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旅 行 記

福岡太宰府、長崎雲仙、熊本、福岡柳川門司  2016年  9月   JA3ARI

  9月15日、余裕を持ちたいので朝は5時起き、家を出たのは7時過ぎ、近くのバス停からバスで江阪へ、新大阪駅8時集合、時間は充分有る。オプションの昼弁当は1人分だけ注文し1人分はコンビニで買った。新幹線は新大阪駅8時24分発のぞみ1号、博多まで一走り。博多駅には定刻の10時53分着、2時間半は長いと思ったが景色を見ている間に到着してしまった。
  博多駅は初めてだが、辺りを見回す暇も無く待機していたバスに乗り込む。バスの車中より駅前通りを眺めただけだが、何だか金沢駅の駅前通りに似ていた。あっという間に市外へ、そして太宰府天満宮に到着した。

<太宰府天満宮>
  バスの駐車場から参道を歩き、過去から未来の太鼓橋を渡り、本宮に到着したが、なんと外国人の多い事、それも殆ど中国人が多かった。彼らは大きな声で喋るから直ぐ分かる。日本の神社へなぜ?と思うが観光施設として見ているだけで神も仏も関係ないのでしょう。それにしても日本の神社だと言うのに日本人の少ない事、天満宮にお詣りして早々に今日の主目的である長崎へ、再びバスに乗り込む。バスは九州道から長崎道へ、車中でお昼弁当を食べる。今回は地震後の九州を、熊本を尋ねて頑張って貰う旅だから買い物は九州で熊本でと思い、九州のJR特急のお弁当を注文したのですが、これが弁当箱は立派でしたが中身は美味しくなかった。女房と半分ずつ分けて食べたが残念ながらコンビニで買ってきた弁当の方が美味しかった。


<長崎市南山手地区>
  長崎はオランダ坂など有名だが、先ず目指すはグラバー邸でしょう。しかし、坂さか坂、グラバー通りの坂を登り登り、この年寄りが必死の思いで坂を登り、階段を登り、もう駄目だと思ったところからエスカレーターが有りました。それが2基あり、グラバー園の入り口に到着。そのあともムービングウオークが2基連なって、グラバー園の一番上まで導いてくれた。ここは見晴らしが良くて長崎の町が一望出来る。しかし、中国から来た大型客船が2艘も停泊し、その先が見えない。その船は13階建てのマンション、いやそれ以上の威容があった。それが2艘並んで泊まっていた。だから当然グラバー園にも中国人が多く居た。もしかして太宰府天満宮の中国人も、この船からではあるまいか。ただ、グラバー園は中学生小学生の修学旅行が多かった、これが救いだったが。
  遠景を楽しんだあとは坂と階段を下ってグラバー邸へ、案内書にはグラバー住宅と書いてある。私は昔からグラバー邸と習ったしグラバー邸と記憶している。なぜ邸と言ってはいけないのか、なぜ住宅と呼ぶ事になったのか、日本の妙なこだわりでしょうか。長崎はプッチーニ作曲のオペラ(歌劇)蝶々夫人の舞台となった所。グラバー園にはプッチーニとプリマドンナの三浦環(たまき)の像が建っていた。グラバー通りの途中には大浦天主堂がある。しかしまた登り坂、遠くより写真を撮ってやり過ごす事に。そしてバスは坂と階段の街、長崎をあとにした。


<雲仙温泉>
  バスは諫早のカステラ店に寄り、道は雲仙の山岳地帯をくねくね登り雲仙温泉街に到着した。泊まるところは五つ星の宮崎旅館、部屋からは雲仙地獄が一望出来た。夕食は部屋で食べ、温泉も良かった。野天風呂の打たせ湯を肩に。翌朝は朝食前に雲仙地獄を散策、ここは高校の修学旅行以来ですが60年以上も前の事でうっすらとしか憶えていない。
  朝食は大広間でしたがバイキングではなく会席で落ち着けました。ふぐの一夜漬けが美味しかった。そして朝はゆっくりスタートの8時半。再びバスはくねくね下り坂、島原港に向かう。フェリー乗り場でしばらく待って、バスに乗ったままフェリーボートに乗船。そしてバスを降り、フェリーの客室へ。動き出して暫くして後部デッキに出た。船は港を出て真っ直ぐ熊本港へ向かう、スクリューの航跡は本当に真っ直ぐでした。


<熊本城>
  熊本港に到着前、再びバスに乗り、バスはフェリーを下船し熊本城へ、街並みは熊本地震から5ヶ月経っていますから比較は出来ませんが、ブルーシートは阪神大震災の時より少なめでした。表通りを通ったからで、裏通りに行けば倒れかかった家があったかも知れません。バスは熊本城に到着し、ボランティアの案内人の案内で熊本城公園をぐるりと巡りました。加藤神社ではお宮参りにも遭遇しました。案内人のお話では、お城の復旧には20年ぐらいは掛かるそうです。加藤清正でもお城を建てるのそんなに歳月は掛からないだろうと思いましたが、崩れた石に番号を振って、全く元の位置に据えるとの事で、気の遠くなるような作業が控えているから、お城を新築するより遙かに多くの時間が掛かるのだそうです。それから熊本市内でお土産や自分達の土産を買って、バスは暫く熊本市内を走り、九州道を柳川へ。地震後の九州を、特に熊本を尋ねて頑張って貰う旅だと言うのに、熊本でゆっくり食事をする暇もなく、急いで土産を買うのが精一杯の時間制限で、何の為に熊本に来たのか分からない。これだと崩れた熊本城を見ただけで市内は殆ど素通りし、熊本支援の名目は立たない。


<水郷の街、柳川>
  熊本で積み込まれたのか配られたお弁当を車中で食べ、バスは柳川に到着。柳川名物、川下りの船には乗らず、川縁を散策。北原白秋の生家などを見たが、なんてこと無い。こんな所で時間を取るのであれば、熊本滞在時間を延ばしてくれた方が良かったのに。

<門司港>
  門司は5年前に来ている。あの時は時間もたっぷりあり、門司の税関なども廻れた。押収したブランド品の偽物などが展示してあった。そして門司から関門海峡トンネルを歩いて下関側へ渡った。今回はそんな時間も無く、バスを降りた界隈をぶらぶらしただけだが、5年前にはなかった大きな商業ビルが2つも建っていた。結局、そのビルの中をウインドーショッピング。商品は殆ど外国人(中国人)向けの品揃え、買い物客も外国人。なーんだつまらない。


  再びバスに乗り、小倉駅へ。新幹線18時49分発のぞみ62号で一路新大阪へ。 小倉駅で積み込まれたお弁当と、柳川のコンビニで買ったサンドイッチと缶コーヒーで夕食を終えたが、サンドイッチとコーヒーが美味しかった。残念ながら九州のお弁当は美味しい物が無かった。新大阪駅21時01分定刻着、帰宅21時30分。(9月16日)       2016/11/19 著



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