第6回 環境問題シリーズ@「環境保護に関する市民主導」
日時:2005年10月22日(土)15:00〜16:30
場所:兵庫学校厚生会館
講師:慶応義塾大学 講師 ユルゲン ヴィッツシュトック(Juergen Wittstock)
ヴィッツシュトック(Juergen Wittstock)氏は、フランクフルト単科大学で社会教育を専攻され、ソーシャルワーカーのドイツ国家資格を持つ。現在、慶応義塾大学でドイツ語の講師をされるとともに、エコロジー関連の会社を設立、幅広く活動されている。日本滞在は11年で、日本語能力試験1級に合格、流暢な日本語で講演された。以下は、その講演の要旨である。
@緑の党(Die Gruenen)は、1979年に設立され、1980年代に勢力を増していった。フランクフルトのあるヘッセン州では、1982年に初めて議席を得た。連邦政府には、1998年に、ドイツ社会民主党と連立を組んで初めて政権に加わり、ヨシュカ・フィッシャーが外務大臣に就任した。
A1960年代の学生運動は過激であったが、1970年代になると沈静化した。1972年に発表されたローマクラブの「成長の限界」は、ドイツの学生運動のOB達に刺激を与え、環境問題への関心を広めることになった。
Bちょうどその頃、高校生であった私は、青年センター(Jngendzentrum)で時を過ごした。そこには、ソーシャルワーカーもいたが、すべてを自分達で管理し、民主主義を練習する場でもあった。
Cフランクフルト空港の拡張計画には、1967年から反対の署名運動があったが、1980年に裁判で反対派が敗れ、新しい滑走路の建設が承認された。大学生であった私は、環境を破壊する空港拡張の反対デモに参加した。それは、多くの市民が参加する平和的なデモ(passiver
Widerstand)で、多いときは15万人が参加した。当時、地元警察はデモの鎮圧に批判的であったので、ヘッセン州政府の要請により、ハンブルグなどから派遣された警察官がこれにあたった。
D反対派は、滑走路予定地の森に反対運動村(Huettendorf)を作り、その中に教会も建設した。また、アメリカからは、自然を守る先住民を招き、トーテムポールも立てた。しかし、225haの森は切られ、1984年に空港の滑走路は完成した。
Eデモは、民主主義の姿で、正しい方法と思っている。レーガン米大統領が、核ミサイル配備のためドイツを訪問した時には、120万人もの市民がボンに集まり、反対デモに参加した。
Fフランクフルト空港の雇用創出は、昔は24,000人と言われていたが、今は63,000人。2015年には、90,000人もの就労が見込まれている。
<講演を聞いて>
(1) 講演を聞いていて、かつての70年代の安保闘争や成田闘争を連想したが、ドイツでは、意志表示の手段としてのデモが根付いているようだ。そういえば、ドイツ旅行中にテレビニュースを見ていると、よくデモかパレードか区別のつかない場面が映し出されている。