ザルツブルク |
ウィーン |
1998年10月27日、ウィーン国際空港でザルツブルク(SALZBURG)行きの飛行機に乗り替えた。チロル航空の双発コミュータ機は、比較的低空を飛び、1時間ほどでザルツブルクに着いた。
空港からホテルへ向かうタクシーのラジオから懐かしい歌声が聞こえてきた。CLIFF RICHARD(60年代のイギリスの歌手)の「Lucky Lips」だ。昔、高校時代に買ったレコードを想いだし、30年数年前にタイムスリップした感覚を覚えた。

翌朝、ホテルの窓から眺めた遠くの山並みは白く、雪のようだ。朝食後、観光スポットが無料で入場できる「ザルツブルクカード」を購入し、雨上がりの歩道を歩きながら旧市街地へと向かった。“ザルツブルク音楽祭”で有名な古都の街は、肌寒く、ハーフコートが役に立った。
ザルツァッハ川を渡り、旧市街地のレジデンツ広場(Residenzplatz)を通り抜けると、ホーエンザルツブルク城塞(Festung Hohensalzburg)がそびえたっていた。

城塞ヘ登るため、ケーブルカーに乗った。午前10時を過ぎていたが、小雨まじりの天気のため、乗客はまばらで、ガラス窓の曇りが外気温の低さを物語っていた。
ケーブルカーを降り、城塞のテラスに出ると、大聖堂をはじめ、ザルツブルクの美しい旧市街地の街並みを眼下に見下ろすことができた。さらに、ザルツァッハ川の向こうには、新市街地が広がっていた。
ホーエンザルツブルク城塞は、現存する17世紀の城塞の中でも、最もよく保存されていると言われている。

城塞はやはり寒く、1時間ばかりで降りた。大聖堂(Dom)の前を通り、モーツァルト広場(Mozartplatz)を抜け、鍛鉄造りの看板がぶら下がる小路ゲトライデガッセ(Getreidegasse)へと向かった。
そこには、黄色い壁のモーツァルトの生家(Mozart Geburtshaus)が建っているが、店に隣接しているため、気づかずに一度前を通りすぎてしまった。モーツァルトが青春期までを過ごしたというこの建物には、当時の楽器や自筆の手紙などが展示されていた。
ゲトライデガッセの路地を少し入ると、中庭があり、そこにも店が続いていた。ちょっとした迷路を歩く気分を味わいながら、大学の広場との間を往復し、ショーウィンドを楽しんだ。

ザルツァッハ川の岸辺を散歩しながら、ザルツブルクの自然と静けさにひたっていると、夕刻が近づいてきた。急いでメンヒスベルク(Moenchsberg)の小山に登ることにした。エレベータで展望台に出ると、午前中に登ったホーエンザルツブルク城塞が対峙するかのように岩盤の上に建っていた。
シンガポールから来たご夫婦に写真を撮ってもらったが、薄暗く、きれいな写真が撮れなかったのが残念だ。

3日目は、午前中に、ミラベル庭園と宮殿(Mirabellgarten und Schloss)を散策した後、午後から、ザルツカンマーグート(SALZKAMMERGUT)の観光バスツアーに参加することにした。
映画「Sound of Music」の舞台となった湖水地方をめぐるコースだ。湖と草原の美しい景色を期待していたのだが、山間に入るにつれて天気は雨に変わり、写真が撮れなかったのが残念だ。
バスは、ザンクト・ギルゲン(St.Gilgen)、ザンクト・ヴォルフガング(St.Wolfgang)を巡り、途中、土産物店にも立ち寄った。
Salzburg(塩の城)の名の由来のとおり、ハーブ入り岩塩を半ダース買ったが、塩は土産物にするには結構重いと後になって実感した。最後は、モントゼー(Mondsee)に立ち寄ったが、既に日没で、教区教会の中は暗く、全く何も見えなかった。こんなツアーもあるのかと少々あきれた。
10月30日、列車ICでウィーン(WIEN)に向かった。ザルツブルクから3時間半の旅だ。奮発してファーストクラスのコンパートメントを予約したので、ゆっくりと車窓の景色を眺めながら、旅することができた。
途中、飲み物サービスが来たので注文すると、インスタントコーヒを目の前で入れてくれた。これには興ざめしながらチップを渡した。列車は、昼過ぎにウィーン西駅(Wien Westbahnhof)に到着した。

先ずは、市内の交通機関が乗り放題になる「ウィーンカード」を購入して、地下鉄でシェーンブルン宮殿(Schloss Schoenbrunn)へと向かった。
ガイドフォンを借り、かつてのハプスブルク家の繁栄を物語る宮殿を見学をしたのち、庭園に出た。
観光シーズンは終わっていたので、広大な、本当に広大な敷地の花壇に花一つなく、何とも寂しい風情であった。人影もまばらで、ローマから来た新婚夫婦に出会い、昨年旅行したイタリアの話をしながら写真を撮ってあげた。

翌31日は、かつて旧市街地を取り囲んでいた城壁跡であるリンク(Ring)の内側、インネレシュタット(Innere Stadt)を中心に見学した。
オペラ座前からケルトナー通りを抜け、観光の中心地、シュテファン寺院(Stephansdom)へと向かった。地下鉄駅もある寺院前の広場には、大道芸が出て多くの観光客で賑わっていた。
エレベータで寺院の塔に登った後、少し路地に入り、モーツァルトが「フィガロの結婚」を作曲したというフィガロハウス(Figaro-Haus)を訪れた。そこでは、CDをヘッドフォンで聞くことができ、ひと時の休息ができた。
次に、ブリューゲルの作品などを展示した美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)、ウィーン市歴史博物館(Historisches Museum der Stadt Wien)を見学した。特に歴史博物館では、ウィーンに城壁があったころの街の模型が展示され、興味を引いた。

午後3時ごろまで博物館の中にいたので、気分転換に地下鉄でプラーター遊園地(Prater)へ行くことにした。目的は、イギリス映画「第三の男」に登場した観覧車に乗ることだ。
アントン・カラスの奏でるサウンドトラックのチターの旋律を口ずさみながら、日本にはないマイクロバスほどの大きさのゴンドラに乗り込んだ。地上65メートルの観覧車の窓からは、晩秋のウィーンの景色を360度堪能できた。
ところで、この遊園地には、入園の料金ゲートがなく、市民に開放されている。うらやましい限りだ。土曜日なので、家族連れが多かったが、日本の遊園地のような混雑はなく、市民はゆっくりと休日を楽しんでいた。

翌11月1日は、午前中、フランツ・ヨーゼフの后妃エリザーベトがかつて住んでいたハプスブルク王宮(Hofburg)を見学した。観光客用の馬車が客待ちをしている広場を通り抜け、ミヒャエル門の丸屋根の下から王宮に入った。
エリザーベト没後100年が経った今、当時の繁栄を思い浮かべながら、宰相宮やアマリア宮を見て周った。

王宮から路面電車が走っているリンクに向かって歩くと、国会議事堂に突き当たる。周辺には、市庁舎やウィーン大学があり、散策にはもってこいの場所だ。
丁度、大学前の道路を挟んだ通りにハンバーガーショップが目に止まった。お腹もすいてきたので、ここで昼食を食べることにした。

お腹も膨れたので、午後からの行動に出た。路面電車から地下鉄に乗り換え、ドナウ川を越えて国連のUNO-Cityまで足を延ばしてみた。しばらく周辺を散策した後、再びリンクに戻った。
ヨハンシュトラウスやシューベルトの像などがある市立公園(Stadtpark)で路面電車を降り、歩いた。街角では、モーツァルトの時代の衣装を着た若者が、音楽チケットを売り歩いていた。
ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere)では、日曜日とあって家族連れの姿が目に付いた。
11月2日は、ただ日本に帰るだけの日程。ザルツブルク3泊、ウィーン3泊の短い旅であったが、仕事を忘れ、ゆっくりとオフを楽しむことができた。惜しむらくは、前半、天候が悪かったことだが、この時期としては仕方のないことだ。