ライプツィヒ/ハレ | ドレスデン | プラハ |


ライプツィヒ(LEIPZIG)/ハレ(HALLE)

2007年12月8日、4年ぶりにFrankfurt空港に降り立った。
今回の旅行の目的は、ドイツの Leipzig と Dresden にある生涯学習施設(Volkshochschule 。以下「VHS」と記す。)の訪問と、隣国チェコの首都Prag(プラハ)を訪れることである。
VHSは、現在の私の仕事と非常に関係が深い施設で、昨年来、一度は訪問して、この目で元気な高齢者が勉強している姿を見てみたいと思っていた。今回、Leipzig と Dresden のVHSを選んだのは、そのホームページが印象的であったこと。特に、VHS Leipzig の "Wir ueber uns" のスタッフ写真は大変魅力的で、親密感を感じたからである。
また、プラハは、6年前、一度は旅行を計画して、都合で取り止めた経緯のある街である。ちょうど、今回、訪問する Dresden と距離的に近いので、足を伸ばして行ってみることにした。
さて、Frankfurt空港から飛行機を乗り継ぎ、夕刻、Leipzig/Halle 空港に到着した。この空港は、Leipzig と Halle との中間に位置している。さっそく、空港駅から Frughafen Express に乗り、約15分で Leipzig 中央駅に到着した。7年ぶりの Leipzigだ。駅構内のクリスマスツリーが私を迎えてくれた。

翌9日は日曜日なので、Leipzig のお店は営業していないと思い、まだ行ったことのない Halle へ行くことに決めていた。Halleは、人口20万人ほどの街で、Leipzig からHalleへは、DBで30分ほどの距離である。
10時頃のDBに乗り、昨日、利用した空港駅を通り過ぎ、10時半頃にHalle中央駅に到着した。
旧市街地のマルクト教会を目印に、坂を下って行くと、マルクト広場にたどり着く。そこにはヘンデルの像があるはずなのだが、クリスマスマーケット(Weinachtsmarkt)のお店が取り囲んでいて、よく見えない。まだ11時頃だったので、人出はまばらだ。いくつかのお店を梯子しているうちに、荷物になるなあと思いつつ、民芸品を買ってしまった。

午後は、Leipzigに戻り、旧市街地を久しぶりに散策した。旧市庁舎前のマルクト広場を中心とした通りには、クリスマスマーケットの店が立ち並び、多くの人で賑わっていた。クリスマス用品や民芸品、飲食だけでなく、食器や衣類を販売するお店までもが出店していた。
また、現在、Leipzig大学が建て替え中と聞いていたので見に行った。高層ビルを取り囲むようにあった大学の校舎はすでになく、周辺は工事塀で囲われ、大掛かりな校舎建設が進んでいた。新キャンパスは、2009年にお披露目になるそうだ。

翌12月10日、生涯学習施設 VHS Leipzig を訪れた。
このVHSは、Leipzig市の施設で、中央駅から徒歩10分ほどの便利な場所に立地している。建物は、VHS 85年の歴史を感じさせる石造りのビルである。
VHS Leipzig には、2か月ほど前から E-mail で訪問を依頼し、事前に質問事項も送っていたので、はるばる日本から来た私を歓迎していただいた。
運営費に対する州の補助、運営スタッフ、高齢者の学習目的などを聞き、その後、館内を案内していただいた。また、高齢者のための英会話の授業も見学させていただいた。
詳しくは、レポート(PDF)をご覧ください。


ドレスデン(DRESDEN)

VHS Leipzig訪問を終え、その日の夕刻、DBでDresden へと向った。LeipzigからDresdenは、列車で1時間40分ほどの距離である。
Dresden中央駅を降りると、駅前には、再開発ビルが建ち、7年前に訪れた時と様相が一変していた。駅前から旧市街地へと向かうプラーガー通りとその先のアルトマルクト広場には、クリスマスマーケットの店が立ち並んでいた。

12月11日、この日の午後、VHS Dresdenを訪問する予定なので、午前中、小雨の中、旧市街地を散策した。
一番の目的は、再建されたフラウエン教会を見ることである。7年前に訪れた時は、まだ建設中で、地下部分しか見学できなかったが、この日見たフラウエン教会は、立派に再建され、整備された広場の中でそびえ立っていた。戦争で一夜にして破壊されたこの教会を、ガレキの中から石を拾い集め、再建したドイツの人々の偉業に感動した。
さっそく、エレベータで ドーム(Kuppel)に登った。そこからは、Dresden の街並みとエルベ川が一望でき、小雨ながら、すばらしい眺めだった。

フラウエン教会付近を散策した後、トラムに乗り、7年前は建設中であったVolkswagen のガラス張りの自動車工場を見にいった。もちろん外からだけだが、歩道からは、生産ライインの一部や納車待ちの新車が円筒形のパーキングに収められる様子を見ることができ、おもしろい。
また、アルトマルクト広場に面して立つアルトマルクト・ギャラリーは、最近できたショッピングセンターのようで、見ているだけで時間が過ぎてしまった。

その日の午後、VHS Dresden を訪れた。街の中心からトラムで20分ほど行った住宅地の中にある。VHS Dresden にも、2か月ほど前からE-mail で訪問を依頼し、事前に質問事項も送っていたので、VHS Leipzig同様、私を歓迎していただいた。
運営費に対する州の補助、運営スタッフ、高齢者の学習目的などを聞いた後、館内を案内していただいた。
詳しくは、レポート(PDF)をご覧ください。
なお、日本からのお土産で何がいいかと思案して、VHS Leipzig と VHS Dresdenには、日本の伝統的民芸品である木曽ひのき曲げのコーヒーカップを持参した。漆器であるが、リーズナブルな値段で、相手先にも喜んでいただき、賢明なプレゼントだったと我ながら納得した。


プラハ(PRAG)

翌日13日(水)、Dresden からチェコのPrag(プラハ)へと向った。列車ECは、20分遅れでDresden中央駅を出発した。2時間10分ほどの旅である。あいにくこの日も天気は悪く、車窓からの眺めは良かったとは言えなかったが、それでも、ゆったりと流れるエルベ川とその向こうに広がる広野を眺めていると、これこそが旅愁だと思った。
列車が国境に近づくと、チェコの入国審査官がパスコントロールに回ってきた。入国審査は、いたって簡単だった。
夕刻が迫る4時前、Praha-Holesovice(プラハ−ホレショヴィツェ)駅に到着した。さっそく、駅の両替所でチェコの通貨コルナに替え、地下鉄で市街地へと向った。ホテルにチェックインしたのは4時過ぎだが、街は既に暗く、夜になっていた。

翌12月14日は、一日、プラハの旧市街地で過ごした。
プラハで、私が思い浮かべるのは、スメタナの交響詩「わが祖国−モルダウ」。そして、1968年のチェコ自由化路線鎮圧と、それを題材にした春江一也著の小説「プラハの春」である。
最初に、旧市庁舎や天文時計のある旧市街広場へと向った。この広場では、ヤン・フス像を取り囲むかのようにクリスマスマーケットの店が立ち並んでいた。この時期、どこへ行っても同じ光景で、やや飽食気味である。
そこから、プラハ城へと向ったのだが、旧市街地は迷路のようで、遠回りしながらプラハ城へとつながる坂道にたどりついた。その坂を登ると、旧市街地が眼下に広がり、しばし見とれてしまった。プラハ城の衛兵がいる城門を抜けると、ゴシック建築の聖ヴィート大聖堂がそびえたっていた。
本当は半日程度いるつもりだったが、小高い丘の上で肌寒い風が吹いていたので、1時間ほどで旧市街地に戻ることにした。途中、帰り道を間違え、ペトシーン公園の方へ出てしまった。これも何かの縁と思い、ケーブルカーで丘に上ったが、展望台は冬季休館中で、付近を散策した後、早々と下山した。

その後、30体の聖人像が並ぶカレル橋を通り、橋のたもとに立つ橋塔に登った。そこから眺めるプラハ城は最高。お勧めのスポットだ。
そして、カレル橋の近く、ヴルタヴァ川(ドイツ名でモルダウ川)に面して立つ「スメタナ博物館」に立ち寄った。入館者が、私を含め2人だけだったのは意外だったが、おかげでゆっくりと見学することができた。
また、この付近は、プラハ観光の中心地とあって、あちらこちらに両替所と土産物店があり、さらに、アフリカ系と思われる人たちがコンサートの勧誘もしている。観光地であり、これもいたし方のないことなのか。

最後に、ヴァーツラフ広場(広場というより、大通り)へと向った。ここは、1968年、自由化路線へと進むチェコをソ連が率いるワルシャワ機構軍が武力で押さえ込んだ悲劇の広場だ。当時、学生だった私は、40年近くたった今もこの事件のことが心の片隅に残っている。ようやくその地を訪れ、心のしこりが取れた気がした。

12月15日、早朝にチェックアウトし、共和国広場前から発車するミニバスでプラハ・ルズィニェ空港へと向った。後は、フランクフルト経由で、関空へ帰るだけだ。6泊8日の短い旅行だったが、Leipzig と Dresdenでは、Volkshochschule を訪問することができた。
ドイツの VHS は、子供から高齢者まで、幅広い世代を対象とする生涯学習施設なので、日本の高齢者学習施設と単純に比較することはできないが、収穫のあった訪問だった。ただ、訪れた季節が冬で、屋外で行動できる時間が短かったことが残念であった。