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フィレンツェ(FIRENZE)

1997年6月29日、関空からイタリアへ向かって飛び立った。動機は、職場のカフェテリアのガラス・エッチング絵だ。それは、フィレンツェの街並みをモチーフにしており、毎日、そのエッチングを見ていると、本当のフィレンツェの街を見たくなった。
飛行機は、ミラノのマルペンサ空港に予定より30分遅れて到着した。そこから国内線に乗り換え、フィレンツェに飛ぶ予定だったが、入国審査を終えた頃には、乗り継ぎ便の搭乗手続が締め切られていた。航空会社の女性スタッフは、「special flightを用意します。」と言う。案内されたのは、大型観光バスだった。 日本人・イタリア人合わせて約20名がバスに乗り込み、それから4時間の長旅になった。途中、ホテルに遅延の電話をし、食べ物や水を買い、ようやくフィレンツェに着いたのは、夜の11時だった。

翌朝、遅目の朝食を取り、フィレンツェの市内観光に出かけた。まずは、フィレンツェで最も有名な建築物ドゥオモ(Duomo)へと向かった。 14世紀に約140年の歳月をかけて建てられたという石の建造物は、圧倒するかのごとく大きく、そのファサードも美しかった。 ドゥオモの向いには、11世紀に建てられたといわれるサン・ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero di San Giovanni)がある。その前のドゥオモ広場は、世界から集まってきた多くの観光客で賑わっていた。

ドゥオモの内部を見学した後、クーポラの内側に描かれた天井画「最後の審判」を間近に見ながら、螺旋階段を登って屋上のテラスに出た。爽やかな風が吹き、そこから眺めるフィレンツェの街並みは素晴らしかった。
向かいには、14世紀に完成したといわれるジオットの鐘楼(Campanile di Giotto)が建っている。ここまで来て登らない理由はないと思い、続いて、ここも階段で登った。さすがに、2箇所も階段を登ると、足が疲れた。

続いて、シニョリーア広場(Piazza della Signoria)を通り、ヴェッキオ橋(Ponte Vecchio)へ向かった。この橋の両側には金銀細工やカメオを売る店が所狭しと並んでいる。 この一帯は、日本からの観光客も多いので、「両替」などの漢字もよく目に付いた。しかし、いくら観光とはいえ、ルネッサンス発祥の地に漢字は不釣合いだ。 橋を渡るとピッティ宮(Palazzo Pitti)があり、そこのパラティーナ美術館(Galleria Palatina)では、ラファエロの作品を多く鑑賞することができた。

この日の最後は、路線バスに乗り、ミケランジェロ広場(Piazzale Michelangiolo)へ行った。そこからは、アルノ川(Fiume Arno)を挟んでフィレンツェの街並みが眺められた。それは、正にカフェテリアのエッチング絵そのものだった。 旅行のきっかけとなった風景を十二分に確認することができ、満足した。この広場には、大きな駐車場もあり、フィレンツェの街を眺めるには、お勧めのビューポイントだ。

7月1日は、昨日に引き続き、市内の美術館巡りをした。まず、ウフィッツィ美術館(Galleria degli Uffizi)へ行ったが、はや入館者が列をなしており、結局、1時間以上も待たなければならなかった。しかし、ようやく入館し、写真でしか見たことがなかったボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」などを目の当たりにした時は、感動した。本物なのだ。
続いて、パラティーナ美術館(Galleria Palatina)を見学した後、アカデミア美術館(Galleria dell'Accademia)に入った。ここも40分待ちであった。 ミケランジェロの「ダヴィデ像」は、想像以上に大きく、圧巻だった。次に、サンタクローチェ教会(Chiesa di Santa Croce)へ向かった。
観光客の集まる所には、新聞紙を持った子供と母親らしい女性がいる。明らかに子供を使ったスリだ。自分から近寄らないことか、近寄ってきたときは、追い払うしかない。 “special flight”のバスの中での話だが、数名の子供が近寄ってきて、ズボンのポケットに入れていた財布を盗まれそうになったという話も聞いた。


シエナ(SIENA)

翌7月2日は、フィレンツェからシエナ(SIENA)へ行くことにしていた。この日は、偶然にもシエナのパリオ競馬祭の日だ。8時過ぎの高速バスに乗り、高速道路を走って1時間少しで着いた。
午前中は、大聖堂ドゥオモ(Duomo)とドゥオモ美術館を訪れた。シエナは、13世紀から14世紀にかけて栄えた街だ。丘陵地のため坂道が多く、店も坂道の両側に建ち並んでいる。お昼前から人出が増え、店も賑わい始めた。

祭りは、プッブリコ宮(Palazzo Pubblico)の前に広がるカンポ広場(Piazza del Campo)で行われるが、午後1時を過ぎても一向に始まる気配がない。聞くと、祭りの開始は夕刻だという。後4〜5時間も待つ気力は無かったので、土産物を買って帰ることにした。
帰りのバスのチケットを買い、バスに乗ったが、発車してからローカル路線のバスだとわかった。バスは、トスカーナ地方の丘を登ったり下ったりして、田舎の町々に停まり、2時間ほどかけてフィレンツェに戻ってきた。時間はかかったが、高速バスでは味わえないローカルな旅が楽しめ、結果として良かった。


ミラノ(MILANO)

7月3日は、列車EUROSTARでミラノ(MILANO)に向かった。1960年代、イタリアの女性歌手GIGLIOLA CINQUETTIの「夢みる想い」が日本でもヒットした。そんなことを想いながら、車窓の山並みを眺めていると、前の座席の女性が携帯電話で話し始めた。ビジネスウーマンらしく、1時間以上も喋り捲っていた。何を言っているのかは解らないが、これには閉口した。
列車は、ミラノ中央駅に着き、ホテルに荷物を預けて、早速、地下鉄でドゥオモ(Doumo)へと向かった。

駅の出口を上がると、目の前にゴシック建築のドゥオモがそびえ建っていた。その質感には圧倒された。礼拝堂のベンチでしばらく休んだ後、エレベータで屋上に上がった。そこはドゥオモの屋根で、彫刻された尖塔や彫像が間近に見られ、石の文化の壮大さに感歎した。
ところで、新品の靴を履いて行ったせいで、両足に靴擦れを起こしてしまった。ミラノ中央駅構内の薬店で消毒液とバンドエイドを買い、痛む足をかばいながら、早々とホテルにチェックインをした。

7月4日は、まず地下鉄の一日券を買い、一番に行きたかったサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)へと向かった。そこは、レオナルド・ダ・ヴィンチのフレスコ画「最後の晩餐」がある所だ。 地下鉄を降り、教会に着くと、すでに行列ができていた。しかし、幸い、30分ほどで入ることができた。15世紀末に描かれた「最後の晩餐」は、修復作業のため足場が組まれていたが、本物を自分の眼で見ることができた。なんとすばらしいことか。
続いて、サンタンブロージョ教会(Basilica di Sant'Ambrogio)に立ち寄った後、スフォルツェスコ城(Castello Sforzesco)に行った。城壁をくぐると、背後には、緑豊かなセンピオーネ公園(Parco Sempione)が広がっていた。丁度昼時なので、木陰のベンチで持参の軽食を食べながら、1時間ほど休息を楽しんだ。

さて、地下鉄でドゥオモ駅に戻り、広場に出ると、偶然、“special flight”のバスで一緒だった2人連れに出会った。彼女たちは、フィレンツェの後、ヴェネツィアを周ってミラノに来たそうだ。しばらく話した後、私は夕方まで買い物に時間を費やした。とは言っても、ブランド物には興味がなく、もっぱら家族や職場への土産だ。 ドゥオモ広場の北側からオペラで有名なスカラ座(Teatro alla Scala)近くには、多くの店が建ち並び、特に、ガラスの丸天井を持つガッレリア(Galleria Vittorio EmanueleU)は、多くの観光客で賑わっていた。

7月5日の朝、ミラノ中央駅前から空港シャトルバスでマルペンサ空港へ向かった。久しぶりの海外であったが、トスカーナ地方の青空と本物の芸術作品に会えた楽しい旅だった。イタリアの通貨レートは、100Lit.(リラ)が約7円なので、アイスクリーム1つ買うのに3,000Lit.を支払う。この感覚がなかなか馴染めなかった。 帰国の機中、忘れていた仕事のことが次々と頭を過ぎる。逆説的に言えば、旅行中は仕事のことを全く考えなかったと言うことだ。一年に一度くらい、そんなオフがあっても良いのではと自分に言い聞かせた。