友人Fさんのお祖母様が書かれた、『船場ノスタルジー日記』 了承を得て掲載します。
   
  その中には、大正末期から昭和にかけてのお祖母様が少女の頃の大阪の中央部、
      
    北浜界隈や船場の町並み、懐かしい大阪弁、等が使われています。
         
      その頃の町の風景など、想像しながらごゆっくりとお楽しみ下さい。

第一話 旬の味


御近所に田辺という豆腐屋があった。毎年五月頃になると「木の芽田楽いたします」という貼紙が出される。そうすると時々「今晩田辺はんの田楽たのもか?」と言う事になります。女中さんに注文に遣ると時を見計って、黒塗りの内側に朱の美しい田楽箱に焼豆腐を竹串に刺し、木の芽をたっぷり刻んだ田楽味噌をぽってり掛けて持って来て呉れる。なんと美しいこと。黒塗りの蓋の縁にも一寸と朱の線が入っていて見るからに美しく美味しそう。田楽のある晩は嬉しかった。家族揃って父は晩酌の一杯もすすんだことだろう。今こんな事をしてくれる豆腐屋は探してもない。

又夏は青い柚を刻んだ柚入り奴。氷の氷片を浮かして掬い乍ら食べるのも美味しい。削り鰹をかけて、たっぷりと。

又この季節は魚島で鯛の旬。明石の鯛は上等上等。この活の良いのを魚屋に頼んでおいて日頃お世話になったお家へ。この時代、分家から本家へ、又別家から主家へなどの贈物にする。黒塗りの長方形の箱に松葉を敷きお鯛を置き、蓋をすると、魚の尾の先がチラッと箱から覗いてみえるのは又美しい。之を縞の着物を着た女中(おなごし)か丁稚さんにお使いさして持参する。黒塗りの箱に金鱗の鯛、青い松葉、実にコントラスト上々、美しい。このとき、先方ではおための紙に、丁稚さんならポチ袋に少々のおちん。女中(おなごし)さんには半襟の一かけか又は腰紐などがおちんに入っているので、それが楽しみでお使いは皆喜んでして呉れた。

今日も又 夕焼け雲や冷奴  桂堂

第二話 夕涼み

ぱりっと糊の利いた浴衣を着て、(又浴衣替りに涼しげに大人用の甚平さんを着ていた人もあったが)夕食後門口に床几を出し、莨盆の一つも置いて、扇子をつかひながら「誰か来んかナー」とキョロキョロ街角を眺めていると、

常連の小父さん達が「ヤーヤー」と扇子を片手にやって来る。
時には小母ちゃんも一緒に、そうなると賑やか賑やか、毎晩毎晩まあよく話も有るもんやナーと思ふ位、おっちゃんおばちゃん達の今時の時事放談がはじまる。よく話を聞いていると「アノー、馬糞が、ええ朝顔の肥料になりまっせ」と一人が云ふ。皆「フーン」「ほな皆よって馬糞集めしまひょか」なんて云ふけったいな話や、其他いろいろ。何しろこの頃は自動車なんてめったに通らないし、朝早くから、馬車や牛車が荷物を運ぶんだ。それに人が引いていく大八車位なものだったから。

こうして話に花が咲く父は「隆一、一寸ビール持って来てんか。」となる。そうしたらコップ二、三個。ビール一本おつまみ少々と云ふ具合に持って行くんだ。夜の更けるまで大人達の話はつづく。まあまあ十時頃には、そろそろ帰ろうか「今夜も暑うて寝れまへんナー」と言いつつ帰っていく。おやすみ。

第三話 夜 店

「とうさん、夕飯すんだら一、六、へいきまひょか。」と女中(おなごし)さんが誘って呉れる。「うん。行こう。」と早速同意。母にせがんで十銭貰いギュッと手に握って出かける。其の頃は、一日と六日。十一日と十六日。といふ風に、一と六のつく日に平野町に夜店が出た。道端に茣蓙を敷き、色々と品物を並べている。アセチレン瓦斯の一種変った匂ひ。白い光に品物が暗夜に照らされている。少し以前はランプの淡い光だったが、
古本屋あり、荒物屋あり、日用品雑貨といふところ。それに安物ばっかりの小間物屋、おもちゃ屋。之も格安品がズラリ。それにだて眼鏡にステッキ。等が店先に並べてある。女中(おなごし)さんは小間物屋に興味があるらしい。立ち止まってみているが買おうとしない。私はおもちゃが一つ欲しい。キユーピーさんと麦藁細工の花とどっちにしようかと迷ったが、結局、麦藁細工の花を買う。

店を覗きながら行くと御霊神社の境内に入る。境内の御倉の前は人だかり。後から人の間に這入ってみると、絣の着物に書生下駄をはき、島打帽子を冠った若者が袖を片方まくり上げて、バイオリンを弾いている。へちゃげた様なつぶれた様な声を張り上げて、「会いターさ。見たサーに恐さも忘れー/暗ァい夜道を只ひーとり。」なんて唄っている。それを沢山な人が群って聞いているのだ。ドン々後から来る。それが一曲済むと今度は「俺は川原の枯れすすきー」なんてへちゃげ声で弾いている。前に帽子が一つ裏返しに置いてある。そこへ幾らかのお金を入れてやるのだ。暫く聞いてフト前を見ると、うちの丁稚さんも来ている。番頭はんも一生懸命聞いてパチパチ手を叩いている。私も暫く、女中(おなごし)さんと聞いたが「とうさん、もう帰りまひょ」と云ふので今度はサッサと帰った。しかしお父さんが晩酌の一杯きげんで「隆、夜店へいこうか。」なんて云はれて、一緒に行ったときには、そんなところへは行かない。御霊神社へお賽銭をあげ、お参りし、帰りに道修町の植木市の夜店を見て帰った。之もひやかすだけで買いはしないんだ。


第四話 土用丑

私の小学校二、三年生の頃だったろうか、毎年土用丑の頃になると決って「一ぺん網彦へ行こうか」と云う事になり、夕方から浴衣姿で家族揃って出かける。父は時折、本家の長男(母屋の兄ちゃんと云っていた)を誘って行く事もあった。北浜の浜側、石畳の階段を下りて行くと、顔馴染みの源さんが「ヨー起こし」と中腰で揉み手をして迎えて呉れる。この人船頭さんみたいな身なり。「プーン」と鰻のいい匂ひ、もう川辺だ。

履物をぬいで、屋形船に乗り込む。幾らかギーッと揺れる様な気がする。堂島川に浮かんだ屋形舟、程よい所に座を決め、家族一同陣取った。「アー涼し。」川面吹く風ホッとする。一度に昼間の暑さが吹っとぶ。川魚料理だから父はお酒の肴に合ひそうな御馳走を注文して、私達には「そんならお子達さんはナタネ。」と決って源さんは注文を取っていく。後からマムシ(鰻)が食べられるのが又嬉しい。この時はサイダーも呑めるし楽しい事だらけ。

暫くすると川の向ふから一艘の小舟がこちらへ漕ぎ寄って来る。淡い行灯の光に照らされて、船頭とおばさん。夫婦者らしい。麦藁帽子をほう冠りして、「何ぞ買うとくなはれオカキにキャラメル何でもおまっせ」と云う。ペチャペチャと船端を水の叩く音がして覗くと小魚が泳いでいるのが見える。水は美しい。父はおつまみにスルメを買った。新聞も売っている様な船だ。商売を済まして又次の客の方へと漕いでいく。実にのんびりしたものだ。涼しい川風にふかれ私達は満腹して帰った。楽しい一夜だった。この頃淀屋橋の上から眺めると、芝藤と云う「かき料理」の屋形船も浮んでいた。水は美しかった。

第五話 カルメラ焼

いつもチョボ焼などをする長方形の小さなカンテキに炭火を入れてもらい、茣蓙を敷いた上に置き、玉杓子より少し深目の阿加(銅)のカルメラ焼用の鍋にザラメ少々入れ、水を少し加えて火にかける。ボチボチと煮えて来て、もう泡が一杯立ち、煮詰まる少し前位に火から下し、手早く炭酸を少し入れ、レンゲの小さいので力一杯かき廻すとプーッと膨らんで丁度シュークリームの様な形に皹が入り、カラッとしたお菓子が出来上がる。それが膨れたときに紙撚りを一本入れると、持ち上げる時に便利がよい。でも、よく膨らんだかと思ふ間もなく、しゅんと萎む解きがあるのでがっかり「アー又駄目だったァー」失敗々。中々うまく出来るのが少ない。いつだったか丁稚さんの勇一どんが来て仲間入りした。彼はよく太っていて、白い丸顔のポチャッとした子、それが中々うまいんだ。次から次へと、いいのを焼いてはサッサと食べる。私達はあっけにとられた。何しろ腕に力があるんだ、よくかき廻す。

私が咽を手術したときには彼は得意顔で病院までそのカルメラ焼きを見舞いに持って来て呉れた。しかし余りに甘党だったのか体を悪くして郷里へ帰った。可哀想に。

第六話 辻 占

「カチカチ」遠くで拍子木の音がする。寒い冬の夜、台所で女中(おなごし)さん達が、火鉢を囲んで、昼間、丁稚さんや、番頭はんから頼まれたほころびを縫ったり、洗濯物の始末やら、足袋の繕い等をしていると、女中(おなごし)さんの一人が「アー辻占や、辻占が来た。」と言ふ。「シーッ」耳を澄ますと「辻占ァー」と聞こえたような気もする。段々と拍子木の音も近くなり、私の耳では「電線辻占、早わかりィー右に思わく書いといて左をあぶれば返事がでるゥー」と歌ひつつ一段と声高に「瓢箪山辻占ァー」と大声で云っているのが聞こえる。

「アー来た来た。」と女中(おなごし)さん達はそぞろ。早速一枚買おうか、皆相談が出来たらしい。その中の一人が皆のを一まとめにして買いにでる。それも奥へ気付かれん様に「ソーッ」と待人とか失せ物とか言った様な札を買いに。それもこの寒い夜に十二、十三の女の子が筒袖で脛より少し下位までの丈の着物を着て頭は小さな髷を結ひ、可哀想に毎晩こうして売り歩いているんやソーナ。そんな娘から二、三枚買って帰ってくる。

早速と紙の右側にそれぞれの思ひを書いて、火鉢の火に煤る。すると段々紙が焦げて来て、字が浮かんで、待人の場合は「きたる」又は「きたらず」と出る。失せ物の時は「出づ」。「いでず」とかの返事。その度に皆、「キャッキャッと声を上げて夜の更けるのも忘れてやっていると、奥の方から母の声で「もう戸締まりしやはったか?火の用心頼んまっせ、お花どん、お竹どん、早う戸締まりして寝なはれや」と声が掛る。一ぺんに興醒めだ。「もうとうさんもお寝み」と女中(おなごし)さんが云うので今夜は寝ることにしよう。おやすみ。

第七話 左義長

今日は小正月。朝早く天神さんの御神火をいただいて来ようと、外した注連縄と書き初めを携えて、私は父と一緒にお詣りに出かけた。空は満天の星。足もとから地の冷えが這い上がる。

足ばやに北浜から難波橋へ出ると、川風が一入冷たいので、思わずオーバーの衿を立てる。お社に近づくにつれ、参詣の人波が厚くなる。門前で火縄を買い境内へ入ると、赤々と燃える篝火を囲んで、人の輪ができている。炎が人々の顔を朱く染めている。

父と私は、人の環をくぐって注連縄と書き初めを火中に投げ入れた。「今年こそいい年でありますように」と祈り、御神火を火縄に移し、くるくると廻しながら家路についた頃は、すでに夜が明け白んでいた。御神火を神棚にあげ、その火で小豆粥を炊いて祝うのである。

右のスクロールバーを活用して第一話から第七話までご覧ください。

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