フランス・ストラスブール市のトラム


ストラスブールの街を訪れる|

1.はじめに

2003年2月22日、元ストラスブール(Strasbourg)市長カトリーヌ・トロットマン(Catherine Trautmann)女史を招いて、朝日新聞・朝日21関西スクエア主催のシンポジウム「サスティナブル・シティをめざして−持続可能性と地域再生」が大阪で開催された。
これは、その時の記念講演で、トロットマン女史がストラスブール市のトラム導入について語った内容である。

2.講演の概要

@ストラスブールでは、車社会の到来を迎えてトラム(路面電車)は時代遅れとされ、1960年代に廃止された。その結果、都心部は、自動車の交通渋滞とそれに伴う大気汚染が進み、ノートルダム大聖堂(Cathedrale Notre-Dome)も被害を受けていた。 ちなみに、1988年の調査では、市民の利用する交通手段は、マイカー74%、自転車15%、公共交通機関11%であった。

A1989年のストラスブール市長選挙は、街の公共交通計画のあり方を問う選挙となった。地下鉄による交通体系を掲げる相手候補に対し、トロットマン女史は、トラム導入を公約に掲げ、選挙戦に勝利した。

B市長に就任したトロットマン女史は、早速、1990年、車の排ガス対策として、市内50km/h、都心部30km/hの速度規制を行った。また、車の都心部通り抜けを禁止し、ループを設けて用のない車の乗り入れを阻止した。 実施日の早朝には、自ら現場に出向き、交通規制の陣頭指揮をとった。一方、公共交通機関を利用する団体を作り、トラム実現のために力を注いだ。

C1992年、最初のトラム路線の工事に着手した。工事に際しては、歩行者空間の拡張を行うとともに、市民が工事現場を見学できるよう工夫し、住民参加の建設を進めた。 また、トラムの建設費は、地下鉄建設費の1/3程度ですむため、その分、建設路線を3倍に伸ばすことができた。

D1994年、トラム路線(A線)の一部が開通した。これに合わせ、郊外には、パークアンドライドの有料駐車場を設置するとともに、都心部では、駐車場の建設を規制した。 トラムの本格運行は翌1995年から始まり、この時にバス路線の見直しも行った。

E導入されたトラムは、利用者にとって移動時間を快適に過ごせるよう、低床で窓が大きく、その存在は都市のアートとなった。当初は、トラムとの接触による事故が心配されたが、低床車両のため、巻き込み事故は発生していない。 また、トラム導入により、都心部に賑わいが戻り、当初、トラム導入に反対だった商店も賛成するようになった。

F1998年、トラムの第2期工事(B線)に着手し、2000年に開通した。2001年〜2002年には、トラム路線を更に延長するための協議会が設けられた。

Gトラムの運営は、ストラスブール交通会社(CTS)に委託している。しかし、運賃は利用しやすいよう単一料金としているため、料金収入の3倍くらいの運営費用がかかる。 そのため、都市共同体CUS(Communaute Urbaine de Strasbourg)からの補助と、交通税(企業に課せられる地方税)や一般税からの補助も行っている。

3.記念講演を聴いて

昨年、ストラスブールの街を訪れた。トロットマン女史が言うように、トラムは、確かに街の顔であり、動くアートであった。古いアルザスの街並みに、モダンなトラム。 一見不釣合いのように見えるが、これが持続可能な街づくり、サスティナブル・シティなのかもしれない。 一度は車社会に迎合したストラスブール市であったが、その反省の上に、今度は、街づくりに車を合わせていく、そのようなヨーロッパの主張を強く感じる講演であった。
時を刻む時間は同じであるのに、ヨーロッパではゆっくりと時が流れていく、そのようなことを思いながら、喧騒の日本で、持続可能な街、Sustainable City Kobeを考えてみたい。

4.その他

@カトリーヌ・トロットマン(Catherine Trautmann)
1951年生れ ストラスブール大学神学修士
1989年3月 ストラスブール市長
1997年6月 フランス政府文化通信大臣
現在、フランス社会党中央執行委員

Aシンポジウム「サスティナブル・シティをめざして−持続可能性と地域再生」
日時:2003年2月22日(土)13:00〜17:00
場所:朝日生命ホール
主催:朝日新聞・朝日21関西スクエア
パネリスト:北川 正恭(三重県知事)、権並 清(滋賀県愛東町長)、木原 勝彬(NPO政策研究所理事長)、カトリーヌ・トロットマン
コーディネーター:植田 和弘(京都大学大学院教授)
なお、このシンポジウムの模様は、2003年3月2日の朝日新聞に掲載。