暑さにも負けず
後編
「んあぁー……っと。着いた着いた」
町から少し離れた人気のない雑木林の中へ翼を早く動かしてゆっくりと着地すると、飛び跳ねるように俺の背中から離れたケルアは、大して疲れていないくせに意味不明な単語を発しながら背伸びを1つし、満面の笑みで辺りを見回しながら持ってきたうちわで自分をあおぎ始めた――ちなみに俺がもらったうちわと全く同じ花火を簡潔化した絵が描かれたうちわだ――。
やっぱりこっちの方が早いねぇ。一通り体をほぐすとさっさと歩き始めたので、アイツが喋り続ける言葉は呟く程度にしか耳に入ってこなくなる。だんだん小さくなっていくケルアの背中を見詰めながら俺は文句を言う気力も追いかける気力もなく、ケルアが持ってきた、真っ白な生地に青い文字で“汗水流せ”と書いてあるタオル――アイツに言え、アイツに――で、後から後から流れ落ちてくる汗を拭きながらうちわで風を送る事しかできなかった。
一体アイツは今までどうやってここまで来てたんだ? さっきまでそんな疑問が頭の中でぐるぐる高速回転していたが、もう答えなんてどうでも良い。ただ今はこの汗をどうにかしたかった。
「メルヴィーッ! 何やってんのー置いてくよーッ?」
ふと耳にそんな大声が入ってきたので声の方向に焦点を合わせれば、声が響くように右手を口元に当ててうちわを持った左手を大きく振っているケルアの小さな姿。それが視界に入って暑さに疲労、そしてアイツへの苛立ちが更に膨れ上がり――、だが行き場がないので心の中で文句を言い溜息で紛らわせた。
一通り顔に浮かぶ汗をふき取ってから、また流れ落ちてくるであろう汗をせき止める為に首にかけて、「ん」聞こえていないと分かっているが投げやりにそう答えて歩き出すと、視界の端でふらりとケルアが背中を向けた。待つ気がさらさらないアイツの背中が小さくなればなるほど後で文句の時間が長くなるので――何故俺が文句を聞く方になる――、もう1度溜息を吐きながら早足で追いかけ町へ向かう。
最近は暑い。俺が今まで感じた夏の中で――って言っても片手で終わるぐらいしか覚えてないが――1番暑い。それなのに町は人で溢れ返っていて、時々端に寄らないと肩がぶつかってしまうほどだった。さっきすれ違った奴に焦点を合わせてみたが、日焼けなんか気にしていないのか肩まで出して半ズボンをはいていて、まるで家着のような格好で、額にうっすらと汗をかき片手でうちわをあおいでいた。そこまでして出かけたい理由は分からないが、考える間もなく前から人がやってきて中断せざるを得なくなる。まぁ奴には奴の理由があるんだろう、適当にそう自分を納得させた。
視線を前に戻す。目の前をふらふらと歩くケルアは、着替えるついでにシャワーも浴びてきたらしく、濡れたままにしていた髪が少し束になって乾いて揺れている。こちらも汗だくでまた前髪からしずくが垂れてくるが、気持ちは全く正反対だ。シャワーを浴びれられないのなら、せめて今すぐにでもクーラーの効いた部屋で倒れて体を休めたいんだが。
そんな事を考えていた為ケルアが止まった事に気付くのが遅れてしまい、目の前に迫ってきた浅黄色の髪を見て初めて気付き慌てて足を止める。
「ん。着いたよ」
視線を下に向けるとケルアが左方向を向いていた。うちわをあおぐ手を止めずに視線だけ横に流すと、色んな広告がガラス窓に大量に貼られている小さなコンビニの前に立っている事に今更ながら気付く。その広告の隙間から中を覗けば、周りに大きな店が並んでいる為か心なしひっそりと物静かで、唯一の客もガラス窓に沿って並んでいる雑誌の前で立ち読みしているぐらいで、本屋代わりとでしか使われていなかった。
別にこんな所じゃなくても良いんじゃないか? そう思いながらケルアがいた方を向くがアイツはすでにコンビニに向かって歩き出していた。「ここじゃないと売ってないんだよねー」そんな独り言を呟きながら。……お前はそんなものを俺に買いに行かせようとしていたのか?
俺の存在など無視してさっさと重たそうな扉を押して中に入るケルアに続いてコンビニの中に入ると、思った通り冷たい空気が全身をなでた。ただ思っていたよりも効きすぎていた為思わず身震いをしてしまったので、まくっていた袖を戻して肩にかけていたタオルの端で顔中に浮かぶ汗と首辺りを拭く。
取り敢えず人の出入りを邪魔しないように扉の横に並び――と言っても俺がいる間に客は来ないと思うが――、アイツは……? ケルアの姿を探し辺りを見回すと、中に入ってきたものの姿を確認する為か立ち読みをしていた奴らと目がぶつかり、しかしすぐに逸らされた。そんな奴らの後ろを通り、店の奥にある四角い白い箱のふたを上に押し上げ、腰を曲げてそのまま中に入り込んでしまうのではないかと思うほど覗き込み何かを探しているケルアの後姿を見つける。
右足を上げて無駄に上下に振っていたケルアは、目当てのものが見付かったのか起き上がって音を立ててふたを閉めると、くるりと勢い良く白い箱に背を向け、満面の笑みを浮かべ軽くステップを踏みながらレジへと向かっていった。その姿はよくても中学生にしか見えない――といっても実際に年齢を聞いた訳じゃないから何とも言えないが――。
そんなケルアの向かうレジには、隠そうともせずあくびを大きく漏らしながらレジの後ろの棚を暇そうに整理している男が立っている。……いや。整理と言うよりは、ただDVDの裏に書いてあるあらすじを読んでいるだけかもしれない。見ては棚に戻すのを繰り返している。だが、棚にきっちりと隙間なく並んでいる背表紙を指で順になぞっているところを見ると、裏を見ているのはついでで題名順に並べ替えているのかもしれない。まぁどっちにしろ、暇を持て余している様子だ。
元からそんな顔なのか眉間にシワを寄せてDVDを見ていたが、ケルアの呼び声を聞くと弾けるように振り返り、驚きの表情を瞬時に笑みに変えて2人で子供のように賑やかに談笑し始めた。立ち読みしていた奴らが何事かと振り返っている。その中の1人は、読み終わったのか思わぬ騒音に邪魔されて集中できなくなったのか、雑誌を片付けるとズボンの両ポケットにそれぞれ手を突っ込んで、俺の横を通りそそくさとコンビニを去ってしまうほどだった。
うるさい奴に限って自分が被害者の立場になると文句言い出すんだよな……。去っていった奴の背中が見えなくなるまで同情の眼差しで見送り、いつになったら俺の時間が来るのだろうかと溜息をつきつつケルアの方を見た時だった。丁度こちらを見ていたらしい――いや、“見ていた”と言う表現をつかうにしてはこの視線は違和感がある。どちらかというとそれは観察しているような、敵の出方を伺っているような、そんな鋭い視線が男から送られていた。ケルアと話をしていたし、まさかこんな閑静としたコンビニでそんな風に見られるとは思いもしていなかったので、思わずたじろいでしまう。
だが、思考がまとまる前に男は俺に向かって笑みをつくると、ケルアと再び話しながらアイスを受け取り始めた。たださっきと違ったのは、2人共他人の不幸を笑い話にしているような、そんな雰囲気と笑み。どうやらあの2人の仲は、ただ常客だからという理由だけではないようだ。あーきっとアイツはケルアと同類なんだろうな。そう考えるだけで頭が痛くなってきた。
呆然とそんな事を考えていると、一応視界に入れていたケルアの姿がゆらりと動いたので意識が戻される。話は済んだのかアイスが入っている袋を受け取り、軽く手を振りあったかと思うと意外にあっさりとこちらに向かってきた。てっきり長話になると思って構えていたので驚いてはいたが、そんなに顔に出ていたのか、顔を上げたケルアが首を傾げる。
「何? どかした?」
「や、もう良いのかと思って……」
少し顔を上げてレジの方に視線を向けると、カウンターに左肘をつけて頬杖をついてこっちを見ていた男と見事に目があう――それにしても立ったまま頬杖つくなんて……腰痛くないのか?――。俺の視線を追ったケルアも肩越しに振り返ると、一呼吸おいた後どちらからともなく再び手を振りあった。
男は多分ケルアに向かって手を振っているのだろうが、一応彼の視界に入っているし第一目があってしまったので、このままただ見ているだけではものすごく居心地が悪い。だからといって手を振るのは知り合いでもないんだから馴れ馴れしいのではないだろうかと悩んでいるうちに、もちろんそんな俺の気持ちを知る訳がないケルアはすぐに顔を戻すと、袋を持った右手を肩に置いて歩き出した。
「だって早くアイス食べたいし」
そんな事を言いながら体当たりするかのように扉を開ける。
そんなケルアの後姿を見詰めながら、アイツの自分勝手なのは今に始まった事ではないが、相手が俺にとって初対面者な為か余計に男の気持ちを心配してしまった。別に俺が心配しても何かできる訳ではないのに、2人の仲を心配する自分に少し戸惑いを覚える。当の本人は全く気にした様子もないのに、何で俺が心配してるんだ……。
外は暑いし待たせると後がうるさいので追いかけようと1歩前に出るが、やはりまだ心の中がもやもやと違和感が残るので後ろを振り返ってみる。やはり腰が痛かったのか両手を腰に当て反り返っている男の姿が目に映り、そして腰をねじった男と再び目があった。まさかまた目があうと思っていなかったのか――普通そうだろうが――、一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに照れ隠しに苦笑を浮かべたので思わずつられて俺も微妙な笑みをつくってしまう。店員と客が――しかも初対面――レジと出入り口前という離れた距離で苦笑を浮かべあう、そんな何とも奇妙な光景ができあがってしまった。
特に気にした様子ではなかった事に安堵し、取り敢えず礼儀として軽く頭を下げると男の苦笑は満面の笑みに変わり、「ありがとうございました」ご丁寧に両手を前でそろえ深々とお辞儀をされたので、もう1度頭を下げてから重い扉を押す。
ねっとりと湿気を含んだ生暖かい風に包まれて、そういえばと思い出したくない事を思い出してしまった。俺はまたこの中を――。
「メルヴィー遅いよ!」
やりきれない気持ちに陥っている時に、ケルアの高い声が意外にも遠くから聞こえてきたので思考を停止し、辺りを見回しケルアの姿を探す。てっきりこのまま帰るもんだと思い込んでいたので、駐車場の車を止める時に後ろに下がりすぎないよう置いてある、1番端っこのブロックにケルアが座っている姿を見つけた時には思わず驚いてしまった。ケルアが座っているところは丁度隣の塀とコンビニのおかげで影になっているから選ばれたのだろうが、湿気に包まれ汗が流れ落ちる事には変わりない。
ほらほら早くこっちこっち、などと言いながら手招きするので取り敢えずケルアの前まで行ってみれば、俺の方を満面の笑みで見詰めながらブロックをさっき振っていた手で軽く2度叩く。笑顔こそ浮かべているもののそれが指す意味は、拒否権なんてないからさっさと座れ、だ。暑くて口論する気もないし、さっきまで涼しいところにいた為かすっかり気力を吸収された気分だったので、脱力するかのようにブロックに腰掛けて袖をまくる。
俺が座ったのを確認すると、膝の上にうちわを置いてさっき男からもらった袋の中を覗き込み何やら唸り始めた。どうやらこんなところでアイスを食べようとしているらしい。ここで食べるのは別に良いが俺は早く帰りたいんだから帰らせてくれ。そう思いながら両腕を膝に乗せてうなだれ、小さく溜息をついていると、いきなりひんやりとしたものが左の二の腕をがっしり掴むものだから、驚きのあまり思わず弾けるように顔をあげて二の腕を掴んでいる方向――ケルアの方を見る。しかしケルアの方は俺の事など全く気にせず、ぐいぐいと二の腕を引っ張って手を自分の方に持っていくと、「はい、これ僕のオススメその2」顔を上げて満面の笑みでそう言いながら俺の左手に冷たいものを乗せた。
「あ、あぁ……」ケルアの急な行動よりも冷たいものの正体の方が気になったので目の前まで持ってきて、まず裏を見る。半円の形をしたそれはみかんのような模様が描かれていた。そしてひっくり返して元に戻し、ざらざらとした感触のふたにでかでかとカラフルに書いてある文字を読む。「オレンジヨーグルト、風味……シャーベット?」
「んあとこれスプーン」
今丁度声に出して読んでいた時だというのに、ケルアは相変わらずのマイペースさで、ふたの上にビニールに入ったプラスチックのスプーンを軽く叩きつけるかのように置いた。
目に勝手に飛び込んでくる光景を信じる事ができなくてゆっくりとケルアの方を向けば、コップのような形をしたプラスチック――たぶんコレがマンデーなんたらというヤツなんだろう――のふたとプラスチックのスプーンが入っていた透明のビニールを袋の中に入れ、ズボンが水滴で濡れないようにする為かその上にアイスを置いて、口の中に入れたアイスの味覚をよく味わうかのようにそれはまた幸せそうな顔を浮かべて食べている姿がそこにあった。どうやら新しい罠とかではなさそうだ。だが、普段が普段な為、どうしても信じられない自分がいる。
「……なぁ、ケルア」
「ん?」
やっと口の中に入っていたアイスが溶けたのか2度目を口に運んでいたケルアは、スプーンを口にくわえたまま視線だけ俺に送ってきた。かと思えば瞬時に眉間にシワを寄せ、俺の手元を見る。
「ちょっとせっかく僕のオススメその2あげたんだから、溶けないうちに食べてよね!」
さっき口の中に入れたばっかりのアイスを飲み込んでスプーンの先を俺に向けてそう言い放ったのだから、どうやら後で文句を言われるという事はなさそうだ。「あ、あぁ……」体温によって更に溶ける速度が増した為手の中にかなり水がたまっている。
右手に持っていたうちわをブロックの上に置いてアイスを持ち、左手を振って水を切ってからふたをはがすと、ケルアの食べているアイスの下で水受けとなっていた袋の口を広げてくれたので、ついでにプラスチックのスプーンの袋も切ってその中に入れさせてもらった。
オレンジヨーグルト風味シャーベット――その名の通りオレンジ味と分かるオレンジ色をしたアイスは、端の方はどろりと溶けてしまっている。取り敢えずまだマシな真ん中にスプーンの先を差し込むと、シャリッとした感触が手に伝わった。口の中に入れれば、ほんのりと冷たいオレンジの味が広がる。ヨーグルトの味までは良く分からないが、確かにケルアがオススメするほど、今日のような汗が流れっぱなしの暑い日に食べるのには丁度良い冷たさと味だった。コイツがアイスにこだわる理由が、何となく分かったような気がする。
しばらくの間お互い一言も喋らずにアイスを食べる時間が続いた。流れ落ちる汗を拭きつつ黙々とアイスを食べる男2人組――そんな俺達の姿を、コンビニの中に入る奴はいなかったが多くの通行人が必ずと言っていいほど何とも微妙な表情を浮かべて歩きながら視線を送ってきた。多分、何もこんな所で食べないで家に帰って食べれば良いのにと思っているのだろう。俺も同感だ。だが――。
スプーンを持った手を動かしたまま――早く食べないと溶ける……――視線だけ横に向ければ、相変わらず恍惚とした表情を浮かべて食べているケルアの姿。ただ氷に色付けて味付けて甘くしてチョコが入っている――ケルアの持ってるマンデーなんたらってヤツにはな――だけなのに、食べたらなくなるのに、何故貴重な宝を手に入れたときのように幸せそうになれるのか分からん。分からないが、こんな小さな事で嬉しそうな顔ができるのはむしろ良い事だと思った。
道路の方に目を向ければ、通行人が相変わらず俺達を見てくるが、時々眉間にシワを寄せてあからさまに嫌そうな表情をしている奴も視界に入ってくる。他人の感情というものは不思議なもんで、見ているだけで自分もそいつと同じような感情になってしまう――まぁケルアの場合満面の笑みを浮かべてても俺が不幸な時が多いけどな――。
ケルアにとってこのマンデーなんたらという存在はまさに幸せそのもので、この暑い中アイスを持って帰れば家に着く頃はほとんど液体化としているし、早くその幸せを味わいたくて一秒どころかコンマ単位も待てないんだろう。
俺がもらったアイスの方が見た感じからも量が少なかった為早く食べ終わったので、ブロックの上に置いていたうちわとアイスの容器を交換し、顔に風を送る。
それならば俺は、ケルアの至福の時を壊したくはない。
「あーっ! 美味しかったぁ」
袋の中に俺の食べ終わった容器も入れてもらい、ゴミ箱に捨てたケルアは両手をあげて大きく背伸びをしながら満足そうにそう言った。
「それは良かったな」
相変わらず顔から流れ落ちてくる汗をタオルで拭きうちわで風を送りながらそう言えば、何故かケルアが驚きの表情でこちらを見てきたが、「うん!」すぐに満面の笑みに変えて大きく頷く。
同じく持ってきたタオルを服の中に突っ込みながら前を歩き出したケルアの後姿を見て、ふと今までの心に広がっていた暖かさが急激に冷たくなっていくのを感じた。何だ? この、思い出してはいけないような息苦しさ、圧迫感は……。
そんな事を考えながら取り敢えず足を進めていると、唐突にケルアがこちらを振り返った。その顔が浮かべる笑みはさっきとは違う、
「僕のアイスあげたんだから、もちろん! 空の散歩をプレゼントしてくれるよね?」
他人の不幸を嘲笑う笑み。
…………神なんて存在俺は信じないが、困った時の神頼み。万能な存在に頼ってしまうのは知恵ある生き物の弱いところか。無意識のうちに俺は今見返りのない小さな幸福を真剣に望んでいた。
End
良く考えたら私って何故か季節の話ってあんまり書かないので、私の好きなアイスを入れて書こうと思ったのがきっかけです。
ここに書いたアイス2つともちょいと名前変えただけで実際にあったのですが(コンビニにはないですが)、メルヴィーが食べていた方は私が1回食べただけで次行った時には前あった場所から姿を消していました…(泣)。くそうもっと早く買っとけば2回は食べれたのに…。
最近は和ごころの紫いもが好きですvv
好きな事詰め込んで自己満作品ができあがったんですが…丁度2ヶ月前にはまた「ミンミミン」の名前を登場させようと思っていたんですが、書いていくうちにだんだん逸れていって結局触れられなかったのが残念です。
でもなかなか楽しかったv
やー相変わらずワンパターンな小説ですなぁ…;;何か来ると思っていたら何も来なくて拍子抜け、だけど後で来てどっと疲れが出るって感じで。
06年8月26日