TOP >付属写真館『ラッシーのお散歩』堅田編 |
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堅田は琵琶湖のちょうどくびれた部分の西岸にある。琵琶湖大橋がかかる。琵琶湖の名所としてよく採り上げられる浮御堂(満月寺)はその一角にある。
観光といえば、この浮御堂だけで満足してしまう人がほとんどだろう。が、堅田は今は大津市に組み込まれているとはいえ、大津とは全く別の発展をしてきたエリアだ。
歴史上もっとも早く記録にあらわれるのは、十一世後半。京都・下鴨神社の御厨(みくりや、神社の所領)としてだ。次第に延暦寺が支配を強めたが、機会を見つけては堅田の住人らは反発する。
争った相手としてはこの延暦寺、守護大名の佐々木氏などなど。室町時代には湖上関(湖上の関所)の管理権を握り、権勢を握った。一時はほぼ自治権を握り、大阪湾の堺と同じような立場であったらしい。
その後、延暦寺の巻き返しや、織田信長の圧力により、自治権は生滅。江戸時代は幕府の直轄領や堅田藩などと変遷した。
自治権は生滅しても、湖上交通の要所であることは違いなく、港に関する旧跡が集落のあちらこちらに残る。 |
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