ストラスブール | オッフェンブルク | フライブルク | ハイデルベルク |


ストラスブール(STRASBOURG)

2002年、EU通貨統合が行われ、ヨーロッパは新しい経済体制へと移行した。その空気を肌で感じたいと思い、ドイツ国境に近いフランスの街、ストラスブール(Strasbourg)を訪れることにした。

ストラスブールは、アルザス地方に位置し、中世の面影を残した街並みはユネスコの世界文化遺産に登録されている。また、その地理的な位置から幾度かドイツ領になり、歴史に翻弄された街でもある。 しかし最近は、EU議会が置かれている街として有名で、また、斬新なデザインのトラム(路面電車)が走っていることでも知られる。

2002年9月22日の朝、2年ぶりにフランクフルト(Frankfurt)空港に降りた。早速、空港駅からIC(インターシティ)でオッフェンブルク(Offenburg)まで行き、そこで列車を乗り換え、フランスのストラスブールへと入った。 所要時間は、乗り換えも含め約2時間。オッフェンブルク駅から乗ったローカル列車は、途中、国境などないかのようにライン川を渡り、ストラスブール駅に到着した。入国審査はなく、列車を降りれば、そこはフランスだった。

あいにく今日は日曜日で、駅前(正確には駅の半地下)のインフォメーションが休業のため、日本から持ってきた簡単なガイドを見ながら、 まずは、旧市街地のノートルダム大聖堂(Cathedrale Notre-Dome)へと向かった。この教会は、12世紀から15世紀にかけて造られたもので、教会横では、職人がピンク砂岩の加工と彫刻の実演をしていた。 パネルには、砂岩は風雨や大気汚染などの影響を受けるので補修が必要との説明書きがあった。
大聖堂内部を見学した後、教会の尖塔に登った。勿論エレベータはなく、螺旋階段である。しかし、ステージからはストラスブールの街並みを一望することができ、すばらしい眺めだった。

ストラスブールのトラムは、デザインがモダンな上に、低床で乗りやすく、しかも窓が大きいのが特徴である。トラムに乗っていても、歩道を歩く人と目線の高さががほとんど変わらない。運賃も1.1ユーロで、安いと思った。
ストラスブール駅では、トラムは地下に停留所があり、ここから街の中心であるクレベール(Kleber)広場近くのL'Homme-de-Ferへは2つ目の停留所で、案外と近い。ただ、残念なのは、EU議会まで路線が延長されていないことであろう。

翌23日は、今にも雨が降りそうな天候だったが、ボート・ツアーに参加し、旧市街地を船で一周することにした。船はノートルダム大聖堂近くのイル(Ill)川から出航し、プティット・フランス(Petite France)やEU議会のあるヨーロッパ地区を周る約1時間半のコースである。 途中、水位差の大きい個所が2ヵ所あり、水門で水位を調整しながら通過して行った。
乗船客はドイツから来た観光客が大半で、隣席のご夫婦はハンブルク近郊から来たという。船内放送は、仏独英の3か国語で、観光スポットを通りすぎる度に、慌しく説明テープを流していた。

午後からは、イル川沿いの遊歩道を散策しながら、プティット・フランスと呼ばれる地区へと向かった。この一帯は、アルザスの木骨組みの家屋が建ち並び、川面に映るその風景は、小フランスと呼ぶにふさわしい見事な景観をなしていた。 また、かつて牢獄として使われたヴォーバン・ダム(Barrage Vauban)に立ち、プティット・フランスを眺めたのがこの写真である。

この街は、ライン川を挟んでドイツと国境を接しているため、観光客は地の利からドイツ人が多く、話す言葉もフランス語とドイツ語である。店に入ってもドイツ語で十分通用した。 また、街のあちこちの建物には、12の星の環が描かれたEU旗がはためいており、国境を感じさせない街であった。


オッフェンブルク(OFFENBURG)

9月24日、ストラスブールを後にし、再び列車でドイツへ戻った。今日はフライブルク(Freiburg)まで行く予定だが、途中、オッフェンブルク(Offenburg)で下車をした。
オッフェンブルクは、2001年10月、ローカルアジェンダ21への取り組みとして、市民参加のもと、2年間をかけてStadtkonzeption Offenburg 21を策定したことが日本のテレビでも紹介された。 しかし、日本の旅行ガイドブックにも載っていない小さな街のため、ホームページだけを頼りにこの街を訪れることにした。
駅前を出て、商店が建ち並ぶハウプト通りを歩くこと約10分、街の中心地マルクト広場に着いた。付近の古い街並みの中に、Rathaus(市庁舎)とPolizei(警察署)とHotel Sonneが並んで建っていた。 インフォメーションの場所が分からず、市庁舎に入り尋ねると、道向かいの路地を入ったBuerger Buero(さしずめ、市民窓口)の中だという。 その建物は、現代風の建築で、中では女性職員数名が市民の応対をしていた。日本のお役所とは雰囲気が異なり、順番待ちの市民が、黙って椅子に座り、待っていた。 また、その横には、Stadtkonzeption Offenburg 21に対する市長への意見箱も設置されていた。

そこで地図をもらい、市内の散策に出かけた。マルクト広場前にはテントが建ち並び、野菜や果物を求める人たちで賑わっていた。この街の公共交通手段はバスのようで、買い物を済ませたお年寄りが、バスを待っていた。
途中、Museum(博物館)に入ったが、地域の風土や歴史を紹介しているだけで、興味ある展示物はなかった。但し、入場料は無料。 入館者は数名で、暇を持て余した女性館員が東洋人に興味を示したのか、説明しましょうとドイツ語で話しかけてきた。 聞くと、英語は話せないとのこと。私も、旅行会話程度のドイツ語しか理解できなので、丁寧にお断りするしかなかった。
列車の時間待ちのため、駅前のカフェに入ったが、観光客が来るような街ではないので、賑わいはなかった。しばらく、町行く人達を見ながらコーヒーを楽しんだ。 夕刻、オッフェンブルクを後にし、IR(Inter Regio)でフライブルクへと向かった。所要時間は約40分であった。


フライブルク(FREIBURG)

翌日25日は、フライブルク(Freiburg)の街を散策した。しかし、朝から小雨が降り、肌寒い一日だった。
中央駅(Hauptbahnhof)の横の橋上にある停留所から路面電車(Strassebahn)で旧市街地へ向かった。歩ける距離であるが、乗り物には乗ってみたい子供心である。 地図をもらうためにインフォメーションに入ると、横に松山市のインフォメーションカウンターがあった。どうやら姉妹都市のようだ。
さて、もらった地図を見ながら、まずは、大聖堂(Muenster)訪れた。16世紀に完成したという教会は、修理中であったが、雨にもかかわらず多くに観光客が訪れていた。

そこから少し離れたところに、旧市庁舎と新庁舎があり、古い街並みに溶け込んで建っていた。大学もすぐ近くにあり、旧市街地は美しい街並みを形成していた。 特に、歩道の石畳は、平らな小石を張り詰めたモザイク模様で美しく、その横を細い水路が縦横に走っており、程度な勾配で勢いよく水が流れていた。
午後からは、路面電車で少し旧市街地から離れ、住宅地や学校の建ち並ぶ地区へ行ってみた。 フライブルクは環境都市として有名で、ゴミの分別収集には以前から力を入れている。住宅地を見てまわると、庭先には必ず分別のためのボックスが幾つも並んでいた。

また、フライブルクでは、黒い森(Schwarzwald)を守るため、自動車の排ガス対策にも力をいれており、市街地乗り入れ規制や路面電車をはじめとする公共交通機関の整備も行われている。 特に最近は、太陽光発電(ソーラー発電)にも意欲的に取り組んでいるという。
ここで不思議に思うのは、夏が短い緯度にありながら、どうしてソーラー発電なのかという疑問である。 しかし、ドイツでは、脱原発宣言し、ソーラー発電や風力発電をはじめとして、一見ささいな試みでも、環境問題に大真面目に取り組む姿勢が見られる。 ここが日本が真似できないドイツらしさなのかもしれない。

翌日26日、今日はハイデルベルクへ行く予定だが、急ぐ旅でもないので、早起きして、朝食後散歩に出かけた。 日本のガイドブックには出ていなかったが、インフォメーションでもらった地図にはロープウェイの案内があったので行ってみた。
場所は、大聖堂から徒歩10分程度のカールス広場(Karlsplatz)の近くで、陸橋を渡った所からロープウェイが出ていた。 しかし、運行は11時からなので、しかたなく歩いて小山に登った。15分ほどで中腹のレストハウスに着いた。そこからは、旧市街地がよく見え、撮った写真がこれである。


ハイデルベルク(HEIDELBERG)

9月26日、フライブルク(Freiburg)からハイデルベルク(Heidelberg)へと向かった。 明日は帰国するので、フランクフルト空港までさほど遠くないハイデルベルクにホテルをとったのである。 それと、日本人とアメリカ人が最も多く訪れるこの街を、一度は見ておきたいと思いもあったからである。
フライブルクからハイデルベルクまで、IR(Inter Regio)で2時間の旅であった。昼に到着したが、またもや雨が降り出した。憂鬱な気分でバスに乗り、旧市街地へと向かった。
しかし、ビスマルク広場(Bismarckplatz)から聖霊教会(Heiliggeisutkirche)に至るハウプト通りは、雨にもかかわらず観光客で賑わっていた。日本人観光客も多く、日本語で注文できますと表示しているレストランもあった。

以前から見たいと思っていた聖霊教会前の騎士に家(Haus zum Ritter)を見た後、ハイデルベルク城(Schoss Heidelberg)へ登ることにした。 ケーブルカーも運行しているが、徒歩10分という案内表示を信じ、歩いて登った。途中、教師に引率された子供達に追い越されたが、15分ほどで着いた。 城のバルコニーから眺める街並みは雨でかすみ、そばを流れるネッカー(Neckar)川は増水し、濁っていた。
ここにいた30分ほどの間にも、日本人の団体ツアー客が、ガイドとともにケーブルカーで登って来た。やはり、ここはドイツの観光コースなのだと実感した。

この後は、観光もそこそこに、土産を買うためにデパートや郷土品を売る店を回り、ほとんどの時間を費やしてしまった。
今回の旅行は短かかったので、キャリーバッグではなく、ショルダーバッグにした。しかし、それが間違いだった。 その夜は、本屋で買った辞書や写真集などが重く、土産もかさばり、パッキングには苦労した。

翌日27日は、RE(Regional Express)とICを乗り継いで、約1時間でフランクフルト空港駅に到着した。早めのチェックインを済ませ、いつものように某ラウンジでコーヒーを飲みながら、今回の旅行を振り返った。 同一通貨を使うEU市民にとって国境とは何なのか。12の星の環が描かれたEU旗のもと、EUの次なるステップはEU統合なのか。