハンセン病の状況、2008年」が翻訳されました。

「2008 年初頭、多くの流行国におけるハンセン病コントロール活動は、適切に機能する状態を維持している。その結果として、新症例の発見数は2007 年より減少し続けている。

ハンセン病による負担のさらなる軽減と、ハンセン病コントロール活動維持のための世界略(計画期間2006−2010 年)および付随運用指針は、WHO 地域すべてで広く実施されている。早期に新症例を発見し、速やかに多剤併用療法を行うことを主とする介入戦略が続行されている。これらは、多くのハンセン病流行国における疾病負担の軽減に有効であることが証明されている。さらに、一次医療システムにおけるハンセン病コントロール活動の統一化は、サービス適用範囲とケアの質の向上を維持するための国家プログラムを可能にしている。

これらの成功にも関わらず、政治的な関心を維持と、現地での活動に必要な基金の動員は、より疾病負担を減少させるという多くの国家プログラムの課題である。」

分かり難い翻訳はこちらの英語版でチェックしてください。表などはこちらの方が豊富です。

患者数の一覧表は、こちら「世界のハンセン病」に纏めました。ご参考に・・・。
 

余談:「物語」という言葉

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月17日(水)02時51分33秒
返信・引用  編集済
  最近、見ようと思って「若草物語」を録画して未だ見ていません。世に「△▽物語」という言葉は沢山あります。「次郎物語」「千夜一夜物語」「二都物語」「イソップ物語」「アラバマ物語」「南極物語」「修善寺物語」「竹取物語」などなど・・・。チョット待ってくれ、何か忘れては居ませんか?というお言葉は承知の上で、先へ進ませて頂かねばならない理由が実は有るのです。

最近到来物のライオンの「植物物語」という石鹸を気に入って使っています。風呂場でふと気になったのですが、この名前って石鹸の名前としては随分奇抜な名前ではないかなあと。最初にこの石鹸に出会ったときの印象を思い出してみました。私は実は余り奇異な感じは抱きませんでした、うーん植物性の石鹸なのだな、と思っただけだったのです。

私は広告会社に勤務していて、或る会社の社名変更の会議に司会者として立ち会ったこともあります。なのでライオンの社内会議の様子が簡単に目に浮かんできました。誰かが家で思いついて、ダメだろうなと思いながら、一応発言した、或いはなにかもう「リスト」になっていた。一旦は無視されたが、誰かそこそこの立場の人が「これってどうなんだい」と言ったために再び議題に上った。ここで肝心になってくるのは「物語」という言葉なのです。

先程リストアップしたとき「竹取物語」でストップしたのには訳があります。賢明な貴方はもうお気付きになったかも知れません。そうなのです。先にに上げた「△▽物語」はストーリーという意味が消えずに残っています。ところが「源氏物語」「雨月物語」「今昔物語」「平家物語」「伊勢物語」「宇治拾遺物語」などになってくると「物語」を「ストーリー」として捉える心理が薄らぐか消失するかしていると、私は思うのですが如何でしょう。

ライオンの会議室で出席者の脳裏を横切った「物語」は「ストーリー」「お話し」という概念を離れて、「何か上品な接尾語」と化していたのではないか、と、秋の夜長の夢物語の一席でした・・・(^^)
 

The Milkmaid

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月17日(水)01時51分7秒
返信・引用
  これがお馴染み「牛乳を注ぐ女」です。  

光の画家

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月16日(火)13時08分15秒
返信・引用
  >削除なんて、その必要は全くありません・・・(^^)(9.16 01:09)

ありがとうございます。ではそのまま居候させて頂きます。
九月はじめに観た「フェルメール展・光の天才画家とデルフトの巨匠たち」で思ったのですが、人物画のほとんどが、左側に格子窓や、ステンドグラスが描かれ、そこから射しこむ《光》に浮き上がるような構図であったことです。以前「国立新美術館」で観た「牛乳を注ぐ女」にも観られるものと同じような。。。「デルフトの光の画家」というタイトルにも納得するものがありました。
 
    (リベル) あずきさんの仰有るような構図が、フェルメールには如何に多いか、こちらのサイトでご覧ください。彼の作品かどうか特定できていないものも含めて、全作品が見られます・・・(^^)(9.17 01:02)  

リベルの"Clear File"

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月16日(火)03時04分39秒
返信・引用  編集済
  「Clear File」を目次に入れて、1ページ新設することにしました。暇つぶしに、お立ち寄りください。「諸橋大漢和」の「白癩(はくらい)」は取り込みましたが、あと8頁は未だです。お待ちください。

著作権の問題が立ちはだかります。「堂々たる確信犯」もいつまでも通用すると思っていてはいけません。一応断り書きは書いていますが、言い逃れに過ぎませんから・・・(^^)
 

梵語余話

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月16日(火)01時50分10秒
返信・引用  編集済
  今南条文雄著「懐旧録」というのをパラパラやっていると前に書きましたが、イギリス留学中何から何まで世話になった人がマックス・ミュラーなのだそうです。そのお宅を訪問したときのエピソードをご紹介したくなったので、書かせてください。

「先生が「ちょっと待ってくれたまえ、いますぐに私の仕事を終えるから」と言って隣室で、夫人を相手にイギリス、ドイツ両語のむずかしい議論がつづけられる。これは先生の苦心になるカントの『第一批判』すなわちKritik der reinen Vernuhutの英訳すなわちThe Critic of Pure Reasonとして刊行されたものである。」(言うまでもなく「純粋理性批判=The Critique of Pure Reason」のこと:リベル注)

と書いてありました。数日前に中島義道氏の話でカントのことを書きましたが、「純粋理性批判」には高校生の時、会社員の時、定年後と三度挑戦して、最近どうやら同じところを10回も読めば何とか分かるようになって来たか、イヤまだまだ、くらいの私にとっては、またまたショックです。カントの翻訳を片手間におやりになっているというのは、やはり脳味噌本体とその鍛え方が違うのでしょう。アメリカの国務長官ライス氏は、カントは勿論アインシュタインもサラリと理解する頭脳の持ち主であるとやら。


まあ、凡夫は凡夫なりにやれ「kuṣṭha」だ、やれ「kilāsa」だと、自分のペースでまあ止まらずに倒れずに木の根っ子(私は熊さんは平気なのです)に気を付けながらゆるやかな坂道を行けるところまで登って行く、それで良いと思っています。でなくて、そう思うほかない、それが我が人生。我が人生に悔い無し・・・などと・・・南条さんの本を読みながら、トイレでしみじみと秋の夜長を楽しんだのでした・・・(^^;)
 

Re: 余談:もひとつ「アムステルダムの孤児院の少女」

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月15日(月)22時00分1秒
返信・引用  編集済
  > No.3814[元記事へ]

> 下のURLに3点纏めてみました。あなたはどれがお好きですか・・・?

この絵の少女の頬は窓の光を浴びて、もっと白くて、うっすらと桃色なのですね。
前にここに投稿したものをちょっといじってみましたが、なかなかうまくいきませんね。
これではどうでしょうか?

ううむ。わたくしのスキャナーもペインターも、ちょっとおバカさんですねぇ。
頬の色はどうやら出たようですが、全体がぼんやりしてしまいました(^^)。
明日には、削除します。何枚もごめんなさい。
 
    (リベル) いやあ、なかなかです。良いではありませんか。それもプラスして並べてみました。チョット壮観でしょう・・・いずれも、それなりの良さがありますね・・・。

削除なんて、その必要は全くありません・・・(^^)(9.16 01:09)
 

余談:もひとつ「アムステルダムの孤児院の少女」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月15日(月)12時54分8秒
返信・引用  編集済
  ニコラース・ファン・デル・ヴァーイ(Nicolaas van der Waay、 1855年〜1936年、オランダ)。もう一つ美しいのを見付けましたので・・・。

下のURLに3点纏めてみました。あなたはどれがお好きですか・・・?

http://www.eonet.ne.jp/~libell/koji.html

 

「アムステルダムの孤児院の少女」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月15日(月)07時03分17秒
返信・引用
  大きい画像が有りました。色調が少し赤っぽくていけないですが・・・  

Re: 余談:お坊さんの説教話

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 9月15日(月)05時10分33秒
返信・引用
  > No.3811[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 「先日所用で某ホテルのロビーに居たとき、たまたま黒柳徹子さんがフロントへみえて、「黒柳ですがキーを」、とおっしゃいました。これがほんとの”徹子の部屋”。」
>
 面白い話ありがとうございました。いろいろな法事で、いろいろな宗派の坊さんの話を聞いたりしますが、この話は異例ですね。ただ思うに、黒柳さんは存在自体が 面白いので受けを狙ったのでしょうか。

 Ichiro
 
    (リベル) 実は私は、長あい読経の後のお坊さんの「チョット良い話」は非道く苦手なのです。正座が苦手で足が痺れてモゾモゾ・モゾモゾ、もう早く終わらないかと、心はそれで一杯なのです。

これくらいでサッサト終わってくださったら、有り難くて涙が・・・そんなことはありませんが・・・(^^)(9.15 17:34)
 

余談:お坊さんの説教話

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月15日(月)01時35分54秒
返信・引用  編集済
  私の良く聴くトーク番組の中で小池栄子さんが紹介したお話です。

どこかの法事に出かけたときのこと、長いお経が終わって、さてとお坊さんが座り直して、お茶のみ話風に、説教というか良い話を聴かせてくださる、私の故郷でもそうですが、小池さんのいらしたところもそうだったようです。そのお坊さんがこんなお話しをなさったそうです。

「先日所用で某ホテルのロビーに居たとき、たまたま黒柳徹子さんがフロントへみえて、「黒柳ですがキーを」、とおっしゃいました。これがほんとの”徹子の部屋”。」

お坊さん、そう話を締めくくられました。と小池さんがおっしゃる。が誰も笑わなかったので、司会の小堺一機さんがフォローに大童でした。「キー」と「徹子の部屋」の繋がりはそう唐突でもなく分かりますが、オカシイのはTPOを全く弁えないお坊さんなのです。数珠を片手に聴いて、声を出して笑う場面ではない。にもかかわらず無神経に「受け」を狙った、チンプンカンプンさを、小池さんは言いたかったのだけれども・・・。

私は書きながら、クツクツ笑っていたのですが、何がおかしくて笑ったのか自分でも分かりません。妙な話をしたかな?受けると思ったのになあ・・・?とシラケ加減だった小池さんの心中を思って、笑いが込み上げてきたのかとも思いますが。以上、どこが面白いのかよく分からない、面白い話を書いてみました。


29歳の小堺さん・・・髪の毛にご注目!
 

Re: 大地原誠玄氏の不思議

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月14日(日)03時39分42秒
返信・引用  編集済
  > No.3786[元記事へ]

> 只今「The Sushruta Samhita」と戯れて居るのですが、ふと「スシュルタ本集」として梵語から邦訳した大地原誠玄氏を調べようとしたら、余りデータがありません。大体生年月日すら不明です。
>
> 検索して分かったことは、こんなことだけなのです。「スシュルタ本集」は1971年に出版されたのですが、これが大地原氏によって訳されたのは戦時中だとされています。そして長年篋底にしまいこまれていたのを京大で丸山博、矢野道雄氏他が発見して世に出たのだそうです。


「スシュルタ本集」を又図書館から借りました。矢野道雄氏の解説に「和訳は昭和18年(1943年)には完成していた。」と書いてありました。これに続く誠玄氏のご子息豊京大教授の「亡父と「スシュルタ」」という一文があります。以前、誠玄氏が薬草の学名の同定に欣喜雀躍された話をご紹介しましたが、そのページだけ画像を保存しました。実は他に大変重要なことが記されてあったのを、読み洩らしていたのです。上の方に例のエピソードは書いてありますが、私がギクリとしたのは下から13行目です。「Bhishagratna」というのは「The Sushruta Samhitā」の英訳者なのです。

私は、大地原誠玄氏の(梵語原文からの)和訳に疑問を抱いて、5,000円を投じて、Kaviraj Kunjalal Bhishagratna の「The Sushruta Samhitā」を買って読み始めているのです。ところが大地原氏は「英訳者Bhishagratnaの誤解ないし曖昧を難」じていらっしゃる。「おいおい!」ということになります。私は一体何をやっているんだか?バカバカしくて何もかも放り出してしまいたく・・・はなりません。「いい根性じゃあないか、大地原先生!」。取っ組み甲斐があろうというものです。

いや、腹の中を率直に申しますと、「意気たるや壮」なれど、しかしだからといって私の疑問は、全く揺らぐものではない。梵語の「ハンセン病」で提示している疑問に、ではご子息にお答え頂きたい。なんて、デカイ態度は取りませんが、腹の中はその通りなのです・・・。

いやはや、参りました。こうなるとどうなんでしょう。やはり梵語の原本を入手して、自分で訳すほか無い?そ、そ、それは・・・(o_ _)oパタッ!


スタコラサッサ・・・
 

萩原雲来と南条文雄

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月14日(日)03時06分9秒
返信・引用  編集済
  ここ数日、萩原雲来の「梵和大辞典」の方が、モニエルの「梵英辞典」より緻密だとか、「ケルン・南条本」(下から7行目)のケルンの訳だとか、書いています。[追記]「懐旧録〜サンスクリット事始めp.291」によれば、「ケルン・南条本」の完成は1912年とあります。(9.15 00:43)

サンスクリット語というのは、ご存知「リグ・ヴェーダ」が書かれたB.C.1200年頃から有るのですが、実際に本格的な研究が始まったのは19世紀の後半からだ、ということがどこかに書かれていた気がします(少し怪しい^^)。

先日図書館で借りたままで、「The Sushruta Samhitā」が来たために下積みになってしまっていた南条文雄著「懐旧録〜サンスクリット事始め」というのをめくっていると、その辺りの事情が大分判明してきました。興味がお有りの方は、お読みください。そうです、マイナーな、「オタク」向けの話ですので・・・。

「漢訳対照梵和大辞典」の編者萩原雲来の生年月日はハッキリ分かりませんが、このページによると1874年から1881年までイギリスに留学し、帰国してからそれらの仕事をしたようです。モニエルは1819年〜1899年の人ですからほぼ同じ頃に仕事をしています。」と昨日書いています。少し詳しく分かってきました。

南条文雄(最初にロンドンで先輩に作ってもらった名刺が"Bunyiu Nanjio"だったので以後ブンユウと自称したらしいです)氏は1849年生れ、1927年没です。1876年にイギリスに渡り1884年まで勉強し、現地で著作を発表しています。その間ベルリンでの会合で「梵英辞典」のモニエル・ウィリアムス氏に会っています。

又「懐旧録p.329」には「明治の仏教学会が南条を渡欧留学の第一陣に立て(中略)第三陣として萩原雲来(1899年〜1905年)」との記述もあります。昨日の調べでは「1874年から1881年」イギリスへ行ったとなっています、2回行ったのかも知れません。

兎に角、この辺りの先人達は大体この頃勉強し、大きな業績を残したと言うことが、分かってきましたので、ご報告しました。「梵和辞典」も「梵英辞典」も19世紀末に作られたものに優るものが、その後現われていないというのも、面白いことではあります。逆に言えば梵語が、英・仏・独などの外国語とは異質であることを意味しているのでしょうか。


この一番左が南条文雄氏ですね・・・
 

漢訳対照梵和大辞典

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月13日(土)14時06分30秒
返信・引用
  漢訳対照 梵和大辞典 (分売) 1、2、3、4、5、6、7、13
荻原雲来編 、梵和大辞典編纂刊行会 、1 、1940
外務省文化事業部助成 北山書店 1,000円

漢訳対照 梵和大辞典1〜15 <全16巻中、第16巻欠の15冊セット> 〈漢訳対照 梵和大辞典〉
荻原雲来 編/(7〜)辻直四郎 監修/大類純 編纂主任/(13〜)鈴木学術財団・研究部 編 、鈴木学術財団 、15冊 、1964-72
普通  背を中心に日焼け。天地小口表紙にシミ・・・ まつおか書房 8,500円

漢訳対照 梵和大辞典 増補改訂版
荻原雲来編纂 辻直四郎協力 財団法人鈴木学術財団編集 、財団法人鈴木学術財団 、1冊 、昭和54年
函、本体少しシミあり、二重函入り、発売講談社 今井古書堂 76,000円

漢訳対照梵和大辞典 増補改訂版
萩原雲来編 鈴木学術財団 、1冊 、昭54
限定300 二重函 五十嵐書店 25,000円

お役にたつかどうか?「日本の古本屋」というサイトをご存知でしょうか?
そこから、コピーしてきましたが。←おせっかいでした(^^)。
 
    (リベル) はい、常連です、と言っても良いと思います。

たまに「amazon」の中古品の方に出物があるのです。先日の「The Sushruta Samhitā」などはそうでした。今回も「JBOOK」とやらに申し込んでいますが、今商品を探しているという連絡が入っています。こちらにない場合は、ご紹介頂いた、というか前に書いた「25,000円の古本」というのは、実は、ご紹介頂いている最後のものなのでした、それを買うつもりなのです。お気に留めて頂いて、本当に感謝しています・・・(^^)(9.14 02:14)
 

白癩のこと

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月13日(土)04時25分58秒
返信・引用  編集済
  いま、放り出しているとお思いかも知れませんが、常に頭の片隅には有って、図書館で諸橋大漢和を見付けたら、せっせとゼロックスを取ったりしています。私の中では、ある種の結論が醸成されたり、また消えたり、まあ色々なのですが、今日はこんなのをご披露します。漢和辞典ですから「白」で引いたのですが「びゃくらい」はなく「はくらい」が有りました。ここに出ている。「證治準縄」は中国明代(1598年)に王肯堂によって編纂された私撰の医学全書だそうです。

勿論他に「癩」など関係するものをゼロックスして来ましたが、今日はアップできませんでした。又追って・・・。


日暮れずとも道通し・・・(^^;)
 

先ず「法華経」を徹底検証 その4

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月13日(土)03時31分53秒
返信・引用  編集済
   ●漢文=「若狗野干 其影〓痩 黧黮疥 人所觸嬈 又復爲人 之所惡賤(〓=乞+頁)」(大正新脩大蔵経・妙法蓮華經 (No. 0262) in 09 巻・0015c02〜4)

 ●書き下し=「若し狗(いぬ)、野干(やかん)とならば、其の形〓痩(こっしゅ)・黧黮(りたん)・疥(けらい)にして、人に觸嬈(そくにょう)せられ、又復(またまた)、人に悪(にく)み賤しまれん。」(「法華経」上巻p.230

 ●現代語訳=「その場合、それら(の犬やジャッカルたち)は、外見については、色が黒く、斑点があり、腫れ物があって、かゆがっている。体毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の悟りを大いに嫌悪し続けている。」(「法華経」上巻p.231↑)

 ●サンスクリット語=「varṇena te kālaka tatra bhonti kalmāṣakā vrāṇika kaṇḍulāś ca

nirlomakā durbala bhonti bhūyo vidveṣamāṇā mama agrabodhim 」(「法華経」上巻p.230)(参考: サンスクリット語の「ハンセン病」)

 ●英訳=「Under such circumstances they shall grow blackish of colour, spotted, covered with sores, itchy; moreover, they shall be hairless and feeble, (all) those who have an aversion to my supreme enlightenment.」(THE LOTUS OF THE TRUE LAW.Chapter3(No.133です)/ Translated By H. Kern)


ここで単純に言えることは、「漢文」・「書き下し」の文章と、「現代語訳」・「英訳」を読み比べると、語順・文章構成などが大きく違うと言うことです。一応神経質に対応してみて、解決できなければ、得意の大雑把戦術で、えい、やあっと片付けるしか有りません。「乞+頁」は普通の漢和辞典には無いので、一応図書館へ行って「諸橋大漢和」で調べてきます。それにしても例えば「te」という梵語は梵英辞典には見当たらないのです。やはり文法を勉強しないとダメなのか・・・(^o^)


varṇena=varṇa=外面
te=tvamの[為][属][単]、tvam=thou
kālaka=black,of a dark colour
tatra=in that case
bhonti=
kalmāṣakā=variegated,spotted
vrāṇika=
kaṇḍulāś=itching
ca=

nirlomakā=
durbala=
bhonti=
bhūyo=and, even, also
vidveṣamāṇā=
mama=self
agra=foremost
bodhim=perfect knowledge or wisdom

〓=乞+頁=コツ はげあたま
痩=痩せた
黧=黒い
黮=黒い
疥=
癩=
觸=触れる、触る
嬈=乱す

今日図書館へ行って諸橋大漢和を引きました。流石ですね、じゃないですか、当然なのかなあ、有りました(↑上に画像があります)。「体毛が抜け落ち」・「hairless」はこの字だったのです。当然のことといえば、そうなんでしょうけど、一人で感動していました。

感動ついでにもう一つ。「漢訳対照梵和大辞典」で上の梵語を引き始めました。「梵英辞典」に「te」は無かったのですが、「tvamの[為][属][単]」と親切に書いてある。「過去分詞」が出ていない辞書で、後ろの不規則動詞表から探すなどという経験が有りますが、その過去分詞まで、チャント書いてあるようなものです。「漢訳対照梵和大辞典」の編者萩原雲来の生年月日はハッキリ分かりませんが、このページによると1874年から1881年までイギリスに留学し、帰国してからそれらの仕事をしたようです。モニエルは1819年〜1899年の人ですからほぼ同じ頃に仕事をしています。やはり日本人の方が仕事が緻密なのではないかなあ、と嬉しくなりました。

嬉しくなって、「漢訳対照梵和大辞典」を買おうと決めました。古本で一番安いのが25,000円で、新本が25,200円というのは、どういう訳なのか分かりませんが、パソコンがダウンした時に備えてコツコツ貯めていた臍繰りが、ここんところの散在で、遂に底をつきました。そんなことお前の勝手だろう、真面目に仕事しろよ!!!  はい、ごもっともで・・・(^^;)


これが又、どこにもなくて、JBOOKというところに申し込みましたが、品切れという報告が来る可能性も有るとやら。そうなれば25,000円の古本を買うしかない。写真もこれより大きいのが見当たりません。何か心細くなってきました・・・(>_<)
 

先ず「法華経」を徹底検証 その3 (常時改訂中)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月12日(金)03時30分13秒
返信・引用  編集済
  > No.3802[元記事へ]

> 「現代語訳」と「英訳」は相互に対照しているのですが、漢文の「癩」が「かゆがっている」に相当することが、未だキチントは立証されてはいません。その為には漢字だけでなく、梵語も逐一訳さなければなりません。

昨日気付いたのですが、今書いていることと同じことを梵語の「ハンセン病」に、省略形ですが書いていました。正直に告白しますが「認知症」です。ただ、今回は、まあ徹底検証と唱っているので、予定通り漢字と梵語の一つ一つの確認作業をやります。

 ●漢文=「若狗野干 其影〓痩 黧黮疥 人所觸嬈 又復爲人 之所惡賤(〓=乞+頁)」(大正新脩大蔵経・妙法蓮華經 (No. 0262) in 09 巻・0015c02〜4)

 ●書き下し=「若し狗(いぬ)、野干(やかん)とならば、其の形〓痩(こっしゅ)・黧黮(りたん)・疥(けらい)にして、人に觸嬈(そくにょう)せられ、又復(またまた)、人に悪(にく)み賤しまれん。」(「法華経」上巻p.230

 ●現代語訳=「その場合、それら(の犬やジャッカルたち)は、外見については、色が黒く、斑点があり、腫れ物があって、かゆがっている。体毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の悟りを大いに嫌悪し続けている。」(「法華経」上巻p.231↑)

 ●サンスクリット語=「varṇena te kālaka tatra bhonti kalmāṣakā vrāṇika kaṇḍulāś ca

nirlomakā durbala bhonti bhūyo vidveṣamāṇā mama agrabodhim 」(「法華経」上巻p.230)(参考: サンスクリット語の「ハンセン病」)

 ●英訳=「Under such circumstances they shall grow blackish of colour, spotted, covered with sores, itchy; moreover, they shall be hairless and feeble, (all) those who have an aversion to my supreme enlightenment.」(THE LOTUS OF THE TRUE LAW.Chapter3(No.133です)/ Translated By H. Kern)


ここで単純に言えることは、「漢文」・「書き下し」の文章と、「現代語訳」・「英訳」を読み比べると、語順・文章構成などが大きく違うと言うことです。一応神経質に対応してみて、解決できなければ、得意の大雑把戦術で、えい、やあっと片付けるしか有りません。「乞+頁」は普通の漢和辞典には無いので、一応図書館へ行って「諸橋大漢和」で調べてきます。それにしても例えば「te」という梵語は梵英辞典には見当たらないのです。やはり文法を勉強しないとダメなのか・・・(^o^)


varṇena=
te=
kālaka=black,of a dark colour
tatra=in that case
bhonti=
kalmāṣakā=variegated,spotted
vrāṇika=
kaṇḍulāś=itching
ca=

nirlomakā=
durbala=
bhonti=
bhūyo=and, even, also
vidveṣamāṇā=
mama=self
agra=foremost
bodhim=perfect knowledge or wisdom

〓=乞+頁=コツ はげあたま
痩=痩せた
黧=黒い
黮=黒い
疥=
癩=
觸=触れる、触る
嬈=乱す

ご免なさい、以後は明日・・・m(_ _)m
 

Re: 余談:私の嫌いな人

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月12日(金)01時59分32秒
返信・引用  編集済
  > No.3803[元記事へ]

"あずきさんへのお返事です

> おかしな時代になりましたね。誰でも「博学」、誰でも「嘘学」ということになりそうです。拙くても、自分の言葉を大事にしたいですね。


この中島義道という人はあずきさんに教えて頂いて、いま読み進めている人です。カントの研究で学位を取ったのですが、カント学者と言われるのが厭で、砕けた書名の本を沢山書いています。

「私が現象一般を関係させるところの客観は、先験的対象即ち『何か或るもの』一般に関する全く不定な思考である。かかる対象は可想的存在と呼ばれ得るようなものではない、我々はこの対象がそれ自体何であるかを知らないし、またこの対象については感性的直観一般の対象の概念、即ち一切の現象に対して一様であるところの概念よりほかの概念をもたないからである。「純粋理性批判、下」p.242」

というようなカント弁を、磨り潰して、咀嚼して、ラ・ロシュフコー風に、アイロニックな表現で・・・

「笠智衆という小津安二郎の映画によく出て来る私の好きな俳優がいますが、彼のしゃべり方は滅法いらいらする。なじみのバーで「軍艦マーチ」をかけてもらいたいときでも、絶対に「軍艦マーチをかけてくれ」とは言わない。「あれだよ、あれだ」というと、カウンターの中のマダム(岸田今日子)も「あれね?」と答えてレコードに針を落とす。(中略)はっきり言った者が責任を取らねばならない。みんなこの厳粛なルールを知っていますので、「あれ」がなにか知りながら言わない。(後略)「私の嫌いな10の人びと」p.181」

などと、言い換えてしまうのです。


あなた、いま、上のカントの言葉をもう一度読み返してご覧になったでしょう。中島さんが、本当にやりたいことは、それだと思うのです。カントだって、よく読めば大したことは言っていない、兎に角訳しているのは日本人で、彼(ご自分も含めて)は100%理解して翻訳しているのだから、「読書百遍意自ずから通ず」です。まあ、読んでご覧なさいな。と言いたいのではないか、少し違うのですが、なあに、本当のこと、人生にとって本当に重要なことは、そうご大層に奉るようなもんじゃねえ!簡単なことなんですよ。と言いたいのではないかと思うのです。自称「「戦う哲学者」とやらWikipediaには書いてありますが、嘘だと思います。とても心根の優しい、人を愛することを知った一人の頭の良いおじさんだ、それが私の中島観です。

読んでいて心の底から噴き出してしまうほど痛快で飾らない、気分の良い本です。ただ一つ気に入らないのは、中島さんの口髭です。飾らない人が「飾り」を付けているのはどうしたことか?ご本人にお尋ねしたいことです。


文庫本三冊読み終わってからも、この考えが変わっていないかどうか、ちょっと見物です・・・(^^)


それは兎も角、あずきさん、あの絵は誰の絵なのですか?お教えください、良い絵ですね。前のスレに書き加えて頂ければ・・・。
 

Re: 余談:私の嫌いな人

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月11日(木)16時51分14秒
返信・引用  編集済
  > No.3801[元記事へ]

> 「私はある人が右翼でも、左翼でも、テロリストでも、独我論者でも、「みんななかよし論者」でも、ちっともかまわない。そのことによって、その人を嫌いになることはまずないと思います。どんな思想をもってもいいのですが、当人がその思想をどれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜き鍛え抜いているかが決め手となる。つまりその労力に手を抜いている人は嫌いなのです。」

今の時代、学生の論文がネットからの「コピペ」の継ぎ接ぎが多いというお話を聞きました。その上その論文のどの部分が「コピペ」かどうか、わかる方法もあるとのことです。

おかしな時代になりましたね。誰でも「博学」、誰でも「嘘学」ということになりそうです。拙くても、自分の言葉を大事にしたいですね。(自戒をこめて。)

《追記》この絵画は「ニコラース・ファン・デル・ヴァーイ」の「アムステルダムの孤児院の少女」です。去年国立新美術館にて《フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展》に展示されたものです。おそらくフェルメールと同時代の画家と思われます。少女の読書の表情があまりにも美しいので、気に入りました。
 
    (リベル) ありゃあ、私の図々しいお願いを聞き入れて下さいました。恐縮してしまいます、有難うございました。

「ニコラース・ファン・デル・ヴァーイ」と言う画家を知りませんでした。フェルメールと良く似たシテュエーションの構図だなあと思っていましたが、同時代の人なのですね。本当に惚れ惚れするような美しい横顔ですね・・・(^^;)(9.12 12:02)
 

先ず「法華経」を徹底検証 その2

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月11日(木)03時53分19秒
返信・引用  編集済
  > No.3797[元記事へ]

> つまり、「妙法蓮華経」の梵語の原典で「kuṣṭhaṁ」と「kilāsaṁ」が出て来るのは、「譬喩品第三番」だけであることが明確になりました。

「普賢菩薩勧発品第二十八」については「法華経の中のハンセン病」の中に詳述していますから、そちらをお読みください。問題は「譬喩品第三」の中の三つの「癩」です。

この画像の中の三番目の「疥癩癰疽」の部分も上述の「法華経の中のハンセン病」に書いていますので、そちらをお読みください。さてでは一番目の「癩」に取り掛かります。

「其影〓痩 黧黮疥癩 人所觸嬈(〓=乞+頁)」です。これを「法華経の中のハンセン病」の書式に従って整理します。

 ●原文=「若狗野干 其影〓痩 黧黮疥 人所觸嬈(〓=乞+頁)」(大正新脩大蔵経・妙法蓮華經 (No. 0262) in 09 巻・0015c02〜3)

 ●書き下し=「若し狗(いぬ)、野干(やかん)とならば、其の形〓痩(こっしゅ)・黧黮(りたん)・疥(けらい)にして、人に觸嬈(そくにょう)せられ、又復(またまた)、人に悪(にく)み賤しまれん。」(「法華経」上巻p.230

 ●現代語訳=「その場合、それら(の犬やジャッカルたち)は、外見については、色が黒く、斑点があり、腫れ物があって、かゆがっている。体毛が抜け落ち、虚弱で、私の最上の悟りを大いに嫌悪し続けている。」(「法華経」上巻p.231↑)

 ●サンスクリット語=「varṇena te kālaka tatra bhonti kalmāṣakā vrāṇika kaṇḍulāś ca

nirlomakā durbala bhonti bhūyo vidveṣamāṇā mama agrabodhim 」(「法華経」上巻p.234)(参考: サンスクリット語の「ハンセン病」)

 ●英訳=「Under such circumstances they shall grow blackish of colour, spotted, covered with sores, itchy; moreover, they shall be hairless and feeble, (all) those who have an aversion to my supreme enlightenment.」(THE LOTUS OF THE TRUE LAW.Chapter3(No.133です)/ Translated By H. Kern)このKern氏は「ケルン・南条本」(下から7行目)のケルン氏なのです。


漢字の「癩」は植木氏もKern氏も「ハンセン病」・「leprosy」と訳しては居ません。梵語の「kaṇḍulāś」は「梵英辞典」によると「itching」となっています。なのでこれは鳩摩羅什の誤用だと思われるのです。


「現代語訳」と「英訳」は相互に対照しているのですが、漢文の「癩」が「かゆがっている」に相当することが、未だキチントは立証されてはいません。その為には漢字だけでなく、梵語も逐一訳さなければなりません。それはまた、明日のお楽しみということで・・・ (o_ _)oパタッ!
 

余談:私の嫌いな人

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月11日(木)03時15分40秒
返信・引用  編集済
  ここへ時々お見えになるあずきさんの「Talk Room」というBBSで初めて中島義道という哲学者が居ることを知りました。最初に読んだ彼の引用文で、すでに心を引かれたのですが、調べるにつれこれは面白そうだと、ついに文庫本三冊を購入しました。

やはり、狙いは的中していました。いま「私の嫌いな10の人びと」というのを読み始めています。「あとがき」からいくつかの文章を紹介して、何故私が引き込まれたかをお話しします。

数冊の自著を挙げて、「私はこれまで・・・などで「厭なこと」に過敏に反応する私の独特の感受性を披露してきました。それは、個人的な感受性に関することですから、一般的な説得力はなく、だからこそ私は「内的整合性」を考え抜いてきました。」と言います。私はこの態度にフムフムと感心するのです、自省心を垣間見て。そしてさらにその「整合性」の何たるやを次のように語ります。

「私はある人が右翼でも、左翼でも、テロリストでも、独我論者でも、「みんななかよし論者」でも、ちっともかまわない。そのことによって、その人を嫌いになることはまずないと思います。どんな思想をもってもいいのですが、当人がその思想をどれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜き鍛え抜いているかが決め手となる。つまりその労力に手を抜いている人は嫌いなのです。」

またこうも語ります。「あることが真の言葉か否かは、その言葉の表面的な正しさによってではなく、その言葉を発するに至るその人が、いかに血の滲むような「経験」をしてきたかによって決まる。私の言葉で言いかえると、その人がいかに勤勉に「からだで考える」ことを実践しつづけてきたかで決まる。」


これは私が前からここでも繰り返し言っている、『「涙の跡」と「汗の匂い」の感じられない言葉』は信用しないという考え方と同じだなあと思い、だから深く頷きました。

先に紹介した紀伊国屋の案内文の中で、嫌いな人の5番目にこう書いてあります。「自分の仕事に「誇り」をもっている人」。

自分の主張する考え方が当たって居るぞ、と得意になっている私なんぞは、「嫌いな人」に入れられるのかも知れません・・・(>_<)

http://www.mammo.tv/interview/archives/no100.html

 

Re: Wikipediaに変な投稿を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月10日(水)12時09分28秒
返信・引用  編集済
  > No.3789[元記事へ]

> ただ、時間と交通費とエネルギーを使って、汗を流しながら「OED」と取っ組み合いをしていたのを、サラリと一行で書かれては、何とも自分が可哀想で・・・これは嘘ですが・・・いや本音かな・・・。
>
>
> これを見付けたときの嬉しさは、天にも登るものだったので・・・(^^)


これについてのご報告です。Wikipediaの執筆者は率直に私の記述を参考にしたことをお認めになりました。「ハンセン病のリンク集」と出典を明記して下さって、一件落着となりました。内心ハラハラ・ドキドキしていましたので、本当にホット致しました・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


気分は秋晴れ♪♪♪
 

Re: Wikipediaの「ハンセン病」が秀逸記事に・・・

 投稿者:とおりすがり  投稿日:2008年 9月10日(水)10時48分52秒
返信・引用  編集済
  > No.3798[元記事へ]

リベルさん・Ichiroさんへのお返事です

さっそくのご返事と対応をありがとうございました。

最近の大学生は,本を読まずにウィキペディアですまそうとする傾向が強く,
その意味で,ウィキペディアの存在は大きいと思っています。
わたし自身は,このような世界に疎くて(笑),
「ノート」の存在を初めて知りました。
(「掲示板」というものに書き込みをしたのも,実は今回が初めてです)
あのように,議論しながら,執筆されているのですね。
ご検討のほど,どうぞよろしくお願いします。

宮古のこと,はじめて知りました。ありがとうございました。
松村憲一さんって,ほんとうに,すごい人ですね。
 
    (リベル) Ichiroさんが検討して下さるそうなので、それをお待ちくださいますか。お願いします。

なおWikipediaの「ノート」はIchiroさんは「アカウント」を取らないと、と仰有っていましたが、そんなことはありません。私など何も知らないときズカズカ踏み込んで書きまくっていました。一度トライなさったら如何ですか? 面白いし、なにかと勉強にもなります。(9.10 11:56)
 

Re: Wikipediaの「ハンセン病」が秀逸記事に・・・

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 9月10日(水)09時36分39秒
返信・引用  編集済
  > No.3793[元記事へ]

とおりすがりさんへのお返事です

 Wikipedia のライターの一人です。その部分は私が書いたのではないのですが、検討したいと思います。実はノートで討論されるのはアカウントをとらないといけません。取り方は割合簡単です。私の掲示板にも書きましたが戦後の宮古では司法委員会が決定しています。入園者も代表をだしています。しかし松村さんが革命をおこして、平良市(当時)の裁判所で裁判を受けるということになりました。宮古は当時は米軍占領下ですから状況は違うと思いますが。敬具

 追加:問題の事件は選挙の買収にからむものです。ということで、脱走(菊池では無断外出といっていたが)など、小さい事件は園内で決定していたと思います。
 
    (リベル) Ichiroさん、早速有難うございます。「私の掲示板」というのはこちらです。是非ご訪問ください。

懲戒検束権はIchiroさんの執筆ではなかったのですね。Ichiroさんはこういう方面に強いので、ご検討頂ければ有り難いです、無敵です。よろしくお願いします。(9.10 11:43)
 

先ず「法華経」を徹底検証 その1

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月10日(水)03時27分18秒
返信・引用  編集済
  昨日「植木雅俊氏の翻訳が余りにも精緻を極めているので、その釈義を信じざるを得ず、そこが私の「kuṣṭha」、「kilāsa」との格闘の原典になっていると、そこで気付きました。」と書きました。ならば再検証が必要だろうと「法華経の中のハンセン病」を書き直します。

1)サンスクリット語の原典に「kuṣṭhaṁ」、「kilāsaṁ」が現われるのはどこに何回か?

2)「妙法蓮華経」の中に「癩」という字がどこに何回出て来るか?

この二つの確認が必要です。以下、今日どこまで出来るか分かりませんが、調べてみます。

1)を調べる方法は先ず「University of the West」のサイトを使います。ここの検索窓に「kuṣṭhaṁ」を入れて検索します。この画面が出て来ます。一番上の、URLに「Sutra%2036」と入っているのが「妙法蓮華経」です。これ以外は、名前は不明ですが、他の仏典です。「kuṣṭhaṁ」が出て来るのはこの部分だけであることが分かりました。「3 aupamyaparivartaḥ」というのは「譬喩品第三番」です。左ページの上に梵語が書いてあります。次に「kilāsaṁ」で検索しても、同じ結果が出ます。

つまり、「妙法蓮華経」の梵語の原典で「kuṣṭhaṁ」と「kilāsaṁ」が出て来るのは、「譬喩品第三番」だけであることが明確になりました。

さらに念を入れる場合「普賢菩薩勧発品第二十八」はこのページですので、こちらのページ内検索でも確認できます。ここで「citro」を入れると、「kāyaścitro bhaviṣyati」(=「現世得白癩病」)が有ります。

2)「大正新脩大蔵経」の検索窓に「癩」を入れると全仏典の中に「癩」が60個近くある(22*30)ことが分かります。これは以前に一度ご紹介しました。この画面の「2」をクリックするとこの画面になります。この上から8行目から3つ「妙法蓮華経」が並んでいます。それぞれの[show]をクリックして下さい。2行目のは1行目の一部の紹介だと言うことが分かります。1行目の下の方に赤い字で3個「癩」があります。3行目の場合は、お馴染み「此人現世得白癩病」ですね。

もうお分りかも知れませんが、この3行目が「普賢菩薩勧発品第二十八」で、1行目が「譬喩品第三」なのです。今日はここまでにします。後はまた明日のお楽しみ・・・楽しみじゃない?・・・はい了解しています・・・(^^)


もっと大きな画像はこちらです。

http://www.mammo.tv/interview/archives/no100.html

 

余談:新学期の学舎で

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月10日(水)02時19分45秒
返信・引用  編集済
  先生「宿題が終わらなかった人も居ますが、やりかけた事は最後までキチントやり通すようにしなさいね」

生徒「でもー・・・」

先生「でも、何ですか?」

生徒「でもさあ、安倍さんとかさあ、福田さんとかさああ(語尾上がる)」

先生(言葉を遮って)「さあ、分かりましたか。それから先学期も言いましたが”嘘つきは泥棒の始まり”と言います。ロシアから来たお相撲さんが”絶対に大麻には触ったことも見たこともない”と言っていて実はアメリカ巡業の時に吸っていたことが分かりました。日本人は誇りを持って、嘘は吐かないこと、良いですね!」

生徒「でもさあ、”吉凶”とか”ミート・ホープレス”とかの偉い人だって、最初は”絶対に知りません”って・・・」

先生(言葉を遮って)「さあ、では算数の26ページを開いて・・・」
 

Re: Wikipediaの「ハンセン病」が秀逸記事に・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月10日(水)02時17分54秒
返信・引用
  > No.3793[元記事へ]

とおりすがりさんへのお返事です

> わたしは,この記事を編集している方を知りません。
> もしご存じであれば,上記の旨,お伝え願えませんか?

分かりました。なにか伝える方法を考えてみます。今執筆履歴を調べましたが、6月に「ハンセン病」から分離したため、執筆者が特定できなくなっています。心当たりを探ってみますが・・・。もしIchiroさんが執筆者だったら、たまにこちらを覗きにいらっしゃるので、お答えがあると思います。無ければ、この件、メールしてみますので、お待ちください。

「とおりすがり」さんに良い方法をお教えします。「ノート:日本のハンセン病」を開いて、ここに質問として上記の趣旨をお書きください。間違いなく、執筆者に伝わると思います。

実は私は、完全な数字や言葉の間違い以外は、一切Wikipediaの記述内容にはタッチしない主義を貫いていますので、その点(その理由もご明察の上)くれぐれもご理解くださるよう、お願いします・・・m(_ _)m
 

Re: Wikipediaの「ハンセン病」が秀逸記事に・・・

 投稿者:とおりすがり  投稿日:2008年 9月 9日(火)22時00分57秒
返信・引用  編集済
  リベルさんへのお返事です

通りすがりの者です。ウィキペディアの「日本のハンセン病問題」の記事ですが,

「患者懲戒検束権」のところで,
「患者懲戒検束権は完全に否定的な面があるわけではない。ハンセン病患者が犯罪を犯した場合には、刑務所に入らずに療養所に収容されるのみで刑を免れることが可能であった。」とあるのが,気になっています。

上記の事態は,むしろ,
だれにでも保障されるべき「裁判を受ける権利」を侵害されていたこと,
そして「特別病室」への入室は,
裁判を経ずに勾留されたことを意味するように思います。

日本国憲法だけでなく,明治憲法でも,
「日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルヽコトナシ」と
定めてあります。

したがって,記事の,
「完全に否定的な面があるわけではない」(ん?日本語がおかしいな)
という記述には問題があると,わたしは考えます。
また,参照注として検証会議の最終報告書が挙げられていますが,
同書は,上記のような価値判断(肯定的な面もあった,というような)を
まったくしていません。

わたしは,この記事を編集している方を知りません。
もしご存じであれば,上記の旨,お伝え願えませんか?



> この度8月31日でしたか、Wikipediaの「ハンセン病」が秀逸記事に選ばれました。私自身は、前にも書いたように長い間批判的な見方をしていたのですが、最近急速に刷新され読み応えのあるものになっています。是非ご一読ください。
>
> また、「日本のハンセン病問題」というページがこれとは別に、独立して作られています。こちらはお馴染みIchiroさんが大健闘で、実に熱心に殆どお一人で作成に尽力されています。こちらも是非ご覧ください。「履歴」のタブをクリックすると、ご健闘ぶりが良く分かります・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!
 

志村さんの痛切な発言を

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 9日(火)13時25分22秒
返信・引用
  「全療協も終焉を迎えようとしております、全療協がなくなれば運動は自治会で運動をやるしか有りません、

弁護団にしても何時までもハンセン病に関わってはくれないでしょう、早い話原告団が開散すればハンセン訴訟弁護団はなくなります、そうした時に何が出来るとおもいますか?

ここ一〜二年が山場です残された時間は刻々と短くなってきているのは事実ですから。」


「志村康さんとキャッチボール」でルリカケスさんに答えて、志村さんが仰有っていました、念のためご紹介します。
 

統一交渉団が法務大臣に差別・偏見の解消を要請

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 9日(火)13時07分31秒
返信・引用  編集済
  統一交渉団は、2008年9月2日、保岡興治法務大臣に対して、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」(ハンセン病問題基本法)の制定を受け、ハンセン病患者・元患者等に対する差別・偏見のすべてを解消するための総合的で有効な諸施策を早急かつ積極的に策定・実施されるよう要請しました。(国賠弁護団HPから)

要請書
 

全ては植木氏訳「法華経」に発している

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 9日(火)02時37分10秒
返信・引用  編集済
  今夜起き上がってベッドに腰掛けて考えていました。そうなんだ、植木雅俊氏の翻訳が余りにも精緻を極めているので、その釈義を信じざるを得ず、そこが私の「kuṣṭha」、「kilāsa」との格闘の原典になっていると、そこで気付きました。時間の余裕のある方は、「はしがき」をご一読ください。植木氏の熱意や緻密さを追求する真摯な態度などが読み取れて、訳業に対する信頼感が増大すること必至です。

はしがき(1)(2)(3)(4)凡例

たとえば(3)の左ページ中程の「C曖昧さを残さない」のところで言及して居られる「ガドガダ・スヴァラ」という舌を噛みそうな一語についても、これだけの論考があり、「下巻23章注1」は何と1頁半に及んでいます。(文中「KN.」「WT.」ははしがきの(1)下から7行目参照)

言いたいことは、これほど一語一語について徹底した追及をなさる植木氏が、「kuṣṭha」、「kilāsa」についても、いい加減な訳し方は、決してなさるまい。しかし、それを絶対に信ずべしとすると、例えば大地原誠玄訳「スシュルタ本集」の「kilāsa」=「白皮病」(下から7行目)はどうなるのか?そういうところから「梵語の「ハンセン病」」はスタートしているのです。


なんて、自分で整理しないといけなくなってきました。単なる「オタク」してるんじゃないですよ、と、自分に向かっても叫ばないと、追求の方向を見失いそうで・・・♪♪♪

大地原氏が篋底にしまい込んで世に出そうとなさらなかったのは、何か未だ自信が無い部分が有ったからではないのだろうか?と悩んでみたり・・・。

歌っている場合じゃない・・・(^^;)
 

Wikipediaに変な投稿を・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 9日(火)00時25分40秒
返信・引用  編集済
  「leprosy」について

大変勇気を振り絞って、思い切って、書かせて頂くことにしました。この項に「 leprosyは英語である。1535年、ティンダルとカヴァーディルによって聖書の近代英語訳が完成し「lepra(レプラ)」は「leprosy」と訳され、はじめて登場した言葉である。」という記述があります。これは出典は何処でしょうか?

蜂谷さんか、あら金さんが多く執筆なさっている頃、登場したという気がするのですが、履歴を調べるのも快い行為ではないので、こちらに投稿させて頂きました。誤解で有れば、どうかお許しください。実はこの事実は、手前味噌になりますが4月の末日に小生が「OED」で確認したもので、その顛末は「ハンセン病の落書き板」に記しています。この符合は世界でも未だ誰も気付いていないと、秘かに自負していたものだったのですが、こちらにサラリと書いて居られるのを読んで、驚いた次第なのです。もし私のサイト「呼称の変遷」からの引用だったので有れば、「出典」として明記して頂けないでしょうか、というお願いなのです。(出版物に限らず「モグネット」さんも「引用」の対象になっているので、許されるのかなと思って申し上げました。)勿論そうでなければ結構ですが、例えば「OED」の「leprosyの項」というような出典をお示しになった方が明解かとも愚考します。

突然奇妙な申し出をしましたのには理由がありまして、最近自サイト「ハンセン病のリンク集」では歴史の分野で、自分の発見や見解を掲載するようになりましたので、著作権を明確に主張するように方針を変えたいと思っているからなのです。現在は「下記の「Copyright云々」はチョット格好を付けるためのものに過ぎません。リンク先サイトのコンテンツ以外は、転記・転載・複製など、どうぞご自由になさって下さい。 当サイトとの間で著作権上の問題が発生するのでは などのご心配は一切ご無用です。」としているのですが・・・。

以上長々と書いてしまいました。ご高配賜われれば有り難く存じます。どうぞ宜しくお願い致します。


と言うものです。これは言いがかりのようにも受け取れるかと思いますが、Wikipediaの「呼称の変遷」を一読して、ピンと来ました。Wikipediaの「呼称の変遷」と私のサイトの「呼称の変遷」を読み比べて頂ければ、良くお分り頂けるかも知れません。いや、私の研究が疑いもなく引用されるのは、むしろ名誉なことだと思うべきなのでしょう。

ただ、時間と交通費とエネルギーを使って、汗を流しながら「OED」と取っ組み合いをしていたのを、サラリと一行で書かれては、何とも自分が可哀想で・・・これは嘘ですが・・・いや本音かな・・・。


これを見付けたときの嬉しさは、天にも登るものだったので・・・(^^)
 

ココログ

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月 8日(月)22時07分59秒
返信・引用
  拝見しました。トップの動画がなかなかステキです。
ブログの種類は豊富になりましたね。

>実は、ご子息とお孫さんなのでは・・・?

はい。そうです。
リベルさんに早速コメント頂いたのは嬉しいのですが、
明日あたりで、一緒に削除になりますが、よろしいでしょうか?
 
    (リベル) >明日あたりで、一緒に削除になりますが、よろしいでしょうか?

勿論ですとも。暖かい、快い画像が消えるのは残念ではありますが、そうは言っていられません・・・(^^)

>拝見しました。トップの動画がなかなかステキです。

あの動画に仰天して、今少し移し換えたりしていますが、どうでしょう。他も忙しくなってきましたので、放置するかも知れません・・・(^^;)(9.8 22:36)
 

このデザインが気に入って・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 8日(月)04時16分21秒
返信・引用  編集済
  何か探していたら、「ココログ」というブログでこんなデザインが目に飛び込んで来ました。何時までも見飽きないで、何時元の画像に戻るのかと眺めている内に、自分のものにしたくなって、ブログを一個作ってしまいました、ネタは何日か前の福田さんのものをそのまま放り込んで・・・。その内「笑弁嘆語」を全部移転しようかな・・・?

如何ですか、面白いでしょう・・・(^^)星の明度が変わったり、遠景の移動速度を遅くしてあったり、なかなか凝っていますでしょう。今(9.8 07:06)気付いたのですが、バックも実際の時間に併せて、夜から朝へ変わりました。水平線の船も進んでいますね・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!
 

大地原誠玄氏の不思議

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 8日(月)03時56分28秒
返信・引用  編集済
  只今「The Sushruta Samhita」と戯れて居るのですが、ふと「スシュルタ本集」として梵語から邦訳した大地原誠玄氏を調べようとしたら、余りデータがありません。大体生年月日すら不明です。

検索して分かったことは、こんなことだけなのです。「スシュルタ本集」は1971年に出版されたのですが、これが大地原氏によって訳されたのは戦時中だとされています。そして長年篋底にしまいこまれていたのを京大で丸山博、矢野道雄氏他が発見して世に出たのだそうです。

大地原氏は1912年に新橋堂から「紙上の動物園有蹄類」という本を出して居られる。又1934年〜35年に「チャラカ・サンヒター」の翻訳をし「立命館文学」に連載して居られます(「インド伝統医学入門」p.238)。順当に推測すれば、それに引き続いて「スシュルタ・サンヒター」の翻訳に取り掛かられたのでしょう。それが何故数十年、篋底に眠ったままにされたのでしょう?今買うと古本でも三冊揃いで48,000円もするものが・・・?

もう一度、ご子息の大地原豊氏の「解説」で確かめたくなって、図書館に「スシュルタ本集」を予約してしまいました。
 

「Sushruta Samhita」と睨めっこ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 6日(土)04時29分26秒
返信・引用  編集済
  いよいよ英訳の「Sushruta Samhitā」との取っ組み合いを開始しました。下の写真のChapterⅴの本文に着手したのですが、果たして実りが期待できるか、未だ前途は茫洋としています。取り敢えず一覧表というか対照表を作りながら、首を傾げながら、暗中模索を続けてみることにします。最悪のコースは、どこかの大学のサンスクリット語の聴講生になって、一年か二年ジックリ勉強して、自分で翻訳に取り掛かるコースですが、まあそんなことは有りますまい・・・(^^)


なかなか面白そうではあります・・・
 

第4回「患者・被験者の権利擁護のあり方」を検討するワーキンググループ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 5日(金)02時00分16秒
返信・引用  編集済
  『第4回「患者・被験者の権利擁護のあり方」を検討するワーキンググループ』というのをご存知でしょうか?

などというと、叱られますか?私は自分で紹介しながら、最近何か訳が分からなくなっていると、正直に告白しなければなりません。

「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会事務局ホームページ」。こちらをご覧ください。三菱総研に丸投げしてしまって、厚労省のHPには、何の報告も掲載されません。検討会や「ワーキンググループ」のメンバーに谺雄二氏や藤崎陸安氏の名前があるので、何となく安心していますが、最近は資料の山を、とても読む気になれなくて・・・

2006年3月29日、2年半前に始まった「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」、略して「ロードマップ委員会」。最初の頃は議事録をキチント読んでいましたが、そして議論が前進しないのに呆れ返っていましたが、最近は2種類の「ワーキンググループ」がドンドン開かれて、何かどの「提言」について何をしようとしているのか、メンバーご自身が見失いかけていらっしゃるような、いやいや左様なことは決して御座いますまい、とにかく追い付けなくなりはしませんか?

こんな紹介の仕方ではいけないのでしょうけど、9月17日に開かれます。傍聴についてはこちらをどうぞ・・・。

なおそこいらの流れを大づかみに把握したいお方は、手前味噌ですがこれなどをご覧ください、なんて、自棄になってはいけませんね・・・(反省;)


こちらの方は、間もなく三度目の取り入れが始まろうというのに・・・(^^)
 

Re: Fagetの写真と光田の絵

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 4日(木)01時55分3秒
返信・引用  編集済
  > No.3781[元記事へ]

> こんばんは。
> 珍品のFagetの写真と光田の絵を小生の掲示板に出していますのでご覧下さい。


有難うございました。この写真は初めて拝見しました。保存させて頂きました。

スタンレー・スタインの「もはや一人ではない」の307頁に「ファジェットの後任として、フレデリック・A・ジョハンセン医師が病院長になった」と書いてありますが、Johannsenというのは、その人かも知れませんね。
 

Fagetの写真と光田の絵

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 9月 3日(水)22時18分35秒
返信・引用
  こんばんは。
珍品のFagetの写真と光田の絵を小生の掲示板に出していますのでご覧下さい。

 Ichiro
 

Re: 余談:自分自身を客観的に見る

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月 3日(水)20時46分31秒
返信・引用
  > No.3779[元記事へ]

> I am sorry!

I am ソウリ!

No.You are sissy.
 
    (リベル) そうですね、もう一つ驚くのはお詫びの言葉が一切無いことです。周辺の政治家仲間には一切詫びたくなんぞねえや、と言うなら、その意気や良しとしても、国民には詫びなければいけません。詫びるどころか逆に「あなたとは違うんです!」と来ては、これはもうなにをか言わんや・・・ですね・・・(;`つ´)怒!(9.4 01:20)  

余談:自分自身を客観的に見る

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 3日(水)04時11分4秒
返信・引用  編集済
  「まあ、『他人事のように』とあなた仰有ったけどね、私は自分自身を客観的に見ることが出来るんです。あなたとは違うんです!」

これは福田首相が辞任会見で「まるで他人事のように・・・」と言う記者の発言に、逆ギレして発してしまった言葉です。↑クリックで動画。

そういうことを、国政を預かる重責をポイと放り出しますという、歴史に残る重要な記者会見で口走る、捨てぜりふとして!
これって自分自身を客観視していたら、到底出来ることではないでしょう、ソウリ!


I am sorry!
 

Wikipediaの「ハンセン病」が秀逸記事に・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 2日(火)02時08分25秒
返信・引用  編集済
  この度8月31日でしたか、Wikipediaの「ハンセン病」が秀逸記事に選ばれました。私自身は、前にも書いたように長い間批判的な見方をしていたのですが、最近急速に刷新され読み応えのあるものになっています。是非ご一読ください。

また、「日本のハンセン病問題」というページがこれとは別に、独立して作られています。こちらはお馴染みIchiroさんが大健闘で、実に熱心に殆どお一人で作成に尽力されています。こちらも是非ご覧ください。「履歴」のタブをクリックすると、ご健闘ぶりが良く分かります・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!
 

余談:ナンバープレートのゾロ目 最終回

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 2日(火)01時43分42秒
返信・引用  編集済
  ナンバープレートの総数は10の4乗の10,000枚ではない。何故かと言いますと、「0001」「0055」「0999」などの場合、現実には「・・・1」「・・55」「・999」などと「点」で記されているからです。この枚数は「0001」〜「0999」の計999枚です。

なので、実際に存在するナンバープレートの総数は

   10,000-999=9,001

9,001枚ということになります。


今日まで書いたのをこちらに一纏めにしました。恐らくどこか、ヒョッとしたらとんでもない大きな間違いが有るのではないかと、ビクビクしています。お気付きの点はドシドシご指摘頂ければ有り難く存じます。どうぞよろしくお願い致します・・・m(_ _)m


オレゴン州のは鮭の絵が入った楽しいプレートです・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!
 

Re: 余談:ナンバープレートのゾロ目 結論

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 1日(月)12時37分5秒
返信・引用
  > No.3774[元記事へ]

やはり、大きな間違いがあることに気付きました。分母を「10,000」とすることです。

いかがでしょう?お気付きの方は、ご指摘くださいませ。

今から熱風(です。今日は)の中へ歩きに出ます。又深夜、お会いします・・・(^_^)/~
 

二学期です。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 9月 1日(月)11時41分46秒
返信・引用
  夏休み最後のお遊びは、お勉強よりタイヘンでした。
ちんぷんかんぷん(^^)。

では、リベルさんへ二学期の贈り物です。どーぞ。

http://www.haizara.net/~shimirin/blogs/takata?s=%E5%9B%9B%E8%82%A1%E8%B8%8F%E3%82%93%E3%81%A7%E9%9B%80%E3%81%AE%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BA%8C%E5%AD%A6%E6%9C%9F&sentence=AND&submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
 
    (リベル) さっそく有難うございました。思い出しました。雀は電線を移動するとき肩を揺すってまるで四股を踏むように動きます。さあ私も歩きに出かけなければ、エッチラオッチラと・・・(^^)(9.1 12:31)  

余談:ナンバープレートのゾロ目 結論

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 9月 1日(月)03時45分57秒
返信・引用  編集済
  > No.3771[元記事へ]

> 長くなりますが、お暇な方だけどうぞ。「ゾロ目」を含むナンバーは何種類有るか?それをはじき出す方法として私は先ず「ゾロ目」を含むナンバーを一旦全て上げて、そこから重複などの矛盾を排除すると言う方法を採りました。それが上の式なのですが、ではその母数とした「3,000」はどこから出て来たか、それだけを今日は書きます。
>
> 順序としてはと言いますか、数学的な頭脳の方は「0」からスタートなさるのでしょうが、分かり易さのために「11」という「ゾロ目」を例にとって説明します。(太字がゾロ目です)


以下を少し書き直します。そして追加条件を加えます。

(1)ナンバープレートの4桁の数字の最初に「11」が来る場合

これは先ず「1100」次に「1101」「1102」と書いていくと、「1199」までの100個有ります。

それと同じことが「22」「33」・・・「99」「00」までで、計10種類有りますから、これで100*10=1,000個になります。

(2)ナンバープレートの4桁の数字の中央に「11」が来る場合

次に「11」が中央に来る場合(例えば「2113」のように)は、「0110」から「9119」までやはり100個です。

これも「22」・・・「00」まで有るので、計1,000個です。

(3)ナンバープレートの4桁の数字の最後に「11」が来る場合

(例えば「2311」のように)は、「0011」から「9911」までやはり100個です。

これも「22」・・・「00」まで有るので、計1,000個です。

(4)ナンバープレートの4桁の数字の中にに「ゾロ目」が来る場合

ですから、重複や矛盾を恐れずに、組み合わせを全て掲げると3,000個という「母数」が得られることになります。この言葉を今後よく使うので、ご記憶ください。『「ゾロ目」を含むナンバーの総数』と言う意味です。

(5)「3ゾロ」「4ゾロ」を母数に加えるか否か

「3ゾロ」「4ゾロ」の場合をカウントしますと、「n000」〜「n999」と「000n」〜「999n」(「n」は0〜9までの整数)有りますから、10*10+10*10=200個になります。この中に「4ゾロ」(「0000」〜「9999」)が10個含まれています。

正直に白状しますと、この200個を母数に加えべきか否かは、私の能力の処理範囲を越えています。しかし、やはり「3ゾロ」「4ゾロ」を含む4桁の数字は特殊な事例と考えて敢えて母数に加えています。数学的に正しくないかも知れませんので、間違いで有ればご指摘ください。その時点で、もう一度考えて、ダメなら降参します。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「重複などの矛盾」と書きました。上のような数え方をすると、どうしても現実に出てくる問題です。それを見付けて母数から「削除」しなければなりません。そうして初めて正確な、現実的な『「ゾロ目」を含むナンバー』の数が弾き出せることになります。次に前に書いたものを加えて完成型としたいと思います。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

母数から削除するもの

(一)「0000」というナンバー

0000」と「0000」と「0000」。これらはいずれも「0000」を表しますが、こういうナンバーは有りませんから、3個削除します。


(一の二)「000」で始まるナンバー

「0001」から「0009」までは「・・・1」のように表示されますから、「0」の「ゾロ目」を含むとしてカウントできません。従って9個が削除されなければなりません。更に「000n」は母数の中に「000n」と「000n」の2種類にカウントされていますから9*2=18個が削除されなければなりません。


(一の三)「00」で始まるナンバー

例えば「0011」は「・・11」と表示されますから「00」を「ゾロ目」としてカウントできません。なので「0010」から「0099」までの89個を削除します。但し「0011」「0022」・・・「0099」などは「0」ではない部分に「ゾロ目」を含んでいるのでこの9個は削除せず、トータルで80個の削除となります。


(二)「4ゾロ」の場合の検討

上に「1111」の場合を取り上げてこう書いています。

「「1111」の場合を見てみますと、実は「1111」と「1111」と「1111」の三つを母数にカウントしていますからこの重複を削除しなければ実際の数字とは言えません。」

と言うことは2個余分があると言うことです。「0000」の場合は(1)で削除していますから、「1111」〜「9999」までの9種類について、各2個有りますから2個x9種類=18個を削除しなければなりません。


(三)「3ゾロ」の場合の検討

3ゾロの場合は「111n」のように四桁の前半にある場合と、「n111」と後半に有る場合の二通り有ります。(nは0から9までの整数です)

@「111n」のように前半にある場合

111n」と「111n」の二種類が重複しています。「111n」から「999n」までの9種類を削除しなければなりません。それぞれ「n」は0〜9までの10個有りますから9x10=90個

A「n111」のように後半に有る場合

「n111」と「n111」の二種類が重複しています。それぞれ「n」は0〜9までの10個有りますから9個を削除しなければなりません。


(四)従ってナンバープレートに「ゾロ目」(3ゾロ、4ゾロを含む)を含んでいる車は・・・

  3,000+200-3-18-80-18-90-9=2,982台です。(200は3ゾロ・4ゾロを含む数字です)

(五)結論

車のナンバープレートは4桁の数字です。一応4桁の数字を全部数え上げると、10の4乗ですから10,000台になります。10,000台の内、2,982台がゾロ目を含むナンバーを付けている事が分かりました。大体10,000台の内3,000台ですから、まあおよそ3台に1台ということになります。如何ですか、結構多いとお思いになりませんか。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

長々とお疲れ様でした。どうも不完全な気がします。弁解でなく、時間切れを恨んでいるのです。明日から新学期。宿題をギリギリまでやって、ようやく先生の目を取り敢えず誤魔化せる形にした、という感じです。機会が有れば、見直します。皆さんもお気付きのことをドシドシご指摘ください。

数字、数字の一週間でした。明日からは台風一過という感じで、「ハンセン病の歴史」の仕上げに取り掛かります。相変わりませず、よろしくお願い致します・・・m(_ _)m
 

余談:ナンバープレートのゾロ目 その四

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月31日(日)01時23分28秒
返信・引用  編集済
  >3,000-3-99-9-18=2,871-α

>ですから、重複や矛盾を恐れずに、組み合わせを全て掲げると「3,000」個という母数が得られることになります。


>「重複」とは何か?

>極く分かり易い例で「1111」の場合を見てみますと、実は「1111」と「1111」と「1111」の三つを母数にカウントしていますからこの重複を削除しなければ実際の数字とは言えません。


>「矛盾」とは何か?(8.31変更を加筆しています)

>矛盾という言葉が適切かどうか分かりませんが、ナンバープレートには例えば「0000」は有りません。「0001」も「0011」も「0111」も有りません。実際には単に「1」「11」「111」と書いてあります。先程の母数にはこれらが含まれていますが、「0000」は削除しますが、「0001」「0011」「0111」など0で始まる数字は削除の対象とするかどうか検討しなければなりません。

>例えば、上の式3,000-3-99-9-18=2,871-αの「3,000-3」の3は何か?

>「0000」と「0000」と「0000」。これらはいずれも「0000」を表しますが、こういうナンバーは有りませんから、3個削除するという意味です。

>上の式の中の「99」「9」「18」「α」はいずれもその様に重複や矛盾をあぶり出して、削除することを意味しています。そうすれば正確な「ゾロ目を含んだナンバープレート」の数が捻り出せる筈です。これらの数字と「α」については、明日書きます。



これで何をしようとしているかは、お分り頂いたと思いますが、「3,000」個という母数から、「0000」などの有り得ないナンバーや、重複を削除していくと、「ゾロ目」を含んだナンバープレートの正確な数が弾き出せると信じて、次のように纏めます。昨日書いた「0000」の「3」個も念のため含めて纏めます。


母数から削除するもの

(一)「0000」というナンバー

0000」と「0000」と「0000」。これらはいずれも「0000」を表しますが、こういうナンバーは有りませんから、3個削除します。


(一の二)「000」で始まるナンバー

「0001」から「0009」までは「・・・1」のように表示されますから、「0」の「ゾロ目」を含むとしてカウントできません。従って9個が削除されなければなりません。更に「000n」は母数の中に「000n」と「000n」の2種類にカウントされていますから9*2=18個が削除されなければなりません。


(一の三)「00」で始まるナンバー

例えば「0011」は「・・11」と表示されますから「00」を「ゾロ目」としてカウントできません。なので「0010」から「0099」までの89個を削除します。但し「0011」「0022」・・・「0099」などは「0」ではない部分に「ゾロ目」を含んでいるのでこの9個は削除せず、トータルで80個の削除となります。


(二)「4ゾロ」の場合の検討

上に「1111」の場合を取り上げてこう書いています。

「「1111」の場合を見てみますと、実は「1111」と「1111」と「1111」の三つを母数にカウントしていますからこの重複を削除しなければ実際の数字とは言えません。」

と言うことは2個余分があると言うことです。「0000」の場合は(1)で削除していますから、「1111」〜「9999」までの9種類について、各2個有りますから2個x9種類=18個を削除しなければなりません。


(三)3ゾロの場合の検討

3ゾロの場合は「111n」のように四桁の前半にある場合と、「n111」と後半に有る場合の二通り有ります。(nは0から9までの整数です)

@「111n」のように前半にある場合

111n」と「111n」の二種類が重複しています。「111n」から「999n」までの9種類を削除しなければなりません。それぞれ「n」は0〜9までの10個有りますから9x10=90個

A「n111」のように後半に有る場合

「n111」と「n111」の二種類が重複しています。それぞれ「n」は0〜9までの10個有りますから9個を削除しなければなりません。


(四)昨日書いていた「α」は実は(2)と(3)のことでした。


(五)従ってナンバープレートにゾロ目(3ゾロ、4ゾロを含む)を含んでいる車は・・・

  3,000-3-18-80-18-90-9=2,782台です。

(六)結論

9,99910,000台の内、2,782台がゾロ目を含むナンバーを付けています。大体10,000台の内2,800台ですから、まあおよそ3台に1台と言うことになります。((1)で分子から「0000」を引きますから、分母は10の4乗=10,000。一昨日の段階では、0〜9の4桁の数字の組み合わせの数は10の4乗で良いという意識が有りませんでした。バツ1個 2:34)


以上、面白くもないことに、長々とお付き合いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。恐らく、どこかに間違いか、見落としが有ると思います。ドシドシご指摘ください。私は今から「ナンバープレート ぞろ目」で検索して見ます。間違いを発見したら、線で消して修正しますから、ミスは白日の下に晒されるわけです。お楽しみに・・・(;´▽`)アセアセ
 

Re: 余談:ナンバープレートのゾロ目 その三

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月30日(土)22時46分29秒
返信・引用
  > No.3771[元記事へ]

> 実は今、トイレに「数独(ナンバープレース、ナンプレとも)」の本が置いてあって、それを解くのに夢中になりすぎて、痔を悪くしそうです。

それでは「夏休み」ではないようですね(^^)。

> この数独は初心者向きです。名誉のために書いておくと私奴は上級編をやっています、なんて・・・(^^;)

こういうものは見るだけで、頭がパンクしそうです。 (o_ _)oパタッ!
これでもわたくしは数学と物理の教師の娘でした。絶望的。。。
 
    (リベル) 「ナンバープレー」と「ナンバープレー」で頭の中は数字が怒濤の如く渦巻き波打っています。慣れないことをしたせいか、一昨日寝冷えから風邪を背負ってしまいまして、風邪薬のせいで頭が朦朧として参っています。

ここは良い子のみんなが宿題の追い込みで頑張っていることを思い、老骨に鞭打つ↑ことに致します・・・(^^)(8.31 00:51)
 

余談:ナンバープレートのゾロ目 その三

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月30日(土)01時46分8秒
返信・引用  編集済
  >分母はそういうことですが、分子の方は現在までに判明している数字は・・・

  3,000-3-99-9-18=2,871-α

>です。αについては検証が足りませんので、明日他の数字と共に説明させて下さい。約100程の筈です



長くなりますが、お暇な方だけどうぞ。「ゾロ目」を含むナンバーは何種類有るか?それをはじき出す方法として私は先ず「ゾロ目」を含むナンバーを一旦全て上げて、そこから重複などの矛盾を排除すると言う方法を採りました。それが上の式なのですが、ではその母数とした「3,000」はどこから出て来たか、それだけを今日は書きます。

順序としてはと言いますか、数学的な頭脳の方は「0」からスタートなさるのでしょうが、分かり易さのために「11」という「ゾロ目」を例にとって説明します。(太字がゾロ目です)

ナンバープレートの最初に「11」が来る場合を上げてみます。これは先ず「1100」次に「1101」「1102」と書いていくと、「1199」までの100個有ります。それと同じことが「22」「33」・・・「99」「00」まで計10種類有りますから、これで100*10=1,000個になります。

次に「11」が中央に来る場合(例えば「2113」のように)、「0110」から「9119」までやはり100個です。これも「22」・・・「00」まで有るので、計1,000個です。

11」が最後にある場合(例えば「2311」のように)、これも同様に1,000個有ります。

ですから、重複や矛盾を恐れずに、組み合わせを全て掲げると「3,000」個という母数が得られることになります。


「重複」とは何か?

極く分かり易い例で「1111」の場合を見てみますと、実は「1111」と「1111」と「1111」の三つを母数にカウントしていますからこの重複を削除しなければ実際の数字とは言えません。

「矛盾」とは何か?

矛盾という言葉が適切かどうか分かりませんが、ナンバープレートには例えば「0000」は有りません。「0001」も「0011」も「0111」も有りません。実際には単に「1」「11」「111」と書いてあります。先程の母数にはこれらが含まれていますから、これも削除しなければなりません。

例えば、上の式の「3,000-3」の3は何か?

0000」と「0000」と「0000」。これらはいずれも「0000」を表しますが、こういうナンバーは有りませんから、3個削除するという意味です。

上の式の中の「99」「9」「18」「α」はいずれもその様に重複や矛盾をあぶり出して、削除することを意味しています。そうすれば正確な「ゾロ目を含んだナンバープレート」の数が捻り出せる筈です。これらの数字と「α」については、明日書きます。


お暇でない方へ。結局分母9,999に対して、分子は2,700くらいになりそうなので、「ゾロ目を含んだナンバープレート」は、2700/9999=30/1111ですから、「車3台か4台の内1台」、という結論が出ました。やはり結構多いのですね・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!


明日、細かい内訳を書くの、もう止そうかな?などと考えたりしています。どうせどなたも読んで下さらないだろうし、大まかな結論も出たことだし・・・(^^;)


実は今、トイレに「数独(ナンバープレース、ナンプレとも)」の本が置いてあって、それを解くのに夢中になりすぎて、痔を悪くしそうです。要するに世間様の「夏休み」の最後に頭の中を数字で一杯にして、一度「白癩」とか「スシュルタ・サンヒター」とかを洗い流してしまって、新学期から新たな気持ちでスタートし直そうという、実は計画を実行中なのでした。付き合わせてしまって申し訳ありませんでした。でも結構面白いでしょう?そうでもないか・・・ (o_ _)oパタッ!


この数独は初心者向きです。名誉のために書いておくと私奴は上級編をやっています、なんて・・・(^^;)
 

(無題)

 投稿者:子猫  投稿日:2008年 8月29日(金)16時22分23秒
返信・引用
  >化け猫さん、余り気持ちの良い名前ではないですね。変な書き込みだと思って削除するところでした。年寄りは気短なので(^^)

なるほど。失礼。名前を変更しました。
 
    (リベル) ほら、やはり何倍も可愛くなりました。

昨日化け猫さんの周りにも云々と書きかけたのですが、なんか相応しくなくて止めたことがありました。このお名前なら書きやすくなりました。

いや、人を憎まない人って居るのでしょうか?遠藤周作著「わたしが・棄てた・女」の主人公ミツ、「アルプスの少女・ハイジ」のようにフィクションの中では見かけるのですが、でも実際にも子猫さんの周りにそういう人がいらっしゃるのではないかと思います。「憎悪のほむら」を他人にぶつけるのが似合わない人、別の言い方をすれば他人にぶつけるのが辛そうな体質の人、そういう人って、改めて見回すといらっしゃると思います。私は年の功のお陰か、二三存じ上げています。決して弱々しいという感じでなく、おおらかに生きていらっしゃるお人を・・・羨ましいことです。

宮崎美子さんもその御一族(笑)ではないかと思って、書きました次第です・・・(^^)(8.30 00:53)
 

ちょっと疑問を感じましたので

 投稿者:子猫  投稿日:2008年 8月29日(金)12時29分45秒
返信・引用  編集済
  >ええっ!と思いました。そうか、宮崎さんは、「憎しみ」の感情を持ち合わせていないんだ、確かにそういう人って居るなあ、と思いました。驚きもし羨みもしました。

上記の意見ちょっと疑問を覚えるのですが。
「憎しみ」の感情をもたない人がいるでしょうか。
迫害されたり、虐待されたり、不当な差別を受ければ「憎しみ」の感情がおこるのは当然です。
無差別殺人事件でわが子を殺された親は、わが子を愛していればいるほど、犯人に対して憎しみは募るでしょう。

>「結局、人は自分の中に持っているものしか演じられないと思うんです。だから人を受けとめる包容力などはもちろん、憎しみの感情なども育てる必要があるでしょうね。」

宮崎さんのいう「憎しみの感情」とは誰に対して、何に対しての「憎しみ」なのでしょうか。その憎しみの対象とは、人に対してか、国家に対してか、悪に対してか。

>憎しみの感情なども育てる必要があるでしょうね。」

自分が演じる人物の憎しみ、怒りを理解するということではないでしょうか。
ちょっとむきになってしまいました。ペコリ
 
    (リベル) 化け猫さん、余り気持ちの良い名前ではないですね。変な書き込みだと思って削除するところでした。年寄りは気短なので(^^)

宮崎さんの文章の「演技することは、自分の中の鉱脈を堀当てること」のところに宮崎さんにとっての良い演技を生む方法が書いてあります。「役を演じるということは、あるレベルから始まって、毎日毎日どんどん自分の中を掘っていく作業です。内部に流れているどろどろとした感情の鉱脈につきあたったら後はラクなんですが、私はそこに行くまで非常に時間がかかる。」と書いておられます。

自分の中に、「包容力」や「憎しみ」の鉱脈を持っていなければ、掘り当てることが出来ないので、「人を受けとめる包容力(の鉱脈)などはもちろん、憎しみの感情(の鉱脈)なども育てる必要があるでしょうね」と書いておられるのだと、私は読み取りました。

もう一つ、人や悪を「批判し遠ざける」ことと、人や悪を「憎む」ことの違いを仏教は説いていると思います。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉は、その心を言っているのではないかと私は思っています。これでは説得力が無いかなあ・・・心配(^^;)(8.29 13:24)
 

余談:宮崎美子さん

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月29日(金)02時24分18秒
返信・引用  編集済
  下に、あずきさんへのレスに引用した宮崎美子さんの文章を、全部読みました。一気に読めました。中で興味を引かれたのは、「演技」について語るこの言葉です。

「結局、人は自分の中に持っているものしか演じられないと思うんです。だから人を受けとめる包容力などはもちろん、憎しみの感情なども育てる必要があるでしょうね。」


ええっ!と思いました。そうか、宮崎さんは、「憎しみ」の感情を持ち合わせていないんだ、確かにそういう人って居るなあ、と思いました。驚きもし羨みもしました。


人を憎めない宮崎さん・・・
 

平成20年度ハンセン病問題対策協議会

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月29日(金)01時51分51秒
返信・引用  編集済
  「平成20年度ハンセン病問題対策協議会」が去る27日に開催されました。その議事次第、協議事項などが国賠弁護団のHPに出ています。

なお、出席なさった志村康氏が「志村康さんとキャッチボール」(ご免なさい、何故かここのURLをteacupが受け付けてくれません。お手数ですがこちらからご訪問ください)にこう書いておられます。

「今年は舛添大臣と渡辺副大臣が出席、舛添大臣は歯切れよく答弁はしていたが、いずれもこれからであり歯切れのよい答弁とは裏腹に各部会で検討するに留まり、基本法にしたがって政策を実行してゆく、との回答が唯一の救いではありました。」
 

余談:ナンバープレートのゾロ目 その二

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月29日(金)01時29分17秒
返信・引用  編集済
  > No.3762[元記事へ]

> なので「0」から「9」までの10個の数字の組み合わせは、10の10乗=100億通りと分かります。これは10桁の場合ですが、さあ、では4桁の場合は、一体組み合わせは何通りになるでしょう?これが今日の問題です。答は明日。
>
> 私は、バスの中で答を発見したときは、思わず立ち上がり・・・かけました・・・(^^)。


直ぐ答が出なかった方は、私のミスディレクションにまんまと引っ掛かったとお思いください。失礼しました、まあマジックの場合は詫びませんけど。実は他愛もないことで、「9,999」通りです。車のナンバープレートには「0」が有りませんから。

分母はそういうことですが、分子の方は現在までに判明している数字は・・・

  3,000-3-99-9-18=2,871-α

です。αについては検証が足りませんので、明日他の数字と共に説明させて下さい。約100程の筈です。

ですから、「ゾロ目」を含むナンバープレートはほぼ3台に1台だと言うことになりました。明日、数字を解説しますので、ご批判ください。なお、私は「ナンバープレート ぞろ目」での検索は未だ行っておりません。ヒントがあると詰まらないからです。よろしければ皆さんはどうぞ検索なさって下さい。どこかの私立中学の入試問題などになっている可能性もなきにしもあらず。「平成教育委員会」などにも出題されていたかも知れませんし。

なお、今からお断りしておきますが、私の明日の解答には「3ゾロ(同じ数字が3個並ぶ)」、「4ゾロ」はお目出度いから含ませることにしています。余計な説明を極力少なくしようとの配慮も、その理由の一つではあります。では又明日をお楽しみに・・・(^_^)/~
 

Re: 余談:聞いちゃった

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月28日(木)22時22分16秒
返信・引用
  > No.3764[元記事へ]

 十年ほど前にモンゴルへ行きました。広大な地への憧れと「チンギスハーン」伝説がわたくしを呼んだのでしょう。四十度を越える南ゴビ砂漠、朝には霜のおりる山間部のテレルジ、その中間の都会ウランバートル(八月に長袖を着ました。)と気候はさまざまでした。
 今日のモンゴルの人々は、チンギスハーン魂と、貧しさとのなかで生きているのではないでしょうか?でも、ここの広大な土地で産まれ育った者には、日本の相撲界の村社会的な息苦しさは理解できないものだったのではないでしょうか?
 
    (リベル) 20年以上前になるのかな、宮崎美子さんがモンゴルの印象を語って「風も草もそして人も、とても良い」と表現して以来、私の中でのモンゴル観は清々しいものでした。

なるほど日本の相撲界は、刷新を迫られていると実感します。北の湖理事長は潔さが無い人だなあと思えてなりません(^^)(8.29 01:06)
 

余談:聞いちゃった

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月28日(木)12時51分9秒
返信・引用  編集済
  いまモンゴル巡業中の大相撲のメンバーに「みやねや」というワイドショーがインタヴューしているのを、歩きながら耳で聞いていました。魁皇だったと思うのですが、意外に寒いのに驚いたと話している横で喋っている朝青龍の話を、マイクが拾っていました。

「さすがに俺の力でも天気までは変えれ(ママ)ないよ」

冗談で笑いを取ろうとしたのだと思います、が誰も笑いません。私も顔面神経が凍り付きました。


良く書いていることですが、仏教に「三毒」という言葉があります。貪欲(欲張る)・瞋恚(怒る)・愚痴(憎しみ、恨み、妬みなど)の三つを捨て去りなさいと言うのです。私は、以前から、朝青龍の行動に批判的です、多くの人と同様に。だから彼の話題になると、嫌悪感が先に立ってしまうのです。「愚痴」です。「雨にも負けず」では「イツモシヅカニワラッテヰル」が表している部分なのでしょう。

三毒を、捨て去りたいと思っています。しかし、そうすると自分は人間臭のない、味も素っ気もない単なる歩く抜け殻になってしまうのでは無かろうか。そんな気持ちが付きまといます。なかなか、宮沢賢治さんの心境には追い付けずに、くたばるのでしょう、哀しいかな・・・(^^;)


これを駄目押しと言います。
 

台湾で補償法が制定されました

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月28日(木)02時14分8秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病患者人権保障及補償法」が7月18日に国会で可決されました。病名も「痲瘋(らい)病」という名前が無くなり、「漢生病(ハンセン病)」になります。(国賠弁護団HP「原文」と「訳文」が逆になっていますからご注意!)

これによれば、1945年8月15日までについては日本の「補償法」によって補償され、1945年10月25日以降に関しては、この法律によって補償されると言うことなのだろうと思います。間違っている可能性があります。その場合はお教えください(恥)。


「痲瘋(らい)病」と呼んでいることを知らなかったのは不勉強を恥じなければなりません。中華人民共和国では、未だこう呼んでいるのでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたら、これまた、お教えください・・・m(_ _)m
 

余談:ナンバープレートのゾロ目 その一

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月28日(木)01時15分34秒
返信・引用  編集済
  バス停でボーッとしている時、行き交う自動車のナンバープレートを見るのが好きです。最近強く思うのですが、同じ数字が二つ並ぶ「ゾロ目」を含んだナンバー(下の写真で順に言えば、「22」「00」「66」「88」「99」「55」です)が意外に多いものです。今度街角で思い出したらご注視ください。「ゾロ目を含んだナンバーの方が多いのではないか?一体何パーセントになるのか、計算できるだろうか?」。「白癩」や「スシュルタ・サンヒター」をお休みしている私の好奇心は、そちらの方へ少し歩き出したようです。


分母は四桁の数字の並び方の数だ(分子つまり「ゾロ目を含むナンバーの数」の話は明後日くらいになるかも知れません)。一体「0」から「9」までの数字の「組み合わせ」は何通り有るのだろう。こういうときは、少ない数から初めて、パターンを把握して帰納的に割り出すのが手っ取り早いので、例えば「A」「B」の並べ方を見ますと、「AA」「AB」、「BA」「BB」の四通り(2の二乗)です。「A」「B」「C」と三つになると「AAA」「AAB」「AAC」、「ABA」「ABB」「ABC」、「ACA」「ACB」「ACC」、「BAA」「BAB」「BAC」、・・・と書き出していくと二十七通り(3の三乗)になります。「A」「B」「C」「D」はもうやらなくても、4の四乗になる、つまりn個の数の組み合わせはnのn乗になることが分かります。

なので「0」から「9」までの10個の数字の組み合わせは、10の10乗=100億通りと分かります。これは10桁の場合ですが、さあ、では4桁の場合は、一体組み合わせは何通りになるでしょう?これが今日の問題です。答は明日。

私は、バスの中で答を発見したときは、思わず立ち上がり・・・かけました・・・(^^)。
 

6月22日を「被害者追悼の日」に

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月28日(木)00時34分36秒
返信・引用  編集済
  厚生労働省は27日に開かれた平成19年度ハンセン病問題対策協議会で、補償法(ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律)が施行された6月22日「らい予防法による被害者の名誉回復および追悼の日」と定め、来年から同省主催の追悼式を行うことを明らかにしました。

毎日新聞
 

余談:星野ジャパン

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月26日(火)03時48分37秒
返信・引用  編集済
  やはり惨敗を喫しました。私は、戦う以前の問題として、田淵ヘッド、山本守備走塁コーチと同級生で固めた組閣の悪さを指摘したいと思います。仲良しグループを選んだ時点でダメだと思いました。星野さんは阪神時代、島野(故人、育夫・元阪神ヘッドコーチ)がいたから優勝できたんだろうと思います。参謀役が不在に近いベンチには指導力が見られません。データを使い切れてないんだろうと思います。これでは宝の持ち腐れではないですか。星野監督の資質にも疑問を投げかけたいのです。だいたい投手出身で大監督は居ません。野手の気持ちが分からないし、視野も狭いものなのです。

如何ですか?こういうのは?これは中日スポーツの野村談話を語尾だけ変えたものです。

かつて司馬遼太郎さんが野村監督と短い会話を交わした後でこう呟いたと聞きます。「ははあ、この男やったら、ホームプレートの後ろにしゃがんだとき、われわれがしゃがんだ時に目に映るのとは《全く違った光景》が見えるのかもしらんなあ」と。

そういうノムさんは何処へ行ったのでしょう。肩を落として帰ってきた同業者に、先ずは慰めの言葉をかけるのが普通でしょう。王監督はそうしています(参考:スポーツ報知)。傷口に塩を擦りこむようなことをしては、晩節が汚れますよ野村さん・・・。批判・評論は為されるべきでしょう。それにはだけど、最小限のリスペクトを伴うべきでしょう・・・(;`つ´)怒!


産経ニュースから、二人のお年寄りです。
(儂も年とるわけだ、と思わず独り言が出ました^^)
 

(無題)

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月25日(月)12時48分35秒
返信・引用  編集済
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html

ここの解説によりますと、「底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房 ・1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行」
※本文については写真版を含む本書によった。
……と書いてありますので、「ヒドリ」への変更の時期が大体理解できますが、子供時代にすりこまれた「日照り」のイメージは消し難いものですね。

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ

この二行の季節の対比から見ますと、「ヒドリ」は「ヒデリ=日照り=旱魃」の方がふさわしいように思うのですが。(←頑固?)

これは頂き物の画像です。
 
    (リベル) 私はこういう論争があることさえ知りませんでした、が研究者というのは得てしてこういう些末事も等閑には出来ないのでしょう。いや些末事だ等というと叱られるのでしょう。

この写真は、まるで一幅の画の様ですね。アレコレ言わず、のんびりと「日照り」で通すことを、宮澤氏もむしろ望んでいらっしゃるのではないかと・・・私は思っています・・・(^^)(8.26 03:16)
 

余談:雨ニモマケズ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月25日(月)00時46分53秒
返信・引用
  雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


「ヒドリ」「日照り」論争があることを、今日初めて知りました。
 

Re: 余談:夏季休暇仮眠中

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月25日(月)00時25分22秒
返信・引用  編集済
  > No.3756[元記事へ]

> 生きる目的は、好奇心を満足させて悦楽を得ることであり、生きる方法としては、ファイトよりワーク(映画「七人の侍」のテーマ)を、いがみ合いよりは「be forgiving」(映画「晩秋」に出て来た言葉)を選びたいと思っています。早く言えば「意気地なし」なのでしょうけど・・・それで良いのです(^^)。


これはチョット違うだろうと、思いつきました。「ファイト」より「ワーク」ではありませんでした。「Fighter」より「Worker」でした。「百姓さん」の毎日も蓑傘付けて、「雨ニモマケズ  風ニモマケズ」、ファイトの連続ですね。目下私奴は自分との「ファイト」さえ放棄して、ひたすら・・・



ZZZZZZZZZZZZZZZ........
 

Re: 余談:夏季休暇仮眠中

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月23日(土)04時50分51秒
返信・引用  編集済
  > No.3754[元記事へ]

> これが生きている理由です。仮眠しながら、それを再考してみようと思っています。恐らく変わることはないと、思いますが。ではしばらくお休みなさい。仮眠中はやはり活動範囲は著しく狭くなるとは思いますが、夢遊病者的徘徊は怠らない予定にしています。

いつもお題目のように唱えている「受容」と「献身」とやらは何処へ行ったのか?と自問して目が覚めました、これはフィジカルな話。

昨日書いたことは、人生の目的です。「人の生き方」と言うとき、生きる目的と、生きる手段・方法と、この二つの意味が有ると思います。何のために生きるか?とどのように生きるか?という。はい、「受容」「献身」は後の方の「生き方」と言うことになります。

生きる目的は、好奇心を満足させて悦楽を得ることであり、生きる方法としては、ファイトよりワーク(映画「七人の侍」のテーマ)を、いがみ合いよりは「be forgiving」(映画「晩秋」に出て来た言葉)を選びたいと思っています。早く言えば「意気地なし」なのでしょうけど・・・それで良いのです(^^)。


眠れる獅子ではなく、微睡むハムスターのように・・・ZZZZZZZZZZZZZZZ........
 

Re: 余談:夏季休暇仮眠中

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月22日(金)20時34分44秒
返信・引用
  > No.3754[元記事へ]

> 仮眠が永眠に変じた場合は、一応こちらに「お知らせとお詫び」を投稿するよう、連れ合いには頼んであります(^^)。

仮眠中にお邪魔虫します。(←イジワル)
世の男性は妻より先に永眠できると思っていたら大間違いですよ。
その反対もあるのです。どうぞお覚悟を(^^)。

あ。これで起きて下さるかな?☆!?
 
    (リベル) あ、それがありましたか?それが一番困るのです。でもサッサと自分で投稿して、後を追うことになりますから・・・。

やはり、上手く起こされてしまいましたか・・・(^^)(8.23 04:27)
 

余談:夏季休暇仮眠中

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月22日(金)01時13分4秒
返信・引用  編集済
  仮眠が永眠に変じた場合は、一応こちらに「お知らせとお詫び」を投稿するよう、連れ合いには頼んであります(^^)。

自分が飯を食って生きている理由を、仮眠中に再考したいと思っています。生きている理由を現在はこう思っているのです。


人生を楽しむために生きている。自分は好奇心が強い人間である。自分の「人生」や、と言うよりも自分自身を一個の生物個体として観察対象とした場合の「自分」や、自分を取り巻く自然界・社会の様々な「事象」に対して、好奇心が異常に強い人間であると承知している。だから好奇心を満たすために懸命の努力を厭わない。好奇心を満たすことが悦楽であるから。

「ハンセン病のリンク集」「スシュルタ・サンヒター」「人名歴史年表」も、もっと広く、インターネットを用いての外界との接触も、全て自分のこのような好奇心を満たすための手段に過ぎない。


これが生きている理由です。仮眠しながら、それを再考してみようと思っています。恐らく変わることはないと、思いますが。ではしばらくお休みなさい。仮眠中はやはり活動範囲は著しく狭くなるとは思いますが、夢遊病者的徘徊は怠らない予定にしています。


しからばごめんなすって・・・ZZZZZZZZZZZZZZZ........
 

Re: 余談:映画「ドリームズ・カム・トゥルー」

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月20日(水)12時12分35秒
返信・引用  編集済
  > No.3752[元記事へ]

> 恐ろしいのは我々の力不足ではない
> 恐ろしいのは我々の計り知れぬ力だ
> 我々は自問する
> 美しく才能あふれる者に 自分はなれるのかと
> だが誰もがなり得るのだ
> 我々は内なる神の栄光を世に示すために生れた
> 自分を輝かせる時---
> 我々は無意識に 他人をも輝かせる

恐ろしいのは我々の力不足ではない
恐ろしいのは我々の計り知れぬ力だ
我々は自問する
恐ろしく狂気あふれる者に 自分はなれるのかと
だが誰もがなり得るのだ
我々は内なる悪魔の栄光を世に示すために生れた
自分を輝かせる時---
我々は無意識に 他人をも傷つける

突然おどろかせてしまってごめんなさい。これは決して皮肉ではありませぬ。ふっとヤセンスキーの「無関心な人びとの共謀」の巻頭文を思い出したからでした。人間は極めて困難な状況の時に、その本質が見えるのではないでしょうか?良くも悪くも。。。
 
    (リベル) ウーム、流石にプロですね。極限状態に置かれた人間は類型的反応を示すものですね。ちなみにヤセンスキーの詩を再掲しますと・・・


敵を恐れるな─彼等は君を殺すのが関の山だ。
友を恐れるな─彼等は君を裏切るのが関の山だ。
無関心な人びとを恐れよ─彼等の沈黙の同意があればこそ 地上には裏切りと殺戮が存在するのだ。(8.20 12:28)
 

余談:映画「ドリームズ・カム・トゥルー」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月20日(水)07時38分49秒
返信・引用  編集済
  日本未公開の2006年のアメリカ映画(原題「Akeelah and the Bee」)を、テレビで観ました。スペリング大会という難しい単語のスペルを答えるという妙な大会がアメリカには有るそうですが、その全国大会に挑戦する11歳の一人の少女の物語でした。自信が持てない彼女に先生がMarianne Williamson(中程のTriviaをお読みください)のこんな言葉を、読ませます。

Our deepest fear is not that we are inadequate.
Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.
We ask ourselves,
Who am I to be brilliant, gorgeous, talented, fabulous?
Actually, who are you not to be?
We were born to make manifest the glory of God that is within us.
And as we let our own light shine,
we unconsciously give other people permission to do the same.

字幕は・・・

恐ろしいのは我々の力不足ではない
恐ろしいのは我々の計り知れぬ力だ
我々は自問する
美しく才能あふれる者に 自分はなれるのかと
だが誰もがなり得るのだ
我々は内なる神の栄光を世に示すために生れた
自分を輝かせる時―
我々は無意識に 他人をも輝かせる

というものでした。盆休みの名残でダレた脳味噌とハートに、一発喰らった気がしました。自分を輝かせることをつい忘れてしまっている己に頂門の一針を頂戴しました・・・(^^)


主役を演じたキキ・パルマーです。
 

余談:弦上の音

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月19日(火)05時59分38秒
返信・引用  編集済
  張芸謀(チャンイーモウ)総監督曰く「我々は開会式の完璧な美しさを追求し…モラルの問題ではないし、そんなに重要な問題とは思わない」。「完璧な美しさ」「モラル」の捕え方の問題でしょう。私は、「口パク」は「完璧な美しさ」と無縁だというか、逆に「醜い」とさえ思っています。できれば、7歳や9歳の子供にこういう「大人のモラル」を見せて欲しくはなかったと思います。両方の子の親から億単位の金額の申し出があったので、両方から頂戴する方法を捻り出したという、珍妙な噂すら出ています。まあ、親とすれば金メダル以上の「箔」がつくことだから、有りうる話ではあります。

能の世界では有りうる(はかりごと)なのかも知れませんが、CGの足跡と言い、偽ブランドと言い、中国人はつくりごとの好きな民族ではあります。孔子・老子の時代、司馬遷・張騫の時代、陶淵明から杜甫・李白の時代と、純潔な人士を輩出した中国は、共産主義によって堕落したのでしょうか? それとも官僚の跳梁跋扈によって?音も画も拵え物では、陶淵明さんがさぞ悲しむことでしょう・・・(^^)


無絃の琴を奏でる陶淵明さんです。「ただ琴中の趣を得ばいかでか弦上の音をわずらわすべき」と・・・芸謀さん。

http://rose.zero.ad.jp/~zad70693/journal/nihonqin03.html

 

盆休み終了

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月18日(月)02時03分24秒
返信・引用  編集済
  早速「The Sushruta Samhita」に取り付きました。文字通り「取り付いた」という身体感覚で、今から長い取り組みが始まります。あまりこいつにかかずらっていては、なりませぬが。今文献集に先ず載せようと、紀伊国屋のサイトへ行ったら、ビックリ!なんと56,456円。私がアマゾンで買ったのが5,190円ですから10倍以上です。洋書の古書(私のはたまたま新品で、所々ページがくっついている状態です)を買うには、余程慎重に吟味しないといけない、それに運も大きいなあと実感して「The Sushruta Samhita」計4冊を抱きしめています(嘘)。

「サンスクリット語の「らい」」は当然改訂作業に入りました。さあ、どういうことになりますか。なあに、本当の腹の中をお見せしますと、「ハンセン病の最古の記録」は「スシュルタ・サンヒター」ではなく、「アタルヴァ・ヴェーダ」なのですよと言うことの、裏付けを取ろうとしているのに過ぎないのです。おっと、口が滑りました。あまりのめり込むと「Sushruta Samhitā」の原典に当たらなければならなくなります。一番近いところは京大図書館(左京区吉田本町)、なんて調べない方が良いと思いますが・・・(^^)
 

訂正

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月17日(日)21時36分36秒
返信・引用  編集済
  http://homepage3.nifty.com/ja8mrx/rinn-watasinomae.htm

ちょっと気になったままで、出かけてしまいましたが、やはり上の詩は一行抜けていましたね。帰宅して詩集を開いて確認しました。さらに「、」「。」が抜けていたりしますが、一応抜けた一行だけ補足します。(*印のところです。)

炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは   *
不幸なこととは思われない、
 
    (リベル) まあ、ご丁寧に有難うございました。年寄りはそのあたり便利なもので、抵抗無く判読していたようです。

私の書いたもの、カントの言葉の部分、補完させて頂きました。大したことではありませんが、例の「オタク的」という癖で・・・(^^)
 

Re: 余談:二羽の鳰

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月17日(日)13時27分14秒
返信・引用
  > No.3747[元記事へ]

> 「正義」とは何なのでしょう?「正義」は「法」である、と言って良いでしょう。そして「法」というのは、私達弱い人間が、「良心=decency」を整理して「原則」の形にまとめようとしているものだと言えます。そして、ここでいう「良心」というのは、「おばあちゃんの教え」のことなのです。

石垣りんのこの詩を思い出しました。

http://homepage3.nifty.com/ja8mrx/rinn-watasinomae.htm
 
    (リベル) 読み終えてフーッと溜息をつきました。あずきさんも良くこの詩を思い出して下さいました。有難うございました。

「それらなつかしい器物の前で

お芋や 肉を料理するように

深い思いをこめて

政治や経済や文学も勉強しよう


それはおごりや栄達のためでなく

全部が

人間のために供せられるように

全部が愛情の対象あって励むように」

言い得て妙と言いますか、成る程日本語の達人には敵いません。知識や勉強は「エゴ」の為でなく、「人類」のために、「愛情」のために有るのでしょうね。良い詩を、本当に有難うございました・・・m(_ _)m(8.17 17:22)
 

余談:二羽の鳰

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月17日(日)03時24分22秒
返信・引用  編集済
  先月の28日のゲリラ豪雨の中を傘一本で歩いて、全身ずぶ濡れ。背負っていたリュックの中のカメラはケースに入れていたのですが、ケースが少し湿ったかな程度だったので甘く見ていたらやはり故障していました。数日前に修理から戻って来たので久し振りに撮った鳰の写真が、下の写真です。現在総数は4羽です。そして浮き巣が見当たりません。他の5羽はどこかへ飛んで行ったのでしょう、今は小さなのが2羽ずつペアになって、広い池を我が物顔に独占しています。4羽を一画面に入れようと粘ったのですが、誰かが潜ったり、フレームアウトしたりで、上手く行きません。

「水鳥の余せる水の広さかな」をあずきさんに教わったのですが、水鳥が居なければ広さを感じないのに、一羽でも二羽でも水鳥が居ることによって、池の広さを改めて実感する、蓬田紀枝子さんはそのことを詠んでおられるのだなと、初めて気付きました。

じっと眺めていて思うのですが、この二羽は仲良さそうに寄り添って浮かんでいるけど、何を考えているのだろう、恐らく無心なのだろう、「暖かい親愛感」「嫌悪感」「憎しみ」「妬み」なんにも無い。ただ水に身を任せて虚心にたゆたっているのだろうなと思いました。そこへ行くと人間共はそうはいかない。カントの言うように「一緒に生活する人間のあいだの平和状態は、決して自然な状態ではない。自然な状態は、むしろ戦争状態である。(「永遠平和のために」p.26)」のでしょう、不幸にして。そしてこの言葉はこう結ばれています。「それゆえ、平和状態は創設されなければならない。」(太字は本文では傍点)


中国と周辺少数民族、グルジアとロシアこれらの二羽は、いがみ合い、殺し合っています。お互いに、それぞれの主張する「正義」のためにいがみ合い殺し合う、こうして人間の歴史は何人の人類を殺してきたのでしょう。「正義」の旗印が人間の殺し合いを許してきたとすれば、「正義」って一体何のため、誰のためのものなのでしょう。

トム・ウルフが「虚栄のかがり火」の中でこういっています。

「Let me tell you what justice is. Justice is the law. And the law is man's feeble attempt to lay down the principles of decency. Decency! (中略) Decency... decency is what your grandmother taught you.」

「正義」とは何なのでしょう?「正義」は「法」である、と言って良いでしょう。そして「法」というのは、私達弱い人間が、「良心=decency」を整理して「原則」の形にまとめようとしているものだと言えます。そして、ここでいう「良心」というのは、「おばあちゃんの教え」のことなのです。


「正義」というのは、振りかざすものでもなく、振り回されるものでもない、おばあちゃんの教えを思い出すことなのでしょう。


六甲山や、私達ご近所さんに暖かく見守られている鳰たちです・・・(^^)
 

余談:私の消夏法

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月15日(金)03時08分22秒
返信・引用  編集済
  「心頭滅却すれば」なんて格好の良いことは、申しません。「窮すれば通ず」でもないし、いやなにも俚諺を持ち出さなくてもよいのです。まあ一種の「自暴自棄」汚い言葉で言えば「ヤケ▲▼」で遂に夏を越しそうです。プラスチック製の安物の団扇とタオル以外に、冷房機器は一切使わずに、です。扇風機も横目で見ながら、使わずに・・・。

大体、冷房は身体(と家計)に良くないと聞いていたので、取り付けた三台はいずれも来客専用だったのです。しかし扇風機は必需品でした、去年までは。連れ合いは暑さ寒さに強くというか鈍感で、扇風機の風は避けるようにしていましたが。今年からは私も付けず、シャワーを浴びて焼酎のソーダ割りを飲むと噴き出して来る汗は、全部タオルで拭って終わり。まあ何度も拭いますが。これでもう立秋を過ぎて一週間、もう乗り越えたと言っても良いでしょう。

午後一時に散歩に出るのは、真夏でも同じ。近所の奥さんグループは、流石に真夏は15時からとかになさっていますが、私はお構いなしなのです。恐らく笑いものになっているとは思うのですが、まあ迷惑をお掛けするわけではないので一向に構いません。

ここでも敵わないのは熱風です。こいつに対抗する方法は、意識の上では、肛門から空気を吸い込む(こういう呼吸法は、何かあるのですが)。そして背骨を通って脳天まで上がっていくのを意識します、慣れると出来ます、一種の快感を伴うようになります。そこから頭蓋骨を這わせて額から鼻、口、喉、胸骨を経て、丹田に落とします。重要なのは吸うときです。熱風であろうが、歩調に併せて1・2・3・4と最後は大きく胸一杯首が反り上がるまで吸うことです(この夏これを始めてから、宿痾の右腰痛が根治したというおまけ付きです)。そうすると自然に姿勢が良くなって正しい歩き方になるというメリットまで有ります。

まあ、こういう野蛮な方法は、お奨めはしません。少し涼しくなってから、少し真似てみてご覧になると、特に腰痛保ちの方、これは効きます。息を一杯に吸い込んで背筋が伸びたとき、太腿から右・左と前へ出して歩くと言う感じを掴まれると、必ずや効果が上がると思います。お試し下さい・・・。

以上私の消夏法というか「闘夏法」、ですねまるで、をご披露しました。


よい子の皆さんは、危険ですから真似をしないでください!!!(^^)
孫にしては小さいし、曾孫は未だだし・・・他人さまです・・・(^^)
 

The Sushruta Samhita 到着!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月14日(木)04時14分39秒
返信・引用  編集済
  予想より早く到着しました。7日に発注して、一週間か10日かかると言っていたので最短時間で到着しました。お盆休みは、終わってしまいました。未だ明後日娘婿が現われるのでそれが終わってからにしようかなと迷っています。

勿論待ちきれずに開梱しました。2巻目を二つに分けて計4冊です。ニューデリーから直送です。全くの新品で5,197円はお買い得でした。恐らく本屋さんの手違いではないかと思います。日本では26,430円。中古で16,241円。アメリカの中古でも87ドルですから。

大地原誠玄訳では、目次が「第2篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)」となっていたのですが、こちらではいきなり「Section on Pathology・CHAPTER Ⅴ Cutaneous Affections in general=一般の皮膚病」となっています。前(8月5日)にご紹介した伊東弥恵治氏の訳は、当然というわけです。本文を読んでみると、Kavirajさんも何かご苦労をなさっているようですが、それは又、休み明けにゆっくり調べるつもりです。面白いことがあれば、ご報告します。「あれば」です。


「The Sushruta Samhita」目次の一部です。CHAPTER Ⅴにご注目ください。
 

余談:降ってくるオノマトペ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月12日(火)08時43分38秒
返信・引用  編集済
  昨日は案の定大酒を喰らって早く寝て午前三時頃目覚めて二日酔いの頭を抱えながらベッドに腰掛けてボーッとしていました。そのときどういうわけか、♪ゆーきやこんこんと口ずさんでなんだこれはぁ、とそう暑くもないし。しかし雪の降る音とか状態を「こんこん」と言うのは何か変だなあと思い始めました。雨はザアザアとかシトシトとかまあ納得の出来る擬音ですが、どうもコンコンはなあと考え込んでしまいました。

ノソノソ起き出して、辞書を引きました。やはり漢字はなくて、広辞苑には用例も出ていないのですが、大辞林(三省堂)と日本国語大辞典(小学館)には・・・

雪や雹(あられ)がしきりに降るさまを表す語。 「−と大降りになり出した往来の雪 /星座・有島武郎」(大辞林)

と言い合わせたように有島武郎のこの文が引用されていました。ついでですから、漢字の「コンコン」を列挙しておきます。

[ 献献 ] [ 昏昏 ] [ 渾渾 ・混混 ] [ 滾滾 ] [ 懇懇 ]

と結構あるのですね。しかし、話は戻りますが、大辞林の場合は何というのですか「盗用」ではないでしょうか?有島武郎の「星座」に有るのを見付けるのは大変でしょう。こういう場合、三省堂が小学館に了解を取り付けるとかいうことは、考えにくいですし。

有島武郎氏の「星座」の初出は1922年5月ですが、実は童謡「雪」(文部省唱歌。作詞者、作曲者ともに不詳。)は1911年の「尋常小学唱歌(二)」が初出なのです。そして歌詞は、そうです「雪やこんこ 霰やこんこ」が正しいのです。しかし面白いことに「こんこ」は広辞苑、大辞林には無く、日本国語大辞典には、「雨や雪、あられなどの降り続く様を表す語。こんこん。」として文部省唱歌を引用しています。まず文部省唱歌が歌われている内に「こんこん」になって、11年後の有島さんの小説には、人口に膾炙したそちらの言葉が使われた、そういう次第なのでしょう。

それにしても、「雨や雪、あられなど・・・」とは? 雨も「こんこ」「こんこん」と降るのでしょうか?

とまあこの話は何時までも降り続きますね。おや、風邪を引いた狐がドアをノックしています。では今日はこれで・・・(^^)


いくらか涼しくなるかなあ・・・(^^)
 

夏休み

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月11日(月)00時59分29秒
返信・引用  編集済
  明日から、子供達や孫達が帰って来たりします。ここだとばかり飲み過ぎる日も出てくるはずです(^^)。しばらくは「The Sushruta Samhita」も届かないし、盆休みというのを、定年後13年ぶりに設けてみようかとしています。そう心に決めると、妙なことにペンディングにしている作業が、ドット頭をもたげてくるから敵いません。

1)ヨーロッパ中世以降の歴史
2)「らい」から「ハンセン病」(「多磨」に成田稔氏が連載されたものの年表化→tamaさんにお送り頂いたのに遅くなっています、ご免なさい)
3)「白癩」の読みの総括
4)各国別の「業病観」(聖書の「ツァラアト」、中国の「厲」、日本の「頓醫鈔」など以外に「スシュルタ・サンヒター」・3行目にも有る)
5)「ハンセン病のリンク集」の各項のイントロ部分(薄緑バック)の完全変更(より解説的に。たとえば「療養所」の場合は、悲田院、施薬院から説き起こして、「北山十八間戸」、キリシタン時代、明治の宣教師による病院、公立療養所までの歴史を盛り込む。ヨーロッパのラザレットはどうしよう?)

のように、入道雲よろしく湧き起こってきます。などと書いておいて、義務化して自分を縛ろうとの魂胆であることは、はいお見通しの通りで御座います。これだけ「楽しみ(?)」を並べておけば、まあおいそれとはくたばらないだろうとの、打算(と言いますか、こういうのを)も、無いと言えば嘘になりますが・・・(^^;)
 

平成20年度ハンセン病問題対策協議会

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月10日(日)11時59分1秒
返信・引用
  平成20年度ハンセン病問題対策協議会

8月27日(水)14:00〜16:00/グランドアーク半蔵門(東京都千代田区隼町1番1号)

桝添厚労相が出席予定です「志村さんとキャッチボール」より)。下に徳田さんが書いておられるようなことが、議題に上ります。健康局も例年のようないい加減な、生温い対応は出来ないことでしょう。

●本年度の定期協議の開催について 田靖之弁護士    2008年8月6日

ハンセン病問題統一交渉団と厚生労働省との本年度の定期協議が、8月27日14時から「グランドアーク半蔵門」で開かれます。この定期協議というのは、ハンセン病国賠訴訟熊本地裁判決の確定を受けて、全療協と原告団、弁護団の3者によって構成される統一交渉団が、毎年8月に厚生労働省(担当副大臣)との間で、ハンセン病問題の最終解決に向けての様々な課題について協議するものです。

今年は、ハンセン病問題基本法の制定後はじめての協議であり、この法律に基づいて、極めて重要な事項についての話合いが行なわれることになっています。

なかでも、5月の第4回市民学会交流会で問題となった国立ハンセン病資料館の運営をめぐる問題、更には、療養所の医師確保の問題、療養所の職員削減を中止させる問題、奄美和光園をはじめとして、療養所を地域の住民が利用しうるように直ちに着手させる問題、退所者入院制度の実現等については、厚生労働省との間で激しい対立が予想され、今後の将来構想をはじめとするハンセン病問題の解決への具体的展望を切り開けるかどうかの文字通りの正念場となることは必定です。

協議は公開され、どなたでも傍聴が可能です。どうか多くの方々に参加していただき、厚生労働省のあいまいな対応を厳しく監視して下さるようお願いいたします。


以上は「ハンセン病首都圏市民の会 メールニュース」を元に、編集しました。
 

翻訳を外注すると・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月10日(日)07時15分46秒
返信・引用  編集済
  ルシャットさんの論文で再確認して、ヨーロッパ中世の纏めに入ろうとして、前のプリントを引っ張り出したと書きましたが、どうも目が弱ってきているのか、読み辛い。そこで昨日散歩の途中スーパーへ寄って、A4→B4の拡大コピーを取り、ディスカウントショップでB4用のフラットファイルを買ってそれに綴じました。トイレでも読みやすいようにです。

まあこれで、高校の英語の教科書程度の文字になりましたので、楽に挑戦出来ます。実は恥ずかしい話を序でに書いてしまいますと、ゴールデンウィークの頃、専門の業者に見積もりをして貰いました。まあご覧ください。こんな料金なのです。

「お預かりいたしました文書の翻訳対象箇所単語数は6130単語となりました。この単語数に基づく英文和訳料金は以下のとおりです。

【翻訳レベル1(ドラフト翻訳:1名の専門分野翻訳者+ネイティブとの相談)】
   6130 w X \22(1単語あたり単価) =134,860円

【翻訳レベル2(ALS基本サービス:1名の専門分野翻訳者+第二翻訳者によるチェック+ネイティブとの相談)】
   6130 w X \30 =183,900円

納期につきましては、できれば4週間ほどいただければ幸いですが、早期納品をご希望の場合はご相談ください。」

これにはシャッポを脱ぎました。単語を単位として計算するのだなあなんて、世間知らずというか、2万円を切るなら・・・くらいに考えていたように思います。まあ、13万円稼ぐつもりで、少しずつ頑張ると致します・・・(^^)
 

余談:タモリさんの弔辞

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月10日(日)01時12分30秒
返信・引用  編集済
  弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないなら、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義


【YouTube】


故赤塚不二夫氏に捧げられたこの弔辞は、何も書いてない紙を読む振りをしたものだと、報道されています。これは本当だろうと思っています。こうして読み返してみると、所々そう感じさせるところに気付きます。

私は歩きながらですが、聞いていて最後のところで泣いてしまいましたが、誠に一糸乱れぬ文章でした。なのにフト「読んでいない・・・」と感じたのは耳だけで聞いていたので、余計集中できたからだろうと思います。後でこの報道を読んで、ああ、やっぱりか、と納得しました。

この弔辞も赤塚さんの”作品”かも知れません。


スポニチから。

http://hukayoi78.blog.so-net.ne.jp/2007-08-15

 

ストリートビュー

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月 9日(土)22時33分13秒
返信・引用  編集済
  こんばんは。
リベルさんの豪邸(^^)拝見。このおうちで「いいこにおやすみ。」なんておっしゃりながら暮らしていらっしゃるのですね。お散歩は左手の方からお出掛けになるのでしょうか?

若い一人暮らしの女性は、この「ストリートビュー」で自分の住まいを見て、こわくなったと言っていましたが、それもわかるような気がします。これは、さまざまな見方があるのでしょうね。
 
    (リベル) 凄い”豪邸”でしょう・・・(^^;)散歩は、そうですそちらが東で突き当たりが高校です。長男はですから遅刻の常習犯でした、そういうものらしいですね(^^)

「こわくなった」、それ実は私も実感しました。プライバシーの問題が云々されていますが、それも実はそもそもは、この何とも説明できない”恐怖感”の然らしめるところではないかと思っています。Google日本の担当者がマスコミに答えて、「数十件の苦情」と言っていましたが、そんなものじゃ有るまいと思います。

不動産屋さんが、顧客に説明するのに便利だ、周囲の環境、交通手段の説明に持ってこいだと聞いて成る程と思いましたが、逆に他にどんなメリットがあるのだろうと考えても、何も思いつかないのは、これはどうしたものでしょう。私のようなミーハー的受け取り方以外に何か、でも有るのでしょうね、良く分からないところです・・・(^^)(8.10 00:58)
 

「ハンセン氏病と詩人塔和子の世界」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 9日(土)02時47分48秒
返信・引用  編集済
  サウンドさんが運営しておられる「詩人・塔和子の世界」を「ハンセン氏病と詩人塔和子の世界」に名前を変えられました。また去る7月30日から、大島青松園盲人会発行の「わたしはここに生きた」の掲載に着手しておられます。是非ご一読をお奨めします。  

お盆休み

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 9日(土)02時11分46秒
返信・引用  編集済
  「The Sushruta Samhita」が届くまであと一週間かかります。

その間にヨーロッパ中世の歴史を何とか纏めようと、アメリカ海軍のNaval Hospitalの軍医さんの書いたものを読み始めました。PDFがDLに長い時間を要するので、こんな風にしていますが、何のためにだったか忘れてしまいました。恐らく出典に用いようとしたのでしょう。チョット、「History」の「Japan」のところだけでもお読みください。エジプト、インド、中国を読んで、眉に唾を付け始めていたのですが、これで決定的になりました。

「Written about the year AD 702 in a place called Reinogige, in the Commentary of Taiho-rei, the second-oldest Japanese law book, the following comments are found about leprosy:」

令義解は「Ryounogige」で、この読み方は有りません。また令義解は養老律令の注釈書です。「Emperor Gwyo (AD 718–740)」という奇っ怪な人物も現われて、もう敵いません。このようないい加減な書き物を、出典扱いは出来ませんので、これは捨てて、やはりルシャットさんのものを読むことにしました。

約一週間は、ノラリクラリと盆休みにしようかとも思っています。下のレスに書いたGoogleMapのストリートビューで我が陋屋をお見せするのは「露出狂」「露悪趣味」何とでも仰有って下さい。お盆の特別興業と言うことにしますか・・・(^^)


Googleは勤務時間中も社員を遊ばせると聞きます。お遊び的な自由な発想が色々飛躍的な仕事を生んで、私達を楽しませてくれます。これもその一端ですね・・・(^^)
 

以上は、新着順1001番目から1100番目までの記事です。 4  5  6  7  8  9  10  11  12  13  |  《前のページ |  次のページ》 
/13