薄暗い屋敷の中で

 

 突然激しい痛みが襲い、彼女は思わず顔をしかめてしまった。目の前にいる青年に気付かれない様そっと激しい痛みを訴えた喉に触れ、心の中で苦笑いを浮かべる。人は一番弱いところから痛みを感じるっていうけど……どうやら本当らしいわね。限界が近付いてきている事が嫌というほど良く分かった。こんな短い時間だったの、初めてだわ……。

「……あら」

 息苦しい。だけど青年に悟られない様左手首につけた腕時計を見ながらわざとらしく声を上げる。汗が頬をなでていくのが良く分かった。気付かれていないだろうか。「ぼうやの悩み事について色々語り合いたかったのに……残念ね」早く終わらないといけないという気持ちと共にあった本音を言葉だけ並べて殊更に平気を装って口にする。こんな短い時間しか喋れないのだと分かっていれば余談なんてしなかったのに。自分の愚かさに吐き気がした。まぁ吐く口などないのだが。

 どうか青年の視界から自分が外れる様に青年の後ろを指差して気を逸らせる事に成功するとこの場から逃げ出す様に意識を手放した。だが、いくら喉が痛むからといってちゃんと手順通りこの場から放れた方が、今の彼女の状況の場合良かったのかもしれない。例えばギリギリまで伸びきったゴムの真ん中をハサミで切った様な感じだ。戻ってきた彼女は思いっ切り体に拒否反応を起こされてしまった。

 今度は体中がまるで何千本もの針に突き刺されている様に痛むかと思えば、彼女は重たいまぶたを開けて驚いた。周りには色々な物がまるで台風が去っていったかの様に散り散りになっており、確かに椅子に座っていたはずなのに自分は壁に背中を当てて横たわっていたのである。

「ルイラ、大丈夫?」

 その光景と共に視界にぼんやりと入ってきたのは、碧眼に濁った白の様な胸の上を流れる髪を持ち、紫や紺や黄土色などの布をあちこちにベタベタと縫い付けられている体に似合わず可愛らしい表情を浮かべているうさぎの人形を腕に抱いて弱々しい声で自分の名を呼ぶ、先程の青年より幼いだろう少女の心配そうな表情。その表情を見たくなくて、倒れた格好のまま小さく頷き答えた。えぇ、大丈夫よ。本当は体中が、喉がピリピリと激しく痛むのだが少女には心配をかけたくなかった。だからあえてそう答える。

 少女の安心した表情を見ると心なしか痛みが少し治まった感じがした。

「……ひどい有様だな」

 そんな場の雰囲気を壊した低い落ち着いた声は、扉の方から聞こえてきた。額に手をあて上半身を起こし、声がした方を見れば案の定そこには耳が隠れる程度の紺の髪を持ち、純白な布で目を隠した黒服の男性が開けた扉にもたれかかり腕を組んで立っている。まぁこんな声を持った奴、コイツ以外にここにいられても困るけど。

「おい、聞こえてるぞ」

 その言葉に思わず思考まで切ってしまうところだった。本当、声が使えないっていうのは苦労するわね……。口があれば溜息をつきたい思いを押し殺して、いい加減さらさらと頬を撫でる薄い紫色の布の感触が気になり始めたのでもう男性は無視し、手を後ろに回して結び目を解く。はらり。落ちたくないと抵抗して宙を舞った布は周りに落ちている物の上に被さった。

 布をとって現れたのは、無残にもまるで口裂けの様に耳元まで縫われピクリとも動かない布よりも濃い紫色の唇だった。

 しかし、ルイラのその姿を見て二人は視線を逸らすどころか少女は更に顔と顔がくっついてしまうほど近付いてきて、そっとまるで店に並ぶ硝子細工に触れるかの様にルイラの左肩に触れ、そして抱きついてきてくれて、男性の方はというと「――で」全く気にせず話を変えた。「この状況を説明してもらおうか」まるで見えているかの様に辺りを見回している。

 バノン。男性――バノンの名を呼ぶ。これはルイラの声がちゃんと相手に聞こえているかどうか確かめる為に、彼女は必ず一番初めに名を呼ぶのである。「あぁ」

 ちょっとこの前話しかけた子の仲間を見かけてね……ちょっと話しかけてみたのよ。

「で、いつもの様に意識を飛ばし話しかけたら体力が持たず、急いで帰ってきてこの有様……と言う訳か」

 呆れ半分溜息混じりで先に言われてしまい、しばらく黙り込んでから、そう……小さく答えた。視線を下に向けると何も分かっていなさそうな少女の瞳とぶつかり、あのねとバノンとの会話を伝える。話を全て聞いた少女は驚きに満ちた表情を浮かべて、それから弾ける様にバノンの方を肩越しに向き、ルイラからは見えないが睨んでいるのだろう。「バノン、またいじめる」少女の穏やかな雰囲気とは違い、きつい口調を放った声が空気を震わせ、耳に入ってきた。

 ティクス、違うの。バノンは全然悪くないわ。急いで少女の名を呼んでちゃんと聞こえているかも確認せず訂正するが――バノンが機嫌を損ねると扱いにくくて困るもの――、「バノン悪い。ルイラ頑張った、ルイラいつも頑張ってる。なのにバノン、いつも冷たい」しかしティクスは許すつもりはないらしい。ツギハギうさぎを持っている手まで大きく振り、何としてでも謝ってもらいたい様だ。しかしバノンはただ鼻で笑い視線を逸らすだけである。

 どうしてこう二人は仲が悪いのかしら……。ルイラが初めてここに来た時から二人はもういて、仲が悪いと言うよりも全くお互い顔を向け合おうともしていなかったのを今でも鮮明に覚えている。当たり前といえば当たり前だ。バノンは目が見えず気配や口調、空気などで感じ取っているらしく――聞いただけで良く分からなかったけど。空気なんかで分かるのかしら――、そしてティクスは唯一バノンとコミュニケーションできる声を聞き取る耳を持っていなかったのだ――最初は少ししか聞こえない程度だったらしいんだけど……色々合って何かバノンが言うには自分で自分の耳を引きちぎったらしいの――。言葉が聞こえないティクスは自分から会話を拒否していたのだそうだ。

 しかし、ルイラは頭に直接声を届けているので声が聞こえる聞こえないも関係なく、なので初めて何の不自由もなく会話できた人として自分を大切にしてくれているのだろう。そしてバノンは何故かルイラを毛嫌いしており、そんなバノンが許せないのだろうか。別にそこまでしなくてもいいのに……。相変わらず怒鳴っているティクスと無視しているバノンを見て、何もできないルイラは頬をかいた。

「さてコイツは置いといて……話を戻す」聞こえない事を良い事にバノンはさっさと話を変えてルイラに話しかけてくる。「いくら体調が良くなくてもここまで体に拒否反応を起こされた例は今まで聞いた事がない。と言う事は、お前が話しかけたソイツ――」そこで言葉を切ったバノンの表情を見て、ルイラは小さく頷いた。

 えぇ。きっと私達にとってぼうやは災厄の者となるでしょうね……。

 言葉に良い意味と悪い意味があるように、人間のたった一つの行動だけで良い事と悪い事は同時に起こる。とらえる者がどちらをとらえるかによってその行動の持つ意味はとらえた方に更に強まる。そしてそれが結果として悪い事になってしまった場合、二つの組織は動く。

 一つ、悪い事を良い事に変えてしまう組織。

 一つ、悪い事をなかった事にしてしまう組織。

 その最初の組織には入っているのがこの三人で後の組織に入っているのが、ルイラが会った二人の青年なのである。そう、その起こした人物を殺す事によって消し去ってしまう、恐ろしい組織に入っているのが。

 矛盾の意味を持つもの同士が投合しあう事はない。ならば結果的に敵同士になる定め。

「バノン、謝れっ!」

 い、いいのよティスク。バノンはちゃんと後で謝ってくれるから……。

 そんな一生起こる事はない事も、今にも殴りかかりそうな勢いのティスクを止める為には仕方ない。一生懸命ティスクの機嫌をとりながら、ルイラは心の奥底で名も知らぬあの青年の事を少し考え、そして止めた。

End

 

 

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一度は書いてみたかった三猿v(こんなのばっかり)でも皆暗い過去持ち。
バノンは目、ティスクは耳、ルイラは声。その代わりに一般人よりも素晴らしいものを一つずつ持っているのですが、いつか書けたらいいなぁ…(おい)。
飽きっぽいので長編にはしません。なのでこれで終わっちゃうかもしれないし、また書くかもしれないし、もしかしたらずっと書き続けているかもしれない…それは私にも分かりませんな;;取り敢えずまた彼らを書きたい気持ちはあるので。

これ、一応『狭い通路で』の続きですが、読まなくても話の内容分かる様にしているので多分大丈夫、です…;

…もしかしてオリジナルの女の子まともに書いたのこれが初めてかもしれない……;

04年12月17日