古傷

 

 毎日毎日同じ事の繰り返し。変化が欲しかった、一日だけでも良かったから何か変わった事が起きて欲しかっただけだったのに、まさかこんな形で返ってくるとは思いもしなかった。

 今日もいつも通り学校に行った少女――テレゼは、帰り道を重い足取りで歩いていた。一日の中で一番好きで、それと同時に一番嫌いな時間。やっと終わったと思ったのにまた明日はやってくる、それも早く。このまま家に帰らなければ変わった何かが起こるかもしれない。変化のなかった日々に何かが加わるかもしれなかったが、夜になると町には放浪霊が現れて無差別に人を襲う。いくら変化が欲しいからといって“死”は欲しくなかった。ワガママ、そんな事は分かっている。

 残念ながら今のテレゼには放浪霊を倒せる程の力はなく、今後も手に入れる事はないだろう。放浪霊は特別な武器でしか倒せなくそれを持っている者が退治をしてくれるのだが、その職業を持つ者は少なく、自分の身は自分で守らなくてはならない。陽のある時刻には放浪霊より結界の方が強く安心して外出できるのだが、夜になって霊力が増した放浪霊相手に結界は効かなく、夜に出歩く者はいなくなった。

「あー、疲れた」

 口に出すと疲れが軽くなる様な気がして、しかし実際に軽くなるはずがなく再び同じ言葉を口にする。顔を上げれば家は目の前。やっと安らげる、やっと解放される、そう思うと先程までまるでおもりをつけたかの様に重かった足は急に軽くなり、早足で階段を駆け上ってドアのノブを回す。

「ただい……ま」

 勢い良く扉を開けてそう口にするが、何故か今日は家の雰囲気が違う様な気がして思わず尻すぼむ。テレゼは父と母の三人で暮らしていたが、いくらなんでもこれは静かすぎだ。太陽の陽で明るいはずの部屋は何故かとても暗く感じ、思わず悪寒が背筋を走る。

「お父さん……お母、さん?」

 恐る恐る口に出してみる。まるで誰か知らない人物がこの部屋に潜んでいて、その人物に見付からないように父と母を捜している様に思えた。見えない恐怖に怯える。

 やっとリビングへと続く扉の前に立つ。いつも歩いている廊下なのに、今日はここまでの距離が異様に長く感じた。この扉を開ければ料理を作っていた母が手を止めて満面の笑みで「おかえり」と言ってくれて、続いて父が「おぉ、帰ってきたか」テレビを見ていた体制のまま肩越しに振り返って嬉しそうに言ってくれる、そんな光景を想像しながらゆっくり手を伸ばし、ドアノブを握る。余計な心配はするな。自分に言い聞かせるが、まるで頭は他人のものかの様に悪い事ばかりを考える。

 ゆっくりとドアノブを回し、手前に引いていく。どんどん(あらわ)になっていくリビング、最初に視界に入ってきたものは――。

 

 

 ガクッとまるで急に引っ張られたかの様に顔が前に倒れそうになって、反射的に元の場所に戻る。まだはっきりしない頭で茫然とここはどこだと考えながら辺りを見回してみると、赤紫の長い椅子に大きな窓。どうやら電車に乗っている途中で寝てしまっていた様で、そこまで考えがたどりついた時、はっとここは何駅かと駅名を慌てて探す。

 視界に入ってきた駅名は自分が降りる予定だった駅を通り過ぎて一個目の駅。ヤバイ。慌てて荷物を持ち、電車から降りると同時に電車の扉がしまったので、しばらく電車の後姿を見送った後深々と安堵の息を吐いた。腕時計を見ると、四時三十分。待ち合わせの時間より十分も遅れている。

「うわっ! 怒られるよ」

 ちらりと横目で隣のホームを見てみると、もう降りる予定だった駅に向かう電車が着いていてそろそろ出発しそうな雰囲気だった。慌てて階段を探して転ばない様に、それでも早足で階段を降りていく。待ち合わせている相手は、自分はよく遅れてくるくせにテレゼが遅れると文句を言う自己中心的な奴で、まだ来ていない事を願いつつやっと隣のホームに着くがギリギリのところで扉が閉まってしまい、慌てているテレゼをからかうかの様に電車はゆっくりと走り出す。

 腕時計と時刻表を交互に見て次の電車が何分に来るか調べるが、次の電車の到着予定時刻までまだ十分もある。こんな暑い日に今まで涼しい中にいたのに急に外に出ればもちろん汗は自然に出てきて、途中で寝てしまった自分に嫌悪を抱きつつ鞄の中からタオルを出した。

「それにしても……嫌な夢見た」

 言った後でそう考えた事を後悔し、わざと強くタオルで顔を拭く。あれは数年前、自分の父と母が放浪霊に殺された時の記憶。忘れたはずなのに、未だに鮮明に覚えていた。

 丁度あの時から放浪霊の印象が変わったのだろうか。今まで夜にしか出没しなかった放浪霊は、何故か明るい時刻にまで平然と姿を現し人々を襲っていった。それから放浪霊を退治する職業を持つ人が増え、力なき者はその者と一緒じゃなきゃ外出しなくなっていった。しかし、そんな経験をしてからテレゼは自暴自棄になり、時々こうやって一人で外出している。もう殺されても構わないと思っていた。そんな時に出会ったのは放浪霊退治を職業とするカルガという名の青年。会う度に喧嘩をしていたが何故か一緒にいる事が多くなり、そしていつの間にかこうやって待ち合わせをする事が増えていった。こうやって未だに一人で外出する事を避ける為かそれともただの暇潰しか。それでもカルガと一緒にいると喧嘩をしていても楽しかったのでテレザも文句は言わなかった。遅刻してくる事に対しては遠慮なく文句を言ったが。

 そんな事を考えていると、電車が来る放送が流れ始めた。あれ、もう十分経ったの? ふと疑問に思ったが、むしろ好都合だったので特に気にしない事にして停車した普通の電車に乗る。涼しい空気が身を包み、タオルを鞄の中に入れて背もたれにもたれかかり、溜まった空気を吐き出していると再び放送が流れて隣に急行電車がやってきた。

 先に急行の方がテルザの降りたかった駅に着くという放送を聞いて乗り換えようと思ったが、今更行っても座るところがないだろうし、第一面倒臭かったのでこのまま普通に乗っている事にした。そのせいで駅を降りた時にはもう四十五分近く。あぁ……怒られるだけじゃ済まないかも。重い足取りで待ち合わせの場所にしていた時計台のところに行く。

「……遅ぇ」

 長椅子に座って膨らましていたフーセンガムを口の中に入れた自分より二歳年上の、黒い肩まである長い髪が暑そうなこの青年こそ、テレゼを待っていたカルガである。「な、何時に来たの?」恐る恐る尋ねてみると、カルガの口からは意外な言葉が出てきた。「二十分」

「嘘っ! 待ち合わせ時間ピッタリに!? 冗談じゃないの?」

 驚きのあまり思わず思った事を全部口に出してしまい急いで両手で口を押さえたがもう遅く、カルガはごくっと喉を鳴らして眉間にシワをつくる。どうやって機嫌をとろうと考えた始めたテレゼは、ふと先程何故喉が鳴ったのかというのを先に考えてしまい、その答えはあっさりと浮かび上がってきた。

「うわっ、またガム飲み込んだな!? 汚いっ! いつもちゃんと紙に包んで捨ててっていっているだろ!?」

 さすがのカルガも更にシワを深めて立ち上がり、「……それが今まで待っていてくれた人に対して言うセリフか?」

「は……はぁ? アンタが勝手に二十分に来い、って言ったんじゃないか。私は頼んだ覚えはない!」

 カルガの周りに漂う冷たく重苦しい空気を感じ取って思わずどもってしまったが、苛立ちの方が勝ち、気付いた時には口からそんな言葉が出て空気を震わしカルガの耳へと届いていた。こんな事言うつもりじゃなかったのに。確かにそう思った事はあったが、その事で苛立ちを感じた事はなかったしむしろ嬉しい方である。

「……そうかよ」

 それだけ口にするとカルガはポケットの中に右手を突っ込み、新しいガムを取り出した。

 そんなカルガの行動を茫然と見詰めた後、また勝ち逃げされた事をやっと理解して「――っ! 帰る!」わざわざ宣言してから体の向きを反対にし、重い足を上げてゆっくりと歩き出す。こんな事言うはずじゃなかったのに……。思わず出そうになった溜息を飲み込み肩越しに振り返ると、小さく見えてもただガムを噛んでいるだけで自分の事など全く気にしていないのが良く分かった。まさかあそこまで言っておいて帰る勇気も謝る勇気もなく、仕方なくそこら辺を散歩しようかと再び歩き始める。

 

 

 人が一人も通らない道を、上を向きながら歩く。通ったとしても必ず二人一組で、驚きと呆れの混じった表情でテレゼを見送ってくれた。当たり前だ。いつ放浪霊と出会わすか分からないのに一人で、しかも見かけからして退治を職業に持っていない事が良く分かる少女が空など見詰めて歩いているのだ。自殺行為にしか見えない。相手はなるべく関わらない様にする為か、歩く速度が速くなっている。

「……自分一人じゃ何も出来ない人間にそんな目で見られるとは思いもしなかったな」

 そんな後姿を見詰めた後、ボソッと呟く。しかしそう呟いた後から、自分も他人の事は言えないが、深々と溜息をついた。数年前、リビングにいたのは真っ赤になって倒れている自分の父と母。その横には、まるで影が立体化したかのようなものが人間でいう右手を鎌の刃の様なものに変形させてそれを真っ赤に染め上げ、流れ落ちる赤いドロドロとした液体はさらに絨毯を赤く染めていっていた。その赤い大きな水溜りの端は乾いて茶色っぽくなってきているというところまで、その時の自分はよく観察できたなと今でも感心する。

 その時の自分は何故かそれが“放浪霊”だと瞬時に分かったがそれだけで、逃げる事も近くにある物を投げる事も出来ず、まるで地面に足がくっついてしまったかの様に茫然と放浪霊らしきものを見詰めていた。放浪霊が危険なものだとは知っていたが、それが一体どんな形をしているのか、どんな風に襲うのかまでは知らなかった。だから本当に放浪霊が危険な存在なのか、その時はまだ信用できなかったが、こうやって会ってみて初めてどれ程危険なものなのか分かった――いや、分からなければいけなかった。自分の父と母が殺されたのに、危険な存在なのか分からない方がおかしい。

 ゆっくりとまるで影が移動するかの様に近付いてくる放浪霊。目の前に来ても逃げ出すことは出来ず、全身が震えているのをただ感じていただけ。まるで他人事の様に、ゆっくりと振り上げられる鎌を見詰めていた。

 

 が、しかし。

 

 時間が止まってしまったのか、一向に鎌が振り落とされる気配はなかった。顔らしき部分も真っ黒で表情が読み取れずぎこちなく首を傾げ放浪霊の行動を待っていたが、まるで腕を下ろすかの様に下ろされた鎌はテレゼのところ来る事はなかった。そしてそのまま床の中へと姿を消していった、というところまでしか覚えていない。その後自分がどうやって警察に見つけてもらったのか事情聴取したのかなど、全く覚えていなかった。

 唯一理解してくれる存在だった親がいなくなった今、生きる意味も分からなくなりただこうやって殺されるのを待っている。せっかく助かった命でもそれで放浪霊の印象が変わる訳でもなく、自分は親が放浪霊に殺されたかわいそうな少女という同情を日々浴びなければいけなくなっただけである。

 それに何の意味があるのだろうか?

 唯一自分に意味があったものといえば、カルガと出会った事だろうか。しかし、それだけである。それなら親と幸せに変わらない毎日を送った方が良かったと今は思う。ワガママだとは分かっているが。

「……あの時、殺してくれた方がマシだった」

 鼻で笑い飛ばす。人間は嫌いだが、相変わらず矛盾な自分が一番嫌いだった。結局は運命というものから逃げられないというのが思い知らされて。

 そんな事を考えていると、突然背筋に悪寒が走り前身の産毛が逆立つ様な感じがした。誰もが通るただの道に、まるで人間じゃない何かがいる様な感じがする。大丈夫思い過ごしだ。自分にそう言いかけても余計に恐怖を感じるだけである事を忘れるほど、全神経が向こうの方に見える通りに集中していた。

「…………帰ろ」

 声を発さなければ迫り来る闇に飲み込まれそうな恐怖が襲ってきたので、声を絞り出す。そのせいか、心なしか震えているように聞こえてきた。しかしそんな考えよりも早くここから抜け出したいという気持ちの方が勝り、踵を返しなるべく急いでカルガのいた場所に戻る。あのカルガが待っている訳ないので先に予約をしていた宿屋へ向かう方が会える確率が高いはずなのに、それでも何故か未だに待っているような気がして確かめないといけない気がした。

“早足”はいつの間にか“走り”に変わっており、早くアイツに会わないと、頭の中はただそれだけしか考えていなかった。どんなに死にたいと思っていても、いざそういう状況になると助かりたいと思ってしまうのは……ただのワガママか。

 しばらく走っていると、退治屋ではない一般人のテレゼは最低限の運動しかしていないので当たり前の事だが息苦しくなり、近くの壁にもたれかかり胸を押さえて息を整える。そんなテレゼの姿を再び一組の通行人が冷たい視線で見送ってくれた。他人の目からははぐれて必死に相棒を捜しているようにしか見えないのだろう。あぁそうだよ、ただ違うのは自分から離れていっただけだ。バカな奴だと思っているのかもしれない。そうだよ、自分の力で何も出来ない無力な人間さ!

 人を見かけた事で安心したのかもしれない。大きく息を吐き、それでもすぐに人の姿は見えなくなったので再び恐怖が襲ってくる。きっとアイツらは私が襲われていても助けに来ないだろう。来るとすれば……。

「――! 何期待しているんだろう……」

 額に手を当て、嘲笑う。思い浮かんだのは、何を考えているか相変わらず分からない無表情のカルガ。喜怒哀楽の“怒”しか持って生まれてこなかったのではと思うくらい彼は表情を変えない、といっても、眉間にシワを寄せるくらいだが。

「何でアイツは私についてくるのさ……」

 とりあえず落ち着かせる為に違う事を考えてみる事にしたが、選択を間違ったらしく答えは出てこない。考えてみれば当たり前の事だ。カルガが何故ついてきているのかなんてカルガ本人にしか分からない事なのだから。もしかしたら、本人も分かっていないのかもしれない。

「取り敢えず、帰ったらまず何て――?」

 俯き、声に出してこれからの事を考えていると、唐突に視界が暗くなり疑問を抱く。雲に隠れたとも考えられるがそれにしては唐突過ぎる。となると後考えられる事はテレゼの前に誰かがいるという事で、普通知らない人の前に立つというのはよっぽどの事がない限りしないはずだから、考えられる人物は二人。カルガか、それとも……。恐る恐る顔を上げる、それにかかった時間は無駄に長く感じた。

 見上げた先にいたものは、忘れるはずもないあの真っ黒で表情が読み取れない放浪霊の顔。瞬時に理解したはずなのに、恐怖は後からやってきた。声に出そうとしても顔が引きつり、まるで自分のものではないかの様に一つの事しか考えられない。“怖い”という単語がリフレインし、テレゼをはやし立てる。どうしたの、アンタはこれを待っていたんじゃないの? と。

 

 やっぱり……怖いんでしょう?

 

 黒い影の右手の様なものが膨れ上がり、みるみるうちに鎌の刃の様なものに変形していく。そして振り上げられたそれを凝視する事が出来ず、俯き両手で顔を覆い早く終わってくれる事を祈った。出来れば痛みを感じず死にたい。頬に風があたり振り落とされたのだと思って更に強く目をつむったが、何かと何かがぶつかる音が響いただけで振り落とされた気配はなかった。

 恐る恐る手を外し、目を開けて何が起こったか確認しようと顔を上げるが、目に映ってきたのはカルガの広い背中だけで他は何も見えない。「……あ」その単語を出すだけが精一杯で、自分でも声が震えているのが良く分かった。耳を澄まさなければ聞こえそうにない声、多分カルガの耳には届いていないだろう。

「――く、っそ」

 その声と同時にカルガは前へ一歩進み、右手を勢い良く振り落とす。受け止めていた鎌の刃を振り払った事が分かったのは放浪霊が消え去り辺りが再び静寂に包まれた後で、その時は聞いた事のないカルガの苛立ちが混じった声に驚き、思わず壁に背中を預けたままズルズルと地面にしゃがみ込んでしまった。

「これでも死にたいと思うか?」

 静寂を破ったのはカルガの未だに苛立ちが混じったその声で、右手に持っていた剣は腰にある鞘の中に戻す。今まで何度口論してきたか分からないほど“喧嘩”を繰り返してきたが、それでもこんな声を聞いたのは初めてである。

 答えられず黙って俯いていると、溜息と共にだんだん小さくなっていく足音が聞こえてきたので勢い良く顔を上げると、カルガはまるで何事も無かったかの様に歩き始めていたので、慌てて壁に手をついて立ち上がりカルガの横に並ぶ。

「どうせいつかは死ぬんだ。それならお前が安心してこの世を去れる時に、苦しまず楽に死ねる死に方を選べ」

 珍しく自分の意見を言う――いつもは面倒臭がってあまり喋ってくれない――カルガに、「……うん」自分でも珍しいと思うほど素直に返事をしてそのまま黙り込んだ。もちろんカルガもそのまま黙り込んでしまい、しかしそれがカルガなりの優しさなのだと分かってきたテレゼは「ありがと」自分でも聞こえないほど小さくそう呟く。

 二人の姿を隠すかの様に、辺りはいつの間にか暗闇に包まれていた。

End

 

 

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何となく文字を小さくしてみたり。読みづらい様であれば掲示板にでも書いて下さい。

同じ様な話をどこかで読んだ様な気がして途中で止めようかと思ったのですが、取り敢えず完成させて見ました。が…
時間が経つのが早い。相変わらず訳が分からない。など、何故カルガはテレゼを助けられたのか、二人共黙り込んでしまった為理由を書く事が出来ませんでした;
出来ればこの後どうなったか書きたいですね。じゃないとめちゃくちゃ中途半端ですよ。
とかいって結局挫折するのがオチ?;

04年8月16日