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Re: ストリートビューの威力

 投稿者:北風  投稿日:2008年 8月 8日(金)21時43分22秒
返信・引用
  > No.3734[元記事へ]

リベルさんへのお返事です


> 北風さんが仕事をなさっているは、ここなのですね!!!

この歩道橋の向こうのビルには、佐藤B作に似た石原慎太郎の倅の代議士の事務所があります。
弊社のビルがそれと背中合わせになっていますので、センセイの姿を見たことはありません。
 
    (リベル) あ、早とちりしました。これは「みなみ阿佐ヶ谷ビル」でした。Googleもまだ栄ビル正面までは行ってないようです。

それにしても、私んちのような、ど田舎の6メートル道路を、Googleさん何時走ったのか、近所の欅並木の具合から今年の冬だと言うことはハッキリ分かりました。凄い仕事をしますね、それにしても・・・(^^)(8.9 00:54)
 

ストリートビューの威力

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 8日(金)12時17分36秒
返信・引用  編集済
  実は自分ちも出してみました。ホンダだか外車だか見分けが付かないのが有り難い。ガレージの上の波板に大きな穴があいていたのを、直したばかりで・・・(^^)いつかご披露します・・・。

北風さんが見事な仕事をなさっているは、ここなのですね!!!
 

新・スシュルタ本集 その六

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 8日(金)04時05分51秒
返信・引用  編集済
  先日下に投稿したものを纏めてみました。実際には、Kaviraj 氏の英訳本で確かめないと断言しにくい(確かめても断言はしにくいのです。梵語の原典にも当たってみないと。当たっても分からない可能性が大きいですが)ので、10日ほど待たなければなりません。

それまでお待ちください、いやお待ちになる方は、いらっしゃらないような気がしています、が、構わないのです、いえ僻んでいるのではなく、オタクを自認しているからです(^^)。
 

こんばんは。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月 7日(木)18時20分29秒
返信・引用
  >「スシュルタ・サンヒター」の英語版、5000円チョットで買えるので、発注してしまいました。明石の県立図書館へ往復すると、一回で2000円ほど飛んでいきますから、今年何回目かの「清水の舞台からの飛び降り」です・・・(^^)

今、アマゾンを見ましたら、そのお値段のものはもうありません。
よいタイミングでお買いになりましたね(^^)。

>やっぱり飛び降りやあがった・・・そんな声が・・・聞こえますぞ・・・(^^)

あらら。聞こえました???
 
    (リベル) あ、本当ですね。4857円だったのです。同じ「 サウス・アジア・ブックショップ 」という店なのに4倍に跳ね上がっていますね。本当に良いタイミングでした。現地新品価格で69ドルとかですから、ボリ過ぎですよね(^^)(8.8 01:34)  

熊本日日新聞のハンセン病特集

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 7日(木)02時37分7秒
返信・引用  編集済
  気が付いたのは今なのですが、どうも8月から、紙面一新されたようです。

美しい紙面になりました。

思い立って昔のくまにち・コムを「Internet Archive」で呼び出してみました。文字化けしていますから「エンコード」で訂正してご覧ください。2001年5月1日の夕刊も読めます。


1998年7月31日16時頃、提訴のため熊本地裁に入る原告の方々(毎日新聞から無断借用)
 

Re: 余談:流す

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月 6日(水)12時17分40秒
返信・引用  編集済
  > No.3728[元記事へ]

ボートのオールの動きの見事な統一感を美しいと思ったことはありますが、オールの先の水の動き方、残された水輪が見事に同じ形をしていますね。こんなに美しいものだったとは。。。人間の愚かさを教えて下さるのはいつでも自然なのですね。
 
    (リベル) これが先日いらした白馬ですね。憧れの地の一つです。

私の知人が、三人言い合わせたように引退後を安曇の地に求めました。世話になった弁護士さん、高校時代の親友、大阪で毎日通ったスナックのマスターと、全く異種の知人なのですが。

一人は奥さんの故郷なのですが、二人は山男です。一度知ると引き付けられる、そんな素晴らしい自然らしいですね。良い旅をなさいました。羨ましい限りです・・・(^^)(8.6 12:38)
 

余談:流す

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 6日(水)01時46分12秒
返信・引用  編集済
  ボートは8人で漕ぎますが、疲れてくると手を抜く場合が有ります。それはオールを水に入れて引くだけで、殆ど力を入れないというやり方です。実際にはオールでしっかりと水を把握する(「水を掴む」と言いますが)と、両足と両腕だけで尻を浮かすほどグイッと引っ張るものなのです。力を入れないで漕ぐ振りをすることを「流す」と言います。

ある日、先頭の奴(「バウ」と呼びます―写真では一番手前)が流しているのに気付きました。下の写真でお分りになると思いますが、オールを水から抜くと水紋が残ります(写真の上方に6個見えています)。「流す」と何か水紋に違いが出るものなのです。度重なるので私は遂に「こらっ、バウ!」と怒鳴りました。打てば響くように帰ってきた言葉が良かった。「なんだよおっ」でも「うるせえ」でもなく、「よっしゃあっ!」だったのです。「ばれちゃったか。済まん。よし、頑張るぞ。」と言う気持ちがその一言から伝わって来ました。体力に劣り、非力な彼でしたが、以後流すことは無かったと思います。

最近の人達から、この「よっしゃあっ!」が聞けなくなって来ました。服部克久氏(対小林亜星氏)、森進一氏(対故川内康範氏)、槙原敬之氏(対松本零士氏)など、その一言があれば、潔かったのになあと思います。


潔い人と言えば、河野義行さんです。昨日奥様の澄子さんがお亡くなりになりました(心からお悼みを申し上げます)。事件以後、容疑まで受けながら、オウムをも恨まず憎まず、私の好きな言葉を使わせて頂くなら、受容と献身の日々を送って来られています。この人の存在が、送ってくるメッセージは実に大きい。先の三氏が送ってくるメッセージは、余りにも情けない・・・。


東北大のクルーです。勿論誰も流してはいません(^^)。2番(手前から2番目)のオールが撓っています。これが本当です。
 

Re: 趣味のサイトがお褒めを頂いて

 投稿者:北風  投稿日:2008年 8月 5日(火)12時33分13秒
返信・引用
  > No.3726[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 編者が死亡した場合は、親族が完成させます。ご容赦ください”

春秋左氏伝の大史の話みたいですね。
 
    (リベル) わあ、有難うございます。恥ずかしいことにこの話を全く知らず、今検索して読んできました。

そんな、使命感のような立派なものはなく、とても自分一人では、終わりそうにないと思って・・・

一番下に「Dedicated to my granddaughters ・・・」などと書いて、けしかけようと企んでいるのですが・・・さあどうなりますことですか・・・(^^;)(8.5 12.59)
 

趣味のサイトがお褒めを頂いて

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 5日(火)06時48分37秒
返信・引用
  「これが在野の一個人の仕事とは。“編者が死亡した場合は、親族が完成させます。ご容赦ください”なんかもう、すごいとしか言えない。まぁ、ネットで顕在化しただけで、こういう在野知自体が目新しいわけではないか。」

「人名歴史年表」がこんな風にお褒めを頂いて、出来の悪い我が子が校長先生に頭を撫でて貰ったような気分で、気もそぞろになって、ここに書いてしまいました。まあ見逃してやってください・・・m(_ _)m
 

Re: 新・スシュルタ本集 その五

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 5日(火)01時33分47秒
返信・引用  編集済
  > No.3723[元記事へ]

>(二)昨日こう書きました「「スシュルタ・サンヒター」にしか用いられていない言葉が、ここには沢山ある」。今から2600年ほど前、スシュルタ氏(後の学者のことは置いておいて)が、皮膚病についての研究結果を纏めました。大皮膚病七種と、小皮膚病十一種、計十八種の「癩病(皮膚病)―目次による」を自分なりに分類整理し、その諸症状を記したのが第5章(269ページ270ページ271ページ272ページ)です。
>
> そこで為された分類がどうの、記された症状を現在の「ハンセン病」や「皮膚病」と照合するとどうのなどと言うことは、余り意味のあることではないでしょう。医学は当然進歩しているのですから。「「スシュルタ・サンヒター」にしか用いられていない言葉が、ここには沢山ある」のは当然なのです。意味のない作業は飛ばしましょう。


言い換えれば、こういうことではないでしょうか。これらのサンスクリット語は「スシュルタ・サンヒター(Suṣr)」にしかなかった(精査すると、他にもう一書出典が記してある語が2〜3個有りましたが、省略させて下さい)のでしょう。モニエルさんは「Suṣr」の「癩病(皮膚病)」の所に書いてあるのだから、「a kind of leprosy」「a form of leprosy」で間違いは無かろうということで、自らを納得させて「梵英辞典」を編纂なさったのではないでしょうか。恐らくこの推測は、間違いないと思います。

そんなこともあって、「Sushruta Samhitā」の梵語の原典が読みたい、というか見たいのですが、Webcat検索によると、関西では京都大学 文学研究科 図書館だけが持っていそうです。明日電話してみます。

閑話休題:面白いものを見付けました。「アーユルヴェーダ《ススルタ大医典》もくじ」というものです。これはKAVIRAJ KUNJA LAL BHISHAGRATNAという人が原典から英訳したものを伊東弥恵治(千葉大学医学部教授/原訳)、鈴木正夫(千葉大学医学部教授/補訳)が和訳されたものですが、これによると「目次」から「癩病」の文字が完全に消えて「皮膚病」「皮膚疾患」になっているのです。ということは、Kavirajさんの英訳の段階で、「kuṣṭha」を「dermatosis」と判断したと想像されます。うーむ、先ずこれを探して読んでみます。イソイソ・・・(^^)
 

新・スシュルタ本集 その五

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 4日(月)02時04分51秒
返信・引用  編集済
  (一)ここで、重箱の隅をつつくようなことを、一つ書いておきます。

下の画像の4行目に「大皮膚病(mahākuṣṭha)」とあり、9行目に「大乾癬(mahākuṣṭha)」とあります。これは小さなことなのですが、自然科学を扱う「医書」に於いては許されないことだと思います。著者のミスか、訳者のミスか、印刷上のミスか分かりませんが、こういうミスは、全体に対する不信感を植え付けかねません。

(二)昨日こう書きました「「スシュルタ・サンヒター」にしか用いられていない言葉が、ここには沢山ある」。今から2600年ほど前、スシュルタ氏(後の学者のことは置いておいて)が、皮膚病についての研究結果を纏めました。大皮膚病七種と、小皮膚病十一種、計十八種の「癩病(皮膚病)―目次による」を自分なりに分類整理し、その諸症状を記したのが第5章(269ページ270ページ271ページ272ページ)です。

そこで為された分類がどうの、記された症状を現在の「ハンセン病」や「皮膚病」と照合するとどうのなどと言うことは、余り意味のあることではないでしょう。医学は当然進歩しているのですから。「「スシュルタ・サンヒター」にしか用いられていない言葉が、ここには沢山ある」のは当然なのです。意味のない作業は飛ばしましょう。

(三)271ページ↑、「小皮膚病」の症状の説明が終わった後、「白皮病(kilāsa)」について書いてあります。ここでは問題点が二つ有ります。一つは「kilāsa」を「白皮病」と訳してある点です。「モニエルの梵英辞典」(中央上辺)に、こう書いてあります。「(in med.)a species of leprosy(resembling the so-called white leprosy in which the skin becomes spotted without producing ulcers)Suṣr」。出典が「スシュルタ・サンヒター」としてあるので、頭が痛いのですが、良く読んでも「スシュルタ本集」から「皮膚に斑点が出来、潰瘍は生じない、所謂白癩に似ている」とは読み取れません。また、私が植木雅俊氏の訳で学んだ「法華経」での訳語「ハンセン氏病の白い斑点」とも異なっていることが、気に掛かります。

もう一つは、辞書によれば「白皮」という日本語が無いことです。「白皮」は大辞林には「先天的にメラニンが合成されず,皮膚・毛髪・眼球などにメラニンを欠く病気。」と書いてあり、その症状の個体を「アルビノ」と呼んでいます。しかし「白皮病」は検索してみると、どうも中国語のようで、魚類の病気として、その語があるようです。これは訳者である大地原氏にお尋ねしたいところです。誤訳なのではないでしょうかと。

(四)番外篇:272ページ↑の(25)を見て下さい。「婆羅門・婦人・善人を殺し、又は他人の財を奪う等の行為によりて悪病たる癩病を生ずと或人は曰ふ。」とあります。又、第4篇 治療篇・第9章 癩病(皮膚病)の冒頭に「或いは悪しき行為により或いは前世に造れる業によりて皮膚病起こる」とあるのです。これには驚きました。所謂「業病観」がB.C.600年のインドにに存在したのでしょう。これは今回の本筋とは関係有りませんので、また別の場所で取り上げたいと思っています。


では、今日はこれにて失礼します・・・(^_^)/~
 

妖しいトライアングル Re: 優曇華

 投稿者:北風  投稿日:2008年 8月 3日(日)06時42分23秒
返信・引用
  > No.3717[元記事へ]

あずきさんへのお返事です

>
> おいしいものは、お話聞くだけではつまらないです。

詰まんないところにばかり反応して、面白い話につなげないのは残念です。
 

新・スシュルタ本集 その四

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 3日(日)01時27分54秒
返信・引用  編集済
  今日は「小皮膚病」です。余り意味がないと言っていないで、もう一頑張りします。

sthūlāruṣka  sthūlā=large ruṣka=不明(aruṣkara=causing wounds の誤綴?)
mahā=great
eka=eka-kuṣṭha(,Suṣr)(右中程)
carmadala=a slight form of leprosy(,Suṣr)
visarpa=erysipelas(,Suṣr)=丹毒
parisarupa=circumambulate=歩き回る
sidhma=white-spotted
vicarcikā=cutaneous eruption(,Suṣr)=皮膚の発疹
kiṭima=a kind of leprosy(,Suṣr)
pāmā=a kind of skin disease,herpes,scab(,Suṣr)=疱疹、かさぶた
rakasā=a form of leprosy(,Suṣr)

こう調べて来て、「Suṣr=スシュルタ・サンヒター」を出典とするものが多いことに気付き、全部調べ直しました。今から「大皮膚病」に戻って、そちらも総チェックします。今調べました。二つ有りました。他の単語は一般名詞なので、やはり「梵英辞典」が如何に「スシュルタ・サンヒター」に出典を依存しているかが分かります。逆に言えば、「スシュルタ・サンヒター」にしか用いられていない言葉が、ここには沢山ある、と言えるのではないでしょうか。何か、私の結論を補強する材料を発見した気がします。やはり「意味」は有ったのです。

それこそ、少し暖めて、頭と気持ちの中で醸造期間を置いて、結論に向かいたいと思います。今日は、これで・・・m(_ _)m
 

なあんだバカバカしい・・・!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 3日(日)01時21分48秒
返信・引用  編集済
  私はここに書いていて、「これ前に書いたなあ、何時だっけ?」と探すことが良くあります。上↑の【過去ログ(2005.1.1〜)】も記録だけでなく、一発検索を目的として作りました。これは確かに効果は高いのですが・・・

最近この下↓の[ 検索 ]に気付いて(書いているときは「下」でしたが、投稿後は「上」でした、ご免なさい)、試みました。「ロードマップ委員会」を試したところ「2007年2月7日」以降で46件ヒットしました。綺麗に全文が読めます。こんな機能を知らなかったなんて、恥ずかしい・・・本当に・・・(^^;)

ただしここの保存機能は2000件までですから、現在2007年2月1日以降しか保存されていません。2005年1月1日以降は、上の【過去ログ(2005.1.1〜)】をご利用ください。今日は上↑だの下↓だの、上を下への忙しい一時でありました(゚ー゚)(。_。)(゚ー゚)(。_。)(゚ー゚)ウンウン
 

これはひどい・・・絶句!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 3日(日)01時00分32秒
返信・引用
  ↑上の【リベルの "Clear File"】をご覧ください。「和名類聚鈔」関連というフォルダがあります。昨日ふと気付きました。一度クリックすると色が変わりますが、このフォルダはクリックされていません。で、見ると、何と良く出来ています。かなり時間が掛かっています。

私は、自分で運営(?)していながら、フォルダの共有とか、ファイルの共有とかいうことの意味を、実は良くは知らないのです。どなたかが作って、追加してくださったと感謝しました。お知らせ頂いていないし、ここに書いて謝意を表し、名乗って頂こうと思いました。私の癖を良く承知してくださっている。フォントや「#000073」まで、そっくり違和感の無いように作って頂いています。

私は、でも念のため「ホームページビルダー」のファイルを調べてみました。「wamyouruijuusyou」というのを見付けたときは、ホッとするより、ゾッとしました。「疥癩」「癘」「白癜」を探し出すのは、一苦労です。「白癩」が無いかと再調査してみて、大変さが分かりました。などと言っている場合ではないのです。これを作って、「Clear File」に放り込んだ記憶が、完全に脱落しているのです。

認知症は進行しています。ゾッとして絶句しました・・・笑い事で済まされなくなって来ましたぞ(^^)

「和名類聚鈔」
 

鮑、伊勢海老、薄羽蜉蝣、エビのフライ、お刺身

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 3日(日)00時37分15秒
返信・引用
  こう並べると、これは何でしょう?

はいご正解、ア・イ・ウ・エ・オでした(^^)

恐い話と言えば、蟻地獄は薄羽蜉蝣の幼虫だと知った時、中学生だったでしょうか、こんな世の中に生れてこなければ良かったと思ったのを思い出しました(^^;)
 

Re: 優曇華

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月 2日(土)21時01分31秒
返信・引用  編集済
  > No.3716[元記事へ]

> おいらは。ウスバカゲロウの卵と思っていました。
> その上、ウスバカゲロウは、「薄馬鹿下郎」と書くのかと。

お馬鹿さんですね。それから「薄」に過敏反応しないでね(^^)。

おいしいものは、お話聞くだけではつまらないです。
こわいお話は、聞くのもこわい(^^)。
 

Re: 優曇華

 投稿者:北風  投稿日:2008年 8月 2日(土)17時58分41秒
返信・引用  編集済
  > No.3715[元記事へ]

> ★クサカゲロウの卵。楕円形の粒で、緑色、のち白色に変わる。

おいらは。ウスバカゲロウの卵と思っていました。

その上、ウスバカゲロウは、「薄馬鹿下郎」と書くのかと。


鳥羽に行ってきました。仕事ですが、夕飯は商工会議所会頭の招待で、会頭が経営する魚介の店で、伊勢えび、鮑の地獄焼、お刺身、車えびのフライその他、豪華でしたな。

あのあたりは、島田等さんの故郷でもあるが、名張に江戸川乱歩、熊野に南方熊楠、鳥羽に岩田準一、県境の愛知県側の蟹江町には小酒井不木なんどが出て、おどろおどろしい探偵小説やら男色研究やら、なにやら妖しい三角地帯です。
 

優曇華

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 8月 2日(土)15時17分10秒
返信・引用  編集済
  「優曇華」は、花の名前という認識しかありませんでした。
改めて調べました。ありがとうございました。

★「優曇」は梵語 udumbara の音訳「優曇波羅」の略。

★クワ科イチジク属の落葉高木。ヒマラヤ山麗、セイロン、ミャンマー、スリランカ分布。花は壺状の花托の内面に生じ、果実は食用。花が外部から見えないところから、仏教では三千年に一度花が咲くといわれ、花の咲く時は金輪王(こんりんおう)が出現するとも、また、如来が世に現れるとも伝えられる。三千年に一度咲くとされていることから、きわめてまれなことに出あうことのたとえ。

★バショウの花の異名。(夏の季語)

★クサカゲロウの卵。楕円形の粒で、緑色、のち白色に変わる。糸状の細い柄の先に垂れ、草木・器物・天井などに群がってつき、花のように見える。吉兆とも凶兆ともいわれる。うどんげの花。
《―にかざす仏の灯をかりぬ/富安風生》

あらら。花なのか?虫なのか???
 

新・スシュルタ本集 その三

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 2日(土)02時06分16秒
返信・引用  編集済
  昨日までの所は「サンスクリット語の「らい」」の最後の方にまとめました。

今日は「第2篇 病理篇・第5章 癩病(皮膚病)」に取り付きます。下の画像のようにここでは皮膚病を「大皮膚病(mahākuṣṭha)」7種と「小皮膚病kṣudrakuṣṭha」11種に分類しています。それぞれ梵語が付してありますので、先ずそれを訳していきます。恐らく今夜中には出来ないと思いますが。

mahā=great
kṣudra=minute
aruṇa=red
āuḍumbara=Ficus glomerata=うどんげ=優曇華
ṛiṣya=antelope  jihvā=tongue
kapāla=part
kākaṇaka=a kind of leprosy,Suṣr(スシュルタ・サンヒター)(中央下段)
puṇḍarīka=lotus flower(参考:saddharmapuṇḍarīkasuutra=妙法連華経  sad=正しい dharma=法 puṇḍarīka=白蓮 suutra=経典 )
dadru=tortoise(左上6行目:dadru-kuṣṭha  n=中性、id=同じくSuṣr(スシュルタ・サンヒター)、ⅱ,5=第2篇第5章←出典が記してあります)

余り意味がないです、この作業。楽しいですが・・・。


続きは明日・・・(^^)
 

新・スシュルタ本集 その二

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 8月 1日(金)02時02分50秒
返信・引用  編集済
  前回は目次の中で、第4篇治療篇の第9章と第10章を取り上げました。それぞれ「癩病(皮膚病)」「重性癩病(皮膚病)」となっている事についての不審です。

今日は先に進もうとして、目次の中の見落としに気付きました。下の画像の、第二篇病理篇の第五章「癩病(皮膚病)」です。こちらの方が前回よりも明確に、他に「皮膚病」を扱った章がないことが分かります。「癩病(皮膚病)」が「皮膚病」全体を指していることになります。これはオカシイでしょう。

そこで「第五章癩病(皮膚病)」269ペジを開くと、こうなっているのです。「皮膚病の病理」=「kuṣṭhanidāna」となっています。「nidāna」=「pathology」(この辞書で「nidAna」と入れてください。「モニエルの梵英辞典」(左の上から2行目)には一義しか出ていませんでした。)「kuṣṭha」=「皮膚病」と言うことになります。

では続く270ページ以下はどう書かれているか?

270ページ271ページ272ページそれぞれこうなっています。

なお最後の272ページの上から6行目に「茲に詩頌あり」と書いてありますが、「詩頌」は梵語で「シュローカ=śloka=hymn of praise (このページの右の中程。「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」などの「讃歌」に当たります)」です。「インド伝統医学入門p.35」に「『チャラカ・サンヒター』は散文部分でウパニシャッド的対話を行っても、各章の最後では必ず「さてここにシュローカ(韻文の一形式)がある」という言葉で韻文を導入して総まとめを行っている。」と書いてありますが、最初にご紹介した269ページの第四章の最後にもこの言葉があるところを見ても、「チャラカ・サンヒター」だけでなく「スシュルタ・サンヒター」も同様だと言うことが分かって面白いです。272ページのその部分は、確かに「総まとめ」になっていますでしょう(^^)。面白くもない、だいたい読む気が起こらない・・・うーん・・・今日はここまでにします。
 

びゃくらい・しらはた・しろなまず

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月31日(木)01時08分54秒
返信・引用  編集済
  スシュルタさんもエッチラオッチラやっておりますが、今日は少し趣向を変えてというか、同時進行で「囈語」を申し上げている、標題について、気になっていたことを調べてきました。こちらでは「和名類聚鈔」で「白癩」「癘」「疥癩」「白癜」を探して、読めない漢文に挑戦しています(高校の時漢文は1学期「2」で、発憤して3学期には「5」になったのですが、やはり素人の域です)。

現在の国語辞典で調べた結果はこちらに纏めました。家にある古語辞典を開いていたら、20年以上前のものであるためか、全く何も出ていないので、先日岩波の古語辞典を買いました。「びゃくらい」だけ出ていました。今日敢行したことは、盗み読み筆写です。紀伊国屋の川西店というのがあり、ここはまあ「岩波文庫」は全部揃っているほどですから、かなりの店なのです。「古語辞典」は計19冊有りました。一社で三冊出しているところもありますが、一応全部調べました。今紀伊国屋のサイトでチェックしました。「講談社」だけが欠如しています。

犯行内容は「びゃくらい」「しらはた(け)」「しろなまず」「けらい」の4語の盗み読みです。2時間弱掛かってしまいました。結論は誠にあっけなくて、「びゃくらい」が2点有っただけ、他は皆無、でした。「三省堂新明解古語辞典」と「ベネッセ古語辞典」です。纏めて「びゃくらい」と「しらはたけ」に追加しておきました。

双方似たような語義でしたが前者のを書いてみます。

 @色が白くなるハンセン病
 A「そむけば白癩になる」という意味から誓い決心の言葉。「商ひ馬に乗らんとは、―ならぬ、ならないぞ」歌舞伎・「矢の根」


さあ、これで大体データは揃いました。「白癩」は「しらはた」か「びゃくらい」か?「日本書紀」の注を鵜呑みにして良いのか否か?


その前に「びゃくらい」「しらはた(け)」「しろなまず」「けらい」、「白癩」「癘」「疥癩」「白癜」のいずれが、そして何時何処に書かれたものが「ハンセン病」なのか?

さあ、これはまた2〜3週間寝かせて、ラッセルさんが「幸福論」に書いていた「無意識」に解決を委ねるとしますか・・・(^^)


最後の8行です。尻切れトンボでご免なさい。次の頁は「発見する。」で終わります。
 

「付属研究室」とは口幅ったい!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月31日(木)00時10分32秒
返信・引用
  「スシュルタ本集」のことを今書き始めていますが、先程起きる前にベッドでウトウト考えていました。これって「研究」か?と。「戯言(たわごと)」ではないが「譫言・囈語(うわごと)」に近いぞ、と。大辞林によれば・・・

@病気で熱の高いときなどに無意識のうちに口走る言葉。 「熱にうかされて−を言う」
A筋道の立たない言葉。たわごと。 「いつまで−を言ってるつもりだ」

となっています。まさにピッタリではないか。と言うことで「付属研究室」などという生意気な看板はサッサと下ろして、「余聞・囈語」という看板に掛け替えました。「余聞」は辞書によれば・・・

 ある事について,本筋ではないが,あまり知られていない話。こぼれ話。余話(よわ)。 「学界−」

だそうですから、まあこの辺が妥当ではないでしょうか。まあ余り熱にうかされないように、気を付けますが・・・(^^)以上看板掛け替えのご報告でした。どこにそういう看板が掛かっていたかご存じない方の方が多いようなので、申し添えますが、トップページの目次の最下段です。お見知りおき下されれば有り難く存じます。ここに「うわごと」が並んでおります(^^)。
 

新・スシュルタ本集 その一

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月30日(水)03時13分25秒
返信・引用  編集済
  > No.3707[元記事へ]

> しかし、不審・疑問は放置できません。私は気が進まないと言うか、当初の意気込みはかなり薄れてきたのですが、とにかく淡々と疑問を列挙することにしました。著者や訳者に対する敬意は人後に落ちるものでないことだけは明記しておいて、さて、「アラサガシ」を開始することにいたします。

ということで、先ずその一。下の画像をご覧ください。この目次の続きもご覧頂かなければいけません。このようになっています。

私が不審を覚えたのは、第4篇治療篇の第9章と第10章です。それぞれ「癩病(皮膚病)」「重性癩病(皮膚病)」となっています。その各章の叙述がどうなっているのかは、改めて後に述べるとして、この目次だけを取り上げても、「皮膚病」の扱い方が納得できません。第1章と第2章に「」が取り上げられています。「瘍」も皮膚病の一種でしょう。続きの目次を見ても他に皮膚病らしきものはありません。

これに関連してこのページ(第一篇総説篇・第38章薬物の分類)をご覧ください。〔28〕のところに「癩性皮膚病」があり、〔29〕のところに「癩病」と「皮膚病」が有ります。

症状を基準に分類した「治療篇」と薬効を基準にした「薬物の分類」ではこういう齟齬が生じてもやむを得ない、と大目に見るとしても、大勢の学者のチェックが入ったにしては「如何なものか」と首を捻ってしまうのは、私だけでしょうか?


始めに申し上げたとおり、余り愉快な作業ではありませんし、読んでいて楽しい話でもないことは十分承知しています。ほかに二つ三つ有るのですが、今日のところはここまでにしておきます。又明日、余り面白くない話の続きをいたします。タイトルで判断して、飛ばしてください・・・m(_ _)m
 

「再発防止のための提言(第1〜8)」に関する取組状況のあり方についての疑問から生じる厚生労働省に対する不信感

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月29日(火)01時25分57秒
返信・引用  編集済
  内容に相応しい標題に挑戦してみました。

先ず、最初にお詫びを申し上げておきます。既に私自身は「ロードマップ委員会(ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会)」の「議事次第」や「議事録」や「資料」を全部読む気力を失っています。取り敢えずフォローは怠らないようにするが、もうお付き合いできない、お読みになりたい方はどうぞ、という投げやりな気持ちになってしまっているのです。これは厚労省や多田羅委員長他委員の方のせいではありません。私の怠惰のせいです。もしその為にご迷惑をお掛けするようでしたら、お詫びします。


大体「ロードマップ委員会」と言うのは何なのでしょう?正式名称通り「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づいて国の犯した失政やそれによって助長された差別・偏見の再発を防止するためにはどうすれば良いかを検討する会なのだと理解しています。


ここに「「再発防止のための提言(第1〜8)」に関する取組状況」が詳細に説明されています。はい、やはり貴方も読む気が起きない、なるほどそうでしょうとも。ま、兎に角6月5日にこうして一度原点に立ち帰っていますよと、厚労省はそれが言いたいのでしょう。それだけ読み取れればよいのだと思います。この頁にある12個の参考資料は如何ですか?面白そうでしょう。

ところが見逃してはいけないのは、「参考資料3:「患者・被験者の権利擁護のあり方」検討に関する資料」と「参考資料4:「疾病のつくる差別・偏見の克服、国民・社会への普及・啓発」検討に関する資料」の二つなのです。

「患者・被験者の権利擁護のあり方」を検討するワーキング・グループの第一回会合は既報の通り7月11日に開かれました。そして第二回会合が明日30日開かれます。ちなみにこのことは、昨28日、厚労省のHPに発表され、傍聴の申し込み締め切りは今日29日です。さすがに官僚は仕事が速いですね。一方「第1回「疾病のつくる差別・偏見の克服、国民・社会への普及啓発」を検討するワーキンググループ(ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会)」は明後日開かれます。ちなみに・・・もう止めます・・・。

実り多き会合となることを祈って止みません。7・8・9月の3カ月「ワーキンググループ」の会合を開き、10月に第14 回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会を開いて、各ワーキング・グループからの検討結果の報告を受け・・・以下こちらに予定の詳細があります。

まあお暇な方は、「第13回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」がどこへ消えたのか?それは何故か?などを推理なさると、いくらか暑さが凌げるかも知れません。そしてこの国の将来を思うとき、背筋の寒さが一層涼を増してくれることでしょう(^^)
 

グルメの領分

 投稿者:北風  投稿日:2008年 7月28日(月)12時28分47秒
返信・引用  編集済
  > 折角美味しそうな鮎の塩焼きをチラリと見せておいて、おや、気が付くと卓上に無い。いついかなる段階で、futureの訳語として、誰によって定着させられたのでしょう。ヒョッとして北風さんもチラリと見ただけだったのかも・・・。

グルメの領分は、美味しいものを目にすると、その味を想像してツバを飲み込む純粋な美食家と、はてどんな素材とどんな工夫でこんなに美味く料理できるのかと考察してしまう食通と居て成り立っているんですね。

先生のお話を伺いながら、さて、現在、巷間使われている(あるいはついこの間まで使われていた)癩は、仏典の「癩」と全くおなじ意味なのだろうか。あるいは、「癩」の文字を借りていわゆるハンセン病を表現するようになったのではないか? その可能性はないのか、などと考えてしまったのでした。
 
    (リベル) >さて、現在、巷間使われている(あるいはついこの間まで使われていた)癩は、仏典の「癩」と全くおなじ意味なのだろうか。あるいは、「癩」の文字を借りていわゆるハンセン病を表現するようになったのではないか? その可能性はないのか・・・

まさにそれこそが、根元的で、私の追求しようとしている問題です。ドン・キショットさんもそれを主張しておられます。

率直に言うと、それに対する正確な答は出ないだろうと思っています。ただ、真の「ハンセン病」と「白癩」や「癩」との同定は不可能としても、「業病」視しているか否かの判断辺りから、「差別観」の発生の時期・キッカケは掴めるのではないかと、そう思っています。「日本らい史」に書かれている「業病観」は外面的な捕え方で、即実的な分析を伴っていないので、これは性根を据えて取り組まなければいけないと思います。しかも結論を期待せずに・・・(^^)(7.28 18:23)
 

続続続・スシュルタ本集

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月28日(月)02時04分25秒
返信・引用
  スシュルタ本集、スシュルタ本集と騒ぎながら一向に書き出さないのは実は由無しとしないのです。

理由の第一は「スシュルタ本集」巻頭の大地原豊氏の「亡父と『スシュルタ』」を読んだことによります。誠玄氏は例えば薬草の学名一つさえ決して蔑ろにしなかった。色々文献を漁って同定に努め、正確な学名を確保するや「有ったぞーっ!」と大声を上げて雀躍したと記しておられます。自分が「オタク」人間であるせいで、特にこういう話には弱い。これが理由の一つです。

もう一つの理由。「インド伝統医学入門」で確かめるとB.C.600年頃にスシュルタが体系化に着手したが、結局完成したのはA.D.4世紀頃であり多くの医学者が見直しを重ねていることが分かります。私は或るケースは大地原氏の翻訳のせいではなく、スシュルタ自身が医学用語の使い方を間違ったのではないかと訝ったりもするのですが、800年間もかけて完成した大書にそんな愚かしいことが有りうるだろうかと思い始めたのです。スシュルタにも、関わった多くの医学者にも、とても失礼な話ではないかと。

しかし、不審・疑問は放置できません。私は気が進まないと言うか、当初の意気込みはかなり薄れてきたのですが、とにかく淡々と疑問を列挙することにしました。著者や訳者に対する敬意は人後に落ちるものでないことだけは明記しておいて、さて、「アラサガシ」を開始することにいたします。後刻または後日こちらで開始致します。その前に「譬喩品第三」の中の、取り上げていなかった二つの「疥癩」について「サンスクリット語の「らい」」に修正を入れなければいけません・・・。
 

本日

 投稿者:北風  投稿日:2008年 7月27日(日)22時42分36秒
返信・引用  編集済
  某大先生にお会いしましたが、座るや否や「未来」の語源はなんだとお問いになる。きっと、当方の浅学を暴く危ない罠が仕掛けてあると、おそるおそる「仏教用語では・・・」と言いかけたらそれをさえぎって、「確かに仏教で言う三世のひとつではあっても、現在の日本語として使われている「未来」と、仏教で言う「未来」は意味が違う。現在の意味は、futureの訳語である。したがって、仏教用語だといって済ませたのでは、「日本語」としての語源を言うことにはならぬ。いついかなる段階で、仏教用語を借りてfutureの訳語として「未来」が定着したかをいわなくては、国語学的に「未来」の語源を言うことにはならぬ。然るに大方の学者は、仏教用語だといってすませて、それ以上追求しようとはせぬ。しかし、日本語を研究するということはそういうことである。かの白川静などは「漢字学者」であっても「日本語」を知らぬ。
余は、こうした間違った日本語学にすこし学問がわかってから50年警鐘を鳴らし、己も少しばかりは成果もあげたが、大方の学者は余の言うことに耳を貸さぬ。余が如何に一騎当千の意気と決意を持っても、現実には孤軍奮闘、一人ではいかんともしがたい。
しかも既に傘寿を過ぎ、残る時間もない。

と言いながら4時間余の独演を一人で拝聴するの贅沢な時間を持ち、大いに励まされ少し疲れて帰ってきました。
 
    (リベル) 4時間余の独演ですか・・・。何とも羨ましい限りです。良い時間をお持ちになりましたですね(^^)

折角美味しそうな鮎の塩焼きをチラリと見せておいて、おや、気が付くと卓上に無い。いついかなる段階で、futureの訳語として、誰によって定着させられたのでしょう。ヒョッとして北風さんもチラリと見ただけだったのかも・・・。

白川静ファンとして一言。「日本語を知らぬ」は正しいかも知れないと、私も思っています。しかしそれで良いのです。最高にして最大の「漢字学者」であれば・・・(^^;)(7.28 00:48)
 

「大正新修大蔵経」の威力

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月27日(日)01時32分0秒
返信・引用  編集済
  昨日触れた「大正新修大蔵経」の検索窓に「癩」を入れて検索するとこのページが出ます。22まで有るということは、少なくとも600個以上「癩」が使われていることになります、全経典の中でです。

「2」をクリックするとこのページが出て、ここに「妙法蓮華経」が三行見付かります。このうちの二行目は一行目の一部分なので、省きます。一行目に「疥癩」が有って(3 hits)と書いてあります。そこの[show]をクリックすると、このページが出ます。

ここには、これまで取り上げた「疥癩癰疽」の他にその前に2個の「疥癩」が有ります。これを私は取り上げていなかったのです。三行目の[show]をクリックすると、このページには、これはお馴染みの「此人現世得白癩病」があります。さてでは取り上げていなかった、二つの「疥癩」を料理しなければなりません。

取り上げていない「疥癩」を植木雅俊氏の「法華経」で見るとこうなっています。前後を良く読むと「犬」や「野干」の身体の状態を指しているのです。

モニエルの梵英辞典のこのページ左下をご覧ください。「kaṇḍulā」は「itching」とあります。そして「kaṇḍakāś」については、植木氏は注(p.273)でWT.(荻原・土田本)では「kuṇṭhakāś=stupid」となっているとして「身体に障害のある」と訳し、さらにその訳語に注(p.274)を付けて「鳩摩羅什はkaṇḍu-(疥癬)の派生語として解釈したようだ」 と記しています。まあ、恐れ入りました、と言う他はありません・・・ (o_ _)oパタッ!
 

快挙!モニエル梵英辞典完全ゲット!

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月26日(土)01時17分5秒
返信・引用  編集済
  「妙法蓮華経」に「癩」と言う文字は何個出てくるか?「普賢菩薩観発品第二十八」と「譬喩品第三」だけで、計二個と思い込んで話を進めていたのですが、「大正新脩大蔵経」には優れた検索機能があることを思い出して、アレコレやっていて、例の奥田正叡氏の「仏教とハンセン病」を読み直していたのですが、その内に梵英辞典で確認したいことが出て来て、ナニヤラやっているウチにヒョッコリ変な画面が出て来ました。何と神戸の図書館で見た、そして何枚もゼロックスを取った懐かしい映像だったのです。

「モニエルの梵英辞典」は完全に電子化されていたのです。勿論無料で!!!ここの右下をご覧ください。「kushṭha」が有ります。私の苦労は水泡に帰しました。こと「梵英辞典」に関する限り・・・嗚呼!!!


web上の入り口はこちらですが・・・。そして一番下の方に「List of Works and Authors」「Abbreviations」も有ります。もうこれで神戸行きの必要はなくなりました・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!それにしても1340頁以上の厚い辞書を完全に映像化して、無料で公開するとは、大した英断ではあります。(゚ー゚)(。_。)(゚ー゚)(。_。)(゚ー゚)ウンウン

もし実際にお使いになるときは、「アルファベット順」ではないので、一番下の「Dict.Order」をご活用ください。「至れり尽くせり」に出来ていますでしょう・・・(^^)「リグ・ヴェーダ」はこんな釈義になっています。左の中程です。興味は尽きませんが、今日はこの辺で・・・(^_^)/~
 

(無題)

 投稿者:大蛇  投稿日:2008年 7月24日(木)20時33分35秒
返信・引用
  > ミャンマーの後進性は、そんなところにも顕れているのですね。知りませんでした。こちらに「世界のハンセン病」を纏めています。最近のヴェトナムの話も出ています。ご参考までに。(7.24 12:12)

どうもありがとうございます。
 

毎日あついですね

 投稿者:大蛇  投稿日:2008年 7月24日(木)08時21分40秒
返信・引用  編集済
  毎日暑いですね。
>ハンセン病患者の入国を禁じてきた中国政府が22日付で、この方針を撤回していたことが分かった

わたしも新聞で読みました。日本だけでなく、他のアジアの国々においても差別が根強く残っています。リベルさんはご存知だと思いますが、ミャンマーでは多くの人がハンセン病を感染力の強い病だと思っている人が多いと記されていました。食堂への立ち入り禁止や、タクシーの乗車拒否が公然と行われているみたいです。日本だけでなく世界においても差別が解消されるよう、啓発が必要だなと思いました。
 
    (リベル) ミャンマーの後進性は、そんなところにも顕れているのですね。知りませんでした。こちらに「世界のハンセン病」を纏めています。最近のヴェトナムの話も出ています。ご参考までに。(7.24 12:12)  

中国、ハンセン病患者の入国禁止を撤回

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月24日(木)00時05分13秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病患者の入国を禁じてきた中国政府が22日付で、この方針を撤回していたことが分かった。在外大使館に患者へのビザの発給を認めるよう通知したという。ハンセン病患者の入国禁止は今年6月、北京五輪組織委員会が外国人向けの「法律指南」の中で公表。これに対し、日本の市民団体などが「無理解に基づく差別だ」と批判していた。」(朝日新聞)

経緯

朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 日経新聞 共同通信系各紙 日刊スポーツ


追記:経緯の中に「日本ハンセン病学会の声明」が追加してあることに、お気付き頂けたでしょうか。数日前に見付けて慌てて挿入したものです。どこのメディアも取り上げていなかったのだろうと思います。別件で「日本ハンセン病学会」のサイトを訪問していて見付けました。色々なところが声明や要望を出しましたが、「偏見や差別を助長する」「一般の人々の誤解を招き、新たな偏見や差別を生む」ことを危惧しているのは、ここだけです。これは必要な意見表明だと思います。他の団体は医学の専門家集団に一本取られたのではないでしょうか(^^)
 

こんにちは。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月23日(水)12時20分35秒
返信・引用
  「二十四節気」というのは、陰暦によるもので、それを太陽暦に置き換えながら、その日を決めていますから、「大暑」は22日とも23日ともなるようです。時間が決められていたとしても、それは断定できるものではないように思いますが。

それから「ベストセラー」=「良書」の時代は終わりました。今の(特に若い)読者は本の売上ランキングから選ぶようですから。わたくしたちの青春時代のように、よき先輩から薦められたり、偶然出合ったりという、未知の本との幸福な出会いはないように思います。
 
    (リベル) どうも22日が「大暑」であるようですね。22日〜8月6日と書いてあるサイトもあったようですがやはり一日に決めましょう。

本当に、良い本との「幸福な出会い」は嬉しいものですが、それも滅多にないから、嬉しさもヒトシオなのでしょうね。あずきさんのこのコーナーでは、良い本に出会うことが出来ます。皆さんも是非一度ご訪問ください(^^)(7.23 12:38)
 

余談:世界のダンディー

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月23日(水)05時25分42秒
返信・引用  編集済
  先週の土曜日、16時頃見る番組が無くて探していたら姜尚中氏が出ていたので、丁度今彼の「悩む力」を読んでいるし、何か不思議な話をしているので、最後まで見てしまいました。今検索したら、どうやら4月の再放送のようです。或るブログからコピペしたもので、紹介します。

「奥田瑛二のほか、姜尚中、鹿島茂。高橋源一郎、佐野史郎、ピーター・バラカンがそれぞれの部門での「ダンディ」を選び、ダンディズムを語る。 最終的に残ったのは、マルチェロ・マストロヤンニ、マイルス・デービス、サルバドール・ダリ、エドワード・サイード、金子光春。」

で結局エドワード・サイード氏が選ばれました。 その人を知らなかったので、勉強しなければダメだなあと思ったのは置いておいて、姜尚中氏に失望した話を書きます。「悩む力」に出てくる横文字が分からなくて何度か辞書を引いたのですが、その中の一つが「アンビバレンス(両価性・両面価値)」でした。姜尚中氏は番組中で、そう多くない発言の中で、その言葉を使いました。そういうのを私は「なんだ」と思う方なのです。

もう一つは、腹の奥から出てくるような良い声のことです。彼はそれを十分知り尽くしていて、その上まさにインテリ風の美しい話し方をしました。難しいことを分かり易く少し工夫して話しているのが聴き取れました。そういうのも「好かん」方なのです。

「悩む力」を今読み終えるところですが、読み進むにつれてつのっていた不満の正体が分かったような気がしました。話の内容が、薄っぺらなのです。ドスンとボディーに効く濃いもの、熱いものが無い。この人は本当に悩み苦しんだことがあるのだろうかと思わせるように、言い換えれば苦しみの跡を見せないように、工夫された形跡も見当たりませんし。

では文明時評かというと「現在の愛」や「高齢化社会」を取り上げても、冷徹で新鮮な分析があるわけでも無し、鋭い突っ込みがあるわけでも無いのです。


「熱い心」を読み取ることが出来るかも知れないと期待して、もう一度読んでみます。マックス・ウェーバーや漱石をここまで読み込んだ頭脳の持ち主が、既に20万部を売っている本です。私が読み損なっているのかも知れませんから・・・(^^;)
 

大暑

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月22日(火)21時21分32秒
返信・引用
  暑中お見舞い申し上げます。

今日も暑いですね。
リベルさん、あまり無理をしないで研究をなさってくださいね。
 
    (リベル) 知らなかったのですが「大暑」という二十四節気は「こよみのページ」によれば昨日のしかも20時という、時間まで決まっているのでしょうか?

暑いわけですね。お元気でお過ごしください(^^)

美しい木槿を有難うございました・・・m(_ _)m(7.23 01:43)
 

続続・スシュルタ本集

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月22日(火)04時13分25秒
返信・引用
  >ましてや差別発生の根元追求の目的からは離れる一方ですから

と懸念していました。昨日の昼頃歩きに出る前に書き殴ったことが、目を覚ましてくれました。お恥ずかしいことにドンドン本筋から逸れて行きかけていたのです。『邦訳に見る「kustha」と「kilasa」』というタイトルも『サンスクリット語の「らい」』に改めました。中味を大幅に修正しています。まだ「スシュルタ本集」には取り付いていません。

あと2週間ほどで立秋です。今のうちに申し上げておきます。

    暑中お見舞い申し上げます。

本当に暑い日が続きます。どうぞお身体にお気をお付けくださいますよう・・・_(._.)_
 

続・スシュルタ本集

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月21日(月)12時43分15秒
返信・引用  編集済
  「スシュルタ本集 」の第4篇「治療篇」の目次には、「第9章 癩病(皮膚病)」「第10章 重性癩病(皮膚病)」と記してあります。これだけ見ても、変だなあと思うのですが、更に第9章第10章、それぞれの出だしの部分に見逃せないことが書いてあります。

今は第9章についてだけ書きます。

「(前略)或いは悪しき行為により或いは前世に造れる業によりて皮膚病起こる。」

「スシュルタ・サンヒター」が書かれたのはB.C.600年頃とされています。「妙法蓮華経」が書かれたのはA.D.2世紀頃、鳩摩羅什によって漢訳されたのはA.D.400年頃です。「らいの業病観」について「日本らい史」のp.6に、「法華経」「日本霊異記(822年)」「今昔物語集(1120年)」を引用して詳しく書いてあります。

以上、問題提起だけに留めさせて頂いて、炎天下歩きに出かけますので、お楽しみください・・・ちっとも楽しくなんか無いぜ・・・ごもっとも・・・暑い、暑い、ふーっ・・・(^^;)
 

スシュルタ本集

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月21日(月)05時14分16秒
返信・引用  編集済
  いよいよ問題の核心に入りますが、この形では皆さんがお読みになりづらいと思い、また自分の読み込みも兼ねて、テキスト化しました。

昨日ご紹介した、他の邦訳の場合と比べて、「なるほどそうか。これはオカシイ」と皆さんの賛意を得たいための懸命の努力であります(^^)。

本当は、症状の実際を熟知した上で、記述(大地原誠玄氏の訳文)を検証するべきだと承知していますし、実際そういう行動に出るかも知れませんが、しかしそれは今は曖昧な表現に留めておきます。これは下手をすると「スシュルタ本集」を訳しにかかる羽目になるかも知れませんので・・・。


要点だけ漏らしておきますと、「kuṣṭha」を「癩病」と扱っているのか「皮膚病」と扱っているのかがハッキリしない点が一つ。もう一つは「kilāsa」を「白皮病」と訳してある点です。「白皮病」は現在では国語辞典には無いのです。体風素、膽汁素、粘液素などの当時の分類は兎も角、「皮膚病ではない」とされているのも良く分からないところです。まあ、これらが詳らかになったからと言って、他の翻訳を見直すことになるわけでなく、ましてや差別発生の根元追求の目的からは離れる一方ですから、もういい加減にしておきます。「乗りかかった船」から降りられないだけ・・・?かな・・・?

大地原誠玄氏の偉大な訳業にケチを付けたがっているのではないのですが、不明確なものは、確かにしておきたい。それだけのことです。それ以前の訳は、正確に整理できているのですから・・・(^^;)
 

新・邦訳に見る「kustha」と「kilasa」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月20日(日)03時36分42秒
返信・引用
  最終段階に入ります。「スシュルタ本集」におけるこの二つの語の訳し方はオカシイのではないかという、私の好きな「あら探し」です。

でもオカシイものはオカシイのですから、異を唱えて当然でしょう。まあ、年寄りの妄語かどうか、一応は耳を貸してみてやってください。二日ほど歩きながら煮詰めます。今はその直前まで出来ました。さあ、どうなることか・・・(^^;)
 

新しい過去ログを作成中

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月20日(日)01時14分57秒
返信・引用
  このBBSは2000の投稿を保存します。2005年の元旦からスタートしましたが、今ここに残っているのは2007年1月29日以後のものだけです。それ以前のものは【過去ログ】として上↑に保存してありますが、これはサイズを小さくするために、写真やリンクを無視しました。今思うと残念なことですが、後悔先に立たず、です。

それで現在有るものは出来るだけそのままの形で残せるよう着手しました。上の過去ログと重複する部分はその内に整理しますが、取り敢えず2007年1月29日以降を確保しました。以後暇な折りに追加する予定です。疲れたときや頭が呆けているとき用の作業です・・・(^^)
 

WHO疫学週報トピックス

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月19日(土)23時00分40秒
返信・引用
  「WHO疫学週報トピックス」というのが出ています。神戸大が毎週訳してくれています。6月13日版が出ました。特筆すべきことは何もありませんが。

原文やバックナンバーはこちらにありますからどうぞ。遅くとも来月には2008年の状況を知らせてくれる筈です。
 

余談:趣味の「人名歴史年表」が・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月19日(土)06時56分8秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病のリンク集」をアップしたのは2001年の9月です。熊本地裁判決の5月11日がまた、たまたま弁護を担当していた次女の誕生日だったので、誕生祝いにしようと作り始めたのですが、間に合わず、で。

その4年後です、「人名歴史年表」の形の歴史を横に切るというか、そう言う年表が欲しかったので自分で作り始めてしまいました。

なんとそちらの方の視聴率(?)が高くて、遂に昨日「ハンセン病のリンク集」を追い抜いてしまいました。今現在で547,709と547,451です。

アクセス解析を見ると、ウィークデーは9時台に一挙に数百のアクセスに跳ね上がるのです。この現象は土日には見られないので、どうも学校で使われているのではないかと、思われるのです。現在手を抜いていますので(と言うか梵語が忙しくて^^)、少し力を注がないといけません。


例えば7月15日の場合・・・
 

Re: 削除完了

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月18日(金)22時49分29秒
返信・引用  編集済
  > No.3688[元記事へ]

コメント有難うございました。

 リベルさんの言葉でおぼろげながら、Wikipediaに書く指針がつかみかけています。

 恵楓園の盆踊り歌は 菊池恵楓園の方に移動する方法もあると思われます。実は、各園の独自の楽しみ方(カラオケ)がある一例としてかいたのですが、楽しみ(カラオケ)の方は消されてしまいました。それで移動することも躊躇しています。

 私は宮古島にいた時は、入所者にまじって、多いときは週2回カラオケを楽しんでいました。社会交流はカラオケが一番と思いますが、そんなことは書けないので、不自由ですね。独自の意見のようですから(笑)。

 (ま、それで消されたらしい)(という意見もある、も、ダメ?)

 Ichiro
 

Re: 余談:カイツブリの赤ちゃん

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月18日(金)15時00分9秒
返信・引用
  > No.3685[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

わ。かわいいですね。浮き巣の卵は見かけよりもたくさんあったということですね。
「ピンボケ」はともかくとして、すでにムービーに挑戦なさっていらっしゃるので、
リベルさんの意欲には脱帽です。リベルさんのお散歩風景と「足元(^^)」を拝見
致しました。
 
    (リベル) 浮き巣の第一回の孵化は2羽だったのです。昨日でしたか、どうもあちらの方が騒がしいぞと思って見に行ったら、なんと2度目の産卵・孵化だったのです。

驚くべき生命力というのでしょうか、ボンヤリ観察している己が叱られたような気がしました・・・(7.18 18:37)
 

削除完了

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月18日(金)07時44分29秒
返信・引用
  いろいろご心配かけた、Wikipedia日本のハンセン病ノートの削除依頼は、依頼して丁度1週間後、完了しました。履歴もきれいに消されており、消したという説明もありました。削除依頼であり、著作権侵害という文字はありませんでした。

 ペコリ Ichiro
 
    (リベル) 拝見しました。サッパリしましたですね。

『独自研究』云々の文言が見られますので、私の受け取り方を申し上げます。例えば、「人物」や「トピックス」の選定に際して、果たして「百科事典」という観点からの妥当性・均質性に配慮が為されているかと言う意味ではないかと愚考しています。

難しいことではありますね。私のように、自分のサイトを開かれたら如何ですか。言いたい放題、書きたい放題ですよ。そんなことはないか・・・(^^;)(6.18 12:15)
 

ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会「患者・被験者の権利擁護のあり方」第1回

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月18日(金)07時43分16秒
返信・引用  編集済
  ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会「患者・被験者の権利擁護のあり方」第1回が開催されました。こちらで議事次第や資料が読めます。

「患者・被験者の権利擁護のあり方」と「疾病のつくる差別・偏見の克服、国民・社会への普及啓発」にグループ分けされていますが、「患者・元患者の権利擁護のために差別・偏見を絶滅する」のですから、「動機」と「行動」を分けるのも変な話だと、私は思います。2001年に作るグループならともかく・・・(^^)

大体、「被験者」って何なのでしょう?お医者さんにだけ分かる言葉なのでしょうか?3月14日の第11回会議から登場したようですが、妙な言葉ではないでしょうか?「資料1:「患者・日賢者の権利擁護のあり方」検討に関する資料」はまあご愛嬌としても・・・。
 

余談:駅前のバス停から

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月18日(金)03時37分25秒
返信・引用  編集済
  駅前で毎日15時頃、こんな風景を眺めながらバスを待っています。

最後のカットは失敗です。1990円で買ったばかりのリュックを膝の間に置いて居ます。

40メガもあるので、DLに時間が掛かります。オマケにおそらく「QuickTime」を備えている必要があるようなので・・・ええかげんにせえ、と言われそうで・・・(^^;)

色々インターネットの使い方にトライしておりますので、ま、いい加減にあしらっておいてくださいませ・・・(^^)
 

余談:カイツブリの赤ちゃん

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月18日(金)03時11分49秒
返信・引用  編集済
  昨日まで気がつかなかったのですが、新しい赤ちゃんが今度は5羽孵りました。両親と、先に生れた2羽(これはもう単独行動をとっています)と、新しい5羽と、全員を画面に収めることは、先ず不可能なのでご免なさい・・・ピンボケだあ・・・(^^)  

日本の司法

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月17日(木)18時45分2秒
返信・引用  編集済
  日本の司法は行政に屈している。そう思わざるを得ません。検察庁の調査活動費の裏金流用の三井環氏が最初でした。それから記憶にあるのは鈴木宗男氏、佐藤優氏、そして今度の村岡兼造氏です。

いや誰かが嘘を言っている。簡単に人を疑ってはいけない、信じてもいけない。でしょうけど、今書いた四人は、「検察」の間違いだと、どうしても思わざるを得ないのは、私だけでしょうか。「検察」を検察する機関は日本には有りません。怪しいときがありました。その時は数時間の差で三井氏を拘束して、証拠を全て隠滅してから三井氏を解放しました。そしてそのことを追求しようとするメディアは、一つとして有りませんでした。これが、今の日本です。

大学を出たばかりの世間知らずの、つまり社会勉強を全くしていない子供達が、司法試験に合格し、判事・検事・弁護士になっていく現実を、私は目の当たりにしています。いけないのは行政だけではありません。そういう制度に目をつむったままで、警鐘を鳴らそうともしない、メディアもいけません。判事も検事も官僚です。やはりゴルヴァチョフ氏が言ったように、国を滅ぼすのは「官僚の腐敗」なのかも知れません。


だからといって、私の頭はコチコチなのではないのですよ。大分県の教育委員会をめぐる「教員採用」の話。点数で合格していなくて、情実や操作で合格した人を、全部洗い出して不採用にしようということのようです。まあしかし、その中には、点数で合格していた人より、先生として人として、上等の人が居るかも知れない、それは忘れ去ってはいけない部分だと思っているのです・・・。

検察批判をしたら、これは絶対に勝てません。「不当逮捕」「冤罪」それは叫べども叫べども、空を切るだけだと言うことは、皆さんもご承知の通りです。物言えば唇寒しとやら・・・私が変死・急死をしたら、まあ一応は疑ってくださいな。あの世から、見ていますぞぉ・・・(^^)
 

Re: 新たな火種

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月17日(木)04時45分32秒
返信・引用  編集済
  > No.3644[元記事へ]

> ドンドン話を進めるつもりなのですが、で、チョイト「kilāsa」(下の画像です)を覗いてみました。「mfn」は「略語表」から形容詞だと、これは良いのですが、問題は「VS xxx,21」です。止せばよいのに火中の栗に手を出してしまいました。「List of Works and Authors」で調べたら、右上のマーカーです。
>
> 「Vājasaneyi Saṃhitā」と言うのはどう読んで、どんな意味なのかサッパリ分からず、辻直四郎著「印度文明の曙」を探したら、有りました。「ヤジュール・ヴェーダ(参照)」の一部の「ヴァージャサネーイ・サンヒター」とやら申すものだそうです。
>
> 私が学んだ基礎知識では、先ず「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュール・ヴェーダ」の”三ヴェーダ”が有って、後に「アタルヴァ・ヴェーダ」が加えられて”四ヴェーダ”と称されるようになったのですから、「ヴァージャサネーイ・サンヒター(V.S.)」は「アタルヴァ・ヴェーダ(A.V.)」の先輩と言うことになります。しからば「kilāsa」は「A.V.」が初出ではなく「V.S.」が初出であり、年代は更に昔へ遡るのではないか?


チョット、他のことが忙しくて、放置していました。実はこれは私には非常に大きな問題なので、興味津々なのですが、サンスクリット語の原文が見付かりません。もう少し、探してみます・・・(^^)
 

続・リグ・ヴェーダの「kilasa」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月16日(水)05時15分52秒
返信・引用
  と言うわけで、「リグ・ヴェーダ」には「kilāsa」の語は有ったものの、意味は「斑点のある羚羊」であり、また「kuṣṭha」は見当たりません。「植物」としても出て来ません。(いろいろ物色したのですが、現在のところ無しです。)

今進めている「邦訳に見る「kuṣṭha」と「kilāsa」」は従って、このように纏めることにしました。「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」以下は、これまでここに書いたことを写して、少し手を加えれば出来上がりです。

ただ、まえに書いたように「結論」が些かタダナラヌものになる予定ですので、結論を書いた後のことが心配になってきました。放り出して、あの世へ逃げて行く、という手も有りますが・・・(^^)
 

リグ・ヴェーダの「kilasa」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月15日(火)01時49分35秒
返信・引用  編集済
  モニエルの梵英辞典の「kilāsa」の所↓には1番目に「leprous」があって、2番目に「a kind of spotted deer(discribed as a vehcle of the Maruts)―ある種の斑点のある鹿(マルト神の乗り物として書かれている)」とあり、出典として「RV.v,53,T」と書いてあります。

これは「リグ・ヴェーダ第5巻、讃歌53、1行目」です。梵語の「リグ・ヴェーダ」には

「ko veda jānam eṣāṃ ko vā purā sumneṣv āsa marutām  yad yuyujre kilāsyaḥ

英文の「リグ・ヴェーダ」には

「Who knows the birth of these, or who lived in the Maruts’ favour in the days of old
What time their spotted deer were yoked?」

と書いてあります。

残念ながら辻直四郎氏は、この「讃歌」を訳して居られません、というか岩波文庫には収載して居られません。ただこのページから、類推する他はないのです。しかしこの類推は、確かなものだと私は思います。しかし、「ハンセン病」を意味するものとしては、「kilāsa」も「kuṣṭha」も「リグ・ヴェーダ」には今のところ登場してきませんし、もう登場することはないと思います。

ついでに、3番目の定義は「a white leprous spot,AV.i,23,T」となっていますが、これは既に私が「ハンセン病の最古の記録」で取り上げたとおりです。


モニエルの梵英辞典の「kilāsa」です。
 

余談:悩ませる力

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月14日(月)12時25分7秒
返信・引用  編集済
  姜尚中さんの「悩む力」を読んでいたらこんなことが書いてありました。

「トルストイの『人生論』の中にこんなエピソードが紹介されています。
あるところに水車小屋で粉ひきをしている男がいました。彼は自然の恵みの中で朝から晩まで一生懸命働いていたのですが、あるとき水車のメカニズムに興味を持ちます。そして、水車が引きこまれてきた川の水によって動いていると理解すると、今度は川の研究に熱中してしまい、気がついてみれば、本来の仕事である粉をひくことを忘れてしまっていた―というものです。」

賢明な読者の方は、私が書こうとすることを既に読み取ってしまわれたかと思いますが、あえて書きますと・・・

「ハンセン病」の歴史を朝から晩まで一生懸命調べて纏めていたのですが、あるとき仏典の中の「癩」に興味を持ちます。そして仏典はそもそもインドでサンスクリット語で書かれたものであると理解すると、今度はサンスクリット語の研究に熱中してしまい、気がついてみれば、本来の仕事である歴史を調べることを忘れてしまっていた―――のが、今の私であります。

とは、本当は思っていないことに、賢明な読者の方は既にお気付きだと思いますので、これ以上はあえて書きません・・・(^^)
 

「厚労省はネットカフェ?」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月14日(月)11時39分11秒
返信・引用  編集済
  厚生労働省で、官用パソコンを用いてゲームやお笑いなど業務と関係のないホームページ(HP)閲覧が1日に約12万件もあったことが12日、分かった。年金や後期高齢者医療、医師不足など厚労行政が批判を浴びるなか、多数の同省職員が職場を“ネットカフェ”状態にし、HPで遊んでいる実態が明らかになった。(7月13日産経新聞から)

ここへも、たまにお見えになっていますね。何でしたらお二人の機種(extfproxy.mhlw.go.jp ⇒ 211.123.198.239 & 211.123.198.207 )を上司にお知らせしましょうか。まあ、ここならアダルトサイトやゲームと違って、「情報収集」やら「民情視察」やらとまあ一応逃げ道は無くはないですね。「お役目ご苦労様」とでも申し上げておきますか・・・(^^)
 

余談:映画「敬愛なるベートーヴェン」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月13日(日)02時29分14秒
返信・引用
  エド・ハリス(はるみではなく)は好きな俳優の一人ですが、この変身(メーキャップと演技)にはシャッポを脱ぎました。それは兎も角、私の長年の迷妄が一挙にすっ飛んでしまう名ゼリフが出て来て、感動しました。

The vibrations on the air are the breath of God speaking to man's soul. Music is the language of God. We musicians are as close to God as man can be. We hear his voice, we read his lips, we give birth to the children of God, who sing his praise. That's what musicians are.

字幕は・・・

音楽は空気の振動だが―神の息吹だ
魂に語りかける 神の言葉だ
音楽家はもっとも神に近い存在だ
神の声を聞く 意思を読み取る
神をたたえる子供達を生み出す
それが音楽家だ


日本画家の小泉淳作氏がこんなことを言ったか書いたかしています。(参考

「…山と向き合い夢中になってその姿を写している時、不思議な思いに捕らわれることがある。今自分は曼陀羅を描いているのではないか?人間の想像力では及びもつかない自然の造形の素晴らしさに接しながら、その遙か向こうに、この自然を造り出したものの存在を感じてしまう。それが自分にとっての神なのかもしれない。」

こんな言葉を探している頃の私は、定年後俳句の会を作って研鑽し合っている友人に「俳句って17個の平仮名の組み合わせにすぎない、コンピューターに全ての組み合わせを出させれば”しずけさやいわにしみいるせみのこえ”も出てくるんだから」などと言って顰蹙を買っていたのです。

「俳句は文字の羅列だが・・・」
「音楽は空気の振動だが・・・」

やはり芸術は、宇宙の秩序(リズム)の再現だという私の芸術観は、正しいのかも知れません・・・(^^;)
 

Re: 余談:おやすみの挨拶

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月11日(金)13時24分36秒
返信・引用  編集済
  > No.3676[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

では、女性の立場から辛口のお答えです。
リベルさんのこれまでのお話や書き込み時間から推察いたしますと、リベルさんの生活リズムに合わせて、リベルさんとともに長くお過ごしになっていらっしゃる奥様のご苦労を思いますと、「よい子」は当然のことと思います(^^)。暴言多謝。

これは奥様へのプレゼントです。
 
    (リベル) ご明察!です。婉曲に、ズバリ正鵠を射られました。カーブしてストライクです。

正しくその通りでして、私は死に際に連れ合いに言う言葉を決めていて、時折口ずさんでおります。間違いなく、呂律が回らなくても伝えられるように。

「我が儘させて貰った。ごめんね・・・(ご臨終)」

美しい白百合を有難うございました・・・(^^)(6.11 17:45)
 

余談:おやすみの挨拶

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月11日(金)04時40分15秒
返信・引用  編集済
  「ほんなら、もう寝るわ。」で連れ合いの肩を抱えて白髪頭に頬を寄せながら「あんたもよい子して、はよ寝なよ、はいおやすみ。」

惚気るような年でもないし、読んでいて吐き気を催させては申し訳ないのですが、これが定番になっていることを淡々と報告しているのです。

この言葉遣いは、何弁でもありません。関西弁はもっと綺麗です。私の父は丹波、母は山城ですから、それがごちゃ混ぜになった「我が家弁」というのが正確でしょう。奇妙な言葉です。

もっとも、純正の「標準語」、生粋の「江戸弁」、ベタベタの「大阪弁」、それが美しいかどうかは別の問題です。祇園の舞妓さんの言葉も含めて・・・(^^)

追記:ここで終わると、私の「定番」が美しいと主張しているように受け取れるので慌ててそうでない、単なる告白であり、皆様にお楽しみ頂こうと考えてのサービス精神の表れだと付け加えておきます。それに四捨五入したら七十の婆さんに「よい子」でもありますまい。少しでも、お読みになった方の頬が緩めば本懐です。
 

ハンセン病差別撤廃決議

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月10日(木)18時19分25秒
返信・引用
  ハンセン病差別撤廃決議 59カ国賛同に感無量

「日本財団」「前会長曾野綾子氏」「笹川陽平会長」のご努力に敬意を表します。が、この方達を「支援者」と呼ぶことに抵抗を覚えます。

私は「支援者」ではない、「アルコール・ランプ」を灯し続けているだけだと前に書きましたが。
 

Re: Ichiroさんへ 

 投稿者:FREEZA  投稿日:2008年 7月10日(木)13時50分57秒
返信・引用
  > No.3670[元記事へ]

問題の投稿はWikipedia:削除依頼/ノート:日本のハンセン病問題 において削除を依頼しております。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:FREEZA

 
    (リベル) よくは分かりませんが、兎に角「Wikipedia」さんの内規の問題の解決方法のご説明かと思います。

お手数をお掛けしますが、私にとっては曖昧にしたまま放置できる問題ではありませんので、よろしくお願いします。(6.10 18:03)
 

Re: Ichiroさんへ 

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月10日(木)08時58分41秒
返信・引用
  > No.3671[元記事へ]

了解です。削除第1段階に移ります。
 遅れた理由はアカウントをとっているパソコンの場所です。
 Ichiro
 

余談:「後期高齢者」が姿を消しました

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月10日(木)03時30分59秒
返信・引用  編集済
  厚労省のHPを見ていて感心したことがあります。「長寿医療制度が始まりました」と題して・・・

「長寿医療制度は、75歳以上の方々に「生活を支える医療」を提供するとともに、長年、社会に貢献してこられた方々の医療費をみんなで支える「長寿を国民皆が喜ぶことができる仕組み」です。」


「ヘンシーン」と言う奴ですね。官僚さんは、こういう技をどこで覚えるのか、あまりの鮮やかさに感動を覚えて、ついお知らせしたくなって・・・(^^)
 

Re: Ichiroさんへ 

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 9日(水)21時53分36秒
返信・引用
  > No.3670[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> Ichiroさんへのお返事です

 了解しました。そういたします。
 
    (リベル) いま覗いてきましたが、未だのようですね。よろしくお願いします・・・m(_ _)m(7.10 03:15)  

Ichiroさんへ 

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 9日(水)18時12分39秒
返信・引用  編集済
  > No.3669[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事です

>  実は、日本のハンセン病問題のノートの中の質問でしたが、リベルさんのコメントの一部をリベルさんと断って引用することをお許しください。


Ichiroさん、 「日本のハンセン病問題のノート」を拝見しました。

率直に申し上げます。できればあの転載は削除してください。私の考え方に異同が有る訳では有りませんが、発言の場によって、心構えというものが有ります。読者の範囲が限られた、或る程度基礎知識のしっかりした「ハンセン病の落書き板」の読者の方達に話すのと、そうでない人達に対して話すのとでは、当然説明の仕方が異なってきます。それにあの転載の仕方は叙述の正確さを欠くので、その面でも困惑します。

これはIchiroさん、何とか削除をしてください。「非人」について今まで繰り返した通り、私は未だ勉強不足であり、ですから極力発言を控えています。その辺をお汲み取りの上、「削除」をお願いします。私が「ノート」で発言する意志の無いことは既に申し上げたと思いますが、その積りは有りません。また夜中に良く読んで判断しますが、取り敢えず、あの「転載」は削除をお願いします・・・m(_ _)m
 

Re: Ichiroさんへ Re: 質問よろしく:

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 9日(水)12時39分33秒
返信・引用  編集済
  > No.3648[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事です

リベルさんへのお手紙です。

 実は、日本のハンセン病問題のノートの中の質問でしたが、リベルさんのコメントの一部をリベルさんと断って引用することをお許しください。

 Ichiro
 

Re: 続・邦訳に見る「kustha」と「kilasa」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 9日(水)02時00分8秒
返信・引用  編集済
  > No.3631[元記事へ]

1)梵語辞典では
>
> @「漢訳対照梵和大辞典」から「定義」を拾いました。
>
> 【kuṣṭha】梵和大辞典
>
>  @〔男〕〔中〕[植物の名、学名 Costus Speciosusまたは Costus Arabicus]:[漢訳]青木、廣木香(梵漢対訳仏教辞典)
>
>  A〔中〕癩病:[漢訳]癩、悪癩、癩病、瘡癬、白(又は悪)癩、大麻風(根本説一切有部毘奈耶皮革事〔唐義淨〕の一部、妙法蓮華経〔後秦鳩摩羅什〕―『0016a04:水腫乾痟 疥癩癰疽 』―大正新脩大蔵経より)
>
> 【kilāsa】梵和大辞典
>
>  @〔形〕癩病の
>
>  A〔中〕癩病の白斑點;癩病(の一種)[漢訳]胎毒(梵漢対訳仏教辞典)
>
> 【citro bhaviṣyati】(成語です)(梵和大辞典
>
>  @致癩病
>
>  A得白癩病[漢訳]妙法蓮華経〔後秦鳩摩羅什〕―『0062a20: 此人現世得白癩病。 』―大正新脩大蔵経より)
>
> 注:〔男〕〔中〕〔形〕はそれぞれ〔男性〕〔中性〕〔形容詞〕の略です
>
> A「梵英辞典」の定義は・・・。
>
> 昨日は図書館へ行けなかったので、「梵英辞典」の方は今日か梅雨の晴れ間に行ってきて追加します。


と書いて、画像では二度に分けてご紹介しましたが、読みにくいものでした。今回「モニエルの梵英辞典」のオンライン版「Monier Williams Sanskrit-English Dictionary (2008 revision)」の使い方が分かったので、「kuSTha」で検索してみました。


kuṣṭha(オンライン版ではスペルはこちらです。何故かは分かりません。)

@mn. (fr. 1. ku + stha Pa1n2. 8-3 , 97) the plant Costus speciosus or arabicus (used as a remedy for the disease called takmán) 【AV. Kaus3. 35 R. ii , 94 , 23 Sus3r.】the plant Saussurea auriculata
Am. (= kakundara) cavity of the loin [Comm. ; but perhaps = kúṣṭhikā]【 VS. xxv , 6】
Bm. = kúṣṭhikā (taken as measure equal to " one-twelfth ") 【MaitrS. iii , 7 , 7】
Cn. leprosy (of which eighteen varieties are enumerated , i.e. seven severe and eleven less so) 【Sus3r. Bhartr2. i , 89 Katha1s.】
Dn. a sort of poison 【L.】   (【】内は出典です)

「kilāsa」も加えて、読みやすく整理したものがこれです。先日の画像と比較してご覧頂くのも一興かと思って・・・。
 

はい、了解しました

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 8日(火)22時00分42秒
返信・引用
  リベルさん、つまり、私は「この板」の基本姿勢に反する行為をしている、ということのようですね。私の以前の投稿も削除させていただきたいのですが、
リベルさんの丁寧なレスがついています、どうしましょうか?
 
    (リベル) ドン・キショットさん、有難うございました。

いえ、「この板」の基本姿勢に反していたら、無言で削除させて頂きます。ただこの場合は、私が「使用頻度や表現態様」に注意して行きたいと申しているに拘わらず、同じようにお書きになったので、不本意ながら削除させて頂きました。

日頃一方ならぬお世話になっているドン・キショットさんに、このように不愉快な思いをさせたことは、心からお詫びしなければなりません。申し訳ありませんでした・・・m(_ _)m(6.8 22:43)
 

ドン・キショットさんへ Re: (無題)

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 8日(火)17時35分39秒
返信・引用  編集済
  > No.3664[元記事へ]

ドン・キショットさんへのお返事です

> ●さて、細川涼一氏の前掲書からのつづきですが;[2008年 7月 8日(火)14時04分23秒投稿]


かなり長文のご投稿を頂いたのですが、これは私の「「非人」などの言葉の、使用頻度や表現の態様に慎重すぎるほどの配慮が必要だと言うことを、言外に言いたかったのです。」という言葉を全く無視したものと判断したので、削除させて頂きました。
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 8日(火)16時43分14秒
返信・引用
  ○7月6日キショット投稿中の;

「葛川明王院文庫」弘安十年(一二八七)十月十二日付「清原恒重等起請文」には、「上件之仏神之仏罰神罰於、毎各身八万四千毛穴罷蒙天、現世ニハ山かたいの身となり来世には無間大地獄に堕天無出期」の文言がみえます。

の部分ですが、これは『中世民衆の生活文化』のp.255に出てきます。
リベルさんのお手許に発注本が届きましたら、ご覧になってみてください。

○「年表 日本のハンセン病」では、江戸時代(1603〜1868年)の項に「かたい」の呼称を挙げておられますが、1287年に「山かたい」がはいるかもしれませんね。
 
    (リベル) いろいろとお心遣い有難うございます。

しかし、私にも私の信念と方針が有りますので、なかなかご希望には添えないかも知れません。悪しからずご了承ください(^^)(6.8 17:24)
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 8日(火)13時49分29秒
返信・引用
  ○たとえば、ケガレとキヨメについていえば、私は、「ケガレ」と「キヨメ」という対立する二項ではなく、「と」を「即」と言い換えてもいいような、すなわちケガレとキヨメは二項対立から成るものの対立を克服統一し秩序を回復維持する、いわば文化装置として機能していたであろうと思っています。
(これについては、宮田登氏の「差別観念・ケガレ意識を考える」に、江戸時代の東日本の部落に保存されていたという『長吏由来書』が紹介されていて、それを宮田氏は、人類学者もびっくりするようなすごいこと――世界は「長」と「吏」によって統一できるというようなことが書いてある――と、言っています。)
かつて非人は、葬送に(特権的に)関与し、墓穴を掘り、人の遺体処理を行い、斃牛馬の屍体処理を行っていましたが、それは、一般人(普通の人)が与ることのできない生と死の境界に関与し、死の穢れに触れながら、かつ同時に死穢を克服浄化し、(世界を)常態に復せしめる職能であったということでしょう。
江戸時代、民衆の非人への差別観念は非常に強まったと思われますが、浅草弾左衛門は自分の職能について誇りさえもっていたのではないかと思われるふしもあり、「非人」という語を歴史的に醸成されたマイナスのイメージの一面でのみ捉えることも、ある意味では誤謬といえるのではないかと、私は思っているわけなのです。
ですから、もともとはケガレとキヨメが対を成す概念であったとして、それが時代が降るにしたがってケガレ観、不浄観を強めつつ一般民衆の非人への差別観念をより一層強固なものにしていった過程を、いってみれば、私は非人の側からながめてみたいのです。

そして、その場合に、
「ドン・キショットさんが障害を持つ人であるか否かで左右される問題ではないと思います。」と言われても、ちょっと困ってしまうのですが…。
*たとえば、らい詩人集団の人たちに、「らい」という表現には慎重すぎるほどの配慮が必要だ、とおっしゃいますか?
 
    (リベル) もし、問いかけていらっしゃるのでしたら、お答えはこうなります。

私の書いたことを、良くお読みになった上で、問いかけてくださいね、と。(6.817:15)
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 8日(火)12時18分19秒
返信・引用
  >(リベル) ドン・キショットさん、ホッとしました。

リベルさん、私自身、世が世なら、たとえば一遍上人絵詞伝第三巻第一段の絵でいうならば、非人不具者の輪の中に居て供養を受ける側に位置する存在なのです。今の世のこととして表現はダイレクトでないにしろ、差別にでくわすことも決して稀ではありません。ですから、不具者・癩者への差別は、私自身の問題でもあるわけなのです。

(私は、自分と同じ障害をもつ人たちの団体には属していませんから、いってみれば、散在非人、孤立非人のようなものですね。)
 
    (リベル) ドン・キショットさん、私が言葉足らずだったのかもしれません。少し丁寧に言えばこういうことを言いたかったのです。私は「非人」という言葉が元患者さんに与える印象を懸念しています。それは正しい解釈ではないからです。だから「その事実を扱うときは、あくまで「その誤謬を正そう」というのが私の、そして「この板」の基本姿勢なのだと言うことを、お話ししておきたくて」と書きました。

「非人」などの言葉の、使用頻度や表現の態様に慎重すぎるほどの配慮が必要だと言うことを、言外に言いたかったのです。これはドン・キショットさんが障害を持つ人であるか否かで左右される問題ではないと思います。

私のその牽制が、ドン・キショットさんの発言を抑制するのではないかと心配していました。しかし、すぐレスを頂いたので、その心配が杞憂であったことを知り「ホッとし」たわけなのです。これでお分り頂けたでしょうか・・・如何でしょう???(6.8 12:38)
 

Re: ドン・キショットさん、Ichiroさんへ

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 8日(火)05時04分13秒
返信・引用  編集済
  > No.3660[元記事へ]

ドン・キショットさんへのお返事です

鎌倉時代が一つのポイントかもしれません。患者が発生すると本人と家族が相談し相当の金品を添えて、非人宿にひきとられ、非人長吏の管轄下にはいるとあります。(全患協運動史、横井清の「中世民衆の生活文化」(東京大学出版会)の孫引き)当時既にピラミッド型のハイアラーキーができていたのかもしれません。
ハンセン病患者は葬送に参加するそうで、本妙寺の歴史を調べていた時に、明治時代から昭和の初期か、よくわかりませんが、患者に葬儀の旗持ちという珍しい仕事をする人がいたとあり、あれ、なるほどと今納得しました。

白らい非らい説が有力になってきましたかな。最初の文献はやはり、らいではないと思います。ところで、どの時代から、らいがらいと認識されていたのでしょう。上の記載をみると鎌倉時代は、らいと認識していたようです。おそらくらいがらいと認識されたのは、家族から追っ払われた時ではないかと思います。記述といったら、なんと言っても令義解でしょうか。これは古いですね。
 
    (リベル) >なんと言っても令義解でしょうか。これは古いですね。

Ichiroさん、もう少し私のサイトも覗いてやってくださいな。「年表 日本のハンセン病」の冒頭に「法華経」「日本書紀」「日本霊異記」など古い記録を集めています。「令義解」の解説もコーナーが設けてあるのですから・・・(^^;)(6.8 11:16)
 

Re: ドン・キショットさん、Ichiroさんへ

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 8日(火)04時26分37秒
返信・引用
  > No.3659[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

(…略…)
> 他でもない、ドン・キショットさんも話題に上せられる「日本書紀」の「白癩(しらはた)」を取り上げます。前から「三つの白癩」がどうのと言っているその件なのです。この日本書紀の叙述を熟読玩味すると、この「路子工」は「ハンセン病」ではなかったのだろうと考えられます。これは私の押しつけでしょうか?もしそうだったら、ご免なさい。これは「法華経・普賢菩薩勧発品第二十八」に出てくる「白癩」であって、梵語の「kāyaścitro bhaviṣyati」、英語では「a spotted body 」、植木氏訳「法華経」では「斑点が生ずる」なのです。(参考:法華経の中のハンセン病
>
 (…略…)
> ドン・キショットさん、これを読んで続編が投稿しにくくなりましたか?そんなはずは無いですね。お待ちしています・・・(^^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○リベルさん、『日本書紀』に出てくる路子工が癩(ハンセン病)だったとは、もちろん、私も考えていません。ですから、後に「白癩(しらはた)」が「白癩(びゃくらい)」といわれ=「癩」とされてからも、その「癩」が、はたして現在の医学用語でいうハンセン病であるかどうかは極めて疑わしい、というか、現在の医学用語でいうハンセン病に合致する疾患を含むとしても、それ以外の体表面に斑点/斑紋などの変化の現れる慢性の皮膚病なども多く含んでいたであろうと思っています。
しかし、歴史的に見ますと、(あたってみた極僅かな資料のみでも、少なくとも13世紀には、卑賤観、現報観が定着し、癩者は非人集団の中でも最も低い位置に置かれていたように思われます。では、いったいどのような経過をたどって、そのような差別観念が中世民衆レベルで醸成されるに至ったのかを、私なりに少しでも追ってみたいということなのです。
 
    (リベル) ドン・キショットさん、ホッとしました。

>いったいどのような経過をたどって、そのような差別観念が中世民衆レベルで醸成されるに至ったのかを、私なりに少しでも追ってみたい・・・

是非また研究の結果をお知らせください。「中世民衆の生活文化」定価では5,670円しますが、古書のサイトで1,575円で見付け、直ちに発注しました。今日は辻直四郎著「リグ・ヴェーダ讃歌」が着く予定です。下の「kilāsa」の画像に「RV.v,53」と有るでしょう。神様の乗り物の意味のようですが、「リグ・ヴェーダ」にも「kilāsa」の文字は有ったのです。ああ忙しい忙しい(^^)(6.8 06:57)
 

ドン・キショットさん、Ichiroさんへ

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 8日(火)01時54分50秒
返信・引用  編集済
  「ハンセン病」と「穢れ」についての私の基本的なスタンスはどういうものかと言うことを、お話ししておきたいのです。「「ツァラアト」から「leprosy」まで」と言うのを以前に纏めました。これは日本の話ではないのです。しかし、お読み頂ければ分かるように、この文章で基調としているのは・・・
@「ハンセン病」という医学上の病気に「ツァラアト」以来の聖書由来の「穢れ観」やそれを取り除くための「祭事性」が取り憑いてしまったこと、
Aそれは聖書の翻訳に際しての誤訳や、昔の医者達の誤解・早とちりなどが原因であること、
Bそれが現在もなお、患者さんを理由無く虐げていること、なのです。

都合のよい話をしてついでに今の「オタク状態」を弁明しているように受け取られると、大いに困るのですが(内心ではバレタかと思っている?)、私が歴史について細かいことを穿り返しているのも、あくまで歴史が積み込んできた誤謬を排除する為なのです。話を分かり易くするために、極秘裏に暖めているネタを開陳しますと・・・

他でもない、ドン・キショットさんも話題に上せられる「日本書紀」の「白癩(しらはた)」です。前から「三つの白癩」がどうのと言っているその件なのです。「ハンセン病」の最古の記録としてよく引き合いに出されています。この日本書紀の叙述を熟読玩味すると、この「路子工」は「ハンセン病」ではなかったのだろうと考えられるのです。これは私の押しつけでしょうか?もしそうだったら、ご免なさい。これは「法華経・普賢菩薩勧発品第二十八」に出てくる「白癩」であって、梵語の「kāyaścitro bhaviṣyati」、英語では「a spotted body 」、植木氏訳「法華経」では「斑点が生ずる」なのです。「ハンセン病」ではありません。(参考:法華経の中のハンセン病

長いこと暖めていたネタを今夜ここでバラしてしまいました。日本に於いても「ツァラアト」が引き起こしたような、誤解、誤認識が知らず知らずのうちに累積して、1907年「癩予防ニ関スル件」を契機とする強制隔離政策を産み、支えてきたのではないでしょうか?


「非人」を大辞林で引くと・・・

@〘仏〙 人間でないものの意で,天竜八部衆・悪鬼などのこと。また,特に天竜八部衆のうち第七神にあたる緊那羅をいう。
A遁世の僧。世捨て人。 「我は−也,遁世籠居の身なれば /正法眼蔵随聞記」
B非常に貧しい人。乞食。 「大内裏のついがきの外に,もろもろの− ・ 乞丐・病者の出されたるに /沙石10」
C江戸時代,幕藩体制の民衆支配の一環として,えたとともに最下層に位置づけられ賤民視された人々。生産的職業につくことを許されず,非人頭の支配に属し,牢獄や処刑場での雑役,卑俗な遊芸などに従事した。1871年(明治4),法制上はその呼称は廃止された。

とあります。「ハンセン病」の患者が「非人」扱いを受けたことは、歴史的事実として実在したでしょう。その事実を扱うときは、あくまで「その誤謬を正そう」というのが私の、そして「この板」の基本姿勢なのだと言うことを、お話ししておきたくて、長々と書きました。私の意図を誤解なさることなく、ご理解頂きたいのです。よろしくお願いします。


くどいようですが、誤解を招くといけませんので、書いておきますがドン・キショットさんやIchiroさんから頂いているご投稿は、非常に勉強になる貴重な資料であり、良く頭に入れておいて、歴史研究の参考にさせて頂くべく保存しておきます。いずれ何かの形で使わせて頂くつもりです。本当に有難うございました。

ドン・キショットさん、これを読んで続編が投稿しにくくなりましたか?そんなはずは無いですね。お待ちしています・・・(^^)
 

Re: 「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」が中国問題で・・・

 投稿者:tama  投稿日:2008年 7月 7日(月)23時16分59秒
返信・引用  編集済
  > No.3649[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> それにしても、これを報じている「ハンセン病市民学会」自身が、何もしないのが不思議でなりません。何故「富山」まかせなのか???

その後、リベルさんはすでにご存知と察しますが、本日7日、ハンセン病市民学会は中国大使館と厚生労働大臣宛に「北京五輪外国人入国拒否者リストの扱いについての要望書」を提出しました。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080708k0000m040067000c.html

ハンセン病市民学会が要望書を出すことは、私は7月初めに知りましたが、私はハンセン病市民学会およびその関連の役員ではありませんので、私が広報することもないだろうと思っています。いずれ市民学会から発表があるでしょう。
昨日、ハンセン病首都圏市民の会の拡大事務局会議が開かれ、そこでこの要望書を7日に出すこと、鹿児島の「特定非営利団体ハンセン病問題の解決をめざして共に歩む会」「ハンセン病首都圏市民の会」「IDEAジャパン」「社専協」が賛同団体となることが確認されました。
今日、神美知宏さんや鎌田さん、藤野さん、酒井さんたちが厚労省へ行って文書を提出し、共同記者会見をしたはずです。サミットでマスコミの紙面が埋まって、タイミングが悪かったのか、外国からの記者も大勢来ているのでタイミングを狙ったのか、私にはわかりません。

厚労省大臣宛の7月1日時点での文面は知っていますが、その後、変更があるようなので、紹介は控えます。(一度、アップしたのですが、削除します。)
 
    (リベル) tamaさん、有難うございました。今日は夕食後PCを開かなかったので、「ニュース速報」が「遅報」になってしまいました。今大童で作成してきました。本当に有難うございました・・・m(_ _)m(6.8 02:40)  

Re: Ichiroさんへ Re: 質問よろしく:

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 7日(月)22時52分18秒
返信・引用  編集済
  > No.3646[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

もう一つ本をみつけました。

中世の非人と「らい」差別 丹生谷哲一 という論文で  ハンセン病、排除、差別、隔離の歴史 岩波書店 2001年にでています。らい患者は葬送に参加するそうで、それで思い出したのですが、熊本の本妙寺で、葬式の旗持ちという珍しい仕事があったということです。(昭和の初めか)中世ではハンセン病患者をとりしまるのが立派な仕事のようで、それで、非人が確立したのでしょうか。するとどこかで、そういう事がおこるので、大昔ではないような気がします。
すみません。余り筋道がはっきりしませんね。
 

Re: 厚労省のシンボルマーク

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月 7日(月)19時01分11秒
返信・引用  編集済
  > No.3650[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

> 2)これって男の人と女の人が両手を上げて、それが笑顔になっているという図案(古いか)でしょう。国民を嘲笑っているように見える

決して厚労省の回し者ではありませんが、これは下の部分がハートの形になっていますね。笑顔の図案化ではないようですが。。。ハートがあれがいいってもんでもないですが(^^)。
 
    (リベル) はいはい、ハートのマーク、承知しています。紹介した厚労省のページにも一応能書きが書いてあって。

細かいことを言えば、男性の左腕がもう少し湾曲していれば、顰めっ面風の感じが薄れたかな、と当審査員は愚考するのですが・・・(^^;)(6.8 00:44)
 

Re: 厚労省のシンボルマーク

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 7日(月)17時33分51秒
返信・引用
  > No.3650[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

 なんだか男社会みたい。女性から文句きませんか?
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 7日(月)14時51分51秒
返信・引用  編集済
   細川涼一氏は『死と境界の中世史』所収「中世被差別民衆の実像を追う」の中で;

1970年代まで通説となっていた林屋辰三郎氏の、「散所と河原者を、古代的賤民が中世の荘園領主に隷属したものとしてとらえ、これを中世的隷属民の二つの形態」とする位置づけに対し、「散所は本所(権門貴族の本宅)に対応する意味をもつ地方の家産管理機構であるとする批判」が、渡辺広・黒田俊雄・脇田晴子・丹生谷哲一・島田次郎らによって出された。「散所に代わって中世の被差別民衆の基本に非人を据え」、「中世非人を中世の身分体系の中で理解する視点を提示することで研究史を転換したのが、黒田俊雄氏の「中世の身分制と卑賤観念」[*『日本中世の国家と宗教』岩波書店、1975年]である。」と述べています。

 また、細川氏は、黒田俊雄氏は「中世の身分制と卑賤観念」で、「中世の身分体系が種姓的特質(人が生まれつき属している家柄があるとする虚偽観念)をもつことを指摘するとともに、中世の身分制全般の特色に関わるものとして非人身分に言及した。氏は非人身分の特質は、荘園制社会の支配秩序としての身分体系からはずれた『身分外の身分』であるとしたのである。」と言い、黒田俊雄氏のこの論稿とならんで、大山喬平氏の「中世の身分制と国家」[*『日本中世農村史の研究』岩波書店、1978年] が、1970年代以降の研究に大きな影響を与えた、と言っています。
この論文の中で、大山喬平氏は「中世の非人に言及して、奈良坂・清水坂を二大本宿とした非人が、長吏(非人の頭の呼称)によって統率された座的な集団を形成するとともに、彼ら非人が、天皇を中心として広がったケガレ観念の下で、都市のキヨメを職能として担っていたことを実証的に明らかにしたのである。」

「さらに、1970年代に入って中世の非農業民・職人身分への積極的な議論を展開しはじめた網野善彦氏は、その一環として非人にも言及し、非人を宿の管理を特権として担った『職人身分』の一つとしてとらえるべきことを主張した。」[*『中世の非人と遊女』明石書店、1994年]

「1970年代以降の中世の被差別民衆・非人をめぐる研究は、(…略…)彼らが差別・疎外される境涯に置かれたことは認識しつつ、しかし、中世社会における重要な役割を職掌として担っていたことを強調する、生活史からの視覚が研究の主題になったといえよう。
 (…略…)「生活史」を書名に冠した著書をそれぞれに著した横井清氏[*『中世民衆の生活文化』東京大学出版会、1975年]と三浦圭一氏[*『中世民衆生活史の研究』思文閣出版、1982年]が、視角の違いはありながらも、(…略…)中世の被差別民衆(非人・河原者)が、葬送・墓穴掘りなどの呪術的・宗教的な、しかし人間の一生の終わりである死と関わる重要な職掌を担っていることを強調するに至った[*横井清『的と胞衣』平凡社、1988年;三浦圭一「中世人の現世・他界観」(『日本中世賤民史の研究』部落問題研究所、1990年)]のは、端的な現れといえるであろう。」

「中世の非人は、「癩者」にみられるように、病の穢[え]などの「ケガレ」を身体に担わされて、人との「交らい」を断たれ、社会体制の外へ排除・疎外された存在であった[*黒田俊雄「中世社会論と非人」(『歴史学の再生』校倉書房、1983年);黒田日出男「史料としての絵巻物と中世身分制」(『境界の中世 象徴の中世』東京大学出版会、1986年)]。このような病者・「不具」者などの非人は、散在非人と呼ばれる孤立的・分散的な非人として路頭を往還し、貧者供養の対象として乞食を行うことで生計を得ていた。
しかし、人との「交らい」を断たれた被疎外者としての非人同士が、新たな「交らい」をなし、相互に姻戚関係を持った集団を形成するということもあった。これが、網野善彦氏・大山喬平氏によって非人の中心とみなされた宿の非人(宿者・坂者)であり、宿非人の集団に加わらない孤立的・分散的なままの非人は散在非人と呼ばれたのは、「宿」に対する「散在」の意味なのである。非人宿は、長吏とその下座を構成した国名を名乗る非人たちをトップに置き、「不具」者から末端の「癩者」に至る集団内部の厳しい序列を有していた[*横井清「中世民衆史における「癩者」と「不具」の問題」;黒田日出男「史料としての絵巻物と中世身分制」]。」

[お閑のある方限定です、とお断りして、つづきは、また]
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 7日(月)10時41分23秒
返信・引用
  >(リベル) これこれ・・・馬鹿にするでない!!!百も承知の上で言っています・・・(^^)(6.7 06:39)
・・・・・・・・・・・
あらら、失礼いたしました。だってー、ほかに、思いつかないのですもの(^^)/~~
ほんと、どうして“「富山」まかせ”なんでしょう???
 

とり急ぎ

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 7日(月)03時08分26秒
返信・引用
  Ichiroさんへ:長吏については;
『悲田院長吏文書』(長吏文書研究会編、社団法人部落解放・人権研究所、2008年5月30日発行、限定200部、定価32,000円+税)というのがあるようですが。
http://blhrri.org/info/book_guide/books/books_0108.htm

(私にはとても手が出ませ〜ん。)
 
    (リベル) 個人で買うのは売れてる作家、他は図書館かさもなくば大学の研究室か団体が人の金で買うだけでしょう、恐らく・・・(^^)(6.7 06:45)  

Re: 「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」が中国問題で・・・

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 7日(月)02時54分43秒
返信・引用
  > No.3649[元記事へ]

> それにしても、これを報じている「ハンセン病市民学会」自身が、何もしないのが不思議でなりません。何故「富山」まかせなのか???

・・・・・・・・・・・・・・・・・
うーん、きっと「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」事務局長=藤野豊氏だからではないでしょうか。
 
    (リベル) これこれ・・・馬鹿にするでない!!!百も承知の上で言っています・・・(^^)(6.7 06:39)  

厚労省のシンボルマーク

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 7日(月)02時02分53秒
返信・引用  編集済
  厚生労働省の「シンボルマーク」が決まりました。

そこで思ったことが二つ有ります。

1)何故官庁に「シンボルマーク」が必要か?
  他にやるべきこと、お金の使い道は一杯有るだろうに・・・(;`つ´)怒!

2)これって男の人と女の人が両手を上げて、それが笑顔になっているという図案(古いか)でしょう。国民を嘲笑っているように見える
  のは、私の根性が余程ひん曲がって居るからだと思います。


ちなみに「コーポレートガバナンス【 corporate governance 】」って知らなかったので、大辞林とカタカナ辞典で引きました。

大辞林:会社の不正行為を防止,あるいは適正な事業活動の維持・確保を実現すること。具体的には取締役など業務執行機関に対するチェック-システムとの関連で問題とされる。企業統治。

カタカナ語辞典:企業統治.会社の不正行為の防止あるいは適正な事業活動の維持・確保を目的とした会社システムのあり方.具体的には監査役・株主総会等による取締役の行為のチェック-システムとの関連で問題とされる.広義には,経営者が株主から預かった出資金を効率的に運用し,利益を上げるシステムとして捉えられ,株主ばかりではなく,従業員や取引先,その他社会一般の利害と企業との関係を問う視点へとその問題領域は拡大してきている.

要するに「厚生労働省のコーポレートガバナンスを高め」ってどういう意味なのですか?そんなに不正行為が多いのですか?国民から預かった税金を効率的に運用していないのですか?(^^)


やはり、嘲笑っているように見えてきました(^^;)
 

「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」が中国問題で・・・

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 7日(月)01時39分14秒
返信・引用  編集済
  6月3日に「人民網日本語版」「上海週報」に北京五輪へのハンセン病患者の入国禁止の記事が出ました。

それに対し「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」を始め各方面からの声が挙がったことは「ニュース速報」でお知らせしたとおりですが、この度、更に「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」より、WHO(World Health Organization・世界保健機関)、IOC(International Olympic Committee・国際オリンピック委員会)、国際ハンセン病学会、北京五輪組織委員会に対し、要望書が出されました。内容はこちらです。

それにしても、これを報じている「ハンセン病市民学会」自身が、何もしないのが不思議でなりません。何故「富山」まかせなのか???
 

Re: Ichiroさんへ Re: 質問よろしく:

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 6日(日)14時54分24秒
返信・引用
  > No.3646[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

有難うございました。基本的文献を読み直さなくてはいけませんでした。
さてもさても、教科書に類することは慎重に書かねばなりませんね。

Ichiro
 

(無題)

 投稿者:ドン・キショット  投稿日:2008年 7月 6日(日)14時28分58秒
返信・引用
  ●(前の投稿で、)天皇と癩者を対極とする浄⇔不浄軸、そして「貞玄起請文」の「八万四千之毛孔」も出てきました。この起請文中にみられる「八万四千之毛孔(または毛穴)罷蒙…」という文言もまた定型化していたようで、「葛川明王院文庫」弘安十年(一二八七)十月十二日付「清原恒重等起請文」には、「上件之仏神之仏罰神罰於、毎各身八万四千毛穴罷蒙天、現世ニハ山かたいの身となり来世には無間大地獄に堕天無出期」の文言がみえます。――ここで思い出されるのが、光明皇后の施浴(垢摺)説話。
先に挙げた1269[文永6]年の叡尊の般若寺西南昿野での施行は「其受食者大凡三万余人」(「興正菩薩行実年譜」)といわれ、この頃には非人施行(=疥癩施行)は、千人、二千人から数千人規模で行われたようです。このような時代背景であってみれば、『元亨釈書』(鎌倉時代末期、1322[元亨2]年、東福寺禅僧虎関師錬)の光明皇后の千人施浴説話が受け入れられる基盤はすでに十分に整っていたといえましょう。

「(…略…)乃建溢室令貴賤取浴。后又誓曰。我親去千人垢。君臣憚之。后壮志不可沮也。既而竟九百九十九人最後有一人。徧体疥癩臭気充室。后難去垢。又自思而言。今満千数豈避之哉。忍而摺背。病人言。我受悪病患此瘡者久。適有良医教曰。使人吸膿必得除愈。而世上無深悲者故我沉痼至于此。今后行無遮斉又孔貴之。願后有意乎。后不得已吸瘡吐膿自頂至踵背遍。后語病人曰。我吮汝瘡慎勿語人。于時病人放大光明告白。后去阿閦仏垢。又慎勿語人。后驚而視之。妙相端厳光躍馥郁忽然不見。后驚喜無量。(…略…)」(『元亨釈書』)

宮川量は「日本救癩史」の中で、「この尊い伝説はわが国救癩事業を照らす一大炬火として永遠に仰ぐべきものである」と言っているが、細川涼一氏は、『死と境界の中世史』所収「ハンセン病者と差別の精神史」の中で、宮川量の「日本救癩史」「癩救済史料」「鎌倉時代における癩救済者忍性律師の研究」「救癩史蹟西山光明院に就いて」などの歴史研究について、「いわば、光田健輔を中心とする戦前のハンセン病患者への『強制隔離』政策を背景として、ハンセン病に関する当時の国民的啓蒙を文学と通じて行ったのが小川正子の『小島の春』であるならば、それを歴史を通じて行う役割を果たしたのが、宮川量の救癩史研究であったといえよう。この点、宮川の歴史研究は、小川の『小島の春』とともに、光田イズム(ハンセン病を伝染病としたうえで、患者を社会から隔離し、療養所への強制収容を主張する)の普及のうえで双璧をなしたといっていい。」と評しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 横井清氏は、1275[建治元]年に、叡尊が、非人長吏から請文を徴して癩者引き取りに際し「過分用途」を「責取」ることを戒めていることや、1283[弘安5]年に「非人宿の長吏が叡尊に捧呈した起請文の例を挙げていますから、少なくとも13世紀のこの頃には確率していたようです。

(今日のところは予定があり、たぶん投稿できません。少しお時間をください。あたってみます。)
 
    (リベル) またまた、中身の濃いご投稿を有難うございました。一部Ichiroさんへの回答にもなっているようですね。叡尊の話は「日本らい史」p.8にも出ています。

「日本の古文書」下巻(p.513〜)に8つ有る「起請文」の大半は、この誓いを破った場合は神罰・仏罰は勿論、「白癩黒癩」を得ても良い、と言うことが付記されています。「業病観」ですね。

「元亨釈書」の原文は入手していなかったので、早速頂戴して、こちらへ入れさせて頂きました。

宮川量、細川涼一、横井清と大変な読書量で、私には真似も出来ません。仏教の「らい観」についての「日本らい史」の記述には些か疑問を感じているのです(出典の扱い方が安易で)が、その辺をドン・キショットさん、チョット体系的に纏めてご覧になりませんか?お忙しそうですが、とても基礎知識が豊富ですし、馬力がおありですから比較的楽にお出来になるのではないでしょうか。ご健闘を祈ります(^^)(6.7 01:17)
 

Ichiroさんへ Re: 質問よろしく:

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 6日(日)12時16分49秒
返信・引用  編集済
  > No.3645[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事です

> >古代・中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れと考えられており、発症した者は非人であるという不文律があった。これにより、都市では重病者が悲田院や北山十八間戸、極楽寺などに収容された例もある。
>
>
>  これの文献といつからか?ということですが、リベル様お助けください。


Ichiroさんの頼みとあらば、何とかしてお答えをと思いましたが・・・。

>古代・中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れと考えられており

だけを取っても、「神罰」は有ったのか?という疑問がありますし、「仏罰」にしても山本氏が「日本らい史 p.6」で、平安時代後半に「らい観」に変動があったという説を立てておられますから、この解説自体が正確ではないと思います。

また、「発症した者は非人であるという不文律があった」かどうかは私は未だ研究していませんので、その辺も全く知らないことなのです。いま、「日本らい史」を開いたら、7頁に「遅くとも12世紀末には、らいは非人とされた云々」とあり、8頁に「非人宿の長吏が職務としているらいの管理」とありますが、「発症したものを非人とする」という話には、寡聞にしてお目に掛かったことがありません。

時間があれば、研究してでもお答えしたいと思いますが、この解説自体を書き直さなければなりません。「白癩」を「びゃくらい」と読み始めた時期すら私には特定できていませんので、とても手が回りません。一つIchiroさん、暑いことですしこの辺で一肌お脱ぎになっては如何ですか、やり甲斐のあるテーマですから・・・(^^)


インドくんだりの、梵語やら何やら、ややこしいことばかりに首を突っ込んでいないで、肝心な日本の歴史をチャントやれよ!!というお叱りと受け止めて、心いたします・・・m(_ _)m
 

質問よろしく:

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 6日(日)06時51分38秒
返信・引用
  Wikipediaの日本のハンセン病のところのノートに質問がきていました。小生がもともと書いたところではないですが、お答えをよろしく。

 Ichiro

>近代以前の歴史
>古代・中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れと考えられており、発症した者は非人であるという不文律があった。これにより、都市では重病者が悲田院や北山十八間戸、極楽寺などに収容された例もある。


これの文献といつからか?ということですが、リベル様お助けください。
 

新たな火種

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 6日(日)02時09分19秒
返信・引用  編集済
  ドンドン話を進めるつもりなのですが、で、チョイト「kilāsa」(下の画像です)を覗いてみました。「mfn」は「略語表」から形容詞だと、これは良いのですが、問題は「VS xxx,21」です。止せばよいのに火中の栗に手を出してしまいました。「List of Works and Authors」で調べたら、右上のマーカーです。

「Vājasaneyi Saṃhitā」と言うのはどう読んで、どんな意味なのかサッパリ分からず、辻直四郎著「印度文明の曙」を探したら、有りました。「ヤジュール・ヴェーダ(参照)」の一部の「ヴァージャサネーイ・サンヒター」とやら申すものだそうです。

私が学んだ基礎知識では、先ず「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュール・ヴェーダ」の”三ヴェーダ”が有って、後に「アタルヴァ・ヴェーダ」が加えられて”四ヴェーダ”と称されるようになったのですから、「ヴァージャサネーイ・サンヒター(V.S.)」は「アタルヴァ・ヴェーダ(A.V.)」の先輩と言うことになります。しからば「kilāsa」は「A.V.」が初出ではなく「V.S.」が初出であり、年代は更に昔へ遡るのではないか?

うーむ・・・今日はこれにて・・・(^^)
 

Re: モニエルの梵英辞典

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 5日(土)03時39分57秒
返信・引用  編集済
  > No.3641[元記事へ]

「kuṣṭha」が「kúshṭha」になっています。間違えたのではないのです。
> ご参考までに「梵和大辞典」の「kuṣṭha」を。


先ず、これで出鼻を挫かれました。大体、「梵英辞典」は英語のアルファベット順になって居らず、恐らく梵語の読みの順か何かだと思うのですが、一語引くのが大変な作業なのです。10語ほど引いてゼロックスを取るだけであっという間に2時間経っていましたから。


これは「kúshṭha」に続くページです。間違いを犯していないことの証拠です(お暇な方限定商品)。画像が大きすぎてここにアップできないので、この方法を編み出したと言うわけで、「窮すれば」なんとやら・・・(^^)目の良い方は左上方の赤印にお気付きかも知れません。これは「スシュルタ本集」の一行目にある梵語です。「kuṣṭha cikitsita=治療法」ですね。

明日からは、もう細かいことにこだわらず、ドンドン話を進めます。先程から下の画像の中に出てくる「出典」をチェックしていたのです。「suśr」は「スシュルタ・サンヒター」だと見当がつくのですが、もう大変な作業で、やはり学校へ行きたくなってきますので、もう目をつむって先へ行くことに・・・(^^;)
 

これは何だろう???

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 4日(金)12時34分9秒
返信・引用  編集済
  第1回「患者・被験者の権利擁護のあり方」に関するワーキンググループ(ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会)

標記について、次のとおり開催(公開)することとしましたので、お知らせいたします。

日 時  平成20年7月11日(金) 11時00分〜14時00分(休憩含む)
場 所  虎ノ門パストラル 新館5階「オーク」 (東京都港区虎ノ門4-1-1)
傍 聴  15名程度(別紙募集要領のとおり)

というのが、厚労省のHPに出ています。これは初耳ですが、要するに「ロードマップ委員会」を無くしようとしているように思えます。”発展的解消”という言葉が準備されていることが見え見えですね・・・(^^)


そういえば、前回の「ロードマップ委員会」の資料の中に「「患者・被験者の権利擁護のあり方」検討に関する資料」というのが有りましたね。着々と準備を進めていたのでしょう。血税を用いて行われる「行政活動」というのはどんなものなのか、今回のこの例だけからも、とてもとても良く良く分かります。

今、調べたらやはりそうでした。この表をスクロールして良くご覧下さい。「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」の12回の次にこの会議名が記されています。(6.4 12:56)
 

モニエルの梵英辞典

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 4日(金)03時24分7秒
返信・引用  編集済
  昨日、神戸の図書館へ行って来ました。M.Monier- Williams著「A Sanskrit-English Dictionary」では「kuṣṭha」や「kilāsa」をどのように定義しているかを確かめたくて。書庫に入っているとかで、職員さんに上記をメモして渡したのですが、長く待たされました。それも道理で、何と背表紙には大きく「モニエル梵英辞典」と書いてあるのです。どうも、とても古い本で、製本し直した跡があって、背表紙を作ったようです。中味は本物ですが。

やはり色々見ることは大切だと痛感しました。明日、改めて報告します。例によってかなりオタク的な話なので、どうか期待はなさらないで下さい。いや、長生きはするものです・・・なんて気を持たせてはいけませんね・・・(^^)


「kuṣṭha」が「kúshṭha」になっています。間違えたのではないのです。
ご参考までに「梵和大辞典」の「kuṣṭha」を。
 

Re: 余談:これは何でしょう???

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月 4日(金)00時29分37秒
返信・引用  編集済
  > No.3639[元記事へ]

リベルさんへのお返事です

またまた、お邪魔いたします(^^)。

> 「肆=し伍=ご陸=ろく漆=しつ捌=はけ(る)玖=く

4,5,6,7,8,9ですね。
 
    (リベル) はい、お見事でした・・・ヽ(´ー`)ノ ワーィ!  (6.4 00:44)  

Re: 余談:これは何でしょう???

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 3日(木)23時04分9秒
返信・引用
  > No.3636[元記事へ]

> 「
>
> ヒント:何かのシークエンスの一部です。

お答えが無いようなのでヒントを追加します。こう並べると如何でしょう・・・。




それでもお分りにならないときは、国語中辞典で「大字(だいじ)」を引いて下さい。先頃購入した「日本の古文書」で拾いました(^^)
 

ゼーレ

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月 3日(木)22時03分12秒
返信・引用  編集済
  >初めの「ゼーレ」を待つ話は、実感できないのですが、

インディアンの「魂(ゼーレ)の運行速度」というものは、「天体の運行速度」と響きあっているのではないか?という想像がいつもわたくしのなかにあります。人間の体力や能力が「魂の運行速度」を超えてしまった時に、人間の内的時間に歪みが生まれてしまう。そういう感覚ではないでしょうか?

この「ふたつの答え」は、同じ根を持っているように思います。
 
    (リベル) 「天体の運行速度」!!おおっ!と思い出して、中村雄二郎氏の「共振する世界」を引っ張り出してきました。体内時計やサーカディアン・リズムのことが「場所・リズム・共振」の編に詳述してありました。手近な所では岩波新書の中村氏の「術語U」の「リズム」の項に纏めてあります。この本でそこにだけ付箋が付けてあったというのに、嗚呼・・・(慨嘆)

では、「快適さの拒絶」の話をエンデさんが併記したのは何故なのか。言外に言いたかったのは、或いは意識化にあったのはこういうことではないかと思うのです。原始的な本能に根ざす「宇宙のリズム」の察知や、「生」の本質の把握が、異常に急速な文明進化への耐性となって、実は人間を今まで生き長らえさせてきたのだろうという「人間讃歌」ではないかと。穿ちすぎですね(^^)

「ま、新年に乾杯!」の「ま、」はドイツ語ではどう書いてあったのか、気になるところではあります・・・。(7.3 23:15)
 

余談:考えさせられるふたつの「答え」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 3日(木)10時19分57秒
返信・引用  編集済
   何年かまえ、中米奥地の発掘調査に出かけた研究チームの報告を読んだなかに、こんなことがありました。

 調査団は、必要な機器等の荷物一式を携行するためにインディアンのグループをやとった。調査作業の全行程には完壁な日程表ができていた。そして初日から4日間はブログラムが予想以上によくはかどった。運搬役のインディアンたちは屈強で従順で、日程どおりにことが進んだのだ。ところが5日目になって、彼らは先へ行く足をぷっつり止めた。

 だまつて全員で輪になり。地べたに座りこんで、もうテコでも荷物をかつごうとしない。調査団の人たちは賃金アップを提案したが、だめだった。叱りつけたり、ついには武器まで持ちだして脅したりしてみたが、インディアンたちは無言で車座になったまま動かない。学者たちはお手上げの状態で、とうとうあきらめた。日程には大幅な遅れが生じた。

 と、とつぜん―2日後のことだった―インデイアンたちは同時に全員が立ち上がった。荷物をかつぎあげ、予定の道を前進しだした。賃金アップの要求はなかった。調査団側から改めて命令したのでもなかった。このふしぎな行動は、学者たちにはどうにも説明のつかぬことだった。

 インディアンたちは、理由を説明する気などまるでないらしく、口を閉ざしたままだった。ずっとあとになって、白人のグループの数人と彼らとのあいだにいくぶんの信頼関係が生じてから、はじめてひとりが答えをあかした。

「はじめの歩みが速すぎたのでね」という答えだった。
「わたしらの魂(ゼーレ)があとから追いつくのを待っておらねばなりませんでした」

 この答えについて、私はよく考えこむことがあります。

 工業化社会の文明人である私たちは、未開民族の彼らインディアンから、学ぶべきところまことに大きいのではないでしょうか。

 私たちは、外的な時間計画日程をとどこおりなくこなしていきます。が、内的時間、魂の時間にたいする繊細な感情を、とっくに殺してしまいました。私たちの個々人にはもはや逃げ道がありません。ひとりで枠をはずれるわけにいきませんから。私たち自身がつくってしまったシステムは、容赦なき競争と殺人的な業績強制の経済原理です。これをともにしないものは落伍します。

 昨日新しかったことが、今日はもう古いとされる。先を走る者を、はあはあ舌を出しながら追いかける。すでに狂気と化した輪舞なのです。だれかがスピードを増せば、ほかのみんなも速くなるしかない。この現象を進歩と名づける私たちです。

 が、あわただしく走り続ける私たちは、はたしていかなる源から遠ざかりゆくのでしょう?私たちの魂からですって?そう、私たちの魂は、もうはるか以前に路上に置き捨てられました。それにしても魂を捨て子にしたことで、肉体が病んでいきます。だから病院や神経治療施設は、ひとびとであふれています。

 魂不在の世界 これが私たちの走りゆく目的地だったのでしょうか?

 もうほんとうに不可能でしょうか、私たち全員が狂気の輪舞をいっせいに中止して、おたがいに車座になって大地に座る、そして無言で待つ、ということは?

 もうひとつの「答え」のことは、文化人類学者の友人から最近聞いたばかりです。これもひとりのインディアン女性の口から出ています。
 その友人が旅先で出かけた山の頂上にインディアンの村があった。その地方一帯には水源がたった一カ所にしかなくて、それは山のふもとの井戸だった。村の女たちは、毎日半時間の坂道をおり、帰りには重い水がめを肩にして一時間、山をのぼっていく。友人は女たちのひとりにたずねた――いっそ村ごと、ふもとの水源近くに移したほうが賢明ではないかね――。女の答えはこうだった。

 「賢明、かもしれませんね。でも、そうしたら私たちは、快適さという誘惑に負けることになると思います」

 私たち文明人には、この答えはさきほどの答え以上にいぶかしく聞こえるのではないでしょうか?快適であることが、なぜ誘惑と呼ばれるのか?私たちが手にした洗濯機、自動車、エレベーター、飛行機、電話、ベルトコンベヤー、ロボット、コンピューター、要するにおよそ現代社会を構成するすべてのものは、快適な生活のためにつくられたはずです。

 それとも?

 これらのモノは、暮らしをらくにします。骨の折れる仕事から私たちを解放し、もっと本質的なことのために時間をめぐんでくれる。そうではなかったでしょうか、私たちを解放するんでしょう?

 そうです、確かに――。

 ただ、《何から》解放するのでしょう?ひょっとして、まさに本質的なことから?だとしたら、いったいどうなっているんでしょう?
 私には、あの奇妙な言葉を口にしたインディアンの女のほうが、ほんとうはこの私たちのだれよりも、ずっとはるかに解放されて自由なのだ、という思いがつきまとって離れません。
 聖書にも、これに似たふしぎな言葉があります。
 「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の魂(ゼーレ)を失ったら、何の益があろうか」(マタイ伝一六・二六)
 何言ってる、魂がどうのこうのだって!
 そんなもの、我々はどこかの路上にとっくに置き忘れてきたよ。未来の世の中は徹底的に快適で、完全に本質不在の世界になってるさ。
 あなたはそう思いませんか?ま、新年に乾杯!


考えさせられるふたつの「答え」 モモからのメッセージ  ミヒャエル・エンデ 訳・子安 美知子  から

(朝日新聞、1989年1月1日、第1面;縮小版53ページより引用)

このブログからの転載ですが、そもそもはあずきさんのHPで読んだのがキッカケで、全文を探して転載しました。


私も当時これを読みました。19年前と言えば未だ会社員で、狂気のロンドの真っ只中に居ました。今、地べたに座り込んで考えています。初めの「ゼーレ」を待つ話は、実感できないのですが、後の話はいきなり実感できるので、さっきからその理由を考えています。何を何故実感したのか、実感できたのか、を。

未だ根底から納得しているわけではないのですが、何かそう言えば「一病息災」に似ている気がしています。人間は何もかも満たされてしまってはダメだ、だいたい何もかも満たされている人って居るのだろうか、高僧なんぞはそうなのだろうか。満たされない部分を抱えていればこそ、”十全な人生”を生きていると言えるのではないだろうか、そんな気持ちなのかなあと思います。この気持ちの底には、釈迦の四苦「生・老・病・死」が有ると思います。「生」は「苦」であるという前提が。
 

余談:これは何でしょう???

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 3日(木)10時16分59秒
返信・引用
 

ヒント:何かのシークエンスの一部です。
 

ハンセン病と白

 投稿者:Ichiro  投稿日:2008年 7月 3日(木)08時19分46秒
返信・引用  編集済
  歴史とはあまり関係ない話をします。

 ハンセン病の方は皮膚の変化に敏感というか過敏というか、なんですが、関敬さんの近著の「故郷は近くにて」に 考えさせられる一節があった。

 白い斑が体の広い範囲に出たそうである。心配でたまらないのである。副園長は皮膚科医であるので、診察をうけたら、真菌症(かび)の殿風(でんぷう、医学では殿にやまいだれをかぶせることあり)で、一安心であった。この病気は、その後遺症でしばらく白く抜けている。白といっても、薄い白で皮膚科医であれば一見してわかる。

 関さんは療養所に住まわれているから、問題はすぐ解決する。園外に住まわれて長い間悩まれ、ついに、療養所にきて診断をうけたが、手遅れであったということもあった。病気の名前は「皮膚筋炎」であった。残念ながら、すぐ肺炎をおこされ亡くなられた。外に住まれていて(だいぶ前の話である)、心配が強く、普通の病院にもいけなかった、と訴えられた。

 皮膚筋炎は残念ながら難病である。これも一目で、診断がついた。(蛇足であるが、ベテランの皮膚科医の視診による診断力は恐るべきものがある。値段にして相当高いという話もある)

 私は組織検査をさせていただいた。吃驚したことには、立毛筋がどろどろであった。これは、同じ系統の筋肉がすべて、侵されていることを示す。タンを出す筋肉も同じ系統であるから、肺炎に罹りやすいことは一目瞭然であった。おそらく、早く診断しても同じ結果かもしれない。

 最初の話は「白」と関係あるが、あとの皮膚筋炎は紅斑であり、目の回りに独特の色彩がある。あとの話は白とは関係ありません。
 

続・邦訳に見る「kustha」と「kilasa」

 投稿者:リベル  投稿日:2008年 7月 2日(水)01時02分15秒
返信・引用  編集済
  1)梵語辞典では

@「漢訳対照梵和大辞典」から「定義」を拾いました。

【kuṣṭha】梵和大辞典

 @〔男〕〔中〕[植物の名、学名 Costus Speciosusまたは Costus Arabicus]:[漢訳]青木、廣木香(梵漢対訳仏教辞典)

 A〔中〕癩病:[漢訳]癩、悪癩、癩病、瘡癬、白(又は悪)癩、大麻風(根本説一切有部毘奈耶皮革事〔唐義淨〕の一部、妙法蓮華経〔後秦鳩摩羅什〕―『0016a04:水腫乾痟 疥癩癰疽 』―大正新脩大蔵経より)

【kilāsa】梵和大辞典

 @〔形〕癩病の

 A〔中〕癩病の白斑點;癩病(の一種)[漢訳]胎毒(梵漢対訳仏教辞典)

【citro bhaviṣyati】(成語です)(梵和大辞典

 @致癩病

 A得白癩病[漢訳]妙法蓮華経〔後秦鳩摩羅什〕―『0062a20: 此人現世得白癩病。 』―大正新脩大蔵経より)

注:〔男〕〔中〕〔形〕はそれぞれ〔男性〕〔中性〕〔形容詞〕の略です

A「梵英辞典」の定義は・・・。

昨日は図書館へ行けなかったので、「梵英辞典」の方は今日か梅雨の晴れ間に行ってきて追加します。


面白くなさそうだと思って居られる方のために、プロットをバラします。「法華経」や「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」では、「kuṣṭha」も「kilāsa」も「梵語辞典」の定義通りに訳されていて、疑義を挟む余地がありません。ところが「スシュルタ本集」(下から7行目は一例です)を読んでみると、この二語の使い方がニュアンスを変えるのです。変な言い方をしましたが、つまり訳し方に納得が行かないのです。

私は、大地原誠玄氏の誤訳か、さもなくばスシュルタ氏の「kuṣṭha」と「kilāsa」の二語の誤用ではないかと思うのです。権威有るな医書や偉大な訳業にイチャモンを付けるからには、それだけの根拠と覚悟がなければいけません。

一年間学校へ入学して、サンスクリット語を勉強して、「スシュルタ本集」の「翻訳」は無理だから「研究」をしてみようかなぁ・・・と呟いたら連れ合いがいきなり「やりなさいよ」と大声で言うので、すこし迷っているところです、「業半ばにして」などという言葉が脳裏を過ぎったりして・・・(^^;)


ここは習作室のようなもので、こうしておいて、ご批判を浴びながら修正を加えて行こうという魂胆なのです。本編はこちらに纏めていきます(^^)
 

こんばんは。

 投稿者:あずき  投稿日:2008年 7月 1日(火)22時45分33秒
返信・引用  編集済
  >今日の鳰たちです。

子供たちは少し大きくなったようですね。
母鳥のそばにいる子、遠くにいる子、偶然かもしれませんが、
それぞれの個性にも見えますね(^^)。
 
    (リベル) このもう少し左に浮き巣があって、そこに一羽(父鳥か母鳥か分からないのですが)居るのですが、それを入れようとして随分あちらこちらと移動して、結局上手く行かず、そんな挙げ句の一枚なのです。皆さんがさり気なく見せてくださっている一枚一枚にも、なるほど大変なご苦労・ご苦心がその裏に有るのだなあと、ようやく分かり始めてきたところです。勉強勉強(^^)(7.1 23:48)  

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