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旅 行 記

  山 陰 路   1994年  5月   JA3ARI

2000年 4月 写真を挿入して再掲載

出雲大社   この題名は、みやげに買ったお菓子の名前です。もう一つ別のお菓子を買ったのですが、その名前は、山陰旅のノートと言います。このお菓子の方は美味しく ないお菓子の名前です。さいわいこのお菓子は買って帰って家で食べるための物だったから良かったが、表題のお菓子も大丈夫だろうかと心配になってきた。 こっちは会社へ持って行く方です。名物にうまい物なしと言いますが、この頃はみやげ物も同じようなものばかりで、少しは違った物をと思ったのですが、試食 が出来なかったので心配です。

  さて5月3日朝7時半、いつも会社へ出勤する時間にスターとした。数年前までは、旅行は5時頃スタート と決めていた。それはみんなの動き出さない内にスタートすればスムーズに先行できるからでした。ところが最近はみなさん同じように早くスタートされるよう になり、その妙味は無くなり早く出ても渋滞に巻き込まれ、時間を無駄にすることが多くなりました。それに気づいた最近は、逆に無理せず遅くスタートするこ とにしました。

  これから中国自動車道に乗るわけですが、多分、吹田〜宝塚は混んでいると見て池田から入るのはやめ、宝塚へ向かう。途中176号線から中国自動車道を 見て遣れば、混んでる混んでるノロノロ走っている。
  お先に御免とばかり宝塚ICに滑り込み、本線に合流した。おっ結構走っている、時速30〜40キロは出ている、西宮北までの我慢だ。

   交通情報は宝塚を先頭に18キロの渋滞と言っていたが、福崎ICまで家を出てから1時間半で来てしまった。播但連絡道路を経て国道9号線へ。ところが、 この辺りからのろのろ運転になってしまった。やっとの思いで9号線を抜け312号線を城崎方向に向かおうとしたら、どっこい曲がった途端に数珠つなぎに なって動かない。これはいかん、Uターン、香住海岸経由を諦める。

  再び国道9号線。相変わらずの渋滞だが、まだこちらの方が動きが早い。時間は湯村温泉で11時半になっていた。早めに昼食をと思ったが、食べる所がな い。やっと9号線を脱し、浜坂へ向かう。そして178号線を鳥取へ。
鳥取砂丘   日本海、海岸線の風景を満喫しながら(満喫しているのは女房で、運転している私は満喫していないが Hi)浦富海岸まで走り、やっとお昼。
   9号線に戻り、砂丘道路に入った途端にストップ。のろのろでは無い、歩く人の方が早い。あちこちに車が停めてあって砂丘海岸と表示が出ている。前回会社 の旅行で来た時の事を思い出しながら車を進めた。そして鳥取砂丘駐車場に到着したのは3時だった。幸運にも駐車場には直ぐ停まれた。

鳥取砂丘  幸い天気にも恵まれ、鳥取砂丘は人、人、人、砂丘の入り口から遥か砂丘を眺 めれば、にっしんのカップラーメンを思い出した。 あの、ハングリー!! のコマーシャルだ。人が蟻んこのようだ。さーっ、我々も、あの蟻んこになろう。いざ前進・・・・・
   砂漠は生きている。古いなー、なんて仰るな。今日は風がある、人々が歩いた足跡が砂の移動で消えていく。暫く観察・・・しかし、こちらも砂で口の中が じゃり砂利。(4日は強風波浪注意報が出た、走っていても車が風で煽られた、多分4日は 砂丘を充分見られたか疑問だ。1日違いで幸運だった。)

  白兎海岸。取り合えず停まった。一応海岸へ。今日の泊まりは浜村温泉だ。あまり有名ではないし、実際に繁華街もない。ゴールデンウイークの1カ月前、 日本旅行に鳥取より西で温泉旅館、どこでも取ってくれ、とFAXを入れた。その結果、浜村温泉が取れたのだ。
   旅館自体は、旅館の中小企業と言ったところか。プールが有るというので喜んでいたのにプールは夏だけ、ゲーッ! しかし、露天風呂もあるし・・・なんと旅館に着いたら入り口に我が家の名前が並んでいた。到着は5時でした。本日の旅程は、これでお仕舞い。家を出てから 245Kmになっていた。

  中小温泉と言っても温泉は温泉だ、久しぶりの大浴場はのびのび出来て気持ちがよい。結局、夕、夜、朝、と3回も入り、砂丘の砂を落とした。夜は風が強 く、雨も降り、また車が汚れた。この頃の雨は泥水が降ってくる。

魚見台   4日は朝8時半のスタートとなった。さあ目指すは出雲だ。朝の9号線は快調だ、出雲まで地図で160キロもある。途中の米子、松江で渋滞するだろう。そ れまでに稼げるだけ稼いで置かなくては。
  大山が雲を頂いている、頂上まで見えない。米子に近づくにつれスピードが落ちてきた。車は数珠つなぎだが流れている。この調子で行ってくれたらと祈る 気持ちが通じたのか米子バイパスは快調だった。そして大山も雲が切れた。
  松江もバイパスを通り、宍道町を経て出雲市に入ったのは12時過ぎで、連休の渋滞を見越して、予想していた時間より早く着けた。

出雲大社   出雲市、ここの岩国市長はアメリカの証券会社メルリリンチの副社長だったのを辞めて市長になった人で、市長の収入は副社長の10分の1になるのに敢えて 地方自治の為に頑張っている人だ。考え方がざん新で私は共感を覚える。それで少しでも協力しようと、出雲市でガソリンを入れる事に決めていた。
出雲大社   同時に出雲大社への道を聞くことも目的の一つであった。それにトイレも。ガソリンスタンドで、用意してあった近道の地図を貰って駐車場が満車の場合の代 替駐車場も教えて貰った。これが幸いした。駐車場までの道のりは車の列で、歩くより遅い。そこで少し歩かなければならないが、代替無料駐車場に車をとめ た。我が家から395Km。私の前を走っていた観光バスを横目で見ながら足で追い越し、ついに出雲大社の鳥居の前に立ったのである。出雲大社

   出雲大社は初めてで、一度は訪れたいと思っていたので、これで念願が叶った事になる。出雲大社は京阪神にある有名な神社のように、お金持ちのようでな く、建物はむしろ質素だ。が広大な敷地を持ちゆったりとしている。神話の銅像、大国主の尊と因幡の白兎、この兎の仕草が可愛い。折角はるばる来たのだか ら、お賽銭をはずむ。藤棚の藤が綺麗に咲いていた。門前町でお土産を買って、出雲そばを食べる。まあまあの味だ。さあ、これで帰路につく。神話

   ガソリンスタンドで教えて貰った島根ワイナリーに寄る。ここには沢山の人が来ている。ワインがタダで何杯でも飲める。顔を真っ赤にしている人がいる。こ の道路の先で飲酒検問をしたらだいぶ捕まるのと違うやろか、だがそこは出雲市だ、商売が上手いからそんな事はしない。私たちもみやげにワインを買った。大国主命と因幡の白兎

  木造建築の出雲ドームを横に眺めながら今度は431号線を松江へ向かう。この道は9号線と違い、マイペースですいすいと走れた。番外の島根ワイナリー での滞在時間を取り戻すに充分だった。
   4時過ぎ松江城に入城、ここは私は2度目になる。時間が気になったがこの時期、閉城時間が6時まで延長されていて落ちついて見ることが出来た。そして、 この前、見ることが出来なかった小泉八雲邸(ラフカディオハーン)を見て見識を新たにし、これで今度の旅の全ての予定を完遂することが出来た。一路大阪を 目指し、再び431号線を境港市に。

松江城   境水道大橋を渡り境港市に、相談の末、市場に寄らず直行する。境港から米子までは往復4車線の道路でつながれており、この間の海岸線は海水浴に最適のよ うだ。結局431号線は車も少なく、少し遠回りしたのに日が暮れる前にこの旅の最終コースを見ることが出来た。この前来た皆生温泉の横を通り、たちまち車 は米子自動車道に入った。

  五月になれば日も長くなっている。大山は雲もなくそびえ、朝見た姿とは、又違った景観を呈している。そして米子自動車道を走る横で大山は次第に墨絵の 世界に入って行った。

  蒜山高原サービスエリアに停車。この先が渋滞しているとの掲示でトイレ休憩した時は、日はとっぷりと暮れていた。米子自動車道をひた走り、中国自動車 道へ。この間に渋滞はなくすっぽかされた感じである。まあそれでも渋滞は、あるよりない方が良いのだから。
   中国自動車道に入ると路面が濡れている。この辺は雨が降ったのだな、と思ったが、どうも前の車の飛沫なのか霧雨のような雨が降っているのか分からない。 しかし、このような路面は危険だ、慎重運転と行こう。そう考えながら走っていたが、私より慎重運転している人がいる。これにはお付き合い出来ない。ついつ い追い越しを掛ける。気が付いたら120キロにもなっている。これはいかん。

  中国自動車道は順調に流れている。どうやら雨が降っているようだ。そして、加西サービスエリアの先が20キロ渋滞と掲示が出た。それでは加西サービス エリアで休息と腹ごしらえをしよう。

   パーキングエリアでなくサービスエリアでは、その高速道路と国道その他名所旧跡や国立公園などが記載された地図(日本、地域地図)を無料でくれるのをご 存じでしょうか。それはサービスエリアの案内所でくれます。場所によっては案内所の前に置いてあり、勝手に取って行ける所もありますが、案内所の人に要求 しないとくれない所もあります。
  この地図には高速道路のジャンクション、インターチェンジ、パーキングエリア、サービスエリア、距離、ガソリンスタンドとガソリンメーカー名、宿泊設 備、レストランと料理の名前、勿論高速道路の料金、1級国道2級国道の表示と区間距離、が載っている道路地図です。
   私は今回も1991年8月発行の「中国自動車道」を1冊(枚)を持って旅に出ました。これと、行く先々の道路標識で目的地に到達できます。名神、東名、 中央道なども行く先々で地図を貰っておりますが、これが次の旅行の時に役に立ちます。そして、この地図をナビゲーター(女房)が持って現在地を確認してく れるわけです。
  加西サービスエリアで貰った新しい地図は「中国自動車道、山陽自動車道」とあり、その下に舞鶴自動車道、浜田自動車道、米子自 動車道、広島自動車道と書かれています。地図は琵琶湖から関門海峡九州自動車道北九州市までの中国地方で、1994年4月版です。ちなみに古い方は、「中 国自動車道」舞鶴自動車道、浜田自動車道、米子自動車道、山陽自動車道、広島自動車道、関門橋、高松自動車道、松山自動車道、高知自動車道と書かれ、地図 は福井大飯町大阪枚方和歌山古座町から中国四国を含む福岡中間市熊本五木村宮崎門川町に至る範囲が記載されています。大きさは双方ともB2版で表裏に印刷 されております。共に保存版です。

  加西サービスエリアは車車車でした。そして降りると人人人でした。しばし休憩の後、スタート。行け ども行けども渋滞は無し、そのうち三田西宮北に差し掛かり、ここは何時も渋滞している場所なのに全く渋滞無し。あれよあれよと言う内に宝塚を過ぎ、池田の 出口。午前様を予想していたのに到着は、午後11時には家の中。

  ここで考察。あの渋滞掲示は何だったのか? ひょっとしてサービスエ リアの売り上げを伸ばすための策略? 電光掲示板に、この先渋滞と出せば多くの車はトイレだとか腹ごしらえとかするだろう。特に家族連れなどはそうなる。 今日はここのパーキングエリアの売り上げが少ないから、その先を渋滞と出そうサービスエリアで売れ残りが出そうだ渋滞と掲示を出して停まる車を集めよう。 なんて事は無いでしょうね。もしかして、その掲示板のボタンがサービスエリアの事務所にあったりして・・・・・
  もう一つの考え。電光掲示板に、この先渋滞と出ているので沢山の車がトイレだとか準備のため駐車場に車が入れないくらいサービスエリアやパーキングエ リアに車が停まってしまう。そのため道路上の車が少なくなって渋滞が解消してしまった。
  いずれにしても渋滞と掲示されていて、渋滞して無ければ儲け物。誰も怒る人は居ない筈。この心理を応用すれば巧く商売が出来ますよ公団さん。

  今回の旅は、往きの国道9号線と砂丘道路で多少渋滞があったものの、心配した程のことはなく、又行きたいと思える旅でした。

     走行距離 1日目 245Km
            2日目 478Km
     出雲まで 往き   395Km
            帰り   328Km
     合計         723Km




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