満月

 

 辺りはいつの間にか闇に包まれている。月は出ているのだろうが建物に隠れており、辺りに電灯など全くない細道を通っていたので、何が出ても気配だけで感じ取らなければいけない状態だった。これでは放浪霊に襲ってくださいと言っているのと同じだったが、テレゼが勝手にこの道に入っていってしまい、止めるのも面倒くさかったのでついて行く事にした、ただそれだけである。しかしやはり何故こちらの道を選んだのか気になるので尋ねてみれば、「こっちの方が宿屋に近いから」だそうである。

 宿屋、といっても旅をしている訳ではない。ただその宿屋を経営しているのが知り合いで、泊まるところがない自分を同情してくれて――というよりもからかっていた様な気がする――部屋を一つ貸してくれたのである。もちろん無料(タダ)で。知り合いも、放浪霊退治を職業に持っている訳ではないがそれに似たような仕事を兄妹(きょうだい)でやっており、別に金に困っている訳でもないし困っている奴から金を奪い取る趣味はないから、といって無料にしてくれたのだ。その代わり随分長い間しつこくその話を口にされては笑われたが。

 静寂な街。黙々と足を進める事だけに集中していたので耳には地面と足がこすれ合う音しか聞こえず、それが異様に心地良かった。テレゼも自分も静寂を好み、だから気があって一緒にいた。だからすれ違って口論した。口論した時にテレゼがよく口にする言葉、「何でついてきたのさ?」口論するだけならついてこないで、と。本当にそうなのだろうか。本当にテレゼが前を進み自分が追いかけているのだろうか。

 テレゼと出会ったのはいつだったかなんて覚えていないし覚える気もない。ただ出会った切っ掛けは、やはりテレゼの親がまだ陽も落ちていない時刻に放浪霊に襲われた事件だろう。放浪霊退治を職業に持っている奴でこの事件を知らないものなど一人もいないくらい有名な事件で、唯一生き残ったコイツに興味を持った。だが自分から会いに行こうとはしなかったので出会ったのはそれからずっと後、たまたま放浪霊を退治している時で、見てすぐコイツは死にたがっていると分かった。霊など見続けてきたから分かったのだろうか、それは今でも分からない。

 最初は自分が追いかけた。何故放浪霊が陽の高い時刻にも出現するようになったのか知る為に。しかしいつからか何時にどこに来いと言うと必ずテレゼは待っており、例えれば円の周りに自分達がいて、互いが前を進み互いが追いかけているような感覚。そう、どちらもどちらを頼っている、など考えているとだんだん意味が分からなくなってきて、右手で混乱してきた頭を掻き、そして落ち着かせる為にポケットに手を入れてガムを取り出そうとした時であった。「あ」思わず立ち止ってしまい、不思議に思ったのかテレゼも立ち止り振り向く。

 どんなにポケットの中を探してもガムが見付からない。反対のポケットにも一応入れてみるが、紙くずだけでガムはなかった。そういえばテレゼが何処かに行ってしまった時ポケットに手を入れたら後一枚しかなかったので後で買いに行こうとした事を思い出す。しばらく待ってもテレゼが帰ってこなかったので、ガムを買いに行っていたらその間に帰ってくるだろうと思い立ち上がった時に放浪霊の気配を感じたので、そのまま買わずに気配がした方へ走っていったのを今思い出した。別にガムがないと死ぬとかそんな大袈裟な事ではないが、あれがないと落ち着かない。例えるとベビースモーカーがたばこを買い忘れたのと同じだ。慣れてしまった事を突然止めると落ち着かない気持ちが良く分かったなど呑気に思ってしまう。

 ガムがない事に気がついたのかテレゼに仰々しく溜息をつかれてしまい、数歩近付いてきて何かを差し出してきた。掌に乗っているのは、紫の紙に包まれたガム。

「合わないかもしれないけど……」

 紫の紙にはご丁寧に“ブルーベリー味”と書かれており、確かに甘い物があまり好きではないカルガには合わない。しかし文句を言える立場ではなく、テレゼの行為も無駄にしたくなかったので、俯いているが諦めの表情を浮かべている事が良く分かるテレゼからガムを受け取り、小声で礼を言うとそのまま歩き出す。

「――え、何? 今何て言った?」

 妙に嬉しそうに尋ねてくるテレゼの言葉を無視し、早く宿屋に着く事だけを考えた。慣れない事をするんじゃないなと改めて思う。少し頬が熱くなっているのは気のせいだと自分に言い聞かせながら。

 

 

 カランカラン……。扉を開けると同時に乾いたベルの音が鳴り響く。中はテーブルや椅子が沢山並んでおり、その奥にあるカウンターには誰もいなくここは静寂に包まれていた。

「おかえりっ。何、なんか収穫でもあったの?」

 その雰囲気に場違いな明るい声が階段の上からふってきて、右手を小さく振っている男性と、その男性の後ろを黙って降りてくる女性の姿が目に映る。この男性の問いかけに答える気もなく、男性も答えを期待していた訳じゃないのか階段を降りて近くの椅子に女性と一緒に座り、何やら小声で話し始めた。

「……お前はどうだったんだよ、ルカ」

 普段は帰ってきたらすぐ黙って二階に上がってしまうカルガの意外な言葉を聞いて男性――ルカは大層驚いたらしく、「え?」驚きを隠せない表情でこちらに振り向いた。振り向いた事により見えた手に持っている札を見て、今日も仕事があったのかと納得する。

「……ま、まぁね。ロースのおかげで今日も一杯もらったさ」

 反応に少し遅れたがすぐにいつもの元気さを見せ、いいだろうと手に持っていた札を見せ付けてきた。「ルカ」しかしルカの前に座っていた女性――ロースに冷たく名前を呼ばれたのでルカはしぶしぶ札をテーブルの上に置き、「分かったって、だからそんなに睨むなよ……」情けない口調でそう答えていた。ルカのその行為に少し苛立ちを感じたが、ロースが代わりに注意をしてくれたので気持ちが落ち着く。

 全く正反対の性格を持つルカとロース、この二人が実の兄妹だと誰が分かるだろう。自分でさえ言われても冗談だろうと疑ってしまったぐらいだ。その中でも一番信じられなかったのは、この能天気なルカが兄でしっかり者のロースが妹だという事。どうみてもロースの方が年上に見える。しかもこの二人、年は五歳も離れているそうだ。ロースが大人っぽく見えるのか、ルカが子供っぽく見えるのか。カルガは後者だろうと勝手に予想した。

「いつまでそこで立っているつもりなんだ? こっちに座ったらどうだ」

 女性だとは思えない低い声でロースがそう言うので、取り敢えずテレゼと共に中に入りルカ達が座っている近くにあるテーブルを囲んで座る。「ロースさん、お疲れ様です」座りながらロースの方を向いて笑みを浮かべながらそう言うテレゼ。ルカと共に札の整理をしていたロースは一瞬驚きの表情を浮かべ、「私の方が年下なのだから呼び捨てで構わないのだが……」驚きはすぐに照れ笑いへと変わる。

「あ、すみません。でも、ロースさんすごく大人びていて……つい付けてしまうんです」

 カルガもテレゼもルカと同い年なのでこの中で一番年下なのはロースなのだが、見かけだけでは一番年上のように見えてついさん付けにしてしまうのがテレゼの癖であった。

 そんな風に談笑をし始めた二人を見ているとルカに人差し指で肩を突付かれ、なんだと小声で尋ねて振り返ると「テレゼのおかげでロースがよく笑うようになったんだよ」ルカも小声で意味の分からない事を言ってきた。だからなんだよともう一度尋ねるが「いいよなー……女って」すっかり一人の世界に入ってしまっていて、結局何が言いたいのか分からないままその会話は終わってしまった。

 しかしルカの気持ちも分からない訳ではない。この二人の仕事は霊の成仏で、放浪霊とは違い特別な人にしか視えない霊なのだが、子供達には何故か普通に視えてしまいその子供達を事故に導こうとする。意識があってやっているのか分からないがそれを防ぐ為にこの二人は成仏させている。ロースが霊を視てルカが成仏させるという方法なのだが、実はロースはまだ幼い時、霊を追いかけていて流れの速い川に落ちそうになった経験がある。それからいつまで経っても霊が視えてしまうロースはだんだん人と話す事を拒否し、引きこもるようになってきた、とその事について何度かルカに相談された事があった。何故他人との交流を拒否したのか、それは誰にも分からないが、父も母も亡くなり唯一の家族となったルカにとっては自分だけにも相談して欲しい、と弱音を吐いていた記憶がよみがえる。

 だからこうやって他人と談笑しているロースを見て嬉しい気持ちを他の人にも伝えたかったのだろうと勝手に解釈し、しかしその相手が自分でない事に悲しい気持ちもあるんじゃないかと思ってしまった。まぁ、耐えられなくなればまたルカの方から相談してくるだろうと、その事について触れない事にする。

 ルカは自分の世界に入ってしまったし、ロースとテレゼは未だに談笑を続けていたので、何もする事のないカルガはそっと立ち上がると、「え、もう寝るのか?」現実に戻ってきたルカにそう尋ねられ、ロースとテレゼもこちらに振り向く。まだ一緒にいようぜとルカにねだられたが、どうせ自分が二階へ上がったら話す相手がいなくなるのでまだいて欲しいと言う意味が含まれているのだろうと解釈し、「明日は早いんだ」別に仕事は入っていないので何もないのだが、ここにいてものろけ話を聞かされるだけなのは分かりきった事だったので、それから逃げる為に嘘をついたのだ。といっても普段あまり話さないカルガだったので長居していれば嘘だとバレてしまう。なのでその前にまだねだってくるルカの言葉を無視し、黙って二階へと上がっていった。

 

 

 カルガが借りている部屋は一番奥の210号室。そこに行くまでの廊下の距離は長く、もう皆寝ている時刻だったので静かだった。いつもこれくらいの時間に帰ってくるので知らないが、ルカから聞いた話ではここはいつも色んな音が廊下まで響いてきてうるさいようだ。

 鍵を外して中に入りスイッチを押すと、目に入ってきたのはいつもの自分の部屋。ベッドに机と椅子、そして本棚と確認すると安心してベッドの上に座った。ずっと前だったがルカに殺風景すぎると怒られ、帰ってきたら身の覚えのないものが色々散らばっていた事があったので、いつも帰ってきたら最初にこうやって確認するのが癖になってしまったのである。

 横目で壁にかかっている時計を見れば、いつもならまだ調べ事をしている時間であった。しかし今日は何故かやる気が起きなく、夜景でも見ていればやる気が起こるだろうとおぼつかない足取りで窓に近寄り、仰々しく溜息をつきポケットに手を入れガムを取り出すと、紫という少しきつめの色が目に入ってきた。先程カルガにもらったブルーベリー味のガム。せっかくの好意を無駄にはしたくないが……。そう考えていると小さくノックの音が聞こえ、「テレゼだけど……」恐る恐る名乗るテレゼの声が耳に入ってきた。

 扉を開けて目に入ってきたのは安堵の息を吐くテレゼの姿で、「良かった。寝ていたらどうしようかと思った」入っていい? と尋ねてきたので、どうぞと呟いて通行の邪魔にならないよう退く。

「全く……カルガは部屋に行っちゃうしロースさんは適当に理由つくって奥に入っていくから、私一人でルカの話を聞かないといけなくなったんだよ?」

 椅子の上に座るとテレゼは愚痴を漏らし、最後に仰々しく溜息をついて黙り込んでしまった。このままだと誰かが言わない限り永遠に沈黙が続いてしまいそうだったので、「で、何の用だ?」扉を閉めてベッドに座る。

「ん? ……何か用がないと来たらやっぱりダメか?」

 何か考えていたのか最初に首を傾げてから、再び黙った後に小声でそう呟いた。「いや、何か用があったのかと思ったから」そう答えてやるとテレゼは良かったと嬉しそうに笑みを漏らし、「……ガム」急に真剣に自分の手を見詰めだしたので何かと思えばそんな事を言い出す。

「ガム……やっぱり甘いのはダメだった?」

 手を見詰めたまま、まるで独り言の様にそう呟いた。

 そういえば、テレゼはいつも人の機嫌を窺っている様に見える。ロースの反応が悪かったりルカが少し機嫌悪そうに答えたりすると、ほんの少しだが困った様な表情を浮かべるのであった。その分自分にはよほどの事がない限りそんな表情は見せないので、少なくとも気軽に話せる相手だと思ってくれる事を喜ぶべきかもう少し遠慮というものを知って欲しいと悲しむべきか、複雑な気分になる。

「いや……今はこれしかないからな」

「仕方なく、って事か?」

 声は怒っているが表情はやわらかかった。「じゃあ、そろそろ私も寝るな。あまり長居していたらカルガにも悪いし」一体何がしたかったんだよと尋ねたかったが、テレゼはそれじゃあとさっさと帰っていってしまったので、開いた口は言葉を発する事なくしぶしぶ閉じられた。一人になり沈黙に包まれた部屋。いつからだったのだろうか、テレゼが隣にいる事が当たり前となったのは。握られたまま生暖かくなってしまったガム。包み紙をポケットの中にある紙と共にゴミ箱の中に捨てて、口の中に放り込んだ。

「……甘ぇ」

 初めて食べたブルーベリー味のガムは、異様に甘かった。

End

 

 

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久し振りにお題以外で。しかし…だんだん意味が分からなくなってきましたよ;
一応『古傷』の続き物。しかしこれだけでも充分内容は分かるかと…。
というよりも前の話と合っていない部分を何箇所か見つけてしまったので;
なのであえて表に書きませんでした。

どうやら私、カルガとテレゼをくっつけたいようです(何)。しかし、これで精一杯;ラブラブなんて書けません;;

04年9月9日