● ナブタ・プラヤ発見の経緯 T 「エジプト、サハラ砂漠の完新世の住居:ナブタ・プラヤの考古学」から フレッド.ウェンドルフ、ロムアルド.シルト他共著(2001年11月1日刊)前置きから 「私たちが最初にナブタ・プラヤに出会ったのは、約300km西のビル・サハラ(Bir Sahara)で後期及び中期旧石器時代の遺跡の長い現地調査を終えた1973年のことでした。私たちは帰途について、道路がないので磁石を使いながらささやかな車両隊(CPE*1の活動の一端でした)でアブ・シンベルへ向かっていました。たまたま一休みしたナブタ・プラヤで、私たちは足下にころがる多くの人工物に気付きました。偶然にも私たちは今や「遺跡E-75-6」(図表集:拡大図 4)として有名な、窪地の中でも最も重要な地点に足を止めていたのです。短時間の調査で窪地の中に数多くの遺跡を見つけた私たちは、次の調査期間にはこの地域を更に広く探索することにしました。」 (原文) ● ナブタ・プラヤ発見の経緯 U 「ブラック・ジェネシス:古代エジプトの先史時代の起源」から ロバート.ボーヴァル、トーマス G .ブロフィー著(2011年刊)9ページから 「しかしそれから1年も経たない1973年に、ウェンドルフはアブ・シンベルから100kmのところで運命的なトイレ休憩をとった。そして広大な浅い窪地を歩き回り、全ての奇妙な石の群れを見、その石の列を図に書き起こし、多くの塚や辺り一面に散らばった土器の破片も見た二人(ウェンドルフとシルト)はこれは間違いなく人類学的な大物を引き当てたと信じ始めるのである―事実これは尋常ならざる先史時代の遺跡だったのである。それは石器時代の独特なテーマ・パークの一種であり、そこでは明らかに神秘的な行事や魔術的な儀式が行われていた。この地方のベドウィンはそこを「ナブタ」と呼んだ、それは「種子」の意味である。この名を借り、自分たちが立っている砂漠の中の砂質粘土の広い窪地が古代の湖の底であると結論づけたウェンドルフとシルトはこの遺跡を「ナブタ・プラヤ」と名付けた。 」 (原文) |