懊悩(おうのう)

終章

 バカだ。それはここにくるまでに何度も自分に向けて放った嘲笑だったが、まさかここまでバカだとは思いもしなかった。いや、もしかしたらただ見ていないフリをしていただけかもしれない。会いに行って聞けるはずがない、私の事をどう思っているかなどと。そんな答えのない問いを、メルヴィーにする訳にはいかなかった。たとえそれに答えが用意されていたとしても。

 だが、会って分かった。それだけでフォルは充分満足だった。

 ふと顔を上げれば、浅黄色のマフラーを巻いて無表情で落ち葉を掃いているケルアの姿が目に映る。文句をたれていたわりには来た時よりも綺麗になっていて、フォルのすぐ近くに大量の落ち葉がうずたかく積まれていた。まるで出てきた事にすら気付いていないかのように落ち葉を集めているが、扉を開けた時一瞬だけ冷たい視線が向けられた事にフォルはちゃんと気付いていた。

 別に話す事なんて何もなかったので、漆黒の羽を広げて少し動かし、さて帰ろうかと思っていた時だった。

「何、もう帰るの?」

 そんな言葉をかけられたので、羽を折ってもう1度ケルアの方を見る。箒を動かしているケルアの背中が見えただけだったが、挑発している事はその言葉の響きから充分感じ取れていた。

 普段ならばその言葉に答えず帰るところだが、今日は――そう、とても気分が良かったので「あぁ」短く返事をする。それは本当に気まぐれで、答える必要のない人間の言葉に答えたフォル自身も驚いていたが、もう1人驚いている人物が目の前にいた。

 多分ケルアも返答がないと予想の上で言ったのだろう。肩越しに振り返ったその瞳は驚きに満ちていた。すぐに視線を逸らし、「ふーん」同じように短い言葉を返してくる。

「ひさーしぶりに会ったんだからさぁ、積もる話もあったんじゃないの? 僕の事なんて全っ然気にしなくて良かったのに」

 しかし、すぐに体ごとこちらに向けて満面の笑みを見せてきた。もちろん、心なんて微塵もこもっていないその笑みは、ぱっと見は無邪気な子供の笑みに見える。人間なんてものは外見しか見ていないのでこの笑みに騙されるのだろうが、残念ながら人間に心を許さないフォルには外見だけの飾りなど全く意味を成さない。

 ふと右肩に重みを感じたので見てみれば、フォルの肩に乗り心配そうに見詰めるコウモリの双眸とぶつかりあう。多分、先程メルヴィーが帰ってくるまでケルアとフォルの張り詰めた沈黙の中にいなければならなかったコウモリは、またそうなるのではないかと心配しているのだろう。

 取り敢えず安心してもらう為にコウモリの頭をそっとなで、ケルアと視線をあわせる。

「あぁ、これ以上長居をしたら失礼だからな」

 その言葉を聞くとケルアは笑みを浮かべるのを止めて、「へぇ、そう」意外そうにそれだけ口にした。そしてこれ以上相手にしていても面白い反応は返してくれないと悟ったのか、背を向けて掃き掃除を再開する。

 取り敢えず何事にもならなかったのに安堵したのか右肩が軽くなり羽音が響くのでフォルも羽を広げ直した時、ふとある事を思い出したので、「お前」短く呼べば、ケルアは箒を動かしていた手を止めて仰々しく溜息を吐き、気だるそうな顔をこちらに向ける。

「客人に出すくらいなら、毎日メルヴィーばかりにやらせず自分で入れる事だな。濃すぎだ」

 一瞬何を言われたか分からないと顔をしかめるが、すぐに思い当たったようでエメラルドグリーンの瞳が大きくなる。「え」小さく開かれた口からそんな言葉がもれている事を、本人に意識はあるのだろうか。

「それって飲んだって事?」

 普段のケルアからでは考えられないほど驚きに満ちた表情を浮かべて当たり前の事を聞く彼を見て、気を抜くと失笑してしまいそうだったので、地面を蹴り逃げるように羽を動かす。

「私は視覚で味を感じる事などできない」

 まだ何か言ってくるかと思って耳を澄ましていたが、意外な事にケルアはそれ以上言葉を発してこなかった。言う言葉がないのか驚きで思考が追いついていないのか――、どちらにしてもフォルには関係ないが。

 やはりケルアがコーヒーを出したのは、単純な嫌がらせだったようであった。人間が嫌いでケルアにも例外なく嫌悪を抱いているので、だからこそコーヒーを自分で入れて出したのだろう――コーヒーだったのは多分偶然だ――。そしてフォルの目の前に座り、逸らさずにただじっと見詰めてきた。それはフォルがコーヒーを飲むのをしっかりと見るのと同時に、飲むように促す為でもあった。意味もなく穴が開くほど見詰められ続けていると極度な不安と緊張状態になり、何か別な事でもして気を紛らわすという行動をしてしまうのは、もちろん人間だけではない。

 本当、メルヴィーの言う通り子供で分かりやすい奴だな……。改めてメルヴィーの苦労を思い知った。気を紛らわす為にケルアが入れたコーヒーを飲んで、彼が何を言うかなんて手に取るように分かる。まぶたを閉じれば暗闇の中に表情まで浮かび上がった。

 人間は嫌いでも、人間が入れたコーヒーは好きなんだね。

 そんな事を言われれば返す言葉がない。確かに、屈辱を与えるのには良い案なのかもしれないが、残念ながらケルアは1つだけ計算間違いをしていた。フォルはもとから人間など眼中にない。

 思い知らせる為とはいえ、あの時ケルアが驚くか嘲るか五分五分だったが、どうやらいきなり話題にされて驚きの方が先に出てきたらしい。

「あの……フォル様?」

 恐る恐るといった感じで名を呼ぶコウモリの声が聞こえてきたのでそちらを向けば、自分の体よりは大きいがフォルから見れば自分の掌よりも小さな羽を一生懸命動かして並ぼうとしているコウモリの姿が目に入ったので、少し速度を落とす。

 コウモリが普段飛んでいるのと同じ速度にあわした事により余裕ができたらしく、小さく息を吐いてから言葉を続けた。

「良かったのですか? メルヴィー様に何も聞かなくて……」

「あぁ、その事か……」

 すっかり考えるのに没頭していたので何か変な事をしていたのかと少し焦ったが、コウモリはフォルがメルヴィーに会いに来た原因となった事を心配して尋ねてきたようである。

 余所見をしながら飛ぶのは少々危険な行為だったので顔を戻し、「その事についてなら大丈夫だ。メルヴィーの気持ちは良く分かったから、な」

 しばらく耳元を走りすぎる風の音だけが響いた後、「そうですか……それは良かった」ケルアとは違い、まるで自分の事のように安堵の息を吐くのが聞こえてくる。それがまた心地良かった。

 自分を心配し、いつでも来て良いと言ってくれた。今まで生きてきた時と比べればメルヴィーと一緒にいた時間なんてほんの少しの出来事だろうが、彼は調子が悪い時、渋面をつくってはいたが必ず声をかけてくれた。それは変わっていない。それが何よりも嬉しかった。

 そんな喜びを感じている時に、未だ舌に残るコーヒー独特の苦味が再び口の中に広がり、思わず顔をしかめる。辺りに漂う香りは良かったのだが、たった一口だけ口に含んだだけなのに、むせ返るような苦味が味覚を襲った。

 人間は味を楽しむだけにつくっている為体には悪いと聞いた事があるが、あれは味もひどすぎる。それに更にシュガーまで入れて顔色1つ変えずに飲むケルアの味覚は理解できない。

 屋敷に戻ったら口直しにコーヒーを入れる事にしようと、早くこの苦味から逃れる為に速度を速めた。

End

 

 

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最初は全く書く予定がなかった章。本当は3章までだったのですが、それではまるでメルヴィーがメインかのように終わってしまうので…。
気に入らない3章を読み直してフォルの気持ちを考えて付け足したので、ケルアをフォルにあわせたないといけなくなり、結果ものすごく変になってしまいました;;この話、ケルア2章でしか生かされてないよなぁ…;;
一応フォルメインハッピーエンド(?)というのを頭において書いていたので、ケルアにはあえて負けてもらいまし、た…。あー…後が怖そう;そして被害者はメルヴィーなんだな…(遠い目/他人事のように言うな)。

しっかし、後から付け加えただけあってなかなか思いつかなくて日があいてしまったので、説明文が断片的だ…;(溜息)
人間は嫌いだと言いつつ昔よりは嫌悪感を抱いていないフォルっていうのが上手く表現できませんでし、た…(倒)。

06年3月3日