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ベルリン(BERLIN)

1999年10月27日、フランクフルト(Frankfurt)でベルリン(Berlin)行きのルフトハンザに乗り継いだ。機内の雑誌を見ていると、ガラス張りの奇怪なドームが目にとまった。 隣の若いドイツ女性に聞くと、最近、ベルリンに完成したドイツ連邦議事堂(Reichstag)のドーム(Kuppel)で、大変な人気だという。早速、明日行こうと思った。飛行機は、夕刻のテーゲル(Tegel)空港に到着し、路線バスで市街地へと急いだ。

翌朝、遅目の朝食を済ませ、ツォー(Zoo)駅前からバスに乗りこんだ。目的は、1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツ統一の歴史的象徴となったブランデンブルク門(Brandenburger Tor)である。 当時のテレビ映像を思い出しながら、門をくぐり抜けた。
北側には連邦議事堂があり、昨日、機中で聞いたドームに登ろうと、行列に並んだ。幸い午前中だったので、30分ほどでエレベータに乗れた。途中、ガラス越しに、青紫色の円形の椅子が並ぶ議事堂内部が垣間見れた。

屋上のガラス張りのドームの中は、らせん状のスロープを歩いて進むよう設計されており、体験したことのないファンタジーな世界であった。
特に圧巻だったのは、屋上から見たベルリンの風景である。360度、いたるところ建設用のクレーンが林立し、その姿は、ヨーロッパの工事現場と呼ぶにふさわしい光景であった。

連邦議事堂を後しに、菩提樹の並木道(Unter den Linden)をペルガモン博物館(Pergamonmuseum)へと向かった。この博物館には、紀元前のゼウスの大祭壇などの古代遺跡が展示されており、そのスケールの大きさに感歎した。 反面、他国の遺跡を自国に持ち帰った当時の覇権主義を、20世紀の遺物として展示しているようでもあった。

博物館を出て東に進み、ベルリン大聖堂(Berlin Dom)の前を通り、アレキサンダー広場(Alexanderplatz)へと向かった。マリエン教会(Marienkirche)の横にテレビ塔(Fernsehturm)があり、登ることにした。エレベータに乗るのに20分ほど待ったが、展望台からは、すばらしい晩秋のベルリン市街を一望することができた。

それから、13世紀に建てられたというニコライ教会(Nikolaikirche)のあるニコライ地区へ行った。すぐそばを運河と見間違えたシュプレー(Spree)川が流れていた。テラスにはカフェの椅子が並び、遠くにはベルリン大聖堂も見え、落ち着いた景観をかもし出していた。
帰り道、金色に輝く女神を頂上にいただくジーゲスゾイレ(Siegessaeule)の塔に寄り道をした。バスから降り、人影もまばらな地下道を通らなければならず、少し不安を感じたが、他の旅行者の後をついて行くことにした。

ツォー駅に戻ると、そこはその名のとおり、ベルリン動物園(Zoologischer Garten)である。夕刻まで少し時間があったので、入園することにした。パンダは日本で何回か見ているが、まずはパンダ舎へ向かった。しかし、あいにく昼寝中で身動きひとつしない。しかたなく、園内を散歩した。
日本の動物園と異なり、公園の中に動物の飼育舎が点在しており、騒々しい遊具やアトラクションなどは全くなかった。

翌日は、東西ベルリンを分断していた壁を見るため、ホテルを出発した。壁の崩壊から10年、現存している壁は少なく、シュプレー川沿いに残っている壁を見に行くことにした。
ツォー駅で乗ったSバーン(電車)が走り出すと、目的とは反対方向に電車が走り出し、見る見る景色が郊外へと変わって行った。乗る電車を間違えたのである。大都市ベルリンを電車で10分も郊外に出ると、広大な森が広がっている。これがヨーロッパなのだと実感した。
郊外の駅で戻りの電車に乗り換え、目的地Warschauer Strasse駅へ着いた。歩くこと10分ほどで、Muehlenstrasseにある壁に着いた。
壁は芸術家によってペインテングされていたが、1961年から1989年まで28年の長きにわたり、西ベルリンを取り囲んでいた壁である。コンクリートに手を触れ、その感触を確かめながら、かつての冷戦時代に思いをはせた。
壁が途切れた一角で、中老の男性が観光客相手に壁の破片を売っていた。しかし、買う気にはなれず、かっての壁の位置を示した地図を一枚購入した。

壁を後にし、Uバーン(地下鉄)で壁博物館(Haus am Checkpoint Charlie)を訪れた。ここは、かつて検問所があった場所だ。 東ベルリンから西ベルリンへの脱出劇を物語る品々が展示されており、展示パネルの説明書きを拾い読みしていると、胸が痛んだ。親子連れの姿が目に付き、壁が崩壊した頃に生まれたであろう10歳位の男の子に、父親が真顔で説明している姿が印象的であった。

冷戦時代の負の遺産を見たので、今度は、ベルリンで最も開発が進められている地区、ポツダマー広場(Potsdamer Pl.) へと向かった。Uバーンを降りて地上に出ると、ソニーセンターの建物が目に飛び込んできた。 インフォボックスの屋上には、工事見学者用の展望台が作られ、建設風景を見ることができた。まさに、統合ドイツの力強さと発展を感じさせるスポットであった。
その後、ソニーセンターの横を通り抜け、近代絵画を展示する新ナショナルギャラリー(Neue Nationalgalerie)に入った。

夕刻、戦争の悲惨さを残したカイザー・ヴィルヘルム(Kaiser-Wilhelm)記念教会を横に見ながら、繁華街クーダム(Ku'damm)へと歩いた。デパートKaDeWeでは、ハーブティを買おうと売り場へ行ったが、種類の多さに戸惑った。効能書きもよく読まないまま、何種類かを買ってしまい、帰国後、辞書と首っ引きで調べるはめになった。


ニュルンベルク(NUERNBERG)

10月30日、ベルリンのテーゲル(Tegel)空港からニュルンベルク(Nuerngerg)へ飛んだ。飛行機は定員35名ほどのコミュータ機。以前、オーストリアのウィーン(Wien)からザルツブルク(Salzburg)へ飛んだ時もそうであったが、比較的低空を飛行するので、風力発電の風車が林立している地表の様子がよく見え、これがなかなか面白い。

空港へ着いたが、市街地へ行くバス乗場がわかりにくく、インフォメーションで尋ねた。ようやくバスに乗り込んだが、途中、運転手がここで降りろと言う。そこは郊外の地下鉄の駅であった。 後でわかったことだが、空港まで地下鉄が延伸していないため、最寄駅までバス運行していたのである。親切なご婦人が、地下ホームまで案内してくれた。何しろ、バスから降りた外国人らしき人物は、私一人であった。

ニュルンベルクについては、世界史で習った第2次世界大戦の戦犯を裁いたニュルンベルク裁判のことしか知識がなかった。しかし、その地名がずっと心から離れず、一度は訪れてみたい街の一つであった。

ホテルにテェックインし、早速、城壁に囲まれた旧市街地へ出かけた。ケーニヒ通りを進み、聖ローレンツ教会(St.Lorenz Kirche)の前を通りすぎると、ゴシック調のフラウエン教会(Frauenkirche)が見えてきた。教会の前のマルクト広場では市が開かれ、多くの人で賑わっていた。
そこを通り抜け、12世紀に造られたという古城カイザーブルク(Kaiserburg)を目指し、坂道を登った。その展望台からは、第二次世界大戦でほとんど破壊されたと言われるレンガ色の街並みが、美しく蘇って眼下に広がっていた。

今日は土曜日とあって、旧市街地は、買い物や食事をする地元の若者や家族連れで大変な人出であった。ショーウィンドーごしに猫の陶器プレートが目にとまり買うことにした。年配の店員は英語が通じず、やむなく片言のドイツ語で話した。

土産を買ったその足で、ドイツ鉄道博物館(DB-Museum)へ向った。ここは鉄道マニアなら大喜びしそうなところで、鉄道の歴史の展示だけでなく、本物のIC特急や昔のSLなどの実物が、館内所狭しと展示されていた。


ローテンブルク(ROTHENBURG)

10月31日、ニュルンベルグ(Nuernberg)から日帰りで、ローテンブルグ(Rothenburg ob der Tauber)へ行くことにした。ローカル線をAnsbachとSteinachで2回乗り継ぎ、1時間少々でローテンブルク駅に着いた。列車から降りた乗客は10名ほどで、観光客の大半は、車かバスで来ているようだ。

駅から城壁の入口まで歩くこと5分、そこから市庁舎(Rathaus)をめざして石畳を道なりに歩いて行った。両側には土産物店が店を並べ、特に、仕掛け時計が鳴る時刻になると、市庁舎前のマルクト広場には大勢の人が集まってきた。日本語もあちこちで耳にした。

城壁の中は小さな町なので、時間をかけてブルク公園(Burggarten)まで散策をした。城壁の上は一人通れる程度の通路になっており、途中から、この上を歩いてレーダ門(Roedertor)まで戻ってきた。門の横に塔があったので登った。そこからは、今歩いて来たローテンブルク街並みを一望することができ、すばらしい眺めだった。

帰りの列車で、Yahooに勤めるエンジニアと向かい合わせに座った。彼も休暇で、アメリカのサンタクララから一人でドイツに来ていた。


マインツ(MAINZ)

11月1日、ニュルンベルク(Nuernberg)からICに乗り、マインツ(Mainz)へ到着した。駅舎と駅周辺が工事中で、旅行者のためのサイン表示が見つからず、不便を感じた。荷物をコインロッカーに預け、まずは、旧市街地にある大聖堂(Dom)をめざして歩いたが、これが思った以上に遠かった。

マルクト広場で小休止した後、戦災の被害を免れたキルシュガルテン(Kirschgarten)の路地を通り、小高い丘に建つザンクト・シュテファン教会(St.Stephaens Kirche)の扉を開けた。この教会のステンドグラスはシャガールの作で、それは圧巻であった。 薄暗い教会内でステンドグラスの写真を売っていた老婆から数枚買った。マインツを訪れるなら、一番に薦めたいのがこの教会である。

駅前に戻り、ハムサンドを買った。去り際、店員の女性から、"Tschuess!"(英語の“bye”)と挨拶をされた。このドイツ語の発音は爽やかで耳に残った。後々、この発音を思い出しては、使ってみた。

ライン川河畔のホテルにチェックインし、夕刻まで川岸でハムサンドを食べながら、行き来する貨物船を眺めていた。川の流れに逆らう上りの貨物船の船足は遅かった。上空には、フランクフルト・マイン空港から発着する飛行機が飛び交っていた。ホテルに戻る途中、ハンガリーから来たという夫婦に出会い、写真を撮ってもらった。


コブレンツ(KOBLENZ)

翌朝11月2日、ライン(Rhein)川沿いの風景を楽しもうと、ライン川左岸を走るICではなく、右岸を走るローカル線SEに乗り込み、マインツ(Mainz)からコブレンツ(Koblenz)へと向かった。
列車はヴィースバーデン(Wiesbaden)の駅で乗り込んできた子供の集団を乗せ、折り返して走り出した。あいにくの小雨であったが、対岸の古城や斜面のブドウ畑を眺めながら、川の流れに沿った晩秋の列車の旅は風情があった。列車は、駅々で土地の人達を乗り降りさせ、2時間かけてコブレンツに到着した。

改修中のコブレンツ駅を出て左手に進み、旧市街地をめざした。サマータイムも終わり、ライン川の船着場には、今年の役目を終えた観光船が人影もなく係留され、団体客目当ての土産物店も鎧戸を下ろしていた。

ライン川とモーゼル(Mosel)川の合流地点ドイチェスエック(Deutsches Eck)に立ち、ライン川を行き来する貨物船を眺めていると、対岸に戦車を積載した貨物列車が線路をゆっくりと通りすぎて行った。ああ、この国には軍隊があるのだと再認識した。

明日は帰国の途につく。旧市街地のショーウィンドーに並ぶクリスマス商品を見ながら、カフェでコーヒーとケーキを食べ、しばしの時間を過ごした。