疫病

【赤痢】1897年に大流行し、9万人が感染し致死率は25%に上ったとされている。上下水道の普及で1965年以降激減しています。赤痢菌は「志賀潔」が発見し、学名「Shigella」と呼ばれています。

【腸チフス】サルモネラの一種であるチフス菌。主に経口感染で、菌保有者の大便や尿に汚染された食物、水などを通して感染。昭和初期から第二次世界大戦直後までは、腸チフスが年間約4万人発生していた。1990年代に入ってからは、腸チフス・パラチフスを併せて年間約100例程度。その殆どは世界からの輸入感染症の事例となる。

【天然痘】(痘瘡、豌豆瘡、疱瘡)天然痘ウイルスを病原体とする。天然痘は渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のエピデミックが見られたとされている。奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行であったようだ。「独眼竜」の戦国大名、伊達政宗も幼少期に右目を失明したのも天然痘によるもの。16世紀に布教のため来日したイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、ヨーロッパに比して日本では全盲者が多いことを指摘している。これも天然痘によるもののようだ。江戸時代、美濃国のある村の宗門改帳を基にした調査によると、1831年からの10年間平均で、5歳以下の乳幼児の5人に1人は痘瘡で死んでいた。ところが種痘が1849年に日本にも導入され(出島の独国医師によるワクチン)、村の医者が実施したところ、1851年には100人に3人に激減した。この医師の死後、再び元の死亡率になったという。天然痘は1980年にWHOによって根絶宣言が出ている。人類が制圧した感染症として知られる。会津、岐阜飛騨地方の子供のお守り「さるぼぼ」が赤色なのは天然痘除けのためだ。疱瘡の語は平安時代、痘瘡の語は室町時代、天然痘の語は1830年が初出のようだ。

【梅毒】の歴史は古く、コロンブスによりヨーロッパへ伝わり、日本へは1512年に来たと。20年でほぼ世界一周したといわれています。戦国から江戸時代初期では、加藤清正、結城秀康(家康の次男)、前田利長などが梅毒で死亡したとのこと。病が性感染症であることは古くから知られ、徳川家康は遊女に接することを自ら戒めていたらしい。江戸の一般庶民への梅毒感染率は実に50%であったとも。杉田玄白は『解体新書』で有名だが、実際に診ていた年間約1000人の患者のうち、7~8割は梅毒で、江戸時代は蔓延していたという。

【麻疹】麻疹(ましん)ウイルスによるもの。長徳元年(995)4月、都で赤斑瘡(「あかもがさ」、今でいう「はしか」)が猛威をふるい、公卿たちも次々と死去した、とあるから古くからある。江戸時代以降では「はしか」と呼ぶ。今ではワクチンがあり、「一度罹患すると二度はかからないため通過儀礼のようなもの」という意味で「2度なし病」とも呼ばれる。江戸時代は13回流行し、文久2年(1862)には江戸だけで7万人(各寺の報告では24万人)が死んだという。安政5年(1858)のコレラは江戸で約3万人が死んだという。当時の江戸の人口は約100万人だから相当な死亡率だ。(以上、BOOKウォッチ『病が語る日本史』、Wikipediaなど)