ストラスブール | オッフェンブルク | フライブルク | ハイデルベルク |
2002年、EU通貨統合が行われ、ヨーロッパは新しい経済体制へと移行した。その空気を肌で感じたいと思い、ドイツ国境に近いフランスの街、ストラスブール(Strasbourg)を訪れることにした。
2002年9月22日の朝、2年ぶりにフランクフルト(Frankfurt)空港に降りた。早速、空港駅からIC(インターシティ)でオッフェンブルク(Offenburg)まで行き、そこで列車を乗り換え、フランスのストラスブールへと入った。
所要時間は、乗り換えも含め約2時間。オッフェンブルク駅から乗ったローカル列車は、途中、国境などないかのようにライン川を渡り、ストラスブール駅に到着した。入国審査はなく、列車を降りれば、そこはフランスだった。
この街は、ライン川を挟んでドイツと国境を接しているため、観光客は地の利からドイツ人が多く、話す言葉もフランス語とドイツ語である。店に入ってもドイツ語で十分通用した。 また、街のあちこちの建物には、12の星の環が描かれたEU旗がはためいており、国境を感じさせない街であった。
9月24日、ストラスブールを後にし、再び列車でドイツへ戻った。今日はフライブルク(Freiburg)まで行く予定だが、途中、オッフェンブルク(Offenburg)で下車をした。
オッフェンブルクは、2001年10月、ローカルアジェンダ21への取り組みとして、市民参加のもと、2年間をかけてStadtkonzeption Offenburg 21を策定したことが日本のテレビでも紹介された。
しかし、日本の旅行ガイドブックにも載っていない小さな街のため、ホームページだけを頼りにこの街を訪れることにした。
駅前を出て、商店が建ち並ぶハウプト通りを歩くこと約10分、街の中心地マルクト広場に着いた。付近の古い街並みの中に、Rathaus(市庁舎)とPolizei(警察署)とHotel Sonneが並んで建っていた。
インフォメーションの場所が分からず、市庁舎に入り尋ねると、道向かいの路地を入ったBuerger Buero(さしずめ、市民窓口)の中だという。
その建物は、現代風の建築で、中では女性職員数名が市民の応対をしていた。日本のお役所とは雰囲気が異なり、順番待ちの市民が、黙って椅子に座り、待っていた。
また、その横には、Stadtkonzeption Offenburg 21に対する市長への意見箱も設置されていた。
そこで地図をもらい、市内の散策に出かけた。マルクト広場前にはテントが建ち並び、野菜や果物を求める人たちで賑わっていた。この街の公共交通手段はバスのようで、買い物を済ませたお年寄りが、バスを待っていた。
途中、Museum(博物館)に入ったが、地域の風土や歴史を紹介しているだけで、興味ある展示物はなかった。但し、入場料は無料。
入館者は数名で、暇を持て余した女性館員が東洋人に興味を示したのか、説明しましょうとドイツ語で話しかけてきた。
聞くと、英語は話せないとのこと。私も、旅行会話程度のドイツ語しか理解できなので、丁寧にお断りするしかなかった。
列車の時間待ちのため、駅前のカフェに入ったが、観光客が来るような街ではないので、賑わいはなかった。しばらく、町行く人達を見ながらコーヒーを楽しんだ。
夕刻、オッフェンブルクを後にし、IR(Inter Regio)でフライブルクへと向かった。所要時間は約40分であった。
翌日25日は、フライブルク(Freiburg)の街を散策した。しかし、朝から小雨が降り、肌寒い一日だった。
中央駅(Hauptbahnhof)の横の橋上にある停留所から路面電車(Strassebahn)で旧市街地へ向かった。歩ける距離であるが、乗り物には乗ってみたい子供心である。
地図をもらうためにインフォメーションに入ると、横に松山市のインフォメーションカウンターがあった。どうやら姉妹都市のようだ。
さて、もらった地図を見ながら、まずは、大聖堂(Muenster)訪れた。16世紀に完成したという教会は、修理中であったが、雨にもかかわらず多くに観光客が訪れていた。
翌日26日、今日はハイデルベルクへ行く予定だが、急ぐ旅でもないので、早起きして、朝食後散歩に出かけた。
日本のガイドブックには出ていなかったが、インフォメーションでもらった地図にはロープウェイの案内があったので行ってみた。
場所は、大聖堂から徒歩10分程度のカールス広場(Karlsplatz)の近くで、陸橋を渡った所からロープウェイが出ていた。
しかし、運行は11時からなので、しかたなく歩いて小山に登った。15分ほどで中腹のレストハウスに着いた。そこからは、旧市街地がよく見え、撮った写真がこれである。
9月26日、フライブルク(Freiburg)からハイデルベルク(Heidelberg)へと向かった。
明日は帰国するので、フランクフルト空港までさほど遠くないハイデルベルクにホテルをとったのである。
それと、日本人とアメリカ人が最も多く訪れるこの街を、一度は見ておきたいと思いもあったからである。
フライブルクからハイデルベルクまで、IR(Inter Regio)で2時間の旅であった。昼に到着したが、またもや雨が降り出した。憂鬱な気分でバスに乗り、旧市街地へと向かった。
しかし、ビスマルク広場(Bismarckplatz)から聖霊教会(Heiliggeisutkirche)に至るハウプト通りは、雨にもかかわらず観光客で賑わっていた。日本人観光客も多く、日本語で注文できますと表示しているレストランもあった。
翌日27日は、RE(Regional Express)とICを乗り継いで、約1時間でフランクフルト空港駅に到着した。早めのチェックインを済ませ、いつものように某ラウンジでコーヒーを飲みながら、今回の旅行を振り返った。 同一通貨を使うEU市民にとって国境とは何なのか。12の星の環が描かれたEU旗のもと、EUの次なるステップはEU統合なのか。